著者プロフィール                

       
少年時代の淡い憧れ 〜 私の良き時代・昭和!(その14)

森田 力

昭和31年 福岡県大牟田市生まれで大阪育ち。
平成29年 61歳で水産団体事務長を退職。
平成5年 産経新聞、私の正論(テーマ 皇太子殿下ご成婚に思う)で入選
平成22年 魚食普及功績者賞受賞(大日本水産会)
趣 味  読書、音楽鑑賞、ピアノ演奏、食文化探究、歴史・文化探究

少年時代の淡い憧れ 〜 私の良き時代・昭和!(その14)

少年時代の淡い憧れ

 高学年になると異性が気になり始めた。同じクラスで癒し系のE子さんと美人系のH子さんが人気を二分していた。今はどうしているのだろうか。元気で暮らしているだろうか。

 E子さんは私の自宅からほんの二~三分のところに住んでいた。そして溌剌(はつらつ)としていて笑顔を絶やさない体育会系のボーイッシュでハーフっぽい女の子であった。女子からも人気があった。

 一方のH子さんは見た感じは清楚で控えめな女の子で、一見お金持ちのお嬢さんのように見えた。たまたま彼女が病気で学校を休んだときに、私が学校通信を届けることになった。彼女は商店街の近くに住んでいたことは知っていたが、友達の女の子に家まで案内され「え~っ」と心の中で愕然とし、わが目を疑った、ということがあった。

 目の前に映ったのは私の家より古びた感じの古い長屋の家であった。引き戸を開け「こんにちは」と挨拶すると、奥から小奇麗なおばあさんが「はいはい何ですか」と出てきた。「学校通信を持ってきました」というと、「ありがとう、お蔭さんでH子はよくなってきましたよ。明日から学校へ行けるでしょう」といって、大きな声で「H子、H子、お友達が連絡票を持ってきてくれたよ」と呼んだ。すると彼女は部屋の障子を開けてニッコリと微笑んで「遠くまで持ってきてくれてありがとう」とやさしくいってくれた。

 私に向けられたその笑顔がまたとても眩しくて、幸せな気分になった。帰りにはおばあさんがちり紙にビスケットを包んでくれた。ほんの短い時間であったが、とても素敵な時の流れであり忘れることはない。

 後で知ったことだが、彼女は何かの事情でおばあさんと二人で暮らしているとのことだった。このことを聞いて私の心に衝撃が走った。このような境遇にありながら、いつも彼女は笑顔を忘れず、やさしく面倒見のよい本当に性格のよい素晴らしい女性であった。

 これを機に彼女への思いが大きく膨らんでいったのはいうまでもない。しかし、成績は良く可愛いこともあって、クラスの人気者であったから、男子から声をかける度胸のある者は誰もいなかった。女性としての品格というか、しおらしさ、一歩引いてたじろぐ姿はとっても可愛かった。

 彼女の思い出というと、彼女が学校を休んだ次の日、メモ用紙で「昨日はありがとう」というメッセージをもらったこと、それから、二人がそろってクラスの学級委員になった時は学校行事やクラスの世話をするのに一緒の時間を過ごせたことが思い出される。動物小屋の清掃当番はいつも一緒であった。彼女は私より遠くに住んでいたが、いつも私より早く登校し、動物の世話をしていたのである。しかも、私が遅く登校しても愚痴ひとつこぼさないのである。或時、私が動物小屋で無造作にしゃがんだとき「バリバリ」といってズボンが破れた時があったが、その際は、ズボンを修繕してくれた。汗が流れると、かわいらしいハンカチを「はい」といって貸してくれたこともあった。いつも石鹸の爽やかないい匂いがした。これは子供の頃の淡い恋物語である。その後、H子さんは家庭の事情で引っ越すことになった。お別れ会では先生のピアノで思い出の曲数曲とクラス一人一人が彼女へお別れのメッセージを贈った。私は「いつまでもどこにいても、爽やかな笑顔を忘れず元気に過ごしてください。今日まで有り難う」という程度の挨拶しかできなかった。

 その後、クラス全員で寄せ書きを作り彼女に贈った。彼女は最後に「皆さんと別れるのは本当につらくて寂しい。私は皆さんとともに過ごした日々のことは一生の宝物として大切にし決して忘れません。皆さんも私と過ごした楽しい日々をいつまでも心の片隅に思い出としてしまっておいてください。また再会できることを心から願っています。これまで本当に有り難う。そしてさようなら」とのお別れの言葉を残して去っていった。

 最後に担任の渡辺先生が話をされた。「もうすぐ小学校を卒業するに当たり、良い機会なので人生について少し難しい話をする。皆さんの人生は長いので今後出会いや別れは繰り返し起こってくる。H子さんとの別れも本当に寂しくてつらいだろう。しかしこれも大人へ向かう大切な経験であるので素直な気持ちで受け止め味わってほしい。

 長い人生においての目標は、これからそれぞれが色々な経験の中で見出していくことになる。しかしどのような人生になろうとも、最終的な目標とは、『一人の人間として幸福で有意義な人生を送ることではないか』と思う。その実現のために勉強を頑張って、良い大学に入学して、色々な実体験を積むことも幸福な人生を掴むための一つの手段であることには違いないし誰もがそのように考えてる。でも、それ(学識)だけではこの最終目標は達成できないだろう。勉強ができたとしても出世できない人がたくさんいるわけで、勉強も一つの手段であるが究極の手段ではないということを理解してほしい。

 また立身出世しても、その人が本当の幸せを得られるかどうかは別の話である。

 では有意義で幸福感のある人生を送るための心がけはというと、『自分自身が他人から好かれるような人間になること』が一番重要で近道ではないかと思う。

 それを実践していくためには、率先してまず自分自身の好き嫌いをなくす努力が必要である。そして自分のことのように他人に対しても接する心がけが大事である。また自然や自分の置かれた境遇を見据え常に生きていることに対し感謝をしながら人生を送ってほしい。

 人間は心が完全(健全)でないと人生そのものが不完全なものになる。健全な心(魂)にこそ肉体の発揚(はつよう)(活動)が伴うものと思う。みなさんも小学校を卒業し一歩大人に近づくことになるが、どうか少し視点を変えて自分で自分を磨いて行く努力を続けていってほしい」

■クラス全員が真剣に先生の話に聞き入っていたのを思い出す。小学生の私には「幸福で有意義な人生」といういわば哲学的なものの見方がわかるはずも無かったが、先生の熱い言葉が胸に響いたことだけは覚えている。

私の良き時代・昭和! 【全31回】 公開日
(その1)はじめに── 特別連載『私の良き時代・昭和!』 2019年6月28日
(その2)人生の始まり──~不死身の幼児期~大阪の襤褸(ぼろ)長屋へ 2019年7月17日
(その3)死への恐怖 2019年8月2日
(その4)長屋の生活 2019年9月6日
(その5)私の両親 2019年10月4日
(その6)昭和三〇年代・幼稚園時代 2019年11月1日
(その7)小学校時代 2019年12月6日
(その8)兄との思い出 2020年1月10日
(その9)小学校高学年 2020年2月7日
(その10)東京オリンピックと高校野球 2020年3月6日
(その11)苦慮した夏休みの課題 2020年4月3日
(その12)六年生への憧れと児童会 2020年5月1日
(その13)親戚との新年会と従兄弟の死 2020年5月29日
(その14)少年時代の淡い憧れ 2020年6月30日
(その15)父が父兄参観に出席 2020年7月31日
(その16)スポーツ大会と学芸会 2020年8月31日
(その17)現地を訪れ思い出に浸る 2020年9月30日
(その18)父の会社が倒産、広島県福山市へ 2020年10月30日
(その19)父の愛情と兄の友達 2020年11月30日
(その20)名古屋の中学校へ転校 2020年12月28日
(その21)大阪へ引っ越し 2021年1月29日
(その22)新しい中学での学校生活 2021年2月26日
(その23)流行った「ばび語会話」 2021年3月31日
(その24)万国博覧会 2021年4月30日
(その25)新校舎での生活 2021年5月28日
(その26)日本列島改造論と高校進学 2021年6月30日
(その27)高校生活、体育祭、体育の補講等 2021年7月30日
(その28)社会見学や文化祭など 2021年8月31日
(その29)昭和四〇年代の世相 2021年9月30日
(その30)日本の文化について 2021年10月29日
(その31)おわりに 2021年11月30日