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奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その6)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会
多摩慶応倶楽部


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)

奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その6)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日

昨年8月の新島・御蔵島以来8カ月ぶりの役場めぐりで5市町村に行き累計3257、いよいよ残が2つだけとなった。今回は九州本土にただ一つ残っていた鹿児島県垂水市の他は、沖永良部島、与論島、沖縄県座間味島の離島町村だった。飛行機で鹿児島に飛び、船で島伝いに沖縄へ、そしてまた飛行機で帰るという船中泊を含めた4泊5日、これでたったの5市町村だ。今迄では考えられないようなあちこちで余裕のある、私からすれば無駄の多い旅だったが、公共交通のみで、かつ離島は船という原則にとらわれるとそれ以上日数を縮めることはできなかった。

役場めぐりが続けられたポイントサービス

羽田からソラシドエアーと全日空のコードシェア便で鹿児島に飛んだ。私は市町村役場めぐりが目的の旅で、今まで多分百回以上飛行機に乗っているが、一部の例外を除いて飛行機代を払ったことがない。今回もそうだがマイレージサービスで溜めたポイントを利用したからだ。会社務めの頃飛行機での出張が多かったこと、退職後も海外に住む子供たちのところにほぼ毎年のように格安航空券で行き、それもマイレージが加算されたこと、さらにはクレジットカードを意識的に多用したことにより、残高はかなり減っては来ているものの、いまだに国内を年に2~3往復する程度のポイントが残っている。

全日空(ANA)グループの囲い込み戦略に乗せられたということだ。今でこそ商品購入やサービスのあらゆる分野で広がっているポイント制度だが、20年くらい前に航空業界ではじまったのが嚆矢だった。たまたまかつての出張先にJALではなくANAが就航していたところが多く、いつの間にかANAグループしか使わなくなった。航空会社にとってはポイント政策の典型的な成功例であり、こちらもその恩恵を享受しているのだから、顧客とのWIN-WIN関係が成り立っていると言える。マイレージが使えなければ、私の役場めぐりも途中で断念していたと思う。 いつも朝方に乗る西日本方面への便は右窓側席を取ることにしているが、雲が低く漂っていて途中下界は殆ど見えなかった。鹿児島空港には南側から進入した。国分市街地の京セラ工場などを真上から眺めているといきなり切り立った崖となり、茶畑の広がる台地上の空港に着陸する。私は勝手に炬燵(こたつ)型空港と呼んでいるが、周囲よりも高い所にあり、あたかも航空母艦のようで離着陸が容易なのだろうと思っていた。しかし先日アシアナ機が通常より低い高度で着陸しようとして滑走路手前のアンテナに接触する事故を起こした広島空港もこのタイプだ。原因はまだ解明されていないようだが、着陸直前に濃霧が発生したそうで、このような地形は気象が不安定になり易いということを新聞で読んだ。

今回も、まさに崖の途中で一瞬だったが雲か霧の中を通り窓外が真っ白で何も見えなくなった。しかし何事もなかったように滑らかに滑走路に滑り込んだ。

降灰の続く垂水

空港からは1日に4本しかない垂水港行きの路線バスに乗った。1時間半を要し料金は1250円だが、以前鹿児島に来たときに使い残していたプリペイドカードが使えた。桜島の東側を通ったときに、噴煙が落ちて来るのか煙が漂うようで視界不良になることが時々あった。空港を発車したときには数名の客があり、途中国分市内で乗降はあったものの、垂水まで乗り通したのは私だけだった。

垂水市役所に近い「垂水駅跡」というバス停で下車した。1987年廃止となった大隅線の駅跡が垂水鉄道記念公園になっている。プラットホームの一部とレールや車輪が残されているが、手入れをしている形跡もなく、鉄道なんて全く忘れられているように思えた。なお大隅線というのは志布志の方から順に開業し、最後に垂水(海潟温泉)・国分間を開業したのは1972年だったので15年間しか営業していなかった。

3253番目となる垂水市役所の写真を撮り、ラーメン店に寄り、垂水港からフェリーに乗った。鹿児島市の鴻池港まで45分ほどだったが、鹿屋と鹿児島市内とを結ぶ路線バスが客を乗せたまま、一般の車とともに乗っていた。垂水市の人口は17千人ほどで市の中では下から10番目、私が役場めぐりを正式に始めた1992年には22千人だったので20%以上の減だ。鹿児島市へは船でないと行けないという交通面での不便さの他、桜島の噴火なども人口減の理由になっているのではないだろうか。道路にたまった黒い灰を見てそのように感じた。

今や貨物がメイン 沖縄航路

奄美の島伝いに沖縄まで行くフェリーが毎日鹿児島港を18時に出港する。途中奄美大島の名瀬で50分、徳之島、沖永良部島、与論島のほか沖縄中部の本部港にそれぞれ30分ずつ寄港し、那覇に19時に着く。翌朝朝7時に那覇を出航し翌朝8時30分に鹿児島に着く。所要時間は行きが25時間、帰りが25時間半だ。1隻の船が4日で1航海するわけだが、2隻ずつ船を所有しているマルエーフェリーとマリックスラインの2社が1日おきに交互に運行している。

鹿児島から乗船したのは、マルエーフェリーの「フェリー波之上」8100トンで4隻のなかでは最も新しい2012年9月に就航したものだ。先代の「波之上」は退役後韓国の船会社に売られ、定員を増やすなどの改造をしたのち「セウォル号」という名前になり転覆事故を起こし多くの死者を出した。
定員707人だが鹿児島出航時には130人ほどだった。内装はきれいで設備も良く、鹿児島新港のターミナルビルのボーディングブリッジから船内に入ると、エスカレーターで上階に上がり、そこがエントランスになっていて、レストランもあった。

2等和室は薄い絨毯の上にザコ寝かと思っていたら、一人ひとり用のマットが敷いてあり、頭の部分は簡単なパーティションがある、寝台電車サンライズ出雲の「ノビノビ座席」のようなものだった。2050円追加して2等B寝台を予約していたが、こちらは1室に8人分の幅広二段ベッドがあり、カーテンでプライバシーが守れるうえ、各ベッドには読書灯だけでなく電源コンセントもついていた。 ほとんど揺れもなく熟睡でき、まもなく名瀬に着くという放送で目が覚めた。名瀬では40人くらい下船し10人くらい乗船したが、1時間近くかけて荷物の積み下ろしをしていた。フェリーの後部開口部では下船するトラックなどの間を縫うように、たくさんのフォークリフトが船に入ってはコンテナを持ち抱えて戻って来る。一方船の前方ではクレーンで大型コンテナの積み下ろしをしている。旅客船というよりは貨物船だ。

さらに一睡し、3時間少々で徳之島亀徳港に着いた。ここでも大量のコンテナの積み下ろしがあった。これだけの大型船になると、岸壁に繋ぎとめるロープの扱いだけで10人くらいの男手が必要だし、フォークリフトの運転手やクレーンで上げ下げするコンテナの扱いなど総勢3~40人が港側で忙しく動き回る。時間に急かされながら、何かひとつ手順が狂ったら出航が遅れてしまいそうな、とても見事なキビキビした動きだった。

そして2時間ほどで沖永良部島和泊港に着いた。鹿児島から17時間30分、寝台料金を含めて15230円、飛行機だと1時間15分で正規料金は33000円だ。私が離島は原則飛行機を利用しないとしているのは、宿代も含め安く済むということもあるが、港での荷役を見ていると物流を通じてのその島の生活、偉そうに言えば経済活動が手に取るようにわかるような気がするからである。

琉球文化への入口 沖永良部島

船からの光景は、奄美大島や徳之島はいかにも山脈の最上部だけが海上に姿を現しているようなのに対し、沖永良部は全く違う平らな島だ。港周辺の光景も、徳之島の亀徳港周辺はホテルや病院など7~8階建ての高層建築物もいくつかみられる市街地の様相だが、沖永良部になるとそれらが一回り小さい。和泊港の埠頭は海上を埋め立てた人工島のようなもので、前日は強風で船が着岸できず那覇まで行ってしまったという。船客も困っただろうが、大量の貨物の後処理はもっと大変だっただろう。

ボーディングブリッジなどなく、地面までタラップを降りたが、振り返ると船は巨大なビルのようだった。役場のある和泊の中心街へは1.5キロくらいで、まず和泊町役場へ歩いて行こうと思っていたのだが、今晩泊まるもう一つの町、知名にある国民宿舎フローラルホテルの送迎車が待っていた。特に出迎えを頼んだ覚えはなかったが、せっかくなので乗せてもらった。ホテルまでは港から約12キロ、15分ほどの乗車だった。

荷物を預けてからすぐ近くの知名町役場の写真を撮り、昼食を済ませ、隣接する沖永良部バスの本部に行き後述のような会話をした。そして1200円のバス1日乗車券を買い、一旦島の最北端にある空港を見てから和泊市街地に戻った。和泊町役場に行った後、近くの「西郷南洲記念館」というのがあったので、200円払って入ると初老の館長のような人が実に丁寧にいろいろな説明をしてくれた。

ここは西郷隆盛が1862年から64年までの1年半の間、薩摩藩の遠島処分により獄中生活を送った所で、庭先に牢屋小屋があり中で正座して沈思黙考する西郷の等身大の人形があった。西郷は島民に学問や食料備蓄の仕方などを教えたので、この島では大恩人に思われているそうだ。館長らしき人は、西郷の生涯すべてを語りたい風だったが、こちらはそれにも興味があったがすぐに脱線して地理的な質問を繰り返した。それにもしっかり答えるかなり知識と教養に富んだ人だった。すぐ隣の南洲神社には犬を連れた西郷さんの銅像があり、上野の銅像をコピーしたものだそうで五分の一くらいの大きさだった。

和泊からは大きく島の外周に沿うバスに乗って知名に戻ったので、島内の集落のあるところの大半を通過することができた。また翌日は午前中自転車を借りて島の南部を一周した。島で一番高いという標高200メートルくらいの大山の中腹の道19キロくらいを走ったが、良く舗装され案内標識も随所に設置されていた。それでもアップダウンが結構あり、電動アシストはおろか変則ギアもないママチャリだったので良い運動になった。

奄美群島と呼ばれている奄美大島から与論島までの島々は、15世紀には琉球王国の支配下にあり、17世紀からは薩摩藩島津氏に支配された。このときに沖縄本島以南は琉球王国として薩摩の属国という扱いになったが、与論島以北は薩摩藩の直轄地となった。このスキームが明治の廃藩置県にも踏襲され、さらに戦後の沖縄返還後も続いているわけだが、言葉や風習など文化的な面では奄美群島は琉球色が今でも強いそうだ。

それでも徳之島と沖永良部島の間を境いとして、方言などかなり異なり、島唄の歌い方なども違うそうだ。産業は農業が主体で、サトウキビ、ジャガイモ、花卉が主なところで、最近は観賞用の花卉が多いと言う。港で花卉用の専用コンテナが積まれていたのを思い出した。特に菊の切花は、なぜか仙台を中心とする東北地方へ多く出荷していたが、東日本震災で減少し少しずつ取り戻しているとのことだ。菊に限らず島の生産物はすべて鹿児島にいったん運んでから国内外各地に送るそうで、那覇が東アジアの物流ハブとして脚光を浴びてきているが、島の物流は依然として鹿児島経由のままだそうだ。これらが「西郷南洲記念館」で聞いた話である。

この島は人口14千人ほどだが、高校が1つあるほか小学校が9、中学校が4あり、人口の割には多いような気がする。知名に内燃力発電所があり出力は19千KW(九州電力HP)である。

沖永良部バス企業団

知名の小型バスが2台入る車庫の2階にある永良部バス企業団の事務所を訪れた。こちらが川崎市のコミュニティバス利用者協議会の者であると名乗ると企業長職務代理者という町役場を退官したばかりの人と実際の実務をこなしている主査とが対応してくれ、大変熱心に当方の状況を聞きくなど、1時間にも及ぶ実りの多い会話ができた。

当バス企業団は、和泊町と知名町との共同で運営する公営のバス会社である。車両は路線用7台、貸切用3台を所有し、4路線15往復を運行している。他にタクシー会社に委託しているタクシー路線があり定期4便のほか客があるときにのみ運行する不定期便(デマンド便)があり、和泊埠頭と和泊市街地間もデマンド運行している。概ね60分サイクルのパターンダイヤになっており、和泊バス待合所をハブに各方面への乗継ができるなど良く工夫されている。料金は距離制で初乗りが140円だが島の末端同士を結ぶ知名・空港間は850円だ。またこの間の所要時間は47分である。

年間の運賃収入は、路線と貸切がそれぞれ7百万ずつで合計14百万、路線の収入は月間60万円弱で土日も運行するので1日当たり2万円程度である。これに対して運行コストは年間90百万ほどなので、76百万の赤字である。赤字分は両町で51百万を補助、国の地域交通活性化による補助金が12百万、その他基金の運用や取り崩しなどで埋め合わせているという。運転手は大半が契約社員で7人、他に専属スタッフが3人いる。

コストが年9千万円というのは月にすると750万ほどだ。我が川崎のコミュニティバスは、車両購入等の初期一時コストは市の補助があったが、平日は33往復運行し月間コストが160万、これを補助なしですべて運賃収入や広告費で賄わなければならないという話をしたところ驚いていた。補助がないことよりも、なぜそのような低コストでできるのかに驚いたようで、ここでも今後はコストダウンを考えなければならなくなって来ているのかも知れない。

コミュニティバスというと、一般にはコストを精査するよりもいかに赤字を埋めるかという議論が主のようだ。それは一面では雇用を守るなどの地域の事情からそこにはあまり手をつけないという暗黙の合意があるのかも知れないが、いつまでもそれが続くものでもないだろう。我々のサービス内容を見て、運転手のローテーションの仕組みなどかなり突っ込んだ質問を受け、逆にこちらがインタビューを受けるほどだった。

その後で実際にバスに乗った。空港では、ちょうど奄美大島からの便が付いたところで20人くらいの客が降りてきたが、そのうち背広姿の3人がバスに乗ってきた。運転手の話では、それでも全般的に客が少なく、乗客ゼロの便も結構あること、高校生の通学には全く利用されておらず、それは運賃が高いからだろうと言っていた。

リピーターを増やせるか 与論島

ホテルの車で港まで送ってもらった。次に乗船したのはマリックスラインの「クィーンコーラル8」4945トン、4隻の中では最も古い1999年就航のものだ。定員が通常は300人、臨時は798人となっており、臨時客用イベントホールというのがあったが施錠されていた。那覇まで通しの切符を買い、与論島で途中下船するという方式を採ると320円安くなることを知った。もっと早く、鹿児島で気が付いていれば4030円も得することが解った。なお鹿児島・那覇間の寝台を除く料金は15450円である。

与論港まで1時間45分ほどだったが、ちょうど中間あたりで鹿児島に向かう昨日乗った「フェリー波之上」とすれ違った。このすれ違い場所がここでなく、例えば徳之島・沖永良部島間であったなら、私の役場めぐりで多用した「稲妻方式」、すなわち先に与論島に行き、沖永良部島に戻り那覇に向かうという方式が採れ1日短縮できる。とまあそんな思いも浮かんだが、各島の荷役時間などを考えると今のこのダイヤがベストであることには疑いがない。

与論島は沖永良部よりも更に平坦で、周囲はリーフに囲まれその内側の海水の目にも鮮やかなブルーが船からも良く見えた。一か所だけリーフのないところが与論港だが、ここも防波堤がなかった。港のすぐ横、2~30メートルくらいの高さの切り立った崖の上が空港で、着岸する船に並行するように飛行機が飛び立って行った。ここでもホテルの送迎車が来ていた。下船客の中から乗ったのは私一人だったが、2~3分走った先の空港で10人くらいの団体風の客を乗せ、それから2~3分走ってホテルに着いた。

港と役場の間ならは便利だろうと、あまり良く調べずに予約したホテルだったが、そこは滞在型のリゾートホテルで、本館から離れたコテージのひとつに案内された。広い敷地の中にテニスコートやミニゴルフ、プライベートビーチまである家族向きの、役場めぐりではまず縁のないところだった。レジャーで滞在している客のほかに、作業服姿の工事関係者も多い。今や滞在型ホテルにとって重要顧客なのかも知れない。

部屋で一休みしてから役場のある茶花地区まで歩いた。途中に与論発電所や製糖工場があった。島の2大工場のようだ。3256番目の与論町役場の写真を撮り、周辺をブラブラ歩き、居酒屋で黒糖焼酎を傾けた。店の主人が以前リゾートホテルの板前をしていたそうでいろいろな話が聞けた。

公共交通機関としては(株)南陸運という貸切バスやタクシーを運行している会社が「南バス」という路線バスが走らせている。43分で島を一周するもので、北回り南回りの各5本ずつだが、空港や港には行かない。この会社には系列のホテルもあったが先月閉館している。

翌日は午後の船までの間、また自転車を借り島を一周した。沖永良部と同様のママチャリだ。ほぼ海岸に沿った道を走ったが、バスは少し内側の、台地上の周回道路を走るのでバスと出会う機会はなかった。海岸沿いの道といっても結構アップダウンがあり、全部で21キロくらいだったが2日続けて良い運動になった。珊瑚礁に囲まれた海岸はどこも美しく、沖縄北部や沖永良部島も良く見えた。かつて沖縄がアメリカ統治時代には日本の最南端の島として、美しい珊瑚礁の島として大変賑わった。その頃建てられた大きなホテルのいくつかが、廃墟のようになって残っていて、かつてのこの島の栄華が偲ばれる。

それでも今の人口は5400人、同じ規模の離島では多い方だ。全体が平坦なのでサトウキビなどの農地が多いのと、牧畜が盛んで、人と同数くらいの牛が飼われている。だから自転車に乗っている間中独特のにおいがした。東京から南海のリゾートに行くならば、沖縄へ行った方が交通費も宿泊費も安いだろう。しかしこの島の独特の雰囲気、少人数で独占したような気分になるこじんまりした静かできれいな海岸の数々も悪くない。そういうものを好むリピーターが来る島、それがこの島の存在価値かも知れない。

沖縄へ

与論港から乗船したのはマルエーフェリーの「フェリーあけぼの」8083トン、ビルの4~5階に相当するような長いタラップを登る。左手に沖縄本島、右手に2006年に行った伊平屋島と伊是名島が見える。「フェリーいへやⅢ」が当船の航路を横切って行く。その時に乗った船かと思ったら今月から就航したばかりの新造船だった。伊平屋では海が荒れ、島に2泊したことを想い出した。

そのうち右手につばの広い麦わら帽子のような特徴のある姿の伊江島が見え、本部半島の先端を周回するようにして本部港に入港、ここでも多量の車両やコンテナを下ろし最終航路となった。那覇に着いたのは夕暮れ迫る19時で、港は市役所にも歩いても15分くらいで行けそうな繁華街に近い国場川の河港ともいえそうなところだった。飛行機が一般的でなかった頃は、唯一の外への口、中央駅のようなところだったのだろう。 離島航路の発着する泊港までは2キロくらい離れており、そこにあるホテルまで歩いた。

沖縄随一の国際通り 座間味島

那覇から40キロほど西方にある20余りの島々が慶良間諸島で、ここは昨2014年3月に全国31番目の国立公園に指定された。ザトウクジラの繁殖、サンゴの生息など多様な生態系を有し、透明度の高いすぐれた多島海の景観が高く評価されたそうだ。有人島が4、そのうち面積も人口も最大の渡嘉敷島が渡嘉敷村で、残りの3島が座間味村に属する。

沖縄県でただ一つ行っていなかったのがその座間味村だ。いままで2度チャレンジしたが荒天による欠航で果たせなかった。

10時ちょうどに泊港を座間味行きと渡嘉敷行きのフェリーが出航する。隣同士の島なのに、周回航路を取らずに別々の船が行く。私の役場めぐりに効率が悪いだけでなく、社会全体の経済効率からも得策ではないと思うのだが、いまだにこれが続いている。

同時出航と言っても港外までの水路が狭いので、渡嘉敷行きが先に離岸し、その後を座間味行きが追う。さらにこの5分前に粟国島へのフェリーも出航したので、500トン前後の同じような3隻が列を連ねたが、那覇港の大防波堤を出るとそれぞれの島に向かって直進した。渡嘉敷へは1時間10分で行けるが座間味へは2時間10分と1時間も余計にかかる。それば途中の阿嘉島に寄るためだ。なお両島ともフェリーの他に高速船があり所要時間は半分くらいだが、料金は2倍くらいになる。しかし高速船を使っても、ダイヤの関係で1日に両島に行くことはできない。

慶良間諸島に囲まれた静かな内海に入り阿嘉島に寄港する。3つの島が海上橋で繋がっていて、その南端の外地島(ふかちしま)は無人島だが800メートルの滑走路をもつ慶良間空港がある。しかし現在定期便は就航していない。主島である座間味島と阿嘉島の間も、距離は短く橋を架けられそうだが、国立公園となり環境規制が厳しくなるなか、そんな話はあるのだろうか。

座間味港の観光案内所には外国人の係員もいて、島を紹介するパンフレットも英語、中国語、韓国語だけでなくフランス語とスベイン語のものまで置いてあった。船ではそれほど気が付かなかったが、島に上陸すると西洋系の外国人の多さに驚かされた。他にも外見ではわからないが東洋系外国人も多そうだ。港に面した狭い平地に小さな集落があり、狭い路地に商店や飲食店、民宿がひしめき合い、村役場もそこにあった。この道こそ、今や那覇市内のそれを凌ぐ沖縄随一の「国際通り」だ。村役場は今迄に見た庁舎の中で最も小さいと思ったら、これは仮庁舎でこれから庁舎を新築するとのことだった。そういえば一昨年渡嘉敷島に行ったとき、村役場庁舎が新築直後であったことを思い出した。

ちょうど昼休みの時間だったが、役場の受付で「この島には発電所があるのか」と聞いたらキョトンとした顔をしている。良く見ると外国人だ。観光案内などをしているらしい。奥から日本人の職員が出て来て「隣の渡嘉敷島の発電所から海底ケーブルで引いてきている」と答えてくれた。

村営バスが走っていて、三菱ローザというマイクロバスだが、恐ろしいほどのボロ車だ。あちこちへこみ、錆がむき出しになっている。運転手の話ではもう10年以上走っているという。わが川崎のコミュニティバスも三菱ローザだが、5年で車両を買い替えるよう積立金をコストに積むよう求められている。5年の減価償却と同じ考え方だが、我々はもっと長期間使えるはずだからコストは下がるはずと言い続けている。良い事例が見つかった。このバスは港と東西二つの集落を結ぶ2路線があり、乗り心地を確かめたくそのうちの1路線を往復した。急坂を登り降りして隣の集落に行く。エンジン音は多少高いが難なく走った。1台の車両を、2人の運転手で2路線16往復しており、1日の走行キロは100キロだという。

バスは役場のもので白ナンバーだった。行きは私以外に客はいなかったが、帰りは観光客が4人乗って来た。船の出航までの3時間の間に、役場に行き、バスに乗り、標高130メートルという高月山という展望台まで歩いて登ったりして結構忙しかった。

泊港に戻り、今回の旅では自宅と羽田空港との往復以外では唯一の鉄道である沖縄モノレールで那覇空港まで乗った。以前に比べかなり混雑しているように思われた。首里から先、浦添市内までの延長工事が行われているが、そろそろ3両編成にすることを検討してはどうだろうか。那覇から東京までの飛行機も満席だった。

残る二つは、広島県の惣領町(現在は庄原市の一部)と東京都の小笠原村である。来月会社時代の仲間と広島に行くので、現地集合の前に行くつもりだ。この夏最後の小笠原に行き、私にとってのライフワークを終わらせたいと思っている。

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
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(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日