著者プロフィール                

       
父の愛情と兄の友達 〜 私の良き時代・昭和!(その19)

森田 力

昭和31年 福岡県大牟田市生まれで大阪育ち。
平成29年 61歳で水産団体事務長を退職。
平成5年 産経新聞、私の正論(テーマ 皇太子殿下ご成婚に思う)で入選
平成22年 魚食普及功績者賞受賞(大日本水産会)
趣 味  読書、音楽鑑賞、ピアノ演奏、食文化探究、歴史・文化探究

父の愛情と兄の友達 〜 私の良き時代・昭和!(その19)

 小学校の終わりに新聞配達のアルバイトを夏休み限定でしていたことがある。部数は二〇〇部程度だが町内の配布は五〇部ほどで、後は山を越えた隣町まで届けるバイトだった。隣村といっても山を越えなければならず、自転車で三〇~四〇分以上はかかった。記憶がうっすらとしていて、自転車に乗って必死にペダルをこいでいるシーンしか思い出せない。しかし、一つだけ覚えていることがある。

 ある日悪天候で夜通し雨風が強く、朝になっても雨脚は衰える兆しがなかった。両親は心配して販売所に電話したが繋がらない。私は「とても休めないので行く」といったところ、父が「では俺もついていく」といってくれた。二人で合羽を着て雨の中、販売所に行き、新聞を濡れないように整え出発した。

 町の配布が無事に終わり、いよいよ山越えである。私を先頭に後ろから父がついてきた。父は後ろから「がんばれ、もうすぐだ」と声をかけてくれた。山を越えて無事に新聞を配達することができたが強風でとても長く感じた。往路は向かい風でペダルをまわして前に進まない。父は新聞が積んである自転車に乗り換え「さあ、がんばろう」といって励ましてくれた。

 私は嵐のなかペダルをこぎながら「お父さんありがとう」と何回も心で叫んだ。やっとの思いで目的の販売所に着いた。販売所の奥さんは「大変だったでしょう。お父さんがついてきてくれたんだね。よかったね」といって熱い飲み物とタオルを出してくれた。「帰りも気を付けて帰るんだよ」と見送ってくれた。

 帰りは帰りで、私の自転車のチェーンがはずれたが、父にかかれば簡単なことで直ぐ直してくれた。この日は身長一五五センチの小さな父の背中が大きく見えた。

 子を思う親の愛情を直に受け、痛烈に心に響いてくるのを感じた。父の思いはいつまでも決して忘れることはない。また私自身も将来家族を持ったときは身を挺して家族を大事にしようと誓ったのである。

 父は正直者で道理の通らないことにはとても厳しかった。靴は揃える、挨拶はきちっとする、嘘をつくな、人の気持ちになって考えろ、自分の言葉には責任を持て、など(やかま)しくいっていた。今思えば簡単なようで大変難しいことである。

 父は仕事の鬼で月間一〇〇時間を超える残業は当たり前、家で話す機会はあまりなかった。昭和四〇年代は、皆が国家の成長と家族の為に、がむしゃらに働いた活力のある時代であった。

 兄はこのとき中学校二年生で、たまたま同級生の友達が我が家に遊びに来たことがある。中には女生徒もいた。私が挨拶すると「へぇ、可愛い弟さんがいたんだ」といわれた。何とこれがきっかけで女子生徒が私目当てに態々(わざわざ)見に来るわ、遊びに来るわで私は人気者になってしまった。まさか年上の女性に気に入られようとは思いもよらなかった。
体が大きかったとはいえ、こちらは小学生だ。とても恥ずかしかった。

 登校中にもよく声をかけられたし、なかには朝の集合場所に私が来るのを待っている女生徒もいた。女の子が「この子が○○君の弟よ」といって他の女生徒に紹介しているのである。すると紹介された女性徒は「噂は本当だ。可愛いね」といって挨拶してくれる。学校で私の事が広がり、興味がてらに確認しに来たのである。紹介された私は驚いて面食らうしかなく、赤面するしかなかった。またその赤ら顔を見て「可愛い」といってくるので、余計に首から上、顔全体が真赤になった。今思えば考えられないことだが、嬉しさと恥ずかしさが混在する複雑な気持であったが、今思えば大変幸せな瞬間だったようにも思う。羨ましい限りだった。このときをピークに下降線をたどったといってもいい。

 住居も快適で、この快適な生活がいつまでも続いて欲しいと子供なりに願った。社宅のお付き合いは良好で特に隣のMさんとは家族以上のお付き合いをしていた。頭は五分刈りの大柄で一見強面(こわもて)のご主人だが、いたってやさしいおじさんであった。まさかこの家族と名古屋に引っ越すとは思ってもみなかった。

私の良き時代・昭和! 【全31回】 公開日
(その1)はじめに── 特別連載『私の良き時代・昭和!』 2019年6月28日
(その2)人生の始まり──~不死身の幼児期~大阪の襤褸(ぼろ)長屋へ 2019年7月17日
(その3)死への恐怖 2019年8月2日
(その4)長屋の生活 2019年9月6日
(その5)私の両親 2019年10月4日
(その6)昭和三〇年代・幼稚園時代 2019年11月1日
(その7)小学校時代 2019年12月6日
(その8)兄との思い出 2020年1月10日
(その9)小学校高学年 2020年2月7日
(その10)東京オリンピックと高校野球 2020年3月6日
(その11)苦慮した夏休みの課題 2020年4月3日
(その12)六年生への憧れと児童会 2020年5月1日
(その13)親戚との新年会と従兄弟の死 2020年5月29日
(その14)少年時代の淡い憧れ 2020年6月30日
(その15)父が父兄参観に出席 2020年7月31日
(その16)スポーツ大会と学芸会 2020年8月31日
(その17)現地を訪れ思い出に浸る 2020年9月30日
(その18)父の会社が倒産、広島県福山市へ 2020年10月30日
(その19)父の愛情と兄の友達 2020年11月30日
(その20)名古屋の中学校へ転校 2020年12月28日
(その21)大阪へ引っ越し 2021年1月29日
(その22)新しい中学での学校生活 2021年2月26日
(その23)流行った「ばび語会話」 2021年3月31日
(その24)万国博覧会 2021年4月30日
(その25)新校舎での生活 2021年5月28日
(その26)日本列島改造論と高校進学 2021年6月30日
(その27)高校生活、体育祭、体育の補講等 2021年7月30日
(その28)社会見学や文化祭など 2021年8月31日
(その29)昭和四〇年代の世相 2021年9月30日
(その30)日本の文化について 2021年10月29日
(その31)おわりに 2021年11月30日