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特別インタビュー 恩田陸 自分にとって書くこと、表現することとは

直木賞と本屋大賞をダブル受賞したベストセラー小説『蜜蜂と遠雷』などで知られる恩田陸さんは、日本ファンタジーノベル大賞に応募した『六番目の小夜子』が最終候補となり、受賞を経ずにデビューした。プロの小説家になった後も会社勤めを続け、「兼業作家」だった時期も長い恩田さんに、デビュー前後の思い出と、小説を長く書き続けていくための秘訣を伺った。

物語をつくり始めた頃

──自分なりの物語をつくり始めたのは、いつからですか。

 恩田:子どもの頃から漫画ばかり描いていて、高校生になるくらいまでそれが続いていました。テレビで映画を観たり、本や漫画を読んで衝撃を受けると、その作品の世界を自分でも追体験したくなるんです。それで自分でもイラストを描いたり、漫画にしたりするようになりました。それが自分で物語をつくり始めた最初だったと思います。

 昔はテレビ番組を簡単に録画する手段もなくて、観たら観っぱなしでしたから一生懸命憶えるしかなかった。ものすごく気に入った場面があったら、それを記憶に留めるためには絵に描いておかないといけなかったんです。

 毎年年末になるとスティーブ・マックイーン主演の「大脱走」という映画がテレビで放送されたんですが、私はこの映画が大好きで、好きな場面を一生懸命記憶して描いていました。石ノ森章太郎先生の『幻魔大戦』や『サイボーグ009』も大好きだったので、この2作にものすごく影響を受けたミュータントものの漫画も描きました。

 はじめてきちんと描けたのは、手塚治虫先生の『三つ目がとおる』という作品に影響を受けた伝奇もので、たしか『悪夢の遺産』という題でした。この頃から伝奇ものが大好きで、小説家になってからも『メガロマニア』という古代遺跡ものを書いたほどです。

──その頃から「読者」がいましたか?

 恩田:小学生の頃は、読んでくれるのは仲のいい友達一人だけでしたね。毎週毎週、連載みたいにずっと描いていて、一つできるたびにその子に見せていました。中学では漫画クラブに入り、そこで描いたものはクラブの友達に読ませていた。でも、その後に描いたり書いたりしたものは、他人にはまったく見せていません。

 高校では新聞部に入ったんですが、私が書くのはなぜかエッセイ(笑)。小説のようなものもこっそり書いてはいましたが、それは誰にも見せませんでした。大学は文学部ではなく、教育学部国語国文学科に入りました。所属していたサークルは体育会系文化部で、大学時代はひたすら本を読んでいたので、小説はまったく書いていません。

──小説はどんなものを読んで育ちましたか。

 恩田:ミステリーやSFのほうが純文学より偉いと考える「エンタメ至上主義者」でしたね。アガサ・クリスティやエラリー・クイーンなどを読むようになると、そこからダイレクトに影響を受けたミステリー漫画を描いたりして。でも、純文学系も「とりあえず読んでおくか……」という感じでしたが、それなりに読んでいました。そうやって純文学もエンタメ小説も漫画も同じように読み、それぞれから影響を受けていた。たぶん私たちの世代くらいから、そういう読み方が当たり前になっていたと思います。