著者プロフィール                

       
新校舎での生活 〜 私の良き時代・昭和!(その25)

森田 力

昭和31年 福岡県大牟田市生まれで大阪育ち。
平成29年 61歳で水産団体事務長を退職。
平成5年 産経新聞、私の正論(テーマ 皇太子殿下ご成婚に思う)で入選
平成22年 魚食普及功績者賞受賞(大日本水産会)
趣 味  読書、音楽鑑賞、ピアノ演奏、食文化探究、歴史・文化探究

新校舎での生活 〜 私の良き時代・昭和!(その25)

中学二年生の時に新校舎が完成し移転した。今までの旧中学校は隣の小学校が引き継ぐことになった。

新しい校舎となったが依然として給食設備はなく、昼休憩になると学校を抜け出し、パンや駅近くの中華料理でチャーハンとラーメンのセットをよく食べた。

しかし、父兄らから「中学生が昼間に駅前をうろついて中華料理を食べるのはけしからん」という意見もあり、学校から外出することはできなくなった。それでも、不良グループはそのルールを守らずに塀を乗り越え食べに行っていたようだ。

 この時期は、青春ドラマが流行していたこともあり、それに引き摺られるように剣道部を作った。勿論女の子の参加もあった。部活を開始したころ、一年生の女の子から告白されたことがある。体は小さく純情な幼い子であった。心に傷をつけたら大変と思い、二~三度遊びに行ったことがある。自転車に乗って近くの公園に行きバトミントンをした。

そこには同級生のカップルも来ており、ばったりと出会ってしまった。次の日は周りから冷やかされる始末である。幼い子を傷つけたら駄目だぞとか、年下、それもあんなに幼い子が趣味だったのか等々。私は「そうだ趣味だ。悪いか」といってやった。

 この当時は、学習塾というものはなかったので、結構遅くまで学校に残り、時間をすごした。一番仲の良かったのがN君である。当時N君のお父さんが公立大学の経済学部長ということで、N君もその大学へ入ることが第一希望であった。

数回彼の家に遊びに行ったことがある。大きな芝生の庭を有した平屋の家であった。家族ぐるみでアカデミックな感じのする家庭であった。お父さんにも一度会って、挨拶をしたことがある。とても知的なお父さんであった。N君も浪人を経験して希望を叶えたと聞いている。(ちな)みにお兄さんは国立のK大学に通っていた。その後東京の航空会社に就職するが、近畿では有名大学であっても東京に行けば地方大学の扱いで冷遇されたといっていた。

このN君はフォークソングが大好きで自分の部屋にはビートルズや好きなシンガーの写真が飾ってあった。遊びに行くといつもフォークギターを弾いて一緒に歌を歌った。

私もフォークギターが欲しくなり新聞配達のバイトをするようになった。都会はよく似た通りや町並みで、よく朝刊を入れ間違ったりして、販売店に苦情が寄せられたようだが、配布先を覚えるのが一苦労であった。やっと覚えたと思ったら、新規で増えたり止める方もおり、配布するリズムが狂い、また間違うということもあったが、めげずに朝夕しっかり働いて三万円を貯めたのであった。

その現金を持ってN君とともに天王寺の楽器専門店にギターを見に行ったのである。N君は流石(さすが)に詳しく、彼の助言を聞いて、「ハミングバード・二五〇」というフォークギターを購入した。またその店で練習用教材とピックも購入し、連日コード練習をしたが、左手の指先が痛くて痛くてたまらない。痛い中で弾いていると指が青くなってきた。その後はいつの間にか指タコができていた。「ギターを弾くとこんなに痛いのか」と思った。

苦労して上達したころにはギターを学校に持参し昼休みにフォークギター同好会に参加していつも歌っていた。なぜだか参加するのは女子生徒の方が多かった。そのギターは現在も私の書斎の本棚の横に置いてある。

 またこの時の音楽に親しんだ経験が現在の趣味となっているピアノの演奏にも生かされているから面白い。

 ピアノの演奏は独学で勉強し、バイエル一〇六番まで習得するとともに、ピアノコードも併せて覚えた。その後は自分の思うように曲をアレンジして弾くことを覚えた。今では「となりのトトロ」「君がいたから」「風の谷のナウシカ」「ドラゴンクエスト」「ひょっこりひょうたん島」「朝ドラ曲」などとともに「いきものがたり」「ゆず」「山口百恵」「ユーミン」「ザード」の曲、その他「懐メロ」「演歌」に至るまで下手だがいろいろ、自由に弾いている。

私の良き時代・昭和! 【全31回】 公開日
(その1)はじめに── 特別連載『私の良き時代・昭和!』 2019年6月28日
(その2)人生の始まり──~不死身の幼児期~大阪の襤褸(ぼろ)長屋へ 2019年7月17日
(その3)死への恐怖 2019年8月2日
(その4)長屋の生活 2019年9月6日
(その5)私の両親 2019年10月4日
(その6)昭和三〇年代・幼稚園時代 2019年11月1日
(その7)小学校時代 2019年12月6日
(その8)兄との思い出 2020年1月10日
(その9)小学校高学年 2020年2月7日
(その10)東京オリンピックと高校野球 2020年3月6日
(その11)苦慮した夏休みの課題 2020年4月3日
(その12)六年生への憧れと児童会 2020年5月1日
(その13)親戚との新年会と従兄弟の死 2020年5月29日
(その14)少年時代の淡い憧れ 2020年6月30日
(その15)父が父兄参観に出席 2020年7月31日
(その16)スポーツ大会と学芸会 2020年8月31日
(その17)現地を訪れ思い出に浸る 2020年9月30日
(その18)父の会社が倒産、広島県福山市へ 2020年10月30日
(その19)父の愛情と兄の友達 2020年11月30日
(その20)名古屋の中学校へ転校 2020年12月28日
(その21)大阪へ引っ越し 2021年1月29日
(その22)新しい中学での学校生活 2021年2月26日
(その23)流行った「ばび語会話」 2021年3月31日
(その24)万国博覧会 2021年4月30日
(その25)新校舎での生活 2021年5月28日
(その26)日本列島改造論と高校進学 2021年6月30日
(その27)高校生活、体育祭、体育の補講等 2021年7月30日
(その28)社会見学や文化祭など 2021年8月31日
(その29)昭和四〇年代の世相 2021年9月30日
(その30)日本の文化について 2021年10月29日
(その31)おわりに 2021年11月30日