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東京の3つの離島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その42)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会

東京の3つの離島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その42)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
(その23)トカラ列島と奄美群島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年5月10日
(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日
(その25)「大人の休日倶楽部会員パス」による秋田県北部の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月27日
(その26)能登・砺波の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年7月9日
(その27)路線バスを乗り継いだ大分県と福岡県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年12月5日
(その28)JR四国誕生日切符を使っての四国3県の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年1月19日
(その29)沖縄県宮古八重山地方|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年5月16日
(その30)北海道宗谷・網走・上川支庁|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年7月12日
(その31)広島県・愛媛県境の瀬戸内海の島々|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年8月6日
(その32)北九州から山陰本線に沿って石見銀山へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年5月13日
(その33)北海道渡島半島から後志にかけて|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年6月27日
(その34)佐賀県100達成・長崎県は残り1つに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年10月9日
(その35)石川県の100%を達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年11月7日
(その36)徳島・高知県に行き四国100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年1月28日
(その37)三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月2日
(その38)沖縄県久米島と渡名喜島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月24日
(その39)会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年5月20日
(その40)岩手県大船渡線と北上線|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年6月17日
(その41)北海道十勝から日高へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年7月6日
(その42)東京の3つの離島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年8月17日

 伊豆七島に行った。今回は久しぶりに五万分の一地形図1291面を全踏破したSさんに同行いただいた。トカラ列島以来のことで、長い船旅のときは1人では退屈だし心細い。4島4町村に行く予定だったが、新島には行けなかった。その代わり、予定外に神津島をゆっくりと散策する時間がとれ、かえって良かったと思っている。最近は景気の低迷かどこに行ってもガラガラなことが多く、予約など不要と油断していたが、良く考えてみたらまだお盆の後半で、かなり混んでいた。さすがに東京に近く、それでいて異郷気分を味わえる伊豆諸島だ。たまには多くの観光客と行動をともにするのも悪くない、やはり活気があることは良いものだと感じた。

さるびあ丸

 浜松町駅から竹芝桟橋に向かって歩いて行くと大勢の若者とすれ違う。女性は浴衣姿が多い。これから乗る東海汽船の「さるびあ丸」が、5時間ほどの東京港停泊の間に納涼船としてひと稼ぎする、それに乗って来た人たちだ。大人1人2500円だが、浴衣を着ていると1000円引きだという。

 「さるびあ丸」は通常期は三宅・八丈島航路に使われ、2006年5月青ヶ島に行ったときに八丈島まで乗船した船である。しかし夏季は、納涼船も兼ねるため、僚船の「かめりあ丸」と入れ替わり神津島航路に着く。1992年12月就航で、全長120メートル、総トン数4965トン、乗客定員は1927だ。お盆期間であることに気がつき、数日前に慌てて予約をしようとしたら、2等和室はすでに満席、2等椅子席と特2に若干の空きがあるだけだったので、ここは奮発して特2にした。2段ベッドにはカーテンがあり、一応プライバシーは保てる。博多港から宇久島へ行った時や、南北大東島やトカラ列島に行った時に利用した船室と同じだ。ベッドはマットではなくカーペット敷きの硬いものだが、箱型の枕と毛布が1枚付いていた。

 乗船開始は23時出航の20分くらい前で、すぐにベッドにもぐり込んだ。眠気がやってきたが、船内放送のボリュームがやたらに大きく、それもテープによる日本語・英語の他、乗務員による食堂の営業案内や毛布の貸出し、キャンセル待ち整理券の番号呼び出しなど、ほとんど休むことなく延々と1時間くらい続き、すっかり目が覚めてしまった。出航1時間後の24時に消灯となったが、しばらく寝つけなかった。なおキャンセル待ちとは、2等が満席時にデッキや通路で過ごすことのできる切符を買った人が、和室や椅子席のキャンセルを待つことだ。帰路の大島からはこの切符しか買えなかった。なお法定定員に比べると席数はかなり少なく、そのような客を乗せても定員オーバーになることはないらしい。

 そのうちに船が揺れだしたがたいしたことはない。東京湾外に出たのだろう。いつの間にか眠りにつき、船内放送で起こされたのが大島到着直前の4時50分頃だった。5時丁度、大島岡田港に着岸、235が下船し12人が乗船した。本日の東京出港時の乗船客数は600人少々だったそうだ。

 実は切符を大島までしか買わなかった。大島出航後船内の案内カウンターに行き、気が変わって神津島まで行きたくなったので乗り越し手続きをしたいと言った。船員はただちにどこかに電話をし、大島で下船しなかった客が2名いるということを告げ、これでOKかというようなことを言っていた。下船時に乗船券を回収し、大島まで行く客が全員降りたかどうかを確認しているらしい。投身自殺などなかったか、当局から厳しく指導されているとのことだった。

 最初から神津島へ行くつもりだったのに、切符を大島までしか買わなかったのは、大島・神津島間は特2から2等に移れば船賃が少しは安くなるだろうと、みみっちい考えを持ったからだ。どうせ大島から先はガラガラになるはずだと思ったからだ。そうしてほしいと頼むと船員は嫌な顔ひとつせずに応じてくれた。ただし形式的にはいったん大島で下船し、あらためて乗船したということになった。計算してみると、最後まで特2に乗り続けるのに比べて2100円の得であった。東海汽船に対しては、投身者がいたのかも知れないと慌てさせた上、機会損失を与えてしまい、二重に申し訳なかったと思っている。

 利島で下船18人乗船12人、新島下船115人乗船8人、式根島下船135人乗船5人、最後は100人少々の客となった。前方に神津島が見え、船は島の東側を南下する。港は島の西側のはずなので、島の南端をまわって行くのかと思っていると、間もなく多幸港に入るという船内放送があった。風の関係らしい。早くも計画の修正を迫られた。当初計画では、船は役場に近い神津島港というメインの港に着くものと勝手に思い込んでおり、船が東京に折り返すまでの35分の間に役場に走って行って戻る、すなわち神津島滞在は30分程度としていたのだが、島の反対側に着くことなど全く想像していなかった。島内はバスが走っているが短時間での往復は無理、タクシーを呼ぶことなども考えたが、ここはすんなりと諦め、神津島にはもう一度改めて来ることにして、この船でこのまま新島に戻ろうと思った。

 だが待てよ、もう一度来るなら少しでも東京に近い方を残しておいた方が良い、新島から利島まで乗船するつもりだった「あぜりあ丸」にこの神津島から乗り、新島と利島のどちらかをパスしよう。それならば寄港率の低い利島が、今日は寄港できそうなので新島をパスすることにした。「あぜりあ丸」出港までは3時間あり、村役場のあるところまで村営バスで往復できることもわかった。

神津島

 思いがけず神津島を散策することができた。この島は東京都心から南西178キロ、面積18.5K㎡ 新宿区と同じくらいの広さで、海岸線長22キロほどだ。2009年3月末の住基台帳上の人口は2010人、ほとんどがメインの港のある前浜地区に集中している。人口2千人台というと、大抵のことは島内で出来るようになっているようで、品川ナンバーの車の車検も陸運局担当者が出張してきて島内で行ってくれ、自動車免許更新も駐在所で受け付けてもらえる。駐在さんは6人いる。火葬場もあった。

 船に接続していた多幸港からのバスは結構険しい峠を越え、島の反対側、西側に出ると前浜の集落がひろがっていた。村役場に行きたいと言ったら、海水浴場の横で降ろしてくれた。反対側はすぐ台地で、それを登ったところに庁舎があり、全面の駐車場からは前浜の湾やその先の太平洋を見渡すことができた。その台地から海岸にいたる斜面上には幾筋もの狭い道を挟んで商店か建ち並び、歩く人も多く意外に活気が感じられた。夏休み中の小学校には先生が出勤しており、聞くと生徒数は120人と答えてくれた。島内には中学校の他、都立高校もあり生徒数は40人、中学を出ると半数近くが島外の高校に進学するそうだ。神津島高校のHPによると教職員の数は校長以下22人、他に講師が2名とあったが、島外から通って来るのだろうか。

 旧役場跡に建った郷土資料館へ行くと黒曜石の塊が展示してあった。黒曜石とは火山岩の一種で、外見は黒くガラスとよく似た性質を持ち、割ると非常に鋭い破断面を示すことからナイフや鏃などの石器として良く使用されたそうだ。この島では古くから採取され、静岡県西部や山梨県北杜市の2万年前頃の旧石器時代の遺跡の中から、明らかに神津島産の黒曜石を使った石器が見つかっているという。そんな昔から航海が行われていたなんて俄かに信じられないが、事実として残っているわけだ。多幸湾の北側の断崖には、今でも黒曜石の層を見ることができた。

 前浜の桟橋前には立派な旅客船ターミナルビルがあり、また村営バスの拠点になっていた。ここを起点に、多幸湾方面と、島北部の温泉保養所に行く2路線が、ほぼ1時間に1本走っている。新型の車両もあったがいずれも白ナンバーだったので、役場の自家用車両を路線バスに使う78条バスだ。ターミナルビルに隣接する土産店や食堂の入ったビルで1000円の煮魚定食を食べた。イサキの煮物が旨かった。バスで多幸湾に戻った。

あぜりあ丸

 次に乗った船は「あぜりあ丸」だ。伊豆半島の下田から神津島・式根島・新島・利島の4島を経由して下田に戻る。月木土曜に運行し、火金日曜は逆まわりで運行、水は運行しない。この船を使わないと2日間での4島めぐりができないことが、計画作成上の制約だった。1988年就航の総トン数480トンで、「さるびあ丸」の後に乗ると随分小さく、頼りなく見えた。神新汽船(株)という東海汽船が25%出資している会社が運行し、この会社はこの航路だけを運行している。

 下田からの乗船客は50人くらいいたようだが、神津島で25人くらい降り、残りは大半が式根島で降りたようだった。ほとんどが家族連れのレジャー客のようだった。また式根島からは大きなサーフボードを持った若者が10人以上乗ってきた。ずっと甲板テント下のデッキに座っていたが、見たところ波高は1~2メートルと思われたが、ほとんど揺れを感じなかった。式根島、新島に寄港し2時間の航海で利島に着いた。

 この船は、大島へは行かず、下田とこの4島のみを結ぶものだが、多分古くからこの地域はお互いの交流があったのだろう。今伊豆諸島はすへて東京都に属しており、島民の意識も都民になっているのだろうが、歴史的なことがわかり面白い。「男はつらいよ」の映画で、栗原小巻扮する式根島の学校の先生に会いに生徒たちがこの船で下田から渡るというシーンがあったことを思い出した。

利島

 利島は伊豆諸島の中では御蔵島と同じくらい着岸するのがむずかしい、すなわち寄港率の低い島で、特に冬は素通りされることが多いそうだ。たしかに火山の頂上部分だけが海上に姿を現しているといった感じの島で、大きな入江もなく、港は防波堤を兼ねた2本の桟橋が北に向かって突き出ているだけだ。風の向きなどにより船はどちらかに着岸するのだろう。桟橋の付根の部分に、全く同じ形の旅客用建物が、左右対称のように建っていた。その間は500メートルくらい離れている。

 利島は伊豆大島から南南西に約20キロ離れたところにあり、面積4.12K㎡は東京都の64市区町村の中で最も小さい。次は青ヶ島である。09年3月末の住民基本台帳によると、全国で最も人口少ない市町村は青ヶ島で157人、次がこの利島で284人、3位が御蔵島の294で、少ない順に3位までが、東京都の伊豆諸島が占めている。小中学校のHPによると小学校は生徒数14、中学は5、教職員は合わせて25人、高校はない。先生用の立派な住宅があったのは青ヶ島と同じだ。駐在所の住宅部分は雨戸が閉まったままで人が住んでいる気配がなく、駐在さんは単身で来ているのか、それとも家族が里帰りしているのか。火葬場はない。

 島には平坦地が全くと言っていいほどなく、集落も北の斜面の一角にあるだけだ。港から役場までは、直線距離では400メートルほどだが、いろは坂のようにジグザグの道を登って行かなければならず、1.5キロ、20分くらいを要した。途中は椿の林のなかに、ところどころに家があるだけだった。また歩いている人は皆無で、ごくたまに軽自動車が走るだけだ。役場周辺には広い敷地の小中学校があり、後は斜面の狭い路地にそって郵便局や店舗を兼ねたような家が建っていた。この島は椿の栽培が盛んで、全島の80%椿林で、島内でも搾油、精製されており、椿油の生産量は全国一だそうだ。伊豆大島町名物として売られている椿油も利島産のものが多いと聞く。なお船便のほか東邦航空(株)による乗客定員9人のヘリコプターが「東京愛らんどシャトル」という愛称で1日1往復、大島空港との間で運行されている。

高速ジェット船セブンアイランド

 利島から大島までは東海汽船の高速ジェット船「セブンアイランド」に乗った。客船ならば1時間30分かかるところを30分で行く。前述のヘリコプターは10分だ。ただし料金は順に8,100円、1,680円、730円である。特に冬場は、どれも欠航率が高いという。利島港の待合室の中でキップを買おうとしたら、係員が何か割引が使えるのでは、と聞いてきた。高齢者割引もこの期間はないし諦めていたのだが、係員氏はJAFカードは持っていないかと言う。Sさんが持っており、私の分まで10%の割引になり嬉しかった。「さるびあ丸」の船員といい、東海汽船もなかなか旅客サービスに優れている。それにしても今までJAFカードのことなど考えてもいなかった。これからの旅の必携品にしよう。

 東海汽船は3隻の高速ジェット船を持っている。ジェット航空機の技術から生かしたものでシアトルのボーイング社で建造。ジェットエンジンで海水を吹き出し、空気のかわりに海水から揚力を得て飛ぶもので、従来の水中翼船とは異なり、スピードと安定性、なめらかな航行に優れているそうだ。また航空機と同様の「自動姿勢制御装置」を搭載しており、航行中の船体の姿勢を自動調節することで、常に最適な船体姿勢を保っているそうだ。43ノット(時速80キロ)というスピードだそうだが、確かに揺れはほとんど感じなかった。大島・東京間は1時間45分だそうだ。

 乗ったのは3隻のなかのひとつ「セブンアイランド愛」という全身ピンクに塗られたもので、279総トン、全長27.4m、船客定員260名。竣工は1980年と古く、02年までは関西汽船の阪神・高松航路で使用されていたそうだから、中古船というわけだ。しかし飛行機だってその程度の古いものはたくさん飛んでいるのだから、航空機メーカーの製品として考えれば普通のことなのかも知れない。他の2隻はイギリス、その後アメリカで使われていたものの中古だという。

 利島からは5人が乗船した。神津島から、式根島、新島には寄港せず直行で利島に来たものだが、すでに満席に近かった。乗物好きの私にとって、高速船というのは実は最も好きでない乗物だった。狭い船内で自由に動き回ることができず、景色も海面しか見えないし、揺れて本も読めない、しかも料金が高い。離島に行くならのんびりと客船やフェリーに限ると決めつけていたのだが、思ったよりも座席がゆったりとしており、窓外の景色も良く見えた。これからは、もちろん財布との相談だが、種子島・屋久島など高速船という選択肢も入れることにしようと思った。

大島 岡田と元町

 風向きの関係で大島は岡田港に着岸した。岡田港の桟橋はこの船と、少し前に熱海から来てこの船の20分後に東京に向かうもうひとつの高速船の乗下船客でごった返していた。今は1年中で一番客の多い季節かも知れず、東海汽船の船はフル活動のようだ。早朝5時に東京から来る「さるびあ丸」はほとんど岡田港に着くそうだが、その他は日によって、天候によって岡田になったり元町になったりする。どちらになるかは、その日の朝8時頃に決まるそうだ。

 しかし大島は役場などがある元町の方が何と言ってもメインだ。旅客ターミナル内の観光案内所も閉まっている。今回は行き当たりばったりだったので、元町の観光案内所に電話をして宿を探してもらった。そこも17時に閉店だったので、ギリギリで間に合った。元町へは東海汽船の子会社である大島バスで15分ほどだった。この間を結ぶ路線バスは1時間に1本程度走っているが、船が岡田港になるときは増便される。

 終点元町港の1キロくらい手前に東京都大島支庁があった。大島町・利島村・新島村・神津島村を管轄するもので、都道府県と市町村との間の中間管理職のような、東京と北海道にしかない例外的なものかと思っていたが、どうもそうではないらしい。東京都総務局のなかの1組織で、総務課、産業課、土木課、港湾課のほか、新島と神津島に出張所がある。県庁所在地以外の地方の大きな都市にある県庁の出先事務所と同じようなものらしい。HPによると職員数は115人だそうだ。平成の合併で人口1000人台以下の市町村は165から71へとかなり減ったが、それでも東京の島嶼部などまだまだ多い。それらが合併しなかった、あるいはできなかった理由はいろいろとあるだろうが、教育委員会のことなども考えるとこれらの小自治体をいくつか束ね、市町村レベルの業務を行う中間組織のようなものが、本当は必要かも知れない。地方分権は、それを受け入れられる体制があって初めて機能するはずだ。

 紹介してもらったのは、元町港から200メートルくらいのところにある民宿だった。朝食つきで5,900円だった。すぐ近くに町営の温泉があり、食事コーナーもあった。かなり歩いた1日で(20569歩)で、温泉ですっかり良い気分になり、アルコールを飲めないSさんにお構いなく、ビールを立て続けに痛飲した。夕食もそこで済ませた。

波浮の港

 翌朝波浮へ行くバスに乗った。始発の元町港から乗ったのはSさんとの2人だけだったが、次のバス停から海水浴に行く小学生の団体が、引率者も含め30人くらい乗って来た。最近はこのようなときに貸切バスが使われることが多いが、路線バスを利用するということは大変良いことだ。

 バスは島一周道路を南に向かい、途中間伏地層切断面の横を走った。道路建設で山を切り崩した時に現れたものだそうで、およそ100~150年ごとに繰り返される大噴火によって降り積もった噴出物や、噴火の間の堆積物などが幾重にも積み重なり見事な縞模様となっている。 地理の教科書にも良く取り上げられているという。高さ30~40mのものが1キロ近く続いており、縞模様は約90層あるそうだ。小学生に引率者がバウムクーヘンと教えていた。

 バスはかつて火口湖だった波浮の湾内を半周して波浮バス停に着くと、おばあさんを1人乗せ再び来た道を2キロ近く戻り、今度は湾を取り囲むような台地の上に登った。そして見晴らし台というバス停で降りた。なるほど港全体が良く見渡せる。火口湖が江戸時代の大津波で外海につながったということも納得できる。都はるみの「アンコ椿は恋の花」の歌碑も建っていた。ここから台地上を岬の灯台に向かって歩き、さらに坂を下って波浮バス停まで行くことにした。港の船着き場周辺にも建物が密集しているが、台地上にも家屋などがあり、こちらの方が多いと思えるくらいだ。

 広い校庭と新しそうな校舎や体育館のある小学校があった。大島町立波浮小学校だ。夏休みなのでひっそりとしているのだと思っていたら、昨年3月末に134年の歴史を終え閉校したという。最後の卒業生は6人だったそうだ。元町寄りの隣の集落にあった差木地小学校と統合して「つつじ小学校」という新しい学校をその中間あたりに作ったそうだ。

 台地上の島一周道路から海の方に向かう道に入り、いくつもの細い道があり多少迷ったが、鉄砲場跡に着いた。江戸時代後期に異国からの黒船の防備に備えて大砲や鉄砲を配置し、さらに太平洋戦争でも使われたそうで、防空壕や当時使われていた釜戸や貯水槽のあとなども残されていた。竜王崎灯台が近くにあり、朝日と夕日の両方が見える場所であるというような案内も出ていた。

 またこの付近から港に下る道は「文学の散歩道」という表示が出ていた。明治から昭和初期にかけて、多くの文人墨客がこの地を訪れ、作品の執筆や保養のために逗留したそうだ。与謝野鉄幹・晶子夫妻や林芙美子、水原秋桜子、荻原井泉水などに関する石碑、歌碑などが多く建てられていた。かつて波浮港は、漁業港として大変栄え、また網元など富豪も多く住んでいた。それらは港のすぐ上の台地に豪邸を構えていた。それらのいくつかが今でも残っており、港屋旅館という宴会などに使われた旅館が、建物の造りや雰囲気をそのままに残したまま「踊り子の里資料館」として保存してあった。座敷にはスイッチを押すと等身大の人形による旅芸人一座が踊りだすなど、入場無料にしてはなかなか充実した資料館だった。

 川端康成の「伊豆の踊り子」は、天城峠付近に住む娘さんの話かと私は思っていたが、そのような旅芸人一座の娘の話であることを初めて知った。当時は下田と波浮間が、伊豆大島に渡る唯一の航路だったのかも知れない。この本を読みたくなった。また吉永小百合など歴代女優主演が主演した映画が何本もあるそうで、それらも観てみたくなった。急坂のある港町、坂の上には富豪の屋敷、外国にはいくらでもある港町だ。なかなか見どころの多いところだから、ケーブルカーを作りもっと宣伝したら良いと思うのだが。見晴らし台で降りてから波浮バス停から乗るまでの2時間が、あっという間に過ぎた感じだった。

再びさるびあ丸

 調布飛行場へ飛ぶ飛行機で帰りたいと思っていたらとんでもない、全便満席でキャンセル待ちが17人いるという。19人乗りの小型機が日に4便しか飛んでいないのだから、あっさりと諦め「さるびあ丸」で帰ることにした。今日の出航は元町港だ。指定席は満席で、席なしの切符を買わされた。料金は変わらないが、たとえ席があったとしてもずっとデッキにいるつもりだったのでこれで十分だ。

 20ノットくらいで航行しているのだろう、風が適度に当たって心地よい。またまたSさんにお構いなく缶ビールを飲む。なんと旨いことか。海上はベタ凪、雲ひとつない晴天だが、靄がかかっているのかなかなか陸上の山並みが見えない。1時間半くらいたったころ、右手にかすかに陸地が見えたが、もう館山沖のようで、間もなく鋸山が見えてきた。浦賀水道に入ると、全長50メートル以上の船舶は12ノット以下にしなければならないという船内放送があり速度がガクンと落ちた。

 やがて富津岬、明治になってから作られた人工島である第一、第二海堡の横を通る。再び速度を上げ羽田空港の完成間近の第四滑走路をすぐ左手に見る。右手には広大な中央防波堤外側埋立地が続き、架橋中の東京港臨海大橋も見えた。お台場を右手に、レインボーブリッジの下を通り豊洲、晴海、月島と見て隅田川河口で旋回し竹芝桟橋に着岸した。大島から4時間と5分、昼間の東京湾内の風景は全く飽きなかった。

 今回は2泊2日で伊豆諸島の1町2村に行き、新島、御蔵島、小笠原の3村を残すこととなった。しかし同時には行けない。新島へは今回断念した調布からの飛行機で行きたい。御蔵島は天候次第だから、その日になってみなければわからない。少しでも安く行くために、早割とか、高齢者割引とか、JAFなど工夫をしたいが、そうやって準備万端整えても、天候次第でお流れになるかも知れない。これが離島の難しさであり、また楽しさだと思うことにしよう。

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
(その23)トカラ列島と奄美群島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年5月10日
(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日
(その25)「大人の休日倶楽部会員パス」による秋田県北部の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月27日
(その26)能登・砺波の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年7月9日
(その27)路線バスを乗り継いだ大分県と福岡県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年12月5日
(その28)JR四国誕生日切符を使っての四国3県の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年1月19日
(その29)沖縄県宮古八重山地方|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年5月16日
(その30)北海道宗谷・網走・上川支庁|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年7月12日
(その31)広島県・愛媛県境の瀬戸内海の島々|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年8月6日
(その32)北九州から山陰本線に沿って石見銀山へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年5月13日
(その33)北海道渡島半島から後志にかけて|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年6月27日
(その34)佐賀県100達成・長崎県は残り1つに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年10月9日
(その35)石川県の100%を達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年11月7日
(その36)徳島・高知県に行き四国100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年1月28日
(その37)三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月2日
(その38)沖縄県久米島と渡名喜島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月24日
(その39)会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年5月20日
(その40)岩手県大船渡線と北上線|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年6月17日
(その41)北海道十勝から日高へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年7月6日
(その42)東京の3つの離島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年8月17日