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新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その5)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会
多摩慶応倶楽部


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)

新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その5)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日

公共交通機関による市町村役場めぐりもいよいよ残り9となったが、このうち7つは離島の町村である。さらにそのうちの3つは東京都の離島だ。小笠原は最後までとっておくことにして、その前に伊豆七島の新島と御蔵島に行くことにした。どちらも今までに乗船した船が寄港したことがあるが、上陸はしておらず、だから役場には行っていない。

その一方、残りの役場が少なくなるとともに、公共交通機関の中でまだ利用したことのないものがあったことに気がついた。小型プロペラ機とヘリコプターだ。だから今回はこのふたつの「乗物」と、この6月から東海汽船に就航した最新のエコシップ橘丸に乗ることも目的にした。陸上交通と違って天候によって運行が左右されることが多く、一度に両方に行く計画が立てにくかったので、7月に新島、8月に御蔵島と、二度に分けて行くことにした。

公共交通機関とは、及びその種類

公共交通機関とは何か、今更ながら実はこの定義は結構難しい。法的、あるいは学説的な定義があるかどうか知らないが、私は、①誰でも利用することができる、②定期的に運行されている、このふたつを満たしているものを公共交通機関としている。タクシーも公共交通機関であるとタクシー協会の役員の人が言っていたが、②を満たしていない。また地方などには多いデマンド型や事前予約型のコミュニティバスも②を満たしていない。スクールバスや各種施設などの送迎バスは①を満たしていない。また「有料である」という条件を当初入れようと思っていたが、地方のコミュニティバスで①②を満たしているが無料というものがあり、実際にそれに乗って役場に行ったこともあるので、この条件は除外した。

次にその種類である。いろいろな分け方があるが、大きくは軌道系、非軌道系、水上系、空中系といったところか。そしてそれぞれをもう少し細分化したものをカバーできれば良いと考えた。軌道系であれば2本のレール上を走る鉄道だけでなく、モノレールや新交通システムがあり、モノレールには東京多摩地区で、側方案内式のものには埼玉新都市交通で伊奈町に行くときに、磁気浮上型のものには愛知高速鉄道(リニモ)で長久手町に行くときに乗っている。鋼索系だけは、役場めぐりでは乗っていない。

非軌道系と言えばバスであるが、大型からマイクロ、更に小型のもののほか、普通の乗用車タイプのものまで、①②を満たしているものは利用している。また一部でも専用道路を走るBRTにも福島県の白棚線で棚倉町に行くときに乗っている。しかし名古屋市内を走るガイドウェイバスや黒部ダムで走っているトロリーバスには、乗ったことはあるが、役場めぐりのためではなかった。

船はエンジンのついたものしか乗っていないが、水上を移動するものとしては、水中翼船のような高速艇にも乗っている。大分空港のホバークラフトには、乗船体験はあるが役場めぐりのためではなかった。でもこれは厳密に言えば水中ではなく空中の乗物かも知れない。(注1)帆船や手漕ぎのもので①②を満たすものがあるのかどうかは知らない。

そして空中である。今まで多くの型式の飛行機に乗ったが、最も小さかったのは与那国島に行ったときの琉球エアーコミューター(RAC)のDHC-6(20人乗)である。ところが①②を満たすもので、調布飛行場から伊豆諸島に行く飛行機はこれよりもさらに小さい。低空飛行で伊豆諸島まで、どんなコースを辿りどのような景色なのか大変興味があり、これにも乗りたくなった。さらに島嶼間に①②を満たすヘリコプターが運行されている。これにも乗ってみることにした。なお今まで離島で船と飛行機がある場合は、原則として船を利用することにしていた。しかし今回は、種別を増やすという目的も適えようと、飛行機とヘリコプターを利用することにしたのである。

なんとも時代遅れな搭乗方式

伊豆七島へは全日空が大島と八丈島へ定期的に運行しているが、調布飛行場から新中央航空(NCA)が小型機を定期運行している。この会社は、茨城県の竜ヶ崎飛行場に本社があり、他には遊覧飛行や写真撮影飛行、操縦訓練のための飛行などを行っている。通常期は1日に大島に3往復、新島に4往復、神津島に3往復のほか、今年の4月から三宅島にも3往復している。三宅島便はそれまで全日空が羽田から運行していたものの代わりで、廃止代替とも言えるコミュニティバスのような路線である。

機材はドイツのドルニエ社のドルニエ228という双発ターボプロップ機を各路線に1機ずつ割り振り、他に予備機と思われるものが調布に駐機していた。巡航速度は時速350キロ、19人乗りで座席は通路を挟んで両側に1列ずつ、幅はマイクロバスよりも狭い。なおドルニエ社は倒産したので、2010年よりドイツのRUAGエアロスペース社がライセンスを継承し生産している。

この会社の、予約から搭乗までの手順が何ともアナログである。ホームページはあるが予約は電話でしか受け付けない。電話で希望の便と、名前と、電話番号を告げるだけで予約完了である。そして当日飛行場に行き、カウンターで名前を告げると年齢と体重を聞かれ、手荷物の重さを計らされる。搭乗券はない。支払は現金のみでクレジットカードも使えない。最初に予約した便を、都合により前日に電話でキャンセルしたが、キャンセル料は取られなかったし、同社発行のパンフレットにも「キャンセルの連絡はお早めにお願いします」とあるだけでペナルティの記載はどこにもない。予約しておいて当日乗らなかったらどうなるのだろうか。

また搭乗までの流れも面白い。出発時間が近づくと、「××へ行く方はセキュリティ検査を受けてください」というアナウンスがあり、保安検査用のゲートをくぐり搭乗者用の待合室に入る。持物は目視検査だ。搭乗券などないから誰でも入って行ける。やがて係員に案内され、地上をゾロゾロと歩き、飛行機の入口ステップ前で全員集合となる。ここで係員がリストを見ながら客の名前を呼び上げ、返事をした客から機内に入る。順に前列から座る。飛行機に乗った証拠は、現金支払いの領収書だけである。

調布飛行場は小型機専用で滑走路の長さ800メートルの都営飛行場だ。戦前に民間航空機用として建設されたが、戦中は陸軍が使用し、戦後は米軍に接収され、1973年に全面返還された。79年に新島との便が新中央航空により開設され、その5年後に大島便が開設された。先日テレビで放映していた「男はつらいよ」シリーズ第36作で、栗原小巻扮する式根島の小学校の先生が調布飛行場から新島に行くシーンがあった。30年前の映画だが、そこではバラック小屋の前から飛行機までワゴン車に乗っていた。 昨年3月に完成したばかりの旅客ターミナルの建物はガラス張りの明るい感じのもので、新中央航空のチェックインカウンター前は広々とした清潔な感じの待合室になっていた。建物だけは新しいが、その方式は栗原小巻のときと違わないのかも知れない。調布の駅からはバスがあり、この4月より増発され1時間に2本程度走っている。空港連絡というよりも、近隣住民のためのもののようで終点が飛行場となっているが、なぜか京王バスではなく小田急バスだ。

最初は終始雲の中、2度目は楽しい遊覧飛行

まず7月、新島行に乗った。調布周辺がかなりの雨で視界が悪く天候調整中で待たされ、1時間半遅れで離陸した。まず島とは反対側の北に向かって飛び立ち、中央線の武蔵小金井駅上空に来たが下が見えたのはここまで、間もなく右に旋回し南に向かったようだが厚い雲で下界は何も見えない。揺れは殆ど感じずこの状態が30分近く続くと間もなく左手に新島の北部の山並みがうっすらと見えて来た。そして左に90度曲り新島空港に向かった。着陸寸前風にあおられ機体が上下左右に揺れたが、眼下に村役場などを見ているうちに何事もなかったように着陸した。

結局飛行の間何も見えず、どこをどのように飛んだのかもわからなかったので再挑戦することにした。1か月後、御蔵島に行くために、天気予報を良く見て1週間前に三宅島行きを予約した。今度は好天だった。伊豆の島々が見やすいだろうと思い右側の席に座った。今度は直接南に向かって離陸、小田急新百合ヶ丘駅、東名高速横浜青葉インター、相鉄二俣川駅、東海道線戸塚駅を下に見て、鎌倉市街上空から相模湾上に出た。遠方に見える富士山の頂上よりも低いところを飛んでいるようなので、高度は3千メートルくらいか。鎌倉の若宮大路や鶴岡八幡宮もはっきりと見えた。大島の三原山山頂は白い雲が被っていたが、東海岸に続く斜面と海岸線がはっきりと見えた。利島や新島も上部に白い雲を頂いていた。

やがて三宅島が現れた頃には高度が下がり、東海岸の淵を降下、三池港のすぐ南にある滑走路に北から進入した。新島のときと同様着地直前はフワリと何度か揺れたが、小型機の着陸寸前というのはグライダーのようなものなのかも知れない。海上すぐ先に御蔵島の大きな姿が見えたが、これもスポンジケーキの上にクリームを載せたように、雲が覆っていた。空港のターミナルは、客が20人も入ればいっぱいになってしまいそうな小さなもので、よくこんなところに全日空が来ていたものだと思う。保安検査用のゲートもなく、検査員手持ちの金属探知機を使う。もちろん荷物は目視である。

ヘリコプターで御蔵島へ

御蔵島へ行くためのヘリポートへは島の北部にあり、空港からは10キロ以上離れている。三宅島には2006年5月、青ヶ島・八丈島に行った帰りに離島研究クラブ仲間で五万分の一地形図全1247枚のすべてに足を踏み入れたSさんと来ている。大噴火の6年後でガスマスク持参だった。そのときは風向きの関係で西海岸阿古地区にある錆ケ浜港で下船、近くの中学校の校舎に仮設置された臨時村役場に行き役場めぐり1990件目とし、近くの民宿に泊まった。翌日の出航は東海岸の三池港だったので、島の南半分をバスで移動、途中火山湖の大路池や自然観察施設である「アカコッコ館」などに寄り道した。この島は約20年毎に大噴火をしている。2000年の大噴火のときは約3800人いた島民が全員島を離れ避難し、2005年以降帰島したのは2832人、噴火の度に千人くらい人口が減ると聞いた。

ヘリポートへは島を一周する村営バスで行くことにしたが、前回は南半分を乗り、今回は東から北へ乗るので、これで合わせて概ね四分の三周することになった。ただしヘリの出発までは5時間以上あり、空港にいたお巡りさんから途中の神着(かみつき)というところに和食の旨い店があると聞き、そこで下車した。付近には信金やJAの他、江戸時代の島役所などがあり、そこからヘリポートまで、東京都三宅支庁などに寄りながら2.5キロくらい歩いた。猛暑ではあったが、海からの風が心地良く苦ではなかった。

ヘリポートは案内標識もなく、見当をつけて辿り着いた。そこへの道路の歩道は雑草で覆われ人が歩いた形跡がなく、車でしか行かないのだろう。2時間くらい前に着くと、小さな小屋に男性職員が1人いて、隣にある火山対策避難施設で待つように言われた。これは火山ガス濃度が高まったときなどに住民が避難する場所として三宅島村が作ったもので、鉄筋3階建ての棟には300人収容でき、食堂や浴室も備わっている。ここの1階ロビーがヘリコプターの待合室も兼ねているようだった。ここへはその隣にある三宅中学校の校庭を通って来ることができるが、そのような案内も見落としていたようだった。

御蔵島に行くには船のほか、三宅島で飛行機からヘリコプターに乗継ぐ方法があると案内冊子などに出ているが、実際には空港とヘリポートが離れているし、接続もされていない。バスも2~3時間に1本しかなく、それもヘリポートまでは行かない。シームレスを推奨したい公共交通推進派としては、大島や八丈島のように飛行場をヘリポートとして使えば良いと思うのだが、災害時のためのリダンダンシーということか、あえて離れた場所を使っているのだろうか。ヘリポートからは新島を、そしてその先の伊豆半島の山々を、そしてさらにその先の富士山を、うっすらとではあるが見ることができた。

大島からやって来たヘリコプターからは、釣りに行くような若者4人が降りて来た。他に1人、八丈島まで行く客が乗っていて、三宅島・御蔵島間を乗ったのは私1人だった。私自身ヘリコプターは初めての経験だが、操縦席の後ろに3列9人の座席があり、ワゴン車の感じだ。乗るとクレーンで釣り上げられるようにフワット上昇し、その後は水平飛行になる。巡航速度はどのくらいかわからないが、調布から乗った小型機と同じくらいのスピード感だった。御蔵島は全く平地がなく、どこに降りるのかと思っていると、斜面に建てられた鉄筋の建物の屋上に作られたヘリポートに向かった。そしてまたクレーンからつりさげられているように、というかシースルーのエレベータのような感じで、静かに丁寧に着地した。わずか10分の飛行だった。なお予約から発券、支払まではすべてネットで行うことができた。

新島

ここからは各島の役場訪問記である。まず新島だ。南北に細長く、北と南が山地である。この中間がラクダのこぶの間のような平地をもつ島で、役場のある島の中では大は佐渡島から、小は沖縄の渡名喜島まで、このタイプの島は日本に多い。八丈島も同様だ。

新島空港を降りたのは予定よりも1時間半遅れの13時過ぎだった。19人の客は皆迎えの車で早々にどこかへ行ってしまったが、私だけが徒歩で村役場に向かった。なお、今まで空港から徒歩で行った役場というのは、離島以外では高知空港から約3キロ離れた吉川村役場(現香南市支所)だけだ。離島の役場はもっと近いところもあるようだが、原則離島には船で行くことにしているので経験は少ない。ただし例外として、船の運行日の都合から飛行機を利用せざるをえなかった鹿児島県喜界島(喜界町役場)と沖縄県与那国島(与那国町役場)には、空港から歩いている。前者が1.5キロ、後者が2.5キロくらいだった。

今回もSさんが同行してくれたが、Sさんは前日の船で東京港を出て今朝新島に到着しており、役場で落ち合った。そしてこの後はSさんが運転するレンタカーで島内をまわった。新島村は、新島とその南にある式根島からなり、さらに新島は空港や役場のある本村地区と、険しい山で隔てられた北部の若郷地区とからなる。今年4月時点の総人口は2892人、うち本村地区が2038人、若郷地区が317人、式根島が537人である。本村と若郷の間には2003年に開通した延長2878mの平成新島トンネルで簡単に行けた。さらに若郷はふたつの集落に分かれており、この間を結ぶ延長413mの若郷トンネルが同じ時期に開通している。どちらも往復2車線で歩道付きの立派な、近代的なトンネルだ。なおこれ以前、1990年に延長739mの新島トンネルが完成しているが、2000年に発生した新島群発地震によって全半壊し、平成トンネルを作ったそうだ。

旧トンネルですら伊豆諸島では最長のものだが、それ以前は山越えの道は大変険しく、両村間は船による往来が主で、3つの島があったようなものだったのだろう。レンタカーは快適な道路を走り、長いトンネルもアッと言う間に抜ける。若郷の集落は殆ど人の気配がなかったが、港に行くとちょうど高速船が東京に向け出港するところで、乗船客や見送りの車、港湾関係者などで賑わっていた。大型船も高速船も、新島では原則は本村付近の前浜港着岸だが、風向きなどによっては若郷や東海岸の羽伏になることもあるそうだ。

小学校はかつて若郷にもあったが07年に本村と統合され廃校になった。現在本村にある新島小学校の生徒数は126人、中学はもっと早い62年に統合され現在の生徒数は49人、さらに都立の新島高校もあり、生徒数は48人だそうだ。後述する式根島から高校生が4人、船で通学していた。式根島を含めた新島村の人口は60年には5千人を超えていたので今は約半分に減っている。家族連れの海水浴客やサーフィンをする若者などで賑わった時期もあったが、ひところのような勢いはないようだ。またかつて防衛庁の試験場があり、科学技術庁が小型ロケットの試射などを行っていたこともあったが、今は種子島宇宙センターに移っている。

今日は式根島に泊まることにし、港で村営の連絡船「にしき」を待っていると、若郷からのコミュニティバスがやってきた。「ふれあいバス」という無料のバスだが、1日に3本定期的に走っており、誰でも乗れるので公共交通機関である。

式根島

式根島には役場がないので行かなくても良いのだが、せっかくならば東京都の有人島すべてに上陸してみたいと思い、ここに泊まることにした。新島から式根島へは連絡船で10分ほどだが、東海汽船の高速船や客船で行くこともできる。16時発の船には私とSさんの他は10人も満たない客で、その中には「ふれあいバス」から降りて来た4人の男子高校生もいた。さすがに小中学生だけは船での通学とは行かないのだろう。式根島小学校の生徒数は20人、中学校は11人だそうだ。

この式根島は伊豆七島の七島には入っていない。伊豆七島とは北から順に、大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島を指し、利島や御蔵島よりも人口が多い式根島が入っていないのは、この島に定住がはじまったのが明治21年(1888年)のことで、伊豆七島という呼び方をするようになった明治の初期には無人島だったからだ、と言われている。更に、かつては新島と地続きで、江戸時代の元禄大地震(1703年)で分離されたという説もあるそうだが、定かではない。しかし船から見ると、かつては陸続きだったという説も本当のように思えてしまうくらいの近さだ。

定住が遅れたのは水が得にくいからだったという。島内ただひとつの井戸が泊まった民宿のすぐ近くにあった。これは「まいまいず井戸」といって、露天掘炭坑のようにすり鉢状に掘り下げた穴の底に掘られている。そこに降りるために、すり鉢の内壁に作られた螺旋状の小道があり、これが「かたつむり」の巻き方に似ているのでこの名がつけられた。「かたつむり」のことを「まいまい」と言ったそうだ。

このような井戸は、武蔵野台地に多くあり、地下の伏流水が低いところを流れる扇状地などに最適な方法らしい。式根島では明治の入村とともにこの井戸が掘られ、生活用水として長い間使われていたが、現在は新島から海底パイプで水が送られてくるので使用していない。伊豆諸島には、八丈島にも同じような井戸があるそうだ。 民宿の先の岩場には露天風呂があったが、水着着用が必須で、それを持ち合わせていなかったのでパンツ姿で入浴、恰好良いものではなかった。翌日は島内を歩いて散策し、昼前の大型船「さるびあ丸」5000トンで東京に向かった。調布・新島間を除いては、天候はまあまあであった。

御蔵島へ

御蔵島は全く平地がなく、屋上がヘリポートになっている急斜面に建てたビルの階下は産業センターといって、同島名物のツゲの加工品と、ペットボトルに入った飲料水を作る工場になっていた。ヘリポートの道路を挟んだ正面が小中学校でその左隣が村役場だった。ヘリポートを駅とすると、全国駅近役場ベストテンの上位になる。港からだと急な上り坂の連続で1300メートルくらいある。役場の写真を撮り、この時点で累計3252、残り7となった。

この役場がこの島の集落の最もはずれであり、その先は300メートル位進んだところに一軒家があるだけで、これが今晩泊まる民宿だ。集落は役場から港に向かう狭い斜面にビッシリと集まっており、ここに169世帯、305人(2014.4.1現在)、正確にはそこから1軒の民宿の家族を除いた人数の人が住んでいる。民家をはじめとする多くの建物は、ここ10年くらいの間に建て替えられたような、新建材を多く使った新しいものだった。

ヘリポートから登り坂を10分くらい歩いた先の民宿には15人くらいの客が泊まっていたが、私以外は全員がイルカウオッチング目的のようで、翌朝いくつかのグループになって出かけて行った。私はイルカにはどうも興味が湧かないので、民宿から更に2キロくらい先にある火力発電所まで歩いて行ってみた。外から眺め写真を撮っただけだが、出力600KWAというから十分な電力量だ。他に水力発電所もあり、10%程度の電力をまかなっているという。

この島は年間5~6千ミリの雨量があり、水は豊富で、水道と電気には困っていないようだ。水力発電所も見に行きたかったがさらに数キロ先なので諦めた。途中の道は都道で、滅多に車は通らないがガードロープが張られ、良く整備されている。驚いたのは100メートルおきくらいに街灯が整備されていることだ。夜なんか人も車も全く来そうにないのだから勿体ない気がした。

船の出航が12時半なので、それまでは役場や、歴史資料館などに行き、駐在さんや店のおばさんなどいろいろいな人から話を聞いた。役場の職員は20人だが地元出身者は3割、他は東京からの赴任、21人いる小中学校の先生は大半が赴任、それもほとんどが家族を本土に置いての単身赴任だそうだ。学校は小学生が13人、中学生が7人だが減る傾向にある。それは第一子が高校生になると、家族全員が本土や高校のある他の島に移住してしまうからだそうだ。最近イルカウオッチングなど観光を業とする若い人が住むようになったが、なかなか子供が増えるようにはなっていないとのことだ。

今日は葬式があるので殆どの店が午後は休むと聞いたので、早めの昼食をとった店で聞いた話だが、島のお年寄りは、殆どは本土か三宅島の病院で亡くなり、そこで荼毘に付し島に納骨するのだそうだ。しかし今回は島で亡くなり、島には火葬場がないので、土葬にするとの話だった。今は大半の都府県で土葬は禁止されているので、特例として許されているのか、あるいはお目こぼしなのだろうか。(注2)

駐在さんとは港で話をした。ちょうど新旧の交代日に当たり、2人と話ができた。任期が2年と決まっており、こちらは家族連れでないと赴任できない。2人とも子供の手が離れ、子供を本土の自宅に残し奥さんだけ連れて来たという。いままでの駐在さんの新赴任地は世田谷区で、新任は桜田門の本庁から来たという。島の駐在さんには、一応休み(非番)の日はあるものの、船やヘリの離発着時には必ず港やヘリポートで立ち会うそうなので、泥棒などは滅多にいないと思うが、なかなか大変な仕事のようだ。

御蔵島は森林が深く、雨が多く、従って周辺の海が栄養豊富で、これによりプランクトンが多く発生し魚が集まる、そしてそれを食べにイルカが集まるそうだ。歴史資料館の話では、それでも川の水で海に流れ出すのは往時の四分の一程度で、これは生活用水などに使われるからだという。もしもこの島が無人島になったら、川の水が元通りになり、魚やイルカもさらに増えるのではないだろうかと思った。人口減の時代を迎え、有人島の何割かは無人島になると聞く。生活の不便さ、島を維持いる行政コストを考えると、御蔵島は無人島化する可能性の高い島のひとつだろう。自然保護の面からは無人島化した方が良いかも知れない。イルカ観光は、三宅島を基地にしても良いのかもしれない。イルカのおかげか、若い女性観光客をたびたび見かけ、結構活気が感じられる島だった。

スーパーエコシップ橘丸

御蔵島からの帰りは、今年の6月に就航したばかりの橘丸に乗った。1973年に引退した先代の橘丸には65年頃、学生時代に大島へ行くのに乗船したことがある。戦争中は病院船になったり、座礁転覆したりした数奇な運命をたどった船だが、東海汽船と言えば橘丸というくらい、私には記憶に残る名船であり、今回その名を冠した新造船に乗れたのは嬉しかった。

5700トンで三宅・御蔵・八丈島航路に登場したが、定員は596人、これを大島から神津島までの航路に使う場合の定員は1000人だそうだ。ディーゼルエンジンの他に電動駆動プロペラをもつ「ハイブリッド方式」で、低燃費、低騒音、低振動を実現しているとパンフレットにあった。発進停止を繰り返す自動車や鉄道車両に比べ、通常は定速度で、かつエンジンも最も効率の良い回転数で運行する船にとって「ハイブリッド」がどんな経済効果があるのかはわからないが、確かに音は静かだった。

又船内も変に豪華にしておらず、シンプルで清潔な作りにしているのも感じが良い。レストランは窓に向かったカウンター席があり、長時間いても楽しめた。自販機がたくさんあり飲食類の種類も豊富だが、売店はない、これも新しい行き方か。コイン式のシャワーもあり、トイレもホテルかデパートのそれと同じくらいクリーンな感じで、便座も温水洗浄つきだった。 今までこの航路は三宅島から東京港まで直行していたのだが、橘丸になってから上り、すなわち島発の便は大島に寄港するようになった。下りが寄港しないのは、早朝3時頃になってしまうからだろう。御蔵島から東京港までの8時間、大半はデッキで過ごしたが、レストランに行ったり、客室で寝転んで読書をするなどして、全く退屈しなかった。

今回は2回に分けて2村に行き、これで累計3252、いよいよ残りは7となった。うち5は離島である。大物の小笠原に薩南諸島、まだまだ船の旅を楽しめそうだ。

(注1)ホバークラフトは商標であり一般名称はエアクッション艇、または空気浮揚艇。工学上は航空機に分類されるが、日本の法律では主に水上走行することから船舶に分類されている。(ウィキペデアより)

(注2)東京都の「墓地等の構造設備及び管理の基準等に関する条例施行規則」より 第六条 条例第十四条第一項の規定により知事が指定する土葬を禁止する地域は、特別区の存する区域並びに立川市、武蔵野市、三鷹市、青梅市、府中市、昭島市、調布市、小金井市、小平市、日野市、東村山市、国分寺市、福生市、狛江市、東大和市、羽村市及び西多摩郡のうち瑞穂町並びに大島町の区域とする。

2014年7月5 日(土) 東京都
長尾台8:24 → 9:01 調布飛行場自家車送迎(12.3km)
調布飛行場12:19 → 13:02 新島飛行場新中央航空203便(12:26/12:59)
新島飛行場13:08 → 13:25 新島村役場徒歩1.6km3251新島村
新島村役場13:35 → 13:56 若郷港レンタカー
若郷港14:32 → 15:07 石山展望台レンタカー
石山展望台15:25 → 15:50 新島港レンタカー
新島港16:20 → 16:33 式根島港東海汽船にしき
2014年7月6日(日)
民泊8:30 → 10:00 式根島港徒歩(集落等散策)
式根島港10:25 → 17:40 竹芝桟橋東海汽船(さるびあ丸)
2014年8月20日(水)
長尾台7:45 → 8:30 調布飛行場自家車送迎(12.3Km)
調布飛行場9:15 → 10:05 三宅飛行場新中央航空401便(9:21/9:54)
飛行場前11:41 → 11:56 神着村営バス
神着12:50 → 13:02 三宅支庁徒歩1.0Km
三宅支庁13:10 → 13:25 三宅島ヘリポート徒歩1.6Km
ヘリポート15:20 → 15:30 御蔵島ヘリポート東京アイランドシャトル3252御蔵島村
2014年8月21日(木)
民宿8:40 → 11:30 御蔵島港徒歩 (集落等散策)
御蔵島港12:40 → 20:35 竹芝桟橋東海汽船(橘丸)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日