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2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その21)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会
多摩慶応倶楽部


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)

2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その21)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
(その23)トカラ列島と奄美群島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年5月10日
(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日

 長崎県へは、2002年2月にシーボルトについて調べたくて家内と来た。また翌03年夏には対馬、壱岐、五島の島嶼を中心とした役場巡りをした。今回は島原半島を中心に回った。

 長崎へ行くスカネットアジア航空のB737-400は全日空との共同運航便だったが、約150の座席に対し乗客は50人もいなかった。オフシーズンであることと、羽田が6時45分発と早かったからだろうか。

長崎市もドーナツ現象か

 島原半島に行く前に、長崎市北部の西彼杵半島の町村に行くことにし、長崎空港から乗った県営バスを浦上駅北方の大橋というところで降りた。ここで次のバスを待つのだが、30分くらい時間があったので、長崎電鉄の路面電車が走っているのを見ながら電車の終点赤迫まで歩き、そこからバスに乗った。この間電車は片方向だけでも2~3分毎に頻繁に走っている。そしてどの電車も必ずと言っていいくらい立ち客がいるほどの混み具合だ。電車優先の交通政策のもと走行がスムーズで、全線100円均一という安い運賃も効いているのだろう。ヨーロッパの路面電車を見ているような気分になり、日本でも本腰を入れてLRTの実現を図れば案外成功するのではないかと思った。

 長崎市の市街地は海に向かう1方向以外は山に囲まれており、住宅地がそれらの山の中腹から頂上に向け伸びているが、それだけでは足りず山を越えた先にも広がっている。滑石という市の西北にある峠を4~500メートルのトンネルで抜けた先にも桜の里ニュータウンという新興の住宅地があり、バスも1時間に5~6本走り乗客も多かった。しかしニュータウンのバス・ターミナルを過ぎると急に都会の光景が去り、左車窓に大小の島々を見ながらバスは西彼杵半島の西海岸を北へと向かった。

 間もなく着いた旧外海町の役場の前で下車、昨年(2005年)1月に長崎市に編入され、庁舎は外海行政センターとなり、バス停の名前もそのように変わっていた。長崎市はこのとき同時に市南西部に伸びる長崎半島の三和町、野母崎町、また離島だった伊王島町、高島町、そしてもともと島だったが埋め立てで長崎半島と陸続きになった香焼町を吸収する形での編入方式での合併を行い、さらに今年1月に外海町の東隣の琴海町も編入している。

 人口は長崎市単独のときは417千人ほどだったが、合併で465千人となった(2005年3月末日現在)。しかし12年ほど前の1998年3月末は単独で441千人、合併町村を含めると496千人万だったのでこの間に約3万人の人口減に見舞われている。それも吸収先だけが減っているのでなく長崎市単独でも24千人減となっている。新しいマンションなどが多いのでなかなかそうは思えないが、実際には人口流出が激しいようだ。

 逆に今回は合併せず単独で残った北隣の長与町、時津町、及び今年になって編入された琴海町は人口が増加しており、長崎も市街地が外に広がりドーナツ現象が進んでいると言えるのかも知れない。長与町などは43千人と市並みの人口で、だから合併には加わらずに単独の道を選んだのかも知れない。  
 外海庁舎のすぐ近くの神浦港からは6キロほど沖の池島に行くフェリーが出ている。周囲4キロほどの小島だがいくつもの白いコンクリートのビルが遠望できる。この島は2001年まで池島炭鉱があり最盛期には7700人もの人々が生活していたそうだが、現在は数百人という規模だという。炭鉱跡地にごみ固形化燃料(RDF)による発電所を建設することなども検討されたそうだが、従来のごみ焼却方式と比べ割高であるとか、三重県でのRDF貯蔵施設の火災事故などの影響で断念したそうだ。

西海市と活気ある大島造船の島

 さらにバスに乗る事15分、西海市役所前で下車、2005年4月、5つの町による合併で誕生した新市の市役所で、以前の大瀬戸町町役場である。新市は西彼杵半島北端部と五島灘に点在する島からなり、人口は35千人、5町のうち人口規模や市街地の吸引力で特に目立ったところはなく、どこに市役所をもってきても良さそうなものだったが、県都長崎に最も近いとか、庁舎が新しいとかそんなことで決まったのかも知れない。

 市役所のすぐ近くの瀬戸港からフェリーで10分ほどの沖に松島がある。前述の池島の約6倍の面積の島だが、ここもかつては三井系の炭鉱の島だった。ここは石炭に変わって電源開発による火力発電所が建設された。出力は100万KWという大規模なもので石炭火力である。海外炭を使っているようだが、今でもまだ沖合の海底深く大量の石炭が埋蔵されているのならば、今の技術で採炭ロボットなどを開発すれば燃料だって自給できるのではないだろうか。そんな将来の可能性まで考えて、ここに発電所を建設したのであれば先見の明ありと思うのだが。

 この先はバスの便も少なくなる。とりあえず今日泊まる予定の大島が見渡せる対岸の太田和港までバスに乗った。次に行きたい旧西海町役場前へ行くバスが2時間後なので1軒だけあった食堂に入った。680円のランチ定食がカワハギの煮物で旨かった。天気が良く、ただバスを待つだけでは芸がないので、途中で追いかけて来るバスに乗ればいいと旧役場の方向に歩き始めた。結局バスに追いつかれたのは役場前に着いたのとほぼ同時で、この間50分歩いてしまったが、後日地図ソフトを使って計ってみたら距離は5.1キロだった。庁舎は西海市役所西海総合支所となっていた。

 しばらくしてやって来たバスで太田和港に戻り、大島に渡るバスを待った。島へは1999年11月に完成した全長1095メートルの大島大橋で行ける。真っ白な柱を持つ鋼斜張橋で優美な姿をしている。正確にはこの橋を渡った先は寺島という小島で、更に寺島大橋という270メートルほどの、今度は真っ赤に塗られた鋼ローゼ桁の橋を渡ると大島である。太田和港からのバスで7分、島に入り製作所前という所で降り、まず旧町役場の西海市役所大島総合支所に寄ってから、商店街を通って佐世保港への高速船の発着する第二桟橋へ行った。途中には大島楽市というショッピング・センターがありアパート群にも子供が多く活気があり、今まで見た西海市の旧町のなかでは最も賑わいのあるところのように思えた。

 この大島も炭鉱の島だったが、1968年に設立された大島造船所を中心に造船の島に生まれ変わっている。(株)大島造船所は住友グループに属し、資本金56億円、年商718億、従業員964名(いずれも2006年3月期)の過疎地には珍しい中堅企業で、特に穀物、石炭、鉱石などを梱包せずに運搬するばら積み貨物船であるバルクキャリアーに特化している。数万トン級のものを含め、年間20隻以上を継続して建造しているそうで、第二桟橋近くのドックの外側には進水直後で艤装中の大型船が数隻浮かんでいた。

 今日はこの造船所の系列のアイランドホテルに泊まることにしているのだが、まだ明るかったので、明日行く予定にしていた更に沖にある蛎浦島にある旧崎戸町に行った。島といっても大島とは橋長183メートルの何の変哲もないコンクリート橋で繋がっており、総合支所のある蛎浦までは第二桟橋からバスで20分弱だった。なおこの崎戸町の名はこの蛎浦島の更に沖、と言っても100メートルほどの橋で繋がっているが、面積では恐らく十分の一にも満たないであろう崎戸島から取っている。更に五島列島の中通島との間に飛び石のように連なる有人島の江ノ島、平島もこの町に属している。総合支所から500メートルほど離れたところに西海市崎戸ターミナルという港があり、佐世保からここに寄り、江ノ島、平島へ行く船が毎日1往復、崎戸商船によって運航されている。当初計画ではこの船で佐世保に行くことにしていたが、今日中にここに来ることができたので、大島からの高速船で行くことにした。

 薄暗くなった蛎浦のバス停前からは小高い丘の上に、多分建設途中で中止したと思われる何棟かの鉄筋アパートが見えた。コンクリート枠だけが出来、窓部分が空いたままになっていて夕闇迫るなか向こう側が見通せる積み木の家のようだったが、或いは人が住むのをやめた廃墟なのだろうか。小さなショッピング・センターで夕食用に弁当でも買おうと思ったらパンとカップラーメンしかなく、それでもわざわざ夕食を1人で他で食べるのも面倒だったのでそれを買ってホテル前までバスで戻った。

 大島アイランドホテルというのは久しぶりに泊まる本格的高級ホテルだが朝食付で7000円だった。リゾートホテルを謳っているが、造船所への出張客のためのホテルという位置づけもあるのだろう、外国人を含めたビジネス客の他作業服の工員風という客も泊まっていた。大浴場はトロン温泉と言って、なんでもドイツのバーデン・バーデンから直輸入したトロンの「薬石」を使った人工の温泉だそうで、準天然温泉ということだった。薬効があるとのことだったが、準天然であろうが何であろうが大きな浴槽で手足を思う存分伸ばすことができたので気持ち良かった。朝食も本格的なバイキングたったので昼食にありつけなくても良いように腹を一杯にした。

佐世保の活気は米軍か自衛隊によるものか

 大島のホテルから第二桟橋までは1キロもなく、歩く途中造船所正門では始業前にぶつかり大勢の自転車の工員が構内に吸い込まれるように入って行くのを見た。随分昔の川崎あたりか、今の中国の朝の光景を見ているようだった。佐世保への高速船はほぼ1時間に1本の頻度で運航されており、直行のものは23分、乗ったのは西彼杵半島北端の面高港経由のものだったが、それでも所要は30分だった。200人乗り位の双胴船は半数位の座席が埋まり、スーツ姿の男女も多かったので佐世保への通勤客がいるのかも知れない。
 佐世保港のターミナルには新しいスマートなビルもあり、最近高架となった佐世保駅と合わせ周辺は随分スッキリとしていた。市役所は2.5キロくらい先にあり、1キロ以上続くアーケードの商店街を歩くと、朝の9時台というのに人通りが多く、商店や飲食店などが営業前の準備で活気があった。

一頃話題となった造船所の不振などで沈滞しているのかと思っていたらそうでもない、やはり自衛隊や米軍の基地による経済効果というのは大きいのかも知れない。最近は佐世保バーガーが名物だそうだが、分厚くて食べにくそうだしあまり興味もない、市役所の写真を撮って市役所前のバス停から嬉野温泉に行くバスで次ぎの波佐見町に向かった。佐世保以北の町村が未訪問でいずれまたここには来ることになるので、今回は新装なった佐世保駅も素通りした。

JR九州大村線に沿って

 バスで50分ほどの波佐見町は佐賀県有田町の南隣にあり、同じような地質なのだろうここも焼物の町だ。波佐見焼というのは江戸時代から続く磁器で、有田が高級品を売り物にしているのに対し、こちらは大量生産によって庶民でも買うことができる低価格なものを中心としていた。江戸時代は大村藩の特産品として、特に醤油や酒用のボトルとして、長崎出島からオランダに向け盛んに輸出されていたそうだ。今でも磁器の日用食器では全国シェアーの12%を占めているそうだ。町役場隣の神社の境内には前の日本精工の社長で経済同友会を設立した、この町出身の今里広記氏の銅像が建っていた。バスを待つ間焼物店をのぞいていたら盛んに買って行くよう勧められた。

 バスで川棚町に行き、大村線の快速「シーサイドライナー」で次駅の彼杵へ、東彼杵町役場に寄り、近くの食堂に寄ってから再び快速で諫早に行った。大村線の快速はほぼ1時間に1本の頻度で走っているが、毎時の発車時分が1~2分違うのが惜しい。スイスやオランダのようにすべて同時分とするラウンドタイムにできないのだろうか。

 車両は筑豊・篠栗線の電化により転用されたキハ200系で、走行性能に優れ、転換式ボックスシートのアコモデーションも良く、817系電車の気動車版と言えよう。車両が良いだけに線路の整備不足なのか揺れが気になった。大村市内の竹松駅や大村駅からはかなりの数の客が乗ってきて、ほぼ満席状態になり、諫早では5~6分の接続で長崎本線の博多行きの特急にも乗り換えられる。良くできたダイヤである。

 大村と諫早の市役所には02年の2月にシーボルトについて調べたくて来ている。諫早では予約しておいた駅前のビジネスホテルにリュツクを預け、南隣の橘湾に面する飯盛町役場のある三本松というところまで県営バスで行った。ここも今年3月に他の4町とともに諫早市となったところである。

ちょっと長崎市内へ

 本日の役場めぐりの予定は終了したがまだ時間があったので4年ぶりの長崎市内に行ってみたくなり、小浜から来た県営バスで長いトンネルで日見峠を越え、坂を下ったところの蛍茶屋で下車した。

 ここから歩いてシーボルト邸跡と記念館を再訪し、更に歩いて諏訪神社へ、193段あるという石段登りはいい運動になった。戦国時代に長崎はキリスト教の支配する土地となり神社も寺も焼き払われたそうで、この神社も江戸時代になってからのものだそうだ。神社下の諏訪神社前電停のホームに行くには地下道を通ってしか行けず、またこの先蛍茶屋までの電停も歩道橋を渡ってしか行けない。バリアフリーが考慮されていないどころか、低床車なども投入し気軽に乗降できるというLRT(Light rail transit軽量軌道交通)のメリットがここでは全く生かされていないので、横断歩道を作るなど工夫が必要だろう。

 その低床車に乗ることができた。神社の石段を降りているときに蛍茶屋方面に行くのを見たので、10~20分後に戻ってくるだろうと思って電停で待っていたら案の定やってきた。2台車3車体という100%低床車で定員は63人とか、窓が大きく車内の壁や天井も木目調でなかなか快適な電車だ。2004年導入の純国産車だそうで、わが国のLRV(Light rail transit軽快車両)も随分洗練されてきたものだと思う。しかし走り始めると京急や都営のインバータ車の音に似たVVVF制御装置の音が結構うるさい。また車両が良いだけに余計に感じるのか、或いは車輪が小さいせいなのか意外に揺れる。このあたりは本格的な普及に備えて改善が必要だろう。  

 せっかく乗れたので終点の石橋まで行き、暗くなったオランダ坂などを歩き出島にも行った。閉門時間を過ぎていたので中に入ることはできなかったが、出島の海側の石積みがその後再掘され、100メートル以上に渡ってその部分が見えるように、狭い水路ができていた。いずれここを堀のようにして、かつての出島の面影を再現させるという話を5年前に聞いたが、それに向けて着実に進んでいるようだった。浦上駅前まで電車に乗り、皿うどんとビールで夕食とし、JRで諫早に戻った。相変わらず長崎の電車はどこも乗客が多かった。日本でも、条件が良くて創意工夫をすればLRTは成功する、そう思わせる長崎電鉄だった。消費税UPに対しても,現行の一律100円をキープできれば良いと思うが。

島原半島遊湯券の旅(その1)半島の西側から

 さて今回のメインとも言うべき「島原半島遊湯券」を使っての半島の市町めぐりである。この切符は3000円で島原鉄道の鉄道・バス・フェリーが1日乗り放題で、さらに指定された20箇所のホテルなどの温泉・入浴施設の中からひとつだけ選んで温泉に入れる入浴券が付いたものだ。諫早から先の半島内には1市17町があるが、本日中に諫早から反時計まわりに進んで深江町までの13町に行き島原に行くという計画を立てた。とは言えこれらの町はいずれも平成の合併で諫早市、島原市への吸収や新設なった雲仙市、南島原市に統合され4市になっている。

 諫早発6時45分の列車で一番目の森山町まで行く予定だったが、それだとビジネスホテルの無料の朝食が食べられないので7時発のバスにした。結果的にこの方が森山町役場近くで降りることができ、朝食と合わせ得をした。往復2車線の国道はスムーズな走りだったが、2~3倍に広げる拡幅工事が進んでいた。

 次は初めての島原鉄道乗車だ。高校生が多数乗っていたが、愛野の手前の諫早東高校前という駅で全員が下車してからは数名だけの客になった。キハ20系というかつて国鉄の非電化区間ではどこでも見られた旧式気動車の2両連結で、1両はオレンジ一色、もう1両は更に古い赤とオレンジのツートンカラーの旧国鉄色だった。島原鉄道の200系には自社発注車のほか国鉄や他社からの譲渡車があり、今でも8両在籍しているそうだ。

 愛野という駅で降りた。赤いトンガリ帽子のような屋根のあるメルヘンチックとでも言った感じの駅で、「ロマンの町」とか「あいの駅」などと書かれていた。次の小浜方面へのバスがすぐに来るので急いで雲仙市愛野総合支所となった旧愛野町役場の写真を撮ったが役場近くのバス停の時刻表にはこれから乗ろうとするバスが載っていない。待っていた高校生に教えてもらいさらに離れたところにある別のバス停まで走ると小浜行きのバスがやって来たので駆け込んだ。定刻よりも2分早かった。

 この先旧千々石町、旧小浜町と続くのだがバスの本数が少ないので先に小浜に行き、千々石に戻り更に先に進むというフリー切符のメリットを生かした稲妻方式を採ることにしていた。暫くして乗っているバスが島原鉄道ではなく長崎県営バスのものであることに気がついたが、このあたりは多分共同運行をしていて、どちらのバスにでも乗れるのだろうと勝手に想像してそれ以上気にもとめなかった。しかし小浜での下車時に、この切符は県営バスでは使えないと言われ600円支払うことになった。2~3分後に島原鉄道のバスがやってきた。私があわてて別のバスに乗り、共同運行だと勝手に考えていただけのことだった。2社運行ということを初めから知っていればもつと効率よく回れる計画が立てられたと思う。

 ところで県営バスというのは全国でもめずらしい。長崎県交通局が経営しているもので県レベルのものとしては他に都バスがあるだけで、他で聞いたことがない。長崎県のものは長崎市、諫早市、大村市、島原半島など県南部一帯に路線を持つ他、空港への連絡バスや、他社と共同ではあるが九州内他県だけでなく大阪までの高速バスを運行したり、さらには長崎県営バス観光などという旅行社を傘下にもち観光事業まで幅広く手がけている。自治体の、それも県が運営する公営バスにしては異色である。そのためかどうか運転手の態度は都バスに比べるとずっと丁寧だったように感じられた。なお県営バスは来年(2007年)には島原半島を走る全ての路線を廃止し、同半島から撤退することを表明しているそうなので、そうなれば600円を余計に払うこともないのだろう。

島原半島遊湯券の旅(その2)半島の南から東側へ

 稲妻方式にしたので通過した旧千々石町に一旦もどり、次は島原鉄道が半島の東側を半周して終点となる加津佐に直行した。近くのコンビニで買ったおにぎりを鉄道終着駅の小さな待合室で食べ、再び京泊というところまで戻って旧南串山町役場に行く。合併後は南串山町以北が雲仙市で加津佐から先が南島原市である。そしてまた南進してバスに乗ったまま加津佐をパスして天草鬼池港へのフェリーの出る口之津まで行った。

 16世紀には貿易港として栄えポルトガル船が入港し「南蛮船来航の地」という標識も建っていた。駅とフェリー乗場は国道を挟んで向かい合っており、かつての鉄道連絡線の駅を彷彿させる。有明海の入口に位置する島原半島の最南端で、小さな岬に囲まれた天然の良港という感じを受けた。

 実は今回が島原鉄道に初乗りであり、全線乗車のチャンスだったが、加津佐から口之津までは並行するバスに乗ったので、この先は全部列車にしようと思っていた。しかしバスの方が先に来るし、それで旧南有馬まで行き役場に寄っても口之津から乗るつもりだった列車に十分間に合うのでまたバスにした。

 南島原市南有馬総合庁舎となっている旧役場の建物は城を模したつもりなのか、公衆銭湯を大きくしたような、なんと形容したら良いかわからないが勿体ないと言えるような建物だった。島原の乱で名高い原城跡が近くにあるが、まさかそれに因んだわけでもないだろう。有明海に張り出した丘陵にあった原城は、室町時代に有馬氏によって築きられたが、松倉氏に替わり島原城が中心になるや廃城となり、その城跡にキリシタンである農民が立てこもり幕府軍と戦闘を繰り広げたのが1637年から38年にかけての島原の乱だから、それに因んだものにしたかったのならばもっと質素なもので良かったはずだ。

 駅の名前は原城で、コンクリート製の駅舎に2線対向式のホームは屋根も長く大勢の観光客の利用を想定したような駅だったが、今はひっそりとしておりここから1両のキハに乗ったのも私1人だった。朝方乗ったキハ20系ではなくワンマン仕様のキハ25で、2000年以降に導入された黄色に青のラインのはいった軽快気動車、現在は昼間の列車はほとんどがこの車両によるワンマン運転だ。6分乗車し北有馬で下車、旧北有馬町役場に行った後1キロくらい歩いて国道に出た後旧西有家町役場までバスに乗った。

 ここが新しい南島原市の市役所になっていた。新市の市役所は、他所の者から見れば知名度や歴史などから口之津当りが妥当なところかと思うが、新しくて立派な建物だったということでここに決まったのかも知れない。庁舎には「島原・天草架橋を実現しよう 西有家町」と書かれた大きな立て看板が立っていた。

 ここから隣の旧有家町役場までは1キロくらいしか離れておらず、久しぶりに役場間を歩いた。その後もバスで旧布津町へ、そしてわずか8分だけ列車に乗って旧深江町に行った。布津の入り江では干潮で全く水がなく、何艘もの船が泥の上に置いてあるという光景を目にした。

島原半島遊湯券の旅(その3)温泉へ

 南島原市南有馬総合支所の写真を撮り終えたのが17時近くで、日本の西の果てでもこの時期の日没は早い。今日泊まる島原に早く行って温泉に入りたく、ここでも列車よりも早く着くバスにした。島原市内で下車した大手というバス停は市役所の真ん前でホテルにも近かった。夏ならば写真を撮るのに十分可能な時間だったが、市役所の写真は明日にした。それでも今日は1日に13町をまわり、東京23区は別として久しぶりに効率の良い日だった。「遊湯券」のおかげで料金を気にしなくて済むので2度も稲妻方式が使えたことと、鉄道とバスが並行して走っていることが大きかった。

 ホテルに荷物を置いてから「遊湯券」の使える温泉ホテルを探し、1駅列車に乗った島鉄本社前近くの南風楼というホテルに行った。街中を列車で温泉に行くなど坊ちゃんの気分である。温泉ではこの「遊湯券」で来る客など滅多にいないのか対応に手間取り、私に迷惑をかけたと言って本来なら有料のバスタオルや浴衣をタダで貸してくれた。こちらは列車やバスを十二分に利用し、さらに温泉にも特段の配慮をしてもらい申し訳ない気持ちだ。

 「遊湯券」のような企画キップは観光客が来てくれて、宿泊や食事や土産などに金を落として行ってくれるだろうということで売り出したはずなのに、私の場合は安いビジネスホテルに泊まり、駅前食堂で夕食を取り、土産も買わずに帰ったのだから地元からすればあてはずれの客に違いない。限られた予算のなかでの市町村役場めぐりだから今回は許してもらうことにして、いつか家族とまともな旅行でまた来て、借りを返さなければ、という気になった。

鉄道からバスへのスムーズな移行を目指しているのか 島原鉄道

 地元にそんな不忠を働いた罰が当たったか翌日は激しい雨となった。島原城や武家屋敷などを見物しようと思ったがこの雨ではむずかしく断念した。朝方市役所の写真を撮った後、諫早方面に連なる残りの4町に行った。島原市に編入合併になった旧有明町と、雲仙市となった旧国見町、旧瑞穂町、旧吾妻町である。いずれの役場も鉄道の駅からは離れているだけでなく、バスの走る国道からも引っ込んだところにある。それでもバスのほうが多少とも役場に近いのでバスをメインにした。今日は半島の一部、北東部を動くだけで、温泉に浸るつもりもないので「遊湯券」は買わずその都度料金を支払った。バスの方が列車よりも料金が割高なのは目的地の近くに停車するメリットによるものと考えることにした。

 それにしても雨が激しく、小さな折り畳み傘など頭が濡れない程度の働きしかせず、全身がズブ濡れになって来た。その後もバス、バス、列車、バスという順に上記の庁舎に行き、最後の吾妻から33分ほど列車に乗り昨日行った愛野、森山を通り諫早に着き、駅前食堂のランチ定食で冷えた体を温めた。最後に行った旧吾妻町庁舎が新しい雲仙市の市役所になっていた。庁舎は田圃のなかにある豪華なものだった。

 繰り返しになるが、島原鉄道は鉄道線路にほぼ並行してバスを走らせている。ごく一部を除いては線路と国道は100メートルも離れていない、ぴったりと寄り添うように並んでいる。それぞれのダイヤは良く調整されており、両者が上手く補完しあってほぼ30分毎に鉄道かバスのどちらかが来るようになっている。諌早・島原間、島原・加津佐間とも所要時間に大差はない。しかも「しまてつ便利帳」という100円で変える時刻表を中心とした冊子には両方が一緒になった時刻表まで載っている。同じページに、時間順にバスは黒字、列車は青字で示されたものだ。料金はバスの方が若干高いが、集落の多い市街地の中心を走りこまめに停まるというメリットがあるので納得が行く。

 しかし同じ会社が全く並行する区間にふたつの異なるシステムのものを走らせるということは経営資源の効率的投入という面からは問題だろう。昼間乗った限りでは、鉄道も小型車両1台だけで乗客もバス並みに少なかった。この程度では収入は変わらず、線路や信号、駅設備などのインフラを自前で維持保守を続けなければならない鉄道と、国が維持してくれて道路利用料も払わずに国道上を走るバスとではコストに大幅な開きがあるはずだ。ひょっとして島鉄は、将来の鉄道廃止を見込んで徐々に、ダイヤ改正の度にバスの比率を高めて行き、鉄道がなくなっても平気だという既成事実を作って行こうとしているのではないかと勘繰りたくなる。この程度の利用量の鉄道は何所も苦戦苦闘しているが最初から最後まで自社の鉄道とバスを見事に並行して走らせているという例は珍しいと思う。

頑張るJR九州

 帰路も長崎空港から乗りたかったが、マイレッジの無料航空券では希望の便が取れなかったので福岡空港から帰ることとし、諌早から先旧高来町と小長井町に寄りながら福岡に向かうことにした。この間のJRの各停列車は2~3時間に1本と少ないので、高来と小長井の間は県営バスを利用した。この頃から雨だけでなく風も強くなりとうとう持参した傘の骨が折れてしまった。たまたま高来町の最寄り駅である湯江駅近くにコンビニがあり500円で傘を買ったが、これも間もなく逆開きになり、また骨が折れ使い物にならなくなってしまった。しかし幸いにもこのころから小降りになり、最後の電車に乗るだけだったので、傘がなくてもそれほど辛くはなかった。

 小長井から佐賀まで各停電車に乗り、福岡空港までは高速バスを利用した。電車は私の大好きな817系で、悪天候でもあり写真は撮れなかったが、走行性能でもアコモデーションでもドイツ、オーストリア、スイスで最近走りはじめたSバーン用の低床型連接車にわが国で唯一ひけをとらないと思っているものだ。加速性能も良く、走り出すと早いのだが、それでも特急が1時間に片道2本も走る単線区間なので、駅や信号所に停まる度に列車待ちで3~5分停車する。走っている間は並行する国道を走る車を次々に抜いて行くが、これでは利用者も敬遠する。部分複線化を行うなどして、各停電車も毎時1本は走らせるようにしてほしい。長崎新幹線など作らずに、その何分の一かの金で曲線改良や部分複線化、信号の改良など行えば特急、各停ともかなり表定速度が向上すると思う。

 JR九州は高速道路という脅威に晒されながら本当に良く頑張っていると思う。最近は「SUNQパス」という全バス会社が共同で売り出した1万円で3日間全九州の高速を含む全路線バスが乗り放題という切符まで売り出され、ますます競争が厳しくなっている。尤もこれにはJR九州バスも参加しているが、JR九州としては保険をかけているようなものだろう。

 それにしても自前で線路や信号、駅設備などのインフラを建設し維持保守しなければならない鉄道と、高速道路使用料を払うだけで済む、あるいは一般道であればそれすら必要ないバスとではどう考えても公平な競争にならない。だから既にヨーロッパで実施されているような鉄道の上下分離をし、インフラ部分は道路特定財源を使い保守・維持するという、公平な競争が行なわれなければならないと思う。それには公的、私的を含め、わが国の交通というものを将来にわたって基本的にどのようなスキームにするのかという議論が行われ、国民的なコンセンサスがなされる必要があると思うが、そのような議論がほとんど行われていないが残念である。  

 わが国が自動車産業国であることと、土建業中心に目先の利益しか追おうとしない各地の姿勢がそうさせているのだろが、これではいつまでたっても資源の乱費、環境汚染がなくならない。これはどうなったら変わるのだろうか。




公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
(その23)トカラ列島と奄美群島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年5月10日
(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日