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卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第14部 ~ 蒼穹の闇 ~ 〜 卑弥呼 奇想伝(その30)

葦田川風

我が村には、昔から蛇が多い。輪中という地形なので湿地が多く蛇も棲みやすいのだろう。更に稲作地であり野鼠やイタチ、カエルと餌が豊富である。青大将は木登りが上手い。そのまま高木の枝から飛べばまさに青龍だろう。クチナワ(蝮)は強壮剤として売れる。恐い生き物は神様となるのが神話の世界である。一辺倒の正義は怪しい。清濁併せ飲む心構えでいないと「勝った。勝った」の大本営発表に騙される。そんな偏屈爺の紡ぐ今時神話の世界を楽しんでいただければ幸いである。

卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第14部 ~ 蒼穹の闇 ~ 〜 卑弥呼 奇想伝(その30)

幕間劇(33)「月に吠える」

 学生運動から革命の光は消え、各地で内ゲバが繰り返されていた。そんな昭和四十八年初夏、武吉は帰国した。生きていくことへの迷いは消えたが、何をするという当てもなかった。とりあえず、英ちゃんの許に数日厄介になり、その後、簡易宿泊所に移った。ドヤ街である。

 薄墨色の空が眩しい。スカイブルーの空を見上げれば、武吉の瞳は焼き焦がれるだろう。英ちゃんは「仕事が見つかりアパートを借りるまで同居しよう」と誘ってくれたが、放浪の旅の続きをしているようで、ドヤ街の方が落ち着く気がしたのだ。

 街から臭いが消えて、人の気配が霞み、雨音だけの静寂が訪れる。東京には雨の朝が一番似合う。ヒムカ(日向)女王の時代には、空気も人の営みも澄み渡っていた気がしてくる。仙人さんの語る世界は、武吉が生きる唯一の希望に繋がっている。

 日雇いは単純労働だ。労働は単純な方が良い。単純労働から、生きる表現としての労働は生まれる。どこかで間違わなければ、労働とは苦痛をもたらすものではなかったはずだ。“裸の自分に戻り、労働の汗にまみれよう。そうすれば、シーシュポスは神の怒りから解き放たれる。だから今は、転げ落ちる岩を押し上げ続けよう”そう武吉は思い、今朝も首にタオルを巻きドアを開けた。

 虎に変わったリーヂー(李徴)の気持ちは未だに分からない。でも、身体さえ壊さなければ仕事にはあり付ける。だから、虎にはならなかったが、ホモ・サピエンスからは少しずれてネアンデルタール人くらいにはなったのかもしれない。今の自分を見たら高校の古文の先生はきっと呆れることだろう。そう思い、少し愉快になった。

 英ちゃんから、妹の香那は地元の国立大学に入り教員を目指していると教えてもらった。“教師って何をなす人間なんだ。空の青さを鉄板で覆い、人間社会を地下に閉じ込め巨大化していく。そんな人間に教え導くのか? そこに学問はない”武吉にはそうしか思えない。そして、ずいぶんと捻くれた人間になっちまったものだと自嘲する。

 武吉は、実家には連絡を入れていない。巨大になり過ぎた人間社会の原点は家族だ。その家族から、もうしばらく距離を置いていたい。だから、もう少しだけホモ・サピエンスの世界から離れて生きていようと願っている。ネアンデルタール人は何故滅び、ホモ・サピエンスは異常に繁殖したのだろう。気まぐれな神の悪戯なのか。それとも空の青さを忘れることができたからだろうか。空に煤煙を撒き散らし、海をチョコレート色に変え、青の世界を捨てた。

 香那は教員になり、何をなそうとしているのか。生徒たちを『期待される人間像』に導くのか。そうではあるまい。香那ならもっと高みにあるものを目指しているはずだ。しかし、王道を見失った現代社会で、理想のために邁進するのは容易ではない。

 独特の活気と独特の匂いが、街を包んでいる。武吉は韓国食堂で働き始めた。キムチはもちろん、タラチャンジャも衝撃の出会いだった。その街の風に、見たことのない実母への思いが込み上げてきた。母の名はキム・キルメ(金吉梅)だとは聞かされていた。養母ヨシの兄である中村武秋が実の父だ。二人は朝鮮の蒼穹の下に眠っている。

 仙人さんの話に出てくるジンハン(辰韓)国が、母の国である。そして、英ちゃんの父ちゃんと、陳会長もジンハン人である。奇妙な縁は国境線を越える。

 日雇い生活は肌に合っている気がしていたが、英ちゃんが「手に職をつけていた方が良い」と、武吉を料理人の仕事に就けた。華僑の世界には『三把刀(さんばとう)』という言葉がある。そして「三把刀は、どこに行っても暮らしていける」と言う。三把刀とは、刃物を使う『料理屋』『床屋』『仕立屋』の三つの職業だ。だから将来、武吉も職に困ることはない。

 料理人の仕事は、陳会長が口を利いてくれた。武吉に韓国料理の経験はなかったが、刃物が研げるという理由で採用してもらった。韓国食堂の女将さんは、まだまだ日本語が流暢ではなかった。時々朝鮮の言葉が混じる。そのため、武吉は少しずつ母の国の言葉を覚えた。採用期間は半年限定だった。急病で倒れた料理人が復帰するまでである。でもそれで十分だった。そして、陳会長の身元保証でアパートも借りた。“ブキチも少しはホモ・サピエンスの世界に戻ってきたようだ”英ちゃんはそう安堵した。

 数か月働いているうちに、タクシーの運転手たちと仲良くなった。食堂に夜食を食べに来るのである。その中の一人から、二種免許をとっておくと便利だと聞かされた。二種免許さえ持っていれば、全国どこの町に行っても仕事には困らないと教えられた。新種の三把刀である。韓国料理店のアルバイトが終わると、二種免許を取りに行った。一種の免許は十八歳の時にとっていた。そして、ほぼペーパードライバーだったので、無事故無違反である。だから二種免許を取る資格は十分だった。

 免許を取ると一年ほどタクシーの運転手をした。そして、金を貯めると改めて放浪の旅に出た。国内の旅なので、金が乏しくなるとタクシーの運転手をして資金調達をした。タクシーの運転手には訳あり人生を歩む者も多く、数か月しか勤めない者も多かった。ヒムカ女王の開拓の旅とは逆に、黒潮街道を南下しながら旅を続けた。そうして、いつの間にか博多まで流れてきた。別に故郷が恋しかったわけではない。

 ある日、中洲から庭師の親方を乗せた。話をしているうちに「お前は面白い人生を送っとるなぁ。お前にその気があるなら、今度うちに来い」と誘われた。翌週、武吉は庭師の見習いになった。庭師になって、やっと青空が見上げられるようになった。風と水と空の色が、木々の息吹を庭に這わせた。しかし、一年ほど経った頃、親方が亡くなった。そこで、またタクシーの運転手に戻った。

 庭師の孤独感は、禅の修行に似ていた。それは荒ぶる社会においては必要な孤独で、清涼感に満ちていた。だが、タクシーの運転手の孤独感は、無縁者の孤独だった。タクシーに乗った客にとって、運転手は無縁の者である。だから、車内の客の会話も隠しごとがない。不倫をしている二人は「来週から主人は海外出張だから……」と打ち合わせを行い、覚醒剤を扱っているヤクザは「今度は、どこどこで渡す」と商談中である。運転手は彼らにとって人間ではない。車両の一部である。だから、どんな危ない会話も遠慮は不要である。気さくに声をかけてくれる酔っ払いや、やたら寂しい客も、タクシーを降りたら運転手の存在など覚えていない。庭の手入れの合間に交わす、亭主との一期一会の会話はそこにはない。人との関係を煩わしくさえ思っていた武吉だが、ふと無性に寂しくなってきた。だから、タクシーを降りた。

 真っ直ぐに伸びた銀杏の木が、青空を突き抜けんとばかりに立ち並んでいる。ここは公園である。武吉は公園で寝泊まりする乞食になっていた。無縁者の孤独を知った武吉は、乞食の世界に浸りたくなったのだ。駅ビルの通路に寝そべり、耳を押し付けると、慌ただしく数万の孤独が歩いて行く。その足元は高価な靴に包まれているが、顔はぼやけ、輪郭も朧げである。心は鎧に覆われ、緊張感に震えている。裸の心で歩いている人はいない。きっと、ネアンデルタール人は裸の心のままに生きていたのだろう。そう武吉は思い当たった。

 公園の塒(ねぐら)に戻る前に、食事の調達を行う。塒で塒(とぐろ)を巻いていたのでは飢え死にである。塒は「とや」とも呼ぶ。鳥屋(とや)とも書き、鶏小屋のようなものである。その止まり木にも順列があるのだが、食事の調達場所にも順列がある。大衆食堂の裏口にあるゴミ箱は残飯である。だから、残飯漁りの野良猫と同類となる。それもまた乞食に似合いの生き方ではあるが、食への欲だけは捨てがたい。

 高級レストランや料亭の裏口にあるゴミ箱は様子が違う。端金を払って食べる大衆食堂の店内食より豪華である。ステーキでもパンでも食べ残しは少なく、余り物である。だから、もし高級食器に盛りつければ立派なディナーである。経験豊かで力のある乞食は、料亭の裏口が食事処である。新参者は大衆食堂の裏口である。アナーキーな社会だと思っていた乞食にも階級があった。しかし、階級闘争はない。

 武吉が親しくなった乞食の親分は、元は料理人であった。だから、きれいな残飯にひと手間加えて上等な料理に仕上げてくれた。これなら乞食は三日やったら止められない。親分に聞いた話では、元は自分の店もあり弟子もいたが、ある年の大型台風で店が全壊し、借金だけが残ったそうだ。それから全てがうまくいかなくなり、転落人生である。

 乞食の中には、本物のヤクザの親分もいた。親分は堅気になろうとしたが、裏社会からも世間からも認めてもらえず、乞食社会に身を潜めて生きているのである。他にも、先頃まで満員電車に揺られていたという会社員もいた。二十年懸命に働き、やっとローンを組み、マイホームを建てたら会社が倒産したそうだ。

 乞食を就職口にしようと思う奴などいない。落ちこぼれて、公園の枝先に引っかかっているだけである。だから、もしまた家に帰れるのなら、多少の苦労は厭わないつもりである。しかし、転がり落ち始めた人生はなかなか這い上がれない。子供の頃から落ちこぼれだった武吉も“まだまだ落ちこぼれとしては修行が足らんなぁ”と思わせる愉快な乞食社会であった。

 小春日和の昼下がり、武吉は公園のテントの前で拾ってきた靴の手入れをしていた。なかなか履き心地の良いスポーツシューズである。前の持ち主は、有名ブランドに履き替えたのかもしれない。

 ブランドには功罪がある。良い点は、目利きでなくてもそこそこに良い品を選べることだ。しかし、ブランド名に目を奪われている人間は、いつまで経っても目利きにはなれない。無名の商品にも優れた商品は数多ある。バイヤーと呼ばれる人種はその達人だ。

 誰かが、じっとこちらを見つめている気配を感じた。ゆっくり顔を上げると、公園の入り口近くに老紳士が立っている。武吉は、その老紳士が誰だかすぐに気がついた。庭師時代に世話になった豪邸の先生である。

 「君はもしかして……庭師の青年ではないかね?」と先生が声をかけてきた。傍らで秘書だろうか中年の男が訝しげに武吉を見ている。「ええ」と返事を返すと、「やっぱりそうか。あの時の青年か。いつぞや君は鯉料理を作ってくれたことがあったね」と親しく、そして含み笑いを浮かべて武吉を見た。

 武吉は、先生の庭の池の鯉を刺身にしたことを思い出した。先生は休みの日だったのだろう。昼間から縁側で庭を眺め、美酒を嗜んでいた。酒の相手が欲しかったのだろう、庭師の親方を誘って昼間の酒宴を楽しみ始めた。親方は酒豪である。二人の酒宴は夕暮れが近まる頃まで続いた。

 ついに酒の肴が切れた。先生は奥方に声をかけ「肴はないか」と聞いたが、ないと言われた。そこで武吉が「酒の肴なら、そこに泳いでいます」と池の鯉を指差した。奥方は目を丸くして驚き、そして含み笑いを浮かべた。どうやら池の鯉は先生の道楽のようである。先生はしどろもどろになり「君、この鯉は食べるために泳がしているわけじゃないぞ」と言った。武吉は「泳がない鯉は鯉じゃなく、食べられない鯉も鯉じゃない」と言った。先生は「しかし、これはだね」と言い訳をしたが、奥方が「道楽です」と傍らから言った。そこで武吉は「鯉も道楽なら、酒もまた道楽。道楽を友と楽しむならこれに勝る道楽はありません」と返した。

 奥方が「あなた、鯉料理はできるの?」と聞いた。武吉は「川育ちですから」と答えた。奥方は「私は鯉コクが好きなんだけど」と鯉料理のリクエストをした。「はい、分かりました」と武吉は植木バサミを縁側に置くと、奥方が手渡した包丁で、手早く鯉を捌いた。鯉は一刀両断である。

 女中さんが庭先に七輪と鍋を持ってきた。武吉は鯉のアライと鯉コクを作った。親方は笑いを押し殺し、奥方は家人を皆呼び寄せ、鯉料理を楽しませた。先生は「嗚呼、三匹も」と嘆息を漏らしたが、美酒の肴としては大満足であった。

 先生は「家内が『あんな美味しい鯉料理は食べたことがなかった』と今でも懐かしんでいるよ」と笑いながら言い、丁寧に手入れされた武吉のスポーツシューズを見つめ、真顔になると「私に、君の手助けができることがあれば訪ねてきたまえ。まだ、あの家に家内と住んでいるから」と言ってくれた。

 秘書が「先生、あんな乞食に関わり合わない方が賢明ですよ」と囁いた。しかし先生はゆっくりと首を振る「君、うわべだけで人を判断してはいかんよ。乞食の意味を知っているかね。……こつじきとはね………嗚呼、無駄な講釈はやめておこう。君にはそうは思えないかもしれないが、彼は哲学者だよ」と愉快そうに語りかけた。

 南の空を彩るスカイブルーが、旅心を呼び起こした。そして翌日、武吉は公園を出た。不意に「ばぁちゃんに会いに行こう」と思い立ったのだ。気がつけば武吉も、もう二十八歳になっていた。だが、乞食仲間の中では最年少である。乞食の親分も、元ヤクザの親分も、そして元エリートも、武吉の新しい旅立ちを喜んでくれた。「お前は、ここで埋もれたらいかんばい。がんばれ」と親分が背を叩いた。それから乞食の仲間が「ばぁちゃんへの土産を買え」と金を集めてくれた。小銭ばかりで一万円ほどが集まった。鉄くずを拾って、コツコツ貯めたへそくりを少しずつ出し合ってくれたようだ。無縁者の社会では、お互いが助け合わないと生きていけない。この公園には、世間の人には見えないコミューンの花がぽっこりと咲いている。

 旅費はヒッチハイクなので必要ない。食料は乾パンをナップサックに入れている。服が綻んだら、ゴミ捨て場を漁れば良い。ゴミ捨て場には衣類はたんと捨てられている。しかし、両足が揃った丈夫な靴はゴミ捨て場にはなかなか捨てられていない。だから心配なのは靴底の減りだけである。

 三台の長距離トラックと、新婚旅行中のアベックの車、セールスマンの車を乗り継ぎ、三日後に鹿児島の祖母ちゃんの家に着いた。フミ祖母ちゃんは七十四歳になっていたが、まだ元気な百姓である。武吉は久しぶりに米の美味しさを味わった。

 南方の風と光を浴びて、武吉は少しずつ己を取り戻していった。一撃、一撃に全身全霊を込めて、一心不乱に剣を振る「一の太刀を疑わず」の心を、薩摩の風土が呼び戻してくれたのであろう。フミ祖母ちゃんの家で十日を過ごし、武吉は実家に帰ることにした。しかし、急ぐ旅ではない。宮崎から大分を回り十日の旅をすることにした。仙人さんの話に出てきたクド(狗奴)国を巡りたかったのだ。狗奴国にはハイムル(吠武琉)がいるはずだ。

 トウマァ(投馬)国では宇佐神宮に詣でた。森にはメラ爺や、サラ(冴良) フラ(楓良) レラ(玲来)の三女神の息吹が感じられる。海を眺めればホオミ(火尾蛇)大将の船団が揺らめいている。仙人さんの昔語りは、武吉の中で生気を取り戻していく。

 アマノレラフネ(天之玲来船)には乗れなかったが、ヒッチハイクの足取りは軽い。鯨海を眺めたら、イナ(伊奴)国からイミ(伊美)国と南下し、ヤマァタイ(八海森)国に帰り着いた。千歳川は護岸工事が進み、太古の面影は薄れたが、巫女たちは蝶となり初春の巫女舞を舞う。耳を澄ませばピミファ女王の元気な声が聞こえる。そんな思いを抱えて帰郷した。

 故郷には、青い空にゴッホが羨むだろう黄色い堤防。そして、勢いよく川面に波しぶきを立てる渡し船。沖底の宮の白梅が花を落とし、小さな実を付け始めた。仙人さんは、まだどこかにいるのだろうか? 戦後民主主義の教育は、神様や不思議な世界を認めない。哀れな話である。

 昭和五十二年、武吉は二十九歳になる。妹の香那は教育大学を卒業し、中学校の教員になった。「やっぱり神童・香那嬢は村の誇りばい」と老人会では大評判である。だから翠(みどり)祖母ちゃんは鼻高々である。しかし、武吉のことには腫れ物に触れるように皆話さない。時折、幼い子が親の言いつけを守らないと、「そげな悪さしよったら、武吉ちゃんみたいになるけんね」と叱られているくらいである。十年ほど前は「頑張らんと、河野の武吉ちゃんみたいな立派な人になれんけんね」と言われていたのであるが、致し方ない。自分で蒔いた種である。

 居心地の悪い故郷を後に、武吉はまた博多に戻った。当初はタクシーの運転手に戻ろうかと思っていたが、竜ちゃんの友達が「電気のメーター検針員」というアルバイトを紹介してくれた。これは効率の良いアルバイトで、朝から電気のメーターを調べ始め、昼過ぎには終わった。

 メーター検針が終わると、そのまま公園に向かった。近頃は揉め事が多いのである。日本中が貧しかった時代は、乞食社会も過ごしやすかった。戦後間もなく、大宰府の参道には物乞いをする傷痍軍人が溢れていた。もちろん戦争で傷つき働けなくなったので物乞い生活を余儀なくされた人も多かったが、偽傷痍軍人も居た。貧しく仕事がないから仕方ないのである。そして人々もそれを承知して、胸から下げた箱に小銭を入れた。

 日本が世界有数の経済大国になると、その寛容さが失われていった。乞食は修行者や哲学者、あるいは生活に困った人たちではなく、怠け者扱いを受けるようになっていった。だから、乞食と世間の揉め事も増えてきたのである。

 そして、武吉が頼られるようになった。武吉は社会福祉の団体を立ち上げようと動き始めた。活動の拠点は小さな教会の牧師さんが名乗りを上げてくれた。それから「越冬闘争」と銘打ち、炊き出しをして餓死者を減らそうと考えた。その資金は昔の友人たちを回り作った。弁護士になった友人は無料で法律問題に対応してくれた。豪邸の先生の所にもお願いに行った。先生の名は東山治朗といい、大きな病院を経営する院長だった。東山院長は医療のサポートも引き受けてくれた。

 かつて薄暗い相談室で「腐った樽の中のリンゴは、捨てるしかない」と校長先生は言った。「それなら樽の中のリンゴを上手に腐らせて、酒を造れば良い」と武吉は反論した。腰を据え過ぎたら勝ちは見えない。足さばきが勝ちを呼び寄せる。そうしてカシアス・クレイのように舞うのだ。校長先生の教育観は根が張り過ぎて、変化を受け止められない。少年少女は風のように青春を舞うのだ。価値観は変化する。思春期は価値観の革命期である。

 相談室には七人の不良が突っ立っている。校長先生は椅子にふんぞり返り不機嫌である。生活指導の先生は、その不機嫌さに気をもんでいる。“先生は、生徒を見ていない” と武吉には思えた。寺子屋の時代、先生は聖職者であった。迷える少年少女を導く学問の使いである。学問の神様は子供たちを選別はしない。しかし、現代の先生は学問の神様にではなく、国家に仕えている。だから、国益に沿えそうもない少年少女は、腐ったリンゴにしか見えない。武吉はそう感じたのだ。校長先生は六人の不良に四日の停学命令を、そして武吉には二週間の停学命令を下した。その日以来、不良少年少女は揉め事が起きると武吉を呼びに走った。

 木枯らしが吹き始め、貧しい者が命を終える季節がやってきた。でもそれは悲しい出来事ではない。生き物は昔からそうして命を終わらせてきた。しかし、無縁世界は悲劇を押し付ける。それは排除という形で現れる。貧しく哀れな人間は迷惑な存在である。

 侮蔑の眼差しが、小さく貧しいコミュニティに向けられる。しかし、世知辛いのは福祉の世界だけではない。香那の夢である教育現場も困った事態に陥っていた。中学校を中心に学校が荒廃し始めたのである。学生運動が低年齢化したのではない。理念なき抵抗である。気分爽快になれる破壊的な抵抗である。

 金属バットはボールを打つ道具から、体育会系教師を殴る武器に変わった。ガラスは寒風から生徒を守る建具から、割って遊ぶ遊具に変わった。それをマスコミが煽った。別に「やれ~やれ~」と煽ったわけではない。ただ鬱積した青年期の憂鬱を晴らしてくれるような映像を繰り返し流しただけである。だから皆、一度は校舎のガラスを割ってみたくなったのである。

 幼少期、大学ではお兄さんお姉さんが鉄パイプを振り回し、大暴れしていた。学校では先生たちが赤い旗を振り回し、二宮金次郎さんの像を叩き壊していた。だから子供たちの罪悪感は薄れている。喫煙が身体に良いと思って煙草を吸っている不良はいない。不良少年少女だって健康には良くないと知っている。でも職員室は煙草の煙に満ちている。ヤニで黄色くなった歯を剥き出しにして生活指導の教員が怒鳴っても、心には届かない。学校もまた無縁社会に陥っていた。

 ある日、香那が武吉を訪ねてきた。傍らに絵に描いたような不良少女を伴っていた。「お兄ちゃん。この子に勉強教えてくれない?」と香那は切り出した。「俺が?」と武吉が訝しがると、「学校の勉強でなくて良いの。ここで社会勉強させて」と強引さを含んだ言葉を投げかけてきた。不良少女はそっぽを向いている。「学校は?」と聞くと、「来てないの。それに目下、家出中。両親もお手上げ状態なの」と香那が答える。だから、「俺たちのアジトの飯炊き女で良いのか」と聞くと、「馬鹿みたい」と不良少女が吐き捨てるように言った。

 翌日の炊き出しから、不良少女は飯炊き女を始めた。そして意外にも料理上手であった。飢え死にしかかっていた日雇い労働者が運ばれてきた。老いた男は、不良少女の料理に涙した。そして「ありがとない。ありがとない」と何度も頭を下げた。不良少女は「馬鹿みたい」と呟いた。きっとこの娘には世の中の全てが馬鹿らしいのであろう。娘は冬休みいっぱいを飯炊き女で過ごし、学校に戻った。一杯の粥のありがたさが、失った学びの心を娘に教えてくれたようである。

 屋敷跡には、白梅が花を咲かせていた。母の一族の行方はしれなかった。祖父キム・ユシン(金由信)を知る人が、祖父母や母の面影を語ってくれた。父の中村武秋と伯父キム・ムチュン(金武春)の戦友だという人にも会えた。歴史の表には出ていないが、父と数人の日本兵が、金武春と行動を共にしたそうだ。

 武吉の傍らには、香那が寄り添っていた。武吉は、三十歳で河野家との養子縁組を解き、中村武吉と名を変えていた。そして香那を娶った。従兄妹婚である。三十一歳、武吉は小説を書き始めた。表題は、『月に吠える』である。虎になったリーヂー(李徴)の気持ちを書いてみたくなったのだ。

 旅先で香那が懐妊し、長女を授かった。梅香と命名した。その娘が立ち上がり、よちよちと歩み始めた。梅香の瞳に灯がゆれる。それは天灯の火のように空に昇る。仙人さんの話が脳裏を過る。その時、奇妙な衝動が身体を突き抜けた。そして武吉は、スカイブルーに霞む月にむかい、胆力を鍛えるかのように吠えた。

赤暗き 欠けゆく月に 虎落笛(もがりぶえ)

~ 蒼穹の闇 ~

 夜明けの空は快晴だった。冬の日差しが眩しくて上毛野(うけの)は目を細めて流れゆく雲を眺めた。そして、長い溜息をはぁ~と漏らした。物寂しき蒼い空に、白き雲は快活な姿を浮き流していく。その白色に心の悲しさが溶け出し、淋しさが溢れる。

 姉の那智女(なちめ)は気丈に振る舞い、涙を見せない。姉は十四歳、弟は十三歳なのだが、歳の差以上の気質の違いがある。上毛野は父親に似て心優しい男である。父の熊野奇火(くまのくしび)は、黒潮の徐家十六代当主であるが、その生い立ちは淋しさとの二人旅である。奇火は生まれ持っての巡礼者なのかもしれない。幼くして母を失い。若くして新妻を失い、今また先妻を失った。失うものが多い人は、自ずと労わりの心を持つ。傲慢に振る舞い、後悔したくないからである。

 「母様が亡くなられた」と項垂れる息子を、父は優しく包み込んだ。しかし、上毛野はひ弱な男の子ではない。父の後妻で粟国水軍の娘・倣風(ならい)に育てられた、逞しい海の男である。倣風は一度嫁いでいたが、子を孕まぬため実家に帰されていた。その娘を、父の狐魂(こだま)が族子の奇火の後妻に迎えたのである。つまり、那智女と上毛野の養母である。

黒潮のジョ(徐)家13代 初代ククリ(菊理)の末裔

 今、倣風は天乃磐船(あまのいわふね)の船長である。この船はヒムカ女王が娘の那智女に与えた新造船である。上毛野はその船で水夫見習いをやっており、日に焼けて精悍な面構えだ。そんな少年の顔に浮かぶ悲愁は、周りの人々を一層の悲しみへと誘った。

 日巫女(ひみこ)に覚醒した那智女は、愛弥詩(えみし)国だけに留まってはいられない。ヒムカ女王に代わり、黒潮の巫女女王代理を務めているのである。ゆえに、天駆ける黒船で狗奴(くど)国、依佐見(よさみ)国、紀球磨(きぐま)国、志摩津(しまず)国と飛び回っており、母の死を悲しむ暇もない。

 上毛野はその姉を生涯支え続けることになるのだが、今はまだ幼い。ゆえに、母を亡くした喪失感に立ち向かえずにいる。十三歳の少年にとっては至極自然な心の在り方である。そして、その穿たれた空白感は消えることがない。それは父と同じ生い立ちを辿ることでもあった。

 ヒムカは人として母親らしくはない。托卵をする郭公(かっこう)のような女であり、悪く言えば育児放棄をしている悪女である。しかし、七人の夫を持ち十二人の子供を持つ大地母神でもある。したがって、そこに人間の価値観を当てはめようとするのは、おこがましい了見というものだ。

 冬雲雀(ふゆひばり)がうらうらと鳴いた。抜けるような青い空を見つめても、その姿はない。物悲しさは東風茅之海(あゆちのうみ)を渡り、志摩彦(しまひこ)の首を痛める。もう長い間、そうしているのである。暫くしてハタと気づいたかのように、地上に目を凝らした。“そうだ。空を舞っているともかぎるまい。枯野で餌を探しているかもしれないではないか”と思ったようである。彼は今、軍装である。この初春、ヘキ(蛇亀)とイブシ(稲撫士)の軍勢が志摩津国の北方に攻め入った。阿彦(あひこ)を暗殺したのは伊波智(いはち)だと疑っての暴挙である。反撃され一旦は撤退したものの、いつ再び攻め入ってくるとも限らないため、防衛線は緩めていない。

 志摩彦は十八歳の若武者である。彼は祖父カシケ(火斯気)の生まれ変わりだと父はいう。だが、志摩彦は祖父を知らない。カシケは二十四年前に牡鹿沼(おがぬま)の戦いで戦死している。俊敏で勇猛な武人だったそうだ。志摩彦の容姿は、母のヒムカ女王に似て優雅であるが、その眼光は鋭い。そこが祖父に似ているのだろう。

ヒムカ(ヒムカ)の7人の夫と12人の子供たち その派遣国

 志摩彦が、人の情としての母親を感じたことがあるのは、養母の智鍼(ちばり)に対してだけである。黒潮王国の開発に奔走するヒムカ女王は、志摩彦が一歳の時に、智鍼に托卵した。智鍼の父は壱未(いちみ)という。元は、ヒムカ女王の母である火の巫女チチカ(月華)姫の仕え人であった。その妻・粗衣螺(そいら)は女王の乳母である。二人は狗奴国の反乱の時、命からがら伊依之島(いよのしま)の南岸へと亡命していた。

 その十九年後、黒潮王国の開発に乗り出した女王は、二人と涙の再会を果たした。 依佐見国を建国すると、女王は初代王に壱未の息子・力爺(りきや)を据えた。智鍼の兄である。そして、智鍼を側近の女官とした。

 志摩彦が一歳になった秋、女王は熊野奇火を新しい夫とし、ポッケモシリ(暖国)のエトゥ(江杜)の岬辺りまで進出し開発を目指した。後の愛弥詩国である。前夫の伊波智には、智鍼を妻として添わせ、六歳のウララ(翁蘭々)を筆頭に、沙乳彦(さちひこ)五歳、瑞波(みずは)二歳、志摩彦一歳を託した。

 子供たちは既に卵ではなくなっているが、謂わば托卵である。良い解釈をすれば、女王には独占欲がない。幼子が持つ無邪気な独占欲は、生存するために欠かせない欲である。他の雛に遠慮していると、飢え死にしかねない。この独占欲に対して周囲が嫌悪感を抱くことはない。幼子の可愛い仕草の一つなのである。

 生き物が次に持つ独占欲は、生殖に伴うものである。思春期に芽生えたこの欲は、美しい恋物語を綴り、子孫繁栄を促す。しかし同時に、愛憎という副産物も発生させる。それは人間社会においては恰好の娯楽を生む。他人の不幸ほど美味しい蜜はないからだ。

 厄介なのは、物品に対する独占欲である。これが社会を複雑な仕組みに変える。最も単純な「家族」という人間社会では、この欲は共有される部分が多い。しかし、一族、村、都市国家、帝国と組織が巨大化するにつれて、それは御(ぎょ)しがたくなっていく。

 このように考えると、女王の独占欲のなさは良き社会を作り出しているのかもしれない。だが、偏狭な世間の目から見れば、薄情な女で、母性の欠片もない酷い母親である。しかし、それを咎める民や群臣はいない。既に女王は「人」ではないのである。神様の世界は、人間には裁けない。それが近親相姦であろうと、不義密通であろうと、男色、女色、獣姦でさえも、人間がとやかくいえる立場にはないのである。そういう視点に立てば、女王の存在は、まさに大地母神そのものであった。

 老婆が山道を踏みしめて登っていく。その健脚な姿からは、九十六歳という老いを感じさせない。この老女はきっと山姥(やまんば)様に違いない……周囲はそう囁く。だが、本人は「私は来年死ぬ」と言う。とてもそうは思えないのだが、本当に山姥様に覚醒するのかもしれない。

 皆からは、ライコッケ(来骨毛)の宇羅(うら)お婆と呼ばれている。純粋な阿人(あじん)としては残り少ない一人である。ホピカ(穂卑河)が倭人軍の将軍として同化を始めて以来、純粋な阿人は減り、阿人と倭人の混血種である阿倭(あわ)人が大勢を占めてきた。曾孫の瑞波と志摩彦は、孫の伊波智とヒムカ女王との間に生まれた子供たちである。そして、女王はさらに同化政策を推し進めている。

 純化にこだわれば、優生思想に陥りやすい。ゆえに、宇羅お婆には反倭人の感情は湧かない。むしろ雑民の世であってほしいと願っている。だが、 ヘキやピリカ(斐梨花)は、そう考えることができない。「戦って得られるものは少ない。むしろ失うものの方が多い」と諭すのだが、二人に耳を傾ける心のゆとりはなかった。

 老婆から少し遅れて、喘ぎながら登ってくる一団がいる。この一団が軟弱者だというわけではない。宇羅お婆が健脚過ぎるのである。その一団の中ほどに若い娘がいる。一団はその娘の護衛である。切れ長の目に穏やかな顔つきをしているこの娘は、阿人でも阿倭人でもない。その容姿は馬韓人の要素が濃い。父は、依佐見国の礎を築いた依佐見族の宇羅人(うらと)である。名をウララといい、母はヒムカ女王である。

 ウララもまた、托卵された子の一人であり、父母への情は育ての親である伊波智と智鍼に向けられている。したがって、同母弟妹である沙乳彦、瑞波、志摩彦に加えて、智鍼が腹を痛めた伊勢夜(いせや)と伊多良(いたら)を加えた六人兄弟の長女のような存在であった。

 志摩津国王・伊波智は、ウララが十六歳になった年に婿を取らせた。ヨナパル(汰原)のランケ(嵐気)と呼ばれる若者である。父の名はカウラ(火浦)といい、山の民の族長である。宇羅お婆の長男は伊波智の父カシケで、長女はウプソロ(鵜婦揃)という。カウラはそのウプソロの長男である。つまり、伊波智とカウラは従兄弟であり、共に宇羅お婆の孫たちなのである。

 倭国に住む山の民は、三人の頭領によってまとめられていた。筑紫之島(つくしのしま)周辺を束ねていたのがメラ爺と呼ばれた頭領。中ノ海から稜威母(いずも)周辺を束ねていたのは翁之赤目(おきなのあかめ)頭領。そして、阿人国との間に横たわるこの地域を束ねていたのが宇羅お婆である。

 宇羅お婆自身は阿人の純血種であったが、夫のイハチコ(伊八来)が高木の神一族であり、山の民の頭領であった。その夫が山の事故で亡くなった時、長男のカシケは二十八歳であったが、反倭国の闘志に燃え抵抗運動に身を投じていた。そこで、宇羅お婆が引き継いだのである。今、その役目は孫のカウラが担っている。ゆえに、カウラの後はランケが、この地の山の民を束ねていくことになる。そのため、ウララには「山の民の母」としての役目が待ち受けているのである。伊波智はそう考え、娘を嫁がせた。

 山道は、概ね下り坂が多くなってきた。この先も上り下りをくり返し、徐々に海に近づいていくはずである。愛弥詩国の東海は、チュプアチュイ(天海)と呼ばれている。そのチュプアチュイから、海の匂いを含んだ秋風が吹いてきた。

 冬が近いというのに、一団の額には皆、汗が浮かんでいる。一人宇羅お婆だけが涼しげである。しかし、内心では “ワシも老いたものじゃ。これしきの山道が堪えるとは情けない” と疲労を隠している。そうまでして、宇羅お婆が老骨に鞭打ち山道を急ぐのには訳がある。ヘキとピリカの不穏な動きを察知したのである。それは、安曇の山師によってもたらされた「毒の花を咲かせる石」の話であった。

 宇羅お婆の元にも、伊都国の儒理王急死の知らせは届いていた。宇羅お婆はこの死に、ヘキとピリカの影を見た。さらに、伊都国の王妃になった沖那女が末盧(まつら)国の幼い海女を拐かし、汰原に連れて行ったようだという情報が、筑紫之島の山の民からもたらされた。

 宇羅お婆の父親は、阿人のシャマン(呪術師)であった。そのため、少しだけ神様の世界の言葉を聞くことができる。そして、最も危惧すべき事態を告げられた。「倭国大乱」という予言の言葉である。どうやってそれが起きるのかまでは、宇羅お婆の力では分からない。しかし、ヘキとピリカの不穏な動きが関与することは間違いないと思えた。そこで、ウララを伴い、女王の元へと急いでいるのである。

 日が落ちてきた。アヌンポロシリ(蓬莱山)の頂に夕日が煌めいた。先に出していた斥候の者が「女王はメラウタキ(布良御嶽)に滞在中」だと知らせてきた。明日には阿波岐海(あわきみ)を渡り、会えそうである。しかし、宇羅お婆の胸騒ぎは鎮まらなかった。

~ 星座瞬く ~

 湿り気を含んだ風が、乙女の深碧の黒髪を巻き上げた。星明かりの空は、青みを帯びた毛嵐を纏い、冬の海の光景を描いたようである。ただし季節は初夏で、寒さに震えることはない。さらに、ここは海辺ではなく山国である。だが、乙女には海の香りがする。

 十二歳になったスズ(珠子)は、高志の生まれである。祖父のパク・ヨンオ(朴延烏)も祖母のセオ(細烏)も、鯨海を超えて来た渡来人である。ゆえに、スズの血には海の記憶が刻まれている。戦に敗れ山国に落ち延びた今でも、スズは海の申し子である。

 海人は星読みでもある。星々に名を与え、物語を紡いでいく。そうやって夜の海を航海してきた。ゆえに、スズも星読みができる。今、スズは幼い子供たちにその物語を語り聞かせている。ここは、ヨナパル(汰原)の丘の上である。

 昨年の晩秋、スズは父を亡くした。父の阿彦(あひこ)は、その大きな体に幾本もの矢を突き立てられ息絶えた。誤射による事故死だったのだが、母のピリカ(斐梨花)や叔母のヘキ(蛇亀)、そして父の盟友イブシ(稲撫士)は、倭国の暗殺団に殺されたのだと復讐を誓っている。

 海は、生き物を生み、そして死に絶えたものを再び内包してきた。海の申し子スズは、その真実を生まれ持って体現している。ゆえにスズは、月読みの巫女であり、黄泉の巫女である。そして今は、火の山ライコッケ(来骨毛)に導かれ、黄泉の巫女の修業中なのである。

 朝ぼらけにスズは夢を見る。それは浅き眠りに浮かされてみる常人の夢ではない。スズは既に目覚めている。朝餉の手伝いをして、お宿の玄関を掃き清め、幼子たちを起こしては散歩に連れて行く。その途中、現世(うつしよ)とあの世の狭間に横たわる「夢の時」を迎えるのである。その夢の時の間に、スズは現世では会えない人々とおしゃべりをする。その不思議な習慣は、父を亡くした時から始まった。初雪の中に身を横たえ、冥界を彷徨う雪女になったのかもしれない。イブシが、己が温もりでスズを抱き留めなければ、スズもあの世の人だった。

 母方の祖父は、阿人(あじん)のケマハ(毛馬伯)である。祖父は斐太(ぴた)の族長だった。祖先は森の民である。海の民は航海に欠かせない目印の星を見つける。そして、森の民は星々が描く幻影に、大地を統べる神々の物語を重ねた。ゆえに、スズの星読みは阿人の神様の物語でもある。幼子たちは自然の営みに耳を傾け、今宵も夜空を楽しむ。

 「さぁ皆、南の空を見上げて。中ほどの高さにとても明るい星があるよね」とスズが幼子たちに語りかける。可愛いキツネ目の女の子が「青白くて明るいあの星のこと?」とその星を指さす。「そうそう、あの星、綺麗でしょ」とスズは女の子を抱き寄せる。女の子は父母を知らない。ゆえに、抱き寄せられるのが大好きである。

 「俺は、もう少し東の空にあるあの赤くて大きな星が好きだよ」と、男の子が間に割って入る。この子もスズに抱き寄せてほしいのだ。男の子は母と二人暮らしである。そして母は、『雀のお宿』の女中頭なので忙しい。ゆえに、天の邪鬼な甘えん坊である。「そうだね。きれいな星だね」とスズは男の子も抱きしめ、背を撫でる。

 「でも、その前に、あの青白くて明るい星の名前を知っている人いる?」とスズは子供たちの関心を夜空に向ける。「青星!!」と太った男の子が確信的に答えた。この子は近隣の山師の子である。家には両親も兄弟もいるのだが、スズといるのが大好きで、毎日通ってくるのである。

 「じゃぁ、あれは赤星か」と天の邪鬼な甘えん坊が、話に割って入る。「そんな名前じゃつまらない。神様の星なのよ」と、まんまる目玉の女の子が異議を唱える。「そうそう、もっと神様のお話になるような名前をつけなくっちゃ」とキツネ目の女の子も同調する。天の邪鬼は、ふくれ面で思案し、山師の子は動じる様子を見せない。

 「まず、青星の本当の名はね。ホロケゥ・ノチゥと言うの」とスズが説明すると、天の邪鬼が「何だ。狼の星なんて、普通の名じゃんかい。俺はアサンギ・イメラッの方が良いと思うね」と意義を唱えた。すると山師の子が「青い稲妻じゃ、青星と変わらん。俺はスズ姉ちゃんの名の方が良い」と反論した。

 数人の子らが大きく頷く。子供たちは、『雀のお宿』の子たちばかりではなく、山師の子のように近隣の子供たちも集まっている。皆、スズを慕っているのだ。そして、貧しく学問とは無縁の子供たちである。ゆえに、スズ先生の許に集まる子たちを、大人たちは『雀の学校』と呼んで暖かく見守っている。

 「ねぇ、スズ姉ちゃん。ホロケゥ・ノチゥにはどんな神様の話があるの?」とキツネ目の女の子が聞いた。「その狼はきっとカムイ(神域)のモノだぜ」と生意気な天の邪鬼が胸をそらす。「良く知っているわね」とスズが頭を撫でてやる。天の邪鬼はその心地良さに、エヘンと鼻高々な天狗に変身する。

 「昔々、阿人の英雄が戦に敗れて、ぴたの深い森に逃れていました。その英雄は、ルクンネ・ホロケゥと呼ばれていました。髪の色が生まれたときから灰色で、狼のような鋭い眼をしていたのね。だから、阿人たちはそう呼んだの」とスズが話し出すと「でも人間の子なんでしょう?」と天の邪鬼が聞いた。

 「そうよ。ルクンネ・ホロケゥはとても賢い子だったのよ。それに、決して威張らない子よ。友だちは彼をガキ大将扱いしたけど、ルクンネ・ホロケゥは一匹狼だったの」とスズが言うと「ガキ大将で皆を率いて戦えば良かったのに」と太った山師の子が応えた。この子もガキ大将然としている。

 「そうね。でもルクンネ・ホロケゥは、他の人を自分の考えで縛るのは厭だったの。人に威張って命令する人は、皆も大嫌いだよね」とスズが問いかけると「そうだけど、誰か皆をまとめる人も必要でしょう」とキツネ目の女の子が鋭い眼差しで言った。

 「そうそう、ルクンネ・ホロケゥは、人に命令するのは嫌だったけど、皆の意見をまとめるのはとても上手だったの。だから阿人の先頭に立って侵略者に立ち向かったのよ」その話にフムフムと頷きながら「威張り散らすだけの大将ならごめんだけど、そんな大将ならオイラも一緒に戦っても良いと思うぜ。ねぇスズ姉ちゃん」と天の邪鬼がさらに胸をそらす。

 「ねぇねぇ、それからどうなるの?」と、まんまる目玉の女の子が話の先を急かせた。「ルクンネ・ホロケゥの体の傷は酷くなかったけれど、心の傷は大きかったの。大勢の仲間を失い、大勢の敵を殺したからね。ある日、深い森の暗闇の中を歩いていると、大木の根元の穴にうずくまる白い狼に出会いました」と話を続けると「それは、狼なんだよね。よーし、狼の星に近づいてきたぞ」と可愛い仕草で天の邪鬼が小躍りした。

 「白い狼は、前足に矢を受けうずくまっていたのです。ルクンネ・ホロケゥは、矢を抜くと、その白い狼を抱きかかえ、お家に連れて帰りました。そして傷口に薬草を塗り、肉を食べさせ元気を取り戻させました。そうして元気になった白い狼を、高い山の森の中に返しました」とスズが語ると、子供たちは「それから、それから……」と話の先を急かせた。

 スズはいたずらっぽい笑みを浮かべると「それだけ」と話を終えた。天の邪鬼が「えぇ~、それだけぇ~」と膨れ面で駄々をこねた。「何だ。俺は狼がお礼に狼の軍団を作って、ルクンネ・ホロケゥを助けるのかと思ったのに。つまらねぇ」と太った山師の子が、仰向けに寝転び夜空を見上げた。

 「私は、白い狼が人間の娘になり、ルクンネ・ホロケゥのお嫁さんになるかと思ったのに、寂しいなぁ」と、まんまる目玉の女の子が地面に目を落とし、小枝で虫の穴を突いた。穴からは大勢の蟻が這い出し大混乱に陥っている。荒ぶる神の女の子は、蟻を押し潰し、ふ~っとため息をついた。

 「白い狼は、ルクンネ・ホロケゥのお母さんじゃないの?」とキツネ目の女の子が目を輝かせスズに聞いた。「そうかもねぇ」とスズは答える。「スズ姉ちゃん。ルクンネ・ホロケゥは捨て子だったんだよね?」とキツネ目の女の子は勢いづく。「そうかもねぇ」と再びスズは答える。そして女の子は、自分の神話を語りだす。

 「小さいルクンネ・ホロケゥは、山の洞窟に捨てられていました。獲物を追ってきた猟師がそれを見つけました。村に連れ帰ると、皆は『この子はカムイのモノだろう』と思い育てることにしました」すると天の邪鬼が「やっぱり俺の言った通りだろう」と胸を反らす。

 「そう、白い狼は、カムイだったのよ。だから捨て子のルクンネ・ホロケゥは、カムイの子よ。ねぇスズ姉ちゃん。そうでしょう」とキツネ目の女の子は、はしゃぎ声でスズに同意を促す。スズは「そうかもねぇ」と女の子に微笑み返す。

 「そうか、そうか。戦に敗れ心が傷ついたルクンネ・ホロケゥを、白い狼は見守っていたんだなぁ」と感心したように太った山師の子が起き上がり、話に加わった。まんまる目玉の女の子が「狼は、貧しい女子供に出会うと、自分の肉を分けてくれるって祖母ちゃんが言っていた」と同調した。

 そうやって、子供たちの星読み遊びは続いていく。スズは何度も「そうかもねぇ」を繰り返し、それぞれの神話を紡ぎだす手伝いをしている。“正義という言葉があるのなら、それは助けてくれた人々への恩返しをすることじゃないかしら”とスズは考えている。そして、その恩返しの方法とは“きっと次の命を紡いでいくことじゃないかしら”と、復讐の正義とは違う夢を見ている。

 さぁて、『雀の学校』もそろそろ終わりの時間である。スズは、話止まず熱気に包まれた子供たちを麓の村に導いていく。荒々しい山風の中で、スズの海風だけが穏やかである。

~ 荒城の月 ~

 兵共の吐息が、地中から風を巻き起こす。その風に煽られ薄紅色の花びらが初春の青空に舞う。そして、瑞々しい青の世界は、薄紅の世界へと変わる。その淡い白の空に黄泉の深淵が浮かぶ気がして、フーミー(狐米)は目を閉じた。

 その同じ空を流転の娘グゥォ・シァリン(郭夏玲)も目にしていた。だが、その虚無の闇が見えるのは、フーミーとシァリンだけかもしれない。二人は、その闇の世界で繋がっている。そうであるならば、二人は黄泉の巫女であるかもしれない。フーミーは尹家の血を引くのでその可能性は高い。しかし、シァリンが伊尹の末裔かは分からない。でもきっとそうだろう。

 涼やかな薄紅色の花が咲いた。朝の光の中でイン・ミンティエン(尹旻天)が茶を淹れている。ツァオ・モンドゥー(曹孟徳)は青空を流れる白い雲を眺めている。その花はムーチン(木槿:和名むくげ)と呼ばれるが、シュンファ(舜華)とも呼ばれる。孟徳はこの呼び名のほうが好きである。

 木槿の枝は天に向かって伸びる。低木ではあるが折れにくく、刈り込まれても、やはり天を目指す。その樹勢は孟徳の気質のようだと、ミンティエン(旻天)は、屋敷をこの花木で囲んだ。シュンファは儚い花だと思う人もいる。だが次から次に蕾を開花させる艶やかな強さに、孟徳は、三十五歳となり女のふくよかさが増したミンティエンを重ねて見ている。

 茶はビィェン・チンリン(卞青鈴)に習った牛蒡茶(ごぼうちゃ)である。二年前にチンリン(青鈴)は曹孟徳の正室になった。この時彼女は三十八歳であった。ミンティエンは三十三歳であったので二人は五歳違いである。貧民の長女で幼くしてカイヤン(開陽)の妓楼に売られたチンリンは家族愛が乏しい。ゆえに、ミンティエンを実の妹のように可愛がっている。そして、ミンティエンは曹孟徳の側室である。

 六年前のことである。孟徳は、リュ・フォンシィェン(呂奉先:後の世ではリュ・ブー(呂布)と呼ばれる)との戦で大敗を喫し大火傷を負った。それは落命を招く状態であった。『黄帝内経』を会得したチンリンでさえ手の施しようがなく、曹家軍閥の命運は尽きかけていた。

 孟徳を救出したのは、黒山党のバイ・ロウ(白柔)が率いる元青州黄巾軍である。そしてバイ・ロウは孟徳に代わりリュ・フォンシィェンに討ち取られた。養女の騎馬娘タン・チュンイェン(檀春燕)は、夫のジャン・ファン(張方)とヘイシャンダン(黒山党)をまとめ上げ、猛将に復讐戦を挑んだ。そして翌年、瀕死の状態から復活した孟徳と共にリュ・フォンシィェンを討ち取った。

 その孟徳の再生を担ったのがミンティエンである。つまり尹家の奥儀に救われたのである。それは人智を超えた力であり、医術に秀でたチンリンには、ミンティエンの本当の姿が見えた。尹家のミンティエンこそが戦場(いくさば)の巫女である。そこでチンリンは、ミンティエンを孟徳の側室に推した。

 革命とは「天が徳をなくした王朝を徳ある者にすげ替える天命である」と孔子先生は言ったという。その革命前夜に姿を現すのが「戦場の巫女」である。そうであればその者を側室とした孟徳こそが天命を得た存在になると正室チンリンは見込んだのであろう。

 その後の孟徳と曹家軍閥は破竹の勢いである。そしてこの年、グァンドゥヂーヂャン(官渡之戦)を勝ち抜き、曹家軍閥は群雄割拠の世界から一歩抜きんでた。かつての盟友ユエン・ベンチュ(袁本初)はその勢いに衰えが見え、袁氏には暗雲が立ち込めていた。しかし、その袁氏に娘が嫁いでいるとは、孟徳は思いもしていなかった。

 フーミーことヂェンファ(姫華)は、名を変え今はヂェン・ヂャオミー(甄昭弥)と名乗っている。しかし、この名乗りは母のチュクム(秋琴)も知らない。ヂャオミーの名を知っているのは、ミンティエンと、姉となったヂェン・ダオ(甄道)のみである。彼女の本名はジャン・シァォメイ(張小梅)である。父は太平道教祖の一人ジャン・バオ(張宝)であるから、ジェンファ(姫華)は従姉妹の娘である。そして、ジェンファと呼びシァォメイと呼び合うのは二人きりの時だけである。周囲の者は甄姫と呼ぶ。

 この年、甄姫は十八歳になり、シァォメイは二十六歳になっていた。そして、ミンティエンは三十五歳である。ミンティエンはチュクムと同じ歳なので、甄姫とミンティエンの関係は親子のようである。しかし、そのことは誰にも知られてはいけない。

 孟徳には、多くの側室がおり、子も多い。中にはさっと名が浮かばない子もいる。しかし、見たことのない娘の存在が常に気がかりである。探索に出した猫目からは何の応答もない。使いに出してからもう十四年になるが音沙汰なしである。さらに、猫目が甄姫の子守りをし、今でも影から見守り続けているとは知る由もない。

 猫目は、この数年、袁本初の下働きをしていた。下人の扱いなので、誰もその正体を知らない。猫目そのものは「自分の飼い主は天下様だ」と思っているが、本初にも親しみを感じている。何よりも甄姫に優しいところが良いと思っているのである。

 世間の常識では裏切り者と映るだろうが、彼にそんな倫理観を押し付けるのは無意味である。猫目は倫理観など持ち合わせてはいない。「そんなもので腹いっぱいにはならねぇべぇ」と頓着がない。

 猫目が信じるのは肌合いである。「天下様とは肌合いが合う」と思い、さらには「フーミーとはもっと肌合いが合う」と思っているだけである。それが忠義心だといわれればそれでも良い。破天荒な人生を歩んできた猫目には、人が作り出した倫理観など、朝霧の中の陽炎のようなものである。

 孟徳は、合理主義者である。ゆえに、観念的な議論は好まないし、迷信の類はさらに嫌いである。したがって儒者や呪術師に対しても嫌悪感しか抱かない。世間は孟徳を改革派だと思い、儒者を信奉していると思っているが、そうではない。

 ところが、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類に等しい加太や、猫目に対しては悪い感情を抱いてはいない。それは孟徳の審美眼がもたらすものである。確かに加太や猫目の魂は、人間の欲とは無縁の世界に存在しているようである。ゆえに「あいつは、猫ゆえに仕方ないか」と孟徳も気長に猫目からの便りを待っている。

 官渡之戦で甄姫の嫁ぎ先である袁家軍閥が敗北した一因は、リィゥ・ジンシォン(劉景升)が援軍を送らなかったからである。そこに尹家の戦場の巫女、ミンティエンの存在が深く影を落としている。つまり、盟友の袁本初との約束を違えたのは、彼がミンティエンに動かされたからである。

 彼は、そもそも儒学者の道を歩んでいた。そしてその老師はフェァ・シゥ(何休)という大家である。その大家の跡継ぎが、冀州太平道の知恵袋フェァ・シャオ(何邵)である。妻は、倭国に逃れ倭国総理となったマー・チャーホァ(馬茶花)である。つまり劉景升は太平道との縁が深い。

 儒学の大家に認められた彼は、青年期を都の太学で過ごす。そこで改革派の指導者の一人として名をなす。したがって袁本初とも盟友関係を結ぶ。さらに、改革派が不遇時代に陥っていた頃、革命家ジャン・ジャオ(張角)の伯父ジャン・ユェンジェ(張元節)の逃亡を命がけで助けている。

 盟友・袁本初が曹孟徳と良好な関係であった時には、窮地に陥った孟徳に援軍を送っている。また、諸葛氏が没落した際には、コウミン(孔明)少年と弟のヅーゴン(子貢)を領地に引き取り援助している。孔明兄弟の叔父の妻リィゥ・アイラン(劉愛蘭)が一族の娘だった縁である。

 まことに彼は、複雑な縁を結んで生きているのである。そのために風見鶏と揶揄されることも多いが、彼自身は義侠心の塊のような男である。その義侠心を戦場の巫女ミンティエンが揺り動かしたのである。彼は後の世では劉表と呼ばれる。

 かつて、彼は大将軍フェァ・スイガオ(何遂高)に大きな恩を受けたことがある。その大恩がなければ、今の彼の地位はない。そして、大恩人の孫が孟徳に養われているのである。孫の名をフェァ・ピンシュ(何平叔)という。今は十五歳となり、曹家軍閥の一翼を担う有望株だとみなされている。

 何氏は体格に恵まれている。大将軍は太鼓腹の大男であったが、妹の何皇后はすらりと背が高い淑女であった。ピンシュ(平叔)は十三歳にして同世代の男より頭一つ大きかった。だからこの年で、初陣を果たした。孟徳の三男ツァオ・ズーファン(曹子桓)は当時十一歳の若年であったが、義兄への対抗意識を燃やし、同時に初陣を果たした。ピンシュが義兄となったのは、彼の母ミンティエンが父の側室となったからである。

 孟徳の長男ツァオ・ズーヨウ(曹子脩)は、三年前に父の身代わりとなり討ち死にした。二十五歳の若さであった。この優秀な長男の戦死は、曹家軍閥に大きな痛手を与えた。時の正室ディン・チュンユー(丁春玉)は孟徳の薄情さを呪い、彼の許を去った。チュンユーには実子がいない。ゆえに長男ズーヨウを我が子以上に慈しみ育ててきた。その喪失感は夫を呪うことでしか埋めることができなかったのである。

 新たに正室となったビィェン・チンリンは、チュンユーとの交遊を絶やさず、ミンティエンを加えて三人の茶会を頻繁に催した。チュンユーの傷心もその茶会で癒された。孟徳の養母ディン・メイリン(丁美玲)は七年前に、孟徳の父と共に敵の手にかかり命を絶たれていた。ゆえにその茶会はメイリンを供養するものでもあった。

 孟徳は多くの側室と、血のつながらない子供たちを養っている。その子の中から曹家を継ぐ者が出ることは考えられない。しかし、フェァ・ピンシュはその中でも異様なくらいに可愛がられている。彼は快活な少年である。そして母に似て美しい。加えて絵も上手く詩作に長けている。ゆえに、孟徳は詩作の手ほどきを楽しんでいる。

 その様子に、孟徳の実子である三男ズーファンは嫉妬し、対抗意欲を燃やすのである。次男ツァオ・ズーシュォ(曹子鑠)は幼い時から病弱で、戦には出られない。ゆえに曹家の跡取りは託せない。長男が亡き後、父は次男を気遣い、太子を決めきれないでいる。もし太子の席から外せば、そのまま次男の命は消えてしまいそうで不安なのである。

 美丈夫が母に叱られ膨れている。十五歳ではあるが並みの大人より背が高い。「自分の価値観の中に他者を閉じ込めてはいけません」と母は叱っている。幼い時よりこの大将軍の孫は美童であった。そのために何かと我儘が許されてきた。美形は得をするものである。しかし、その得は一時のものでしかない。そのことを知る母は子に厳しい。

 ピンシュは、義弟のツァオ・ズージィェン(曹子建)に詩作の手ほどきをしていた。ズージィェンはまだ八歳である。孟徳の実子で五男である。後の世に名を馳せる曹植と呼ばれる稀代の詩人である。母はチンリンで、同母兄はツァオ・ズーファンである。ピンシュとズーファンの仲はうまくいっていないが、ピンシュとズージィェンの仲はとても良い。そこで詩作をして遊んでいるのである。

 だが、我儘者ピンシュの教え方は独善的である。しかし、気が優しいズージィェンは、「ふんふん」と楽しそうに頷き聞いている。そこに母の雷である。ピンシュは釈然としないのである。「人の価値観は変化するものです。その変化を妨げることが自分と他者の自由を奪うことなのです」と母はたたみかける。ピンシュは賢い子である。ゆえに母の教えは理解できる。

正妻チンリンがくすりと笑う。元の正妻チュンユーは「あらあら、ミンティエンは人には優しいけれど、我が子には厳しいのね」と呆れている。ここは茶会の席である。夏の暑さも和らぎ、シュンファ(舜華:和名むくげ)の白い花びらが涼やかさを添えてくれる。チンリンは芳香茶を点て、「ミンティエンの躾はとても厳しいのです。それでもピンシュは独善を貫いておりますけどね」と、優しくピンシュとズージィェンを見つめている。

 芳香を秋風が運ぶ。今宵は良い月見日和になりそうである。チンリンは家人に夕餉の仕度を促す。ピンシュの鼻は、美食が放つ香りに心奪われる。しかし、容赦なく「自由こそがあらゆる困難に打ち勝つ勇気を与えてくれるのです。分かりましたか」と母の叱責は飛ぶ。我儘者ピンシュも母だけは鬼のように怖い。それはそうであろう。母は鬼神も恐れる尹家の戦場の巫女であるのだから………

~ 雨上がりの星 ~

 蚕豆(そらまめ)の芽が出てきた。元気がよさそうな苗を選び、他は間引いて日当たりを良くした。五十六の苗が残った。うまく育てば家人皆で食べても十分な収穫になるだろう。今朝は露時雨(つゆしぐれ)が庭の畑を覆った。もうすぐ霜が降りる。「豆はいじめて育てろ」と加太(かた)が教えてくれた。霜があたりを白銀の世界に変えるのが待ち遠しい。

 お義父様は、グァンドゥヂーヂャン(官渡之戦)の疲れからか病に伏された。夫や兄弟たちも戦に明け暮れ、お父様を見舞うゆとりはない。食は細り衰えが著しい。夜中に酷い腹痛に襲われ、眠ることもままならないようだ。加太がいれば治してくれるだろう。けれど、加太の姿はもう数年見ていない。加太は今頃どこにいるのだろう。

 山羊のお乳でドウタン(豆湯)を作ろう。そうだ、葛粉を溶いてとろみを持たせ、薄味にしよう。蚕豆は裏漉(うらご)ししておこう。ねぇ、その方が喉越しも良く、お父様も召し上がりやすいと思わない? 白湯でも鈍痛が和らぐとおっしゃっていたから、とろみのある豆湯ならきっと効果覿面(てきめん)よ。困った時の神頼みかもしれないけれど、切歯扼腕(せっしやくわん)するお父様の心の痛みが和らぎ、眠れるだけでも十分だわ。ねぇ、そうでしょう。

 人は薄情なものねぇ……。官渡の敗戦が伝わったとたんに、各地で反乱が起きるなんて……。嗚呼、そして、ツァンティンヂーヂャン(倉亭之戦)の報が、お父様の症状を一層悪化させた。でも一番の薄情者はツァオ・モンドゥー(曹孟徳)だわ。あんなにお父様と仲が良かったのに……。ねぇ、何が人を薄情者に変えるのかしら……。「背に腹は代えられないから」なんて答えは聞きたくないわ。

 シイェンフー(顕甫)は思った以上に頑張っている。頼りなさげな末っ子だと思っていたけれど、お父様が反乱鎮圧の先頭に立てないから、彼が頑張るしかない。でもスーシィェン(思顕)兄様との仲はもっと悪くなったようだわ。困ったものよね。兄弟なのに、何故かしら。

 私の夫シイェンヨン(顕雍)は、一番お父様に似ている。幽州での反乱をことごとく鎮圧した手腕は、袁家軍閥の皆が認めるところよね。まるで三面六臂(さんめんろっぴ)の異国の神様のよう……。でもスーシィェン兄様との仲はうまくいかない。そして異母弟のシイェンフーは、すっかり同母兄である私の夫を頼りにしている。この関係はあまり良くないと思わない? ねぇどう思う? お父様は何か話していなかった? ねぇ、聞いているの? 猫目ってばさぁ、寝ているの?

 冬の日差しが心地よい。チー、チーと小鳥がさえずる。いいのよ。謝らなくて。昔みたいに「フーミー」って呼んで。「奥様」なんて呼ばないで、昔のあなたでいて。でも小鳥を捕まえて酒の肴にするのだけは止めてね。私、鳥のさえずりが好きなの。

 ほら、あの目の周りが白い小さな鳥よ。そう、あの緑褐色の小鳥。飛びかかっちゃ駄目よ、本当に猫みたいなんだから。あの鳥は倭国にもいるのかしら? 許されるものなら泳いででも行ってみたいわねぇ……。あっそうか!! 猫目は泳げないのよねぇ……。えっ?!泳げるの……? だって水が嫌いだって……。何だ、お風呂が嫌いなだけなの。

 ふ~ん、繍眼(シゥイェン:和名メジロ)って呼ばれている鳥なの? 確かに目の周りに白い刺繍をしているようだわよね。でも「目白」って呼んでも良くない? えぇ~、どっちだって良いって~? いくら「食べちゃ駄目」って言われたからって、投げやりなのねぇ。皆、お腹を空かしてないかしら。

 ところで、あなたのご主人様は、いったい誰なの? 薄情者の孟徳なの? それともお義父様? えっ?! 私でも良いって……。本当にいい加減なんだから……、でも、あなたが来てくれると嬉しい。葦原の匂いがよみがえるわ。ほら、川原で小鳥が何か啄(ついば)んだ。私も楽しく生きていかなくっちゃね。だから心配しないで……。

 は~い。ただ今参ります。お義母様に呼ばれているから私は行くね。今度いつ会える?どうせ暇なんでしょう。もし、どこかで加太やシァリン(夏玲)に会ったら、私は「ナンクルナイサァ~」って毎日呪文を唱えて生きているって伝えてね。じゃぁ~、ミンティェンジィェン(明天見)。

~ 一つの空 ~

 陽ざしに包まれ甘い、瑞香の香りが漂っている。それは私の生活に活気をもたらした。でも、夜になるとまだ寒さが忍び寄って来る。夕時、私は黒真珠の勾玉を首からかけると、皮衣の胸元にしまいこんだ。この皮衣は父様の形見。内側の毛触りが暖かい。

 フーミー姉様は、どうしていらっしゃるかしら? ユエン・シイェンヨン(袁顕雍)様に嫁いだと猫目が教えてくれたけれど……。姉様の今の名はジェン・ヂャオミー(甄昭弥)。皆は「甄姫」と呼んでいるそうだわ。あの人は無駄なおしゃべりはしない人だから、それだけ言うとまたどこかへ行っちゃった。あの時に交換した私のホータン(和田)玉の首飾りは、大事に持っていてくれるだろうか?

 私は、明日嫁ぐ。この震える心の声は、甄姫姉様に届いているかしら? ロンヂョン(隆中)の空もイェ(鄴)の空も一つの空だから、きっと伝わるはず。そうだ、鳥の声に私の思いを託そう。あっ!! 繍眼(シゥイェン:和名メジロ)の群れが舞い上がった。風は東北に向かい吹いている。その風に乗った鳥たちは春を運んで行くようだわ。

 よ~し!! 私はまた一歩、新しい人生の旅に足を進めよう。グアンゾン(広宗)から始まった旅は、ガオミー(高密)へ流れ。そしてジャンドゥ(江都)からジャンリン(江陵)へ。さらにトンディー(銅鞮)へも。「ねぇ、甄姫姉様、私の声が聞こえる? 私は今、幸せに過ごしているよ」。旅は風のようにこの世界を巡る。だから、縁ある者は必ず出会える。ねぇ、あなたもそう思うでしょう?

 ファンジンチーイー(黄巾起義)の年に生まれてから十八年。眼も開かない私を抱いて、父様と母様は高密に逃れ、それから難民船でグアンリン(広陵)に渡った。そして、江都で息絶えた。孤児になった私を助けたのはツァンロン(蒼龍)という人だった。その彼も今はもういない。彼は、私をドン・ヤン(董陽)伯母さんに届けると再び戦に身を投じた。そして、倭国に逃げる太平道信徒たちの盾になり、討ち死にしたそうだわ。

 私が八歳の時、養父母もまた戦の中で息絶えた。養父様の名はグゥォ・ヨン(郭永)といった。父グゥォ・トン(郭謄)の従兄にあたる。でも私には実の父母の面影はない。董陽伯母さんは、私の実の母ドン・ヂュン(董純)のお姉様。そして四人の兄弟は従兄弟たち。だから、天涯孤独じゃない。私は、何不自由なく幸せに育った。

 養父様は当時、南郡の太守だった。そこへ敵が攻めてきて、両親は戦火に消えた。その敵将はスン・ウェンタイ(孫文台)といったわ。皮肉なことに彼は、私の命の恩人ツァンロンの従兄弟で、私を無事にシィァンヤン(襄陽)のヤン(陽)伯母さんの許に逃がしてくれた人。でも彼も戦に散って、今はいない。

 そうでしょ? あなたに教わらなければ、私の人生は半分闇の中だったわ。だって、私が覚えているのは江陵の城下町からだもの。それもぼんやりと……。はっきり覚えているのは 襄陽の城下町。それも火の海の情景から……。 

 私は、黄泉の巫女なのかしら? 私の周りの恩人たちは次々に根の国に旅立っていった。そして私は流転の旅を続けている。でも小さな情火は、太平の世を夙夜夢寐(しゅくやむび)に焦がれる。甄姫姉様、ホータン玉の温もりが伝わりますか? ねぇ、あなたはどう思う?

 十八歳の私を救いあげてくれたのは、リィゥ・ジンシォン(劉景升)様だったよね。あなたに聞いて初めて知った、私の縁。嬉しかったわ。劉景升様は私のお祖父様の教え子で、養父様の盟友。だから敗戦後、行方知れずになっていた私たち家族を必死で探していた。……私の行方、あなたが教えてくれたの?

 劉景升様は荊州の太守様。そして、とても任侠心に富んだお方。甄姫姉様のお祖父様、ジャン・ジャオ(張角)の伯父さんはジャン・ユェンジェ(張元節)という方で、高潔の士として多くの人から尊敬されていた。彼が虚言を弄する一味に誣告され、逃亡者となった時に、身を呈して匿った一人なの。

 元節様は、まだお元気なのよね? えっ?! 七年前に亡くなったの。そう……残念だわ。私も学問を習いたかったのに……。えっ、えっ、えええ……?! あなたが最後の教え子なの? とてもそうは見えないわ。何がって、高潔とは縁遠そうだし、嘘つきだし。

 何で嘘つきかって? だって、今をときめくモンドゥー(曹孟徳)を、鱸(スズキ)と生姜で煙に巻いたんでしょ。そういえば、それも七年前の話だったわよね。あなた、よくもあの「奸雄」と名高い男を、誑(たら)かしたものよね。えっ?! 俺じゃないって……じゃあ、誰?

 えっ、えっ、えええ……?! イン・ミンティエン(尹旻天)様があなたの黒幕なの? どういうことよ。あなたも太平道の信徒なの? 私が生まれた年に、その左目と左足を失ったの? 十二歳だったのね……大変だったわよね。じゃぁ、今三十一歳なの? とてもそんなに若くは見えないわ。私、もう五十路半ばのお爺さんかと思っていた。ごめんなさい。でも、皆そう思うはずよ。身なりもいつも変だしね。「これが導師の身なりだ」って、ふぅ~ん。変なの。でも、その青い色の衣は私も好きよ。

 つまり、あなたは黄巾起義の戦禍にあったのね。えっ?! 広宗で……。それから高密に逃れたの……ふぅ~ん。ミンティエン様の一族に引き取られたのね。じゃぁ、もしかして、あなた、赤ん坊の私を知っていた? やっぱり……えっ?! あなた、お父様の教え子だったの。じゃぁ、江都にもいたの? そう……その身体ではね……。屋根の下敷きになった父様と母様を助け出すのは無理よね。いいのよ、謝らなくったって。しかたないわ。天災だもの。じゃぁ、ツァンロン様に私を託したのも、あなただったの? ありがとう。あなた、私の命の恩人ね。

 ふぅ~ん、そうなんだ。えっ?! 私も他人の心が読めるって? 私にはそんな心の声なんて聞こえないわ。ああ、話し言葉じゃないの……ふぅ~ん、波動なの。その人の表情や声、息づかい、身体から発する匂いから心を読み取るのね。そう言われると、そうかもしれないわ。私、昔から気遣い上手だっていわれていたから……ふぅ~ん、そうかもね。

 で、ミンティエン様は奸雄の心を読んだのね。だから、あらかじめ江東の松江の鱸と、巴蜀の生姜を取り寄せていた。そうそう、蜀の錦もね。でも、早馬を走らせても、潁川郡のシュ(許)の都からだと往復一ヶ月以上はかかるわよね。そんなに早くから孟徳の心を読むなんて、ミンティエン様の力はとても大きいのね。

 えっ、えっ、えええ……?! 四日で往復したって……やっぱり嘘つきよね。空を飛んでいったの?! 水の上を走るより簡単だって……嘘つきじゃないって……ふぅ~ん。龍の背に乗って行ったの? それって、加太先生の「天灯」みたいなもの? へぇ~、あれから随分改良したのね。「風に乗るのは同じだが、風の向きを知る遁甲盤を作ったんだ」って……?? ふぅ~ん、そうなんだ。

 じゃ~人力飛行船なの? えっ?! 人力は止めたの。確かに四日も風車を回していたら疲れるからね。で、雷神の力を借りたの……?? ところで雷神ってどこにいるの? ふぅ~ん、雲の中ねぇ。で、雷気を箱の中に溜めておくの……?? 

 そんな奇妙奇天烈な話はさておき、ミンティエン様は何故、そんな策術を行ったの?「奇妙奇天烈じゃなく奇門遁甲の仙術だ」って……?? 火渡りはもっと簡単だって……ふぅ~ん。もういいから、人間の世界の話に戻しましょう。で、何故?

 あなたを、あの孟徳に紹介するためなの。ふぅ~ん、彼が天下を抑えるのね。確かに猫目は「天下様」って呼んでいるけど。だから何? あなたが自由にこの国を動き回れるように……って、何? 確かに奇術使いのあなたを縛ることはできないと、彼は思うでしょうね。それに猫目と違い、あなたは彼の配下じゃない。嗚呼、加太様と同じ扱いね。

 えっ?! あなたその時、まだ二十四歳の若造だったの。風采も上がらないしねぇ。普通に紹介されても覚えてもらえないよねぇ。だから、鱸と生姜で煙に巻いた。それがミンティエン様の策だったの。で、自由を保障されたの? ふぅ~ん。でも、何で? えっ?! あなた、私の守り人なの? それがミンティエン様の目的……。で、私の居所を突き止めたのね。

 私たちは敗戦後、襄陽から銅鞮に落ち延びた。そこは祖母ホウ・メイリン(侯美玲)の故郷だったわ。着の身着のままの難民となった、私たち六人の暮らしは困窮した。だから私は十二歳で行儀見習いに出た。三つ年上のユー(昱)お姉様が先に勤めていたので、不安はなかったわ。

 奉公先は、お祖母様の一族、侯公の屋敷だった。屋敷の中には、ふんわりとユエチーファ(月季花:和名・庚申薔薇)の香りが漂っていたわ。春の華やぎを漂わせた、赤い花茶を点てたら素敵だろうにと、ふと思った。でも、私たちの暮らしにそんなゆとりはなかった。数年、ユー姉様と私は働きづくめだった。

 昨年、春三月、白梅の花びらを背に載せ、牛車が迎えにきた。劉景升様は涙ながらに私たち一家を迎え入れ、家族同様の扱いをしてくださいました。隆中は暖かい土地柄で、景升様の人柄と重なって感じられたわ。この頃、隆中にはもう一組、景升様に庇護されている家族がいた。リィゥ・アイラン(劉愛蘭)様と二人の甥。兄は孔明といい二十一歳、弟はヅーゴン(子貢)といい二十歳だった。だから、二人はお兄様のような存在になったの。

 十九歳になった初春、劉景升様は、この先私たちが再び困窮することのないようにと、大家から婿を選び、私を嫁がせてくださった。夫の名はファン・イー(黄亦)。黄家は安陸の大家で、その当主はファン・ズーハオ(黄子豪)様。荊州江夏郡の太守様だわ。

 私が安陸に嫁いでも、会いに来てよ。でも「龍の背」は駄目よ。私まで奇人に思われてしまうからね。せめて牛の背ね。私とあなたの縁は、これからも続きそうね。よろしく、ウーファン(烏放)!! 今度いつ来るの? ふぅ~ん、連れない返事ね。でもねぇ、私は待っているから。嗚呼、雨上がりの夜空に星が輝いている。じゃぁ~ね、ブージィェンブーサン(不見不散)。

~ 夜の光る雲 ~

 夕闇が辺りを包んだ。初夏の風がやや冷たく感じる。月明かりに流れる雲が朧(おぼろ)に浮かんでいる。否、あまりにも高くに浮かんでいる。それによく見れば月は出ていない。夜に光る雲とは珍しい趣向だ。北の地、ジー(薊)国の都ならではの光景だろうか。

 夕刻、妻の甄姫から父上が亡くなったと知らせが届いた。知らせを届けてくれたのは猫目の男だった。妻に幼い時から仕えている男らしい。男は用件だけを伝えると楚々と夕闇に消えた。見かけは野暮ったいのだが不思議な物腰を持った男だ。野人にしては品を備えている。そして、首には不思議な布地の襟巻を巻いていた。その黄色い仄(ほの)かさだけがいつまでも闇に浮かんでいた。それは妻への余韻嫋嫋(よいんじょうじょう)たる夜の灯りにも思えた。

 私は、酷い夫だ。幽州の州都には、妾とその子供たちだけを伴って赴任してきた。長男のモンシィェン(孟顕)は九歳になり、面影は父上に似てきた。しかし父上はこの子を一度も抱いたことがない。長女のシュェファ(雪華)は十一歳になり娘盛りだ。もうじき好きな男を見つけて嫁ぐことだろう。その時も父上は、孫娘の花嫁姿を見ることはなかっただろう。次男のジーシィェン(季顕)は五歳になり母のホンファ(紅花)に似ている。もちろん父上はその幼顔を見たこともない。父上にとり袁家の跡取りは唯一、甄姫が、産む子なのだ。甄家と袁家の血を引くことこそがあの人の認める条件だ。歌妓の産んだ子などは袁家の子ではないのだ。

 ホンファは、華奢な女だ。手を差し伸べなければ折れてしまいそうな頼りなさがある。親の顔も知らず親族も知らない。貧農だったのか、或いは流氓(りゅうぼう)の子だったのかも分からない。そして、天真爛漫な笑顔には、どこかに寂しさを秘めている。涙を落とせない女は、媚態を示すことでしか生きてこられなかった。ゆえに本当は、泣かない強い女なのかもしれない。

 しかし、それは、甄姫の凛とした強さとは違う。あの娘には揺るぎない品位がある。そしてそれは明瞭な自我を帯びている。彼女がもし男であれば、袁家の総領に最もふさわしい人間だったろう。父上が甄姫を愛しむのはもっともなことである。もし「女帝」という存在があれば、彼女は夫に従う妻よりも、女帝の方がふさわしい気がする。それに比べれば、やはりホンファは、歌妓がふさわしい女だ。

 私がもしツァオ・モンドゥー(曹孟徳)の子として生まれていれば、孟徳は私の子を抱いてくれたことだろう。彼の妻も元は歌妓だと聞いた。そして、その子らは曹家の子供たちとして慈しみ育てられている。だから、私は敵将となった孟徳を今でも憎めない。否、むしろ彼の戦い方には好意さえ覚える。父上の戦い方には虚栄が付きまとっているが、彼の戦い方には大義がある。

 ツァンティン(倉亭)では酷い敗北を喫した。緒戦から快進撃を続けていたが、最後に敗れた。敗因は何だったろうと考えるに、戦いに向かう姿勢の違いではないかと思うに至った。父上は内乱を抑えるために、前線には私たちだけを向かわせた。それが我が軍の士気阻喪を招いたのかもしれない。

 背水の陣を知らない武将はいない。孟徳が黄河の前まで陣を引いた時、私たちは慎重になるべきだった。まだ二十二歳の弟シイェンフー(顕甫)はともかく、三十路を前にした私と従兄弟のガオ・ユェンツァィ(高元才)は気付くべきだったのだ。

 おかげで私たちは生死の狭間を彷徨う羽目に陥った。これこそ自業自得というものだろう。否、自縄自縛か。いずれにしても己の未熟さを笑うしかない。私たちと孟徳の力の差は歴然としていた。彼は勝負所に強い。戦の全容を冷静に掴んでいる。私たちは、功を焦るばかりに目の前しか見えていなかった。

 さらに、奇策に嵌まったとき、迷いに翻弄された。非常時に考え込めば迷うのだ。戦は体感が勝負だ。寄せれば引き、引けば寄せる。まるで輪舞のように、不運と強運は円を描いて回っている。神経を研ぎ澄まし、その強運のきっかけを掴む。それが分かっていなかった。

 傷が癒えた私と元才は、父上と合流し反乱を鎮圧した。しかし、父上の生気は流れを止めた澱(よど)みのように、終焉の淵を彷徨っていた。私は父を本拠地のイェ(鄴)城に戻し、弟の顕甫と妻に託した。翌年、父は赤黒い血を大量に吐いて息絶えたそうだ。

 父の死を機に袁家は二つに割れた。異母兄のユエン・スーシィェン(袁思顕)と同母弟・顕甫の仲は最悪の事態となった。私は二人の和解を図ったが、恩愛薄き我が肉親は、それを空しくした。二人は頑として跡目を譲ろうとはしなかった。

 兄は「お前が袁家をまとめるのなら俺はお前に従う」と言い、弟は「兄上が袁家をまとめるのなら私は兄上に従う」と言う。重臣の中からも「シイェンヨン(顕雍)様が跡を継ぐべきです。お父上もそう望んでおられました」と言う声が上がった。しかし、私は父の跡など継ぐ気はない。私は父のような男にはなりたくはないのだ。

 ホンファは子を身籠っている。もう父上がこの子を抱いてくれる望みもなくなった。しかしもし健在であったとしても、あの人は卑賎の血を引く孫など抱くことはなかったろう。それが袁家の当主が取るべき姿なら、私は勘当の身のままが良い。嗚呼、つくづく孟徳の子らが羨ましい。彼なら、息子がどんな女を妻に選んでも許してくれることだろう。

 父の死の翌年、兄・思顕は孟徳と盟約を結んだ。人の良い兄は、孟徳が父の盟友であった時代を信じたのだ。それは儚い期待である。時が移ろうように人の心も変わる。孟徳はあの時の孟徳ではない。袁家と曹家は今や天下を二分して争う関係なのだ。どちらかが屈しない限りこの戦いは終わらない。私は兄上にそう説いたが、「心配するな、シイェンヨン。お前は父上に似て慎重すぎるところがあるぞ。モンドゥーが心違えすれば、討ち取るまでのことよ」と笑って聞き入れてはくれなかった。

 それから程なく、孟徳の使いだと言って猫目の男が訪ねてきた。不思議な男だ。父の使いもすれば、今は敵将となった孟徳の使いもする。「お前の主人は誰だ」と聞いてみると、「誰でも良いべ。まぁその時の気分かなぁ」と答える。

 後日、文で甄姫に尋ねると、「モンドゥーは、あの奇妙さが好きなようです。お父様は、『猫目は誠実な奴だ』とおっしゃっていました。猫目本人に確かめると、猫目はシイェンヨン様のことも好きなのだそうです。『いや~俺はあんな拗ねたところがある奴が好きだべ。普通じゃぁ~つまらないべ~』と言っていました」と返事が来た。奴から見れば私は拗ねた駄々っ子のようだ。まったく面白い奴だ。

 孟徳からの要件は「盟友にならないか」との誘いだった。猫目によると、彼は私を気に入っているらしい。孟徳が好きだった父の面影が私に宿っているそうだ。そして、彼が嫌いだった父の血は、兄と弟が受け継いでいるらしい。

 私のどこが父上に似ているのだと吐き捨てると、猫目は「まぁ~迷い人かなぁ?」と意味不明な答えを返してきた。「私は優柔不断か?」と自嘲気味に尋ねると、猫目はニヤニヤと愉快そうに笑い、「正直者は、自分に自信をもてねぇもんさ。自信って何かね? そりゃただの思い込みかもしれねぇべ。ゆえに、自信過剰にゃなれない正直者は、道に迷うのさ。そして捻くれ者になってみる。そいっぁ案外良い方法さ。人生斜め読みってもんさねぇ。そうやって寂しそうに笑う顔が、あんた父親似らしいよ。天下様がそう言っていた。それから『あの笑顔を向けられると本当に心許せたもんさ』とも言ってたね。だから本気だべ。あんたと盟友になりたいってのはね」と答えた。私は迷い、返事を返せなかった。

 それからほどなくホンファは愛らしい娘を産んだ。娘には、私が七歳の時に亡くなった母の面影があった。私はヂェンファ(姫華)と名づけた。それは、私の正妻・甄姫の幼名である。私の母は甄家の女であり、妻は、歳の離れた母の妹であった。つまり系図的には、正妻は私の叔母にあたる。だが十歳年下の叔母は、甄家の養女だ。祖父は汝南郡の名家であるが、祖母は常山郡の張氏から嫁いできた。その張氏一族から太平道の教祖が出た。どうやら妻はその血を引くようだ。だが、彼らはただの逆賊ではない。元は父上と同じ太学の改革派だった。だから、父上は甄姫を卑賎の者とは思っていない。否、捻くれ息子より、よほど頼りにできる跡取りなのであろう。

 正妻の幼名をつけることにホンファは同意した。否、むしろ喜んでくれた。彼女は胸の内で甄姫に謝り続けていたようだ。だから、たどたどしい文字で、正妻への手紙をしたためた。すぐに猫目の男が、甄姫からの返事を届けてくれた。それを見て珍しくホンファが涙を流した。

 猫目の男が「フーミー、いやヂェンファ、あっ今はヂャオミーか。あぁ~面倒だべ。やっぱりフーミーでいいか。で、フーミーとあんた。あっホンファさんだったな。あんた等よく似ているね。同じ風の匂いがする。おいら好きだよ。その匂い。手弱き花を揺らす風は、案外優しいものよ。そのホータン玉は、フーミーが心の友と交換した宝だ。だからそれをあんたの娘に持っていて欲しいそうだ。そうして心が繋がっていくんだね。おいらもなんだか嬉しいよ。じゃぁまた来るよ」と風に吹かれるように去った。ホンファは竹簡を胸元に温めて、いつまでも涙を流していた。

 薊国城を木枯らしが舞った。やがて雪に閉ざされ、私たち親子は一時の安堵に包まれた。年が明け、雪道が土を覗かすと、弟は本隊を率いて遠征に出た。兄上との決着をつけようという内紛である。本拠地の鄴城には守備隊を残し、父上の代からの忠臣であったシェン・ヂョンナン(審正南)に守らせた。その隙を突き、曹孟徳が鄴城を囲んだ。その知らせを受けた兄の思顕は喜び勇み、平原郡の攻略に打って出た。

 守備隊は籠城戦を果敢に戦い抜き、初夏まで耐えた。思わぬ苦戦に孟徳は水攻めをおこない、兵糧攻めを始めた。城内では夏に入り餓死者が続出した。その報に弟は平原での戦いを諦め、一万の兵と共に鄴城の救援に向かった。しかし、孟徳軍の包囲網は厚く、顕甫は東郡の陽平亭で兵を止めた。本拠地鄴城までは一日の距離である。

 袁家に若き逸材がいた。弟が頼りとする男で、弟より二歳年上である。冀州はジュルー(鉅鹿)郡の生まれで、名をリー・ヅーシィェン(李子憲)という。フォンフー(馮孚)という名で呼ばれることもあるので、元は遊牧の民かもしれない。そう思わせるように騎馬の腕は相当に高い。しかし奇知にも富んだ男である。顕甫はこの手詰まりの状態をいかに打開するかと、彼に相談を持ちかけていた。

 田植唄が悠長に流れ、湿り気を帯びた南風が吹いてきた。猫は大あくびをし、犬は野を走り回った。長男の孟顕と次男の季顕が麻袋いっぱいに蛙を捕まえてきた。十一歳と七歳の息子たちは腕白盛りである。十三歳になった雪華はその奇妙な生き物に悲鳴を上げている。よちよち歩きを始めたヂェンファ(姫華)は、青蛙を踏みつぶさんばかりの勢いで蛙の群れに突進していく。ホンファは笑いながら乳飲み子を抱き上げる。鄴城で難儀をしている甄姫には申し訳ないが、ここ幽州の地には戦火も及んでいない。

 昼を過ぎたころ、猫目の男が訪ねてきた。冀州の様子を伝えるようにと正妻の甄姫が差し向けたのだ。男は激戦地から抜け出してきた割には、殺伐とした雰囲気は感じられず、川魚を土産に酒の友が現れたような親しみの沸く態度である。ヂェンファがよちよちと歩み寄り、男は土産を家人に渡すと我が幼子を抱き上げた。そして「おうおう、フーミーより美人になりそうだべ」と頬擦りした。ヂェンファは、男の髭の肌触りが心地良いのか笑い声をあげている。夕餉時、酒を交わしながら猫目の男が戦況を語ってくれた。

≪猫目が語る鄴城攻防戦≫

 おいらが言うのも何だかなぁ~ではあるが、あいつは変わった男だべ。あんたも会ったことはあるだろう。フォンフー(馮孚)って若造よ。あんたの弟のご家来衆の一人さねぇ。何でも近頃はリー・ヅーシィェン(李子憲)って名に変えたらしいねぇ。あいつぁ太平道の子供かね。昔、なんだか見かけた気がするんだよねぇ~。タン・チュンイェン(檀春燕)の陣営だったような気もするんだがねぇ~。奴はシィェンビー(鮮卑)かね? あっそう、知らない。まぁどうでも良いべ。あっしにゃ関わりあいのねぇことでござんす……だからねぇ~。

 で、話はよ~ぉ。ハンダン(邯鄲)でのことさね。フォンフーが三人の伴を従えて南に向かっていたのさ。邯鄲の南と言えゃイェ(鄴)城だべ。こいつぁ何かあるなぁと思うじゃないかい。なぁ、そうだろうよ。鄴城は今、天下様が兵糧攻めにしようとしている所だべ。袁家の眷属なんぞが通れる道じゃねぇべ。だろう。えっ?! おいらかい? おいらはこう見えても一応は曹家軍閥の一員だと思われているからねぇ~。給金だって貰っているしね。じゃぁ何でここにいるのかって? そう言われりゃ~、おいらは自由の身ゆえによ。だって時々フーミーの顔も見なけりゃ気が治まらないし、太平道の奴らのことも気になるし、倭国の魚は美味いしよ~ぉ。それに兵隊なんかやっていてもつまらないじゃないか。あんた、そうは思わないかい。そうだろうよ。“うらやましいなぁ”って顔に書いてあるよ。

 まぁ~そんな話はどうでも良いべ。話は四人の形(なり)よ。四人とも悍馬(かんば)に跨っているじゃないかい。何であんな暴れ馬なんかに乗るのかねぇ~。おいらなら荒馬で旅なんぞしねぇべ。のんびり旅するにゃ駄馬が一番よ。無事これ名馬なりってな。あの三人もやっぱり鮮卑かね? きゃつらは悍馬が好きだからよ~ぉ。まぁ戦馬には向いているんだろうけどねぇ~、おいらはやっぱり農耕馬でいいやぁ。

 さらに珍奇なのは、大小ばらばらの杖を三十本ほど馬の背に結わえているのさねぇ。杖売りの商売でも始めようってのかねぇ~、否、それは杖刑(じょうけい)の道具だって? 何だい、そのジョーなんとかってやつはよ。嗚呼、鞭打ちの刑みたいなものね。ビュ~ン、バシンって痛いだろうねぇ~。えっ?! 小枝みたいな物だって? はぁ~笞刑(ちけい)つうの?! 鞭程には痛くないが、やっぱり蚯蚓(みみず)腫れにはなる。はぁ~やっぱり痛いんだ。杖刑はそれに倍して痛い。確かに木の棒だもんねぇ~。そりゃ痛いよ。えっ?! それを最高刑だと百回も打つの?

 駄目だ。おいら死んじゃうね。えっ?! 本当に死んじゃう人もいるの? そいつぁ~酷でぇ話だべ。嗚呼~そう言えば昔、天下様が洛陽北部尉っちゅう王都北門の守備隊長だった時代によ~ぉ、お偉いさんの縁者を叩き殺したことがあると聞いたなぁ~。嗚呼~あれが杖刑かぁ~。

 まぁ飲みねぇ、飲みねぇ、鯉の洗いを食いねぇ、食いねぇ。どうだい、美味いだろう。オットトト……すまねぇ、すまねぇ。この黄酒はいけるねぇ~。フゥイジー(会稽)かい? それともジゥジャン(九江)かい? へぇ、そうかい、知らなかったなぁ~、あそこにもこんな美味い酒があったのかい。まぁどのみち江東の酒に勝るものはねぇべ。あははははのは~ん、あんたもそう思うかい。おぅっ、気が合うねぇ。ささ、もう一杯いきねぇ。鯉の洗いを食いねぇ。

 ところで、さっきあんたが言った沈毅(ちんき)な奴ってのは、あいつのことかい。確かになぁ~珍奇な出で立ちじゃあったが、眼は落ち着きを放っていたなぁ。おいらとは真逆な気性だべなぁ~。えっ?! それに男らしくて勇ましいのかい。じゃ「沈毅雄武(ちんきゆうぶ)」ってわけかい。どうりでなぁ~、奴ら王朝軍の武官に化けやがったんだぜ。それで曹家軍閥の包囲網を抜けようという魂胆さね。幟旗(のぼりばた)には「我是都督(われはととくなり)」って書いてよ~ぉ。

 えっ?! お前も曹家軍閥の一人だろ、何故偽りの武官だと内通しなかったのかってかい? そりゃ面白そうだからよ~ぉ。どうやって兵どもを騙すんだろうってねぇ。で、どうしたって思う? 時は日暮れだ。守備兵どもは馬に餌をやっていたと思いねぇ。そこへ、平上幘(へいじょうさく)を被った奴がよ~ぉ「油菜(あぶらな)を馬に与えているものはおらんか?」と聞いて回るのよ。武官が被る冠を被った奴がよ~ぉ、そう言われりゃ、兵どもはビビルわけよ。あんたも知ってるだろう。油菜は馬に疝痛(せんつう)を引き起こすからねっ。軍馬が使い物にならなくなっちまう。天下様は、その禁令を出していた。天下様の禁令破りに対する仕置の厳しさは知らねぇ奴ぁいないからね~ぇ~~~。

 だがよ~ぉ。油菜なら集めるもの簡単よ。そこで不埒な奴ぁ混ぜちゃうわけよ。そこをフォンフーの奴ぁ~突いたっちゅうわけよ。確かに、あんたが言うとおり沈毅雄武の四人衆だべなぁ。そして太鼓を打ち鳴らし、鄴城の門を開かせ中に入っちゃったべ。そんで、おいらも天下様にこの顛末を話しに行ったのよ~ぉ。えっ?! 叱られなかったかって? ぬんにゃ~、天下様は大笑いよ。それから「フォンフーとやら、面白い奴だのう。きゃつめ、今度はどうやって出てくるか楽しみじゃ」と感心していたよ。

 うんで、おいらも城内に入り再び様子を見に行ったのよ。えっ?! 「良く袁家の者が中に入れてくれたな」って? だって、おいらフーミーの家来だって思われているからね。それに、あんたの父上・ユエン・ベンチュ(袁本初)様にも可愛がられていたからねっ。「おっ!! おいらだ。通してくんねぇ。おっ!! 有難うなぃ!!」てなもんよ。

 しかし、審正南ってぇ奴ぁ偉いね。良く皆をまとめて耐え忍んでいたよ。ああいうのを忠臣ってゆうんだろうねぇ。おいらには到底まねできないね。だって、おいら自我が強いからねぇ。おいらはおいらだ。誰の犬にもならねぇてなもんよ。

フーミー、いや、ヂャオミーも元気だったよ。薄情な婿殿の母上によく仕えてよぉ。おいらなら、あんな薄情者にゃ即刻縁切りだべ。あっ!! すまねぇ 薄情者はあんただったなぁ。えっ?! 本当のことゆえに謝るなってか。あんたやっぱり正直もんだね。

 それから、あんたに城内の様子を知らせてくれと、使いに出されたのよ。なぁ~あんたどうする。天下様は悪党じゃないよ。女好きが玉に傷なだけさぁ。ささ、もう一杯いきねぇ。鯉の洗いを食いねぇ。酒は、江東の酒に勝るものはねぇべ。あはははは~

~ 如月の朝露 ~

 くっさめ~、くっさめ~。誰か俺の悪口を言っている奴がいるな。う~む、きっと猫目だな。きゃつめ、イェ(鄴)城の見張りに出したらまた帰ってこん。どこぞで誰かと酒でも酌み交わしながら、俺の悪口を楽しんでいるに違いない。

 まさか、ジャンドン(江東)の酒を飲み、鱸を味わっておるのではあるまいなぁ。俺が、籠城戦の苦労を味わっているというのに、許せん奴じゃわい。しかして猫目め、どこまで行ったやら。

 あれから七年か……。思えば失くしたものの多かった歳月よ。猫目も呆れておったわい。じゃから、ここは引けんのよ。何としてもここを落とさねばならん。そうじゃろ、ユェンラン(元譲)よ。

 ジィルー(吉利)よ。ワシは今でもズーヨウ(子脩)の夢を見る。あれから七年か、早いものよのう。曹家にとって最大の難事だったようのう。チュンユー(春玉)はまだ許してくれんのか。無理もないのう、実の息子以上に慈しんでいたからのう。父の代わりに討たれるとは、孝行息子の神となれよう。なぁ吉利よ。ワシ等はいつまで生き続けるのかのう。

 元譲よ。俺は神仏など信ぜぬが、それは神のみぞ知るだろうなぁ。それから、生きている間にお前にだけは話しておこうと思ってな。俺がのぼせ上がったと言われているジャンジー(張済)の妻のことだがなぁ……ありゃ俺の娘よ。名をチンヨウ(青悠)と言ってな。あの時二十四歳だった。お前、覚えていないか? 俺たちがまだ十六の悪童だった頃のことよ。

 吉利よ。ワシが忘れるとでも思うか。気づいていたよ。母親によく似ていた。お前、あの旅芸人の娘に入れあげていたもんなぁ。名は、ルーユェ(如月)だったかなぁ。あまりにもお前が金品を持ち出すものだから、ジュガオ(巨高)叔父さんも相当に怒っていたものだぜ。メイリン(美玲)叔母さんが宥めてなきゃ、お前はとっくに勘当だったろうよ。

 元譲よ。俺は後ろを振り向くのが嫌な性質だが、あの時だけは『誰か俺に忘却の川の水を汲んできてくれ』と叫び回りたかったぞ。後悔など無縁の俺が、初めて悔恨の念を抱いた。何故、西域まで追いかけて行かなかったのかとなぁ。毎夜、青悠に如月を重ねてそう悔いていた。その迷いゆえに子脩を喪(うしな)ってしまった。情けない奴よのう。元譲よ。

 吉利よ。お前は優しい奴だからなぁ。自分を責めるな。人生は生まれた時から思うようにはならないもんさ。ワシなど激昂の性質でそればかりさ。おかげで、この隻眼よ。あの時、身を伏せていれば流れ矢に当たらずに済んだろうになぁ。『独眼龍』などと呼ばれ、おだてられても嬉しくもないわい。

 元譲よ。俺も似たようなものさ。タオ・ゴンズー(陶恭祖)の件では世の不評を買った。しかし、自分を抑えられなかったのよ。あの時は我を失っていた。あの爺が直接手を下したわけではあるまいが、怒りの持って行きようがなかったのさ。

 吉利よ。ワシにも『阿瞞(アーマン)、阿瞞よ』とお前を溺愛していた美玲叔母さんの声が今でも聞こえるよ。お前以上にワシは復讐鬼に化していたさ。ワシだけじゃない。ミャオツァィ(妙才)は天竺の金剛夜叉明王の化身になっていた。殲滅戦を叫んだのもあいつだ。奴も美玲叔母さんに可愛がられていたからなぁ。曹家と夏侯家の者は皆、我を忘れて復讐を誓ったさ。

 元譲よ。あの爺さんも若い時は清廉な男だったのになぁ。人は老いると腐敗するものかのう。おい、覚えているか? 李博文のことを。黄巾賊の彭脱のことさ。彼は俺の恩人でもあるが、陶恭祖は彼の太学の先輩だったよなぁ。その頃は改革派の雄だったと聞いている。老いは英才を凡夫に戻すのか……難儀なものよのう。

 吉利よ。そうとも限るまい。お前は今でも冴えているし、死ぬまで変わらん気がする。それより、あのカンチョン(鄭康成)塾の三羽鴉といわれたファン・シャオ(黄邵)の『天下三分の計は』面白かったなぁ。ユー・ウェンゼェァ(于文則)に討ち取られたが、惜しい男を亡くしたものよ。生きていればお前の心強い軍師になったかもしれんなぁ。しかし、あれ以来、青州軍は文則を目の敵にしているようだ。困ったものよのう。

 元譲よ。確かに天下三分の計は面白かったが、俺は奴の最後の言葉が心に残っているよ。『民の中にあって、太平の世のため不断に戦うこと……これ以上に尊い人生はない』。そんな人生を俺も送れるだろうか。この戦、その崇高さに値するのかと迷うこともある。俺たちは何故、戦人(いくさびと)になったのだろうかのう。

 吉利よ。それがワシ等の定めだろうよ。忘却の川の水に悔いを流そうとしても、定め川がそれを阻むのさ。それに悔いは流れを緩める。ゆえに、激流を生きるワシ等には丁度よい堰(せき)かもしれんぞ。お前の道楽の詩作も似たようなものだろう。詩を詠ったとて穀高が増すわけじゃないが、野良仕事の疲れは和らぐ。詩を詠ったとて戦力が増すわけじゃないが、兵の恐怖は和らぐ。いや、戦意も増すことだろう。悔いることもまた、癒しの一種と思えば良いさ。

 元譲よ。俺は悔恨の情に浸りすぎているのかのう。確かに、この堤で囲んだ水城のように、それでは前が開けんのう。お前と飲み交わし、少し気が晴れたわ。明日、妙才が兵糧を運んできたら、また三人で飲もう。そうそう、猫目も誘うか。啊(アー)!! あいつは目下行方不明だったわい。アハハハハ……

 吉利よ。本当にあいつは変わった奴じゃのう。ワシはあいつが詩作に長けてるとは到底思えんわい。お前がそう評価せねば、誰も信じまい。アハハハハ……!

♪ 啊 啊 啊~ 君を明るく照らす月は、私にはつかめない。
  憂いが身体の奥から沸き起こり、思いを断ち切ることができない。
  君は西域の道を東に旅し、私は南北の獣道を踏みしめて君に会えた。
  啊 啊 啊~ 心に旧恩を念(おも)い 酒に酔おう
  啊 啊 啊~ 君への思いを断ち切ることはできない。

 そうだ。吉利よ。青悠はどうしたのか?……そうか、西域に帰したのか。嗚呼、月氏商人団に託したのか。ほう、如月は、ヤルホト(交河城)に眠っているのか。おい、西征を考えるのは止めてくれよ。まずは中原だぞ。

~ 無謬の闇 ~

 煩悩の灯りが夜空の深さを霞ませている。虚無の闇が薄れれば、満点の星空が広がるだろう。しかし、希望の星が落ちれば、そこには無謬の闇が広がる。水城と化したイェ(鄴)の堀に呻き声が流れる。王道楽土の戦いは、過ちの地と民を押しつぶしていく。唯一の正義が対峙するのは不徳の輩である。彼らは灼熱の夜に、城内で飢えに苦しんでいる。背徳の臣とされたシェン・ヂョンナン(審正南)は、徹底抗戦の手を緩めない。

 袁家と曹家の勢力争いは、帝を奉じた曹家が官軍となった。帝の王朝軍は名ばかりであり、曹家軍閥こそが実質的な官軍である。賊軍と化した袁家軍閥からは、寝返る者が多数現れた。無理もない、誰も背徳の臣とは罵られたくないのが人情である。曹家軍閥で戦死すれば殉職だが、袁家軍閥で戦死すれば犬死にである。

 まんまと城内に潜入したリー・ヅーシィェン(李子憲)は、大将のユエン・シイェンフー(袁顕甫)と呼応し反撃の機会を探っていた。一万の援軍が包囲している曹家軍閥を背後から突き、その隙に城内から打って出るという作戦である。しかし、その一点突破・全面展開の希望は、脆くも潰えた。袁家の本軍が曹家軍閥の猛烈な攻撃に崩れ去ったのである。

二人の若き将は、知恵と武力に優れ、引くことを知らない。迷いは時として敗北を呼び寄せるが、勝ち戦より負け戦の方が学びも多い。逃げ惑い、悟る知恵こそが次の勝利を呼び寄せる。しかし、自信に満ちた若者は己が不備を認めない。追い詰められれば追い詰められるほど、己の思考に固執する。それが「無謬の罠」であるが、独善がその気づきを妨げる。

 孟徳は四十九歳となり、狡猾さも身につけた老将である。二十五歳の若き将・袁顕甫は、さらに慎重になり、老臣たちの知恵に耳を傾けるべきであったが、若き自信がそれを遠ざけ、ただ李子憲のみを頼りとした。

 鄴城を囲んだ初戦の頃、猛攻にもかかわらず城攻めは難航した。三月闘っても落とせない状況に、孟徳は手を変えた。兵糧攻めである。まず、鄴までの糧道を繋いでいたマオ(毛)城を落として兵糧を絶った。さらに城塞都市・鄴を塹壕で取り囲んだ。だが、その塹壕は浅く、馬ならば難なく飛び越えられる幅であった。

 守備を預かる名相・審正南も、当初は警戒したが、粗末な塹壕を見て対応を怠った。彼は内通者への対抗に追われていたのである。裏切り者は次から次へと現れた。それを悉く潰して籠城戦を維持していたのである。城内の兵と民は、袁顕甫からの援軍を信じて耐えていた。

 老獪な将である孟徳は、その油断を突いた。彼は粗末な塹壕を一晩で掘り下げ、幅も広げた。さらにそこへ川の水を引き込み、城塞都市を水で封じたのである。孫子の兵法でいうところの「瞞天過海(まんてんかかい)」である。天を瞞いて海を過るとは卑怯な計略であるが、老将は汚名など厭わない。そうして、孟徳と曹家軍閥は生き延びてきたのである。

 総崩れとなった袁家本軍は、冀州の北部中山国まで逃走した。鄴城の命運は尽きた。それでも頑迷な忠臣・審正南は戦い抜いた。そして、籠の鳥となった李子憲は脱出策を模索した。この期に及んでも孟徳に降らず、主君のもとに戻ろうとするこの男もまた、忠臣であった。

 勝敗の行方が明らかになると、孟徳は城内に立てこもる民と兵に投降を呼びかけた。そして、自ら堰堤に立ち、降服した者の命は保証すると約束した。だが、これに対して籠城軍は、彼に向かって弩を放ち、玉砕の意思を示した。孟徳は苦笑し、「何とかあの忠臣二人を我が陣営に呼び入れたいものだ」と願った。

 夕刻、三つの城門に降伏の白旗が立った。いつの頃からか、白い無地の旗は、「戦意喪失」の意思を表す目印になった。疲弊した数千の民に戦意など既にない。それでも籠城兵は城壁に立ち、弩で応戦する構えを崩さない。そのために、かえって包囲軍には緩みが芽生えた。投降する者を改めるでもなく、ただ松明の篝火を眺めていた。明朝からは最終決戦である。火祭りを楽しむかの如く、一抹の休息の時となったのである。

 この群衆の中に、四人の決死隊が潜んでいた。李子憲は、あくまでも主君と合流し、反撃の機会を探る腹である。孟徳は見抜いていたが、あえて手を緩めるよう指示した。ここで葬るには惜しい男だと考えたのである。

 日が落ちると猛暑が和らぎ、秋風が吹いた。四人の決死隊は北方に走り、袁家本軍に帰還した。袁顕甫は泣いて喜び、四人を抱き寄せた。忠臣は、やつれた若き将に憐れみを感じた。そして、この戦の終焉を予感した。

 兄弟相対する骨肉の争いは、長兄ユエン・スーシィェン(袁思顕)が幕を切って落とした。中山国で体制を整えようとしていた袁家本軍を奇襲したのである。末弟は、次男のユエン・シイェンヨン(袁顕雍)を頼り、幽州のグーアン(故安)に逃げ延びた。

 顕雍は困り果てた。骨肉の争いに加担する気もなく、まして孟徳と天下を争う気もない。加えて、幽州の民も重臣たちも、今の平和を望んでいる。末弟の敗軍を受け入れれば、背徳の賊軍という汚名を浴びる。孟徳は顕雍との盟友関係を望んでいるのだから、火中の栗を拾うのは得策ではないのは明らかであった。

 重臣たちは賊軍の受け入れを拒否し、曹家軍閥と敵対しないよう自戒を促した。しかし、肉親の情が自重を妨げた。故安に入城した袁家本軍の姿に、幽州の民と重臣たちの心は顕雍から離れた。彼は賊軍と化した袁家本軍とともに、北方に退避する羽目に陥った。

 長兄はこの状況に乗じ、骨肉の争いを勝ち抜いて袁家再興を目論んだ。敗走する袁家本軍を吸収し、兵糧を蓄え、青州・冀州・幽州の三州を我が手に収めようと動き出したのである。その動きは孟徳の怒りを買った。縁組を解かれ、猛追を受ける状況に陥った彼は、ポーハイ(渤海)に向かって逃げ、ナンピー(南皮)城に留まった。しかし翌年初春、彼の首は地に堕ちた。

 その二年後、残る二人の兄弟も東夷の地に首を堕とされる。斯くして汝南の名門・袁一族は滅びたのである。しかし、密かにその血は、シュェファ(雪華) 、モンシィェン(孟顕) 、ジーシィェン(季顕) 、ヂェンファ(姫華)の四兄妹により後世に残された。幼子たちは、袁氏の名を隠し、甄氏を名乗る。新しい母の名はヂェン・ダオ(甄道)、そして本名をジャン・シァォメイ(張小梅)という。新しい父の名はリィゥ・ゴンシー(劉公幹)、猫目のことである。もちろん、天下様こと孟徳は終始それを知らなかった。

 炎天下、死臭は塵旋風となり、渦巻く苦悶は蒼天に舞い上がり、城内は修羅の場と化した。陥落が迫った鄴城で、天下の背徳者か、あるいは仁義の忠臣か、審正南は果敢に抵抗戦を率いた。だが、命を惜しむ身内に城門を開けられた。忠臣は捕らえられ、孟徳は帰順を促した。だが彼は「我が主は北におわす」と言い、北面し首を垂れた。

 血刀が館を伸し歩いた。主人を守ろうとする老兵は胸を突かれ、なおも若将の足を掴んで阻もうとした。若将は老兵を蹴落とし、奥に進んだ。若い女官は既に乱暴の末に連れ去られ、奥に残るのは老いた女官たちだけである。老女たちは自ら胸を刺し、屍の城柵を築いた。

 若将は臆することなく大奥を目指した。狼狽する老女を気丈に守る一人の女がいた。袁家の嫁、甄姫である。若将は彼女の手を掴み、肩に担ぎあげた。そして、意気揚々と屍を踏み越え、突き抜けるような夏の青空の下に出た。その時、曹家軍閥の勝ち鬨が、地から湧き上がった。

~ 哀愁の戎衣 ~

 若い雄の獣香が戎衣(じゅうい)から込み上げてくる。それは少年のむせるような活気臭に、雌を求める性臭が加わったもののようである。それを耐え難い臭いと感じるか、受け入れられる匂いと感じるかは人によって違う。私はその若武者の放つ体臭に、何故か懐かしみを覚えた。軍馬の鞍に横たえられ、蒸せる夏風の中をいずこかへと駆けていく。

 敗因を招いたのは、シェン・ヂョンナン(審正南)の甥だった。彼は命を惜しみ、ツァオ・モンドゥー(曹孟徳)に寝返って城門を開いた。その城門を若武者が駆け抜けた。餓死者が屍を晒す大通りを抜け、さらに敗残兵の血で染まった籠城の将・正南を捕縛すると、奥の館へと突き進んだ。

 若い女官は、乱捕りの悲鳴を上げ連れ去られ、老女は自らの胸を刺し貫き、屍の砦を築いた。怒りと絶望が入り混じり、自傷の時が近づいた。私は母上様と向き合い、刃を構えた。生き残るより辛い事象があることを、あの若い甥は知らなかったのだろうか。

 疾風のごとき勢いで、何者かが私の腕を掴んだ。自傷の刃は落ち、母上様の刃も落ちた。無常感が二人を包み、母上様は袂を涙で濡らした。虚無の闇に沈む私たちを若武者は引き剥がし、母上様を配下の者に託すと「丁重にお連れしろ」と咆哮を上げた。

 猛々しい面構えの若武者が私を抱き寄せ、じっと見つめた。その瞳の光は意外にも繊細さを秘めていた。彼は幽かに微笑むと「良し、行こう」と私を汗血馬の背に横たえた。早い秋風が頬を撫で、芦原を吹き抜けていく。そして秋空が、突き抜けるように眩しく私を見下ろしている。戦い敗れて生じた無常感は、やがて無常観へと昇華され、私は「ナンクルナイサァ」と呟いた。

 モンドゥー(孟徳)は案外、小男であった。背の高さなら私の方が高かった。しかし、その筋骨は遠く及ばず、やはり彼は戦国を生き抜く男であった。私の母は、倭剣使いの剣術士だった。師匠のバイ・ヤン(白羊)も舌を巻くほどの最強の剣士であったが、この男なら母とも渡り合えるかもしれない。だが、倭国と中華では遠く、切っ先も届かない。

 彼が率いる曹家軍閥はよく統率がとれ、略奪や殺戮は見られなかった。それは袁家やそれ以外の軍閥では皆無と言ってよいほど目にしない光景だ。乱捕りされた女官や娘たちも、凌辱されて打ち捨てられることはなかった。まるで若い兵たちに妻を娶らせるのが目的であるかのように、戦の後には多くの若い夫婦が生まれた。

 武力に長けていない若い兵は、田畑を分け与えられ屯田兵となった。娘たちの一族はこの制度を歓迎した。そして、弱小だった曹家軍閥は、瞬く間に兵糧と兵を増やしていった。袁家軍閥を壊滅に導いた後には、古参軍閥で曹家に勝れる存在は残らなかった。ただ、同じように弱小であった孫家軍閥と劉家軍閥も、右往左往を繰り返しながら徐々に頭角を現し始めていた。

 初霜が降りた。ミシリミシリと凍てつく大地を踏みしめ、肩を落とした戎衣の群れが北東へ、北東へと進んでいく。黄泉比良坂(よもつひらさか)の入り口に足を踏み入れた袁家軍閥は、長い長い、転がるような坂を落ちていく。

 ことごとく孟徳に打ち破られた袁家の次男、ユエン・シイェンヨン(袁顕雍)と三男のユエン・シイェンフー(袁顕甫)は、リィァォドン(遼東)の実質的な王、ゴンスン・シォンジー(公孫升済)を頼り落ち延びていった。古参軍閥の中で唯一残っている勢力である。先頃、孟徳は公孫升済を懐柔しようと漢王朝からの印綬を贈ったが、彼はこれを無視したと聞いていた。そこで、藁をもすがる思いで助けを求めに向かったのである。

 長兄のユエン・スーシィェン(袁思顕)は、孟徳に絶縁され、戦死した。残る二人が絶滅すれば、名門・袁家は歴史の闇に消える。その事態が三男には飲み込めない。彼は良家の誇りと学識に溺れている。逆に言えば素直な大将である。ゆえに彼を慕う将兵も多い。そのため、寡兵となっても戦意は衰えてはいなかった。

 「寡兵に勝算なし」と古来より説かれている。少ない兵で勝利するには遊撃戦がある。そして奇跡的に大勝利を収めることもある。しかし、この苦肉の策を「魂の勝利だ」と誤解する輩がいる。過信する彼らには、無謬の闇が広がり、悲劇が生じる。奇襲戦法は短期戦での話である。長期戦は経済を有したものが勝利するのが歴史の常である。

 厭世主義者である次男の顕雍には、孟徳に勝れるとの思いは当初よりない。しかし、逆転勝利を信じて疑わない弟に付き合っているところがある。不思議なことに長兄と末弟は、共に陽気な男であった。陰湿なのは顕雍だけであり、父の嫌なところだけが似た。だが父を嫌いではなかった。顕雍は多感な男でもある。

 久しぶりに猫目の男が訪ねてきた。倭国に渡る途中だということである。私たちは太平道の信徒が辿った逃避行を進んでいるようだ。「いっそ私も倭国まで落ちようか」。中原を追われた歴代の敗者は、皆この道を旅し、悲哀の先に希望を見たのだと男は言う。私はそれを望む気はないが、シュェファ(雪華)たちには、哀愁を帯びた旅ではなく「日出る処」へ向かうのだと思って欲しい。雪華は十五歳の娘盛りとなり、長男のモンシィェン(孟顕)は元服を間近に控えた十三歳になった。ジーシィェン(季顕)は九歳の腕白盛りだ。末娘のヂェンファ(姫華)は三歳になり、可愛い盛りである。我が子たちは、死への道連れとはしたくないものだと切に望む。

 猫目の男の名はリィゥ・ゴンシー(劉公幹)というらしい。だが、誰からもその名で呼ばれることはないそうだ。孟徳が「猫目」と呼ぶので、皆もそう呼ぶそうである。本人は本名を呼ぶ者がいないことを全く気にかけていない様子である。融通無碍(ゆうずうむげ)とはこの男のためにある言葉かもしれない。この男にとって「名は体を表す(名体不二)」という言葉は無縁のようである。ゆえに、この男は無神論者なのだろう。形而上的な物の見方はしないと思える。物事があるがままに捉えるこの男の視線には、魅惑される光がある。

 猫目からは三つの話が聞けた。一つ目はリー・ヅーシィェン(李子憲)の足取りだ。彼はイェ(鄴)城が落城した後、弟の顕甫の許に帰ろうとしたが果たせず、袁家の長兄の許に帰還した。長兄は腹に一物を抱える性質ではないので、袁家の忠臣を喜んで迎え入れたという。そして、彼に冀州主簿の地位を与えた。主簿は文官の管理職であるが、彼は文武両道なので適任であったろう。加えて長兄の麾下(きか)という扱いであったので、二十八歳の若さとしては破格の待遇である。

 長兄が戦死するとピンユェン(平原)城は混乱に陥った。徹底抗戦派と降伏派の意見はまとまらず、曹家軍閥に攻撃されれば壊滅は避けられない事態だった。そこで彼は、一人で投降し、降伏の条件をまとめてきた。そして城内にそれを伝えると、平原城の民は歓喜し降伏を受け入れた。長兄直属の配下(麾下)ではあったが、主簿という文官であったため、審正南のように籠城の将としては扱われず、生き長らえているそうである。孟徳は彼の才を惜しみ重用しようとしたそうだが、彼は地方の文官に甘んじたという。

 二つ目の話は、従弟のガオ・ユェンツァィ(高元才)の消息である。 ツァンティン(倉亭) の戦いで九死に一生を得た彼は、傷が癒えるとシィォンヌー(匈奴)とも結び、曹家軍閥に対抗できるだけの軍勢を整えた。そして帝都洛陽を睨み、ホードン(河東)郡ピンヤン(平陽)で決戦を迎えることとした。しかし、勝機に見放された元才の袁家軍閥は大敗を喫した。

 翌年、鄴城が陥落すると、彼は曹孟徳に下った。弟の顕甫が「連携して戦おう」と使者を送ったようだが、并州は挙って軍門に下った。猫目の話では、元才は「弟の顕甫が袁家の当主では、孟徳には勝てない」と見ていたようだ。それは暗に、私に「当主として立て」と促しているようであった。しかし、私にはその気はない。元才にはそれが悔しいようであった。

 父上は、甥の元才に大きな期待を抱いていた。私たちは幼馴染でもあり、幼い頃は一つの布団でよく寝たものだ。あの頃が懐かしい。彼は父上への恩義を一番に感じ、袁家の行く末を一番に案じているのだろう。

 曹家軍閥の軍門に下った彼を、孟徳はそのまま并州刺史に留め、統治を任せた。元才は各地から優秀な人材を集め、并州を安定させた。冀州を平定し幽州の討伐に乗り出していた孟徳は、この事態に満足し、元才への警戒を緩めた。

 その状況を作り出した彼は、密かに反曹家軍閥の勢力を広げ、并州ばかりか河東郡の軍閥にも手を伸ばして勢力を固めた。そして、孟徳が幽州討伐で北方前線に出陣すると、鄴城を奪還すべく兵を上げた。だが、元才は父上の墓前に立つことはなかった。

 袁家の本拠地を取り戻せなかった彼は、いったん并州のフーグァン(壺関)城に引き、再び体制固めを始めた。河東郡の軍閥たちとの盟約も維持していたので、曹家軍閥もそれ以上の追撃はできなかった。しかし、翌年正月を過ぎると、孟徳は自ら大軍を率いて攻めてきた。破れた元才は、荊州のタオ・ゴンズー(陶恭祖)を頼り落ち延びようとしたが、途中で捕縛され首を落とされた。

 猫目の話では、さしもの孟徳も并州攻めには難儀をし、気弱なことを呟いたそうである。そういう虚栄を張らないところが、私や父上の及ばなかった点なのだろう。

  ♪ 北方の太行山に上れば 道は険しく山は高々とそびえている 
   羊腸の坂は曲がりくねり 車輪はそのために砕けそうになる ♪

 と猫目は漢詩を歌って聞かせてくれた。

 三つ目は、我が妻ヂェン・ヂャオミー(甄昭弥)と母の消息である。鄴城陥落の戦火の中で、二人はどうにか生き延びたようである。孟徳は父上の墓を祀り、母上の庇護を行ってくれたそうだ。甄姫は孟徳の三男、ツァオ・ズーファン(曹子桓)の妻になったという。そして、この話の歯切れが、猫目にしては良くなかった。私への配慮ではない。妻と猫目は親子ほどの年の差があるので、男女の嫉妬でもないだろう。娘を嫁に出す父親の鬱積にも似た感情なのだろうか。

 寂静に包まれ、凍てつく大地に膝を突く。弟の顕甫が「寒いから筵(むしろ)をくれ」と乞うた。「首級が万里の旅に出るのに、なぜ今さら筵がいるのか」と、私は弟を窘(たしな)める。子供たちは猫目に託した。思い残すことはない。ただ、甄姫が自由には羽ばたけなかったのが悔やまれる。あの娘は、籠の鳥など似合わぬのに。

 さぁ! 決別の時が来た。ホンファ(紅花)が狐の皮衣の中に刃を忍ばしている。冬に咲く赤い花は、椿の花だ。私は椿姫を抱き、至福の時を迎える。妻よ。迷惑ばかりかける。

 ザイチェン(再見)!!

『第2巻自由の国』15部《~経世済民~》に続く

卑弥呼 奇想伝 公開日
(その1)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 2020年9月30日
(その2)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 2020年11月12日
(その3)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 2021年3月31日
(その4)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第4部 ~棚田の哲学少年~ 2021年11月30日
(その5)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第5部 ~瑞穂の国の夢~ 2022年3月31日
(その6)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第6部 ~イズモ(稜威母)へ~ 2022年6月30日
(その7)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第7部 ~海ゆかば~ 2022年10月31日
(その8)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第8部 ~蛇神と龍神~ 2023年1月31日
(その9)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第9部 ~龍の涙~ 2023年4月28日
(その10)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第10部 ~三海の海賊王~ 2023年6月30日
(その11)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》 第11部 ~春の娘~ 2023年8月31日
(その12)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第12部 ~初夏の海~ 2023年10月31日
(その13)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第13部 ~夏の嵐~ 2023年12月28日
(その14)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第14部 ~中ノ海の秋映え~ 2024年2月29日
(その15)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第15部 ~女王国の黄昏~ 2024年4月30日
(その16)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第16部 ~火球落ちる~ 2024年9月30日
(その17)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第1部 ~革命児~ 2024年11月29日
(その18)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第2部 ~愛の熱風~ 2025年1月31日
(その19)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第3部 ~革命の華~ 2025年3月31日
(その20)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第4部 ~黄巾の男と女~ 2025年5月30日
(その21)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第5部 ~ 黄巾心中 ~ 2025年6月30日
(その22)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第6部 ~ 春秋の再来 ~ 2025年7月30日
(その23)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第7部 ~ 静と激 ~ 2025年9月30日
(その24)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第8部 ~ 北風と南風 ~ 2025年11月30日
(その25)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第9部 ~ 戦さ場の巫女 ~ 2026年1月30日
(その26)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第10部 ~ 日出ずる処の女王 ~ 2026年3月11日
(その27)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第11部 ~ 日没する処の魔王 ~ 2026年5月29日
(その28)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第12部 ~ 風に吹かれて ~ 2026年6月30日
(その29)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第13部 ~ 海と大地と太陽 ~ 2026年7月31日
(その30)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第14部 ~ 蒼穹の闇 ~ 2026年8月25日