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卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第6部 ~イズモ(稜威母)へ~

葦田川風

我が家では、小さい時から薩摩弁が飛び交っていた。祖母と母とが薩摩女なので、事あるごとに鹿児島の親戚が押し寄せていたのである。
我が村は、川を挟んで肥前の国なので、幼馴染みの中には肥前弁が交る友も多かった。
三十代はオートバイで日本中を駆け巡った。北は北海道から南は沖縄までである。各地で、お国言葉に接するうちに言葉自体の旅に興味を抱いた。
先の友人は眠たくなると「もうヌ」と良く言った。古い肥前弁で寝るという意味だ。しかし、ヌ(寝)は古い大和言葉でも有りネルはヌルであったらしい。
九州では驚いた時に「タマゲタ」と言う。これも古い大和言葉では「タマアガル」で魂が身体から離れるくらいに驚いた様子らしい。以前にそう古文の先生に聞かされた。
そこで、我的言葉辞典を作ってみた。中国語、広東語、朝鮮語、モンゴル語、アイヌ語、琉球語など東アジアの言葉である。そしてそこに悠久の歴史を感じた。だから、邪馬台国は、九州でも大和地方でも不整合は無い。卑弥呼の世界は倭人の神話の時代である。そして出雲神話が重要で面白いと思い続けている。
さて、いよいよ倭人の母なる国イズモ(稜威母)へ向かおう。

卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第6部 ~イズモ(稜威母)へ~

幕間劇(9)「夜狐のラプソディ」

♪ 小狐 コンコン 冬の山 冬の山 枯葉の着物じゃ 縫うにも縫えず

綺麗な 模様の 花も無し~ ~ ~ ♪

陽が傾いてきた神社の境内で、女の子が、綾とりをしながら遊んでいる。粗末な身なりのこの娘は、竜ちゃんの弟と同じ歳の子だ。だから、マリーより三つ歳下である。
マリーは「どうして独りで遊びよっと」と声を掛けた。女の子は黙ってうつむいてしまった。「お姉ちゃんが、いっしょに遊んでやろうか?」と、マリーは女の子の傍にかがみこんだ。女の子は、殻に閉じこもったヤドカリのように、益々縮こまった。
実は、マリーも、ミカ(美夏)ちゃんが親戚の家に泊まりに行っているので、独りで淋しく遊んでいたのだ。それに、この子は歳下である。弟も妹もいないマリーは、お姉ちゃんのように振舞ってみたかった。
「いじめられたとね」と、マリーは聞いた。女の子は、微かに頷いた。「私ば、見てん。髪の毛が赤かやろ。だけん、福岡に住んどった時は、毎日いじめられとったよ」と、マリーは女の子を覗き込んだ。
女の子が小さな可愛い眼で、ちらりと赤毛のマリーを盗み見た。「あんたの髪は黒いとに、何していじめられると」と、マリーは優しい声で聞いた。女の子は、かぼそい声で「臭かち言われた。(臭いと言われた)」と、ぼそりと言った。
梅雨が近づき、近頃は汗ばむ日も増えた。マリーも、毎日風呂に浸かり汗を流している。少し前まで大半の家に風呂は無かった。筑っ後川が風呂代わりである。
米や野菜を洗って、洗濯物を洗って、そして、自分の身も洗うのだ。こんな広々とした風呂があるのに、棺桶のような狭い風呂に浸かろうという人間の方が少なかった。
川の水が冷たくなって来る時期には、汗もかかなくなるので、風呂に入る必要はない。
寒い季節が訪れると、湯船に浸かる楽しみは、近場の温泉である。稲刈りが済み、百姓仕事がひと段落した頃に、皆で出かけるのだ。
昔は、歩いて一泊二日で出かけることが多かった。だから、船小屋温泉や、川上温泉が馴染み深い。そして近頃は、バスに乗って、武雄温泉や、原鶴温泉まで遠出をすることも増えた。
しかし、近頃は、アメリカ文化が浸透し始めたのか、クリスチャン的な道徳観が浸透し始めたのか、裸の文化を卑しむように成ってきた。特に、女性が人前で裸に成るのは、不道徳であるということに成ってきた。そこで、各家に風呂桶を設置し、壁で囲って、ついでに屋根まで付けて、風呂場を造るように成ってきたのである。
しかし、美夏ちゃんの祖父ちゃんは「まだ、おりゃ(俺)生きとる。なのにお前達は、どげんして(どうして)オイば棺桶に入れたがるとかぁ」と怒り出す始末である。川漁師の祖父ちゃんに風呂は不要である。それに風呂桶のサイズも丁度棺桶と同じ位である。 都会では、近頃タイルで出来た洒落た風呂も流行っているそうである。しかし、この村の大半は、真新しい木桶の風呂である。
伊院家は、古くからの名家で裕福な家庭なので広い風呂場がある。そして風呂桶は鉄製だった。通称、五右衛門風呂である。厚い鋳鉄製の風呂は、保温性が高く長風呂を楽しむには最適である。しかし大きな鉄鍋のような物なので高価である。
更に、要領を得た人でないと、この風呂に入る方法が分からなかった。この風呂は直火である。だから底は火傷をする位に熱い。だから、下駄を履いたまま入った。というのは、決して笑い話の類(たぐい)では無い。入り方を知らず初めての人間は皆、湯船に浮かんだ板を、蓋だと思い外して入るのだ。そして、誰もが「アチィ~!!」と飛び上がり、しばし、考えた挙句、履いてきた下駄を、履き直し湯船に浸かるのである。そして「嗚呼、良いお湯だ」と、ひと心地つくのである。したがって、喜多八さんを笑ってはいけない。

確かに、小さな女の子は臭う。この子の家には、どうやら、まだ風呂が無いようだ。
「うちんこつ(私のこと)、知っとぉ?(私を知っている)」と、マリーは女の子に聞いた。女の子はこくりと頷いた。
この村で、いや近隣でも、赤毛のマリーを知らない子はいない。福岡ではいじめられていたマリーも、この田舎では、子供達の羨望の的なのだ。
「うち(私の家)で一緒に風呂入ろう」と、マリーが女の子を誘った。女の子はうつむいたまま動かない。ところが、マリーは強引に女の子の手を引いて「ほら、行くよ」と歩きだした。そして、「うち(私)、小ちゃな時から、いつも独りで風呂に入りよったとよ。ママは、いつも仕事やったけんね。そいでも銭湯やけん。近くのおばちゃん達が、いつもうちん(私)面倒ば見てくれらすと。兄ちゃんは、男湯やけんね。行く時と帰る時だけが一緒たい。ばってん、祖父ちゃんの家に来てからは、本当に独り。祖母ちゃんが火ば、くべるよるけん(燃やす)。外には居るとばってんね。だけん、誰かと一緒に風呂に入りたかったと。うちん風呂は面白かよ。大釜で茹でられよる大根になったごたるよ。(ようだよ)」と。話しながら笑った。女の子は少し顔を上げてマリーを見た。

祖母ちゃんに事情を話して、マリーは、女の子と風呂に入った。「この板の上に乗って湯船に浸かるとよ。板ば取って入ったら足、火傷するけんね」と、女の子を湯船に入れた。でも、まだ体重が軽いマリー達は、板の上でふわふわと浮いているようで不安定である。だから、風呂の縁をしっかり押さえて、バランスを維持しないといけない。
そのふわふわ感を、女の子は少し楽しく思えたようだ。マリーを見て初めて女の子は笑った。とても可愛い子である。
湯船から上がると、マリーは石鹸を付けて身体を洗ってやった。「良か匂いがするやろう。アメリカ製ばい。ママがうちの為に送ってくれるとよ。だけん、これは、うち専用の石鹸ばい。兄ちゃんは、洗濯石鹸で十分たい」と、話しながら女の子を和ませた。
これは、村内でもマリーだけの贅沢である。ジョーだけでなく、村人は皆、洗濯石鹸なのだ。父ちゃんの褌を洗うのも、自分の頭を洗うのも、すべて洗濯石鹸があれば良いのである。この時代には、まだ誰もそのことに不満をいう者はいなかった。我が家の風呂に入れるだけで十分なのだ。良い匂いの浴用石鹸などハリウッド映画の中だけの話なのである。

風呂から上がると祖母ちゃんが女の子に、マリーのお古を出してくれた。そして「マリーのお下がりばってん。大きさは丁度良かろう」と、女の子に着せた。
女の子は始め遠慮して尻込みしていたが、祖母ちゃんが「嗚呼、捨てんで良かった。もうマリーは着れんごつなったばってん。お気に入りやったけんね。捨て切らんやったとばい。嗚呼、こげな可愛い子に着せられるとは、やっぱり神様の思し召したい」と、嬉しそうにいうので、女の子は恥ずかしそうに着た。
白い薄手のセーターと、赤い吊りスカートには、チューリップのアップリケが縫い付けられていた。「お嬢ちゃんのべべ(着物)は、祖母ちゃんが洗ろうとくけん。今度また来た時に持って帰りんしゃい」と、祖母ちゃんは言った。
「マンマ(食事)もいっしょに食べるね」と、祖母ちゃんが言ったが、女の子は、これ以上あつかましくは出来ないと思ったのだろう。大きく首を振ると「ありがとうございました」と礼儀正しく頭を下げて帰って行った。祖母ちゃんが「良かったのう。可愛い妹が出来て」と、マリーを振り返り言った。マリーは大きく頷いた。

竜ちゃんは、オート三輪の窓を拭いていた。この中古のオート三輪が、竜ちゃんの家の唯一誇れる財産なのだ。
この村にはまだ自動車が三台しかない。一台は病院の先生の応診用だ。スバル360という小さな自動車だが、世が世であるならゼロ戦の血を引く名機である。
「でも戦争に負けて、今は陸の上をちんたら(のんびり)走っているのだ」と、英ちゃんが説明した。更に「今度、ゼロ戦ば、汽車にしよるけんね」とも、英ちゃんは言った。新幹線という夢のような速さの電車らしい。
そして、もう一台の自動車は、去年村で買ったばかりの消防車だ。だから、三台目が竜ちゃんの家のオート三輪である。
竜ちゃんの父ちゃんは、最初リヤーカーに、自転車をつないで引っ張りながら商売を始めた。そして自転車がカブ号に成り、ついには、オート三輪に成ったのだ。

でも、中古なので丸いハンドルでは無い。カブ号と同じようなオートバイのハンドルである。だから、小さな助手席では、カーブを切る時ハンドルに押し出されて、落ちそうになる。どちらかと言えば、このオート三輪は、荷台に乗っている方が安全である。

竜ちゃんの家は、根っからの地元民である。そして、伊院家の小作人をしていた。祖父ちゃんの名は伊太郎という。村の皆は「伊太しゃん」と呼ぶ。
戦後の農地解放の時に、ジョーの祖父ちゃんは、働き者だった伊太しゃんに、分与以上の田圃を渡した。だから伊太しゃんは、今でも感謝している。
その田圃を元手にして竜ちゃんの父ちゃん辰三は、行商を始めた。
辰ちゃんは、伊太しゃんの血を引いて働き者だった。そんな評判が広がり、行商先の早津崎から芳江さんを嫁に貰うことが出来た。
芳江さんが嫁に来た時、伊太しゃんの家には、まだ風呂が無かった。風呂は、美香ちゃんの祖父ちゃんリーしゃんと一緒に、川で済ませていた。
二人は、大の仲良しだった。伊太しゃんは、手先が器用だったのでリーしゃんの竹竿は、伊太しゃんが作ったものだ。
更に、伊太しゃんは、箕などの農具も自分でこしらえていた。だから、竹の扱いに精通していた。ジョーの家の番傘も、みな伊太しゃんブランドである。
百姓を引退してからは、釣りが唯一の趣味である。だから、益々リーしゃんとは仲は深まっていく。
竜ちゃんが産まれる年に、伊太しゃんと、辰ちゃんは、親子で風呂場をこしらえた。もちろん、出産する芳江さんと、その子の為にである。風呂場の壁や天井は竹壁だった。男竹、女竹、孟宗竹、淡竹、矢竹など数種類の竹を使い分けて作った風呂場は、母屋より丈夫で美しかった。風呂桶は、芳江さんの両親が贈ってくれた。知り合いの酒樽職人に造って貰ったそうだ。だからとても丈夫である。

行商を始めてしばらくして、母屋を改造し家の前に、小さな店舗をこしらえた。
仕入れから帰ると、半分ほどの商品を店に降ろして、若夫婦は、そのまま行商に出た。だから、夕方までは、祖母ちゃんが店主である。
祖母ちゃんの名は千代である。皆は「お千代しゃん」と呼んでいる。隣村の肥前から嫁いできた。若夫婦が行商から帰って来ると、祖母ちゃんは夕餉の仕度である。だから、竜ちゃん兄弟は、祖母ちゃん子なのだ。竜ちゃんの「みゃい、ええらしか(とても、可愛い)」とか「そうなた(そうなの)」などの肥前言葉は祖母ちゃんの影響だ。
竜ちゃんには、七歳年下の弟がいる。芳幸という名で、まだ四歳である。そして、寝小便をしては、良く父ちゃんに尻を叩かれている。
本当はもう一人、竜ちゃんと、芳幸との間に娘が生まれる予定だったようだ。でも、本当に、女の子だったのかは、生まれていないので確かではない。
頑張り屋の芳江さんは、働き過ぎて流産してしまったのだ。伊太しゃんは、孟宗竹を削って卒塔婆を作った。そしてその子の名を未緒と刻んだ。一家は皆、女の子が生まれると信じていたのだ。

商売は順調だった。行商と、店舗の両方を営んでいると、需要と供給のバランスが取りやすかった。行商で売れなければ店に並べ、行商で持っていかなかった物に注文があれば店の物を夕方に配達した。
行商の商売仇も沢山いたが、芳江さんの明朗さに多くの常連客が付いていた。
店は、昼間と、夕方からでは、がらりと客層が変わった。昼間は、祖母ちゃんのタメコ(溜講)仲間を中心に、婆さん達のサロンに成った。
タメコとは、仲良しのサークルである。普段から、皆で少しずつお金を貯め旅行をし、ある時は、宴会を催すのである。結いや、講の一種で、女の共同体のようなものである。だから、各村々にも、沢山のタメコがあった。
竜ちゃんの店で、もっとも盛り上がる話題は、若嫁の悪口合戦である。どこの若嫁が、一番根性が悪いかを競い合うのである。それは、裏返せば、誰が一番若嫁に苦労させながら頑張っているかの、自慢合戦でもある。
だから、男達の相撲大会のように、勝ち負けを競う訳ではない。とにかく、大声で若嫁の悪口を言い合い、皆で笑い合い、そして「また明日のう(明日ね)。そい(それ)まで元気しとかないかんば~い」と別れるのである。
夕方からは、それが、若妻会のメンバーに入れ替わる。
もちろん主な話題は、姑の悪口合戦である。だから、共に、そのような心強い援軍を持っている嫁と、姑の戦いは、なかなか勝敗が明らかにならず、どちらかが亡くなるまで続くのである。困ったものでは有るが、そうやって代々、田舎の嫁と姑達は、ストレス発散をして来たのだろう。

商売で一番、苦労をするのは、掛け売りの取り立てである。田舎での商売にとって、掛け売りは当たり前である。
大概の客が「付けとって」といって帰る。「付けとって」とは「掛け売りのノートに、書いといて」という意味である。借用書や請求書などは無い。まったくの信用取引である。そして、金がある時に、後で払いに来る。「私しゃ、今日、付けば払うけん。いくらに成っとう?」という具合である。
しかし、なかなか付けが払えない家もある。年末まで待って払わなければ、家まで取り立てに行くしかない。そして、年末まで付けを溜めている家には、ほぼ現金が無い。
だから、最終的には、物品で取り立てるしかない。しかし、そんな家は、他の商売人からも付けで買い物をしているので、複数の店から取り立てに来る。少しでも価値が有りそうなものは、気が強い商売人が先に持って帰る。情けをかけていたら自分の店が立ち行かなくなるから、無理もないのである。

この村の周辺にも、戦前大陸に渡り、戦後引き揚げてきた家が複数ある。そして、貧しい家が多かった。なにしろ、着のみ着のままで、命からがらで逃げ帰って来たのである。だから、家族の命より大事な財産は無い。価値ある物品は、命と変えて来たのだ。
芳江さんも「今日こそ金目の物を持って帰るぞ」と、決心して付けの回収に行くのだが、哀れな暮らしぶりに、ついつい金目の物を取り上ることが出来ない。
商売人仲間の中には、目覚まし時計や、茶椀まで回収する人もいる。でも、芳江さんが持ち帰るのは、いつもお古の子供服だけだ。だから、竜ちゃん兄弟は、いつも誰かのお古を着ていたのだ。しかし、手先が器用な芳江さんは、きちんと仕立て直して、竜ちゃん兄弟に着せているので、パッと見には古着だとは気付かない。
今日も、「あそこの家はもう駄目そうだ」という情報が、商売人仲間から流れて来た。だから、仕方なく、芳江さんも、その家に付けの取り立てに行って来た。
その家は、六畳一間に土間の流しがある粗末な小屋だった。ぷ~んと鼻を突く酸っぱい古漬のような臭いが漂っていた。
この家の末娘は、芳幸と同じ歳である。その子の上に、まだ六人の兄弟がいるそうだ。上の三人は中学を卒業してもう家を出ているらしい。だから一家は今六人暮らしだ。一人一畳の暮らしである。
金目の物はまったく無さそうである。奥さんは、「月末に、働いている長男が金を持って帰るので、それまで待って欲しい」と言った。本当かどうかは分からない。だから、芳江さんは「何か担保になる物は無いか」と聞いた。奥さんは、丈夫そうな柳行李から古い中学生の学生服を取りだした。そして「もう、こんな物しか残って無くて」と言った。芳江さんは「じゃぁ。それを担保にください」と言って古い学生服を受け取った。
薄暗い部屋の隅で、女の子が震えるようにして座り込んでいる。この子が芳幸と同じ歳の娘なのだと思うと、芳江さんは胸が苦しくなった。そして、エプロンのポケットから六田豆の袋菓子を取り出すと、「あんたは、芳幸と同じ歳の娘やろ。名前は何ちゅうと?」と聞いたが、娘はうつむいたまま返事をしない。芳江さんは、六田豆の袋菓子を奥さんに手渡し「後で食べさせちゃって」と言った。奥さんは、声を出せず涙を浮かべてひたすら頷き続けた。
後日、商売仲間から寝覚めの悪い話を聞かされた。今年中学を卒業して久留米に働きに出ていたあの家の娘が、川に身を投げて死んだそうだ。その娘は、確か佳代ちゃんと言った。芳江さんも、何度か店に買い物に来たので覚えている。痩せて華奢な娘だった。口数は少なかったが、話しかけると良く微笑んで返事をしてくれた。その佳代ちゃんは、そぼ降る雨の夜、天健寺橋の上から川に飛び込んだ。商売仲間の話では、佳代ちゃんは身篭っていたらしい。子供の父親は、誰だか分からないそうだ。それから程なくその一家の姿は村から消えた。芳江さんの手元には担保の学生服だけが残された。

その日、竜ちゃんの父ちゃんは、行商人仲間の寄り合いが有り、久留米の文化街ですっかり酔いつぶれていた。それでも、土産の寿司折をぶら下げると、ふらふらと、上城島経由大川行きの西鉄バスに乗り込んだ。
ところが、安武の堤防に差し掛かった所で、バスの方がエンコし動かなくなった。運転手は、押し掛けしたらエンジンがかかるかも知れないと思い、乗客の手伝いを頼むよう車掌に指示した。
バスには十数人の酔っぱらい供が乗っていたが、若くて可愛い車掌さんに頼まれては嫌と言えない。そこで十数人の酔っぱらい供は、エイコラショと、薄暗い堤防の砂利道でバスを押し始めた。
バフン~と、時よりエンジンが掛かりそうになるのだが、十数メートル押した所で押し掛けは諦めた。そして、運転手が独り、ボンネットを開けてエンジンをいじり始めた。乗客は、室内に戻り車掌さんと楽しくおしゃべりを始めた。
自分でもおんぼろオート三輪を所有している辰ちゃんは、不発に終わるエンジン音を聞いて「こりゃ駄目だ」と判断した。そこで、すっかり陽が落ちた闇夜の堤防を、ふらりふらりと歩き始めた。下流に向かって四~五Kmも歩けば天健寺橋が有る。その橋を渡れば良いのだ。道に迷うことなんか有りはしない。
一時間ほど歩いていたら「辰ちゃん」と呼ぶ声がする。誰だこんな暗がりの堤防で俺の名を呼ぶのは? と顔を上げると、もう天健寺橋の欄干の手前まで来ていた。そして、橋の中ほどで白い人影が「辰ちゃん。早よう来んね」と手招きしている。若い男の子の声でも有るようだし、色っぽい美人の声にも聞こえる。いやな予感が走ったが“どうせこの橋を渡るのだ”と、勢い足を踏み出したらストーンと奈落に落ちて気を失った。
母ちゃんの芳江さんは、あまりにも父ちゃんの帰りが遅いので、竜ちゃんを助手席に乗せて、オート三輪で探しに行くことにした。しかし、父ちゃんの姿は見えない。竜ちゃんが「まさか、土手沿いに歩いて帰って来よるかも」と言い出したので、芳江さんは、オート三輪を堤防に向けて走らせた。
天健寺橋の近くまで来た時、竜ちゃんが「母ちゃん、ちょっと止めてん」と言った。そして、オート三輪から降りると、歩き出しそして、「母ちゃん、バックして、ライトでここば照らして!」と叫んだ。
芳江さんが、バックし堤防を照らすと葦がなぎ倒されている所があった。芳江さんは、急ぎ懐中電灯を掴んで、オート三輪を降りた。そして、堤防の下に転がり昏睡している父ちゃんを見つけた。
二人は、苦労して父ちゃんを、堤防の上に引き上げると、オート三輪の荷台に寝かせて連れ帰った。その日は、そのまま家で寝かせ次の日、病院に連れて行くと、右肩骨折で有った。全治一か月の入院である。噂を聞きつけて、村の皆が病院に見舞いに行くと、辰ちゃんは、右腕を天井に向けて上げたまま寝ている。
見舞客に気付いて、ベッドの上に置き上がると、右腕を額の高さに上げて、まるでおいでおいでをしているようである。民ちゃんの父ちゃんで、税務署員の兼人さんが「また、辰ちゃんなぁ妙な格好ばしとるなぁ」と、辰ちゃんの石膏ギブスを、しげしげと見た。
「肩ん関節の玉みたいな方が割れ取るらしかけん。こげな格好で固定されたったい。もう寝がえりが打てんでなぁ。往生するばい」と、難儀をしている様子である。
そこへ、美夏ちゃんの父ちゃん重人さんが入ってきた。そしていきなり「おう、辰ちゃんなぁ。いつからそげん勉強熱心になったつか?」と言い出した。
辰ちゃんは何を言いだすのかと、不思議に思い「そりゃ、お前より俺の方が、勉強は出来たばったてん。何んで、ここで、そげなことっば言いだすとや?」と聞き返した。
重人さんは、兼人さんを振り返り「兼人、見てみらんか。ほら二宮辰三ばい」と言った。兼人さんは、なるほどと手を打って「小学校の門の所に立つとらす二宮金次郎さんは、下から本ば持って勉強しよらすばってん。辰ちゃんなぁ上から本ば持って勉強しよるばい。アハハハハ……」と、笑いだした。
すかさず辰ちゃんが「こら、兼人。病人ば笑い者にするとか、ぼてくらすぞ(殴りつけるぞ)」と、兼人さんを睨んだ。
「見舞いに果物の缶詰ば、持ってきたばってん。薪の方が良かったごたるばい」と、再び重人さんがからかった。付き添っていた芳江さんまで噴き出し、膨れた辰ちゃんを残し、病室は笑い声に包まれた。
「ところで、何であげな所で、土手から落ちたとか?」と、真顔で重人さんが聞いた。「そいがっさい。(それが)オイ(俺)は、天健寺橋ば、渡ったっち思うたとばってんねぇ」と、辰ちゃんは、バスがエンコした所から経緯を話した。すると重人さんが「お前は、夜狐に騙されたごたるね」と、言い出した。
辰ちゃんは「天健寺橋の上から『辰ちゃん。早よう来んね』ち、手招きしよったとが夜狐やったとやろか?」と、首を傾げた。
兼人さんが「いやいや、バスに乗ってエンコした辺りから騙され取ったちゃなかね。そりゃ西鉄バスや無うて、狸のバスやったちゃないね。辰ちゃん良~と思い出してん。車掌さんの可愛いお尻から、尻尾が出取らんやったね」と、言い出した。
更に「そりゃ、筑っ後川ば挟んで肥前の夜狐と筑っ後の狸が、化かし合戦ばしよったつばい」と、重人さんが腕組みして言った。
「馬鹿言わんでくれ。肥前なら狐じゃ無しに、化け猫やろうもん」と、辰ちゃんがやり返した。「まぁ、いずれにしてもこん位の怪我で済んで良かったばい。数年前、酔うて六五朗橋の上から落ちて死んだ者もおるけんねぇ。辰ちゃんも飲みすぎたらいかんばい。小さい子供もいて大事な身体やけん」と、兼人さんが真顔で言った。辰ちゃんも「おう、おう」と力なく頷いた。

田んぼでは、カエルが喧しく鳴きだしている。間もなく雨期が始まる。そして雨で家に閉じ込められる前に、思いきり遊んでおこうと、悪ガキ供は、無謀な遊びに夢中に成っている。堤防を、まっすぐに自転車で下り、川に落ち込む寸前で止めようとしているのだ。なるべくギリギリまでブレーキを我慢した方が勝ちである。
ジョーは、戦闘機乗りの度胸を受け継いだのか、中学生にも負けないでいる。何人もの中学生が、ジョーに勝負を挑むのだが、まだ誰も勝てないでいる。
英ちゃんが「ジョー無理するなよ」と言った。ジョーは「オイ(俺)は臆病者やけん。無理はしとらんよ。」と笑った。
砂埃を上げて竜ちゃんが、重荷用自転車でやってきた。荷台にはトロ箱が積んである。その自転車は、重い荷物を積み、行商などに使えるよう丈夫に作られているのだ。その分、重たい自転車である。特にスタンドは頑強に作られいるので、立てるには相当に力が必要で大変である。「竜ちゃん、塩サバ号で参戦するとね?」と、英ちゃんが聞いた。
「みゃい(大いに)外れ。配達たい。父ちゃんが入院したやろ。だけんオイも忙しかとよ。そんなら後で、沖底さんで会おう」と、竜ちゃんは、重荷用自転車に三角乗りをすると、颯爽と砂塵を巻き上げ走りだした。「月光仮面より格好良かばい」と、ジョーがその後ろ姿を眺めて言った。

すこし雲行きが怪しくなり始めた沖底の宮に腰を降ろし、ポツンと独りでマリーが川面を見つめている。そうして、何やら歌を口ずさんでいるようだ。

♪ 小狐 コンコン 山の中 山の中 草の実 つぶして お化粧したり もみじの かんざし つげのくし~ ♪ 

すると、不意に仙人さんが現れ「ほう、小狐の唄かい。ドイツの童謡じゃのう。モルダウ川の流れが思い出されるわい」と言った。
マリーは「仙人さんはドイツにも行ったことが有ると?」と、目を輝かせて聞いた。
仙人さんは「おう、もうかれこれ三千年程前じゃがのう」と答えた。
マリーは一瞬、キツネに抓まれたような顔をしたが、正気を取り戻したしっかり者のように「小学校で習うらしかよ。愛らしか子狐やねぇ」と、頬杖をついて言った。
すると意地悪い声で「じゃが、ドイツで歌われとるのは、可哀想な子狐じゃっど」と、仙人さんは言った。
「どげな風に可哀想なん?」と、マリーが聞き返した。
仙人さんは「あれは『可愛い子狐よ。お前は俺のガチョウを盗んだな。ガチョウを返さないとお前を鉄砲で撃つぞ』と歌っとるのさ。だけん、子狐は、鉄砲で撃たれて殺されそうなんじゃ」と、さらりと言った。
マリーは「子狐は、きっとお腹ば空かせとったんよ。それを鉄砲で撃ち殺そうちゃぁ、大人はどんだけ意地が悪かとやろか」と、憤慨して言った。
仙人さんは、苦笑いをしながら「まあ、だけん泥棒になったらいかんよ。ちゅう(と云う)唄なんやけどのう。いやぁ大人は、意地が悪すぎるか。面目ない、面目ない」と、頭を掻きながら謝った。
すると、英ちゃんが「おう、仙人さんが来とらすぞぉ~」と、悪ガキ供に叫んだ。程なく、沖底の宮の境内は、今日も子供達でいっぱいになった。
良く見ると、脇には重荷用自転車が立てかけてある。竜ちゃんも、配達帰りに立ち寄ったようである。「さぁ~て、今日はどげな話ば聞きたかね?」と、仙人さんが子供達を見渡した。「うち、えすかばってん(怖いけど)幸せになる話が良か」と民ちゃんが言った。民ちゃんがいうので男の子達は皆で頷いている。「そしたら、人さらいの話と、海を渡ったユリ(儒理)王子の話をしようかのう」と仙人さんは話を始めた。

手招けど そぼ降る夜(よ)なら 来んと狐火(こひ)

~ 魂呼ばいと禅譲の儀 ~

コ~ン、コ~ンと北の山裾に狐の鳴き声が木霊した。仙波山の狸なら弓で射られて、

♪ 煮てさ、焼いてさ、食ってさ それを木の葉でちょいと隠(かぶ)せ~ ♪

てしまうが、狐にはそんな心配はいらない。狐汁や狐鍋というのも聞かないので、狩られて食われることは無いであろう。また、猟犬は、役目がすめば主(あるじ)に裏切られ食われてしまうが、忠犬はいても、忠狐というのは聞いたことがない。更に、走狗が煮られて恨みを言ったとは聞かない。しかし、狐と人間の関係は、恨み節がつきものである。狐は、情が深い生き物である。だから、人間の薄情さに恨みを抱く。人々は、狐の死骸を見たことがない。狐は死んだらどこに行くのだろう。やはり信太(しのだ)の森だろうか。

私は、素直に天命に従い、女王の葬送の儀を引き受けてしまった。だけど、何をどうやってよいかさえ見当が付いていない。そこで、香美妻(カミツ)が、事前に手ほどきをしてくれた。「ヤマァタイ(八海森)国では、魂返しの儀式の前に、『魂呼ばい』と呼ばれる儀式が行われます」ということである。
私達の村では死んだ人の魂は、霊魂と成り村の辺りに漂いながら村人を守ってくれていると信じている。しかし、伊都国を中心とする倭国では「人は亡くなると、神様の国に戻ります。神様の国は遠いので直ぐには行けません。そこで皆が心を込めて『行くなぁ~』と呼び戻すのです。これを『魂呼ばいの儀』といいます」と太布(タフ)様が教えてくれた。そして、いくら呼んでも、魂がその人の身体に戻らなかったら、諦めて墓に埋葬するのである。だから、洗骨の儀式は無いようである。

私達の村では、亡骸が朽ちはて骨になったら、もう魂は戻らないと考えている。そして、骨をきれいに洗って、村の高台にある見守りの小屋に安置する。
子供達は、不安なことが起きると良く見守りの小屋に行く。そして、一時ばかり静かに海を眺めていると、先祖達の霊がやって来て、やさしく包んでくれる。だから、熊人 (クマト)は、頻繁に見守りの小屋に行っては、元気を取り戻しているのだ。
この春先には、見守りの小屋の前で眠り込んでしまい、暗くなっても家に戻らなかった。だから、「どこに行ったんだろう?」と皆で心配して探し回ったことがある。見つけた時には、ご先祖のシャレコウベを抱いて「オイ(俺)は独りじゃ無か。オイは不安じゃ無か。オイに恐ろしかモンは無か。むにゃむにゃ…… 」と、のんきに寝言をいっていた。

『魂呼ばいの儀』は、真夜中に川原で行われた。竹と藁(わら)で組まれた櫓(やぐら)に火が放たれると、十二人の軍団長が銅鐸を鳴らした。そして十二人の女族長は「帛(はく)様~ 帛様~ お戻りくださぁ~い。帛様~ 帛様~ お戻りくださぁ~い」と、深き闇の川面に向かって叫んだ。それに合わせて、河原に集まった民も「帛様ここで~す。ここにお戻りくださ~い」と、帛女王の魂を呼んだ。そうして『魂呼ばい』は、櫓の火が消えるまで行われた。
やがて、薄墨色の朝が訪れ、女王の魂が、もうその身体に戻らないことを見定めると『魂返し』の儀式が始まった。
私は、川で身を清め白鉢巻に白大衣姿で日之隈の斎場に登った。山頂は広場に成っており、木々は払われていた。狼煙台には、火が灯され広場を明るく照らし出していた。山肌は民が掲げた松明の灯りで覆われている。
私が、帛お婆の傍らに立つと、ヒムカが、静かに神歌(かむうた)を唱え始めた。そして私は、ゆっくり右へ、そして左へと旋回しながら舞い始めた。
『魂返しの儀』は、この神歌の力が大事なのだ。私達は、普段、他の人に何か伝えたい時や、楽しいおしゃべりをする為に言葉を使っている。
その時の言葉は、伝達の道具でしかない。
だから、言葉がしゃべれなかったら文字で伝えれば良い。
文字を知らなかったら絵を描けば良い。
絵が下手なら綾とりで伝えれば良い。
綾とりを知らなかったら紐の結び目で約束事を決めれば良い。
紐が無かったら丸太を棒で叩いて伝えれば良い。
そうそう煙の上げ方で伝えても良いのだ。だから、伝達の方法なら言葉以外にも色々ある。
でも、言葉を歌にすると言葉は魂を持つ。それは、身体に宿った魂が、息と共に吐かれるからだ。
そして、魂が宿った息は、旋律を生み、磯の泡玉のように宙に舞う。その泡玉の歌が、舞を促すのだ。
だから、私は何もしていない。何も考えていない。ただ、ただヒムカが唱える神歌が、私を舞わせているのだ。そして、舞いながら私は神様の領分に入っていく。それから、神様の手を持ちて、帛お婆の身体から、魂を取り出し返すのだ。
恋の歌には、恋の魂が宿る。だから歌垣では、男と女が互いの恋の言霊を返し合う。実りの季節には、稲魂の歌を皆で唱い舞う。
そして今、ヒムカは、帛お婆がどれだけ素晴らしく魂を磨いてきたかを謡っている。でも、その言葉は今の人々には理解できない。その言葉は、人々がまだ神様の許で生きていた頃の、太古の言葉だ。だから今では、巫女だけしか理解できない。

人々は、魂返しの儀式の舞に魅入られている。私の舞は、母ぁ様の舞に似てとても美しいそうだ。でも、自分の舞う姿は見えない。だから私自身は、舞の美醜に興味は湧かない。でも、母ぁ様の魂返しの儀式の舞は覚えている。だから、美しいのだろう。
巫女の舞は、人に見せる為の舞では無い。巫女の舞は、魂が身体から離れないように虚無の世界で舞っているのだ。
神様の領分に入っていく時、普通の人なら、魂は身体から離れてしまう。魂を、身体に留めたまま神様の領分に入っていくには、魂に身体を委ねないといけない。魂に、身体を委ねた様子が人々には舞いに見える。だから、巫女は踊り子ではない。
ラビア姉様の舞は、踊り子の舞だ。アチャ爺と、その踊り連の踊りも、踊り子の舞の仲間だ。それは、皆が楽しむ為の舞である。だから、愉快だったり、美しかったりしないと、楽しめない。
ラビア姉様の美しい舞は、男供の魂を宙に漂わせ、至福の時を与える。アチャ爺と、その踊り連は、互いの体と気を合わせ愉快になる。愉快になれば、身体は陽の気で満たされる。でも巫女の舞は、陰の気を放っている。巫女の舞には、人々を陽気にさせる力はない。人々が巫女の舞に見入るのは、神様の領分が垣間見えるからだ。

朝日が昇った時、日之隈の山から一斉に白い蝶が飛び立った。更に斎場の上には、ひときわ大きな姫白蝶が舞った。普段なら、この高さの山には姫白蝶はいない。だから、あの姫白蝶は、帛女王だと皆は思った。
そして、私は、無事に帛お婆の魂を神様の許に返した。これで、人としての帛お婆の魂は、神様の世界に帰ったのだ。
しかし、帛お婆の身体には、まだ女王魂が残っている。その女王魂は、明日の明け方に私の身体に移される。女王魂は、神様が創り出したものではない。それは幾世代にも渡り人々が生み出した魂だ。
神様以外が創り出した魂は、他にもある。神様の許に帰れなかった魂が、悪気で固まりあって生まれたのが悪霊魂である。
悪霊魂が人の身体に宿ると、神様の魂を蝕み悪事を働くようになる。
シャー(中華)には、キョンシー(殭屍)と呼ぶ魔物がいるそうだ。それは、魂だけが抜けて身体だけが彷徨っている物らしい。そして、魂は神様の世界に帰れないでいるのだ。その虚無に落ちた魂を、キョンシーは探して彷徨うのである。
悪霊魂に成るひとつの原因に、死産で母子が亡くなった時がある。そして、そのままでは神様に魂を返せない。何故なら、死産した赤子には、まだ魂が宿っていないからだ。もし、母親の魂だけを神様の世界に返したら、死んだ赤子は、キョンシーのように、魂を探して彷徨うことになってしまう。だから、母のお腹を割き、死んだ赤子を取り出す。そして、母に赤子を抱かせて、母子の魂として神様に返すのだ。
でもこんな荒業は、大巫女様にしか出来ない。若い巫女なら腹を裂いた途端に、自分の方が卒倒してしまうだろう。
私は、何度か、お祖母様がこの荒業を行ったのを見たことがある。私が、加太の医術に興味をひかれたのも、この荒業で人の身体の中を見たからかもしれない。
私達の村では、魂返しの儀式の後、巫女は、屍が骨になるまで傍らで過ごす。そして、魂が戻らないのを見届ける。もし、骨になる前に、新たな死人が出たら、肉を剥ぎ落し、洗骨の儀式を早める。だから、年老いた巫女は、人の身体の中の様子に詳しい。
琴の海で、死病を治めた時、五人の老巫女達が「やり方は分かったけん。後はワシラでも治せるばい。ばってん一日一人が限度やねぇ。それに三日に一度は休ませてもらわんと、こっちの体が持たんばい。アハハハ」と、笑っていたのは、その為だ。
老巫女達には、肝が身体のどこにあるか分かっていたのだ。肝が魂の宿る所だと加太は教えてくれた。だから肝を守れば助かる見込みが高まるのだ。

幾世代にも渡り人々が生み出した女王魂は、人々の言葉なき意志で受け継がれる。その言葉なき意志は、天命と呼ばれる。そして天命に従い歩む道を王道という。
王道を歩み継ぐ為に、帛お婆の女王魂は、私に移譲される。その儀式は、『禅譲の儀』というそうだ。
私達の国には王がいないので、私もヒムカも『禅譲の儀』を知らない。
王がいる国でも『禅譲の儀』を行わないところもある。そこでは血縁で、王が選ばれる。そこから血統や優生という発想が生まれる。そしてそれは、人々の間に貴賤を生む。
大いなる意志である天命は、人の世に分断を求めない。
分断を欲するのは富める者である。富める者は、人間の力を過信する。そして自意識過剰に陥った王は、悪政を行う。
それを正そうと、大いなる意志は、新たな天命を発する。それを革命という。だから『禅譲の儀』を行わない国には、革命が発生する。革命は破壊と再生の儀式であり、荒々しい世が避けられない。革命には、人々の血が必要とされる。
私のご先祖様の伊尹(いいん)も、この革命に加わったひとりだ。その時、巫女達は戦場(いくさば)の巫女に化す。そして革命で選ばれた新しい王は、血の杯を飲み干す。

ヤマァタイ(八海森)国では、王位を血筋では選ばない。王は、歴代に渡り巫女が務めている。そして、女王魂が宿るのにふさわしい者が、次の女王に選ばれて来たそうだ。だから、帛女王と、二十四人の族長会議は、私を選んだそうである。
もし誤って女王魂が宿るのにふさわしく無い者が女王になると、国は乱れ多くの災いが起きる。そうなったら、その女王を殺し女王魂を取り返す。それは、革命と呼ばれる行為に似ている。そう太布お婆が教えてくれた。

私は、事の次第が分かるにつけてどんどん不安になってきた。そんな私を、ヒムカはやさしく抱き寄せてくれ、香美妻は「しっかりなさいませ。私が知る限り日巫女様以上に女王にふさわしい人はいません」と、叱りながら励ましてくれた。

禅譲の儀は、太布お婆が取り仕切ることになっている。十二人の女族長は皆巫女であり、今は太布お婆がその筆頭である。
まず私は、香美妻に伴われて、斎戒沐浴(さいかいもくよく)を行った。大麻草の湯帷子(ゆかたびら)を着て浴槽に浸かり、香美妻が私の髪を洗ってくれた。
これは沐(もく)という儀式らしい。次に、湯帷子を脱がせると私の身体を洗った。
これは、浴(よく)という。浴槽から出ると、太布お婆が、真新しい絹の白大衣を着せてくれた。
そして、帛女王の傍らに私を導くと、隣に寝かせ、二人を一枚の大きな木綿(ゆう)の布地で覆った。これは、衾(ふすま)というそうだ。
そして、夜明けまで私は、帛女王の亡骸と同衾した。十二人の女族長と、巫女達は皆、帳(とばり)の外に控えている。
十二人の軍団長と、狭山(さやま)組頭に、高志(たかし)組頭は、社(やしろ)の外に張り巡らされた帷の外に控えている。
朝日が昇ってくると、帳の外で、軍団長達が勢い良く銅鐸を鳴らした。
それを合図に太布お婆が、社の東の小窓を開いた。
小窓から差し込んだ朝日を、十二人の女族長が、銅鏡に反射させ帛女王の亡骸を照らした。
それから、巫女達が神歌を唱えだした。
ヒムカも、この巫女達の中に加わっている。私は大勢の巫女の中からヒムカの声を聞き取り、不安を抑えた。
社の中の炉では、大麻草が燻され濛々とした煙が社の中に充満している。
巫女達の神歌は大きくなり、銅鏡に反射した十二の朝日はキラキラと社の中で舞った。私の意識も朦朧としてきた時、激しい痛みが御陰(ほと)を貫いた。銅鏡に反射した十二の朝日が、私の御陰を照らし出していたのだ。これが入魂の儀だったようである。そして、私は、私の中に不思議な物が宿ったことを感じた。
すると一斉に銅鏡が割られ、社の戸張(とばり)が全て開け放たれた。私は、社の前に立ち皆に向け両手をかざし「嗚呼」と叫んだ。それに呼応するように一斉に「嗚呼」と歓喜の声が上がった。そして「ピミファ女王がお産まれになったぞ~」と人々は口々に叫び、それから地を蹴って大地を揺るがせた。

ヤマァタイ国では、墓は水脈がある所に造られるそうだ。『禅譲の儀』が終わると、帛女王の亡骸は、棺に納められ墓へと運ばれた。魂は、水脈を通って神様の国に戻るらしい。そして、霊魂と成り親しい者のところに帰って来るそうだ。
棺には底に小さな穴が開いている。それから、土を盛られた墳丘墓には、節を抜いた青竹が立ててある。香美妻の説明では、先祖の霊魂は、秋の実りを確かめるように、秋祭りの数日の間この世に帰って来るそうだ。その時に、青竹に向かって「御先祖様ぁ~稲が実りましたぁ~帰ってきてくださ~ぃ」と叫ぶらしい。
すると、棺の底の穴から黄泉の国に旅立った御先祖様の霊魂が、水脈を伝って戻って来るらしいのだ。霊魂だから人々の目に御先祖様の姿が見える訳ではないが、人々は御先祖様を感じるのだ。祭りが終わると御先祖様の霊魂は再び水脈に乗って魂の国へ戻られるそうである。だから、墓の下には水脈が無いといけないのだ。

帛女王の墓は、神崎(カムミサキ)の丘に作られた。神崎の丘の水脈から、地表に姿を現した川は、筑紫海(ツクシノウミ)に注いでいる。だから、もしかすると、黄泉の国とは、筑紫海の底にあるのかも知れない。
私達の村では、神様のおわす処は、海の彼方だと言い伝えられている。
ヒムカにその話をしたらヒムカは「山の民は、死んだ人の国は、地の底に在ると言っているわ。そして、そこは根の国と呼ぶらしいの」と教えてくれた。
「高木の神の国はどこにあるの?」と香美妻に聞いてみたら、「山の上の天高い所に在り、雨と雲と虹の水脈が魂の通路なのです」と教えてくれた。
加太は、「霊魂には魂(こん)と魄(はく)という二つの姿がある。魂は心の気であり、魄は身体の気だ。そして、人が死ぬと魂は天に帰り、魄は地に帰る」と教えてくれた。
シャー(中華)で云う天は、高木の神の国に近いようだ。そして、地は、根の国イズモ(稜威母)に近い気がする。
とにかく、国によってあの世は、色々に思い描かれているようだ。だって、誰も神様の国や黄泉の国に行った人は、この世にいないのだから無理もない。
私だって、神様の領分には入るが、神様の国や、黄泉の国に行ったことはない。
神様の領分は、この世とあの世の境に在るのだ。私達の身体は、魂の世界から見れば、泡のような物の中にある。生きている時は泡のなかにいる。死ぬと、泡の外に出る。身体を持ったまま泡の外に出ようとすると、泡が弾けて無限に落ちる。でも、無限が何かは知らない。だってまだ幸いなことに、無限に落ちたことはない。
私は、その泡の膜を神様の領分と呼んでいる。そして、その領分を越えて神様の世界に入ると、人の魂は、真魂となり人には戻れないようだ。
だから、赤子に真魂が入っても、前世のことは思い出せないようである。時々、身体はこの世に産み落とされたのに、魂は神様の領分にとどまっている子がいる。そんな子は、前世を語るが、大概はやがて魂も神様の領分からこの世に降り立ち普通の人になる。
ところが、極まれに、そのままの子もいる。そのままでは、その子は白痴と呼ばれる存在になる。そして、皆から迷惑がられる。
だから母親は、巫女に頼み神様の領分に呼びに行くのだ。でも、その子が娘なら巫女になる素質がある。私は、もっと変な子で、行ったり来たりしていたそうだ。まるで海で遊んでいたかと思えば、ひょいと山に行き。山で遊んでいるかと思えばひょいと天駆けるようにである。だから村の年寄りは、私のことを「ほんに、よう神懸かりする子じゃのう」と面白がっていたそうだ。そして、今でもそのままである。否、お祖母(ばぁ)様の秘儀の儀式を受けてからは、神様の領分でも、自在に動けるようになった気がする。だから皆は、私のことを日巫女様と呼ぶのかしら?

ひと月の喪が明けると、カメ爺は、大きな『喪明けの宴』を開いた。帛女王の前の世代には、王や族長が崩御すると、身近な者達が命を絶ち、その後に従うという習わしがあったそうだ。それを『殉死』という。

これはシャー(中華)や、三韓に古くからある風習らしい。本当に親しい者達なら後を追いたい気持ちも分かる。厳しい環境に暮らす民が、庇護者であった父や、夫を亡くし、生きる望みを断たれれば、そうするかも知れない。でも、王や族長達の死後の世話をさせる為に殉死させるのは、私には納得できない。
命は、神様が与えてくださったものだ。それを“ 神様の許しもなく殉死させて良いものか ”と、私は思う。帛女王もそう思われていたようだ。だから皆に、生前、殉死の禁止令を言い渡していた。
もし、帛女王の為に、二十四人の族長と軍団長が殉死をすれば、その二十四人の為に殉死させられる人が大勢出てくることになる。そう成ると、殉死者の数は数百人に及ぶ。
帛女王が遺言の中で「私が、神様の許に帰るのを機に、国中の年寄りは皆、隠居せよ。ただし、年寄り達が急いで私の後を追うのは固く禁じる。まぁ、あせらんでも年寄りは皆、神様の許で時機に会える。のんびり余生を楽しみ私の許に来ておくれ」と、言い残されたのはそういうことだったのだ。そして、今日カメ爺は、喪明けの宴を開いた。だから、この宴は隠居達が、のんびり余生を楽しむ初日なのだ。
カメ爺は、各支族の領地でも数ヶ所で宴を開いている。だから、今日は、ヤマァタイ国の百ケ所程で、『喪明けの宴』が開かれている。“ カメ(亀)爺は大変な資産家だけど、この宴で、すべての資産を使い果たすのではないか? ”と、いらぬ心配が過った。でもカメ(亀)爺は「その為にわしゃ今まで働いて来たのさ」というだろう。スサト(須佐人)は「祖父ちゃんの資産が無くなれば、俺が稼げばいいのさ」というだろう。そして、イタケル伯父さんと、玉輝叔母さんは、それを、にこやかに笑いながら聴いているだろう。ハタ(秦)家の一族とはそういう人達なのだ。


メタバル(米多原)の館の宴には、伊都国のウス(臼)王夫妻や、末盧国の美曽野女王に、琴海さんを始め倭国中の王や、族長、それにその使者達が集まっていた。
ヤマァタイ国は、倭国で一番大きな国である。だから、倭国統一同盟と、倭国自由連合で対立している国でも皆、各国を代表して参列していた。その為、各国の代表団でさえ百余名である。
それに、どうやら各国代表は、私の品定めもしたいようである。私は、『葬送の儀』の間、ウス王にさえ会っていない。更に、私の唯一の親族である玉輝叔母さんに会うことさえ許されていなかったのだ。私は、すでに私人では無くなりかけていた。
玉輝叔母さんは、今日もこの会場にはいない。ハタ(秦)家の一族は、接待役なのだ。だから、アチャ爺や、テルお婆も、どこかの会場の接待役に出かけている。今、私のそばにいて、頼れるのは香美妻だけである。
ヒムカにだって、我がままを言って甘える訳にはいけない。だって、ヒムカは、クド(狗奴)国の王の名代なのである。それに、近頃気がついたのだけど、もし倭国自由連合が、倭国から独立したら、倭国統一同盟の美曽野女王に対立して、倭国自由連合が立てる女王は、ヒムカの可能性が高い。私は、ヒムカなら立派な女王になれると信じているけど、今はそんな態度を示すべきでは無いことも近頃心得てきた。
“ 嗚呼、何でこんなことになっちゃったの? ”そんなため息を心の中で呟きながら、私は、今とても肩身の狭い思いをしている。何故なら、私は、宴の中央の席に座らせられて、しかも、左右の席は、美曽野女王と、ウス王なのだ。まるで、美曽野女王と、ウス王を従えているような、この配置に、私は緊張が解けないのだ。
本当は、ヒムカの傍に座っていたいのにそんな我がままが許される雰囲気ではない。そして、カメ(亀)爺が、美曽野女王に開会の挨拶をお願いした。女王が、席から立ち上がると、すべての出席者も立ち上がった。そして、女王は、私の手を取って立ち上がらせた。
「この良き日に、皆の参列を嬉しく思います。ありがとう。さて、偉大なる帛女王は、神の国に旅立たれました。倭国に取って、これは大きな悲しみです。帛女王のお力があればこそ、今の倭国から、戦(いくさ)の影が消ていたのです」そう美曽野女王が述べると、一斉に賛同の拍手が起こった。
「しかし、戦の影は、永遠に消えるものではないことも、皆承知のことだと思います。その為に、賢明な帛女王は、日巫女様を、後継者とされました。私もピミファ女王の誕生を、こころから歓迎しています。さぁヤマァタイ国の民だけに留めず、倭国中がピミファ女王の誕生を祝いましょう。そして、心からの感謝を込めて帛女王に、追悼の念を届けましょう。黙祷」そう言って美曽野女王が黙祷をされると、皆も一斉に黙祷を捧げた。
一時の黙祷の後、今度は、ウス王が「直れ」と黙祷の終わりを告げられた。そして、美曽野女王に眼くばせをされると「皆、着席せよ」と、着席の合図を告げられた。
皆が着座すると、カメ(亀)爺が立ち上がり「この宴は、帛の私への唯一の遺言でした。だから、皆様大いに飲み大いに食べてお楽しみください。そして、まだ幼く至らぬところの多いピミファ新女王のことを、どうぞ末永くお守りくだい」と挨拶した。私は、カメ(亀)爺の言葉に涙がこぼれそうになった。
するとヒムカが立ち上がり、私に向って拍手を送ってくれた。それから参列者全員が立ち上がり、私の女王就任を拍手で祝福してくれた。そして、ウス王が「さぁ、ピミファ女王。皆に挨拶を」と、私に挨拶を促した。
私は席から立ち上がり「皆様の拍手に、今、私は大きな力をいただきました。ありがとう」と言った。それから何を言えば分らなかったので「私は、南の国のまだ幼い海女です。そして、まだまだ未熟な巫女です」と切り出した。皆は私が何を言い出すのだろうと、興味を惹かれて私を見つめた。私は気を失いそうな位緊張したが挨拶を続けた。
「でも、私には戦場(いくさば)の巫女の血が流れています。私の祖母大巫女様は、私は戦場の巫女の再来かも知れないと、心配されていました。私のご先祖様は、戦場の巫女で、大勢の兵を呪いの言葉で殺していたのです。そして、私にもそんな力が宿っているそうです。だから、私は自分自身が不安でたまらないのです。
大巫女様からは「帛は、ヤマァタイ(八海森)国から戦の影を消し、更に倭国の大乱も小康状態に導いた」と聞かされていました。そして大巫女様は「帛には、戦場の巫女の血を納める力がある」といわれました。
戦場の巫女が振りまく不幸については、近頃心に沁みて分かってきました。
末盧国の琴海族長からは、一族の争いの悲しさを教えられました。
クド(狗奴)国のホオリ(山幸)王からも、戦の後の虚しさを教えてもらいました。
そして、私のジンハン(辰韓)国の一族も、愛する者同士で殺し合いをしてきました。
帛様は、何故こんな私を後継者にしたのでしょう。私は、まるで戦場の申し子のような存在なのです。例え戦が嫌いでも、私は、悪しき気なら焼き尽くす荒御霊の持ち主なのです。だから、私は海女のままが良かったのだとも思っていました。
しかし、帛様からは、人をまとめ、争いを鎮める楽しさも学びました。私は、ずっと戦場の巫女には成りたくないと願ってきました。その願いを、帛様は、私に叶えさせてやろうと思われたのかも知れません。
どうか皆様、和をもって尊しとする聖魂を、私に教えお導きください。お願いします」
と、就任の弁を終わらせた。
私は自分でも“変な挨拶をしているなぁ”と心の中で思ったけど、ウス王が、涙を浮かべて私の手を取ってくれたのでほっとした。それから、美曽野女王が「ピミファ新女王誕生。万歳」と言われると、一斉に万歳三唱が起こった。それで、私は、緊張が一瞬に解けてしまい、後のことはよく覚えていない。

~ ハイムル(吠武琉)とニヌファ(丹濡花)の夢 ~

『魂呼ばいの儀』と『禅譲の儀』から、『喪明けの宴』までの一月の間、ヒムカは、ヤマァタイ国に留まっていてくれた。
何しろ、私には政務と云うものが全く分かっていない。だからと言って、ウス王も、いつまでもヤマァタイ国に留まり、私の先生をしている訳にはいけない。ウス王は、伊都国の王と云うだけでなく、倭国の政務の長(おさ)でもあるのだ。だから、ウス王に代わって、ヒムカが政務の手ほどきをしてくれた。
ヒムカが、ヤマァタイ国に留まっているので、ハイムル(吠武琉)と、ニヌファ(丹濡花)も、まだ、ヤマァタイ国に留まっている。もちろん、シュマリ(狐)女将と、モユク(狸)爺さんも一緒だ。
ラクシュミーさんと、アルジュナ少年は、ジンハン国に渡れないので、『禅譲の儀』の翌日、ラビア姉様と、キ(鬼)国に旅立った。春までキ(鬼)国で過ごして、ジンハン(辰韓)国に渡り帰国の旅に着く予定だ。だから、まだ再開する機会はあるかも知れない。
私は、まだ一度もアルに論戦で勝っていない。アルが帰国する前までには “一度位、論戦に勝ちたいものだ”と、香美妻と作戦を練っているところだ。
夏羽と、夏希義母ぁ様も、宴に駆けつけてくれたが、挨拶程度以上の言葉は交わせていない。夏羽は、何故だか胸を張って「ピミファ女王は、オイの大事な妹やけん。よろしゅう頼むバ~イ」と、皆に挨拶して回っていたようだ。たまに、ヤマァタイ国に対して不穏な発言を漏らす代表がいると「ピミファ女王に、もし何かあったら、オイと、コウ(項)家軍属は総力で、そいつらを叩きつぶしに行くけんねっ」と、凄んで見せたりもしていたようだ。本当に夏羽は、困った兄貴だ。
玉輝叔母さんとは、顔を合わせることも出来なかった。それから、ジンハン国に行ったユリ(儒理)や、イタケル(巨健)伯父さんに、スサト(須佐人)、そして、加太や、ミヨン(美英)に、シカ(志賀)も、私が女王になったことさえ知らないはずだ。
メラ(米良)爺は何で現れないのだろう。女王になった私に遠慮しているのかしら? メラ爺は山の民の頭領じゃないの。遠慮しないで会いに来てよ。私、窮屈で死にそうよ。
そして、ヒムカもいよいよ帰国することになった。私は、寂しくて仕方ないが、これ以上無理は言えない。ヒムカの帰国に合わせて、ハイムルと、ニヌファに、シュマリ女将と、モユク爺さんも帰国することになった。
そうそう、ヒムカに付き添わせていたコウ(項)家二十四人衆の四人も、ヒムカと一緒に私の許に帰って来ていた。コウ(項)家二十四人衆は、そのまま夏希義母ぁ様が、私の護衛隊として私の傍に置いている。そして、ヤマァタイ国軍の長(おさ)である狭山大将軍も近衛兵として、コウ(項)家二十四人衆を公認してくれている。そればかりか、剣の項荘に、徒手の項佗と、槍の項冠は、狭山大将軍から是非ともにと願われ、ヤマァタイ国軍の武道教官の役も担い始めた。

コウ(項)家二十四人衆の四人が戻って来たので、シュマリ(狐)女将の手下の川筋四人衆も女将に返すことにした。だから今夜、コウ(項)家二十四人衆と、川筋四人衆は、別れの大宴会を開くらしい。私も、ちょっぴり覗いてみたい気もするが、あの踊り連に加わるのはこりごりである。
私は、それから、川筋四人衆がいかに優秀かをヒムカにしっかり伝えておいた。だから、川筋四人衆は、きっとヒムカの護衛隊になるだろう。もちろん、女将は喜んで送り出すだろう。女将は、私が思っていたよりずいぶん若かった。ヒムカの話では、スロ船長や、夏希義母様より三つ程年上のようだ。だから、私のお祖母様よりは、五つも若いのだ。女将は、十八で娘を産んだそうだ。そして、その娘の父親は、モユク爺さんでは無いらしい。女将の最初の夫の子だ。でも、その子とは、娘がまだ三つの時に別れたらしい。だから、女将は、女の子があまり好きではないのだ。そして、その反動からか、男の子は大好きなのだ。そういえば、ニヌファを見る時の女将は、どことなく寂しそうに見える。
シュマリ女将は、若い時、私と同じ海女だったそうだ。そして若い頃は、イズモ(稜威母)の海でも潜っていたことがあるそうだ。でも女将は、「イズモ(稜威母)の海は、優しさと厳しさが背中合わせなのさねぇ」と、ヒムカに洩らしたことがあるらしい。

ハイムルと、ニヌファは、帰国するというのにあまり嬉しそうではない。特にニヌファは、ふさぎこんだ様子だ。モユク爺さんは、心配でいても立ってもいられないようだ。そこで、ヒムカが、ニヌファに何故ふさぎこんでいるのか尋ねてみた。
すると、ニヌファは、私の許に居たいのだと言ったそうである。私も、ニヌファが妹の様に可愛かったし、離れたくなかったが、天海親方と、妻のカナ(花南)お祖母様が、手放そうとはしないだろう。
ハイムルと、ニヌファの母様のチヌー(知奴烏)叔母さんは、私の母ぁ様の無二の親友だった。だから、私とニヌファも、血脈を超えた縁で繋がっているのかも知れない。
この話を聞いて香美妻は大喜びした。きっと、気丈な香美妻でも、那加妻と、志茂妻の二人の妹を手放して心もとなかったのだろう。
そして、ヒムカが「分かったわ。ニヌファは、しばらくピミファの傍で勉強なさい。天海親方と、花南お祖母様には、私がそうさせたと話をしておくわ」と言った。ニヌファの顔が明るくなったのは勿論だったが、香美妻が「やったぁ~」と、大喜びしたのには私も呆れた。そして「ニヌファは、今日から私の部屋で暮らしなさい。いいわね」と、念を押した。まぁ「ヤマァタイ国の巫女頭の許で暮らしている」と、天海親方と、カナ(花南)お祖母(ばぁ)様に伝われば、勉強しているという信憑性は、更に高まるだろう。
次にヒムカは、ハイムルに、どうして元気が無いか尋ねた。
すると驚いたことにハイムルは、この旅の間、コウ(項)家二十四人衆に武術の稽古をつけてもらっていたのだ。ハイムルは、私と同じ歳だからもう十三歳である。もう大人の男の仲間入りをする歳だ。
私は、スサト(須佐人)を見慣れているせいかも知れない。だから、同じ十三歳の男の子としては、ハイムルには、その気概の半分も感じられないのだ。
きっと、天海一族の坊ちゃんで、その上シュマリ女将に甘やかされて育ったからこうなったのだろうと思っていた。
でも、坊ちゃま育ちなので、人当たりは、とても優しい。だから、ある日、コウ(項)家二十四人衆の一人と仲良くなり、遊び半分で、武術の稽古をつけてもらったそうだ。それが以外と楽しかったらしい。
更に、愛する乳母のシュマリ女将と、徒手の項佗の練習試合を見て、すっかり武術の魅力に取りつかれたようである。
でも、よく考えればおかしなことでは無い。ハイムルのお祖父さんは、あの拳聖と呼ばれた天海親方である。父親のハリユン(晴熊)若頭も、ホオミ大将の右腕を務める程の剣士なのである。その二人の血を引いたハイムルに、武術の才が無い筈はなかった。
そこで、私は徒手の項佗を呼んで尋ねてみた。項佗は「ハイムルには、拳聖の気風が有ります。まじめに修行を積めば、四~五年で私も苦戦するようになるでしょう」と、教えてくれた。やはりハイムルは、天海親方の孫である。そして、コウ(項)家二十四人衆に加わりたいのだという。ヒムカは、ハイムルの願いも叶えてあげたいようだったが、これには私が反対した。
そして、がっかりして落ち込むハイムルに、こう言った。「確かに、コウ(項)家二十四人衆は、倭国一の武術集団よ。でも、武術ならハイムルには、シュマリ女将がいるでしょう。今日から女将を、乳母だとは思わずに、徒手の師匠だと思いなさい。それから、あなたが、これからの天海一族を率いる責務を自覚しなさい」すると、ハイムルは力なく「はい、ピミファ女王様。そうします」と言って更にしょげた。
私は、そんなハイムルの様子を無視して「それに、これからハイムルに必要なのは商学でしょう」と言った。ハイムルは、益々力なく「分かっています。ピミファ女王様」と言った。それから「商学と武術の両方を勉強するなら、ヤマァタイ国よりもっとふさわしい国を私は知っているわ」と、私が言うと、ハイムルの目が大きく見開かれ、ぱっと明るい表情になった。
そして「もう分かったようだけど、その国には、私とヒムカの姉様がいるの。だから、私達ふたりが頼み込めば、今は頼りないハイムルをしっかり鍛え上げてくれる筈よ」と、いうとハイムルは立膝になり国軍の兵士のように「はい、ピミファ女王のご命令従います」と声を高めて答えた。
ヒムカが笑って「じゃぁハイムルも私の船に乗って」と、ハイムルに伝えた。ハイムルは大声で「はい、ヒムカ様。キ(鬼)国までの乗船お許しください。よろしくお願いします」と答えた。
私は女将に向きなおり「聞いての通りです。シュマリ(狐)さんも心を鬼に切り替えるのですよ。キ(鬼)国には、サラクマ(沙羅隈)親方の手下の強者がたくさんいますから、ハイムルの武術の練習相手にはこと欠かないでしょう。それにラビア姉様が厳しく商学を叩き込んでくれる筈です。だから、ハイムルが文武両道の頭領に育つかは、シュマリさんの育て方にかかっていますよ。よろしいですか?」と、いうと女将は顔をあげた。そして、きっと引き締まったキツネ目には涙と決意が光っていた。それから「女王様ありがとうございました」と、頭を下げてくれた。
残るはモユク(狸)爺さんである。モユク爺さんは、事態の複雑化にほとんど為す術を亡くしているようである。「家業の商売も気がかりである」「夫婦が離れ離れになるのも辛い」「でもニヌファ(丹濡花)と別れるのはもっと辛い」「身体が三つに分かれてくれれば良いものを。困ったなぁ。どうしようかなぁ。こりゃ難儀な話やなぁ」と弱り切っている。
すると、香美妻がモユク爺さんに「ヤマァタイ国に留まっても、もうニヌファには会えませんよ」と、言い放った。
モユク爺さんは、まん丸の狸目になり、ぽかんとしている。だから、香美妻が「ニヌファは、今日から私の許で、巫女の修行に入ります。巫女は皆、日巫女様の祭場である巫依覩(みいと)で寝起きをします。そして巫依覩には男性は入れません。だから、モユク爺さんはニヌファに会いたくても会えません」と駄目押しをした。
モユク爺さんは、あまりに驚く話を聞かされて、ほとんど死んだ振りに入りそうである。そこで、シュマリ女将が「あんた。ニヌファに合うには、本物の狸になるしかないようだね」と、言ったものだから私達は大笑いしてしまった。

ウミスズメ(海雀)が、黒い羽を広げ、北の空を望む。青灰色に曇った空は、雪吹雪を伴って冷たい。そこは謀略の渦巻く国だろうか。白い胸毛が暖流に濡れ朝日を輝かす。渡り鳥の故郷はどこだろう。私は北の国に帰るのだろうか。それとも南が私の帰る故郷だろうか。翌朝、ヒムカの迎えの船が狗奴国から筑紫海に現れた。
海鳥の世界に浮かんだ天駆ける磐船は、黒い大型船である。ヒムカの為にホオリ(山幸)王が差し向けた。その大きさは、私の軍船にも劣らない。私は、香美妻を急かせて港に駆け付けた。

港には、大勢の見物客が集まっている。天乃磐船の甲板に、懐かしいホオミ(火尾蛇)大将の顔が見えた。そして、小舟で大将が、上陸してきた。大将は、上陸すると私に跪き「女王様お元気そうで何よりです」と挨拶してくれた。私は、大将の首に抱きつき懐かしい匂いで胸をいっぱいにしたかったが、皆が見ているので、ぐっと我慢した。
それから「ヒムカ様はどちらに?」と、大将が聞いてきた。「ヒムカは、まだ旅支度に手間取っているのです。もうしばらくお待ちください」と、私は伝えたが、半分うわの空だったようだ。大将は、私が天乃磐船をじろじろと見ているものだから「女王様、是非我が船をご覧になって頂きませんか」と、声を掛けてくれた。私は、嬉しさのあまり、今にも天乃磐船に飛び移りそうに成った。
そして一息入れ「オマロ(表麻呂)!! オマロはいませんか?」と辺りを見渡した。こんな立派な船が入ってきたのに、オマロが居ない筈はないと思ったのだ。すると、人垣を掻き分けて「はい、女王様。ここに居ります」と、オマロ船長が現れた。
大将は、船長に駆け寄り、抱き合うと再会を喜び合った。そして私は「ホオミ大将。オマロを伴って乗船しても構いませんか」と、尋ねた。大将は「もちろんですとも。私はこの船を、是非、船長に見せたかったのです」と言ってくれた。だから、私は香美妻と、船長を伴って、ヒムカの天乃磐船に乗り込んだ。
私は、船長に、質問を投げかけながら船内を隈なく探索した。その間、香美妻は、そっと、大将に、那加妻の様子を尋ねたようだ。那加妻は、とても元気にしておりトウマァ(投海)国の民からも慕われているようだ。「那加妻、きっと幸せになるのよ」と、私は心の中で祈った。
私と、船長が甲板に戻ると、大将と、香美妻が、お茶を入れて待っていた。「もう、充分ご覧になっていただけましたか?」と、大将が、微笑み訊ねた。私は、頭の中の疑問符を、全部大将にぶつけようとしたが、先に船長が口火を切った。
「大将、これはダウ船ですね」「やはり船長には一目瞭然ですなあぁ」「どうやってダウ船を造ったのですか?」と船長が聞くと、私の疑問符は「ダウ船って何?」と、またひとつ増えてしまった。
その様子に船長が気づいて「ダウ船とは、天竺あたりの商人が使う船です。ラクシュミーさんがいたら、さぞ懐かしんだことでしょう」と説明してくれた。すると「流石に、先代のミルカシヒメ(美留橿媛)が、沫裸党の優秀な海人を、西域まで留学させたという噂は聞いていたが、やはりオマロ船長がそうだったようですなぁ」と言った。
私は「ダウ船って何?」の疑問符が消えた以上に「オマロって何者?」という新たな疑問符を増やしてしまった。しかし、今は、それをさておこう。
私は、心当たりを少し浮かべ「ダウ船って、私達のチュヨン(鄭朱燕)船と、どう違うの?」と、船長に聞いてみた。近頃、私は軍船と呼ばずに「チュヨン船」と呼ぶようにしている。だって私が「私の軍船が」と言えば他国の人が怯えてしまうかも知れない。なにしろ、倭国にはこれまでこれだけの大型軍船は、「チュヨン船」しかなかったからである。だから、「私の軍船が……」と言えば、まるで私が威嚇しているように聞こえてしまうかも知れないからだ。
オマロ船長は「チュヨン船は、木材を竜骨という云わば建物の心柱のような物に組み合わせて造りました。だから、丈夫で大きな船が造れたのです。ヤマァタイ国で多く使われている川船には、竜骨という心柱が有りません。だから、底が平らに造れて浅瀬でも航行できます。この川船を蜂の巣のように、何個も繋げばある程度大きな船も造れます。だから、筑紫海に大型船を浮かべるなら、この方法が良いかも知れません。これなら干潟が多い筑紫海(つくしのうみ)でも不安が少ないでしょう。
しかし、チュヨン船位に大きくするには、竜骨という心柱が必要です。その分浅瀬での航行は難儀に成ります。いずれにしても、船板を組むなり船釘で止めるなりして造る構造船というものです。特にチュヨン船は、川船を五~六十艙組み上げたような造りですから多少の浸水があっても沈みません。でも、その分重いし建造期間も掛かります」へぇ~っオマロは、ウネ(雨音)にも負けない学者肌だったんだと、私は驚いた。
「ダウ船は、まったく違う造りの船です」と、船長は続けた。その話に天乃磐船の乗組員も、皆耳をそばだてて聞いている。実は、天乃磐船の乗組員の主だったものは、船長に、大型船の操船の手ほどきを受けた者達である。私達が狗奴国に留まっていた間に、私は、大将に頼まれて束の間、オマロ船員学校を開講させていたのだ。
それに、嵐のカゴンマ(火神島)の海と、外洋を乗り切って美々津まで、航海して来たのだから、狗奴国の水軍もずいぶん鍛えられたであろう。だから、彼らにとって、船長は先生なのだ。そして、大将は、狗奴国の中でも、優れた者しか選んでいないので、生徒も優秀で勉強熱心なのである。
「ダウ船は、各船板に穴をあけて、丈夫な紐で船板どうしを縫い合せるのです。だから、家を建てるのと、衣服を縫い合せて作る程の違いがあります。もちろん、縫い合せた船板は、船体の骨格に打ち付けますから、強度は十分です。そして、縫い目をしっかり油脂などで塞いでいれば、浸水の心配も有りません。実際に使われているのは瀝青(れきせい)と言われる物のようです。私は実物を見てはいませんが、天竺の船大工の話では、粘土のような油だそうです。だから、乾くと粘土のように丈夫に固まるそうです。
縫い合せた船なので、ダウ船はとても柔軟で船足も出るようです。
それに、建造期間もチュヨン(鄭朱燕)船に比べると短いようです。
天竺を境に東の海では、チュヨン(鄭朱燕)船が多く使われ、西の海ではダウ船が活躍しているそうです。加太様ならもっと詳しく知っているのでしょうが、私が天竺で学んだのはこれ位です」と、講義を締めくくった。


私は、「この大型船は、天海親方が買ったのですか?」と、ホオミ大将に訪ねた。
大将は「流石に、日巫女様ですな。お察しが早い」と答えてくれた。
「ついでにもうひとつ。売り手はラクシュミーさんですか?」と聞いてみた。
「ご明察です」と、大将は苦笑いしながら答えてくれた。
「じゃぁ、私が大型軍船を手にした。と、メラ爺がいち早く知らせたのですね」と、私は聞いた。
皆は何の話? と訝しがったが、大将は「その推察は半分当たりで、半分外れです」と答えた。周りの皆はますます???……となった。
すると、香美妻が「こんな推測はいかがでしょう」と言い出した。
皆は一斉に香美妻を見た。「琴海様が、日巫女様に軍船を、いえ、今はチュヨン船を、家代わりにお貸し頂いたのは、四ケ月と十日ほど前のことだと伺いました。そんな短い期間では、天竺に注文して、狗奴国に持って来るのは不可能でしょう。少なくとも、一年以上は必要だと思います。だとすると、ヒムカ様が狗奴国にお戻りになった時から、天海様は動かれたのではないでしょうか?」
そう香美妻がいうと「いやぁ参った。くれぐれも御二人を敵に回して戦はしたくないものですなぁ。これでは、ワシに勝ち目はない。後は私からお話ししましょう」と、ホオミ大将が、詳細な話を聞かせてくれた。
「香美妻様の推察通り、我々は、ヒムカ様を、この手にした時から、ヒムカ様の行く末を思案しました。そして、ワシと、天海親方が一番願ったのは、ヒムカ様が、我々南洋の民の柱になってくれることでした。
その試案の最中に、ホオリ王が『ヒムカは、これ以上争いに巻き込みたくないものだ。嗚呼、オシホ(忍穂)爺様が戦から逃げて来た時の空飛ぶ磐船があればなぁ。いつでもヒムカは、無事で自由に暮らしていけるのに』と、ため息をつかれたのが事の始まりです。
その王の意向を受けて、天海親方は、どんな海にでも乗り出すことが出来る大型船を、探し始めたのです。

はじめは、チュヨン船のような大型軍船を手に入れるつもりでした。しかし、なかなか売り手は見つかりません。そうこうしている内に、メラ頭領から、チュヨン船の情報が届きました。実はそれまで倭国に、そんな大きな軍船があることを知らなかったのです。しかも、その軍船を、日巫女様が手にしたと聞きました。 その時点では、私達は、日巫女様を危険視していました。どうやら、倭国統一同盟の強硬派が日巫女様を担ぎ、再びワシ等に戦いを仕掛けてくるという噂があったからです。ですから、私も、天海親方も慌てましてのう。そこで、運よくラクシュミー様と出会ったのです。
ここまで話せば、もうお分かりでしょうが、この天乃磐船は、ラクシュミー様が乗って来られたダウ船ですのじゃ。ラクシュミー様の帰りの船を奪うような無理難題をお願いするのですから、天海親方は、船代相当に以上にお支払いすると言いました。
しかし、帰り船ですからなぁ。ラクシュミー様がうんと言えないのも分かります。そこで、ホオリ王は、ラクシュミー様が欲しがっていた農学の全てを、包み隠さず提供すると申し出たのです。
ラクシュミー様は、天竺の南の国の王妃様なのです。その国は、貧しく、隣国に攻め滅ばされたそうです。でも、王や民は、各地に逃れ再起の機会を窺っているそうです。ですから、ラクシュミー様は、国を再建する資金と、貧しさを克服する農業の知識が欲しかったのです。
資金は商売上手なラクシュミー様ですから、どうにか目処がついたようです。しかし、国策にかかわる農学は、おいそれと簡単には手にすることは出来ません。だから、ホオリ王の提案は、ラクシュミー様が、一番欲しかったモノでした。
さぁ全て白状しましたぞ。日巫女様、香美妻様これでおゆるし頂けますか?」と、頭を掻いて苦笑の笑みを浮かべた。
すると、船長が「私もこの話に嘘は無いと思います。戦船にするならチュヨン船には敵いませんから、この船は間違いなくヒムカ様が、海(あま)を駆ける為の船です」と言った。
私は、ヒムカの幸せが嬉しかった。だから「ホオミ様、ひとつだけ訂正し心に留めておいてください。もし、私の国で、ヒムカの国を攻めようという者が出てきたら、私は、その者を許しません。更に、それが私に止められないほどの勢いになったら、私は国を捨てヒムカの許にまいります。その時はよろしくお願いします」と、頭を下げた。すると傍らで香美妻も「私もよろしくお願いします」と、頭を下げた。
ホオミ大将は、豪快に笑いだし「もし、そんな事態になれば、ワシが全軍を率いて日巫女様の許に駆けつけます。どうぞご安心ください」と言ってくれた。
そうしているうちに、ヒムカの一行が、帰国の準備を整えて港にやってきた。
ヒムカは、私達の様子を見止めると「どうしたの?ピミファもホオミ叔父様も」と聞いてきた。
だから私は「ううん。何でも無いよ。素敵な天乃磐船だって話していたところよ。もし、チュヨン船が琴海さんからの預かり物じゃなければ、交換したい位だわ」と答えた。ヒムカも始めてみる自分の船に満足げな様子だった。
私は、別れが辛くならないように「じゃぁ。今度は、ハイムルが一人前の男に育った頃に、狗奴国まで私が送り届に行くわ。その時までさよならね」と、ヒムカを抱きしめて別れを確認した。
ニヌファも、モユク爺さんとの別れが寂しくなってきた様子だ。モユク爺の方は、もう生気が無く死んだ振り状態も既に演技ではない。それから、シュマリ女将に引きずられるようにヒムカの海(あま)駆ける磐船に乗り込んだ。

~ 策略と政治 ~

群青色の海原が荒立っている。春風は凶暴さをむき出しにし草木をなぎ倒していく。伊都国の北風は容赦がない。船は入り江に身を潜め異人達も日永をもてあそんでいる。冬が終わり、百姓達は夜明けとともに野良仕事に精を出す。しかし、航海に出られない旅人には、ただただ、永い退屈な一日である。男どもは、酒を友とし、女は色鮮やかな編み物で時間を繋ぐ。梅を愛でる季節も過ぎ、土筆採りも終わった。初春の磯遊びは、とても楽しいが、この波しぶきでは近づけない。だから、伊都国は退屈に覆われている。

「クマ族が、村を襲い、母ぁ様を殺した。」と、いう偽りの情報を流したのはウス王だった。そして、そのことを考え出したのは帛女王だった。
更にその策には、お祖母(ばぁ)様も同意されていた。そのことを私は、太布様から聞いた。私は、狗奴国で、ホオリ王の話を聞いた時にそう察していた。そして、本当の仇も察しがついた。でも、私は、直接ウス王に確かめたかった。
だから、春に成り、脊振の雪が解けたのを待って、伊都国に出向いた。海は荒れているので山越えの道である。サンダルは軽く私の足は鬼神ように勇ましい。
そして、お伴は、香美妻と、ニヌファの二人に、コウ(項)家二十四人衆だけである。
私は、山歩きがしたかったので、輿は二つだけ座布団敷きに拵(こしら)えさせてある。
それから、ニヌファにも、ソソギダケ(層々岐)岳からの眺めを楽しませてやりたがったのだ。だから、天空の道を選んだ。
途中一泊は、あのクマ族の村に泊めてもらった。私は、シシ肉の燻製と、野の花のお礼に、米を四俵準備した。そして、残り四つの輿に乗せコウ(項)家二十四人衆に担がせた。
香美妻も、ニヌファも、米俵よりずいぶん軽いが、香美妻と、ニヌファに、四俵の米で、ちょうど輿六つ分だ。

コウ(項)家二十四人衆は、私の近衛隊と成り、隊員は百八人に膨れ上がっていた。二十四人衆は出世し、項荘、項佗、項冠の三人以外は、国軍の伍長に成った。

伍長は、五人部隊の長なので百五人の大部隊となり、三人を加えて百八人である。

私の近衛隊は、正規の国軍である。だから、給金も夏希義母ぁ様では無く、狭山大将軍から出るように成った。
しかし、今回の旅には、二十四人衆だけ伴うことにした。行先は伊都国である。だから、争い事が起きる心配は無い。むしろ、戦と無縁の伊都国に、百八名もの軍隊を引き連れていくのは無粋である。だから、私の近衛隊八十四名は、各自訓練に勤しんでいる。
二十一人衆は、国軍の隊士となったが、項荘、項佗、項冠の三人は客将である。狭山大将軍は、この三人を最も欲しがっていたが、夏希義母ぁ様が手放さなかったのだ。
三人は将来シマァ(斯海)国の屋台骨を支える柱になる男達である。

もし長老達のいずれかが亡くなれば、その後任は、項荘、項佗、項冠が順次担うのである。

そう改めて気付かされ、そろそろ三人と別れる心の準備をしておかないといけないと、心を決めた。だから、これが項荘、項佗、項冠の三兄との、楽しい旅の思い出に成りそうである。私は切ない心を抑え、皮のサンダルのベルトを引き締めた。

米四俵のお礼に村長は、腰を抜かさんばかりに驚いた。この山里では、一反の田からやっと収穫できる量である。だから、翌朝、村長は村中のシシ肉の燻製をかき集めて、再び私に持たせてくれた。どうやら猪四頭分は有りそうである。
美食家でなくても、シシ肉の燻製に唸り声を上げない者はいないだろう。山からの贈り物としては最高の幸である。そして、この山苞(やまづと)の量なら半分をリーシャンに届け海の幸と娶わせようと思った。

更に私は、この喜びを表すために、この山越えの道を、「これからは山苞の道と呼ぶことに決めた」と皆に伝えた。香美妻が「日巫女様は、本当に何にでも名前を付けるのがお好きですね」と呆れ笑っている。ニヌファが「山里のお土産が、たくさんに成ったら、私が輿を降りて歩きましょう」と微笑んだ。
ソソギダケ(層々岐)岳への天空の道は、皆が喜んでくれた。私と、香美妻以外は、皆初めての景色である。その香美妻も、先回は薪みたいに背負われて、後ろ向きに登ってきたので、違う景色に見えるようだ。だから、香美妻が、一番はしゃいでいる。

伊都国に着くと、真っ先にリーシャンの店に寄り、シシ肉の燻製を渡した。
リーシャンは、オイオイと男泣きして驚くべきことを言い出した。なんとこの店を閉めるらしいのだ。「こんな繁盛している店を、どうして閉めるの」と聞いたら、「日巫女様とテル師匠が、ヤマァタイ(八海森)国に居るのに、何でワシだけ伊都国におれますかいな。ワシャ明日にでも、引っ越すつもりでしたわいな」と言うのである。
リーシャンが、来るのは、嬉しいけど、何の当ても無しに、引っ越してくる積りのようなのだ。だから、私は、「もうしばらくしたら、アチャ爺と、テルお婆も、伊都国に来るのでそれまで待ちなさい」と諭した。そして、「スサト(須佐人)達が、ジンハン国から戻って来たら、ヤマァタイ国へ帰るチュヨン(鄭朱燕)船に乗せるから」と約束した。
リーシャンは、大粒の涙を流しながら「ほんなら、それまで、貰うたこのシシ肉で、日巫女様と、テル師匠の為に東海一の料理を作っときますわい」と言ってくれた。そして、リーシャンの店を後にすると、私は、伊都国の都三雲の館の門をくぐった。

私は、晩餐会の前に「ウス(臼)王と、少人数で話がしたい」と申し込んだ。だから、ククウォル(朴菊月)王妃と、香美妻と、ニヌファを加えた五人だけの話し合いに成った。
私は単刀直入に切り出した。「クマ族が村を襲い、母ぁ様を殺した。と云う偽りの情報を流したのは、ウス王ですね。そして、そのことを考え出したのは帛女王だと聞きました。私のお祖母様が同意されていたことも含めて、全てを太布様に教えていただきました。でもそこまでは、私も察し始めていました」そう私が言うと、王は「私もすでにピミファ女王ならお察しだろうと思っていました」と答えられた。
「私の村を襲い、母を殺したのは、私と姉様の身内ですね」と私がいうと王は「そこまで、お察しでしたか。ではその先に何が聞きたいのですか?」と逆に聞かれた。
「私の母、先の日巫女様を、ジンハン(辰韓)国と、ピョンハン(弁韓)国の者が殺めたと知れれば、倭国内では、ジンハン国と、ピョンハン国への報復が過熱し戦が避けられなくなる。だから、倭国自由連合のクマ族に罪を着せて、倭国内での対立へと、怒りの矛先を向けた策だと云うことまでは、私も分かってきました。それが、政治と云うものだろうとも学びました。でも、何故、母が殺されたのかが、合点がいかないのです。母を殺して、どんな得が、両国にあるのでしょうか? 私の父と、姉様の父様の戦は、もう終わった筈です。なのにどんな理由があったのでしょうか?」私は、だんだん感情が抑えられなくなってきた。香美妻が私の手をしっかり握ってくれた。
「王様、私がお話ししてもよろしいでしょうか?」と、王妃が言われた。王は「この話は、菊月が語るのが良いのかもしれんの」と静かに頷かれた。
王妃は、私の目を見つめると「私達の身内の誰かが、先の日巫女様を殺めたのは手違いだったのです。その者が殺めたかったのは、儒理(ゆり)王子です。」私は、その言葉に息を詰まらせそうになった。ニヌファが私の膝を抑えた。私は怒り震えた。“ 何故幼い儒理を!! ”私は、今にも呪いの言葉を吐きそうになった。
王妃は、私をなだめるように「それが、王家に生まれた者の定めです。王室には魔物が住んでいます。私の父を殺めたのも、アダラ(阿達羅)王ではなく、その魔物なのです。その魔物がいなければ、何でアダラ王が、実の兄のように慕っていた私の父を殺めるものですか」と、涙声で言われた。そして「アダラ王は、六年前に新しい王妃を迎えられました。日巫女様の母ぁ様が殺められたのは、その直後です。王妃は、私の父の姪にあたります。ここまで話せば賢明な日巫女様にはもうお分かりでしょう。王権を巡る争いは、まだ終わっていないのです。王家の争いは、魔物と魔物との争いです。だから、私の父が血を流して息絶えても、争いは静まらないのです」と、話終わられると、姉様は私を抱き寄せた。まるで私達の血の中の魔物から互いを庇い合うように。
夏羽は幸せ者である。魔物に知られていないのだ。もし、夏羽のことが知れれば、儒理より先に殺されるのは、夏羽の方だ。
夏希義母ぁ様は、そのことを知っていたのかも知れない。だから、父様の許に戻らず、夏羽の存在も、知らせなかったのだろう。流石に、ピョンハン(弁韓)国のヒルス(金蛭子)王が愛で育てた姪である。それも知らずに夏羽はのんきに……でも私はこの時、急に夏羽が愛おしくなって涙が溢れてきた。

私が伊都国に来た目的は、もうひとつあった。もうすぐ、儒理を送り届けた加太一行が、ジンハン船で、伊都国の港に帰国する筈である。そして、スロ(首露)船長は、その帰り舟で、私をジンハン国に連れて行くつもりである。皆、まだ私が、ヤマァタイ国の女王になったことを知らないのだ。だから、帰国した一行を、ヤマァタイ国に連れ帰り、スロ船長には、私がジンハン国へは行けなくなったことを、伝えないと行けない。
そして、私の到着より三日遅れで、アチャ爺と、テルお婆も、チュヨン(鄭朱燕)船で、伊都国に到着する予定だ。
そこで、今日は、ククウォル(朴菊月)姉様と、以前約束して行けなかった伊奴国のチリン(知林)島に行くことになった。
伊奴国と、その先の伊美国は、伊都国の兄弟国だ。この三国は、私のご先祖様でもあるイサミ(伊佐美)王のイド(委奴)国から、三人の息子達が分かれた国である。そして、今でも結束が強い。伊都国が、政都であるならば、伊奴国は、軍事と農業の大国だ。
伊美国は、商工業と、輸出産業の大国である。
面白いことに、伊奴国の春日丘陵にも、伊美国の商人や、職人が大勢暮していて、伊奴国の財貨を稼いでいるそうだ。そして、伊美国の商人や、職人が、他国で商売をする時は、伊奴国軍が、護衛の任に当たるらしい。伊都国に、戦場の影が無いのも、強力な伊奴国軍が守っているからなのである。もし、鯨海から伊都国を攻めようとする国があれば、伊奴国軍がこれを討ち。東海から伊都国を攻めようとする国があれば、末羅国の沫裸六党が全水軍でこれを討つのだ。だから、伊都国に攻め上がれる軍は無い。その為、防塁も、柵も、三雲の館には無いのである。

私達の一行は、道々で大変な歓迎を受けた。ククウォル姉様は、王妃なので日頃から慣れており、二十四人衆の輿の上から、始終笑みを浮かべて、歓迎の民に手を振っている。しかし、私の笑顔は、既に引きつっている。香美妻も、お姫様なので、姉様と同じように、馴れたものである。ニヌファは、幼い笑顔で自然態である。
私は、サンダルの紐を締め、自分の足で歩きたかったのだが、香美妻から止められた。輿が在るのに女王が歩くのはおかしいというのだ。だから、私は米俵を降ろした輿の上に、しかたなく座っている。
あとの二つの輿に米俵の代わりに座っているのは、王妃のお付きの女官だ。名前は知らない。いや、聞いた気もするが覚えていないのだ。何しろ私は、ちょっと前までは、人より、アワビや、エビや、イサナ(鯨)の方が多い田舎で暮らしていた海女なのだもの、いきなり、大勢の人に目合わせされても、覚えられるものではない。
女官どころか、伊美国や、伊奴国の王様の顔さえ浮かばない。禅譲の儀の後で、おふたりからも挨拶を受けた?……筈である。そして、ウス王は、倭国の族長達を、全て紹介された?……筈だ。だけど、一人も覚えていない。
でも、香美妻がいるから大丈夫だ。香美妻は、すべてを頭の中にしまっている。やっぱり帛女王の血筋である。
香美妻の頭の中には、無数の引き出しがあるのだ。私の頭の中の引き出しに入っているのは、イイダコに、灰汁巻きに、手長エビに、傘貝に、ウツボに、イサナ(鯨)に、アワビに、磯の小石だけである。もし、香美妻が、いてくれなければ女王なんか勤まらない。
私の笑顔は、もう潮風に干されたスルメのように固まってしまっている。そんな様子で夕刻には、海の中道の手前の村に到着した。海の道が顔を出すのは、明日の朝らしい。だから、今夜は、この村で一夜を過ごすのである。
村の周りでは、伊奴国の兵が掲げる松明の灯りが、ゆらゆらと揺れている。この海の先の島は、志賀島というそうだ。そして知林島より随分大きな島だ。いくつもの村があり、そこには私の村と同じように、大勢の海女も暮らしているそうである。そして、この島は、姉様の生まれ故郷らしい。この夜、私は、姉様の生い立ちとその物語を聞いた。

《 ククウォル(朴菊月)姉様が語る『鯨海の嵐』 》

私達の父様が戦い傷つけあった話は、ウス王から聞いたわよね。今夜は、その周りで、同じように、傷つけ合い倒れていった人達の話を聞かせるね。ピミファにも、辛い話が沢山出てくるけど、それが、私達一族の姿なの。だから、女王になったピミファは、尚更この話を知っておく必要があるの。香美妻も、しっかり聞いておいてね。ニヌファは、辛くなったら耳を塞いでいいのよ。
話は、志賀島の話から始めるね。私の母様も、志賀の海女だったの。会った時から、ピミファのことが好きになったのも海女の匂いがしたからなのよ。
王様の話にあったように、私の父ネロ(朴奈老)は、ピミファの父様アダラ(阿達羅)を、王位に就けたいと思い、自ら身を引いたの。そして、妻子をジンハン国に置いたまま、倭国に隠棲したのよ。
それから、ウス王の父様、リョウ(秤)王は、末羅国のシカ(志賀)沫裸党族長タリミミ(多理耳)に、父様を隠すように頼んだのよ。
タリミミという名には聞き覚えがあるでしょう。美曽野女王の婿で、琴海様が泣きながら殺めた人よ。タリミミはね私の伯父でもあるの。
私の母の名は、愛加那と云うのだけど、愛加那は、生まれるとすぐに両親を海で亡くしたの。私のお祖父様と、お祖母様のことね。だから、愛加那より十五歳上のタリミミ族長が、母を男手ひとつで育てたのよ。
愛加那は、父様の顔も、母様の顔も知らない。そう儒理王子と一緒なの。私は、父の顔も、母の顔もぼんやりと覚えているから幸せだわ。ピミファには分かるでしょう。ぼんやりとでも父の顔と母の顔を覚えているのは幸せよね。
タリミミ伯父様は、父を志賀島に匿ったの。もし、機会が訪れれば、いつでもジンハン国に戻れるようにと考えてのことだったそうよ。伯父様の本拠地である値賀島 (チカノシマ)では、遠すぎるという判断だったようね。
値賀島は、愛加那の故郷でもあったけど、その頃、愛加那は、志賀島で暮らしていたの。志賀島は、シカ沫裸党の島でもあったのよ。伊美国や、伊奴国にとっても、この島に、沫裸党の水軍が住み着いているのは心強かったのね。沫裸水軍がいれば、他国も、おいそれと鯨海を渡って攻めてこられないからね。
愛加那は、普段は海女だけど、なかなかの戦士でもあったらしいわ。琴海さんと同じよ。沫裸党の女は強いの。だから、伯父様は、妹の愛加那に父ネロ(朴奈老)の面倒を頼んだの。この時、愛加那は、まだ十六歳だったけど、しっかり者だったらしいわ。今のヒムカ様と同じ歳ね。だから、ヒムカ様の聡明さと、琴海さんの女戦士の強さを併せ持った娘だったようだわ。そして、愛加那は、ネロ(朴奈老)に思いを寄せたの。
ネロは、ピミファの父様アダラ王や、私の義父にも負けない大男だったわ。でも、アダラ王や、義父に比べるとぽっちゃりとしたお腹だったわね。目玉が大きくて、しかも黒目がちだった。人懐っこい可愛い目なんだけど、その目玉でジロリと見られると、鯨海で一番の暴れ者だった義父でさえ、大人しく成ったらしいわ。おかしいでしょう。あのスロ(首露)王がしょげている姿なんて。
大きくて、良く通る声の持ち主で、いつも志賀の村の皆を楽しませていたわ。ジンハン国の大将だった素振りなど、微塵も見せなかったわ。それに、面倒みが良いから、島中の誰でもが慕っていたわ。
でも、アダラ王と一緒で、泳ぎは上手くなかったわね。馬に股がり剣をかざしたら勇ましかったのだろうけど、志賀島に、馬は居ないし、伊都国や、末羅国にも居ないわ。馬に股がりたければヤマァタイ国に行くしか無いでしょう。ヤマァタイなら牛や馬もカササギだっているからね。帛女王が、シャー(中華)から取り寄せなかったのは、虎や豹という怪獣位でしょうね。

その冬は、海も荒れて寒かったらしいの。ネロの仮屋は、北風が吹きぬけて行くような粗末なものだったから、厳しい冬を迎えることに成ったの。
タリミミ伯父様は、しっかりとした住まいを用意したのだけど、父は、漁具を納める小さな小屋を、自分の住み家に選んだの。まるで、罪人のような暮らしを望んだらしいわ。そして、衾(ふすま=寝具)は、筵を掛けただけの粗末なもの。少し前までは、絹に包まれた羽毛の衾だったのよ。そして、食事も贅沢なものには箸をつけなかった。着ている物も村の漁師と同じ物。そんな修行に耐えるかのような、父の暮らしぶりに、愛加那は、切なさが込み上げてきたの。
その冬の一番冷え込んだ夜、愛加那は、そっと父の粗末な衾に身を忍び込ませた。そして、秋に私が生まれたのよ。
次の年、父は、ジンハン国に呼び戻され、大将に復職し北方のウェイムォ(濊貊)族を打ちに行った。ウス王の話に有った通りにね。
愛加那は私を抱いて値賀島に戻り、私は、そこで六歳まで暮らしたの。
母は、志賀島で、父の帰りを待ちたかったけど、伯父様は許さなかったの。それは伯父様の親心よね。乳飲み児を抱えた十八の娘が一人で生きていくのは大変だものね。でも、おかげで私は、伯父の許で、何不自由なく育つことができた。琴海さんと同じように、私も伯父の、長い髭を引っ張って遊ぶのが大好きだったわ。
私が四歳になった年に、伯父様が三十六歳で、まだ十六だった美曽野さんの婿になったのよ。そして、既に二人は、オホミミ(於保耳)を授かっていたの。独身貴族を誇っていた伯父を落としたのは、美曽野さんの方よ。やっぱり沫裸党の女はすごいでしょう。
オホミミが生まれると、実の弟が出来たように嬉しくてね。いつも、私が子守したのよ。そして、六歳になった年に、父の反乱の噂が届いた。母は、私を抱いて直ぐに志賀島に戻ったわ。伯父様は、シカ沫裸党の半数の水軍を、愛加那に付けて送り出したの。
でも、私は、戦に破れた父が、志賀島に落ち延びて来てとても嬉しかったの。変でしょう。でも、今でもやっぱり嬉しいわ。「もう、父の顔も分からずに、二度と会えなくなるかも知れない」と諦めていたからね。分るでしょうピミファになら。私は、父様の姿や声や匂いまでも、しっかり思い出すことが出来るように成ったんだからね。
ネロ(朴奈老)が自害すると、愛加那は仇を打つかのように敵陣に切り込み、そして自ら打たれたの。でも、愛加那は、幸せだと思うの。愛する人と一緒に死ねたんだからね。
孤児になった七歳の私を、伯父様は、値賀島に連れ帰った。そして、八歳になった私を、チョンヨン(金青龍)義父様が迎えに来た。伯父は、愛する妹の忘れ形見を、手放す気はなかったようだわ。それに私は、とても母様似らしいの。幼い私を抱いていると「まるで幼かった愛加那を抱いているかと錯覚してしまう」と、伯父様は良く言っていた。
でも、義父様から、私には兄と姉がいて、今その二人は、自分の許に匿い育てていると言われたの。だから、やむなく、私を義父様に託したの。やっぱり、タリミミ(多理耳)伯父様は、私の幸せを考えてくれたのね。私の異母兄と姉は、義父の甥と姪だったの。
父のお后は、ダヘ(金多海)という方で、義父のお姉様だったの。ダヘ様は、「ネロ大将が自害した」という知らせを聞くと、自らも命を絶たれたらしいの。だから、私の異母兄と姉も孤児に成っていたのよ。
異母兄の名はヨンオ(朴延烏)と言ってもう十八歳だった。姉は、ギュリ(朴奎利)という名で十二歳だった。それにもう一人ナリェ(奈礼)という名の十四歳のお姉様がいた。ナリェ様は、先の王チマ(祇摩)の忘れ形見だった。チマ王は、私の父のお兄様なの。だから、私とナリェ様は従姉妹になるの。

チマ王が、不慮の死を迎えられた後、王妃も後を追うように亡くなっていたので、父が引き取り育てていたそうよ。だから、ナリェ姉様にしても、母替わりで可愛がってくれていたダヘ様の死は、とても辛かったようね。
ナリェ姉様は、とてもお美しい方で、聡明な顔をされていた。私は、いっぺんに、兄と二人の姉が出来てとても嬉しかったわ。私と、ギュリ姉さんは、義父の養女になった。でも、義父は、ヨンオ兄さんと、ナリェ姉様は、自分の養子にしなかったの。それは、ヨンオ兄さんには、いつかネロの朴家を再興させようと思っていた為らしいの。そして、ナリェ姉様には、もう一度ジンハン国の王宮に住んでもらいたいと考えていたの。
今、ナリェ姉様は、義父の思い通りにジンハン国の王宮にいるのよ。そして、今はピミファの義母様よ。そう、アダラ王の正妃なの。驚いたでしょう。これには、義父の二つの考えがあったのよ。
ひとつはね、チマ王の娘であるナリェ姉様を正妃にすれば、パク(朴)氏分家と、キム(金)氏と、ソク(昔)氏の三氏族は、刃向い辛くなるでしょう。そして、ナリェ姉様に、王子が生まれれば、朴氏分家と、金氏と、昔氏の一族には、また光明が差すからね。だから、義父としては、「これでアダラ兄貴の政権は安定する」と考えていたのね。
そして、もう一つは、ヨンオ兄さんの将来のことなの。ヨンオ兄さんは、朴氏本家の人達が、一番亡き者にして置きたい存在だからね。今は、アダラ王が目を光らせて、兄さんを亡き者にしようと企んでいる人達を抑えているけど、やっぱり、兄さんの将来への不安は消えない。だから、ナリェ姉様と一緒に、ジンハン国に帰したの。
えっ? どうして思うかもしれないけど、アダラ王と、ナリェ王妃の手許にいれば、かえって敵もおいそれとは、兄さんの命を狙えないわ。そして、戦い合ってきた長老達が、あの世に召されれば、ネロの朴家を再興させ易いと考えたのね。
でもね。義父は、その願いだけは叶えられなかったの。今、兄さんは、倭国の北方に逃れて暮らしているの。それはね。ピミファに新しい弟が生まれたからなの。
ナリェ姉様が、産んだ王子は、今、四歳になるのよ。その王子が産まれた時に一番喜んだのは、ピミファの妹ユナ(優奈)姫よ。王子が、ナリェ姉様の手を離れられるようになってからは、優奈姫が、王子を独占しているの。ピミファや、儒理王子に会えなかった寂しさの分だけ、その王子に、愛情を注いでいるみたいね。
でも、優奈姫とは全く違う思いで喜んだ人達もいる。それが、魔物達よ。
王子の存在は、ヨンオ兄さんの命も危うくしたの。今まで、兄さんを御旗に……と、思っていた人達も、もっと正当な御旗が出来たのだからね。だから、朴氏本家だけでなく、味方だったはずの朴氏分家と、金氏と、昔氏の一族の中にも、兄さんの存在を快く思わない魔物達が出て来たの。だから、義父は、兄さんを、倭国に逃がしたの。その北の地は、昔氏の源郷らしいわ。でも、その場所は私も知らないの。義父は、アダラ王はおろか、ウス王にさえその地を明かさないの。
アダラ王は、心の内で密かに、ネロ大将の遺児であるヨンオ兄さんを太子にしようと考えていたそうなの。だから、何度も、兄さんを探し呼び戻そうとするのだけど、未だに叶っていないらしいわ。
義父は「ネロの遺児三人は、何としても自分の手で守り育てる」と硬い決意でいるの。だから、ギュリ姉さんは、ミョンス(金明朱)叔父さんに嫁がせ、私はウス王に嫁がせたの。チョンヨン(金青龍)の娘で、金明朱と、ウス(臼)の妃を、亡き者にしようと思う勇気のある魔物はこの世にいませんからね。ピミファに話しておきたかったのはここまで。あなたには、今五人の兄妹がいるの。それは、あなたの将来の宝になるわ。何があっても強く生きてね。

そう言って私をやさしく包み込むと、ククウォル姉様は話を終えた。香美妻は、目頭を押さえていた。ニヌファも顔を伏せていた。私は、感情を整理できないでいた。やはり、私は戦場の巫女の再来なのだろうか? 私の生い立ちには。いつでも戦が付いて離れない。私は、姉様と手を握り合って、浅い眠りに就いた。

~ ジンハン(辰韓)国への思い ~

私の到着より三日遅れて、チュヨン(鄭朱燕)船が、伊都国の港に到着した。港に集まった人だかりの先頭で、大きな荷物を抱えて、手を振っているのはリーシャンだ。そして、アチャ爺と、テルお婆を乗せた艀舟(はしけ)が桟橋に着くと、入れ変わるように乗り込んだ。それから「師匠、ワシャ先に船に乗っているからなぁ」と手を振っている。
テルお婆は、その様子を怪訝そうな顔で見ていたが「リーシャンのことは、後で私が話してあげるから、さあさあ揚がって」と、手を引いて引き揚げた。
それから二人を、二十四人衆の輿に乗せると、三雲の館に向かう道すがらリーシャンのヤマァタイ国への移住の話をした。
アチャ爺は、輿の上で笑い転げていたが、テルお婆は「困った人だねぇ。でも、そうなら住む所と、新しい店を探さなくちゃいけないねぇ」と算段を始めた。
アチャ爺と、テルお婆が到着した翌日には、ジンハン船が入港した。でも、私が会いたかったスロ(首露)船長は乗ってなかった。そして、カブラ(加布羅)が、船長に就任していたのだ。流石に、他国の王がいつまでも船長を務めている訳にもいくまい。そんなことは分かってはいたが、やっぱり、スロ船長の顔を見られないのは寂しかった。近頃は、ピョンハン(弁韓)国の王としての仕事の方が忙しいようである。


カブラの娘のカフリ(加布里)は、私が贈った首飾りをとても喜んでくれたそうだ。倭国の群青色のガラス玉は、ピョンハン国では珍しい宝のようで、まして、勾玉はなかなか手に入れることが出来ないそうだ。だから、毎日々宝箱に入れて眺めているらしい。その話を聞いて私は、今度は腕輪を贈ることに決めた。
カブラ船長に、那加妻の話をすると、船長は自分のことのように喜んでくれた。カブラの母ぁ様は、伊都国生れの倭人である。だから、伊都国は、カブラの故郷でもある。私は、船長にオマロを紹介した。二人の船長はとても気が合ったようだ。早速、互いの船を案内し合う相談を始めていた。カブラ船長から見れば、私のチュヨン船も、ジンハン国の姫の船である。オマロにしても、ジンハン船は、私の父の船だから遠慮はいらない。だから、他国の船どうしなのだが、同じ国の船のような物でもあるのだ。


そして、やはり儒理は乗っていなかった。私の弟は、もうジンハン国の皇太子なのだ。それより私が悲しかったのは、志茂妻が帰って来てないことだった。志茂妻は、優奈がすっかり気に入り手放さなかったそうだ。仕方が無いので、加太も残ったそうだ。加太がジンハン国に留まったので、ミヨン(美英)と、シカ(志賀)も帰らなかった。だから、帰って来たのは、イタケル(巨健)伯父さんと、スサト(須佐人)だけだった。
そして、アキト(明人)叔父さんの姿も見えなかった。でも、嬉しい知らせがあった。アキト叔父さんは、生きていたのだ。そして、今も父様の右腕として忙しく働いているそうである。それから、アチャ爺と、テルお婆には、孫も出来たそうだ。テルお婆は、叔父さんの手紙を、開きもせずに大事そうに胸に抱いていた。まるで、急いで開くと幸せが逃げていくとでも思っているように。
アチャ爺は「男の子かのう。女の子かのう。」と、早くその手紙を見たそうだったが、きっと、今夜ふたりだけになるまでのお預けだろう。
そして、その夜は皆それぞれゆっくりと休み、帰国の大宴会は、翌日に成った。ウス王は、こんなところでも配慮が細かい。もちろん、翌日の帰国の大宴会では、アチャ爺の踊りが皆を圧倒した。そして、ついにウス王までも、アチャ爺の踊り連に加わってしまったのだ。まったく困ったものである。

翌朝、カブラ船長のジンハン船は北へ。オマロ船長のチュヨン船は、南に向けて出港した。そして私は、チュヨン船の甲板から、カブラ船長に手を振った。船長は、ジンハン国の港を出る時には、私を乗せて帰るつもりだったのだ。しかし、ヤマァタイ国の女王に成った私は、もうジンハン国の姫ではいられない。そのことは、父も分かってくれる筈だ。やっぱり、私はもう、優奈に会えないのだろうか。昇る朝日に染まる東雲(しののめ)の茜のように、私の心を不安が染めていった。
私は、何故、ジンハン船の船長に、ピョンハン人のスロ王や、カブラ船長が乗り込んでいるのか分かってきた。だって、チュヨン船は、今では私の船で、ヤマァタイ国の軍船として管理しているのに、船長は、今でも末羅国のオマロが船長である。不思議なことではない。きっと、ジンハン国の軍船も、元はスロ王の船だった気がしてきたのだ。父と、ネロ様の二人とも泳ぎが苦手だったことを考えると、ジンハン国は、騎馬隊が勇猛で、ピョンハン国は、海戦が得意なのだろう。そう考えると、ジンハン国は、伊奴国のような国で、ピョンハン国は、末羅国のような国かも知れない。
ヤマァタイ国は、ハタ(秦)家が水軍の役割を果たしているが、ハタ家の河童衆は、河川が活躍の場である。だから、チュヨン船のような大型船を操れる人はいない。その為、今はオマロ船長が手放せないのだ。しかし、船長も、斯海国での項荘、項佗、項冠の存在と同じで、いずれは琴海さんに返えす日が来るだろう。近頃、私はそのことにも気がつき始めた。だから、二十一人衆の中から、項荘、項佗、項冠の代わりと、オマロ船長の代わりが務まる者を選び出し、ヤマァタイ国の姫の婿にして、ヤマァタイ国人にしてしまおうと企んでいる。そして今、香美妻は、巫女の中から三人の姫を選び出している所だ。私も近頃、少しだけ政治的な悪巧みを身に付け始めたのだ。

私は、カブラ船長の娘のカフリに、腕輪を贈ることにした。それは、白蝶貝の玉の中に、赤珊瑚の玉をちりばめた物だ。私は、まだカフリに会ったことはない。でもカブラの娘なら、可愛いに決まっている。だから、その腕には純白と赤い玉が似合いそうだ。
この貝輪は、狗奴国で、土産に買ったものだ。南洋の貝だから、きっとピョンハン国では珍しい物の筈だ。船長は、高価過ぎると驚き受け取ろうとしなかったが「これはあなたに贈るのじゃないのよ。カフリに贈るの。だから大事に持って帰ってね」と、半ば強引に渡した。優奈と、儒理への贈り物は無い。ふたりへの贈り物は私が直接手渡すのだ。だから、会える日まで大事にしまっている。
私は、もう一度大きくカブラ船長に手を振った。そしてその夜、私達は、琴乃海にチュヨン船を乗り入れた。船も、オマロも久しぶりの里帰りだ。私は、オマロ船長のおしゃま娘達に会うのを楽しみにしていた。きっと、四姉妹の筈だ。ところが私の当ては外れた。オマロは、独り身だったのだ。じゃぁ何で、おしゃま娘達の扱いがあんなに上手かったの? と思ったら、オマロには、八人も、おしゃま娘の姪っ子がいたのだ。だから、サラ、フラ、レラに、ニヌファの四人のおしゃま娘達など、手易い相手だったのだ。
そして、ニヌファは、すっかりおしゃま娘に戻ってオマロの八人の姪っ子とはしゃいでいる。やっぱり、ニヌファは、ミイト(巫依覩)での暮らしに気疲れしていたのだろう。無理もない。巫女の館には、ヤマァタイ国のお姫様達ばかりが集められているのだ。だから、私だって、香美妻、那加妻、志茂妻の三人のお姫様以外には、未だに慣れていないのだ。ニヌファの気疲れは良く分かる。ニヌファよ。今夜は思う存分、おしゃま娘に返ってはしゃげば良い。

琴海さんは、私の禅譲の儀にも来ていたが、ゆっくり顔を合わせて話すことは出来なかった。だから、今夜はゆっくり琴海さんと過ごしたかった。が、やっぱり外海族長と各村長達は許してくれなかった。前にも増しての大騒ぎで琴乃海の夜は終わった。
次の日は、夏希義母ぁ様のシマァ(斯海)国に立ち寄ったが、斯海国でも、夏羽と、コウ(項)家軍属が、夏希義母ぁ様と、私とを、静かに過ごさせてくれる訳はなかった。それに、二十四人衆も久々の里帰りである。だから、もちろん、アチャ爺と剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠の踊り連は、大喝采を浴びている。
夜も更けて宴会もひと段落ついた頃、私は夏羽を呼んで、ククウォル(朴菊月)姉様の話を聞かせた。夏羽は、今まで見せたことのない気色ばんだ表情に成り「分かった。儒理はコウ(項)家軍属の総力をあげてオイ(俺)が守る」と言った。私は危うく「お願いします。お兄様」と言いそうになった。それほど、今夜の夏羽は、頼もしかった。軍属の目は、東海沿岸の各国に行き届いている。既に、夏希義母ぁ様が目を光らせている筈だが、夏羽が、この事態を知れば尚心強い。でも、夏希義母ぁ様は、ひとり息子の夏羽を、この魔物の戦いに巻き込みたくなかった筈だ。だから、夏羽の誕生を伏せてきた向きがある。でも、私は何としても儒理を守りたかったのだ。

翌日は、潮待ちの為遅い出港と成った。昼過ぎ、高来之峰を仰ぎ見て北上し、タラミナ(太良水)族の領域に入った。この地には、西の斎都ミフジ(巫浮耳)がある。今宵はそこで一夜を過ごすことにした。

ヤマァタイ国の西の領地は、高来之峰の麓から、タカキ族、その北が、タラミナ族、更にその北が、ノミ族、オミナ族、オキ族、チフ族の領地と続く。これが西の六支族だ。筆頭は、太布様と、巨勢(こせ)軍団長のチフ族である。太布様と、巨勢様は隠居の身になられたので、今は、狭山大将軍と、淀女房頭が西の六支族筆頭である。

各支族の族長と軍団長は、廃止され隠居となった。そして今は、各支族の代表は頭領と呼ばれている。頭領を取りまとめているのは高志大頭領だ。チフ族は、頭領候補の二人を、大将軍と、女房頭に出してしまったので、頭領不在である。そこで、特別に太布様に、頭領を務めてもらうことにした。そして、太布様が、香美妻の補佐役だ。だから今、香美妻が居ないミイト(巫依覩)は太布様が司っておられる。その為、若い香美妻も何とか巫女の頭が務まっているのである。だから、私にとってのテルお婆のような存在である。
隠居の身とはいえ、東の六支族には、タマタレメ(玉垂女)様がお元気なので、香美妻の両脇はしっかりと固められているのである。やはり、帛様が亡くなられた後も、この国は、太布、玉垂女、テルお婆のジョ(徐)家三姉妹がしっかり支えているのである。だから、私と、香美妻も、徐家三姉妹が安心出来るような、しっかり者に成らなければいけない。
香美妻お姉ちゃま。私たち責任重大だよ!!

~ ヤマァタイ(八海森)国への帰還 ~

ミフジ(巫浮耳)は、外宮のひとつである。高木の神をお祭りする斎場は、ミイト(巫依覩)である。だから、そこは内宮である。
内宮は、神の宮なので、民の常の暮らしを祭るのは、外宮である。
そして、ヤマァタイ(八海森)国には、七万戸の民がいるので、外宮も三つ設けられた。
ミフジは、西の外宮である。東の外宮は、ミツマ(巫津摩)と云う。そして、脊振の麓には、北の外宮ミヤキ(巫谷鬼)がある。
それぞれの外宮には、巫女司(みこのつかさ)が居り、ミフジの巫女司は、オミナ族のトヨコ(豊呼)である。豊呼は、オミナ族のヤソメ(八十女)族長の娘なので、オミナ族の頭領でもある。
頭領は、各支族から出ているが族長のように、一族を率いる訳ではない。頭領と云うのは身分である。頭領の身分を持った者が各役所を司(つかさど)るのだ。だから頭領の身分を持つ者は、二十四名居る。
その二十四名の中から、軍事に優れた者は、狭山大将軍の許へ。行政に優れたものは、淀女房頭の許で各役所を司り、或いは地方の行政長官として赴任し、高志大頭領の束ねの内に努めるのである。そして、最も巫女としての質を持つ三人が、巫女司になるのだ。


トヨコ(豊呼)は火の巫女である。火の巫女は地の巫女なので、豊漁や豊作を祈り占うのに長けている。だから、ミフジ(巫浮耳)が在る多良之津の港には、沢山の漁師と、新造舟が集まってくる。漁師が集まるので、多良之津の市には海の幸が溢れている。
そして、磯場に恵まれたこの地には、私と同じ海女も多い。豊呼は、二十歳を過ぎているが、まだ独り身である。「私は神様に嫁いだのだから」と言って婿を取ろうとしないらしいのだ。私と、香美妻は、二十四人衆の婿選びの目途をひとつ付けた。
早速、剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠を呼び、婿を選んでおくように申しつけた。豊呼は、大きな胸に、くびれた腰と、子宝に恵まれそうな福よかなお尻をしている。だから、私は婿選びの条件を、「良い巫女を孕ませることが出来る者」ということにした。三人は、自分が婿に成りたいようだったが、そうはいかない。項荘、項佗、項冠の三人は、将来、夏羽を支える大事なコウ(項)家の男である。私も、三人の兄を手放したくなかったが、我儘ばかりは言っておられない。

次の日は、のんびりと昼過ぎに出港した。もう、メタバル(米多原)の館は、目と鼻の先である。急ぐ必要はない。私は、久しぶりに豊呼を伴って海女に戻った。
舟を漕いでくれたのはスサト(須佐人)である。香美妻は、舟の上で、私達の命綱を握り占めている。南洋の民の血を引くニヌファ(丹濡花)も、すいすいと、海の底を泳いでいく。やはり、ニヌファは、人魚姫だ。
イタケル(巨健)伯父さんは、一足先に馬で米多原に向かった。伯父さんは、舟も馬も巧みに乗り熟(こな)す。河童だから舟はもちろんだが、馬も乗り熟せねば、大商人団の頭領は務まらない。だが何よりも早く母の墓前に詣でたかったのである。
私達の村に馬はいない。しかし、須佐人も馬を乗り熟すことが出来る。米多原の館には、馬場もあるので自然と乗り覚えたのである。
玉輝叔母さんも、まだメタバルの館に留まっている。ここで、イタケル伯父さんと、スサト(須佐人)を待つ為だといっていたが、本当は、頼りない姪の私が心配なのだ。叔母さんも、私の巫女としての力は認めていたが、まさか女王になるとは思っていなかったようで、心配で居ても立ってもいられないのである。
私も玉輝叔母さんが居てくれて心強かった。何度疲れ果てて、玉輝叔母さんの膝で寝たことか。女王と呼ばれていても私は、まだ十四歳のになったばかりの小娘である。
イタケル伯父さんとは、再開して以来、言葉を交わしていない。この船旅の間も伯父さんは、誰とも口を利かなかったし、水以外、もう三日も食べ物を口にしていない。きっと、母の喪に服しているに違いないと皆が感じていた。
スサトは食事も普通に取るし、話も普通に交わす。だけど、伯父さんが沈黙しているので、ジンハン国の話はしない。だから、私も、伯父さんが口を開くまで待つことにした。

親を亡くす気持は、私にも痛いほどわかる。そして、その痛さは、どれだけ大人になっても同じなんだと、伯父さんの背中を見て思った。

今日は、朝から大変な目に逢っている。十日程女王の職務を休んでいたので、政務が山と積まれているのだ。私は、香美妻に手伝わせて、息つく暇も無い忙しさである。見かねた幼いニヌファまで、竹簡の束を抱えてあちらから、こちらへ、こちらから、あちらへと手伝ってくれている。しかし、やっと七歳になったばかりのニヌファには、まだシャー(中華)の文字が読めない。香美妻が教えてはいるが、まだ、この竹簡の巻物を開いて読むことは出来ない。だから、整理だけを手伝ってくれているのだ。
スサトは、シャー(中華)の文字が読める。木簡に書かれた荷札の字が読めなくては、ハタ(秦)家の跡取りにはなれない。でも、スサトに手伝わせる訳にはいかない。
シャー(中華)の文字は難しい。ひとつひとつに意味があり、歴史が刻まれているのだ。だから、ニヌファも覚えるのに苦労している。やっぱりアルジュナが使っていたあの丸い音だけを表わす文字の方が覚え易く使い易いかも知れない。でも今は、そんなことを考えている場合ではない。十日分の書簡に目を通さなければいけないのだ。
私が、この書簡の山に目を通さないと、ヤマァタイ国の政治が滞る訳ではない。民の常の生活にかかわる政治や、行政は、高志大頭領と、淀女房頭が難なく司っている。でも、この山の書簡に目を通さないとどんどん増えていくのだ。ヒムカは良くこんな仕事を平気でこなしているものだ。
やっと一息目途を付けた頃、イタケル伯父さんと、スサトが訪ねてきた。私は、アチャ爺と、テルお婆を呼びに行かせて夕餉を取りながらジンハン国の話を聞くことにした。
取次の女官の話では、カメ爺と、玉輝叔母さんも一緒らしい。私はある予感を感じ、高志組頭、淀女房頭、狭山大将軍の三人も呼び寄せた。
日が落ちた頃、皆がそろった。夕餉は、シャー(中華)の会席である。結局リーシャンは、私の料理番になったのである。
彼が、伊都国からメタバル(米多原)に引っ越して来たとの評判を聞いた各酒房の主人達は、競ってリーシャンを招こうとした。ところが、リーシャンの値打が上がり過ぎ、逆に行き場を失くしたのである。
そこで、テルお婆が、私の料理番にしたのである。待遇は、巫女司や、女房達と同じである。リーシャンは、その破格の待遇を「わしゃ、日巫女様と、テル師匠の許なら、寝起きが出来るだけで十分です」と言い張ったが「女王様の料理番が居候の身ではなるまい」と皆に言い聞かされ条件に従った。

リーシャンが、私の料理番に成ったことで、米多原の館の前には毎朝、料理人志願者が列をなしている。だから、テルお婆は毎朝、この選抜に追われている。愉快な話である。
今宵のリーシャンの料理は、クツゾコの油炒め、タイラギ貝の柱のお刺身に、紐の酢の物、海茸の甘辛煮、ワケンシンノスと言われる磯巾着の味噌煮などである。私はこの磯巾着の味噌煮が大好物になってしまった。アチャ爺は、タイラギ貝の柱のお刺身に目がない。これだけの料理に、ジンハン国での報告の場は、賑やかしく始まった。ただ独り、伯父さんだけが、いつもの陽気さを失くしている。私の不安はどんどん広がった。

重い口調で、イタケル伯父さんが口を開いた。「ピミファは、どこまで、ジンハン(辰韓)国と、朴王家の話を知っているのかい?」まずは、そう私に訪ねた。だから、私は、ウス王の話の後に私が知った話を掻い摘んで教えた。
「そうか、それならば話は早く済みそうだ。ピミファも察し始めているように、ジンハン国の政情は決して安定したものではない。ナリェ(奈礼)王妃は、聡明な方のようだが、母と成ってわが子を溺愛するあまり、目が曇って来た感がある。ヨンオ(朴延烏)様も、そう気付かれたのではなかろうか?
儒理は、あの一派からみれば、ヨンオ様以上に厄介な存在であることは間違いない。奈礼王妃は、苦労されただけあって根は心優しい方だ。優奈は心から、王妃を慕っている。
王妃も優奈を、我が腹を痛めた子のように可愛がって頂いている。しかし、儒理を見る王妃の目が、私には気にかかるのだよ」と、伯父さんは言った。
伯父さんの人を見る目は、帛女王の血を引いて抜きん出ている。その伯父さんの口から出た話は、私をますます不安の底に導いた。
「アダラ(阿逹羅)王のご様子はいかがですか?」と、高志大頭領が、伯父さんに訪ねた。
「王は、内政と外敵への対策との両方に奔走されています。だから、王宮内のことは、全て王妃にお任せなのです。私達が滞在していた半年の間も、王にお会い出来たのは、数える程しか有りません。私達の滞在中の世話は、全て王妃に御配慮いただきました」と、伯父さんは答えた。
「王子の名は何というのじゃ?」と、テルお婆が聞いた。
「今はまだ幼いのでアマ(阿摩)と申されます。まだ四歳ですが王妃様に似て、とても聡明な方です。優奈が可愛がりすぎて、少し頼りない所も感ぜられましたが、タケル(健)にも負けない賢さだと思いました」と、伯父さんは答えた。
「そりゃ、ますます儒理が心配じゃのう。儒理も、タケル(健)に負けん位賢い子じゃが、それが返って事態を悪くしそうじゃのう」と、アチャ爺が言った。
アチャ爺は、東海一の暴れ者と恐れられただけあって、争いの気配に気付くのも早い。私は、ますます言葉が出なくなってきた。
「互いの勢力はどうなんでしょうか?」と、狭山大将軍が訪ねた。
「半年しかいなかったので、詳しいことは分かりません。しかし、軍事的には安定しているようです。スロ(首露)王の海軍力も背景にある為、軍事的にことを起こせる者は居ないでしょう」と、伯父さんは答えた。
父様は、ネロ(朴奈老)様に並び立つ猛将だったのである。ネロ様が倒れた今、軍事的に反旗を翻せる人はいないだろう。でも闇の世界なら……と、私の不安が広がると「呪詛が出来る巫女は、ジンハン国にいるのですか?」と、香美妻が聞いた。
「民間の間には、ムーダン(巫俗)と呼ばれる巫女が大勢いるようです。何かをする毎に、ムーダンを呼んで、祭儀を行っていますから。民の暮らしだけを見ていると、まるでムーダンの国のようです。国の行く末を占うムーダンも居るようですが、倭国のように国を治めるだけの巫女はいません。もし、呪詛が出来る巫女が居ても、優奈の力が跳ね返すでしょう。優奈は、ピミファのように日巫女には目覚めていませんが、玉輝程の力なら既に持ち合わせていました」と、伯父さんは答えた。
私は無性に優奈に会いたくなった。私の分身優奈。もし出来ることなら、私も傍に駆けつけて、二人で儒理を守りたい。私の身体は小刻みに震えだした。香美妻がそっと背を撫でてくれた。

「ソク(昔)氏や、キム(金)氏と云う人達は、どんな勢力なのですか?」と、淀女房頭が聞いた。

「昔氏の出自は、どうやら倭国のようです。倭国の北には、ジンハン人も大勢いますからね。彼らには大きな財力があるようです。金氏には、二つの勢力があるようです。ひとつは、スロ(首露)王の弁韓金氏です。ネロ様の妃ダヘ(金多海)様が、ここからのご出身です。もう一つは、辰韓金氏です。遠い昔に、アルジ(金閼智)と言われる方が起こした家らしいです。アルジは、倭人だったと言われています。ですからどうも、二つの氏族は、倭国で結びつくようですね。ネロ様の母様が、この辰韓金氏の出です。また、奈礼王妃の母様も、辰韓金氏の出です。二国の金氏がどう結びついているのかまでは分かりませんが、いずれにしても縁は深いようです」と、伯父さんは答えた。

「厄介な事態になりそうですねぇ」と、ヨド(淀)女房頭は声を落とした。皆も次の言葉に窮していた。
「俺は、儒理の傍に居たかったんだ」とスサトが、自らの膝頭を強く叩いた。スサトは、実の兄のように儒理を見守ってきた。だから、私以上に不安に駆られているようだ。
「まぁ良い。今ここで、皆で悔やんでいてもどうにもならん。ひとまず、様子を見るしかなかろう。イタケル(巨健)よ。心得てはいると思うが、ハタ(秦)家の総力をあげて調べ続けよ」とアチャ爺が、精悍な顔つきで副頭領に戻ったように言った。

「心得ています。叔父上」と、伯父さんが答えた。それから、アチャ爺が「兄貴よ。ひとまず、これで良いかのう」と、カメ爺に伺いを立てた。
「うん、それしか有るまいのう。アチャよ。この件はお前に頼んだぞ。必要と思えば、どこへでも飛んでくれ。じゃがいつも、お前には危ない橋ばかり渡らせて済まんのう」と、カメ爺がアチャ爺の肩を叩いた。
「それから、テルよ。ジョ(徐)家の力も貸してくれるように、お前から福に頼んできてくれ」と、カメ爺がテルお婆を振り返った。
「はい分かりました。兄様に代わり村に帰り五家の総力を固めてきます」と、テルお婆が答えた。
するとカメ爺は、「嗚呼、それからもうひとつ。玉輝は当分戻れんと大巫女様に伝えてくれ。今、ハタ(秦)家には、帛の代りが務まるのは玉輝しかおらんでなぁ。少なくともこの件の目途が立つまでは、玉輝が居らんと困るのじゃ」と付け加えた。テルお婆は、背筋をぴんと伸ばし「私もそう思います。そう、大巫女様にお伝えしてきます」と言った。私はテルお婆の若き日を垣間見た気がした。

翌朝、テルお婆は、足早にアタ(阿多)国へ戻って行った。私は、チュヨン船で、もう一度、伊都国に戻ることにした。これからの私達の動きについて、ウス王と、それにククウォル(朴菊月)姉様にも相談がしたいのだ。
その間、女王の庶務は、香美妻に一任することにした。私には、ヤマァタイ国の仕組みが良く分かっていない。だから、女王の庶務の是非は、大概香美妻の判断を聞いて決済しているのだ。つまり、私が不在でも国政には大きな支障が無いのである。
香美妻に、女王代理を任せたので、二十四人衆以外の近衛兵八十四名は、香美妻の近衛兵として残した。そして、香美妻の代わりに、私の心強い相棒として、スサトが同行してくれることになった。
スサトも、私と同じ十四歳の雛っ子だが、秦家大商人団の跡取りである。既に威厳と、賢さが身についている。だから私は、香美妻と同じ位に、スサトが頼れるのだ。
アチャ爺も、ヤマァタイ国で待機である。アチャ爺がこの対策の元締めだから、情報が出揃い体制が固まるまで動く訳にはいかない。私は、アチャ爺と、テルお婆のいない旅に少し不安を覚えた。けど、私も、もう十四歳だ。そろそろ親離れをしないといけない年頃なのだ。良~し行くぞぉ。

オマロ船長が「風と潮が良いので、二日もかからず伊都国に着けるでしょう」と言った。そこで、私達の出向は明朝に決まった。私は、ある予感にかられ、キ(鬼)国から、シュマリ女将を呼び寄せることにした。だから、アタ(阿多)国に戻る途中で、テルお婆が立ち寄り召集することにした。
ニヌファ(丹濡花)の扱いを悩んだが、やっぱり連れて行くことにした。ニヌファがいれば私の心が静まる。私の中の荒ぶる神を、ニヌファが収めてくれる気がするのだ。
リーシャンも連れて行くことにした。テルお婆がいないので、私にはリーシャンが必要なのだ。疲れて苛立ったりした時には美味しい料理が一番の薬である。特に、リーシャンの料理は、シャー(中華)の薬膳料理だから、私には良く効くのだ。私のご先祖様の伊尹(いいん)も、料理人である。それも、包丁一本で牛一頭を捌く腕の持ち主だったらしい。リーシャンも、料理の腕なら伊尹にも負けない。
子犬のチャピ(茶肥)も船に乗せることにした。先回は輿だったので、子犬のチャピは置いて行ったのだ。だから、とても寂しがっていたらしい。今回は大型船なので、子犬が駆け回れる広い甲板も在る。もし、はしゃぎ過ぎて海に落ちても、チャピは泳ぎが得意である。だから心配することはない。それに、チャピは、ヒムカの白猫チャペにも負けない位に小魚が好物なのである。もし、チャピが人間なら、きっと船乗りに成ったに違いない。だから、近頃、名前はチャピじゃ無く、スロにすれば良かったと後悔している位である。でもまぁ、海賊王チャピ(茶肥)でも良いか。

二日後、チュヨン船は、カヤ(伽耶)山の麓に錨を降ろした。航海の途中、口之津の沖で、夏羽が乗り込んで来た。事態を聞きつけて来たのだ。アチャ爺が知らせたらしい。こんな大事なことを、夏羽にだけ教えぬ訳にもいくまいという判断だったようだ。
アチャ爺の考えは、その通りだけど、夏羽まで私に付いてくる必要は無い。でも、夏羽は「兄(あん)しゃんとしては、そういう訳にはいかん。可愛い弟と、妹の一大事だというに知らん顔が出来るもんかい」と言い張り付いてきたのだ。
そうして、私はスサトと、夏羽を伴い、三雲の館に直行した。ニヌファは、リーシャンと、港町を楽しんで三雲の館に来ることにした。
私達が館に着くと、ウス王は、早速相談の場を設けられた。淀女房頭が、狼煙で私の到着を知らせておいたのである。相談の場には、私以外にスサトと、夏羽も同席させた。これからは、秦家と、項家の力も欠かせないのだ。そして、スサトに、ジンハン国の様子を報告させた。ウス王と、王妃は、黙って聞いておられたが、スサトの話が終わると「イズモ(稜威母)に行くしかないようですな」と静かに言われた。「ヨンオ(朴延烏)兄さんを探すのですか?」と、王妃が、ウス王に尋ねられた。
どうやら、私は根の国イズモ(稜威母)に行くことに成りそうである。この予想だにしなかった展開に、息が詰まり、胸がときめいてきた。それは大きな台風に襲われる前のようである。私は台風が大好きである。不安と期待が混じりあうと私の中では喜びに変わる。良し、私も鯨海の海賊王になるぞぉ~オ~オ~オ~!!

『第1巻《女王国》第7部 ~ 海ゆかば ~』へ続く