Presented by 幻冬舎ルネッサンス

特別連載インタビュー

小説のオタクではなく、一般の人に喜ばれる作品を作りたい

──デビューが決まって、どんなことを思いましたか。

 万城目:知らせを受けて30分後には怖くなりました。僕はその時29歳だったんですけれど、21歳の時に書き始めてからの10年の間で一番ええものを書いた手応えがあるんですよね。自分でも黄金の一発を打った手応えがあった。でもデビュー後は、それが最低ラインになるんですよ。これからは毎回、このデビュー作くらいのレベルは当たり前のものとして、常に質を保っていかないとプロを続けられないと思ったら、いやあ、怖かったです。

──どうやって次に繋げたんですか。

 万城目:「次どうするの」と訊かれて、何を言っても村上さんが「つまんないね」ってテンション低い声で言ってシーンとなるという、いたたまれない面接を何度も繰り返しました。自分は別の打ち方もできますよという気持ちで、いろいろな案を話したんですが、結局「また『鴨川ホルモー』みたいなものをやったほうがいいんじゃないか」と言われ、30分くらい考えて「鹿が喋って…」ってちょこっと言ったら、「それはいいね」と言われて、ほんまかなあって。

──そして奈良が舞台の『鹿男あをによし』が生まれたんですね。その後大阪を舞台にした『プリンセス・トヨトミ』を発表し、実在の土地を舞台に、そこにまつわる歴史や風俗を取り入れつつ奇想天外な話を展開する、という作風が出来上がっていく。

 万城目:変わったことを発想するのは得意でも、それを小説の中に組み込むのは技術的にもできなかったのが、徐々にできるようになるんですね。それまでは若者についての話とか、ただの歴史小説とか、それぞれ分けて書いていたんですけれど、分けずにひとつにまとめていけるようになって。たぶん、知らないうちに、無職の頃にそういう下地ができていたんだと思います。
工場時代に書いた、課長に読ませた2作目の仏像を彫る話も、読み返したら「なぜ彫るのか」と自分の就職活動を重ねて気持ち悪いことになっていたので、「なぜ彫るのか」を外して客観的に見て面白い筋書きだけを意識して書き直して送ったら、『鴨川ホルモー』と並行するタイミングで、今はもうない歴史小説の賞の最終候補に残りましたから。自分を書かへんかったら、こんなに急に成績良くなるんだなと思いました。

──荒唐無稽な小説世界が「万城目ワールド」と呼ばれるようになりましたが、作風について、ご自身ではどう受け止めていましたか。

 万城目:『鴨川ホルモー』などはあくまでも、自分がいくつか持っているカードのなかで「いちばんキワモノ」の一枚という認識でした。でも、デビュー後、『鴨川ホルモー』や『鹿男あをによし』のイメージがしっかりとついたあとで、以前から自分の中にあった別路線の小説を書こうとすると、「それは万城目学じゃない」と言われるわけです。むしろ、こちらのほうが、本人としては「古株」なのに。デビュー前から自分のクローゼットにあった服を着たら「それは万城目ぽくないでしょ」と言われてしまうジレンマというか。
最近思いますのは、僕が書く話は数字の2、4、6、8のように2で気持ちよく割り切れる感じのものが多いけれど、たとえば『バベル九朔』は√(ルート)2なんですよね。いつまでも割り切れない。こっちはひとつの表現として割り切れないものを書こうとしているから、それは当然なんですよ。でも2で割り切れる作品を求めている読み手にしてみたら、割り切れないのは気持ち悪い。『バベル九朔』のみんなの感想を聞いて、√2はこんなに嫌われるのかと思いました。
でもね、たまにそういうのをやりたいんですね。それまで2で割り切れる話しか書けなかったけれど、どうも自分の中で√2を表現できる力があると分かってきて『バベル九朔』を書いたんです。次に√3を書いて、その次に√5,√7を書いたらファンが消えていくことは分かっています(笑)。それはしないので、せめて10年に1回くらいは√2の話を書かせてください、と。

──『バベル九朔』は文庫化の際に相当改稿されたとか。

 万城目:200枚くらい削って、だいぶ読みやすくしました。√2だからみんな途中で読むのを止めちゃうので、せめて最後まで読んでもらえるようにしたくて。それで直したら、最後まで読んでもらえるようになり、だいぶ感想も変わっていました。

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