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格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その10)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会
多摩慶応倶楽部


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)

格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その10)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日

青春18切符と私鉄3社による期間限定の割引切符を使って三重県の市町村役場めぐりをした。我ながら結構上手い使い方をしたのではないかと思っている。青春18切符で乗れる「ドリームながら」を日が変わる0時過ぎに横浜から乗り、早朝4時30分豊橋で下車、1時間ほど待って開いた名鉄の切符売り場で「ワイド3・3・SUNフリーきっぷ」を買った。これは6000円で3日間、名鉄・近鉄・南海3社の鉄道全線とグループ会社の鉄道・バス・船が乗り放題というもので正に市町村役場めぐりにはうってつけの切符である。これと往復に青春18切符を使っての超経済的な旅行を今回は行った。

 今回は三重県の合併直後の市町村をまわるのが主目的だが、この切符を有効に使いたく、ひとつだけ未訪問で以前から気になっていた渥美半島の先端、愛知県の渥美町にも行った。豊橋鉄道の始発電車で終点の三河田原へ、伊良湖岬へ行くバスを途中下車して町役場に寄る。豊橋鉄道の電車は東急の中古のステンレカー、銘盤には昭和42年東急車輛製造とあった。私が就職したのは昭和43年で昨年末定年退職したのだから、この電車の方がずっと働き者だ。

 伊良湖から鳥羽まで伊勢湾フェリーで渡った。フェリーの料金も含まれていた。

伊勢湾と英虞湾の出口を船で渡る

フェリーは途中で漁船と接触したとかで海上保安庁の指示で停船した。以後の計画に支障が生ずるのではないかと不安になったが、30分くらいの遅れで鳥羽に着いた。鳥羽ではもともと1時間の余裕を見ていたので早足で市内を歩き予定していた近鉄の賢島行き各停電車に間に合うことができた。豊橋からここまで、電車とバスと船の切符を普通に買っていたら3000円くらいになっていたので、フリー切符の効果が早くも現れてきた。  まず昨年(2004年)10月1日に合併して志摩市となった5町を順にまわった。フリー切符で近鉄の特急に乗車するには別途特急券が必要なので各停の電車に鵜方まで乗り阿児町へ、鳥羽で降り始めた雨が段々と強くなってきた。ここから三重交通のバスで大王町、更に志摩町へ行く。このあたり人口も多くバスもほぼ30分ごとに走っているので効率がいい。途中太平洋に面した海岸沿いでは津波のための防波堤の上を走ったが、2階建ての屋根よりも高かった。いずれの町の役場も合併後は志摩市の市支所となっており、旧志摩町の役場などは志摩市志摩支所となっていた。志摩という名は全国的に有名だし、合併5町の属している郡名でもあるので新市名決めはすんなり行ったのだろうが、他に候補として英虞市(あごし)とか伊勢志摩市などがあがっていたと聞く。ちょうど昼の時間になり、志摩支所の向かいに「手こね寿司」という看板があったので入ってみた。

ごはんの中にかつおの刺身のブツ切りを入れ醤油でまぜたものだがなかなか旨い。他にも何軒かあったのでこの地方の名物らしい。これにうどんのついたセットで1000円だった。
 志摩市は英虞湾を囲むような形で5町が合併したのだが英虞湾の出口、目の検査でCの字の切れている方向を言わされるがその言い方をすれば左の部分、旧志摩町の突端部御座と対岸の浜島とを結ぶ定期船がある。といっても日に5往復あるだけで朝9時台の次は14時台、その次は16時台と少ない。旧5町をまわるならばやはりこの船を利用して1周するのが地理好きとしてとるべき行動であるが、逆に言えばこの船のダイヤに制約された行程しかとれない。それでも早朝に豊橋を出てから順にまわり丁度良い時間帯に船があったものである。10分で対岸の浜島港に着いた。船長ひとりの船には他には男女1名ずつの高校生が乗っていただけで折り返しの便の乗客はゼロだった。ここに架橋をしようという看板があったが意味があるだろうか。

 浜島支所に寄った後磯部までバスに乗り旧磯部町役場へ行ってみるとここも支所、ではどこが本庁舎になったのだろうかと近くの本屋で聞いたところ、市役所のどこに行きたいのかと聞かれた。こちらは別に用事があるわけではないので、とりあえず市長はどこにいるのかと聞いてみた。市長に用がある客にはとても見えなかったと思うが親切に教えてくれ、阿児町にある三重県志摩庁舎の中に市長室があるとのことだった。県の施設の中に市の本庁機能がある珍しい例だが、阿児支庁前バス停でバスを待つ間に道路の向かい側にあった県庁舎の建物の写真を撮っておいて良かった。志摩支所の庁舎が最近建ったばかりの豪華なものだったので、あるいは合併後の市役所をねらったのかも知れない。しかしずば抜けて規模が大きくもないのに市名と市役所まで取るというのは許されなかったのではないだろうか。

ところで、どこででも感じることだが、合併によりひとつの市町村が広域なものになると県の支庁との機能や業務に重複するものが出てくるのではないだろうか。そういう意味で、市と県支庁が同居するというのは今後の行政の簡素化に繋がるのではないかと期待したいところだ。もっともこちらで買った中日新聞によると新志摩市の市議会議員の定数は26人だが合併時の在任特例により今年の10月までは75人のだそうだ。一部議員が早期解散案を提出したが反対多数で否決されたとのこと。合併の効果が出るまでまだまだ時間を要するようだ。

磯部から今回の合併対象ではないが余計なバス代がいらないので南勢町まで往復した後初日に泊まる松阪に行った。

伊勢商人の町は城下町の面影 松阪

松阪には今から13年前、1992年の11月に本格的に市町村役場めぐりをしようとしてから最初のそれのみを目的とした旅行をした時に寄っている。この時は東京から夜行バスで堺に着き、奈良県五条、十津川を下り和歌山県新宮に泊まり、翌日は紀勢線に沿って三重県を北上し松阪から夜行バスで池袋まで乗ったのだった。松阪に着いた時は夜遅くすでに暗くなっていたので市役所には寄らずバスを待つ間夕食をとっただけだった。

松阪市は今年の1月1日に周辺の4町と合併した。名前は松阪市と変わらないが人口は167千人と四日市、津に次いで3位になった。今回の合併対象となった櫛田川の流域奥深く連なる2つの町、飯南町と飯高町へ行くのだが、その途中13年前に行こうと思って行っていなかった勢和村へも寄って行くことにした。バスは国道166号線を行く。この道は松阪から奈良県の大宇陀、橿原を通り大阪府の羽曳野まで129キロほどの国道だが途中までは和歌山街道という。江戸時代紀州徳川家の領地だった勢州18万石を統轄する紀州藩松阪城代が置かれた松阪と和歌山との間にはそれなりの交通があったのだろう。本社のお偉方や支店幹部の往復で賑わっていただろう街道も今は閑散としていた。勢和村へは松阪から直行するバスはなく、途中から村営バスに乗り換えた。合併後の旧町役場はいずれも地域振興局という名称になっており、英語で Area Promotion Bureau と表記されていた。バス停はいずれも役場前となっていたが、4月からのダイヤ改正時に地域振興局前に変わるというお知らせが貼ってあった。

昼前に松阪に戻り市内を見物がてら市役所へ行くことにした。駅前の観光案内所に寄り地図をもらい、100円でリュックを預け、傘を借りた。松阪牛が有名なので1000円くらいで牛丼ランチのようなものがあるかと2~3の料亭の前を通ったときにのぞいてみたがそんなものは見つけられなかった。市役所は城の入口のようなところにあった。この城は天正16年(1588年)蒲生氏によって築城された。蒲生氏というのは滋賀県蒲生郡から秀吉により封じられたが、私は昨年のゴールデン・ウィークに蒲生に行っている。このときは蒲生町と隣の日野町が合併し蒲生市となることになっていたがどういう理由かそれが解消となり、蒲生町は今年2月に合併して発足した東近江市との合併を検討しているという。このように合併の動向は最後までわからないことが多いが、それはともかく散発的に全国を回っていたなかで、このようなつながりが見つかってくると結構楽しいものだ。蒲生氏はその後小田原の北条征伐の軍功で会津若松城主となり、松阪城は2~3の城主の入れ替わり、その後紀州徳川家の地区統括本部になったのは前述の通りである。

カラスの正義

 松阪牛は次回一人旅でないときまでの楽しみにとっておくことにして、結局昼食はどこにでもあるようなお好み焼き定食で済ませてしまった。松阪の北隣の旧三雲町へバスで行き、その北にある香良洲町までは地図によれば3~4キロなので歩いてゆくことにした。途中に雲出川という一級河川がありこの川を境に松阪と津の文化や経済圏が変わるようである。この川の南側で松阪を中心とする5市町の合併が行われ、北側では来年1月1日に津を中心に10市町村の合併が計画されている。今回の旅は松阪と津と、それに明日行く伊賀市を構成する市町村を重点的にまわることにしており、新しい津となる10市町村もまわることにしている。

 その新しい津となる市町村のうち最初に行こうとしているのが香良洲町だが、ここで計画ミスをした。持参した道路地図のページがまたがっていたこと、直線距離では確かに3キロくらいだが途中の香良洲大橋を渡らなければならないので三角形の2辺を行くことになり実距離は4キロを越えること、それなのこの間を36分で歩こうというのがもともとの計画だった。そして香良洲町役場前からのバスで津駅前に出て、バスを乗り換えて芸濃町へ行くという予定にしていた。ところが歩いている途中からとうてい予定していたバスには間に合わないことがわかってきた。運良くこの間だけ雨が休止していたが、走っても間に合いそうもない。そのうち雲出川大橋の上にでた。橋長300メートルくらいの橋の上から下流の方向を見ると1キロくらい先に町役場らしい建物が見える。橋を渡った先にはバス停があり町役場前を発したバスが2~3分後に来るはずである。道路標識にはこの先香良洲町役場という標識もある。

 カメラを望遠にして役場らしい建物とこの道路標識を撮っておいて、橋のたもとからバスに乗ればいいではないか、誰も見ていないのだし、という気持ちが湧いて来る。一方いやそれはだめだ、後で誰かが行程表を見ておかしいと言うかもしれないし、そうなると今までもそういうことがあったのではないかと一瞬にして信用を失うのではないかという長年組織にいた人間の考えがそれを打ち消しにかかる。いやそんな正直にすることはない、所詮は自分の遊びである、そんなことをしていたらとても全件達成なんかできない。橋を渡りながら、大げさにいえば自分の中の正義と邪悪とが言い争いをしていた。

「でも、やはり」を何度か繰り返しているうちにバス停前に来ると間もなく津駅前行きのバスがやってきた。そしてとうとう正義が勝った。バスを見送った。更に1キロほど歩いて着いた町役場は2階建ての小さなもので、橋の上から撮ろうとしていた建物とは別のものだった。結局予定していた芸濃町には行けなくなってしまったが役場の正面まで行くというルールを破らないで済んだということで安堵の胸を下ろしたのである。45年ぶりに読み直している「レ・ミゼラブル」の感化もあったのかも知れない。津に着くと再び雨が激しくなってきた。北隣りの河芸町と西隣りの美里村へ行ってから津市役所近くの旅館に泊まった。

津市

津の市役所は津城址の近くである。藤堂高虎以来藤堂家が支配した津藩の城下町として、その後は三重県の県庁所在地になっているが人口160千人は四日市市の289千人だけでなく鈴鹿市の188千人よりも少ない。そのためなのかどうか来年1月予定の合併は周辺の9市町村を含む大規模なものだが、それでも283千人と四日市には及ばない。カラスの正義から芸濃町には行けなくなってしまったが、久しぶりに合併前の役場まわりなので残りはすべて行くにした。3・3・SUNフリーきっぷの3日目、近鉄電車を乗り回しながら久居から伊勢中川へ、松阪でひとつ残った嬉野地域振興局まで急ぎ足で往復した後近鉄大坂線の次駅、河合高岡駅で降り一志町役場に行った。

この近くでは近鉄とJR東海の名松線が近接していて、近鉄駅と役場とJR駅が、1辺が150メートルくらいの正三角形の各頂点あるといった感じである。JRの単行ディーゼネカーに乗り美杉村と白山町へ行った。今回の旅で勢和村営バスに続くフリー切符が使えない区間、もちろん青春18切符を使えるがこれだけのために1日分を使うのはもったいないなので、ワンマン列車の運賃箱にお金を入れた。列車の中での登山客から、美杉村を通る北緯34度32分の緯線は太陽の道といわれていることを教えられた。なんでも伊勢の斎宮址を東端として淡路島の伊勢久留麻神社までの200キロの間のこの線上に、古代遺跡や古い由緒をもつ神社が点在していて、いずれもが太陽神の祭祀に関係があるとのことである。全くの偶然なのか、古代に正しい方位を測定する技術があったのか、いずれにせよ興味の湧く話である。名松線というのはもともと松阪と名張とを結ぶ計画だったが終点は伊勢奥津で私も鉄チャン時代に終点まで乗ってすぐ引き返したことがある。今回は終点の2駅手前の伊勢八知駅で降り駅前の美杉村役場へ行った。駅前というよりここが間違いなく全国駅近役場のトップに違いない。駅前というよりも駅横、ホームに停車したディーゼルカーから降りて60歩で役場の入口についてしまう。野球のベース間、いやバッテリー間の距離よりも短いのではないだろうか。

伊勢国から伊賀国へ

この後は白山町から榊原温泉口まで町営バスに乗り大阪方面へ、長い青山トンネルを抜けると伊勢から伊賀に入る。そして伊賀神戸駅で、標準軌の大阪線とは異なるJRと同じ狭軌の支線、伊賀線に乗り換え上野市に着いた。

昨年11月1日に6市町村による合併で伊賀市となったので、後追い訪問である。ここも三重交通のエリアでフリー切符が使えるので、今日の内にバスでしか行けない大山田村と阿山町へ行った。両方とも駅前からバスで往復したのだが、その間も駅前で1時間の待ち時間が生じた。松阪と同様観光案内所で地図をもらったが急に強い雨になり急いでバス・ターミナルに戻り雨宿りをしながら待った。

大山田村では風力発電に力を入れているようで、役場の帰りに寄ったショッピング・センター前のバス停横の所にその説明をした看板と、山の上の風車が覗ける望遠鏡が設置してあった。覗いてみるとたしかに東方の山の尾根上にゆっくりとまわる風車が何基か見えた。説明板によると高さ50m、羽根(ローター)の直径が50.5mの3枚羽根のものが20基あり1基の最大出力750Kwなので合計15千Kwの出力だから人口6千人弱の旧大山田村は十分これでまかなえるということになる。尤も風が相手の最大出力なので通常はこうは行かないだろうし、それよりも常に電力が上下するからなかなか実用にはむずかしい。超大型のバッテリーが開発されることを期待したい。

 阿山町の役場前では豪雨というような降りになり屋根つきのバス停から一歩も出られなかったが、バス停から写真を写すことができた。それよりも役場の退庁時間なのに帰りのバスに乗ったのは私だけで、役場の通勤にすらバスが使われなくなっている現実を目の当たりにした。

 伊賀上野では厚生年金事業振興団の経営するウェルサンピア伊賀というところに泊まった。今話題になっている社会保険庁の無駄な施設のひとつかも知れない。温泉つきのホテルで確かに一般のホテルに比べてエレベーター前のホールや廊下がやたらに広いという感じがするが、従業員の対応も良く泊まった印象は悪くない。年金受給者は5200円、それ以外の加入者や一般の料金を聞きそこなったが、今年から受給者になったので一番安い料金で泊まれた。インターネットで申し込みをしたのだが、この値段は1泊2食のものだと勝手に解釈していて随分安く泊まれるものだと喜んでいたが、食事はなしの素泊まりの料金だということがチェックインのときにわかった。食事つきでこの値段ならば随分安いなと思っていたし、さすがは厚生年金だと感心もしていたがそんなことはなかった。それでも温泉つきだから良いとしよう。

夕食は中にレストランがあったのでそこで済ませた。テレビをつけるとどのチャネルも大阪の放送が入る。松坂では名古屋の放送だったが、大阪のベッドタウンとなった名張と同じようにこの辺りはもう大阪の文化圏になるのだろう。三重県は近畿地方と教わったが最近は愛知、岐阜、静岡とともに東海地方として括られることが多く、会社の営業管轄などもそのようなケースが大半である。近鉄では青山トンネル、関西本線では加太トンネルあたりが、名古屋と大阪の文化的な境界になっているようだ。

再度伊賀から伊勢へ、そして旧東海道に沿って

最終日、朝食付だと思っていたのでたくさん食べるための時間を考え行動予定を立てていたのだが、朝食もないとわかればゆっくりする必要はない。うまく行けば一昨日行きそこなった芸濃町に行ける、そうすれば新しい津市となる全10市町村を完璧にまわることができる、と宿を7時前に出発した。上野市駅までのバスがないので3キロくらいの道を歩いたが、おかげで途中伊賀国分寺跡や寺町通りによることもできた。またマクドナルドで朝食を食べることもできた。

もう3・3・SUNフリー切符は使えないので近鉄の上野市駅から関西本線の伊賀上野駅まで220円を払って乗る。その後は青春18切符の2枚目を使った。朝方で列車本数が多いのでこれも伊賀市となった旧島ヶ原村と旧伊賀町の役場を、どちらも駅から半ば走るように早足で歩かなければならなかったが、効率よくまわることができた。伊賀町から関町の間には前述の加太超えがあり、途中の中在家信号所で対向列車待ちをした。スイッチバックの信号所なので一旦バックしてから対向列車をやり過ごす。稲妻方式だがこういう場合はジグザグ方式という方がふさわしい。何度か通った所ではあるが、スイッチバックで止まったのは始めての体験で、今回大阪と名古屋の文化圏の境界を意識していただけにいい思い出になった。 関は昨年の滋賀県訪問時の土山以来の東海道の宿場町、古い町並みがよく復元されており草津、石部、水口、土山のどこよりもここが一番観光に特化しているように思われた。その関町も今年の1月11日に隣の亀山市と合併し、まだ新しい巨大な役場の表示は亀山市関支所となっていた。

亀山には以前に行っている。あとは芸濃町にどう行くかである。実は亀山からバスがあったことを後で知ったのだが、津からのバスのダイヤはわかっていたので津経由で行くことにした。こういうときに青春18切符はありがたい。高校生の期末試験か何かにぶつかったのだろうか1両のディーゼルカーは途中から超満員になり津には10分近い遅れで着いた。すぐに芸濃町へ行くバスに乗車、役場前というバス停があるものの町役場は昨年9月にかなり離れた場所に移転しており、バスの運転手から聞き手前のバス停で降りた。

新しい役場は1キロ近く歩いた畑の中にスマートな姿で建っていたが、ここも来年1月に津市の支所になるはずだ。役場としてはわずか1年3ヶ月の期間で気の毒な気もするが、随分前から計画し工事も始めたところに降って沸いたように合併の話が出てきたのだろう。帰りのバスまで時間があったので前の役場にも行ってみた。無人の建物の玄関には庁舎移転の張り紙がしてあったがバス停は役場前とそのままになっていた。確かに古くはなっていたが、この程度の古さの庁舎は他にもたくさんある。合併の話が出てきただけに早まった新庁舎に対する批判など出ていないのだろうか。

前日までは三重交通はフリーパスで大分得をさせてもらった。今日は津からのバス代を払ったのであるが復路はそれでも少しでも節約しようと津の手前で降り紀勢線には一身田という津のひとつ亀山よりの駅から乗車した。室町時代に起きた真宗高田派の総本山専修寺を中心とする伝統的建造物群が残り、周囲に堀の残る寺内町や門前町が残されていた。津まで行っていたら知らずに終わるところだった。

その一身田駅から亀山に出て、途中長島で下車して長島町役場に寄り、名古屋に向かった。そして東海道本線の在来線を浜松、静岡、熱海で乗り換え川崎に、さらに南武線で自宅最寄りの久地駅までに日の変わらないうちに着いた。「青春18切符」での東海道在来線はもう何度目だろうか、いやまだまだ数回はあるだろう。

(2005.3.20記)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
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(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
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