Presented by 幻冬舎ルネッサンス新社

特別インタビュー 森沢明夫 自分にとって書くこと、表現することとは

大学卒業後、編集者やフリーライターを経て2007年に『海を抱いたビー玉』で小説家デビュー。
その後、『夏美のホタル』『津軽百年食堂』『虹の岬の喫茶店』『ライアの祈り』『あなたへ』など次々と著作が映画化されている。
今後作家を目指す人に向けて、森沢さんが作家になったきっかけや、作品を作る上で大切にしていることなどについて伺った。

作家が持つ、共通の原体験とは

──作家を目指す方は、共通の原体験を持っていると思っています。それは「本が好きなこと」と「文章が評価されたこと」の2つだと考えているのですが、森沢さんはこれらに当てはまりますか?

 森沢:そうですね。おもちゃは駄目だけど、本は好きなだけ買ってあげるという親に育てられたので、小さい頃から本は好きでした。

しょっちゅう近所の本屋さんに立ち寄って、宝探しのように本棚を見てるのが楽しくて。最初にハマったのは赤川次郎さんの推理小説でした。小学5年生の時かな。

やっぱり会話文が多くて、読みやすいのはもちろん、推理小説なので騙される喜びがありましたね。こうきたか、こうきたか!と毎回思いながら夢中になって読んでいました。あとは宗田理さんの「ぼくら」シリーズもお気に入りでしたね。

高校生の時は、世界中の川をカヌーで下って旅をしている野田知佑さんのエッセイが好きでした。
自由に旅して、人生を謳歌して、楽しんで。それを文章に残して飯を食ってく、という生活がかっこよくて、キラキラしてて、エッセイそのものはもちろん、彼自身の生き方が素敵だなぁと思っていました。

文章が評価されたのは、大学生の時でした。

16歳でオートバイの免許を取ってからツーリングをするのが趣味だったんですけど、大学生の時「北海道から沖縄まで、日本全国の綺麗な川を全部泳いで遊ぼう」と思ってバイクで旅をしていたんですよ。野宿をしながら。

それを知ったあるオートバイ雑誌の編集者の方が紀行エッセイを読み切りで書かないかと声をかけてくれたんです。

それが僕の商業誌に書いた、最初の文章だったんですよね。多分、今読んだら下手くそだと思うんですけど、編集者の方は「面白い」「ワクワクするね」って言ってくれて。

プロの編集者に褒められたってことは、文章が下手じゃないんだなって、ちょっと自信にはなりましたね。

──確かにプロの方に評価されると自信になりますよね。当時は何か作家になるためにアクションを起こしてたんですか?

 森沢:それが、何にもしなかったんですよ。ぼんやりと書く側にいけたらいいなとは思ってたんですけど、自分がそうなれるとは考えもしなくて。けれど、せめてその周りにはいようと大学卒業後は出版社に就職しました。

入社してすぐに担当したのは、月刊誌の編集です。ライターさんに発注して、納品された原稿に赤入れをする、ということをしていました。編集者としてこういう雑誌を作り上げたい、と理想を描いて毎回取り組んでいるんですが、やはり人に依頼すると理想とズレが生じてしまうケースがあって。

もちろんお願いの仕方もあるんですが、毎回リライトやデザイン修正などをしてなんとか100点に近づけようとしても80点、90点で終わってしまって。本当はもっとこういうページにしたいのに、と満足のいく仕事ができないことにもどかしさを感じていたんですよね。

考えあぐねた結果、自分が書く側にまわったほうが仕事をしていて気分がすっきりすると思って、フリーライターになりました。

そうして自由に書きたいものを書けるようになった一方で、ちょうどその頃はバブル崩壊後だったので記事単価がすごく安かったんですよ。それでも元編集者ということで企画から構成、執筆まで全部任せてもらったり、有名雑誌で書かせてもらったり、何より膨大な量の原稿を書いていたのでフリーライターとしては相当稼いでいるほうでした。

けれど、家族を養うにはいつまでもこの働き方ではきついなと思って。それからなるべく連載の仕事をメインにして、ノンフィクションを書いていたら賞をいただきました。
(2007年に『ラストサムライ 片目のチャンピオン武田幸三』で第17回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞)

これが転機となって、「本を書きませんか?」という依頼が増えて、小説家になりました。