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特別連載インタビュー

特別インタビュー 山内マリコ 自分にとって書くこと、表現することとは

昨秋実写映画化された『ここは退屈迎えに来て』で2012年に単行本デビューした、山内マリコさん。同作に綴られた「地方」と「女性」というテーマには、一見するとありふれているがゆえになかなか気づけない、奥行きや深みがあった。以降の作品でも書き継がれていくこととなった、生涯のテーマを手に入れた経緯とは。新人賞に輝いたものの本が出せなかった、不遇の時代に試行錯誤していたこととは————。

小説を書くという行為がずっと恥ずかしかった。

──最新刊『あたしたちよくやってる』(幻冬舎)は、小説17本とエッセイ16本が混ぜこぜに配置されることで、特別な読み心地を楽しむことのできる本でした。エッセイパートでは、作家になるまでの道のりもデッサンされていますよね。<人生の前半は、できるだけ好きと思える仕事を探す旅です。私はその旅に、三十一年もかかりました>(「高校の先生に頼まれて書いた、後輩たちへのメッセージ」より)。そもそも作家になる、という夢を持つようになったのはいつ頃からだったんですか?

 山内:はっきり夢だと意識したのは、14歳の頃だったと思います。中学に入ってからたくさん本を読むようになって、作文を国語の先生に褒められたりするのがうれしくて、勢い余って「作家になりたい」と。中2の進路希望の紙に書いて提出した記憶がありますね。その時点では小説なんて一度も書いたことがなかったのに。

──典型的な中二病ですねぇ。

 山内:今思うと完全にそうですね(笑)。映画も好きだったので、高校卒業後は大阪芸大の映像学科に進みました。でも実習の撮影現場でわかったのは、集団でもの作りをするのがすごく苦手だということ。家でシナリオや課題の論文を書いているほうがずっと楽しいし、向いてるのに気づきました。映画に対する、挫折にも満たない、撤退、みたいな気分で大学生活を送りつつ、作家になる夢も中途半端にくすぶっていました。でも、当時は小説を書くという行為が、すごく恥ずかしくて。何か書いてみようと机に向かっても、そういうことをしている自分に耐えられなくて、すぐに消しちゃう。

──まだ書き出さない!(笑)

 山内:自意識過剰の盛りでしたからね。どうでもいい羞耻心に振り回されて、いちいち葛藤してしまう。あるとき大学の同級生が、私が本好きと知って、「俺、小説を書いてるんだけど、よかったら読んでくれない?」と言ってきて、読んでみたら、全然面白くなかったんです(笑)。でもそのおかげで、小説を書くという行為を、そこまで恥ずかしがらなくてもいいんじゃないかと、吹っ切れました。「ていうか私のほうが絶対うまく書ける!」みたいなことも思ったし、自分も書きたいっていう表現欲求がむくむく大きくなって。大学を卒業した後、京都へ移り、一時はライターの仕事に就いたりもしつつ、一念発起して2006年の夏の終わりに上京しました。退路を断って、今度こそ小説家を目指そうと。

──いわば背水の陣を敷いたわけですね。結果、2008年に短編「十六歳はセックスの歳」で、第7回R-18文学賞・読者賞を受賞します。しかし、デビュー単行本『ここは退屈迎えに来て』が刊行されたのは2012年、31歳の時でした。このタイムラグは何があったんですか?

 山内:腰を据えて小説を書き始めて、2年弱で賞に引っかかったので、これで作家になれる、案外楽勝! と浮かれました。けどそこからが長くて……。R-18文学賞は短編の賞なので、1冊の本にするにはかなりの分量を書き足さなければいけない。最初の打ち合わせでお会いした担当の編集者さんに、「書けたら見せてください」と言われ、ひたすら短編を書いては送る日々が続くんですけど、なかなかコミュニケーションがとれず、そのうち反応もいただけなくなってしまったんです。新人に割く時間がないってことだと思うんですけど。そうするうちにいつの間にか2011年になっていて、震災が起こり、東京のアパートは残したまま一旦、地元の富山に戻りました。疎開みたいに実家で過ごしていたある日、幻冬舎の初代担当編集者さんから一通のメールが届いたんです。「受賞作を読んで、作品を楽しみにしている者です。まだ本を出されていないようですが?」と。

──どん底から引っ張りあげてくれた、救世主ですね。

 山内:まさに。彼女に書きためていた原稿を読んでもらったら、絶賛してくれて。3年間誰にも褒められてなかったんで、沁みましたね(笑)。さらに1年ほどかかって幻冬舎さんから本を出せることになりました。新人賞って基本的に、賞を主催している出版社からデビュー作を出すものなんですよね。それが暗黙のルールとしてあるので、私のケースみたいに単行本デビュー前に行き詰まると、他社の編集者は手出しができない。でも、初代の担当さんは、彼女も編集者として新人だったし、サラリーマン的な仕事のやり方ではなく、野武士のように無理難題をクリアして、世に出ていない作家を掘り起こそうとする根性を発揮してくれました。彼女が現れなかったら、デビューできないまま田舎に帰っていたかもしれません。

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