著者プロフィール                

       
悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その16)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会
多摩慶応倶楽部


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)

悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その16)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日

 かつて仕事で何度か来た大分だが、大分空港に降りたのは25年ぶりだった。別府駅前行きのバスは当時はなかった自動車専用道路に入り、日出の手前で一般道に出て亀川では市街地の旧道を走った。別府駅前で降り大きな公園の先にある別府市役所まで歩いて往復した。

 大分県も市町村合併では先進県である。58あった市町村が今回の合併で18となる。日田から中津にかけては97年に行っているので、今回は主として大分市以南をまわることにしたが、ほとんどは合併の後追いだった。マイレッジの無料航空券では帰路の大分発の便が取れず福岡から帰ることとし、そのために最終日は日田に泊まる予定にしていたが、思わぬ雪になり博多泊となった。

なじみの国道197号線

 別府駅の吹きさらしの高架ホームから日豊本線の各停電車に乗り、大分をパスし幸崎で下車、大分バスで佐賀関に向った。走るのは国道197号、この道は九四フェリーで豊予海峡をはさみ高知と大分を結んでいるものだが、私が市町村役場めぐりで出会うのは3度目である。最初は2003年12月愛媛県西部へ行った時で、八幡浜から佐田岬半島の三崎町までと、大洲から山奥の日吉村までバスを乗り継ぎながら通った。なかでも城川町役場と日吉村役場間の9.1キロは肱川と四万十川両水系の分水嶺を越えながら83分間という猛スピードで歩いた。

 2度目は今年05年1月高知県の山奥、檮原へ行ったときで、須崎から時に羊腸という表現がぴったりの旧道を走ったりした。帰りの檮原から東津野までは雪となりバスはタイヤにチェーンを巻いて走った。四国へ来てチェーンに出会うとは、とびっくりしたものである。今回は幸崎・佐賀関間のわずか4.5キロほどだが、そんな国道だから友人に会ったような親しみを感じた。

 10分ほど走ると正面の小高い丘の上に巨大煙突を持つ日鉱金属佐賀関製錬所が見え、左手の港からは出航直後のフェリーが見えた。佐賀関は銅製錬業のほか、関アジ・関サバで知られている漁業の町であったが、今年1月に大分市と合併した。切り込まれた湾によって半島が狭くなった部分に集落が集中し、ここに大分市佐賀関支所となったかつての町役場や大分銀行があったが、風の通り道のようで冷たい風が強く吹き寒い。バス・ターミナルは名産品売場などが入っている立派なものだった。三崎で見た佐田岬との間の架橋を推進しようという大きな看板は、こちら側では目につかなかった。

 第二次大戦中に着工された幸崎・佐賀関間の専用鉄道はその後旅客輸送も行ったそうだが1963年には廃止になったという。国道に沿った廃線跡はサイクリング専用道路になっていた。

豊後水道に沿って

 JR九州は都市圏の輸送にも積極的で、1カ月前の熊本もそうだつたが、大分でも各方面に各停列車をかなり頻繁に走らせている。しかし大分市から離れるにつれ本数が減る。日豊本線下りも1時間に2本程度あった各停電車も幸崎でほぼ半数になり、更に臼杵でそのまた半数となるので佐伯まで行くとなると2時間に1本程度となってしまう。更に佐伯から先は1日に3本しかないのだからJR九州もなかなかやることが大胆だ。

 臼杵では50分ほどの間に城跡にも行ってみた。1年くらい前に読んだウィリアム・アダムスについての小説(白石一郎著 航海者)で慶長5年(1600年)春、オランダ船「リーフデ号」がはるかマゼラン海峡から漂着したのがここ臼杵市であることを思い出した。旗本となり徳川家康の外交をサポートした日本名三浦按針の物語である。キリシタン大名であった大友宗麟は、当時は四方を海に囲まれた丹生島という島に城を築いのだが、今は海が後退し平坦な市街地の中の小高い丘になっている。かつての臼杵は、明やポルトガルの商人が行き交う国際的な商業都市として栄えていたそうだ。今の市役所はこの城跡の更に先の方にあるので、その頃は海の中だったことになる。

 臼杵からはJRバスが野津町を通って三重町まで結構頻繁に、1~2時間に1本の割で走っている。野津と臼杵は今年1月に合併している。有名な国宝臼杵磨崖仏はこのバスの途中にあるそうだが、誰が何のために彫ったのかいまだにわからないらしい。

 前述の通り、この先は各停電車は少ないので津久見までの1駅間は特急に乗らざるを得なかった。津久見は島式ホームに橋上駅舎と大都市近郊の駅風で、駅前にも商店街が集中していた。しかし人口は2万2千人台と少なく、どことも合併せずに単独の市として今後も生きて行くには厳しいものがあるだろう。佐伯市となった上浦町に寄り佐伯に着いたときはもうすっかり暗くなっていた。

 佐伯出身の地理会Sさんに紹介されたホテル金水苑は駅のすぐそばにあった。市内で最もグレードの高いホテルだそうで、役場めぐりにはもったいないと思ったが料金は7000円と手ごろだし、ホテル内のレストランの晩酌セットも1800円で、酒またはビールに3品がついて味も良く、ごはんと味噌汁が追加で300円、適量で満足できるものだった。

新しい佐伯市

 今年3月に1市5町3村が合併した新しい佐伯市は人口こそ8万4千人とそれほどではないが,面積が903平方キロメートルと現時点では九州で一番広い市となった。昨日はその中の上浦町だけに行ったが、今日は1日で残り全部に行く計画を立てた。

 まず旧直川村へ。日豊本線下り、1日3本しかない各停のうちの1本である1番電車が6時21分に出るが、これではあまりにも早過ぎまだ夜が明けないのでもう少し後のバスで向かった。 やっと明るくなった旧直川村役場の写真を撮った後、直川振興局入口というバス停からさらに山奥の宇目振興局前まで、次のバスに乗った。佐伯市では合併後の旧町村役場は振興局という呼び名になっている。宇目振興局の庁舎は未来型のカプセルのような形をしていた。予定の1本前のバスが遅れてきたのでそれに乗ることができた。宇目にはわずか4分いただけだったが、おかげで佐伯市内では余裕を持って行動することができた。

 というのは最初の予定では市役所近くのバス停で降り、市役所に寄ってから次に乗るバスまでの時間が数分しかなかったからだ。駅から2キロくらい離れた大手前というのが佐伯市内の中心市街地のようで、バス・ターミナルがありすべての路線がここに集まっている。400メートル位続くアーケード街では朝の9時台だが1割くらいの店しか開いていない。アーケードが果てた更に2~300メートル先に市役所があった。甲子園の高校野球で名前を聞いたことのある佐伯鶴城高校の横を通り、武家屋敷があったと言われる辺りと、城の登り口にある佐伯文化会館の前を歩き、バス・ターミナルに戻った。急ぎ足での市内見物だったが、宇目で1台前のバスに乗ったからできたことであり、そうでなければ駆け足で市役所だけの往復だったはずだ。

 佐伯は番匠川河口の沖積平野の上に広がる町だが、海抜140メートルの鶴屋城の麓にそって続く通りが「歴史と文学の道」と呼ばれ国土交通省の「日本の道百選」にも選ばれている。また明治の代表的な文学者のひとり国木田独歩が、数学の教師として9カ月ここに弟と共に赴任し、当時の下宿先が国木田独歩館として残っている。いつもながらもう少し時間があれば、と後悔しつつ次のバスで蒲江に向った。

 蒲江に行くには海岸伝いに行く方法と山中を直進する方法とがあるが、行きは後者の道をとった。木立のなかを進みトンネルを抜けると間もなく前面に真っ青な海が見え蒲江に到着、静かな入江にある町で振興局となった町役場の前からは屋形島、深島へ行く連絡船が出ていた。帰りは海岸沿いの道を辿るが、バスは複雑に入り組んだリアス式海岸の小さな半島の先にある集落にもこまめに寄っては戻るということを繰り返すので時間がかかる。そのような集落は狭い曲がりくねった峠道を行かねばならず、かつては船でしか行けなかったのだろう。そんなところにも小学校や中学校まであるのだから、漁業なのか農業なのか、それだけの人口を養える自然の恵みがあったのだろう。そして峠を避けるための長いトンネルも掘削中で、人が住んでいるところならばどこでも工事が続くという現実をここでも目の当たりにした。

 もうひとつの入江の村、米水津へは佐伯市街にかなり近づいた土井というところでバスに乗り換えるだが、待ち時間が1時間以上あり、天気も良かったので歩くことにした。とは言えここも小さな峠をこえるための登り坂はきつく、更に600メートルほどのトンネルも通らなければならなかった。古いトンネルは舗車道の区別もなく、車も結構多くスリルを感じながら歩いた。車が近づくとほとんどが徐行してくれるので危険はなかったが、運転手からみると随分迷惑な歩行者だったに違いない。花粉症対応のマスクが役に立った。

 蒲江と同じような静な入江の米水津には食堂の類がなく、一軒だけあった雑貨店のような店にあったアンパンで昼食とし、佐伯行きのバスに乗った。番匠川河口の茶屋ケ鼻というところで乗換え、更にもうひとつの入江にある鶴見町へ行った。複雑な形状の海岸線に沿ってバスが進むが、ここでも直線状の新しいトンネルの工事が進行中だった。海上には自衛隊の艦船が数隻停泊している。佐伯には呉警備区佐伯基地分遣隊というのがあり、戦前には海軍航空隊があったそうだ。

 大手前のバス・ターミナルに戻り、10分後のバスで番匠川を遡り内陸の本匠村へ向かった。この地域は大分バスの地盤だが、各方面への本数は以外に多く、乗客も自分ひとりということは今回については一度もない。また観光バス・スタイルのものが多く、特に海岸の素晴らしい景色を見ながらの乗車はなかなか快適だった。九州の東海岸の主要道である国道10号線は、かつての日向街道に沿って、大分からは臼杵、津久見などの海岸沿いの市を通らず、佐伯の郊外の弥生町まで内陸部をショートカットしている。本匠村へはこの10号線を弥生町まで行き、更に県道を進む。本匠村からはバスが1時間以上なかったので、国道と県道との分岐点にある弥生振興局までの約5.5キロを歩いて戻った。周辺には道の駅をはじめ多くの郊外店や外食店が立ち並び、少なくとも佐伯市の中心市街地より活気が感じられた。  明日はこの国道10号線を大分方面に辿ることにしているので、この近くに1軒だけある旅館に予約を入れておいた。しかし直前になって、工事関係者の滞在が長引いたのでキャンセルしてくれという連絡があったので、佐伯に戻り昨日と同じ金水苑に泊まった。これで昨日の上浦町を含め新しい佐伯市の全市町村を回ることができた。

野津町から豊後大野市へ

 佐伯と大分を結ぶ急行バスがほぼ1時間に1本、国道10号線を走っている。JRの特急よりも料金が安く、それなりの人気があるようだ。第1便は佐伯駅前発車が早朝5時54分だが、次の6時44分発のものに乗車した。乗客は最初は私1人だったが、大手前で数人の高校生が乗車、以後途中で次々と高校生が乗って来て野津に着いたときはほぼ定員一杯の乗車になっていた。バスは弥生までは昨日と同じ道を走り、更に国道を進みトンネルで峠を抜け大野川支流、野津川の流域に入った。野津高校前で大勢の高校生と共に下車、役場前にはJRバスの駅があり立派な待合室とともに職員も常駐していた。合併先も臼杵だったのは交流が多いのか、通勤通学時間の臼杵行きバスには結構多くの乗客の姿があった。  
 今年の3月31日にこの野津町を除く大野郡の5町2村が合併し豊後大野市という新しい市が誕生した。大分県の南西部、大野川の中・上流域に位置し人口43千人で三重町役場が市役所となった。大分と熊本とを結ぶJR豊肥本線と国道57号線はほぼ同じところを走っているのだが、途中犬飼町と朝地町との間は蛇が蛙を飲み込んで大きくふくらんだように離れる。この間国道側には千歳村、大野町が、JR側に三重町、清川村、緒方町がある。国道上は大分・熊本間の特急バスがほぼ1時間に1本走る他ローカル便もあり、JRもこの区間は1時間に1本程度はあるので比較的容易に回ることができる。国道上の2町村を先に、特急とローカル・バスを乗り継ぎ行った後、朝地から一旦緒方に行き豊後竹田に向った。清川村と三重町には明日行くことにした。

竹田市

 豊後竹田に着いた頃から空は曇り寒さが増して来た。駅に列車が到着するとホームに「荒城の月」の歌が流れる。しかしいつも聞くのとはちょっと違う。「春高楼の花の宴」の「宴」の音程が違うようだ。後で調べたらこれが滝廉太郎の作った原曲で、その後大正になって山田耕作がこの曲にピアノ伴奏をつけたときに「え」の音を半音下げたそうで、これが現在歌われているものだという。

 1879年東京生まれの滝廉太郎は、地方官だった父親に伴われこの竹田にも住んだ。その後メンデルスゾーンが創設したドイツのライプチヒ王立音楽院に留学したが肺結核を起こし帰国、23歳の若さで亡くなっている。その短い生涯にあれだけの数々の名曲を作曲しているのだから、もっと長命であれば同年代のストラビンスキーなどと並んだ世界的な大作曲家になっていたかも知れない。なお歌詞を作った土井晩翠がこれを構想したのは仙台の青葉城址だとか会津若松の鶴ヶ城址だとか諸説があり,ここ竹田市の岡城址のほかそれぞれに歌碑が設置されているそうだ。

 この竹田市も今年の4月に隣接する荻町、久住町、直入町と合併した。それでも人口が28千人、合併前の竹田市単独では17千人と市にしては随分少ない。炭鉱閉山などの特別の理由もないのにこれだけ人口規模の少ない市があったというのも不思議だ。列車で行ける荻町は明朝にすることにし、まず駅前からバスで久住町に向った。大分共通バスカードが使える装置がこの路線のバスにはついておらず現金で支払った。国道57号を走る大分・熊本間の特急バスでも産交バスとの相互乗り入れを行っているせいか使用できず、かなり使い残してしまうのではと少々心配になってきた。5000円で5850円分使えるということで買ったのだが。

 発車時は小雪がちらつく程度だったが、進むにつれ激しい降りとなり、旧町役場である久住支所前に着いた時には数センチの積雪になっており、バス停から庁舎まで100メートルもなかったのにコートは雪で真っ白になった。この近くの久住高原は冬季には50センチ前後の積雪に見舞われ、気温も-5℃を下回ることがしばしばある九州でも屈指の寒冷地帯だそうだ。2002年に建ったばかりの豪華な庁舎のロビーはホテルのそれのようで、快適なソファーで備え付けの新聞を読みながら1時間後の次のバスを待った。それにしても地方の役場とはこんなに閑散としたものなのか、住民票などをもらう窓口にはその間ひとりの住民が来ることもなく、高い天井に広い待合のスペース、カウンター内の空席だらけの机などが余計に広漠としたものを感じさせた。

 次の直入町の中心部には長湯温泉があり数軒の温泉旅館のほか国民宿舎もあった。事前の調査をしっかりしていれば、ここに泊ったかも知れない。役場だった支庁舎は温泉街を通り抜けた先の町外れの丘の上にあり、バス停は正面玄関の軒下だったので雪に濡れずに済んだ。この庁舎は昨年8月に竣工と更に新しく、建設の途中で合併が決まりそれに対応したのかかなり小振りな、最初から議会場などは作らず無駄なスペースを省いた建物のように思えた。ここで広くはないが快適なロビーでゆったりとさせてもらった。  なお、久住支所と直入支所は、豊後竹田駅を頂点とする二等辺三角形の各頂点のような位置関係にある。このようなところでは、中心となる竹田からそれぞれ放射状にバス路線があるのが普通で、両方に行くにはいったん竹田に戻る、というケースが多いのだがここのバスは2つの庁舎を、逆回りも含め順に回る路線になっていた。利用者にとっては、時間帯によって大回りになることがあり、必ずしもいつも便利というわけではないが、バス会社にとっては車両や運転手のローテーション上は有利だろうし、私のような役場まわりにとっては助かる。

 竹田に戻ると雪は小降りだったが薄暗くなってきた。竹田の市街地は小高い丘に囲まれた小さな盆地にあるが、市役所は東側の丘の、市街地とは反対側の斜面にあった。そこへは駅を出てから120メートルほどのトンネルを抜けて行った。竹田の市街に入るにはどこから行くには必ずトンネルをくぐると言われているそうで、天然の要害だったとも言えるのだろう。さてその市役所だが日本の伝統的な城を模したもので、もちろん初めて見るものだ。天守閣まで備えており、ひょっとしてこの天守閣が市長室なのではないかと心配になったが、さすがにそこまではしていなかった。そこは会議室があるだけだったが、せっかくなら市民に開放して展望室にでもしたらいいのにと思った。尤も前述のように丘陵地の反対側にあるのでここに登っても市街地を見渡すことができない。せっかく天守閣まで作るのなら堂々と尾根上に建て、市街地のどこからも見えいかにも市民に君臨しているのだ、というようなものにすれば良かったのにと思うのだが、誰かが遠慮したのだろうか。炭鉱閉山による人口減の激しかった市を除けば実質的に日本一人口の少ない竹田市が、それにしても日本一のすごい市役所を建てたものである。

 インターネットで探し電話で予約をしておいた市街地中心部にある民宿に行くと、そこは居酒屋で宿は5キロくらい郊外の国道に沿ったところにあるという。こちらも確かめずに予約したこともあるが、先方もそのことを事前にしっかり伝えていなかったこともあり、車で迎えに来てくれることになった。その車を待つ間、もうすっかり暗くかつ雪の中、近くを散策した。滝廉太郎の住居跡という案内に沿って歩き、ここがそうだという表示があったが暗くてどの家がそれなのか解らなかった。また近くの滝廉太郎トンネルは、わずか2~30メートルのものだったがくぐり抜けると「鳩ぽっぽ」のメロディが流れてきた。そのトンネルもそうだが、竹田の小さな盆地の中にはさらに小さな丘がいくつかあり地形的には大変面白いところだ。車で連れて行かれた民宿は国道沿いのドライブ・インのような大きな駐車場を持つものだったが、中は飯場のようで工事関係者が何組か泊まっていた。

雪で予定変更 竹田から博多に

 雪は夜半から激しさを増し、翌朝は車の屋根に10センチくらい積もり、車はチェーンを付けたりスノータイヤで走っていた。民宿の前にはバス停もなく、豊後竹田駅まで宿の車で送ってもらうことになった。他に同乗する泊まり客はなく、皆工事関係者らしく車で出かけて行った。雪道は寒さで所々凍っており、車はゆっくりと走ったので駅までは30分近く要したが有難かった。当初予定は市街地に泊まり、7時前の列車で一旦荻町に行ってから大分方面に向い、豊後大野市の残りの清川村、三重町に行くことにしていた。こんな状態なので荻町への往復は断念し、さらに清川村へも豊後清川駅から1キロくらい歩かなければならず、途中滑り易く危険と思いこれも取りやめた。この後豊後大野市役所となった三重町庁舎は駅から近く商店街もあったので注意しながら歩き往復することができたが、荻町と清川村が今回の取りこぼしとなってしまい、またいつの日かリカバリーに行かねばならなくなった。岡城跡にも行き損なったし、竹田市のことももっと調べたいので今度は余裕をもったスケジュールで来ることにしよう。

 4日目のスケジュールは全面的見直しとなった。まず宿泊予定の日田だが、列車の遅れで本日中に着けるかどうかわからないし、翌朝福岡空港までのバスも高速道路の閉鎖がいつまで続くかわからない。そこで日田泊まりは昨晩中に取り止めを決断し宿泊先にキャンセルの電話を入れておいた。海岸沿いであれば雪の影響も少ないだろうし、日豊本線で小倉へ出て、博多まで行けば明日朝の便に確実に乗れるし、着いてからでも宿を見つけられる。そして途中の市町村にいくつか寄れば、当初目標とした件数くらいは何とか達成できるのではないかと思ったのである。

 三重町からは雪は止み青空が見えて来たが、列車に遅れが出始めた。特に対向列車の遅れによる影響が出始め、雪の深い山間部よりも平野部の方でダイヤが乱れているのが不思議な気がした。三重町からは1時間に1~2本、さらに中判田からは2~3本とこの線も大分に近づくと高頻度運転になるが、各駅から多数乗り込んできて1両のキハは超満員となった。並行する国道10号が大渋滞なのでいつもよりも乗客が多いのか、ダイヤの乱れで列車間隔が開いたことによるのかも知れない。

 いい光景に出会った。中判田の駅で出発間際に屋根のない跨線橋を荷物を抱えたお婆さんが降りて来た。足元も不確かでなかなか列車までたどり着けない。それを見た運転手は飛び出して行き、お婆さんの荷物を持ち、手を握りながら乗車させた。すでに発車時間を大幅に過ぎており、本来ならば服務規程違反なのかも知れないが、思わず拍手をしたくなった。口髭を生やした日露戦争時代の陸軍中佐のような雰囲気のこわい顔をした運転手だったが、ますますJR九州が好きになった。大分大学前や郊外住宅地の駅からさらにたくさんの乗客を詰め込み大分駅に到着すると、日豊本線のダイヤが大幅に乱れていることがわかった。特に上下の特急の遅れが目立ったが、その列車の走行区間に雪が降ったというよりも、新幹線の遅れによる接続列車への影響と、更に単線区間での対向列車への影響が及んだのかも知れない。

 大分には20年以上前、福岡転勤中に仕事で何度か来たことがあるが、こんなに寒い体験をした記憶はない。気温が低いだけでなく風が強く寒いというよりも冷たいとか痛いという感じだ。日豊本線の大分駅の前後では高架化工事が進んでおりすでにコンクリート柱も並んでいたが、駅部分は殆ど手がつけられていないのは、1ヶ月前に行った熊本と同じだ。そして熊本同様ここでも本線の上下だけでなく豊肥本線、久大線にも1時間に2~3本の各停列車を走らせており、近郊区間の鉄道利用を促進させようとしている。そして福岡に近すぎる熊本よりも、大分の方がより近郊からの集客力があるような気がする。宇都宮と水戸との違いにも当てはまるのではないかとフト思ったのである。

 さてここから博多までの間にひとつでも多くへ行きたく、なるべく本線上の駅近の市町村役場へ寄って行こうと思ったのだが、各停列車だけでそれを行うことが非常に難しいことがわかった。1時間に2本程度の電車も大半が日出、杵築、中山香までのもので、その先宇佐までは2~3時間に1本になってしまう。国東半島の付根部分の峠を境に、その先は福岡の経済・文化圏になるのだろう。

 
 寒い中をあまり歩きたくなかったので、まず暘谷という小さな駅で降り近くの日出町役場へ行った。ここも県内ではめずらしくどことも合併しない。日出町はもともと城下町だったがIC工場を誘致したほか、大分・別府郊外の住宅地として発展した県内では数少ない人口増の町なので、今後も単独で生きて行く自信があるのだろう。なお大分県では58あった市町村が今回の合併で18となる。その中でどことも合併しないのは5市町村のみ、別府市、津久見市、日出町、玖珠町、九重町、それに離島の姫島村である。  国道沿いの外食チェーン店で2時間近く粘り次の電車で宇佐へ、駅前には豊後高田行のバスが待っておりすぐに発車した。1965年に廃止された宇佐参宮鉄道の豊後高田駅がバス・ターミナルとしてほぼそのままの形で残っており、ここを起点に国東半島内各地へのバスが出ている。この地区には別の機会に、国東半島市町村めぐりをしようと考えていたところなので、いずれまた改めて来ることになるだろう。とりあえず件数稼ぎに市役所の写真だけを撮り、宇佐神宮方面に直行するバスで宇佐市役所に行く。宇佐市も今回隣接する院内町、安心院町と合併し大きくなったが、いつかそこへも行かなくてはならない。バスで日豊本線柳ヶ浦に出て、JRで小倉、更に博多へ、特急電車が頻繁に走っているが切符代をケチって小倉まで各停、そこからは快速にした。

 博多も雪で猛烈に寒かった。駅構内の案内所で駅前のビジネス・ホテルを予約し、中洲の屋台まで行く気力も涌かず駅地下のうどん屋で夕食を取りホテルヘ、今回は3日目までは予定通り順調に進んだが4日目はなんとも冴えない、元気のでない一日だった。

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
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(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日