Presented by 幻冬舎ルネッサンス新社

特別インタビュー 万城目学 自分にとって書くこと、表現することとは

2006年発表のデビュー作『鴨川ホルモー』が大ヒット、その後も奇想天外でユーモラスな、独自の作品世界を広げてきた万城目学さん。作風の誕生とその後の思いを語ってもらった。

小説家としての素養を高めた幼少期

──万城目さんが小説家になりたいと意識したのはいつ頃ですか?

 万城目:淡く意識したのは大学生3回生の秋でしたね。就職活動がもうすぐ始まることもあり、これからどうしようかといろいろ考える中で、初めて具体的に小説家をイメージし、そこから1年くらいかけて長編を書きました。全然モノにならなかったんですが、書くことの楽しさを感じ、これをやっていくべきか就職すべきか、葛藤がありました。

──それはどのような小説だったのですか。

 万城目:一番近い説明をするなら、よくある、若者ぽい雰囲気を歌った3分くらいで終わる耳触りの良い曲、みたいな感じでした。それを1年かけて原稿用紙350枚くらいにして書いたんですが、3分の歌ですむ話でした(笑)。
それを3人に見せたんです。その時つきあっていた彼女と、高校からの同級生と、大学で知り合った一番本を読んでいる女の子に読ませまして、3人から「すごく気持ち悪いです」と。

──え、3人ともが?

 万城目:はい、3人ともが。「主人公が万城目に見えて気持ち悪くて読めなかった」って。まあそうですよね、僕と同じ年齢の主人公が悩んでいる話なんて、赤裸々に描いた日記を読まされた気分になりますよね。本当に読むのがしんどかったと思いますね。でも僕はけっこう馬耳東風なところがあって、これは気持ち悪かったかもしれないけれど、気持ち悪くない作品だって書けるだろうという自信がありました。

──では卒業後は就職して、働きながら小説を書いていくことにしたのですか。

 万城目:そうです。それで就職活動では、就業時間以外で、自分のやりたいことができる時間がとれそうな会社を選びました。本社は東京だけど、地方の工場での研修期間があるメーカーがあって、すごくいいなと思ったんですね。通勤もないですし残業も少ないですし。いざ就職したら、めちゃくちゃいい環境でした。静岡にある工場敷地内の独身寮に住んで、寮で朝ご飯を食べて歩いて総務課まで行って、作業着を着て全員でラジオ体操して、工場の食堂でお昼を食べ、5時半に部屋に戻っていました。土日はだいたい寮の中から出ず、みんなが車で遊びに出かけるエンジン音を聞きながら小説を書いていました。研修は普通は1年でしたが、僕は経理係で、決算は1年じゃ分からないからと2年静岡にいました。その研修が終わって、本社のバリバリ働く部署に行けと言われたので、2年3か月で辞めました。

──就職した時点でもう、研修が終わったら辞めようと思っていたのですか。

 万城目:不誠実な男ですよ、本当に。仕事をしている間に書きたいって気持ちがなくなったらその程度だから、そのまま働けばいいし、それでもやりたいんだったら辞めたらいいかと思ったんです。

──退社を決めたということは、書きたいという気持ちがなくならなかったということですよね。

 万城目:どうだろう。結局、会社にいる時は1本しか書けなかったんです。5時半に自分の部屋に戻っても、なんだかんだで8時間働いているわけだから、書けないんですよ。それでも書いている兼業作家の人はいますが、僕は書けなかった。静岡にいた2年間に、大学生の時に一年間で書いた半分の量くらいしか書けなくて、計算してみたら、このペースだと350枚の最初の作品と同じ量を書くのに5年近くかかる、そうしたら次の長編を書き終える頃には30歳になっている。そう考えたら、会社を辞めて全部の時間を注ぎ込んで書いたほうが集中できていいなって思いました。
一応、辞める時に2年間無職で書くという期限を決めたんです。2年で駄目ならもう悩まんでいいな、そっちのほうが楽かな、という気持ちがありましたね。「本当はあれがやりたかったのに」と心のどこかでウジウジと悩むよりは、2年間やってみて、それで種火が消えるならそれいいかなっていう。

──会社員時代に書いた1本はどのような内容だったのでしょう。

 万城目:1作目から一気にふり幅大きく、今度は天平時代の仏像彫りの話でした。会社を辞める理由を伝えたら、課長が「書いたものを読ませろ」と言うのでコピーを渡したら「難しい漢字が多かった」という感想でした(笑)。