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三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その37)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会

三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その37)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
(その23)トカラ列島と奄美群島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年5月10日
(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日
(その25)「大人の休日倶楽部会員パス」による秋田県北部の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月27日
(その26)能登・砺波の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年7月9日
(その27)路線バスを乗り継いだ大分県と福岡県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年12月5日
(その28)JR四国誕生日切符を使っての四国3県の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年1月19日
(その29)沖縄県宮古八重山地方|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年5月16日
(その30)北海道宗谷・網走・上川支庁|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年7月12日
(その31)広島県・愛媛県境の瀬戸内海の島々|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年8月6日
(その32)北九州から山陰本線に沿って石見銀山へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年5月13日
(その33)北海道渡島半島から後志にかけて|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年6月27日
(その34)佐賀県100達成・長崎県は残り1つに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年10月9日
(その35)石川県の100%を達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年11月7日
(その36)徳島・高知県に行き四国100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年1月28日
(その37)三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月2日
(その38)沖縄県久米島と渡名喜島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月24日
(その39)会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年5月20日
(その40)岩手県大船渡線と北上線|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 未公開

 65歳になりJR東日本のジパングクラブ会員になれた。JRの切符が2割引(4回目以降は3割引)になるので早速使った。メインの目的地は以前から気になっていた奈良県南部の山岳地帯で公共交通の便が著しく悪いところだ。途中での待ち時間が長く、効率が悪かったが、今残っているところはこんなところばかりだ。長い待ち時間をどう過ごすかという、今まであまり考慮を払わなかった新しい課題への解決策を求めながらの旅となった。名古屋から三重県の、まだ行っていない数箇所をまわりながら奈良県に入り、帰りも三重県を通って名古屋に戻った。

名古屋と大阪のベッドタウンがある三重県

 名古屋で新幹線から関西本線に乗換え弥富で下車、木曽岬自主運行バスという白ナンバーのコミュニティバスで木曽川の河口近くの木曽岬町役場にまず行った。木曽川の左岸なのにこの町はなぜか三重県である。すぐ近くの木曽川堤防に登ってみたら、周辺の土地が川面よりもかなり低いことがわかった。役場前に立っていた標識でここが海抜マイナス1.37メートルであることがわかった。

 弥富から再び関西本線に乗り、木曽三川を渡り、桑名の次駅朝日で下車、朝日町役場に行き、隣町の川越町役場までは歩いて行った。市街地はつながっており、名古屋への通勤圏内のように思えた。

 近鉄に乗り四日市を過ぎると間もなく鈴鹿山脈の方向にひときわ目立つ高層ビルが見えてくる。鈴鹿市役所だ。近鉄伊勢若松駅で近鉄鈴鹿線に乗換え2つ目、鈴鹿市で下車、すぐ近くの市役所に行ったが建物が大きすぎて写真に収まらない。庁舎の豪華さは、ホンダのお陰による財政の豊かさを感じさせる。

鉄道ファンには楽しい近鉄の急行乗継ぎで、三重県最東端の名張に行った。ここはもう大阪の通勤圏で、近鉄名張駅のひとつ名古屋よりの桔梗が丘駅は住宅開発のために造った新駅で、駅周辺は戸建住宅が広がるニュータウンだった。しかし大阪の都心までは1時間少々かかり、東京の小田急で言えば秦野あたりになるので、毎日の通勤は大変だろう。

このように三重県は、両端が名古屋と大阪の通勤圏になっているという珍しい県であり、県政にもそれなりの苦労があるのだろう。

奈良県に入る

 名張の市役所訪問後まだ日没までには時間があったので、名張駅前からバスで行ける奈良県の三重県境の2村に行った。まず御杖(みつえ)村だが、ここへは伊勢奥津方面に掛西口というところまで行き、そこで御杖村のコミュニティバスに乗換え村役場前まで行った。そこから低い峠越えの道を65分歩き曽爾(そに)村に行き、近鉄の榛原駅までバスに乗った。そして駅から歩いて20分くらいの高台にある温泉施設に泊まった。

 

 奈良県というと奈良盆地に代表されるようになんとなく平坦な地の広がるイメージが先行するが、その四分の三くらいは急峻な山岳地帯である。今回は行ったのはそのようなところばかりだったが、水系で見ると面白い。県民の大半が住み、古都を代表する観光地、そして大阪へのベットタウンでもある県北西部の奈良盆地は大阪市と堺市の境を流れ大阪湾に注ぐ大和川の水系である。一方県北東部の大和高原と呼ばれている旧山辺郡、宇陀郡は淀川の上流木津川の水系である。そして県南部はまず和歌山で大阪湾に注ぐ紀ノ川が、奈良県に入ってからは吉野川と名前が変わり、この流域になる。さらにその南、険しい山脈を越えると今度は和歌山県の新宮で太平洋にそそぐ熊野川の水系となる。この吉野川以南が吉野郡であり、平成の合併以前は3町10村があったが、奈良県はあまり合併が進まず、今でも3町8村だ。

 熊野川水系に入ると、1500メートル前後の尾根が幾筋も続く険しい地形になる。そこに降った雨は、わずかな隙間を求め、まるで迷路の出口を探すかのように右に左に曲りながら海に向かう。熊野川水系の十津川と北山川が、県内では並行するように北から南に流れている。途中には盆地とか平野と呼ばれるような広地はほとんどなく、谷間のわずかな隙間に小さな集落がある。長野県でも岐阜県でも、かなり山奥に行っても所々に盆地と言えるような広地があり、田畑があった。ところが奈良県南部ではまとまった田畑を目にすることはなかった。県全体の面積の半分以上はこんな地形である。奈良県こそが、日本一の山岳県と言ってもいいのではないだろうか。  平成の合併前、奈良県の熊野川水系には7つの自治体があったがそのすべてが村だった。平成の合併後も大塔村が五條市の一部になっただけで、他の6村はそのまま残っている。この中で十津川沿いには、もう20年近く前になる1992年に行っている。高速道路を走らない路線バスでは日本一の距離を走る奈良交通の八木新宮線(十津川・本宮いでゆライン)に五條から乗り、西吉野村、大塔村(どちらも現五條市)、十津川村に寄りながら新宮に行った。市町村役所・役場めぐりの十津川村が90番目だったから、このゲームを始めた早々のことである。今回は残りの村に行ったのだが、少ないバスをどう乗り継ぐかという計画作りにかなりの時間を要した。

東吉野村と天誅組

 翌朝、榛原駅前から東吉野村に向かうバスに乗った。東吉野村も吉野郡であり、吉野川の水系であるが近鉄吉野線沿線の吉野町からよりも、榛原からの方がバスの便は良い。吉野町からは、乗継で行けないことはないが1日に1本をしかない。一方榛原からは10本くらいある。なお榛原は2006年1月に隣接する大宇陀町、菟田野町、室生村と合併し人口36千人の宇陀市になっている。旧3町1村にはいずれも近鉄駅近くか、または榛原からバスに乗ってもそれほどの距離ではないので、行き易いところばかり行っていた現役時代、関西への出張の帰りに行っている。1998年のことで742~745番目であった。なお今回、宇陀郡にありながら合併しなかった御杖村と曾爾村に前日行った。三重県の名張から三重交通バス、途中御杖村のコミュニティバスに乗り、奈良交通バスで榛原に来たのである。

 東吉野村へは間違って支所の方な行ってしまうというミスをし、鷲塚というところまで戻りバスを乗換えた。本庁舎の方はかなり吉野町に近い方にあり、村の規模の割には豪華な庁舎だった。小さな商店街の所どころに天誅組遺跡と書かれた看板が掲げてあり、また天誅組終焉の地という碑もあった。

 天誅組とは、幕末に土佐藩を脱藩した浪士を中心に尊皇攘夷を掲げ幕府と激しく対立、一時は十津川郷に入り勢力を伸ばしたが、幕府が諸藩に命じた天誅組討伐によりしだいに追い詰められた。最後は十津川郷から伊勢方面へ脱出を図ったが、東吉野村の鷲家口というところで幕府軍に捕捉され壊滅した。朝廷の支持が得られると思っていたのがその通りにならず、時代の波に翻弄されたとも言える。最近では五條市を中心に天誅組ゆかりの自治体が協力して、足跡を辿る調査をしたり、碑を建てたりしているそうだ。テレビの大河ドラマにも今後も何度か登場するだろう。地図を見間違え、バスを乗り換えたりしたことから、思いがけずに知った天誅組だった。榛原に戻り、近鉄大阪線、橿原線、吉野線を乗り継いで吉野川流域の下市に向かった。

国道309号 天川村と黒滝村

 近鉄吉野線は終点吉野のふたつ手前、大和上市までは吉野川右岸の崖上を走る。桜には数日早いようだが、車窓からの川や対岸の風景はなかなか見事だ。下市口で下車、駅は大淀町に属するが、対岸が下市町である。大淀町には1994年に来ているが、これも関西出張の帰りだったと思う。

 駅を出て、坂を下り、吉野川の長さ100メートルくらいの千石橋を渡ると下市町の市街地が続く。町役場はさらに2キロくらい先で、下市口駅からのバスもあるが、時間もたっぷりあったので歩いた。下市町は古くから吉野山地と大和平野を結ぶ交通の要衝として、商業で賑わうなど吉野郡内で政治、経済、文化面で重要な役割を果たしてきたそうだ。商店街も1キロくらい続いていただろうか、寿司屋や川魚料理店なども何軒かあり、昼食に困ることはない。しかし町役場はその先の、まさに市街地が尽きた辺りにあり、ここまで来ると商店も食堂の類はなかった。

 ちょうど昼時であり、このさき天川村に行くバスまでさらに1時間以上ある。再度市街地まで戻る気もせず、さらに2キロくらい先の下市温泉に行けば何か食べられるかも知れないとまた歩いた。途中に農産物の直売店のような店があり、カップヌードルの博多ラーメンに湯を注ぎ食べさせてくれた。そして天川村に向かうバスに乗った。下市町の南隣りは黒滝村、さらにその南に天川村があるが、バス便の都合から天川に先に行き、黒滝に戻ることにしていた。

 大阪市と熊野市を結ぶ国道309号線は、天川村から先大型車は通行不能だし、冬季には通行止めになるので実際は天川村で行き止まりのようなものだ。大峰山脈の向こう側にある下北山村で、明日この309号線の続きを走ることになる。でも天川までの道路は良く整備されていた。黒滝村が十津川支流の丹生川の、天川村が同じく十津川支流天ノ川の谷にあるので、天川まではふたつの峠を越えなければならない。特に黒滝村から天川村へは1693メートルの新笠木トンネルと2751メートルの新川合トンネルの連続するふたつのトンネルで快適に走ることができた。そのほかにも旧道に対し随所にトンネルを含むバイパスが整備されているので一般の車は走り易い。

 しかし路線バスは、新笠木と新川合のふたつのトンネル以外はほとんど旧道を走る。旧道といってもそれほど民家などがあるわけでもなく、全く乗降客はなかった。なかには鈴木宅前とか田中宅前などという個人の名前のついたバス停もあったが、鈴木さんも田中さんも今は住んでいるのだろうかと思うくらい、全く人影がない。ここに限らず全国的に路線バスは旧態依然のまま旧道を走ることが多いが、そろそろ見直しが必要だろう。それにより運行効率をあげ、回転数の増加やわずかではあるがコスト削減が図れるはずである。

 

 狭い谷間のわずかな隙間に集落が密集している川合というところに天川村役場があり、そこに1時間少々居て黒滝に戻った。黒滝村役場は国道309号線から5~6キロ枝道に入った奥にあり、国道上の黒滝案内センターという道の駅から村営の「黒滝ふれあいバス」というコミュニティバスが走っている。しかしこのバスは1日に4往復しかなく、また国道上を走る奈良交通のバスも夏季以外は日に6往復しかないので、ここも行程上のネックであり、両方の村へ効率よく行く組み合わせを考えるのがなかなかむずかしかった。

 予定では、雨の降ったときのことも考え、黒滝案内センターでふれあいバスの出る18時2分まで2時間少々じっと待ち、役場に行き、民宿に車で迎えに来てもらうことにしていた。しかし運良く雨にも合わなかったので30分弱歩いて役場までのほぼ中間にある民宿へ先に行った。荷物を預け、更に役場まで歩くつもりでいたら民宿の自転車が借りられ、これで役場へ往復、17時過ぎには民宿に戻った。風呂、食事、就寝とすべて早目の1日となった。黒滝村も谷間の集落で、田畑は家庭菜園程度の小さなものは別にしてほとんど目にしなかった。高級そうな檜の柱を何本も寝かせている製材所があった。やはり林業の村なのだろうか。

 

  翌朝民宿が土産に当地名物の割箸を持って行けという。持ち切れないほどの量だったので四分の一くらいをもらうことにした。それでも50本くらいはあった。割箸なんかもらっても、と思っていたが家に帰ってから見るとなかなか上等なもので、もっと丁寧に礼を言っておくべきだった。民宿で、もっと持って行け、いや少なくて結構などと言い合っているうちに黒滝案内センターまで乗ろうと思っていたバスが行ってしまった。すぐに民宿の爺さんが軽で送ってくれたので行程には支障がなかったが、黒滝村のコミュニティバスにはとうとう乗ることができなかった。10人乗りトヨタのハイエース・コミュニティだったが車体には大紀観光と書かれており、緑ナンバーだった。

ダムは失敗しても 大滝ダム

 下市口に戻り吉野方面に3駅目、大和上市まで乗った。近鉄吉野線はここから対岸に渡り吉野神宮、そして終点吉野となる。対岸の桜が満開になっていた。10分ほど川沿いに歩いて吉野町役場に行き、バスで川上村役場に向かった。間もなく大滝ダムの巨大な堰堤が現れた。ダム湖は底に僅かな水があるだけで延々上流に向かって続いていた。高台上の新しい快適な道路を走り川上村役場前で下車、そこはいずれも意匠を凝らした木造、あるいは木造風建築の役場や銀行、商工会が整然と並ぶニュータウンだった。さらにそれらの建物群の最も上流寄りには道の駅があり、公営ホテルの湯盛温泉「ホテル杉の湯」があった。ダム建設のための地域振興事業によるものだろう。吉野町方面からの1日10本ある路線バスはすべてここが終点で、ここを始発とする北山村方面に行くバスが2本ある。午前の1本に乗るまでの間、ダム建設のために移転して作られたニュータウンを見てまわった。

 大滝ダムは紀の川水系の洪水対策、利水、水力発電を目的とした多目的ダムで、2012年竣工予定だったが新政権になってから建設中止になった。見たところ堰堤は完成し、いつでも満水にできるようだが1962年に着工し50年もかけ、完成間際で中止の決定がなされたという。計画段階から大変な反対運動があり、96年には地権者との交渉も概ね妥結し本体工事に取かかったが、ここにいたるまでに34年要している。東の八ツ場、西の大滝と言われる所以だろう。

 中止になった理由は、このすぐ上流に大迫ダムという大型ダムがあり、この大滝ダムの機能が本当に活かせるのか、効果があるのかということもあったが、実はもっと重大な問題があることが調べているうちにわかったそうだ。2003年に本体が完成し試験的に貯水をはじめたところ、水がたまると周辺の地下水の水位が変化し、白屋地区というところで大規模な地滑りが起き数戸の宅地に亀裂が生じた。調べて行くうちにかなり大規模なものになることが予想され、このための恒久的な対策が決められず、だから湖底に僅かに水を残すだけで今に至っている。これ以上金をかけられないから中止としたという、こちらの方が真の理由だろう。場所の選定も含めた技術的な失敗、と言ってもいいのかも知れない。当初の建設事業費は230億円だったが、現在までに3640億円使われているそうだ。実は地滑りが発生する危険性についてはかなり以前から一部で指摘されていたが、ダムを造ろうという大きな流れの中ではそのような意見は無視されていたらしい。以上はインターネットでの新聞記事検索やウィキペデァからの情報である。

 

 また以下は、湯盛温泉から川上村へ向かうバスの運転手から聞いた話である。他に乗客はいなかったので話が弾んだ。ニュータウンに住む人たちは、豪邸を建てそこに住んだものの大半が年金生活のお年寄りで、膨大な固定資産税が払えず滞納していたり、あるいは都会に住む息子の許に移住したりして無人になった家が多いという。移転のためにもらった補償金が、たとえば4千万円だとすると、行政から2千万円くらいは家の新築に使うよう暗示的指導があり、移転先に100坪くらいの土地が無償で与えられるので50坪以上の家を建てる。だから豪邸街になる。ところが住んでから、その建物に見合う固定資産税が課せられ、その結果ゴーストタウンのようになってしまったという。

 移転先で、自分は10坪程度の小さな家でいい、と主張することはできなかったのだろうかと運転手に聞いてみたが、「さあー」と言って答えなかった。国から住民に交付された大金は、建設業者などを含めて皆で分け合おう、それが地域振興になるという暗黙の合意のようなものが、官民を含めてあったのではないだろうか。だからいったんダム建設が動き出すと、途中で地滑りのような問題が生じても地域全体が大金をあてにし、その動きは誰も止められなくなるのだろう。これはだれか一人が綿密にシナリオを書き、それに基づいて着々と進むということではなく、ある方向にものごとが動き出すと誰もがそれに乗り遅れまいとし、動きのモーメントがますます大きくなるという、典型的な例かも知れない。そういう意味では八ツ場ダムについても建設推進意見は依然強いものの、周辺工事はほとんど終わっており、地元はすでに恩恵のかなりを受けている。固定資産税の問題だけは残るが地元にとっては本体を着工してもしなくても、どちらでも良いというのが本音かも知れない。  膨大な固定資産税に悩むお年寄りには同情したい。しかし少なくとも移転した直後は新しい大きな家に住み、洒落たカーテンや豪華なカーペットに応接セット、それが1年か2年という短期間だったのかもしれず、一時の夢だったのかも知れないが、そういう経験ができただけでもラッキーと思うほかないのではなかろうか。一生の間にそのような体験のない人のほうが圧倒的に多いのだから。

最も行きにくい村、上北山村と下北山村

 運転手とそんな話をしているうちに、バスは険しい峠にさしかかりルーブ橋や2000メートル近いトンネルをくぐり熊野川水系北山川の水源近くに出るとともに、天川から続く国道309号線の続きを走ることになった。次に行く上北山村と、さらにその先の下北山村は、私の今までの役所・役場めぐりのなかでも1~2を争う公共交通では行きにくいところだと思った。いやレンタカーでも簡単ではない。大滝ダムからの国道はダムのおかげか概ね整備されていて往復2車線で走り難いということはないが、3年前に豪雨で大規模な土砂崩れが発生し、1台の乗用車が生き埋めとなり3人が死亡する事故が起きている。このときは復旧するまでの2ヶ月間、吉野方面からはかなりの遠回りが必要となり村は半ば孤立状態となり、用事のある村民はヘリコプターで行き来したという。

 川に沿って走り、上北山村役場のある河合で下車した。役場の入口ロビーには1カ月前の村の人口が掲示されており、359所帯705人となっていた。5年前の2005年3月末は809人だったのでかなり減り方が激しい。役場の隣にあるお寺では葬式をしていた。700人を切るのも時間の問題か。

 次の下北山村へ行くバスは6時間20分後だ。近くに道の駅があり昼食にしようとレストランに行ったら臨時休業だ。葬式のためだそうで、もう1軒の食堂も休業だった。葬式があると村中が休んでしまうのか。道の駅と言ってもベンチなどが置かれたフリースペースなどはなく、土産物屋のような店の中に数脚の椅子があるだけだったが店内では飲食禁止という。外は雨だ。川の対岸に、これも三セクと思われる「ホテルかみきた」という、洋室シングルが1泊2食で13600円する高級ホテルがあり、鉄火丼1200円というランチサービスにありつけた。その後はホテルの隣にある日帰り温泉「薬師湯」に行き、500円を払って入った。休憩室で本を読み、途中で温泉に浸かり、居眠りをしたり、また本を読んだりして時間をつぶした。役場めぐりもこれからは時間のつぶし方が課題だ。

 薄暗くなりかけたころ次のバスに乗り、45分ほどで下北山村役場のある寺垣内というところで下車した。すっかり暗くなり、雨脚も強くなってきたので役場の斜め向かいある旅館に駆け込んだ。このバスも最後まで乗客は私だけだった。運転手の話ではたまに旅行者が乗るくらいで、地元の人も滅多に乗らず、子供はスクールバスで学校に行くとのことだった。

 両村とも県都の奈良市とはバスと電車の乗り継ぎで日帰り往復はできるようになっているが、1日で2つの役場めぐりはどうやっても不可能だった。下北山村まで来ると北山川も中流域から下流域に近づき、三重県の熊野市の方が近い。最終日は熊野市に出て名古屋経由で帰京する。役場の写真を撮って村バスという無料のコミュニティバスに乗った。そして和歌山県の飛び地の村である北山村の七色というところで降りた。これもトヨタのハイエース・コミュニティで白ナンバー、やはり乗客は私一人だけだった。結局川上村、上北山村、下北山村、北山村の間、どのバスも乗客は私だけだった。2003年に完成した長さ2キロ、往復2車線のトンネルを抜け七色まで15分ほどで着いた。このトンネルは国道169号のバイパスかと思ったらなぜか北山村の村道だった。

 北山村には2007年、和歌山県の役場めぐりのときに来ている。このとき熊野市から往復したバスの、七色はその途中にある戸数が10もないような小さな集落だ。熊野市から三重交通のバスが3往復、北山村営のものが2往復あるが、うち2本がこの村バスに接続している。七色で15分ほど待って熊野市駅前行きの北山村営バスに乗った。今度は有料で620円、私のほかに3人乗っていた。和歌山県の北山村の人口は570人、3年前は小学校の児童数が27人で内10人が6年生だったが、今は何人になったのだろう。七色ダムの天端(てんば)というダム堤体の一番上部を通り、3千本あるという桜が正に満開の熊野市神上地区を通り、小型バスがやっと1台だけ通れるだけの羊腸の小径という言葉がぴったりの峠道を越え北山川沿いから太平洋岸に出て熊野市駅前に着いた。

やはり必要な総合交通戦略

 熊野市からは特急「ワイドビュー南紀4号」に乗った。先頭の1号車は自由席で、運転席後部は全面ガラス張り、トンネル内でも遮光カーテンはなく名古屋までの3時間、鉄チャンの醍醐味を味わった。JR東海のキハ85系気動車は1両に2基のカミンズ社エンジンを搭載し、加速性能も良く、多気以北の直線区間では時速120キロ近くを出していた。初日に朝日町、川越町に行くために下車した朝日駅も猛スピードで通過した。また多気以南では国道との並行区間が多く、走る車を次々と抜いて行くのは鉄道の優位性を見せ付けているようで嬉しかった。これで振り子にすれば、さらなる速度向上ができると思う。1992年の製造でもう20年くらい走り続けていることになるが、走行性能は良いし車内もきれいに整備されていてそんな経年は感じさせない。 

 熊野市で乗車した時点では、自由席は四分の一くらいの乗車だったが尾鷲、紀伊長島、三瀬谷と停車する間に乗客が増え、いつの間にか四分の三近くになっていた。多気では参宮線に乗り換える観光客もあり、南紀から伊勢へ行くというルートもあるのだろう。また津や四日市でも下車客が多く、県都などへの用務客にも利用されているようだ。逆に多気以北からの乗車客はほとんどなく、この区間になると特急料金不要の快速「みえ」や近鉄には勝てないのだろう。

 でもこの特急の本当のライバルは高速道路ではないだろうか。紀勢自動車道が大内山まで開通し、紀伊長島に至ろうとしている。その先どこまで伸ばす予定なのか、あるいは政権交代で変わるのかはわからないが、鉄道もさらなる時間短縮が求められる。そしてそれはまだまだ可能であると思った。ひとつは四日市以北に単線区間がかなり残っていること。特にターミナル寄りの弥富・名古屋間が単線なのでこの区間で特急が途中駅で列車交換のための信号停車をする。そのなかでも蟹江以東は最近高架化されたばかりで用地もあるはずだ。部分複線でも良いから、少なくとも特急の信号停車だけはなくすようにしてほしい。また乗降客がゼロだった鈴鹿や桑名は通過しても良いだろう。

 一方多気以南の軌道強化、カーブの改修、交換可能駅での1線スルー化などを行ない、これに振り子式の車両を投入すれば、熊野市まで30分くらいの時間短縮は可能だと思う。JR東海も、リニア新幹線の千分の一くらいの金をかければ十分なのではないだろうか。

 

 いやそれよりも、いつも思うことではあるが、鉄道と道路の役割、その棲み分けや補完関係についての総合的な交通戦略が確立されていることが前提だが、鉄道インフラにも公的資金が投入されることが必要だ。鉄道と道路交通とが公平に競争し、かつ健全に補完し合えるよう、線路も道路の一部であるという認識が必要だ。消費エネルギーやCO2削減の観点から、あるいは交通量平準化の観点から、移動距離や時間帯によって飛行機、鉄道、バス、自家用車それぞれに利点や欠点がある。だから状況に応じて、あるいは与えられた条件のなかで最適なものを選択させるような、料金体系などを含めたインセンティブが必要だ。高速バスが低料金で運行できるのはインフラである高速道路が低料金で利用できるからであり、さらに高速道路の休日割引や無料化などがますますそれらを歪めている。だから鉄道会社だけが、インフラも含めすべてを自己完結的に運営管理しその費用を負担するという従来からのスキームを見直す時期に来ていると思うのである。

 

 それにしても三重県は広い県だと思った。面積ランキングでは北海道を除くと24位で1位の岩手県の三分の一に過ぎないのだが、特急が熊野川を渡ってから木曽川を渡るまでに3時間もかかるという南北の長さと、その多様性が統計数値以上に広さを感じさせる。四日市周辺は名古屋の文化・経済圏であり、名張は大阪のベッドタウンといえる。津から伊勢・鳥羽・賢島あたりが最も三重県、あるいは伊勢らしいところだと思うが、紀伊長島より南になると南紀というトロピカルな、別世界のような感じになる。東海道新幹線ができる前、熱海から豊橋まで特急「こだま」でも3時間はしなかった。ひとつの県内を特急が3時間も走るというのは、他には新潟県くらいではないだろうか。 

 

 今回は初日こそ三重県内の鉄道駅近くばかりを中心に7ヶ所行けたが、その後は3日で8カ所だった。それでも懸案となっていた奈良県南部がカバーできたことは大きいと思っている。しかし懸案地域はまだまだ残っている。いかに最適解を見つけるかのシミュレーションもますます難しくなるが、それを大いに楽しみたい。それとともにますます長くなる待ち時間をどう有効に過ごすか、これも考えながら計画を練らなければならないと思っている。

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
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(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
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(その40)岩手県大船渡線と北上線|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 未公開