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長崎県最後の離島村と福岡県北部の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その50)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会

長崎県最後の離島村と福岡県北部の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その50)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
(その23)トカラ列島と奄美群島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年5月10日
(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日
(その25)「大人の休日倶楽部会員パス」による秋田県北部の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月27日
(その26)能登・砺波の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年7月9日
(その27)路線バスを乗り継いだ大分県と福岡県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年12月5日
(その28)JR四国誕生日切符を使っての四国3県の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年1月19日
(その29)沖縄県宮古八重山地方|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年5月16日
(その30)北海道宗谷・網走・上川支庁|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年7月12日
(その31)広島県・愛媛県境の瀬戸内海の島々|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年8月6日
(その32)北九州から山陰本線に沿って石見銀山へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年5月13日
(その33)北海道渡島半島から後志にかけて|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年6月27日
(その34)佐賀県100達成・長崎県は残り1つに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年10月9日
(その35)石川県の100%を達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年11月7日
(その36)徳島・高知県に行き四国100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年1月28日
(その37)三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月2日
(その38)沖縄県久米島と渡名喜島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月24日
(その39)会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年5月20日
(その40)岩手県大船渡線と北上線|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年6月17日
(その41)北海道十勝から日高へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年7月6日
(その42)東京の3つの離島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年8月17日
(その43)2010年9月南部地方を行く|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年9月10日
(その44)隠岐からたたらの道へ 島根県100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年11月20日
(その45)岡山県を100%達成し兵庫県へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2011年4月15日
(その46)宗谷岬から南下 名寄で行政の神髄を知る|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2011年7月23日
(その47)コミュニティバス三昧で長野県・岐阜県・愛知県へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2011年8月26日
(その48)米沢から越後へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2011年9月9日
(その49)鹿児島県でまたも知った公共交通の課題|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2011年12月16日
(その50)長崎県最後の離島村と福岡県北部の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2012年1月27日

 3259市町村の目標に対し残りは203となった。47都道府県中すでに半数近い22府県は100%を達成しているのだが、県別にみると福岡県が34も残っており気になっていた。しかしそれらは北九州地区に偏っており、鉄道やバス網が比較的充実しているところなので、その気になれば短時日で多くに行けそうだ。

 また3年前、台風のために行けなかった的山大島(あづちおおしま)の大島村が、長崎県でただひとつ残ったためにこれも気になっていた。そのようなことから、例年にない寒気のなかだったが、マイレージ無料航空券利用がローシーズン中の1月下旬に出かけた。平戸から北九州まで、バスを使うことが多いので、8000円で北部九州5県の路線バスが3日間乗り放題としいうSUNQパス北部九州版を事前に、新宿の京王バスターミナルで購入しておいた。

 羽田空港を早朝6時20分発の全日空長崎行きは、ソラシドエアー(旧スカイマークエアラインズ)との共同運航便で、多摩川河口に新設されたD滑走路から離陸した。列島は低い雲に覆われ飛行中地上を見ることは殆ど出来ず、長崎に到着したときも小雪が舞っていた。

平戸オランダ商館

 長崎空港から佐世保乗継ぎで平戸までバスに乗った。平戸は2年3カ月ぶりで、前回は日帰りで的山大島に往復するつもりだったが、台風による欠航で断念した。今回はその的山大島にある大島村役場、現在は平戸市大島支所に行く目的だけのために来たのであり、せっかくの離島だし、長崎県の最後でもあることから島に1泊することにした。

 船の時間まで、昨年9月にオープンしたばかりの平戸オランダ商館を見物した。1639年に造られたという石造倉庫の再建だ。日本初の洋風建造物であり、当時のアジアでは最大の洋風建物だったという。しかし島原の乱終結直後で、幕府のキリスト教弾圧が激しくなる中、建物の壁に記されていた西暦年号の西洋文字がキリスト教に関係しているのではというだけの理由で、幕府の命令で1年後に取り壊された。そして翌41年にはオランダ関係者はすべて長崎の出島へ移転させられ、平戸の西洋貿易は完全になくなった。

 その商館のあった場所に建てられたという建物は、入館料300円、展示物は当時の平戸やバダビアを中心とする東南アジアの地図以外にたいしたものはなかったが、木柱に石材を積み上げ、当時のものをほぼ忠実に復元しているようで、なかなか見応えがあった。

主産業は風力発電 的山大島

 平戸桟橋から的山大島の神浦港まではフェリーで45分、人口800人ほどの度島(たくしま)を左手に見て進んだが、島伝いに架橋できなくもなさそうだ。的山大島は周囲38キロ、面積は約15km²で東京の渋谷区と同じくらい、人口1500人、600所帯ほどで2005年10月に生月島の生月町、九州本土の田平町とともに平戸市と合併した。

 フェリーが着く神浦地区は、江戸時代は捕鯨の基地だったところでもあり、享保年間(1716年~1736年)に作られた町並みが、現在まで続いており、08年6月に全国で83番目となる「重要伝統的建造物群保存地区(港町)」として選定された。小さな湾沿いにゆるやかに曲折する、軽自動車がやっと走れるかどうかというような幅が3メートル前後の狭い屈曲した街路の両側に、江戸中期から明治期に建てられた建物が連なっている。町家の主屋や離れ、寺院の本堂、山門、神社の本殿など131件の建造物と、石垣や石段、共同井戸、水路護岸など91件の工作物が伝統的建造物に、また樹木や庭園、水路など16件が環境物件にそれぞれ選定されたそうだ。しかし人通りは全くと言っていいほどなく、本当に人が住んでいるのかどうかもわからない、死んだような静かさだった。

 平戸市大島支所となった旧村役場は、そのような街並みが途切れた先の、断崖の真下のようなところにあった。島全体は台地状だが、神浦の集落は台地下の入江の狭い地域に密集しており、広いスペースが必要な小中学校などは断崖上にあり、今晩泊る宿もそうだ。そこに行くために、車は鉄道のスイッチバックのようなジグザグ状の道を行く。支所の裏手から、車道をショートカットするような良く整備された階段が続いており、それを100メートルくらい登ると台地の上に到達、そして目の前が今晩泊まる宿だった。「漁火の里」という公共の宿で、南蛮風の外観を持った建物のほか、広い敷地内は公園になっている。展望台からは平戸、度島、生月島のほか、北の方角にはうっすらと壱岐も見えた。また目の前には壮大な風力発電の風車が回っていた。ずっと見続けていたい風景だったが、とにかく寒い、早々に屋内に駆け込んだ。

 こんな時期だったので客は私1人だけだったが、この島は最近になって花粉症に悩む人たちの「避粉地」として知られるようになった。花粉シーズンにはそのような人達向けの体験ツアーもあり、2月下旬のツアーには20人の定員がすでに埋まっているという。島起こしの主要なイベントとして、体験ツアーは県の補助により交通費以外は無料だそうだ。その時にはこの宿の広大な施設も賑わうことだろう。

 この島は漁業も盛んだが、風力発電も主要産業になっている。デンマークのヴェスタス社製の大型風車(単機定格出力200KW)が16基、総発電出力32千KW、年間総発電量約7500KWHでこれは2万所帯分だというから島民の電気使用量の30倍以上だ。海底ケーブルで九州本土の九州電力田平変電所に送電し、九電に売電している。離島における風力発電施設としては日本最大級という。運営しているのは(株)大島風力発電所というミツウロコグリーンエネルギー(株)が75%出資する会社で、同社は他に北海道の天塩や茨城県神栖、千葉県飯岡、愛知県知多半島などで風力発電を行っている。しかし他はいずれもせいぜい数千所帯分で、ここのものが圧倒的に大規模だ。残り25%は平戸市の出資、本土に近い離島や半島のモデルケースになるのではないだろうか。なお島で使う電気は、これとは別のケーブルで本土から供給されている。

糸島から那珂川へ

 翌朝は宿の軽自動車で神浦港まで送ってもらった。7:05発のフェリーは高校生や通勤風の100人位の客を乗せ、まず本土側の田平港に寄り、それから平戸港に行く。島には平戸の高校の分校があったが、今年3月で廃校になるという。小中学生は1学年10人前後だそうだ。

 田平で半数くらいの客と一緒に降りた。田平も今は平戸市の一部となったが、旧田平町役場へは役場めぐり13番目として1990年に来ている。たまたま日本最西端の駅で下車し、ついでに駅近くの役場の写真も撮ったということで、全国役場めぐりなどを行うと決める前のことだった。でも町役場、現在の支所はすでに他の場所に移転しており、そこは町民センターになっていた。

 田平から松浦、伊万里と路線バスを乗継ぎ、JR九州筑肥線佐賀県内最後の駅、浜崎へ行く。ここでJR筑肥線の電車に乗り換え、筑前深江駅で下車し、今は糸島市の一部となった旧二丈町に寄り、さらに筑前前原まで乗った。それまで単線でローカル線の佇まいだった筑肥線も、筑前前原からは複線になり、本数も増え首都圏の郊外電車風になる。福岡都市圏の西端のベッドタウンがここからはじまるという感じだ。旧前原市と、旧二丈町、旧志摩町が糸島市となったのは、平成の合併では最も遅い方で2010年1月である。急速にベットタウン化した前原と、ローカルの雰囲気が今なお残る旧2町とではなかなか話がまとまらなかったのかも知れない。

 筑前前原駅前からバスで糸島半島にある志摩支所に行き、支所前からは福岡市内中心部へ直行する高速道路経由のバスで天神日銀前まで乗った。バスは福岡市郊外のマンション群の間をすり抜けるようにして一気に市内中心部に向かった。

通勤新幹線と新しい博多駅

 西鉄福岡から電車で大橋に行き、西鉄バスで那珂川営業所へ、そこから2キロ近く歩いて那珂川町役場へ行った。那珂川町は福岡市の一部といった感じの住宅地で人口5万に迫る勢いだが、鉄道路線はない。強いて言えば最寄駅は山陽新幹線の博多南駅と言えよう。町役場に着くと、ちょうどその博多南駅に行く町営コミュニティバスが発車するところだった。暗くなった中で、急いで役場の写真を撮りそのバスに飛び乗った。町内をジグザグに進みながら15分ほどで博多南駅に着いた。1乗車150円だが65歳以上だと100円、なんとなく申告しそびれて150円を支払ったが、後でSUNQ切符でも乗れることがわかった。

 博多南線は90年の開業で、そのころ利用した記憶があるが、周辺は見違えるように賑やかになっていた。1面1線の単式ホームは変わっていないが、新しい駅ビルができ、それにつながるペデストリアンデッキもあり、その下が西鉄バスとコミュニティバスのターミナルで、各方面へのバスが頻繁に発着していた。

 自動券売機で博多までの切符を買うと190円の乗車券と100円の特定特急券の2枚が出てきた。どちらもJR西日本のもので、JR九州ではなかった。博多まで10分の乗車だったが、この車両はこのまま岡山行きの「こだま」になると、車内放送をしていた。終日では利用者もかなりいるようで、もともと車庫に回送するための線路としていたものなのでJR西日本としても追加コストのかからない良い商売なのだろう。

 そして博多駅に着いたが、2年半ぶりに来てみてその変貌ぶりに驚いた。昨年3月の九州新幹線全通に合わせ、ホーム配置など駅構内が大きく変わっており、新しい駅ビルであるJR博多シティも豪華で、かつセンスの良さも感じられた。駅ビルはJR九州が子会社を通じて管理、運営するものだが、一部は在来線のホームを覆う形で床面積がとにかく広い。また多くの人でごったがえしていたが、上層階にある高級レストラン街も人が列をつくり、高値のものも結構売れているようだった。天神やキャナルシティの客が減ったという雑誌記事にもあったが、質量とも福岡市内で、いや九州全域でダントツになったようだ。札幌の駅ビルよりも大きく、大阪にもひけをとらないように思われた。

 在来線ホームは4本で、1番線から8番線までのうち8番線のみは行き止まり式に変わっていた。新幹線ホーム増築の影響で、8番線のある第4ホームのみは北九州側にずれて位置しており、幅も狭い。「福北ゆたか線」が発着するホームであり、ここも乗客でいっぱいだった。ちょうど夕方のラッシュ時だったこともあるが、他のホームも大勢の客で溢れており、首都圏の主要ターミナルと変わらない混雑を呈していた。そして同様に混んだ電車に乗ること15分、篠栗駅前の旅館に泊った。

旧国鉄バス直方線

 篠栗に泊ったのは、次の日の行動を全体に3時間程度早めることができるからだった。博多から久山、若宮、宮田を通り直方に行くJR九州バス直方線のダイヤを調べたところ、博多駅から乗るよりも、篠栗からのバスで久山に出てから当路線に乗れば、それが可能になる。しかし篠栗発車6時21分、久山役場前着6時31分というのは、日の出の遅い九州ではあまりにも早すぎた。まだ暗くて写真は、役場だか何だかわからないものになってしまった。

 まあそれでも良いだろうと思いながら、久山から直方行き1番バスに乗り、長い新犬鳴トンネルを越え、遠賀川水系の犬鳴川に沿って進んだ。九州に住んでいた頃には何度か車で走った道だが、バスは脇田温泉などのある旧道を走るので初めて見る風景が続いた。新幹線とほぼ並行した道で、博多と小倉を結ぶ最短経路かも知れない。この路線の主要バス停は、かつては貨物なども扱っていた自動車駅だった。旧若宮町中心部の福丸バス停は、駅舎はなくなっていたが広い専用敷地のなかに簡易な上屋が設置されていた。また宮田バス停の方は、古い駅舎が残っていたが、事務所も売店も閉じられ、ガランとした待合室だけが残っていた。宮田と若宮は合併し宮若市となり、旧宮田町役場が市役所になっていた。

 日中2~3時間に1本の博多からのバスも、犬鳴川水系に入ると脇田温泉からは1時間に1本となり、さらに福丸からは30分に1本となる。完全に筑豊直方の文化・経済圏だ。直方市役所は、シャッター通りと化しアーケードの手入れもままならないような商店街とは見るからにアンバランスな高層で豪華なものだった。

旧産炭地の豪華役場

 直方から平成筑豊鉄道に乗った。両端の直方市、行橋市と、中間でJR日田彦山線と交差する田川市以外にこの鉄道の沿線に7つの町村があり、いずれも駅から歩いて行け、かついずれも未訪問で、私にとっては残された宝石箱のようなものだ。同鉄全線完乗を兼ね今日明日の2日間でまわった。この鉄道は平成元年(1989年)10月JR九州の伊田線・糸田線・田川線を転換して開業、福岡県や沿線市町村が約65%、民間法人などが35%出資する第三セクターである。直方・田川伊田間の伊田線16.1キロは関東鉄道の取手・水海道間17.5キロに次ぐ複線非電化区間である。ここを毎時2本、途中金田で分岐する糸田線が毎時1本走る。また田川伊田から先、行橋までの田川線も毎時1本だが、行橋に近付くと2本になるので、役場めぐりには大変都合が良い。

 三セク転換後に新駅をいくつか開業しているのでさらに行動し易やすくなっていた。まず06年に3町合併で福智町となった旧赤池、金田、方城に行く。直方駅の同線専用の小さなホームから単行キハに乗った。かつては長編成の石炭専用列車が走ったのであろう立派な複線区間を走ること13分、新設駅の「ふれあい正力」で下車した。歩いて数分の旧赤池町役場に行き、さらに10分ほど赤池駅まで歩いた。両駅間は0.9キロ、新駅の開業は転換9年後の97年で付近には新興住宅地もあり、乗客増対策として開業したようだ。一方赤池駅の方は、広い構内跡地と長いホームをもち、かつての赤池炭鉱石炭積み出しで繁忙を極めていたのを想像させた。

 3分乗って金田で下車。糸田線が分岐し、車両基地があり、かつ駅舎が本社を兼ねるという、同社随一の拠点駅だ。ここから旧金田町役場へは徒歩数分、旧方城町役場へは25分ほどで行けるが、ちょうど運良く旧方城町役場前を通り後藤寺へ行く毎時1本の西鉄バスが来たのでそれに乗った。SUNQパスだとついバスに乗ってしまう。彦山川対岸の小高い台地上にあるので助かった。帰りは下り一方だったので楽に歩け、合併で福智町役場となった旧金田町役場に寄り駅に戻った。

 この旧3町の庁舎はいずれも90年代から2000年代に競ったように建てられた超豪華なものばかりだ。特に方城のものは石垣の上の城を模倣した、呆れて笑ってしまいたくなるようなもので、広々としたロビーを持つ庁舎内には訪問者もなく、数人の職員がすることもなく、離れ離れにポツンと座っていた。合併後の人口25千人の町に豪華庁舎が3つ、いずれも旧産炭地の町で、再生のためのさまざまな財政支援があったからだろうか。他の同様の補助金と同じように、箱ものを作るように使途が限られていたのかも知れない。尤も道路新設や河川改修などに比べれば、どんなに豪華な庁舎を作ってもたかが知れている。住民に明るい希望を持たせようと、せめて役場でも豪華にしようとしたのかも知れないし、或いは隣町に負けまいと頑張ったのかも知れないが、たいした金をかけたわけでもないのに誤解され笑い物になってしまったようで、気の毒でもある。

 糸田線の糸田から、これも豪華な糸田町役場に20分ほどで往復し、洒落たドーム屋根をもつ駅舎内のスナック風の店で炒飯を食べ、次のキハで田川後藤寺に向かった。糸田線は6.8キロ、途中交換駅はなく、単行キハが往復している。終点の伊田後藤寺駅は、JR後藤寺線と日田彦山線のそれぞれの専用ホームに挟まれ、平成筑豊鉄道の専用ホームがあった。跨線橋と駅舎は共用していたが、かつて産炭地として賑わっていた大きな駅は、今は閑散としていた。

筑豊から京築へ

 本日の鉄道乗車はここまでとし、この後はSUNQキップの有効利用を図り西鉄バスで回った。後藤寺バスターミナルから川崎町へ往復した後、さらにバスで香春町へ行った。香春岳は石灰石の採掘が続いており、頂上は平たんになっているが、10年くらい前に見たときよりもさらに低くなっているように思えたのは気のせいだろうか。

 香春からは福岡と行橋を結ぶ国道201号線を走るバスで途中の勝山町に寄り行橋に向かった。バスは太陽交通という、行橋に本社のあるもともとはタクシー業を中心としていた会社が運行するもので、西鉄バスから福岡県京築地域の不採算路線を引き継いだものだ。

 筑豊地方と京築地域とを分かつ仲哀峠の下を、07年に開通したばかりの全長1365メートルの新仲哀トンネルを抜けると旧勝山町だ。この町は06年に京都郡(みやこ郡)内の3町で合併しみやこ町となった。残り2町の旧豊津、旧犀川はいずれも平成筑豊鉄道田川線の沿線にあり、明日行くことにしているが、鉄道のない旧勝山町の役場が新町の町役場本庁舎になった。

 さらにバスで行橋に行く。駅前のビジネスホテルにチェックインし、それから市役所に行ったが、思ったよりも遠く、着いた時にはほとんど日が落ち、ここでも闇の中の写真になってしまった。今日は1日に12市町村に行くという最近ではめずらしく高効率の日だったが、朝の久山は早すぎ、夕方の行橋は遅すぎ、いずれも証拠にはならないような写真になってしまい、またいつか撮り直すことにしようと思う。

東築のコミュニティバス

 99年に高架になった行橋駅は都会型の、私鉄の急行停車駅のようだ。そう言えばなぜか日豊本線には高架駅が多い。行橋、中津、別府、日向市、宮崎、西都城と工事中の大分を含め小倉・鹿児島間で7駅もある。これに対して鹿児島本線の博多・鹿児島間は工事中の熊本を除けばゼロだ。尤も博多と香椎の手前まで、吉塚、箱崎、千早と連続高架になっているがこれは福岡市内の都市計画の一環であり、地方都市としては熊本を除いて全くない。新幹線を通したからだろうか、新幹線の並行在来線には新規工事はしないということなのだろうか。列車本数も日豊本線に比べれば多いし、市街地の交通量の多い踏切など各地に結構残っていると思うのだが。

 その行橋駅から大分行普通電車で吉富まで乗った。JR九州の3扉ロングシート415系は7両編成だったが通学の高校生でかなり混んでおり、駅ごとに乗客が頻繁に入れ替わった。やはりロングシート車も必要なのかも知れない。福岡県最後の駅、そして駅を過ぎてすぐの山国川鉄橋を渡れば大分県中津市という吉富駅で下車した。

 5分ほど歩いた吉富町役場前から築上東部乗合タクシーという名のコミュニティバスで、合併して上毛町となった旧新吉富村、大平村役場に行った。乗客定員8人の日産キャラバン1台で、中津駅から旧新吉富村役場に寄り、大平村役場に行って折り返す。片道20分で7時台から19時台まで、中津駅前を毎時55分発、正確に1時間に1往復している。1人の運転手で運行しており、12時台だけは休憩のため走らない。このバスがそうであるように、この辺は完全に県を越えた中津の経済圏のようだ。このバスとは別に、山国川対岸旧三光村のイオンの大ショッピングセンターに行く路線があり、こちらの方が客は多いという。三光村には15年ほど前の97年に行っており、そのときはイオン前から中津行きのバスに乗ったことを思い出した。

頑張れ平成筑豊鉄道

 再度行橋に戻り平成筑豊鉄道田川線に乗った。島式ホーム2面4線の日豊本線上りホームの南端に切欠き部分があり、そこが同鉄道の専用ホームだ。ワンマン運転なので料金支払いは車内で行うがJR九州の非接触ICカードの「スゴカ」利用客のために簡易カードリーダーも置いてあった。沿線の豊津、犀川、赤で途中下車しながら役場めぐりをした。豊津だけが駅から20分くらい歩いた他は5~10分といずれも楽に行けた。なかでも赤村役場は、03年に開業した赤駅のすぐ近くで、この駅がなければ隣の油須原駅から2キロくらい歩かなければならなかったので助かった。駅前に村役場のほか公民館や保健センターなどの公共施設があったが、周辺には大きな集落や商店がなく、次の列車を待つ昼時の1時間は、そのようなときのために持っていたアンパンを食べて待つしかなかった。

 そう言えばかつて国鉄に油須原線というのがあった。筑豊の石炭を瀬戸内海の苅田港に輸送するための短絡線として建設されたものだが、66年に西半分にあたる漆生・豊前川崎間が部分開業したのみで、その後炭鉱の閉山が相次いだことや、国鉄の再建、分割民営化の流れの中で上山田線、漆生線、添田線も廃止され、結局東半分の豊前川崎・油須原間は工事途中で取り止めとなった。この油須原線が田川線と実際に分岐するのはこの赤駅付近であり、この路線敷地が今は道路になっているが、小さなトロッコのレールが敷いてあり、年に何回かトロッコ列車がボランティアにより運転されている。その客車が2両、駅前に置いてあった。

 ここから直方まで通しで乗り、昨日の糸田線を含め平成筑豊鉄道を完乗した。「ちくまるキップ」という1000円で1日全線乗り放題という切符を使ったが、都度支払っていたら1400円になったはずだ。実はこの鉄道、2カ月後にはダイヤ改正があり大幅に減便される。客離れが止まらないらしい。たまたま買った西日本新聞にそのことが載っており、現行1日216本のものが平日は171本、土休日は115本になる。これで乗務員が4人減の27人となり年間人件費が1300万円カットでき、走行距離も285千キロ削減され燃料費も1200万円カットできるとあった。10年度の利用客数は176万人で過去最低を更新し、単年度赤字は5千万円超、累積赤字は1億5800万円だそうだ。赤字が増えるのでコストカットのために減量ダイヤにする、するとますます利用客が減る、さらなるコストカットが求められるという負の循環に陥らないようにしてほしい。

 集客のための策はいろいろと講じられてはいるのだろう。それでもいずこも同じ少子高齢化を伴いながらの人口減と、沿線にはこれと言った観光地もないことから先行きは悲観的にならざるを得ない。線路の枕木や車内のつり革1つごとに寄付者の名前を入れた枕木オーナー制やつり革オーナー制、駅名のネーミングライツなど資産も使い尽くしている。もう同社が単独でやれることというのはないだろう。

 あと考えられるのは、地域全体の鉄道が一緒になって手を打つことだ。具体的には直方駅ではいったん外に出て、橋上駅舎に昇ってからJRの電車に乗り換えるという面倒な方式をやめ、平筑のキハが直接JRのホームに乗り入れる、そして今の筑豊本線の毎時3本というダイヤに2~3分で乗り継げるダイヤにすることだ。幸いにも平筑が複線であることでこのための自由度が増す、いや複線であるメリットを最大限生かすことだ。「スゴカ」に対応した簡易カードリーダーはホーム上に設置しても良いし、或いは平筑の車内に置いても良い。もうずっと以前から鉄道の競争相手は他の鉄道やバスではなく、1家に1台ではなく1人に1台の自家用車である。鉄道がグループとなって利便性を増すことぐらいしか今や勝ち目はない。上手く機能すれば平筑だけでなく、JRにとってもメリットがあるはずだ。1~2年の運行実験をしてみてはどうだろうか。ついでに乗継割引もやってみたらいい。

 直方からは筑豊本線の817型電車で筑前垣生へ、遠賀川の橋を渡ったところにある中間市役所に往復し、1駅直方寄りの鞍手駅から3キロ弱歩き鞍手町役場に行った。ここから遠賀川駅行きの西鉄バスに乗り、遠賀町役場を最後の訪問地として博多に戻った。古賀で乗り換えた快速はかなり混んでおり、博多まで立ち続けた。博多駅の混雑の中、地下鉄ホームに降り空港へ向かった。福岡空港は相変わらず狭く、適当に時間をつぶす場所も少ない。それに比べ札幌(千歳)は国際線ターミナル開業を機に一大繁華街と言っても良いくらい充実した、楽しいところになった。都心からの距離の違いなどから単純に比較するものではないが、博多は札幌に対し、空港では完全に負けているが、駅では勝っているといったところだろうか。

 今回は4日間で3市19町4村の合計26市町村、累計3082で残は177となった。懸案だった長崎県の残り1つ、的山大島行きが果たせこれで長崎県も完了、100%達成県は23となった。

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
(その23)トカラ列島と奄美群島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年5月10日
(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日
(その25)「大人の休日倶楽部会員パス」による秋田県北部の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月27日
(その26)能登・砺波の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年7月9日
(その27)路線バスを乗り継いだ大分県と福岡県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年12月5日
(その28)JR四国誕生日切符を使っての四国3県の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年1月19日
(その29)沖縄県宮古八重山地方|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年5月16日
(その30)北海道宗谷・網走・上川支庁|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年7月12日
(その31)広島県・愛媛県境の瀬戸内海の島々|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年8月6日
(その32)北九州から山陰本線に沿って石見銀山へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年5月13日
(その33)北海道渡島半島から後志にかけて|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年6月27日
(その34)佐賀県100達成・長崎県は残り1つに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年10月9日
(その35)石川県の100%を達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年11月7日
(その36)徳島・高知県に行き四国100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年1月28日
(その37)三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月2日
(その38)沖縄県久米島と渡名喜島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月24日
(その39)会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年5月20日
(その40)岩手県大船渡線と北上線|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年6月17日
(その41)北海道十勝から日高へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年7月6日
(その42)東京の3つの離島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年8月17日
(その43)2010年9月南部地方を行く|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年9月10日
(その44)隠岐からたたらの道へ 島根県100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年11月20日
(その45)岡山県を100%達成し兵庫県へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2011年4月15日
(その46)宗谷岬から南下 名寄で行政の神髄を知る|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2011年7月23日
(その47)コミュニティバス三昧で長野県・岐阜県・愛知県へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2011年8月26日
(その48)米沢から越後へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2011年9月9日
(その49)鹿児島県でまたも知った公共交通の課題|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2011年12月16日
(その50)長崎県最後の離島村と福岡県北部の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2012年1月27日