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卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第7部 ~海ゆかば~ 〜 卑弥呼 奇想伝(その7)

葦田川風

我が村には、昔から蛇が多い。輪中という地形なので湿地が多く蛇も棲みやすいのだろう。更に稲作地であり野鼠やイタチ、カエルと餌が豊富である。青大将は木登りが上手い。そのまま高木の枝から飛べばまさに青龍だろう。クチナワ(蝮)は強壮剤として売れる。恐い生き物は神様となるのが神話の世界である。一辺倒の正義は怪しい。清濁併せ飲む心構えでいないと「勝った。勝った」の大本営発表に騙される。そんな偏屈爺の紡ぐ今時神話の世界を楽しんでいただければ幸いである。

卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第7部 ~海ゆかば~ 〜 卑弥呼 奇想伝(その7)

幕間劇(10)「家船と昇り龍」

「せっせっのせ~、いろはのいの字は、猪のいの字~。はい!!」「猪は旨い」「旨いはラーメン」「ラーメンは早い」「早いは飛行機」「飛行機は高い」「高いは警鐘台」「警鐘台は怖い」「怖いは父ちゃん」「あっ、『ん』が付いた。芳幸の負けばい」と、子供達が尻とり遊びをしている。

小春日和の沖底の宮は暖かい。だから、もう『押しくら饅頭』で温まる必要はない。そこで、今日はのんびりと、尻とり遊びである。
寝小便小僧の芳幸が続ける「せっせっのせ~、いろはのロの字は、ロケットのロの字~。はい!!」そして、その尻を取り子供達は「ロケットは宇宙」「宇宙は広い」「広いは運動場」「運動場は駆ける」「駆けるは電車」「電車は西鉄」と続ける「西鉄は強い」「強いは大鵬」「大鵬は白い」「白いは鏡餅」「鏡餅は丸い」「丸いは日の丸」「日の丸は赤い」「赤いは石榴」「石榴は割れる」「割れるは、チンチン(女性器)」「あっ、『ん』が付いた。助べえ夏人(なっと)の負けばい」と、夏人より一つ年上の信夫が笑い転げながら言った。
傍らに居た姉の美夏ちゃんが「夏人は、近頃、助べえなことばかり言うとよ」と、困った顔で言った。「良か良か。男は、助べえな位が、丁度良かたい」と、再び笑いながら信夫が、夏人をかばった。夏人は、照れ笑いを浮かべながら川面に目を逸らした。今日は大潮だろうか。勢いよく川の流れが逆流している。

英ちゃんの祖父ちゃんは、八年前の大洪水で、大河の激流に流され死んだ。その年、筑ッ後川は、荒ぶる神に変貌し多くの人を濁流に呑み込んだ。
この頃までは、萱葺きや藁葺きの家が多かった。萱や藁の屋根なら、瓦屋根に比べ格安である。それに夏は涼しく、冬は暖かい。唯一の欠点は火事に弱いことだけである。
しかし、各村落での火事騒ぎは半世紀に一度位である。それに引き替え、大洪水は数十年に一度は発生する。だから、筑ッ後川周辺の消防団は、火消しの消防団より、水防団の役割の方が大きかった。
水防団の訓練の華は、土嚢積みである。土嚢は『ただ土や砂を入れた袋を積めば良い』と、いうものではない。土嚢の積み方にも色んな流儀がある。そして、それは予想される災害によって違うのだ。
堤防の決壊は、上部の天端(てんば)から徐々に壊れるパターンは意外と少ない。多いのは、根元がえぐられるパターンだ。そして、そのパターンで堤防が決壊する時は、一気に破壊が進む。そんな災害の時は、防ぎようが難しくなる。だから、色んなパターンに対応する土嚢の積み方の流儀がある。それを川筋の消防団、否、水防団は、身体にたたき込むように訓練をしている。
しかし、その年の大洪水は、その訓練の成果を上回っていた。水害の規模が桁外れに違っていたのだ。九州の北部全域が大水害となった。そして、豪雨は、大勢の人を水中に飲み込んだ。
木造の橋ごと流された人々もいた。萱葺きや、藁葺きの屋根の上に乗ったまま「助けてくれ~。助けてくれ~」といいながら、流されて行く人々も、多かった。
各村の水防団も、どうにか助けようとしていたが、橋の上から縄を投げて助けようにも、その橋自体が押し流されそうで、どうにも出来なかった。
運よく岸に流れ着き助かった人達は、激流に押し流され、死の淵に流れゆく仲間を、ただ、ただ涙で見送るしか(すべ)がなかった。
そんな激流の中に、英ちゃんの祖父ちゃんは、川舟をこぎ出したのだ。岸では、消防団が必死の形相で、祖父ちゃんの小舟に結んだ命綱を握りしめていた。
三家族を助け出し、更に舟をこぎ出した矢先、祖父ちゃんの舟の横っ面に、根元からもがれた大木がぶつかってきた。祖父ちゃんの小舟は、あっというまもなく転覆し、祖父ちゃんは、渦巻く水底に消えた。

筑後平野は、埜が沈み水原が広がった。原(はら)の原義は『非日常的な空間、原初の世界、神々の御座すところ=高天原など』であったろうと物知りは言う。そして、そのように筑後平野は、異界と化した。
支流も含めて筑ッ後川周辺の村々は、一週間ほど離島と成った。村から村、あるいは家から家へは舟で通うことになったのである。
その一週間の間、一人娘の母ちゃんは号泣し続けた。村内から水が引き、少しずつ日常生活が戻った七月の朝、英ちゃんは祖母ちゃんと堤防の上に立った。葬式も出せていなかったので初七日の代わりである。
英ちゃんの祖母ちゃんは、学校の先生だった。だから今でも村人は、晴美先生と呼んでいる。その気丈な祖母ちゃんは、涙も見せず「やっぱり私が惚れ込んだ男たい。お前も大きくなったら、祖父ちゃんみたいな良か男にならんばいかんよ」と川面を睨みつけたまま、英ちゃんの頭をなでていた。夏の川風は、蒸せるように顔をなでた。
その夏、英ちゃんは、六歳になったばかりだった。だが、その情景を今でも鮮明に覚えている。そして今でも「(おい)は、祖父ちゃんのような男になるばい」と心に刻んでいる。

両親は、夕方のバスで出かけ、朝一番のバスで帰って来る。その間、英ちゃんは、祖母ちゃんと二人で夜を過ごす。もともと勉強好きな上に、元先生の祖母ちゃんの家庭教師付きだから、英ちゃんの成績は、町内でも飛びぬけている。
一学年で三百人以上になる中学校に入っても、ジョーと英ちゃんが、一番争いをしている。その上、英ちゃんは、モーレツな読書家だ。大学生でさえ読めそうもない難しい本まで読んでいる。だから、小学生の頃、英ちゃんには、校長先生が、図書室の鍵を渡していた。それは、特別待遇である。きっと、僻地の小さな小学校だから出来たことなのだろう。校長先生は、英ちゃんが、好きなだけ本を読んで、勉強出来るようにしてくれたのだ。だから英ちゃんの本棚は、小学校の図書館の本棚全部である。しかし、英ちゃんは、もやしっ子のガリ勉などではない。昼間は相当な腕白で、悪ガキなのである。

ある日のこと小さな川にかかった橋の上で、隣村の悪ガキ供が、マリーの赤毛の髪を切って苛めた。その橋は、通称ドンドン橋と呼ばれていた。木の橋なので、渡る時にドンドンと音が響くのである。
ドンドン橋の上では、マリーの赤毛を、悪ガキ供が大事そうにズボンのポッケに仕舞っていた。それは、祇園祭りの赤獅子の毛を、そっと抜き取り、お守りにするのに等しい行為である。だから、隣村の悪ガキ供にとって赤毛のマリーは、女神様だったのだ。
英ちゃんは、鬼神の形相でドンドンドンと橋を走り抜け、隣村に殴り込んだ。それから、隣村の悪ガキ供をボコボコにすると、マリーの赤毛を全部取り返してきた。
マリーは、切られた赤毛を取り戻してもらっても、どうしようもないが、その時から英ちゃんに淡い想いを抱くようになった。

英ちゃんには、明美という名の妹がいる。明美はまだ二歳だ。その幼い妹は母親が背負って屋台で働いている。
父親の名前は、()()という。母親の名は明子だ。父方の祖母ちゃんは、()(ヨン)という。だから、英明は祖母の名『英』と母親の明子の『明』から取った。朝鮮(チョソン)読みならヨンミョンである。妹の明美の名は、その逆のパターンである。
英ちゃんの父ちゃんは、若い時に朝鮮の()(ハン)から船に乗って、大牟田の炭鉱に出稼ぎに来た。
母ちゃんの明子さんは、大牟田に嫁に行ったけど、嫁ぎ先の両親とうまくいかず、離縁された。嫁いで一年も経たず離縁されたので、村にも帰り辛く、大牟田の小料理屋で働いていた。そこで二人は知り合い、英ちゃんが生まれた。
英ちゃんが生まれて程無く、英ちゃんの父ちゃんは、肺を患い坑夫が出来なくなった。そこで、英ちゃん親子は村に戻り、美夏ちゃんの祖父ちゃん、リー(鯉)しゃんの口利きで、久留米の街でラーメン屋台を始めたのだ。

英ちゃんの父ちゃんには、背中に入れ墨がある。その入れ墨は、昇り龍というそうだ。坑夫だった頃に大金をはたいて入れたようだ。暗い地底から這い上がり、天かける龍になることを夢見ていたのだろうか。
薄暗い坑道で坑夫達は、男は(ふんどし)ひとつ。女は、腰巻きひとつで働いていた。だから、薄暗い坑道でも背中の入れ墨で誰だか分かった。でも今は、その入れ墨を人に見せることはない。今では、入れ墨は、やくざ者の象徴になっている。
昔は、坑夫達だけではなく、漁師や、魚屋、棒手振りの行商人、そして旅役者など身一つで生計を立てている男達は、多くが入れ墨を入れていた。それは生きていく上での心意気を示すものであったが、生き埋めになったり、溺れたり、行き倒れになった時の身元判別にも役に立った。たとえ落盤事故で顔が岩に押しつぶされていても、背中の昇り龍で「こりゃ、美弥ちゃんばい」と分かるのである。だから、炭鉱町の銭湯は、真黒な大海で幾匹もの虎と龍が陽気に笑い声を上げていた。

堤防を菜の花が黄色く蔽い尽くす頃、街から遊びに来ていた娘が、渡し場の沈床で足を滑らせて川に落ちた。村人はチンショと短く発音する。
チンショは、堤防が水流に削り取られるのを防ぐために、石を沈め積み重ねて造ったものだ。つまり護岸が目的である。しかし、渡し場がある所では、この沈床を川に細長く伸ばして桟橋代わりにしているのである。更に、それは水流調整の役割も兼ねている。
チンショの下流側は、砂浜になっており蜆貝などもよく獲れる。更に上流からの流れを堰き止めているので、子供達にとっては天然のプールである。そして、その日も、ジョーと、村の子供達数人が川遊びを楽しんでいた。
チンショは、潮の高低差に合わせて、舟が着けられるように岸から川面に向かって下り坂に成っている。だからチンショの大半は、沈下橋と同じように満潮の時には水に沈む。この時も、引き潮の後で、チンショはまだ濡れていた。
村人なら濡れたチンショの端を歩くことはしない。皆滑らないように用心しながら、真ん中を歩くのだ。しかし、そんな心得を知らない街の娘は、川面の流れを見ようと、チンショの端から身を乗り出した。そして、沈床から滑り落ちた。
娘を、早い流れが下流へと引き込んでいった。村の子供達なら、川に落ちた時には流れに身を任せ対岸にゆっくり泳ぎ着く。しかし、都会育ちの娘は、流れに逆らいながら必死に、もがき泳ごうとしていた。その上、赤い長いスカートが足に絡みつくのだろう。みるみる溺れ始めた。
その様子に、近くで釣りをしていた、英ちゃんの父ちゃんが気づいた。父ちゃんは竿を放り出すと、急いで川に飛び込んだ。
砂浜で、蜆掘りをしていたジョー達も駆けつけ、近くの舟のロープを投げた。そのロープを、父ちゃんが娘の身体に掛けたので、ジョー達数名の子供らが、力を合わせて娘を岸に引き上げた。
幸い娘は水も飲んでおらず、びしょ濡れの服のまま元気に立ち上がった。そして、遅れて岸に上がってきた父ちゃんに礼を言おうと、娘は駆け寄って行った。
その時、父ちゃんは、竿を獲ろうと川の浅瀬に入り岸に背を向けていた。そして、その濡れたシャツの背の向こうには、迫力に満ちた昇り龍の入れ墨が透けて見えた。
礼を言いかけた娘には、龍の咆哮が聞こえた。海峡の底を穿ち渦巻く曇天に向かって駆けのぼる気概がそこに込められている。その抗しがたさに娘は、青ざめてその場を逃げるように去った。
堤防の上でその様子を見ていた英ちゃんの母ちゃんは、急いで袢纏を持って来て背中の龍を隠した。そして静かに背中にしがみ付くように父ちゃんの背中に顔を埋めた。
そのまま、二人はまるで白昼の炎天下にさらされた罪人のように河原に立ちすくんでいた。その時、野太い声が川面を走って響いて来た。「明っ子ちゃ~ん。美弥ちゃんば、早よう着替えさせんと、男前の龍が風邪ひくば~い」と、美夏ちゃんの父ちゃんの重人さんが陽気に家船の上から叫んだのだ。
その声に、英ちゃんの母ちゃんは、濡れた顔をあげ、重人さんに微笑み返した。母ちゃんは泣いていたんだと、その時ジョー達は思った。
それとも濡れた父ちゃんのシャツに身を染めたのだろうか。春の陽気が川面に温もりを漂わせ、重人さんの家船が、焼玉エンジンの黒煙を勢いよく吐きながら下流へと向きを変えた。美夏ちゃんの母ちゃんの夏海さんが、船窓から顔をだし「明っ子ちゃ~ん。帰りにアサリ貝ば、持ってくるけんね。たのしみにしとかんね」と、英ちゃんの母ちゃん明子さんに手を振った。

村がゴッホの絵画のように黄色く塗られた。春の気運に菜の花が青臭い溜息をついた。その蒸せるような匂いに包まれた堤防を、土筆(つくし)採りの子供達が駆け回っている。
河原では、マリーが、山羊に草を食べさせている。すると、びっくりしたように、山羊が飛び跳ねた。何事かと見てみると、仙人さんが寝ていたのだ。
まだ、葦の丈も伸びていない河原は、草原のようである。春の陽気が戻ったその河原で、仙人さんは昼寝をしていたようだ。
マリーが「仙人さん。何でこげな所で寝とっと? 山羊や牛に踏まれるよ」と、仙人さんを覗き込んだ。辺りには数頭の牛も放牧されている。この牛は、(すき)を引いて田を耕す農耕牛である。だから、たっぷりと草を食べさせて力を蓄えるのである。

青紫の野アザミが、黄色と緑のキャンバスに意味深なアクセントを付ける。それは地中の秘密を告げる春の華である。その茨の花を手折って、仙人さんは、ひょいとマリーに手渡した。そして「土手は気持ん良かねえ。特に春は良か」と言った。
マリーは「仙人さん、土手には、いつ位から在ると? 千年?! ねぇ仙人さん、この前、この川は、(いくさ)から村ば守る為に、人の手で掘ったっち言うたやろ。そん時にぁ仙人さんも手伝ったと?」と聞いた。
すると、仙人さんは「ワシャ、戦は、すかん(嫌いだ)けん。そん時きゃ、よそに居った」と答えた。
マリーは「そんなら、女王様が居らした頃は、どこに居ったと?」と聞いた。仙人さんは、生あくびをしながら「あん頃は、ここらは、まだびちょびちょの湿地やったけんねぇ。やっぱりよそに居った」と答えた。
更にマリーは「どげんして(どうやって)、びちょびちょの湿地ば村にしたと?」と、まだ眠たそうな仙人さんに尋ねた。
仙人さんは「わしが自分でやったわけじゃなかけん、詳しゅうは、なかばってん。高志(たかし)のやり方は、まず、土手ば作る。どうやって作るかちゅうと、海岸線や河原に、ひき潮の時に丸太ば打ち込むとよ。そして、その丸太に竹や柴ば絡める。何年か経つと、その丸太の垣根に潟が溜まるとたい。その溜まった潟に、今度は葦が育ち、びっちし埋めつくすとたいね。これが芦塚たい。芦塚が出来たらその上に土ば盛って、みんなで打ち固めるとばい。そげんして土手ば、作るとよ」と鼻の穴をホジホジしながら優しく教えてくれた。
マリーは深い溜息をつき「へぇ~気の長か話やね。私は気短やから、どう考えても向いとらん仕事やねぇ」と青空を見上げて言った。
仙人さんはマリーの頭を撫で「そげなこっぁなかよ。マリーは辛抱強い子たいね。きっとお前さんは大器晩成たい」と、項垂れていたマリーを励ました。
マリーは、何かを思い出したように、ひょいと顔を上げると「仙人さん、沖底さんで待っとって、皆ば呼んで来るけん」と、山羊を置いたまま駆けだした。しかたなく、仙人さんは、山羊に牽かれて沖底の宮に向かって歩いて行く。

菜の花を 求めて蝶と 昇り竜 ひらひら天に 舞い吹きあがれ

~ ()威母(ずも)へ ~

「まずは、正確な情報を沢山揃えるのが肝心だな。だから、()(たける)殿と、須佐人(すさと)殿の目に映らなかった事柄を、調べなければいけない。そして、そこからしか道は開けまい」と、(うす)王が言われた。
すると「誰が探しに行くのですか?」と、(パク)(クク)(ウォル)王妃が、単刀直入に尋ねられた。
「う~ん。そこじゃがなぁ。何しろ(キム)(チョン)(ヨン)めが、阿逹(あだ)()の兄貴ばかりか、ワシにも、(パク)延烏(ヨンオ)殿の居場所を明かさぬでな。当てのない旅になるだろうから、 ワシは、行けんしのう。先っきからそれを悩んでいたところだ」と、臼王が悩ましい声を出し唸った。
すると「(おい)が行こう」と、夏羽(なつは)が分厚い胸を張って言った。“ えっ?! 何を言い出すの ”と、私は思ったが「そうして下さると助かりますなぁ」と、臼王が言われた。
“ ええっ!!…… ”と、思ったら「私も参ります」と、菊月王妃が言い出された。そして「延烏兄さんの顔が分かるのは私だけです」と言われた。
“ 確かにそうではあるが…… ”しかたないので「じゃぁ私の(チュ)(ヨン)船で行きましょう」と、不覚にも言ってしまった。
すると、須佐人が「じゃぁ俺も行く」と言った。“ 嗚呼、何でこうなるの? ”と思ったが、私は旅もしたかった。だから、この件は、成行きに任せることにした。
女王の仕事は、しばらく香美妻(かみつ)に押し付けておこう。こんな事情なら、アチャ爺も、太布様も、許してくれるだろう。臼王は、早速、鯨海沿岸の倭国の王や族長達に「()巫女(みこ)様が行幸される。粗相のないように」と御布礼を出した。

伊都国のあぜ道を菜の花が覆った。新緑の山肌を背景に陽光を放ったような道が海辺に向けて放たれている。良い旅になる予感を春風が後押しする。
()麻呂(まろ)船長の意見では、朱燕船の出航準備に十日ほどかかるらしい。長旅になるかも知れないので、船の補修も、しっかりとしておくそうだ。
それだけの日があれば、私の準備も十分に整えることができる。それに、シュマリ(狐)女将も間違いなく到着するだろう。シュマリ女将がいれば、稜威母への道が容易になる。そして、丹濡(にぬ)(ふぁ)も、寂しがらずに済むだろう。
私は、項家二十四人衆の中で最も健脚な項権を、アチャ爺への使いに走らせた。春の光の伝令項権は、足も速いが、剣の項荘が最も期待している剣の弟子だ。
歳は、夏羽程だが、夏羽に比べると、礼儀正しく助べえでもない。だから、私と香美妻が、密かに豊呼(とよこ)の婿にしようと見定めていた男だ。

項権なら、一日で山を越えるだろうから十分に時間はある。私は、香美妻に、項権と豊呼を妻わせておくように木簡にしたためておいた。

層々(そそ)()(だけ)の峰の上に火炎のような雲が広がった。青空に、毛状の白い渦を絡め散らすのは、もつれ雲だ。この空模様なら当分晴天が続くだろう。
その山影に項権の姿が消えると、私は改めてこの旅が、剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠との、最後の旅になると決意を固めた。だから、旅から帰ったら項権を、豊呼に婿入りさせ剣の項権にせねばならない。
しかし、無理やり「女王の沙汰だ」と夫婦にするのも酷い話である。そこで、本人達の意向も確かめて置きたいのである。
母の八十女(やそめ)族長が言うには「豊呼は、『私は神の嫁だから』と、婿取りを拒んでいる」そうであるから、難題かも知れない。
項権は、夏羽と比べれば助べえの影は微塵もない。が、かといって男色の好みがある訳でもない。須佐人の話だと、若衆宿で男色に走る者もいるそうだ。だから、須佐人に、項権から男色の臭いはするかと尋ねたが「ない!!」と言っていた。
別に男色好みでも、子さえ孕ませれば良いが、豊呼のことを思えば、男色好みではない方が良い。何よりも夏羽のように助べえでないのがもっと良い。

十日目の朝、加也山に綿雲が広がり、やさしい情景が迎えてくれた。表麻呂船長と朱燕船の準備も整った。そして昨日、シュマリ女将も到着した。私が稜威母行きの話を伝えると女将の顔が一瞬曇ったが、程なく、綿雲のような顔に晴れ上がり、きりりとしたキツネ目で「分かりました。稜威母への道案内は、私がしっかり努めさせて頂きます」と言ってくれた。
表麻呂船長は、腕を振り上げて、出港の銅鑼を叩かせた。風は追い風で良い出港日和である。そして、岫門(くきど)を超えて、(くきの)(うみ)で、船を停めた。今夜はこの静かな海で船泊りである。

朝霧が静かな湾を紗幕のように覆い、東の海は日出国の如く煌めき、無数の白銀にちりばめられた。北と南の遠見には春の緑を更に淡くした山々が描き出された。昨夕の湾口は、まだ薄墨色に霞んでいる。
穏やかな水面に、さざめく航跡波を引き(はしけ)が近づいてきた。平底の舟で帆はない。()()ぎの川船である。西から漕ぎ寄せてくるので、岫門から入ってきたようである。その舟には、(つぶ)裸女(らめ)様が乗っていた。洞海を出て穴戸ノ瀬戸を抜け企救津(きくつ)までの水先案内を行ってくれるのである。


乗船してきた螺裸女様の傍らに、息子の(はた)(くら)(みみ)が立った。そして、この旅に同行してくれるという。どうやらこれは、秦倉(はたくら)()族長の配慮である。
この先、秦鞍耳がいれば尚心強い。彼のご先祖は、須佐(すさ)(のう)王の一族である。須佐人の名も、この王に由来する。
須佐人の(はた)家は、()(まぁ)(たい)国を本拠地として、筑紫(ちくしの)(しま)の西に広がった。
秦鞍耳の秦家は、(とう)(まぁ)国を拠点にして、東に広がったのである。更に、須佐能王の遠い祖先は、沙羅(さら)(くま)親方の遠い祖先に繋がる。
そして、項家の遠い祖先もそこに繋がる。彼等の水脈を辿っていけば、皆繋がるのである。
もし、鳥のように高い視点で見れば、彼等は旅の民である。そして、水脈を旅する水の旅団なのである。項家のご先祖は、南の水脈を辿って倭国に着いたが、須佐能王の一族は、北の水脈を辿って倭国に着いたのだ。
最初に倭国の北の地に降り立ったのが須佐能王である。そして、その地が稜威母なのだ。だから、須佐人も、秦鞍耳も共に、稜威母を源流としているのである。
ふたりとも稜威母へは、行ったことがない。しかし、もし何かあった時には、ふたりに流れる須佐能王の血が役に立つ筈である。だから、秦倉耳族長は、若い息子を私の旅に同行させたのだ。

白い波頭が砕け水底へ渦巻き引き込まれていく。なんと勇ましい海だろう。天を吹き荒れる台風に負けないくらいに私をワクワクと胸躍らせる。私はやっぱり変人なのだろう。
荒ぶる瀬を抜けると船は企救津の沖に停泊した。ここで万呼(まんの)さんを待つのである。この事態を聞きつけた日向(ひむか)が、加勢に付けてくれたのだ。
万呼さんは、()(ハン)語が話せる。馬韓語が話せれば、(ジン)(ハン)語も分かると、ラビア姉様が言っていた。
菊月姉様に加えて、辰韓語が分かる者が増えると助かる筈だ。何せ延烏(ヨンオ)様を探す旅である。きっと、辰韓人や、馬韓人との関わりが出てくる筈である。

穏やかな春の海で待つこと数時、()()国からの船が寄せてきた。そして、何と嬉しいことに、()()()()玲来(れら)の三姉妹が、万呼さんに付いてきた。早速、丹濡(にぬ)(ふぁ)との、おしゃま娘四姉妹が再結成されたことはいうまでもない。そして、そのお守役に、メラ爺の娘の宇津女(うづめ)さんも付いてきた。企救津から、穴戸ノ瀬戸を抜け螺裸女様を入り江で下ろすと、朱燕船はいよいよ鯨海に乗り出した。

最初の目的地志都伎(しづき)島は、鯨海の大波から、入り江を守るかのように湾の入口にあった。向きは逆だが、志賀の島に似ている。ただし、志賀の島のようには大きくない。そして、この入江も奴之津(なのつ)のように広くはない。だから、洞海のように波静かな湾である。
洞海から、稜威母までは、まるで一直線のように海岸が続いているそうだ。そして、途中にはいくつも、こんな静かな入り江がある。だから、太古より、その入江沿いに海人が住みつき、北上して来た。
志都伎島には、志々伎(しじき)沫裸党の海人が暮らしている。そして、入江の奥には、志賀(しか)沫裸党も暮らしている。その為、末羅国の内乱では、この静かな入り江も血に染まったようである。
菊月姉様の母様愛加奈(あいかな)様は、志賀沫裸党の海女だから、入江の奥の村長が、菊月姉様に、沢山の海の幸、山の幸を持って挨拶に来た。そして、どうしても、私と姉様に、村に来て欲しいというのだ。
私は、一瞬不安が過った。琴之海での出来事を思い出したからだ。しかし、断る訳にもいかないので、須佐人と、夏羽を伴って、四人で下船した。

春風がそよぐ志都伎の湾に、陽気な歌声が流れた。波間に揺れるその陽気は、朱燕船からである。きっと宇津女さんの演芸団であろう。
彼女は驚くほどの芸達者だった。アチャ爺が抜けたこの船で、項家二十四人衆と踊り連を結成したのだ。退屈していた二十四人衆は、大喜びである。そして、酒も飲まないのに、暇さえあれば昼間から踊りの練習に勤しんでいる。
その陽気さに背を押され、私達は志賀沫裸党の村に上陸した。
村内は、椿の生垣で囲まれていた。もう少し早く来れば、赤い花が咲き乱れ、さぞ美しい生垣だったに違いない。

上品な顔立ちではあるが、渦巻く入れ墨を施した村長が出迎えてくれた。その顔の入れ墨は、どことなく琴海さんの入れ墨より、()()()大将の入れ墨に似ていた。そして、蛇目(かがめ)だと名乗った。どうやら刺青の模様は蛇のようである。
接待の宴は、上品なモノであった。そして、今夜は、村に泊まって欲しいという。私は喜んでその申し出を受けた。今夜は静かに、姉様と二人で過ごせそうだ。

祭り囃子の船からは、ここまで賑やかな声が届いている。どうやら、志々伎沫裸党の村人も加わっているようだ。

この海の沫裸党を束ねているのは安曇(あずみ)様である。安曇様は、()(オリ)王の妃に成られた豊海(とよみ)様の父様である。だから、私が名付け親になった卯伽耶(うがや)のお祖父様だ。
この村に泊めていただこうと思ったのには、蛇目村長から、安曇族のことを聞いておきたかったこともあった。
伊都国は倭国の中枢である。その王妃である菊月王妃は、志賀沫裸党の出である。蛇目村長は、そのことがとても誇らしく嬉しいようだった。姉様も、村人ひとりひとりの手を取って一族の絆を温めていた。そして、早速蛇目村長が安曇族のことを話し始めた。

《 蛇目(かがめ)村長が語る『海の民の話』 》

倭国は、大きく四つの海に囲まれています。

一つは、倭国の西に広がる東海です。西に広がるのに東海と呼ぶのは、中華(シャー)から見ての呼び名です。日巫女様のご先祖や、項家や、(でん)家の方、そして、沫裸党などの海人は、この海を渡って倭国にやってきました。
中でも、中華の南端、(ヂュ)(ヤー)の南辺りから渡ってきた海人は、ワニ(鰐)族と呼ばれています。更に南に下ると、モーケンと呼ぶ種族も居るようです。皆、素潜りでの漁を得意とする海人です。
ワニ族と呼ばれるのは、顔や身体に、鰐や、蛇や、龍の入れ墨を、刻んでいる者が多いからでした。
鰐と云う生き物は、倭国には居りません。朱崖の南の暖かい地域にいる猛獣です。ぎょろりとした目玉と、大きな口をしているそうです。その大きな口には、鋭い歯が何本も並んでおり、ガブリとやられれば、抗うことも出来ずに、食われてしまいます。水中に隠れていることが多いのですが、四本の足が有ります。水陸両用の生き物です。鎧のような鱗に覆われていて、弓矢等では殺せません。槍で近づこうにも、大きな尻尾でなぎ倒されます。だから、そこに暮らす民は、鰐を恐れ、敬い崇めています。
朱崖の南から南洋には、密林に覆われた島々が在るそうです。そこには大蛇がいて、鰐と同じ位に、恐れ、敬い崇められているようです。鰐も、大蛇も、固い鱗に覆われているので龍の仲間のようです。


二つ目は、その南の海です。黒潮の海と呼ばれています。黒潮の民は、()()国や、伊予(いよの)(しま)の南、そして、(あき)津島(つしま)の南に、暮らしています。私は、会ったことは有りませんが、私と同じ蛇の入れ墨をした人が多いそうです。海蛇ですね。海蛇は、猛毒を持っているものが多いですが、美味しいですよ。
南洋の海人には、(いさな)捕りの巧みな者が多いそうです。鯨海の鯨捕りも、元は、南洋海人・黒潮の民かも知れません。

三つ目の海は、伊依島と、秋津島の間に広がる地中海です。ここに暮らしている海人については、私はあまり知りません。どうやら、あちらこちらから渡ってきた海人が混じっているようです。

そして四つ目が、私の暮らす鯨海です。鯨海の北には、二つの海峡が有り、下の海峡は南の海を上ってきた潮と交わっています。そこいらには、狩猟と漁労を営む北の民が住んでいます。そして、私ら沫裸党も、その辺りまで北上し暮らしています。
鯨海には、牙を光らせた(わに)はいませんが、同じ位に獰猛な(ふか)が沢山泳いでいます。その為に、海女が、その鱶に食われてしまうことも有ります。そこで、時々は、村総出で鱶狩りをするのです。しかし、鱶は、鯨に比べれば遥かに獰猛です。ですから、とても危険な漁なのです。
一方、北の民は、もともとは、大きな鹿や毛長象を狩って暮らしてきた勇猛な民です。大鹿には大きな角があり、毛長象には、巨大な牙があります。同じ狩りでも、猪と同じようにはいきません。命がけの狩りです。
だから、海女を娶った命知らずの北の男達の中から、鱶狩りの狩人が生まれました。その狩人を、フカ(鱶)族と言います。フカ族は、ワニ族と助け合って共に暮らしているので、フカ族と、ワニ族を見分けることは、難しいですね。
時々入れ墨をしていないワニ族がいますが、それはフカ族でしょう。しかし、北の民も、入れ墨を入れる者が多いので、「フカ族は入れ墨を入れていない」とはいえません。入れ墨していないフカ族には、秦家の一族だった者もいます。だから、フカ族だけを見分けるのは、簡単ではありません。
フカ族も、初めの頃は、恋女房の海女を、鱶から守る為に狩りをしていましたが、鱶は、食料としても高値がつく物だったようで、獲った鱶を、秦家が、買い取るようになりました。そこで、鱶狩り漁師が増えてきました。私の村は、潜りを得意とする海人漁の村ですが、もう少し、北の入り江にある村では、鱶狩りを、主な漁にしています。だから、私等は、その村を、鱶之浦と呼んでいます。
鱶之浦の村長とは、飲み友達です。私等の漁場に鱶が増えると、鱶之浦の村長に、鱶狩りを頼みに行きます。鱶之浦の鱶漁が不漁だった年は、私らの食べ物を分けて渡すこともあります。

鯨海には、四つの集団があります。

一つは鯨海の倭国側に暮らす北の民です。私達は阿人と呼んでいます。彼らの言葉で『ア』は、『私達、人間』という意味だそうです。
二つ目は、鯨海の大陸側に暮らす北の民です。いくつかの種族がいるようですが、私が出会ったことがあるのは、濊貊(ウェイムォ)と呼ばれる一族です。濊貊族は、日巫女様の父上阿逹(アダ)()王とは、敵対する種族です。だから、名だけは聞かれたことがあるかも知れません。濊貊族は、とても広い領土に暮らしています。(ジン)(ハン)国より遥かに広い土地に暮らしているのです。
三つ目は、辰韓国からやって来た秦家の一族です。秦家は、もともと中華の民ですから広く交易をしています。倭国の秦家の始祖は、須佐能王の一族です。
四つ目は、私ら倭人の沫裸党です。先ほどお話ししたように、沫裸党の海人にもワニ族とフカ族がいます。

須佐能王は、鯨海の倭国側を束ね、()威母(ずも)を拠点にしました。そして、ワニ族は、須佐能王の陣営に加わりました。

フカ族の一部と、北の民は、稜威母の北に別の勢力を作りました。その地は高志(こし)と呼ばれています。高志には、濊貊がよく良く交易に来ています。私らワニ族は、自由な海の民ですから、高志にも大勢一族がいます。

須佐能王の妃は、日巫女様の御先祖でもある(いん)家の巫女()(ぐし)姫です。その子が、伊佐(いさ)()王ですね。
伊佐美王は、高志も束ねられ倭国を統一しました。しかし、伊佐美王が亡くなると、倭国は再び割れました。
高志は、もちろんですが、稜威母もまた独立した勢力になりました。倭国の内乱は、とても複雑な関係で起きています。
そして、私等のワニ族にも大きく二つの勢力が出来ました。その一つが、安曇様を、大統領に担いだ安曇族です。

ワニ族の大統領は、()()と呼ばれます。だから、私等が安曇様と呼ぶのは、安曇(あずみの)()()だからです。安曇様の元の名を私は知りません。じゃが、安曇様は、志々伎沫裸党の出です。
私等の志賀沫裸党と志々伎沫裸党は、敵同士になった時期も有りますが、志賀の島に住む志賀沫裸党は、安曇様の傘下に入りました。だから、私等も今は安曇族です。
志賀の島から北に住む沫裸六党は、ほぼ安曇族です。でも、本拠地の値賀(ちかの)(しま)の志賀沫裸党は、安曇族ではありません。もうひとりの高良(こうらの)()()を頂く、高良(こうら)族です。

安曇族は、鯨海の民達と混じり合いましたが、高良族は、高木の神を崇める民と混じり合いました。ここまでお話しすると日巫女様は、お気づきになったと思いますが、高良族は、筑紫島に住む海人が多いのです。そして、今の高良磯良は、()(まぁ)(たい)国のカメ様です。
その前の高良磯良は、多理(たり)(みみ)様でしたが、多理耳様が亡くなったので、カメ様が「次の高良磯良が決まるまでなら」と、高良磯良の役を引き受けられたのです。
一番の候補は、巨勢(こせ)様だったのですが、巨勢様が辞退されたので、代わりにカメ様が引き受けてくださったようです。巨勢様のワニ族か、沫裸党か、あるいは項家か、田家に優れた力を持った頭首が育てば、その方が、次の高良磯良になるのでしょう。安曇族の間では、「()(たける)様ではなかろうか」という者もいます。巨健様なら、安曇族との仲もうまくやられるだろうと期待している向きもあるのですがね。
沫裸党の間で殺し合うのは、もう避けたいですからなぁ。もし、臼王の父君、(りょう)王のような激しい気性の方が、次の高良磯良になれば、再び、倭国大乱の世に戻りかねないですからね。何しろ、先の倭国大乱を引き起こしたのは亮王ですからなぁ。
今、臼王と、()(おり)王の中は良いようですし、今の安曇磯良の安曇様も、温厚な方ですから、次の高良磯良が、巨健様なら、倭国からは、当分戦の影は消えますからなぁ。何しろ、秦家は、稜威母の出ですしなぁ。しかし、その為、カメ様に続き、またしても、秦家からとなると反対する者も多いようです。

ざっくりとした話ですが、安曇磯良は、北のワニ族で、高良磯良は、南のワニ族といったところですから、順番からすると、次の高良磯良は、項家当たりかも知れませんのう。本当に巨健様になれば良いのですが……いやいや、これ以上話を続けると、だんだん年寄りの愚痴になってきますのでここらで止めましょう。

… … … … … … … … … … … … … … …

と、蛇目村長は、話を終えた。私は、須佐人と、夏羽を、振り返った。ふたりの顔は、引き締まり、とてもたくましく見えた。そして、私と、姉様は、「延烏様は、高志にいるのではないだろうか」と目星をつけた。

~ 安曇族の海 ~

鯨海の水平線を春霞が覆い、一羽の海烏が海面を飛び去る。餌でも取ろうとしているのか? 胸毛はまだ喉元まで白い。これから北の繁殖地へ飛び立つのだろうか。彼女は巣を作らないという。“だから家なき子”まるで私のようである。
少し強まった春風が南西から吹いている。波はやや高いが天気は晴朗。早朝、私達は志賀沫裸党と、志々伎沫裸党の、両方の村人から見送られ出港した。
昼を過ぎた頃から、南風(はえ)が強くなってきた。それに、気温も上がってきたようだ。どうやら、嵐が近づいているようである。春の嵐はもう過ぎ去っていたが、シュマリ女将の話では、この時期には、五月の嵐と呼ばれる大嵐が起きることがあるそうだ。
そこで、表麻呂船長は、女将の案内で、須佐という入り江に船を停めた。どうやら、この村も、フカ族の村のようである。鱶狩りで使う大きな銛を積んだ舟が、幾艘も岸に引き揚げてあった。
威容を誇る(チュ)(ヨン)船が、湾に長い船影を落とすと、フカ族は遠くから、不安そうに、私達の様子を見ている。
無理もない。普段この村に、こんな大きな軍船が来ることはないだろう。
夏羽が「オイが、ちょいと話を付けてこよう」と、艀に乗り込もうとしたが、私が止めた。だって、夏羽みたいな大きな熊男が近づいて行ったら、村人は、益々怯えるに違いない。
すると、宇津女さんが「私が行きましょう」といってくれた。確かに、女の宇津女さんなら、フカ族の警戒も緩むだろう。それに、もし、何かあっても宇津女さんの腕っ節なら、朱燕船から、援軍が駆け付けるまで、十分持ちこたえる筈だ。
私は、念のために、須佐人と、鞍耳も付けて送ることにした。須佐人は、上着の下に曲刀を忍びこませた。
宇津女さんと、須佐人に、鞍耳を乗せた艀が浜に近づくと、勇猛な入れ墨を入れた男達が、五艘の鱶狩り舟で囲んだ。そして、浜に上陸しても、そのまま三人を取り囲み、村の中に消えた。
程なくして鞍耳が、浜で大きく手を振った。どうやら、入村が許されたようだ。鞍耳には高い交渉能力が備わっているようである。

速まる風にまだら雲は、徐々に厚みを増していく。やがて雷雲となり鯨海は暗雲に覆われ始めた。私達は、急いで艀に乗り込み村に向かった。
朱燕船は、須佐の湾内に停泊させたので嵐を避けることができるだろう。南西に大きく突き出した岬が、湾を南風(はえ)(どまり)の港にしている。だから、安全は確保されたが村人の了解を得る必要がある。旅の初めに無駄な争いは避けたいのである。
上陸部隊は、私と、菊月姉様と、二十四人衆の半分、それに、万呼さんと、三姉妹に、丹濡花まで付いてくることになった。
まぁ(いくさ)になる様子はなさそうなので良いかと思い連れて行くことにした。おしゃま娘四姉妹も、そろそろ船上の生活に飽きてきた様子である。もちろん、チャピ(茶肥)も付いてきた。
シュマリ女将は、あまり村に上陸したくない素振りだったが、丹濡(にぬ)(ふぁ)が上陸するので、仕方なく付いてきた。リーシャンも上陸組である。
夏羽は、万が一の為に船に残した。夏羽も上陸したがったが、船に何かあった場合は、夏羽がいないと心配なのである。もし、船を襲うものがあっても、夏羽と、項家の十二人がいれば、本当に百人力なのである。
「兄貴が私を守ってくれるのはありがたいけど、私は、項家の十二人が守ってくれるから、夏羽は、項荘、項佗、項冠とこの船を守って」と私が言ったら、表麻呂船長も「夏羽様が、船を守ってくだされば心強い」と言い添えた。加えて項荘が「夏羽様が、一緒なら、百人の敵までなら撃退して見せましょう」と言った。だから夏羽も、皆がそういうならと承知してくれたのである。
朱燕船の船乗りも、沫裸党の男達なので腕っぷしは強い。しかし、戦士の集団に襲われれば、持ちこたえられないだろう。でも、夏羽に、項荘、項佗、項冠の四人なら五十人の戦闘集団でも撃破するだろう。残りの五十人なら、項家の九人と、沫裸党の船員でも対応できる筈だ。だから、項荘の話も強がりではない。何しろ、夏羽は、父様似の大男である。倭人の男達とは頭一つ分程の差がある。これでは、大人と子供の喧嘩である。熊と組み合う勇気がないと、夏羽に立ち向かうことは出来ないだろう。夏羽と二人ならたとえ戦場(いくさば)の海になっても、ぴょんぴょんとワニの背を歩いて渡れるだろう。

雨はまだ落ちていない。だが風は強まり、山々がざわついている。森から掃きだされた春の落ち葉が、浜辺へ行列をなし吹き流れていく。あれが風の道だろうか。私はその光景が愉快に思えて見とれていた。
上陸すると、村長が出迎えてくれた。そして、私と、菊月姉様に深々と頭を下げ「こんな辺鄙な村に、日巫女様と、王妃様に、御幸(みゆき)頂けるとは、思いもかけない光栄の至りでございます。たいした持て成しも出来ませんが、嵐が過ぎる間、ごゆるりとお過ごしください。急ごしらえで、粗末ではありますが、只今、村の寄り合い所を、日巫女様と、王妃様の行宮(かりみや)に整えておりますので、少しの間お待ちくださいませ」と言った。
行宮の支度が整う間、村長が村の中を案内してくれた。幼子たちが奇異の眼差しで遠巻きに私達を見ている。
浜に近い村の洗い場では、丁度仕留めたばかりの鱶を、解体し加工している処であった。鱶の肌は、ざらざらとしているので砂の魚とも沙魚(シャメ)ともいうらしい。また、海の底に住む沙魚は、その肌を小さな真珠で覆っているそうだ。
そんな宝石を鏤めた沙魚は、高価な皮として取引される。しかし、残念なことに、今日はその真珠の皮を見ることは出来なかった。
リーシャンが喜んだのは、沙魚の(ひれ)だった。中華では、干したこの(ふか)(ひれ)が高級食材らしい。
沙魚も鮫も鱶も、更にはワニも同じ仲間の魚のようだ。小さければ沙魚、大きければ鱶という使い分けのようであるが、ひっくるめて鮫でも良いそうである。
しかし、村長も、村人も、その鱶鰭料理を食べたことはないということである。肉の方は、刺身でも、焼いても、干し肉にしても食べるそうだが、干した鰭など、如何して食べるのだろうと不思議に思っていたそうだ。
そこで「で、あるならば」と、リーシャンが、その料理を作ってみせることになった。鱶鰭は、真珠の皮の小さな沙魚ではなく、大きな(さめ)から取るようだ。
背鰭が一枚、胸鰭が二枚、尾鰭が一枚の四枚を、ひと括りにして商品に仕立てるそうである。また(はらわた)も使うようである。
腸のなかでも、肝から取れる油は、肌に塗っても良いし、灯り取りにも使えるし、田畑の虫の退治にも使うそうだ。更に、とても深い海に住む鮫の肝油は、北方の氷の国でも凍ることはないそうである。
山の漁師は干した鮫の肉を、(わに)(にく)と呼んで珍重し、物々交換でも交換率が高いそうである。そして、肝油は、雪山でも重宝されているらしい。とにかく鮫は、鯨と同じで捨てる処がない食べ物である。
ちなみに、(ジュ)(ヤー)の南にいる猛獣の(わに)も食べられるらしいが、人の方が鰐から食べられる割合の方が多いということであった。

曇天が夜の(とばり)を急かせた。豪雨は、まだ出番を待ち控えているが、風音は、山姥(やまんば)の嬌声のように村人を不安に駆りたてる。幼子は母の胸にしがみ付き、年寄りは死に神の到来を追い払う。
日が落ちる前には、私達の行宮も整った。私と菊月姉様の寝所には、それぞれ帷が張られていたが、取り外した。
傍らには、冴良、楓良、玲来の三姉妹に、丹濡花を加えたおしゃま娘四姉妹がいる。
更に、チャピだって駆け回るだろうから、帷は、直ぐに引落されてしまうだろう。もし、破きでもしたら、村長に申し訳がなくなる。
一応、蚊帳も持っては来たが、まだ蚊帳も吊らずに済みそうである。好きなだけ暴れていいよ。可愛い冴良、楓良、玲来。それにチャピ。丹濡花もね!!

夕餉は、行宮の前の広場で、村人も交えて摂ることになった。嵐は間違いなく近づいているが、幸いまだ雨は降り出しそうもない。
リーシャンの鱶料理には、鱶漁師のワニ顔がほころんだ。あまりの美味しさに、村長は作り方を教えてくれるようリーシャンにしがみ付いている。
皆が和み話の花が咲いていると、()()と同じ歳位の男の子が広場に入って来て土煙を上げ暴れだした。
慌てて母親らしき女が、飛び出て男の子を抑えた。それでも、その子は分からない言葉で、何かを叫び抗っている。
村長が「見苦しいところをお見せし申し訳ありません」と謝った。それから「この子は、鱶の恨みが、憑いてしまったのです。だから、時折こうなりますのじゃ。どうか、日巫女様、菊月王妃様、お許しください」と訳を語った。
母親は泣きじゃくり「村長様、このまま私等親子を銛で刺し貫いてください」と、悲痛の声を上げた。
私は、男の子に近づき、頭に手を(かざ)してみた。すると、頭の中で、火を噴くような気が(うごめ)いている。どうやら、この気が悪さをしているようだ。私は、荒ぶる気に静まるように諭した。すると、男の子も静かになった。
村人が一斉に私に額ずいた。そして、「嗚呼、やっぱり日巫女様だ。日巫女様なら、鱶の恨みを静めてくださるぞ」と口々に囁いた。
でも、私には根本の治し方が分かっていない。加太ならどうするのだろう? 麻酔の水を嗅がせて頭を開くだろうか? 悪しき部位の血を抜けば、悪しき気が、息絶えるかも知れない。でも、私には、まだ加太ほどの医術の腕はない。やはり、私には巫女の業で気を治めるしかない。
私は村長に「海が見渡せる山の中に、小さな広場は有りませんか」と聞いた。
村長は、「村の裏手を登った所に祠になった広場があります」と答えた。
そこで、急ごしらえの斎場(うたき)を作ってくれるように頼んだ。
早速、ワニ顔の男達が、松明を掲げて山肌を登って行った。
ほどなく男達が戻ってきて、風と雨を凌ぐだけの斎場が出来たと呼びにきた。
まだ、雨は降り出していないが、風は、少しずつ強まってきている。私は、丹濡花を伴い、男の子を連れて斎場に登った。

母親も付いてくるというので万呼(まんの)さんが伴うことにした。万呼さんが来るので、冴良、楓良、玲来の三姉妹も付いてきた。三姉妹も付いてきたので、宇津女さんも付いてきた。そして、菊月姉様も、私の巫女舞が見たいと付いて来た。
心配して村長まで付いて来ようとしたが、須佐人が「斎場は男子禁制です」と止めた。
途中、萎れた母親が、万呼さんに「何の因果で私はあんな変な子を産んでしまったのでしょう。何度一緒に死のうと思ったことか……」と嘆いて訴えた。
すると、万呼さんは、やさしい声で「変な子でも良いじゃないの」と背を摩った。そして「私の弟も小さい時から、変人扱いされて、よくいじめられていたの。頭は悪くないけど、何ていうか言葉の綾や、物事の加減が分からないらしいの。弟の名は、雨音(うね)というのだけどね。可愛い奴よ」と微笑んだ。
母親は万呼さんのやさしい声に耳を傾けた。
「まだ、雨音が小さい頃に、私は『蓬を摘んで来て』と頼んだの。だけど、いつまで経っても、雨音は帰って来ないのよ。私は、私の言いつけを忘れて、友達とでも遊んでいるのか、と思っていたわ。小さい子なら遊びに夢中になって、使いを忘れるなんてよくあることだからね。でも、暗くなっても帰ってこないの。だから、心配になって探しに行ったのよ。そうしたら、暗い小川の岸辺で、雨音は、ひたすら蓬を摘んでいたわ。もう、岸辺には、摘んだ蓬の山が、いくつも出来上がっていたのにね。私が呼びに行かなかったら、雨音は、きっと小川の岸辺の蓬を残らず摘んでいたわね。おかしな子でしょう。だから、私は雨音にモノを頼む時は、細かく頼むの。例えば蓬の件なら、『蓬を、この籠に半分だけ摘んで来てね』というようにね。雨音はね、頼まれことを、忘れることが出来ないの。そんな雨音の性分を、王様は見抜いていたから、雨音を中華(シャー)に留学させたのよ。そして、『雨音よ。農学を学んで来い。そうして、博士になり、一刻も早く私の元に戻って来い』と命令されたの。だから、普通の学生なら、八年掛かるところを、四年で学位を収めて帰って来たわ。これには、王様も驚かれたようよ。雨音は、周りの学友が心配するほど、寝食を惜しんで学んだらしいの。王様は、財貨を惜しまずと、雨音の留学費を出されたので、私なら寝食を惜しまず肥っていたわね。だって中華の料理は、とても美味しいものね」と笑って言った。母親は少し落ち着いたようだった。

竹で編んだ風除けで四方を囲み、かがり火が焚かれた。急ごしらえの屋根の上で葦がざわついた。雨水が流れ込まないように溝が掘られている。それは、嵐から斎場を守る結界のようである。
私は、丹濡花に、小鼓を打たせた。
ポン、ポン、ポン、ポポポンと上手に丹濡花は、小鼓を打った。
私は、丹濡花の小鼓に合わせて、トンと地を蹴った。
突風が、バ~ンと私の膝を打った。私は構わず、更にトンと地を蹴った。
今度は風が、横殴りの雨を含ませて、私の白大衣を剥ぎとろうとしてきた。
すると、可愛い声で冴良、楓良、玲来の三姉妹が歌い出した。風は、その歌に誘われるように、祭り場の周りを回り始めた。
やっぱり、三姉妹は、風の妖精だったのだ。私は風の舞に合わせて、右に、そして左にと、舞い合わせた。
ほどなく風の中から、龍が姿を見せた。“ 今度は、悪い気だからと言って、焼き殺すのはやめよう ”と私は思った。
加太は「ピミファは、悪い気を静める力がある。悪い気も気の内さ。悪い気は、陽気で静めれば良いのさ。そもそも、ピミファは陰陽両方の気に包まれている。だから、死病の悪い気も、ピミファには手が出せない」と言っていた。
風は、益々荒ぶり始めたが、冴良、楓良、玲来が、上手く抑えていてくれる。
私は、丹濡花の小鼓に合わせて龍に入り込み、渦巻いて男の子の身体を包んだ。そして、じっと、悪い気が治まるのを待った。
私は、二日の間そうしていたらしい。肌寒い風に、頬を撫でられて目覚めた。風は、北西に変わっていた。どうやら、嵐は去ったようだ。
万呼さんと、宇津女さんは、何度か村に降りて、皆の食事や、飲み物を運んでくれていた。おしゃま娘四姉妹も、今はおとなしく眠りについている。
雲の切れ間から日が落ちてきた。その日に照らされ、男の子も目覚めた。
私の腕の中で、男の子は眩しそうに顔をあげた。「あなたの名は何というの?」と聞くと「()(まろ)だよ」と涼しい目で答えた。
その声に、母親も目覚め、男の子を繁々と見まわしている。そして、ぱっと顔に笑みを浮かべると「有難う。有難う御座いました。日巫女様。日巫女様のお力でこの子は救われました。有難う御座いました。有難う御座いました」と、何度も母親は私に頭を下げた。
私は、猪馬をそっと母親に抱かせた。母親は、笑顔に涙を浮かべて猪馬の頭を撫でまわしていた。

私達が村に降りると、村は歓喜に包まれた。村長は、祝いの祭りを開きたいようだったが私達が、先を急いでいるのを承知して諦めてくれた。その代わり帰路には是非、村に寄って欲しいと約束させられてしまった。私は喜んで承知した。
この村も大半が志賀沫裸党らしい。志賀沫裸党の本拠地の値賀嶋には、馬も牛も居り、志賀沫裸党の男は、騎馬戦も巧みだと聞かされている。
きっと、項家軍属が、()(まぁ)(たい)国に牛馬を運ぶ際の、中継地になっているのかも知れない。
私は、猪馬という名に、もしやこの子も伊氏の流れかと思ったが、どうやら違ったようだ。
猪馬の父は、今辰韓国に居るそうだ。やはり騎馬隊の戦士らしい。父様の味方なのか敵側だったのかまではわからない。
そして、ワニ族の男達は、傭兵として他国に出向いている者も多いらしい。
秦家の一族の中には、傭兵を他国に売り込む商人団もいるのかもしれない。
しかし、総帥のカメ爺も、数多いる商人団をすべて把握している訳ではなさそうだ。少なくとも、須佐人はその死の商人団を知らなかった。

春の海が戻ってきた。のたりのたりと波頭が眠気を誘い、艪を漕ぐ音までもが睡魔を引き寄せる。まさに嵐の後の静けさである。
霞む波間に、海鳥達が飛び込んでいく。遠くて何の鳥かは分からない。小魚の群れでもいるのかしらと更に目を凝らす。
すると、海鳥達がいっせいに天に向かい飛び去った。どこまで高く飛んだかは、春霞に遮られて分からない。私も龍の背に乗って追いかけたかったが、疲れが酷い。
私は、まだまだ未熟な巫女である。これだけ疲労に襲われるようであれば、呪いの業など程遠い。呪う前に、私が倒れてしまうだろう。しかし、戦場(いくさば)の巫女になるつもりもさらさらない。

船に戻ると大変な様相になっていた。甲板が血だらけなのだ。そして、幾人かの死体も転がっている。幸いなことに、こちらは数人ほどかすり傷を負った者はいたが、死者は出ていなかった。
表麻呂船長の話では、今日の明け方、波高い海を越えて、謎の集団が船を襲って来たそうだ。五十人程の手慣れた戦闘集団だったようである。
しかし、夏羽を先頭に、皆奮戦し、船は守り抜いた。この先の航行にも支障はないそうだ。
剣の項荘が切り倒した男や、槍の項冠が突き殺した男達の顔には入れ墨がない。どうやら、ワニ族ではないようだ。濊貊(ウエイムォ)か? それとも、(ジン)(ハン)の暗殺団か? 
夏羽は、ひとりで三十人ほど殴り倒しては、海に叩き込んだそうだ。撃退された敵どもも、まさか夏羽のような大熊が乗っているとは思っていなかっただろう。可哀そうな位である。
やはり油断はできない海である。私は夏羽の肩を揉んで労ってやった。夏羽は、鼻高々である。
夏羽の武勇伝を聞いて、おしゃま娘四姉妹が、夏羽にじゃれついている。そして、あちこちで子を孕ませている夏羽は、表麻呂に負けない位に、子供の扱いが上手い。
襲撃犯の目的は、何だったのだろうか? 朱燕船を奪うのが目的か? でも、五十人程の戦闘集団では、この大型船は操れない。
私を狙ったのだろうか? それとも、秦家の内紛で、須佐人を狙ったのか? もし、私を狙ったのなら辰韓国の暗殺団の可能性が高い。でも、私を殺めて何の得があるというのだろう。
私は、ますます儒理の身が心配になってきた。どうやら、鯨海の嵐は、いつも辰韓国からやってくるようだ。

~ ()威母(ずも)沖の海戦 ~

風は、北西に変わった。表麻呂船長は、片帆で上手く船を進めている。(はた)(くら)(みみ)は、表麻呂船長の傍らに寄り添い、大型船の操船を、興味深げに眺めている。
(くら)(みみ)も、海人なので、小舟の扱いには慣れている。しかし、(チュ)(ヨン)船のような大型船は、初めてなのだ。
どうやら、鞍耳は、すっかり、表麻呂船長に魅せられたようである。
鞍耳は、(とう)(まぁ)国の族長になる男だが、とても腰が低い。だから、どの船員に対しても、自分が目下の者であるかのように振る舞っている。そんな鞍耳の様子に、表麻呂船長や、船員達は、とても好感を抱いたようだ。
鞍耳は、乗客なのだが、甲板掃除から(かわや)(便所)の掃除まで、下っ端の船員達と一緒になってやっている。今では、船員達は、皆鞍耳を慕い仲間扱いしている。どうやら、鞍耳は、優れた将の器を持っているようだ。

風は程よく波頭も白くはない。だから船足も速い。南に続く陸の景色が青く春の薄化粧を施している。そして、長く線を引き、稜威母に導いている。
シュマリ女将の話では、もう少しすれば、稜威母の浜が見えてくるそうだ。
陸までは、まだかなりの距離があったが、三艘のワニ族の艀が近付いてきた。
何やら真珠の沙魚皮を、振り回している。どうやら、押し売りに来たらしい。
朱燕船は、宝船だし、“ まぁ真珠の沙魚皮も、買っておこうか ”と気を許した。
しかし、それは偽装舟だった。偽装舟を横づけにし、剣を抜いた敵の一団が乗り込んできた。どうやら、百名程いるようだ。先ごろの五十名程度では敵わぬと見て、倍の数で襲撃してきたようだ。
素早く剣の項権が、先頭の三人を切り倒した。須佐人も、素早く敵の懐に転がり込むと、曲刀を抜いて二人を倒した。
項権と、須佐人は、この前の襲撃で、自分達の出る幕が無かったので、ここで挽回しようという勢いである。項家の十二人と、須佐人が増えていたのは、敵も誤算だったようで一瞬たじろいだ。しかし、まだ敵は多勢である。敵も気を引き締め、再び切り込んできた。
今回も夏羽は、大奮戦で二十人ほどを海に叩き落とした。この大熊男を倒さないと、勝機は見えないと踏んだ敵は、五十名程で夏羽を襲った。
そこへ駆け付けた項権が、五名を切り倒した。師匠の項荘も、弟子に負けていられないと、七名を切り倒した。
私と、菊月姉様を守りながらも、槍の項冠も、七人の敵を突き殺した。
徒手の項佗にシュマリ女将も、互いに負けじと、顔を見合せながら、次々に敵を蹴り倒し、突き上げては海に叩きこんでゆく。
宇津女さんも、おしゃま娘の四人を守りながら何人かを切り倒したようだ。宇津女さんの武器は変わった物だった。月の輪のような刃物を、鎖で繋いでいるのだ。それを振り回しては、敵を切るのである。その戦い方は、まるで舞っているようだった。運悪くその間合いに入った敵は、瞬く間もない速さで首筋を切られ、息絶えるのである。
こちら側も、危うく数名の船員が切られそうになった。しかし、鞍耳が、見事な剣さばきで船員達を救った。
敵は、またしても誤算をしてしまった。この船には、積まれた宝に匹敵する程の戦士が乗っているのだ。
ほどなく敵は逃げ出した。ほっとした間もなく、帆柱の上の見張りが銅鑼を鳴らした。北西の海には、無数の中型軍船の姿が見えたのだ。
船数の多さから察するに、敵の数も数百だろう。敵は、やっぱりワニ族や、高志の異端児達ではない。この規模なら国が動いている。
やはり、敵のねらいは私のようだ。でも、何で私を殺めようとするのだろう。確かに私は、阿逹(アダ)()王の娘である。でも私が、(ジン)(ハン)国のお姫様になったところで、何の不都合があるというのだろうか。お姫様なら既に優奈(ゆな)が居るではないか。それに私は、辰韓国の王位に就ける訳でもない。
今の私は、()(マァ)(タイ)国の女王の任で手いっぱいである。それも、香美妻が居ればこその綱渡り的なこなし方なのである。
だから、私が辰韓国の王位争いに首を突っ込むゆとりなどない。敵にもそれ位のことは、分りそうなものである。なのに何故、私を襲うの?
そう私が思案に耽っていると「すまんが、皆に先に謝っておく。どうやら、この(いくさ)、この身体を盾にしても、ピミファを守るのが精いっぱいかもしれん」と珍しく夏羽が、弱気なことを言いだした。
すると、剣の項荘も「王妃の盾には拙者がなろう」と言った。
槍の項冠は「ならば、拙者は万呼殿の盾になろう」と言った。
須佐人が曲刀を抜き「丹濡花の盾には、シュマリさんがなるだろうから、俺は冴良の盾になる」と言った。
「そうなると、拙者は、楓良か玲来の盾だな。どっちにする。宇津女さんよ」と、徒手の項佗は言った。「そうだね。じゃ楓良を頼もうか」と、宇津女さんは答えた。
皆、死ぬ覚悟を固めたようだ。事態は、私の思案どころではない。
表麻呂船長は、巧みな操船で、敵船団を振り切ろうとするのだが、敵には、潮も風も知り尽くした海だ。徐々に、朱燕船は、敵船団に囲まれ始めた。
私は、呪いの業も頭を過ったが、戦場(いくさば)の巫女になるより、切られた方が良いかも知れないと、覚悟を固めた。
しかし、丹濡花に、冴良、楓良、玲来の四人は生かしてやりたかった。
「残念だ」と諦め始めた時、遠くから大型軍船の帆柱が見え、ぐんぐん近づいてきた。しかも二隻である。
あの一隻は、懐かしい加布(カブ)()船長の辰韓船だ。どうやら、もう一隻も味方の船のようだ。加布羅船長の辰韓船と、もう一隻の軍船は、矢を放ちながら、敵の中型軍船をなぎ倒し近づいてきた。
二隻の軍船は朱燕船と、三つ巴の陣形を作り最大の防御の形を作った。そして大型船から無数の矢と、中華(シャー)(ヌー)(ゴン)を浴びせた。小さな敵船は、大きな弩弓の鉄の矢を受けただけで沈んだ。
辰韓船と、もう一隻の軍船からは、火の玉の砲弾が次々に放たれた。何艘もの敵の中型軍船が燃え始めた。
そして、もう一隻の新しい大型軍船の舳先に、懐かしい鯨海の海賊王()()船長の勇姿が見えた。首露船長の姿を見留めた敵兵は、あわてて逃げだした。
鯨海の海戦で、首露船長に勝った者など一人としていない。私は安堵感と懐かしさで涙が溢れてきた。

春の海が霞ではなく、私の涙で霞んだ。稜威母の海は穏やかさを取り戻し、南風のやさしさが身を包んでくれている。これは黄泉の国の洗礼だったのかも知れない。
それから、私は朱燕船に乗り移って来た首露船長に、思いきり抱きついた。
加布羅船長が、乗り移って来ると、表麻呂船長が思いきり抱きついた。
二人の救世主は照れ笑いを浮かべ「どうやら皆無事のようだな」と、安堵の胸を撫で下ろしたようだ。
それから首露船長は、(キム)(チョン)(ヨン)に戻り、養女の(クク)(ウォル)姉様を抱き寄せ「無事で良かった。私はお前のことが一番気がかりだったのさ」と言った。
すると、夏羽が「青龍伯父貴よ。オイのことは、気がかりじゃなかったとぉ」と、すねて見せた。
すかさず船長は「おお、お前もいたなぁ。すっかり忘れとった。悪いが、俺には助平な甥のことなど気にしている暇はない。それに、お前と、ピミファは心配せんでも良かろう。俺が心配だったのは、か弱い娘の菊月のことだけさ」と言った。
“ えっ、私のことも、どうでも良いの? ”と私が怒って睨みつけると「あいつらもピミファを襲うとは命知らずか、大馬鹿野郎さ」と首露船長は言った。
夏羽が「ええっ。どういうこと?」と聞き返した。
青龍伯父貴は「お前は、本当にスイカ頭だなぁ。考えてもみろ。下手にピミファを襲えば、戦場(いくさば)の巫女が、目を覚ますかも知れんだろう。ピミファが、戦場の巫女に目覚めれば、あれしきの軍船など、あっという間もなく海の藻屑よ。お前は、ピミファのご先祖の話を知らんのか」と言った。夏羽は「オイは、何~んも知らん。どういうこと?」と再び聞き返した。
「う~む。こりゃ長い話になりそうだ。ひとまず船楼に入ろう」と船長は、皆を朱燕船の船楼に導き入れた。

船楼に入ると船長は「懐かしいなぁ。昔のままだ」と柱を撫でた。
私は、塗箸を船長の目の前に差し出した。「おお。これは(チョン)(チュ)(ヨン)の塗箸じゃないか。どこにあったんだ」と船長は愛おしそうに塗箸を手にした。
「琴海さんから貰ったの。鄭朱燕姉さんの形見だって言ってね」そう私は、船長に教えた。そして「返すよ。それ、()()船長が作らせたものでしょう。(チュ)(ヨン)さんの為に」と言い添えた。
首露船長は、しっかりと私を見つめ「いや、この箸は、ピミファが持っていてくれ。日巫女様の神事の箸になっていれば、朱燕も喜んでいるだろう。俺が持っているより、その方が、この箸の輝きも生きているよ。大事にしてくれ」と、朱燕さんの塗箸を私に手渡した。

停船している船体がゆっくりと波に揺られた。その心地よい揺れに皆の安堵が重なり船楼は、春の陽気に華やいだ。
そして「さて、何から話そうか。ピミファは、戦場(いくさば)の巫女の話をどう聞かされているんだ」と首露船長は、まず私に聞いてきた。
私は、私が聞かされてきた伊尹(いいん)の時代の話をみんなに聞かせた。
そして、首露船長が「人間、身体は戦士として鍛えられるが、心は、なかなかそうはいかんのさ。何よりも、恐怖を感じない心などは、まず持てないものさ。むしろ、怖さ知らずな奴は、戦場では、真っ先に突き殺されるだろう。戦場の勇者は、皆臆病者なのだよ。だから、殺されないように、頭を働かせ、神経を研ぎ澄まし、そして、身体を鍛えるのさ。戦場の巫女は、その恐れる心を掴み操るのさ。だから、戦場の巫女の呪いを耳にしたものは、恐怖の余り、味方同士で殺し合うのさ。もっと気が弱い奴なら自ら命を絶つ。生きようと思うから怖いのさ。一切の恐怖から逃れる道は、生きようとする心を捨てるのさ。だから、自ら命を絶つ。耳を塞いでもだめさ。戦場の巫女の呪いは、心に沁み入るモノだからな。だから、遠くに退却しても駄目だ。神に祈ってもだめさ。戦場の巫女は、神の使いでもあるからな」そう話し出した。
夏羽が「そんなら、どげんすれば良かと」と苛立って聞いた。
青龍伯父貴は「どげんも出来けんと」と、夏羽の口真似をしてから「戦場の巫女に会わんのが、最善の道さ。それ以外方法はない」と言った。
夏羽は「そげん、恐ろしかもんなら。オイは絶対会わんばい」と身震いしていった。
伯父貴が「そりゃぁ無理だな」と言った。
夏羽は「何して?」と聞き返した。
私は、仕方がないから兄貴の目の前に顔を突き出し「だって、ここにいるじゃない」と言った。
夏羽は、ぽかんとして「ピミファが、戦場(いくさば)の巫女なん(なの)?」と呆けて言った。
(チョン)(ヨン)伯父貴が「だから、先っきから言っているだろう。家の巫女が、その戦場の巫女の末裔だと」と念を押した。
すると夏羽は「えっ、ピミファは、そんな恐ろしい奴なん(なの)?」と言い「ピミファに、そんな恐ろしい血が流れとるちゅうこつぁ、オイにもその恐ろしか血が流れとると?」と、自分の身体を叩いて確かめ始めた。
「しっかりしろ、助べえな甥よ。お前の中に、家の血は流れとらんだろう。お前の中に流れているのは項羽将軍の血だ」と、青龍伯父貴は言った。
「おおおお……そうじゃった。そうじゃった。オイの中に流れちょるのは、勇者の血だったばい。良かった。良かった」と、夏羽は、元気を取り戻した。
でも青龍伯父貴は「その勇者を戦場の露となしたのも、また戦場の巫女だったのさ」と言った。
夏羽は「どういうこと?」と、また呆けた声を出した。
「お前は、母親の夏希に、項羽将軍の最後の姿を聞いたことはないのか?」と、伯父貴は聞いた。
「おう、負けを覚悟した項羽将軍は、旧知の敵兵を見つけると、自ら首を刎ね、そいつに渡したと聞いたばい。やっぱ、負けても猛将たい」と夏羽は、胸を張った。
伯父貴は「その前の話だ。何故、負け知らずの項羽将軍は、自らの負けを悟ったんだ」と疑問を投げかけた。
「嗚呼、そんこと。そんなら、そう言ってくれれば良かやないね。甥と叔父の中なのに。まったく水臭いんだから。そりゃぁ四面楚歌たい。四面楚歌。こりゃ有名な話やけんねぇ。

楚歌が四面に流れた四面楚歌たい。みんな知っちょる? 楚歌ばい」と夏羽は、陽気にそして自慢げに話し出した。

「楚歌っちゃ~、楚の国の歌たい。項羽将軍の故郷たいね。その楚歌が、城の外の敵軍から、流れてきたけんたいね。負けば悟ったちゅう訳たいね。四面楚歌、う~む四面楚歌」と夏羽は、ひとり感慨に酔っている。

伯父貴が重ねて疑問を投げかけた「おかしいと思わんか。楚の歌が流れた位で、自軍の兵までもが敵に回ったと考えるなど……冷静に考えれば……敵の策略かも……と頭を回すだろう」しかし、その問いかけに「どういうこと?」と夏羽は反応した。
伯父貴は苛立ち「ああぁ~お前はスイカ頭だから謎解きみたいに話すのは止めよう。単刀直入に話すがな。項羽将軍は、負けてはいなかったんだよ。負けていたのは、むしろ劉邦の方さ。だが、劉邦は、戦場の巫女を味方につけた。四面楚歌の裏には、戦場の巫女の呪が流れていたんだよ」と言い放った。
夏羽は「へっ? 何でピミファのご先祖が、オイのご先祖ば呪い殺すと? 訳わからんばい?!」と、再び呆けた。
「それは、戦場の巫女が神の使いだからさ。つまり、天命を携えて降りて来たのさ。王や皇帝は、天命によって選ばれる。王や皇帝が徳を失うと、天命が革められる。つまり、革命の前兆に戦場の巫女が現れるのさ。少なくとも中華では、昔からそう考えられているのさ。ここまで話したら、何か気付くことはないか?(クク)(ウォル)よ」と、首露船長が、今度は菊月姉様を振り返った。
姉様は静かに「先ほどからピミファを襲ってくる暗殺団の黒幕は、漢の王朝ですか?」と言った。
「流石に菊月だ。夏羽とは、随分頭の血の巡り方が違うな。菊月の血のめぐりが(すい)なら、夏羽は、ちょろちょろと走り回る野鼠の速さ位だ」と、伯父貴は苦笑した。
夏羽が「騅っちゃ何ん?」と再び聞いた。
伯父貴は「お前の尊敬する項羽将軍の愛馬だろうが」と、少し苛立ったように答えた。
「おお、そうやった。そうやった。騅ね。馬の騅ならオイも好いとぉよ。何てね。おお……伯父貴よ。そんな怖い顔せんでくれんね。知っとぉよ。騅やろう。一日で千里を駆ける馬たいね。項羽将軍が死んだ後を追って、川に飛び込み、後追い自殺した馬たい。本当やろかね。馬が、後追い自殺なんかするもんかねぇ? ねぇ? あんたどう思う?」と、夏羽は、項荘、項佗、項冠の三人の袖を引いて尋ねている。
首露船長は、頼りない甥を無視して話を続ける。
「菊月の推察通りだ。沈みかけた赤き火龍の末裔は、戦場の巫女の再来を怖れているのさ。次に、四面楚歌。いや四面漢歌か。それを聞くのは、自分達の番だからなぁ。今の漢の王朝は、乱れ過ぎている。すでに、徳の欠片もない。皇帝は、天命ではなく皇室に巣食う魔物達の傀儡に過ぎない。先頃、その魔物の一人、(リャン)(ブォ)(ヂュオ)という男が殺された。(ブォ)(ヂュオ)は、自分の気に入らない皇帝は何の躊躇(ためら)いも無く殺したそうだ。そして、自分の気に入った幼い皇子を皇帝にした。その皇子が成人し賢くなるとまた殺したそうだ。ところが、今の皇帝劉志は、中々賢い男のようで、密かに宦官らと図り、梁伯卓と、その一族を殺した。彼の専横は甚だしく、国の財貨の半分を我が物にしていたそうだ。更に、高官達も殆ど奴の子分達だったから、朝廷から人が消えてしまった有様だったようだ。そして近頃、やっと、宦官達の働きで落ち着いてきたようだ」そう私の知らない大陸の話から始めた。
「宦官は、我が子を孕ますことが出来んので、一族の隆盛を図ろうというような欲は湧かない。だから、奴らの欲は、勉学に向かう。知識こそが、奴らの生き延びる為の武器でもあるのさ。だから、優秀な宦官には、優れた学者も多い」
私は「宦官って何?」と聞きたかったけど、話の腰を折るのは申し訳ないと思い、ぐっと我慢した。
「例えば、紙の製法を確立したと云われる蔡倫も宦官だ。宦官には、古代に通じた者も多い。だから、天命が改められる革命のことも知っている。そして、戦場の巫女の再来は、革命の前兆だと云うことも知っている。だから、方術に通じた宦官は、伊尹の末裔であるピミファの存在にも気がついた。そして、ピミファの抹殺を、皇帝劉志に進言したのさ。」
私は「宦官って何て酷い奴らなの」と怒りが湧き上がったが、話の腰を折るのは申し訳ないと思い、叫びたい気持ちを我慢した。でも「宦官って何?」
「その中華(シャー)の動きに、濊貊(ウェイムォ)と、高志(こし)が乗った。宦官がどうやって、蛮族の濊貊や、高志と繋がったのかは、まだ、私も掴めていない。ただ、宦官の出自は雑多だから、どこかで、濊貊の血を引く宦官が紛れていたのかも知れん。」
私は「宦官ってどこにでも居るの?」と聞きたかったけど、話の腰を折るのは申し訳ないと思い、三度我慢した。でも「宦官って何?」
「近頃、中華では、この宦官の力が増しているようだ。宦官に助けられた皇帝劉志は、宦官に養子を取ることを認めた。曹騰と云う宦官等は、既に、養子を官位につけ孫まで儲けたらしい。宦官に家を起こさせるなど愚策としか思えんが、皇帝劉志は、そこまでしても伯卓の魔手から、自分を救ってくれた宦官等の恩に、報いたかったのだろう。分からんでもないが、勉学への欲が、権力への欲に取って替われば、国は、また乱れるだろうさ」
私は「宦官の養子って何?」と聞きたかったけど、話の腰を折るのは申し訳ないと思い、「きっと身内なんだろう」と推測し聞くのは我慢した。でも「宦官って何?」
「濊貊や、高志が、この動きに便乗しようと考えたのには訳がある。濊貊にとっては、宿敵辰韓国の阿逹羅王の娘が、戦場の巫女であれば、最も恐ろしい敵になる。高志に取っては、中央集権化した八海森国が、ピミファの力で富国強兵を成すのは脅威だ。再び、倭国統一と云う御旗の元に侵略されるかも知れん、と恐れているのさ。だから、漢王朝からの経済支援の見返りに、ピミファの暗殺団を組織した、と云うことだろう。と私は睨んでいる」
私は「何て身勝手な人達なの? 私がそんなこと考える訳ないじゃない」と、叫びたかったけど、話の腰を折るのは申し訳ないと思い、ぐっと我慢した。
ところが「ところで宦官って何?」と夏羽が首を傾げながら聞いた。話の腰を折られた首露船長は「前に言ったろう。玉無しだ」と苛立ちながら答えた。
「だから、何で玉がないの?」と夏羽は食い下がる。
しかたなく「う~む、宦官は本来、王妃に仕える者達だ。だから、子を孕ませないように玉をちょん切ったのさ」と首露船長が答える。
「嗚呼、子種を断つのね。まさか、牛みたいに太らせて喰う訳じゃあるまいとは思ったが、成程、王家の血が入れ替わらないように子種を断つのね。でも~やっぱり……痛かろねぇ」と夏羽は、自分の股間を押さえた。
下品な夏羽の話を無視して「それに、(パク)(キム)(ソク)の、お家の事情が絡むのですね」と、菊月姉様が言った。
でも私には「王妃に仕える宦官が、何で国政に口を挟むのかしら?」という疑問が沸き上がった。しかし、姉様の話はもっと気にかかった。
「その通りだ。だから、ピミファに、延烏(ヨンオ)を会わせた方が良いのか、悪いのか悩んでいるのさ」と、首露船長が言い出した。
私は、夏羽じゃないけど呆けた声で「どういうこと?」と言ってしまいそうになった。
すると、シュマリ女将が首露船長に問うた。
「日巫女様の前には、少なくとも三つの敵が潜んでいます。ひとつは、目の前の敵、高志と濊貊。二つ目の敵は、その黒幕、漢王朝。そして三つ目は、この稜威母に潜んでいます。そしてこれが一番厄介です。薬にも毒にも変わる存在なのです。薬になるか毒になるかは、おそらく日巫女様と、延烏様の関わり方で決まって来るのではないでしょうか。そして、延烏様は、高志に居られる。そうでは有りませんか? 首露王様」
()()船長、本名(キム)(チョン)(ヨン)、そして()()(ワン)は、「初めてお会いすると思うが、こちらの方は、どなただね」と、私を向き訪ねた。
私は「名はシュマリさんです。()()国でお会いしました。天海(あまみ)親方といわれる方のお身内衆です。それから、この娘は、丹濡花といい私の新しい女官です。丹濡花は、天海親方の孫です」と、二人を紹介した。
首露船長は、丹濡花を抱き上げると「おお、これは美しい南洋の真珠よのう。ピミファより美人になるぞぉ。歳は儒理と同じ位かのう」と、その髭面を丹濡花の顔に擦り付けた。丹濡花は、驚いて目を丸くしたが嫌がってはいない。私と同じで、くすぐったがっているだけだ。首露船長は、丹濡花を膝に乗せたまま話し出した。
「天海親方の噂なら私も知っているよ。南洋の海人の総領だろう。そして、シュマリさんは、その(とん)(こう)かの?」と言った。
夏羽が私より早く「遁甲ちゃ何?」と聞いた。良く聞いた夏羽兄よ!!
青龍叔父貴は夏羽の頭を小突いて話し出した。

「う~ん。一言でいうのは難しいが、ざっくりというと、秘密諜報員のことだ。情報の集め方には、二つある。ひとつは、世の中の表面に現われている情報を、隈なく集めることだ。噂や推測でも構わん。とにかく沢山集めるのさ。そして、その多くの情報から事態を推察するのさ。この方法の良いところは、危ない橋を渡らんでも、人海戦術さえ使えば容易に集められることさ。欠点は、どれが真実か見分けることが難しいことだな。だから沢山、人の声を集めて推察するのさ。
二つ目の方法は、敵の懐に忍びこむのさ。これは最も確実な情報収集の方法だ。そして、敵将の寝屋に忍び込めれば、情報の精度は更に増す。だが、それだけ危険が大きい。だから、普通の人間には出来ないのさ。遁甲が出来る人間は、様々な業を身につけている。そもそも遁甲とは、仙術の一種らしい。
始まりは、中華(シャー)黄帝(フゥァンディー)が天から授かり敵を破った術らしい。奇門遁(きもんとん)(こう)と呼ばれている。ピミファのご先祖の国を滅ぼした太公望も、項羽将軍を敗北に導いた軍師帳良も、これを心得ていたそうだ。
奇門遁甲が、どんな業なのかは私にはよくわからん。でも、どうやらテル師匠が、この奥義を修めているようだ。(じょ)家は、方術師(ほうじゅつし)の一族だからなぁ。
遁甲とは、その中でも忍びの業のようだ。でも、じっと我慢して隠れていては、大した情報は得られない。忍び込むのは、敵将の心の中だ。妃になれれば上出来だ。だから、特に美人が良い。
中華の歴史の中には、幾人もの国を傾けたと言われる美女がいる。おそらく皆遁甲であろう。孫子は、それを美人計という兵法にした。
助べえ夏羽など一コロだな。美人遁甲に出会えば、どんな秘密だろうとぺらぺら吐いてしまうだろうよ。
でも、ただ美人なだけではいけない。まさに徐家の方術と同じように、天の星の動きが読め。風の動きから国の行く末が読み取れ、鼻の形、唇の形、目の形、顔の黒子からでさえ、その人物の人となりを読み解けないといけないのさ。なぁ、普通の人間にはなれんだろう。
だから、残念なことに、私の配下にも遁甲はいないのだ。遁甲を得るには、徐家のような存在がないといけない。どうやら、天海親方が、狗奴国の徐家のような存在らしいな。
最後にもうひとつ助べえ夏羽に教えておくと、美人遁甲は、キツネ目の美女が多いらしいぞ。その釣り上がったきりりとした謎めいた目で見つめられると、助べえ将軍など戦を放り出して溺れるらしい。くれぐれも気をつけろよ。助べえ夏羽よ」と、話を終えた。シュマリ女将は、暗い顔をしてうつむいていた。

昔のある時期、稜威母の沖は、戦場の海であったらしい。高志は、幾度も稜威母を攻めてきた。濊貊もまたしかり、更に古い時代には、須佐能王が、フカ族や、高志を、この地から追い払い稜威母を建てた。須佐能王亡き後には、伊佐美王が、再びこの地を攻め落とした。だから「稜威母の沖は、幾度も血で赤く染まったのさ」そう首露船長は、教えてくれた。きっと、この海に潜れば、(みず)(づく)(かばね)の城がある気がする。シュマリ女将が奇妙な琴を取り出すと、波間を見ながら歌を詠んでいた。

(あら)()()が 波に袖振る (わに)の海 (かづ)き逢いたや 勇ましき()

~ 狐(シュマリ)の亡春 ~

()()船長は、「高志に行け」と言い残し帰国した。そして、加布(カブ)()船長と、(ジン)(ハン)船を、私の護衛に残してくれた。
他国の軍船なのに「この状況なら阿逹(アダ)()の兄貴も承知しよう」と、勝手に決めたのだ。それに、よく考えれば、私は、辰韓国のお姫様である。だから、辰韓船が、私の護衛船になるのは、おかしなことでもない。但し、辰韓王の許可も無くであるから、加布羅船長に、責任を負わせる訳にはいかない。ここは、兄弟分の首露船長が、責任を負うしかないのだ。

ヅドドド~ンと、遠雷が朱燕船の船体を震わせた。南の山並みからむくむくと暗雲が威容を怒らす。これは私への神々の歓迎の印だろうか。まるで「娘っ子、よ~う来たのう」と言ってくれているかのようである。
豪雨が緑の木々を洗う。荒ぶる神々は屁糞の恵みを木の芽に与え、木々は実を膨らます。岩をも砕く放尿は、あらゆる穢れを押し流し大地を浄化する。そこに新しい命が芽吹き春の精霊は青臭い息吹を海に放つ。その春の匂いに、シュマリさんは顔をしかめた。

大型軍船二隻を連ねての北上は心強いが、周辺の民を驚かさないようにしないといけない。だから、先導する辰韓船には、宇津女さんと、その踊り連に乗って貰った。
航行中に他の漁舟が近づいたり、港が近くなったりしたら、笛太鼓を鳴らし、宇津女さんと、その踊り連が陽気に舳先で踊るのである。何事かと驚きはするだろうが、攻めてきたとは思われまい。
この意表を突く思いつきは、鞍耳の発案であった。踊り連には、剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠に、夏羽まで加わっている。確かに、夏羽のような熊男まで踊っていれば、戦を仕掛けてきたとは思うまい。
更に、風の妖精三姉妹も加わったので、行きかう舟からは、皆笑顔で手が振られている。そして、稜威母の港が近づくと、陽気な音に誘われて、大勢の民が港に押し寄せてきた。
鞍耳は、一人で艀に乗り移ると浜に群がる人波のなかへ分け入っていった。須佐人が自分も付いて行こうかと言ったが、「次は須佐人殿にお願いしよう」と鞍耳は言った。一人の方が、稜威母の民を警戒させないと考えたようだ。
しばらくすると人波が割れた。そして、初老の立派な男の人が鞍耳と共に現われた。どうやらあれが、安曇様のようである。安曇様が指示をすると、五艘の艀が浜から軍船に近づいてきた。
その一艘に、私と、菊月姉様、それに、丹濡花は、乗った。
他の四艘には、須佐人と、夏羽、万呼さんと、おしゃまな妖精三姉妹。そして、宇津女さんに、リーシャン、剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠の十四人が乗った。
念の為に残りの二十一人衆は、船の警護に残した。隊長は項権である。二十四人衆の時の隊長は、剣の項荘だが、その後任は項権と決めた。
シュマリさんは、下船したくない様子だったので、警護隊として朱燕船に残ってもらった。シュマリさんが加われば、項権も心強いだろう。
稜威母の港が近づいてきた夜。私は、シュマリ女将から悲しい生い立ちを聞いていた。船楼には、私の他に菊月姉様と、丹濡花がいた。女将は、丹濡花に聞かせるべきか悩んでいたようだが、良い機会かもしれないと思い丹濡花の同席も許したのだ。

東北の山々で青白き雷が光を放った。その遠雷が丹濡花の心を震わせた。南洋の巫女丹濡花は陽の気を持つ娘である。その娘が陰の気に心を凍らせる。それもまた大巫女様への修行である。丹濡花よ頑張れ!! そして、静かに女将は語りだす。
シュマリ女将は、遠い北の大地で生まれたそうだ。父様は、ウリチ族と呼ばれる北方の民で、漁労と狩猟を生業にしているらしい。その部族の中でも女将の父様は、弓と短槍だけで、熊を仕留める勇猛な狩人だったらしい。そして、獣の皮を輸出する貿易商人でもあったようだ。
母様は、ナーナイ族という森と川の民らしい。ナーナイ族は、ウリチ族が暮らす領域よりも更に河を遡ったあたりに住んでいるそうだ。ナーナイ族の村には、祈りの言葉で、神様と交心できるシャマン(呪術師)がいる。
そして、女将のお祖父さんは、その中でも最も優れたシャマンだったらしい。でも、お祖父さんは、ナーナイ族ではない。お祖父さんは、ウリチ族や、ナーナイ族より、もっと奥地に暮らしているオロチョン族だった。
オロチョン族は、トナカイという牛の仲間を放牧しながら天幕で暮らしているそうだ。だから、一年中旅をしている旅の民でもある。旅をしていると、色々な種族と交わるので、様々な言葉が話せるそうだ。だから、賢い者が多いそうである。
オロチョン族は、狩猟の民でもあるので、獣の皮や、トナカイの肉等を、海の幸や川の幸等と交換しながら、ウリチ族や、ナーナイ族と共存しているらしい。ナーナイ族には、シャマンが居るが、ウリチ族には居ないそうだ。それでも、死人が出ると魂送りの儀式が必要なので、オロチョン族や、ナーナイ族のシャマンを呼ぶそうだ。
だから、ウリチ族の村で死者が出ると、女将のお祖父さんが出かけて行き、魂送りをしていたそうだ。そんな縁で、女将の父様と母様は、夫婦になったようである。
シャマンは、卵型の太鼓をたたきながら、祈りの世界に入るそうである。私達巫女が、大地を踏みならすのと同じことなのかも知れない。
女将は、小さい時から、シャマンのお祖父さんに神様の物語と、祈りの言葉を教わっていたそうだ。だから、少しだけ、シャマンの業が使えるようだ。
女将の故郷の河は、とても大きいらしい。千歳(ちとせ)(がわ)や、木綿(ゆう)()(がわ)位の大きさなら支流の大きさなのだ。そして、そんな支流が幾本も流れ込み、河口は、筑紫(つくしの)(うみ)位あるそうだ。私には想像もつかない大きな川である。
その大河を流れてきた水は、冬になると、河口で凍り、幾つもの氷の島を作るそうだ。そして、その氷の島は、海を流れて倭国の北方近くまで流れて来るようである。流氷と呼ぶらしい。
村では、数十年に幾人が、その流氷に流されて亡くなるようだ。だから、大人達は、「春の氷の上には決して乗ったらいけない」と子供に教え込むそうである。
でも、女将が十四歳の春先、弟が、氷の上で遊んでいると、氷が割れて流され始めた。だから、女将は、弟を助けようと急いで、小さな革の小舟を漕ぎだした。でも、小さな革の小舟は、他の流氷に阻まれて、なかなか弟が乗った氷の島に近づけなかった。
半日程奮闘して、どうにか、弟の乗る氷の島に、革の小舟を寄せた時には、随分と遠くまで流されていた。仕方がないので、乗ってきた小さな革の小舟を、大きな氷の島に引き上げると、弟と二人で流されて行くしかなかった。
漂流し始めて三日目の朝、近くに陸地が見えてきた。だから、小さな革の小舟を、海に浮かべ必死で、陸地に漕ぎ寄せた。でも、凍てついた砂浜に、小さな革の小舟を乗り上げると、そこで、力が尽きた。そして、疲労と、飢えの中で、ひたすら弟を抱きしめて眠りについた。「このまま死んでしまうのだろうなぁ」と思ったそうだ。
どれ位経ったのか分からないが、ほんのりと頬が暖かくなってきたので目をあけると、薄暗い天幕の中にいたそうだ。弟は、既に目覚めていた。天幕の中には、初老のお爺さんとお婆さんもいた。火が焚かれた天幕の中は暖かかった。
そして、お婆さんが、暖かい汁物を飲ませてくれた。女将は、涙が止まらなかったそうだ。老夫婦はとても優しかった。その優しさに包まれながら十日程経つと、姉弟は、すっかり元の元気を取り戻していた。だから、老夫婦は天幕をたたみ旅の支度を始めた。
二人は、トナカイを放牧する旅の民だったのだ。トナカイの扱いなら女将も手慣れたものだったので、兄弟は、老夫婦と共に旅を続けた。老夫婦は夏の終わりには、女将兄弟を、故郷の村に送り届けてくれる筈だった。
ところが、夏の中頃になった頃、約束は破られた。その日は、海辺から少し離れた森の中で野営をしていた。日が傾き始めた頃、悲劇は襲ってきた。人狩り族に、襲撃されたのだ。親切な老夫婦は、無残にも殺されてしまった。
人狩り族は、この辺りでは、尾呂蜘(おろち)族と呼ばれ恐れられていた。尾呂蜘族は、鯨海の北西に暮らしているそうだ。そこは、とても厳しい土地柄らしい。だから、時折、尾呂蜘族は、人狩り族になるのだ。
尾呂蜘族は、女将を、(ジン)(ハン)国に売り、弟は、濊貊(ウエイムォ)族に売る相談をしていたそうだ。二人は、別々の舟に乗せられて、弟は、鯨海の北の岸沿いに、そして女将は、南の岸沿いに売られていくことになった。舟には、既に数人の子供が積まれていた。皆恐怖に震えた眼をしていた。でも、その航海の途中で、嵐が襲ってきた。そして、シュマリ女将を乗せた小さな海賊舟は、難破した。
弟を乗せた舟がどうなったかは、今でも分からないようである。弟の名は、サンベ(蒜辺)というらしい。意地っ張りだが度胸が据わっており、村の皆は将来の長にと期待していたそうだ。しかし、今となってはサンベの行方は知れない。
おそらく助かったのは、女将だけだったのかも知れない。とにかく、浜に打ち上げられていたのは、女将だけだった。その浜は、稜威母の浜だった。
旅の途中で、女将は十五歳になっていた。でも十五の娘は、この先どうすれば良いのか途方にくれた。その様子を見て、浜で助けてくれた海女達が「しばらく海女漁の手伝いをしないか」と誘ってくれた。行く当てもないので、シュマリ女将は、その言葉に甘えるしかなかった。
でも、女将は、北国育ちなので泳ぎは上手くない。そんな不安に駆られていた冬の始めに、村で死人が出た。村は、稜威母の都から遠く離れていたので、巫女は春までやってきそうにない。そこで、女将は、恐る恐る自分達の村で行っているシャマンのやり方では駄目か尋ねてみた。
死人が出た家の海女は「じゃお願いしてみようかね。若い巫女に送ってもらったら、助べえ親父も喜ぶかもしれないね」と任せてくれた。その海女は、最初に女将を助けてくれた海女だった。
女将は、海鵜を一羽用意して貰い、太鼓を打ち鳴らし神様の言葉で死人に語りかけた。すると死人は「ワシにゃ、娘にも言っとらん息子が居る。娘とは別腹の息子じゃ。この二人に兄妹の名乗りをさせんでは、死ぬに死ねんのじゃ」と言ったらしい。海女は驚き「その兄さんはどこにおるか」と女将に聞かせた。
すると、死人は、どこどこの何がしじゃと、答えたので、娘は兄を呼びに走ったらしい。兄の方は、異母妹がいることを知っていたそうだ。そこで、二人は、無事兄妹の名乗りをあげた。だから、親父は安らかに神様の許に行くことが出来た。
女将の呪術では、魂は鳥に宿り神様の許に行くそうだ。だから、女将は、親父の魂を海鵜に宿らせると西の空に飛び立たせた。死人を無事神様の許に送った海女は、女将の力に驚き、そして、近郊の村にも触れ回った。
その冬、女将は、巫女(シャマン)で生き延びた。春になった時、女将の噂を聞きつけた網元の息子が訪ねてきた。網元の息子は、色白でやさしい男だった。二人はすぐに惹かれ合い、女将は十七歳で男に嫁ぎ十八歳で娘を産んだ。
でも、姑との仲が旨くいかず二十一歳の時に離縁された。異邦人の女将には娘を手放すしかなかった。娘の名は()()と言った。まだ三歳だった。
稜威母の村に居られなくなった女将は、森に分け入った。巫女が出来なければ、父親のように狩人になるしかなかった。
森を渡り歩き数年を過ごしている時に、山の民に捕らえられた。山の民には、山の民の掟がある。その掟を知らずに狩りをするのは、山の神を蔑ろにする行いなのである。そして、女将は、山の民の頭領であるメラ(米良)爺と出会った。
女将の身の上を聞いたメラ爺は、情報の伝達役として女将を使ってくれた。もともと、女将は森の民なのである。山走りも慣れたものであった。
更に数年が経ち、ある日女将は、天海親方の許に走らされた。親方は、女将を、一目見るなりその身体能力の高さを見抜いた。
親方は、メラ爺の了解を得ると、自分の手元に置き、徒手を教え込んだ。女将は、見る見る腕をあげ、数年後には、親方の高弟になっていた。
一族の跡継ぎは、(はり)(ゆん)若頭だが、徒手の跡継ぎは、シュマリ女将だと誰もが認めた。
その後、倭国の大乱が激しさを増すと、女将は、自ら進んで天海親方の遁甲になった。敵将に身をゆだねる覚悟も出来ていた。既に女将は、未通娘(おぼこむすめ)(処女)ではない。むしろ娘を捨てた罪深い女である。だから、仮初めの男を、寝所で殺す覚悟もできている。
その頃の女将を生きさせていた力は、恨みと怒りである。子を捨てた母が生きる力はそこにしか残されていないのだ。女将が、誰の寝所に横たわったかは分からない。でも、狗奴国反乱の情報を、親方に伝えたのも女将だった。
そして、日向(ひむか)を抱いて、(はく)女王の許に逃げ延びさせたのもシュマリ女将だったのだ。

… … … … … … … … … … … … … … …


話し終えた女将は、深くため息を吐くと目を閉じた。フカ族に貰ったワニの灯りが、深い陰影を船楼に刻んだ。丹濡花が、女将の膝に顔を伏せた。女将は、やさしく丹濡花の背を撫ぜた。女将は、奇妙な琴の音にあわせて歌を詠んでいた。

生き抜くと (トンセン)想い 菖蒲(あやめ)折る さぁ別れ路の 旅ゆき行かん

~ ()威母(ずも)の安曇 ~

白き波浪が砕け、日没する岬に海鳥が舞う。波打ちつけられた(いわお)は、黒き肌を赤光に染め悠久の時を語りだす。それは、細石を巌と成すに等しい長い物語である。


海人の(おさ)安曇様は、亡くなった私の御祖父様より、若く見えた。でも、豊海様のお父様にしては、随分歳を召されている。豊海様は、歳を召されての子のようである。
会見場に着くと、まず安曇様が深々と私に頭を下げられた。その訳は、私が卯伽耶(うがや)の名付け親になったことへの感謝だった。孫は目に入れても痛くないと聞いている。まして卯伽耶は、安曇様の歳なら曾孫でもおかしくはない。だから、卯伽耶の誕生は、目に入れても痛くないところではない喜びようだったのである。だから、私への感謝は、神様を敬う位の丁寧さであった。
私への挨拶が終わると、菊月姉様への挨拶は、打って変わって打ち解けたものだった。それは、身内に対する打ち解けた挨拶だった。
臼王と、安曇様は、共に伊佐美王の曾孫である。それに、安曇様は、臼王より十五歳年上なので、臼王は、一族の末っ子のような存在なのである。
親しげに菊月姉様の手をお取りになると、安曇様は、「臼めは、こんな若くて美しい妃を貰うとは果報な奴じゃのう。羨ましい限りじゃ」と嬉しそうに笑われた。
すると傍らから可愛い娘が現れて「きっと、それが伊佐美王の血でございましょう。お父様」と言った。その娘は儒理と同じ歳位だった。美しいだけではなく、利発そうな娘である。
安曇様は苦笑し「これ、玉海よ。父を笑いものにするでない。日巫女様の前だぞ」とたしなめた。それから「この娘の母は、三年前に不慮の事故で亡くなりましてなぁ。それ以来、豊海が母代わりで玉海を育てていたのですが、豊海が()(おり)王に嫁いでからは、私が男手ひとつで育てておるのです。だから、どうも男勝りに育ってしまったようです」と言われた。
すると玉海は膨れ面で「父様は、私を育てていると思っていらっしゃるようですが、私の方が、だらしない父様の面倒を見て差し上げているのですよ。それに、私は男勝りではなく女盛りです」と反論した。
どうやら、玉海は、私や、香美妻に負けない位の意地っ張りお転婆娘のようである。私は、すっかり玉海が気に入った。
よく聞くと、玉海は、儒理より三歳年上だった。小柄で可愛いので、若く見えるようだ。安曇様は、今年で還暦らしい。ということは、玉海は、五十歳の時の子である。溺愛せぬ方がおかしな位である。   

海風が異国の香りを運び、湿った大広間は涼やかである。夕暮れが迫る陰影の中に稜威母の主だった族長達が集まっている。そして、異邦人の私に向けるまなざしは、みな優しい。
「高志までが倭国の領域であるが、その地は、昔から危うい存在である。だから、実質的な倭国の北限は稜威母である」と、首露船長から聞いていた。
そして、私達は共に須佐能王の末裔である。家の巫女伊阿多も、伊櫛姫と、須佐能王の子である。
倭国での稜威母の立ち位置は、微妙である。倭国自由連合の筆頭国は、狗奴国だが、実質的には、稜威母が黒幕的な存在なのだ。しかし、今は表立っての敵対行為はない。

笛太鼓が鳴り響き、歓迎の宴会が始まった。アチャ爺はいないが、代わりに宇津女さんの踊り連が大活躍である。族長達は、宇津女さんの妖艶な踊りにかぶり付きで見入っている。
すると、稜威母族からも妖艶な舞姫が飛び出してきた。玉海に尋ねると、()六合(くに)という巫女頭だということである。
シュマリ女将の話から、私は稜威母の一族に対して、暗い印象を抱いていた。しかし、尾六合は、光り輝いていた。
その白い肌は、どんな暗夜でさえ照り映え、紅に染まる頬は温情を抱かせ、時折の笑窪は愛嬌に満ちている。そして、宇津女さんの踊りは、大地を踏みならす豊穣の舞だが、尾六合の舞は、人の喜怒哀楽を、愉快に描く快楽の舞だった。
私は、稜威母の巫女は、黄泉の巫女だと聞いていた。でも、尾六合からは、陰の気が感じられない。きっと、尾六合は、陽を司る火の巫女なのだろう。
尾六合には、烏頭(うず)という夫が居るそうだ。烏頭は、豊海や、玉海の異母兄だということである。
もう一人、その同母弟で鳥喙(うかい)という異母兄も居ると、玉海が教えてくれた。つまり安曇様には、少なくとも三人の妻が居たようだ。
更に玉海は、「鳥喙には、(はは)()という妻がいるが、黄泉の巫女なので、暗くて取っつきにくい人なのです。だから、私はあまり好きになれないのです」と言った。どうやら、稜威母の大巫女は、蛇木のようである。 宴がひとくぎり付いた頃を見計らって、私は安曇様に伺いたいことがあると切り出した。すると安曇様は「その前に、稜威母の成り立ちを先にお話ししておきましょう」と話を始められた。

《 安曇様が語る『稜威母の物語』》

 稜威母は、筑紫島に比べると辺境ですから、昔は、今のように大勢の民は居りませんでした。海岸沿いには、沫裸の民が夏の間だけ漁を求めてやって来ていました。山には、高志人が冬の間に南下してきたようです。
高志人は、沫裸の民をワニ族と呼んでいました。しかし、争いは有りませんでした。高志の狩人と、沫裸の海女が夫婦になることもあったようです。海女を鱶から守る為に海人になった高志の男達は、フカ族と呼ばれるようになりました。
冬がやってきて漁が出来なくなると、ワニ族は、筑紫島へ戻っていきます。しかし、フカ族は、もとは狩人なので、冬の間は森に狩りに行きました。だから、フカ族だけが稜威母周辺に定着していました。

春になりワニ族が戻ってくると、フカ族の海女は、高志の海まで漁に行くようになりました。北の民と、南の民は、うまく共存していたのです。
数百年ほど立つと、稜威母の気候が暖かくなって来ました。すると、ワニ族は、河口で稲を作るようになってきました。もともと沫裸の民は、稲の穂族だったのです。その頃、高志や、稜威母には、濊貊(ウエイムォ)も渡って来るようになっていました。
更に、丹場の山に、鉱脈を見つけた(ジン)(ハン)国の山師達も、渡って来るようになりました。山師達は、稜威母の山奥にも入り込みました。山師達が、山肌を削ると、肥沃な山の土が河口まで流れて来ます。だから、河口の田畑が広がりました。その為、ワニ族も、冬の間を、米等の農作物で生きていけるようになりました。
そこで、ワニ族の村も、湾のあちこちに出来てきました。更に、田や畑を開墾するときは辰韓国の山師の鉄が大いに役立ちました。木の鍬では掘り出せなかった硬い土も、鉄を刃先につけた鍬なら難なく耕せます。そうやって、田畑は更に広がりました。
山師達の方も、半農半漁の余剰物を物々交換してもらえ助かっていました。ところが、濊貊の一部に、困った連中が出てきました。秋の実りを迎えたのを見定めたかのように、毎年ワニ族の村を襲って来るようになったのです。
そして、ついには農作物だけではなく、人まで浚うようになったのです。皆は「奴らは人肉を食う」と噂しましたが、どうやら人身売買のようでした。
人々は、彼らを尾呂蜘族と呼び恐れました。そんな時代になった頃に、須佐能王の一族が、稜威母に現れました。
王の一族は、高志からやって来た貿易商人の一団でした。しかし、もとは辰韓国の民だったようです。それが何故、高志からやって来たのかは知りません。
とにかく、日巫女様や、菊月様も、ご承知のように貿易商人は、武装した商人団です。だから、幾度か尾呂蜘族を撃退してくれました。
十五歳で初陣し向かうところ敵無しの須佐能王は、凛々しい若き武将でした。その為、稜威母の民は、須佐能王に、「稜威母の王に成って欲しい」と頼みました。
今の鯨海の海賊王は、首露王ですが、最初の鯨海の海賊王は、須佐能王だったのです。
若き王には、(いそ)(たける)という七歳年上の兄が居ました。ふたりの母は、辰韓国の(かっ)()の娘で、巫女の摩利姫です。
摩利姫の夫であり磯猛と須佐能の父様は、若くして亡くなったようです。その為、摩利姫は、幼い子供達を伴って、一族と共に倭国に渡ってきたのです。そして、高志に居ついていたようです。
実は、磯猛と、須佐能の間には、三人の娘がいたそうです。しかし、三人とも逃亡の旅の途中で亡くなっていました。ですから、長兄の磯猛様は、七歳年下の須佐能を、溺愛していたようです。
磯猛様は、河伯の一族に育てられたので、優れた貿易商人でした。須佐能王は、稜威母の王になると、東海まで商売を広げていた磯猛様を呼び寄せました。大変賢い磯猛様は、東海のみならず南海の民からも信頼が高かったのです。
そこで、須佐能王は、貿易商人団の仕事の方は、兄の磯猛様に全て任せることにしました。それが、須佐能王を始祖とする秦家です。
須佐能王は、武装集団の海賊王に専念すると、尾呂蜘族が襲ってくる前に、沿岸で撃退しました。稜威母の民は、大変喜び、穂族の巫女(くし)()()姫を、須佐能王に嫁がせました。須佐能王を、何としても稜威母に留めておきたかったのです。その時須佐能王は、まだ十七歳だったそうですが、すでに王者の風格があったのです。
奇菜田姫と、須佐能王の間には、最初に姫が出来ました。姫の名は豊受(とようけ)姫と申します。
豊受姫は、稜威母の族長達の母です。稜威母の巫女は、奇菜田姫から豊受姫へと受け継がれていきました。豊受姫は、稜威母の開発に一生を捧げ、宇迦之(うかの)御霊(みたま)とも呼ばれ豊穣の女神でした。
そして、稜威母の日巫女になられたのが、その娘の須勢(すせ)()姫です。須勢理姫は、須佐能王の後継者、伊佐美王の正妃になられた方です。
大変大きな力を持った日巫女様でしたが、気も大変強いお方だったようです。日巫女様を妻にした男は大変な目に会うようですなぁ……ああっ失礼しました。決して日巫女様のことではありませんのでお許しください。今のは須勢理姫のことでしてぇ……
むむむ……エヘンヘヘン。まぁこの話は後の時代の話なので、話は須佐能王に戻しましょう。あれ? どこまで話しましたかなぁ???……

嗚呼、豊受姫がお生まれになった話でしたなぁ。むむむ……エヘンヘヘン。
そうそう、次に奇菜田姫と、須佐能王の間に生まれたのは、八島という王子でした。むむむ……エヘンヘヘン。
嗚呼~、エヘンヘヘン。むむむ……エヘンヘヘン。昔話は喉が疲れますなぁ……エヘンヘヘン。 嗚呼~、エヘンヘヘン……八島王子ですなぁ。よいしょと。
八島は、磯猛様に取っては甥です。でも、可愛い弟の息子ですから、磯猛様は、我が子のように八島を可愛がってくれたそうです。私は、その八島の子孫です。
やがて、須佐能王は、辰韓国からの山師達も束ねられるようになってきました。その頃、高志には、(ヒョウ)と呼ばれる族長が居ました。瓢は、どうやら辰韓国から渡ってきた山師のようでした。
瓢は、とても優れた族長で、民の信頼も厚かったようです。そこで、高志の娘を妻にすると、高志の族長を束ねる統領に成りました。
その瓢に取って須佐能王は、大変危険な存在でした。どうやら、須佐能王と、瓢には、浅からぬ因縁があったようですが、私は詳しく知りません。
いずれにしても、須佐能王は、元は貿易商人ですから、稲場の東に広がる丹場の山の重要さが分かっていました。稲場は、稜威母の東に広がった田畑の地を指す地名です。
稲場と、丹場の山は、稜威母と、高志の境でした。ところが、高志勢力であるはずの丹場の山師達は、須佐能王になびこうとしていました。
そこには、若き高志の統領瓢の存在を快く思わない族長がいたのです。その男善人(よしと)は、自分こそが高志の統領にふさわしいと野心を抱いていました。善人は言葉が巧みで人々を扇動する力に長けていました。
磯猛様は、以前から、高志の海産物や、毛皮なども買い取っていました。それも、高志の海人や、狩人達が、とても満足する高値で買ってくれるのです。
そこで、善人は、磯猛様に近寄り「須佐能王の傘下に加わりたい」と申し入れました。しかし、この密談は、他の族長達には相談もないままの話でした。
賢い磯猛様は、そのことを承知で「良かろう。お前への援助は惜しまない」と善人に密書を渡しました。
善人は、山師達を集め「俺達の鉱物を高値で買い取ると磯猛様は言われている。どうだ。こんな良い話はまたとない。いっそ、俺達はこれを機会に須佐能王の配下に収まろうではないか」と持ちかけました。山師達の大勢はこの話に乗り気でした。
しかし、海人や猟師を束ねる族長の中には「それはまずい。そんなことをすれば、高志勢に攻められるぞ」と危惧を表す者もいました。
善人は「その時は、お前達だけを死なせはしない。俺達山師も死地に立つ。それに須佐能王の援軍も来る」と危惧する者達を説き伏せました。
その噂を知った高志の統領瓢は、丹場の筆頭族長を呼び出し、山師達を思いとどませるよう頼みました。しかし、丹場の筆頭族長は、勇猛で気性の激しい人でした。
更には、善人をはじめ山師や一部の族長達が、自分に何の相談も無くそんな謀をしていたことに、大層腹を立て、丹場の山に大勢の兵を送りました。
驚いた善人と丹場の山師達は、須佐能王の許に逃げ込みました。そして、須佐能王に、自分達の山を取り戻してほしいと懇願したのです。
須佐能王は、自ら水軍を率いて丹場の浜を取り囲みました。鯨海の海賊王と呼ばれた須佐能王のことを知らない海人などいません。だから、ワニ族も、フカ族も、すぐに軍門に下りました。
丹場の兵は破れ、筆頭族長は戦死しました。善人は自ら丹場の筆頭族長を名乗ると、高志攻めの先陣に立ちました。そして、ついには高志の統領瓢を北方へと追い詰めました。
瓢は北へ北へと逃げましたが、遂に諦めて海を渡って逃げました。瓢と云う方は、どうも戦を好まぬ人のようでした。でも、人柄が良く知恵が深かったので人望は高かったそうです。そして、(ピョン)(ハン)国から、(ジン)(ハン)国に逃げ延びた後、辰韓国で、王になったそうです。その瓢様が、菊月姫のご先祖の一人である(ソク)脱解(タレ)王です。
弁韓国の首露王もそのことをよくご存じなので、きっと、首露王は、延烏様を、高志に匿っていると思います。少なくとも、延烏様は、この稜威母には居られません。ここまではご理解いただけましたかな?

… … … … … … … … … … … … … … …

と、安曇様は、話を区切られた。私達は誰も聞き返す言葉を持っていなかった。それでも、延烏様が高志に居られることは確信できた。突然、夏羽が「ここまでの話にゃ、ピミファのことが出てこんばってん。ピミファと、須佐能王の関係はどげん成っとおと?」と聞いてきた。安曇様は「ほう、流石に項家軍属の若頭は、冷静に人の話を聞いておられたようですなぁ。では、話を続けましょうかのう。」と物語の続きを話し始められた。

《 安曇様が語る『稜威母の物語』(2)》

高志を治められると、須佐能王は、稜威母に戻られました。そして、倭国を統一しようと考えられようです。
須佐能王の遠~い先祖は、西域の王族だったそうです。しかし、国を追われ、中華に住み着いた。そして、住み着いたその国も、また滅ぼされ、海を渡り、馬韓国に逃げ落ちた。
更には、辰韓国の地に渡り、稜威母に来られた。だが、倭国の先には、もう逃げる所がない。だから、もし、大陸の王朝に攻められても、抗しうる強い国を作ろうと考えられたようです。
倭国を統一するには、筑紫島の諸国を束ねる必要が有ります。しかし、筑紫島は、須佐能王の一族と同じように、大陸から逃げ延びてきた民が住んでいます。
中でも、徐家と、家の一族は、手ごわい相手でした。武力なら須佐能王の方が優れていましたが、徐家は、方術士の一族です。どんな奇策で悩まされるかわかりません。そして、何よりも尹家の戦場の巫女を目覚めさせると、勝てる見込みは無くなります。そこで、高志を攻めた時のような、武力制圧は行いませんでした。
まずは、磯猛様の秦家が、筑紫島に住み着きました。そして、先住の民である高木の神の一族と、徐家の一族との親交を深めました。弁韓にある大伽耶山の巫女女王も、高木の神の一族のようです。だから、巫女女王は、後に瓠公(ホゴン)と呼ばれる男の子を倭国で産みます。そして、瓠公は、どうやら韓一族の公子だったようです。どうも、高志の瓢は、この瓠公一族と縁が有りそうでした。
経済戦を行うに当たっては、項家という手強い軍属の一団がいました。その為、筑紫島を二分するような方法は取れません。
そこで、須佐能王は、家の娘、巫女の伊櫛姫を娶りました。実は、家と須佐能王の一族は、浅からぬ関係でした。須佐能王と、磯猛様の母である摩利様は、巫女だったので、家の巫女とも通じていたのです。
男達が婚姻で絆を強めるよりも、更に大きな力が巫女の絆には有りました。何しろ人の血ではなく、神様の血でつながっているのですからね。男どもの欲にまみれた縁など勝てるはずは有りません。

伊櫛姫と、須佐能王の間に生まれたのが、伊佐美、伊穂美(イホミ)、伊阿多(イアタ)の三兄妹です。尹家は、女系で繋がっている家柄でしたので、伊佐美と、伊穂美には、伊氏を起こさせました。
伊穂美の子孫には、後に秦氏を起こす者が現れました。それが、秦鞍耳殿の秦家です。
伊佐美王は、成人すると高木の神の娘を妻に迎えました。それから程なく須佐能王の後ろ盾と、磯猛様が率いる秦家の経済力で、筑紫島を統一しました。
そして、それは、武力制圧ではなく倭国連合という連合国家でした。だから、筑紫島で、血が流されることは有りませんでした。
しかし、倭の連合国家が成立した翌年に、須佐能王が、お亡くなりになり、高志で反乱が起きました。それに、稜威母でも怪しい動きが起きました。
この地に須佐能王の名は鳴り響いていましたが、伊佐美王などという若造の名を恐れる者は少なかったのです。伊佐美王は、早速兵を挙げ稜威母に赴きました。
伊佐美王は、まず、異母兄である八島を頼りました。この頃、八島は、稜威母の西の地域を拠点にしていました。
稜威母には、東の地域と、西の地域の間に、広い二つの湖があるのです。この村からも一日も歩けば西の湖に出ます。ですから、八島は、稜威母の中心を西の湖に置いていました。
その西の湖の館に、八島は、族長達を集めておいてくれました。しかし、どうも、異母兄八島以外は、伊佐美王に協力的ではありませんでした。
族長達は皆、伊佐美王の従兄弟達なのですが「八島兄の指示は聞いても、この青二才の指示など聞けるものかという様子でした。
身内同士で争う訳にもいかず、伊佐美王はしばらく様子を見ることにしました。そんなある日、稜威母の東にある稲場の族長が、病で寝込んでいるという噂を聞きました。どうやら、ひどい皮膚病を患っていたようです。
伊佐美王は、母の伊櫛姫から、薬物の知識を得ていました。そこで、その族長の皮膚病に効く薬を調合しました。薬を持って稲場の族長の館に行くと、若くて美しい娘が出迎えてくれました。
伊佐美王は「自分は須佐能王の息子である」と告げると薬を娘に手渡しました。半月程経ったある日、稲場の族長から使いの者が来ました。「病が治ったので薬のお礼の宴を催したい。だから是非に来て欲しい」と云うことでした。
宴に出向くと館には、他の族長達も大勢集まっていました。しかし、そこに集まっている族長達に伊佐美王は面識が有りませんでした。
稲場の族長の話では「この族長達は、稜威母の東に住む族長達で、辰韓国の山師の末裔が多い」ということでした。そして、稲場の族長がその筆頭らしいのです。
稲場の族長は「わしらは皆、伊佐美王にお仕えします」と頭を下げました。そして、稜威母の東に住む族長達も皆、稲場の族長にならい、伊佐美王への服従を誓いました。
皮肉なことに、従兄弟である族長達には邪険にされましたが、血筋のない族長達が味方に付いてくれたのです。
この事態に、従兄弟の族長達は、不満の声を上げ怒りました。中には、伊佐美王を暗殺しようという者まで現れたようです。
異母兄の八島が、どうにか西の族長達の暴挙を抑えていましたが、伊佐美王の稜威母での地位は危うかったのです。
そこで、伊佐美王は、異母兄八島族長の西の湖の館を出ると、全軍で稲場に移りました。稲場なら、丹場に住み着いた高志人を攻めるのにも、都合が良かったのです。
しかし、すぐには、高志攻めには入れませんでした。何しろ背後の稜威母が危ういのですから、軽率には動けませんでした。
ある日、八島兄の使いが来て「すぐに来て欲しいということでした。兄の使いなら伊佐美王も無下に断れません。そこで、三十名程の手勢を引き連れて出かけました。
半日ほど歩き、途中の山道で休憩をとることになりました。案内人は、村はずれの一軒家に、伊佐美王の一行を招き入れました。
ところが、しばらく休んでいると、なにやら外が騒がしいのです。手勢の一人に外を見に行かせると「家の周りに、どんどん藁が積まれている」というのです。そして、程なく火が放たれました。
やがて、四方から火が回り逃げ場を無くしてしまいました。手勢の幾人かが血路を開こうと、火の垣根に飛び込みましたが、火の勢いが強く焼かれて息絶えました。これまでかと、覚悟を決めた時、炎の一角が勢いよく崩された。
それは、八島兄が差し向けた援軍でした。身内の陰謀を察知した八島兄は、大急ぎで手勢を出したのです。それから間もなく、火の手を見た稲場の族長達の手勢も駆け付けて来ました。
伊佐美王は、辛うじて生き延びましたが、手勢の半数を焼死させてしまいました。
そして、稲場の族長の館に引き返すと、東の族長達の手勢が大勢集まっていました。この暗殺を企てた族長を調べ上げ、攻めようというのです。しかし、逸る族長達を、伊佐美王自らが止めたのです。
一番怒っている筈の伊佐美王が止めるので、族長達も従うしかありません。伊佐美王は“ ここで内戦を起こしていたら、高志討伐どころではない ”と考えたのです。
それから“ どうやら、稲場の民と、稜威母のワニ族の関係は、以前から良くなかったようだ ”とも考えました。元々は同じ沫裸の海人だったのですが、稲場が広がってからは、穂族の面が強くなったのです。そこで、西のワニ族と、東の穂族の間には、少しずつ軋轢が生じて来ていたのです。
更に、「稲場の族長が、重い皮膚病になったのは、呪詛だった。そして、それはワニ族の巫女がやったのだ」と、言い出す者も出て来ました。
そこで、“ こんな事態であれば、まず先に高志を討つしかない ”と、伊佐美王は決断しました。このまま、手をこまねいていると、本当に稜威母内戦になりかねないのです。

早速、伊佐美王は、弟の伊穂美に、援軍を送るようにと伝令を走らせました。伊穂美軍は、今、筑紫島の洞海を出て、秋津島と、伊依島の間に広がる中ノ海を東征している予定でした。
そして、春前には、茅渟(ちぬの)(うみ)辺りまで攻め上っている筈だと伊佐美王は判断していました。茅渟海から山を越えれば、丹場の裏に出ることが出来ます。そして、双方から攻めれば、高志は、一挙に丹場から敗走する筈です。
丹場を落とせば、稜威母の危うさが、ひとまずは鎮まるだろうと考えたのです。伊佐美王は、初夏に兵を挙げて稲場に着きましたが、色々と手を拱いている内に、もう晩秋になっていました。ですから、もう稲場の民は戦どころではありません。
それに、今でも「時折尾呂蜘族が襲ってくる時がある」と聞かされていました。そこで、伊佐美王の軍は、尾呂蜘族対策に向かいました。
それに、山に雪が舞えば、伊穂美軍の山越えも困難になります。したがって、高志攻めは来春と成りました。
そうして、伊佐美王は、ひと冬を稲場の族長の館に留まることになりました。その内に、族長の娘を妻にする話が持ち上がって来ました。どうやら東の族長達の強い思いが働いているようでした。
族長の娘が、伊佐美王の子を孕めば、東の族長達も、須佐能王の血筋となるのだと考えたのです。どうやら、東と西のいがみ合いの要因には、須佐能王の血筋問題も潜んでいるようでした。
族長の娘は八河巳(やがみ)姫といいました。八河巳姫は、美しく気立ての良い娘でした。だから、伊佐美王は、喜んで八河巳姫を妻に迎えました。
夫婦になると、八河巳姫は、薬の調合を知りたがりました。そこで、伊佐美王は、母の伊櫛姫から教わった尹家の秘薬を全て八河巳姫に伝授しました。
八河巳姫はとても賢く、尹家の秘伝を難なく取得しました。実は伊佐美王は、母伊櫛姫の秘薬を十年かけてやっと取得したのです。賢い伊佐美王ですら十年を要した秘伝を、八河巳姫はするすると一冬で究めたのです。
きっと、母の伊櫛姫に会わせたら、母は八河巳姫を「尹家の巫女にしたがっただろうなぁ」と伊佐美王は思いました。
幸せな一冬を送った伊佐美王は、春になると、いよいよ伊穂美軍と丹場の高志を攻めました。そして、予想通りに両面攻撃を受けた高志は、丹場から敗走して行きました。
あまりの快進撃に、高志の拠点まで攻め上りたい気も湧いてきましたが、伊佐美王には、逸る心を抑える智力が有りました。「まずは稜威母での地位を安定させることが先決である」と考えていたのです。
そこで、弟の伊穂美軍は、再び茅渟海に戻し、自らは稜威母に戻りました。一気に高志を蹴散らした伊佐美王の武勇の前に、西の族長達も面と向かった抵抗はしなくなりました。しかし、逆に西の族長達は、暗殺計画を用意周到に練り始めました。それはもう、八島兄にも抑えきれないようでした。
そこで、伊佐美王は一旦、筑紫島に戻ることにしました。従兄弟達がどんなに卑劣な手に出ようとも、身内を血祭りにあげる訳にはいけないと考えたのです。
筑紫島に戻るに当たり、八河巳姫を伴いたかったのですが、八河巳姫は、稲場を出たくないと言いました。どうやら、習い覚えた尹家の秘薬で、稜威母の民を病から救いたかったようです。この時、八河巳姫のお腹には王子が宿っていたのですが、二人とも、まだ気付いていませんでした。
筑紫島に戻った伊佐美王は、伯父の磯猛様に、稜威母の西の族長達の懐柔を頼みました。そして、辰韓国から妻を貰うと、稜威母の西の族長達と、辰韓国の交易を封鎖しました。
辰韓国との交易を断たれた西の族長達は、磯猛様の秦家商人団にすがるしか手が無くなりました。そうやって、飴と鞭の作戦を駆使し充分外堀を埋めていきました。
それから三年が経ち、伊佐美王は、今度は、最初から伊穂美軍を加えた大軍で稜威母に向かいました。しかし、伊佐美王が思っていた以上に、族長達は抵抗を続けました。
そこで、八島兄は、稜威母の日巫女である姪の須勢(すせ)()姫を、伊佐美王に娶らせました。
須勢理姫は、神様の力により、伊佐美王に抗う族長達の陰謀を悉く暴き出しました。そして、伊佐美王に抗おうとする族長はいなくなりました。
翌年、須勢理姫と、伊佐美王の間には美しい姫が授かりました。姫の名は、(あけ)()姫です。朱海姫がお生まれになった頃、伊佐美王は、八河巳姫が、王子を授かっていることを知りました。
王子の名は、木俣の(かが)()と呼ばれています。九歳になっておられました。そこで、伊佐美王は、蛇海王子を稜威母の館に呼び寄せました。
これは、将来稜威母の統治を、蛇海王子にゆだねられることを意味していました。元々、稜威母の東の族長達は、伊佐美王を支えていましたが、このことで、伊佐美王の稜威母での地位は、盤石なものとなりました。
そこで、伊佐美王は、いよいよ本格的に高志攻めに取り掛かられました。弟の伊穂美軍を加えた伊佐美王の大軍には、稜威母の軍も加わりましたので、破竹の勢いで高志を攻め落としました。
高志は、服従を誓う証に、()那珂(なか)姫を、伊佐美王の妻に差し出しました。そして、王子が生まれると、伊佐美王は高志の地に腰を据えたかのように稜威母に帰ろうとしませんでした。
何しろ、稜威母には、気の強い須勢理姫が待っていますからなぁ。奴那珂姫は、ふくよかで心やさしい姫だったようです。だから、高志の地は伊佐美王にしたらとても居心地の良い所だったようです。やっぱり、気が強い女房殿は……あっあああっああっいかん。いかん、これ以上口を滑らせると、あっはははは……

しかし、須勢理姫様は、本当に伊佐美王のことを深く愛しておられたのです。そこで、戻って欲しいと歌を詠まれ、その木簡を持たせて使いを出されたそうです。それも、伊佐美王が嫌と言えぬように、異母兄である八島族長に、使いを頼まれたようです。
そこで、その恋文に絆され、更には八島兄に説得された伊佐美王は、再び稜威母に戻られたのです。そして、須勢理姫との間に、(しょう)王子を授かりました。
升王子と、姉の朱海姫は十一歳離れていたようです。升王子が生まれたことで、須勢理姫様は、升王子を稜威母の統治者にしたいと思われたようです。ですから、木俣の蛇海王子が疎ましい存在になってきました。
知恵者であった伊佐美王はその様子を察し、須勢理姫様に「升は、倭国王にする。蛇海には、朱海姫を嫁がせ稜威母を納めさせる」と、おっしゃったそうです。
稜威母の統治者は、倭国では一介の族長です。須勢理姫様の子の升王子を倭国王にすると言われれば、こんなにうれしいことはありません。何しろ伊佐美王には何人もの王子が居ります。その王子達の中で、升王子は末っ子なのです。何人もの兄達を押しのけて王にするというのですから、須勢理姫様に反対の理由はありません。
それに、朱海姫も、須勢理姫の実のお子です。木俣の蛇海王子の異母妹ではありますが、異母兄妹が夫婦になることは、珍しいことではありませんでした。蛇海王子は、須勢理姫の実の子でなくても、我が子の婿になれば我が子と同じです。だから、これ以降、須勢理姫様は、大層蛇海王子を愛しむようになられたそうです。
それから十年程経って伊佐美王は、筑紫島に戻られることになりました。倭国の都は、筑紫島にあるのですから無理もありません。須勢理姫様は、お歳を召されたせいで、伊佐美王への愛しみの情を、すっかり孫達に移しておられました。蛇海王子と、朱海姫様の御子たちです。
伊佐美王は、数年後に倭国の都を伊都国に移されました。そして、十二歳になっていた升王子を呼び寄せました。もちろん、須勢理姫様は、誇らしげに我が子を送り出しました。それから更に十年が経ち、升王子が二十二歳になられると、伊佐美王は、升王子に、倭国の王位を譲られました。
倭国王になられた升王が、稜威母に凱旋された日は、須勢理姫様だけではなく、稜威母の民全てが喝采し出迎えました。升王は、稜威母が生み育てた王なのです。既にご承知で升うが、升王が、臼王の御祖父様です。伊佐美王は、王位を譲られて七年後に余生を閉じられました。最後は、妹の伊阿多様に看取られて、神様の許に帰られたそうです。その伊阿多様も、半年ほど経つと偉大な兄の背を追うようにお隠れになったそうです。

須佐能王
妻多数在り。2系統のみ記載
稜威母の奇菜田姫尹家の伊櫛姫
長女:豊受姫
八十神ワニ(鰐)族
須勢理姫
伊佐美王の正妃になる。
ワニ族(海人)と同化していく。
長男:八島
・・(数代)・・安曇
次男:伊佐美
臼王
三男:伊穂美
クラジ族 秦鞍耳
日向族 山幸(ホオリ)王
次女:巫女伊阿多
・・(数代)・・ピミファ

ここまでが、私の知る倭国と稜威母の話です。お解りいただいたように、稜威母と高志の動きは、今の世になろうとも倭国の安定に欠かせないものなのです。升王の後継ぎであったリョウ王の時代に、倭国が二分し争ったことは、ご存じだと思います。その時の火種も、実は稜威母にあったのです。ですから、臼王は、今でも稜威母に目を配られています。稜威母に災いが生じれば、何をおいても御配慮くださいます。ですから、臼王が御存命なうちは稜威母が倭国に刃向かうことは決してありません。もちろん私の眼が黒いうちはと、までしかお約束出来ませんがのう。

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と、安曇様は、話を終わられた。菊月姉様は、何事かを強く胸に刻まれたようだった。須佐人も、秦家の家伝をこんなに詳しくは教えられていなかったようだ。須佐人が、儒理を守ろうとする思いは一代限りのことではなかったのだ。秦家と、尹家の結びつきが、こんなにも強いものだとは私も知らなかった。カメ爺や、アチャ爺が私を愛おしんでくれるのも強い一族の血の結びつきだったのだ。私はたまらなく二人に会いたくなってきた。

⇒『第1巻《女王国》第8部 ~ 蛇神と龍神 ~』へ続く