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卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第4部 ~棚田の哲学少年~ 〜 卑弥呼 奇想伝(その4)

葦田川風

我が家では、小さい時から薩摩弁が飛び交っていた。祖母と母とが薩摩女なので、事あるごとに鹿児島の親戚が押し寄せていたのである。
我が村は、川を挟んで肥前の国なので、幼馴染みの中には肥前弁が交る友も多かった。
三十代はオートバイで日本中を駆け巡った。北は北海道から南は沖縄までである。各地で、お国言葉に接するうちに言葉自体の旅に興味を抱いた。
先の友人は眠たくなると「もうヌ」と良く言った。古い肥前弁で寝るという意味だ。しかし、ヌ(寝)は古い大和言葉でも有りネルはヌルであったらしい。
九州では驚いた時に「タマゲタ」と言う。これも古い大和言葉では「タマアガル」で魂が身体から離れるくらいに驚いた様子らしい。以前にそう古文の先生に聞かされた。
そこで、我的言葉辞典を作ってみた。中国語、広東語、朝鮮語、モンゴル語、アイヌ語、琉球語など東アジアの言葉である。そしてそこに悠久の歴史を感じた。だから、邪馬台国は、九州でも大和地方でも不整合は無い。卑弥呼の世界は倭人の神話の時代である。そして出雲神話が重要で面白いと思い続けている。
さて、いよいよ倭人の母なる国イズモ(稜威母)へ向かおう。

卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第4部 ~棚田の哲学少年~ 〜 卑弥呼 奇想伝(その4)

幕間劇(7)「ラーメン屋台」

 北風が吹き、粉雪が舞い始めたある日ジョーが「大晦日の晩に、りゅう(竜)ちゃん家(ち)のトラックに乗せてもらって、皆で、ひで(英)ちゃん家のラーメンを食べにいこうぜ」と発案した。竜ちゃんが「良かよ。オイ(俺)が父ちゃんに頼み込むけん。まかしとかんね」と、力強く答えた。

この時代の冬の楽しみは、まだクリスマスでは無く大晦日だった。特に田舎ではクリスマスの存在は薄かった。都会ではクリスマス商戦が繰り広げられていても、田舎の八百屋や、魚屋や駄菓子屋には縁の薄い商戦である。クリスマスが認知され年中行事になるのは、もう少し世の中が豊かになり砂糖が身近な存在になってからである。つまりクリスマスはクリスマスケーキを食べる日としてのクリスマス商戦から国民行事になっていく。だから、年末行事の最大の花は、大晦日と除夜の鐘である。そして、年が明け三社参りで一年が始まるのである。だから、この日だけは、子供達も大手を振って夜更かしが出来た。「今年は、除夜の鐘を聞いて、村の三社参りをするだけじゃつまらんねぇ。何かもっと面白いことをしたかねぇ」と、悪ガキ供は、知恵をしぼっていた。何しろ、今年は泥船の禊(みそぎ)をしなければならない。だから、神事だけでは悪霊退散となった気がしない。心が晴明となるには、飛びきり楽しい事を計画したいのだ。あれこれ意見を出し合ったが、ジョーの案が、皆の賛同を得た。しかし、残念なことに泥船で溺れかけた時、上手に艪を操っていたブキチ(武吉)は、都合が悪く行けないという。武吉は、ジョー達より一学年下で弟分だ。その穴を埋めるように信夫は元気よく「がばい行きたか」と言った。信夫も泥船ガキのひとりである。信夫は、赤毛のマリーと同級生である。そして美少女タミ(民)ちゃんの弟だ。だから信夫も美少年である。信夫が行くというので姉の民ちゃんも付き合うことになった。更に、マリーが同級生のミカ(美夏)ちゃんも連れて行くと言い出した。どうやら美夏ちゃんは、ジョーに憧れているらしい。大人の同伴者は、ジョーの祖父ちゃんに、竜ちゃんの両親の辰ちゃんと芳江さん。民ちゃん姉弟と、美夏ちゃんには父親の重人さんが付いて行くことになった。総勢十一名の大晦日ラーメン組である。

この時代、ラーメンは九州以外では中華蕎麦、或いは支那蕎麦と呼ばれていた。だから、東京に行った九州人が、ラーメン屋の暖簾を探しても無いのである。しばらく東京で暮らすうちに、ラーメンは、中華蕎麦の事だと分かるのだが、やっぱりスープの色や、味が違うので、九州人にとって中華蕎麦は、ラーメンでは無いのである。久留米のラーメンは、白濁した豚骨スープである。以前は、久留米のラーメンのスープも程々澄んでいたが、数年前にしっかり白濁したスープが登場した。その屋台の親父の話では、「白濁したスープは、実は出来損ない」だったらしい。スープを作る火を止めそこなって、煮込まれた豚骨で白濁してしまったのだ。でも、屋台を休むわけにもいかないので、白濁したスープで出してみたら、酔っぱらいの客達に大うけしたそうだ。確かに、こってりと白濁したスープは、アルコールでいたぶられた胃には、優しくて、癒される味である。朝鮮にも、ソルロンタン(先農湯)と言う乳白色のスープ料理があるそうだ。中でも牛の尻尾を使ったテールスープが絶品らしい。更に北方のモンゴルでは、羊の骨で作った白濁したスープがあるらしい。どうやら白濁スープは、身体を温める効果もあるようだ。その為か冷え込んだ冬の夜にはスープだけ頼む客もいる。酒のつまみで膨れた腹には、もう麺が入る余地はない。しかし、白濁したそのスープをすすらないと、酒の席の締めが終わらないのである。だから、あっという間に、久留米のラーメンスープは白濁した。そして、ゆで卵の薄切りと、黒光りした有明海苔がのっている。ネギは極細である。関西や関東で使われる太いネギは、うどんに入れるネギである。ラーメンのネギは極細でなければいけない。緑の小さな輪の群生した様が白いスープには映えるのである。だから根深ではいけないのである。卵の白と黄色、海苔の黒、ネギの緑とくれば、赤い食材が必要である。そこで紅ショウガをスープに浮かべる事になる。酸っぱい紅ショウガと青臭い小ネギを嫌う客もいるが、食べなくてもこの五色がそろわないといけないのである。中国や朝鮮の料理ではこの五色は重要な要素である。それは料理哲学とも呼ぶべきほどに強いこだわりを見せる。したがって、地政学的な観点から見ても九州人がその五色思想の影響を受けない筈はないと考えられる。だから皆こだわるのである。しかし、スープの味は、店ごとに違う。そして、その味の好みで客層が分かれる。食堂で出されるラーメンは、あっさり系が多い。それに比べて、夜の酔っぱらい相手に出される屋台のラーメンは、こってり系が多いようである。いずれにしても今や、九州のラーメンスープは、全県で白濁しているのである。

 いよいよ大晦日の晩がやってきた。親父達は、既に酔っぱらっている。子供達は、着込めるだけ着込んで、丸々と膨れ上がっている。オート三輪の荷台には、屋根も、暖房も無い。そして定員も無い。道交法では荷台に乗れる条件が記載されているが、田舎の道では、乗れただけが定員なのだ。ちらほらと小雪も舞い始めた冬の堤防を、オート三輪は、跳ねながら疾走した。もちろん、筑後川の堤防は、舗装などしてはいない。この頃、舗装した道路は、久留米の街中だけである。竜ちゃんの親父の辰ちゃんは、すっかり出来上がっており顔は茹でダコ状態である。だから、運転は、竜ちゃんの母ぁちゃん芳江さんが行った。

 

 冬の堤防を走るオート三輪の荷台は、すこぶる寒かったが、皆は、意気揚々としていた。「今年は、年越しラーメンたぁ~い」と、一番酔っぱらった美夏ちゃんの父親の重人さんが奇声を上げた。寒さの我慢がピークに達した頃、英ちゃんの両親が営む屋台に到着した。そこは、皆が本町ロータリーと呼ぶ五差路の先である。英ちゃんは、冬休みなのでもう屋台の手伝いをしていた。英ちゃんの母ぁちゃん明子さんは、九州美人だった。その美人の母ぁちゃんを目当てに、大勢の酔っ払い供が押し寄せる。だから、屋台は今日も繁盛していた。村の皆は、屋台に入りきれなかったが、竜ちゃんの親父の辰ちゃんが「良か良か。オイ達ゃここで良かけん。酒の燗ば早よつけて、それと焼き鳥十本」と、言いながら、トラック運転席の屋根に載せていた板台を下ろし始めた。焼き鳥も、久留米が発祥の地であるといわれている。実は、ラーメン屋台のラーメンは、サイドメニューである。メインメニューは、酒のつまみなのだ。その中でも一番人気が焼き鳥である。筑後平野には、沢山の養鶏場があった。卵を産む頻度が落ちた鶏は、肉になるのだが、肉はまだしも、玉紐と呼ばれる内臓系は、殆ど捨てられていた。ところが、焼き鳥にすると、これがなかなか旨い。特に砂肝のコリコリ感は、酒のつまみにぴったりであった。屋台は、庶民の店である。だから安くてうまい焼き鳥は、大人気なのだ。

 辰ちゃんが、ふらふらと、危うい腰つきで板台を下ろそうとしていた。それを見かねた美夏ちゃんの父ちゃん重人さんが「オイも手伝うばい」と言いながら板台を下ろした。それから二人は、トラックの荷台をテーブル代わりにして臨時の屋台を増設した。民ちゃん親子が「そんならオイ達は、焚き木を集めて来よう」と言って近くの公園に向かった。「明っ子ちゃん。私と子供らにはラーメンば良かね。父ちゃん達は、酒の後で良かけん。まず七杯ね」と、竜ちゃんの母ぁちゃん芳江さんが注文をした。「美祢ちゃん。カンカンの空いたとが有ったろ」と、ジョーの祖父ちゃんが、英ちゃんの父ちゃんに聞いた。元来無口な英ちゃんの父ちゃん美祢ちゃんは「少し、火ば入れとこか」と、言葉少なに空いた一斗缶に炭火を入れて渡した。程なく民ちゃん親子が帰って来た。民ちゃんの弟の信夫も枯れ枝をいっぱい抱えている。「美弥ちゃん。燗がついたけん。勝手に持ってくばい」と、元気者の竜ちゃんの母ぁちゃんが、臨時のトラック屋台に、酒の燗を運んだ。民ちゃん親子が拾い集めてきた公園の枯れ枝が、一斗缶の中で勢いよく燃え上がった。子供達は、その一斗缶の焚火に手をかざして暖を取った。四人の親父は酒で温まっていた。英ちゃんの母ちゃん明子さんが「芳江さんは、これで温まって」と、おでんを出してくれた。「明っ子ちゃん。サービスしてくれんで良かよ」と、竜ちゃんの母ちゃん芳江さんが言うと「ばってん、芳江さんなぁ大事な運転手さんやけん」と、言って笑いかけた。この二人もまた幼馴染である。そうこうしている間に子供達のラーメンが出来上がった。七杯のラーメンをトラックの荷台に並べると、英ちゃんの父ちゃん美祢ちゃんが「子供達ん分は、オイのサービスたい」と、ぶっきらぼうに言った。「うわぁ~ そんなにサービスをしてくれるなら、オイ達は益々酒ば、飲んで商売繁盛に貢献せないかんばい。明っ子ちゃん。あと酒ば十本浸けて」と、民ちゃんの父ちゃん兼人さんが言った。「焼き鳥、子供ん分七本追加ぁ~」と、民ちゃんが叫んだ。「ラムネも七本追加ぁ~」と、美夏ちゃんも叫んだ。「商売繁盛に貢献も良かばってん。お前はオイ達の税金ば下げろ」と、酔いが回った美夏ちゃんの父ちゃん重人さんが、民ちゃんの父ちゃんに絡んできた。「重人、そんな無茶ば言うてん。兼人も困るやろ。税金なぁ税務署が取りよるんやけん。兼人の懐に収まりよる訳じゃなかろうもん」と、ジョーの祖父ちゃんが諭した。「それはそうだが、小さか時から、あれだけ可愛がってやったちゃけん。オイの税金だけんでん(だけでも)下げてくれて良さそうなもんじゃあんみゃぁか」と、肥前なまりで重人さんが愚痴った。「そりゃ重ちゃんには、本当に良う遊んでもろたばってん。そう言う訳にゃいかんとよ」と、兼人さんが弁明していると「何ぃ、税金が下げらるっとなら、オイ(俺)の税金も下げろ」と、竜ちゃんの父ちゃんまでもが、酔っ払いの交渉戦に絡んできた。「辰ちゃんまで、無茶言わんでばい」と、税務署役人の兼人さんは、幼馴染の先輩達にやり込められている。他の飲み客もこのやり取りが面白くて「そうだ。そうだ。税金下げろ」とか「負けるな日本の税務署」とか、無責任な掛け声を飛ばしてくる。そんな馬鹿騒ぎの中で、英ちゃんの父ちゃん美祢ちゃんと母ちゃん明子さんだけが黙々と働いている。遠くで除夜の鐘が鳴り響いた。そろそろお開きである。英ちゃんの父ちゃん美祢ちゃんが「ご注文の年越しラーメンたい」と、四杯のラーメンを出した。もうひとつ、ボゥーンと除夜の鐘が鳴った。「さあこれば食べたら帰るばい」と、ジョーの祖父ちゃんが酔っ払い供を急かせた。「美弥ちゃん、今日も朝まで開けとくとなぁ?」と、兼人さんが聞いた。「タクシーの運転手さんや、巡査さんなぁ、朝まで働きよらすけんなぁ」と、英ちゃんの父ちゃん美祢ちゃんが、生真面目に答えた。「あんた達夫婦は、良ぉ働くね」と言う会話をやり取りしながら、大晦日ラーメン組は、オート三輪に乗り込んだ。きっと帰りには、皆で水天宮さんにお参りに行くのだろう。

 翌朝、英ちゃんは、堤防の上に立ち、初日の出を拝みながら「正月は、さすがに仙人さんも休みだろう」と思っていた。「でもひょっとすると」と思い沖底の宮を覗いてみた。すると、赤ら顔の仙人さんが気持ち良く寝ていた。真冬の朝だというのに仙人さんは寒くないのだろうか? 英ちゃんは、ポケットからゆで卵を取り出し、そっと仙人さんの前に置いた。そして仙人さんを起こさないように、そ~っと、沖底の宮を離れると、急いで駆けだした。「竜ちゃ~ん。仙人さんが来とらすばぁ~い」と、白い吐息を吹き上げ叫びながら……。

頬ぬくめ ラーメン屋台の 湯気の雲

~ 農学のすすめ ~

 ミャーッ ミュー ミューウッと猫の鳴き声に似た騒がしい音がする。その鳴き声は、刈り取りの終わった稲田から聞こえてくる。群れている鳴き声なので猫ではない。目を凝らすと鳥の群れが飛んでいる。更に田に目を向けると、タゲリ(田鳧)がケンケンケンと片足飛びで餌取りに忙しいそうである。その中の一羽が自慢の冠羽を立てて私を見た。“小娘よ。いつまで寝ている。秋の日は長くないぞ。早く働け”と注意喚起を促しているようである。確かに、私は働き者ではない。今も遊興三昧の旅の空である。でも知への探求心は旺盛である。しかし、古老の百姓なら「百姓に学問はいらない。そんな暇があったら働け」と怒るだろう。それも正しい生き方であるが、私の性分には合わない。でも秋の稲田の匂いは無性に好きである。そんな寝ぼけ頭で、クド(狗奴)国で迎える二日目の朝が来た。今日は、どんな一日になるのだろう。ホオリ(山幸)王と、ヒムカ(日向)は、もう政務に向かっている。朝餉を済ますと、少し慌ただしい気配を漂わせ、ホオミ(火尾蛇)大将がやってきた。そして、傍らに若い男を伴っている。しかし、その青年は、どうやら兵士では無い。その粗末な身成りから察すると、農民のようである。でも、裸足では無い。細長い板をつっかけて履いているのである。雪が降る地域に住んでいる倭人は、冬になると靴を履くらしい。毛皮を内側に使った靴なら、深い雪山でも平気で歩き回れるそうだ。ツクシノシマ(筑紫島)の北の平地で暮らす農民は、秋に収穫した稲の藁で草鞋を編み、冬を過ごすと聞いている。私の村では冬でも暖かいので、いつも裸足で過ごしている。裸足の方が岩場でも滑らないし、海に潜る時に、靴や草鞋なんかは履いていられない。そんな村でも、ひと冬に一度か二度位は雪が降る。そして、雪が積もった山道は、裸足では冷たくて歩けない。波しぶきが打ち付ける浜には、雪は積らないけど、浜に降りて行く間に足が凍りそうだ。だから、雪が積もると遊びにも行けない。そんな時に毛皮の靴があったら、どんなに良い事だろう。でも毎年、履くか履かないか定かではない靴など、誰も作ろうとはしない。私の村で暮らしていれば、一生靴など不要なのだ。でも、この青年は、何でこんな履物を履いているのだろう。きっと私は、不躾(ぶしつけ)な目でじろじろと見ていたようだ。青年が「下駄が珍しいですか?」と聞いてきた。私は素直に「はい」と答えた。すると青年は「本当は、板の幅や長さが、もう少し長いのです。それを田下駄と言います。このあたりは、シラスで出来た土地なので、水田では足が深く潜り込んでしまうんです。だから、とても歩き辛く成るのです。そこで、広い板に縄を通した履物を履くんです。そうしてすり足で歩くんです」と言った。“なるほど、これは田の道具なのか”と、私が感心して見ていると、「でも、田下駄では普通の道は、かえって歩き辛いので私は、板を小さくして履いているのです。それに、底に歯を二本付けました。こうすると、小石が転がる磯でも歩きやすいのですよ」と、青年は続けた。なるほど、なるほど随分面白い工夫がしてある履物のようだ。すると青年は「私は変わり者なのです」と言い出した。確かに変わった道具を作る青年である。私が感心して下駄を見続けていると「いやはや、早速、話が弾んでいますなぁ。こ奴を連れてきて良かった」と、ホオミ大将が皆を見渡しながら言った。そして「皆様には大変申し訳ないが、ワシは、本日どうしても行かねばならない所が出来たのです。そこで、皆様の案内が適いません。本日は、クド(狗奴)国の棚田が作る絶景を、お楽しみ頂く予定です。既に各所へは、昨夜使いを走らせて、手配は済ませております。しかし、今申し上げたように、ワシは、急遽案内できなくなりました。ここにおる若衆は、ウネ(雨音)と言います。本人も申しておるように、少し変人では有りますが、こと作物の話については、小奴に勝れる者は居りません。ウネは、幼い頃ホスセリ(穂須世理)王に見込まれましてなぁ。シャー(中華)の都に留学させて貰った果報者です。クド(狗奴)国は、火山が噴き出す灰のおかげで肥えた土地が多いのです。しかし、水はけが良過ぎたり、降灰で作物の苗が駄目になったりと、大変な事も多いのです。そこで、ホスセリ王は、ウネに、農学を学ばせようと考えたのです。海の幸を得る事にかけては、ワシラはお手のものです。山の幸ならメラ頭領達の山の民が全てを心得ています。しかし、田や畑の恵みを上手に得るのは、あまり得意とは言えません。なにしろ農は、海の漁や山の猟の合間に行ってきた事ですからなぁ。まぁ、詳しい話は、棚田巡りをしながら、ウネにお尋ねください。では、皆様申し訳ありませんが、ワシは、これで失礼します」と、ホオミ大将は、ウネを残して急ぎ早に立ち去った。

 ウネは、若く見えたが、私より九歳も年上だった。だから、ナツハ(夏羽)と同じ歳なのだ。確かに、夏羽に比べたら、随分利口そうである。体格は、夏羽より小柄だけど、意外と力は強そうである。それに、明らかに、香美妻の好みの男なのだ。何故なら、フルクタマ(布留奇魂)村の若頭に似ている。布留奇魂村の若頭は、ハイト(隼人)の従兄だ。コウ(項)家のクマト(熊人)は、夏羽と同じように大柄で力持ちだ。それは同族が似ているからである。だから、隼人の従兄も、小柄だが俊敏な男だった。更に、熊人や夏羽は、黒目がちのクルクルと良く動く可愛い大きな目をしている。それに比べ、隼人達は、イルカのような可愛い小さな目をしている。そして、思慮深く清々しい目だ。ウネの目も、やはり思慮深く、そして澄んだ目をしている。

 青く澄んだ空にピョリリリ…と鳴き声が響いた。ヒバリ(雲雀)? でも空を見上げても鳥の姿は無い。すると、もう一度ピィリリリ…と甲高い鳴き声が聞こえた。あれ? キィリリリ… あれあれ?草むらの中? チィリリリ… その鳴き声に「もう秋ですねぇ」とカミツ(香美妻)の声が涼しげに呟いた。それから「虫の音が聞こえてくると何故だか心淋しく成りますね」とナカツ(那加妻)が私に声をかけてきた。確かに、麦藁の匂いがしてくると心がワクワクと弾んでくるが稲の新藁の匂いには、喜びと淋しさが混じっている気がする。そう思いながら「えっ?! 虫の音、ヒバリじゃ無いの?」と私は、那加妻に聞き返した。「ええ、虫の鳴き声ですよ。日巫女様」と香美妻が当然じゃないのという口調で答える。私は尚も「でも、でも、でもよ、虫って夜しか鳴かないんじゃないの?」と聞き返した。が「草ヒバリは、明るくなっても鳴くんですよ」と今度は、那加妻が答えた。「へ~っ?! そうなんだ」と私は田畑を凝視した。春ならうらうらとやってくるけれど秋はそそと忍び寄ってくる。だから、天高くさえずる鳥の鳴き声より、虫の音の方が秋には合っていそうな気がしてきた。そして今、私は、コウ(項)家二十四人衆の輿に揺られ秋の野を行く。それにしても本当に心地良い揺れである。まったく、この乗り心地の良さには、虜に成りそうである。しかし、こんな楽な思いをしていると、足腰が鈍りそうで心配になってしまう。今日の道行は、秋晴れの空の下を、昨日の関之尾の滝とは、逆の方向に進んでいる。川沿いの道には、赤い奇妙な花が咲いている。ぞくっとする位に華やいだその花には、不思議な事に葉が無い。地面から、にょっきりと突き出ているのだ。初めは、ポツンポツンと咲いていたが、道を進むにつれてどんどん増えてきた。川沿いには、幾段もの土手が築かれている。その上段の丘の上には村があるようだ。稲刈りは、村総出の行事になっている。行く先々で、村人が稲刈りの手を休めて、私達に手を振ってくれた。途中から一匹の犬という生き物が、尻尾をふりふり付いてきた。そして、道案内でもするかのように、私達の輿の前を歩き始めた。私の村には犬はいない。メラ爺から、犬は、イルカと同じ位に、賢い生き物だと聞いていた。だから、イルカと同じように人を恐れず、可愛がると良く馴れるそうだ。その上、驚いた事に山の民と暮らす犬は、山での猟も手伝ってくれるらしい。イルカが、漁の手伝いをするとは聞いた事がない。犬とは随分と賢く人に便利な生き物のようである。小さな男の子が遠くから「ケ~ン」と叫んでいる。すると、犬は立ち止まり、その男の子を振り返った。それから、くるりと体を返すと、一目散に男の子の方に駆けて行った。何だか嬉しそうな駆け方である。いつの間にか、香美妻は、輿を降りてウネと並んで歩いている。やっぱりウネは、香美妻好みなのだ。そうでなければ、お姫様育ちの香美妻が山道など歩く筈はない。ウネは、歩きながら香美妻に赤い花の説明をしている。「この花は、シャー(中華)から持ち帰った物です。シャー(中華)では、ティェン・シャン・ファ(天上華)と呼ばれていました。天上の華と言う意味です。とても美しい花ですが、毒を持っています。だから、棚田の土手に穴を掘るモグラや、ネズミ、タヌキや、イタチなどの小動物は、この毒花を嫌います。そんな働きをしてくれるので、皆で、畔や土手に植えました。おまけに、害虫も少し減ったようです。去年建てた米倉の土壁にも、この花の球根を、すり潰して塗り込みました。おかげで、ネズミや、イタチの侵入を防げているようです。シャー(中華)では、石蒜(せきさん)と呼び、薬にも使っていました。痰(たん)を取り去ったり、尿の出を良くしたり、惚け防止にもなるそうです。でも、下手をすると、死んでしまう毒ですから、腫れものに塗り炎症を抑えたり、虫刺され予防に肌に塗ったりする以外は、使わないようにしています。『美しいものには毒が潜んでいる』と昔の人は言いますが、まったくその通りです。しかし、使い方さえ間違わなければ良いのです。毒は、薬にも成り、薬は、毒にも成るのです」そうウネが説明し終ると、香美妻は「すごいですねぇ」と、感心したように言った。ホオミ大将の説明の時とは随分違う態度である。那加妻が、その様子を見てラビア姉様を振り返り呆れたように笑っている。ラビア姉様も可笑しそうにクスッと微笑んだ。アチャ爺とテル(照)お婆は「困ったものだ」というように、顔を見合せて苦笑している。しかし、ウネは、香美妻ほどの美人が横を歩いているというのに平然としている。年頃の男の子の多くは、香美妻に声をかけられただけでも有頂天になってしまうのにである。私達の遊興三昧の旅が豪勢を極めていたのもヒムカ(日向)の面接順をチラつかせただけでは無い。香美妻の美貌が大きく功を奏しているのだ。香美妻に遊興の相談を持ちかけられた各組頭は、目を輝かせて奔走していた。“ウネは、女の人に興味が無いのかしら?”黙々と、田畑の説明と、農の説明に熱中している。しかし、それでも香美妻は嬉しそうだ。「作物を丈夫に育てるには、地力を付ける事が大事です。地力を付けるには、いくつかの方法があります。一番自然なのは、焼き畑農業という方法です。まず、草や木を火で焼きます。そして、火の粉に成った草木の灰は、土に鋤き込みます。これは、相生ですから陽の気が生まれます」とウネが説明すると、香美妻は「なるほど。なるほど。すごいですね」と相槌を打っている。もしかするとウネは、香美妻が、ジョ(徐)家の娘だと知って陰陽の例えを用いているのかも知れない。そうであればウネは、なかなかの学者である。「でも田では焼き畑は行いません。クド(狗奴)国の田は、火山の灰が積もって出来ていますから、その必要が無いのです」とウネは、説明を続けている。すると、香美妻が「でも、私達のヤマァタイ(八海森)国でも田で焼き畑は行いませんよ。もちろん、近くに灰を降らせる火の山は有りません。何故ですか?」と、質問をした。すると、那加妻が「あら、香美妻姉様。ホオミ様には『ソソギダケ(層々岐岳)も、ちょっと前まで火を噴いていた』って仰っていたじゃ無いですか。だったら、層々岐岳の火の粉が積もっているんじゃ有りませんか」と痛いところを突いてきた。香美妻は、一瞬困った顔をしたが、そこは、意地っ張りの香美妻である。「そんなものは、とっくに千歳川が押し流してしまったわ」と、然もありなんと言う顔で答えたのだ。その様子にテル(照)お婆は、呆れ顔で苦笑している。アチャ爺は、なるほど旨い事言うわいと言うようにほくそ笑んでいる。ラビア姉様は驚いたように目を見開いて、そして笑いながら私を見た。すると「そうなのです。千歳川が、山から肥沃な土を運んでくるのです」とウネが言った。香美妻は「すばらしいですねぇ」と言いながら、何故だか勝ち誇った顔になった。ウネが続ける「千歳川の上流には、沢山の火の山が有ります。それに加えて、落ち葉などが作り出す肥料も、山を覆っています。そういう肥沃な土を、養土と言います。その養土が、雨に打たれて、川に流れ出すのです。特に大水の時は、大量の養土が押し流されヤマァタイ(八海森)国の田を覆います。だから、ヤマァタイ(八海森)国には肥沃な土地が広がっているのです」なるほど、川にはそんな役目もあるのだ。ウネが学んだ農学とは、面白い学問のようである。加太の医学を学び終えたら、今度はウネの農学を学んでみたいものだ。と、私は、わくわくしながら決意した。その間にも、天上華は、ますます数を増やし土手を覆い尽くし始めた。私達は、まるで、天界に続く赤い帯に導かれているようである。そして、お昼が近くなって、ようやく棚田の頂上に到着した。稲刈りが済んだ土色の田と、まだ、稲刈り前の黄色の田と、赤く揺らいでいる土手と、青い秋空を映したうねりゆく小川が輝いて、絶景を作り出している。ホオミ大将の接待は、今日も大成功である。私は、胸いっぱいに、秋の精気を吸いこみ、ホオミ大将に感謝の思いを飛ばした。

 野の宴会場では、村人が私達の周りに集まり接待にあたってくれた。そして、私達一人一人に数人の村人が取り巻き小さな円陣が出来た。それから、それぞれの円陣でなごやかな交流会の宴が始まった。数人の男達が、畔の堤に即席の炉を穿ち、刈ったばかりの稲藁をくべて火を起こした。まだ乾燥していない藁は大量の白煙を青空に立ち上らせた。それは秋空を駆ける昇り龍のようである。女将さん達は、その炉で手早く羹(あつもの)をこしらえた。これもホオミ大将が、手配してくれた事のようだ。流石に、ホオミ大将の心遣いには抜かりがない。ただ、漠然と美しい景色を眺めているのも旅の楽しみではある。しかし、土地の人々と、談笑しながら眺めている方が、旅の楽しみとしては、数段勝るというものである。人々の笑顔と温かい食べ物が心に刷り込まれた景色だと、その風景は、いっそう良い思い出として頭の中に留まる事だろう。湯気を立てながら、木のお椀に注がれた羹が運ばれてきた。イノシシの肉と、沢山の野菜が入っている。ふうふうと、息を吹きながら一口すすったテル(照)お婆が「これは美味しい」と感嘆の声を上げた。テル(照)お婆が美味しいと言うのだ。皆は期待を込めて、お椀に唇を寄せた。すると、汁を飲む前に、とても良い香りがして来た。食べる前から、美味しいなんて感動してしまう。すると、私の傍に座った老夫婦が「喜んでもらえましたか。ありがたいことです」と手を叩いて喜んでくれた。「これはシシ肉ですか」と私が聞くと「そうですたい。ちょうど、いい塩梅に熟成出来ましてなぁ」と、お爺さんが答えた。そして「野菜は、皆採れたてですばい。ほれあの畑でね」と、お婆さんが言った。お婆さんが指差した方を振り返ると、急峻な山肌に規則正しく並んだ緑の葉が見える。「あそこも畑なんですか」と、私が立ち上がって聞くと「そうですたい。ワシラ年寄りが、道楽で作っとる畑ですじゃ。近くに行って見ますか?」と、お爺さんとお婆さんが立ち上がり歩き出した。その老夫婦の後をついて山肌に登り上がると人がやっと一人通れる位の細い道があった。その細い道は、山肌に添って横に伸びている。そして、人の背丈ほどの斜面の上にも、また一本、また一本と、上に段々に小道が作られている。そして、この小道と、小道の間の斜面が、畑なのだ。なんという奇妙で、そして、素晴らしい発想の山畑なのだ。これなら、山道を登り歩く大変さはあいっても、タネや苗を植える時も、草を取る時も、そして、収穫する時も、背を丸めてかがみ込む必要は無い。ほぼ立ったままの姿勢で、少し前かがみになれば良いのだ。野良仕事としては、とっても楽な姿勢である。その山畑は“もうこれ以上は這いあがれないぞ ”という所まで続いていた。その上から、やっと自然の森が広がるのだ。その深い森を見上げながら「ここから上は、神様の領分やっでなぁ。神様が、霧を水に変えて、ワシラに恵んでくださるのさ」と、お婆さんが言った。そして「ワシは、その神様の水を、田畑に行き渡らせる役目をしていますのじゃ」と、お爺さんが説明してくれた。そう言われて、良く棚田を見降ろすと、細い水路が、幾本かの筋に成り広がっている。水路は、上流に数ケ所の取水口がある。そして、中流域から、やはり数本の排水路が、川に伸びている。これらをうまく操り、水の管理をしているのだろう。誰にでも出来る容易な業ではなさそうだ。お爺さんの役目は「溝長」と呼ばれていた。分かりやすく言えば水の番人だ。手前の田で水を使いきれば、次の田の水は無くなる。上の田に水を注ぎ込みすぎると、下の田まで行き渡らなくなる。誰からも不満が出ないように、公平に水を分けなければいけない役目なのだ。だから、水管理の技術だけでなく、皆の信頼が一番厚い人しか「溝長」には選ばれない。そして「村主」「巫女」「溝長」が、この村の三役だという事である。お爺さんが「良く見てください。あの田には、みっどし(水通し)が無かでしょう」と、端にある田を指差した。「あの辺りには、みっどし(水通し)が伸ばせんやったとです。だけん、あそこは畑です」と、説明してくれた。しかし、その畑にも、稲が実っている。水が引け無いのに、何で稲が実っているのだろう、と思っていると「あの稲は、畑で作る稲なのです。私達は、水田で作る稲と、畑で作る稲の二種類を作っています」とウネが声をかけて来た。いつの間にやら、ウネと、香美妻も、山畑に登って来ていた。「うわ~怖ろしい処ですねぇ」と、香美妻は、及び腰でウネの後ろ帯を、しっかり掴んでいる。確かに、少しでも気を抜けば、一気に下まで転げ落ちそうな処なのだ。「日巫女様は、怖くないのですか」と、香美妻が聞いてきた。「私は、空を飛べるから大丈夫よ」と言うと「だったら、私がもし、ここから転げ落ちたら、空を飛んで助けに来てくださいね」と真顔で香美妻は言った。どうやら、私の冗談に、反撃する言葉を考えるゆとりもなさそうだ。もちろん、那加妻は、上がってきてはいない。だって二人は、メタバル(米多原)の望楼にさえ登れなかったのである。香美妻も、ウネがいなければ、決して登って来なかった筈だ。きっと、シモツ(志茂妻)なら、この絶景に大はしゃぎをした事だろう。今頃、志茂妻は、どこらを旅している事だろう。もう、意地っ張りを治す薬は作れたかしら。

「畑で作る稲は、メラ頭領の山の民が、昔から作っていました」と、ウネが説明を始めた。「水田で作る稲は、数十年前に、サラクマ(沙羅隈)様が、マハン(馬韓)国から取り寄せてくれました。それで、クド(狗奴)国にも、水田が広がりました。稲は、二十数粒もあれば、大人一日分の食料になります。驚くほど生産効率の良い作物なのです。一反の田があれば、地力の無い田でも、五俵は収穫できます。地力のある田なら、九俵も夢では有りません。夫婦二人なら、一反の田で腹を満たすことが出来ます。それに、沢山取れたら数年でも保存できます。だから、しっかり、田を開墾すれば、皆が飢えずに暮らせるのです」なるほど、なるほど、やっぱり稲を作れば豊かな国になるのだ。ウネの話は、とても理にかなっていた。更にウネは話を続けた。「畑で作る稲と、水田で作る稲は、それぞれ三回に分けて植え付けます。最初に植え付けた稲を、早生(わせ)と呼びます。そして、次が中手(なかて)、最後が晩稲(おくて)です。だから、クド(狗奴)国では、性質が違う六種類の稲を育てています。どの稲をどの田に植えるかは、日当たりや土地の高低、それに台風が来た時の風の当たり方などを考えて決めます」何と、農とは、なかなか複雑なもののようである“なんだか大変そう”と思っているとお婆さんが「何を、いつ、どこに植えるかは、ウネ先生が、一緒に考えてくれるけん。難しゅうは無かよ」と言った。更に、お爺さんも「水田で作る稲は、始めわぁ、やおいかんかった(上手く作れなかった)。ばってん、ウネ先生が来らしてからは、がばい(沢山)収穫が増えたとよ。ほれ、あの田なら今年は、九俵は取れるばい」と細めた眼がしらに、いっぱい笑顔をためて元気良く言った。しかし、ウネは、その褒め言葉に照れる様子も、喜ぶ様子も、そして威張る様子も見せず、黙々と説明を続ける。やっぱりウネは、すこし変わり者のようだ。それでも、村人は暖かくウネを包み込むように接している。不思議な関係である「三回に分けて植えれば、途中の手入れも、最後の収穫も、みな三回に分けて行えます。だから、皆の作業も楽なのです。そして何より、水不足の年でも、畑で作る稲なら、少しの水で育ちます。早生が、うまく収穫出来れば、中手や、晩稲が、夏の日照りや、秋の台風にやられても、餓えに苦しむ事は有りません。だから、色んな種類の稲を植えておく方が、良いのです」ウネは、変わり者だけど、その考えは、とても正論である。クド(狗奴)国は、三つの民が共に暮らしているのだと、ホオリ(山幸)王は言っていた。人も作物も同じように、多種多様で雑多が良いのかもしれない。「国って何ぁに??……」これもイト(伊都)国に戻ったら、ウス(臼)王に聞かなければならない。

 山畑の細い道を降りて来た私達を見ながら、那加妻が「香美妻姉様は、いつから、志茂妻に負けないお転婆娘になったんでしょうね」と、からかった。すると香美妻は「日巫女様が空を飛べるとおっしゃるから、私もその想いを少し味わっただけよ」と言い返した。そんな風に言われると、まるで私が、お転婆娘のようではないか。私は、何か反論したかったが、香美妻のようには上手く反撃の言葉が浮かばない。しかたが無いので話題を変えようと「ラビア姉様は、サラクマ親方が、クド(狗奴)国に、稲の種を持ち込んだのだと知っていたの」と、ラビア姉様に声をかけた。ラビア姉様は、若い夫婦と一緒に、昼餉を囲み談笑していたが、私を振り返り「ええ、私も今、こちらのご夫婦にお伺いして驚いていたの」と言った。そして更に「それにお二人は、お父様や、お母様がマハン(馬韓)の人なの」と言った。クド(狗奴)国は、三つの民以外にも、マハン人も住んでいるのか。私は、ラビア姉様以上に驚いた。更に、ウネが私を驚かす事を言い出した「実は、私の祖父様もマハン人です。サラクマ様は、稲の種だけでなく、稲を作るマハン国の人も、連れて来てくれたのです。種だけ貰っても、どうやって育てれば良いか、分かりませんからね。そのサラクマ様を、狗奴国に呼び寄せたのは、私の祖父です。祖父は、随分昔、まだ若い時に、狗奴国へ来ました。そして、山の民だった祖母を娶り狗奴国に根を下ろしたようです。母は、ホオミ大将の一族から嫁いできました。だから、ホオミ大将には、小さい時から可愛がって貰っています。変わり者の私が、この国で役に立っているのも、きっとホオミ大将の口利きだと思います」と、最後は少し投げやりに言った。すると、若い夫婦の夫が「何ば、馬鹿言うと。ウネしゃんなぁ、俺達マハン系狗奴国三世の誇りばい。穂須世理王に見込まれて、シャー(中華)の都で勉強して来たっは、ウネしゃんだけたい」と語気を強めて言った。先ほどのお婆さんも、重ねるように「ウネ先生は、狗奴国の宝ばい」と微笑みながら言った。そして村人達は口々に「そうたい。そうたい。ウネ先生は、期待の星たい」と言いウネを称えた。それでもウネは「そうかなぁ」と納得していない素振りである。やっぱり、ウネは変わり者だ。でも変わり者がいるから、新しい物事が生まれるのかも知れない。若い夫婦の夫の方は、普段はホオリ(山幸)王の元で、土木の計画を任されているそうだ。そして、若い妻は、ヒムカ(日向)の付き人だった。他にも、この村人の中には、兵士や、各署の役人が大勢いるそうだ。彼らは、農民の次男や、三男らしい。人手が足りなくなると、ホオミ大将が、漁民の兵士も含めて駆り出すそうだ。実は、ホオミ大将も、別の村の稲刈りに出向いたらしい。その村の村主が、急な病で倒れたので、ホオミ大将が、陣頭指揮を取りに行ったのだ。狗奴国では、王や大将・頭領であっても、山の猟、海の漁を行って来たそうだ。そして、ヒムカ(日向)の父様穂須世理王は「弓が使えない王が、弓矢部隊を使いこなせる筈はない。五穀の特徴を知らない王が、飢えを無くせるなど考えられない。商才が無い王が、国を富ませられる筈がない。武に精通し、農に精通し、商いに精通した王ならば覇者になれよう」と、自らも鍬を取り、田畑を耕したそうだ。だから、穂須世理王のウネへの期待はとても大きかったのだ。

 充分棚田の風景を楽しんだ私達は、帰り道を進み始めた。でも、来た時とはまた別の道を通るらしい。私達が退屈しないように、心憎い配慮である。しかし、やっぱり私は、あまりに心地の良いコウ(項)家軍属の輿の上で、睡魔に勝てなくなってきた。だって、お腹はいっぱいだし秋風が心地良いし、この揺れである。眠るなと言うのが酷な話である。他の輿を見渡すと、香美妻以外は、皆こっくりこっくりと、うたた寝をしている。香美妻だけが、ウネを伴って生き生きとおしゃべりを楽しんでいるのだ。もちろん、お姫様育ちの香美妻は輿の上である。そして、ウネを傍らに歩かせているのだ。ウネも、香美妻以外に説明する相手がいないので、黙々と香美妻に付き合っている。がんばれウネよ!!

~ 棚田の授業 ~

 どれ位経ったのだろう。突然輿が止まった。しかし、ここはまだ棚田の中腹である。先方を見ると、細い畦道の上で、ウネが、異人の親子と何やら話をしている。あれは、シラ(始羅)の船宿で見かけたビダルバ国から来た親子である。ラビア姉様も、それに気付き輿を降りて親子に近づいて行った。しばらく話をしていたが、程なくその親子を伴って私の輿に近寄って来た。そして、母親はラクシュミーと言い、息子はアルジュナと言う名だと紹介してくれた。やはり、アルジュナ少年は、私と同じ歳らしい。黄色いチュニックの襟から、蛇の首飾りが覗いている。私が、興味深げにその蛇を見ていると「これは、ナーガという蛇神のお守りです」とアルジュナ少年が、倭人の言葉で教えてくれた。そうか、ラクシュミー親子は、通訳なので倭人の言葉が話せたのだ。だから、私は安心して「アルジュナさんは、蛇神の信徒なの?」と聞いてみた。するとアルジュナ少年は、恥ずかしそうにうつむきながら「アルと、呼んでください」と言った。だから私も「じゃぁ、私の事はピミファと呼んで。良いアル」と言った。アルジュナ少年は「分かりました。ピミファ。質問にお答えします」と言って話を続けた。「私は、蛇神の信徒では有りません。私は、あまり信心深くないのです。私達の世界では、ナーガは、神様の一族で、沢山のナーガが知られています。例えば、ナーガラージャは、水の神様で、怒らせると旱魃になります。川の神様でもあるので、旅の神様でも有ります。だから、母様が、私のお守りに身に付けさせているのです。このナーガは、アナンタと言う神様です。原初の蛇だと言われています。そして、この世が、まだ混沌とした海だった時には、創造主の船だったそうです。だから、無際限の象徴でも有ります。ご理解いただけましたか?」と少し生意気な言い方で話を結んだ。どうやらアルジュナ少年は、とても智識に溢れた聡明な少年のようである。しかしその態度は、ウネに劣らない学者肌の変人のようである。ラビア姉様が、苦笑しながら私を見た。そして「ラクシュミーさん達は、棚田の見学に来たそうよ。その為に、ウネさんを探していたらしいの」と教えてくれた。母親のラクシュミーさんは、緑のチュニックの下に白いサルワールという下穿きを身に付けていた。シャー(中華)では胡服といい、馬という生き物に跨り、旅をする時に穿くそうだ。ラビア姉様も数着持っていて、西域を旅する時には、胡服を身に着けていたらしい。馬と言う生き物は、犬のような形をしていて人の背丈より大きいそうだ。だから馬に跨り旅をすれば、とても遠くまで行けるようだ。そして、乗馬の為の着物が胡服なのだ。確かに、両足を別々に包み込んだ胡服は、馬に跨るには適していそうだ。もちろん、動きやすさだけを考えれば、裸に近い方が良い筈である。でも、西域や北方の国は、とても寒いらしい。もし、裸で馬に乗り駆けまわっていたら、一時と経たずして、氷になり死んでしまうという事である。私は、氷という物を一度も見た事が無い。氷とは、水が固まったものらしい。あの掴みようも無い流れ落ちる水が、固まっている様など、どうしても私には思い描けない。でも、ラビア姉様の話では、西域や北方の国では、冬になると川も海も氷に変わるそうだ。だから、川や海の上を、歩いて渡る事が出来るらしい。とても信じられない話である。この話がラビア姉様の話でなかったら、私は決して信じなかっただろう。ラクシュミーさんは、腰帯にスサト(須佐人)と同じ曲刀を差していた。繊細な彫刻が施された白い柄と鞘は、象牙と云う物で出来ているそうだ。象牙とは、象と言う生き物の牙らしい。象とは、イノシシを小山のように大きくした物のようだ。だから、牙もとても大きい。それにイノシシと違い、鼻が異様に長いらしい。その鼻は、まるで腕のように自由に動くそうだ。何と変わった生き物だろう。更に驚いた事にラクシュミーさんの国では、人と象は、共に暮らしていると言う事である。鯨のように大きな生き物なのに、食べないのだ。美味しくないのだろうか???…… 私が、その疑問を、ラクシュミーさんに投げかけると、ラビア姉様が、愉快そうに笑い出した。ラクシュミーさんは、目を丸くして言葉に詰まっている。だから、笑いを押さえてラビア姉様が「象は、とても利口で働き物なの。それに、力自慢だから、大きな丸太でも楽々と、鼻で持ち上げ運んでくれるの。だから、食べてしまうなんてもったいないわ」と教えてくれた。確かに、もし鯨が岩を退かし、山肌に田畑を切り開いてくれたら、私達も鯨を食べないかも知れない。象とは、犬のように人々の暮らしを助けてくれる生き物なのだ。それに犬とは違い、馬のように人が乗って旅も出来るそうだ。なんと役に立つ生き物だろう。鯨に足が有ったら良かったのに……と私は思った。もし、鯨に足が有ったら、馬や象以上に人の役に立ったかも知れない。だって鯨は、馬や象以上に、賢くて優しい生き物なのだ。私達は、鯨を襲い食べてしまうが、鯨が人を襲い食べてしまう話を私は一度も聞いた事がない。

 ラクシュミーさんの国は、山々が多くて、とても貧しいらしい。だから、クド(狗奴)国の農業に、とても興味を抱いたのだ。ラクシュミーさん自身は商人で、ラビア姉様の同業者である。でも、ラビア姉様やサラクマ親方とは、面識がなかった。それは、サラクマ親方や、カメ(亀)爺達が、北の商人団であるのに対して、ラクシュミーさん達は、南の商人団だからだ。ラクシュミーさん達商人団は、アマミ(天海)親方の取引相手なのである。アマミ親方は、主に南海の乾物や織物を扱い、ラクシュミーさん達は、黒檀などの木材と、香辛料を扱っているそうだ。その話が聞こえると、輿の上でうたた寝をしていたテル(照)お婆が、輿から降りて近寄って来た。そして「ウコンの根は持ってないか? 聞いてくれないかね」とラビア姉様に通訳を頼んだ。すると、アルジュナ少年がすかさず「カリーでも作るのですか?」と倭人の言葉でテルお婆に訊ねた。「おや、倭人の言葉が話せるのかい。こりゃ賢い子だね」とテルお婆は驚いて、アルの浅黒い顔を、まじまじと見た「えぇ私達親子は、商人団の通訳をしていますからご質問も理解できます」とラクシュミーさんが、テルお婆に近寄り話しかけてきた。「そりゃ助かるわい。私も、シャー(中華)の言葉は分かるが、あんたら天竺人の言葉は、まるきり分からんでなぁ。直接話せるなら話が早いね。ところで、持っているのかね」とテルお婆は、改めて聞いた。「今は、あいにく春ウコンの根しか、持ち合わせが有りませんが宜しいですか?」とラクシュミーさんは答えた。「いやぁ充分さ。それに私はカリーの作り方は知らないから、秋ウコンでなくても良いのさ」とテルお婆が喜んで答えた。どうやら商談が成立したようである。

 秋風は心地良く、いつまでも、この棚田の風に吹かれていたい気分だが、帰路の時間を考えるとそうもいかない。そこで、ラクシュミーさん親子と、ウネの話は、道中を共にしながら行う事になった。だから私は、この機会に、ラクシュミーさんに輿を譲り、アルジュナ少年や、ウネといっしょに、歩く事に決めた。ラクシュミーさんは、とても恐縮していたが、アチャ爺が「うちのお転婆姫は、先っきから、自分の足で歩きたくて、うずうずしていたんじゃ。遠慮はいらんよ。さぁ乗ってくれ」と促したので、ラクシュミーさんも輿に揺られる事になった。

 ウコンって何???……と私が訝しげに呟くと「生姜の仲間です」とウネが教えてくれた。「生姜なら知っているわ。村の畑でも作っているもの。冬、風邪を引いたら、テルお婆が、甘~い生姜湯を作ってくれるの。だから、村の子供達は、風邪を引くのが楽しみなのよ」と私が嬉しそうに言うと、今度はウネが訝しそうに「変わった子供達ですねぇ?」と首を傾げている。どうやら、ウネには言葉の綾が解らないらしい。すると、アルジュナ少年が「ピミファが言ったのは言葉の綾です。学問的には転義法と言います。転義法にはいくつかの手法がありますが、今ピミファが使った転義法は、その中のアレゴリーという物ですね」と言い出した。「転義法とは、転作などと近い意味ですか?」とウネが聞き返した。するとアルは「言葉の転作だと考えれば、近いかもしれません」と答えた。「なるほど、転作をすれば、作物を病害虫から守り易いと言う益が有りますが、言葉の場合は、どんな益が有るのですか?」とウネが、更に聞き返す。「言葉の場合は、直接表現すると辛い事や、嫌な事を和らげる効果が有ります。例えば、『父が死んだ』と言うより『父はあの世に旅立った』と、言う方が、母の悲しみを和らげる事が出来ます。ご理解いただけましたか?」と先ほどと同じように、すこし生意気な言い方で答えた。ウネは「確かに、喪失感が和らぎますね。なるほど、言葉の転作には益が有りそうだ」と感心している。そして「しかし、私には、その技法がうまく使えそうもない。アル殿から伝授していただけませんか?」と頼んでいる「では、農法と互いに、交換し合いましょう」とアルジュナ少年は答えた。どうやら変人と変人の間では会話が弾むようである。

 どうして変わり者のウネは、狗奴国の人々に信頼され先生と呼ばれ頼られるのだろう。シャー(中華)に留学し、農学を学んでいるからだろうか???…… でも、それだけではなさそうなのだ。加太は「人の知識など、自然の前ではピミファの爪の垢位の物だ。いくら人が学んでも、あの雲の行方さえ知りえないだろう。だから、自分は物知りだと思っている奴ほど、物事を知らない人間はいない。まぁピミファも、千年ほど俺に付いて学べば、少しは物知りになれるかもしれんがな」と良く自信過剰に陥りやすい私を諭したものだ。そして加太自身は、人には気が遠くなるほど長く生きて学んできたらしい。しかし「まだ何も分からん」と言うのだ。それなのに、何故学ぼうとするのだろう。ウネも物知りな所をひけらかしている訳ではない。むしろ年寄りには謙虚に物事を尋ね学び続けようとしている。だから、ウネに威張ったところなど見られない。なのに何故、指導者だと仰がれているのだろう。私が、そんな思いに耽っていると「変わり者が世の中を変え、良くしてくれるちゅうもんさ。昔からのう」とテルお婆が微笑んでしげしげと私を見た。えっ?! もしかしてテルお婆が言った変わり者って、私の事???…… そう思って恐る恐る人差し指で私の鼻頭を指差すとアチャ爺までもが、うんうんと頷いている。いつの間にか、私までウネとアルの仲間に加えられているのだ。私は、何とか反論しようと考えを巡らせたが、それより先にテルお婆が話し始めた。それも、皆に聞こえる位の大声である「何故、変わり者が世の中を変え、良くしてくれるのか? 言いかえれば、世の中を変え、良くしてくれるのは、案外と変わり者が多いというのは何故か? あたしゃウネさんを見ていて、はたと気付いたのさ。先っきうたた寝をしながら、香美妻と、ウネさんの話声を、子守歌代わりに聞いていたんじゃがの。何でも稲作りは、開花時期が大事らしい。そして、稲の開花時期を、出穂(しゅっすい)と言うらしいのう。その出穂の時期が冷夏だったり、猛暑だったりすると、実りが駄目に成るらしい。出穂の時期は、私らが『嗚、今日は気持ちの良い朝じゃのう』と、思う位で無いといかんらしい。『昨夜(ゆうべ)は、夜中まで蒸し暑くて、一睡も出来んやったばい』とか『昨夜は、秋ば通り越して、もう冬が来たかと思う位、寒くて一睡も出来んやったばい』と言う時は、稲穂は実を孕まんらしい。あたしが、アキトを孕んだのは、冷夏の年やったが、次の春には近隣の村でも、沢山の赤子が産まれたもんやっど。寒い晩には独り者なら筵を重ねて寝るしかなかばってん、夫婦者なら肌を寄せ合って暖を取れるけんねぇ」と子供の私には理解できない事を言い出した。しかし、ラビア姉様は、クスッと笑うと赤くなって下を向いてしまった。アチャ爺が気まずそうにコホンと咳払いをした。しかし、その様子には構わずテルお婆は話を続ける。「そう考えると、稲っちゃ、気難しか生きモンやっど。そこで、この気難し屋の稲しゃんのご機嫌ば、どう取るかが、百姓の腕の見せどころじゃっど。毎年、変わらない春が来て、毎年変わらない夏が来れば良いが、そうはいかん。今年は、猛暑か? 冷夏か? それとも平年並みか? それを百姓達は、梅の花が散り、飯ダコが旨もうなった時分には、もう見極めんといかん。この見極めを間違えると、村は餓えに苦しむ事になるかも知れん。だけん、ただ春になれば種を播き、梅雨に入れば田植えをする、ちゅうほど簡単な話じゃ有りもはんやっでなぁ」とテル(照)お婆は声を張り上げた。皆は、いつの間にかすっかり、テルお婆の話に引き込まれている。コウ(項)家二十四人衆も、耳をそばだてているので、微妙に足もとが怪しくなってきた。何となく“うん、うん、なるほど、なるほど”と頷いているような気配が、輿の揺れに加わっているのだ。これでは、皆うたた寝も出来まい。ついに槍の項冠が「まるで、木組みのように繊細な作業ですなぁ」と感嘆の声を発した。槍の項冠は、コウ(項)家軍属の工作部隊を指揮している。だから稲作の作業工程が、繊細な木組みのように思えたのだろう。「まぁ、職人技という点では、引けを取らん話じゃろうね」とテル(照)お婆も相槌を返した「じゃが、風の流れを読み取り、季節の移ろいを読み解く事は至難の技じゃ。兄様でさえ、大層難儀をしてなさる。さて項荘よ。この冬の皮衣は、何枚重ねれば良いかの?」とテルお婆は、剣の項荘に質問を投げかけた。剣の項荘は、コウ(項)家軍属の資材調達を担っている。突然の質問に戸惑いながら、項荘は「よほどの寒波でもこなけりゃ一枚で十分でしょう」と答えた。するとテルお婆は意地悪げに「ほう、もし寒波が来たならどうする。お前は皆を凍えさせてしまうぞ」と言った。賢い項荘は「なるほど…… 確かに稲作とは、一筋縄で括れる代物ではありませんなぁ」と頷いている。「では、項佗よ。七日先の嵐がお前に解ったとしよう。さて、イト(伊都)国に帰るのは、いつにするかね」とテル(照)お婆は、今度は徒手の項佗に質問を投げかけた。徒手の項佗は、コウ(項)家軍属の輸送部隊を指揮している。だから旅の名人だ。項佗は「明日にでも美々津から出航するか、出来なければ、嵐が過ぎるのを待って出航します」と答えた。すると「そうじゃのう。田植えの時期を考えんといかんのう」と言い出した。項佗は「なるほど、稲作とは、毎年難儀な旅をしているようなものですなぁ」と呟いた。さすがにテルお婆はジョ(徐)家の女である。人の心を操る事に長けている。これまで、ウネの農学の授業を聞いていたのは、香美妻だけだったが、テルお婆の俄か講義で皆は、すっかり農学の世界に目を見開き始めた。「ウネさんや、猛暑だと分かれば、どうすれば良いのかのう? そして冷夏になったら、どうすれば良いのかのう?」とテルお婆は、ウネに講義を譲った。「はい、猛暑なら稲の開花時期をずらす為に、田植えの時期も通年と変えます。猛暑を避けて、初夏に出穂させるなら、早生を早めに植え、晩夏に出穂させるなら、晩稲を遅めに植えて、中手は、少なく植えます。そうすれば、被害が少なくて済みます。もし、冷夏になったら、水管理で凌ぎます。昼間の温かい時に、田にたっぷりと水を張り暖めておくのです。そうすると、夜になっても温かさを保つ事が出来ます」そうウネが言うと、皆「ほう」と感心した。その声を聞いて、恐る恐る話し始めたウネの授業も、調子が出てき始めた。「この開花期の水の事を花水と言います」とウネが言うと「ほう、花水かぁ。良いのう。ワシゃ~もう一杯だけ花酒が飲みたいわい」とアチャ爺がいらぬ相の手を入れた「水管理で難を逃れるのは、猛暑の時も同じです。ただ水を張り過ぎていると、根がしっかり育たず根からの呼吸が出来なかったりします。そこで、田の水を入れたり抜いたりしながら根を強くします。これを間断通水と言います。この間断通水の要領が猛暑と冷夏では違います。猛暑の時は、葉や茎からの蒸散量が増えます。だから、しっかり水をやる必要が有ります。ところが、猛暑の時は、根も夏バテをして、しっかり水を吸いません。そこで、こまめに水を落として、根に空気を与え冷たい水をかけ流して株間の気温を下げます。これを、走り水と言います。しかし、これをやると、水不足の心配が出てくるので、溝長の差配がとても重要になります。また猛暑の時は、一気に登熟が進む事があるので稲刈りの見定めも重要です」とウネの授業は、調子が上がって来た。しかし、ウネの調子が上がるにつけだんだん落ちこぼれる生徒が出始めた。コウ(項)家二十四人衆の足並みも元に戻り、輿の揺れが心地良さを取り戻して来た。だからまた、香美妻とテルお婆以外は皆うたた寝を始めた。するとその頃合いを見計らってテルお婆がうまく教鞭を取り戻した。そして「溝長は偉い!!」と大声を張り上げた。アチャ爺が、びくりと辺りを見渡し「もう、着いたかい」と言った。うたた寝をしていた皆も、何事だろうと飛び起きた。だから私は「はい、皆、授業中の居眠りは、悪い子の始まりです」と皆をたしなめた。でも、ラクシュミーさんに輿を譲って無かったら、私が一番に眠りこけていただろう。何しろウネの話し方は、淡々としているのだ。その上に、低くて美しい声なので眠気を誘うのだ。テルお婆の話は、自問自答形式で始まった。「何故、変わり者が世の中を変え、良くしてくれるのか? それはきっと変わり者は、自分の意見を変えん強い意志を持っているからかも知れんど。本当は『きっと今年の夏は猛暑だ』と思うとっても周りから『何ばぁ言いよっとですかぁ。こげな春先の年は冷夏に決まっとるじゃぁ無かですかぁ』と言われればそうかも知れないと思い、また誰かが『そげな事は無かぁ。いつもと同じ夏たい』と言われればそんな気になり、やたらと周りの意見に配慮すると、自分の意見が決められなくなる。ちゅうもんたいね。ばってん変人なぁ周りの意見など聞いとらんけん。猛暑だと一度確信したら、誰が何ん言ゅおうと猛暑たい。指導者に大事なんは、ここ一番ちゅう時に方針が揺らがん事ったいね。だけん、普段は周りの人から『あいつは変わり者やけん』と言われとっても、難解な時には一番頼りに成るとやろうね。うん、うん、大分解ってきた。良し、私ゃもうひと寝入りしよう」と言い終るとさっさとうたた寝を始めた。この様子に皆はあっけに取られていたが、程なく香美妻以外は、またうたた寝を始めた。しかし、ウネは、めげるでも無く香美妻を相手に淡々と農学を語っている。がんばれウネよ!!

~ 棚田の哲学少年 ~

 ふと、アルジュナ少年の方を見やると、細長く、四角い葉っぱのような物に、何やら書き留めている。ウネの話を、書き留めているようである。ビダルバ国はとても暑い所らしい。だから、ウネの猛暑対策が、とても参考に成ったようである。アルジュナ少年は、本当に勤勉家のようである。でも私は、細長く四角い葉っぱのような物の方が気になって「ねぇアル。その細長い物は何なの???…… 」と、アルジュナ少年に尋ねた。すると「貝葉(ばいよう)です」と顔も上げずに無愛想に答えた。やっぱり変わり者である。「バ・イ・ヨ・ウって何???…… 」と、私が重ねて聞くと、面倒臭そうに「正式には、貝多羅葉(ばいたらよう)と、言います」と答えた。私はしつこく「じゃぁバ・イ・タ・ラ・ヨ・ウって何???…… 」と強い口調で聞いた。アルジュナ少年は、やっと顔を上げて「バイは貝です。タラヨウとは、多羅と言う木の葉っぱです。これで良いですか」と、再び貝葉に目を落とした。私は「私が聞きたいのは、貝葉は何の為に、どうやって作られているのかって事なの!! 解った。アル!!」と、無理やりアルジュナ少年を、私の方に向かせて言った。すると、アルジュナ少年は、丸ぁるい大きな瞳を見開いて「後、百八十歩歩く間だけ待ってください」と言った。私は、仕方ないので、一歩二歩三歩と数えながら歩き百八十歩分待った。そして、アルジュナ少年は「はい、やっと書き留めました。で、質問は貝葉の用途と製造方法でしたね」と私に向き直り平然と、そして淡々と言った。やっぱりウネに似ている。「貝葉の用途は、文字や絵を描きとめる事です。文字や絵を描きとめる物には、木の板を薄くした木簡や、同じように竹を薄くした竹簡が有ります。しかし、木簡や竹簡は、沢山文字を書くと、かさばるし重いので旅に持ち歩くには不便です。軽いものとしては、絹帛(けんばく)と呼ばれている絹織物もあります。絹帛に書ければ、持ち運びも軽くて便利なのですが、とても高価で、私などの手に入る物では有りません。数十年前に、シャー(中華)で、紙という物が実用化されたそうです。これは、原料に樹皮・麻クズ・破れた魚網などの安価な物を使っているようなので、絹帛に比べれば、随分安く手に入るように成りました。しかし、それでも私のような者にとっては、まだまだ高価な代物です。そこで、私達のような貧しい学生達は、貝葉を使うのです。貝葉は、多羅樹という大きな木の葉っぱです。大きいといっても、この辺りの大木とは少し容姿が違います。ピミファが乗っている軍船の帆柱のように、高い幹が一本ニョキッと伸びています。途中に枝葉は有りません。その天辺に手のひらを広げたように、あるいは、二枚貝の筋のように葉を広げているのです。子供の頭ほどの実もつけます。実の内側の肉からは、砂糖や酒も作ります。葉は、主に屋根を葺くのに使います。この辺りで、葦で屋根を葺くようにです。葉を編みあげれば、敷物や日傘も作れます。幹はそのまま家の柱に使ったり、寝台を作ったりも出来ます。とても便利な木なのです。貝葉の作り方は、葉をこのように切りそろえます。そして煮て乾かします。乾いたら両端に穴を開けます。この穴に紐を通して貝葉を束ねます。どうです。意外と軽いでしょう」と言うとアルジュナ少年は、その貝葉の束を、私に持たせてくれた。確かに木簡や竹簡に比べればとても軽い。でも意外と葉には厚みがあり丈夫そうである。「文字を刻んだら、油で溶いた煤(すす)を塗り込みます。そして軽く焙ります。こうしておけば、湿気や虫も寄せ付けず、文字も読みやすくなります」と、アルジュナ少年が言うので文字を良く見ると、丸ぁるっこい引っ掻き傷のような物が、たくさん並んでいるだけで、何が書かれているのかさっぱり分からない。何なのこの変な文字は???…… という顔で私が見ているのに気付いて「ピミファが習っているシャー(中華)の文字とは随分違いますよね。でも、この世には様々な文字があるのです」と、アルジュナ少年は、少し愉快げに言った。すると、いきなり横からウネが「私はこんな文字を使います」と葉っぱを差し出した。それを香美妻が強引に横から受け取り「まぁ可愛い文字だ事」と言ってうやうやしく私に手渡した。確かに、アルジュナ少年の丸文字よりは文字らしいが、やっぱり幼子が書いた絵のようである。その葉っぱを、アルジュナ少年が覗きこみ「これは、何と言う筆記媒体ですか?」と、ウネに聞いてきた。「ここらでは、エカキシバと呼んでいる木の葉っぱです。それは、三年前に書き留めた田植えの様子です」と、ウネが答えると「へぇ~ 思った以上に長く持つ物ですね。どこに行けば売っているのですか?」とアルジュナ少年は、目を輝かせてウネに聞いた。ウネは、アルジュナ少年の興奮に感化される事なく「売っていません」と淡白に答えた。「え~売ってないんですか。残念だなぁ。すごく便利な物だと思ったのに、こんな便利な葉っぱが沢山あったら、もう貝葉を、持ち歩かなくても良くなると喜んだのになぁ」と、がっかりとした様子で項垂れてしまった。すると、ウネが「山に入れば、あちこちに茂っています。だから誰も売り買いなどしません」と付け加えた。普通なら「何て意地悪な奴め。それを先に言えよ」と言いたいところだが、それがウネなのである。「どこに行けば売っているのですか?」と、聞かれたので「売っていません」と答えただけなのだ。それでも、アルジュナ少年は、大喜びをした。そして「どこの山に入れば、エカキシバの木は有るんですか」とウネの腕を掴んでせがみ出した。この騒がしい様子に、うたた寝をしていた皆も起きだした。そして「エカキシバがどうしたと言うのかね」とアチャ爺が話に加わってきた。だから私は、貝葉と文字とエカキシバの話をかいつまんでした。「そうかい。そうかい。アルしゃんなぁ。エカキシバの葉が欲しいのかい。そんなら、ワシがエカキシバを見つけてやろう。ワシもシャー(中華)の文字を覚える時にぁ、良くエカキシバの葉を使ったもんじゃっど」と、アチャ爺がアルジュナ少年に語りかけた。アルジュナ少年は「有り難うございます。アチャ様も文字が書けるんですね」と感心したように答えた。するとラクシュミーさんが「アチャ様も、私達と同じ交易商人だから、文字の読み書きが出来て当然ですよ」と諭すように言った。そして「すみません。アチャ様。私の育て方が良くないものですから、生意気な子供に育ってしまいました」と両手を合わせて謝った。アチャ爺は「いやいや男の子は、生意気な位が丁度良い。気になさるな」と言ってアルジュナ少年の頭をやさしく撫でた。横からテル(照)お婆が「おや、ラクシュミーさんなぁ。東海一の暴れ者の話は、聞いた事が無いようじゃのう。海賊船でさえ、その暴れ者の名を聞いただけで、逃げて行きよったそうじゃよ」と口を挟んだ。「ええ、初耳です。海賊が恐れるとは、頼りがいがある暴れ者ですね。是非、私供の商人団に加わって欲しいものですね」と大きくて美しい目を輝かせた。アチャ爺は、喜んで良いのやら、悔やむべきか複雑な表情である。その表情を見て、ラクシュミーさんは気付いたようである。「海賊も恐れる頼もしい御仁とは、アチャ様のようですね」とラクシュミーさんに言われて、アチャ爺は頭を掻き掻き「いやぁ~その~」と照れている。その様子を見て「年を取って、暴れ者は収まって来たけど、美人に弱いのは昔のままだねぇ」と更にテル(照)お婆にからかわれている。  クマタカ(熊鷹)が木の枝を加えて青空を旋回している。王都への道は森の道である。鷹はお気に入りの高木を探しているのだろう。鳥の中では猛禽類なのだが、私には意外とその眼はやさしいく感じられる。鷹は高木の神の化身なのだと香美妻が教えてくれた。志茂妻は小さい頃に鷹を飼っていたそうだ。「森の生き物には国境がないからねぇ」とテルお婆が、クマタカ(熊鷹)の雄姿を見上げた。ヤマァタイ(八海森)国は、海と平野の国だが、狗奴国は森の国だと実感した。森の道はなだらかな起伏で、木陰が多いので私の足取りも軽い。ウネの話では、目の前にある峠を越えふた時(約四時間)ほどでハイグスク(南城)に帰り着くそうだ。高等遊民の私には急ぐ旅でもない。秋の日和を十分楽しみたいものである。そんな私の思いを汲み取り、見晴らしの良い中腹の丘で、休憩を取る事になった。私は大きく伸びをして「嗚呼、今日も良く頑張ったわぁ」と言った。それを見て、那加妻が「日巫女様は、いつだって頑張り屋さんですもの。私も日巫女様のお傍に使えていると、頑張って生きるぞっと気を新たにします」と微笑んだ。するとアルジュナ少年が「それは無理という物です」と口を挟んできた。私は、むかっとして「人はみんな頑張って生きているのよ。アルは頑張らないでだらだらと生きていくの」と迫った。ところが、アルジュナ少年は涼しい顔をして「頑張って生きるぞ!!と言うのは、頑張って死なないぞ!!と言う事ですが、それは無理な事ですね。人は皆、老いて死ぬものです」と言い出した。不思議な発想をする少年である。私は一瞬とまどったが「じゃぁ、何もしないでボーっと死ぬまで生きていくのが良いと言うの」と再びアルジュナ少年に迫った。アルジュナ少年は「ええ、それは私の理想ですね。でも残念な事に、人間は長くボーっとは出来ないんですよ」と草むらに寝転び、天を仰ぎながら答えた。再び不思議な発想で返された私は「そんな事はないわ。私なら何日でもボーっとしてられるわよ」と草むらに寝転びアルジュナ少年を、睨みつけながら答えた。すると再び「そうですか? お腹がすきませんか? あんなもの食べたいなぁ。こんな美味しいもの食べたいなぁ。とは思いませんか?」と、言い返されてしまった。私は「それ位誰だって思うわよ。でも…… 」と言いかけたら「じゃぁ餓えて死にそうな子供がいたら、食べ物を見つけてあげようとは思いませんか?」とアルジュナ少年は、上体を起こして私に言い迫ってきた。私は「当たり前じゃない。弱い者を助けるのは人間の務めでしょう」と答えた。「さすがにピミファ姫は優しくて偉い人ですよね。ほら沢山の事を考えて、こうしたい、ああしたい、と思っているじゃ無いですか。決して、ピミファ姫はボーっと、無欲にはしておれませんよ」とアルジュナ少年は、愉快そうに笑いながら、再び天を仰ぎ草むらに転がった。私はだんだん腹が立ってきたが、反論する言葉が見つからない。高木の神の娘那加妻が心配そうに、私達の論争を聞いている。ジョ(徐)家の意地っ張り娘の香美妻も、愉快そうに私の横に座り込んできた。私は「じゃぁ、どうすれば良いのよ」と言った。「それが難しいんですよね。確かなのは、『欲はなまじな事では消えない』ということです」と、アルジュナ少年が言うと香美妻がうんうんと頷いている。私は「でも、悪い欲じゃなきゃ良いじゃない。何も、あなたに迷惑かけなきゃ良いんだから」と言い返した。アルジュナ少年は天を仰ぎながら「そうなんですけどね。それが難しいんですよね。人は、ひとりでは生きていませんからね。無縁でいる事は、とても叶わない事なんです。まるで、綾とりの紐のように、絡まっているんです」と独り言のように呟いた。ついに私は、堪忍袋の緒が切れて「あなたの言っている事は分からないわ。ああ言えば、こう言う、こう言えば、ああ言う、へ理屈屋の物知りお馬鹿さん!! もうあなたなんかとは口を利かないわ」と横を向いた。このやり取りを、独り香美妻だけが楽しんでいる。そして手を叩きながら「すごいですねぇ。日巫女様を言い負かせるのは、アルジュナさんだけですよ」と言った。すると、アルジュナ少年はくるりと香美妻に向き直り「あなたの言っている事は分かりません。僕は誰とも闘ったりしていません。論争など無意味です」と言った。ジョ(徐)家の意地っ張り娘香美妻は、一瞬ぽかぁ~と口を開けていたが「競い合いは、生きる楽しみだし人を強くします。それに今、あなたと日巫女様は、人の生き方について、言い争いをしていたでは有りませんか」と言い返した。すると、アルジュナ少年は「生きる楽しみが競い合いなら、生きる悲しみは何でしょうか?」と聞き返してきた。香美妻は、一瞬戸惑いながら「死でしょうねぇ」と不安げに答えた。不思議少年は「死は本当に悲しい事ですか? 楽しみには成りませんか。だって死んだらまた生き返り、今度は、新しい生き方が出来るかも知れないんですよ」と、また変な事を言い出した。私は、香美妻が言い負かされるのを確信した。私の時と同じである。ところが、意地っ張りの香美妻は「親しい人が死んで悲しまない人なんかいませんわ。もしそんな人がいたらその人は薄情者です」と言い返した。そして、やっぱり、不思議少年は「何故、悲しいのですか?  その人は神様の元に帰るのですよ。死なないでず~っと生きているというのは、ず~っと神様の元に帰れないという事ですよ。その人の事を考えたら、その方が酷く悲しい事では有りませんか」と言った。ついに、香美妻は「私は、あなたを誤解していました。あなたみたいな薄情な事を言い出す人とは、もう口を利くのも穢れます」と言うとぷいと横を向いてしまった。私は吹き出しそうになったが、今の香美妻は、先ほどまでの私だと思うと、やっぱり腹が立ってきた。だから「人は神様の分霊だわ。でも人は、神様に命を授かった時には喜び、神様に命を返す時は悲しくなるのよ。それが人情だわ」と言ってしまった。香美妻がぐっと私の腕を掴んだ。不思議少年は「神様の分霊だというのは、ある意味賛同します。幾度も生まれ替わり、幾度も死への恐怖に追いかけられる。人の存在とは虚ろなものです」と言い出した。私は棒を持ってきて、この偏屈頭をが~んと殴り飛ばしたくなってきた。私の腕を掴む香美妻の力が増した。ラクシュミーさんが「御免なさい。変な子でしょう。いつもああなのよ。理屈ばっかり」と謝ってきた。私と香美妻は、腕を組んだまま無言でいた。すると、ラビア姉様が「いいえ、とても賢い男の子ですね」と大人の仲裁に入ってきた。「そう言ってもらうと助かります。いつもあんな風に、変な理屈を言っては、友達を怒らせるんです。だから、なかなか友達が出来ないんですよ」とラクシュミーさんは悲しげに言った。「確かに、楽しく遊べる相手では無さそうですね」とラビア姉様が、微笑みながら言葉を返した。そして「でも、輪廻転生に悩むなんて賢い子じゃなきゃ出来ませんよ。ピミファ姫も、とても良い友達が出来たわね」と私を振りむいた。「うんうん、ウネしゃんといい、アルジュナしゃんといい、本当にピミファには、良か学友が出来たばい。良か、良か」とアチャ爺も喜んでいる。「香美妻とは、意地っ張り友達じゃが、ウネしゃんや、アルジュナしゃんとは、変り者友達じゃいね。アハハハハ」とテル(照)お婆が大笑いした。そして場が和らいできたので、那加妻もほっとしたように微笑んだ。私と香美妻だけが、まだ憮然としているのだ。「誰が、こんな偏屈少年なんかと友達になるものか」と私は思いながら「でも、タケル(健)ならこの偏屈少年の友達になってくれそうだ」という気がした。結局、その後、私と香美妻は、アルジュナ少年とは一言も言葉を交わさず帰り付いた。でも、道中でアルジュナ少年と、ウネは沢山話をしたようだ。そして、アチャ爺と、ラビア姉様は、ラクシュミーさんと商売の話で花が咲いていた。テル(照)お婆だけがうたた寝を楽しんでいたようだ。

~ ウカ(生化)の神の舞 ~

 ウスバカゲロウ(薄翅蜉蝣)が乱舞し、王の館に夜を運んできた。盆地の夕暮れは早く山畑の野焼きの火が温かみを感じさせる。秋めく山野の旅を終え、王都ハイグスクに帰り付くと、ヒムカ(日向)の政務室には、既に名降ろしを行う祭り場の仕度が施されていた。そして、別室には、今日も豪勢な宴席が準備されている。宴席はアチャ爺の持ち場で、私の持ち場は祭り場だ。すこし緊張が走った。そして、心休まる旅のおかげか、私の王都を見る目にも変化が生じていた。この国には戦さの影が無いのだ。メタバル(米多原)の館のような城柵も空堀も無く。野辺に延びる道々もゆるやかで戦さ備えへの工夫がされていない。きっと戦さ神もいないのだろう。だったら“戦場(いくさば)の巫女と噂される私は不釣り合いな存在じゃないかしら”そんな不安が過ぎった。でも、“まっいいか。ヒムカ(日向)が付いているから、ナンクルナイサァ”と南国の陽気に身を委ねることにした。

 今宵の宴には、ラクシュミーさんとアルジュナ少年も招かれたそうだ。ウネがホオリ(山幸)王に、ラクシュミーさんとアルジュナ少年の事を報告すると、王は、ぜひ二人を招待したいと言われたようだ。そして二人は、名降ろしの儀式にも参加する事になった。祭り場には、既に白鉢巻に白大衣姿の巫女達が円陣を組んで控えていた。ヒムカ(日向)に仕える巫女達だ。だから皆若い巫女達である。若々しい女の匂いと熱気が円陣の中に閉じ込められ異界を産み出している。私は、青白い衣を纏い、そしてヒムカは、金色の衣を纏って円陣の中に進んだ。ヒムカが神歌を唱え出した。それに合わせて若い巫女達も、片膝を立てて足踏み鳴らし始めた。トントン、トントンと私も足踏み鳴らし舞い始めた。王子を抱いたトヨミ(豊海)王妃とホオリ(山幸)王が、じっと見つめている。メラ爺も、私が神降ろしをするのを見るのは初めてである。だから食い入るように見ている。アマミ(天海)親方は、目を閉じて私の気を感じている。私はアマミ親方のお祖母様程の力が有るのだろうか。私の沙庭(サニワ)には、アチャ爺が座っている。そしてヒムカの沙庭には、ホオミ大将が座っている。ホオミ大将がド~ンド~ンと、根の国から響いてくるような太鼓の音を響かせた。そして、アチャ爺が、五弦の琵琶をゆるりゆるりと弾き始めた。その琵琶は、メタバル(米多原)の館を出発する時に、カメ(亀)爺が、アチャ爺に手渡した包みの中に入っていたものだ。螺鈿細工が施されたとても綺麗な楽器である。私へのカメ爺からの形見分けなのだと後でアチャ爺が教えてくれた。アチャ爺が奏でる五弦琵琶の旋律が、ふっと私を宙に浮かした。すると低い声でヒムカが問うた。「ナ(汝)は、如何なる神ぞ」と。私は、何故か「ワ(我)は、ウカ(穀物)の神なるぞ」と答えた。既に私は私では無く異化した私だった。「ウカの神にお尋ねする。このオノコ(男の子)は、如何なる御霊ぞ」と再びヒムカが訊ねた。私は、私の沙庭に降り立った。そして、ピョ~ンと跳ねヒムカの沙庭に飛んだ。ホオミ大将がドドドドドド・・・と小刻みに太鼓を打った。若い巫女達は一斉に立ち上がり、大股開いて唸り叫びながら踊り出した。むせるような血潮の生臭い風が辺りを包み、祭り場は産屋の様相を帯びた。アチャ爺が軽快な旋律で、五弦の琵琶を掻き鳴らしワッハハッハ、ワッハハッハと歌うように笑い声を上げ始めた。その笑い声に、私は弾かれて再び天高く舞い上がった。そして、日も落ちて薄暗くなった天界から「そのオノコは、月神様のお使いで、稲葉の白兎なるぞ」と大きく叫び答えた。ヒムカは、王子を円陣の上に浮かべた。そして「この白兎は、何処の山に放つのか」と尋ねた。私は何故だか解らないけど「伽耶の山に放とうぞ」と答えた。ヒムカは、王子を抱き寄せると「伽耶の山に放たれた白兎は、何をもたらす」と尋ねた。私は「ウカ(穀物)の幸を撒き散らそう」と答えた。ヒムカは更に「ウカミ(生化身)なれば、幸魂持つこのオノコの名は何と申す」と尋ねた。そして、私は「ウカヤ(卯伽耶)と申す」と答え天降り意識を失った。  気が付くと、私は、ヒムカの腕の中にいた。「嗚呼、暖かい」そう思いながら、私は、ヒムカの腕の中で眠り続けていたかった。しかし、「日巫女様、大丈夫ですか?」と、トヨミ(豊海)王妃と、ホオリ(山幸)王が覗きこんで来たので「ええ、もう大丈夫です」と、起き上った。するとアチャ爺が私の手を引いて「さぁ、じゃぁ、いよいよ宴会じゃのう」と、いそいそと宴席へ向かった。その後を、アマミ親方と、ホオミ大将が笑いながら付いて行った。ウカの神から名前を頂いたウカヤ(卯伽耶)王子は、早速ラビア姉様に抱かれて上機嫌である。そして、アチャ爺が宴席に向かって「お~い。項荘、項佗、項冠。準備は整ってるかぁ~」と叫んだ。すると「は~い」と陽気な声が三つ返ってきた。近頃やっと加太の踊りを見なくて済むように成って来たと思っていたら、アチャ爺の踊り連は六人に膨れ上がってしまった。今夜も陽気な宴会に成りそうである。

~ 美々津の海 ~

 紺碧の海に朝日が照りかえり季節を薄めた。そして、秋風が涼やかに私の頬を撫で火の国の朝が来た。私の頬も撫で火の国のように火照っている。私の村の海は夕日が美しいが、狗奴国は東の国なので朝日が美しい。その朝日の海に私は漂っている。でも私は船には乗っていない。ただ浮遊しているのである。突然、大波に揺すられ私は眼を回す。海女の私は船酔いの経験がない。でも吐き気も込み上げてきた。遠くで鯨の潮が噴きあがった。何かが変である。私は大きく眼を見開いた。すると香美妻と、那加妻が、心配そうに、私の顔を両方から見下ろしている。そして「大丈夫ですか。もう朝ですけど」と二人同時に聞いてきた。私は、寝ぼけ眼を擦りつつ、昨夜の悪夢を思い出し始めていた。そして「げ、げ、げ~みんな夢だぁ~」と跳ね起きた。何と昨夜私は、アチャ爺の七人目の踊り連に成ってしまったのだ。みんな項荘、項佗、項冠のせいだ。私は、うかうかとあの三人に乗せられてしまったのだ。事の起こりは、あの美酒の一杯だった。宴もたけなわになった頃、酔って上機嫌になったホオリ(山幸)王が「日巫女様、さぁさぁ私の盃を受けてください」と美酒の入った盃を差し出したのだ。私は「いえ、私はまだ子供ですから」と断るとホオリ(山幸)王は「神酒を飲むのに、大人も子供も有りますまい。ほれヒムカなどは、あのとおり先ほどから私より飲んでいますぞ」と言いヒムカを指差した。確かにヒムカは、皆から酌をされる度にするすると、息でも吸い込むかのように飲んでいる。でも、いたって平静で、いつもの、にこやかな笑顔を浮かべている。決して酔いつぶれたりはしていないのだ。「いやぁ、ヒムカの酒の強さには、沖の鯨も敵いますまい」とホオリ(山幸)王は、笑いながら言い「やはり、チチカ(月華)義姉様譲りですなぁ。チチカ義姉様も、まったく酒に吞まれなかった。穂須世理兄が、酔っては騒ぎ暴れる私とホデリ(海幸)兄に『酒は呑むもの。吞まれるものではないぞ』と、たしなめていたが、チチカ義姉様は、その見本のように酒を楽しんでおられた。さぁ、日巫女様も酒をお楽しみください」と、にっこり笑い再び盃を、私の目の前に差し出した。私は「はぁ」と言いながら、恐る恐る盃に口をつけた。すると「美味しい!!」甘くて、鼻につーんと抜ける香りが、何ともすがすがしく神露のようである。ヒムカとラビア姉様が私を見て微笑んだ。そして、私の傍に寄って来ると「吞まれないようにね」と言って代わる代わるに美酒を注いでくれた。三杯目を飲み終わると、私は何だか楽しくなってきた。上機嫌になった私のその様子を見て、香美妻と、那加妻も寄って来た。そして「日巫女様、お酒はゆっくり飲むのですよ」と代わる代わるに美酒を注いでくれた。五杯目を飲み終わると、私は益々楽しくなってきた。そして、悪夢の仕掛け人、項荘と項佗と項冠が忍び寄ってきた。三人は鼻歌まじりで、♪酒は飲め飲め 飲むならぁばぁ~ 日巫女様の手づからで~♪ と私にお酌をさせて、そして、代わる代わる私に返杯した。八杯目を飲み終わるとアチャ爺が「おお~ピミファもやっと、酒が飲めるようになったか。それは目出度いのう。ワシぁ酒が飲めるように成ったピミファを愛でたい。さぁ一杯」と、こぼれんばかりに注いでくれた。それを見ていたホオミ大将も「さぁワシからも一杯受けてくだされ」と、更に波打つほどに注いでくれた。その十杯目の先からは、記憶がおぼろげである。ぼんやりと、項荘と項佗と項冠が、私の手を取り、踊りの輪に誘ったようである。そして更にぼんやりと、アマミ親方に手を取られ、踊りを仕込まれていたようだ。そんな私を見て、ヒムカとラビア姉様は、口に手を当て可笑しそうに笑っていた。トヨミ王妃は、お腹を抱えて笑いだしていた。テルお婆と、香美妻が「困ったもんだ」という顔で私を見ている。そして、頭が割れるような朝が来た。「さぁ、お水を」と馴れた手つきで那加妻が、私に白湯を差し出し飲ませてくれた。「だから昨夜、お酒は、ゆっくり飲むのですよ。と申し上げたでしょう」と香美妻が、私の頬を撫でたり、背中を摩ったり、肩を揉んでくれたりと、介抱してくれている。程無くテル(照)お婆が「酔っぱらいには、これが一番じゃ」とシジミの味噌汁を持って来てくれた。そして、白湯と一緒に懐より黄色い粉末を取り出し「これも飲むと良い」と差し出した。「これは何」と聞くと「ウコンじゃ。ラクシュミーさんに分けて貰ったのさ」と答えた。私が、その苦い粉を飲んでいると香美妻が「ヒムカ様は、陽の人ですから、お酒に強いのです。日巫女様は、陰の人ですから、お酒は、気を付けて飲まないといけないのです。お酒は、陰の飲み物なのです。だから、ヒムカ様には、相生の力が働きます。でも、日巫女様には、相剋の力が働くのです」と言った。私は「じゃぁ私は、お酒が飲めないの」と聞いた。「いえ、お酒の飲み方に気をつければ良いのです」と香美妻は、私の頭を揉み解しながら答えた。そして「まず、ゆっくりと飲むのです。人に勧められたからといって、ぐいぐい飲んではいけません。味わうようにゆっくり飲むのです。そして、昨夜のような冷たいお酒ではなく、温かく燗をつけたお酒を飲んでください。火を当てると陽の力が加わり、陰のお酒が中庸に傾きます。焼酎のような強いお酒もいけません。花酒を飲む時は、お湯に注いで飲んでください。陽の中に陰を注げば、やはり中庸に傾きます」と教えてくれた。私は、ふとした疑問が湧いた。そこで「逆じゃだめなの。つまり焼酎にお湯を注いでは???…… 」と聞いてみた。香美妻は、しばらく考え込んで「お風呂に入るとき、上には暖かいお湯が、底の方には冷たい水が有りませんか?」と言った。私がうんうんと頷くと「だから陽は上に向かい、陰は下に向かいます。陽の中に陰を注ぐと、陽も陰に絡まれ下に向かいます。でも、上に向かう力が強いので、上下の渦が生じます。だから全てがうまく混じり合い中庸に変わるのです。逆だと陰陽が交わりにくいので中庸に変わり辛いですよね」と教えてくれた。香美妻は凄い!! ウネにも劣らない大学者である。学者肌は、志茂妻だと思っていた。しかし案外香美妻と那加妻も学者肌なのかもしれないと思い直した。でも良く考えれば、三人ともジョ(徐)家の血筋である。タケル(健)も含めて、フク(福)爺と同じ血が流れているのだ。だから驚く話でもないのだ。私は、益々香美妻お姉ちゃまに、陰陽と酒の飲み方を教わりたくなった。だから「じゃぁ、他には何に気をつければ良い」と質問をぶつけた。香美妻は「お酒の肴を、しっかり食べてください」と話を続けた。私は、うんうんと頷いた。それから更に面白い事に、人が好むお酒の肴には陽の物が多いのです。無意識に陰陽の力を感じているのかも知れませんね。陰の物が多い葉物は温野菜にしているし、生で頂くお魚は、陽の食べ物なのです。甘くて瑞々しい果物は陰の食べ物が多いのですが、あまり、お酒とは一緒に食べません。だからお酒の肴は、気になさる事無くしっかり食べてください。特に、ジョ(徐)家の女が作る肴なら、なおさら元気になります」と笑ってテルお婆を振り返った。なるほど、だからアチャ爺は、いつも元気で飲み踊っていられるのか。私は大いに理解でき頷いた。そんな楽しい話をしているうちに私の元気も戻ってきたようだ。どうやら、ウコンと、シジミの味噌汁が効いてきたようである。

 そこへアチャ爺が、嬉しそうに駆けて来た。そして「おいおい、ラクシュミーさん親子が、ワシラの旅に同行させてくれと言うちょるが、良いよのう。なぁピミファや、良いよなぁ」と、顔をほころばせて私に同意を求めた。私は「それは嬉しいわ。でもどうして? 通訳のお仕事はもう良いの?」と尋ねてみた。アチャ爺は「異国の商人団は、帰路に就く事になったので、通訳の仕事からは解放されたそうばい。それに今回の旅の目的の一つが、アルジュナ君の見識を深める事らしかけんね。ラクシュミーさんは、ビダルバ国の王族やっでなぁ。アルジュナ君も近い将来、ビダルバ国の高い地位に就くらしかばい。そして、ウネしゃんと同じように、王様の信望が高かとよ。ビダルバ国は、山間の貧しい国らしいのじゃ。そん為に、農学を習得し豊かな国を作る事を期待されているそうじゃ。だから、もう少し旅を続けて、農業ば学ぶちゅう訳たいね。それにラクシュミーさんは、シャー(中華)から西域へ至る北路を知っておきたいらしいのじゃ。だけんラビア姫が北路を案内し天竺への帰路を行く事になったようばい。ラビア姫もビダルバ国に興味を持ったようだし、利害が一致したと言う訳じゃ。そういう事で良いよのう。なぁピミファや、良いよなぁ。ラクシュミーさんがそう言うちょるでなぁ。はぁ~言うちょる。言うちょる。はぁ~こりゃ、こりゃ」と、はしゃいだ声で私の返事も聞かずに小躍りしながら奥へ消えた。どうやらアチャ爺は、美人の旅の友が増えるのが、相当に嬉しいようである。テルお婆だってジョ(徐)家の女なのだ。だから老いた今でも、ラクシュミーさんや、ラビア姉様にも負けない位に美人である。そんな美人を妻にしていても、まだアチャ爺は美人が好きなのだ。本当に男とは困ったものである。しかし、ラクシュミーさんやアルジュナ少年と旅を続けられる事は、私にとっても嬉しい話だった。

 出発の時間に成った。でも、ウネは、今朝も早くから、北の山間の村へ稲刈りに出かけたそうだ。別れの挨拶も出来ず香美妻は少し不機嫌である。ウカヤ(卯伽耶)王子を抱いたトヨミ王妃と、ホオリ(山幸)王は、とてもなごり惜しいと言って私の手をしっかり包んでくれた。そして、ヒムカを振り返り「次は十四日後に来てくれよ。秋の実りの分配を決めなければならぬでの」とホオリ(山幸)王は、次の仕事をヒムカに確認した。本当にヒムカは、この国に無くてはならない存在のようだ。もしあの日、私が若衆達を先導しヒムカを奪い返しに行ったら、お祖母様が言ったように狗奴国との大戦さに成っていただろう。私は、私の思慮深さの無さにつくづく恥入った。更にホオリ(山幸)王は「嗚呼、それから大事な事をもう一つ」と前置きし「ヒムカも少しは、日巫女様を見習って、明るさを身に付けたが良いぞ」と言った。ヒムカは笑いながら「はい、そうします」と言った。私の顔からは、カゴンマ(火神島)に負けない位、真っ赤な火炎が噴き上がりそうだった。

 ホオミ大将が「では出発しましょうかの」と皆を促した。今回もコウ(項)家二十四人衆の輿は、ラクシュミーさんに譲り、私は歩く事にした。ヒムカが住むナカングスク(中城)へは、関之尾の滝に行く途中で分岐していた川をそのまま下るのだ。だから、息切らし喘ぎながらの旅には成るまい。サンダルのベルトを結ぶ手も軽やかに、身支度が整った私は、今日もアルジュナ少年と並んで歩いている。この川は、途中から沙流川と呼ばれているそうだ。山の民の言葉で、サルとは葦原の事らしい。きっと、河口が近付くに連れて豊かな土地が広がるのだろう。河口には、赤江ノ津という港が有り、そこにオマロ(表麻呂)船長が軍船を停泊させて待っている筈だ。だから、今日中に赤江ノ津に辿り着けば良いのだ。ホオリ(山幸)王の館を出て暫くは、長閑な田園風景が広がっていた。人々は皆、今日も稲刈りで忙しそうである。関之尾の滝との分岐点の先からは、だんだん両脇から山が迫ってきた。やっぱり、山越えかと思っていたら、天神之瀬という渡し場に、ホオミ大将が筏を用意してくれていた。それは、千歳川を下って来たあの筏と同じように長く連なっていた。途中には、いくつもの急流があるそうだ。だから、川舟より筏の方が転覆せずに川を下れるようである。それに、皆腕利きの筏流し連が乗り込んでいる。彼らは、数えきれない位に長い年月を筏の上で過ごしている。筏は物も運ぶが、真の目的は木材の輸送である。丸太で筏を組んで赤江ノ津まで運んでいるのである。だから、この川の瀬を知り尽くしている船頭達に任せておけば心配はいらないのである。五連の筏の中ほどには、小さな小屋も作られていた。お昼も筏の上で取るそうである。そして、心地良い川風に吹かれながら、私は再びアルに論争を挑む事にした。だって、時間はたっぷりとあるのだ。それに、ウネもいないから香美妻も退屈そうである。しかし、問題は議題である。何の議題で論争を挑むのかで勝敗が決まりそうである。私は香美妻と、こっそり作戦会議を開いた。そして、まず香美妻が口火を切った。「ねぇ、アルジュナ君。少しお話して良いかしら」「ええ、構いませんよ。それにアルだけで良いです」と、アルはいつものように無愛想に答えた。「じゃぁアル。あなたはこの前『人は助け合いながら生きていくのだ』と言ったわよね。でも、争いも絶えないわ。そしていつも強い者に弱い者は虐げられている。あなたはこの事をどう思う?」と、香美妻が問うた。アルジュナ少年は、しばらく不思議なものを見るような眼で、私と香美妻を見た。そして「お暇なのですか?」と言った。私と香美妻は、思わず仰け反りそうになった。「見透かされている」いきなり初戦から先手を取られたのだ。しかし更に悔しい事に「まぁ、私も退屈していたので、お話しましょう」とアルジュナ少年は身を起こした。そして「生き残るのは強いものではなく、賢いものなのです」と言った。やっぱりそう来たか。私と香美妻は、アルの論争の手口が少し読めてきたのだ。それは真正面から反論しない事である。少し手先を変えて切り返すのだ。香美妻が尋ねたのは「強い者が弱い者も虐げる事についてどう思うか?」である。でもアルの答えは「どちらが生き残りやすいか。それは強いものだとは限らない」と言うのである。質問を微妙にかわしながら、自分の主張をするのである。更にアルは続けた。「戦いは、必ずしも正面からぶつかる必要は有りません。そんな単純な方法だと、力の強い者が、必ず生き残りますからね。賢い人間は、後ろから槍でブスリと、虎を刺し殺す方法を取るでしょう。猪や、大きな獣を獲る時も、正面攻撃はしません。自分より強い敵で有れば、さぁいざ勝負と、正々堂々戦うより、後ろからそっと忍び寄り、ブスリの方が、勝ち目が高い筈ですからね」と言った。だから、私も真正面から反論しないで、微妙にかわしながら自分の主張をした。「賢いという事と、ずる賢いというのは違うと思うわ。ずる賢い人には、誰も信頼して付いて行かないから、最後には、ずる賢い人は、皆に見放されて独り淋しく死ぬのよ。だから、ずる賢い人は、勝者とは言えないわ」そう言うと、アルは「宋譲之仁ですか」と言った。思わず香美妻が「宋譲之仁って、何ですか?」と聞いてしまった。しまった!!と思ったが、それで私達はアルの策中に飛び込んでしまった。アルは「数百年前に、シャー(中華)の宋という国に、譲と呼ばれた王様がいました。宋は楚という隣国と戦さに成りました。宋の譲王の軍隊は、戦さ場に先に到着し十分な態勢を整えていました。遅れてやって来た楚の軍隊が、川を渡り始めた時、宋の大臣は、譲王に『今こそ攻撃の時です』と言いました。しかし、譲王は『それは卑怯である。相手の態勢が整って正々堂々と戦うのだ』と言いました。そして、態勢を整えた楚軍の猛攻の前に敗れ去ってしまいました。だから、後の世の人は『理屈が先に立ち、現実を見据えた判断が出来ない人』の事を『宋譲之仁』と呼んだのです」と説明してくれた。もちろんこれは、私の意見への遠回しの反論である。ところが香美妻は立ち上がって、すごい剣幕で言い返した。「それは、心が狭い人の言う事です。例え卑怯な振る舞いで、今は勝てたとして、どうしましょう。現に、今のシャー(中華)には、楚と言う国も無いじゃありませんか。正々堂々と生き滅びる事と、卑怯な生き方で生き延びる事と、どちらかを選ぶとしたら、私は迷いなく譲王と同じ道を歩みます」と胸を張った。すると、アルが手を叩いて笑った。そして「香美妻様はすばらしい。それが、『宋譲之仁』のもう一つの答えです。徳の無い者には誰も従わない。例え今は敗れても、時が熟せば、きっと民の信頼は、徳有る者の元に集ってくる。そういう例えでも有るのです」と言った。香美妻は、またしても肩すかしを喰らい、ぽか~んとしている。アルめっ!! なかなか一筋縄ではいかない奴である。私は、「じゃぁアルは、やっぱり人は、強い者も、弱い者も、助け合いながら生きていくのが良いと考えているのね」と聞いてみた。ところが、やっぱりアルは変人である。「人は元より、森の中の獣だって、蝶や鳥だって、自分の事だけ考えて生きているのです。もし、他人を助けようとする行為があっても、それも自分の為なのです。生き物は、自己が満足出来る事しか行いません。人の為に自分が犠牲になる時でさえ、自分はその行為によって美しい。あるいは神や仏のような存在に近付いた、と自己陶酔しながら犠牲になるのです」と言い出した。やっぱり奇妙な考えの持ち主である。更にアルは続ける「自分の命を、精一杯生きようとするのは、生き物としては当たり前の事です。その事を放棄すれば、待っているのは死ですからね。そして、その死とは、肉体的な死に留まりません。完全な死、虚無の世界を悟る事に成ります。自己犠牲的に死を選ぶ人は、次の世や天界、または天国を信じています。でも、生き物の周りにあるのは、虚無の世界だけです。人が思い描ける世界は、何も有りません」と話を結んだ。何とアルの思い描く世界は淋しいのだろう。私は「じゃぁ、生きものに命を与えて下さる神様の世界も無いと言うの」と言った。アルは「神様の世界が有るかどうかは解りません。でも、人が思い描く神様の世界は、きっと有りません。神様の世界が思い描ける人は、神様でしょうから、既に人では有りません。だから、人が神様の世界を思い描く事は出来ないのです」と難解な理屈を並べた。私は「そんな事は無いわ。命は人が神様から分けてもらったものよ。だから、神様の元に帰るまで生き物は皆ひたむきに生き続けるのよ。あなたが言う自己犠牲についても神様のご意志だから命をお返しするのよ。自己満足なんかじゃ無いわ。そこにある物を、ちゃんと見ようとしなければ何も見えないわ。それこそ、そこにあるのは虚無の世界だけなんじゃ無いの」と苛立って言い返した。そして心の中で「アルの言う事は、正しいのかも知れない。でも、生きていると言うのは、無駄に戦い、無駄に傷つき、無駄に死んでいくだけなの。もし、そうだとしたら、やっぱり、神様さえいない世界では、私達は生きていけない」と思った。重い沈黙が流れた。秋風に落とされた赤や黄色の枯葉が筏と共に川面を下って行く。香美妻が「もう、この話はやめましょう。そして何か楽しい話をしましょう。那加妻、何か楽しい話はない?」と言い那加妻を振り返った。那加妻は「私は、アルさんが言っていたカリーの話が聞きたい。ねえカリーってどんな食べ物なの?」とアルに訪ねた。アルは、那加妻を見て微笑むと「とても辛い食べ物です」と言った。那加妻は「何でそんな辛い物を食べるの?」と聞いた。「辛いけど、とても美味しいんです」とアルは答えた。「烏梅(うばい)は酸っぱいけど美味しい、と言うのと同じかしら?」と香美妻も話に加わった。私は咄嗟に真っ黒な梅の実を思い浮かべ唾が込み上げてきた。ジョ(徐)家ではお腹を壊した時に良く飲ませる薬だけど私は苦手である。そのしかめっ面の私を無視してアルは「辛味は身体をすっきりさせるんです。それに香りも良いですよ」と言った。だから私も慌てて「料理には香りも大事よね。テルお婆の料理がとても美味しいのも良い香りがするからよ」とカリーの話に加わった。「ほっほっほ、やっと子供らしい話しをし始めたね」とテルお婆が、ラクシュミーさんを振り返った。ラクシュミーさんは「珍しいんですよ。あの子があんなに楽しそうにカリーの話をするなんて」と嬉しそうに笑った。「しかし、先ほどは小難しい話をしよったのう。アルしゃんなぁ。小さな哲学者じゃのう」とアチャ爺が言った。「そうですね。この世には何も無い。何て考えられるのは、聖人に成れる人だけでしょうね」とラビア姉様も同意した。「そう思えば、ワシゃこの歳まで何も考えんで生きて来たようなモンじゃわい。いやぁ恥ずかしいのう」とアチャ爺は笑いだした。

 川べりは落葉樹に覆われ、黄色や赤い葉がぽつりぽつりと目につきだした。花は里から、紅葉は山からというように激流を華やいだ木々の葉が彩っている。王都ハイグスクから、ヒムカ(日向)の都ナカングスクへは、かなりの高低差があると実感させられた。皆は緊張し時折悲鳴さえ聞こえた。そして、周囲に緑の森が戻ると、筏は、程無く緩やかな流れに乗った。どうやら難所は越えたようだ。ふと気付くと着物の裾がかなり濡れていた。途中の急流では、私達も随分水しぶきを浴びたようだ。でも幸せな事に、アルとの論争に夢中になり、急流下りの恐ろしさにさえ、気づかずに川を下って来たようだ。川の周辺に平地が広がり出した頃、また山肌に製鉄所の煙がポツンポツンと見え始めて来た。本当に狗奴国では、鉄の生産が盛んなようである。河口が近く成り、潮風の匂いが漂ってきた頃、懐かしい軍船の高い帆柱が見えてきた。赤江ノ津は、大きな港だった。そして、湾内には筏を解かれた沢山の材木が係留されていた。その材木の上を、釣竿を手にした子供達が器用に飛び渡っていく。材木の下は、沢山の小魚達がいるらしい。どこの国でも、子供達は遊びの天才だ。あんな不安定な丸太の上でも、平気でヒョイヒョイと、とび跳ねながら駆けて行く。そして、丸太と丸太の間に、釣り糸を落とすと、面白いように小魚が釣り上がってくる。ふと見ると、その子供達に交じってオマロ(表麻呂)船長も釣りを楽しんでいるようだ。私は大声を出して「表麻呂~楽しそうね~私の為に美味しいお魚いっぱい釣ってよ~」と手を振った。でも、丸太の釣り場と、私達が乗った筏は、まだ離れ過ぎている。だから私が何を言っているのかは分からない筈である。でも、表麻呂船長は、釣り上げた沢山の小魚を振り上げて私に微笑み、手を振り返してくれた。「テル叔母様、今夜も腕が鳴りますねぇ」と香美妻は料理を作る算段を始めている。「ほっほっほ…… じゃぁ~今夜はカリー味にしてみるかい」とテルお婆も笑って答えた。「じゃぁ私にも手伝わせてください」とラクシュミーさんも話に加わった。「そりゃぁ心強い。本格的なカリーに成りそうじゃのう」とテルお婆は喜んだ。「私、アルさんのカリーも食べたい」と那加妻が言った。アルジュナ少年は「喜んで腕を揮わせていただきます。お姫様方」と恭しくお辞儀をしながら答えた。「う~む。料理なら負けないわよ」と香美妻が、腕まくりをしながらアルジュナ少年を睨んだ。その様子を見ながらヒムカが「今夜は、私の料理番達には暇を出した方が良さそうね」と笑って言った。そうして、私達は軍船に乗り込み、ヒムカの館があるナカングスクの港、美々津を目指した。

 ハエ(南風)に帆を孕ませた軍船は、赤江ノ津から一時半(約三時間)もかからずに美々津の湾に入った。湾に入ると岩場で何やら収穫している女の人達が見えた。ヒムカの話では、ミミ(美々)と言う海藻を採っているらしい。ミミとはメラ爺達の言葉で海藻の事らしいのだ。この湾ではその海藻が沢山取れるらしい。そして乾かすととても味が良い海苔になるそうだ。だからこの川は、ミミ(美々)川と呼ばれている。程なく右岸の台地の上に大きな建物群が見えて来た。それは、ヒムカの父様穂須世理王の館と政庁が在った所だ。今は、ホオミ大将が暮らしており、やはり行政の場となっているようだ。そして人々は、ヤマト(山門)と呼んでいる。ヤマトの麓の西南には、稲の倉庫群が有り、山肌には、黄金色の稲穂が眩くたなびく水田が広がっている。ここは、ホオリ(山幸)王が開いた新田である。もちろん陣頭指揮を執ったのはウネである。少し上流の左岸には、ツマ(都萬)と呼ばれる大勢の人々が暮らす街が在った。この街でホデリ(海幸)王と、ホオリ(山幸)王の兄弟は育ったのだ。嘗て、ここにはアタツ(阿多津)姫の館が在り、そして今は、館跡に阿多津姫と、ホデリ(海幸)王の墓があるらしい。だから、ホオリ(山幸)王は、ナカングスクに入る時には、真っ先にそこを訪れると聞いた。都萬では、二日おきに市も立つそうだ。だから、ここは商都であり人々の暮らしの場になっている。メラ爺の息子イツキ(猪月)夫婦と、メラ爺の妻セブリ(脊振)婆さんもここで暮らしているようである。猪月夫婦は、山の民がもたらす幸を、この市で米や鉄器や、各地の情報と交換しているそうである。情報が、米や鉄器や、山の幸と同じように商品化されているのに、私は驚いたが、メラ爺の話を思い出して「なるほどなぁ」と感心させられた。

 ヒムカの住む館は、都萬から更にミミ川を上流に溯った左岸の小高い丘の上に在った。その丘は、サイト(斎殿)と呼ばれている。サイトは、元々チチカ姫の館と、セーファウタキ(斎場御嶽)が有った所らしい。そして今は、チチカ姫の愛娘であるヒムカの住む館と、ウタキ(斎場)になっている。サイトの丘の下には、杉安の渡し場と呼ばれる舟着き場がある。しかし、ここまで軍船では上って来られないので、軍船は、ヤマトの美々津に停泊し、ホオミ大将が手配してくれた小舟に乗り換えて来た。杉安の渡し場から、サイトの丘に登り上がると、遠くに狗奴国の東の海が見渡せた。ヒムカの話では、この海の先にも、イヨノシマ(伊予島)と言う、大きな島国があるそうだ。私達が住むツクシノシマ(筑紫島)よりは、少し小さいそうだが、やはり、山の民と、南洋の民が暮らしているそうである。でも、山ばかりの島で、ヤマァタイ(八海森)国のような、広い平地が無い為に、人々の暮らしは大変難儀をしているらしい。ヒムカの館には、メタバル(米多原)の都のような、柵や望楼が在った。これは、狗奴国の乱の時に築かれた物である。今では、戦さの影が消えたので、腕白小僧供の、恰好の遊び場に成っているようだ。今日も一番悪童面をした腕白が、望楼の上に登り「ヒムカ様、おかえりなさ~い」と手を振っている。もうすぐ陽が落ちると言うのに、困った悪ガキ供である。でも、ヒムカは嬉しそうに笑顔で手を振りかえしている。

 館に着くと早速、テルお婆を中心にしてカリー作りが始まった。もちろん、私とヒムカも加わっている。でも、アク(灰汁)巻きの件を知ってしまった香美妻は、なかなか私達に手出しをさせようとしない。那加妻は、アルジュナ少年の助手に回っている。実は、表麻呂船長も、料理上手だったようでカリーの話を聞いてぜひカリー作りを覚えたいと加わっている。猪月夫婦が持って来てくれた鹿肉や、猪肉の山の幸カリーは、テルお婆と、香美妻が腕を振るう事になった。ホオミ大将が用意してくれた豆などの田の幸カリーは、アルジュナ少年と、那加妻の担当だ。だから、海の幸カリーは、小魚を釣り上げた表麻呂船長に、担当が決まった。そこで、私と、ヒムカは、強引に表麻呂船長の助手になった。私が「表麻呂の助手は、私とヒムカよ。何か言う事はある」と聞くと、一瞬戸惑った表情になった表麻呂船長は「では、小魚は日巫女様お願いします。貝の下処理は、ヒムカ様お願いします」と、それぞれに海の幸を渡してくれた。私とヒムカは、元々海女なのだから、小魚や貝の下処理ならお手の物だ。そして、三組の料理連は、ラクシュミーさんの手ほどきの元、それぞれのカリーを作り上げた。ヒムカの話では、南洋の民の言葉でカリー(嘉利)とは、幸せな時や、縁起が良い事を現すそうだ。だから、今宵の縁には、ぴったりの料理だと言った。でも、私は慌ててヒムカの口を塞いだ。そして小声で「駄目よ。アルに聞かれたら、また何を言い出すか分からないわ。だって、カリーが、幸せや縁起を意味する言葉だと知ったら、きっと『幸せに縁(よ)って悲しみが起こります。悲しみに縁って愛が起こります。そのように縁起とはムニャムニャムニャ』って変な理屈を言い出すに決まっているわ」と言った。すると、ヒムカは、声をあげずにお腹を抱えて笑いだした。そして小声で「ピミファは、すっかりアルジュナ哲学の虜になっているのね」と言った。私は、慌てて否定しようかと思ったけど、ここで大声を出したらまずいので、今はおとなしくしている事にした。

 宴会場は、ホオミ大将の手筈で既に整っている。アチャ爺が、手づから焼酎の入ったチューカー(酎瓶)を嬉しそうに並べている。そのアチャ爺の横顔を見ながら私は「今夜はアチャ爺の踊り連にはならないぞ」と決意を新たにした。そして、アチャ爺が手にしたチューカーを見て、私はふとした事に気が付いた。私達の村や、ホオリ(山幸)王のハイグスクの館で使っているチューカーは土器である。だけど、ヒムカの館で使われているのは、黒い鉄器のチューカーである。もしかすると、ハイグスクの館にも、鉄器のチューカーが有ったのかも知れない。私は見落としていたのだろうか???…… それとも、私が悪夢に陥った後には、鉄器のチューカーが出ていたのかもしれない。うむ~ん。やっぱり“今夜はアチャ爺の踊り連にはならないぞ~~っ”と思いながら、鉄器の黒チューカーを見つめ、本当に狗奴国は鉄器で溢れているようだと思った。そう思い返せば調理場でも、土器と同じ位に鉄器が使われていた。鉄器は料理の幅も広げてくれる。煮炊き料理なら土器でも十分出来るが、炒める料理になると、断然鉄器の方が使い勝手が良い。だから今日の料理も炒めものが多くなった。特に香辛料をふんだんに使って炒めた米の料理は、コウ(項)家二十四人衆の誰もがとても喜んでくれた。今夜は、コウ(項)家二十四人衆の慰労会でもある。この後の旅は、軍船での船旅になる。だから、山道を越える過酷な体力勝負の旅はここで終りである。そこで今夜の宴会は、コウ(項)家二十四人衆の慰労会を兼ねる事になったのだ。これはヒムカの意向でもあった。ヒムカは、コウ(項)家二十四人衆の輿の乗り心地がいたってお気に入りなのだ。だから、どうしても慰労会が行いたかったのである。もしコウ(項)家二十四人衆が、夏希義母ぁ様の配下で無かったなら、私はコウ(項)家二十四人衆を、ヒムカの護衛隊にしても良いと思った位である。そうしたら、きっとヒムカは大喜びしてくれるだろう。最強の戦士達であり、皆力持ちで、そして皆愉快な海の男達である。それに、コウ(項)家二十四人衆だって、ヒムカの配下に成れたなら大喜びする事だろう。

 宴会が始まろうとした矢先に、メラ爺が到着した。本当に、メラ爺は、山の峰をひとっ飛びで越えているのではないだろうか???…… とても人間業とは思えない健脚さである。身支度を整えて、宴会場に現れたヒムカは、その腕に、白い子猫を抱いていた。秋が深まり、朝夕は少し肌寒く感じ始めた。だから、ヒムカは、浅葱色の大衣を羽織っていた。その浅葱色の大衣に、白い子猫は溶け込むように抱かれている。名前はチャペと言うようだ。メラ爺からの贈り物らしい。チャペとは、メラ爺達、山の民の言葉で「あの世からの使い」と言う意味らしい。どうやら、この猫は私と同じ陰のモノのようだ。だから気まぐれで自分勝手のようである。こんなに大勢の人が集まり、賑やかにしていると言うのに、挨拶もしなくて、気持ち良さそうに寝ているだけである。それでも宴会は、盛り上がっている。明日一日は、ナカングスクに滞在し、翌日の早朝に出航する事になっている。だから、明日の夜が、私達の壮行会である。その為か、今宵の宴は、少し控え目な気もする。特に、アチャ爺や、ホオミ大将。それにメラ爺や、アマミ親方の年寄連は穏やかに飲んでいる。そして、今宵の主役であるコウ(項)家二十四人衆だけが大いに盛り上がっている。なにしろ体力自慢の若手連である。連日の宴会でもへっちゃらなのだ。だから、今宵は私もアチャ爺の踊り連に加わらずに済んだ。

~クマ族の海女に交じって~

 秋風が心地良い。そして、サイトの丘の朝は、少し肌寒さを感じる位だった。今日は一日、私達の旅の一団はお休みである。だから、それぞれに好きな事をして休息を取る事になった。だから私は、久しぶりに海女に戻る事にした。ヒムカもいっしょである。海辺は、ポカポカとした陽気で、海のしぶきは、少し冷たい秋風よりも温かく、私達を包んでくれた。沖でミャオーミャオーとウミネコ(海猫)が鳴いている。小魚の群れを見つけたのだろうか。その鳥山を目がけて男達が舟を出す。白い鳥の群れに黒い鳥の姿も見える。黒い鳥は水中に潜って漁をしているようだ。きっとウミウ(海鵜)だろう。忙しない生き物の光景が弾け黒潮の海は活気に満ちている。でも何故だか私には凄涼とした秋の海にも思える。少し前までは、ただ楽しい磯遊びだったけれど、少し私も大人になったのかも知れない。でも、今日は旅の骨休めだ。私はヒムカと磯遊びを楽しむことに心を向きなおした。ヒムカの潜りは相変わらず美しかった。まるで、青い海中に差し込む陽の光のように、す~っと海底に射し込んでいくのだ。私達はそうして磯遊びを楽しんでいたが、他の皆は四手に別れて休日を楽しんでいた。まず、香美妻と、那加妻は、メラ爺の息子猪月夫婦に伴われて、杉安の渡し場から、美々川を溯って行った。秋の川巡りである。うまくすれば紅葉を楽しめるかも知れない。新緑は海辺から、紅葉は山からである。今朝の冷え込みがその期待を抱かせた。次に、ラクシュミーさんと、アルジュナ少年は、ホオミ大将の案内で、新田開発の様子を見に出かけた。やはり国の存亡を託されている親子である。物見遊山の私とは違う。だから私も一瞬だけ農地視察に心が傾いた。が、やはり磯の匂いに憩いを求めた。ラビア姉様は、項荘、項佗、項冠の三人を伴って都萬の二日市に出かけた。ラビア姉様は、もちろんだが、項荘、項佗、項冠の三人も本業は商人である。だから、商都都萬の賑わいを見ておきたかったらしいのだ。やはり研究熱心な四人である。勉強より遊びを優先する私には頭が下がる。そして、アチャ爺と、テルお婆は、年寄りの骨休めらしい。つまり、お昼寝三昧の一日である。

 美々津の浜には、陽気なクマ族の海女の一群がいた。私と、ヒムカを見留めると是非にと、海女小屋に誘ってくれた。だから、私と、ヒムカの昼餉は、とても楽しいものになった。海女達の半数以上は、ヒムカと同じ小麦色の綺麗な肌をしていた。この黒潮の海女達の中には、対岸のイヨノシマ(伊予島)から嫁に来た者も多いらしい。逆に美々津の浜から、イヨノシマ(伊予島)や、更に北東の海辺の村に嫁いで行った者も多いそうだ。クマとは、南洋の民の言葉で「今生きているココ」と言う意味があるらしい。だから、どんなに遠くの土地に移り住もうとも、その地がクマ(熊・隈・久間)なのだ。漁師の男達は、稲刈りの季節になると、俄かに丘の上の河童になるそうだ。たわわに実った稲の束を運ぶのは、重労働なのだ。だから男手は、いくらあっても足りない位なのである。逆に、田植えの時には、海女達が、俄か早苗娘になるそうだ。田植えは、苗を規則正しく綺麗に植え付けていく辛抱強い作業だ。だから、野良仕事の途中から、焼酎を飲む事ばかりを考えている男供には任せられない。でも、海女達も漁が終われば、冷えた身体を焼酎で温める。そして、陽気な話に花が咲く。時として娘の私などは、頬が赤くなる話も飛び出す。今しも肝っ玉母さんという言葉がぴったりの愛嬌ある海女が話しだした。

「ある晩私が、うとうとと眠りこけていたら、大地が大揺れに揺れ出してなぁ。あっという間に大波が立ち、私を家ごと飲み込んだんよ。私は、海女やっでなぁ~必死に泳いで岸に戻ろうとしたんだよ。そうしたら今度は、大蛸が私の足を掴んで海の底深くに引きずり込もうとするんだよ。だけん私は、必死に足を蹴り上げながら、大蛸から逃れようとするんだけどねぇ。どうにも、こうにも、その大蛸の力は強くてねっ。だから、だんだん疲れ果てて、気持ち良く成り、うとうととし始めたのさ。でも、ここで寝ちゃぁ大蛸の餌食になっちまうと思って必死で跳ね起きたのさ、そしたら、父ちゃんが、茹で蛸みてえな真っ赤な顔して、私の足の間で暴れちょるのさ。アハハハハ…… 」と、肝っ玉母さんが話し終えると、美々津の浜の波音は、一斉に弾けたおかみさん達の笑い声でかき消された。そして、心も体も温まると、ひとりの海女が、長い棹(さお)の珍しい月琴を持ち出し歌いだした。ところどころ、意味が分からない南洋の言葉が混じっている。そして、海女達は、浜辺で小気味良く踊り出した。海女達は、その踊りの輪に、私とヒムカも招き入れた。その踊りは、伸びやかでアチャ爺の酔っぱらい踊り連の踊りとは随分違う。神事で舞う踊りに近いのだ。そして「これは、海の向こうの神様を思って歌い踊るのよ」と、ヒムカ(日向)が教えてくれた。私は、浪間に漂うかのような心地良さに包まれて、海女の踊りを楽しんだ。

 狗奴国の漁師村は、どこも小高い丘の上にあった。昔、この辺りの海岸は、何度も大きな津波に吞まれたらしい。千歳川のような大河を持つ平野は、雨期になれば暴れ川が何度も村を襲ってくる。でも、人の背丈を越える程の水位になる事は余り無い。だから村内だけは、盛り土をして高くしておき、更に堤防で村を囲い水害を防いでいる。こうしておけば、ヤマァタイ(八海森)国の大半が大海のようになっても、村は島のようになり耐え忍ぶことができる。でも、ここらを襲う大きな津波は、小山程の高さに成り、人が造る小さな堤防ではとても防げないそうだ。だから、クド(狗奴)国の村は高台にあり、水田も海岸近くには作らないそうである。そうしておけば、もし大津波が来ても被害を小さくする事ができるのだ。それでも、数十年前の大津波では、漁をしていた海女達が、海にさらわれて大勢消えてしまったそうだ。先ほど、少し頬が赤くなる話をしていた肝っ玉母さんも、その時に母ぁ様を亡くしたらしい。でも、黒潮の陽気な女達は、そんな悲しみの陰りを微塵も見せない。その代わり、かろうじて生き負うした海女や、母の姿を追い海女になった孤児達は、神様の許で幸せに暮らしている亡き母や、仲間達の事を思い、陽気に舞うのだ。そのおかみさん達の中に、母ぁ様の幼馴染だった海女がいた。名は、チヌー(知奴烏)と言った。ほっそりとした身体付きだが、腕や足には、たくましい筋肉が付き、それを南洋の海女らしい小麦色の肌が覆っていた。私は、大きな目が印象的で素敵なチヌー小母さんに、何故かすぐに親しみを感じた。そして、チヌー小母さんは、私の村で育ったそうである。だから、私達は同郷人であった。そして、チヌー小母さんの夫は、ハリユン(晴熊)と言う名で、何とアマミ親方の跡取りだそうだ。そして今は、ホオミ大将の補佐官をしているようである。だからきっと私は、ハリユンとも既に顔見知りの筈だ。

チヌー小母さんの父様は、ユイマル(結丸)と言う名で、腕の良い舟大工だった。それに、アマミ親方の又従兄弟でもあった。そのユイマル親方を、私の村に招いたのは、何と私のお祖父様だった。お祖父様がまだ若く、デン(田)家の漁労長だった頃に、競い合いで知り合ったらしいのだ。ふたりは、同じ歳で、その上に大酒飲み同志だったので、すっかり気が合い、男同士の一目惚れに成った。♪男心に男が惚れて~♪と言う事らしい。それから、お祖父様は、デン(田)家一族の中でも、飛びきり美人だった妹を、ユイマル親方に紹介したようだ。私の大叔母さんだ。更に、妹を妻に娶らせ義兄弟になると、半ば強引に、南洋から呼び寄せたようである。良い飲み友達が欲しかった事もあろうが、お祖父様が、ユイマル親方を、何としても呼び寄せたかったのは、その舟造りの腕の良さだったらしい。それまで、私達の村の舟は、荒波には強いが、動きが鈍かった。ところが、ユイマル親方が作る舟は、荒波にも強く動きもとても良かった。ユイマル親方の見立てでは、私達の村の舟は丈夫だが重過ぎたらしい。だから、速度が出ない。速度が出ないので、動きも悪いと言う事らしかった。「動きの良い舟にするには、漕ぎ手全員で、舟を担いで走れる位の軽さにしないといけない」とユイマル親方は言った。確かに、鯨を追うのは漕ぎ手の力に掛っている。だったら軽い方が良いというのは理にかなっていた。でも、軽くて丈夫な舟を作るのは、誰にでも出来る事ではない。だから、お祖父様は、ユイマル親方がどうしても必要だったのだ。そして、ユイマル親方の舟は、鯨捕りのように、舟団の動きを合わせる囲い込み漁では、大きな力を発揮した。

 程なく、お祖父様も、お祖母様と添い遂げる事になり、イン()家の婿と村の長を任された。そして、デン(田)家の漁労長を、弟のオウ(横)爺に託したのだ。まだ若かったオウ爺にとっても、ユイマル親方は、頼りがいが有り無くてはならない存在だったようだ。ユイマル親方と、お祖父様の仲の良さは、酒飲みだけでなく、ほとんど同じ時期に、子を儲けた事でも、村の皆の話題になったらしい。その子が、母ぁ様とチヌー小母さんである。だから、母ぁ様と、チヌー小母さんは、まるで双子のように育ったそうだ。例え飲み会の席でも、ユイマル親方は、チヌー小母さんを、お祖父様は母ぁ様を伴ってくるので、二人はいつも一緒だった。それに、チヌー小母さんと、母ぁ様は従姉妹なのだ。仲良くならない訳がない。そして、ユイマル親方と、お祖父様は、互いの姪を、我が子と同じように可愛がった。だから、チヌー小母さんと、母ぁ様は、私と、ヒムカのように、いつも一緒に遊び、そして、良く寝起きを共にしていたそうだ。ところが、母ぁ様と、チヌー小母さんが十二歳になった年に、突然、ふたりに別れの時がやってきた。それは、不吉な星がもたらしたそうである。

冬の寒さが和らぎ、飯蛸が美味しい春先に入った頃、東の空に、大きな箒星(ははきぼし)が現れた。村人は、今にも天から火の粉を降らし、村を焼き尽くしそうな箒星に、驚き恐れおののいた。でも、程無くその不吉な星は、長い光の尾を引いて北の空を横切り、西の空に消えた。村人は、村が焼かれずに済み、ほっと胸をなでおろしたが、「あの星は、きっと良くない事が起こる前兆だ」と、言って不安がっていたらしい。しかし、何度も大嵐を乗り越えてきたお祖父様や、ユイマル親方達は、「えらい別嬪さんの(とても美人の)、髪長姫星さんじゃのう」と箒星を恐れるでも無く、毎夜その光る尾を眺めては、酒の肴にしていたそうだ。それからしばらく、村では皆が心配していたような不吉な事が起きる訳でも無く、いつもの年のように、初夏の日差しに照り付けられ始めた。だから皆は、箒星の災いを、忘れ始めていた。そして、ある晴れた日の明け方、大きな鯨の群れが、沖合を北上して行ったそうだ。だから、デン(田)家漁舟団は、オウ爺と、ユイマル親方を先頭に、鯨の群れを追って海に出た。風は、やや強かったそうだが、波はそんなに高くなかった。だからデン(田)家漁舟団は、意気揚々と、鯨の群れを追ったそうだ。途中で、南下してきた布留奇魂村の漁舟団と合流すると、クシ(躬臣)国のハエドマリ(南風泊)の入江に追い込み、囲い込もうと言う相談になった。そうしておけば、私達の村だけでなく、近郊の村々も、冬の飢えに襲われる事は無い。昼過ぎには、追い込みの陣形も、盤石の形に成り、この分なら、日暮前には、ハエドマリに入港する事が出来るだろうとオウ爺は、安心していたそうだ。そして、布留奇魂村の漁労長との酒宴を楽しみに思い浮かべていた。オウ爺と布留奇魂村の漁労長とは、まだ幼い互いの息子と、娘を夫婦にしようと約束している仲である。オウ爺の息子とは、アタテル(阿多照)叔父さんの事であり、布留奇魂村の漁労長の娘とは、隼人のお母さんのヨシ(芳)叔母さんの事だ。

 昼を過ぎると、風は、北西から吹き始め、徐々に強まって来た。時より三角波が見られたが、行く手の海原には、高波も立っておらず、心配するような様子は見えなかった。だから、まだ若く経験が浅かったオウ爺に、不安は無かった。ユイマル親方は、今は、まだ小さい三角波に、用心深くなっていたが、ここで鯨の群れを解く訳にもいかない。ユイマル親方は、各漁舟の船頭に、注意を促す赤い旗を振った。行く手右側の先頭には、オウ爺の漁舟が進み、左手には、布留奇魂村の漁労長の舟が、波を蹴って進んでいた。そして、三十数隻の漁舟の最後尾には、ユイマル親方の漁舟が注意深く進んでいた。とは言っても、追い込み漁なので、各漁舟は、ドラを鳴らしたり、船縁を叩いたり、海面を竹で打ったりと、大層賑やかなのだ。一艘の漁舟には、左右に七人ずつの漕ぎ手がおり、船頭を入れて、十五名が乗り込んでいる。だから、三十数隻のこの漁舟団には、五百人近い海の男達がいるのだ。その為、海上は競い合いの祭りのように、大いに賑わっている。日焼けした顔をほころばせてオウ爺は、布留奇魂村の漁労長に向かい、酒飲みの仕草を送った。そして、更に振り返りユイマル親方にも同じ合図を送ろうとして、オウ爺の笑顔は凍りついた。ユイマル親方の漁舟は、天舟の様に空を舞っていたのだ。そして、アッと言うまもなく波間に叩きつけられて転覆した。更に、囲い込みの陣形が崩れたその上を、一斉に鯨達が逃げ出し始めた。十五名の海の男達は、その為に皆即死だった様だ。オウ爺達は、急いで囲い込みの陣形を整え直すと、黙々と、仲間達の遺体を舟に引き上げた。本当は、漁などどうでも良い気持ちだったが、せめて、鯨を村に持ち帰らないと、ユイマル親方達の死が無駄になる。そんな思いで残った海の男達は、誰も言葉を発せず沈黙のまま、ハエドマリを目指した。でも不幸はこれだけに留まらなかった。その年の秋口には、流行り病が周辺の村を襲ったのだ。加太が居れば何とか防いでくれたかも知れない。でも、この頃は、まだ加太は村にはいなかった。だから、流行り病に対処する術も無く、村人は次から次に亡くなった。お祖母様や、巫女達の力だけでは、その病は防げなかったのだ。そして、チヌー小母さんは、父様に次いで母様も無くした。村人は皆、絶望のどん底に叩き込まれてしまった。私の母ぁ様も、チヌー小母さんの母様の死に、打ちひしがれてしまったそうだ。母ぁ様は、その日から一睡もせず、食も取らず、髪も梳かず、衣服も整えず、まるで狂人のような姿になり、衰弱していったらしい。だって、母ぁ様にとっても、チヌー小母さんの母様は、いつも優しくしてくれる愛おしいい叔母さんだったのだ。そして、ある朝未き(あさまだき)、不意に狐火のように、ボ~ッと立ち上った母ぁ様は、薄衣を纏っただけで、冬の海岸に飛び出して行った。そして、波を蹴り舞い始めた。その異様な気に村は包まれ、その異変に気付いた村人は皆、冬の海岸に降りて来た。そして、篝火を起こし、波間で舞い踊る母ぁ様を見た。それは神懸かった巫女舞だった。母ぁ様が高波に天高く持ち上げられ宙を舞い、四方を照らす光明を放つと、村の皆は口々に「日巫女様が降りられた」「日巫女様が降りられた。ワシ等は助かるぞ」「死病を日巫女様が収めて下さるぞ」と叫び歓喜したそうだ。それから間もなく、死の淵を彷徨っていた病人達は、次々に起きだし元気を取り戻していった。流行り病は村から去ったのだ。噂を聞きつけた周辺の村々も、母ぁ様を招き寄せ、死病は調伏(ちょうぶく)された。しかし、チヌー小母さんの母様を救えなかった事を、母ぁ様はチヌー小母さんに謝り続けたそうだ。

 お祖父様は、父母を亡くし孤児になったチヌー小母さんを、これまで以上に愛おしんだ。姪を守らねばという思いもあったが、何よりお祖父様には「チヌーは、小さい頃の妹の姿に生き写しで愛らしかった」のだ。だから、妹を看取ると、即刻チヌー小母さんを、我が家に引き取った。チヌー小母さんは、悲しみに打沈み忘我状態だった。そんな姪を抱きしめながら、この子を嫁に出す日までは、我が娘として育てようと決意をした。しかし、チヌー小母さんは、程無くユイマル親方の妹であるカナ(花南)叔母さんに引き取られていった。カナさんは、兄の忘れ形見をどうしても、手元で育てたいとお祖父様に懇願したそうだ。お祖父様は、悩み迷ったが、オウ爺から「兄貴よ。チヌーは、女の子だから伯父が育てるより、叔母が育てた方が良いかも知れんぞ。何より、叔母の方が母親代わりにもなり、淋しい思いをせずに済むかも知れんしなぁ」と言われ「オウの言う通りかも知れん」と、淋しさに堪えながらチヌー小母さんを、カナ叔母さんに託したそうだ。「チヌーを手放そう」と言ったオウ爺も、本当は、亡き姉の忘れ形見を、村に留めて置きたかったのだ。しかし、チヌー小母さんの行く末を良く良く思い、そう考えたのだ。

 カナさんは、アマミ親方の奥さんだった。だから、チヌー小母さんは、その日から狗奴国の人になった。アマミ親方と、カナさんの間には、既にハリユンと言う跡取り息子がいた。二人は従兄妹だったけど、成人したハリユンは、どうしてもチヌー小母さんを妻にすると言い張り、アマミ親方を説き伏せた。だから、夫婦仲の良さは、狗奴国で知らぬものはいないと言われている。ハリユンと、チヌー小母さんには、兄と妹の二人の子供がいるそうだ。兄はハイムル(吠武琉)と言う名で、私と同じ歳だ。妹は、ニヌファ(丹濡花)と言ってユリ(儒理)と同じ歳だ。やっぱり、チヌー小母さんと、母ぁ様は、双子のように波長が合っていたようだ。だから、今夜私は、ハイムルと、ニヌファに会いに行く事にした。だって、ハイムルと、ニヌファは、私の従兄妹のようなものである。

『第5部 ~ 瑞穂の国の夢 ~』へ続く。

卑弥呼 奇想伝 公開日
(その1)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 2020年9月30日
(その2)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 2020年11月12日
(その3)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 2021年3月31日
(その4)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第4部 ~棚田の哲学少年~ 2021年11月30日
(その5)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第5部 ~瑞穂の国の夢~ 2022年3月31日