著者プロフィール                

       
東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その4)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会
多摩慶応倶楽部


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)

東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その4)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日

先日北九州市のモノレールに初めて乗ったが、わが家からも近い地元の多摩モノレールにまだ乗っていないことに気が付いた。早速乗りに行くことにしたが、これを機に東京都下でまだ行っていない6市にも行きたくなった。うち4市はこのモノレールの沿線にある。多摩センターからモノレールで東大和市内の上北台に行き、さらに西武池袋線沿線で残っていた東久留米市と清瀬市に行った。

さらに埼玉県も4市町村が残っていたので、ここへも日を改めて行った。両方を合わせて報告する。

初乗り小田急唐木田 多摩市

小田急登戸から唐木田行きの多摩急行に乗った。東京メトロ千代田線の綾瀬発のもので、朝ラッシュ時の逆方向なのに立客が多く、また登戸からも大勢が乗り込んだ。新百合ヶ丘から多摩線に入っても客は減らず、次の急行停車駅栗平で若者が大勢降りた。ITソフト開発関連のオフィスが多くある川崎マイコンシティ最寄り駅は次駅の黒川だと思うが急行は停まらない。

小田急永山で降り本日一番目の多摩市役所に行った。多摩川支流の乞田川(こったがわ)を渡り、並行する鎌倉街道と呼ばれる都道18号府中町田線を横断した先の小高い丘の上にあった。この付近の鎌倉街道は、多摩ニュータウンの造成とともに整備されたのだろうが、幅広の中央分離帯をもつ幅40メートルくらいの広いものだった。

多摩市の今の人口は146千人だが、市となった1971年の前年は3万人ほどで、多摩ニュータウンの入居とともに急激に増大したが、91年に14万人台に達してからはここ20年間ほぼ横ばいだ。多摩モノレールに乗り換えるのは次の多摩センター駅だが、まだ行ったことのない小田急の唐木田に寄り道することにした。

多摩センターを過ぎると1キロ少々、わずか2分で着いた終着駅だが、その先に線路が伸びており15本くらいの電車線をもつ車庫があった。将来相模原方面へ延伸する構想は立ち消えになったのかと思っていたら、つい先日再当選した町田市の市長がこの延伸を目指したいと言っている。唐木田への開業が1990年で、多摩センターまでが1975年だったから、このあたりのテンポは結構速かったが、この先本当に延長が実現するのだろうか。多摩市の人口も横ばいだし、そう簡単には進まないと思うのだが。

少子高齢化とか、人口減というと地方の過疎地のことのように思われるが、実は首都圏の郊外住宅地だって同じだ。高齢化率などは全国平均と変わらないだろうが、絶対数が多いだけにそれによる影響はより深刻だ。つい最近読んだ雑誌によれば、東京都に住む75歳以上の後期高齢者の数は2005年ですでに100万人おり、2025年には200万人を超えるという。栃木県や群馬県の総人口くらいの人が75歳以上ということになるのだから、これはもう大変なことである。

そのような中で、特に多摩ニュータウンのような丘陵地で、どこへ行くにも坂の上り下りが避けられないようなところではどんな社会になるのだろうか。さらにその先、それらの高齢者がいなくなった後は、空き家が増えることも予想される。都心回帰などといって、若年層が住まなくなる傾向にあるからだ。

これも初乗り多摩都市モノレール 多摩市

多摩センターに戻り、多摩都市モノレールに乗り換えた。モノレールは高架の小田急・京王多摩センター駅の上を跨ぐのでかなり高いところを走る。その後も大体マンションの5~6階くらいの高さのところを走る。車窓からの眺めは良いが、なぜこんなに高いところを走らすのだろうか、大地震に大丈夫だろうかなどと思った。ほとんどの駅では改札口などが道路を跨ぐような部分にあり、ホームはさらにその上に作られているのでこのような高さになるようだ。駅以外はもっと低くしても良さそうだが、勾配を上り下りするときの電気代や降雪時のことなどを考えると、なるべく勾配を避けた方が良いのだろうか。

明星大学や中央大学のある丘陵上を超えると日野市に入り多摩動物公園駅となる。京王線の駅横には「京王れーるランド」という京王電鉄の博物館があり、ここにも未だ行っていないし京王の動物公園線も未乗車である。その動物公園線と並行するように、走る電車を下に見ながら高幡不動に着き、京王線の駅を直角に跨ぎ、その後浅川を渡った。

次の日野市役所へは立川で中央線に乗り換え行くつもりだったが、モノレールの甲州街道駅から2キロくらいなのでここで降りた。甲州街道を歩いたが、現在の国道20号線ではなく、旧道の方で宿場跡などを通った。市役所は旧道と現国道との間の丘陵上にあった。甲州街道駅に戻り、再びモノレールに乗車、JR立川駅、西武拝島線玉上水駅上空を直角に跨ぎ、終点上北台に着いた。

これで先日の北九州モノレールに続き、3週間の間に2つのモノレールを完乗した。多摩都市モノレールの全線約16キロが開業したのは2000年だが、この2年前に立川北・上北台間5.4キロを先行開業している。

東京都が発行株式の80%近くを持つ第三セクター会社で、他は西武鉄道、京王電鉄、みずほ銀行、小田急電鉄という順序で、みずほ銀行が小田急よりも上位なのは合併があったからだろう。地方自治体としては八王子市、立川市、日野市、東大和市、多摩市がいずれも0.66%を所有している。

鉄道会社にとっては、京王動物公園線以外には競合となるような並行路線はなく、接続駅での集客面からは有利となったはずで、支援したいところだろう。しかしバス部門はかなりの客がモノレールに移転したのではないか、会社全体としてはどうなのだろうか。都市交通として使われている日本のモノレールを利用者数の多い順に並べてみた。空港客輸送をメインとする東京モノレールを別にすれば、いわゆるコミューター輸送としては当社が日本一である。そして他がいずれもここ5年間で利用減か横ばいなのに対し、唯一増加している。マイカーからの移転が多かったのであれば公共交通機関として成功だったと思うのだが。

青梅街道を行く 東大和市・武蔵村山市

モノレールは西武拝島線玉上水駅を乗り越えると2駅で終点の上北台になる。特にターミナルというようなところではなく、駅ができる前は田畑の中だったのだろう。開発されたばかりといった感じの駅前広場には東大和市のコミュニティバスの乗り場もあった。市役所はここから東に1キロ弱歩いたところにあった。

東大和市は、1970年市に移行したときに神奈川県の大和市よりも東にあるのでそういう名前にしたのかと思ったら、東京の大和という意味だそうだ。旧国名を使うと武蔵大和市となり、それでは戦前の海軍を連想させるのでまずいと思ったのだろうか。市の北部をかすめる西武多摩湖に武蔵大和駅がある。戦艦マニアにとっては垂涎ものかも知れない。

市内にはこの多摩湖線や拝島線のほか、前述のモノレールがあり、東京の都心方面への通勤や通学には便利そうだ。人口8万人ほどのベッドタウンだが、住宅地には殆ど坂がないので、多摩ニュータウンなどとは違い今後の高齢化社会にも対応し易いのではないか。1994年から2013年までの20年間に人口が75千人から84千人へと11%伸びている。この間の多摩市の伸びが143千人から144千人へとわずか0.1%だから、同じ首都圏の郊外住宅地でも、丘陵地かどうかが今後の人口動向に影響してくるのかも知れない。 東大和市役所のすぐ横の南北の道が青梅街道である。この街道は新宿から青梅を経由し、大菩薩峠を越え甲府に至る江戸時代からの街道で、ほとんどが東西方向なのだが、拝島線の東大和市駅から市役所の北方までの約2キロの間のみ、かぎ型というか南北方向になっている。

かつて新宿・荻窪間に都電杉並線が走り、荻窪から青梅までは都バスがあった。それを短縮したのが現在の都バス[梅70]系統で、西武新宿線柳沢駅と青梅を結んでおり、もちろん都バス最長路線である。概ね1時間に1本程度走っているが、東大和市駅から青梅方面は鉄道空白地区になるからかここから武蔵村山市内にかけては1時間に2本程度となる。東大和市役所入口と、武蔵村山市役所前というバス停があり、役場めぐりにはうってつけの路線なので都バスを待ったが、先日の大雪で道路のいたるところに除雪の山があり、定時走行ができないようで同じ道を走る西武バスの方が先に来てしまった。イオンモールむさし村山行きで、日産村山工場跡地にできた都内最大の巨大ショッピングモールに行くものだ。青梅街道上を走ること20分ほどで武蔵村山市役所前に着いた。バス停は市役所の正面入り真ん前で、正真正銘の市役所前である。 武蔵村山市が市になったのも東大和同じ1970年で、すでに都内に東村山市があったので、こちらは旧国名をつけたようだ。東村山には1994年、市町村めぐりの346番目として、また本家の山形県村山市へは2009年2733番目に行っている。東大和よりは都心から遠いからか、人口は東大和よりは少し少ないが、1994年から2013年までの20年間の人口の伸びは66千人から71千人へと7%伸びている.日産自動車の工場が撤退したのは痛手だっただろうが、跡地が都内一の大規模ショッピングモールになって却って良かったのかも知れない。

1駅ごとに乗換えして東久留米市へ

帰りも都バスを待ったのだが、西武の方が先に来たのでそれで拝島線東大和市駅まで戻った。青梅街道を跨ぐ立派な高架駅だった。ここから東久留米・清瀬に行くために西武池袋線に乗らなければならないが、そのために西武の3線を1駅区間ずつ乗るという珍しい経験をした。まず東大和市から次の小川へ、6分待って同一ホームの反対側から国分寺線で次の東村山へ、跨線橋を渡って3分後の新宿線で次の所沢へ、もう一度跨線橋を渡って4分後の池袋線に乗った。いずれも数分の待ちで済むという、首都圏の高頻度運転は時刻表要らずで、役場めぐりにはありがたい。所沢から3つめの東久留米で下車し、駅から徒歩10分ほどの市役所に行った。

西武池袋線の前身の武蔵野鉄道が1915年(大正4年)開業したときに、当時の久留米村に駅を設置するにあたり、福岡県の国鉄久留米駅がすでにあり、当時は国鉄と連絡輸送を行う私鉄にも同一駅名を使えなかったため東久留米とした。町制移行後も町名は久留米で、駅名は東久留米となっていたが、1970年市制移行にあたり、市名を駅名に合わせ東久留米市とした。めずらしい例である。市制移行時の人口は78千人で当時日本一の町だったそうだ。現在は114千人、ここ20年間で1千人ほどしか伸びていない。郊外ベッドタウンとして成熟期に達したのだろう。 東久留米駅での池袋方面への時刻表には、池袋線特有の千鳥停車をする多種の優等電車があり面白いが、今は新木場行きや元町中華街行きまであり、ふとこのまま簡単に家まで帰ることもできるのだな、と思ったりした。東京メトロの車両は見たが、東急の車両はみかけなかった。

1駅戻って清瀬市へ

東久留米から所沢方面にひとつ戻って清瀬で下車、市役所までは2キロ近く歩いた。清瀬も1970年、東久留米と同時に市制移行したが、こちらは人口73千人で市になる直前の久留米町くらいである。ここ20年の伸びも10%ほどあるので、まだ開発余地はあるのかも知れない。駅は島式ホームが2本4線で急行退避や、折り返し電車があるなど規模は大きく、また利用者数も東久留米よりも多い。それなのに朝の通勤急行は清瀬を通過し東久留米に停車するなど、千鳥停車の名残なのか面白い。

清瀬市は細長い形で、埼玉県に半島のよう飛び出している。そして市役所はその半島の中央部にあるので周囲が埼玉県に囲まれているという感じである。市役所からは、清瀬駅に行くのと同じくらいの距離のところにJR武蔵野線の東所沢駅があり、そこはもう埼玉県だ。武蔵野線は清瀬市内の北部をかすめるように走るが、市内には駅がない。東所沢駅へ歩く途中にいったん谷に下りてまた登る、そこを流れる柳瀬川という小さな川が都県境だった。

そして東所沢から武蔵野線で府中本町に出て、南武線に乗り換え帰宅した。6か所回って帰宅したのが16時半過ぎ、随分効率の良い役場めぐりだった。 今日1日、行った先がすべて市というのも珍しく、そのうち3つは東とか武蔵などの冠つきだった。また交通機関はバスを含めすべてスイカが使えたので、昼食のラーメン以外にキャッシュは使わなかった。これも珍しい。

鴻巣駅から路線バスで旧川里村へ

3週間後に埼玉県の残り4市町村に行った。20年ぶりに降りた鴻巣は駅前広場が大きく変わっていた。前回鴻巣市に来たのは1995年、379番目のことで、週末に首都圏近郊の市町村めぐりを行っていた頃のことだ。当時すでに近郊住宅地として乗降客は多く、橋上駅になっていたが駅前広場は狭くローカル然としていた。しかし今は再開発が行われ、広い駅前広場を囲むように商業施設やマンションの入ったビルが建てられており、橋上駅舎ともつながっていた。

ここからまずバスで15分ほどの旧川里村へ行った。朝日自動車(株)という東武グループに属するバスやタクシーを運行する会社のバスで埼玉県や茨城県で営業している。川里支所前というバス停の真ん前に川里生涯学習センターという巨大な建物があった。つい2か月前にオープンしたばかりの真新しいもので、旧役場の跡地だ。図書館や研修室、体育施設などが入っており、1階の一部、教室くらいの広さのところに数名の職員がいて、ここが鴻巣市の川里支所になっていた。支所機能からすれば多分これで十分なのだろう、平成の合併も一段落し、いよいよ各地で旧庁舎の解体整備が進み、それぞれが相応の施設に収まってきた、ということなのだろう。

なお川里は2005年10月に鴻巣市に編入される直前は町だった。村から町になったのは2001年のことで、私の台帳では訪問予定先欄は村のままだった。台帳では村だったものが実訪問時に町に昇格していたときは、予定・実績とも町に修正してカウントしていたのだが、川里については、訪問時には合併して消滅していたので、村としたままでカウントすることにした。どうでも良いことだが、後で数字が合わなくなったりすることもあるので、その都度気をつけなければならない。

旧騎西町から旧菖蒲町へ

JR高崎線と東武伊勢崎線の間は広い田園地帯で、この間の鉄道空白地域に騎西と菖蒲のふたつの町があり、前者は加須市に、後者は久喜市と合併した。騎西へは高崎線鴻巣からと伊勢崎線加須からのバスがあり、菖蒲へは桶川、蓮田、久喜などからバスがある。国道122号線に沿って隣接しているが、公共交通機関で続けて行くには少々面倒だ。両町の役場間は6キロ弱だったので、この間を歩いた。

川里から鴻巣に戻り、加須行きの朝日バスに乗り騎西総合支所前で下車した。農村地帯の中心地として、かつてはそれなりに栄えていたのだろうが、大規模ショッピングモールが遠くまで行かなくともいくつもあるような地域だから、商店などは大半が閉まっていた。

そしてここから次の菖蒲に向かって国道122号線を歩いた。そうでないと、バスで加須へ、そこから東武伊勢崎線で久喜へ、そしてまたバスで菖蒲へ行くか、あるいは再々度鴻巣に戻り、高崎線で桶川、またバスで菖蒲へということになる。このあたりのバスは1時間に2~3本なので時間もかかるし、費用も嵩む。雨さえ降っていなければ歩くに限る。

国道122号線というのは、東京と日光との間を、桐生や足尾を経由して結ぶもので、川口から館林までは東北自動車道とほぼ平行している。都心と両毛地区を最短で結ぶのだから高速ができるまではかなりの交通量だったのではないだろうか。この付近は騎西菖蒲バイパスとなっており、広い中央分離帯を持つ、多摩センターでの鎌倉街道のような幅広の道路だったが、交通量はずっと少なく、勿体ないという感じを受ける。

菖蒲も騎西と同じような、農業の集散地というような集落で、同じように元気がない。ただしこちらの旧役場は市街地から離れた田園の中に建つ、堂々としたものだった。すぐ横を見沼代用水が流れ、水路の改修の歴史などが書かれた看板もあった。周囲に広がる田畑を見るに、おそらくこのあたりは近世以前利根川や荒川などの大河川の流路が定まらず、ずっと湿地帯だったのだろう。

今は久喜市菖蒲総合支所となっている庁舎は、最上階の5階が「本多静六記念館」となっていた。始めて聞く名前だったが、当地の出身で「公園の父」とも呼ばれる日本最初の林学博士だ。貧農の出で苦学を重ね東大に入り、さらにドイツに渡りミュンヘン大学で学んだ。帰国したのが日清戦争の始まるころの1983年で、その後東大農学部の教授などを務めながら、日本の数々の国立公園の造成などに関わっている。日比谷公園のほか、全国の名だたる公園の、殆どすべてに関わっているほか、鉄道防風林の提案なども行っている。広い部屋の中の展示はなかなか充実しており、特に床に貼られた日本地図には、氏の関わった公園の写真や説明で隙間がないほどだった。思いがけず面白いところを訪問することができた。入場料は無料だった。

埼玉県の最後 日高市

菖蒲の中心部からは桶川駅に行くバスが1時間に2~3本出ているが、うち1本のみが総合所前を経由する。そのバスで桶川駅に出て、高崎線、川越線を乗り継いで高麗川に行った。大宮駅の地下ホームから川越へは、新木場からやってきたE233系の10連だった。次駅日進から先がいまだに単線だとは知らなかったが、日中はきちんとした20分ヘッドとなっているのは見事だ。

川越からは八高線に直通する八王子行の209系4連に乗り換えた。ここも20分ヘッドだが、高麗川・八王子間は1時間に2本となる。だから川越発のうち2本が八王子行で1本が高麗川行きとなり、八王子行のうち1本は高麗川駅で間隔調整のため10分近く停車する。

全国の市町村には市町村コードが振られており、市の場合は市になった順に201から順につけられる。それによると埼玉県は川越、熊谷、川口、浦和、大宮の順に市になっており、県庁所在地がトップでない、しかも4位というのは珍しい。川越が市になったのは大正11年のことで、次の熊谷が昭和8年だったから、川越は随分長い間埼玉県唯一の市だったことになる。なお政令都市は100番台で、さいたま市の市コードは100である。

高麗川駅で降りて、埼玉県最後の訪問先である日高市役所に行った。徒歩20分くらいだった。日高市のコードは242で市制施行が平成3年、この後に県内で市になったのは吉川(平成8年)と白岡(平成24年)だけである。

日高市役所の横には日本セメト(現太平洋セメント)の工場があり、かつては高麗川駅から工場まで、1.4キロの専用線があった。1999年まで運転されていたそうだが、跡地は日高市に寄付され、遊歩道として整備された。ちょうど下校する小学生の群れと一緒になり、帰りはこの道を駅まで歩いた。ポッポ道という愛称がつけられ、途中に踏切の警報器が残っていたりして楽しく歩けた。

これで埼玉県の100%が完了した。役場めぐりを始めたころの1992年(平成4年)には42市39町11村の合計92だったものが、22年後の現在は40市22町1村の63になっている。しかし合併の大半は市が周辺の町村を編入したものであり、市同士の合併は、浦和・大宮・蕨・岩槻によるさいたま市以外にない。

役場めぐりのために18回も行っているがもちろんすべて日帰りであり、また東京や栃木、群馬の市町村と合わせて回ったことも多い。会社務めをしていたころに良く行っており、週末の手ごろなリクレーションだった。埼玉県でも乗り物はすべてスイカが使えた。

2日に分けて東京・埼玉の14市町村をまわった結果、累計3233(99.2%)残26となった。関東地方は離島の3村(新島、御蔵島、小笠原)を残すだけとなった。

2014年2月18 日(火) 東京都
登戸 8:14 → 8:28 永山小田急3224多摩市
永山8:59 → 9:03 唐木田小田急
唐木田9:21 → 9:24 多摩センター小田急
多摩センター9:36 → 9:53 甲州街道多摩モノレール
甲州街道9:57 → 10:23 日野市役所徒歩2.2Km3225日野市
日野市役所10:30 → 10:50 甲州街道徒歩1.8Km
甲州街道11:03 → 11:22 上北台多摩モノレール
上北台11:28 → 11:38 東大和市役所入口徒歩1.1Km3226東山大和市
東大和市役所入口11:55 → 12:16 武蔵村山市役所前西武バス3227武蔵村山市
武蔵村山市役所前12:32 → 12:54 東大和西武バス
東大和13:30 → 13:33 小川西武拝島線
小川13:39 → 13:42 東村山西武国分寺線
東村山13:45 → 13:48 所沢西武新宿線
所沢13:52 → 13:59 東久留米西武新宿線3228東久留米市
東久留米14:23 → 14:25 清瀬西武池袋線
清瀬14:35 → 14:54 清瀬市役所徒歩1.8Km3229清瀬市
清瀬市役所15:00 → 15:25 東所沢徒歩2.0Km
東所沢15:37 → 15:53 府中本町武蔵野線
府中本町16:05 → 16:24 久地南武線
2014年3月12日(火)埼玉県
登戸6:49 → 7:10 新宿小田急
新宿7:15 → 7:29 赤羽埼京線
赤羽7:40 → 8:23 鴻巣高崎線
鴻巣8:34 → 8:47 川里支所前朝日バス3230川里村(鴻巣市)
川里支所前9:10 → 9:30 鴻巣朝日バス
鴻巣9:38 → 9:58 騎西総合支所前朝日バス3231騎西町(加須市)
騎西総合支所前10:13 → 11:22 菖蒲総合支所前徒歩5.9Km3232菖蒲町(久喜市)
菖蒲総合支所前12:08 → 12:37 桶川朝日バス
桶川13:32 → 13:47 大宮高崎線
大宮13:57 → 14:19 川越川越線
川越14:26 → 14:50 高麗川川越線3233日高市
高麗川15:31 → 15:58 拝島八高線
拝島16:04 → 16:16 立川青梅線
立川16:22 → 16:52 宿河原南武線

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
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(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日