著者プロフィール                

       
総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その1)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会
多摩慶応倶楽部


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)

総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その1)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日

はじめに

2015年(平成27年)9月8日、2回断念したのち3回目になってやっと実現した小笠原島行きで、3259番目の小笠原村役場の写真を撮ることができ、「公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」を完了した。1986年(昭和61年)6月21日、41歳のときに始めてからあしかけ30年、70歳になっていた。

令和元年の今、全国には1742の市町村がある。788市、747町、184村、および東京23区の合計で、これを基礎自治体と呼ぶ。選挙で選ばれた首長と議会がある最少の行政単位だ。平成の合併前は3千以上あり、私が訪問対象としたのが平成4年時の3259だった。わが国ではどんな場所も必ずどこかの市町村に属し、しかも複数のものに属することはない。だからこの市町村全部に行けば、一応行政面からみた日本全国すべてに行ったことになる。なお政令指定都市では区政を敷いているが、この場合の区は基礎自治体ではないが、東京の23区だけは例外的に独立した基礎自治体である。

日本全国の鉄道に乗るとか、全国の郵便局で貯金するとか、温泉に浸るとか、ラーメン屋に行くなど、いわゆる全国制覇ということにチャレンジしている人は大勢いる。しかし地理的に、あるいは面的に全国をカバーするという方法はなかなかない。私の友人に全国で1291ある五万分の一地形図のすべてに足を踏み入れたという人がいて、これなどがそれに当たるが、その他にはなかなか見当たらない。

だから私は全国の市町村に行ってみようとチャレンジした。そして市町村ならばどこにでも必ず一つあるもの、逆に一つしかないものと言えば役場しかないはずで、だから役場に行くことにした。なお市及び東京の23区は役所と呼び、町と村は役場と呼ぶことになっているが、以後は両方含めて役場とよぶことにする。私がこの計画をはじめた時点では役所よりは役場の方が圧倒的に多かったからだ。

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100%を達成し小笠原村役場前で 2015.09.08

1.仮説と検証のために

役場に行くにあたり、次のような仮設を立てた。
①役場はその市町村の中心地にある。
②そこへは東京から公共交通機関で行くことができる。
③そこに行けばその市町村の特徴がわかる。
そしてこれを検証することにした。その結果は次のとおりだが、詳しくは章を改めて述べる。
①90%くらいは正しい。
②ほぼ100%近く正しかったが、公共交通機関で行けないと判断せざるをえなかったところが7か所ほどあった。
③全く正しくなく、これこそ正に今のわが国で問題にしなければならないことのひとつだと思うが、地域の特徴など全く感じられず、全国一律の風景というのが大半だった。

この中で②の公共交通機関だが、この定義にはタクシーを含めるか否かなど議論が分かれるようだが、私は単純に
 ①誰でも利用でき、
 ②定期的に運行されている乗物
と定義した。当初「有料のもの」も含めようかと考えたが、自治体の運営するコミュニティバスなどで中には無料のものもあり、それでも一応①と②を満たしているものがあったからだ。ただしこの条件は非常にハードルが高く、特に②定期的に運行はされているものの地方に行けば一日に数便というのはざらで、朝夕1本ずつ、というものも少なくはなかった。

 だからこれを如何に効率よく回るかが重要で、事前に時刻表を調べ何度も計画を作り直したりした。最近では各地の役場やバス会社のホームページで時刻表などかなり見ることができるようになったが、最初のころは電話で問い合わせてFAXで送ってもらったりした。尤もホームページも時刻表が更新されていなかったり、運休の案内が不十分だったりして、行っても乗れなかったということも何度かあった。それでも事前計画に頭を絞るのは贅沢な楽しみであったし、現地での予定変更なども、それはそれで楽しいことだった。

2.なぜこのようなことをはじめたのか

そもそもなぜこんなことを始めたかである。もともと旅が好きでいろいろなところに行ってみたかったこと、鉄道が好きで今でいう「乗り鉄」で全国の鉄道に乗ってみたいと思い、機会を見つけては乗り歩きなどをしていた。しかしいつ頃からか旧国鉄線全線乗車が流行りだし、そのためのガイド本などが発売されるようになった。私も、ひそかに全線踏破を狙っていたのだが、何か流行に乗せられ、かつコマーシャリズムに踊らせられているようで面白くなかった。また一方でこの頃から地方路線の廃止が相次ぎ、目標がどんどん減って行くので、やる気も失せて行った。

それに代わるものとして、全国の県庁所在地に泊まることなどを考えたがこれだけだとすぐに終わってしまう。では市町村ならばどうか、でも当時は3千以上あった。泊まるなどとてもできない。それならば役場に行こう。車で回れば一日に何か所も行けるはずだ。でもそれならば誰でも出来るし、既に行っている人もいるだろう。だから誰もが真似をすることが難しいような方法で行く、それには定期的に運行されていて誰でもが利用できる公共交通機関だけで行こう、ということにした。

役場に行ったという証拠をどうするか。郵便局めぐりのように貯金をし、通帳に記帳されれば完璧な証拠になる。役場の総務課のような所で証明をもらう方法があると考えたが、それには役場が開いている平日でなければならないし、そもそも単に道楽でやっていることに役場を煩わせてはいけない。郵便局の場合は、貯金という郵便局にとって通常の業務であるから問題はない。

結局これについては庁舎の写真を撮ってくるだけとした。自分で行かず誰かに頼んでも良いし、最近は役場のホームページに庁舎の写真が載っていることも多いので、インチキをしようと思えばいくらでもできるが、自分で決めたことを自ら忠実に守れば良いのだと思った。とはいえこれも結構むずかしかった。なるべく庁舎全体が撮れ、看板のようなその場所が特定できるものが一緒に撮れれば良いのだが、上手く行かないことも多かった。そして更に苦労してやっと着いたと思ったら日没になってしまいフラッシュを使ったものの何が何だかわからない写真になってしまったものや、バス停から離れていて庁舎の正面まで行かないうちに帰りのバスが来てしまい、それに乗り遅れると今日中に帰れないので遠景写真になってしまったものなどもあった。これらについては、後日近くに行った折に再訪し、再撮影したものもあるが、今後もアフターサービスとして折があれば再訪したいと思っている。

3.そのきっかけ

1986年(昭和61年)6月21日、私が41歳のとき、北海道の中標津町役場の写真を撮った。会社の出張で札幌に来て、週末に道東方面に行った。ちょうどその頃読んでいた司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」で江戸時代後期の高田屋嘉兵衛のことを知り、彼が活躍した国後、択捉に行きたくなった。と言っても今はロシアに占領されている、だからせめて国後が見えるところまで行きたいと思っていたので、出張のチャンスを逃さなかった。

当時鉄道で行けるところで国後島が見えるのは根室標津だろうと思い、札幌での仕事が終わってから夜行急行「まりも」で釧路に向かった。石勝線開業5年後だった。さらに列車を乗り継ぎ、当時まだ走っていた標津線で中標津に行き、さらに根室標津まで行った。野付半島の少し北にある根室海峡に面した町で、海岸は駅からすぐだった。しかし残念ながら雲に覆われ国後島は全く見ることができなかった。

国後はともかく、ソ連だけでも見てやろうと、そこから列車を乗り継ぎ根室へ、さらにバスで納沙布岬に行った。歯舞群島の貝殻島と水晶島を目の前にして、初めてわが国土から外国というものを見た。このときに日本の果てに来たのだからと、中標津、標津の町役場、根室市役所、根室支庁の写真を撮っておいた。

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訪同第一番目の北海道中標津町役場 1986.06.21

もちろんこの頃は全国役場めぐりをしようなどという気持はなく、日本の果ての風景のひとつとして撮ったにすぎなかった。その後もときどき地方に行ったときなど思い出したように役場の写真を撮ったりしていた。そんなことをしながらも全国の市町村全部に行けるだろうかとか、そんなことをする意味があるのだろうかなどと考えていた。本格的に行う決心がつかなかったので他人に話すこともできず、同行者がいるときなどわざわざ役場の写真を撮りに行ったりすれば変人扱いされかねないので、そういう時は我慢していた。

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全国市町村の白地図を塗りつぶしたもの。年代順に赤→緑→黄→青、残り約200の頃

本格的にはじめようと思ったのは、その6年後、92年(平成4年)のことだった。国土地理院が刊行していた「日本の市町村役所・役場 経緯度一覧」という、誰が何のために使うものか、ただ全国の役所・役場の所在地と経緯度が表になっているだけの本を見つけた。それには付録として模造紙大の白地図がついて、全国の市町村の境界線が入っていた。私にはまるで行ったところを塗りつぶしてくれ、と言われているようだった。

それまでに40か所ほどの写真を撮っておいたので、その場所を赤のサインペンで塗りつぶしてみたが、大きな白布に所どころ赤いしみがついているといった風だった。数日後、自分の住んでいる川崎市の市役所から横浜市、横須賀市とまわり1日で神奈川県内の14市町に行った。これが役場めぐりだけを目的とした初めての旅であり、その後は週末になると首都圏日帰りの小さな旅を続けた。そしてその年の年末休暇には奈良県の十津川村から新宮に出で熊野地方に行く1泊2日で20市町村をまわる旅をした。往復とも夜行バスを利用し、やっと累計100とした。

2005年1月に満60歳となり会社を定年退職した。会社勤務の間は、出張先で寄り道をするなど行きやすいところばかり行っていた。とくに会社時代最後の数年間は、札幌へ土日を挟んだ長期出張が多く、この間北海道の市町村には結構多く行くことができた。退職時点での訪問件数累計は1539で47%だった。件数的には道半ばのようであったが、残りは遠隔地や交通不便なところが多く、本格的な勝負はこれからだ、と決意を新たにした。

最終的には、本格的にやろうと決めてからの24年間で230回、549日旅に出ている。もちろんすべてが役場めぐりだけの旅ではないが、大半は一人旅だった。1回当たり平均2.4日ということであるが、会社勤め時代は日帰りが大半なのに対し、退職後は泊りの旅が多かった。単純平均では1日平均5.9か所行っているということになる。

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市町村役所・役場めぐり 年間件数・累計

4.役場めぐりの方法

如何に効率よく回るか、すなわち短時間で、安くまわるかが重要であり、事前にこれを調べるのが楽しかった。だからこのためのルールや努力目標というものを決めた。といっても最初からそう決めていたのではなく、これをやりながら固めていったので、初期の頃のものをやり直すということもあった。

(1)役場めぐりのルール

以下のようなルールを作った。

①庁舎の写真は明るいうちに撮ること。

夜の街を訪ねるのも楽しいが、やはりそこの風景は昼間でないとわからない。しかし苦労してやっと着いたら日没になってしまったとか、張り切って早朝から行動開始をしたら早すぎて夜明け前だったということもあった。特に暗いなかでの写真は100枚以上残っており、その後近隣の役場にいったときに撮り直しにいったこともあったが、まだまだ残りが多いので、いつか撮り直しに行きたいと思っている。

②目的地に着いたら必ず下車して、同じ列車やバスには乗らないこと。

ローカル線の駅では長い停車時間の間に役場に行って写真を撮ることができる。しかしこの方法だと、例えば役場前というバス停で降りて写真を撮りすぐそのバスに乗り続けることができるし、写真だけだったらバスの車窓からでも撮ることができる。だから鉄道でもバスでも必ず一旦下車して、その列車やバスには続けて乗ってはならないことにした。この縛りをつけたために恐ろしく効率が悪くなることが多々あったが、バスや列車が終点に来て、それが折り返す間に写真を撮ることはOKとした。ダイヤ上は別の便だからだ。バス停の終点に役場があり、数分で折り返すケースは結構多く、そんなときはいつも運転手から怪訝な目で見られる。

(2)努力目標

一応ルールは厳格に守ることにしており、ほぼそれは守っていたと思うが、それとは別に原則というか努力目標を定めた。しかしこれをすべて守ることはむずかしかった。

①1日の訪問件数をなるべく多くする。

かなりハイピッチで進めないと生きている間にとても3千もまわることができないことがわかってきた。だから1日になるべく多くまわる計画を立ててから出かけたのだが、そのうちに様々な制約条件の中から最適解を見つけるという、バズルを解くような面白さに嵌り、早回りの計画を立てることそのものが楽しくなってきた。

②交通費は合法的に、かつなるべく安価にする。

早回りだけでなく同時に安回りも心がけた。青春18切符などのフリー切符を最大限活用した。夜行高速バスも何度も利用したが、これは早朝からまわれるという効率の良さだけを求めたからではなく、経済的な面を重視したからでもある。

③宿泊費及び飲食費も安くあげる。

限られた予算(小遣い)の範囲でまわるには宿泊費と食費を削るしかなかった。だからこれらについては恥ずかしくて報告ができないことが多い。まあいつか豊かになったら、この原則は廃止しようと思っていたのだが、とうとう最後まで続けざるを得なかった。

④離島へはなるべく船で行く。

経済的な理由もあったが、地を這うように全国を嘗め尽くすという趣旨から、離島へは高跳びではなく、海上を行くことを旨とした。ただし奄美大島から喜界島、宮古島から石垣島、石垣島から与那国島だけは適当な船便がなく飛行機を利用した。なお東京から九州や四国の拠点都市までは、マイレッジサービスの無料航空券が使える範囲で飛行機を利用した。

(3)役場めぐりのマナー

これらのルール、努力目標とは別に、戒めというか、注意すべきことを定め実行した。これはマナーといっても良く、企業や団体活動においても時にルール以上に大切なこともある。

①まじめに仕事をしている人の邪魔は絶対にしないこと。

これはゲームであり道楽なのだから、相手が暇そうにしているときは別だが、役場の職員や駅員、バスの運転手にはむやみに話しかけないようにした。とはいえ一度話を始めると、運転しながら話を止めない運転手などがいて、これはまずいと思うことが何度かあった。

②無理をせず他の乗客にも絶対に迷惑をかけない。

登山などと同じで無理をしないことである。悪天候や交通機関の遅れなどで当初予定通りに行かないときは早めに諦めることである。一般の乗客に迷惑が及ぶような、バスを待たせたりすることは絶対にしてはいけないと戒めていた。

(4)いろいろなまわり方

役場めぐりの方法は、自宅や地方の中心都市駅前を起点にぐるりとひと回りして戻るというラウンド方式が最も理想的で、交通ネットワークが稠密でかつ多頻度運行している場合は都合が良い。またそれにうってつけのJRの週末ゾーン切符などがあり、それらを使って日帰りで10~20市町村を、それこそゲーム感覚で回った。最多記録は最も日照時間の長い夏至の頃、東京23区の全区役所を1日で回ったことだ。朝5時17分の太田区役所から夕方17時59分の世田谷区役所まで、都内周遊を楽しんだ。この方式をルート型と名付けた。

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いろいろなまわり方

しかし地方に行くと、中心となる都市から放射状に周辺市町村がひろがり、交通機関もすべて中心都市とを結ぶものばかりだ。だから駅前バス停から乗っては戻るということをくり返すという効率の悪いことが多かったが、周辺の役場間距離が10キロ以内程度であればその間を歩いたことも良くあった。地図では楽に歩けそうだったのに、峠越えがあったりして苦労することも結構多かった。これをスター型と名付けたが、実際はルート型との混合が多かった。

また順次に行く場合でも、列車やバスの本数が少ない場合には、次が来る間に隣の町村まで歩いたこともしばしばあった。さらに極端に少ないときは、列車やバスで次に行く役場では降りず、もうひとつ先の役場まで行って、反対方向の電車やバスで戻る。そして次のものでその先に行くという2歩進んで1歩下がるという進み方をした。この方法を、当初はジグザグ型と名付けたが、スピード感を出すために途中から稲妻型と改めた。ただしこの方法はダイヤが都合よくできていないと難しいし、それだけに上手く行ったときなどひとりで悦に入ったものだ。

そのようにして1日に10キロくらいはいつも歩いているので合計は5000キロを軽く超え、本州の海岸線を一周するよりも長い距離を歩いたのではないかと思う。

なお北海道や九州・四国の入口までは飛行機を利用した。市町村役場めぐりが目的の旅で、今まで多分百回以上飛行機に乗っているが、一部の例外を除いて飛行機代を払ったことがない。マイレージサービスで溜めたポイントを利用したからだ。会社務めの頃飛行機での出張が多かったこと、退職後も海外に住む子供たちのところに格安航空券で行き、それもマイレージが加算されたこと、さらにはクレジットカードを意識的に多用したことにより、残高はかなり減っては来ているもののポイントが残っていたからだ。マイレージが使えなければ、私の役場めぐりも途中で断念していたと思う。

この話を他人にすると良く聞かれるのは「今まで一番良かったのはどこでしたか」である。しかしこれに対する答えはもっていない。正直なところ3千を超えると行ったところすべてを覚えていない。いやむしろそこの風景といつどのようにして行ったかを明確に覚えている方が少ない。場所と風景が一致しないものが多いし、どうしても風景を思い出せないものも少なくない。だからそのように忘れてしまったところは、印象に残るものがなかったのだろう。そういう意味では苦労して行ったところ、例えば離島や山間僻地などは大体覚えている。「良かった、悪かった」ではなく「苦労した、楽だった」でならば答えられる。一番苦労したのは、やはり最後の小笠原村を挙げないわけには行かない。

愉快な話として、同じバスの運転手に再開したこともあった。広島県でJR山陽線の河内から平成の合併で今は東広島市となった旧大和町へのバスに乗り運転手に行き先を確認すると、「2~3年前に、旧役場の写真を撮るために全国を回っているという変な客を乗せたことがある」と言う。思わず「それは私だ」と叫んでしまった。たしかにこの駅前からこれも東広島市となった豊栄に行ったときに乗っている。まだ新しいピカビカの車両だったが、数年前にこの路線専用車として東広島市、三原市、世良町が金を出し合って購入した。乗客が少ないが生活路線として廃止ができないための、一種のコミュニティバスのようなものだ。平日のみ運行で、専任の運転手を募集していたので、芸陽バス社員だったが定年前に退職し、契約社員となってこの路線のみを運転しているという。もう8年になるが、毎日同じ顔の人しか乗せないので、たまに変な客がいると良く覚えているそうだ。だからこれは偶然の出来事ではなく、必然だった。このような目的の車両なので、他で稼ぐわけには行かず、この路線しか走らず、土日は車庫で眠り、運転手も週5日制、「それにしても客が少ないね」と言ったら、「多くなると困るんです、このような補助が受けられなくなるから」と言う。車両がピカビカだったのは、この運転手がこれを天職とし、心から職場を愛しているからだと思う。

それにしてもまだまだ知らないいろいろな形態のバスがあるものだ。そして知らないところで多くの人が持ち場をきちんと守っている。私の座右の銘「一隅を照らす」とはまさにこのようなことを言うのだろう。運転手はあと3年、65になるまで続けたいと言っていた。健勝を祈りたい。3千役場を回っていると、こんな良いことにも廻り合える。

5.仮説と検証

冒頭に述べたように役場に行くにあたり、3つの仮設を立てたのだが、その結果は以下の通りであった。

(1)役場はその市町村の中心地にある。

これは概ね正しいと言える。中心地の定義というのはなかなかむずかしいのだが、その市町村のなかで最も人口が集中しているエリアということにしておけば90%くらいは中心地にあると言ってよい。ただしこれは平成の合併前の話であり、合併後はひとつの市町村内に同じような人口集中地区がいくつもあることが多く、どこを中心地といったら良いのかわかりにくくなったところが多い。

残りの10%だが、なかには極端に異なる例がある。役場がその自治体エリアの中にではなく自治体の外にあるのが日本には3か所あった。鹿児島県の十島村、三島村、沖縄県の竹富町でいずれも複数の有人島からなる自治体だ。前2つの村役場はいずれも鹿児島港の埠頭近くにあり、竹富町役場は石垣市の中にある。もちろん各島に出張所のようなものがあり、住民は島を出なくとも最低レベルの行政サービスは受けられるが、国や県との連絡や、航路の関係などから島外に役場を置いた方が便利、或は置かざるを得ない理由があるようだ。

これらは極端な例だか、中心市街地ではなく周辺部などにあるものの殆どは、市街地にあった役場が手狭になり拡張がむずかしかったとか、計画的に市街地を郊外に拡張しようとして率先して役場を郊外に移した、さらには役場だけでなく公民館など行政関連施設を一か所にまとめるために比較的土地に余裕のある郊外に移したものなどである。平成の合併後の新庁舎などは、旧市町村での誘致合戦の結果恨みっこなしでわざわざ郊外の不便なところに建てたものなどもある。

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役場がその町村の外部にあるもの

いずれにせよそれらは古くからそこにあったのではなく近年になって移転したものが多い。というのは市町村役場というのは江戸時代の奉行所を前身としたものが数多くあるように、もともとは中心市街地、ダウンタウンにあったものである。明治維新後にできた役場というものは、従来の奉行所を引き継ぎ、建物も職員もそのまま続けたのだと思う。一方県庁の大半は藩の役場、すなわち城を引き継いだものが多かったのだろう。現在でも県庁舎というのは、城の、それも本丸跡に残っているものがある。それに対して市町村役場で城の本丸内にあるのは2カ所しかなかった。熊本県の人吉市役所と三重県の玉城町役場である。二の丸や三の丸など城郭内にあるものは他にもあるが、そんなに多くはない。

はじめてから10年ほど経って、1205番目として人吉市役所に行くのに濠を渡ったとき、そういえばこんなのは初めてだと思った。そしてそうか、市町村役場というのは城ではなく奉行所をその全身にしていたのだ、ということに気が付いたのである。何かの原則とか法則というものは、例外に出会ったときに見つかるというようなことを、ノーベル賞を受賞した学者が述べていたような記憶がある。なお戦国時代やそれ以前の城跡や陣屋跡にあるものは他にも何カ所かあったが、少なくとも江戸時代の大名の城跡というのは前記の2カ所だけだったと記憶している。

(2)そこへは公共交通機関だけで行くことができる。

3259市町村役場のうち公共交通機関で行けない、と判定したのは表の7か所のみである。全体の0.2%だからこれは殆ど正しいと言っても良い。ただしこれは私が理論的にそう判定したのであり、実際には行けるがバスの時間帯などから徒歩で行った、すなわち公共交通機関を利用しないで行ったところはその他にもある。前述の通り、誰でも利用できかつ定期的に運行されている乗物を私は公共交通機関としており、駅、バス停、港などから3キロ以上、もしくは徒歩30分以上要するところは行けないところと判定した。

このうち沖縄県の伊是名村、伊平屋村は離島村で、村役場はいずれも港から徒歩圏内にあるのだが、ここへ行くフェリーが出る沖縄本島の運天港に行く交通機関がない。今帰仁村役場前というバス停からサトウキビ畑の中の道を1時間近く歩くしかなかった。大半の人は車で行き来しているようなので支障はないようだった。ところがつい最近那覇空港から本部半島に行く急行バスのうち2本だけがこの船に合わせて運天港まで行くようになったそうだ。だから今は行ける。

長野県の泰阜村、茨城県の関城町(現筑西市)、福島県中島村、新潟県山古志村はいずれも鉄道駅から遠く、路線バスも走っていない。泰阜村の場合役場に事前に聞いたところ飯田線の唐笠駅からタクシーを利用してくれとのことだったが無人の小さな駅前にはタクシーなど待っていない。駅前に一軒だけあった商店でタクシー会社の電話番号を聞こうとしたら、店の奥さんが今丁度役場へ行くところだからといって車に乗せてくれた。帰りは駅まで6キロ歩いた。

山古志村は2004年10月の中越地震前は小千谷から路線バスがあったが今は村民専用のバスがあるだけだったので、ここは全市町村で唯一レンタカーで行った。長岡駅でJR大人の切符割引で安い小型車を借りたのだが、バックでの駐車時にほんのわずかだったが電柱にぶつけてしまい正直に申告したら2万円のペナルティを取られ大損した。その他はいずれも徒歩で行った。

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公共交通機関では行けない役場

青ヶ島の場合は、港から役場のある集落までは直線距離では3キロもないのだが、迎えに来ていた民宿の車に乗せてもらった。車は急坂を登り、外輪山トンネルを抜け火口原に入り、再びトンネルを通り集落に向かうという大回りをするので約5キロ、見上げるような急坂と、じっとしていても汗が出て湿度の高さでとても歩く気にはなれなかった。

公共交通機関で行けないと判定したところは以上だが、それ以外にもタクシーや徒歩で行ったところはたくさんあった。岡山県の富村(現鏡野町)はJRの津山駅と久世駅からそれぞれ1日1往復のバスがあるのだが、いずれも朝村を出て夕方戻るもののみ、だから日帰りができず現地に泊る以外にない。しかし泊るところがないことがわかり隣接する奥津町(これも現在は鏡野町の一部)庁舎前であらかじめ調べておいたタクシーで往復した。こんな山奥だから大都会で走っていた中古車でも来るのかと思っていたらなんと新車のベンツだった。それも左ハンドルで、扉は運転手が降りて開閉するというハイヤー気分のもの。メーターはついていたが運転台が左にあるタクシーというのは初めてで、最後まで違和感が拭えなかった。このように公共交通機関としてのバスは一応あるが役場めぐりには全く使えないというケースが他にもいくつかあった。

実際に利用したかどうかは別にして、理論的にどのような交通機関で行けるかについてサマリーしたのが表である。鉄道駅から徒歩が1846ヵ所で半数以上の56.6%、バス停からが1332ヵ所で40.9%、港からが74ヵ所で2.3%だが、この中には時間等の関係でやむを得ず飛行機にした鹿児島県の喜界町のほか、高知県の吉川村(現香南市)へは高地空港から2キロくらいだったので歩いて行った。なおバスでは、鉄道駅や港から1本のバスで行くのではなく途中で更に乗り継いで行かねばならないケースが107ヵ所もあり、中には2度乗継をしたところもあった。

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役場までの交通手段

(3)そこに行けばその市町村の特徴がわかる

これは全く違っていた。ごく一部の観光地などを除けば地域の特徴など全く感じられない全国一律同じ風景だった。そしてこれこそが今のわが国の問題点のひとつだと思った。地方都市だけでなく大都市近郊の市や町でも役場周辺の中心市街地の衰退ぶりは目を覆いたくなる。20年くらい前からシャッター通りと良く言われたが、今はそれも通り越して空地通りといった方が良いくらいだ。古くなった建物を取り壊し、跡地が駐車場になっているのは良い方で、アーケードを挟んで雑草の伸びた空地というのも多かった。

反面郊外のバイパス沿いには判で押したように専門店や外食チェーン店が全く同じように並んでいる。コンパクトシティの代表例としてもてはやされていた青森市でも、人通りの少ない駅前近くから4キロくらい離れたバイパス沿いに行くと、広い駐車場に大型店が並び、その中の全国チェーンの大ショッピングセンターでは、フードコートが高校生や子育て中の若いママなどで賑わっていた。特に人口数万を超える都市の郊外は全く同じような風景だった。

観光地だって同じだ。役場近くに古い町並みを復元し観光客で賑わっているところもないわけではないが、そのような市町村でも郊外のバイパス付近は他と同じ風景である。だから役場の庁舎やその周辺の風景を見てここはどこだ、と言えるものは非常に少ない。

6.公共交通機関の現状と期待

役場めぐりを通じて、私は公共交通機関として実際に営業しているなかでロープウェイ以外のあらゆる交通機関を利用したと思う。そしてそれぞれ感心したり失望したりしたものだが、私は鉄道とか路線バスが個々にどうなっているかということよりも、公共交通機関が全体としてマイカーを主とする私交通に対してどのような状況にあるのかに関心があった。私自身は車の運転が嫌いではないし、わが家にとっても車は必需品という思いでいるが、社会全体でみれば、もっと公共交通機関に依存する方が良いと思っている。

それは一般に言われているように、マイカーなどの私交通に対し公共交通の方が1人当たりの移動に要するエネルギー資源や環境の面で有利だからというだけでなく、人口減が進みますます生産性の向上が必要となる時代にあって、個々の人が勝手に動き回るよりもなるべくまとまって移動することと、運転というストレスを伴う作業から解放された方が社会全体の効率が良くなると思うからである。また幼児期より公共交通を利用することで公徳心など社会性を植え付けるなど、子供の教育にとっても良いと思うからである。

100%を達成してから間もなく、MaaSという言葉がはやりだした。Mobility as a Serviceの略でぴったりとした日本語訳はないが、複数の交通機関を使ってエンド・ツー・エンドをシームレスに移動できるような手段をサービスとして提供しようという考え方といっていいだろう。全国の交通機関を見て来て、まさに今の日本にとって必要なことだと思う。

公共交通機関には大きく分けて、長距離の地域間交通と地域内交通がある。その中で地域間交通については航空、鉄道、高速バスとの間で上手く棲み分けが出来ており、災害時に対応したリダンダンシーという面からはまだ不十分ではあるが、利用者にも複数の選択肢が与えられており、まあ理想的な形に近いのではないかと思う。

一方地域交通に関しては、首都圏を含む大都市圏では概ね良く機能しているが、過疎地では全く機能しておらず最早定期運行される公共交通機関ではなく他の手段を提供すべき、その中間の地方都市は工夫次第でかなり有効なものになるはず、というように総括した。

(1)大都市の公共交通

首都圏や京阪神、名古屋、札幌、福岡などの大都市圏については、安定的に大量輸送を行うという面で今の交通体系は比較的良くできていると思う。引き続き混雑緩和をめざして進んでほしいと思うとともに、今後は利用者が要求する様々なサービスレベルに応じた対応が必要だと思う。既にグリーン車や座席が確保された通勤特急など追加料金による上級クラスのサービスが提供され多く利用されているが、今後はこの種のサービスの種類や量をさらに増やすことが望ましい。ビストロカーを連結し軽食サービスを提供するとか、移動中の会議室とか、仕事の場所が提供されることも必要だろう。
それよりも早急に改善しなければならないことがある。それは運行システムだ。特に首都圏では相互乗り入れが進み乗換が減って便利になった反面、例えば埼玉県の一部で起きたトラブルで神奈川県内の電車が遅れたりする。それはシステム化がまだ中途半端なのに設備の冗長化(リダンダンシー)を省いているからだと思う。全体では統合されたシステムであっても、ある区間は独立したサブシスムとして独自に運行できるよう、折り返し設備や待避線の増強を行うなどハード/ソフトの増強が必要である。

このようにして出来たシステムこそ最先端の大都市公共交通システムであり、これにより利用者は高サービスでかつ信頼性も高い輸送サービスを受けられるようになる。のみならず、これは海外インフラビジネスにもなる。海外の大都市圏の交通問題、特にアジアのそれはどこも深刻であり、この方式が海外でも通用する最適な解決策だと思う。海外鉄道ビジネスというと新幹線など高速鉄道のことばかりが話題になるが、大都市の交通渋滞解消の方がどこも喫緊の課題であり、ビジネスポテンシャルが大きい上に、わが国が勝てる分野だと思う。そして海外に理想的な最新システムを提供しながら、そこで得た体験をわが国にフィードバックし、大都市交通問題解決に資するのが最も望ましいと思うのである。

(2)過疎地の公共交通

一方過疎地だが、ここでは最早公共交通機関は全くと言って良いくらい機能していない。私がいわゆる過疎地で利用した列車やバスはいつも利用者が少なく、特に路線バスには2千回以上乗っているが、私以外の乗客はゼロというケースが4~5回に1回、すなわち5百回くらいはあったと思う。そのような地域の人々に聞くと、いつもは自分で車を運転する、運転ができないときは家族か友人の車に乗せてもらう、それがダメでたまたま路線バスのあるときはそれを利用するということだが、そのバスも1日に数本しかないケースが大半なので「たまたまあった」などということすら滅多にない。

それでも行政はコミュニティバスを運行したり、民間バス会社に多額の運行補助を出している。運賃収入では運行コストの半分もカバーできず、なかには20%以下なんていうものもあると聞く。このようなところでは、もう公共交通という考えは止めた方が良い。本当に車の利用ができない、いわゆる交通弱者といわれる人々に対してはタクシーを利用してもらい、バス代相当額との差額を行政が負担すればよい。それでもコミュニティバスなどを維持することに比べれば行政の補助金額は少なくて済むはずだ。

そのタクシーすら使えない、或は使いにくいといった地域も最近では出て来ている。タクシー会社が何十キロも先にあり、しかも運転手が社長ひとり、奥さんが配車係をしているというところもあった。このようなところこそUberのような自家用車の共同利用的な仕組みを作り、行政がそれを補助するのが良いだろう。京丹後市で実験的に始めたそうだが、それ以外の解決策というのはなかなか見つからないのではないか。

なお地方に行くと、コミュニティバス等の路線バスの他、スクールバス、病院や施設の送迎バス、商業施設の送迎バスなどが、少ない乗客を乗せながら同じ方向に前後して走っている例を良く見かけた。これらを一本化して、運転手不足に備えようとか、資源を有効に使おうとすることはどこでも考えているが、役所の縦割り組織とか、子供を一般乗客と一緒に乗せるのは危険だから反対だという父兄の声などによってなかなか実現しないと聞く。

しかし私が体験したなかで混乗が上手くいっている例はいくつかあった。そのなかで平成の合併で兵庫県豊岡市の一部になった旧但東町へ行ったときである。ここへは町役場付近に旧城下町の雰囲気がめずらしく残っている出石町からバスを乗り換えて行ったのだが、このバスは途中から小学生が数人ずつ乗り、いつの間にかスクールバスに変身した。学校前では大勢の先生やお巡りさんが迎える中、子供たちが降りて行った。怖い顔をした運転手だったが、子供たちの「ありがとうございました」という元気な声に「行ってらっしゃい」と笑顔で快活に応え、全員が下車した後は忘れ物がないか車内を見回り、先生たちに合図を送って発車した。毎朝くり返される光景なのだろうが、見ていて涙が出そうになった。地域やバス会社が一体となって子供たちの安全を守り、子供たちも社会性を身につける、こういう形のスクールバスがあるのならば学校の統廃合も悪いものではないと思った。

鉄道でもバスでも廃止しようとすると、住民は自分が利用していなくても反対する。これを説得して真に最適となる解決策を考え実行するのが行政の役割である。行政に必要なのは今や説得責任である。

(3)その中間

人口10万程度以上の地方都市を中心としたエリアについては、やり方によって公共交通を活かすことはいくらでもできる。それらの地域では、共通の敵であるマイカーに対して協力して当たらなければならないのに、鉄道やバスなど複数の公共交通機関、あるいは企業の間で全く協力がなされていないか、無用な競合をしているケースが多い。いくつかのエリアでは、中心都市の駅前から周辺部に行くバスが延々と鉄道路線に沿って走り、途中から分かれて行く。それも何系統も途中まで、ガラガラのバスが前後して走っていることが多い。

これなどバスと鉄道の乗継システムを改善し、周辺部へ行くバスは途中の鉄道駅からの運行とすれば、バス車両も有効活用でき、本数を増やすことができる。途中駅の構造は短距離の水平移動だけで、容易に乗換ができるようなバリアフリーを伴った構造にし、かつ事業者が協力しあって接続の良いダイヤにする。そしてさらに一歩進めて、西欧では当たり前のゾーン制の共通料金体系を採用し、途中何度乗り換えても、また事業者が途中で変わっても利用者はエンド・ツー・エンドの料金を払えば良いようにするべきだ。

大都市を除くと今のわが国の公共交通は、利便性や料金の面でマイカーに比べかなり劣る。西欧ではそれを是正するためのさまざまな施策を施し、公共交通が一定の地位を占めている。その最も一般的なのが交通連合で、その地域の鉄道からバス、時にはケーブルカーから船まで含むすべての公共交通事業者が連合しダイヤを管理し、運賃収入をプールし各事業者で配分している。利用者は、運行する企業や団体がどこなのかなど気にせず、一度料金を支払うだけで一定ゾーン内、一定時間内ならば何度でも乗り降りできる。今わが国で盛んに言われているMaaSというのがまさにこれである。しかし本当にその意味がわかっている人はどれだけいるのだろうか。掛け声だけで一向に進んでいないのは残念である。

このような仕組みが理想だが、いきなりわが国の大都市ではむずかしい。一方それを行い易い規模の地方都市はいくらでもあるから、どこかで実験的に始めてもらいたいものだ。また一足飛びに西欧流のものまで行かないが、富山市の「団子と串」構想や新潟市でのBRT化、宇都宮市のLRT構想など、利用者にとって利便性を高めながら、交通の最適化を求める試みが出てきている。進捗を見守りたい。

(4)都市間の公共交通

以上は地域内交通についての私の見解であるが、都市間輸送においても触れておきたい。昨今は高速道路の延伸や料金引き下げで中長距離の都市間での公共交通機関、特に鉄道の存続が危ぶまれているところが多い。私交通である自動車と競合する公共交通機関としては高速バスと鉄道があり、高速バスはビジネスとして成り立っているものも多い。それに対して鉄道は新幹線が走るような基幹ルートは別にしてかなり厳しい状況に置かれている。高速バスがあれば鉄道は不要という意見もあるが私はそうは思わない。

主要都市間については、災害などの非常時対策としてだけでなく、人流や物流の面で常に複数経路が必要だと思う。そして公平な競争のもとに、利用者が目的やそのときの状況に応じてどれを利用するか選択できるようにし、提供者は常に競争を意識しながらサービスレベルの向上に努めるというのが理想だ。問題はいかにして公平な競争条件を作るかである。用地から線路、信号などの施設をすべて自前で調達し維持しながら運行しなければならない鉄道と、国が造った道路の使用料を払うだけで運行する高速バスやマイカーとでは公平な競争にはならない。これに対しても鉄道も道路の一部であり、道路の1車線分、あるいはバイパスであるというEUの考え方をわが国でも採るべきである。

それには既に一部の三セク鉄道やローカル私鉄で行っている上下分離方式を進めるべきだ。JR四国全線や、札幌都市圏を除くJR北海道、福岡都市圏を除くJR九州の他、本州でも幹線以外の路線は対象にして良いと思う。例えば中国地方の陰陽を結ぶ路線は、伯備線以外は小型気動車が低速で走る貧弱な路線ばかりだが、これらの線は災害時に重量貨物がある程度のスピードで走れるように軌道強化をすべきだ。そうすれば旅客列車も今の2倍以上のスピードを出せるはずなので、選択手段のひとつとして上がってこよう。

財源については、鉄道線路は道路の1レーンと考え、道路特定財源から持って来るべきだ。とは言えこの案にはかなりの反対があるだろう。鉄道会社が経営努力を怠るようになるとか、責任の所在が分散し安全性が損なわれる、などが表向きの反対理由だが、真の理由はなぜ自動車利用者が鉄道のコストを負担しなければならないのかということだろう。

しかしこれこそ国家の基本戦略だ。今後の50年、100年を見据えたときに、交通というものをどのような体系にもって行くのかというグランドデザインがしっかりと描かれ、国民の間でコンセンサスが得られている必要がある。日本は自動車産業国であり、自動車ビジネスが不利になるような政策は採れないのではないかと思ったことがあるが、ドイツのミュンヘンやシュットガルトでも最新式のトラムが走っていたし、アメリカでも鉄道の見直しが始まっている。

7.日本は広い 戦略的凝縮が必要では

公共交通機関の問題以外で、全国をまわって実感したことは、日本は広い、そして使われていない土地がものすごく多いということだ。また過疎といわれているような市町村でも、その中の中心からさらに離れた場所に小さな集落がいくつもあり、そこは空き家が多いのに生活している人もいて、何もそんなところに住まなくてもいいのにと思うところがたくさんあった。

人が僻地といわれるような場所にまで住むようになった理由は、人口が増え新しい耕地が必要になったためとか、狩猟や漁労のため、造営林のため、さらには敵から追われたため、近所づきあいが煩わしくなったためなどいろいろ考えられる。また取得価格が安かったこともあるかもしれない。中には自らの意思に反し強制的に連れて行かれたこともあるだろが、そのようなケースは別にして、要は生きて行くためにそれまで住んでいたところよりも都合が良かった、あるいは悪さの程度が少なかったからに違いない。そして現実にその通りだった時代が長く続いた。

しかし社会全体が大きく変わり、今やそのようなところに住むメリットが減ってきた。その上世の中全体の生活水準が上がると、僻地に住む人は僻地ゆえの諸々の不便さを余計に感じるようになり、行政は少しでもそれを和らげるために、ライフラインの整備などをせざるを得なくなった。ただしそれも金と人の面でだんだん難しくなって来ている。行政だけではない、郵便や宅配、建物や家具、家電製品の保守など民間企業の僻地に対する経費も増えて来ている。

人口減少が急激に進むようになったのにいつまでもこのままで良いはずはない。僻地に住むことの必然性、メリットがなくなったのなら、市街地に戻った方が良い。いくつかの過疎地の市町村では、役場のある中心集落でさえかなりの空き地や空き家がある。そのような中心集落に、さらなる僻地に住む人々に移り住んでもらうのが良い。政府は東京一極集中を是正するために地方移住を促す政策を採っているというが、その前にまず地域内でもう少しまとまったらどうか。強制移住というようなニャンスで取られかねないが、限界集落の問題はもうそんなことは言っていられないところまで来ているのだと思う。

最近では人口減への対応を先取りしようとする「スマートに縮小する(Smart Shrink)」ということが言われ始めているがまさにその通りである。私はもっと積極的に「戦略的凝縮(Strategic Condense)」と言いたい。今わが国では住宅の8軒に1軒は空き家だと言われている。中には所有者が誰かわからず、朽ち果てて行政でも手を拱いているところも多いと聞く。これは地方だけでなく、首都圏や地方の大都市でも同様だ。それなのに相変わらず人々は分散して、疎になって生活している。

これは経済的損失だけでなく、安全面でも大きな問題になっている。特に近年急激に悪化してきた自然災害に対し、危険な地域に依然多くの人が住んでいる。首都圏を含む大都市の周辺でも同様だ。人口急増時には、海岸の埋立地やかつての低湿地の跡、旧河川跡、急峻な崖の下や上などが比較的手ごろな地価で入手できたことから多くの人が住むようになった。特にここ数年は毎年のように多くの犠牲者を出す自然災害が起きている。いったん災害が起きたときの復興などに要する費用は膨大なものがある。そのような土地に住む人たちを少しでも、自然災害に強い地域の空き家になっている家に移り住んでもらうだけでも犠牲者を減らし、災害時の経済的損失を減らすことができる。

不要になった土地家屋の買い上げ、解体し元の自然に戻す工事費、移住先での住居新築や改築などの費用、移住に伴う精神的苦痛に対する何らかの補償などの費用が必要となるが、これらはいずれも一時的な費用であり、限界集落や危険地集落を長期にわたって維持し続ける行政コストや関連企業の経費を考えると早晩回収できるはずだ。さらにこれは開発したところを自然に戻す事業であり、余分な維持費などランニング経費をなくすための新しい公共投資である。そして遠隔操作可能な農耕ロボットや森林伐採ロボット開発などのイノベーションにもつなげられる。

このような話は、先祖が苦労して開発した土地を捨てるのは忍びない、新しいところに行っても新たな人間関係を構築するのが億劫だ、自分はこのまま静かに生きてここで死にたい、など移住対象者のそれは嫌だという声が必ず出て来る。そしてそのような声は、弱者切り捨てはけしからんなどといったマスコミが好んで飛びつく話題に結びつき易い。そうではなく一度バラバラになった人々が再び集って生活し、より生産性の高い経済文化活動を行い、次の拡散に備えるために行うのだということを、当事者もマスコミも真剣に考えてほしい。

私は、これは「撤退とか縮小」とか「地方切り捨て」といった後ろ向きの考えではなく、再構築であり「凝縮」であると考えたい。どうしようもなくなってしまう前に、先回りして手を打つ、そして将来の再拡散に備えて、集合することでエネルギーポテンシャルを高める「戦略的凝縮」だと考えたい。ひとつの小中学校で、徒歩通学の生徒だけで野球やサッカーのチームができる、少なくとも集落の最少単位をこの程度にしないと地域のエネルギーポテンシャルなど高められないと思うし、こうなってはじめて地方移住の受け皿になれると思うのである。

さらにこれはひとつの市町村の中心集落ということだけではなく、もっと広範囲に、市町村をまたがって行った方が良いケースもあるだろう。離島なども同じだ。国土戦略として、例えば今後100年くらいのスパンでどの島を有人島に、どこを無人島にするかも決める。それを地理的、歴史的、経済的、あるいは自然環境面、さらには国防面などさまざまな角度から検討し、国民のコンセンサスを得るという手続きをきちんと踏んで行ってほしい。それがこれからの中央政府の重要な仕事だと思う。

政府は出生率の目標値を定め人口減対策を行うということだが、それを高める本当に有効な施策などあるのだろうか。そんなことをするよりも、人口減を先取りして、いったん各地域内で戦略的に凝縮することの方が有効だと思うのである。

全国を回ってみてきたことを含めこれらについてもう少し考察してみたい。まず人口減少だが、つい最近の新聞報道(2019年10月10日日本経済新聞)によると本年(2019年)の出生数は90万人を下回りそうだという。国立社会保障・人口問題研究所が出している最新全国人口推計(日本の将来推計人口)によると、わが国の人口は2053年には1億人を割り、99百万人台になるとしているが、その推計でも出生数の90万人割れは21年としており、それに比べて2年早い。このペースだと1億人を割るのは数年から10年くらい早まるのではないだろうか。そうだとすれば今世紀末には、日本の人口は今の半分になり、イギリス、ドイツ、フランスよりも小さな国になっているかも知れない。

次にインフラの老朽化だが、これも国土交通省の資料によると耐久年数が50年前後でそれをすでに越えているものが、2018年の時点で約73万あるといわれている道路橋では25%、約1万あるといわれているトンネルでは20%だが、それが2033年になるとそれぞれ63%、42%になるそうだ。このほかに道路や港湾施設、水道や送電線などのインフラ設備、さらには庁舎などの公共施設が、いずれも戦後の高度成長期に急激に増やしてきたものである。これらのメインテナンスも人や金の不足からとてもすべてはできないだろう。だから耐久年数が来たもののいくつかは使わなくても済むように社会の仕組みを変えて行かなければならない。

そして自然災害である。ここ数年自然災害の厳しさは、日本だけでなく地球規模で増していることは、正確なデータではともかく感覚的には多くが同意していることだと思う。地球温暖化によるものかどうかはわからないが、いずれにせよ有史以前以後にかかわらず、このように自然の驚異が続く時期というものは過去にも何度かあったようで、地球もその周期に入ったのかもしれない。地震だけでなく水害の被害も多発するようになった。水害発生の危険が高いところに住む人々が、一方で増え続ける空き家、そのなかでも比較的水害には安全な地域の空き家に移り住んでもらうべきである。そして移り住んだあとの地域は湧水池など自然に戻す、東京都のゼロメートル地帯を多く抱える江東区、江戸川区、葛飾区などは、鉄道や主要道路部分を残してその他全体を湧水池にするくらいの思い切った国土再構築が必要だと思う。1千万オーダーの所帯を対象とする大移住計画である。これこそが戦略的凝縮である。

早く先手を打たなければならない。それには金が要る。金が要るが、国民の大移住はそれによる引越しや家屋の新築やリフォーム、家財の購入など経済活動の活性化につながり、縮小時代の成長戦略になるはずである。そのための金は国民が皆で負担することが望ましい。

世界の先進主要国の中には、低負担低福祉のアメリカ型の小さな政府の国から、高負担高福祉の北欧諸国のような大きな政府の国などまちまちである。日本は少子高齢化に伴い社会保障費が年々すごい勢いで伸びて行かざるを得ないのに、消費税の10%化を決めてから実施までに3年も要すなど、負担を低くしたまま福祉を厚くしているように思える。そして直近の選挙しか考えない政治家はこれが出来ると言い張っている。だから財政赤字が増える一方なのである。

イギリス、フランス、ドイツよりも小さな国に向かい高齢化がますます進むのであれば、これからは高負担高福祉に向かうほうが得策なような気がする。消費税をヨーロッパ各国のレベルである15~20%までもって行けば大移住政策も可能になると思われる。ポピュリズムに流される今の政治家がもう少し長い目で将来を見て、国民の嫌がるようなことを堂々と説得するようになってほしいものだ。いやいきなりそこまで行かなくとも、そのような選択をする前の議論、すなわち国民の間での問題点の共有をするよう、政治家もメディアも努力してほしいと思う。

おわりに

全国津々浦々に行き考えたことを述べさせていただいた。これらは私が一介の旅行者として見て感じたことであり、データの裏付もなければ精緻な検証をしているわけでもない、暴論のようなものかも知れない。多くの反論があるだろうし、またこの種の話は「総論賛成、各論反対」になり易い。

戦後の拡大期、平成の停滞期を経て、残念ながらこれからの日本は急激な人口減により国の規模が縮小せざるを得なくなるのである。そこへもってきてインフラの老朽化、自然災害増加という、いままでにない問題に直面している。だからスマートに縮小するということだが、それには縮小過程における成長戦略がなければならない。それが国土大移住戦略だと私は思う。

しかし昨今のわが国は、ますますそのような議論から遠のき、戦略なきバラマキ政策が続いているように思えてならない。50年後、100年後を見据えた、国家戦略というか、国土戦略といった国家レベルの議論をしてほしいと思うのである。

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
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