著者プロフィール                

       
会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その39)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会

会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その39)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
(その23)トカラ列島と奄美群島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年5月10日
(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日
(その25)「大人の休日倶楽部会員パス」による秋田県北部の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月27日
(その26)能登・砺波の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年7月9日
(その27)路線バスを乗り継いだ大分県と福岡県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年12月5日
(その28)JR四国誕生日切符を使っての四国3県の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年1月19日
(その29)沖縄県宮古八重山地方|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年5月16日
(その30)北海道宗谷・網走・上川支庁|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年7月12日
(その31)広島県・愛媛県境の瀬戸内海の島々|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年8月6日
(その32)北九州から山陰本線に沿って石見銀山へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年5月13日
(その33)北海道渡島半島から後志にかけて|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年6月27日
(その34)佐賀県100達成・長崎県は残り1つに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年10月9日
(その35)石川県の100%を達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年11月7日
(その36)徳島・高知県に行き四国100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年1月28日
(その37)三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月2日
(その38)沖縄県久米島と渡名喜島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月24日
(その39)会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年5月20日
(その40)岩手県大船渡線と北上線|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年6月17日
(その41)北海道十勝から日高へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年7月6日
(その42)東京の3つの離島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年8月17日

 福島県会津地方も役場めぐりが難しいところである。磐越西線の喜多方以西や只見線は列車本数が非常に少ないし、会津盆地内にも鉄道で行けないいくつかの町村がある。今回はそのような会津地方にチャレンジした。この地方の中心の会津若松市は訪問済みだと思い込んでいたのでパスし、一方未訪問と思っていた塩川町が訪問済みであったことが帰宅してデータを整理していて知った。やはり3千件に近づくと記憶力も注意力も散漫になるようだ。

いつも利用しているJR東日本の「大人の休日きっぷ」の発売期間にはタイミングが会わなかったので、今回はジパングクラブの30%割引を利用した。そのためにJRに支払った運賃総額は3日間で14,510円となり、12,000円の「大人の休日きっぷ」よりは高くついた。

磐越西線を西へ

 東京駅7時4分発の東北新幹線やまびこ43号で郡山へ。10両編成のうち6両が自由席だったが大宮からはほぼ満席となった。7時53分の宇都宮で大半が降りその後は3分の1くらいになったので、宇都宮への通勤、あるいは出張に便利な電車として利用されているようだ。郡山からは719系という2両で1組の電車が3組、6両編成の磐越西線快速に乗った。以前は東北本線で走っていた3扉セミクロスシート、クロス部分が「集団見合い型」のものだ。新幹線から在来線1番ホームに降り立ったところが先頭車で、運転台助手席後ろのサイドシートに座ることができた。高運転台ではなかったので久しぶりの鉄チャン気分になり、先頭景色が楽しめた。

 郡山・会津若松間の快速列車には2種類あり、ひとつは以前の特急が格下げになったもので今も「あいづライナー」という名前で、観光客をターゲットにし平日2往復、485系という特急専用車両を使っている。もうひとつは小さな駅だけを通過扱いにするもので、乗ったのはこちらの快速だった。

 郡山駅を出て東北本線と離れてもしばらくは商業施設や住宅などが続き、7分後に停まった次駅の喜久田でかなりの下車客があった。ここまでは郡山の郊外住宅地という感じで、中間に1~2駅を作ればさらに利用者が増えるのではないのだろうか、このクラスの都市ならばドイツのSバーン的な電車を2~30分間隔で走らせても良いのではと思った。喜久田から先は田畑が続き、磐梯熱海を過ぎると登り勾配が続く。かつてスイッチバック駅だった中山宿駅跡もすぐにそれとわかる。今の駅はそれよりもかなり会津若松寄りに移動し、単線棒状だった。

 トンネルを抜けると会津盆地に入り沼上信号場で列車交換、そして猪苗代湖畔から盆地の中を走り、川桁駅の次の猪苗代駅で下車した。猪苗代湖や磐梯山の入口になる駅であり、観光客も何組か降りた。駅前からは裏磐梯などへ行くバスが出ているが、バスを利用する客はほとんどおらず、レンタカーや宿泊先などの送迎車などに乗ったようだ。バスターミナルは同時に7~8台のバスが停まれる大きなものだが、待合室などもう何年も手入れをしていないようで荒れるがままという風だった。猪苗代町は人口15千人で中心市街地も形成されているが、多くの店が休業中で人通りはほとんどなく、典型的な地方の町という感じだった。

 さらに各停電車で2駅、磐梯町で下車し、10分くらい歩いて町役場へ行った。U字カーブを描きながら勾配を下る磐越西線の、その中央部に庁舎があるので電車はそれを取り巻くように走る。会津磐梯山をバックに庁舎の写真を撮ることができた。駅は島式ホーム1面2線を有し駅舎や道路より高いところにある、木曽福島や豊後竹田と同じような構造だった。この駅の手前にも信号所があり列車交換ができるようになっていた。

 次に乗ったのが快速「あいづライナー」でこれは何と往年の寝台特急583系の6連だった。前後の広いクロスシートには背中部分に白いカバーが貼られ特急の雰囲気は残っていたものの、白かった壁や天井は黄色く、外装もいたるところ剝上がりを塗った跡があり歳は隠せない。後で調べたら、「あいづライナー」は今でも普段は485系で、定期検修のときに予備役のこの車両が使われるということだった。

 電車はさらにU字カーブを繰り返しながら会津盆地内を下り続け、会津若松駅に到着した。さすがに「あいづライナー」だけあって下車客も多く、観光バスやタクシーの待つ駅前広場が一時賑わった。ここで次の列車まで1時間15分あり、駅前のレストランでゆっくり食事をした。自分ではすっかり訪問済みだと信じて疑っていなかった会津若松市では、城にも博物館に行っているので、どうやって時間をつぶそうかということばかりを考えていた。車でも2~3度来たことがあり、その時になぜか市役所にも行っている。庁舎の姿も記憶にある。しかし公共交通での公式訪問ではなかったのだ。

 会津若松からはさらに磐越西線で新潟方面に、キハ110型2連の野沢行きで荻野へ、そこから会津坂下行きのバスで高郷総合支所に向かった。今は喜多方市となった旧高郷村役場である。バスは会津乗合自動車が運行するものだったが、車内に「生活交通路線」であるという掲示があった。県が主体となり、地方運輸局、関係市町村および関係事業者で構成された地域協議会で維持・確保が認められ、県知事が指定した路線であり、国および県から補助を受け運行するものだという説明があった。利用者が少ないほど補助金が減額されるので大いに乗ってほしいと書いてあった。しかし他には女子高校生が1人乗っていただけで、私と同じ支所前で降りたので、その後は乗客ゼロだった。

 なお生活交通路線とは、国の地方バス路線維持費補助制度のもとでの補助金の対象になるバス路線のことで、複数市町村にまたがり、キロ程が10キロ以上、1日の輸送量が15人~150人、1日の運行回数が3回以上、広域行政圏の中心都市等にアクセスする広域的・幹線的な路線、と定義されている。一定の上限はあるが基本的には赤字を補助するものであり、負担率は国、県が1/2ずつである。なお上記よりも短距離のものについては生活交通再生路線運行費補助という制度もある。

 帰りのバスまではかなり待つので、荻野駅まで歩いた。国道ではないが道路は良く整備されており歩道もあったので歩き易かった。約4キロで40分少々だった。そして次の列車に野沢まで乗り、西会津町役場へ行った。今回の往きの切符は南武線久地駅から野沢駅までだった。帰りの列車まで3時間近く駅舎内で待ち、この先は切符をその都度買い、上り列車で20分、山都で下車した。山都町役場(現喜多方市山都総合支所)に行き、次の喜多方への列車を待つ1時間15分の間、夕食を取ろうと店を探したが見つからず、閉店間際の食品スーパーで残っていたおにぎりとパンを買い駅の待合室で夕食とした。喜多方の、予約していた市役所近くの旅館に着いたのは20時近かった。

会津盆地内を歩く

 喜多方市役所には1994年5月に289番目として来ている。このゲームのごく初期のことだ。久しぶりに来たのだから、翌朝もう一度市役所の写真を撮っておこうと思っていたら、道の途中で火事があった。空き家が焼けたのだが、そっちの方が面白そうだったので大勢のヤジ馬に混ざって見に行った。火事場の写真は撮れたが、結局市役所には行けなかった。

 列車で塩川へ行き、塩川町(現喜多方市)に行ったのだが、家に帰ってから調べたら94年に行っていたことがわかった。調べてみると日没寸前に行っている。そのとき古い庁舎の写真を撮っていたらフラッシュが瞬き、庁舎から出てきた職員が怪訝な顔をしていた、そんなことを想い出してきた。そのときのままの古い庁舎である。会津若松といい、何をしているのだと、我ながら情けなくなってくる。3千近くになるととても覚えきれなくなるので、計画段階でしっかりデータを確認することだ。

 磐越西線の喜多方・会津若松間の塩川駅以外の駅は以前から朝夕2本ずつの列車が停まる以外、各停列車はすべて通過する。昼間の約8時間は列車が全く停まらない。1960年代の時刻表もそうなっていた。喜多方から塩川まで乗った列車はその朝方の2本のうちの1本で、停車した途中の小駅からは高校生が2人乗車しただけだった。塩川町役場に行ってから乗ったのは、残りの1本で会津若松のひとつ手前の堂島駅で下車した、ここでも2人の高校生が乗っただけで、私以外に降りた客はいなかった。1.5キロほど歩いて旧河東町役場(現会津若松市)に行った。そして広田駅まで歩き会津若松まで1駅乗った。磐越西線は会津若松でV字型のスイッチバックをする。だから役場の東西に同じ線の駅があるという珍しい例である。磐梯町はU字の、旧河東町はV字のなかにあるが、両側に駅があるというのは旧河東町だけだったと思う。

 2日目も会津若松駅頭で1時間近く時間をつぶした。広場を挟んだ正面にあるバスターミナルで会津本郷に行くバスを待った。バスは市役所近くなど市街地をくまなくまわって郊外に向かうのだが、駅から乗った5名ほどの客に増減はなかった。西若松駅前を過ぎると阿賀野川上流、広い河川敷をもった阿賀川の長い橋を渡り、只見線の会津本郷駅前近くの踏切を渡ったのち、旧会津本郷町役場近くでバスを降りた。

 この町は西隣の会津高田町と、さらにその北隣にある新鶴村との2町1村で2005年10月合併し人口24千人の会津美里町になった。明確には表示していないが、人口規模では半分以上を占め、また位置的にも3町村の中央にある旧会津高田庁舎に町長室や議会場があるので、実質的には高田が本庁舎なのだろう。しかし高田の建物はかなり古く、平成になってから建てられた旧会津本郷町役場、旧新鶴村役場に比べて圧倒的に見劣りする。と言うよりもふたつの庁舎が旧町村の規模とは不釣り合いな、あまりにも豪華な建物なのである。まさかそれらに負けまいと、もっと豪華なものを作るようなことをしなければ良いと思うが。

 先に行った本郷庁舎はまさにそのような金に糸目をつけない豪華箱物の典型だった。勿体ないように思われるかも知れないが、早く解体した方が経済効果は大きいかも知れない。ホテルのロビー風の、アトリウムを持った建物は光熱費だけで相当な額になりそうだからだ。

 会津本郷から会津高田までは、4キロ半ほどだが、只見線の列車はこの時間帯走っておらず、バスを乗り継ぐしかない。しかし天気も良かったので歩いてしまった。ずっと続く田畑の中の道は、歩道も完備しており歩きやすかった。

 只見線は会津若松からはまず南へ向かい、西会津駅で会津鉄道と別れると西に転じ、会津高田からは北に向かう。会津若松から会津坂下まで、会津盆地の南半分を包むように、U字型に走る。米沢近郊の米坂線の線型と良く似ている。このU字のほぼ中央南半分を占めているのが北会津村だ。この村は04年11月に会津若松市に編入されたが、ここの村役場も田畑の中にあるモダンなもので、遠くから見ると電子機器か何かの近代的工場という感じだった。ここも2000年に出来たもので、維持費のものすごくかかりそうな庁舎に思えた。ここへは会津高田から会津若松に向かうバスの途中、川南というところで降り、2.3キロほど歩いた。

超ローカル線 只見線(1)

 さらに1.5キロほど歩き、再びバスを乗り旧新鶴村役場に行った。ここも平成10年に出来たという超豪華庁舎だった。そして新鶴駅に着いた。只見線の本数は極端に少なく、只見方面に行く列車は13時38分の次は17時38分と、この間4時間も空く。駅に着いたのが15時30分頃だったので、2時間近く待つことになった。以前は相対式に2つのホームのほか貨物ホームもあったようだが、今は1面1線で、最近立てられたような小さな待合室のみの駅舎があった。雨が降りはじめ、近くには飲食店などひとつもなく、飲み物の自販機があるのみだった。

 列車の来る時間ではないのに踏切の警報機が鳴りだし、何だろうと思っていたらSLの汽笛が聞こえ、C11が3両の旧式客車を牽いてかなりのスピードで通過していった。数名の乗客がいたように見えた。これは週末に運転されるSLイベント列車の試運転だということを、後で泊まった旅館の客から聞いて知った。車両は真岡鉄道から借りたもので、土日2日の本番のために、水木金の3日間試運転を行っているとのこと。旅館客はいわゆる撮鉄で、最近は本番よりも試運転の方に人気がある、その理由は本番時には前面サボをつけたり、大勢の客が窓から顔を出したりするからで、わざとらしいからだそうだ。

 只見方面への次の列車が来る前に、会津若松行きが来るはずなのに時間になっても来ない。その列車を待っている客も他にいない。しばらくして会津坂下駅に電話をしたら、線路に異常がありその確認のために30分くらい遅れているという。会津坂下・西若松間中間5駅、16.8キロが1閉塞区間なので、会津若松行きが遅れると只見方面行きも遅れるはず、会津宮下の旅館には電話をしておいた。それにしてもこのような無人駅で、このようなときに遅れの情報などを知るにはどうしたらいいのかなと思っていると、待合室の中にあったスピーカーからアナウンスが流れた。周辺の各駅に同時放送をしているようだ。しかしボリュームだけがやたらに大きいが、はっきりと聞きとれない。スピーカーの感度テストもたまには必要だ。

 遅れていた会津若松行きが来る直前になると、駅前に小型車が続々と集まってきた。列車から降りた高校生を迎える家族の車だ。多分携帯で連絡して到着時刻の遅れを知らせたのだろう。それにしても地方の駅での家族による学生の送迎は良く目にする。歩いて帰るような子はいなかった。全員がそんな遠くから来ているわけでもないだろう。こちらは数キロ歩くくらいなんともない、このくらいは歩けよと言いたい。駅に近い子供も、友達の手前親に送迎させているのだとしたら、何ともはや、である。

 やっと小出行きが来た。結局2時間半も待った。同じように小型車が集まり、列車から降りた10人くらいの学生が各々の車に吸い込まれた。駅前は何事もなかったように静かになったことだろう。会津坂下を過ぎると上り勾配となり、2連のキハ40は重そうにゆっくりと、坂道を踏みしめるように登った。そして阿賀野川の支流只見川と出合い、この先は線名となったこの川に沿って走った。坂下と次の柳津役場には94年、喜多方市役所と同時に訪れている。柳津では列車が斜面の中段を走るので、谷に沿う街並みを車窓から眺めることができた。会津宮下に着いたときにはもうすっかり暗くなっていた。電話で教えられた、墓地の中を通る近道を急ぎ、川のほとりの温泉宿に入った。件の撮鉄氏と話しがはずんだ。

超ローカル線 只見線(2)

 会津坂下から会津宮下までの中間7駅23.8キロが1閉塞区間で、次が会津川口までの15.4キロが1閉塞区間である。いまだにタブレットを使用していた。翌朝はまず会津川口に行き、昭和村に行くバスに乗った。会津川口駅近くの高台の上にある金山町役場にも94年同時に来ている。このときは只見から乗った列車がここで36分停車し、その間に町役場に行った。286番目である。同一列車停車中の訪問は認められないというルールは、この当時はなかったのだと思う。このときにも昭和村へはここから行くということはわかっていたが、「また今度来た時に」としていた。そのまた今度が16年後になったのである。

 昭和村へは川口駅前から日に3往復の会津バスが走っており、これも生活交通路線だ。役場のある下中津川学校前までは36分、只見川の支流野尻川に沿う国道400号線は、豪雪地帯を窺わせるに十分なほどスノーシェッドの連続だった。帰りのバスまで2時間半近くあった。役場で2キロほど先に「からむし織の郷」という道の駅のような施設があり、博物館や交流館、食事処があると聞き歩いて行った。広い駐車場に巨大な箱ものの一群といったところだが、食事処はまだオープンしておらず、200円払って博物館の方を見学した。からむし織とは苧麻(ちょま)という植物の繊維を素材として用いた織物で、吸湿性、速乾性に富み、夏衣に適しているそうで、伝統的工芸品にも指定されているそうだ。

 なお夏季のみ会津田島から昭和村まで、日に3往復のコミュニティバスが運行されるが、そのバスまでにはさらに2時間近く待たねばならず川口に戻った。なお昭和と名のつく町は2(秋田県、山梨県)、村も2(福島県、群馬県)の合計4町村あったが、平成の合併後も秋田県の1町を除いてはいずれも単独で頑張っている。

 会津川口に戻り、会津若松までキハ40に乗車、この列車の後を走るSL列車を写そうと、いろいろなところにカメラを構えている撮り鉄の姿があった。その数優に100人を越えていると思うが、走行途中の写真スポットをねらうとどうしても車でしか来られないようで、SLを撮る人とSLに乗る人は別の人種のようである。だからSL運転は、旅館客が増えるなど確かに地域経済への効果はあるが、鉄道客の増大にはなかなか結びつかないのかも知れない。会津坂下、会津高田、会津本郷からは高校生の乗車があり満員になった。七日町ではそれらの学生の下車に時間がかかり3分遅れになるほどだった。

 

 会津若松に戻り、最後に盆地内の湯川村に行った。U字型に走る只見線の、U字のほぼ中央北半分を占めている村だ。平成に入ってから全国の市町村が競うように豪華な庁舎を建てたが、めずらしく古いままで残っていた。村内には磐越西線の笈川駅があるものの、この駅は例の朝夕を除き各停列車が停まらない駅だ。村役場へは会津若松から1日6往復(土休日は2往復)のバスがあるだけだ。平成の合併でたくさんあった周辺の町村は会津若松市、喜多方市、または新設なった会津美里町のどれかに吸収されたが、この村だけはなぜか単独で残っている。面積16㎢は東京の中野区と同じくらいで福島県内では最小、人口も3600人ほどだ。一面の田畑の中に役場と中学校、それに若干の福祉関係の建物があるだけで市街地のようなものは見当たらない。古い小さな役場に惹かれたが、それ以上にこの村がなぜ単独で残ったのか、今後どう変わって行くのか、気になるところだ。

 会津若松に戻り、郡山行きの快速「あいづライナー」を待っていると向こう側のホームにSL試運転列車が到着した。客車には10人くらいのナッパ服姿の運転手あるいは機関手と思われる人が乗っていた。真岡鉄道から指導に来た人とか、交代要員なのだろうか。煙を少し、蒸気も少し出したままで、いつまでそのホームに停まっていたのかはわからないが、たまに乗車客が携帯カメラを向けていた以外に、その道の撮鉄風の姿は見かけなかった。ここならばいくらでも近くから写真が撮れる。

 

 結局会津若松では計4回、それぞれ1時間近い待ち時間があった。市役所にはいつでも行けたのに、既に行っていると信じて疑わない自分に呆れている。塩川町の2度行きも同様である。そんなことで今回は3日間で8町5村、合計13で累計2852、残り407となった。

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
(その23)トカラ列島と奄美群島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年5月10日
(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日
(その25)「大人の休日倶楽部会員パス」による秋田県北部の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月27日
(その26)能登・砺波の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年7月9日
(その27)路線バスを乗り継いだ大分県と福岡県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年12月5日
(その28)JR四国誕生日切符を使っての四国3県の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年1月19日
(その29)沖縄県宮古八重山地方|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年5月16日
(その30)北海道宗谷・網走・上川支庁|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年7月12日
(その31)広島県・愛媛県境の瀬戸内海の島々|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年8月6日
(その32)北九州から山陰本線に沿って石見銀山へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年5月13日
(その33)北海道渡島半島から後志にかけて|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年6月27日
(その34)佐賀県100達成・長崎県は残り1つに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年10月9日
(その35)石川県の100%を達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年11月7日
(その36)徳島・高知県に行き四国100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年1月28日
(その37)三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月2日
(その38)沖縄県久米島と渡名喜島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月24日
(その39)会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年5月20日
(その40)岩手県大船渡線と北上線|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年6月17日
(その41)北海道十勝から日高へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年7月6日
(その42)東京の3つの離島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年8月17日