著者プロフィール                

       
デンマークの2つの世界一 〜 海外地理紀行(その6)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会
多摩慶応倶楽部


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)

デンマークの2つの世界一 〜 海外地理紀行(その6)

 2年続けてデンマークに行った。この国には2つの世界一があり興味があったからだ。1つ目は世界一高い自動車税であり、2つ目は風力発電である。どちらも省資源とか環境保全といったところから出発したのだろうが、それをとことんまで追求した結果のようだ。そのような国の人々の暮らしはどうなのか、景観はどうなのか、この目で確かめたかった。

 1度目は2010年2月、スイスから列車を乗り継ぎ往復した。デンマークではコペンハーゲンで1泊しただけで、あまりの寒さに早々に逃げ帰って来た。2度目は翌11年の6月、スイスのバーゼルからLCC(格安航空)で往復したが、このときも北部のオールボーという町に2泊しただけだった。

1000分の4になった国土

 今のデンマークは面積が九州とほぼ同じ約43万平方キロメートル、人口は北海道とほぼ同じ551万人である。ユーラシア大陸のユトランド半島のほか、鉄道や道路橋でつながれた大小の島々からなり、その広がり具合や地方都市への距離間は九州よりはむしろ北海道に似ている。ただしコペンハーゲンの位置は札幌というよりは函館という感じだ。

 私たちが子供の頃は、この国は酪農国であり、濃尾平野は日本のデンマークだと教わった。今その周辺は自動車を中心とする機械工業が盛んで、農業地帯という印象はあまりないが、本家デンマークの方は今でも酪農製品が輸出の多くを占めている。しかし最近では後述する風力発電も主要産業になっている。


 この国は中世の11~16世紀にかけては、今のスウェーデンやノルウェーを含めた北欧の大国だった。今の本土の50倍もの面積をもつグリーランドが、デンマーク領だったのもその名残で、そのグリーランドも自治政府から独立の動きがあり、言語・文化も異なる別の国と言って良い。

 デンマーク語というのはゲルマン語のひとつノルド諸語のなかの東ノルド語に属し、スウェーデン語に近い。通常のアルファベットのほか、どう発音するのかはわからなかったが、「Æ」「Ø」「Å」といった文字が使われている。デンマークではどんな田舎に行ってもまず英語は通じる。しかし逆に表記はどこに行ってもデンマーク語しかなく、鉄道の時刻表も注釈があっても全くわからない。この国の言語政策は、国際化に対応するため英語での会話コミュニケーションには力を入れているが、逆にリテラシーの分野で、デンマーク文字や表記を守ることで自国の言語文化を維持しようとしているのかも知れない。

 行政面では、2007年より地方自治の大改革を行い、従来13あった県を5つの地方に、270あった市町村に相当する基礎自治体を98にした。新しい基礎自治体は若干の例外はあるが、原則として最低人口は2万人だ。首都コペンハーゲンは、市域の人口は52万人ほどだが、札幌市の2.3倍の面積をもつデンマーク首都地域の人口は163万人だ。それ以外の大都市としてはユトランド半島東海岸のオーフスが24万人弱、フェン島中央部のオーデンセが16万人弱だから、この国も首都圏への一極集中が進んでいる。なおデンマークはEUの前身である欧州経済共同体に1973年に加入しているが通貨はユーロではなくデンマーク・クローネ(DKK)を使っている。ユーロ採用の是非を問うた国民投票で否決されたからだ。

 高負担高福祉の代表的な国であり消費税は25%だが、教育や医療、高齢者福祉などは高いレベルにある。そのためもあるのだろうが、他国からの出稼ぎや移住には厳しい制限がある。物価高はあきれるくらいで、昼食を食べようとコペンハーゲン中央駅構内のセブン・イレブンでサンドウィッチ2つ、バナナ1本、コーヒーと水を買い、100KDD札を出したら1.5KDDしかおつりがこなかった。1KDDは15円前後だからおよそ1500円である。日本の3倍くらいという感覚だ。18歳以上の男子に徴兵義務がある。

 このデンマークには1度目が2010年2月、スイスからドイツ国内の列車を乗り継ぎハンブルクで一泊し、さらに「渡り鳥コース」と言われる途中海を渡る部分は列車をそのまま積み込むフェリーに乗るなどしてコペンハーゲンに行った。そして市内や市郊外を見物した翌日は、長い鉄橋を何度か渡る列車でユトランド半島に行き、さらにハンブルクまで戻った。

 2度目は2011年の6月、スイスのバーゼルからコペンハーゲンまでイージージェットというLCC(格安航空)で往復した。コペンハーゲン到着後すぐに列車でユトランド半島北部のオールボーという町に行った。ここで2泊し、半島北部を走り回り、コペンハーゲンに戻った。帰りの飛行機は1時間くらいの遅れだった。少ない機材を徹底的に効率よく回転させようとすると、1日の最終便近くになると遅れが重なるようだ。バーゼルについたときは土砂降りで、誰も文句を言わずにタラップからターミナルビルまでの100メートルくらいをびしょ濡れになりながら黙々と歩いていた。この辺りがLCC利用のディメリット、あるいはリスクと言えるのだろう。

自動車税は200%

 デンマークの自動車税は先進国では世界一高い。例えば200万円の車を買うと税金が約400万円課され総支払額は600万円近くになる。すなわちまず25%の消費税がかかるので250万になるが、驚くのはこの先だ。この消費税込みの金額に105%の登録税が加算される。さらに価格が約120万円(76400KDD)を超える部分には180%が課せられる。だから120万の消費税を加えた150万に105%で157.5万、残り80万も同様消費税を加えた額に180%で180万円が加算されるので購入価格の合計は587.5万円となる。ただし実際は消費税込みの金額から安全に必用なカーラジオ、アンチブレーキシステム(ABS)など10%くらいの金額が控除されるので総額ではもう少し低くなるが,それでも冒頭のような額になるのである。

 デンマーク政府は、公共交通や自転車利用に大きなメリットを与え、敢えて自動車利用にはディメリットを与えるという政策をとってきた。なおEUの排ガス規制の実施策のひとつである「燃費の良い車を購入するための支援」として、ガソリン1リットル当たり16キロ以上走る車の場合には、1キロごとに約6万円登録税がマイナスになる。しかし全体からみればたいした額ではなく、車を持つかどうかの決断に影響を及ぼすほどのものではない。(「ここが違う、ヨーロッパの交通政策」片野優 白水社)

 だからデンマークには余程車が少ないのではないかと思ってやってきたのだが、見たてころドイツなどの他国に比べて少ないのかどうかは正直なところわからなかった。2年目に泊ったオールボーでは、郊外の住宅には車を持つ家が多かったし、朝の通勤時間など都心に向かう車の列があった。しかし鉄道やバスを利用する人は多い。ローカル線でも2~3駅間を乗る客が、若者を含め結構多かった。出かけるのに家から10分くらい歩き、10分くらい列車かバスに乗り、さらに目的地まで10分くらい歩く、しかも1時間に1本程度の列車やバスの時間に合わせた行動をとるのが何の抵抗もなく、もう当然のことのようになっているようだ。

 翻って日本では、首都圏の都心部は別にして、このような移動にはまず車が使われる。車ならばトータル12~3分くらいで済み、しかも運行時刻に制約されない。子供のころからそうであり、塾通いや、ひどい場合には通学さえそうだ。高校生登下校時の地方の駅前は親の車で一杯になるところが多い。家までせいぜい数百メートルでも子供は歩かない。別に歩くのが辛いのではなく、皆がそうするから車に乗らないと恰好が悪いらしい。子供の頃からこんな風に育っているから、今や車を使わない生活は考えられないし、車を手離す考えなど毛頭持たない。残念ながらこれが日本の現状である。

 
 結局自動車が少ないかどうかは見ただけではわからなかったが、デンマークでは自転車利用にはかなり力を入れている。自転車専用路とか専用レーンが、どんな田舎町に行っても必ずあり、ほとんどがセンターラインを持ち方向別も徹底されている立派なものばかりだった。またシティバイクと呼ばれる無料の貸自転車がどの町にもあり、街角に専用スタンドがあった。国内の最高地点が171メートルという平坦な国ということもあるのだろうが、車から得た税金をこんなところに使っているのだろうか。

見えないときがない 風力発電の風車

 風力発電は今やデンマークを代表する主要産業だ。国内総電力需要の20%が風力発電でまかなわれているということも驚きだが、世界中の風力発電装置の50%近くはデンマーク製だ。まさに国家の主要ビジネスになっており、雇用面でも大きく貢献している。メーカーとしては2009年時点で同国のベスタ社が世界シェアの12.5%で1位だったが、この他にも約20のメーカーがある。日本にもデンマーク製の風車は多い。今後は海上への設置を積極的に進めるそうで、沿岸から数キロ離れた洋上に、1基あたり最大出力1.5MW以上の大型の風車を毎年80~100基ずつ建設し、2030年にはなんと国内電力総消費量の実に50%を風力でまかなうこと目指しているという。(神戸大学環境サークルのHPより)

 デンマークに限らずヨーロッパの各国とも今は風力発電が盛んで、50~100基が群となって風車が立っているのを見かけることが多い。しかしそのなかでも特にデンマークでは国内どこでも見かけ、それも鉄道でもバスでも車窓から風車が見えないときがないと言っても過言でないほどだ。また飛行機がコペンハーゲン空港に着陸するために高度をさげたとき、かつて東京湾にたくさんあった海苔養殖用の柱のようなものが林立しているのが見えた。それが風力発電用の洋上風車群で、縦5列のものが横に20~30並んでいた。

 風車もこれだけ多いとすっかり風景に溶け込んでいると言っても良い。日本では問題とされている自然景観への影響も、考え方の違いなのだろうか。風力発電というと、そのほかに風切り音や低周波による騒音、電波障害、さらには鳥への影響などが言われているが、結構人家の近くに風車が立っているところもあった。

 
 それよりも日本に比べヨーロッパは風が安定していて、日本のように台風をはじめとする低気圧による強風や突風が少なく、また地震も少ないことから強度とか、耐久性の面ではそれほど気にしない、だから安く作れるのかも知れない。逆に言えば、日本の風車はかなり強固な耐久性の強いものでなければならず、コスト高になるのだろう。さらに風だけに依存する風車は出力が不安定で、いったんバッテリーに貯めてからでないと日本では使えないだろう。ところが今の技術では商用電力を貯められるような大型のものはできないようなので、本格的に使えるようになるのは20~30年先かもしれない。  


 ここからは全くの素人考え、というか科学に疎い文系人間の妄想と言われるかも知れないが、ヨーロッパでも千年に一度くらいは信じられないような突風が吹き、地震や津波に見舞われないとも限らない。そんなときにはこのような風車はバタバタと倒れるのではないだろうか。だからわが国の過酷な自然に対応した日本の風車も、説明の仕方によっては案外海外で売れるかも知れない。そのようなことから風力発電も日本の主要産業として、或いは戦略産業として伸ばして行く価値があるのではないかとも思うのである。

コペンハーゲン市内と郊外の電車

 1度目に来た2010年2月、厳冬の中だったがコペンハーゲン市内や郊外を散策した。中央駅に着いたのが14時11分、まず駅構内にあったATMで200DKK(約3300円)をおろし、駅近くの予約しておいたホテルにリュックを預け、市役所前広場まで歩いた。大きなビルの角に、10階建て相当分くらいの大きな長い寒暖計がついていて、実際は電光表示だと思うがマイナス3度を示していた。明るいうちに周辺の鉄道を乗り回したかったので中央駅に戻りヘルシンオア行きの電車に乗った。コペンハーゲンの北44キロのところにある港町で人口6万、バルト海への入り口であるオーレスン海峡の最狭部にある。対岸のスウェーデンのヘルシンボルとはわずか5キロしかない。

 コペンハーゲンとの間には快速電車が終日20分間隔で走っているが、この電車はコペンハーゲン空港からさらに99年に開業したオーレスン・リンクを通ってスウェーデンのマルメまで直行するものである。オーレスン・リンクとは途中の人口島を境にデンマーク側が海底トンネル、スウェーデン側が鉄橋という、東京湾アクアラインを道路と鉄道を並列にしたような海峡連絡ルートのことである。全長が15.9キロなので15.1キロのアクアラインとほぼ同じである。この途中の人口島にあるのがコペンハーゲン国際空港であり、11年6月に来たときはバーゼルからのLCCでここに降り立った。

 電車は3両の固定編成車を2組つなぎ合わせた6両編成だった。雪まじりの天候のなか、氷の浮かぶバルト海の海岸線を走ること45分で終点のヘルシンオアに着いた。駅のすぐ横からスウェーデンに渡るフェリーが発着していた。またここから更に北に伸びる私鉄があり、これは駅横の道路端を走る。そして頭端にある駅舎のまっすぐ先、氷でびっしり覆われた小さな入江を隔てた数百メートル向こうにシェイクスピアの戯曲「ハムレット」の舞台として知られているクロンボー城が見えた。

 この私鉄を走る車両は、ドイツでよく見かけるような連接式で一部が低床、腰から天井までつながる大きな窓で大変開放的だったので乗ってみたくなり、内陸のヒレロズというところまで行った。ヒレロズはSトーの終点である。Sトーとは、コペンハーゲンの近郊を走る国電のようなもので、A~Hまでの路線があり、E系統の終点である。Sトーの電車は実に面白い形をした、ヨーロッパの近郊型電車で始めて見るものだ。まず1車両が8メートルくらいしかなくそれが4または8車体連接構造になっている。台車は先頭車を除いては1軸だ。逆に車体幅は広く3人掛のクロスシートが通路を挟んで両側にある。また貫通路は車体幅いっぱいの広いものなので、中に入ると編成全体が1両の車両のように見え、とにかく広々とした感じがした。このような電車が10分毎に走り、一部区間は快速になるものもある。

 ヒレロズ駅は駅舎に向かう通路を境にSトーと私鉄とがそれぞれ頭端式となっており、新庄駅のような構造をしていた。コペンハーゲン中央駅2つ手前のノアポート駅で下車した。小銭がほしかったので近くのセブン・イレブンでペットボトルの水を買った。市内にはセブン・イレブンが実に多い。ここから地下鉄で1駅コンゲンス・ニュートーゥ(王様の新広場)まで乗車した。東京のお台場に行く「ゆりかもめ」のような中量輸送機関といった感じで、無人運転だが通常の鉄軌条でかなりのスピードで走っていた。隣の駅に行くだけなのに最低が2ゾーンで21DKK(約350円)もした。

 地下鉄のコンゲンス・ニュートーゥ駅からは運河沿いに歩けば人魚の像など観光コースに繋がるのだとは思ったがもうすっかり暗くなり、ストロイエという市内随一のショッピング街を歩き市庁舎前に出て、さらに明日が早いのでホテルに戻った。ショッピング街の土産店であやつり人形の土産を買い、注文方法などかわかりやすいように思えた、アジア系の店で夕食をとった。

ユトランド半島の先端へ

 2度目の11年6月には、コペンハーゲンから列車を乗り継いでユトランド半島最北端まで行った。コペンハーゲンはこの国最大の、そして最も東にあるシェラン島の東端にあるので、まず西へ向かって進む。途中約18キロの大ベルト海峡を、途中の小島を挟んで海底トンネルと鉄橋とで渡りフュン島へ、そしてさらにもう一度、小ベルト海峡を渡り大陸に続くユトランド半島のフレデシアに着いた。ここまでが1時間50分。途中のフェン島中央部のオーデンセは人口15万人ほどの、デンマークで3番目の都市で童話作家のアンデルセンや、作曲家ニールセンの出身地である。

 フレデシアからは北に進むが、この先は非電化区間だ。途中人口29万のデンマーク第2の都市オーフスで下車し1時間ほど街中を歩いた。オールボーには19時06分、定刻に着いたが、まだ昼のように明るい。駅舎は中央の時計を挟んで左右に塔を持つ、一部を赤煉瓦で装飾した石造りのもので美しい。駅前から続くメイン通りも両側は石造りの古い建物が並び、歩いていて楽しいがとにかく人が少ない。夜行列車から降り立った釧路駅前を思い出させた。すぐに北海道を例に出したくなるが、オールボーがデンマーク第4の都市で人口が12万人、釧路も北海道第4の都市で人口が18万人、なんとなく町の規模が似ているように思えた。

 ネットで見つけたホテルはシャワー、トイレつき素泊まりで1泊580DKK、日本円で8,500円くらい、他はどこも1万円以上した。このホテルに2泊したが、フィヨルドという海峡に面したところにある。ここに来てはじめて知ったのだが、ユトランド半島、すなわちユーラシア大陸というのは実はここまでで、この先は海峡をはさんでヴェンシュセルチュー島という島だ。地図ではそれとはわからないくらい狭い水路だし、鉄道や道路も複数の橋や海底トンネルで結ばれているので、住民も島という意識は持っていないだろう。コペンハーゲンのあるシェラン島に次いでデンマークで2番目に広い島である。

 リムフィヨルドというのは、東西180キロに及ぶ細長い川のようなもので、途中湖のように幅広になったところがあるかと思えば、50メートルにも満たない鉄橋で結ばれた狭いところもある。特に西端の、北海に面した部分は砂州が発達しており、かつて何度か陸続きとなったこともあるという。オールボーのホテル付近は、対岸までは500メートルくらいだ。フィヨルドという言葉のイメージからは、両端が切り立った水路を想像するが、ここは全く違う。なんとなく釧路のフィッシャーマンズワーフから釧路川を見ている感じだ。ただし堤防などはなくそのまま港の岸壁のようになっていたのは、高潮も津波もないからだろうか。夕食にシーフードの店で鮭のソテーを頼んだ。焼き方は、と聞かれたのでいつもステーキを頼む時と同じようにヴェルダンにしてくれといったら、焦げてパサパサになった鮭が出てきた。ビールがついて3000円くらいだった。

 翌日はそのヴェンシュセルチュー島に渡り、最北端を目指した。国鉄に相当するデンマーク鉄道の終点フレデリクスハウンで北ユトランド半島鉄道(NJBA)という私鉄に乗り換えた。デンマーク・パスを持っていれば半額となるが、65歳以上ならば国籍にかかわらず半額で、これはバスも同じだった。さらに北上すると、周辺は緑の牧場から、草木の生えない泥炭地のように変わって行った。

 終点スケーエンは人口12千人、デンマーク最北の町だが、抜けるような青空のもと、静かな港の風景も相まって、湘南か房総のリゾート地に来たような感じがした。オールボーが釧路だとすると、フレゼリクスハウンが根室、さらにスケーエンは納沙布岬といった距離感だが、北海道の根室以東の列車本数が2~3時間に1本なのに比べ、こちらは平日は1時間に1本以上走っている。そして乗客も常に座席が全部埋まるくらいは乗っている。特に途中駅から乗って2~3駅で降りるという客で何度も入れ替わる。老人だけでなく若者も多い。鉄道というか、公共交通に乗るというライフスタイルが定着しているようだ。車への高率な税金も影響しているのだろうか。

 食品スーパーのような店でレンタル自転車を1時間30KDD、約470円で借りた。コペンハーゲンやオールボーなどでは街角に貸自転車を置いたコーナーがあり、コイン投入口に20KDDコインを投入すれば自転車をつないだチェーンがはずれ、返却時にチェーンにつなげれば20KDDが戻って来る、要するに無料で使えるのだが、ここにはそれはなかった。

 平坦な1本道には車道のほか歩道はなく、そのかわり並行した自転車専用レーンがあり、歩けば1時間近く要する岬の突端、グレーネンというところまで快適に行けた。小高い砂の丘に登ると砂州がさらに1キロくらい伸び、その先で東西からの波がぶつかりあっているのが見えた。かつては戦略的に重要な場所で、戦場として何度も使われたのだろう、コンクリート製のトーチカの跡がいくつも残っていた。日露戦争でバルチック艦隊が通ったのもここだ。

 最終日は、リムフィヨルドに沿って走るバスで、風車群を次々に見ながら半島西側のシステッドへ行き、そこからまた列車を乗継ぎ、半島を斜め横断しコペンハーゲンに戻った。デンマーク鉄道の座席指定方式は他のヨーロッパの国と同じように、個々の席ごとに指定されているかどうかが座席上に電光表示されている。「指定されていない」と表示された席に座っていると、途中の駅から乗ってきた客に「ここは私の席だ」と言われ追い払われる。他の未指定の席に移ると、またその先でも同じことがあった。後で知ったのだが、座席予約は乗車の15分前まででき、発車後であっても自由席がどんどん指定席に変わって行くのだった。日本では指定席車と自由席車とがはっきりと分かれているので混乱がないが、ヨーロッパでは自由席に座っていても途中で「追い払われる」リスクがあることを知った。そんなことをしていたので、だんだんと通路側でかつ後向きの最悪の席に座るはめになったが、コペンハーゲンに近づくと通路までぎっしりの混雑になってきた。これもやはり車利用が少ないからなのだろうか。

めずらしい列車航送 渡り鳥コース

 最後に「渡り鳥コース」に触れたい。ドイツのハンブルクとコペンハーゲンとを結ぶ特急列車が1日に4往復走っており、途中海を渡る部分はフェリーだが、列車をそのまま航送する。かつて一時期、青函連絡船や宇高連絡船でもお客を乗せたまま寝台車を航送したことがあったそうだが、ここでは今でもそれが続いており「渡り鳥コース」と呼ばれ鉄道ファンの間では良く知られている。

 2010年2月はこの列車でデンマーク入りをした。ハンブルクから北東150キロほどのところにあるプットガルテンがフェリーとの接続駅だ。ヨーロッパ大陸から短い鉄橋で渡ったフェーマルン島という、わが国の利尻島と同じくらいの面積の島の突端である。小さな町だが駅には長いホームが3本あり、青森駅のようだった。しかし今は駅舎寄りの1本のホームしか使っておらず、他のホームや線路は雪に被われたままで使われている様子はなかった。

 線路はホームを越えてさらに延びており、それはそのままフェリー桟橋から船内につながる。4両編成の特急はフェリーの腹の中に吸い込まれるように入った。列車の客はもちろん乗ったままだ。フェリー船首、船尾の両方に車両が乗り降りするためのランプウェーがある。大型トラック2台が並んで走れるほどの幅の片側に、路面電車が走るようなレールが1本敷いてあり、列車はここを自走する。船内は車両デッキの一部に線路が敷かれており、4両編成がギリギリに収まる長さだった。船内では列車から降りることができた。トラックなどを横目に見ながら階段を昇ると、もう1層上にも自動車用デッキがありさらにその上のデッキが客室となっていた。そこには3つのレストランと、免税店など2~3の店があった。

 この航路は30分毎に運航しており、正味45分の航行時間の間に2隻の同僚フェリーとすれ違った。海峡は薄い氷に覆われ、それを割りながら進む。デッキは凍てつくような寒さで写真を撮るだけでもやっとだ。しかし昔のバイキングにとってはこんなものは何でもなかったのだろう。私は子供のころ、豊臣秀吉は朝鮮征伐などせずカラフトや千島、カムチャッカ、さらには沿海州からシベリア全体に進出していれば今頃日本は随分広い国になっていたのにと随分悔しい思いをしていた。その後は徐々にいろいろなことがわかってきたが、やはり氷の海で身をもって寒さを体験すると、日本人はもともと寒さには強くなく、北方の厳寒地に進出するなどということは無理だったことがよくわかる。人種とか民族というのは自然環境に合ったものなのだ。日本の歴史の中で、ごくわずかな時期を除いては日本人が狭い日本列島から外に出ようとしなかったということも、必然のように思われるのである。

 フェリーが着いたのは、デンマークでは4番目に大きいローランド島のロービュという町で、ここで船内前方から列車は客を乗せたまま地上に降りた。ここからコペンハーゲンまでは2時間少々だった。途中でシェラン島へ渡る海上鉄橋は道路と併設された4キロくらいの長いものだった。