著者プロフィール                

       
卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第8部 ~蛇神と龍神~ 〜 卑弥呼 奇想伝(その8)

葦田川風

我が村には、昔から蛇が多い。輪中という地形なので湿地が多く蛇も棲みやすいのだろう。更に稲作地であり野鼠やイタチ、カエルと餌が豊富である。青大将は木登りが上手い。そのまま高木の枝から飛べばまさに青龍だろう。クチナワ(蝮)は強壮剤として売れる。恐い生き物は神様となるのが神話の世界である。一辺倒の正義は怪しい。清濁併せ飲む心構えでいないと「勝った。勝った」の大本営発表に騙される。そんな偏屈爺の紡ぐ今時神話の世界を楽しんでいただければ幸いである。

卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第8部 ~蛇神と龍神~ 〜 卑弥呼 奇想伝(その8)

幕間劇(11)「狂女のシャンソン」

 稲刈りが始まり、昼下がりの村からは、人影が消えて、ひっそりとしている。村人の大半が、田んぼで稲刈りに汗を流している。小学校も、今日は、午前中でお休みである。ジョーも、英ちゃんも、竜ちゃんも、稲刈りに駆り出されている。稲刈りは、村総出の行事なので、田んぼを持っていない、竜ちゃん一家も、手伝いに出ているのだ。

 祖母(ばぁ)ちゃん達は、公民館で、夕食の準備と、幼い子供達の子守りをしている。朝ご飯は、いつものように、各自の家で、それぞれに食べるのだが、お昼と夕食は、村人皆で、ワイワイと、田んぼで食べるのだ。

 稲刈りは、夕食を済ませた後も、陽が落ちるまで行う。とにかく、一時を惜しんで、村人達は稲刈りに精を出す。そして、今日はこの田んぼ、明日はあの田んぼと、順繰りに共同作業で行うのだ。
 田んぼ自体は、皆個人所有なのだが、夏の草取りなど、一家だけで行える作業とは違い、田植えと、稲刈りは、短期決戦である。だから、人海戦術でやらないと、収穫期を逃してしまうのである。
 基本的には、田植えをした順番に稲刈りを行うのだが、田んぼの環境に依って成育状況も違ってくる。だから、最終的には、成育状況を見て、長老会議で決めるのである。
 今日は、小学校の近くの田んぼが稲刈り場になっている。稲刈り場では、田植え唄などが流れ、作業の疲れを忘れさせている。畦道に、寝かされた赤子の泣き叫ぶ声も響き渡っている。年少の女の子達が唄っている子守唄も、聞こえる。
 しかし、村の中心にある神社の森は、静寂に包まれている。そのお宮の社の縁側に、独りぽつんと赤毛のマリーが、足をぶらぶらさせながら座っている。
 先ほどまでは、マリーも、公民館で、祖母ちゃん達の手伝いをしていたのだが、夕食のおにぎりも結び終え、ひと段落ついた。仲良しの美夏ちゃんは、田んぼでの子守り組なので、マリーは独り、神社の中で休憩しているのだ。

 ふと、人の気配を感じて、マリーは後ろを振り返った。そこには、狂女の貴代(キヨ)ちゃんが立っており虚ろな目で、マリーを見下ろしていた。マリーは緊張した。逃げ出そうかと思ったが、足が動かない。貴代ちゃんは、凶暴な女である。
 以前、悪ガキ共が、お宮の拝殿に寝ている貴代ちゃんに、石を投げつけているのを見たことがある。悪ガキ共は、面白半分に石を投げ込むのだが、拝殿の奥の間からは、すざましい勢いで、その石が投げ返されてくる。
 お宮の拝殿の奥は薄暗くて、貴代ちゃんの表情は見えない。でも、投げ返される石つぶての勢いに、鬼の形相をした貴代ちゃんが想像できるのだ。

 貴代ちゃんは、仙人さんと同じように、時おり、ぶらりとこの村にやって来る。そして、お宮の拝殿で寝泊まりしている。村の婆ちゃん達の話では、貴代ちゃんは、久留米市内の両家のお嬢さんらしい。
 「満州から引き揚げてくる時に、ソ連軍に乱暴されて気が狂ったのだ」とか、「いや、進駐軍の兵士供に乱暴されて、気が狂ったのだ」とか、「いやいや、幼い子を川でなくなる亡くして気が狂ったのだ」とか、いろいろな噂がある。
 でも、本当のことは、誰も分かっていない。何度か、高級車がやって来て、貴代ちゃんを乗せると、久留米市内の方に走り去って行ったらしい。

 機嫌が良い時の貴代ちゃんは、堤防の上で、川面を見ながら「パリの空の下」という、シャンソンを口ずさんでいる。そんな時でも、村人の誰も、貴代ちゃんと、会話を交わそうとする者はいない。いつ、鬼の形相に変わり、鬼女に変身するか分からないので、誰もが敬遠しているのだ。
 貴代ちゃんは、すらりとした美人である。長い黒髪と、切れ長の眼に、艶やかな唇は、銀幕の美人女優にも負けない。あの色っぽいキツネ目で見つめられたら、村の男達は一転びだろう。それに、身に付けている洋服も、汗ばんではいない。
 でも、足元はいつも裸足である。着ている洋服から考えると、家を出た時には、ハイヒールを履いていたはずだ。でも、堤防を、川沿いに下って来る途中で、脱いでしまったのだろう。舗装されていない堤防の上は、ハイヒールでは歩き辛い。特に雨上がりで抜かるんだ時などには、裸足の方が楽なのだ。
 ハイヒールは、どこにも見当たらないので、河原にでも投げ捨てて来たのだろう。今頃は、若い河童の娘が履いているかもしれない。

 貴代ちゃんは、じっとマリーの赤毛の髪を見つめている。そしてぽつりと「シャルル」と呟いた。マリーはドキッとした。「パパの名前だ」と思ったのだ。貴代ちゃんが、そっとマリーの髪に触れてきた。そして、ふたたび「シャルル」と呟いた。
 マリーは“ パパじゃない。ママは、パパの名はジョルジュ・マリ・ル・アーブルだと言った ”と思いだした。そして、“ でも、シャルルは、パパと同じフランス人だわ ”と想像した。そう思うと、マリーは、鬼女への恐怖より、シャルルへの興味の方が大きくなった。
 その興味の膨らみに耐えかねて「シャルルさんも、赤毛やったん?」と、貴代ちゃんに恐る恐る尋ねてみた。貴代ちゃんは、意外にも「そう、シャルルも赤毛の巻き毛」と、穏やかに答えた。
 だからマリーは「海軍さん?」と、ふたたび尋ねてみた。貴代ちゃんは、「ううん。絵描きさん」と、少しやさしい顔になり答えた。そして、♪ラ・メールと歌いながら、お宮の社の中で踊り出した。実は、マリーも、この歌を知っていた。ママが時々歌うのだ。
 ママが歌う時は、軽快にスイングしながら歌うJAZZ風なのだ。でも、貴代ちゃんの♪ラ・メールは、ゆったりした歌い方で、穏やかな海の情景が浮かんできた。
 そして、貴代ちゃんの長いスカートが、ひらひらと社の中で舞っている。なんだか、今風の巫女舞いを見ているようだ。ラ・メールとは、フランス語で海のことだと、ママが教えてくれた。“ 貴代ちゃんは、もしかすると、海を目指しているんじゃないかしら? ”ふとマリーの頭の中をそんな考えがよぎった。

 貴代ちゃんは、♪ラ・メールを、歌い舞い終わると、しょぼんと座り込んだ。肩を落とし、まるで、糸が切れたマリオネットのようである。そして「赤毛のシャルルは、山霧に霞んで消えた」と、つぶやくと動かなくなった。
 マリーは、心配になり貴代ちゃんの傍らに近づくと、「どうしたん? 大丈夫?」と聞いてみた。でも、貴代ちゃんの時は止まり、返事を返してくれない。
 マリーは思い切って ♪ラ・メ~ル コン・ヴォワ・ダンセ~・ル・ロン・デ・ゴルフ・クレ~ル ア・デ・ルフレ・ダルジャン ラ・メ~ル デ・ルフレ・シャンジャン ス・ラ・プリ~ュイ♪ と歌ってみた。
 ママは、英語の歌詞で歌う時と、フランス語の歌詞で歌う時があった。英語の歌詞で歌う時は、気分がいい日。フランス語の歌詞で歌う時は、気持ちが悲しく沈んでいる時。
 英語の歌詞は恋の歌で、フランス語の歌詞は、海の情景に人の心を映して歌っているそうだ。だから、ママは、海の情景に“ パパの面影を映して歌っているのだ ”と、マリーは思っている。
 マリーはフランス語の歌詞を、明るく軽快にJAZZ風に歌った。すると、貴代ちゃんが、ふーっと息を吹き生き返った。そして、今度は軽快に、そしてもっと優雅に、腰を振りながら踊り出した。やっと、巫女舞いが復活しマリーもほっとした。
 そして、舞い終わった貴代ちゃんは、優しくマリーを抱きしめた。それから、自分の首にかけていた首飾りを外すと、マリーの首に掛けてくれた。
 その首飾りは、緑色を帯びた黒真珠で作られていた。マリーは、戸惑っていたが、貴代ちゃんは「ジュリエット。これは、あなたの首飾り。ママからのプレゼントよ」と、言いながら、再びマリーを腕の中に包み込んだ。

 突然、民ちゃんが走り寄って来て、マリーの腕を掴むと、貴代ちゃんから引き離した。そして、貴代ちゃんを、睨みつけながら後ずさり「マリー。大丈夫。何もされんやった?」と呟いた。すると、貴代ちゃんの顔は、見る見る急変し、鬼女の面を被ったような、怒りと悲しみに沈んだ。そして、拝殿の奥に消えると、バタンと蔀格子(しとみごうし)の扉を落とした。

 民ちゃんは、公民館に戻る道すがらも「怪我しとらん? 本当に大丈夫やった?」と、何度も、マリーの身体を撫で廻し確認した。民ちゃんも、公民館で、婆ちゃん達の手伝いをしていたのだ。マリーが、なかなか帰ってこないので、心配して探しに来たらしい。民ちゃんは、「ねぇ仙人さん。うち、こげな可愛いか男の子ば産みたか」と、紙の人形を、仙人さんに手渡していた娘だ。ジョーや、英ちゃんや、竜ちゃんの同級生で、クラスのマドンナである。そして、マリー達にとっても憧れの綺麗でやさしい、お姉さんなのだ。
 公民館に帰ると、民ちゃんは「マリーが貴代ちゃんに、(かど)わかされそうになっていた」と、婆ちゃん達に告げた。マリーは違う「キヨちゃんは優しかったよ」と、言おうとしたが「うお~っ。マリーちゃんなぁ。どげん(どう)したと。こげな(こんな)綺麗な首飾りばして」と、年寄りの一人が、驚きの声を上げ、マリーの首飾りを眺め廻し始めた。すると、「アヤちゃん。そげん。驚くような首飾りね?」と、別の老婆が尋ねた。アヤちゃんと呼ばれたその婆ちゃんは、若い時には、満州で宝石商を営んでいたそうだ。だから、今でも近隣の村々からは、宝石の真贋(しんがん)を、アヤちゃんに見て(もら)いに来る人が絶えない。その村々に散らばっている宝石の類は、戦争の終わり頃から、田舎に恵み落とされた天からの授かり物である。先祖伝来のお宝ではないので、持ち主は多少不安なのである。「この金の指輪は、本当に米一俵の値打ちが有ったのだろうか」という心配勘定である。

 マリーの首飾りを、しっかりと見定めたアヤちゃんは「この珠は、黒蝶ともいわれてのう。南洋の一部の海で、たまにしか採れん代物たい」と言った。誰かが「いくら位すると?」と聞いた。アヤちゃんは「私も、こんな上物は初めて見たばい。値は付けられんとやなかろうかね。百年に一度採れるか、採れんかの代物やけんねぇ~」と唸って眺めている。

 「マリー こりゃどげんしたとね?」と、マリーの祖母ちゃんが聞いてきた。マリーはうなだれながら「キヨちゃんが首に掛けてくれた」と言った。誰かが「やっぱり、キヨちゃんなぁ。どこぞの分限者(金持ち)の娘ばい」と言った。

 「ばってん、気違い女が身に付けとったもんやけん。返したが良かよ。マリーに、気違いが移ったらいかんばい」と、別の年寄りが、憑き物を嫌うように言った。「そうやもんのう(そうだよねぇ)いくら高値の代物でも、マリーの方が大事たい。返したが良かばい」と、また別の年寄りが、口を挟んだ。老婆達は“ 宝より、子の命の方が幾段も高値だ ”と、肌身で心得ている。だから、婆ちゃん達の意見は「返したが良い」で一致していた。

 ところが“ 誰が、鬼女の貴代ちゃんの所に返しに行くか? ”という段になると、皆尻ごみを始めた。いくら、老い先短いとはいっても、誰も、鬼に食われて死にたくはないのである。無理もない話である。
 仕方ないので、マリーの祖母ちゃんが「あたしが返して来るたい」と腰を上げた。そして、マリーの首から、黒真珠の首飾りを取り上げると、神社に向かい、歩き始めようとした。他の年寄りは、その背に両手を合わせて、無事を祈るかのように、念仏を唱え始めた。すると、民ちゃんが「祖母ちゃん。待って、あたしが返してくる」と言うと、祖母ちゃんの手から、黒真珠の首飾りを取り上げ、自分の首に掛けた。そして、すたすたと勇ましい足取りで、神社に引き返して行った。
 しかし、程無くして、やっぱり、黒真珠の首飾り首に掛けたまま戻ってきた。そして「キヨちゃんが消えた」と言うと、黒真珠の首飾りを、マリーの首に掛け戻した。それから、戸惑う年寄り達をひとしきり見渡すと「これは、お宮の神さんからの、マリーへの預け物たい」と言った。

老婆達は、「こりゃ上手いこというばい」と微笑みながら頷き合った。しかし、先程の老婆が「ところで、もし値ば付けるとしたら、どれ位すっとね?」と、しつこくアヤちゃんに尋ねた。するとアヤちゃんは「あんたと、あんたの家屋敷ばぁ、合わせて売っても、まだ買えんかもしれんねぇ」と言った。公民館の中は、フェ~という老婆達の深い溜息で埋もれた。

 民ちゃんは、美人でやさしい顔をしている。しかし、結構気が強い。いや、負けん気が強い。という方が正しいかも知れない。ドンドン橋の上で、隣村の子供達と、睨み合いになっても、先頭で腕組みしながら、睨みを利かせているのは、民ちゃんである。
 英ちゃんは「まぁ、まぁ」という非戦主義者だし、竜ちゃんは「どげんちゃ良か」というニヒリストである。ジョーは、部外者意識が働き傍観者である。だから、隣村の子供達との(いくさ)では、民ちゃんが、女大将なのである。
 民ちゃんの右手側には、堤防で拾ってきた棒切れを、正眼に構えた武吉(ブキチ)が立っている。武吉は、ジョー達よりひとつ後輩である。だから、武吉にとって民ちゃんは、命をかけても守らなければいけない姉さんなのだ。民ちゃんの喧嘩場には「姉さん。御供させていただきます」と、常に武吉が付いてくる。
 そして、民ちゃんの左手には、民ちゃんの弟の、信夫が立っている。信夫は、姉ぇちゃんをまねて、腕組み姿で立っている。信夫は、マリーと同級生なので、まだ小さく、戦力にはならない。
 しかし、武吉は、近隣でも名が轟く剣豪なのだ。その流派は、薩摩の剣法らしい。一撃で、相手の骨を打ち砕く、豪快な剣である。
 だから、隣村の悪ガキ供も、不用意には攻め込めない。たいていは、橋の真ん中で、罵声の投げ合いである。それも、至ってくだらない内容である。そして、このドンドン橋の決闘は、昔から子供達の伝統行事のように続いている。
 そして互いに成長し、高校などで同級生になると、苦笑しながらの思い出話に変わるのである。戦などというモノは、昔から、子供じみた行いである。人は大人になるにつれ、戦の愚かさを悟る。しかし、悲しいかな、人々は、時として幼児返りをしてしまう困った生き物である。

 民ちゃんの家は農家だが、祖父ちゃんは、町会議員もやっていた。父ちゃんは、税務署に勤めるサラリーマンである。名は、兼人という。
 母ちゃんは、八女の農家の娘で名は照代という。兼人より三つ年上の姉さん女房だ。税務署で、社内恋愛をして結婚したらしい。照代さんは、目鼻立ちの整った八女美人である。八女は、磐井の時代から、美人の名産地らしい。そして、兼人さんは、すっかり、照代さんの形の整った尻に敷かれている。
 だから、民ちゃんの家は、典型的な女房関白の家なのだ。民ちゃんは、まぎれもなく、その血と、環境を、受け継ぎながら育っている。でも、高慢ちきな女王様ではない。友達思いで、後輩達の面倒も良く見る、やさしい娘である。だが、向かってくる敵には、容赦がないのだ。やはり磐井の姫様なのかも知れない。

 狂女の貴代ちゃんは、あの日以来、村に姿を現さなくなった。「親が精神病院に入れた」という者もいたが、真相の程は分からない。マリーは“ きっと、貴代ちゃんは、海辺の別荘で、シャンソンを歌いながら、穏やかに暮らしている ”と思っている。
 貴代ちゃんは、来なくなったが、仙人さんは、今日も沖底の宮に降臨している。でも、日暮前の沖底の宮には、そろそろ冷たい川風が吹き始めた。だから、竜ちゃんが「仙人さん、そろそろ、お宮の方に行こう。沖底さんなぁ。大概寒むぅなってきたばい」と、肩を震わせた。
 寒かろうが、暑かろうが、意に介しない仙人さんも、子供達の様子を見て「ほんなら、お宮に移ろうかのう」と言い子供達に囲まれながら、沖底の宮から、神社に遷都をした。道すがら仙人さんは、マリーの首飾りに目を留め「ほう、それは女王さんの首飾りじゃのう。ほんなら、今日は、めでたい話をしようかのう」と言い出した。晩秋の風は、子供達の身と心を冷えさせた。だから、めでたい話で暖まるしかない。

海ゆかば 水面(みなも)流れる 子の屍

山ゆかば 草なぎ枯れる 夫の屍

魂ゆかば 思える人ぞ ()()に消ゆ

御代(みよ)美代(みよ)の 幸求れど 移ろいの

(あし)(ぶえ)鳴りて 貧に(たが)わず

~ 稜威母(いずも)の山師と海人(うみんちゅう) ~

 翌日の空模様も曇よりとしていた。まだ、梅雨には遠いというのに、稜威母は曇り空の日が多いところだ。淡い灰色の空と、群青色の深い山景色が、私の中の稜威母に成りそうである。

 今私達は、西の浜の屋敷から、その山間に向けて歩いている。目的は、辰韓(ジンハン)人の山師に会う為だ。もちろん、歩いているのは、私と須佐人(スサト)や、夏羽(ナツハ)だ。(パク)(クク)(ウォル)姉様や、万呼(マンノ)さん。それに、安曇(アズミ)様には、項家二十四人衆の輿(こし)に乗ってもらっている。玉海(タマミ)も付いてきたので輿に乗っている。丹濡花(ニヌファ)と、冴良(サラ)は、二人で一台の輿に乗っている。玲来(レラ)と、楓良(フラ)も、二人で一台の輿である。屈強な項家の男衆には、どうということはない重さである。むしろ、可愛いお姫様を、二人も乗せた八人は嬉しそうである。安曇様を乗せた四人等は、先ほどから羨ましいそうに先を行く姫様達の輿を見ている。玉海と、安曇様は、あまりにも、気持のよい輿の揺れに感激している。

 私は、やっと、歩いて旅をすることができ爽快な気分である。足もとの革のサンダルも、輝いて見える。私の軽快な足取りに、周りの人は、“ 足もとに羽が生えらのかしら ”と思うことだろう。秦鞍耳(ハタクラミミ)と、宇津女(ウヅメ)さんも、歩き組である。二人とも、船上で固まり始めていた筋肉を、思い切り伸ばしているようだ。

 以前、辰韓人の山師と海人達は、いがみ合っていたらしい。山師が山肌を削ると、土砂が海に流れ込み、濁った川の水が、漁場を荒らすのだ。その為に、(たま)り兼ねたワニ(鰐)族が、一団で山師の村を襲撃することがあったらしい。しかし、今の山師の頭領は、安曇様の友人である。

 稜威母から高志(コシ)の山には、八部族の山師の集団が住んでいるそうだ。その総数は、二千から三千戸に及ぶようである。だから、もし、山師とワニ族の全面対決になれば、相当な戦になる。でも多くの場合、山師とワニ族の間には、稲の穂族が暮らしている為に、大きな戦は回避されているようである。
 稲の穂族と、ワニ族の関係も、いがみ合いの時代があったそうだ。稲の穂族も、ワニ族も、元は同じ沫裸党の海人である。でも、稲の穂族が完全に陸の民に成ると、互いの価値観がずれてきたようである。
 例えば、ワニ族は、漁の幸を共有し皆で均しく分け合う。何しろ、漁は自然任せである。だから、不漁の舟もあれば、大漁の舟もある。元気な漁師もいれば、不調な漁師もいる。それに、海で妻や夫を亡くした海人の家族や、老いた漁師もいる。その為、皆が生きていくには日々の糧を、均しく分け合うことが必要なのだ。
 しかし、稲の穂族は、自分達の田畑を持ち、そこで幸を生み出す。もちろん、農業も自然の中での営みなのだが、人の知恵が、幸の出来不出来に大きく影響するのである。肥料のやり方、田の起こし方、水加減、まめな除草など、頑張れば頑張った程、実りは大きくなる。だから個人の努力が幸を左右する。
 そこで、皆で均しくという価値観が、少し変化してくる。基本的な村落共同体の姿は、維持しながらも、個人の利益も、評価し始めるのだ。そうしないと頑張る百姓は、生まれない。個人の努力が実を結ぶのは、助け合う喜びとは、違った喜びを生み出す。
 その価値観の差が大きくなると、まず、物々交換の際に問題が生じてくる。ワニ族から見ると、稲の穂族は、強欲に見えてくる。稲の穂族から見れば、ワニ族は、自然任せの能天気な奴らに見えてくる。「海が時化てりゃぁ。波の静かな入り江で、小魚を大きく育てれば良いではないか」と思うのである。
 つまり養殖筏で魚介を飼うのであるが、ワニ族は、そうは考えない。「入り江に海の田畑を作れば、縄張り争いが生じる。海は人間だけのものではない。人間は神様の海から少しだけ恵みをいただいている位で良い。止めど無くなった物欲は、人間を不幸にする」と考えている長老が多い。
 どちらが正しいとは言えない。どちらも人間の考えである。神様の考えではない。もし、神様にどちらが正しいか尋ねたら「どちらも正しい。そして、どちらも正しくない」と言われる気がする。でも、そう言われるのは、私の神様だけかも知れない。

 安曇様は、賢いお方のようである。この噛み合わなかった三つの利害を取りまとめられたのである。でも、安曇様のお話では「今の山師の頭領と、穂族の頭領は賢い。私は共に生きていく術を、二人に教えられた」ということである。

八部族の山師の集団を束ねるのは翁之赤目(オキナノアカメ)という頭領である。もちろん、メラ爺とも旧知の仲らしい。
 翁之赤目頭領の村は、山里の入り口にあった。裏山の滝口の山肌に、淑やかな白い花が咲いていた。どうやら、(やま)芍薬(しゃくやく)の花のようだ。山芍薬の花の命は短い。でも、命短き分だけ美しい。私は、森の木陰にひっそりと咲くこの一輪草が、シュマリ(狐)女将に重なって見えた。
 稜威母は、海も山も切ない想いに駆られる処である。山師の山里は、ひっそりと静まり返っていた。ただ一人、私や、須佐人と同じ歳位の少年が出迎えてくれた。村人は皆、山に出かけているようだ。
 この山里は、猟師が二割程で、あとの八割の男衆は、皆山師のようである。山師も、穴を穿(うが)ち鉱物を掘り出す坑夫。山肌を削り砂鉄等を取り出す流師。主に製鉄を担う蹈鞴(たたら)師。それに、坑道の(はり)や、かけ流しの水路を補強する材木や、燃料に使う(まき)などを切り出すのは杣夫(そまふ)と呼ばれている。更に、木炭造りや薪売りから、大工仕事までこなす山工人(やまくにん)など、様々な職人に分かれているそうだ。しかし、そのように専門性は有っても完全分業制ではない。 山肌を削る作業など、大半は全員で行う場合が多いらしい。
 この山は、稜威母の神の山である。だから、山師の頭領翁之赤目は、安曇様の許しを得て山に入っているのである。安曇様は、稜威母の神の信徒総代でもある。しかし、稜威母の神の山であっても、メラ爺達山の民に対しては、安曇様も、その足を止めることは出来ない。そこが、山師達と、メラ爺の山の民との違いである。
 そして、それが倭国の山の掟なのだ。何故なら、高木の神とは、倭国の山そのものであり稜威母の神も、高木の神にその山を貸し与えて貰っているのである。だから、メラ爺の山の民には、国境や領域の境などない。ただし、高木の神に許された者以外が山に入り込むと、メラ爺の山の民に捕らえ、掟に基づいて裁かれる。だから、シュマリ女将も捕らえられ、そして救われたのだ。

 その少年の名は、翁之多田羅(オキナノタタラ)と言った。翁之赤目頭領の後継ぎである。色白なので若く見えたが、日向(ヒムカ)と同じ歳らしい。だから、私や須佐人より三つ年上だった。つまり十七歳である。そして、良く見ると大きな肩をしていた。背は夏羽より首一つ低いが、夏羽と組みあっても、負けないかも知れないと思える肩の強さである。
 夏羽も、しげしげと翁之多田羅の体つきを見回している。今にも「いっちょう(ひとつ)(おい)と、相撲ば取らんか」と言いだしそうな目である。それ程、翁之多田羅の体つきは素晴らしかった。
 多田羅は「父は夕暮れには戻りますから、しばらく屋敷でおくつろぎください」と、安曇様に告げた。屋敷の奥に製鉄の炉が有ったが、火は入っていないようだ。それに、子供達の姿も見えないので、不思議に思い、多田羅に尋ねると「皆、山に連れて行くのです。子守は年寄り達がしています。そして、山の実や茸などの山の幸から、食べられる物と毒のある物とを選び出し、小さい時から教え込んでいるのです」と教えてくれた。
 確かに、一石二鳥の子守の仕方である。私も、磯場で育ったので良く分かる。お爺やお婆達と磯場で遊びながら、食べられるものと、毒のあるもの。そして刺されたら酷い目にあうものなどを、教えてもらったのである。
 程なく、茸や山の実を沢山下げた子供と、年寄りの一行が山から下りてきた。早速、リーシャンは、その山の幸を吟味に出かけた。更に半時ほど経つと、女達が山仕事から下りて来た。そして、猟師達が大きな猪を担いで降りてきた。鳥も数羽ぶら下げている。早速女達が、鳥を湯に浸け、そして羽を(むし)り始めた。猟師達は、木の枝にぶら下げた猪を(さば)こうとしている。
するとその前に、鋭い包丁を持ったリーシャンが立ちはだかった。「誰だ? この大男は?」と、猟師達が(いぶか)しがっている。そこで、多田羅が「この方は、ヒミコ様の料理番です」と紹介した。それを聞いて猟師達は、リーシャンに道を空けた。
 大きな猪の前に立つと、リーシャンは、大きく深呼吸をした。それから、息を吐き終わると、素早く皮を()ぎ、猛烈な勢いで猪を解体し始めた。猟師達は、その包丁さばきをあっけに取られて眺めている。そして、猪が肉と骨と内臓とに綺麗に切り分けられると、誰からともなく感嘆の溜息が漏れた。そして直に大きな拍手喝采が起こった。
 実は、私もリーシャンの、この妙技を初めて見た。それは、まるで剣舞のように美しく力強かった。

 日暮れ前に、翁之赤目頭領と、百数十名の山師たちが、山から下りてきた。それから、村の広場で、私達の歓迎の宴を開いてくれた。数十名の山師の男達が、菊月(ククウォル)姉様の元に(ひざまず)き挨拶をした。この男衆は、 弁韓(ピョンハン)国の山師であった。元は、首露(スロ)王の山師達で、今は、赤目頭領の元で技術指導を担っているそうだ。だから、菊月姉様は、男衆の王女様なのである。遠く故郷を離れていた男衆は、懐かしいそうに弁韓国の言葉で挨拶をした。菊月姉様は、男衆ひとりひとりの手を取って大変な勤めを労った。弁韓国の言葉で掛けられた優しさには、涙する者もいた。稜威母から高志にかけての山には、辰韓国の山師だけではなく、弁韓国の山師も沢山居るそうである。弁韓国の先の王であった金蛭子(キムヒルス)王の製鉄技術は、抜きんでていたらしい。首露王こと金青龍(キムチョンヨン)は、以前「親父の製鉄技術の跡取りは、危うくナツキに取られそうだった」と笑いながら話してくれた。だから、今は、女族長の仕事に追われている夏希義母様も、山師達から一目置かれる存在なのである。私が、夏希義母様との関係を話すと、赤目頭領は大変驚かれた。稜威母や、高志の山師達の間でも、蛭子(ヒルス)の愛娘の噂は届いていたようだ。そして、項家二十四人衆の扱いにも、山師達の眼差しが違って来始めた。別に、項家二十四人衆は、誰も製鉄技術など持っていないのだが、夏希義母ぁ様の威光が、二十四人衆を照らしたようである。夏羽が、鼻高々だったのはいうまでもない。今しも「そい(それ)、(おい)の母ぁちゃん」と言って回りそうな雰囲気だった。

 安曇様が、私達を、赤目頭領と、その山師達の元に連れてこられたのは、二つの理由からだった。ひとつは、辰韓国王の娘である私が、稜威母に来ているのである。そうであれば「イズモのジンハン人達に合わせない訳にはいくまい」という御配慮である。
 そうして、もう一つは「タタラをヒミコ様の元に勤めさせたい」ということだった。赤目頭領の跡取りが、私に同行しているとなれば、稜威母と、高志の山師達は、皆私の配下に入ったことになる。そうなれば、私達の旅の安全が一層高まるとの御配慮であった。
 もちろん、父様の配下のひとりでもある赤目頭領に異存はない。むしろ自分が先頭で、辰韓国の王女様を守ってあげたいと思っていただいている様子である。
 その話が決まると、夏羽は待ちかねたように多田羅に、相撲を申し込んだ。その申し出に、赤目頭領と、山師達は大喜びした。
 勝負は互角だった。一番勝負は、夏羽が押し出して勝った。しかし、二番勝負では、多田羅の投げが決まった。山師達は、山が砕けるような歓声を上げた。そして、三番勝負は、百戦錬磨の夏羽が、かろうじて叩き込みで勝った。
 しかし、負けたとは云え、大熊男の夏羽を投げ飛ばしたのである。多田羅は、大した男である。これなら、本物の山の熊と出くわしても素手で挑めるだろう。赤目頭領と、山師達は、多田羅が負けたことに悔しがりながらも、大満足の勝負であったようである。

 その日の宴は、夜更けまで続いた。そして、リーシャンは、今宵大もてであった。リーシャンの料理の美味しさに、村中の女達が惚れたのだ。リーシャンの周りは、女性連のはしゃぐ声で溢れていた。大勝負に勝った助べえ夏羽は、少し羨ましそうにその光景を眺めていた。
 私は、その光景を見ながら、帰ったらリーシャンに、妻を持たせようと思った。私は、気付いたのだ。リーシャンに子を儲けさせて置かないと、リーシャンの料理の後継者が途絶えてしまうのである。それは、何よりも私が困ってしまうのだ。
 早速、「リーシャンの妻を探しておけ。条件は料理上手な巫女」と木簡に認めた。そして、安曇様に頼み、伊都国行きの船に文を託した。

 翌朝も曇り空だった。でも、私の気分は爽快である。異国を旅していると思っていたのに、稜威母と、高志には、辰韓人がたくさん居ると知ったのだ。こんな心強いことはない。私は、皮のサンダルの紐を締めあげると、小躍りしながら歩き出した。
 村の入り口では、女性連が泣きながらリーシャンとの別れを惜しんでいる。夏羽は、多田羅の肩に右手を回して歩いている。すっかり弟分扱いである。多田羅の右隣には、須佐人が並んで歩いている。まるで無敵の三兄弟である。私も頼もしい。
 赤目頭領は、もちろん 巨健(イタケル)叔父さんとも旧知の仲だった。赤目頭領達が産出する鉄や、金銀などの鉱物は、みな巨健叔父さんの秦家(ハタケ)商人団が取り扱うのである。そして、そこから得た利益が父様を支えている。私は山師達に感謝した。
 今日は、湖に出て、そこから舟で安曇様の館へ向かうことになっている。稜威母の東には、「王の入り海」と呼ばれる波静かな入り江がある。王とは、 須佐能(スサノウ)王のことである。つまり、安曇様の館は、須佐能王の館の跡に建っているのである。
 稜威母の西の入江と、王の入り海の間には、今、私達が舟に揺られている龍蛇乃入海(オカミノイリウミ)がある。古い時代には、この三つは繋がった鯨海の一部だった。つまり、稜威母の北は、島だったのである。
 今では陸地が繋がり、湖はその両側を、小さな川で結ぶように成っている。だから、稜威母の湖は、海ではない。でも、淡水湖でもなく薄い潮気がある。そんな湖を汽水湖というそうだ。
 だから、この海の生き物は、筑紫海の入江から、千歳川の下流域の生き物に似ているようである。私が 八海森(ヤマァタイ)国で好きになった蜆貝(しじみがい)も、良く獲れるようである。
 海辺で生まれ育った私は、近頃まで蜆貝を知らなかった。最初は、浅蜊貝に比べると身が小さくて食べ辛いなぁと思ったけど、食べ慣れると、浅蜊の身より美味しい気がしてきた。だから今、私の朝餉に、蜆の汁物は欠かせない。
 そして、あの南洋の怪物鰐もこんな汽水域が好きらしい。汽水域は、鰐の餌になる生き物が多い所なのである。もし、そんな怪物が、この湖にも居たら大変である。
 獰猛な鮫でも、こんな浅瀬には上がってこない。まして、砂浜で日光浴などしていないから鮫の心配はない。
 でも、もし、鰐がこの汽水湖の湖にも居て、今私達の舟の両脇を泳いでいたらどうだろう。台風の怖さと、どちらが恐ろしいだろう。私は、想像しながらワクワクしてきた。そして、もし、その獰猛な鰐を捕まえる勇気ある狩人がいたら、鰐はどんな味がするのだろう。
 リーシャンは「わしゃ、食べたことはないが、聞いた話では鶏の味がするらしい」と言っていた。もしそれが本当なら私は、ぜひ鰐も食べてみたい。きっと、 火神島(カゴンマ)の熱い溶岩で蒸し焼きにしたら、どれほど美味しいだろう、と考えながら涎を拭いてしまった。
 そんな、どうでも良いことを考えているうちに、私達の舟は、安曇様の館に着いた。西の空を振り返ると、薄曇りの空が赤く染まりかけている。私は「クマトと、ハイトにも、こんな景色を見せてやりたいなぁ」と思いながら、とても切ない郷愁に襲われた。少し、旅の疲れが溜まりかけているのかもしれない。

 安曇様の館には、既に 尾六合(オクニ)さんが先に到着し待っていた。 朱燕(チュヨン)船と、辰韓(ジンハン)船は、大型船なので、龍蛇乃入海の両端の川を進めないのだ。だから、稜威母の北岸を回り、王の入り海に入港していたのである。
 尾六合さんが、その水先案内人を務めてくれた。そして、やはり、シュマリ女将は船に留まっているようだ。王の入り海に錨を降ろした朱燕船と、辰韓船は、襲撃される恐れはまずないのである。だが、やはり稜威母の地には足を降ろしたくないようである。別れた娘に逢いたくはないのだろうか。それとも、捨てたという思いが拭えず()えないのだろうか。娘さんの方は、どうなのだろう。母を殺された私は、仇への恨みの念で(さび)しさを押し殺してきた。でも、母に捨てられた娘は、どんな思いなのだろう。どうやって寂しさを押し殺しているのだろう。母への恨みだろうか。それともいつかは逢えるかもしれないと云う希望だろうか。私の脳裏には、再びあの稜威母の山の白い一輪草が浮かんできた。シュマリ女将が白い花なら、その傍らに赤い花を咲かせてやりたいものだ。私はたまらなくそう思った。

 館には、安曇様の長男である烏頭(ウズ)様と、次男の鳥喙(ウカイ)様のお二人も顔を揃えられていた。烏頭様の妻である尾六合(オクニ)さんとは面識が有ったが、鳥喙様の妻の蛇木(ハハキ)様とは初対面である。玉海が言っていたようにお綺麗だが陰の気に充ちている。
 蛇木様は、私を一瞥されると直ぐに顔を伏せられた。館には、他にも稲場の族長を始め大勢の東の族長達が集まっていた。その中には懐かしい 志都伎(シズキ)島の蛇目(カガメ)村長の姿も有った。私は思わず小さく手を振った。蛇目村長も、笑いながら小さく手を振り返してくれた。
 私は、何故だか分からないけど、会った時から、蛇目村長に親しみを感じるのだ。火尾蛇(ホオミ)大将に似た入れ墨があるからだろうか? それとも、私が龍人の末裔だからだろうか?
安曇様には入れ墨は無かった。辰韓人と同じである。だから、烏頭と、鳥喙の兄弟にも入れ墨はない。しかし、蛇木様には、入れ墨が有るようだ。顔を伏せておいでなので良く分からないが、手の甲には、渦を巻いた草花の入れ墨がある。

 私たちの歓迎の宴は、賑やかに始まった。安曇様が「今宵は、ウス王のお后様ククウォル王妃と、ヒミコ様に御出で頂き誠にめでたい日です。さぁ皆の衆よ。おふたりに稜威母の陽気さをお見せしようではないか」と宴の始まりを告げられた。
 すると早速、尾六合さんの舞が始まった。尾六合さんの舞が終わると、宇津女さんがお返しの舞を踊った。次には、三人の稜威母の族長が踊り、お返しには、剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠の三人が踊った。そして、なんと玉海まで舞始めのだ。
 玉海の舞は、竜宮の夢の舞のようであった。その玉海の舞に合わせて、冴良(サラ)楓良(フラ)玲来(レラ)の三人の妖精も舞った。あまりの可愛らしさに、好々爺の稲場の族長は小躍りして喜んでいる。稲場の族長にも、きっと可愛い孫が居るに違いない。祖父馬鹿振りのその笑顔が堂に入っているのである。
 その後には、夏羽と、多田羅と、須佐人の無敵の三兄弟が踊った。負けじとばかりに烏頭と、鳥喙と、安曇様の親子三人が踊り返した。料理を作り終えたリーシャンも、その輪に加わった。安曇様が嬉しそうにリーシャンの肩を抱き、そして、蛇目村長を誘った。踊りは、リーシャンと、安曇様と、蛇目村長の三人に入れ替わった。リーシャンが万呼(マンノ)さんを誘った。万呼さんは、 菊月姉様を誘った。私はだんだんいやな予感がしてきた。そしてついに、族長達が「ヒミコ様の舞いが見たい」と騒ぎ出した。私は、狗奴国での二の舞はしたくなかったので弱ってしまった。
 すると突然「駄目です!! 」と、大きな声で蛇木(ハハキ)様が叱るように叫ばれた。陽気な場は、一瞬で陰に氷付いた。そして、今度は静かに「ヒミコ様の舞いは、神様に捧げる舞いです。酔って楽しむ舞いでは有りません」と言われた。誰も返す言葉を無くしていた。
 その凍てついた光景を溶かすように「ハハキ様。申し訳ございませんでした。今のお言葉、ヒミコ様の供として私が先にいうべきでした。ハハキ様に、つらいお叱りの言葉を発せさせてしまいお許しください」と須佐人が額突いて謝った。稜威母の族長達は、その須佐人の姿に驚いた。
 そして、誰からともなく「流石にイタケル様のご長男だ」と声が漏れた。更に、「いやいや。スサノウ王の生まれ変わりかも知れんぞ」と声が漏れた。確かに須佐人は、須佐能王の子孫である。私はその族長の言葉に、遠い昔の人であった須佐能王を、身近に感じた。須佐能王は、子供の頃きっと須佐人に似ていたに違いない。
 すっかり沈んでしまった場に「よし!! ならば、(あん)しゃんが代わりに踊ろう」と、夏羽が立ち上がった。そして、再び無敵の三兄弟が踊り始めた。私は、蛇木様の元に向かい。「有難うございました。私、陽気な踊りは苦手なんです。本当に助かりました」と礼を言った。
 蛇木様は「いえいえ、イズモの無礼こそ謝らなければいけません。イズモの民は、春を迎えると幼子のように無邪気に騒ぎたくなるのです。どうぞご理解ください」と頭を下げられた。
 蛇木様は、尾六合さんより少し歳上で、琴海さんと同じ歳位に見えた。やはり顔には入れ墨があった。そして、琴海さんと同じ位に美しかった。驚いたことに、蛇木様は、蛇目村長の娘さんだった。そして、蛇目村長は、一介の村長ではなく安曇様に次ぐ頭領だったのである。
稜威母には、大きな二つの支族がいた。ひとつは、須佐能王の次男である八島の流れだ。これが安曇様の一族である。
 もう一つは 伊佐美王の長男である木俣の蛇海(カガミ)の流れだ。それが、蛇目村長や、蛇木様の一族である。
 先ごろ安曇様から伺った話では、伊佐美王は、稜威母の統治者に、蛇海王子を選ばれた筈だ。だが今、稜威母の統治者は、八島族の安曇様である。本来なら、蛇海族の蛇目様ではなかったのだろうか? 
 その疑問を、蛇木様に尋ねると「倭国大乱以前は、そうでした」と言われた。それが何故って思っていると「倭国大乱では、イズモも内戦になりました。初めは、ワニ族、フカ族、穂族に、山師に、ウミンチュと入り乱れての戦いでした。まだ十四歳だった私には、何の理由で誰と誰とが戦っているのか良く理解できませんでした。しかし、マツラ党の内乱が始まると、身内同士の殺し合いに成りました。兄と夫が殺し合い、従兄弟達が殺し合い、それは、凄惨な戦でした。三年前にマツラ党の内乱が終わると、父は独りアズミ様に会いに行きました。そして、アズミ様を兄と呼び二人は、兄弟の契りを結んだのです」と蛇木様は話された。
 私は琴海さんの顔が浮かんだ。琴海さんは、菊月姉様の叔父様をその手で殺めたのだ。それも小さい頃から大好きだった多理耳族長をである。
 父様が、 奈老大将を殺めた時、私はまだ生まれていなかった。だから、父様の悲しみの深さは理解できなかった。でも、近頃少し分かるように成ってきた。私はその悲しみの深淵から生まれてきたのだ。その悲しみの深淵を、人は根の国と呼ぶ。

~ 丹場の三足烏と宇加の白兎 ~

 翌朝、私達は、蛇目(カガメ)様を乗せて出港した。蛇木(ハハキ)様は、子を抱いて見送りに来られた。この孫は、蛇目様の跡取りである。跡取りの息子達は、皆内戦で亡くしたのである。鳥喙(ウカイ)様と、蛇木様の子の名は、佐気蛇(サケミ)と言った。丸々と太った元気な赤ん坊である。目元が、蛇目様に良く似ている。
 木俣の蛇海(カガミ)一族は、厳格な父系一族のようである。蛇海の血を引く男子だけが当主に成ってきたそうだ。だから、蛇目様の次の男子は、佐気蛇なのである。もし、娘が婿を取っても、当主には成れないそうである。
 尹家(インケ)とは、逆である。尹家は、母系の一族なのだ。だから、尹家は、伊佐美王ではなく、妹の尹阿多(イアタ)が当主になった。その為、伊佐美王は、尹家から伊氏を起こした。そして、伊氏は、父系の一族である。だから、儒理が家を起こせば、伊氏を名乗ることになる。
 蛇木様の最初の夫も内戦で亡くなったそうだ。だから、和睦が成立した後で、鳥喙様が、入り婿になったのである。所謂(いわゆる)政略結婚である。しかし、お二人は、仲睦(なかむつ)ましいご夫婦である。
  次男坊の鳥喙様は、若い時には、夏羽並みの助べえだったらしい。特に、兄の烏頭(ウズ)様が、尾六合(オクニ)様を(めと)ってからは「俺には跡取りを残す必要はないから好きに生きさせてもらう」と、妻を取ることもなく、こちらの花から、あちら花へ、それから、向こうの花へと遊び暮しておいでだったようである。
 安曇様は、その鳥喙様の様子を怒って(ほとん)勘当(かんどう)状態だったようである。そんな放蕩(ほうとう)息子の弟を心配した烏頭様が、不孝(ふきょう)(いさ)めようと、動かれたそうだ。
 そこで、まず、蛇目様に「ハハキ様を、愚弟の妻に頂きたい」と、頭を下げられたのである。「それが和睦の証にも成るのなら」と、蛇目様は承知され、そして、佐気蛇(サケミ)が生まれた。
 助べえ鳥喙様も、三十次過ぎの子供は、何よりも愛でたい者であったらしく、以前とは打って変わっての良き夫、良き父振りなのである。そこで、どうやら安曇の勘当も解けたようである。
 だから今、鳥喙様と、蛇木様は、安曇様の館で暮らしている。それに、稜威母の東からは、木俣の蛇海一族が多く暮らしているのである。蛇海一族を率いることになる佐気蛇が育つにも良い環境なのだ。
 放蕩息子を卒業した弟の様子を見て、烏頭様は安心して、尾六合様と、稜威母の西の浜の館で暮されている。そして、稜威母の西の浜の館が、稜威母の国都なのである。つまり、安曇様は、もう隠居の身なのである。
 でも、蛇目様は、佐気蛇が大きくなるまでは、まだ隠居の身に成れないようである。蛇目様は、安曇様より二つしか若くないそうだ。だから、隠居暮らしの安曇様が、とても羨ましいようである。そこで、佐気蛇が七つになったら烏頭様を後継に立て、当主の座を佐気蛇に渡す腹積もりのようである。
「それでも、その歳には、私はもう還暦を四年(しねん)も過ぎとりますわい。だからそれまで死ねんのです」と洒落を言いながら笑われていた。安曇様と、蛇目様は、恩讐の彼方に同じ安らぎを見つけられたようである。

 今日は、久しぶりの晴れ間である。でも、風は強く波もやや高い。そして、真帆で走る船足は速い。時折、波飛沫を頭から浴びてしまうのだが、それも気持ちが良い。でも、この揺れだと香美妻は、船楼から出て来られないだろう。
 香美妻は、今頃どうしているだろう。きっと、私の代理で忙しく働いているに違いない。だから、項家二十四人衆の輿が、いっぱいに成る程、土産を持って帰へらないといけない。そして、やっぱり、真珠を散りばめたような沙魚皮は、手に入れないといけない。
蛇目様の丹場の港は、とても賑わっているそうだ。だから、丹場の市なら手に入りそうな気がする。辰韓船と、朱燕船の両方の帆柱に、蛇目様の旗印が上がった。二重丸の中に三本足の烏が描かれている。この旗印を揚げておけば、丹場から高志の海では、誰も襲撃してこないそうである。
 例え、濊貊(ウェイムォ)や、 大蛇(オロチ)族でさえ、この旗印の船には近づかないらしい。この三本足烏の旗印は、須佐能王の海賊旗だったのだ。鯨海では、まだ須佐能王の神話は色あせていないようである。月には兎が住み、そして、太陽には三足烏が住んでいるそうだ。だから、須佐能王は、太陽王だったのである。

 菊月(ククウォル)姉様が「はぁ~い。じゃぁ謎々です。若い時は四本の足で歩き、大きくなると、二本の足で歩き、年を取ると、三本の足で歩く生き物は何ですか?」と皆に訪ねた。
 そろそろ、皆船旅にも飽きてきたのである。いくら大型船とはいえ、もう子供達が冒険をする隙間は、船内のどこにもないのだ。広い甲板も、十周も走りまわれば飽きてくる。子犬のチャピでさえ、退屈そうなのだ。
 だから、菊月姉様が謎々で、皆の退屈を和らげようとしているのだ。すると、須佐人が、胸を大きく反らし「そんなこと簡単さ。答えは人間だね。人間は、赤ちゃんの時には、両手両足の四本でハイハイをし、大きくなると、二本足で歩けるようになる。そして、年を取り足腰が弱くなると、杖を突くからね。だから、答えは人間さ」と答えた。流石に賢い須佐人である。私は、答えがまったく浮かばなかった。
 ところが、幼い玲来(レラ)が「違うよ」と言った。そして、「はい、それは三足烏です。赤ちゃんの時は、羽根はまだ手でした。だから、人間の赤ちゃんのように四歩足で、ハイハイをしていたのよ。でも大きくなると羽根が立派になったので、危険な地上を、ハイハイ歩きしなくて良くなったの。だから時折空から降りて来ると、二本の足で、ピョンピョンと飛び跳ねながら歩いていたのよ。でもある日、頭が良い烏は、お日様の家来になれたの、そして、お日様の為に地上の様子を伝えたのよ。天のことを、テンテンテンと右足で伝え、地上のことを、チッチッチッと、左足で伝えたの、そして人間が我が物顔で地上をうろうろするようになってからは、三本目の足を生やし、ガガガガガと中の足で伝えるようにしたの。だから、答えは烏よ。ねぇお姉ちゃんそうでしょう」と言って姉達を振り返った。
 姉の冴良(サラ)と、楓良(フラ)は、微笑みながら頷いた。なるほど、こんな答えもあるのか。私は、冴良、楓良、玲来の編む物語に、心を吸い寄せられた。菊月姉様が、「すごいわね。私が考えていた答えは、スサトの答えと同じよ。でも、レラの答えの方が、神様の答えに近いかもしれないわね。中華(シャー)では、月には兎住んでいてね。月神様の使いをしている。お日様には、烏が住んでいて、お日様の使いをしていると、言われているの。だから、私と、スサトの答えより、レラの答えの方が素敵だわ」と、言って玲来を抱きしめた。
 須佐人も「確かに、俺もレラの答えの方が良く思えてきた。レラ先生参りました」と、玲来に頭を下げた。玲来は、菊月姉様の腕から離れると「ううん。スサト兄ちゃんの答えも正しいよ」と、須佐人の頭を優しく撫でた。
 それを聞いていた夏羽が、いきなり玲来を抱きあげると「何ちゅう賢い娘だ。是非(オイ)の嫁に成ってくれ」と頬ずりした。玲来は、夏羽のふさふさとした長い髭にくすぐったそうに笑っていた。
 だから、私が「いい加減にしてよね。この助べえ兄貴!! 」と、夏羽の脛を蹴り上げた。「痛てててぇ。何するとや。ピミファめ」と、夏羽は目を剥いたが、船上の皆は大笑いした。私と、夏羽は、この旅ですっかり兄妹のようになって来た。

 海岸が大きくて長い砂浜に成ってきた。丹場の港まで、もう半分程来たそうである。シュマリ女将は、稜威母が遠くなるにつけて元気を取り戻している気がする。このあたりの陸地は、もう丹場らしい。これから、海岸線は、切り立つ岩場が多くなり、いくつもの入り江が見えてくるそうだ。
 丹波の港と、蛇目様の館は、その中でも奥まった所にあるらしい。だから、天然の良港のようである。その港から山に向かい歩いて行くと、大きな内陸湖が有り、更には、茅渟海(チヌノウミ)にも出るそうだ。その道を、秦鞍耳のご先祖である伊穂美の軍が越えてきたのだ。その道は、八海森(ヤマァタイ)国から、伊都国へ向う山道のようには、険しくはない。筑紫島で言えば、八海森国と、伊美国や、 伊奴国を結ぶ道のように、なだらかな山道のようである。だから、人の往来も盛んなようである。
 丹場から、高志に入って、最初にある大きな港町が、蛇沢(カガサワ)という。そこまでは、切り立った海岸線が続くそうである。そして、どうやら、その蛇沢に、朴延烏(パクヨンオ)様が、居られるかもしれないということだった。

 蛇目様から伺った話では、延烏様は、最初に丹場に渡って来られたようである。丹場は、細烏(セオ)様の母様の故郷なのである。母様の名は、真奈(マナ)と言われ、蛇目様の血筋である。その縁で、延烏様は、蛇目様を頼られたようである。
 その後、真奈様と、細烏様の親子が渡って来られると、蛇沢に移られたようである。蛇沢は、真奈様の夫が暮らす土地のようである。真奈様の夫で、細烏様の父様は、鵜羅人(ウラヒト)という名である。
 しかし、私達は一旦、蛇目様の館で待つことになった。待っている間に、蛇目様が、延烏様に会いに行かれ、私達に会ってくださるか確かめるのだ。「妹のククウォル様が御一緒なので、まずお会いになられるとは思いますが、なにせ、ヨンオ様は、お隠れになっておられる身ですからな。いきなり押しかける訳にもまいりますまい」と、蛇目様はおっしゃった。そして、朱燕船が港に入ると、蛇目様は、早速、丹場の早舟に乗り換えられ蛇沢に向かわれた。
 今、丹場は、稜威母の勢力圏である。そして、高志への入り口でもある。丹場の港から、蛇沢までは、陸路でも難儀することなく行けるようである。だから、もし海が時化れば、陸路でも行けないことはない。
 いずれにしても延烏様の返事待ちである。蛇目様は、二日で御戻りの予定である。もし、話が上手く進めば、三日後には、延烏様に会えるかもしれない。
 延烏様は、丹場では、角臥阿羅人(ツヌガアラヒト)と呼ばれている。偽名である。延烏様は、丹場に逃げてこられた時には、軍装であったらしい。万が一の場合を考えて首露王が、武装させて亡命させたのである。
 偽名をどうしようかという相談の時に、蛇目様が、「ツヌガアラヒトが良かろう」と、言われたそうだ。海人の言葉だから、私にも直ぐに意味がわかった。角がある人という意味だ。だから今、延烏様は、角臥阿羅人と呼ばないと、丹場人や、高志人には分からないらしい。この地方も、津沼娥(ツヌガ)と、呼ばれていたので掛け言葉になっているのだ。 津は港湾のことだが、沼(ヌマ)は、山の民の言葉で、毛のことをいうらしい。稜威母から、ほぼ一直線に進んで来た海岸線が、丹場では幾つもの半島や岬が海に突き出している。それの様子を、毛に例えたものらしい。確かに、この辺りは鳥の目から見れば、ボサボサ頭のように見えるかもしれない。それに切り立った岩場が多い海岸線なので、大型船を泊めておくにはとても良い津である。

 三日目に、良い知らせを持って、蛇目様が帰って来られた。そして、延烏様こと、角臥阿羅人様が会ってくださるそうである。
 蛇沢は、二つの平地が有り、延烏様の館は、その間の丘に在るそうだ。津沼娥を出ると、阿原と、呼ばれる河口港があった。そこから、山に向かって大きな湖が広がっていた。狗津砺(クズレ)と呼ぶらしい。ここも汽水湖のようである。そして、稜威母の中之海と、同じ位に大きく広がっていた。
 阿原の北の丘の上に延烏様の館は在った。延烏様の館へは、私と、菊月姉様に、夏羽の三人で行くことにした。蛇目様が同行下さるので危険な事態になることはない筈である。
阿原の港には、噂を聞きつけた高志人が大勢集まっていた。その集まった高志人の大半は、沫裸党の人々である。だから、菊月姉様が、岸に降り立つと歓声が沸いた。
 高志には、大きく三つの勢力圏があるそうだ。高志の南に位置する蛇沢は、沫裸党の人々も多く暮らしており、丹場とも接しているので、私達には、とても友好的な雰囲気である。
 蛇沢の北は、有磯海(アリソウミ)という土地のようだ。ここには、濊貊(ウェイムォ)も多く居るようである。更に、その北には鷹使(タカシ)という一族が暮らしているそうである。鷹使は、北の民や、山の民そして、沫裸党の民が混じっている一族らしい。だから、シュマリ女将のような、呪術(シャマン)の技を持つ者も居るそうだ。
 丘へ上りあがると、北東の山並みの中に、白く雪を頂いた峰が有った。白峰と呼ぶそうだ。白峰から流れ出した川は、肥沃な平野を広げていた。その川は、 比良蛇(ヒラカガ)と呼ぶ。
どうやら、蛇沢は、南に狗津砺の汽水湖。北に農地が広がる比良蛇を抱えて、幸豊な土地のようである。
 丘の上には、沢山の家があったが、中でもひと際大きな館が目に止まった。でも、その館は、延烏様がお暮しの館ではなかった。延烏様のお住まいは、その奥にある粗末な掘っ立て小屋であった。やっぱり奈老様のご子息である。「私は、落ち人だから、ここがちょうど良い」と、お住まいなのである。
 でも、その狭い小屋では、会談は出来ないので、大きな館でお待ちになっていた。想像していたとおり、延烏様は、大きなお人だった。そして、少し太めである。大きなギョロ目も、菊月姉様に聞いていた通りである。
 菊月姉様が、涙を浮かべて両腕を大きく広げた。そこへ、堪り兼ねたように、細烏(セオ)様が飛び込まれた。二人は言葉も交わさず、しばらくの間、安堵の温もりを確かめ合っている様子だった。
 延烏様と、真奈様が、深く、私に頭を下げて挨拶を下さった。そして、「こんな、北の果てまで、ヒミコ様の方より御出で頂き大変ありがとうございました」と、良く通る大きな声で言われた。私は「こちらこそ若輩の身で、ヨンオ様を、強引にお訪ねして申し訳有りません」と、お二人に深く頭を下げた。「どうぞヒミコ様、御頭を上げてくださいませ。ヒミコ様のお計らいで私達は、また妹の顔を見ることが出来たのです」と、真奈様が私の手を取り、身を起して下さった。
 「本当です。私達は、もうギュリや、ククウォルには、会えまい」と思って居りました。それを、ヒミコ様が、ククウォルを、伴い御出で頂き、本当に感謝の念が止めどなく胸に込み上げてくるのです」と、延烏様が言われた。
 菊月姉様が、姿勢を正し「お兄様、お姉様、ご無事なお姿に安堵いたしました」と、挨拶をすると、目にいっぱい涙を浮かべた真奈様が、菊月姉様を、やさしく抱き寄せられた。その菊月姉様の背を延烏様が、そっと撫でられた。その姿に、夏羽も目を潤ませている。私達もやはり、縁遠き兄妹である。優奈に、儒理、そして阿摩王子。
 その弟阿摩王子を、私と、夏羽は、まだ見たこともない。はたして、私達五人の兄弟が出会える機会は、訪れるのだろうか。それに、夏羽は、父様や、他の兄妹に、その存在も知られていない。父や、兄妹の想いの外にいる夏羽は切ない存在である。
 儒理は、直接会っているが、あの時は、まだ夏羽が兄だとは知らなかった。例え知っていたとしても、賢い儒理なら、自分の口からは、父様に告げないだろう。幼くても、告げられていない事柄には、告げない理由があると、儒理は考える筈である。
 健と、儒理は小さい時から、人への配慮が行き届いていた。そう考えたら、私は我儘放題。元気印いっぱいの、熊人と、 隼人にも、無性に会いたくなってきた。熊人には、熊にも立ち向かえる山刀を買って帰ろう。隼人には、 鱶狩りの銛を買って帰ろう。ここ、阿原は、鉄器の工房も多いようだ。多田羅なら、良い山刀と、銛を選んでくれる筈だ。

 会談は、私と、夏羽に、延烏様のご兄妹。そして、蛇目様が仲介役となり始まった。蛇目様が、私が、お尋ね上がった理由は、話しておられたので、延烏様は、「まずは、コシの物語からお話いたしましょう」と言われた。どうやら、須佐能王や、伊佐美王の時代からの話のようである。
 私は、延烏様の了解を得て、須佐人を、呼びに使いを走らせて貰った。急ぎ駆け寄せた須佐人は、多田羅を伴っていた。そして「私と、ここに居りますタタラは、ヒミコ様の伴にございます。是非、タタラの同席もお許しいただきたい」とお願いした。延烏様は、優れた将の器もお持ちになっていた。だから、延烏様は、須佐人と、多田羅の資質をすぐに見抜かれお許しになった。

~ 延烏(ヨンオ)細烏(セオ) ~
≪延烏様が語る高志の物語≫

 最初に、高志をまとめた部族長は、(ヒョウ)という人でした。瓢の母は、辰韓(ジンハン)国の初代の王、赫居世(ヒョッコセ)の娘です。
 瓢は、須佐能王と、同じ年に生まれました。瓢は、とても賢い男でしたので、高志の部族長達は、瓢を統領として、高志をひとつにまとめたのです。
 部族長達が、瓢を押した、もうひとつの訳は、瓢が戦を好まぬことでした。誰も殺さぬ男ですから、どの部族長も殺される心配が有りません。
 しかし、瓢の人生は、幼い時から波乱に満ちていました。瓢が、まだ六歳の頃、高志と、辰韓の関係が悪化しました。その為、母と、幼い瓢は、辰韓国に帰されることになりました。ところが、その途中で、嵐に合い遭難してしまいました。それでも、若い母は、幼い瓢を、必死に庇いながら、どうにか岸にたどり着くことが出来ました。そして、そこは、弁韓(ピョンハン)の、 狗邪(クヤ)小国の浜でした。
 親子は、その浜で、祭事を行っていた巫俗(ムーダン)の一座に助けられました。それから巫俗の一座と共に、北に向って旅をしながら、辰韓国を、目指しました。
 しかし、無理が重なり、衰弱していた母は、程なく流行病で亡くなりました。母を亡くした幼い瓢は、それから、巫俗の一座に育てられました。巫俗の巫女頭は、瓢と、四年程、旅を続けていると、抜きんでた瓢の聡明さが、各地で、噂に昇るようになってきました。それに、瓢は、穏やかな少年だったので誰からも可愛がられました。そして、巫俗の一座が、辰韓国を旅していた時に、この噂が、南解(ナメ)王の耳に届いたのです。
 南解王は、辰韓国の二代目の王です。つまり、瓢の母の兄だったのです。南解王は、愛する妹と、甥の行方を探し続けていました。だから、その噂に心寄せられました。そして、巫俗の一座を、王宮に呼び寄せました。
 南解王は、瓢を一目見るなり、自分の甥だと確信しました。なぜなら、瓢は、母に瓜二つだったのです。南解王は、涙を流しながら瓢を抱きよせました。それから、瓢を引き取り、王宮で育てることにしました。
 そして、程なく妹を弔う家を起こさせ、昔氏と名乗らせました。巫俗の一座も、昔氏の家人に採り立てました。つまり、そのまま瓢の養育係にしたのです。
 瓢が十五歳に成った時、百艘余りの高志の軍船が攻めてきました。どうやら、瓢の優れた噂を聞きつけた高志の族長が、瓢を取り戻そうとしたようです。
 しかし、南解王は、妹を死に追いやった高志の族長に瓢を返すつもりは有りませんでした。そこで、娘の阿孝(アヒョ)を娶らせ、瓢を世継ぎに立てました。それに、この時まで南解王には、世継ぎにする男子がいなかったのです。
 瓢が十七歳に成った時、南解王に男子が授かりました。後の儒理王です。日巫女様と、私や、菊月の曾祖父です。つまり、私達は、共に儒理王の子孫なのです。
 儒理王が誕生されても、南解王は、瓢に王位を譲るつもりでした。瓢は甥であり、娘婿でも有りますから、いずれにしても、自分の血筋が王家に引き継ぐ訳です。そして、何よりも妹に瓜二つの瓢が、可愛かったのです。
 しかし、瓢は「南解王の長子である儒理王こそ王位を継ぐべきだ」と考えました。そこで、自ら身を引くことにしたのです。そして、ある日、瓢は、妻の阿孝と一緒に、高志に帰ったのです。
 南解王には、別れも告げずに旅立ちました。伴は、巫俗の一座だけでした。南解王は、大変悲しみましたが、瓢の心も察し黙認しました。
 高志に帰った瓢は、程なく父の跡を継ぎ高志の部族長になりました。それから数年たった頃、稜威母の須佐能王が、高志に攻めてきたのです。そして、高志の各部族は、次々に征服されていきました。瓢の一族も、北へ北へと他の部族を頼りながら落ち延びていきました。しかし、ある時瓢の育ての親である巫女頭が、「もうこれ以上北に行くのは無理だから、弁韓に帰ろう」と言い出しました。
 そこで、生き残った高志の一族と、巫俗の里がある弁韓の伴跛(パンパ)小国に逃げ落ちました。それから数年が経ち、ある日、南解王から帰国を促す使いが来ました。南解王は、病にかかり容態が悪化していたのです。
 瓢は、躊躇(ためら)いましたが、妻の阿孝は父を看取りたいと言いました。それに、南解王の便りには「儒理の後見人になって欲しい」と書かれていました。阿孝の異母弟儒理は、まだ七歳だったのです。
 そこで、瓢は、辰韓国に戻る決心をしました。辰韓国に戻って一年後。南解王は、娘の阿孝に看取られながら息を引き取りました。瓢は、二十五歳に成っていました。そして、三代目の王に即位した儒理は、まだ八歳でした。
 だから、国の舵取りは、瓢に託されていました。瓢は賢く、穏やかだったので家臣は、皆瓢を頼っていました。中には「このまま、瓢様が王に成れば良いのに」と、言い出す者も出てき始めました。瓢が、二十九歳に成った年に、阿孝が男の子を産みました。阿孝も二十二歳に成っていました。
 子の名は、仇鄒(クチュ)と言います。しかし、幸せは長く続きませんでした。仇鄒が四歳に成った年に、流行病で阿孝が急逝しました。傷心の瓢は、単身で国を出ました。儒理王は、もう十六歳に成っていました。だから、もう国の舵取りは、王に戻すことが出来ました。
 それに、このまま瓢が、辰韓国に留まれば、王位を巡る内紛が起きかねません。瓢は、儒理王にその旨を話し「仇鄒に、昔氏を継がせて欲しい。」と頼みました。姉の阿孝と、瓢に育ててもらった儒理王は、今度は自分が恩を返す番だと承知しました。
 瓢は、弁韓に戻ると、育ての親の里である伴跛(パンパ)小国に身を落ちつけました。当時、弁韓は、十二から、二十程の小国家で成り立っていました。数に差があるのは、出来ては消える小国も多かったからです。
 そして、弁韓に、国を(つかさど)る王はいませんでした。各部族の頭領達は、(カン)と呼ばれていました。その頭領達の中から、九人の統領が選ばれ九干(クガン)と呼ばれていました。更に、九干の代表である大統領は主帥(チュス)と呼ばれていました。
 瓢が身を寄せた伴跛小国の族長は、弁韓国の大統領である主帥でした。そこで、瓢に、伴跛小国の族長代理を頼んだのです。既に瓢の手腕は、弁韓にも広まっていました。更に、娘の金加耶姫を、瓢に嫁がせると、伴跛小国の舵取りを一任しました。瓢は、三十四歳の男盛りでした。
 翌年、 加耶(カヤ)姫は、男の子を産みました。子の名前は、阿具仁(アグジン)と言います。阿具仁は父に似てとても賢い子でした。しかし、父とは違い激しい気性の持ち主でした。
 男盛りの瓢の手腕で、伴跛小国は、どんどん国力を増していきました。四年程経ち、二十一歳に成った儒理王に、長女が誕生しました。儒理王は、瓢に「この長女を仇鄒(クチュ)に嫁がせ世継ぎにしようと考えている」と文を送りました。辰韓国との関係は、更に、瓢の弁韓での地位を高めました。
 瓢四十歳の時には、長女が誕生しました。長女の名は、奴那珂(ヌナカ)姫と言います。更に三年後には、次男が誕生しました。この次男が、初代の首露(スロ)王です。私達兄弟を見守ってくださる金青龍(キムチョンヨン)様の曾祖父様です。
 瓢が四十五歳になった年に、伊佐美王が、筑紫島を統一しました。筑紫島は、 馬韓(マハン)国、辰韓国、弁韓の三国を合わせた位の大きな国です。そして、弁韓は、その筑紫島に面しています。ですから、弁韓は一気に倭国寄りに傾きました。その為、瓢は、弁韓を追われることになりました。それから十三年後に、瓢は、辰韓国の四代王に即位します。そして、昔脱解(ソクタレ)と名を改めました。

 瓢が、伴跛(パンパ)邑小国を去った時、阿具仁は、まだ十歳でした。しかし、十四歳になった時には、もう頭角を現し始めました。それも、武力に優れた才能を発揮しました。この頃、 大蛇(オロチ)族や、海賊化した倭人が、頻繁に弁韓国の海辺の村を襲ってきました。
 ここでいう倭人と云うのは、「倭国の人」ということでは有りません。倭人と呼ばれる種族は、東海沿岸に暮らす海人族です。ですから、倭国と、弁韓や、 馬韓国に住む民も、大半が倭人だと言えます。
 大蛇族や、濊貊(ウェイムォ)や、辰韓国に住む民は、東胡(ツングース)族と呼ばれる種族が多いのです。ですから、弁韓は、東胡族と、倭人族の両方の海賊から襲われていたのです。
 そこで、阿具仁は、海賊退治に力を発揮しました。阿具仁は、中華(シャー)の項羽将軍の生まれ変わりのような男でした。ですから、(ことごと)く海賊どもを蹴散(けち)らしてくれたのです。そこで、各地の部族長達は、阿具仁の武力を頼りにするようになってきました。

 そして、十八歳で、伴跛小国の族長に成ると、他の九干(クガン)達を、武力で威嚇するようになってきました。もちろん、その豪放(ごうほう)磊落(らいらく)な性格を好み自ら、阿具仁の側に立つ九干も多かったようです。
 しかし、阿具仁を嫌う九干達は、弟の首露を、 狗邪国の族長に立て、九干に加えようと考えました。弟の首露は、まだ十一歳なので御し易かったのです。
 祖父の主帥は、阿具仁を可愛がっていたのですが、弁韓には、首露派が増えてきました。阿具仁が、二十歳になった年、ついに首露派が弁韓を、手中に収めました。そこで、主帥は、弟の首露を、弁韓の主帥に指名しました。
 主権争いに敗れた阿具仁は、父、瓢の一族を頼り、高志に向かいました。そこで、高志の巫女麻多烏(マタオ)(めと)り、高志の部族長になりました。妹の奴那珂姫は、兄想いだった為、翌年に兄を追い、高志に渡りました。弟の首露には、母の加耶姫が付いています。だから、兄の阿具仁には、自分が付いていないといけないと考えたのです。
 祖父の主帥は、奴那珂姫に、弁韓国の山師を大勢付けて、高志に送り出しました。この山師達のおかげで、阿具仁の高志の一族は栄えていきました。
 ところが、阿具仁が、二十二歳になった年に、伊佐美王が、高志に攻めてきました。そこで、高志の各族長達は、武力に長けた阿具仁を、高志の統領に立て応戦しました。
 しかし、伊佐美王には、弟の 伊穂美という猛将に率いられた陸軍と、東と、西の結束を図った稜威母海軍が、力を増して加わっていました。その為、高志は、徐々に伊佐美王に押されていきました。そして、ついに、有磯海で和睦を結ぶことにしました。
 伊佐美王は、戦うたびに武人阿具仁に魅せられて行きました。負け戦さでも、阿具仁の戦い方には華があるのです。だから、阿具仁を、殺したく有りませんでした。そこで、圧勝していたにもかかわらず、阿具仁からの和睦の申し入れを受けたのです。
 稜威母軍の中には、この機会に高志を、殲滅(せんめつ)してしまおうという強硬路線の声も有ったようです。当然の意見です。高志軍には、万に一つも反撃できる見込みは有りませんでした。それを、和睦で締めくくるというのは、破格過ぎる扱いでした。
 阿具仁は、和睦の証に、妹の奴那珂姫を嫁がせました。奴那珂姫は、まだ十六歳でした。一方、伊佐美王は三十四歳でした。親子ほど年の離れた夫でしたが、兄想いの奴那珂姫は喜んで、伊佐美王の妻になりました。奴那珂姫は、兄に尽くしてきたように、夫の伊佐美王に尽くしました。
 そもそも、阿具仁に、男惚れしていた伊佐美王は、正妻の須勢理(スセリ)姫にはない奴那珂姫の一途さに更に()かれました。そして、翌年、男の子が誕生しました。男の子の名は、宗潟(ムナカタ)と言います。
 それから先、居心地の良い高志から、伊佐美王は去ろうとしませんでした。毎夜酌み交わす阿具仁との酒の旨さ。酔った身を(いた)わってくれる、奴那珂姫の柔らかい心地良さ。加えて、高志の民も、自分達を殲滅せず、生かしてくれた伊佐美王に、心から忠誠を示していました。
 だから、伊佐美王の腰は、すっかり、高志に根を下ろしたかのようでした。ところが、須勢理姫様の文を(たずさ)えた八島様が、伊佐美王を、呼び戻しに来ました。
 伊佐美王は「高志の国は、宗像に治めさせること。そして、阿具仁を、その後見人にすること。稜威母は、今後、高志を攻めぬこと」の三つを、八島様に誓わせると、渋々、稜威母に帰っていきました。
 しかし、巡幸と称しては、毎年高志を訪れました。そして、その巡幸には、毎回八島様が付いてきました。そうしないと、また伊佐美王が、高志に居ついてしまうと、懸念した須勢理姫様のご指示でした。
 阿具仁が、三十一歳になった年に長男が生まれました。長男の名は、金閼智(キムアルジ)と言います。更に五年後、伊佐美王が、筑紫島に戻られることになりました。倭国を治めるには、やはり、筑紫島の方が良いからです。
 稜威母は、八河巳(ヤガミ)姫との間の御子である、木俣(キマタ)蛇海(カガミ)様にお任せになりました。蛇海様も、二十四歳になられ、十分稜威母を率いる力をお持ちでした。蛇海様は、宗像の異母兄でも有ります。それに、伊佐美王の巡幸に、いつも付いて来られていたので、兄弟仲も良かったのです。だから、稜威母と、高志が戦う危惧は有りませんでした。この時、宗像は十三歳。金閼智は五歳になっていました。

 阿具仁が、四十二歳になった年に、辰韓国王になっていた父の瓢が、十一歳になった金閼智を、辰韓国に寄こせと言ってきました。その年、異母兄の仇鄒(クチュ)が亡くなったのです。跡取りの仇鄒を亡くした 昔脱解(ソクタレ)王は、二十歳になる仇鄒の長女を、儒理王の末子に嫁がせ、 (ソク)氏を継がせました。そして、まだ九歳だった次女は、金閼智に嫁がせ「辰韓金(ジンハンキム)氏」を立てさせるつもりでした。
 老い先が見え始めた昔脱解王は、ゆくゆくは、孫のアルジを、跡取りにしたいと考えていたのです。そういう事情でしたので、父の意向に沿うしかありませんでした。しかし、妻の麻多烏(マタオ)は、身が()かれる思いだったようです。翌年、阿具仁は、二十歳になった甥の宗像を、高志の族長に据えると、隠居の身になりました。そして、この頃には、弁韓国の王になっていた、弟の首露との仲も取り戻していたようです。弟の首露は「弁韓金(ピョンハンキム)氏」を立てていましたので、二つの金氏は、そこで繋がるのです。

 私の父、朴奈老(パクネロ)の母は、金閼智の娘です。つまり、私は金閼智の曾孫で有り、阿具仁の夜叉孫なのです。だから、筑紫島の海女に生まれた菊月とは、奇妙な縁で先祖達に繋がっていくのです。
 細烏とは、更に奇妙な縁で繋がっていました。細烏の母は、真奈という名で私の同母姉です。母、(キム)多海(ダヘ)は、父の朴奈老に嫁ぐ前の年に、姉真奈を産んでいたのです。
 真奈の父は、丹羽(ニハ)という名です。丹場の男で、蛇目様の血筋に繋がります。丹羽は、弁韓国へ、鉄の作り方を学びに来ていました。(キム)蛭子(ヒルス)王の弟子だったのです。
 そこで、丹羽と、母の金多海は、知り合い恋に落ちました。そして、姉の真奈が生まれたのです。最初は、金蛭子王も喜んだのですが、程なく丹羽は、金蛭子王が、最も憎む男大天干(テチョンガン)阿明(アミョン)の息子だと知りました。そこで、激怒し二人を切り離したのです。
 更に時を置かずして、母多海(タヘ)を、父の朴奈老に嫁がせました。そして、翌年に、私が生まれたのです。だから、細烏は、私の姪に成ります。異父姉真奈は、父の丹羽と一緒に丹場に渡りそこで育ったのです。
 父、朴奈老が、王位を阿逹羅王に譲るために、下野し、単身倭国に渡った時、私は、まだ八歳でした。従妹の奈礼(ナリェ)は、四歳で、妹の奎利(ギュリ)は、まだ二歳でした。そこで、三人の幼子を抱えた母多海は、弁韓国に帰り、父の蛭子(ヒルス)王の庇護(ひご)を受けました。母は、まだ二十五歳でした。青龍(チョンヨン)叔父は、十八歳の腕白盛りでした。
 それから、七年の歳月が流れた頃、異父姉真奈が、母の多海を訪ねてきました。姉真奈は、その時十六歳で身籠っていたのです。相手は、高志の鳥追いの男()羅人(らと)という名でした。
 鵜羅人の母は、高志の大巫女様でした。大巫女様は、真奈を、母の元で出産させてやりたいと送り出してくれたのです。翌年の秋、姉は、細烏を安産で授かりました。大巫女様が「母の元で子を産めば、安産じゃ」と言われていたそうです。
 更に「産後の肥立(ひだ)ちを考えて、半年以上は、母の元で甘えて過ごして来るのだぞ」と諭されました。そこで、姉は、その言葉に甘えて、私達との暮らしを楽しんでいました。ところが、その翌年に、父が、阿逹羅王に討たれたのです。その知らせを聞いた母も、翌日入水しました。
 孤児になった私達を育ててくれたのは、青龍叔父です。翌年、叔父は、菊月を弁韓国に連れて来ました。叔父は、姉の忘れ形見だけではなく、朴奈老の遺児を、皆自分の手で大きくしようと考えていてくれたのです。そんな様子でしたので、私の異父姉真奈も、高志に帰る機会を(いっ)していました。そこで、真奈と、細烏も、青龍叔父の元に留まりました。
 細烏の存在を、一番喜んでいたのは、異母妹菊月です。奎利は十二歳で、細烏は二歳でした。菊月は八歳だったので、年が近い姉と、姪の両方が出来て大喜びだったのです。特に、細烏の子守りは殆どと言って良いほど菊月が独占していました。
 細烏は、私と、菊月の姪です。だから、細烏は、大きくなると私を「叔父様」と呼びましたが、菊月のことは、「菊月姉様」と呼んでいました。姪と叔母であっても二人は、六歳しか離れていませんから無理もありません。
 妹の奎利は、二十一歳になった年に、(キム)明朱(ミョンス)叔父に嫁ぎました。私の母の異父弟です。母の姉弟は、ややこしい関係なのです。青龍叔父の父は、同じ蛭子王ですが、母が違います。明朱叔父は、父が違い母は同じです。ですから、明朱叔父と、青龍叔父は、血が繋がらない兄弟なのです。
 二人は、とても仲が良いのですが、二人の父は、犬猿の仲でした。その理由を話すと、とても長くなるので、今日は省きます。機会が有ったら、明朱叔父か、青龍叔父に直接お尋ねください。
 明朱叔父の父は、阿明と言います。そして、真奈の父丹羽は、阿明が丹場の族長の娘に産ませた子です。ですから、真奈の父丹羽は、明朱叔父の異母兄になるのです。丹羽は、異母弟を助けるために奈老の反乱軍に加わり、父奈老と共に、戦死しました。
 奇しくも、私と、異父姉の真奈は、それぞれの父を、同じ海戦で亡くしたのです。母多海にとっては、初恋の男と、夫を同じくして亡くしたのです。愛する二人の夫を亡くした母の絶望は計り知れませんでした。

 従妹の(パク)奈礼(ナリェ)が、二十五歳になった年に、青龍叔父は、奈礼を、阿逹羅王に嫁がせました。そして、私も、奈礼に伴わせて辰韓国に帰したのです。阿逹羅王は、自らの手で殺めた朴奈老の遺児を、涙ながらに抱き寄せてくれました。
 私は、二十九歳になっていました。そして、阿逹羅王は、私を阿羅日子(アラヒコ)と改名させました。それは、私を世継ぎにすることを意味していました。しかし、私は、あまり嬉しくは有りませんでした。私には、(ヒョウ)の血が、強く流れているのかも知れません。争い事は、嫌いなのです。だから、父と、阿逹羅王のように、王位継承の争いに巻き込まれたくなかったのです。
 その二年後に、従妹の奈礼が、阿摩(アマ)王子を産みました。奈礼の父は、六代王(パク)祇摩(チマ)です。私は、祇摩王の甥になります。ですから、もし、私が王位を継げば、再び祇摩の一族に王位が戻ることになると、喜んでいる人達がいました。
 しかし、生まれた阿摩王子は、六代王祇摩の孫です。そして、阿逹羅王の王子です。阿摩王子が、王位に就けば、朴本家と、朴分家は、ふたたび一つになるのです。私は自分が、王位継承から外れたことに、ほっと胸を撫で下ろしました。それに、阿摩王子は、奈礼の子です。だから、私も、奈礼の子を王位に就けたかったのです。
 ところが、阿逹羅王は、私に王位を譲る決心が揺らいではいませんでした。阿逹羅王は、何としても朴奈老の遺児を、王位に就けたかったのです。それほど、阿逹羅王は、父朴奈老のことを思い続けていたのです。
 そうなると、阿摩王子を、王位に就けたい朴本家と、朴分家は共に、私の存在が、(うと)ましくなってきました。そんな私の危機的な様子に気づいた青龍叔父は、密かに私を亡命させました。私は、王位継承の争いに巻き込まれたくなかったので、妻も娶っていませんでした。ですから、身軽なのです。阿逹羅王への恩に胸が痛みましたが、私がいない方が、阿摩王子も、無事に王位につける筈でした。
 ところが、私が亡命した後に、日巫女様の弟である儒理王子が、辰韓国に渡ってきたのです。儒理王子は、阿逹羅王の長男です。夏羽殿の存在は、今まで私も知りませんでしたから、辰韓国では、今でも本当の長男は、夏羽殿だとは知られていません。
 ですから、王位継承の筆頭は、儒理王子なのです。しかし、血統は、阿摩王子が優位でした。本来なら、朴本家と、朴分家は、阿摩王子を推す筈です。しかし、朴本家の中には、朴分家の力が戻ることを嬉しく思わない人達もいました。
 それに、儒理王子は、とても聡明だと噂されているようです。そこで、儒理王子を、阿摩王子擁立の掣肱(せいちゅう)策として動き出す人達が出てきたようです。その話を聞き、“ こんなことになるなら、私は亡命すべきではなかった ”と、後悔しましたが、もう後には戻れません。
 私は、今でも奈礼の息子を、王位に就けたいのです。もし、私が、辰韓国に留まっていれば、悪意の目は、全て私が一身で受け止めることが出来ます。つまり、儒理王子も、阿摩王子も平穏で居られるのです。しかし、この地でいくら悔やんでもどうにも出来ません。
儒理王子の存在を知るのと同時に、日巫女様の存在も知りました。そして、日巫女様が、尹家の戦場(いくさば)の巫女になるかもしれないと聞かされました。私も、中華(シャー)の戦場の巫女の伝説は知っています。そして、高志の族長の中に、濊貊(ウェイムォ)と組んで、日巫女様の暗殺を企てる者が居ることも知りました。もちろん、それが漢王朝の(はかりごと)だということにも気づきました。
 しかし、私は、傍観者(ぼうかんしゃ)を貫いていました。私は世捨て人と同じですからなぁ。『和して同ぜず』です。仲良くはするが戦には加担しない。例え、そのことで仲間外れになろうと『孤独を恐れず』です。そもそも私は、()(みん)の道を選んだのですから、今さら、孤独など怖くは有りません。
 それでも、一応青龍叔父には、事態を伝えました。実は、日巫女様の船に、菊月が乗っているとは、それまで知りませんでした。危うく、私は、妹を亡くすところでした。私は、少し世捨て人ボケになり過ぎていたようです。
 蛇目様にお話を伺い、私はいつまでも傍観者ではいられないと悟りました。そして、何より、姉の真奈と、細烏からも、ひどく叱られました。アハハハハ…まったく、三十路半ばを過ぎた男としては面目ない。そこで、先頃、高志の各部族長達に『私は、ヒミコ様をお助けする。もし、この高志にヒミコ様を亡きものにしようと企む者があれば、まず私を倒せ。いつでも軍装で待っている』と、触れを出しました。遅ればせながらの処置をお許しください。

… … … … … … … … … … … … … … …

 と、延烏様は、私に詫びられ話を終えられた。

 蛇目様が「おうおう、それなら高志には、ヒミコ様にお手向かいするものは居なくなったも同然じゃ。めでたい。めでたい」と手を叩かれた。これで、倭国の中には、背後から襲ってくる者は居なくなったようである。しかし、延烏様は、「アマ王子を守ること以上には、ジンハン国の政権抗争には関与しない」と言われている。私は、それで構わないと思った。

父様は今でも、延烏様を、世継ぎにしようと考えられているようだ。もし、延烏様が王位に就けば、儒理と阿摩王子の命の保証は一時(かな)うかも知れない。しかし、菊月姉様がいうように王宮には魔物が巣食っているのだ。だから、命の保証は延烏様がご健在な間だけのことである。儒理と阿摩王子の年齢を考えれば、それは一時の安堵でしかない。

 延烏様と、細烏様は、夫婦になられていた。細烏様からの押しかけ女房である。細烏様は、私より五歳年上なので、まだ十九歳である。華奢で、可愛らしい細烏様の中に、玉輝叔母さん並みの押しかけ女房力があると知って、私は驚いた。
 菊月姉様は、目を大きく見開き驚きながらも、とても喜んでいた。そして、お二人には、二歳になる男の子がいた。名は、阿彦と言った。菊月姉様が、朴奈老様に瓜二つだと、阿彦を抱きあげ頬すりしていた。奎利様にも昨年、男の子が生まれたらしい。だから、次は、菊月姉様が、臼王の世継ぎを生む番である。頑張れ、菊月姉様!!

~ 蛇神と龍神 ~

 延烏様は、思慮深い方だが、武力に優れ騎馬戦にも秀でておられる。だから、亡命後も、高志の山の中に牧場を造って、馬を増やしているそうである。「死ぬのは嫌ですが。死んだように生きるのは、もっと嫌でしてなぁ。戦は好みませんが、理不尽な輩には、いつでも撥ねつける力も、つけておかねば気が済まん質でしてなぁ」と、大らかに笑いながら話された。更には、大蛇族の襲撃に対抗するために、水軍力も強めており、防衛力は高いようである。親分肌で政治力もあるので、高志の族長達からの信頼も高い。特に年若い族長達は心酔しているようである。男達はきっとこんな大将と生死を朋にしたいと思うのであろう。そして、政治力という点では、辰韓(ジンハン)国への対抗策として、濊貊(ウェイムォ)や、漢王朝との関係も作っておいでのようである。だから、いち早く私への暗殺団の動きも知ったのである。なかなか、恐ろしい世捨て人である。しかし、今の一番の楽しみは、野山での狩りだと無邪気な笑顔を浮かべておっしゃった。特に、短弓で鴨などの鳥を狙うのがお好きなようである。そして、今宵の宴にも、美味しそうな鴨肉の料理が沢山並んでいる。延烏様は、その鴨肉を、私と、菊月姉様に切り分けてくださりながら「私もこの鴨のような物です。上手く逃げおおせれば自由の渡り鳥になれますが、何しろ身が美味いもので狙われやすいのです。困った定めですわい。じゃが、不味い身よりはましかと自分を誇らしんでいるのですよ。アッハハハ…」と笑われた。やさしい陽気な笑い声である。

 五日後、私達は高志国を後にして帰路に付いた。その五日間、私達はのんびりとした時間を過ごした。細烏様は、菊月姉様から一時も離れず、会えなかった時間を取り戻されようとしているかのようであった。
 私と、無敵の三兄弟に、項家二十四人衆は、延烏様に狩りに連れて行って貰った。私は、短弓の使い方を覚えた。そして、どうにか一羽の()を射止めた。まぐれ当たりの矢は、鵜の左羽根を貫き鵜は飛べなくなった。だから、首に紐を結び漁に使うことにした。漁の仕方は、おいおいシュマリ(狐)女将が教えてくれることになっている。
 そして、シュマリ女将の狩りの腕は抜きんでていた。延烏様も感心して「どうぞ私をシュマリ様の弟子にしてください。」と言われていた。その傍らで、無敵の三兄弟に、項家二十四人衆も「是非、我々も弟子に加えてください」と頭を下げた。
 シュマリ女将の狩りは、女が独りで生きていく為の業だったのである。いかに勇者達といえども、簡単には太刀打ちできないようである。そして、私達は沢山の森の恵みを得た。もちろん獲物は、リーシャンの腕にかかり御馳走になった。

 帰路の船出に乗り出すと、加布羅船長は、辰韓船の旗を、首露船長の旗印、太極旗に変えた。辰韓船は、稜威母の沖で私達と航路を違え直接弁韓沖を目指すのである。私達の朱燕船は、猪馬が暮らす須佐の入り江の村に立ち寄り帰ることにしている。感謝の宴を開いてもらう約束をしていたあの村である。
 青龍の旗印、太極旗は、蛇神と、龍神が巴に絡みあった図柄である。蛇神は地上の神で、龍神は天の神様である。そして、蛇神は現世の神で、龍神は太古の神様なのだ。蛇神は、地上から天に昇り、太古の息吹を浴びて龍神に成り、龍神は太古から、現世に降臨し、蛇に宿り目に見える神になる。だから、蛇神と龍神が巴を描けば太極を表す。
 私は、朱燕船の旗印をこのまま須佐能王の三足烏にすることに決めた。だから、朱燕船の旗印は太陽に住む三足烏だ。そして、船名も朱燕船から、天之玲来船(アマノレラフネ)に改めることにした。もちろん玲来は大喜びである。冴良と楓良が少し寂しそうな顔をしたので、次に大型船を造ったら海之冴良船(アマノサラフネ)と、風之楓良船(フウノフラフネ)と命名すると言ったので、冴良と楓良も喜んでくれた。そして、私は本当に、斯海(シマァ)国の口之津と、末盧(マツラ)国の佐志之津。投馬(トウマァ)国の洞海(クキノウミ)の三か所に大型船を停泊させようと考えていた。
 そして、斯海国の、風之楓良船には、項家軍属を、末盧国の海之冴良船には、沙羅隈親方の河童衆を、洞海の天之玲来船には須佐人の秦家商人団を乗せるのだ。そうすれば、私は首露船長を上回る女海賊になれるかも知れない。
 朱燕船改め天之玲来船以外を、どう手配するかはまだ考えていない。でも、是非にでも倭国で造りたい。表麻呂の知識と、伊美国の技術力があれば造れそうな気がする。それに、欲張って海之冴良船は、朱燕船や、辰韓船と同じ構造で、風之楓良船は、日向の天乃磐船と同じダウ船で造ってみたい。
 ダウ船は、軍船としては辰韓船に劣るらしいが軽くて速い。そして縫合船なので船体に弾力が有り荒海に強い。そんな船なら台風の海でも耐えられるかもしれない。もし、それが叶ったら、まずは夏羽に案内させて、夷洲(台湾)のスーちゃんに会いに行こう。それから、私の甥っ子か、姪っ子を抱きしめるのだ。
 その後は、もっと南に行こう。そして、ワニ(鰐)族のご先祖に会おう。モーケン族の素潜りも見てみたい。最後は、ラクシュミーさんと、アルジュナに会いに天竺(インド周辺)まで行こう。私の頭の中は楽しい思いつきでいっぱいになった。だから、あっという間に須佐の村に着いてしまったようであった。

 須佐の入り江が見えてくると、稜威母の呪縛から解放されたかのようにシュマリ女将の表情が和らいだ。そして、昔話をしてくれた。シュマリ女将の夫は、やさしい人で、皆から好かれる人だったそうだ。
 特に、姑である夫の母は、息子を溺愛していたようである。だから、姑は事ある毎に、シュマリ女将と、息子の仲を裂こうとしていた。息子を、異国の女に取られた、という思いが強かったようだ。
 そして、ある年の暮れに、大蛇の一群が村を襲ってきたそうだ。そして、沢山の食べ物と、子供達が連れ去られた。そんな悲嘆に沈む村内で、姑は「大蛇をシュマリが招いた。シュマリは、大蛇族の手先だ」と、噂を流したそうである。
 噂は、たちまち稜威母の村々に広まった。シュマリ女将が、呪術師(シャマン)になり魂送りをした家々の者達でさえ口を()いてくれなくなったらしい。だから、おのずと稜威母に居られなくなった。夫も(かば)ってくれなかったらしい。
 「いくら優しくても弱い男は、薄情者さ。好きな女のひとりも守れやしない。モユク(狸)は、ああ見えても結構命がけで私を守ろうとするんですよ。でも、逃げ足は早くても腕力はないから、いつも私が守ってやるんですけどね。おかしいでしょう」と、シュマリ女将が苦笑して言った。それから「オロチという一族はいないんですよ。きっとオロチョン族のことを言っているのでしょうね。でもオロチョン族は森の民で、私の村よりもっと上流に暮らしています。その、オロチョン族が、イズモにまで略奪に来る筈はありませんよ。そして、私にもオロチョン族の血が流れているんですけどね。祖父様が、オロチョン族のシャマンですからね。そういう意味では、確かに私はオロチです。だから、あいつは、オロチだと言われても否定しなかったんですよ。きっと私達姉弟を襲った人狩り族も、イズモを襲うオロチ族も、鯨海の北に暮らす民でしょう。あそこは生きていくには大変な所だと聞いています。だから、泥棒家業でもやらないと食っていけないんでしょうね。悪党にも悪党になる訳があるんですよ。生まれ落ちた時から悪党になるつもりの子供なんていませんよ。天地が悪党を生むんですよ。だから、神様が誰の中にも居られるように悪党の種も、誰の心にも潜んでいると思いますよ」というと、あの奇妙な琴を弾いた。
 その琴は、トンコリというそうだ。トンコリには月琴のような胴体はない。竿の部分が胴体でもあるので、一本の棒のようである。シュマリ女将が使っているトンコリは、旅でも持ち運べるように小さい。そして、太い竹で出来ているようだ。
 その竹の中に弓が仕込んである。この弓で弦を弾く。弦は爪でも弾くが、弓で奏でる音色は、とても哀愁を帯びる。
 更にシュマリ女将のトンコリの中には、矢が2本忍ばせてある。だから、シュマリ女将のトンコリは、楽器でもあるが武器でもある。
 そして、シュマリ女将は少し太い杖をついている。健脚なシュマリ女将が何故杖などつくのだろうと不思議に思っていたが、その杖も武器だった。杖の中には槍が仕込んであり、取り出して繋ぐと短槍になる。
 髪に刺している(かんざし)も、手投剣になるようだ。他にも隠し武器を身につけているようである。最も恐ろしい武器は、女陰に忍ばせている毒針である。薬指位の筒に仕舞われているそうだ。だから、寝屋にも持ち込める。そして、シュマリ女将は、何人もの男共を殺めて来たようだ。
 子供を奪われた女は恐ろしい。中華(シャー)やその北方には、虎という猛獣がいるそうだ。虎は 日向の白猫チャペの仲間らしい。
 チャペはとても敏捷である。木の上や屋根の上でさえヒョイと飛びあがる。木登りなど犬のチャピには出来ない芸当である。虎も木登りが得意らしい。そして、虎の身体は夏羽並みに大きいそうだ。
 夏羽が、白猫チャペほど俊敏であれば向かうところ敵なしであろう。虎とは恐ろしい生き物である。亀爺が倭国に連れてこなかった訳である。
 でもシュマリ女将の村では「虎はおとなしい生き物だ。だから、虎に危害を加えてはいけない」と教えているそうだ。そして、子供達は虎を、森の王と呼び崇めているらしい。でも、子供を奪われた女虎は、人食い虎に変わるそうだ。そして、シュマリ女将も人食い虎に変わる時があったのだ。

 須佐の村長には、高志から早舟を送っていた。だから、浜には天之玲来船の帆柱を見た村人が総出で待っていてくれた。先頭には、村長と並んで、猪馬親子が立っていた。すでに村の広場には宴会の準備が整っていた。天之玲来船を襲ってくる賊はいなくなったので、数人の船乗りだけを残し、私達は皆で上陸した。
 食台の中央に、沢山の料理に囲まれた鏡餅が置かれていた。まるで大蛇が、とぐろを巻いているようである。察した通り細長く伸ばした餅を、とぐろ巻く蛇のように丸くしたそうである。そして、その真ん中に、赤い蛇黒の実が載せてあった。割れた蛇黒の口が、丁度、赤い火を吐く大蛇の頭のようである。
 蛇黒の実は秋に熟成する。だから、どうやって今まで取って置いたのか分からないが、これは、ハレの食べ物らしい。それもこの鏡餅は、特別の祝いことにしか作らないらしい。そして、手が込んだことに、左右に巻いた鏡餅が、二つ並べられていた。
 「左巻きはヒダリで『日足りる』と解し『日は火』でも有るので陽なのです。右巻きはミギリで『水限(みぎり)』と解し水を表すので陰なのです」と村長が教えてくれた。更に「陰陽が合わさり、子宝を導く蛇黒の実も添えましたので、王妃様が懐妊されることは間違いありません」と付け加えた。この村の大半は、志賀沫裸党である。だから、同じ志賀沫裸党の菊月姉様の懐妊は、村人の悲願でもある。これだけの祈りなら、きっと、菊月姉様も子宝に恵まれることだろう。

 猪馬が、見事な真珠を鏤めた皮帯を私に手渡してくれた。これがあの沙魚皮らしい。どうやら、今は異国にいる父様が猪馬の為に拵えた皮帯のようである。私はそんな大事なものなら受け取れないと断ったが、猪馬は「本当は、ヒミコ様にこの命を捧げたい。しかし、命を絶つわけにはいかないので、命の次に大事にしているこの皮帯を捧げたい」と言うのだった。
 そう言われれば断れない。だから、私は有り難く頂くことにした。私は香美妻の為に、高志で沙魚皮の鉢巻を買い求めていた。これで、髪を整え女王代理を頑張ってもらおうという魂胆である。奇しくも猪馬に皮帯を贈られたので、私も、女王として腹を括り直さないといけないようである。有難う猪馬よ。

 北の空から黄色い霧が舞い降りてきた。でも湿り気がない。しばらくすると船縁を黄色い粉が覆っていた。表麻呂船長の話では、黄沙と云うらしい。中華の北方にある砂漠の砂らしい。
 洞海は黄沙で霞んでいた。秦鞍耳は、これは冬の終わりから梅雨の始めの頃の風物詩だと言った。宇津女さんと、万呼さん親子とは、ここでお別れである。丹濡花は、うなだれている。冴良、楓良、玲来との別れが辛いのである。
 幼い玲来が、丹濡花の胸に飛び込み「泣かないで、お姉ちゃん。大丈夫。また、すぐに会えるよ。大丈夫」と慰めている。そして、冴良と、楓良も「大丈夫。大丈夫」と言いながら、丹濡花の背を撫でている。
 私も、冴良と、楓良、そして玲来にはいつでも会える気がする。三姉妹は、会いたくなったら黄沙のように風に乗り、遠くまでも旅するような気がする。何しろ三姉妹は、妖精なのである。だから私の大型船も、妖精の船にしたいのだ。
 秦鞍耳は、正式に表麻呂船長の弟子にしてほしいと頼んできた。秦倉耳族長の了解は取り付けているそうだ。それは、私も願いたい話だった。将来、洞海に停泊させる大型船は、秦鞍耳に任せたいのだ。もし、海之冴良船を造ることが出来たら、天之玲来船は、洞海に停泊させておくつもりだ。その時、秦鞍耳が船長を務められるようになっていると助かるのだ。だから、秦鞍耳はこのまま同行することになった。

~ 項権の妻問い ~

 もう一月もすれば、本格的な梅雨がやってくる。そして、今日の空模様も一足早くに怪しい。少し波も高まってきた。奴之津の近くまで帰り着いたところで、菊月姉様が、急に酷い船酔いになり始めた。でも“ どうして、今頃に成って船酔いをするのかしら? ”と、(いぶか)しがっていると、シュマリ女将が、「おめでたですよ」と言った。
 悪阻(つわり)というらしい。女が子を(はら)むと、吐き気や目眩(めまい)に襲われるそうだ。それが、「お前に新しい命が宿ったぞ」という神様からのお知らせらしい。私が、子をな孕んだ時は、吐き気や目眩じゃなく、直接耳元で(ささや)いてほしい。吐き気や目眩なんてまっぴらだ。
 でも、シュマリ女将は「態々(わざわざ)、身体に異変を起こして、『良く、良く己が身と、わが子の命を守るのだぞ』と、神様は(いまし)められるのですよ」と言う。
 確かに身体に受ける痛みや、苦痛の方が戒めとしては効果が高い。アチャ爺や、加太など「飲みすぎると身体に良くないから、しばらく禁酒しよう」と言っていても、やっぱり夜になると朝の決意を忘れて大宴会である。しかし、時おり酷い二日酔いになった時には、流石に宴会もお休みである。言葉に出した人の決意など(もろ)いものなのだ。だから、しっかりと身体に言い聞かせておくのが一番良い。

 伊都国に帰り着くと、臼王の喜びようといったらなかった。早速、七日後に国を挙げてのお祭りが開かれることになった。そして、興奮した臼王には、悦楽の目眩が襲っているようだ。何故なら、夏羽に、子育ての伝授を乞うているのである。
 確かに夏羽は、大勢の子持ちである。でも、子を孕ませることには長けていても、子育てなどしたことはない筈だ。それなのに、調子者の夏羽は、誰からか聞きかじった子育ての極意を、得意になって講釈している。その話に、いちいち頷いている秦鞍耳と、須佐人にも困ったものである。
 でも、私は、その七日を使って、一度八海森(ヤマァタイ)国に戻ることにした。丹濡花(ニヌファ)も、そろそろ旅に疲れたようである。香美妻も、心配している頃だろう。丹濡花は、まだ七つである。いくら同じ歳でも、健や儒理とは違う。健と儒理は普通の子ではないのだ。丹濡花は、普通の七つの女の子である。長旅に気が疲れてしまうのは当たり前なのだ。帰りついたら、しばらくは巫依覩(ミイト)でゆっくりさせよう。
 夏羽と、秦鞍耳と、須佐人は、このまま伊都国に置いていくことにした。そして、臼王のお相手である。臼王も三人が留まるので喜んでおられるようだ。

 菊月姉様には母様が居ない。だから、八海森国に帰る一番の目的は、母様代理を迎えに行くことだ。もちろん、母様代理は、玉輝叔母さんである。母ぁ様が居ない私が子を産む時にも、きっと母ぁ様代理は、玉輝叔母さんの筈である。日向と、ラビア姉様の時も、きっと母様代理は、玉輝叔母さんだ。夏羽の当てにならないならない子育て話よりも、玉輝叔母さんの母様代理は、百倍役に立つ筈だ。それに、香美妻の女王代理も少し休ませてあげないといけない。
 菊月姉様懐妊祝祭の間は、女王代理の代理を太布様にお願いしようと考えている。そうすれば香美妻も一息つけることだろう。それに香美妻とは、そろそろ項家三人衆の婿選びの作戦を練らないといけない。まずは、項権を豊呼の婿にする算段である。私の考えは、この懐妊祝祭が終わったら早速、項権に妻問いの沙汰を出そうと思っているが、香美妻はどういうだろうか。

 表麻呂船長は、二日後に、天之玲来船を筑紫海に入港させた。風はあまり良くなかったが、そこは、表麻呂船長の腕である。港に降りると、私は急ぎ米多原(メタバル)の館に戻った。予想通り香美妻は、髪をエイやっとばかりに、ひっつめ頭に結いあげ女王代理に奮戦中であった。その勇ましい姿に、私は思わず吹き出しそうになった。
 私は、そっと後ろから忍び寄り、そのひっつめ頭に、高志で買い求めた沙魚皮の鉢巻を巻いてやった。香美妻は、驚いて振り返るとふぅ~っと大きなため息をついた。それから丹濡花を見留めると、見る見る内に目に大粒の涙を浮かべ始めた。互いに再会できた喜びや、女王代理の心労など色んな思いがいっぺんに込み上げてきたようだ。そして、やっぱり私の目からも涙が溢れ出した。
 しばらく三人で抱き合って喜びをかみしめていると、亀爺に、太布様、そして、アチャ爺と、テルお婆もやってきた。私は、高志(タカシ)大統領、狭山(サヤマ)大将軍、(ヨド)女房頭の三人が揃ったら旅の報告をすることにした。それに、巨健(イタケル)叔父さんに、玉輝叔母さんの母様代理の件をお願いしないといけない。
 しかしその前に、私は香美妻と、項権の妻問いについて意思一致を図っておかないといけない。嬉しいことに、香美妻の考えも、この懐妊祝祭が終わったらということで私の考えと同じだった。それから、後の二人の件は、伊都国への旅の道中で作戦を練ろうということにした。私は猪馬に貰った皮帯を締め直した。猪馬有難う私も頑張るからね。

 翌日、亀爺と、太布様、そして、アチャ爺と、テルお婆、巨健叔父さんに、玉輝叔母さん、高志大統領、狭山大将軍、淀女房頭の九名を前に、私は旅の報告をした。香美妻には、夕べ話しておいたので香美妻は、私の横で頷いているだけである。
 私が話し終えると、アチャ爺が「兄貴よ。やっぱりワシが辰韓国に行かねばならんようじゃのう」と言った。「それが良いの。お前が、その目で確かめてくるのが良さそうじゃのう」と、亀爺が同意した。
 すかさず「私もお供します」と、狭山大将軍が声を上げた。亀爺は「う~む」としばらく考えて「イタケルよ。お前もサヤマと一緒にアチャの伴を務めてくれか。良いな」と二人を見た。二人は同時に「承知しました」と答えた。
 きっと、辰韓国へは、テルお婆も付いていくことだろう。でも、私は行けない。私は、伊都国の港で四人を見送るしかないのだ。
 この話がひと段落したところで、私は巨健叔父さんと亀爺に、玉輝叔母さんの母様代理の件をお願いした。もちろん二人は喜んで同意してくれた。更に厚かましく太布様には、香美妻の女王代理の代理をお願いした。太布様は苦笑しながら「では、カミツも少し休ませてあげましょうかね」と言われた。
 香美妻は腕を突き上げて「やった~」と言わんばかりに喜んでいたが、流石に腕を突き上げるのはぐっと堪えていた。淀女房頭が、香美妻を見てペロっと舌を出し可愛く笑った。香美妻は、片目を閉じてそれに答えた。二人は似た者同士である。

 次の日から私は、まる二日間香美妻と、淀女房頭の会務報告に耳を傾けた。(ハク)女王の姪であり、太布様の娘である淀女房頭の会務処理は完璧である。だから、私の会務の総理は、ただ頷くだけの仕事である。それも、国の運営の仕組みなど分かっていない私は、香美妻が頷くのを見て、ただ、ただ真似ているだけである。でも、頷くだけの仕事も、結構疲れるのである。
 二日目には、私のスイカ頭を軽い眩暈が襲ってきた。やっぱり私は、夏羽の妹なのだと自覚し、何だか淋しくなってきた。しかし、明日からはまた楽しい旅の始まりである。だから頑張らなくちゃ。

 淀女房頭の会務報告を聞く中で、私は玉呼(タマコ)の名を心に留めた。玉呼は、東の斎場巫津摩(ミツマ)巫女司(みこつかさ)である。巫津摩は、平塚の丘にある。平塚の丘は、八海森国の東の要である。このあたりから千歳川は山間の流れから、大平野の入口に流れ込む。そして、平塚の丘は東の国防の要でもある。八海森国の西側は、沫裸党や、項家軍属の領地なので、昔から軍事的な緊張は無かったそうである。しかし、東と、南東には、クマ族の領域が広がっているのである。今は臼王と、山幸(ホオリ)王の関係が良いので、戦火の火の手は見えないが、やはり倭国統一同盟と、倭国自由連合の緊張関係は続いているのだ。玉呼の出身は、三珠(ミタマ)族である。三珠族は、八海森国の南東を領地としている。だから、玉呼は、幼い時からその緊張感の中で育ってきた。三珠族の郡都は、玉杵名邑(タマナキノムラ)という。玉杵名邑には温泉が涌くそうだ。うらやましい話である。玉呼は、その温泉に浸かりながら育っているので玉のような美肌である。母は、魂拿女(タマナメ)と言い、東部の文務処を統括する主幹である。東部の文務処は、平塚の丘にあるので、二人は共に暮らしている。父は、三珠族の元軍団長津頬(ツララ)である。津頬軍団長は高齢だが、魂拿女族長は夏希義母様と同世代である。玉杵名邑と、夏希義母様の斯海国とは、筑紫海を挟んで対岸に位置している。だから、二人は若いころから知り合いだったらしい。帛女王の遺言では、族長と軍団長は引退することになっていた。しかし、魂拿女は、夫の津頬より親子ほども歳が若かった。そこで、淀女房頭は、(おきて)を絶ってまで魂拿女を、文務処の主幹に任じたのである。そして、それほど、魂拿女の会務能力は、優れていたのである。玉呼は、魂拿女のその血を色濃く引き継いでいた。巫女司に選ばれる位なので霊力も備えていたが、それ以上に会務の総理に抜きん出ていた。一つの報告を聞いて十の事実を(つか)み取るようなのである。まさに神憑(かみがか)った能力である。
 この玉呼を、槍の項作の妻にしようと、私は(ひらめ)いたのだ。夜、香美妻に、この話をすると香美妻は反対した。剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠がその歳の順のように、弟子の剣の項権、徒手の項増、槍の項作もまたその歳の順なのだ。
 槍の項作は、香美妻と同じ歳である。だから、玉呼とは、歳が近すぎると云うのだ。玉呼は、器量が大きいので、年上の徒手の項増でないと釣り合わないとの主張である。確かに徒手の項増は、物静かな男だが、師匠の項佗にも劣らない大きな器量の持ち主である。項権ですら判断に迷った時には、項増に相談している。私は、香美妻の見立ての方が良い気がしてきた。
 そうなれば、槍の項作の妻は、巫谷鬼(ミヤキ)の巫女司仁呼(ヒトコ)に決まりである。仁呼は高木族の娘である。どことなく那加妻に似ている。歳も私や那加妻と同じ位だ。これで三人の妻問いの算段は出来た。あとは順次、妻問いを沙汰し、そして、剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠を夏希義母様の許に返さないといけない。私は嬉しさと悲しさが入り混じった不思議な感情に襲われた。しかし、いずれにしてもこれで私の項家二十四衆は安泰である。

 伊都国への出発の朝、私は項荘、項佗、項冠の三人と、弟子の項権、項増、項作を前にして、三人の妻問いの沙汰を行った。項権の豊呼への妻問いは、この祝賀会から帰ったら直ぐに行うこと。項増の玉呼への妻問いは、その一年後に行うこと。項作の仁呼 への妻問いは、更に一年後に行うことを伝えた。
 若い三人は顔を赤らめて頷いた。三人の師匠は私に深く頭を下げた。豊呼と、玉呼と、仁呼には、香美妻が後日沙汰を出すことにしている。
 天之玲来船は、出港した後、一度斯海国の口ノ津に立ち寄ることにしている。そこで、夏希義母様が乗船してくるのだ。その時、私はこの話を伝えようと考えている。そろそろ夏希義母様も、項荘、項佗、項冠の三人の力が必要になっている頃だろう。
 アチャ爺とテルお婆も乗船した。巨健叔父さんと、玉輝叔母さん。それに狭山大将軍と、その護衛官達も乗り込んでいる。香美妻は、すでに船首楼の屋根の上で腕を組み仁王立ちである。「さぁ、早く出港するわよ」といわんばかりの勢いである。無理もない。やっと女王代理の任から解放されたのだ。女海賊香美妻の気魄に押し出されるかのように天之玲来船は、その帆に風を孕ました。

~ 伊都国の懐妊祝祭 ~

 伊都国には、既に近隣から大勢の祝い客が詰め寄せてきていた。そして、港には大型船も入港していた。あれは、首露王の弁韓船だ。この祝いの席に首露王がいないわけはない。父親になる臼王の次に歓喜しているのは首露王に違いない。何しろ首露王の孫が誕生するのである。
 実は、加布羅船長は、別れ際に菊月王妃の異変に薄々気が付いていたようである。それで、「もしかすると」と、首露王に伝えたのだ。流石に加布羅船長は、加布里という娘を持つだけのことはある。私は、シュマリ女将に教えてもらうまで全く気がつかなかった。
 そして、天乃磐船で山幸(ホオリ)王も駆けつけてきた。きっとメラ爺の情報が届いたのだろう。七日前にシュマリ女将が、臼王の頼みで延烏様への伝令に発ったのだ。その途中で、シュマリ女将がメラ爺に伝えたのだろう。天乃磐船には、ラビア姉様とラクシュミー親子、それに吠武琉(ハイムル)も乗っていた。山幸王が()国に立ち寄ってくれたようだ。でも残念なことに、日向と健は乗っていなかった。日向は、山幸王の代理で手が離せなくなったのだ。そして、健も相も変わらず忙しそうである。

 伊奴国の首長波珂多様と、伊美国の首長粕耶様は、既に臼王と、何度目かの前夜祭を開いていたようだ。もちろん夏羽達も加わっていた。波珂多様と粕耶様は、臼王と同年代のようだ。稜威母の安曇様や、蛇目様も含めて皆伊佐美王の曾孫達である。中でも、伊奴国の首長波珂多様と、伊美国の首長粕耶様は、伊都国の兄弟国なので、臼王にとっても二人は兄弟のような間柄のようである。
 波珂多様は、お祖父様の室巳様に似て豪快な方のようだ。だから、夏羽をすっかり気にいっていただけたようだ。粕耶様は、やはりお祖父様の三笠様に似て思慮深く物事に長けた方のようである。だから、須佐人をお気に入りになられた。
 そこで、秦鞍耳も含めた六人はすっかり意気投合し連日の祝いを開いていたのである。だから、私達が伊都国に到着した時には、何となく皆ず~っと酔っぱらったままのようであった。困った六人である。

 菊月王妃の懐妊祝祭は、三雲の館ではなく港町の商店街で行われることになったようだ。菊月姉様の願いらしい。私もその方がとても楽しい祭りになると思った。やっぱり祭りは大勢の人と共に楽しまないとつまらない。
 しかし、陳会長にとっては大変な事態になったようだ。この数日、寝食も惜しんで「嗚呼~忙しかぁ~。こりゃ、こりゃ。嗚呼~忙しかぁ~。こりゃ、こりゃ」と駆け回っているようだ。でも須佐人の話では、何だか嬉しそうな様子であるとのことだった。
 更に、リーシャン帰国の噂に、伊都国の美食家だけでなく、近隣の国からも美食家が押し寄せてきており、既に港町は大勢の人で賑わっていた。臼王の開会の挨拶は正午に行われるそうだ。
 まだ梅雨に入る前なので天空は突き抜けるような青空が広がっている。私達が伊都国の港に上陸すると、須佐人と、秦鞍耳が迎えに来ていた。臼王と、首露王、それに夏羽は、やっぱり菊月姉様を囲んで幾度目かの前夜祭の続きらしい。もちろん、伊奴国の首長波珂多様と、伊美国の首長粕耶様も一緒だ。
 可愛い妹が戻ってきたというのに、夏羽めは薄情な兄である。何時かあのスイカ頭をひっぱたいてやらないといけない。須佐人の話では、筑紫島の族長達や、その名代達はすでに揃っているそうだ。そして、嬉しいことに投馬国は、名代に那加妻を送ってくれていた。
 きっと、 高牟礼(タカムレ)様、秦倉耳(ハタクラジ)様、佐留志(サルシ)様の私への配慮であろう。そして、それを助言してくれたのは、火尾蛇(ホオミ)大将に違いない。火尾蛇様の気心は、本当に行き届いているのだ。私の父様が、火尾蛇大将だったらどんなに嬉しかっただろう。でも、私の父様は、薄情者の阿逹羅王なのだ。淋しい限りである。

 主祭場に到着すると、「しかし、ウスよ。俺の祖父様のムロミも、若い妃を何人も持っていたが、お前の歳で子を儲けることは叶わなかった。お前の精の強さはイサミ王譲りじゃのう」と豪快な笑声が響いてきた。あれは、伊奴国の首長波珂多様の声のようである。
 そして、私が天幕を潜ると参列者の一行が皆立ち上がり私達を迎えてくれた。「おう、ヒミコ様の御成りじゃ。この祝いの祭りはヒミコ様なくしては始まらんからなぁ」と、伊美国の首長粕耶様が席を立たれ私の手を引いて、主賓の座に導かれた。
 私は“ えっ? 祝いの主は、ククウォル姉様ではないの? ”と戸惑っていると、菊月姉様と、臼王が微笑みかけられ「カスヤの申す通り、祭りの主神が見えられたので、そろそろ始めようではないか皆の衆よ」と言われた。
 尚も、私が怪訝な顔をしていると「この子はピミファが授けてくれたのよ」と、菊月姉様が、新しい命が宿ったお腹に私の手を取り添えてくれた。私は、体の芯がドクリと脈打った気がした。それから、南方の海の香りを嗅いだ気がした。
 すると、側から玉輝叔母さんが進み出て、菊月姉様のお腹に手を添えた。そして、同じように「確かに、この子はピミファと同じ脈を持っているわね。間違いないわ。この子はピミファが神様の元から呼び寄せたのよ」と言い、更に臼王を振り返ると「王様、この子に『名降ろしの儀式』は必要有りませんよ。既に、ピミファにはこの子の名が分かっていますから」と言った。
 「ほう、何という名じゃ」とアチャ爺が聞いてきた。私は何と答えていいのか途方に暮れた。だって、私には何にも分かっていないのだ。何故玉輝叔母さんは、そんなことを言い出すの? そう私が困った顔をしていると「ピミファや、王妃様の手を取り、目を見つめてごらん」と、テルお婆が言った。
 私は言われたとおり、菊月姉様と両手を結び見つめあった。すると、“ 子洵(スヂュン) ”という名が神様から告げられた。それから「可愛い女の子スヂュン。貴女は海の彼方から来てくれたのね」と言った。玉輝叔母さんが「ほらね」と臼王を見た。
 臼王は昂奮して「聞いたか。チョンヨンよ。ヒミコ様が、我が娘をスヂュンと呼ばれたぞ」と首露王の肩を激しく叩いた。首露王は、その肩を撫でながら「俺の可愛い孫娘のスヂュンだぞ」と苦笑しつつ菊月姉様を温かく見やった。
 「スヂュンとは、スヂのことかも知れんなぁ」と、山幸(ホオリ)王が、臼王に声をかけられた。 「ほう、ところでスヂとはどんな意味なのだ?」と、臼王は、山幸王に問われた。「ホオミ大将達南方の民が崇める神の名だ。アマミ親方の話では、その神は海の彼方からやってくるらしい。誠の心を持った神様だそうだ。それに、南方の女神様ならきっと、ヒムカに似た美人が生まれるぞ」と、嬉しそうに山幸王は答えられた。
 「それりやぁ良いのう。おうおう」と、美人好きのアチャ爺が手を叩いて喜んだ。すると首露王が「ほう、ピミファに並び立つといわれるヒムカ様とは、そんなに美人なのか?」と、夏羽に聞いている。
 「おうおう、チョンヨン伯父貴は、まだ、ヒムカ様に会ったことがなかったなぁ。可哀そうに」と、夏羽が答えた。「ナツキに負けない位の美人か?」と、首露王が聞き返した。 「何ば、寝ぼけたこと言いよると。ナツキ婆と比べるとは、チョンヨン伯父貴も焼きが回ったっちゃなかね。比べるなら、ラビア様ばい」と、ラクシュミー親子と談笑しているラビア姉様を指さした。
 すると首露王は、「おうおう。ラビアに負けない天女なら、確かに倭国一の美人だろうなぁ~、ということは俺の可愛い孫娘スヂュンは、天下に轟く美女になるということではないか。めでたいのう」と、既に祖父馬鹿の顔で微笑んでいる。私は、そんな首露王の顔が、一瞬モユク(狸)爺さんに重なって見えた。

 「ウスよ、ヒミコ様を待たせる礼儀知らずな奴らは、もう待つ必要はないぞ。祝いの祭りを始めようぞ」と、伊奴国の首長波珂多様が、怒鳴るような大声を上げられた。すると周りから「そうだ。そうだ。リーシャンの料理が冷めないうちに王女様の誕生を祝おうぞ」と、同調する声が上がった。その声に押されるかのように満面に笑みを浮かべた臼王が、壇上に上がった。
 そして、「私の開会宣言は、短く『さぁ祝おうぞう』だけにする。実は、夕べ色々考えたのじゃが、嬉しすぎて言葉が出てこない有様になってしまったのだ。だから、ミソノ女王からお祝いの言葉をいただいたら『さぁ祝おうぞう』と、叫ぶから皆もそのつもりでいてほしい。では、ミソノ女王、菊月に温かい言葉をかけていただけないでしょうか。さぁどうぞ」と、壇上に美曽野(ミソノ)女王を招いた。
 美曽野女王は、静かに天を見上げ「ああ、良き日が訪れる兆しです」と言われた。それから、私と菊月姉様を見つめられ「新しい絆が新しい命を育み、倭国の平和が恒久に続くことを共に祈りましょう。皆も知るとおり、私達は長い戦さの時代を生きてきました。しかし今、神様は私達に、ヒミコ様と、ククウォル様、そして新しい命スヂュンを授けて下さった。私は今まで生きながらえてきたことを、今日とても嬉しく感じています。さぁ、皆で新しい命の誕生を祝いましょう。そして、この命に私達の未来を託しましょう。ククウォル王妃おめでとう」と、言葉を結ばれると、優しく菊月姉様を抱き寄せられた。そして、臼王が、『さぁ祝おうぞう。乾杯!!』と、声高らかに開会宣言を行った。
 開会宣言が解き放たれると、男達は入り乱れての乾杯を始めた。そして、港町は一気に無礼講になったようだ。あちら、こちらで酒合戦も始まった。私は、美曽野女王の横に座り、リーシャンの料理を楽しんでいる。テルお婆と、香美妻、それに那加妻も、リーシャンの手伝いに追われている。
 那加妻とは積もる話もあるのだが、夜まで我慢するしかない。今夜は久しぶりに三人で床を並べるのである。菊月姉様は、雛壇で各族長や、その名代達からひっきりなしに祝いの言葉を受けている。まるで、琴之浦の館での私のようである。
 あの時は、琴海さんが私を気遣ってくれたが、今は、玉輝叔母さんが、菊月姉様を気遣ってくれている。私が、美曽野女王にその話をすると「御迷惑をおかけしました。外海は、あの通り威勢の良さだけが取り柄なものですからお許しください」と謝られた。
 残念なことに、琴海さんと、外海族長の顔は見えない。美曽野女王の話では、今、末盧国では、連日のように族長会議が開かれているらしいのだ。外海族長は、そのまとめ役として奮闘しているらしい。琴海さんも外海族長を助けて、沫裸六党の間を飛び回っているようだ。でも、どうやらそれは関係改善の交渉のようである。
 外海族長にまとめ役を一任し、美曽野女王が、末盧国を代表してこの式典に参加しているのが何よりの証である。でも、身内同士で殺し殺された者達の恩讐の行方は、多難だろう。私も、母ぁ様を殺めた者達を、今は許せる気にはなれない。琴海さんも、外海様も頑張って!!
 遠くのほうから強い視線を感じたので見やると、アルジュナ少年だった。私は両手を大きく上げて「こっちへおいでよ」と誘った。アルジュナ少年は、一瞬どこかへ消えると、ラクシュミーさんと、ラビア姉様を伴ってやってきた。だから、私は、早速三人を美曽野女王に紹介した。
 すると、驚いたことに美曽野女王は、ふかぶかとアルに頭を下げられ「嗚呼。賢者様にお目にかかれるとは幸せなことです」と言われた。美曽野女王は、偉大な巫女女王である。私は、理屈屋の変人少年としてしかアルが見えていなかったが、美曽野女王は、アルの本性を見抜かれたようだ。
 それから、美曽野女王は、ラクシュミーさんと、ラビア姉様を相手に異国の話を興味深く尋ねられていた。私は、アルの手を引いて須佐人と、吠武琉(ハイムル)を探した。須佐人に、アルジュナ少年を紹介したかったのだ。須佐人と、吠武琉は、やっぱり、伊美国の首長粕耶様の一群にいた。私が、須佐人と、粕耶様にアルジュナ少年を紹介すると、粕耶様は、じっとアルジュナ少年の瞳を見詰めておられた。そして「賢い子よ。私のそばに来てくれ。私は君と話をしてみたい。さぁ、私と、須佐人の間に来ておくれ」と手招かれた。友は友を呼ぶのだろう。アルジュナ少年は、早速粕耶様の一群に取り囲まれた。どうやらこの一群は知恵者の集まりのようである。
 突然、「どうだ。ピミファ姫よ。女王暮らしは慣れたか」と首露王が後ろから声を掛けてきた。私は首露王に会ったら沢山質問を投げつけたかった。だけど何故だか「ねぇ、何でチョンヨン伯父貴は、そんなに好き勝手に海賊暮らしができるの?」という言葉が口を衝いて出た。すると、青龍伯父貴は「ははぁ~ん。女王仕事に追いかけまわされているなぁ。目でも回しそうか? あははぁ~ん」と意地悪く私に微笑んだ。それから少し真顔になって「そうだなぁ。弁韓国のことは、俺がいなくても、大天干(テチョンガン)明朱(ミョンス)兄貴がうまくやっていてくれるのさ。だから、俺の出番は少なくて済むという訳だ。ピミファも早く明朱兄貴のような切れ者の相棒を探すんだな。そうしたら、天之玲来船で鯨海の北の外れから、スーちゃんの暮らす夷洲(台湾)の南へだって行けるようになるさ」と助言してくれた。
 私は、ふと弁韓国のことをもっと詳しく知りたくなった。それに弁韓国の話の中には、きっと辰韓金氏との関係の話も出てくるはずだ。朴分家、昔氏、金氏の三氏を知ることは儒理と優奈の身の安全に欠かせない気がするのだ。その為には、弁韓金氏と辰韓金氏との関係がもっと分かっていないといけない気がした。首露王は私の考えを察したように「そうだなぁ。わが一族の恥もピミファには話しておくか。少し長い話になるから、まぁここに座れ」と、港が見渡せる広場に椅子を持ってこさせてくれた。「さて、どこから話そうかのう」と首露船長は、海の彼方を見やりながら髭を風にたなびかした。

卑弥呼 奇想伝 第1巻《女王国》 『第9部 ~ 龍の涙 ~』へ続く