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卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 〜 卑弥呼 奇想伝(その2)

葦田川風

我が村には、昔から蛇が多い。輪中という地形なので湿地が多く蛇も棲みやすいのだろう。更に稲作地であり野鼠やイタチ、カエルと餌が豊富である。青大将は木登りが上手い。そのまま高木の枝から飛べばまさに青龍だろう。クチナワ(蝮)は強壮剤として売れる。恐い生き物は神様となるのが神話の世界である。一辺倒の正義は怪しい。清濁併せ飲む心構えでいないと「勝った。勝った」の大本営発表に騙される。そんな偏屈爺の紡ぐ今時神話の世界を楽しんでいただければ幸いである。

卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 〜 卑弥呼 奇想伝(その2)

《 第2部 ~伊都国の別れ~  》

幕間劇(4)「餅つき」

照り返る夏の日差しと共に、大河の匂いが沖底の宮にも押し寄せていた。紺の半ズボンに、白いランニングシャツ姿で、金髪のジョーが、公孫樹の木陰の下で仰向けに寝そべっている。木の中ほどでは、ジージーと赤茶色のアブラゼミが、うるさく鳴いている。耳を澄ますと、ジョーの半ズボンのポケットからも、ジージーと蝉の鳴き声がする。どうやら、朝から、ここで寝ている様だ。朝早く地中から這い出した蝉は、木の幹にたどり着くと殻を脱ぎ捨て成虫になる。この成虫になったばかりの時を狙うと、網を使わなくても素手で蝉を捕まえる事が出来るのだ。
 そのジョーの額を、コンコンと、仙人さんの杖の鳩飾りが打った。誰が昼寝の邪魔をするのだと、訝しげにジョーが片目を開けると、青空を背にした赤ら顔の仙人さんが笑いながらジョーの寝顔を覗き込んでいた。「お前さんは、よう寝る子じゃのう。でも、今日は夢を見とらんかった(見てなかった)が、身体の調子でも悪かとかね」と、訊ねた。仙人さんの顔を見ると一瞬驚いたジョーだったが「んにゃ(否)寝とらんやった。考え事ばしよったとたい」と答えた。「ほう、お前は頭ん良か子やけん。色々考える事も多か事やろね」と、仙人さんが親しげに言葉を返した。すると、何事か思い立った様に「そうたい。良か事っば思いついた。いつも、オイ(俺)達が仙人さんの昔話ば聞かせてもらいよるけん。今日は、オイ(俺)が、仙人さんに面白か話ば聞かせてやるたい」と、ジョーは跳ね起きた。「ほっほっ、そりゃ楽しみたい」と、仙人さんが嬉しそうに微笑んだ。ジョーは勢い付いて「まずタイトルが良かよ。『悲しい男の哀れな短い人生』っち言うとよ。良かろ。悲劇やけんね」と、言った。ジョーの気合いの入れっぷりに、仙人さんは益々微笑み「ほっほっほっ、良かねぇ。哀れな人生かい。そりゃシャンソンやね。そうしたら早よ聞かせてくれんね。ところで、悲しい男っちゃ誰の事ね」と言った。すると、金髪のジョーは自分の胸を打って「そりゃ、オイ(俺)の事たい。明日から、オイ(俺)んこつぁハムレットち呼んでくれんね」と言った。「ほっほっほっほ、そりゃ良か。そりゃ良か。ばってん、ジョーのままで良かやん。哀れなジョーの人生。やっぱりシャンソンやね。グレコも良かばってん、ピアフも良かね。筑ッ後川の下の哀れなジョーの人生ちゅうのは、どうじゃろかね。」と、仙人さんは身を乗り出した。南の空には大きな入道雲がむくむくと起き上ってきた。


《ジョーが仙人さんに語るこれまでの哀れな人生》

オイ(俺)の祖父ちゃんの家は、ここらでは豪農やったけん、がばい(沢山)田畑ば持っとらした。だけん(だから)、今でん(今でも)屋敷だけは大きかばい。ばってん(しかし)、跡取り息子が出来んやったけんで、今は、ふたりで耕せるだけの田畑だけを残し、各分家と小作人に分けちゃったそうたい。だけん、祖父ちゃんと祖母ちゃんは、普段はひっそりと慎ましく暮らしとる。しかし、盆と暮と正月だけは、各分家が集まり大賑わいになるとばい。特に、年の暮の餅搗きは、まるで戦場(いくさば)のごたるばい(戦場の様だよ)。祖父ちゃんの家の庭には小んか橋が架かっとる溜池がある。オイ(俺)が暇ン時は、その橋の上に座って魚ば釣るったいね。その池には鯉が泳ぎよるとよ。鯉はアライ(鯉の刺身)や鯉コク(鯉の味噌汁)にして食べる為こうとるったい(飼っているのだ)。池が見える庭先の座敷は、四十畳ばかりある。だけん(だから)五~六十人の宴会だっちゃ大丈夫たい。そして餅搗きの日には、親類縁者が祖父ちゃんを囲み宴会ばしよるばい。池の鯉も半分はアライにされて酒の肴になっとる。オイ(俺)が餌をやり可愛がっとった鯉太朗も既に誰かの腹の中に入っとるやろう。何だか可哀想か話たいね。格子戸の玄関脇には、囲炉裏が設けてある。ここは祖母ちゃんが茶室代わりに使っとる部屋たい。その奥に、黒光りする松の梁がむき出しになった土間がある。土間には、二つの大臼と大小十数本の杵が水桶に浸けてある。水屋の竈(かまど)には二口とも蒸篭(せいろ)が載せてあり、その中では数段に分けて糯(もちごめ)が蒸されとる。竈の羽釜の中には空焚き対策用に、大根ば入れてとる。鯉コクは竈が二口とも蒸篭に占拠され取るけん。七輪二つに大鍋二つで煮られよる。同じごつ(同じ様に)がめ煮(筑前煮)も七輪二つに大鍋二つで煮られよる。だけん七輪が四つたい。がめ煮の鶏は、やっぱりオイ(俺)が餌をやり可愛がっとった英之助と竜之助に譲之助たい。モモコとサクラにウメコのメス達は、卵を採る為どうにか生き延びとる。だけん、鯉のアライも鯉コクも、そしてがめ煮も、皆が箸をつける前に、オイ(俺)が試食ばしたとよ。せめて、オイ(俺)が真っ先に箸ばつけちゃらんと、鯉太朗に英之助と竜之助、それに譲之助も浮かばれんやろう。皆オイ(俺)がしっかり育てた奴等やけん。まるまるしとった。だけん、鯉も鶏も身は、いわゆる「アゴが落ちるほどガバイ旨か~」と云うやつたい。もちろん味付けをしたのはオイ(俺)じゃなかよ。味付けをしたのは、京子伯母さんたい。京子伯母さんちゃぁ~昭雄伯父さんの嫁さんたい。そして昭雄伯父さんは、祖父ちゃんの甥たい。昭雄夫婦は、日頃からこの大きな屋敷の管理をしてくれとる。そして、オイ(俺)達兄妹の親代わりでもあるったいね。オイ(俺)達の父母参観には、必ず昭雄伯父さんか、京子伯母さんが来てくれる。どげん忙しくても、必ず来てくれる。だけん、親はおらんでも、オイ(俺)達兄妹は淋しか思いばしたこつぁ無か。そして、年末のこの大事業を取り仕切っているのも、分家の昭雄夫婦たい。なにしろ、我が家の餅搗きには、大宴会が付きもんやけん、尚更大変たい。何でこげなオ~ゴト(大事)に成っとるかは、祖父ちゃんさえ知らんらしか。兎に角、昔から、そうらしか。その上、町から芸者さんも何人か呼ぶとよ。その芸者さんの三味や太鼓に合わせて、餅ば搗くったいね。だけん、がばい賑やかな餅搗きになるとばい。ほろ酔い加減になった親父達は、まるで踊る様な腰つきで餅ば搗くとよ。見とるだけで楽しかよ。そして、子供達は笑いながら親父達の腰つきを真似してベテランの業ば覚えるとたい。その後、子供達が見よう見真似で搗く時にゃ、芸者さんの三味太鼓も少しお遊戯会的な拍子に変わるばい。実は、子供達の餅搗きん時やぁ、始めに大人が杵で回し捏ね、九割ほど餅の状態にしとくとよ。それを子供達は、ペッタンペッタンと楽しみながら搗くとたい。臼が冷えると良か餅にはならんけんねぇ。だけん本当は、ペッタンペッタンと、のんびりとは搗かんもんたい。でもこの子供臼は、既にほとんど餅になっとるけん。子供達のペッタンペッタンは、愛嬌搗きばい。

 祖父ちゃんの家では、毎年、親戚一同の餅を搗く為、三十数臼程も突くとばい。だけん十時間位かかる。もう一日仕事たいね。糯(もちごめ)を蒸すとに大体四~五十分ほどかかるけん二竈三段で蒸すとよ。搗くとは十分位ばってん蒸す時間まで考えると一臼がだいたい二十分かかる勘定になるたいね。そして一臼搗くのにも大変な体力がいるとよ。初めての人は三臼も搗けば限界やろうね。ベテランでも年寄りなら五臼やろねぇ。だけん親父たちは、途中から酒と踊りが本業になり始めるとよ。そいで夕方からは、芸者さん達も座敷で本業に精ば出し始めるちゅう訳たいね。そして、日が沈みかける頃には、餅つきは完全に若い衆にバトンタッチされる。実は、餅つきの本番は、ここから始まるとよ。去年の搗き手は十三人やった。その中でも昭雄伯父さんの長男の将人兄ちゃんが主力たい。今、将人兄ちゃんは、中学二年生で柔道部の新キャプテンたい。この前、県大会でも優勝したばい。オイ(俺)も中学生になったら柔道部に入いるつもりたい。オイ(俺)だけや無かよ。この村の男の子は、全員柔道部に入る事に決め取るとよ。町の中学校に行くのは、少し不安な所があるけんね。将人兄ちゃんが「何か因縁つけて来る奴がおったらオイ(俺)んとこに来い」と言ってくれよるばってん、やっぱオイ(俺)達は、自分が強く成っときたかとよ。町ん者に、なめられたらいかんけんね。特にオイ(俺)と、ひで(英)ちゃんは狙われやすかもんねぇ。何しろオイ(俺)は、この髪の毛やけんねぇ。いかん、いかん話が脱線しよる。餅搗きの話やったばいね。将人兄ちゃん達が搗き始める所からたいね。

 最初は、四人でゆっくりと臼の周りを回りながら杵の頭ば持って捏ねていく。そして、返し手が「もう良か」と合図ば送ると、若手二人になって猛烈な勢いで搗き始めるばい。その若い衆の搗きが始まるまでは、若嫁さん達が返し手をしよった。特に子供達のペッタンペッタンの時は、一番若い嫁さんの受け持ちたい。ペッタンペッタンのスピードから慣れて行くったいね。ほんなこつは(本来は)餅つきの調子ば取るとは、返し手やもんね。この調子の取り方が下手やと、杵どうしがぶつかってしまう。そして餅を返し捏ねると、自分の手ば突かれそうになるけんね。返し手ちゃぁ、えすか(怖い)役回りやもんね。ところがベテランの親父達は、うま~くタイミングば合わせて搗いてやるとよ。そうやって中級クラスになった嫁さん達は、少しずつ腕ば磨いて行くったいね。ところが、屈強な若い衆がすごい勢いで搗くのは、恐ろしくてまだまだ手が出せんばい。若嫁さん達ゃ「えずか~(怖い~)」っ言うて、皆逃げなさるもんね。まぁ、無理も無かばってんね。何せ上半身裸になった若い衆達は、はち切れんばかりの肌に、汗の玉を光らせながら、勢い良く杵を振り下ろすけんね。そばに居るだけで「えずか~(怖い~)」もんね。そして調子が乗ってきたら四人で搗くとよ。何せ餅は熱い内に搗きあげるのが基本やけんね。仕上げん時になると二人に戻るばってん、この前半の四人打ちの連打は、「えずか~(怖い)」の極みたい。この時の返し手を取り仕切るのは、神技たいね。今ん処、この近在でこの神技ば持っとるのは、京子伯母さんしかおらん。そして、京子伯母さんのすご腕は、祖母ちゃん仕込みやもんね。ばってん祖母ちゃんは、既に餅搗きの花道から引退し、今は糯(もちごめ)の蒸し加減を差配しとる。だけん現役の返し手では、京子伯母さんが最高位たい。各村の神社が餅搗きをする時もあっちの村、こっちの村から引っ張り凧たい。すごかろう。

 その「えずか~(怖い~)」連打で、十数人の若い衆が、代わる代わるに杵を打ち続けるけんねぇ。三十数臼もの餅も、難無く搗きあがるちゅう訳たい。酔っぱらった親父達と、子供達だけなら、十数臼が限度やろねぇ。そして、餅は搗き上がると素早く丸める。大きさは、大中小の三通りで、大中が鏡餅で小が食う分たいね。そうやけん、小餅がばさらかいる事(大量に必要)になる。そしてこの小餅ば丸めるとが大変たい。何しろ熱いうちにササッと丸めんと、皺だらけの餅になるけんねぇ。熱さば堪えて、急いでみんなで丸めるとよ。粉だらけに成りながらね。それから、花嫁さんが嫁いでこらした年には、一臼分をまるまる(全部)鏡餅にするとばい。この巨大な鏡餅と日本酒の三本絞りとば、リヤカーに載せて、花嫁さんの実家に届けるとたい。まぁ近頃は、リヤカーじゃ無しに、オート三輪ば使う事が増えたばってね。ちなみに、博多では、鏡餅が大きなブリに変わるらしか。ブリっちゃ十kgを越えんと、ブリっ呼んでもらえんけんね。 てぇげぇ(大概)太かよ。だけん一臼分まるまるの鏡餅にも引けは取らん太さよ。何で餅と、ブリの違いがあるかは知らん。ばってん、それは百姓の国と、海人の国の違いかも知れんねぇ。もし、オイ(俺)が博多から嫁さんば貰ったら、どげんなるやろうか???・・ まぁ餅もブリも贈れば無難やろうばってん・・・オイ(俺)は、そげな金持ちになっとるやろうか???・・まぁ、まだまだ先の話やけん今から悩む事も無かばってんねぇ。嗚呼~いかん。いかん。また話が脱線しよったばい。

 いよいよ餅が搗き上がると、子供達の楽しみは、餡子餅たい。餡子の元は、昭雄伯父さんが作った小豆たい。そして砂糖の甘さ加減は、三年前に祖母ちゃんから、京子伯母さんにバトンタッチされとる。だけん、祖母ちゃんは親父達が楽しみな、大根ずりの醤油加減ば見とる。これに混ぜた餅が、最高の酒の肴らしかとよ。いわゆる大人の味たいね。将人兄ちゃん達は、この大根ずり餡の方が良からしか。オイ(俺)達お子ちゃまと、嫁さん達は、キナ粉餅がお気に入りたい。もちろん、キナ粉の大豆も昭雄伯父さんが作ったとばい。そんな様子なので、餅を搗いている間にも、五臼位が皆のお腹の中に納まるわけよ。そして、皆が、家に持ち帰る餅は、各分家の家族の様子に合わせて、祖母ちゃんが振り分けとるばい。子供が多い家には、餡子餅ばいっぱい入れちゃるちゅう風に、工夫ばしとらすもんね。偉かろ。

 餅搗きん時やぁ(餅搗きの時には)、各分家の嫁さん達も、前の日から祖父ちゃんの家に泊まり込んどる。これも、昔から続く毎年の行事らしか。糯(もちごめ)を洗って水に漬け込んで、その次には宴会の食事や、正月のお節の下準備にと、大わらわで汗ば流しよるとよ。手伝いは、各分家の嫁さん達だけじゃ無かばい、他の在所に嫁いだ祖父ちゃんの姪達も手伝いに来るばい。姪達は、手伝い半分嫁ぎ先でのストレス解消半分たい。祖父ちゃんと、祖母ちゃんの顔を見ると、日頃の苦労が癒されるらしかばい。祖父ちゃんには、三人の弟と二人の妹がいる。その為、祖父ちゃんには二十数人の甥と姪がいる。そして一族の孫は、六~七十人に及ぶ。正月になると、その一族が入れ替わり立ち代わり祖父ちゃんの家に年始の挨拶に来る。祖父ちゃんは、にこやかな顔で一族の孫一人ひとりに千円ずつお年玉を手渡す。だけん祖父ちゃんは、正月のお年玉だけでも六~七万円を使う事になる。校長先生だってこんな月給は貰ろうとらんかも知れんばい。オイ(俺)が跡を取ったらこげな習慣は止めさせないかんばい。そげんせんとオイ(俺)の一年分の働きが全部お年玉に消えてしまうばい。ばってん、一族の子供達が皆で大反対するやろうね。こりゃ、やおいかん(これは、難儀な事態だ)こっちゃ

 祖父ちゃんと祖母ちゃんには、子供は娘が一人しかおらん。神頼みや、様々な薬草も飲んだらしかばってん、残念ながら、とうとう跡取り息子には恵まれんかった。その代りに飛びきり美人で評判の娘が一人生まれた。でも、箱入り娘で育ったけん、どげんしようも無か我がまま娘になってしもうた。いつも自分のやりたい事しかせん。そして人のいう事なんか聞かん。強情で、お転婆で、どうしようも無か最悪の娘たいね。その我まま娘は、嫁に行く齢になった頃「私はJAZZ歌手になる」と、言って家を出て行ってしもうた。そして長い間、家には帰って来んやった。ところが、堤防に菜の花が咲き乱れ、川辺が黄色く染まった頃に、アメリカ軍のジープに乗って不意に帰ってきた。紺のタイトスカートに、シルクの白いシャツ、首には花柄のスカーフを巻いていた。目にもあざやかな真紅のルージュと、甘い香水の香りに、村の子供達は、目を見張り年頃の男の子達は、胸の鼓動が早まったらしいか。そして、その傍らには、ジープのハンドルを握った若い将校が座っとった。子供達はいっせいに「ギブミーチョコレート」と、手を差し出した。若い米兵は笑いながら、子供達一人ひとりに、チョコレートを手渡したらしか。優しい笑顔を浮かべたその米兵は、ハンサムで礼儀正しかった。ばってん、村人の中には、戦争で息子を亡くした者もおり、アメリカへの憎しみが、まだ消せんでおった。家に帰って来た娘を、開口一番「お前は、何で進駐軍と帰って来るとかっ」と、従兄妹の昭雄従兄ちゃんが怒鳴りつけた。昭雄従兄ちゃんは、毎日嫁と二人で、祖父ちゃんと、祖母ちゃんの様子を見に来てくれていた。娘も幼い時から、本当の兄ちゃんの様に慕っていた。昭雄従兄ちゃんにしてみれば、進駐軍の男が、本家の跡取りになるなんちゃぁ~到底許せんやったとよ。何しろ、仲が良かった従兄弟の明ちゃんは、南の海で軍艦と共に沈んで帰らん人になっとった。それに、この兵隊はアメリカ軍の飛行機乗りらしか。もしかしたら、こいつが明ちゃんの船に、爆弾を落し沈めたんかも知れん。だけん、昭雄従兄ちゃんは、許せんやった。そして、「百合、明ちゃんがどげんして死んだか、お前は忘れたんか、もしかしたら・・」と、言いかけた昭雄従兄ちゃんに「戦争のせいやなかね。憎むなら、こん人やなくて、戦争ば憎んで」と、百合が激しく言い返した。百合の勢いに押された昭雄従兄ちゃんは「そいにしてん(それにしても)何で、進駐軍の男なんや。良か男なら、国中這いずり回ってん、オイ(俺)が見つけてきてやる」と怒鳴った。ところが「私は、家や国の為に生きるのは、好かんとよ。(嫌いよ)私は、自分が愛した人と一緒になるとよ」と、目にいっぱい涙を溜めて、百合は昭雄従兄ちゃんに掴みかかって行った。昭雄従兄ちゃんも、声を詰まらせそれ以上は何も言えんくなった。すると、昭雄伯父さんの若嫁さんが、そっと袖を引いた。そして「あんた、帰るよ。伯父ちゃんが困っとらすよ」と言った。渋々玄関を出る亭主の背中を押しながら「ほんなら、百合ちゃん、体にだけは気をつけんといかんよ」と若嫁さんは、百合に声を掛け昭雄伯父さんを外に押し出した。「ありがとう。京子ちゃんも元気でね」と、百合は涙をぬぐいながら京子の肩にそっと手を置いた。百合と京子は、幼馴染で親友だった。その日以来、村人は久しく百合の姿を見ることが無くなった。それから数年が起った冬の夜、二人の幼子を連れた百合が、人目をはばかる様にひっそりと帰ってきた。そして、朝には、子供達だけを残しまた姿を隠した。もう分かったちゃ思うばってん、その我がまま娘が、オイ(俺)達の母ぁちゃんたい。

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と、ジョーは話を結んだ。いつの間にか、仙人さんの後ろには、いつもの村の子供達が集まっていた。そして「兄ちゃんの馬鹿話は、もう良かけん。早よ、仙人さんの昔話の続きを聞かせて」と、赤毛のマリーがせがんだ。「ば、馬鹿話っ・・・」と、ジョーが、頭から湯気を出しそうになって言った。「いやぁ~オイ(俺)は、感動したよ」と、泥船仲間のひで(英)ちゃんが慰めてくれた。ひで(英)ちゃんは、新井英明という名である。ジョーとは、同級生で成績でも一、二番を争っている。ひで(英)ちゃんは、小説家になるのが夢だと言っていた。そのひで(英)ちゃんが、褒めてくれたので、ジョーの怒りは、幾分和らいだ。「良し、ジョーも納得した様やけん。早よ、話ば始めてくれんね」と、もう一人の泥船仲間のりゅう(竜)ちゃんが言った。りゅう(竜)ちゃんは、林田竜巳と書きタツミと読む。しかし皆は、りゅう(竜)ちゃんと呼んでいた。りゅう(竜)ちゃんの両親は、夫婦ふたりで食料品の行商をしている。だから、村には自動車が三台しかないが、その内の一台が、りゅう(竜)ちゃんの家にはあるのだ。ところが、その自動車のハンドルは丸く無い。オートバイの様なでっかい棒のハンドルである。その車はオート三輪と呼ばれている。さて、すこし川風が吹き始め暑さが和らいできた。いよいよ仙人さんの昔話が始まる。

ほろにがき ギブミー愛を チョコレート

~ 地中海の死病 ~

ジンハン(辰韓)船は、コトミ(琴海)族長の軍舟に導かれて、地中海に入った。多島海を入口に持ったこの地中海は、外洋の波の影響が少なく、海とは思えない位の穏やかさだった。三越島は、その地中海の入口近くにあった。そして死病にかかった者。加えて死病の疑いのある者は、全てこの島に移されていた。潮が引くと島へは歩いて渡れるそうだ。引き潮であれば、深い所でも太股位までしか無いそうである。だから、大人なら歩いて渡れる海中の道になる。でも満潮時の今は、海中の道も深く海に沈み完全に島と成っている。だから、ジンハン(辰韓)船は、三越島の脇を抜け地中海に入った。そして対岸の漁港に停泊した。明日の干潮を待って、私と、加太と、アチャ爺は、三越島に上陸する事になったのだ。そこで、今夜は対岸の漁港に宿泊する事になった。どうやらコトミ(琴海)さんは、ただ血の気の多い女戦士だけではなさそうだ。隔離対策とは賢い族長である。

 コトミ(琴海)さんの縄張りは、彼杵(ソノギ)島の東半分と、対岸の陸地を含む地中海沿岸の様である。人々は、主に海岸沿いに千余戸六千人ほどが暮らしている。ヘリ(巴利)国や、ウノ(烏奴)国と同じ位の規模である。六割が漁で暮らし、四割が半農半漁で暮らしている。豊かな海だけでも十分暮らしていけそうだが、どの入江の周りにも、小さな水田が広がっている。実は、彼らの先祖の大半は、大陸の長江の周辺に暮らしていた越人であった。そして、古くから越人の主食はコメだった。彼らは稲の民なのだ。だから、湿地がある土地に住み着き水田を開いた。彼らは、異常な位に稲の神に憑かれている。たとえ僅かばかりの土地でも、そこに稲が実りそうなら、その土地に根を張り、稲を育てる。

急峻な山肌にさえ、水さえあれば石垣を組み、田を作る。水がなければ、遠くの泉からでも、水路を作り、水を引き、田を作る。まったく、凄まじい執念である。その稲の民が、海の民と交わった時から、彼らは大航海者になった。魚の群れを追い、稲が実りそうな土地を見つけては、そこに移り住んだ。だから、半農半漁は、大航海者達の暮らしには、欠かせない方法なのだ。この方法さえ身に付けていれば、亡国の悲哀に打ちひしがれる事はない。いやそれどころか、国を捨てる事さえ厭わない。彼らには、棄民の暗さは無い。加太の話では、太古から、シャー(中華)では、新しい王朝は何故か西で起こったらしい。だから、破れた古い王朝の民は、どうしても東に落ち伸びる事になる。確かに、私の村の五家も、先祖は、皆シャー(中華)から来ている。そして、倭国の西岸の民は、同じ様な起源を持つ種族が多いそうだ。  

 ジンハン(辰韓)船は、コトミ(琴海)さんを乗せて明朝に出航する事になった。対岸の漁村は、急峻な岩山に囲まれていた。だから湊は深く、大型船も入港できた。そして、驚いた事に、この漁港には、ジンハン(辰韓)船にも負けない大きさの軍船が停泊していた。二本の帆柱には、麻布に竹を通した帆が畳んである。甲板は三層に分かれ、上層部には二階建ての船楼がある。片側に二十二本の櫓を備え、船体の下半分は、深い青色をしている。船体上部には、朱で様々な神話の生き物が描かれている。二階建ての船楼の内部は、漆で深い赤壁に塗られている。その中には、繊細さと丈夫さを兼ねた家具が並べてある。あまりの美しさに見とれていると「良い船でしょう」と、コトミ(琴海)さんが声をかけてきた。「大きさは、スロ(首露)船長の船と変わらないけど、美しさが違いますね」と、言うと「そうでしょう。チュヨン(鄭朱燕)姉さんの船よ。今は私の船だけどね。今日からしばらく日巫女様には、あの船で暮らしてもらいますよ」と、コトミ(琴海)さんが言った。「えぇ~!良いんですか」と、驚くと「実は、正直言うと、今はあそこしか日巫女様に降臨してもらえる所が無いのよ。私等は、家の住み心地には頓着が無くてね。だって、寝るだけの所だからさ。恥ずかしい話だけど、とてもこの村には、日巫女様をお泊め出来る家が無いのよ。特に、今の時季だと、家の中までやぶ蚊だらけだしね」と、照れ笑いを浮かべてコトミ(琴海)さんが言った。「いえ。あんな素敵な船で一時でも暮らせるなんて幸せです」と、私が答えると「そう言ってもらうと、ほっとしたよ。嗚呼~もうひとつごめんなさいね」と、コトミ(琴海)さんが、片目をつぶって詫びた。私は「えっ?」と驚いたが「私の口の利き方よ」と、コトミ(琴海)さんは言った。「はぁ~?」と、更に私が戸惑っていると「私だって大巫女様には、こんな口の利き方しないんだよ。でも、日巫女様が娘みたいに可愛いいから、つい、こんな口の利き方になっちゃんだよ」と、コトミ(琴海)さんは、すまなそうに微笑んだ。だから「良いんです。私も、その方が嬉しいです。だから日巫女様じゃなく、ピミファと呼んでくれませんか」と、私の方からお願いした。「え~っ。でもそこまで無礼には・・・」と、コトミ(琴海)さんは恐縮している。だから、私は重ねて「お願いします。私、今まで日巫女様なんて呼ばれたことないから、日巫女様なんて呼ばれても、えっ誰の事???・・ ってすぐに返事返せないし」と言った。すると「う~ん。じゃピミファ姫にしましょう」と、コトミ(琴海)さんは、素敵な答えを出してくれた。私は、すっかり打ち解けて「ええ、その方がまだいいです。コトミ(琴海)さんには、お子さんはいないんですか」と聞いた。コトミ(琴海)さんは、苦笑しながら「二十路半ばを過ぎたというのに、まだ女の役目を果たせてないのよ。幼馴染は、もう皆~な、ユリ(儒理)王子や、シカ(志賀)ちゃんみたいな可愛い子を、二~三人は持っているのにねぇ。一番仲良しの千綿(ちゆ)なんか、十四歳で長男産んで、もう七人も子供がいるんだよ。いくら網元に嫁いで食うに困らないからってねぇ。そんなに休みなく子供作らなくたって良いじゃない。って千綿に言うとさ、『二十七年以上も女として生きているのに、一度も女の役目を果たしてないアンタに言う資格はない。』って言い返されるんだよ。でも、カガミ(香我美)が死んでからは、『この中から好きなのを、アンタの跡取りに持って行って良いよ。』って優しい事も言ってくれるんだけどね。でも、いくら七人もいるからって、子供には酷くない。サバやイワシじゃないんだからねえ。晩のオカズをやるみたいに、好きなのを、好きなだけ持ってけなんてねぇ~」私は、コトミ(琴海)さんの愉快な話に吹き出さずにはいられなかった。

 八日目の朝は、うす曇りだった。しかし時が進むと今にも降り出しそうな曇天に変わっていった。既に風は雨の匂いを含んでいる。ユリ(儒理)は、いつもの様に、礼儀正しく別れの挨拶をした。シカ(志賀)は、最後まで私の手を離さなかった。ハイト(隼人)は「ピミファ姉様、お仕事は上手くいくよ。だから、美味しい物があったら、お土産に持ってきてね」と、土産をねだった。スサト(須佐人)は「三人は俺に任せておけ」と、頼もしく言った。イタケル(巨健)伯父さんは「末盧国の松浦ノ津で三日待つ。もし、三日でピミファ達が追い付け無かったら、伊都国まで行き、そこで待っている。気をつけて役目を果たしてくれ。加太殿、アチャ叔父貴、ピミファを頼んだよ」と、言って別れた。そして、互いに互いの旅を不安がりながら、風雲の海を、コトミ(琴海)さんを乗せたジンハン(辰韓)船はゆっくりと出航した。

  ジンハン(辰韓)船を見送り、私と、加太と、アチャ爺は、三越島に上陸する事にした。潮が引き始めた三越島へは、オマロ(表麻呂)という若い漁師が案内してくれた。オマロ(表麻呂)は、ナツハ(夏羽)と同じ年頃に見えた。しかし、ナツハ(夏羽)とは違い、小柄で俊敏に見えた。それに、助べえナツハ(夏羽)と違い、賢くて、まじめそうだ。島は、半時ほどで一回り出来そうな小島で、木々に覆われ、風が良く通りそうだった。夏場なら、すごし易そうな環境である。普段は無人島なので、水と食料は対岸から運んでいた。急ごしらえの建物は、高床になっており、壁はない。床は竹張りで、広さは四十畳ほどある。そこに三十人ほどの患者が寝かされていた。

私は子供達を、アチャ爺は年寄りと女達を、加太は男衆を見て回ることにした。患者たちは、今は普通にしているものから、嘔吐を繰り返している者。すでに意識がなくなっている者まで様々にいた。一通り患者達を見終わり、私達は、オマロ(表麻呂)も加えた四人で、症状とこれからの対策について意見交換をした。オマロ(表麻呂)も、同じ病にかかり、先日治ったばかりらしい。だからオマロ(表麻呂)の体験談を柱に、死病の原因と、対策を話し合った。オマロ(表麻呂)の症状は、突然高熱が出て、吐き気が止まらなかったそうだ。それに、おしっこが出なくなりその後、黒いおしっこが出たそうだ。頭痛と、悪寒が酷く、意識が遠のくほどだった様である。また身体中が痛み、肉が、ぼろぼろに砕けるかも知れないと思ったそうである。それらの話を聞いていた加太が「オコリ病だな」と呟いた。そして「やっかいな流行り病だ。昔からこの病で大勢が死んだ。病を流行らせているのは、やぶ蚊の様だが・・・これから奴らが元気になる季節だからなぁ。このままでは、もっと死人が増えるぞ」と診たてを話した。「私は治ったが、運が良かったんですか?」と、オマロ(表麻呂)が聞いた。「若くて元気な奴は持ちこたえられるかも知れんが、年寄りと、子供は、体が持たん事が多い。それに、頭や肝をやられると、助かる見込みが薄くなる」と、加太が答えた。「加太殿は、薬を持ってはおらんのか?」と、アチャ爺が聞いた。「病んだ体を持ち堪える薬は、少し持っているが、この人数だと足りそうもない。それに、病の元凶を断つ薬は無いのだよ」と、深いため息を付いて加太が答えた。「日巫女様、どうすれば良いのですか」と、オマロ(表麻呂)が私に聞いてきた。私は咄嗟に「病人をコトミ(琴海)さんの軍船に移しましょう。そして沖に停泊させてください」と答えた。「さすがは、ピミファだ。初手としては上出来だ」と、加太が私を褒めた。「どういう事です?加太殿」と、オマロ(表麻呂)が聞いてきた。すると、アチャ爺が「病をばら撒いているのは、やぶ蚊の様じゃと、加太殿が言っただろう。病の原因を持つ病人を、やぶ蚊が飛んで来られない沖に移せば、病を持った蚊が少なくなる。と、言う事じゃ。戦場(いくさば)風に言えば、病の補給路を断つのさ」と、説明した。「じゃぁ、次はどうするね。日巫女様」と、加太が聞いてきた。「やぶ蚊って、どれ位生きているの?」と、私は加太に訪ねた。「やぶ蚊って奴ぁ、意外と長生きで、七日から、十四日程生きている奴もいる」と、加太が答えた。「じゃぁオマロ(表麻呂)さん。軍船は、まず十四日の間沖に停泊させましょう。その分の食料と、多めの水を積んでおいてください。それから、村人達には、しっかり、蚊帳を張って寝る様に。蚊帳が無い家は、舟に乗ってなるべく沖で夜を過ごす様に、と伝えて」と、オマロ(表麻呂)に指示を出した。「はい、分かりました。まずは、やぶ蚊に刺されない様にする事ですね。急いで各村を回って伝えます。それから杉の若葉や、ヨモギやらを燃やして、やぶ蚊をいぶり殺せとも伝えましょう。それに、もし病にかかってそうな奴がいたら、この軍船に運んだが良いですね」と、オマロ(表麻呂)は、答えて意気揚々と各村に向かった。オマロ(表麻呂)は、なかなか賢い漁師の様である。だから、コトミ(琴海)さんも、オマロ(表麻呂)を信頼し私に付けてくれたのだろう。

 オマロ(表麻呂)が使いに出ると、私達は、役割分担を決めなおした。病の元凶を断つのは、私の役割になった。私は、どうしたら良いのかまったく解らないのだけど、加太と、アチャ爺は「それは日巫女様の役割だ」と言う。加太は、今持っている薬で治りそうな人から治療を始める事にした。アチャ爺は、薬の代用品になりそうな物を集めて回る事になった。今回、加太が使う薬は三種類だ。ひとつは、キナノキの樹皮である。キナノキは、サラクマ(沙羅隈)親方が少しだけ持っていたらしい。とても貴重な樹皮で、加太が生まれた西国より、更に西へ行かなければならないそうだ。それも、大きな海を越えてである。だから、サラクマ(沙羅隈)親方も、自分で採って来た訳ではない。幾人もの、そして色んな国の商人の手を渡りながら、運ばれて来たらしい。だから、この国には代用できる薬草は無いそうだ。二つ目は、チンハオス(青蒿素)と言うシャー(中華)の薬草だ。時があればシャー(中華)から取り寄せられるが、今は時間がない。そこで代用品を探すことになった。

チンハオス(青蒿素)は、とても臭いヨモギの仲間らしい。だから、飛びきり臭いヨモギをかき集めてみようと云う事になった。三つ目は、柳の葉や樹皮である。これも本当は西国の柳が良いらしいが、倭国に自生する柳で代用する事になった。代用品とは言えこれだけの薬草を、短時間で集めるのは大変な仕事である。しかし、アチャ爺は、隠居の身だとは言えハタ(秦)家の男である。若い時分は、海商としての才覚で、カメ(亀)爺の右腕と言われた男である。「よし、三日の内に集められるだけ集めてこよう」と、彼杵沫裸党の中でも一番の早舟で出発した。

 八日目の夜が訪れた頃、「ジンハン(辰韓)船が無事に平戸の瀬戸を抜けた」と早舟が知らせてきた。私はひとまず安堵の胸をなで下ろした。明日には、末廬国の松浦ノ津へ入港するだろう。松浦ノ津から伊都国の湊までは、半日ほどの船旅だと聞いていた。だから、ユリ(儒理)達が無事に伊都国まで辿り着くのは間違いない。そして、コトミ(琴海)さんは、ジンハン(辰韓)船が、松浦ノ津へ入るのを見届けたら、同伴させていた早舟で取って返すと言っていた。だから、明後日には、コトミ(琴海)さんに会えるだろう。しかし、カガミ(香我美)派の中での、コトミ(琴海)さんの立場はどうなるのだろう。裏切り者として、志々伎沫裸党と、兄のソトミ(外海)軍から攻撃を受けないだろうか。それに、私は死病の元凶などに勝てるのだろうか?・・・私は、華麗な装飾を施した船楼の天井を見つめながら、眠れない夜を過ごした。

~ 日巫女様の降臨 ~

 九日目の朝が明けた。コトミ(琴海)さんの軍船の二層目には、二十四名の病人が収容されている。この人達は加太の薬の効き目がありそうな症状である。だから、そこは加太の持ち場だった。重篤な者十二名は、上層階に収容されている。そしてこの人達が私の患者である。夜明け前に、オマロ(表麻呂)が周辺の村々から五人の巫女を、私の介添えに連れてきた。皆年寄りである。今やこの軍船は、死病船と呼ばれている様だ。だから、若い巫女は、誰も乗船したがらないのだろう。無理もない、地中海の民は、久しく葬送の唄に包まれていたのだから。私は、五人の巫女達に手伝ってもらい、上層階に結界を張った。これで村の祭場と同じ祈りの場が出来た。私は、五人の巫女達に「不束(ふつつか)ですがよろしくお願いします」と、深々と頭を下げた。五人の巫女達は、にこやかに笑いながら「愛(ええ)らしか日巫女様たい。ワシラ(私達)こそ宜しくお頼み申します」と言ってくれた。
結界の中に、重篤な者十二名を横たえ、囲む様に私達六人は坐した。それから、神歌を唱え始めた。神歌の唄衣が死病者を覆った頃、五人の巫女達は、片膝を立て、床を踏み鳴らし始めた。赤黒く光る甲板がタ~ンタ~ンと、堅く締まった音を発てた。私は立ち上がり、大瀬戸の渦の様に旋回し始めた。タ~ンタ~ンウットントン、タ~ンタ~ンウットントンと、拍子をとり、五人の巫女達も旋回し始めた。そして五尾の大蛇が、五人の巫女達より渦を巻き出た。私は五尾の大蛇を、五獣の龍と成し、重篤な者を取り囲む様に旋回させた。私は、蒼龍に肝を、赤龍に心包を、黄龍に脾を、白龍に肺を、そして、黒龍に死病者の腎を調べるように命じた。すると、重篤な者の五臓が龍眼を通して見えてきた。元凶は、小さな可愛い虫供だ。虫供は、多くが肝にいた。そこから、血脈を伝い身体のいたるところで悪さを働いている様だ。意識が無くなっている重篤な者は、頭の中にも元凶の虫供がいた。私は、四人の巫女達に心包を包んでもらい、血脈を火炎で焼き尽くす事にした。そして、赤龍の巫女を私の中に取り込み、一人ひとりの体に触れては、元凶の虫供を、赤龍の火炎で焼き始めた。しかし、未熟な私は、七人目で自らの心包も焼き尽くしそうになった。火炎が私の口と目から吹き上げた。私は、荒ぶる赤龍を制御出来ないでいたのだ。その時、一番年寄りの黒龍の巫女が、地中海の水を浴びせてくれた。私は気を失い甲板に崩れ落ちた。

 目を覚ますと、コトミ(琴海)さんの顔が見えた。私は、丸一日気を失っていたのだ。「流石に、日巫女様だね。すごい力だよ」と、コトミ(琴海)さんが言った。未熟者の私を褒めてくれるなんて、コトミ(琴海)さんは、優しい人なのだと思った。すると「違うばい。未熟や無かぁよ。本な事っワシラ(私達)には及ばない力ばい」と、私を助けてくれた黒龍の巫女が言った。「あっ助けてくれてありがとうございました。未熟ですみません」と、私は、黒龍の巫女に謝った。「あれで未熟っち言われたら、ワシラ(私達)は、やっとられんばい」と、笑いながら、もうひとりの巫女が言った。「七人もいっぺんに死病人を蘇らせるなんざぁ、大巫女様やったミルカシヒメ(美留橿媛)さえ出きん業ばい」「そうたい、そうたい。冥土の土産に、良か仕事ばさせてもろうた」「やり方は分かったけん。後はワシラ(私達)でも治せるばい。ばってん、一日一人が限度やねぇ。それに三日に一度は休ませてもらわんと、こっちの方が死病人に成りそうばい。アハハハ」と、五人の巫女達が私の周りで笑った。五人の巫女達は、ずっ~と私を見守っていてくれていたのだ。

 後の五人の患者を治さないといけない。と、思い立ちあがろうとしたらよろけた。「何がしたいの?」と、コトミ(琴海)さんが聞いた。「後の人を治さないと」と、私が言うと「大丈夫ワシラ(私達)が治すよ」と、黒龍の巫女が言った。「さっき言ったろ。やり方は分かったち」と、蒼龍の巫女が言った。「一日に一人当たりならワシラ(私達)でも大丈夫さ」と、今度は赤龍の巫女が言った。「そして、加太殿の薬が効けば、この船はもう死病船じゃなかよ」と、白龍の巫女が言った。最後に「死病船から今や、天駆ける日巫女様の降臨船たい。村の衆は、皆こん船影に向けて、手ば合わせて拝みよるらしかよ」と、黄龍の巫女が言った。「日巫女様は何が好物だい。今夜は、日巫女様の降臨のお祝いだよ。皆も好きなもの言っておくれ」と、コトミ(琴海)さんが、五人の巫女達と、私に聞いた。「ワシャ(私は)、ヒラ(曹白魚)の刺身が好いとう」「ワシャ(私は)、クッゾコ(口底魚)の煮つけが良かねぇ」「ワシャ(私は)、イノシシの耳が好物たい」「ワシャ(私は)、ワケンシンノス(若尻巣)の味噌煮が良かねぇ」「ワシャ(私は)お神酒さえありゃ満足ばい」と、五人の巫女達は、自分の好物を出し合った。「分かった。オマロ(表麻呂)すぐに手配してくれ。ところで、日巫女様は何がいいの」と、コトミ(琴海)さんが言った。「わ、私は、何でも食べられます」と答えると、五人の巫女達が一斉に大笑いし始めた。そして「本当にえぇらしか(愛らしい)日巫女様ばいねぇ」「みゃい(大層)、えぇらしか(愛らしい)たい」と、はしゃぎ声を上げた。

 加太の薬は良く効いた様だ。もうこの船から、死人が出る事はなさそうだ。アチャ爺も代用品の薬を集め終わり、加太が検分していた。薬効は、少し弱そうだが、使えない事はないそうだ。五人の巫女達も、加太を手伝い生薬を作った。オマロ(表麻呂)は、その生薬を、各村の村長に配り、死病対策を伝えて回った。コトミ(琴海)さんは、加太の意見を聞きながら、住いの改善に取り組み始めた。「清潔で過ごしやすい環境こそ、万病に効く特効薬だ」と言う加太の言葉に、コトミ(琴海)さんは、甚く心酔していた。海辺の村は、風通しの良い丘があれば、その丘の上に移住させ、裏山が急峻で湿地に住むしかない場合は、竪穴住居ではなく、高床式に建て替える事にした。そして、漁網作りの手をしばし休ませ、蚊帳作りに変えさせた。それらの建て替えや、村の移転は、彼杵沫裸党が一丸となって取り組み始めた。それから二日が経ち志々伎沫裸党とソトミ(外海)軍が、大挙して地中海に押し寄せてきた。そして、コトミ(琴海)さんの軍船は、あっと言う間にソトミ(外海)軍に包囲された。これからどうなるのだろうと心配していると、一艘の小舟が漕ぎ寄せて来た。舳先には、小柄だが精悍な顔つきの男が乗っている。「コトミ(琴海)いるかぁ。日巫女様はどこだぁ」と、その男が叫んだ。するとコトミ(琴海)さんは「兄貴ここだよ。早く上がって来い。日巫女様を拝ましてやるよ。」と、威勢良く言葉を投げ返した。どうやらその精悍な男がソトミ(外海)族長の様である。ソトミ(外海)族長は、「おう」と言いながらコトミ(琴海)さんの軍船に上がって来た。そして私を高々と抱き上げると「皆の衆~日巫女様の降臨じゃぁ~」と、吠える様に叫んだ。すると、彼杵沫裸党の全員が「うお~」と叫び、舟縁を一斉に打ち鳴らした。それは、海が湧き立たんばかりに響き渡り、静かな地中海は怒涛の海に変わった。

でも私の心は病んでいる。日巫女様の名声はひとり歩きしている。私は未熟者だ。ちっとも日巫女様なんかじゃない。シャー(中華)では、私達巫女が施す治療を、鬼道と言うそうだ。私は、鬼道より加太に習っている医術の方が好きだ。そして私は、やっぱり変わり者の様だ。私には見えているものが、他の人には見えないらしい。私は、いつも夢を見ているのだろうか???・・ 私のこんな変な力を羨む人も多いけど、私は普通の娘の方が良い。これじゃ嫁にもいけないかも知れない。食べ物だって、ちゃんと手で掴めて、歯で噛みしめて、舌で味わえる方が良いに決まっている。私が食べ物なら、仙人の食べ物と言われる霞の様なものだ。私は、杏や、桃や、蜜柑になりたい。医術は、鉱物や、木々や、色んな生き物を使って薬を作るからとても面白い。万物には、それぞれに色んな力が備わっている。その力をうまく混ぜ合わすと、素晴らしい薬が出来る。タケル(健)のご先祖様も、薬を作るのがとても上手だったらしい。そして、不老不死の薬を作る為に、薬草を探して倭国に来たそうだ。加太の薬の材料は、この世のあらゆる処から集めてくる様だ。私も、三千世界を駆け回って薬作りをしたい。どうなっているのか良く分からない私の夢の力より、医術は確かな力だ。だから私は「鬼道から医術へ」と、皆に布教してまわなければならない。でも、皆が期待しているのは、私の医術ではなく、私の鬼道の力の様だ。それも、こんなに未熟な私の鬼道にである。私は軍船の船縁に腰をおろし、鬱々として、ただボ~ッと波間を見ていた。「おぉ~恋の悩みかね。春の娘よ」と、加太が能天気に声をかけてきた。「私って変な子よね。まぁ龍人の子だから、変で当たり前かもしれないけどねぇ。どうしたら普通の恋する春の娘になれるの???・・ 嗚呼、加太に聞いても無駄だった。加太は悲しみの秋の男(おのこ)だったわね。伊都国に着いたらミヨン(美英)にでも聞いてみよう」と、私が言うと「おいおい、俺だって恋する男の子の頃があったさ」と、加太が意気込み反論して来た。だから私は「どれ位昔に???・・ 」と、攻め込んだ。加太は真顔で思案し「う~む。かれこれ二千年ほど前だったかなぁ。でも大丈夫。恋の処方箋としてちゃんと木簡に書き留めていたからなぁ」と、言った。だから私は「その木簡はどこにあるの???・・ 」と、更に追及の手を締めあげた。「う~む。確か船箪笥に詰めて、ミヨン(美英)の家に置いていたなぁ」と、怪しい様子で、加太は答えた。やっぱり加太め。いい加減な事を云うと承知しないぞっ。と云う目をして私は「嗚呼、それは残念でした。今すぐに取りに行くのは無理ね」と、嫌みな言葉を投げつけてやった。でも鈍感な加太は、あっさりした口調で「それもそうだなぁ。じゃぁコトミ(琴海)姫に聞いてみるか。コトミ(琴海)姫なら、数知れずの恋の話が有るだろう」と、矛先をコトミ(琴海)姫に振り替えた。「加太。顔が助平ぇナツハ(夏羽)に成っているよ。それに私が気鬱なのは、恋の悩みじゃない。『鬼道から医術へ』と言う難題なのよ」と、私が言うと「何~んだ。そんなことか」と、加太は興味が半減したと言う素振りで答えた。「何~んだ。とは何よ。春の乙女の悩みよ。こんな難題の処方箋なんか、加太の木簡にも無いでしょ」と、私は憤慨して加太を怒鳴った。すると「有るさ」と、再びあっさり声で加太が答えた。「ど、どこに有るのよ。どうせまた、ミヨン(美英)の家に置いている船箪笥の中でしょ」と、再び私が疑惑をぶつけると「違う、ここさ」と、加太が自分の頭を指差した。そして「じゃお題は『医術の限界と、治療における鬼道の可能性』とでもしようかなぁ。どぉ~、お気にめしそうかね。ピミファ姫よ」と前置きをすると、真っ直ぐ私を見つめ、ゆっくりと話し始めた。

「病は、薬で直接直している訳じゃない。病を起こしている原因は、色々な種類がある。例えば悪い虫。悪いカビ。悪い心根など色々だ。そして、こいつらが、血を汚したり、身を裂いたり、腐らせたりする。それらを、十把一絡げで悪い気と呼ぼう。この悪い気が人を蝕んでいるのが病気だ。そして、私は、その悪い気を薬で撃退する。それぞれの悪い気の種類に応じてな。だから、色んな薬を作るのさ。薬でどうにもならなきゃ。その悪い気を、針でつっ突き、小刀でぶった切ってやる。それを医術と言う。しかし、ピミファには、悪い気をピミファの持つ気で静める力がある。今回、ピミファがうまくやれなかったのは、その悪い気を、全部焼きつくそうとしたからさ。悪い気を焼きつくすには、大きな力がいる。だから、ピミファの体力が持たなかったのさ。悪い気は、焼き尽くさなくても良いんだよ。悪い気も気の内さ。悪い気は、陽気で静めれば良いのさ。そもそもピミファは、陰陽両方の気に包まれている。だから、死病の悪い気も、ピミファには手が出せない。ピミファのご先祖様達は、陰の気を、戦場(いくさば)に放ち、敵の戦意を挫いた。戦場の巫女には、陰気を、自在に操れる力が有るのさ。その上に、ピミファは陽気も操れる。どうやって、陽気が操れるのかは、私には分からない。ただ陽気は、火と成り、風となってピミファの中に宿る様だ。つまり病んだ人には、ピミファの存在そのものが薬なのさ。ピミファが、どうやってその気を生み出すのか? それもやっぱり私には分からない。もし私に分かれば薬など作りはしないし、人の体を切り刻んだりもしないよ。だって、ピミファのやり方の方が、私の医術よりず~っと人に優しいだろ」と、言ってくれた。そして、私の気鬱が薄れた。加太はやっぱり神医様だ。

私達は、十四日の間、軍船に留まった。だから、村を出て二十二日経っていた。ユリ(儒理)達は、もう伊都国に着き、そこで私達を待っているに違いない。軍船に留まっている間に、私は、コトミ(琴海)さんから色んな話を聞いた。恋の話も楽しかったけど一番興味を引かれたのは、末盧国内乱の話だった。末盧国内乱の話は、すでにスロ(首露)船長から聞いていた。でも戦さの様子は、コトミ(琴海)さん話のを聞いて実感できた。そして私は、スロ(首露)船長の悲しみの秋に触れた気がした。

《 コトミ(琴海)さんが語る『末盧国の内乱』 》

末盧国は、海人集団六党からなり、約七万二千人の民を抱えている国なの。だから、皆が協力すれば、ピミファ姫のイタケル(巨健)伯父さんにだって対抗できる力はあるのよ。あの二万の河童の軍勢にだってね。でも残念だけど、六党は一枚岩じゃないのよ。大巫女様のミルカシヒメ(美留橿媛)が、佐志沫裸党を治めていた時代は、まだまとまっていたけどね。佐志沫裸党は、伊都国の隣にあって、四千余戸、約二万四千人が暮らしているの。他の国は、佐志沫裸党を、末盧国と呼んでいるわ。だから、ミルカシヒメ(美留橿媛)様は、伊都国王を差し置いてでも、倭国統一同盟の女王になれたのよ。 ミルカシヒメ(美留橿媛)の跡を継いだヒラフ(比羅夫)大統領も、偉大な人だったのよ。そして、ヒラフ(比羅夫)大統領の後は、カガミ(香我美)が大統領になり、ミソノ(美曽野)が、大巫女様として、倭国統一同盟の女王になる。と、皆は思っていたのよ。カガミ(香我美)と、ミソノ(美曽野)は、嫉妬したくなる位に、仲が良かったからね。私が、カガミ(香我美)に会ったのは、十三歳の時だった。ちょうど、今のピミファ姫の年頃さ。二十六歳にもなって、まだ嫁を取ろうとしないカガミ(香我美)に、族長達は、本当に不安になっていたんだね。そこで、族長会議で否応無しに、私と、カガミ(香我美)の婚礼を決めたのさ。ミソノ(美曽野)は、八歳年上の優しいお姉さんだった。カガミ(香我美)の弟の熊丸は、私の兄貴ソトミ(外海)より一つ年上だった。熊丸は、私らの隣を縄張りにする佐瀬布(サセブ)沫裸党に婿入りしていた。だから、熊丸とソトミ(外海)兄貴は、義兄弟になってからは、本当に仲良しで、良く二人で山遊びをしていたわ。熊丸は、山間で育ったらしく、獣を狩るのが本当に上手だった。私は、兄貴と熊丸が山遊びに出かけると聞くと、猪の肉をねだったものよ。カガミ(香我美)達のお母さんは、志々伎沫裸党の族長の娘で、オホミ(於保美)と言った。とてもきれいな人で、優しくて優雅な人だったわ。そして、ミソノ(美曽野)は、母親に似ているわね。志々伎沫裸党は、平戸の瀬戸周辺と、志々伎島南端の宮之浦あたりまでを、縄張りにしていた。民の数では、佐志沫裸党が一番だけど、豊かな魚場に恵まれた志々伎沫裸党は、国力では佐志沫裸党より上だった。それに、戦さになれば最強の水軍を持っていたからね。ところが、その志々伎沫裸党の族長には、娘ばかりしかいなかった。それに、オホミ(於保美)伯母さんを始め、姉妹は心優しい人達だったから、とても、荒くれ男供の親分なんかになれる人達じゃなかったわ。だから、族長の孫であるカガミ(香我美)が、幼くして志々伎沫裸党の跡取りになったのよ。実は、私の母さんは、その姉妹の末娘だったの。だから、私達兄妹とカガミ(香我美)達兄妹とは、従兄妹なの。私は、彼杵沫裸党の本拠地で、十三歳まで過ごしていた。私達の町は、琴之浦って呼ばれている。そして、この波静かな地中海は、琴之海とも呼ばれているんだ。琴之浦はね、その琴之海の南のどん詰まりにあるのよ。なだらかな丘陵地が広がる良い所だよ。山を越えれば、シマ(斯馬)国も遠くないよ。スロ(首露)船長の縁で、夏希さんに会いに行く事もあったんだよ。夏希さんは、母さんみたいに優しかったなぁ。六歳年下のナツハ(夏羽)が良くなついてくれてねぇ。ナツハ(夏羽)も小さい時は、可愛いかったんだよ。あの頃は、あんな助べえになるとは思いもしなかったよ。夏希さんの血だとは思えないから父親似かしらねぇ。

私の父さんは、ウツヒオマロ(鬱比表麻呂)と言って、ミルカシヒメ(美留橿媛)の甥だったの。だから、彼杵沫裸党を継ぎ、族長に成ると、沫裸党の族長会議から押されてカガミ(香我美)の後見人に立ったわ。それに、私達の母さんは姉妹だしね。そんな縁も有って、族長会議で私の名が挙がったのよ。私を溺愛していた父さんは、渋々同意したらしいわ。いつまでも、私を嫁に出す気は無かったみたいよ。そんな様子だから私は、あまり、琴之浦の館から出してもらえなかったのよ。悪い虫が付いたらいけないって、父さんが心配してね。母さんの実家である、志々伎島にさえ行った事はなかったわ。だから、カガミ(香我美)に会ったのも、婚礼の日が初めてだった。でも、私はすっかりカガミ(香我美)にひと目惚れよ。父さんは、苦虫つぶした顔していたけどね。でも、その父さんが、内乱の前々年に亡くなったの。父さんが生きていたら、内乱なんかには成らなかった筈よ。父さんは、ヒラフ(比羅夫)大統領の懐刀だと言われ、沫裸党で最強の戦士でもあったのよ。誰も父さんに、刃を向けられる者はいなかった。でも、父さんと、ヒラフ(比羅夫)大統領が亡くなった後は、それだけの力がある長老がいなくなった。だから、倭国統一同盟と、倭国自由連合のそれぞれから、策士が動いたのよ。倭国統一同盟は、ミソノ(美曽野)を、ミルカシヒメ(美留橿媛)として崇め女王とした。そして、倭国自由連合を牽制したのよ。さらに倭国統一同盟は、熊丸を、末盧国の大統領にしようと企てたの。これには、志々伎沫裸党が激高したわ。そして、倭国自由連合の策士は、彼杵沫裸党を丸めこみ、カガミ(香我美)派を結成したのよ。それから、ミソノ(美曽野)派と、カガミ(香我美)派に分かれて、私等は戦さを始めた。あんなに仲が良かったソトミ(外海)兄貴と、熊丸も、互いの軍舟をぶつけて斬り遭ったのよ。そして、ソトミ(外海)兄貴の剣が熊丸の首を舟板の上に落とした。ソトミ(外海)兄貴は、熊丸の骸を木綿(ゆう)で幾重にも包み水葬したわ。そして、首は琴之浦に持ち帰り首塚を作ったの。それから毎日の様にソトミ(外海)兄貴は、夜が明けると首塚に向かって手を合わせている。

チュヨン(鄭朱燕)姉さんに会ったのも、私達の婚礼の日だったわ。チュヨン(鄭朱燕)姉さんは、私より三つ年上だった。だから、熊丸とチュヨン(鄭朱燕)姉さんは、同じ歳だった。ミソノ(美曽野)は、お姉さん過ぎて近寄りがたい所があったけど、歳が近いチュヨン(鄭朱燕)姉さんとは、すっかり打ち解けた。以前ピミファ姫が教えてくれたヒムカ(日向)さんと、ピミファ姫の様にね。すぐに本当の姉妹以上に仲良くなったのよ。スロ(首露)船長にあったのは、その後の事よ。チュヨン(鄭朱燕)姉さんも、まだ十六歳だったからね。チュヨン(鄭朱燕)姉さんは、同じ歳で従兄弟の熊丸が好きだったみたいよ。熊丸は、カガミ(香我美)と違ってがっしりとした大男だった。ナツハ(夏羽)を、もう少し太らせた感じね。だからヒグマと、体当たりしても勝てそうだったわ。その割に顔は、精悍なカガミ(香我美)と違って人懐こい丸顔に、まんまる目玉。だから、笑うととても可愛いかったわ。

私達の婚礼の後で、チュヨン(鄭朱燕)姉さんは、人生で最悪の不幸に見舞われた。女たらしのスロ(首露)船長の毒牙にかかったのよ。いくら、しっかり者とは言え、チュヨン(鄭朱燕)姉さんは、まだ十六歳の小娘だったからねぇ。鯨海で、一番の女たらしで有名なスロ(首露)船長の手練手管には、いちころだったのさ。それから、チュヨン(鄭朱燕)姉さんには、娘が生まれて、私と、カガミ(香我美)も幸せな時を過ごしていた。内乱が始まるまではね。振りかえると束の間の幸せだった気がするよ。

戦さは、当初から、カガミ(香我美)の水軍が優勢だったわ。日頃から、カガミ(香我美)が鍛え上げた志々伎沫裸党の水軍は、六党の中でも群を抜いて強かったからねぇ。更に頼みの猛者熊丸が、ソトミ(外海)兄貴に倒されると、ミソノ(美曽野)派は、一気に窮地に立たされたのよ。そこで、チュヨン(鄭朱燕)姉さんは、仲の良かった従姉妹のミソノ(美曽野)を支援する為に、東海を渡り駆けつけて来た。そして、ふたりの仲裁に入るつもりだった様ね。ミソノ(美曽野)派は、熊丸との戦いで、私達彼杵沫裸党が、深く傷付いた事を知っていた。なにしろ、ソトミ(外海)兄貴の落ち込み様は大きかったからねぇ。まるで生ける死屍の様だった。誰とも口を利かない日が数日続き、私達でさえ、もうソトミ(外海)兄貴は、戦場(いくさば)には立てないと思ったよ。そして、ソトミ(外海)兄貴の部隊だけでなく、彼杵沫裸党の全てに陰鬱な時が流れた。もちろんその様子は、ミソノ(美曽野)にも伝わっていた筈さ。だから、私達が立て直しを図る前に、起死回生の戦さを企てたのさ。そして、ミソノ(美曽野)の夫であるタリミミ(多理耳)が率いる志賀沫裸党と、ミソノ(美曽野)の水軍が、南北から一気に平戸の瀬戸に攻め入ったのよ。初戦の勝ち戦さで気が緩んでいた志々伎沫裸党は、不意を喰らって応戦するのに手間取ったみたいね。その上に、いくら勝手知ったる平戸の瀬戸でも、ミソノ(美曽野)水軍と、タリミミ(多理耳)の志賀沫裸党の両方から攻め込まれては、多勢に無勢で、湾内に逃げ込み抗戦するしかなくなった。そこへ、私達が駆け付け奇襲を駆けたのよ。ミソノ(美曽野)派には、私達が、こんなに早く駆けつけるとは誤算だったに違いないわ。ソトミ(外海)兄貴は、カガミ(香我美)の窮地を知って、我に返ったのよ。それに、私達は、おりからの強風にも助けられたのよ。波は高まったけど、船足も早まったわ。ソトミ(外海)兄貴は、志々伎島南端の宮之浦から西を回り込み、ミソノ(美曽野)水軍の後に着いた。私は、真っ直ぐ北上し、タリミミ(多理耳)の志賀沫裸党に挑みかかったわ。そして、後ろから、私達彼杵沫裸党の奇襲を受けたミソノ(美曽野)派の形勢は、一気に不利になった。私は、タリミミ(多理耳)の大将舟を見つけると、横っ腹に激しく軍舟の舳先をブチ込ませた。追い風に乗った私の軍舟は、タリミミ(多理耳)の大将舟を大きく傾かせたわ。そして、驚いて、よろけているタリミミ(多理耳)に飛びかかり、その首をかき切った。私が、血にまみれたタリミミ(多理耳)の首を高々とかざすと、志賀沫裸党の軍舟はすべて降伏したわ。タリミミ(多理耳)は、父さんと、とても仲が良かったの。小さい時には、良くその膝に抱かれて遊んだものよ。私は、タリミミ(多理耳)の長い髭をひっぱって遊ぶのが大好きだった。その髭面の首を、高々と掲げて私は涙が止まらなかったわ。

タリミミ(多理耳)を打たれたミソノ(美曽野)派には、もう戦意は残っていなかった。でも、ソトミ(外海)兄貴に退路を断たれていたから、死に支度を始めたわ。首を取られたくない男衆は、海に飛びこんだ。そして、大瀬戸の渦に飲み込まれて行ったわ。強風で波も高まっていたから、助かる者はいなかった。やがて、カガミ(香我美)と、ソトミ(外海)兄貴の軍舟は、ミソノ(美曽野)の大将舟を挟み込んだ。その時突然、チュヨン(鄭朱燕)姉さんの大型軍船が、ソトミ(外海)兄貴と、ミソノ(美曽野)の大将舟の間に割り込んできたの。でも、カガミ(香我美)は、すでにミソノ(美曽野)の大将舟に乗り移っていた。だから、チュヨン(鄭朱燕)姉さんも、大将舟に飛び降りて、カガミ(香我美)と、ミソノ(美曽野)の間に割って入ったの。カガミ(香我美)は「止めろ!!チュヨン(鄭朱燕)、お前には関係のない争いだ」と、言ってチュヨン(鄭朱燕)姉さんを下がらせようとしたわ。でもチュヨン(鄭朱燕)姉さんは「カガミ(香我美)兄さんこそ、ミソノ(美曽野)姉さんを手にかけるのは止めて!!」と、引き下がらなかった。「じゃまだ。どけ!!」と、カガミ(香我美)がチュヨン(鄭朱燕)姉さんをどかそうとした時、ド~ンと、大きな波が舟底を突き上げたの。体制を崩したチュヨン(鄭朱燕)姉さんは、カガミ(香我美)に抱きつくかの様に倒れかかり、剣先をまともに胸で受けてしまった。「アッ!!」と、悲鳴に似た声を上げたのは、カガミ(香我美)の方だったわ。そこへ、間髪いれず返しの波が襲いかかり、チュヨン(鄭朱燕)の姉さんの傷ついた体は、波間に飲み込まれたの。驚いたカガミ(香我美)は、誤って手に掛けたチュヨン(鄭朱燕)姉さんの身を救い出そうと、すかさず荒波の海中に飛び込んだわ。でもふたり供そのまま帰って来なかった。

戦さは、それで終わったわ。誰が勝ったのか、何の得があったのか、虚しさだけが残る戦さだった。そして、ミソノ(美曽野)は、静かに軍舟を引いた。私達も無用な戦いを続ける気はもう無くしていた。ミソノ(美曽野)は、兄弟と、夫を亡くした。私は、恋しい夫とチュヨン(鄭朱燕)姉さんを亡くした。ソトミ(外海)兄貴は、自らの手で親友を葬った。他国からは、ミソノ(美曽野)が内乱を治めたと評価された。でもミソノ(美曽野)が無くしたものも大きい。それから今まで、直接的な武力衝突は起きていない。でも互いに血で血を流し合ったカガミ(香我美)派と、ミソノ(美曽野)派のわだかまりは、簡単には修復できないわ。以上が、情けない私らの内乱の結末さ。本当に人間って馬鹿な生き物だね。それからおまけの話をすると、チュヨン(鄭朱燕)姉さんの悲報を聞いて駆け付けたスロ(首露)船長から「チュヨン(鄭朱燕)の形見だ。大事に使ってくれ。」って言われてこの船をもらったのよ。と、コトミ(琴海)さんは話を締めくくった。

~ 琴之海の漂流者 ~

十四日の間、死病は息を吹き返す気配を見せなかった。どうやら私達の役目は終わった様だ。ところが、十五日目に、琴之浦の館でお礼の会席を開きたいと、ソトミ(外海)族長から申し入れがあった。だから、軍船は琴之浦に向けて航行中である。伊都国が遠くなるというのに、病人食ばかり食べていたアチャ爺と、加太は、喜んでその話を受けてしまった。今ふたりは、船縁で「酒が飲める。酒が飲めるぞぉ。今夜は浴びる程酒が飲めるぞ」と、陽気な鼻歌を歌っている。琴之浦の湊は、彼杵沫裸党の軍舟であふれていた。そして、ソトミ(外海)族長の館は、大勢の人で溢れていた。館から溢れ出した人々は、それぞれに板台を持ち出し、その列は、湊の端まで続いていた。既に、数百人の人が集まっている様だ。私達が岸に降り立つと、人々は、一斉に歓喜の声を上げ、そして、次々に、私達に花を投げてよこした。色とりどりの花で埋め尽くされた道を歩いて、ソトミ(外海)族長の館に入ると、二十数名の各村の村長達が、深々と私達に頭を下げた。そして、ソトミ(外海)族長が「さぁ、ワシラ(私達)の海に日巫女様が降臨され、死病を退治してくださった。これを祝わずにおれるものか。皆の衆、生きているうちに日巫女様を拝んでおけ。死んでしまった同胞よ。黄泉の扉を開けて日巫女様を拝んでおけ。まだ産まれぬ赤子供よ。母のお腹の皮を通して日巫女様を拝んでおけ。今宵は、日巫女様降臨の祭りじゃ。さぁ皆の衆、無礼講の夜祭を始めようぞぉ」と、高らかに宣言した。人々はウオォ~と、雄叫びをあげ大宴会が始まった。「舟魂様の神輿を担ぎだせ」と、一人の村長が叫んだ。すると別の村長が「山神様の神輿も担ぎだせ」と、叫んだ。それから「田の神さぁの神輿も担ぎだせ」と、言う声も聞こえた。「風読神社の神輿も担ぎだせ」「旗姫神社の神輿も担ぎだせ」と、次から次へと街に神輿が繰り出し、琴之浦の町は祭りの炎に燃えた。私は、館の高座にちょこんと座らされ、次から次へと参拝する人に、笑みを投げ返し続けた。嗚呼、お腹がすいた。と、思いながら加太とアチャ爺を見ると、もう酔っ払って踊りだしている。すると、コトミ(琴海)さんが、私の目の前に、簾(すだれ)を降ろしてくれた。「はいはい皆の衆、日巫女様のお食事だ。拝むのは構わないけど、ちょいと簾(すだれ)を降ろさせてもらうよ」と、言いながら御膳を運んで来てくれた。御膳には、海の幸と山の幸が沢山盛られていた。「さぁ、ピミファ姫。たくさん食べて」と、言ってコトミ(琴海)さんは、綺麗な塗箸を手渡してくれた。その塗箸には、キラキラと光る貝が埋め込まれていた。これはきっと、鮑の貝の内側を薄く剥いで作ったのだろう。そう思いながら見とれていると。「それもチュヨン(鄭朱燕)姉さんの形見さ。綺麗だろう」と言った。そして「その箸を、スロ(首露)船長が見たら泣くよ」と付け加えた。何故?と思っていたら「チュヨン(鄭朱燕)姉さんは、痩せの大食いでねぇ。それでスロ(首露)船長が、特別に作らせた塗箸なんだよ。この前、軍船の船楼で偶然見つけたのさ。隠し扉の中に、大切に仕舞われていたのさ。だから、スロ(首露)船長もきっと知らないよ」と、説明してくれた。「これは、日巫女様に奉納するから、今度スロ(首露)船長に会った時に見せたら良いよ。きっとスロ(首露)船長の軍船いっぱいのお宝と交換してくれ。とでも言いだすよ」と、いたずらっぽく笑った。「さぁピミファ姫。チュヨン(鄭朱燕)姉さんみたいに、沢山食べて」と、コトミ(琴海)さんが催促した。アマ族の国では、人々が箸を使って食べる習慣はない。揺れる船の上で、箸を使って食べ物を掴むのはとても難しい。だから、どこの国の海の民も箸を使っては食べない。私達が、食べ物を箸で掴むのは、神様に食事を捧げる時だけだ。神様の食べ物を、人が直接つかむと穢れてしまう。だから、神様の食べ物に、直接触る事は許されない。でもシャー(中華)の人達は、食事をする時には箸を使って食べる。だから、女海賊のチュヨン(鄭朱燕)さんも箸を使っていたのだろう。箸を使って食べたら少しだけ神様に近づけるのだろうか???・・ そんな事を考えながら、私は、お腹いっぱい食べ終ると、高座の上で眠りについた。素敵な塗箸のおかげで、外の喧騒も子守歌代わりになったのだ。その後、コトミ(琴海)さんが、そっと薄絹の衣を掛けてくれていた。

 次の日、いよいよ伊都国に向けて出港しようとしていたら、一人の村長が息を切らせながら駆けてきた。そして「お待ちください。ゼィゼィゼィ。日巫女様、ゼィゼィゼィ。伊都国に行かれる前に、ゼィゼィゼィ。一日だけ、ゼィゼィゼィ。我が村にお立ち寄りください。ゼィゼィゼィ」と言う。聞けば、死病人の内で、私が治した七人のうち三人が村長の村人だったらしい。その上に、三人の中の一人は、村長の孫だった様だ。村人達は、どうしても私にお礼がしたいと、小さな子供達までもが、海の幸、山の幸を集めてくれていると言う。私は、少しでも早く、伊都国に着きたかったが、ゼィゼィゼィと、息切らしてまで頼まれては、無碍に断りきれず、立ち寄る事にした。それに、村は琴乃海の中ほどにあるらしいから、遠回りにもならないと思ったのだ。その村は、思っていたより大きく、アクネ(英袮)の湊ほどの賑わいがあった。村長の家もアクネ(英袮)の漁労長の屋敷位あり、大勢の村人が集まっていた。もちろん、私が治した三人の顔も有った。そして、加太の薬で治った二人もいた。この五人は、十四日もの間、軍船の中で寝起きを供にした仲間なのだ。だから、たった数日前に別れたばかりだというのに、妙に懐かしさを覚える顔ぶれだった。中でも村長の孫は、すっかり私に懐いてまとわり付いてきた。この男の子は、頭の中にまで悪い虫が入り込み、今にも息が途絶えそうだった。でも今ではすっかり元気だ。私達の到着を待っていたかの様に、宴会は始まった。どうやら今夜は、ここに泊まる事になりそうだ。そう思いながら加太とアチャ爺を見ると、すでに酔っ払って踊りだす構えを見せている。

琴乃海に着いて十九日目の朝、私は、二日酔いの加太と、アチャ爺をたたき起し、出発の準備をさせていた。軍船は、いつでも出航出来る様に、オマロ(表麻呂)が準備を終わらせていた。だから、出航を遅らせているのは、加太とアチャ爺である。やっと加太とアチャ爺を軍船に積み込んで、昼前には出航した。湊では、皆が別れを惜しんで手を振ってくれた。さぁこれで思い返す事なく、ユリ(儒理)達が待つ伊都国に向かう事が出来る。船足も順調に進み、私は安堵し始めていた。ところが、軍船が琴乃海の中程まで進んだ頃、対岸から早舟が漕ぎ寄せてきた。漕ぎ寄せてきたのは、対岸の村長だった。そして村長は「お待ちください。日巫女様、伊都国に行かれる前に、我が村にもお立ち寄りください」と言う。聞けばこの村にも、死病人の内で私が治した七人のうち二人がいるらしい。それに、加太の薬で治った病人が三人いるそうだ。そういう訳で立ち寄らない訳にはいかなくなった。やはり、海の幸、山の幸が沢山集められ、今宵も、加太と、アチャ爺は、踊り明かした。二十日目の昼には、また対岸の村長に捕まった。その村には私が治した七人のうち一人がいて、加太の薬で治った病人が四人いるそうだ。その晩も、加太と、アチャ爺は、酔って踊り明かした。二十一日目の朝には、再び対岸の別の村長に捕まった。その村にも私が治した七人のうち一人がいて、加太の薬で治った病人が五人いるそうだ。私が治した七人は、これで全部そろったので、これが最後かと思い、その村にも立ち寄った。もちろん、この村でも、加太と、アチャ爺は、踊り明かした。そう言う様子なので、私達の軍船は、琴乃海を右に左にと、ジグザグに航行している。だから、ちっとも先に進めていない。オマロ(表麻呂)は、言われるがままに飄々と軍船を動かしている。どうやら、若いオマロ(表麻呂)が、この軍船の航海長の様だ。船長のコトミ(琴海)さんが乗っていなくても、軍船は何の問題もなく航海を続けている。二十二日目には、ようやく琴乃海の外に出るかと思っていたら、また別の村長がやってきた。その村には、加太の薬で治った病人が五人も待ちかねているらしい。私達は、村を出てから、もう二十八日も旅を続けている。旅に馴れた加太と、アチャ爺は、一向に疲れた様子も無く平気そうだが、私は、だんだん旅疲れが出てきた。あと二日が限界だ。二日の内には、伊都国に着いて、心の旅荷をほどかないと倒れそうだ。だから、村長に丁寧に断ったのだが、村長は涙を浮かべながら懇願するのだ。さらに私が断ろうとすると「それならいっそ私を殺してください。とても生きて村には帰れない」と、まで言い出した。とうとう私は断りきれずに、今夜も、加太と、アチャ爺の踊りを見るはめになった。そして、次の日も、次の日も、代わる代わるに村長達がやって来た。そうやって、私達の軍船は、琴之浦の館を出てから、琴乃海を十二日間漂った。そして、とうとう十三日目には、琴之浦の館に戻ってきてしまった。コトミ(琴海)さんに、その様子を報告すると、コトミ(琴海)さんは、思い当たる節がある様で「あは~ん。ソトミ(外海)兄貴の悪知恵だね。どうやら、ソトミ(外海)兄貴は、日巫女様を独り占めしたいらしい」と言い出した。「そうか、ピミファがいれば、ミルカシヒメ(美留橿媛)の、ミソノ(美曽野)がいなくても構わないということか」と、加太が言い出した。「だからソトミ(外海)兄貴は、宮之浦に行ったんだ。そして今頃、志々伎沫裸党の組頭達と、末盧国からの独立を話し合っているのかも知れない」と、コトミ(琴海)さんが、意外な話をし始めた。「こりゃぁ困った事になったのう。ワシ等は、琴乃海に閉じ込められてしまったのう」と、アチャ爺が言った。「しかし、ソトミ(外海)族長が留守の今なら、丘陵を越えて、シマァ(斯馬)国の夏希さんに、助けを求める事は出来そうだぞ」と、加太が言った。「いやいや、それじゃコトミ(琴海)さんがワシ等を逃がした様で気まずい事になろう」と、アチャ爺がコトミ(琴海)さんの立場を気遣った。「私は構わないよ。どうせ、我まま娘の妹の事だと、ソトミ(外海)兄貴は、渋々ゆるしてくれるさ」と、コトミ(琴海)さんは言ってくれた。でも私は「やっぱりそれは出来ないわ。それにシマァ(斯海)国と、戦争にでもなれば、夏希さんにも迷惑がかかる」と、言ってコトミ(琴海)さんの好意を断った。すると「戦さになっても、ナツハ(夏羽)は、ピミファ姫を守るよ。だって、可愛い妹を守らない兄貴はいないからねぇ」と、コトミ(琴海)さんが言った。私は一瞬我が耳を疑った。助べえナツハ(夏羽)が、私のお兄さん???・・ どういう事???・・

アチャ爺が「ワシが良い策を思いついた。コトミ(琴海)さんや、誰ぞ彼杵沫裸党には、顔を知られてない男を、一人探してはくれんかね。そして、その男は千歳川から来た。と、言う事にしてくれ。それから、それから・・・」と、アチャ爺と、加太とコトミ(琴海)さんは、何やら作戦会議を始めていた。が、私の耳には聞こえなかった。私の耳の中には「助べえナツハ(夏羽)は私のお兄さん」と、言う信じがたい言葉が、大岩の様に居座っていた。作戦会議が、ひとしきり終わると、コトミ(琴海)さんが「どうしたの?」と、声をかけてきた。私は、呪文のようにぶつぶつと「助べえナツハ(夏羽)がお兄さん。助べえナツハ(夏羽)が私のお兄さん」と、唱えていた。「あらぁ~ピミファ姫は、知らなかったの?夏希さんは、教えてくれなかったの?」と、コトミ(琴海)さんが聞いてきた。「えっ!!と言う事は、夏希さんは、父様のお嫁さんだったの???・・ 」と、私は素っ頓狂な叫び声を上げた。そう言われれば、話の辻褄が合ってきた。夏希さんは、ユリ(儒理)に父様の面影を見ていたんだ。ナツハ(夏羽)に、私に手をだしたら犬畜生だ。と、きつく言ったのも合点が出来る。

 その日の夕方、千歳川から来たと言う男が、慌てた様子で琴之浦の館を訪ねてきた。そして、ひときわ大きな声でコトミ(琴海)さんに「アチャと呼ばれているご老人はこちらにおられませんかぁ~」と、尋ねている。「その人なら日巫女様と一緒にここにいるよ~」とコトミ(琴海)さんが、大きな声で答えると「嗚呼!それはなおさら良かった。まさに天の助け。お頭の日ごろの行いが良かったのが幸いした。これでお頭の命も助かる事間違いない。さぁアチャ様と日巫女様をお連れ申さねば・・・いざ、いざいざいざ・・・」と、大声に加えて大仰な身振りで、玄関先を騒がせている。ずいぶん芝居がかっているので、見物人まで遠巻きにその様子を見ている。「ちょいとお兄さん。そう一方的にしゃべられたら何の話か要領を得ないよ。もう少しゆっくりと、順序立てて話してくれないかい」と、コトミ(琴海)さんが言った。「あぁ~これは失礼しました。何しろ一大事なもので、ゴホゴホゴホ・・・」と、男が咳き込んだ。「誰か、白湯を持ってきておくれ」と、コトミ(琴海)さんが奥に声をかけた。すると、若い娘が直ぐに出てきて、男に白湯を差し出した。「いやいや、ご迷惑をおかけします。何しろ、あの丘を、駆けどおしに駆けて来たもので、グビグビ、グビグビグビ・・・あぁもう一杯」と、男はお代わりの杯を上げた。娘は、急いで奥から白湯を持って来た。「どうも、どうも、娘さんやありがとう。何しろ火急の言伝なもので、アヒ、アヒ、アヒアヒアヒ・・・」と、意味不明な事を云いながら、男はお腹を押さえてかがみこんでしまった。「今度はどうしたの?お兄さん大丈夫かい?」と、必要以上に大きな声で、コトミ(琴海)さんが男に訪ねた。「アヒアヒアヒ、あぁ~ひもじぃ。ヘナヘナヘナ」と、腹を空かせた男は、尻もちをついた。その男の間抜けた様子に、見物人達はドッと笑った。そして、いつの間にか、見物人がずいぶん増えている。「誰か、お握りをあるだけ持って来ておくれ」と、再びコトミ(琴海)さんが、奥に声をかけた。ほどなく先ほどの娘が、キビのお握りを三個運んで来て、男の前に差し出した。男は、ひとつを口に放り込むと、もう二つを、両の手で掴み、貪る様に食べだした。ムシャムシャと、おにぎりを食べながら、目玉をグルグルと回し、時より消化を促しているのか、妙な腰の振り方をしている。その食いっぷりの妙技に、見物人の間からは、苦笑がもれている。その苦笑に誘われる様に、見物人は、ますます増えてきた。気がつくと、琴之浦の館は、即席の芝居小屋の様相を帯び始めた。「さぁ~て、腹もいっぱいになったぞ。では、早速、火急の言伝を、述べさせていただきまぁ~す」と、男は何故かコトミ(琴海)さんに背を向けると、見物人に向かって素っ頓狂な声を張り上げ、口上を述べ始めた。

「拙者、親方と申すは、 御立合いのうちに、御存知のお方もござりましょうが、ツクシノウミ(筑紫海)を渡る事二十と二里。千歳川を、お登りお出いでなさるれば、河童衆の元締めにて、倭国一の大商い者。亀屋藤右衛門、 只今は剃髪いたして、河童のカメ(亀)爺と名のりまする~ぅ」と、男が大声を上げると、見物人も、何が始まるのかと、興味津々に聞き入っている。「さて、この世に病多かれど、この度、御立合いの皆々様も、ご存じの如し大偉業。死病を治めたる、天下の大巫女様の中の大巫女様、日巫女様。日巫女様にゃ、治せぬ病は無きものと、倭国中に広まったり~ぃ。そりゃそりゃそらそりゃ、さすれば、千歳川の大奇病。命留めたる者は未だ無し~ぃ。嗚呼!怖ろしや怖ろしや。三千世界を駆け巡れども、この大奇病をば治せる医者も無し~ぃ。あぁ~それなのにそれなのに、拙者、親方亀屋藤右衛門までもがぁ~っ。病に倒れたり~ぃ」と、ここで男はおいおいと泣き崩れた。しかし、ひとしきり泣きの演技が終わると、すっくりと立ち上がり再び口上を述べ始めた。「されど、河童のカメ(亀)爺は果報者~。なんと目出度しこの国に~ぃ。日巫女様が降臨なされたと聞こえたり~ぃ。そこで早速奴がれがぁ~っ。駆けに駆けたり三日と三晩。食うも食わずに寝もせずに~ぃ。ひょっと足が駆け出だすと、 矢も楯もたまらぬじゃ。そりゃそりゃそらそりゃ、駆けてきたは、駆け廻まわってくるは、盆まめ、盆米、盆ごぼう、摘蓼、つみ豆、つみ山椒、粉米のなまがみ、こん粉米のこなまがみ、儒子、緋儒子、儒子、儒珍、親も嘉兵衛、子こも嘉兵衛、親かへい子かへい、子かへい親かへい、雨がっぱか、番がっぱか、貴様のきゃはんも皮脚絆、我等がきゃはんも皮脚絆、狸百匹、箸百ぜん、天目百ぱい、 棒八百本、武具、馬具、武具、馬具、三ぶぐばぐ、合あわせて武具馬具六む武具馬具・・・」と、男は口から泡を吹きながら意味不明の事を言い出した。「ちょっと、ちょっと、お兄さん、何訳のわからない事、言い出しているのよ」と、コトミ(琴海)さんが声をかけたが男は「ブグバグブグバグ・・・」と目玉を回しながら泡を吹いている。「要は、千歳川にいるカメ(亀)爺が、奇病にかかり危篤になっている。だから、一刻も早くアチャ様と、日巫女様に来て欲しい。と、言うことだね」と、コトミ(琴海)さんが話を要約してまとめた。すると男は「そういう事でブグバグブグバグ。グウグウグウ・・」と、鼾をかいてその場に寝てしまった。そして、その様子を見ていた見物人も、呆れて早々に解散し始めた。しかし、アチャ爺の作戦はうまく滑り出した様だ。コトミ(琴海)さんは「誰か足の速い奴を呼んでくれ」と大声で奥を呼んだ。すると「へ~い。どこまで駆けたら良いんでしょう」と、筋肉質の若者が奥から出てきた。「シマァ(斯海)国の、夏希さんの所まで夜駆けしてくれ。そして、今聞いた話を伝えて、早舟を仕立てるように頼んでくれ。私が、日巫女様達を、船越村まで送るから、そこに、舟を持って来るよう頼んでくれ。私の軍船で、外洋をぐるりと回るより、その方が格段に早いからね。解ったかい」と、コトミ(琴海)さんが言い終るや否や、筋肉質の若者は駆け出して行った。東の丘陵を抜けた先に、船越という漁村があるそうだ。船越村に面した海は、泉水湾と言うらしい。それは、夏希さんの案内で登った高来之峰の北の海だそうだ。だから、その先にツクシノウミ(筑紫海)があり、北に登って行けば千歳川に着けると言う事である。明日、夜が明けたら、私達は、東の丘陵を目指して、出発する事になった。その夜は、この噂を聞きつけた村長達が、代わる代わるに別れの挨拶に訪れて来た。

 村を出てから、三十九日目の朝が明けた。夏の暑さも今が盛りだ。しかし、今日は、雲も流れ、風も吹いている。それに、高来之峰に登った事を考えたら、あの丘陵を越える事位、へっちゃらである。朝餉を終えると、私と、加太と、アチャ爺は、琴之浦の館と、琴乃海に別れを告げた。朝早いというのに、館の前には、大勢の村人が、別れを惜しんで集まってくれた。私は、小さく手を振りながら、村人に別れの挨拶をした。道案内には、コトミ(琴海)さんだけではなく、オマロ(表麻呂)も付いてきた。コトミ(琴海)さんが先頭を歩き、オマロ(表麻呂)が私達の一番後ろを歩いた。これなら道に迷うことなんかあり得ないだろう。歩き始めてしばらくしたら、琴之浦の北の小山に向かって、コトミ(琴海)さんが手を合わせて拝んでいた。「あの山の頂上からは、琴之海が良く見えてね。そこに、カガミ(香我美)の形見を埋めたんだよ」と、コトミ(琴海)さんは、明るい声で教えてくれた。私達は、ソトミ(外海)族長の策に翻弄され、嵐の様な十数日を過ごしたが、琴之海は穏やかに私達を包んでくれていた。本当に素敵な海だったなぁと、もう一度、夏空の青さを映し出した琴之海を振り返った。加太とアチャ爺も、やっぱり感慨深そうに琴之海を振り返っている。

 丘陵地帯を越え、小川沿いに海岸に下ると、船越の小さな漁村があった。ちょうど、潮が引き始めており、目の前の海には、どんどん干潟が広がっていた。早舟には、ナツハ(夏羽)が乗っていた。八丁の艪を持つ鯨舟である。漕ぎ手も十六人乗っていて交替で漕ぐらしく相当に速そうである。「ツクシノウミ(筑紫海)までは、漕いで行き、ツクシノウミ(筑紫海)に出たら帆を揚げ帆走するばい」とナツハ(夏羽)は得意げに説明した。そして風は、ハエ(南風)だから、今日中に千歳川の河口の湊町に着くそうだ。その河口の湊で一泊潮待ちをして、翌日にカメ(亀)爺の館に着く予定である。早速、私達三人は、舟の中央に乗った。コトミ(琴海)さんと、オマロ(表麻呂)が手を振って見送ってくれた。その姿を見ていたら、何故だか私は、涙がどんどん出て来て止まらなくなった。これから先、いつ二人に会えるのだろうか。私は、コトミ(琴海)さんに貰った塗箸を、しっかり握りしめた。干潟の海岸からは、真水の泉が、あちこちで湧いているのが見えた。これが泉水湾とも呼ばれる所以なのだろう。干潟には、たくさんの鳥や、カニ達が戯れていた。時より、泥まみれのハゼが跳ね上がった。ムツゴロウと言うらしい。変な姿形だが、焼いて甘辛く煮つけると結構美味しいらしい。ナツハ(夏羽)は、私の後ろに座っていたが、何となく気まずく振り返る事が出来なかった。ナツハ(夏羽)は、私が妹だという事を、いつ知ったのだろうか。高来之峰に登った時は、まだユリ(儒理)が弟だと知っている素振りは見せなかった。だから、きっと知ったのは、あの後だろう。それとも、まだ知らないのだろうか???・・ 引潮に乗っている事も手伝い、程なく広い海に出た。ツクシノウミ(筑紫海)であろう。ハエ(南風)に帆を孕ませ、舟は無風状態になった。漕ぎ手の息づかいも静かになり、舟上には沈黙が流れた。すると突然、ナツハ(夏羽)が「加太殿と、アチャ爺殿、我ままな妹の面倒をいつも見ていただき誠にありがとうございます」と、言い出した。えっ何を言い出すの!!私は、いきなり、大勢の甥や姪を持つ心の準備なんか出来てないわ。なのに「えぇ~船頭衆の皆さん。今日は、ふつつかな妹の為に、汗を流していただき誠にありがとうございます」と、ナツハ(夏羽)が続けた。「何が我ままでふつつかよ!!とても助平ナツハ(夏羽)に言われる筋合いは無いわ」と、言いだそうとしたら。加太が「いえいえ兄上、ご懸念には及びませんぞ。ピミファ姫は、本当に兄思いの心優しき姫ですからなぁ」と、言い出した。すると、アチャ爺までも「じゃっど、じゃっど(そうだ。そうだ。)姫は、本に兄思いやっでなぁ」と、相槌を入れた。さらに、私の傷付いた乙女心に追い打ちをかける様に、船頭衆までもが「ピミファ姫は兄思い。春の風に似て優しい兄思い。若は幸せ者よ。東海一の色男。ピミファ姫が兄を思えば、若も妹を思う。波も歌うぞ。風も歌う。若とピミファ姫はツクシ(筑紫)一の仲良し兄妹~」と、歌いだした。私が、皆止めて!!と、叫ぼうとすると「いやいや、皆の衆。ありがとう。ありがとう。オイ(俺)も、いきなり可愛い妹と弟が出来て、本当に喜んでいる。この舟が、千歳川の川湊に着いたら、今晩は皆の衆よ。浴びるほど飲んでくれ食べてくれ。全部、オイ(俺)の奢りたい。えっ何?お前、今何ち言ゅうた。美男子には、美男美女の妹と弟が良く似合うてか。そうかい、そうかい、そう言うてくれたんかい。お前にそんな人を見る目があったとは、オイ(俺)は、今日まで気づかんやった。どうか許してくれ。そんならお前!!ちょっとばかり小遣い銭でもやろうか。えっ、今は足りている。そう、じゃ今度やろう」と、ナツハ(夏羽)はすっかり調子に乗っている。舟足は速く、お天気も良いのに、私の気持ちは沈没しそうである。「ところでピミファよ。お前はどこまで話を聞いたんだ。えっ!!詳しい話を知らんのか。良し、そいなら兄(あん)ちゃんが話して聞かせよう」と、勝手にナツハ(夏羽)の呪われた話が始まった。

《 助平ぇナツハ(夏羽)が語る呪われた兄妹の話 》

 オイ(俺)の母ちゃんは、若い頃、チョンヨン(金青龍)伯父貴のピャンハン(弁韓)国で暮らしていた時期がある。ああ見えても、娘の頃は、みぁい(大層)ええらしかった(可愛かった)らしかばい。オイ(俺)の祖母さんは、チョンヨン(金青龍)伯父貴の、嫁にしようかと思っていた時もあるらしか。オイ(俺)の祖母さんは、ミシア(金美詩阿)と言う名で、二代目スロ(首露)の娘やった。だけん、三代目スロ(首露)の妹で、チョンヨン(金青龍)伯父貴は、甥に成るったいね。同じ歳で従兄妹やけん、嫁になってもおかしくは無かもんね。ばってん、お互い本当の兄妹みたいで、夫婦になる気はなかったらしかよ。それでん(それでも)、母ちゃんには、半分ピャンハン(弁韓)人の血が流れとるけん。ピャンハン(弁韓)国の言葉は分かりたかぁと思うて、十六歳の時に、伯父さんの、三代目スロ(首露)の元に行ったとたい。三代目スロ(首露)は、ヒルス(金蛭子)とあだ名され、足を引きずりながら歩く、見た目は、醜い男やったらしか。だけん、小さい時から、母親にも、うとまれて育った様で、偏屈で無口な男やったらしか。でも、オイ(俺)の母ちゃんには優しくて、姪より愛娘という扱いやったらしかばい。だけん、母ちゃんは、我まま娘になったちゃろねぇ。ヒルス(金蛭子)伯父さんは、小さい時に倭国で育ったらしく、倭国の言葉も話せたらしか。だけん(だから)母ちゃんも、ヒルス(金蛭子)伯父さんに、ピャンハン(弁韓)国の言葉ば教えて貰っろうたそうたい。その上、普段はあまり人を入れたがらない鍛冶場にさえ、母ちゃんを招き入れ、鉄の作り方まで教えたらしかばい。だけん、母ちゃんの鉄器の目利きは凄かよ。まがい物やったら一発で叩き潰すもんねぇ。チョンヨン(金青龍)伯父貴は「親父は、俺より、夏希を跡取りにしたかった様だぞ」と、言いよったよ。伯母さんのヘジン(恵珍)は、もの凄い美人だったそうばい。ヒルス(金蛭子)伯父さんと、ヘジン(恵珍)伯母さんが一緒にいる姿は、美女と野獣だったらしか。そして、チョンヨン(金青龍)伯父貴は、母親似らしか。ヒルス(金蛭子)伯父さんは、姿は醜いが、すこぶる頭が良くて、三代目スロ(首露)王の時代に、ピャンハン(弁韓)国は、大層栄え、大勢の他国人も押し寄せたらしかよ。そんな国だから、オイ(俺)達の親父も立ち寄ったのかも知れん。オイ(俺)達の親父の国は、その頃、王位を廻り骨肉の争いが絶えんやったらしか。親父は、それが嫌で、他国を放浪しよったらしかよ。チョンヨン(金青龍)伯父貴より三つ年上で、腕力もあったから、悪童やったチョンヨン(金青龍)伯父貴は、親父にぞっこん惚れこみ、勝手に兄貴分にしてしもうたらしかばい。そげんして(そうして)親父は、ピャンハン(弁韓)国で暮らし始めた。ヒルス(金蛭子)伯父さんも、将来は、ジンハン(辰韓)国の王になるかも知れん親父を、大事に扱ってくれたらしか。そして、母ちゃんが、十九歳になった誕生日の日に、チョンヨン(金青龍)伯父貴が、親父を紹介した。母ちゃんは、一目惚れたいね。ばってん(しかし)、ヒルス(金蛭子)伯父さんは、最初反対したらしか。何しろ親父は、ジンハン(辰韓)国の王になるかも知れんけんね。母ちゃんの身分では、ジンハン(辰韓)国の王妃になれるか分からんけんねぇ。しかし、母ちゃんが粘りに粘って、ヒルス(金蛭子)伯父さんを説得した。ヒルス(金蛭子)伯父さんは、渋々許したが、母ちゃんを養女にするという条件を出した。もし将来、親父が王になり、母ちゃんを嫁がせるとなった時、ピョンハン(弁韓)王ヒルス(金蛭子)の娘なら、ジンハン(辰韓)国でも、無碍には出来ないだろうという配慮だった。それだけ、ヒルス(金蛭子)伯父さんは、母ちゃんの事が可愛かったやろうね。それから二年以上、母ちゃんの幸せな日々が続いた。ばってん、三年目の春に親父への帰国命令が届いた。春先に北方の部族が、ジンハン(辰韓)国に攻めてきたらしか。二十四歳とはいえ、親父は名だたる歴戦の勇士でもあったらしかとよ。だけん、将軍の一人として、北の戦場に行く事になったとたい。母ちゃんには、戦さが終わったら、また、ピャンハン(弁韓)国に帰ってくると、言い残して行ったらしか。そして、戦さは、初戦で敵を撃退したらしか。ばってん、敵は年をまたいで、また襲って来たらしか。そいで、親父の北方での戦さは、四年近くに及んだごたるばい。(四年に及んだ)オイ(俺)は、その間に産まれたとばってん、親父は知らんらしか。なしてかは(何故かは)知らんけど、母ちゃんは、どこかで親父の事を諦めたらしか。二十歳そこそこの女心は、オイ(俺)には分からんが、もう会えん予感がしたっちゃろね。オイを身籠った母ちゃんは、独りシマァ(斯海)国に帰り、オイ(俺)を産んだとよ。ヒルス(金蛭子)伯父さんも、チョンヨン(金青龍)伯父貴も、引き止めたかったらしかばってん、どうにも出来んかったごたるばい。(出来なかったらしい)。一度決心した乙女心は、梃子でも動かせんけんねぇ。それから、親父は何度も死にかけて、数年後にはピミファの国に流れついたとよ。母ちゃんは、親父の動きを全部知っとったごたるばい。(知っていた)。でも、何の連絡もせんかった。親父への愛がさめた訳じゃ無かごたるばってんね、王の嫁になど成る気が無かったちゃろね。親父には、何人も嫁が居るらしいかばい。それに、オイ(俺)達の異母兄妹も、ばさろ(大勢)おるらしか。王様っちゃそげな者らしかばい。ばってん男は、オイ(俺)を入れて三人しかおらんらしか。オイ(俺)は、親父の頭に入っとらんけん。親父の跡取りの筆頭息子は、ユリ(儒理)らしかよ。親父は、ユリ(儒理)を王として教育する為に呼び寄せよるのやろ。オイ(俺)は、親父の頭に入っとらんで助かったばい。王としての勉強なんか、たまったもんじゃ無かけんねぇ。まぁオイ(俺)も、将来はシマァ(斯海)国の族長になるかも知れんばってん。オイ(俺)達の国は、自由な国やけんねぇ。血で血を洗う王位争いなんか無縁ばい。嗚呼、良かった良かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ と、ナツハ(夏羽)の呪われた話はやっと終わった。でも、何故だか私は涙が溢れて止まらなくなっていた。

~ 千歳川をさかのぼって ~

陽が傾き始めた頃、ナツハ(夏羽)の早舟は、千歳川の河口に入った。そして帆を畳むとまた、漕ぎ手が舟を進めた。今夜は、目の前に見えて来た大きな中州の川湊で宿泊するそうだ。泥の干潟に浮かんだ中州には、海を渡る舟と、川を上り下りする川舟とが、同じ位停泊していた。中州の手前に広がる干潟の中には、太い丸太を打ち込んだ柱が先ほどから何本も海中から連なり立っていた。この柱は、澪標(ミオつくし)と言うらしい。ミオ(水尾)は、引き潮が干潟に引く水の道である。だから、遠浅のこの河口でも、澪標を目印に、舟を進めると、浅瀬に乗り上げずに済むそうだ。中州の陸地に近いところでは澪標と、澪標の上に板が渡してあった。簡単な板橋の様だ。それも、潮が満ちてくると、下流の方から川に沈むらしい。だから、潮の高さが丁度良い所で、舟から乗り降りする様である。中州の近くの干潟の上に乗り上げている舟は、満潮の時に着いた舟だろう。私達が着いた時には、半分ほど潮が引き始めていたので、中ほどの澪標に舟を繋いだ。そこから岸までは、コトミ(琴海)さんの軍船を、三艘ほど並べた位の長さがあったので、私は、恐る恐る板橋の上を歩いた。渡り板の幅は、大人の手を広げた位しか無く、その上に、先程まで海に浸かっていたので、ヌルヌルと滑り易いのだ。私は、岩場歩きで慣れているけど、山の民なら、きっと足を滑らせて、ドボンと干潟の中に落ちてしまうかも知れない。干潟では、片方の爪だけが大きいカニが、忙しく爪を振りかざしている。何だか、お出でお出でをしている様で、可愛い仕種だ。引き潮に乗り遅れまいと、小さなハゼも跳び廻っている。そして、岸辺近くは一面緑の草原になっていた。でも、よく見ると、葉の付け根に小さな赤い実が付いている。さらに良く見ると、所々に淡黄白の小さな花も咲いている。そして、淡紅色の葉もまばらにある。「この緑の草は、何度も色を変えるとばい。春には、一面淡紅色になる。そして夏は、緑黄色たい。ばってん、秋に成ると、また真っ赤になる。まるで赤い海の様で、そりゃ見事ばい。今度は、いっしょに秋に来なぁいかんなぁ。楽しみにしちょってくれ」と、ナツハ(夏羽)が教えてくれた。助平ぇで、大酒飲みのナツハ(夏羽)にも、花の美しさは分かるらしい。何だかナツハ(夏羽)らしくないけどちょっぴり感心した。

その夜の宴会は最悪だった。いつもの、加太と、アチャ爺の酔っ払い踊りに、ナツハ(夏羽)も加わって、ドンチャン騒ぎである。踊る格好も、ほとんど裸踊りになっていた。私は、早々に、コトミ(琴海)さんが持たせてくれた、真新しい蚊帳を張って寝た。麻糸の香りだけが、今宵の慰めである。そして、加太と、アチャ爺と、ナツハ(夏羽)の下品な戯れ歌も、川風が消してくれた。朝餉を済ませた頃、上流より川舟が三艘漕ぎ寄せてきた。それはカメ(亀)爺が迎えに寄こした河童衆だった。アチャ爺は、偽の使いを立てただけでなく、カメ(亀)爺へ本当の使いも出していた様である。そして、こんな大きな川を溯るのは、河童衆と、その舟でないとうまく遡れないそうだ。だから、私達は、ここで河童衆の川舟に移る事になった。ナツハ(夏羽)とは、ここでお別れである。ナツハ(夏羽)は「我が可愛い妹よ。オイ(俺)は、たまらんごつ別れが辛い。お前も辛いだろうがこれも定めだ。しかしオイ(俺)との縁はどこまでん繋がっとるけん安心して良かばい。もし、お前の身に何かあれば、オイ(俺)は命がけで飛んで来っけん心配すんな。オイオイオイ・・」と、号泣していた。でも私は、ちっとも悲しく無かった。それより、助べえナツハ(夏羽)が、お兄ちゃんで、夏希さんが父様のお嫁さんだったと知ったら、ユリ(儒理)は、きっと驚くだろうと考えていた。そう思った途端、私の頭を、不吉な思いが走った。何と、ナツハ(夏羽)の助べえの血は、父様譲りだったのだ。幸い、ユリ(儒理)と、ナツハ(夏羽)はあまり似ていない。今は、その穢れた父様の血が流れていない事を祈るしかない。ナツハ(夏羽)は、私達の川舟が見えなくなるまで、岸に立って手を振り続けていた。私は何故だか、ナツハ(夏羽)との縁が、これで終わったと云う気がしなかった。それよりも、切っても切れない縁に成りそうな嫌ぁ~な予感がした。

 私達は、三艘の小さな川舟に、それぞれ分かれて乗った。それぞれの川舟には、河童の船頭衆が一人ずつ乗っていた。この舟は、底が平らに出来ているそうだ。だから、横揺れが少なかった。それに、川には大きな波もない。そう聞かされて、とてものんびりとした舟旅に成りそうだと安堵した。アオキ(淡碕)と言う渡し場のあたりから、川面の匂いが変わった。そして水が塩っぱく無くなってきた。この辺りから、だんだんと、川の水になっていくらしい。それに、川べりが砂浜に変わり始めた。潮が完全に上がらなくなり、淡水の川になる辺りにカメ(亀)爺の館はあるそうだ。海の水は、川の水より重いので、潮が川を上がると、海の水は、川の水の下にもぐりこみ、川の真水を押し上げるそうだ。その押し上げられた真水をここらでは、アオ(淡)と呼ぶらしい。だから上げ潮の時に、そのアオ(淡)を組み上げて、飲み水や、田畑の水に使うそうである。アオキ(淡碕)と言う地名も、アオ(淡)に起因している。そして、川の栄養を充分含んだアオ(淡)は、山の岩清水より柔らかく、旨みが有ると、私を乗せた船頭衆が自慢げに教えてくれた。大柄だが精悍な顔つきをしたこの男が、どうやら船頭衆の組頭の様である。

もう随分長い間、川は、葦原の中を、クネクネと大蛇の様に曲がりながら流れている。だから、北の山に向かって進んでいるかと思えば、東の山に向かい始めるといった風に、中々カメ(亀)爺の館に着きそうになかった。きっと、葦原をまっすぐ突っ切って歩いて行ったら、とても近いのかも知れない。でも、本当にそうしたら葦原の潟に足を取られて、とてもスタスタとは進めそうにはない。下手をしたら、潟に足を掴まれて満ち潮に飲み込まれてしまいそうだ。だから、私は、川舟の上で良い子にしているしかなかった。しかし、既に加太と、アチャ爺は、それぞれの川舟の上でうたた寝をしている。私は、退屈なので川面をじっと観察していた。すると面白い事に気が付いた。川の水は、上流から下流へと単純な流れではないのだ。ある所では下流から上流に流れている所もある。河童の船頭衆は、その流れをうまく利用して、無駄なく艪を漕いで行く。時折、上流から丸太を組んだ筏が下って来た。そんな時には、川舟の方が、広い砂の河原に、舟を漕ぎ寄せて筏を先に通した。筏の上には、小さな小屋まである。筏の船頭衆は、何日もかけて川を下ってくるそうだ。そして今、上流から、長い筏の行列がいくつも下ってきた。そこで、私達は、砂の河原で、お昼を食べる事にした。すると、通り過ぎる筏の船頭衆が、大きな声で河童の船頭衆に声を掛け、何やら投げて寄こした。川べりに落ちたその包みを、河童の船頭衆が拾って来て竹皮を開くと、中には生干したシシの肉が包まれていた。ふたりは飲み仲間らしい。だから、これは酒の肴である。加太と、アチャ爺は、今晩、御相伴に与ろうと、早速、河童の船頭衆と交流を深めている。加太を乗せた若い船頭衆が、砂を掘って小さな黒い貝を採っていた。私が知っているアワビや、アサリ貝に比べると、とても小さな貝だ。シジミ貝と言う名だ。汁物にすると、とても美味しいらしい。アチャ爺を乗せた年寄りの船頭衆の話では「酒を飲みすぎた朝は、これが一番体に良い」と言う事である。それを聞いた加太と、アチャ爺は、若い船頭衆に教えてもらいながら、せっせとシジミ貝を掘りだした。私を乗せた船頭衆の組頭は、砂浜に広がる黒い砂を集めている。その黒い砂は砂鉄と言う。これを集めて、後で、シシの肉をくれた筏の船頭衆に渡すらしい。筏の船頭衆は、山に帰る時に、シシの肉と同じ位の砂鉄を受け取って帰るのだ。でも、今日のシシ肉は私にくれたものだと言う事である。河童の組頭の話では「こい(これ)は、日巫女様のお供え物ばぁ~い」と、言って筏の船頭衆が投げて寄こしたそうだ。だから、私もお礼返しに河童の組頭と一緒に、砂鉄集めを始めた。しばらくすると、筏の行列が途絶えた。そこで、私達も、再び川の旅人に戻った。川は途中でいくつも枝別れをしていた。これでは、地の利がない船頭では、目的地には着けないだろう。海から上がってくると、この大河はまるで迷路の様である。それに、河童の組頭の話では、千歳川の事を一夜川とも呼ぶらしい。大雨が続くと、本当に一夜で川の流れが変わるそうだ。その上、まるで葦原の海である。舟に乗っていると、葦原以外に見えるのは、青い空だけである。それでも、良く見ると、対岸には、所々に、こんもりとした丘のような茂みがある。浮島と言うそうだ。葦が作った島だと組頭が教えてくれた。人は住んでいないと云う事だが、カモなどの鳥を捕まえる時には上陸し一時だけ仮住まいする。食糧さえ持ち込めば、葦で簡単な小屋を作り猟にそなえる事が出来る。ここは海の小島と違い、飲み水には困らないから、確かに長居出来そうである。でも、夏は蚊帳が無かったら、蚊の餌に成りに行く様なものじゃないかしらと思った。

 夏の日差しが少し和らいできた頃、右岸の高台に広がる大きな村が見えてきた。村には四百戸ほどの家が有り、その北の外れにカメ(亀)爺の館があった。大きく蛇行した川が村をぐるりと囲んでいる様だ。村の周囲には、田や畑も広がっており川の様子も少し違ってきた。村の周囲から流れ込んでくる小さな支流は、対岸に、丸太の杭や石垣で護岸がされている。どうやらこれらの支流は、田畑の用水確保や、水路の役割を果たしている様だ。その支流から更に、小さく伸びた支流の入口には、水閘門(すいこうもん)が設けられていた。上げ潮の時に、アオ(淡)がこの小さな支流に入ると、閘門を閉じ田畑の灌漑に使うそうだ。だから、この灌漑設備は、代々村人に依って造られたらしい。どうやら、これが農業と言う物の様である。コトミ(琴海)さんが言っていた豊かな土地は、ここらからこうやって始まる様だ。そして、上流域に向かって更に多くの灌漑用水を持った村があると、河童の組頭に教えて貰った。何日もかけて上流から川旅を行ってきた筏の船頭衆の旅も、この村が最後の宿泊地だ。だから村には、数件の小さな船宿もあり、思った以上に賑わいがあった。川べりでは、仕事を終えた人々が、川の水を浴びて汗を流していた。河童の船頭衆は、舟を川岸に着けると、近くの小屋から、桶を二つ持ち出して来た。そして、桶に川岸の水を一杯溜めると、二つの桶の縄に棒を通して、肩に担ぎあげた。この水は、塩気もなく、飲み水になるらしい。葦の根は、塩気や泥を絡め取ってくれるので、山の沢水の様に透き通って、とても綺麗な水である。水桶を担いだ三人の船頭衆は、私達を案内して村に入って行った。村は盛り土をしたのだろうか。すこし地面が高くなっている様な気がした。その中に石垣を組んで、もう一段高くした屋敷があった。ここがカメ(亀)爺の館の様である。石垣で一段高くしているのは、大雨で村が水につかった時に、村人が避難できる様に考えての事だ。そう言いながら河童の組頭は、石段を登って行った。

驚いた事に、カメ(亀)爺の屋敷の中には、大勢の村人が集まっていた。私が楼門を潜り屋敷内に入ると人々は、一斉に地に伏して私を拝んだ。私が唖然としていると、人々の中から「ピミファや、よう来たのう」と、カメ(亀)爺の姿が現れた。私は長旅の疲れや、ヒムカ(日向)との別れや、色んな事がいっぺんに込み上げて来て、思わずカメ(亀)爺の胸に飛び込んだ。そして涙が、次から次へと溢れて止まらなかった。カメ(亀)爺は、泣きじゃくる私を優しく抱きながら「アチャや、ご苦労だったのう」と言い私達を屋敷へと招き入れた。そして、河童の組頭を振り返り「サヤマ(狭山)よ。冷たくて甘い菓子があったのう。あれを、ピミファに持ってきてくれんか」と、やさしく声をかけた。サヤマ(狭山)組頭は、こくりと頷くと素早くどこかへ向かった。「大変な旅になった様じゃの。まずは足を洗ってゆっくりしたら良い。じきにサヤマ(狭山)が冷たくて甘い菓子を持ってきてくれるじゃろ。それを食べたら、きっとピミファの疲れも、いっぺんに取れるぞ。本当じゃぞ。テル(照)の灰汁巻きよりず~っと美味しいぞ。でも、ワシがそう言ったと、テル(照)に言ったらいかんぞ。ジョ(徐)家の女供は、美人揃いだが、気が強い女が多いでなぁ。のうアチャよ」と、カメ(亀)爺が、弟のアチャ爺に、同意を求めた。すると「兄貴よ。ワシがうんと言うと思うか。テル(照)は、まだしも、ワシャ(私は)、義姉様に聞こえても知らんぞ」と、返した。「おう、そうじゃった。そうじゃった。ハク(帛)に聞こえたら大事だったわい。とても、テル(照)と、ハク(帛)が、あの穏やかなフク(福)めと、同じ兄妹とは思えんわいアハハハ・・・」と笑った。そして、「誰か早よう。ピミファの足湯を持ってきてくれ。」と、奥に声をかけた。すると、慌ただしく三人の若い娘が現れて、我先にと争う様に、私の足を拭きだした。私が驚いて戸惑っていると「これこれ、もう少しゆっくりやらんかい。いくらお前達が、日巫女様の足に触れたいからと言って、そんなに争う様にやったら、御利益も湯に流れてしまうぞ」と、カメ(亀)爺がたしなめた。「ピミファや、この娘達を許してやってくれ。何しろ外には、お前の身に触れたい者が、大勢押し寄せている。この娘達も、随分順番争いをして、ここに来たのじゃから、堪忍してくれよ」と、カメ(亀)爺に言われて、私は、やっと事態が呑み込めた。事態が分かると、私は、娘達に申し訳ない気持ちが湧いてきた。私は、一人ひとり娘達の手を取って「ありがとうございました。みなさんのおかげで疲れが取れました」と、礼を言った。すると娘達は、頬を真っ赤に染めて、外へ飛び出した。程無く、サヤマ(狭山)組頭が、お菓子を持って来てくれた。「ホッホッホ、こりゃ好い水菓子じゃのう」と、アチャ爺が目を細めた。「ピミファや、アチャは昔からこれに目が無くてなぁ。酒かこの菓子か、どっちか選べと言うたら、まる一日でも悩みよるわい」と、カメ(亀)爺がうれしそうに言った。「ピミファよ。笑い事では無いぞ。食べてみたら、ワシの悩みが良~ぉ分かるでなぁ」と、アチャ爺が、私に水菓子を差し出した。その菓子を一口頬張って、私は、アチャ爺の悩みが手に取る様に分かった。「美味しすぎる」と、私がため息をつくと、カメ(亀)爺が「どうじゃね。疲れも吹き飛ぶじゃろ」と、私に頬笑んだ。それから「もう少しゆるりとして良いが、ひと心地着いたらピミファや。村人に顔を見せてやってくれ。メラ爺めが広めた噂で、ごらんの通りの様子じゃわい。それに、琴之海での噂も伝わり、まだまだ、日巫女様詣が増えそうじゃわい。この様子だと、ピミファには、四~五日は、おってもらわんと治まりが付きそうもないわい」と、カメ(亀)爺が言った。「兄貴よ。本当に四~五日で済むのかのう。ワシ等は、もう琴之海の二の舞は出来んぞ。伊都国では、ユリ(儒理)や、イタケル(巨健)達が、首を長ごうして待ちくたびれている事じゃろてなぁ」と、アチャ爺が心配そうに言った。「心配せんでもよい。四~五日でハク(帛)が、皆をなだめるじゃろ。それに伊都国へは、山を越えれば二日で着くさ」と、カメ(亀)爺が答えた。えっ!あの山を越えるの?と私の顔が曇ったのを、目敏くカメ(亀)爺が察して「心配せんでも良いぞ。サヤマ(狭山)に屈強な若い衆を六人付けてやるから、ピミファと、アチャは、誰かの背でうたた寝しておれば良い」と言った。私は、赤ん坊みたいに、誰かにおんぶされて旅をするのは嫌だったから、頑張って自分の足で山を越え様と決心した。

 館の庭には、百人程の人々が集まっていた。私は庭に出ると、一人ひとりと手を握って挨拶を交わした。男の人や、若い女の人達は、まだ仕事をしているのだろう。集まった人は、年寄りと、幼子達が多かった。年寄り達は明るく、子供達も、まるまるとして、皆元気そうだった。こんな元気な村に、私は必要なさそうだったけど、皆は私の手足に触れては歓喜していた。そうしているうちに日は傾き、加太とアチャ爺が大好きな宴会の時間が訪れた。夕方、私は、久しぶりにハク(帛)お婆に会えた。ハク(帛)お婆は、東の集落の調停に出かけていたらしい。私は、川旅の途中でサヤマ(狭山)組頭に教わり驚いたのだが、ハク(帛)お婆は、この国の女王であった。だから、なかなか千歳川の地を離れられなかったのだ。そして、ハク(帛)お婆は、ジョ(徐)家の女頭領でもあった。フク(福)爺は兄で、テル(照)お婆は妹である。更に驚いた事に、ジョ(徐)家の本領はこの国であり、テル(照)お婆もここで育ったそうだ。この国の女王であるハク(帛)お婆は巫女でもあり、私のお祖母様の妹弟子になる。だから、ハク(帛)お婆は昔、何度か、お祖母様に会いに来たのだ。ジョ(徐)家の秘術の一切は、フク(福)爺が治めている。フク(福)爺の秘術は、巫女の力と、加太の力とを併せ持った技の様である。フク(福)爺の様な人を、シャー(中華)では方術師と言うそうだ。しかし、以外にもハク(帛)お婆は、霊力も方術の力も、そんなには大きくは無いようだ。だけど、ハク(帛)お婆の人を治める力は、誰よりも勝っているそうだ。どんなに、いがみ合っていても、どんなに、こじれた話でも、ハク(帛)お婆が調停に入ると、それまでの争い事が嘘の様に治まるらしい。だから、争い事が起こると、人と人の争い事であれ、村と村の争い事であれ、ハク(帛)お婆に、仲裁を頼むのだ。時には、国と国との争い事まで、ハク(帛)お婆の仲裁で治まるそうである。ハク(帛)お婆が、女王として人々から崇められているのは、その力の為の様である。けっして、武力や霊力で人々を支配している訳ではない。そして、私が思い描いた様に「ハク(帛)姉様は、皆から望まれて、この国の女王に成ったんじゃ」と、アチャ爺に教えて貰った。私も大人になったらハク(帛)お婆の様な人になりたい。日巫女様なんて言われても、私には何の力もない。まして、戦場(いくさば)の巫女等には、決して成りたくはない。もし神様が、私を皆の為に、この世に使わされたのなら、私は、ハク(帛)お婆の様に生きたい。「大巫女様は、元気にされていますか」と、ハク(帛)お婆から声をかけられた。「はい、お祖父様と仲良く暮らしています。」と、答えると「それは何よりですね。私も大巫女様にお願いしたい事があってね。近いうちに、アタ(阿多)国へ出かけようと思っている矢先だったのですよ。それにしても、ピミファ姫の評判は、大層なものですね。大巫女様も、さぞ安心していらっしゃるでしょう。」と、聞かれた。だから「いえ、お祖母様は、私が、戦場の巫女の再来かもしれないと、心配していました。」と、答えると、ハク(帛)お婆は、私を抱きよせて「大丈夫。大丈夫。ピミファ姫は、りっぱな日巫女様になれますよ。私には、強い霊力は無いけれど、分かりますよ。あなたは、きっと人々から慕われる日巫女様に成りますとも」と言ってくれた。ハク(帛)お婆が言うならそうなるかも知れない。私は少し安心できた。

 宴会は、今日も、加太と、アチャ爺の踊りで盛り上がっている。驚いたことに、サヤマ(狭山)組頭までも踊りに加わっている。昼間は、無口で怖そうな小父さんだったが、お酒が入ると、全く別人の様に陽気である。その上、私の足を拭いてくれた三人の娘達も、宴会に加わり、お酒を飲んでいた。酔いが回ってくると、娘達も踊りに加わり、六人の踊り上手に、酒宴の客は大層盛り上がっている。いつ終わるともしれない様子になってきたので、私は、ハク(帛)お婆にお願いして、奥の間にコトミ(琴海)さんの真新しい蚊帳を張ってもらった。明日は、この国の十二支族の族長達が集まるらしい。大昔、ジョ(徐)家の先祖達が、この国に流れついた時、この国には、高木の神が鎮座されていたそうだ。夏希義母ぁ様と登った、あの高来之峰に祭られている神様だ。その高木の神の子供達と、ジョ(徐)家の子供達が、夫婦となり十二支族が生まれた。その十二支族は、ツクシノウミ(筑紫海)を取り囲む様に、森や野で暮らしている。だから、この国は、古い民の言葉で、ヤマァタイ(八海森)国と、呼ばれている。海(マァ)が、森(タイ)を、分けている処と言う意味らしい。それに、この館は、カメ(亀)爺が商売をする為の館で、ハク(帛)お婆が、祭り事をしている館は、山の麓にあるそうだ。そして、私達は、明日からヤマァタイ(八海森)国の首都に移る事になった。そこが、私と、ヤマァタイ(八海森)国の人々との、ふれあいの場になるそうである。ふと見ると、ハク(帛)お婆まで楽しそうに踊りの輪に加わっている。宴会は、夜通しになる勢いだ。私は、今夜も早々に蚊帳の中に逃げ込んだ。そして、今夜も川風が心地良い眠りを誘ってくれた。

~ 葦原の王国を漕ぎ渡って ~

今日も夏の青空が広がった。カメ(亀)爺の館から、ハク(帛)お婆の都までは、やはり川舟で行くそうだ。でも、河口から上がって来た時の川舟と比べると、少し舟の形が違っていた。長さが短く、舟幅が広いのだ。田舟と言うらしい。サヤマ(狭山)組頭の話では、これからヤマァタイ(八海森)国の都に向かう川は、川幅が狭く、網の目の様に川筋が入り込んでいるそうだ。川幅が狭く成るのなら、舟幅も狭い方が良さそうだが、流れも緩やかなので、行き交う際も、舟どうしを擦り合う位まで接近させても問題は無いらしい。それに、長さを短くした分だけ、舟幅を広げたので、積み荷の量も変わらないそうである。更に、網の目の様な水路なので、小回りが利くこの田舟の方が良いらしい。舟幅が広いので、私はハク(帛)お婆と二人で並んで乗った。それに、夏の日差しを避ける為に、サヤマ(狭山)組頭が、麻布の天蓋を取り付けてくれていた。麻布の天蓋付きの舟は、二艘用意されていた。もう一艘には、昨日の三人の娘達が乗り込むそうだ。三人の娘は、カメ(亀)爺が付けてくれた私の世話係りである。三人の娘の名は、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)に、シモツ(志茂妻)と言う。カミツ(香美妻)が長女で、三人は姉妹だ。三姉妹は、十二支族のひとつであるミズマ(三妻)族の族長の孫娘だ。加太と、アチャ爺が乗った田舟は、どうやら荷物専用の田舟である。だから、天蓋は無い。そこで二人は、真菰の葉で編んだ小さな筵を手に持って、田舟に乗り込んでいる。きっと、舟が出たら、真菰の筵を顔にかけて眠りこけるのだろう。ふたりは、それまで米俵の様なものである。

 田舟は、カメ(亀)爺の館を出て少し上流に向けて進んだ。そして、ミネ(峰)と言う渡し場から支流に入り込んだ。支流は、いくつにも分かれていると聞いた。確かに葦原の王国を編みあげている細い糸の様である。そして、戦さになれば、ここは天然の要塞だろう。むっとする川風が顔を覆った。その様子を察したのか「日巫女様は、やはり海風の方がお好きですか?」と、サヤマ(狭山)組頭が聞いてきた。「慣れないせいか、川の風は少し息苦しく感じます」と、言うと「私もそう思います。川風に包まれて育った私が言うのも変ですが、私には、海風が合っている気がします。それも外海が良いですね。自由に海原を駆けるのが、小さいころからの夢なんですよ。でも、叶いそうに無いですけどね」と、サヤマ(狭山)組頭が返してきた。「でも、嵐の海は大変ですよ」と、私が意地悪な返事を返すと「ええ、頭領から良く聞かされました。特に夜の大嵐は、子供心には刺激的でしたね」と、サヤマ(狭山)組頭が言ったので「怖かったですか?」と、聞くと「いえいえワクワクしましたよ。大嵐に揺れる帆柱に、体を縛り付けて、一晩中、荒れる海原を見ていたいと思いましたね」と、嬉しそうに言った。「サヤマ(狭山)組頭は、そうとう腕白な男の子だったんですね」と、私は笑いながら言った。「アハハハ、今でも腕白小僧みたいだ。と頭領からは言われていますけどね。でも、アチャ副頭領に比べたら、まだまだ大人しいものですよ」とサヤマ(狭山)組頭は笑って言った。私は「えっ!!アチャ爺って暴れ者だったの?」と、聞き返した。「そりゃもう東海一の暴れ者だったそうですよ。うちの商船を襲って来た海賊供でさえ、アチャ副頭領が乗っていると分かると、尻尾を巻いて逃げだしたらしいですよ」と、サヤマ(狭山)組頭は、真顔で話してくれた。私には陽気で優しい、今のアチャ爺からは想像も出来なかった。

 葦原の王国には、土塁に囲まれた村がいくつもあった。その中のひとつの村で、お昼を食べる事になっていた。その村には、タカシ(高志)と言う組頭が待っていて、一緒に都まで行くそうだ。タカシ(高志)組頭の村は、一辺が大人の歩幅で、千歩以上有る土塁に囲まれている。そして、土塁の高さは人の背丈より高く、天端も、人が寝そべっても余る位の幅があり、強固で立派なものだった。この土塁は堤防と言うらしい。戦さの防備よりも、洪水から村を守るのが、大きな役目の様だ。堤防の内側にも、田舟が浮べられる程の堀が作られていた。普段は水位を低く保っていて、大雨になると村内(むらうち)の雨水をここに流し込むのである。そうやって内水氾濫を抑えるそうである。だから、この掘も洪水対策だと云う事である。こんな四方を堤防で囲まれた島集落を輪中と言うらしい。一方、サヤマ(狭山)組頭の村は、丘陵地にある高地集落の様だ。だから同じ掘でも、目的が違うと教えてくれた。サヤマ(狭山)組頭の土塁と堀は、外敵や獣の侵入を防ぐのが主な目的だ。だから空堀でも構わない。そして洪水被害の心配も無い。しかし、この村の強敵は洪水なのだ。だから水を治めるのが大事な目的に成っている。その為、稲刈りが終わると、堀の水を抜き、堀の底の泥を堤防の上に積み上げ、堀の深さを保つそうだ。でも、それには大変な労力が必要になる。そこで、その時には、サヤマ(狭山)組頭の村の若衆も、総出で手伝いに来るそうである。お礼には、もちろん刈り込んだばかりの米俵を担いで帰るのだが、それ以上の楽しみは、やっぱり宴会らしい。堀の水を抜くと、底にはコイやフナ、ドジョウにウナギなど沢山の川魚がいるそうだ。泥んこになりながら、男衆はワイワイと気勢を上げ酒の肴を抱きこむのである。「それが掘り起こしの最大のご褒美だ」と、サヤマ(狭山)組頭は楽しそうに説明してくれた。サヤマ(狭山)組頭の若衆も、皆これが楽しみで毎年この村に来るそうである。そして、中には、ちゃっかりと、村の娘と良い仲になる男もいる様だ。しかし、たまにはその逆もある様で、タカシ(高志)組頭の女将さんは、サヤマ(狭山)組頭の妹なのである。つまり、逆に押しかけたのである。

 村の入口には、丈夫な門があった。とても、一人では開け閉め出来そうもない位の代物である。これも水閘門と言うらしい。やはり洪水対策の様である。田舟が村の渡し場に着くと、女の人が声をかけてきた。年端は、コトミ(琴海)さんと同じ位の様だ。そして、やさしくしっかりとした声で「兄さん、その方が日巫女様なの?綺麗な方ね。今夜、日巫女様に食べていただく珍しいものを、沢山用意しているから積んで行ってね」と、サヤマ(狭山)組頭に手を振った。どうやらこの人が、タカシ(高志)組頭の女将さんの様だ。すると「ヨド(淀)よ。私には挨拶もなく、早速日巫女様ですか?!」と、ハク(帛)お婆がたしなめるように言った。「あっ、伯母様お元気でしたか。挨拶が遅れて申し訳ありません。」と、ヨド(淀)女将さんは、ハク(帛)お婆に頭を下げ、そして横目でサヤマ(狭山)組頭を見ると、ペロリと可愛く舌を出した。サヤマ(狭山)組頭は、見て見ぬふりをしている。「幾つになっても、ヨド(淀)には、お行儀が身に付きませんねぇ。何だか、タカシ(高志)に申し訳なく思えてくるわ。サヤマ(狭山)よ。私の育て方が悪かったのかねぇ」と、ハク(帛)お婆は、ため息をついた。「いえ、こいつが、根っからのお転婆なだけです」と、サヤマ(狭山)組頭が答えた。ヨド(淀)女将さんは、聞こえぬふりをしながら「さあさあ、お昼。お昼。皆ぁ~。日巫女様のお食事の用意は整ったかぁ~い」と、村内(むらうち)に向かって叫んだ。そして「兄さん、タカシ(高志)は、今、隣村に仲裁に行っているから、先にお昼を食べて。アチャ義叔父さんも沢山食べてね。きっと口に合うはずよ」と、言いながら、私達を、村内に案内してくれた。食事は、村の集会場に用意されていた。茅葺の集会場は、大きな椋の木に囲まれていて涼しげだった。そして、コイやフナ、ドジョウにウナギなど、川魚が沢山並んだ料理は、どれも美味しそうだった。食事は、皆で囲み、好きなものを食べられる様に並べてあった。でも、一か所だけ小さな台の上に置かれた料理があった。その料理には、魚や肉は無く、何だか質素な食事に見えた。すると「伯母様の分は、特別に菜の物だけで作らせましたから、安心してお召し上がりください」と、ヨド(淀)女将さんが言った。「伯母様は、昔から生き物を食べないのよ。だから、食事係は苦労するのよ。でもね、今日のは特別に美味しいわよ。ここにも同じ物を用意したから、日巫女様もぜひ食べてくださいね」と、ヨド(淀)女将さんが私に囁いた。その食べ物には、小指の先ほどの穴がいくつも空いていた。恐る恐る口に運んでみると、とても良い歯応えだ。堅くなく柔らかくなく、何て良い噛み心地なのだろう。それに、味付けもとても美味しい。「これは蓮の料理だね。行儀は身に付かないけど、ヨド(淀)は、料理の腕だけは確かですね」と、ハク(帛)お婆が料理を褒めた。「テル叔母さん仕込みですから」と、ヨド(淀)女将さんが嬉しそうに答えた。そうなのか、テル(照)お婆仕込みの料理なんだ。だから私の口にも合うのだ。アチャ爺も何だか嬉しそうに食べている。思えば、私達は、もう一月以上も、テル(照)お婆の料理を食べてなかったのだ。私は、テル(照)お婆の顔を思い浮かべ涙が出そうになった。「どうしました日巫女様。私の料理がお口に合いませんでしたか?」と、心配そうにヨド(淀)女将さんが聞いてきた。「違うのテル(照)お婆の味がしたから」と、私が、テル(照)お婆の料理で育った話をすると、ヨド(淀)女将さんは顔を綻ばせて「それは良かった。沢山食べてくださいね。これはね、蓮の実をすりつぶしてね・・・・」と、次から次へと料理の説明をしながら、私に食べさせてくれた。どれも本当に美味しかった。これで、私の長い旅の疲れも、どこかへ消え去ってくれた。

 タカシ(高志)組頭は、精悍な男だった。サヤマ(狭山)組頭に比べると、背は低かったけど、筋肉は隆々としていて、サヤマ(狭山)組頭と組合っても負けそうに無かった。ヨド(淀)女将さんは、ジョ(徐)家の血を引く女だけあって、すらりと背が高く百合の花の様に美しかった。二人は、並ぶと、ヨド(淀)女将さんの方が、目の高さ分位、タカシ(高志)組頭の頭を越えていた。でも、一目惚れしたのは、ヨド(淀)女将さんの方らしい。ある年の、掘り起こしの日に、サヤマ(狭山)組頭が、妹にも見せたいと連れていったそうだ。すると、ヨド(淀)女将さんは、タカシ(高志)組頭にぞっこん惚れたのだ。その日以来、二日と日を置かず、田舟を漕いで料理を作りに通ったらしい。そして、ある年の秋から、お腹が大きくなってきた。それから、ヨド(淀)女将さんは、この村に居付いたそうである。とても、見事な押しかけ女房である。私は、ヨド(淀)女将さんに、タマキ(玉輝)叔母さんを思い重ねてしまった。南の女は強い!! タカシ(高志)組頭は、村に入るなり、いきなりサヤマ(狭山)組頭に吠える様に「やい、サヤマ(狭山)!!俺の許しもなく、俺の村の飯を食うとは何事だ。こっちへ来い、投げ飛ばしてやる」と、言って村の広場に連れて行った。「何を言うチビ助め。お前こそ投げ飛ばしてやる」と、サヤマ(狭山)組頭が応戦した。私は、いきなり喧嘩が始まりびっくりしたが、ハク(帛)お婆も、ヨド(淀)女将さんも、素知らぬ顔だ。それに、村人が、にこにこしながら集まって来て、二人の喧嘩を観戦し始めた。最初は、タカシ(高志)組頭が、サヤマ(狭山)組頭を投げ飛ばした。次は、サヤマ(狭山)組頭が、タカシ(高志)組頭を投げ飛ばした。アチャ爺は、サヤマ(狭山)組頭に声援を送り、加太は、タカシ(高志)組頭に声援を送っている。どうやら、二人は賭け事をしている様だ。きっと、宴会の酒の肴でも賭け合っているのだろう。そして、誰かが「さぁ最後の大一番だ」と、声を張り上げた。戦いは互角だった。二人は、顔を真っ赤にして組みあい、押し合い、投げ合いを、繰り返した。二人は、組み合ったままハァハァと、荒い息を吐きながら、持久戦に入った。すると、ヨド(淀)女将さんが「あっ!舟が!!」と、素っ頓狂な声を上げた。一瞬、サヤマ(狭山)組頭は、田舟を心配して目が泳いだ。そこをすかさず、タカシ(高志)組頭が投げに出た。「くそ!ヨド(淀)め、兄より、やっぱり亭主の肩を持ちやがった」と、サヤマ(狭山)組頭が、悔しまぎれの地団太を踏んだ。村人は、自分達の大将が勝ったので大喜びである。すると、ハク(帛)お婆が何事も無かったかの様に「さぁ、タカシ(高志)もサヤマ(狭山)もそろそろ行きますよ」と、言った。すると、二人も何事も無かったかの様に「は~い」と、ハク(帛)お婆の後を追った。私達も、急いで乗船し、田舟は再び葦原の迷路に入り込んだ。

~ ヤマァタイ(八海森)国の都 ~

日暮前には、ヤマァタイ(八海森)国の川湊に着いた。そこは、目の前に小高い丘が連なっており、幾重にも空壕が取り囲んでいた。丘陵地には、物見櫓や木柵も見えた。丘陵地の裾野には、水田が広がり、稲穂が実り始めていた。この地は、メタバル(米多原)と呼ばれている様で、その名の通りに沢山の米が収穫できそうだ。私達は、棚田が重なる緩やかな坂道を、メタバル(米多原)の中心地へ向かって歩いた。道の両脇には、大勢の村人が集まり、私を喝采で迎えてくれた。十二支族の族長達は、まだ、全員到着していない様で、待つ間に、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)に、シモツ(志茂妻)の三姉妹が、城内を案内してくれる事になった。加太と、アチャ爺は、タカシ(高志)と、サヤマ(狭山)の両組頭とどこかへ行った。カミツ(香美妻)は、ジョ(徐)家の血を引く娘らしく、すらりとした美人だった。ナカツ(那加妻)は、私と同じ歳らしい。高木神の一族は、ふくよかな人が多いのだろうか?ナカツ(那加妻)は、ふっくらとした愛嬌のある娘だった。シモツ(志茂妻)は、しっかり者の顔をしていた。私は、まず望楼に登らせてもらった。望楼を登る狭い階段は、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)には恐ろしい様で、二人は下で待つことになった。シモツ(志茂妻)は、平気な様で、まるで木登りを楽しむ子供の様に、するすると登った。私も、岩場から海に飛び込み遊んでいたので、高い所は平気である。望楼の上からは、息を飲むばかりの景色が広がっていた。それは、まるで私の家からの眺めの様であった。しかし、ここに広がるのは、青々とした海ではなく、葦原の緑海だった。シモツ(志茂妻)の説明では、ツクシノウミ(筑紫海)の先に見える山並みが、高来之峰だと言う事だ。だから、あの時、シマァ(斯海)国の女族長、そして今は私の義母ぁ様夏希さんが、高来之峰の上から指し示した先には、このメタバル(米多原)の都があったのだ。私は、不思議な気持ちに成り、夏希義母ぁ様の顔を、愛おしく思い出していた。そうしている間も、シモツ(志茂妻)の説明は続き、今度は東の山を指して「あれは、高麗之峰(こうらのみね)と言って、やはり高木の神を、御神体にしています。」と言った。シモツ(志茂妻)の、滔々と流れいずる説明で、私は、随分と、この国の様子が掴めてきた。シモツ(志茂妻)は、まるで、生真面目な学士のようである。それも、飛切り出来の良い学士様のようだ。もし、シモツ(志茂妻)が加太の弟子になったら、私はすぐに追い抜かれてしまうだろう。私は、この先もずっとシモツ(志茂妻)を伴いたいと思った。

 ヤマァタイ(八海森)国は、ツクシノウミ(筑紫海)を挟み、東と西の勢力に分かれているそうである。ハク(帛)お婆が、この国を治める前は、随分と内戦も続いていたらしい。何だか、沫裸六党の内紛に似た話である。もし、ハク(帛)お婆の統率力がなければ、今でも戦さは続いていただろう。と、シモツ(志茂妻)は言った。それに以前、コトミ(琴海)さんが「千歳川の河童と、木綿葉川の河童を合わせりゃ、二万の河童の軍勢だ」と言っていた。カメ(亀)爺は、その二万の河童衆の頭領である。ハク(帛)お婆の統率力と、カメ(亀)爺の二万の河童衆が、この国の平和を維持している大事な要素の様である。東西の勢力は、それぞれ六支族で拮抗している様である。東の勢力は、統率力に優れており、屈強な戦士が多い。西の勢力は、シマァ(斯海)国や、彼杵沫裸党との関係が良好なので、裕福な支族が多い。そして、彼杵沫裸党と同じ様に、自由民の気持ちが大きい。だから、その分だけ、東の六支族に比べると、支族間の結束は緩やかである。十二支族の長老達は、今でも、いがみ合うものが多い様である。しかし、タカシ(高志)組頭や、サヤマ(狭山)組頭の世代は、随分と、わだかまりも無くなってきた。そして、二人は、最もハク(帛)お婆の信任が厚い組頭達である。また、支族内の実権も、血を流し合った長老達から、二人の世代に移行しつつある。加えて、東の支族の筆頭は、実質タカシ(高志)組頭で有り、西の支族の筆頭は、サヤマ(狭山)組頭である。その上、二人は喧嘩友達であり、義兄弟であり、ハク(帛)お婆の左右の腕である。だから内乱は当分起きそうにはない。

 望楼の下から、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)が呼んでいる。十二支族の族長達が全員揃った様だ。私と、シモツ(志茂妻)は、望楼からの眺めを惜しみつつ集会場へ向かった。集会場は、高床式の建物であった。建物の中には、既に男女各十二名の長老達が、左右に分かれて待ち構えていた。そして、ハク(帛)お婆の後ろに、私の席が用意されていた。ハク(帛)お婆の両脇には、タカシ(高志)組頭と、サヤマ(狭山)組頭が控えている。私と、ハク(帛)お婆の間には、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)に、シモツ(志茂妻)の三人が、私の盾の様に並んで座った。私は、一段高い台に座らされている。だから、とても居心地が悪い。その高台の後ろには、加太と、アチャ爺がいる。二人は、族長達からは見えないので、のんびりと座り込んでいた。驚いた事に、十二支族の族長は、全員女達だった。男達は、族長の夫であり、各支族の軍団長らしい。ヤマァタイ(八海森)国の祭治では、この二十四名は、対等な関係であり、発言権も一人一言有るそうだ。そして、本日の議題は八つある。ハク(帛)お婆は、議題への対処案で一番多かった意見を、その祭治において採用していた。しかし、意見が同数で二つに分かれた場合には、タカシ(高志)組頭と、サヤマ(狭山)組頭のそれぞれにも意見を求めた。そして、ハク(帛)お婆が良いと思った意見の方を採用している。どちらの意見が採用されても、タカシ(高志)組頭と、サヤマ(狭山)組頭には不満は無い様である。しかし、長老達は、若い二人の組頭に、意見を言わせる事そのものに、不満がある様であった。全ての議題が終わり、いよいよ私の紹介になった。「さて皆の者よ。日巫女様の紹介は、長々とする必要は無いでしょう。それより、明日からの、日巫女様との拝謁の順番と、日程を決めましょう」と、ハク(帛)お婆が切り出した。「では、明日より、二支族ずつ拝謁を願う事にします。それ以上は、日巫女様をこの国にお留めする事は叶いません。知っている者も多いと思いますが、日巫女様は、ジンハン(辰韓)国の姫君でも有り、アダラ(阿達羅)王は、ピミファ姫の早い到着をお望みの様です。幸い、皆も良く知るアチャ副頭領が、ピミファ姫の御供をしていますので、無理を押して、アチャに頼みこみました。だから、日程については、相談ではなく、私からの沙汰です。拝謁の順番は、皆の意見で決めてください。はい、意見がある者は、どうぞ意見を聞かせてください」と、ハク(帛)お婆が言うと、一人の長老が発言した。「昼前に東の支族。昼から西の支族でどうでしょう。日は東から昇り西に沈みますから」と、なかなか良い案である。「なるほど、それは面白い意見です。他の者は」と、ハク(帛)お婆が他の意見を促した。「私は、東の支族と、西の支族を、昼前と昼からで、交互に組ませたが良いと思います」と言いう長老がいた。更に工夫された意見である。「私は、十二支族の族長が、籤(くじ)を引くのが良いと思います」と、公平制を重んじる意見を出す長老もいた。「私は、最初の三日を、昼前には東の支族、昼からは西の支族とし、後の三日を、その逆にするのが良いと思います」と、なかなか巧妙な工夫をした案を考えた長老もいた。しかし、中には「日巫女様に決めてもらうのが良い」と、投げやりな意見の長老もいた。「ハク(帛)女王に一任します」と、更に投げやりな意見の長老も出た。様々な意見が出たところで、ハク(帛)女王は、決を取ったが、各意見同数で決まらなかった。そこで「サヤマ(狭山)は、どう思いますか?」と、ハク(帛)お婆は、サヤマ(狭山)組頭に意見を求めた。すると、サヤマ(狭山)組頭は、にんまりと笑みを浮かべて「アチャ副頭領に、決めてもらうのが良いと思います」と、意外な意見を言い出した。そこで「タカシ(高志)は、どう思いますか?」と、ハク(帛)お婆は、タカシ(高志)組頭に意見を求めた。すると「サヤマ(狭山)の意見に賛同します。あのアチャ副頭領が決めた事に、文句を言う勇気のある方を、私は見てみたい」と、悪ガキの様な目で、サヤマ(狭山)組頭に目くばせした。「すこし不謹慎な所もあるようですが、サヤマ(狭山)の意見を採用しましょう。でも、決して、タカシ(高志)の思惑を採用した訳では有りません。日巫女様の滞在をもたらしてくれた、アチャを称えての事です。異論がある者はいますか」と、ハク(帛)女王様は、二十四名の長老達を見渡した。長老達は皆渋い顔をしていたが、異論を持ち出す者はいなかった。「では、アチャに決めてもらう事にします」と、ハク(帛)女王様の決定が下りた。高台の後ろで、うたた寝をしていたアチャ爺は、突然の決定に「へっ!!」と、飛び起きた。突然、高台の後ろから現れたアチャ爺を見て、二十四名の長老達は全員が顔を強張らした。中には「良かった反対しないで」と、安堵の表情を浮かべる軍団長達もいる。本当に、アチャ爺は相当の暴れ者だった様だ。その夜の宴会には、アチャ爺と、加太の姿が見えなかった。どこかに籠って、順番の案を練っている様だ。加太も手伝わされているのだろう。だから、今夜は久しぶりに上品な宴会であった。私は、いつもの様にコトミ(琴海)さんの蚊帳を張って早めに床についた。そして今夜から、カミツ(香美妻)三姉妹も、蚊帳の住人になり、私は久しぶりに楽しく眠りを迎える事が出来た。ユリ(儒理)や、ハイト(隼人)や、スサト(須佐人)に、シカ(志賀)は元気だろうか。四人に再会したら、八人で蚊帳の住人になろう。きっと、毎夜たのしい夢を皆で見られる事だろう。宴会は、真夜中まで続き、お開きの寸前で、アチャ爺から私への拝謁順番が発表されたそうだ。明日の順番は、族長達がそれぞれの領地へ取って返す時間を考慮して、決めた様だ。だから、明日の昼前は、ここメタバル(米多原)のミヤキ(三養基)族である。そして、昼からは、メタバル(米多原)の西に面した、チフ(千布)族と決まっていた。順番が決まったので、各長老達は、夜が明けるのを待ちかねて、各自の領地に帰って行った。

私は、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)と、シモツ(志茂妻)の三姉妹と楽しく朝餉を取った。加太と、アチャ爺は、朝餉抜きで熟睡中である。朝餉が終わった頃に、タカシ(高志)組頭と、ヨド(淀)女将さんが揃って私達を呼びにきた。タカシ(高志)組頭と、ヨド(淀)女将さんは、ミヤキ(三養基)族である。そして、ヨド(淀)女将さんは、チフ(千布)族の族長の娘だった。だから、夕方は久しぶりに親子で夕餉を取るのかも知れない。都の広場には、真菰で編んだ天蓋が張られていた。十歩幅四方はあると思われるその天蓋の中央には、高座が作られており、そこが私の拝謁の場の様だ。広場には、既にミヤキ(三養基)族が、四~五百人程集まっていた。シモツ(志茂妻)の説明では、ミヤキ(三養基)族の民は、五万人程だったのでここに集まっている人達は、それぞれの村からの代表者かも知れない。ミヤキ(三養基)族の女族長は、アヤメ(綾女)と言った。タカシ(高志)組頭の母ぁ様である。その夫で、ミヤキ(三養基)族の軍団長は、マン(万)と言った。タカシ(高志)組頭の父様である。マン(万)軍団長は、ジョ(徐)家の次男坊である。つまりフク(福)爺の弟である。だから、とても良く似ていた。私は失礼を承知で「マン(万)軍団長の事を、マン(万)爺と呼んではいけませんか?」と、言ってしまった。マン(万)軍団長は、初対面の娘に、いきなりマン(万)爺と呼ばれて戸惑っていた。すると、アヤメ(綾女)族長が笑いながら「フク(福)様にそっくりでしょう」と、言った。「ええ、まるでフク(福)爺に会えたかの様で、つい、失礼な事を言いました」と、私が謝ると「アハハハ、日巫女様は、兄じゃの事をフク(福)爺と呼ばれておるのか。されば、ワシの事もマン(万)爺と呼んでくだされ」と、マン(万)軍団長が応えてくれた。このやり取りを聞いていたミヤキ(三養基)族の民も「マン(万)様は、日巫女様の爺様に成ったぞぉ。めでたい、めでたい。今日からミヤキ(三養基)族は、日巫女様の身内だぞぉ~」と、気勢を上げ、拝謁の場は、すっかり和んだ。私は、時間が許すまで一人ひとりと、手を握り合い交流を深めた。別れ際に、アヤメ(綾女)族長が「大巫女様は、お元気ですか?」と、親しく声をかけてくれた。「私も、大巫女様の弟子ですよ。だから、フク(福)様の元に、五年ほど御厄介になっていた頃があるのですよ。日巫女様の母ぁ様が丁度、今の日巫女様と同じ年頃でした。本当に、日巫女様は母ぁ様似ですね」と、教えてくれた。そして、アヤメ(綾女)族長は、風の巫女だった。だから、私はアヤメ(綾女)族長にとても強い親しみを感じた。

お昼には、加太と、アチャ爺も起きだしてきた。だから、お昼は六人で食べた。お昼を食べながら、シモツ(志茂妻)は、何度も加太を覗き見していた。それは、異人が珍しかったからだけでは無い。神医と呼ばれる加太に興味があったのだ。私は「加太。私が忙しくなったから、加太は随分暇を弄んでいるでしょう」と、声をかけた。すると加太は「確かに小うるさい弟子が、何も聞いてこなくなったから、少し暇だなぁ」と、言った。「じゃぁ、加太が、右住左住しなきゃいけなくなる位の、優秀な弟子を付けてあげるわ」と、私が言うと「ほう。そりゃ楽しみだ。その優秀な学士様は、今どこにいるんだい」と、加太が聞いてきた。「シモツ(志茂妻)、お前は今日から、加太の弟子になるのよ。これは、私からの沙汰です。相談事では無いから、良く聞いて置きなさいね」と、ハク(帛)お婆のまねをしながら、シモツ(志茂妻)に沙汰をした。その途端に、シモツ(志茂妻)は頬を赤らめ「やったぁ~」と、両の拳を天高く突き上げた。へぇ~シモツ(志茂妻)には、こんな一面もあるんだと、私は益々シモツ(志茂妻)を気にいった。ところが「でも~」と、シモツ(志茂妻)はすぐにしょげてしまった。「どうしたの?」と、私が聞くと「私が、加太様のお弟子になったら、日巫女様のお世話は、どうすれば良いですか」と、しょんぼりと聞いてきた。すると「大丈夫。お前の分は、私とナカツ(那加妻)で頑張るわ」と、カミツ(香美妻)お姉ちゃんが妹の背を押した。そして、私に向かい「日巫女様。それでよろしいですか?」と、同意を求めてきた。だから私は「そうねぇ。じゃぁたっぷり、カミツ(香美妻)お姉ちゃんに我がままを言うわ」と、答えた。

 お昼過ぎからは、チフ(千布)族との交流だった。チフ(千布)族には、ジョ(徐)家の本家が含まれている。だから、ハク(帛)お婆もチフ(千布)族だ。チフ(千布)族は、大小約三十の村を持ち、約七千戸五万人の規模である。拠点は、サガ(狭賀)と言う大きな環濠集落でフク(福)爺やテル(照)お婆もそこで育った。昔から織物が盛んな所で、織物の修行舎もある。そこでは、各支族から集まった大勢の織り姫が、ハク(帛)お婆に織物を習っている。そして、一人前になった織り姫達は、各支族の地に、織物工房を開いている。なかでも、ミヤキ(三養基)族と、ミズマ(三妻)族の地には、サガ(狭賀)に匹敵する織物工房がある。支族の規模も同じ位で有り、この三支族が、ヤマァタイ(八海森)国の最大支族だと、シモツ(志茂妻)から前情報を伝授されていた。そして、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)と、シモツ(志茂妻)の三姉妹も織り姫である。チフ(千布)族の族長は、タフ(太布)と言いハク(帛)お婆の妹だ。でも私は面識がなかった。ハク(帛)お婆は、四姉妹、二兄弟である。姉妹はハク(帛)お婆を長女に、タフ(太布)、タマタレメ(玉垂女)、テル(照)お婆である。兄弟は、フク(福)爺と、マン(万)爺だ。タフ(太布)族長は、テル(照)お婆に良く似ていた。私は思わずテル(照)お婆と言って抱きつきそうになった。夫でタフ(太布)族の軍団長は、コセ(巨勢)と言った。コセ(巨勢)軍団長は、サヤマ(狭山)組頭と、ヨド(淀)姫の父様である。そして、二人とも父様似だった。コセ(巨勢)軍団長には、私と同じようにシャー(中華)の血が流れていた。だから、立派な体格の持ち主だった。そして、カメ(亀)爺とは旧知の仲であった。どうやら、海人族繋がりらしい。でも、コセ(巨勢)軍団長は、河童族ではない。ハタ(秦)家は、シャー(中華)の北部の出だが、コセ(巨勢)軍団長の一族は、シャー(中華)の南部の出らしい。コウ(項)家の先祖が住む所より、もっと南で、今はヂュヤー(朱崖)と呼ばれている所である。だからどうもコセ(巨勢)軍団長は、越人の様である。私がその事を尋ねると、コセ(巨勢)軍団長は「私は海越です。」と教えてくれた。越人は、海越、南越、山越の三種族に分かれているそうだ、海越はその呼び名の様に海洋民である。だから、沫裸党との縁が深い様である。チフ(千布)族の民も、約五百人が集まってくれた。私は、夕暮が迫るまで、一人ひとりと手を握り合い交流を深めた。私は、別れ際にタフ(太布)族長に向かい「タフ(太布)お婆と呼んでいいですか?」と、聞いた。タフ(太布)族長は笑いながら「テルに似ているからでしょう」と、言い許してくれた。

 その日の宴会は、ジョ(徐)家の親族会になった。ミズマ(三妻)族の拝謁日は、最後の日だったが、族長のタマタレメ(玉垂女)と、夫のイワイ(磐猪)は一足早く到着した。だから、ジョ(徐)家で、ここにいないのは、フク(福)爺と、テル(照)お婆の二人だ。その分は、アチャ爺がしっかり頑張っている。カメ(亀)爺も駆けつけて来たので、今夜は夜が明けるまでの宴会になりそうだ。料理を仕切ったのは、もちろん、テル(照)お婆仕込みのヨド(淀)姫である。ヨド(淀)女将さんは、手伝いの女達にテキパキと指示を出し、この大宴会を全て差配している。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)は、タマタレメ(玉垂女)族長の両脇で話の花を咲かせている。何と、シモツ(志茂妻)はちゃっかりと、イワイ(磐猪)軍団長の膝に抱かれて甘えている。シモツ(志茂妻)は、祖父ちゃん娘だったのだ。私と同じである。イワイ(磐猪)軍団長は、小太りの好々爺だったが、眼光は鋭く、若い時分は、コセ(巨勢)軍団長と、何度も刃を交わしたそうだ。互いに、一族を切り殺し合ったので、宿敵であったが、年月が、二人のわだかまりを少しずつ溶かして行った様だ。直接闘った者は、戦いの虚しさを知り、直接闘った事の無い者達の方が、いつまでも罵り合うのかも知れない。そして、今では、タカシ(高志)組頭と、サヤマ(狭山)組頭の若手勢力をけん制する、年寄り連合の同志らしい。そこで、二人の口癖は、口裏を合わせたかの様に「近頃の若い奴らは」と、言うものである。おかしい事に、二人がもっとも苦手にしているのは、アチャ爺らしい。タカシ(高志)組頭に、この話を聞いた時、私はおかしくて笑い転げそうになった。歴戦の兵(つわもの)供に煙たがられるとは、本当にアチャ爺は、相当な乱暴者だったに間違いない。私は、加太を伴い、タマタレメ(玉垂女)族長と、イワイ(磐猪)軍団長の席に挨拶に行った。そして、シモツ(志茂妻)を、加太の弟子にした事の許しと、三姉妹をこのままジンハン(辰韓)国に伴いたいと、お願いした。タマタレメ(玉垂女)族長は「それは、私からお願いしたい位の申し出です。そして、なにより日巫女様のお傍に使える事が出来るとは、我が一族の誇りになります」と、喜び承諾してくれた。イワイ(磐猪)軍団長も「神医加太様の弟子にしてもらえるとは、シモツ(志茂妻)は、何と言う果報者でしょう」と、同意してくれた。宴会は、予想通り夜明けまで続いた様だ。そして加太は、朝までイワイ(磐猪)軍団長と飲み明かした様である。私達は、今夜もコトミ(琴海)さんの蚊帳を張り、仲良く四人で寝た。  翌日は、オキ(鬼木)族と、ミイ(三井)族との交流を行った。三日目は、タカキ(高木)族と、ミタマ(三珠)族。四日目は、タラミナ(太良水)族と、ミイケ(三猪毛)族。五日目は、ノミ(能美)族と、ミヤマ(三邪馬)族。そして、最後の六日目がオミナ(鬼水)族と、ミズマ(三妻)族だった。私は、六日間で五千人程のヤマァタイ(八海森)国の民とふれ合えた。人々は皆陽気で優しかった。この人々が、ハク(帛)お婆が国を鎮めるまで、互いの血を流しあっていたとは信じ難かった。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)と、シモツ(志茂妻)の三姉妹は、大好きなお祖母様、お爺様と六日間を過ごせて、本当に嬉しそうだった。でも今夜が最後である。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)は、タマタレメ(玉垂女)族長の傍から片時も離れず、シモツ(志茂妻)は、床に入る寸前まで、イワイ(磐猪)軍団長の膝に抱かれて座っていた。明日の朝は、皆旅立ちなので、今宵の宴会は、早々にお開きになった様だ。今宵、蚊帳の中はとても静かだった。夜半、シモツ(志茂妻)のすすり泣きが、少し早い秋の鈴虫の音色の様に響いていた。

幕間劇(5)「ひこうき雲」

冬晴れの真っ青な空に、ひこうき雲が白い二本の筋を描いている。あれは米軍の爆撃機だろうか、それとも南の島に飛んでいく楽園行きの旅客機だろうか。目が眩むほど高い空を見つめながらジョーは溜息をついた。「ジョー、どげん(どう)したと?」と、泥船仲間のひで(英)ちゃんが、心配そうにジョーの顔を覗き込んだ。「何でん無か(平気だよ)」と、ジョーが力なく答えた。

それは、今日の昼休みの出来事だった。となり村の男の子が「ジョーの父ちゃんは、朝鮮の山の中で死んどらすとやろ(亡くなっているのだろう)」と、言った。ジョーは、遠くを見つめ無表情であったが、その無神経な男の子の質問に、教室の中はシーンと静まりかえってしてしまった。その気まずい気配を察した泥船仲間のりゅう(竜)ちゃんが「飛行機乗りやけん。まだ空ば飛びよらすとたい。(空を飛んでいるのさ)」と言った。すると男の子が「そげん長ごう(そんなに長く)飛べる飛行機ゃ無かろうもん(無いんじゃないの)」と無神経に聞き返した。空かさず「原子力で飛ぶ飛行機なら大丈夫たい。今、アメリカで実験ばしよるらしか。(実験をしているらしいぞ)」と、ひで(英)ちゃんが助け船を出した。ところが、となり村の男の子は、すっかり意地に成り「原子力なら爆発したらどげん(どう)するとね。原子力ちゃ『ピカドン(原爆)』ばい」と、言い返した。すると「鉄腕アトムも原子力たい。お前ぁアトムも『ピカドン』ちゅうとか(言うのか)!!」と、りゅう(竜)ちゃんがやり返す。「鉄腕アトムは漫画やんね。(漫画じゃ無いか)」と、男の子も更にやり返す。「そげなふうにアトムの事っば言うなら、もうお前にゃアトムの漫画本は、貸しちゃらんけんね(貸さ無いからな)」と、りゅう(竜)ちゃんが言い出して、言い争いの方向性が変わってき始めた。「貸しちゃらんでん良か。(貸してくれなくても良い)そしたら、鉄人28号もせせらせんけんねぇ(触らせないからな)」と、また男の子がやり返す。「なんば言うとや(何を言い出すのか)鉄人28号のプラモデルば作るときゃ、俺も手伝ったやないか」と、りゅう(竜)ちゃんも応戦する。どうやらこの二人は、普段は仲の良い遊び仲間の様である。「ねぇ、ひで(英)ちゃん。人間は、いつ位から空ば飛べるようになったとね?」と、民(たみ)ちゃんが言った。この娘は「ねぇ仙人さん。うち、こげな(こんな)可愛いか男の子ば産みたか」と、紙の人形を仙人さんに手渡した娘だ。村一番の美人で男の子全員のマドンナである。その民(たみ)ちゃんの質問なので、クラス中が、ひで(英)ちゃんの答えに注目した。「歴史の本によると、諸葛孔明ちぃ言う中国の偉か軍師が、天灯っちぃ言う物んば飛ばしたらしか。」と、ひで(英)ちゃんは説明を始めた。すると「世界で最初に空ば飛んだつは(飛んだのは)、ライト兄弟や無いとね?」と、誰かが口を挟んだ。「ライト兄弟が飛ばしたつは、飛行機たい。天灯っち言う物は気球ばい」と、ひで(英)ちゃんが答えた。「気球っちゃ風船のこつね?(気球って風船の事なの?)」と、再び誰かが聞いた。そこから、本格的なひで(英)ちゃんの授業が始まった。「風船も二種類あるとよ。明治通りの旭日屋デパートの上に飛んどるとは、ガス気球たい。あれのガバイ太かつが(とても大きい物が)ドイツが作ったツェペリン飛行船ばい。もうひとつは、熱気球っち云うやつで、仙人さんが作ってくれる火の玉ばぁ、ガバイ太お~した物たい。孔明の天灯もこれたいね。空気は、温めると熱くなった分は上に登っていく。やかんの湯気は上に昇るやろが。あれと同じたいね。そこで、その熱か空気ば袋に溜めると、その袋は、空ば(を)飛ぶちゅう仕組みたい」と、得意げに話しが進む。すると「でも仙人さんの火の玉は、紙で作っとるばい。紙の風船じゃぁ人は飛ばせんめぇ(飛ばせないだろう)」と、至極もっともな事を誰かが言い出した。しかし、ひで(英)ちゃんは「そげなぁこつは無かよ。(そんな事は無いよ)昔の日本の戦闘機は、紙ば貼って造ったやつも有るけんねぇ」と、答えた。「えぇ~紙の飛行機で戦争しよったと。だけん、アメリカさんに負けるとばいね」と、話題はどんどん発展し反れて行く様である。そうするうちに本当の授業再開の鐘が鳴った。

放課後「お~い、仙人さんが来とらすよぉ(来ているよ)」と、鎮守の森に続く畦道の端で、りゅう(竜)ちゃんが声を張り上げて来た。途端に、ジョーは目を輝かせ、声のした方へ駈け出して行った。「お~い、待てばぁ~い(待てよ)」と、ひで(英)ちゃんも、後を追い駈け出した。時代は、高度経済成長の波に乗り始め、すでに、戦争を知らない子供達の時代が始まっていた。しかし、アイノ子と呼ばれた幾人かの子供達は、まだ戦争の息吹を背負って生きていた。鎮守の森の中では、すでに仙人さんの昔話が始まっていた。どうやら今日の話は、女海賊が活躍する話の様である。「仙人さん、その女海賊は、どれ位強かったとぉ?」と、身を乗り出す様にして、赤毛のマリーが質問をしていた。「そうやね、ここの悪ガキ達がみんなでかかっても、女海賊ひとりで、ぶっ飛ばせたやろねぇ」と、仙人さんが答える。すると「すごかぁ、うち女海賊になりたかぁ(すごい。私女海賊に成りたい)」と、空かさずマリーは言った。川漁師の息子のジロキチが「マリーはお転婆やけん、いまでも女海賊たい」と、からかうと皆がどっと笑った。赤毛のマリーは、すこし膨れた。しかし、憧れの女海賊と言われてまんざらでもない様子だった。しかし、マリーは、女海賊に成り誰と戦うつもりなのだろうか? この子供らのひこうき雲は、どこに向かって伸びるのだろうか。実のところ飛行機雲は、戦闘機乗りにとって、自分の居場所を敵に知らせる厄介者でもあった。そして、飛行機雲が長く消えない時は、天気が崩れるとも言われていた。だが、子供達の行く末や、来る時代の暗雲は、まだこの子らに測り知れるものではなかった。

消え立ちぬ ひこうき雲に きのこ雲

~ 天空の脊振の峰を渡る ~

今日も朝から突き抜ける様な快晴だ。しかし、もう十日程雨が降っていない。だから、そろそろ天気が崩れても可笑しくない。私達は、伊都国に着くまでは、雨にならない様に祈りながら、メタバル(米多原)の館を出発した。ハク(帛)お婆と、カメ(亀)爺は、メタバル(米多原)の湊まで見送りに来てくれた。カメ(亀)爺が、アチャ爺に、大事そうに包みを手渡した。アチャ爺は、いつもの様に陽気に「兄貴よ。今度はあの世で会おう」と、手を振った。タマタレメ(玉垂女)族長と、イワイ(磐猪)軍団長は、愛しい孫との別れに涙をこらえていた。私達を乗せた田舟を、大勢のヤマァタイ(八海森)国の民が、川の流れが途切れる上流まで、両岸から引いてくれた。山の麓の渓流まで辿り着くと、ここからはいよいよ歩きになる。伊都国までは、サヤマ(狭山)組頭と、二十人の屈強な若衆が送ってくれる事になっている。ハク(帛)お婆と、カメ(亀)爺は、私に沢山の宝物を持たせてくれた。まるで嫁入り道具の様にである。その宝物は、十人の若衆が背負っている。タマタレメ(玉垂女)族長と、イワイ(磐猪)軍団長が、愛しい孫娘達に持たせた嫁入り道具は、五人の若衆が背負っている。そして残りの五人の若衆は、朱塗りの椅子を背負っている。どうやら、私と、三姉妹と、アチャ爺の為の椅子の様だ。そして、あの椅子に座り、私達は、山越えをする様である。楽そうだけど、何だか薪木の柴にでも成った様で、情けない状態でもある。私は、頑張れる所まで、自分の足で登ろうと思った。高来之峰だって、自分の足で登れたではないか。と、私は自分に言い聞かせた。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)と、シモツ(志茂妻)の三姉妹は、既に椅子に座り出発を待っている。その椅子の背持たれには、丈夫な飾り紐が結えてあり、それを両肩に通し、振り落とされない様にしてある。アチャ爺も、よいこらしょと、背負われた。どう見ても滑稽である。私は歩いて登ると言うと、私を背負う事になっている若衆は、どうしたものかと困ってしまった。サヤマ(狭山)組頭が「日巫女様も早く椅子にお座りください」と、私を促した。しかし、私が自分の足で登ると主張するので、皆困りはて、出発が滞っている。すると、「心配しないで大丈夫。しばらくピミファ姫は歩かせてください」と、加太が言ってくれた。「しかし、かなり険しいですよ」と、サヤマ(狭山)組頭は心配している。「アハハハ。サヤマ(狭山)よ。大丈夫じゃて。この上品な姫様達と違って、ワシ(私)の姫は、腕白育ちじゃからのう。人に背負われて行くなど、お転婆娘の誇りが許さんのさ。心配ない。心配ない。アハハハ・・・」と笑って言った。「そうですかぁ。でもアチャ副頭領がそう言うのなら大丈夫なんでしょうね。じゃぁお前達は、アチャ副頭領を交代でからえ(背負え)」と、サヤマ(狭山)組頭は、若衆に指示をした。アチャ爺は「ほんなら、ワシはしっかり楽ばさせてもらおうかのう」と、ほくそ笑んだ。私は、勇んで夏希さんから貰った皮のサンダルのベルトを引き締めた。山道は、サヤマ(狭山)組頭の言う通りにかなり険しかった。高来之峰の登山道は、誰でも登れる様に作られていた様だ。しかし、伊都国に抜けるこの裏街道は、山の民専用だった様で、途中はいくつも沢登りになった。だから、知らない者には、とてもこれが道だとは思えなかった。加太は、龍人なので息を荒らす事も無く、スタスタと勢いよく登っていく。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)と、シモツ(志茂妻)の三姉妹は、涼しげな顔をして、秋の気配がし始めた山間の青空を眺めている。アチャ爺は、すでにコックリ、コックリと、居眠り中である。私は空いている椅子に目を奪われない様に、ひたすら下を向いて、沢沿いの急な山道を登り続けた。しかし、もう駄目だと思い始めた頃に、山の民が暮らす小さな集落に着いた。この村でお昼を取る様だ。私は、お昼を食べると倒れこむ様に寝込んだ。どれ位お昼寝をしたのだろう。サヤマ(狭山)組頭が「そろそろ出発ですが、どうしますか?」と、背負子の椅子に目をやった。私は、そうとう迷って自力走行を続ける事にした。しかし、半時もせず、自分の意地っ張りさを恨み始めた。その様子を見て、サヤマ(狭山)組頭が「お~い。そこで待て」と、空の椅子を背負った若衆を呼びとめた。私は、助かったぁ~と、心で思いながら「大丈夫です。自分で登れます」と、自暴自虐な言葉を発してしまった。「嗚呼、今度、『素直になれる薬』の作り方を加太に習おう」と、反省しながら息を切らして登り続けた。日が傾き始めた頃、ようやく峠の麓に広がる集落に到着した。そして、私はいつ夕餉を取ったかも覚えていない。それ程に疲れて爆睡した。肌寒さを感じて目覚めると、すでに朝だった。朝餉の良い匂いが、昨日の疲れを癒してくれた。既に、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)と、シモツ(志茂妻)の三人は起きており、化粧をしていた。私が起きた事に気がついたカミツ(香美妻)が「日巫女様もお目覚めですか。では、化粧をして差上げましょう」と言った。直ぐに汗まみれに成る事が分かっている私は「それより、朝餉が食べたい」と言った。「まぁ朝からお元気な事。安心しました。早速、朝餉を持ってきます」と、ナカツ(那加妻)が台所に向かった。シモツ(志茂妻)は、朝から加太を質問攻めにしている。よし、これなら私の『素直になれる薬=意地っ張りを治す薬』は、シモツ(志茂妻)に作らせようと決心した。シモツ(志茂妻)がんばれ!!

朝餉は、シシ肉が入った汁物だった。私は、大きなお椀で、三杯もお代わりをして、ひと心地着いた。「今日はどうしますか?」と、サヤマ(狭山)組頭が私に訪ねた。その口調は「もう意地を張るのは、お止めなさい」と言っている様だった。でも、私は「今日も自分の足で歩きます」と言ってしまった。一刻も早く加太に学ばせて、シモツ(志茂妻)に『意地っ張りを治す薬』を作らせないといけない。私は、自分を呪いつつ集落を後にした。ここは盆地になっている様だ。山の中なのに広々とした田畑が広がっていた。そして、ここに住む民もクマ族らしい。手足や顔に入れ墨を施した子供達が、元気に遊んでいた。ヤマァタイ(八海森)国の民は、ジョ(徐)家の末裔なので、誰も入れ墨をしていなかった。私は入れ墨を施し、元気に飛び回る男の子達をのんびり見ていた。そして、クマト(熊人)と、ハイト(隼人)の顔を思い浮かべ重ねた。でもどこか、入れ墨の印象が違っていた。山の精霊と、海の精霊の違いだろうか。コトミ(琴海)さんの顔の入れ墨は、ワニの精霊を表しているそうだ。私達、呪いの巫女の化粧に比べたらとても美しい。そして、柔らかい神聖さがある。手足に、小さな草花の入れ墨を施した幼い女の子が、野の花を摘んいる。そして駆け寄ると、私に手渡してくれた。私は、手を取ってお礼を言い、髪の毛にその野の花を挿した。山の風は、すでに心地良い秋風だった。半時ほど、なだらかな田畑の畦道を進み、野歩きを楽しんだ。そして目前に高々と峰が立ちふさがった。いよいよ、この旅で最大の峠に挑む時である。「良~し」と気合を入れていると、昨夜世話になった村の村長が、息を切らせて追ってきた。そして「昨夜は、別の山里で忌み事が有り、今朝村に帰ってきました。だから、日巫女様の到着にご挨拶もせず申し訳ありませんでした」と誤った。私は恐縮し「私達こそ突然お世話をおかけし、有難うございました。シシ汁とても美味しかったです」とお礼を言った。村長は満面の笑みを浮かべ「それは良かった。それは良かった」と何度も頷いていた。そして村長は、「今晩のおかずにでも」と言い、シシ肉の燻製を沢山持たせてくれた。アチャ爺は、その量の多さに驚き喜んでいた。しかし、私は、こんな山奥まで私の噂が広まっている事の方に驚いた。メラ爺の情報網は、どこまで広がっているのだろうか???・・ そのシシ肉を、独り占めせんばかりに、加太が担いでいる。私は、何故だか無性にメラ爺のアカアシエビの燻製が食べたくなった。

峠へは思ったより楽に到着した。ゆっくりと時間をかけて登ったからだろう。きっと、私の我ままで、予定より、のんびりした旅になっているのかも知れない。安外と元気そうにしている私に、サヤマ(狭山)組頭が「ここから二つの道が有ります。ひとつは、北に向かって山を下り、途中でもう少し小さい峠を越えて伊都国に至る道。後の一つは、山の尾根沿いに西に歩き、大きな峰を越えたら、一気に海を目掛けて下りる道です。どちらにしますか?」と、訪ねた。私は「大変なのは、どちらの道ですか」と、聞き返した。すると「後の方が大変です。でも、見晴らしも後の方が良いですよ」と、サヤマ(狭山)組頭は教えてくれた。「じゃぁ尾根沿いの道にしてください」と、私はお願いした。しかし、今度は意地からだけではない。尾根から望む伊都国と、今越えてきたばかりのクマ族が暮らす山間(やまあい)の景色が見たかったのだ。私は、木綿葉川で暮らすクマ族や、この山間で暮らすクマ族に接した事で、クマ族への見方が変わり始めていた。そして、何よりもメラ爺との出会いは、私のクマ族への偏見を打ち壊していた。

峰には、丁度お昼過ぎに到着した。だから、お昼はここで食べる事になった。山頂は、大きな岩がごろごろと転がっていたが、とても見晴らしが良かった。北には、伊都国と、広がる海が見渡せた。南には、見事な山間の景色が広がっていた。いくつも点在する山間の村は、思っていた以上に多かった。「あの辺りの山間には、温泉も湧いていますよ。」と、サヤマ(狭山)組頭が指差した。私は、機会があればぜひ行きたいものだと、目を凝らして眺めた。こんな素晴らしい山の景色を見たら、先ほど村長に貰ったシシ肉の燻製を食べない手はない。私は、加太に薄切りにしてもらい、皆に配って回った。アチャ爺が、今夜の酒の肴が無くなりはしないかと、心配そうに見ていた。シシ肉の燻製は、皆の元気を取り戻した。それにしても、私は益々メラ爺のアカアシエビの燻製が食べたくなった。スサト(須佐人)は、まだちゃんと取って置いてくれているだろうか。私は、アチャ爺の酒の肴と同じ位心配に成って来た。

充分元気を取り戻した私を見て、また、サヤマ(狭山)組頭が「ここから北に向かって山を下ると、伊都国に着きます。しかし、あの高い峰まで、もう少し尾根沿いに歩いても、下りる道が有りますです。どちらにしますか?」と、訪ねて来た。だから、私は「この峰と、あの峰とでは、どちらが高いですか」と、聞いた。「あの峰は、ソソギ(層々岐)岳と言います。この山脈では、一番高い峰なので、皆がそう呼ぶのです。そして、ここはイワラ(磐羅)山と云い、二番目に高い峰です」と、サヤマ(狭山)組頭が答えたので、私は「一番高いソソギ(層々岐)岳まで行きましょう」と言ってしまった。すると、サヤマ(狭山)組頭は、大笑いを始めた。それに合わせるかの様に、若衆達も大笑いを始めた。アチャ爺が「本に、ピミファは意地っ張りじゃのう」と言うと、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)と、シモツ(志茂妻)も楽しそうに笑いだした。私の意地っ張りは、そんなに可笑しいのかしらと思いながら、私は構わず歩き始めた。サヤマ(狭山)組頭は、二人の若衆に、何やら指示を出していた。尾根をしばらく歩いて振り返ると、先ほどのイワラ(磐羅)山より白い煙が上っていた。「あれは、何の煙ですか?」と、サヤマ(狭山)組頭に聞くと「伊都国に煙を上げて、ソソギ(層々岐)岳から降りると、知らせているのです。烽火(ノロシ)と言います」と答えてくれた。私は、烽火に興味が沸いたので「ただ煙を上げただけなのに、何故どの峰から降りるのか分かるのですか???・・ 」と聞いた。「良く煙を見ていてください。時々煙が途切れるでしょう。長~く煙を上げたら、最初の峠から降りてくる。短い煙を何度か上げたら、お昼を食べた峰から降りる。そして、今の様に長い煙と短い煙を交互に上げたら、ソソギ(層々岐)岳から降りるという合図になっているのです」と、サヤマ(狭山)組頭が教えてくれた。私は、烽火を考えた人は、何てすごい人なのだと感心してしまった。すると「クマ族から教わったんですよ。クマ族は山の民だから、山と山の上で烽火を使って連絡をするんです。わざわざ谷に下りて伝えるよりとても楽だし、その上早いですからね」と、サヤマ(狭山)組頭が言った。なるほど、私達の様な海原の民には、思いつかない事である。私は、益々クマ族に興味が沸いてきた。

ソソギ(層々岐)岳の山頂には、大きな岩がドンと座っていた。そして、その周りには、広々とした草原が、秋風を揺らめかせていた。ここからの眺めも素晴らしい。北に広がる伊都国の田畑と、海の眺めは、見飽きる事がなさそうだ。高来之峰から眺めたツクシノウミ(筑紫海)も絶景だったけど、この海には、ピョンハン(弁韓)国へ続く青い水平線が広がっていた。そして、ジンハン(辰韓)国に行くには、まず、スロ(首露)船長の祖国であるピョンハン(弁韓)国に行く必要がある。だから、この海は私達が渡る海でもある。高来之峰には無かった眺めは、南にもあった。それは、どこまでも続く山並みと、ヤマァタイ(八海森)国の広大な平野だった。そして、東に連なる山々には、大勢のクマ族が住んでいる。私達とクマ族が、共に暮らせる日は、訪れるのだろうか???・・ 私は、ソソギ(層々岐)岳の大岩の上で、辺りをぐる~っと見渡しながら、とても、不安な気持ちが押し寄せてきた。そんな不安をよそに、ソソギ(層々岐)岳から伊都国への下り道は、走り出したくなる位素晴らしかった。私の家から眺める海よりも、何倍も大きく、そして美しく見えた。その上、伊都国には、私の村には無い、大きな平野が広がっていた。その平野の先には、海に浮かぶ様に、なだらかで優美な姿の山が見えた。大きさは、私達の裏山位だが、美しさは比べ物にならなかった。私は、その山を見失わない様に、ズンズンと山道を下った。サヤマ(狭山)組頭が道案内でなければ、私はサヤマ(狭山)組頭さえ追い抜いて先頭を歩いた事だろう。可哀想な事に、椅子に座り背負われた四人には、この素晴らしい景色が見えなかった。私は、きっとこれが自力で山を越えたご褒美だと思った。麓まで降りると、伊都国の役人達が、輿を連ねて待っていてくれた。私は、ここからは意地を張らず輿に乗る事にした。そして、不覚にも輿の揺れに心地よく眠ってしまった。「ピミファ姉ぇ様、起きて」と、言う懐かしいシカ(志賀)の声が聞こえてきた。乱暴に私を揺すぶるハイト(隼人)の顔も見えてきた。私は、涙を止める事も出来ずシカ(志賀)とハイト(隼人)を抱きしめた。

~ 伊都国ウス(臼)王への謁見 ~

伊都国の都三雲は、これまで見た事もない大きな町だった。三雲は、倭国の首都でもある。そして伊都国の王が、代々倭国の政務を務めているそうだ。伊都国の東には、イナ(伊奴)国と、イミ(伊美)国と言う大きな国が有り、昔この三国は、イド(委奴)国と云う、大きなひとつの国だったらしい。しかし、三つの国に分かれても争う事はなく、互いの役割を分けて共存しているそうだ。豊かな穀倉地帯を持つイナ(伊奴)国は、大きな軍事力も持っている。伊都国は、その軍事力に守られており、自らは軍事力を持たない非戦国家らしい。だから、この町には城壁が無い。戦さの匂いがしない三雲は、本当に素晴らしい都の様だった。人々の表情も穏やかで明るい。海から浮かび上がった優美な山は、伽耶(カヤ)山と言うそうだ。この伽耶山の表情と人々の表情は切り離せないほど同じ柔らかさを持っていた。

ユリ(儒理)達は、私達を待つひと月近くの間を、三雲の王の館で過ごしていた。そして、伊都国のウス(臼)王は、スロ(首露)船長と同じ歳で、それも親友らしい。ウス(臼)王には、子がいないので、ユリ(儒理)達を、我が子の様に可愛がってくれていた。その様子ときたら、公務の間を割いては、毎日の様に子供達と遊んでいたらしい。特におませなで可愛いシカ(志賀)が、大のお気に入りで、いつも、ミヨン(美英)に養女にくれないかと、頼んでいたらしい。でも、肝心のシカ(志賀)は、ユリ(儒理)のお嫁さんになるので、ジンハン(辰韓)国に行くのだ。と言い養女の話は、お流れになっていた。スサト(須佐人)は、伊都国の太学に通っていた。しかし出来の方は分からない。でも、きっと優秀な生徒に違いない。テル(照)お婆には、料理のお弟子が沢山出来ていた。王の料理番が一番弟子だったので、王の館の厨房が、テル(照)お婆の城になっていた。アタテル(阿多照)叔父さんには、大勢の漁師仲間が出来ていた。ここには、倭国中から漁師の若頭が集まっている。アマ族の漁師頭は、族長を兼ねる者が多かったので、彼らは漁のやり方だけではなく、多くの知識を、この伊都国で学んで帰るのだ。イタケル(巨健)伯父さんは、クマ族の頭達と親交を深めていた。ハタ(秦)家の一族は、北の海にも多くが暮らしていて、イタケル(巨健)伯父さんの縁者も多い。そして、彼らはクマ族との取引で潤っているそうである。私は、キ(鬼)国の河童の大将サラクマ(沙羅隈)親方と、ラビア姫を思い浮かべた。交易とはそうなのである。私は、サラクマ(沙羅隈)親方の屋敷での光景が交易の姿だったのだと気づいた。

絶世の美女ミヨン(美英)には、毎日の様に求婚者が押し掛けて来た様だ。その度にテル(照)お婆が「ミヨン(美英)には、恐ろしい赤鬼が付いているから、言い寄ると赤鬼に食い殺されるぞ」と、脅かしていたそうだ。ともかく、皆元気で無事に過ごしていた。私達の動向も、逐一ウス(臼)王には伝わっていた。誰が、いつ、どうやって、ウス(臼)王に伝えたのか不思議だったが、イタケル(巨健)伯父さん達も、皆私達のこのひと月余りの苦難の旅を、手に取るように知っていた。もちろん、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)と、シモツ(志茂妻)の三姉妹の事も良く知られていた。だから、私が説明する事は何もなかった。

 私達は久しぶりに皆で、賑やかな朝餉を取った。ユリ(儒理)と、ハイト(隼人)は、私の両隣に陣取った。シカ(志賀)は、加太の膝の上から離れなかった。「ピミファや、どうだね。私の味が恋しかったろう」と、椀物を手渡しながらテル(照)お婆が言った。私は、意地悪く「ぜ~んぜん大丈夫だったよ。途中で、テル(照)お婆の料理と同じ位、美味しいものも食べたし~ねぇ。アチャ爺」と、アチャ爺に同意を求めた。アチャ爺は、笑いながら「ヨド(淀)も腕を上げ取った。もうお前の味と同じじゃ」と、言った。「そうかい。そうかい。ヨド(淀)に会ったのかい」と、テル(照)お婆は嬉しそうに目頭を潤ませた。「な~にぃ。テル(照)お婆と同じ味が出せる人間が、この世にまだいたのか? そりゃ、その料理ぜひ食べてみたいものだ」と、スロ(首露)船長が驚いた様に言った。そして、今日の椀物は初めて嗅ぐ香りがした。テル(照)お婆は、また新しい香辛料を手に入れた様だ。更に「それなら、こりゃどうだい」と、アク(灰汁)巻きを、私の膳の上にド~ンと置いた。私は、途端に腕を突き上げて「やった~!!」と、叫んだ。サヤマ(狭山)組頭と、若衆達は、私のその姿に驚いて食指が止まった。すると、カミツ(香美妻)が吹き出した。そして、皆が一斉に笑いだした。「ピミファや、日巫女様らしく、もう少しお上品に出来んのかね。どうも、私が育てた娘達は、お行儀がいまひとつじゃわい」と、テル(照)お婆が言った。これには、アチャ爺と、サヤマ(狭山)組頭が吹き出した。ヨド(淀)女将さんを知らない皆は、アチャ爺と、サヤマ(狭山)組頭が何故、吹き出したのか訝しがったが、加太から話を聞いて一同は、またまた大笑いとなった。笑われながら、当の本人の私は、ひたすらアク(灰汁)巻きを頬張った。そして、ヒムカ(日向)に会いたい思いが胸に込み上げてきた。

 朝餉が済むと、サヤマ(狭山)組頭と若衆達は、ヤマァタイ(八海森)国に帰って行った。もちろん、テル(照)お婆は、久しぶりに会った可愛い甥に、たんと美味しいお昼を持たせていた。そして、何と、サヤマ(狭山)組頭達は、今日の夕方には帰りつくらしい。やっぱり、私が足を引っ張っていたのだ。ウス(臼)王との謁見は夕方だった。だから、私はテル(照)お婆の案内で、伊都国の湊町に出かける事にした。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)は、私と一緒に出かける事にしたが、シモツ(志茂妻)は、今日も加太の授業を受けている。シモツ(志茂妻)には、少しでも早く、私の『意地っ張りを治す薬』を作ってもらわなくてはいけない。だから仕方ないのである。シカ(志賀)とミヨン(美英)も、今日は加太と一緒にいたい様だ。アチャ爺は、我がまま娘の御守役を解かれて、ほっと一息ついてうたた寝を楽しむらしい。イタケル(巨健)伯父さんと、アタテル(阿多照)叔父さんは、それぞれの交流会に出かけた。スサト(須佐人)も太学に出かけた。だから、ユリ(儒理)と、ハイト(隼人)を、伴って六人で出かける事にした。私は、沖に泊めている、スロ(首露)船長のジンハン(辰韓)船を、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)に見せたかった。ふたりとも、あんな大きな船は見たことが無い筈だ。だから、スロ(首露)船長は、一足早くジンハン(辰韓)船に戻った。きっと、美しい姫様達をお迎えするには、大掃除が必要なのだろう。伊都国の湊町には聞きなれない言葉が溢れていた。店先にも、見慣れない品々が並んでいた。色とりどりのガラス玉が、腕輪や首飾りとして飾られていた。ナカツ(那加妻)は、その前で釘づけである。すると、そんなナカツ(那加妻)を押し倒さんばかりの勢いで、五~六人の悪ガキ供が駆け寄ってきた。「お頭、どこに行くんねぇ。オイ達も、かてて(加えて)くれんね」と、中の一人がハイト(隼人)に言い寄ってきた。「おう、ジンハン(辰韓)船に乗りに行くったい。付いて来るならコイば(これを)、からえ(背負え)」と、お昼の弁当を手渡した。いつの間にか、ハイト(隼人)は、この湊町のガキ大将になっている様だ。おかげで、私達の弁当も悪ガキ供が手分けをして、からって(背負って)くれた。伊都湾は、千歳川の河口付近と同じ様に、遠浅の海になっていた。だから、やはり杭が打ち込まれ澪標の湊になっていた。それでも、やはり大型船は湊に入れない為、ジンハン(辰韓)船は、伽耶山の沖に停泊していた。ジンハン(辰韓)船まで、悪ガキ供も一緒に行く事に成ったので、五艘の小舟を出して貰った。湊町育ちの悪ガキ供も、大型船には、気軽に乗せてもらえないので、大はしゃぎである。ハイト(隼人)の親分株がまた上がった様である。伽耶山の沖には、ジンハン(辰韓)船以外にも数隻の大型船が停泊していた。皆、外国の船の様だ。サラクマ(沙羅隈)親方のマハン(馬韓)国や、スロ(首露)船長のピャンハン(弁韓)国の船も停泊していた。それ以外にも、南方の国々やシャー(中華)の国々の大型船も停泊している。大半は商船だったが軍船も数隻停泊していた。中でも、ジンハン(辰韓)船に匹敵する大きな軍船は、シャー(中華)の漢王朝の郡使が乗って来た船だと云う事である。マハン(馬韓)国の北方には、帯方郡と云う漢の土地が有り、そこの役人の一人が伊都国に常駐しているそうだ。加太の話では、西域より東の方は、亜細亜と呼ばれているそうだ。シャー(中華)は、その中心に有り、漢帝国が周辺の国に郡使を派遣し、亜細亜全土の盟主を名乗っているらしい。だから漢王朝は亜細亜のガキ大将だ。でもそのガキ大将は随分と老いぼれてしまい、今にも倒れそうだと云う事である。スロ(首露)船長は分かりやすくそう説明してくれた。

 ジンハン(辰韓)船に乗り込んだ途端に、悪ガキ供は、所狭しと船内を駆け回り始めた。悪ガキ供は、ハイト(隼人)に任せて、私は、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)を、スロ(首露)船長の船長室に案内した。ところがスロ(首露)船長は不在だった。何でも火急の用事でピャンハン(弁韓)船に出かけたそうである。そこで、船内の案内は、航海長のカブラ(加布羅)がしてくれる事になった。カブラ(加布羅)もスロ(首露)船長と同じピャンハン(弁韓)人である。ジンハン(辰韓)国の船を、ピャンハン(弁韓)人の船長と、航海長が指揮し操船をしているのは不思議だったが、二人とも余程父様に信頼されているのだろうと思った。カブラ(加布羅)は、もともとピャンハン(弁韓)国の漁師だった。だから、同じ歳のアタテル(阿多照)叔父さんとは気が合う様で、この航海中いつも二人で色んな話をしていた。もちろん、ハイト(隼人)もとても可愛がってもらっている。そして、コトミ(琴海)さんが、オマロ(表麻呂)を信頼する様に、スロ(首露)船長も、カブラ(加布羅)を、とても信頼していた。だから、コトミ(琴海)さんが乗船していなくても、オマロ(表麻呂)が船を指揮していた様に、このジンハン(辰韓)船も、カブラ(加布羅)だけでも動かす事が出来た。カブラ(加布羅)の母ぁ様は倭人だ。だから、カブラ(加布羅)は、倭人の言葉も良く分かる。そこで、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)は、カブラ(加布羅)の両の腕を掴み、しっかり付いて回っている。それに、カブラ(加布羅)は、なかなか男前である。スロ(首露)船長といても決して引けを取らない。しかし、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)には、残念な事に、カブラ(加布羅)には、カフリ(加布里)と言う可愛い娘がいる。よちよち歩きを始めたカフリ(加布里)が、どれ位可愛いかを、私は何度も聞かされている。私は、まだカフリ(加布里)に一度も会った事は無いが、すっかりその可愛らしさが手に取る様に分かっていた。だから、先ほど店先で、カフリ(加布里)に会ったら首にかけてあげようと思い、珍しいガラス玉で作られた群青色の勾玉を買ったのだ。

 お昼が近くなったので船を下りて湊町に戻った。それから、テル(照)お婆お勧めの食堂に行く事にした。食堂は、大通りの中程を入り込んだ路地裏の奥に有った。その店の入口からは「火事じゃないかしら」と、思う位の煙がもうもうと出ていた。更に、店内は既に客がいっぱいで入れそうもなかった。ところが、テル(照)お婆はかまわず「リーしゃん。日巫女様を連れて来たよぉ~」と、店の奥に向かって叫んだ。すると、何かがひっくり返る様な大きな物音がして、もうもうたる煙と一緒に客が押し出されて来た。まだ食べている最中の客は、肉を口に放り込んだまま、地べたに尻もちを付いている。その客達を押しのけながら、上半身裸の大男が包丁を振りかざして飛び出してきた。滝の様な汗と煙がその大きな身体に纏わりついている。そして、いきなり私の前で土下座をした。「あぁ~何たる幸せ。皆の衆~頭が高~い。日巫女様だぞ。日巫女様が俺様の料理をお召し上がりになるんだぞ~。こらそこのお前何してる頭が高~いぞぉ」と、無理やり客にまで、土下座をさせ始めた。客達も、いやがるどころか面白がって土下座を始めた。店の客ばかりではない。「日巫女様だぞぉ~」と云う大声で通りを歩いていた人達も押し寄せてきた。そして「安外、日巫女様って可愛い娘だね」とか「でも悪霊を食い殺せるらしいよ」とか「日巫女様もご飯食べるんだ」とか銘々に私の品定めをしている。すると、店主らしい大男が包丁を振り回し「静かにしろ~お前ら頭が高~い。今から日巫女様が、俺様の料理をお召し上がりになるんだぞ~」と脅かすので皆慌てて再び土下座を始めた。見渡すと路地裏は、土下座をした人で身動きも取れない有様になっている。私は、恐る恐る「あの~お昼が食べたいんですが」と聞いてみた。すると大男の料理人が「皆の衆聞いたか~ぁ。日巫女様が俺様の料理を食べたいそうだぞぉ~。おい、お前ら何している。早く御席をお造りしろ~!!」と、恫喝めいて叫んだ。その勢いにつられて、客や通行人達までもが、慌ただしく路地裏に長い食台を作り始めた。路地裏の店ばかりか、大通りの店からも、食台や椅子を持ち出している。そして、程なく路地裏一杯の大宴会場が出来上がった。すると、身ぎれいな老人が現れて「私は、この商店街の会長をさせていただいている陳と申します。日巫女様においでいただけるとは、我が商店街に栄誉を頂いた様なものでございます。えぇ~」と、あいさつをし始めた。すかさず「話が長いぞ陳爺。早く日巫女様を御席に案内しろ!!」と、大男の料理人が叫んだ。「はいはい。分かったよ。さぁさぁ日巫女様と、姫様達の御席はこちらですよ」と、長い宴会場の中央へ案内してくれた。私達が席に着くと、客や通行人や商店街の人々までも、一斉に思い思いの席に着いた。その様子を見定めたかの様に、大男の料理人の料理が、怒涛の様に私達の前に並び始めた。他の人々の前には、商店街の各食堂から、どんどん料理が並べられた。すべての食卓が料理でいっぱいになると一瞬静寂が流れた。これは嵐の前の静けさである。その静けさの中、先ほどの陳会長がおもむろに立ち上がり「えぇ~本日はぁ~」と、改めて挨拶を始めようとした。すると周りから一斉にブーブーと不平の声が沸き上がった。そこで大男の料理人が「陳爺。開会の挨拶の栄誉は、お前じゃねぇ。テル(照)豊受命様だ。文句あっか!!」と、叫んだ。すると陳会長は「テル(照)様なら致し方ない。さぁテル(照)豊受命様、ご挨拶をお願いします」と、テル(照)お婆の手を取り立ちあがらせた。テル(照)お婆もすっかり伊都国の有名人らしい。「それじゃぁご指名なので挨拶をさせてもらうよ。この席に日巫女様を知らないものはおるまい。だから日巫女様の紹介はいらないね。じゃぁリーしゃんの料理の話をしよう。リーしゃんは、包丁一本で牛一頭が捌ける料理人だ。そのリーしゃんの料理が、旨くない筈はないじゃろ。さぁ~リーしゃんの料理が初めての人は寄っといで、日巫女様が世界一の塗箸でよそって下さるぞぉ。さぁ~宴会の始まりじゃぁ~」と、ぶち上げた。会場には、伽耶山さえ揺さぶりそうな歓声が上がり、大宴会が始まった。ところが、私は、お昼どころでは無くなった。リーしゃんの料理への興味と、少しでも日巫女様の御利益にあやかりたい思いの人々で、大忙しになったのだ。私は、空腹を感じる暇もなく、小皿に料理を盛り続けた。もちろん、笑顔を絶やさずにである。一時ほどしてカミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)が「私達が変わります」と、言ってくれた。でも二人は食べたのかしら???・・ と思いながらカミツ(香美妻)を見ると「大丈夫です。リーしゃんの料理は、味あわせていただきました。それに人々も、そろそろ日巫女様の手づからの箸で無くても、満足し始めている様ですから。今からは、日巫女様が、たんとお召し上がりください」と言ってくれた。私は、心の中で安堵のため息をつき、カミツ(香美妻)に塗箸を手渡した。そして、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)は、私の数倍も愛嬌良く料理を配り始めた。その影響も手伝ってか、宴会の規模は、益々広がっている様である。見ると、食台はすでに大通りにも並び始めている。でも、そんな事に構っているゆとりは、今の私のお腹には無い。私は、テル(照)お婆が渡してくれた竹箸で、出来る限りお上品に、リーしゃんの料理を食べだした。「う~ん。気絶するほど美味しい」私は、竹箸を放り投げて、手掴みで食べたい衝動を抑えながら箸を進めた。「どうだい。美味しいだろう」と、ニンマリ微笑みテル(照)お婆が囁いた。「これは、シャー(中華)の南地方にある楚の国の料理なんじゃよ。その細くて長いものは麺と言うんじゃ。つるつるとして何とも言えん喉越しじゃろぉ」と、教えてくれた。どれもテル(照)お婆の料理とは違う。だから生まれて初めて食べる物ばかりだ。そして美味しい。さすがに、テル(照)お婆お勧めの店だ。「リーしゃん。日巫女様は大満足じゃよ」と、テル(照)お婆が、厨房に声を掛けた。両手が離せない位に大忙しのリーしゃんは、満面の笑顔で応えてくれた。私は時間も忘れて、リーしゃんの料理を楽しんでいた。すると大通りが騒がしくなった。ふと、空を見ると日も傾き始めていた。私は、お腹もひと心地着いていたので、何の騒ぎだろうと、大通りに出てみた。すると、通りの向こうから、大勢の人々と一緒に、ユリ(儒理)や、シカ(志賀)が歩いて来る。加太や、スサト(須佐人)の姿も見えた。別の通りから、イタケル(巨健)伯父さんと、アタテル(阿多照)叔父さんも現れた。「ここにいたのか探したぞ」と、イタケル(巨健)伯父さんが駆け寄って来た。「ウス(臼)王との謁見が近いから、心配して探していたんだぞ」と、息切らせてアタテル(阿多照)叔父さんが言った。「嗚呼、ごめんなさい。つい、リーしゃんの料理が美味し過ぎたものだから、時間を忘れてしまったの」と、私が謝ると。「いやいや私が悪いんじゃ。ピミファを叱らんでくれ」と、テル(照)お婆が露地から出てきた。「困りますねぇ。テル(照)叔母さんが付いていながら、時間を忘れて遊んでいるとは」と、イタケル(巨健)伯父さんが、やんわりと言った。「すまんのうイタケル(巨健)よ。テル(照)は料理の事になると、我を忘れるのじゃ」と、どこからかアチャ爺が現れた。「あれあれ、皆ここで集合してしまいそうだなぁ」と、アタテル(阿多照)叔父さんが、ユリ(儒理)達の方を見た。「さぁ皆急いで館に戻り、ウス(臼)王との謁見の準備をしよう」と、アタテル(阿多照)叔父さんが、皆を促した。すると、ミヨン(美英)の声が聞こえ「大丈夫ですよ。ウス(臼)王が、ここにいらっしゃいます」と言った。皆がミヨン(美英)の方を見ると、ユリ(儒理)と、シカ(志賀)の手を引いて、ウス(臼)王が、にこやかな笑顔で立っていた。

 突然の王の出現に、湊町は大騒ぎとなった。陳商店街会長は、腰を抜かさんばかりに驚いてウス(臼)王の元にすっ飛んで来た。「王様。こんなむさ苦しい所にどうして御出でになったのですかぁ。ワシ等は、王の御出でをお迎えする準備も出来てませなんだにぃ」と、土下座をして詫びた。ウス(臼)王は、すかさず陳商店街会長の手を取って「これこれ、こんな所で座り込んだら、皆の迷惑になろう。さぁ立って立って」と、抱き起す様に陳商店街会長を立たせた。そして手を取ったまま「今日は何でこんなに賑やかなのじゃ。まだ秋の祭りには早かろう。あまりの賑やかさに、私の館の女官達までもが、そわそわしておったぞ」と、言った。陳商店街会長は恐縮して、また土下座に戻りそうであった。「おいおい、また座り込むでないぞ。実は、私もそわそわしておってな。政務も手つかずで子供達を伴って様子を見に来たのだ。案内してくれぬか」と、ウス(臼)王は、陳商店街会長の手を引いた。「もったいない仰せ。実は~~~しかじか~~かくかく~~」と、陳商店街会長は、これまでの経緯を細々と、ウス(臼)王に説明した。それを聞いたウス(臼)王は「そうか。そうか。これは日巫女様の祭りであったのか。どうりで天地を揺るがすほどの賑わいであるはずじゃ」と合点が行った様である。そして、イタケル(巨健)伯父さんが駆け寄り「申し訳ありません。急ぎ帰り仕度を致しますので、お時間の猶予をお与えください」と、頭を深々と下げた。すると、ウス(臼)王は「駄目じゃ。時間の猶予など与えたらもったいない。シカ(志賀)や、お前は館の中で謁見するのと、ここで謁見するのとどちらが望みだ」と言った。シカ(志賀)は「ピミファ姉ぇ様が居るのだからここの方が楽しくて良い」と臆面もなく答えた。「やはり、私とシカ(志賀)は意見が合うなぁ。よし、謁見はここで行おう。イタケル(巨健)殿よろしく頼みますよ。それからご老人。あぁ~名は何と申す?」と、ウス(臼)王が言った。「チチチチ、陳でぇ~す。商店会会長の陳でぇ~す。皆からは陳爺と呼ばれてまぁ~す」と、陳商店街会長は素っ頓狂な声で答えた。「では、陳商店街会長よ。謁見の場を設けてはくれんかね」と、ウス(臼)王が言うと、陳商店街会長は、涙目になり「皆の衆よ。我が商店街が、王の謁見会場に成るぞぉ。あぁ長生きして良かった」と、一目散に駆けだした。それからウス(臼)王は、配下の者に「館の料理と酒もここに運んでくれ。嗚呼それから、町の大通りに酒樽を並べて人々に振舞いなさい」と、指示をした。そして「伊都国の民と、伊都国に来てくれた人々よ。今宵は伊都国の祭りとする。この祭りで称える神は、もちろん日巫女様である。さあ夜が明けるまで、日巫女様の祭りを楽しもうではないか」と、高らかに宣言した。湊町はこの王の宣言に、ソソギダケ(層々岐)岳の峰にまで届きそうな歓声が巻き上がった。

 陳商店街会長は、老骨何するものぞと張り切り、店主達は、老骨に負けていられないとばかりに張り切り、あっと言う間に、大通りには、大きな謁見会場が出来上がった。私とユリ(儒理)は、王と王妃の対座に並んで座った。シカ(志賀)は、ウス(臼)王の右横に座っている。王は一時もシカ(志賀)を手放したくない様だ。シカ(志賀)の隣には、ミヨン(美英)が座り、ミヨン(美英)の横には、加太が座っている。ウス(臼)王の左横には、若い王妃が座っている。その横に、アチャ爺と、テル(照)お婆が座っている。ユリ(儒理)の横には、イタケル(巨健)伯父さんと、アタテル(阿多照)叔父さんが座っている。そして、私の横には、スロ(首露)船長が座っている。少し前から、薄々気付き始めていたが、スロ(首露)船長は、海賊王だけではなく、ピョンハン(弁韓)国の王でもある様なのだ。でも、一国の王が、何故他国の船の船長をしているのだろう。「さぁ、チョンヨン(金青龍)。謁見を始めるが良いか?」と、ウス(臼)王がスロ(首露)船長に訪ねた。「おう始めてくれ。しかし、最初の乾杯は、俺の為に掲げてくれよ。何しろ、ウス(臼)の我ままを聞き入れて、わざわざ遠回りの航路を取ったんだからなぁ」と、スロ(首露)船長は、親しげにウス(臼)王に返事を返した。するとウス(臼)王は「もちろん感謝しているさ。それにしてもユリ(儒理)王子は、アダラ(阿達羅)兄貴に瓜二つだのう」と、言った。えっ???・・!ウス(臼)王は、父様の弟なの???・・「ああ、俺も最初に会った時は驚いたよ。ユナ(優奈)姫と、ユリ(儒理)王子は、アダラ(阿達羅)兄貴に良く似ているとは聞いて来たが、特にユリ(儒理)王子は、若い頃のアダラ(阿達羅)兄貴にそっくりだわい。アハハハハ・・・」と、スロ(首露)船長が笑って答えた。えっ???・・!スロ(首露)船長も父様の弟なの???・・「ああ皆の者すまん。すまん。スロ(首露)王と私は、幼い頃からの友人なのでなぁ。ついつい・・」と、ウス(臼)王が言うと「早い話が悪童仲間よ」と、スロ(首露)船長が言った。えっ???・・!父様は悪童供のガキ大将だったの???・・やっぱり、ナツハ(夏羽)は、父様の子で間違いない。「さて、皆の者。既に皆も知るところとなったが、本日はジンハン(辰韓)国の次期王であるユリ(儒理)王子と、ピミファ姫を、我が伊都国にお迎えする事が出来た。誠にめでたい事である。加えて、ピミファ姫は、日巫女様であり、倭国の希望であり宝だ。こんなめでたい事がまたとあろうか。そして、この倭国の希望をもたらしてくれた。ピョンハン(弁韓)国王のスロ(首露)王に深く感謝したい。皆の者。高々と盃を掲げよ。そしてスロ(首露)王に感謝の言葉を贈ろうではないか。スロ(首露)王万歳~」そう言ってウス(臼)王が盃を天高く掲げると、一斉に「スロ(首露)王万歳~スロ(首露)王万歳~スロ(首露)王万歳~」と、歓喜の声が上がった。それを合図に大謁見会?大宴会???が始まった。

「ところで、イタケル(巨健)殿。出立つはいつなさる予定かな?」と、ウス(臼)王がイタケル(巨健)伯父さんに聞いてきた。「スロ(首露)船長からは、三日のうちには出航したいと、云われているので、それに合わせて準備したいと考えています」と、イタケル(巨健)伯父さんは答えた。「三日かぁ。三日では、倭国中の首長達を集める事は適いませんなぁ。さて、どうしたものかなぁ?」と、ウス(臼)王は考え込んでいる。「何を悩んでおる。まさか、日巫女様のお披露目の祭事を、考えておったのか?」と、スロ(首露)船長が聞いた。「さすがに察しが早いな。チョンヨン(金青龍)お前の言う通りさ。知っての通り、今や日巫女様降臨の噂は、倭国中に広まっておるからな。伊都国に日巫女様が居られたのに、お披露目の祭事もしなかったと成っては、首長達から大きな不満が聞こえそうじゃ」と、ウス(臼)王が嘆いて答えた。「でも待てんぞ。この時期は大嵐が多いからな。この好天気の内に出航させないと危ないからなぁ」と、スロ(首露)船長が念を押した。「王様。良いでは有りませんか。アダラ(阿達羅)王も待ちくたびれていらっしゃる事でしょう。そして何よりも、チョンヨン(金青龍)様が、出航はこの時期を逃せないとおっしゃるなら、そうするしか有りません。首長達には、日巫女様の御帰りを待ってもらいましょう」と、若い王妃が意見を添えた。「菊月の申す通りではあるのだがなぁ。しかし・・・」と、まだ、ウス(臼)王は悩んでいる。「王様は、もしかして、シカ(志賀)姫とお別れするのがお辛いのでは有りませんか?」と、若い王妃がいたずらっぽい笑顔で聞いた。「鋭いのう。菊月はアハハハハ・・・」と、ウス(臼)王はシカ(志賀)の頭をなでながら笑った。「シカ(志賀)姫は、やはり私の娘になってくれんのかな」と、ウス(臼)王がシカ(志賀)に優しく尋ねた。シカ(志賀)は「私は、ユリ(儒理)のお嫁さんになるから、ジンハン(辰韓)国に行くのよ」と、しっかり答えた。「やっぱり駄目か」と、ウス(臼)王は、ミヨン(美英)を見て笑った。「ユリ(儒理)王子を養子にすれば、シカ(志賀)姫も伊都国に留まってくれ様が、アダラ(阿達羅)兄貴が許す筈もないから困ったのう」と、ウス(臼)王が嘆いた。「ウス(臼)よ。ククウォル(朴菊月)は、まだ若いでは無いか。まだまだ子宝には恵まれるよ。シカ(志賀)に未練を持つより、自分の子作りに励め」と、スロ(首露)船長がウス(臼)王を叱咤激励した。「お任せ下さい。これからしっかり丈夫な子を産んで見せますから」と、若い王妃は顔を赤らめて答えた。「そうじゃのう。シカ(志賀)姫の事は諦めて、我が子作りに励むとするか。菊月よ。よろしく頼むぞ」と、ウス(臼)王は明るく答えた。「はい、王様。シカ(志賀)姫に負けないくらい可愛い子を産んで見せましょう」と、王妃も明るく答えた。「ところで、チョンヨン(金青龍)よ。日巫女様の御戻りはいつくらいになるのじゃ」と、ウス(臼)王が聞いた。「シカ(志賀)を諦めたら、こんどはピミファ姫に未練か? ウス(臼)よ、お前は相変わらず欲張りな奴だなぁアハハハ・・・」と、スロ(首露)船長が笑った。「違う違う。これは王としての務めだから聞くのだ。日巫女様を独り占めなんか出来るものか。首長供に説明せねばならぬから聞くのじゃ」と、ウス(臼)王が返した。「なるほど。確かに何も皆に伝えず、ただ日巫女様をジンハン(辰韓)国に帰したとは、王で無くとも言えまいなぁ。そうだなぁ。もう冬が近いから今年は戻れまい。まぁ船が出せたとしても、すぐには、ユナ(優奈)姫がピミファを返すまい。だから、帰国は春になろうなぁ」と、スロ(首露)船長は答えた。「それなら、ゆとりは充分あるなぁ」と、嬉しそうにウス(臼)王が答えた。「ウス(臼)よ。倭国中を挙げての祭事にするつもりか?」と、スロ(首露)船長が聞いた。「もちろんだとも。倭国にとっては、千年に一度の吉日になろう。そして、これを期に各地の内乱も収まり始めるだろう」と確信に満ちた表情でウス(臼)王が私を見た。私は、とても不安に成った。何の力も無い小娘の私に、何で人々は、大きな期待を託すのだろうか。そんな私の不安を察して、王妃が「でも、まだしばらくは、ジンハン(辰韓)国のお姫様ですよ。それまでは、のんびり家族の温かさを味わっておいて下さい。人生は、くよくよ悩むより、案外どうにか前に進むものですよ」と、励ましてくれた。「さすがに、若いがククウォル(朴菊月)は苦労人だ。俺達より肝が据わっているわい。アハハハ・・・」と、スロ(首露)船長が嬉しそうに笑った。「いえいえ、お父様のしつけが良かったからですよ」と、王妃はスロ(首露)船長を見て笑った。えっ?!王妃は、スロ(首露)船長の娘なの???・・ 再び、私にはいくつもの疑問が湧いてきた。そんな私の困惑した様子を見て、スロ(首露)船長が「ピミファ姫には、ジンハン(辰韓)国に着くまでには、色々話しておこうと思っていた。が、どうやらのその様子を見ていたら、そろそろ話しておかねばなるまい」と、真顔になり私を見て言った。すると、「チョンヨン(金青龍)よ。その話は、私にさせてくれないか。御主より私の方が、少しばかり冷静に話が出来そうだ」と、ウス(臼)王が割って入った。「そうだな。身内同士で殺し合った者より、お前の方が良さそうだな。頼む」と、スロ(首露)船長が静かに同意した。そして「菊月にも辛い思いをさせるが宜しいか?」と、ウス(臼)王が王妃に訪ねた。「はい王様。構いません」と、王妃がうつむいて答えた。きっと、とても大変で嫌な話の様だ。私は突然、周りの賑やかな祭りの声が消えたかの様に感じた。

《 ウス(臼)王が語るネロ(朴奈老)の反乱 》

今から十八年以上も昔の話だ。ジンハン(辰韓)国で、ネロ(朴奈老)の反乱と呼ばれた内乱があった。反乱の首謀者のネロ(朴奈老)は、私達の憧れの大将だった。そして、ピミファ姫の父上であるアダラ(阿達羅)兄貴とは、従兄弟だった。ネロ(朴奈老)大将と、アダラ(阿達羅)兄貴とは、十歳違いだった。ネロ(朴奈老)大将には、カロ(華老)と言う弟がいて、アダラ(阿達羅)兄貴より二つ年上だった。だからカロ(華老)兄貴と、アダラ(阿達羅)兄貴は、まるで本当の兄弟の様に育った様だ。反乱が起こった時の王は、ピミファ姫の御祖父様のイルソン(逸聖)王であった。だから、ネロ(朴奈老)大将を切り倒し、反乱を鎮圧したのは、アダラ(阿達羅)兄貴だ。ネロ(朴奈老)大将を、実の兄の様に慕っていたアダラ(阿達羅)兄貴は、そのまま姿を隠し、ジンハン(辰韓)国には戻らなかった。王位継承者でもあったネロ(朴奈老)大将を殺し、自分が王位に着く気にはなれなかったのだろう。

その反乱が起きる九年前に、私達は、鯨海遊民会と言う悪童王子供の秘密結社を作っていた。発起人は、アダラ(阿達羅)兄貴だ。きっかけは、末盧国のカガミ(香我美)が、十四歳になり、元服を済ませたので酒宴を開いた事だった。カガミ(香我美)の事は、ピミファ姫も、チョンヨン(金青龍)や、コトミ(琴海)族長から話を聞いている様だね。当時、私達は、それぞれの王位や、族長の席からは離れた所にいた。王位継承でいえば良くて二番手、悪くて四~五番手と言ったところだ。だからその分皆気楽だった。アダラ(阿達羅)兄貴は、身体も大きかったから、鯨海一の悪童で評判だった。だから、チョンヨン(金青龍)と私は、アダラ(阿達羅)兄貴にぞっこん惚れこんでいた。カガミ(香我美)は、鯨海遊民会では一番年下だったからアダラ(阿達羅)兄貴は、特に可愛がっていた。私達悪童供を温かく見守っていてくれたのは、末盧国のヒラフ(比羅夫)大統領だった。ヒラフ(比羅夫)大統領は、鯨海ばかりか、東海中に知れ渡った大統領だった。そのヒラフ(比羅夫)大統領が庇護する悪童連なので、各国の首長達も、私達鯨海遊民会が引き起こす乱痴気騒ぎを、大目に見てくれていた様だ。その為、アダラ(阿達羅)兄貴が、軽い気持ちで始めた鯨海遊民会もあっと言う間に、五十人近い大集団に膨れ上がった。最初、カガミ(香我美)の祝いの酒宴に集まったのは、カロ(華老)兄貴に、アダラ(阿達羅)兄貴と、同じ歳で親友のミョンス(金明朱)兄貴。ミョンス(金明朱)兄貴は、チョンヨン(金青龍)の一族でもあった。それに私を入れた六人だけだった。だから、アダラ(阿達羅)兄貴は、そんな大所帯になるとは思っていなかった。そこでネロ(朴奈老)大将を引っ張り出して来て会長にした。当時のジンハン(辰韓)国の王は、ネロ(朴奈老)大将の異母兄であるチマ(祇摩)王だった。翌年、息子に恵まれ無かったチマ(祇摩)王は、歳の離れた異母弟のネロ(朴奈老)大将を太子にした。だから、私達鯨海遊民会は、益々勢いづいた。多い時には、百艘以上の船団を連ねて、鯨海中を渡り歩いたものさ。皆、若くて元気だったからね。沿岸の民は、私達の一行を、まるでお祭りの行列の様に出迎えてくれたよ。私達の活気が、運を呼ぶと言ってね。戦争中の国だって私達のお祭り船団が行くと、休戦状態に成る位さ。本当に楽しかったなぁ、あの頃は。ところがそれから程なくして、チマ(祇摩)王が亡くなった。私達は、ネロ(朴奈老)大将が、王位に就くものだとばかり思っていた。しかし、王位に就いたのはアダラ(阿達羅)兄貴の父上、イルソン(逸聖)王だった。そもそも、イルソン(逸聖)王は、ジンハン(辰韓)国の正統な王位継承者だった。しかし、先王が亡くなった際に、イルソン(逸聖)王には、後継ぎの男子がいなかった。だから、群臣達は、弟のパサ(婆娑)を、王に建てたそうだ。ネロ(朴奈老)大将の父上だ。パサ(婆娑)王には、すでに世継ぎのチマ(祇摩)がいた為、パサ(婆娑)王の後は、チマ(祇摩)王となった。そしてチマ(祇摩)王即位の翌年に、アダラ(阿達羅)兄貴が誕生した。その為、正統な王位継承者だったイルソン(逸聖)王は、王位を取り戻し、アダラ(阿達羅)兄貴を王にしようと画策し始めた。ところが、ネロ(朴奈老)大将を兄と慕うアダラ(阿達羅)兄貴は、成長しても全く王位に興味を示さなかった。しかし、もしネロ(朴奈老)大将が王位に就いたら、ネロ(朴奈老)大将は、アダラ(阿達羅)兄貴を太子にした筈だ。だから、どの道、アダラ(阿達羅)兄貴は、王になる運命にあったのだと、私達は今でも思っているんだよ。チマ(祇摩)王の崩御から程なく素早く、イルソン(逸聖)王が王位についた。しかし、あまりにも高齢だったので、周辺諸国も皆驚いたよ。血統の正統性からすると、ネロ(朴奈老)大将より、圧倒的にイルソン(逸聖)王が、有利だったからね。表だって反対できるものはいなかった。それに、アダラ(阿達羅)兄貴を、王位に就けたいと願うイルソン(逸聖)王の意を汲んで、ネロ(朴奈老)大将は、自ら身を引いた。翌年、ネロ(朴奈老)大将は、妻子をジンハン(辰韓)国に置いたまま、私の伊都国に身を寄せてきた。当時、伊都国王であった私の父は、ジンハン(辰韓)国と敵対していたマハン(馬韓)国と友好を結んでいた。だから、ジンハン(辰韓)国を牽制する思惑も働いた様だ。父は、ネロ(朴奈老)大将を、志賀の島に住まわせた。志賀の島周辺には、末盧国の沫裸党が多く暮らしていた。だから、暗にヒラフ(比羅夫)大統領の庇護も受けていたのだ。その上、私の父と、ヒラフ(比羅夫)統領は親友だったので、ネロ(朴奈老)大将は、強固な防衛線に守られていた事になる。パサ(婆娑)王の三男だったカロ(華老)兄貴は、争いを避けて生母の火の巫女と北方に渡った。カロ(華老)兄貴の母は、貧しい渡り巫女の出だった。だから、カロ(華老)兄貴が王位継承の争いに巻き込まれる可能性はなかったが、兄のネロ(朴奈老)大将がいなくなったジンハン(辰韓)国には居たくなかったのだろう。その為、遊行集団に交じって出奔したのだろう。そしてアダラ(阿達羅)兄貴は、その王位継承争いに抗議するかの様に、チョンヨン(金青龍)のピョンハン(弁韓)国に居着いて、ジンハン(辰韓)国に戻らなかった。困りはてたイルソン(逸聖)王は、何とか策を巡らせていたが、数年後、北方より濊貊(わいはく)族が侵入して来た。イルソン(逸聖)王は、この機会を利用して、ネロ(朴奈老)大将と、アダラ(阿達羅)兄貴に帰国命令を出した。ネロ(朴奈老)大将は私達の呼び名の様に、ジンハン(辰韓)国軍の若き大将で有った。そしてアダラ(阿達羅)兄貴も、その元で一軍を任された勇猛な将軍だった。ネロ(朴奈老)大将に討伐軍の総指揮を取らせるという事は、ネロ(朴奈老)大将が近い将来に、最高位の伊伐飡(イボルチャン)に任命される事を示唆していた。だから、アダラ(阿達羅)兄貴も、その帰国命令には逆らえなかった。元々、イルソン(逸聖)王は、甥のネロ(朴奈老)大将を、とても信頼いていたのだ。同じ甥でも、王位に就いた兄のチマ(祇摩)王に対しては、憎々しくさえ思っていた様だが、弟のネロ(朴奈老)大将は、小さい頃から良く可愛がっていたそうだ。だから、最高位の伊伐飡(イボルチャン)にネロ(朴奈老)大将を就かせる事は、不思議ではなかった。イルソン(逸聖)王は、本気で、息子と甥に自分の跡を託したかった様だ。そして、そのような処遇であれば、二人は納得し、協力して国を治めただろう。そう思うと、未だに残念でならないよ。しかし、この事態を喜ばしく思わない勢力もいた。ジンハン(辰韓)国には、王家の朴氏以外に、ソク(昔)氏と、キム(金)氏と言う有力な氏族がいた。ネロ(朴奈老)大将の兄であるチマ(祇摩)王の王妃は、キム(金)氏から嫁いでいた。そして、ネロ(朴奈老)大将の母も、キム(金)氏だった。ソク(昔)氏と、キム(金)氏は、血族が強かったので、チマ(祇摩)王と、ネロ(朴奈老)大将は、ソク(昔)氏と、キム(金)氏の血族でもあった。アダラ(阿達羅)兄貴の母は、王族の朴氏だった。だから、ソク(昔)氏と、キム(金)氏との血縁を強めていた朴氏分家と、真骨の朴氏本家との対立が根深く影を潜めていた。朴氏分家から王が出ていれば、ソク(昔)氏と、キム(金)氏から王が出る可能性もあった。しかし、朴氏本家に王位継承権が戻ると、ソク(昔)氏と、キム(金)氏から王が出る可能性は薄くなる。いつの時代も、年寄り達は、権力争いに生きがいを見出すものらしい。いくら、アダラ(阿達羅)兄貴と、ネロ(朴奈老)大将の絆が強かろうが、権力争いという年寄り達の欲合戦には、抗い様がなかったのだ。

濊貊(わいはく)族の侵略は、ネロ(朴奈老)大将の統率力と、アダラ(阿達羅)兄貴の奮戦で一旦は退けた。しかし、濊貊(わいはく)族は、再三に渡り侵略を繰り返した。その度にネロ(朴奈老)軍は、濊貊(わいはく)族を叩き潰すのだが、五年に渡る攻防戦と成ってしまった。そして、この事態に苛立ったイルソン(逸聖)王は、自ら兵を率いて濊貊(わいはく)族の本拠地を攻め落とす事にした。もう数年も経てば、イルソン(逸聖)王は米寿である。老い先が短い事を悟っていたイルソン(逸聖)王は、後継者の二人を、これ以上北方の守備に置いておけないと云う焦りもあったのであろう。しかし、これはネロ(朴奈老)大将を、王にしようと考えている勢力には、好機であった。イルソン(逸聖)王が、軍を率いて北方に向かった二日後に、反乱軍は、都を制圧した。そして、王宮では、ネロ(朴奈老)大将の王位奪還が宣言されていた。おかしな事に、当のネロ(朴奈老)大将は、この事態を全く知らなかった。ネロ(朴奈老)大将は、イルソン(逸聖)王に許しを請い、事態収拾のために独りで都に向かった。この反乱軍には、ミョンス(金明朱)兄貴と、チョンヨン(金青龍)も参戦していた。実は、ネロ(朴奈老)大将の妃は、ミョンス(金明朱)兄貴にとっては、異父姉で、チョンヨン(金青龍)にとっては、異母姉なのだ。何故そんな関係なのかは、今は省いて話を続けさせてもらうよ。スロ(首露)家の複雑なお家事情は、別の機会にチョンヨン(金青龍)から直接聞いた方が良い。近い将来ピミファ姫にも関係してくるだろうから、是非知っておいたが良いと思うが、あまりにも、ややこしい話なので、私にも良く理解できていないのだよ。私が理解しているのは、ミョンス(金明朱)兄貴にとっても、チョンヨン(金青龍)にとっても、ネロ(朴奈老)大将は義兄だという事だ。だから、ピョンハン(弁韓)国のキム(金)氏も、ネロ(朴奈老)王を望んでいたのだ。しかし、当主のヒルス(金蛭子)王は、アダラ(阿達羅)兄貴を気に入っており、自分の姪を嫁がせようと考えていた位だから、この反乱には消極的だった様だ。しかし、ピョンハン(弁韓)国の他の族長達は、圧倒的にネロ(朴奈老)派が多かった。実は、昔から弁韓キム(金)氏は、朴氏分家や、ソク(昔)氏、それに辰韓キム(金)氏とも縁組を重ねていたのだ。

反乱を知ったイルソン(逸聖)王は、マハン(馬韓)国のケルワン(蓋婁)王に援軍を要請し一気に反撃に出た。この反転にネロ(朴奈老)反乱軍は、一気に押し戻され都を奪還された。建国の頃より、朴氏の当主は大男が多く、すぐれた戦士が多かった。その点、ソク(昔)氏や、辰韓キム(金)氏は、知性豊かな人が多く、すぐれた行政官や、優秀な学者を、多く輩出していた。弁韓キム(金)氏は、チョンヨン(金青龍)が鯨海の海賊王と呼ばれる位だから、すぐれた軍事力を持っていたが、将来の事を考えると、真っ向からイルソン(逸聖)王に対峙する訳にはいかなかった。そうなると、反乱ではなく、ピョンハン(弁韓)国と、ジンハン(辰韓)国の戦争になってしまう。それだけは、当主のヒルス(金蛭子)王が許さなかった。だから、ミョンス(金明朱)兄貴や、チョンヨン(金青龍)は、あくまでも義勇軍だった。ネロ(朴奈老)大将は、事態収拾どころか、総崩れになった反乱軍から抜け出すことが出来なくなった。その時、ネロ(朴奈老)大将は、死を予感した様だ。死の間際にアダラ(阿達羅)に渡してくれと、私は、ネロ(朴奈老)大将から守り刀を預かった。鉄の王と言われたヒルス(金蛭子)王が、自ら打ったという見事な鉄剣だ。娘婿に渡すだけの事はあって、気合いの入ったそれは見事な剣だ。菊月が許してくれるなら今回、私はそれをユリ(儒理)王子に託そうと思っている。兎に角、ネロ(朴奈老)大将には、反乱の意志などなかった事は、私が保証する。しかし、燃え盛った炎を消す事は、もはや出来なかった。そして、反乱軍鎮圧の大将は、アダラ(阿達羅)兄貴だった。一方で、総崩れになった反乱軍を、水際で立て直したのはミョンス(金明朱)兄貴だ。大の仲良しだった二人は、命を奪いあう関係に落ちてしまった。戦局は、終始反乱軍に不利だった。アダラ(阿達羅)兄貴が率いていたのは、濊貊(わいはく)族の討伐で実戦を踏んだ猛将揃いである。到底文官上がりの反乱軍が太刀打ちできるものではない。ついに反乱軍は、海に逃れ、倭国に逃げ落ちた。もちろん、それを手助けしたのは、チョンヨン(金青龍)だ。だが、イルソン(逸聖)王は許さなかった。ジンハン(辰韓)国の主力艦隊を派遣し、倭国にネロ(朴奈老)大将の引き渡しを要求した。もちろん、この総大将も、アダラ(阿達羅)兄貴だ。私の父と、ヒラフ(比羅夫)大統領は、巧みに、反乱軍を匿い続けたが、倭国の中から裏切り者が出た。その裏切り者達は、ジンハン(辰韓)軍を、反乱軍が隠れる末盧国の海域に導きいれた。そして、反乱軍は鎮圧された。もう、皆も気付いたかも知れないが、その裏切り者は、私とカガミ(香我美)だ。私達は、心底アダラ(阿達羅)兄貴を慕っていたからね。菊月や許してくれ。

ジンハン(辰韓)国の軍船からの雨の様な矢を受けて、ネロ(朴奈老)大将は、死に際を悟り自決した。それを見届けたミョンス(金明朱)兄貴と、アダラ(阿達羅)兄貴は、何かが壊れたかの様に死闘を始めた。そして二人とも、深く傷つき海に落ちた。見ていた両軍の兵は、二人が相撃ちをしたと思った。しかし、泳ぎが達者なカガミ(香我美)は、こっそり二人の体を島影に隠した。そして私が手配した二艘の小舟に引き上げ、アダラ(阿達羅)兄貴はカガミ(香我美)が、ミョンス(金明朱)兄貴は私が落ち伸びさせた。私は、伽耶山の沖で、チョンヨン(金青龍)に、ミョンス(金明朱)兄貴を引き渡した。カガミ(香我美)は、息が消えかけそうなアダラ(阿達羅)兄貴を、シマァ(斯馬)国まで運び、夏希族長に渡したそうだ。コウ(項)家軍属なら、瀕死のアダラ(阿達羅)兄貴を救えると思っての事らしい。その先どうやってアダラ(阿達羅)兄貴が、ピミファ姫達のアタ(阿多)国まで行ったのかは、私は知らない。しかし、夏希さんは、コウ(項)家の情報網で、加太殿がアタ(阿多)国にいる事を知っていたのではないかと思うよ。そして、これが最後の話だが、私の王妃菊月は、ネロ(朴奈老)大将の遺児なのだよ。ネロ(朴奈老)大将には、母が違う娘が二人いてね。その二人の娘を育てたのが、チョンヨン(金青龍)なのだよ。そして姉の方を、一命を取り留めたミョンス(金明朱)兄貴に嫁がせ、妹の菊月を先の妃を病で無くしていた私に嫁がせた。菊月はチョンヨン(金青龍)の国では、ククウォル(朴菊月)と呼ばれていた。だから、今でもチョンヨン(金青龍)は、ククウォル(朴菊月)と呼ぶのだよ。以上が私の話だ。

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そう静かに、ウス(臼)王は話を締めくくった。菊月様のお父上を、私の父様が殺したと聞いて、私は、王妃様の顔を見る事が出来なくなった。すると、菊月様が私の手を取って「お顔を上げて下さい。私は今の話を幼い時に義父様から聞かされていました。でもアダラ(阿達羅)王をお怨みした事は有りません。この話で一番深く傷つかれたのはアダラ(阿達羅)王でしょう。誰がアダラ(阿達羅)王を責められましょうか。義父様や王様に聞かずとも私には良く分かります。私達はそのつらい出来事を忘れるくらい仲良くなりましょう」と、おっしゃった。私は、その手をしっかりと握り返し「ありがとうございます。私は今の話を聞いて、不思議と勇気が湧いてきました。私の悩みなんかまだまだですね。今日から、ククウォル(朴菊月)姉ぇ様と呼ばせていただいて良いですか。私と王妃様は調度、父様とネロ(朴奈老)様位の歳の差だとお見受けしました。だから、父様がネロ(朴奈老)様を兄とお慕いした様に、私も王妃様を姉様とお慕いしたいのです」と、言った。王妃様は満面の笑みを浮かべて「それは私にとっても嬉しい申し出です。ぜひ、ククウォル(朴菊月)と呼んでください」と、答えてくれた。「良かったなぁ。ククウォル(朴菊月)よ。こんな可愛い妹が出来て」と、スロ(首露)船長が嬉しそうに私の肩を抱き寄せた。私は謎がひとつ解けた気がした。そしてユリ(儒理)を見ると真剣な眼差しで私を見返した。私は、ユリ(儒理)が同じ定めを歩む事が無い様に神様に祈った。

~ 伊都国の別れ ~

夜が明けると、皆が忙しく旅支度を始めた。しかし、私の旅支度は、カミツ(香美妻)が、ナカツ(那加妻)と、シモツ(志茂妻)の二人を使い、テキパキとやってくれている。だから、私は三日の間特にやる事がない。そこで、ユリ(儒理)と、シカ(志賀)と、ハイト(隼人)を伴ってイナ(伊奴)国の海の中道と言う所に遊びに行く事になった。ククウォル(朴菊月)姉様が、案内を兼ねて一緒に付いて行ってくれる手筈である。何でも、潮が引くと沖合の島まで、砂の道が出来て歩いて渡れるそうである。潮が引いて、砂の道が現れるのは明日の朝らしいので、今夜は岬の村で泊まる事になっている。この時期は毎年、大勢の見物客で賑わうそうである。だから、村には何件もの宿が開くらしい。出発は、朝餉を食べてから輿に乗って行くそうだ。私は、自分の足で歩いて行きたかったが、今回は、我がままを言わない事にした。だって、私が歩くと言えば、ククウォル(朴菊月)姉様も輿には乗り辛くなり「じゃぁ私もいっしょに歩いて参りましょう」と、言い出しかねない。まさか、私の我ままで王妃様を歩かせる訳にはいかないので、素直に成る事にしたのだ。お天気は、しばらく快晴が続きそうだ。夏の暑さも和らぎ、朝夕は心地良い秋の風が吹き始めた。私は、ククウォル(朴菊月)姉様との、初めての小旅行に、浮き浮きと沸き上がる気持ちを抑える事が出来ずにいた。ところが、いざ出発と言う時になって、思いもかけない不幸が襲ってきた。何とお祖父様が危篤に陥っているそうなのだ。

今日の朝早く、コトミ(琴海)さんの軍船が、伊都国の沖合に現れた。乗ってきたのはオマロ(表麻呂)である。オマロ(表麻呂)は、一晩中船を操り、急を知らせに来てくれたのだ。コトミ(琴海)さんは、一足早くアタ(阿多)国に向かったそうだ。カメ(亀)爺と、ハク(帛)お婆は、夏希さんが迎えに行き、一緒にアタ(阿多)国に向かうそうである。お祖父様は、自分の体に異変を感じた矢先に「ワシに、もしもの事があっても、ピミファとユリ(儒理)は、予定通りに、ジンハン(辰韓)国に向かう様に伝えてくれ」と、言ったそうだ。でも、私にはそんな事は出来ない。私は、何としても帰ると言い張った。イタケル(巨健)伯父さんは、急ぎアチャ爺と、アタテル(阿多照)叔父さんの三人で相談を始めた。そして、二手に分かれて行動する事に決めた。一隊は、ユリ(儒理)を予定通りジンハン(辰韓)国に送り届ける。そしてもう一隊が、私と一緒にアタ(阿多)国に帰ると言う事である。アタ(阿多)国への帰国隊は、デン(田)家のアタテル(阿多照)、ハイト(隼人)親子に、アチャ爺とテル(照)お婆、それに、私に、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)の七人である。お祖父様は、本来デン(田)家の頭領である。だから、もしお祖父様が無くなれば、葬儀はデン(田)家が一族を上げて行う事になる。だから、アタテル(阿多照)叔父さんは、何としても帰国する必要がある。アチャ爺は、お祖父様の親友である。とても、友の死に背を向けて旅立つ事は出来ない。テル(照)お婆は、息子の消息を知るためジンハン(辰韓)国に渡りたかったのだが、この事態では断念するしかなかった。この海峡を臨む湊には、多くの異国の船が停泊していた。だから、テル(照)お婆は、毎日のように澪の岸に立ち、アキト(明人)叔父さんの面影を追っていたそうだ。いつまでも、いつまでも・・・そして高齢のテル(照)お婆は、この機会を逃せば、もう二度とジンハン(辰韓)国には行けないかも知れない。私は、テル(照)お婆には、ジンハン(辰韓)国に向かって欲しかった。しかし、テル(照)お婆は、自ら帰国する事を選んだ。 帰り船は、コトミ(琴海)さんの軍船を使わせて貰うことになった。元よりコトミ(琴海)さんは、そのつもりでオマロ(表麻呂)を軍船で迎えに遣したのだ。だから、予定の通り、スロ(首露)船長のジンハン(辰韓)船で父様の元に向かうのは、ユリ(儒理)に、イタケル(巨健)、スサト(須佐人)親子、それに、加太とミヨン(美英)のシカ(志賀)親子。そして、シモツ(志茂妻)の七人となった。シモツ(志茂妻)は、とても悩んでいたが私が「お前は加太の元でしっかり医術を学びなさい」と送り出したのだ。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)も、私のシモツ(志茂妻)への沙汰を喜んでくれた。シモツ(志茂妻)は、半分嬉しそうで、半分泣き出しそうだった。私達帰国隊は、一刻も早く帰国したかったので、昼前には出航する事にした。オマロ(表麻呂)は、すでに軍船で待機し、いつでも出航出来る様に準備を整えていてくれた。湊へは、大勢の人が見送りに来てくれた。ウス(臼)王は、政務を取りやめ、ククウォル(朴菊月)王妃と見送りに来てくれた。リーしゃんが、人々の波をかきわけながら大きな袋に、料理を一杯詰めて持って来てくれた。今回の船旅は、無寄港での強行軍である。リーしゃんの美味しい料理が、何よりの励みになるだろう。私は、ユリ(儒理)と、シカ(志賀)を抱きしめ別れを告げた。そしてスサト(須佐人)に、どこまでもユリ(儒理)を守ってくれる様に頼んだ。幸い風は北東から吹き始めた。この追い風に乗り私達は慌ただしく伊都国を後にした。テル(照)お婆は、すれ違う異国の船甲板に目を凝らしながら見つめ続けていた。

船陰に 倅いるやと 澪(みお)の岸

~ 阿多の海 ~

私は茫洋たる海原に、軽い苛立ちを感じながら、丸二日を軍船で過ごした。三日目の朝、やっと懐かしい村の海岸が見えてきた。海岸には既に大小幾艘もの船が停泊していた。お祖父様の葬儀に駆けつけて来た親族や、各族長達の船である。その中でも、ひときわ大きな軍船を、オマロ(表麻呂)は、一番沖合に停泊した。だから、心焦る私は、迎えの小舟を待つのももどかしく海に飛び込んだ。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)は、私が気でも狂ったのかと訝しがった様だが、アチャ爺が「ピミファは海女じゃからのう。ワシら河童よりも泳ぎがうまい。だから心配するだけ損じゃぞ」と、言ってくれてほっとした様だ。私は、浜辺に上がると、海の水を滴らせながら山道をかけ登った。クマト(熊人)が、私の姿に気付いて泣きながら駆け降りてきた。そして「大往生。大往生。爺ちゃん大往生やっでな。(大往生だったよ)」と、ぐちゃぐちゃの顔で、私に飛びついて来た。すると今度は、ハイト(隼人)が後ろから抱きついてきた。ハイト(隼人)も、私と同じ様に海に飛び込んで自分で泳いできた様だ。私は、クマト(熊人)と、ハイト(隼人)を伴って家の門を潜った。すでに、カメ(亀)爺や、ハク(帛)お婆、コトミ(琴海)さんや、夏希義母ぁ様は到着していた。私は、皆に挨拶をしながらお祖父様の元に歩み寄った。お祖母様が私を見て「大往生」と、一言だけ短く言った。オウ(横)爺は、お祖父様の手を取ったままうな垂れていた。ハイト(隼人)が、その手をほどいてオウ(横)爺の膝に座った。お祖父様は、少しほほ笑んで、寝顔の様な表情を浮かべ横たわっていた。私は、その頬に、自分の頬を寄せて「ただいま帰りました」と挨拶した。後ろで、タマキ(玉輝)叔母さんのすすり泣きが聞こえた。私は、お祖母様に向きなおり「ユリ(儒理)達は、元気でジンハン(辰韓)国に向かっています」と、私達が二手に分かれて行動した事を話した。タマキ(玉輝)叔母さんは、イタケル(巨健)伯父さんや、スサト(須佐人)の元気な様子を聞いて案心した様だ。ほどなく、アチャ爺と、テル(照)お婆、アタテル(阿多照)叔父さんに、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)が到着した。カミツ(香美妻)とナカツ(那加妻)は、真っ先にカメ(亀)爺と、ハク(帛)お婆に挨拶に行った。そして、お祖母様の元に来て挨拶を済ますと、カメ(亀)爺と、ハク(帛)お婆の傍らに坐した。私は、夏希義母ぁ様の所に行き「お義母ぁ様。色々助けていただき有難うございました」と挨拶した。夏希義母ぁ様は知れてしまったのねと言う様に苦笑した。私は、夏希義母ぁ様の手を取って傍らに坐した。夏希義母ぁ様の手は柔らかく暖かかった。

お祖母様が、アチャ爺と、テル(照)お婆に「大往生」と言い手招いた。アチャ爺は「良かったのう。良かったのう」と、言いながらオウ(横)爺の肩を叩いた。オウ(横)爺は「うん。大往生じゃ」と、言って再びうな垂れた。テル(照)お婆は、お祖父様の口に薬草を噛ませると「さぁワシは、村主の好物をたんと作るからなぁ。腹などすかせて、神様の元に返しはせんでなぁ」と言い土間に降り女達を差配し始めた。「アタテル(阿多照)よ。夜伽の手配は頼んだぞ。オウ(横)は、この通り抜け殻の様じゃ」と、お祖母様がアタテル(阿多照)叔父さんに言った。「分かりました。親父殿が一番堪えている様で、役に立たず申し訳ありません」と、アタテル(阿多照)叔父さんが、お祖母様に謝った。「無理もない。ほんに仲の良い兄弟やったでなぁ。私より、オウ(横)の方が、後を追いそうな悲しみ様じゃぁ。くれぐれもオウ(横)の身を気遣ってくれよ」と、お祖母様がアタテル(阿多照)叔父さんに言った。

私達の村では男衆は、葬儀の場には参加しない。葬儀は祭場(まつりば)で巫女達に依って執り行われる。だから、葬儀の場に立ち会えるのは女達だけである。赤子が産まれる時も、男衆は立ち会えない。人の生き死には、女達だけに許された神様の儀式である。神様は、人の中に、一人ひとり宿っている。だから人は、神様の分霊なのだ。そして、神様から魂を預かり赤子となる時も、魂を神様に帰し屍となった時も、その身を神様に預け、生死の儀式を司るのは、女達だと決まっている。この神様との約束を人が破ると、死者は神様の元に帰れなくなり、黄泉を彷徨う事になる。そして穢れ祟り神に成る。だから、神様に魂を返す儀式は、とても大切な儀式なのだ。その魂返しの儀式に参加できない男衆は、毎夜村の集会場で夜伽の宴会を行う。生前の面影を偲び、誉めたたえ歌い踊るのである。そうやって男衆は、遠くから仲間の死を見やる。もし、男衆の仲間が遠くの海で死んだら、その屍は、一旦海に戻す。そして、毎夜歌い続けながら、航海を続け村に帰る。村に帰ると男衆は、死んだ仲間に見合った大きさの海の生き物を捕らえる。その生き物に仲間の魂は宿っているのだ。それを仲間の屍とし、魂返しの儀式を行うのである。ミヨン(美英)の亭主や、クマト(熊人)の父様達が亡くなった時にも、そうやって弔った。

魂返しの儀式は、明日の夕方から執り行われる事になった。だから、お祖父様は、明日の夜明け前に、祭場の森に移される。台風が近づいているのか、森の木々がいつになくどよめいている。私は、久しぶりにクマト(熊人)を伴って磯に降りる事にした。ハイト(隼人)は、オウ(横)爺の傍から片時も離れたく無い様である。クマト(熊人)は、私達の旅の話が、とても聞きたかった様で、磯に降りる間もず~っと「あの後どげんなったと。その後どげんしたと」矢継ぎ早に質問をして来る。私はクマト(熊人)と手をつないで歩きながら、高来之峰に登った話から聞かせ始めた。クマト(熊人)は、羨ましそうに聞きながら、そして悔しそうに「オイ(俺)なら、高千穂の峰っちゃ(峰だって)走って登っちゃる」言った。更に「他にはどげな山に登ったと?」と聞くので、今度は、イワラ(磐羅)山から、ソソギダケ(層々岐)岳を縦走した話を聞かせた。すると、やはり羨ましそうに聞きながら、そして悔しそうに「オイ(俺)なら、ピミファ姉様をかろうて(背負って) 高千穂の峰ば走って登っちゃる」と言った。私は、クマト(熊人)の意地っ張り魂にあきれながら、もし、シモツ(志茂妻)が、意地っ張りを治す薬を作ったら、真っ先にクマト(熊人)に飲ましてやろうと思った。浜まで降りると、何やら若衆達が集まり騒いでいる。何事かと思い駆け寄ると「クマが来る。クマ族の大舟団が北上して来よるぞぉ~」と、叫んでいる。お祖父様の葬儀に駆けつけていた各部族の若頭達は、熱り立ちそれぞれの舟を沖に向けて漕ぎ出している。私はクマト(熊人)の手を掴み、岬の見張り台に向って走った。

岬にはハエ(南風)が強く吹きつけていた。目を凝らすと、阿多の海を覆い尽くさんばかりの舟影が見えた。そして、ハエ(南風)に押されて、どんどん私達の村に近付いて来る。程なく、若衆達の舟と、クマ族の舟団が舳先を合わせた。ところが、不思議な事に戦さが始まる様子は見えなかった。戦さは望んでいないが、クマ族の舟団を前に若衆達が戦さを仕掛けないのは何故だろう。私と、クマト(熊人)は、訝しくさらに目を凝らした。するとクマ族の舟団は、楔形の陣形を取り、若衆達の舟を押しのける様に岬に近付いた。そして私達は息を飲んだ。何と、その舳先には緋色の衣に身を包んだヒムカ(日向)が立っていたのだ。そして、クマ族の舟団を率いたヒムカ(日向)は、とても十六歳とは思えない位に大人びていた。その神々しい美しさに包まれたヒムカ(日向)を、若衆達は、ただ、ただ息を飲んで、成す術さえ無い様に見守り続けている。私と、クマト(熊人)は、急いで浜に戻った。すでに、浜には騒ぎを聞きつけた村人達が集まっていた。そして、ヒムカ(日向)は、静かに浜に降り立った。カメ(亀)爺は、目を潤ませてヒムカ(日向)を抱き寄せた。ハク(帛)お婆は「強く生きている様ですね」と、ヒムカ(日向)の手を取って村へ導きいれた。私は、涙でヒムカ(日向)の姿が霞んで良く見えなかった。でも抱きつかずにはおれなかった。ヒムカ(日向)は、私を抱きしめて「りっぱな日巫女様になった様ね」と言ってくれた。村人は、皆ヒムカ(日向)が帰った事に大喜びし、代わる代わるヒムカ(日向)と抱き合った。そして皆で喜びを噛みしめた。もちろん、タマキ(玉輝)叔母さんの喜び様は、尋常では無かった。ヒムカ(日向)とは、血は繋がっていなくても、十歳の時からずっ~と添い寝をしながら育ててきた愛娘なのだ。その奪われた娘が、無事に帰って来たのである。正気でおれる訳はない。でもヒムカ(日向)の警護をしてきたクマ族の兵士達は、警戒を解いてはいなかった。無理もない。ヒムカ(日向)を、伴ってきたとは言っても、敵陣の真っただ中にいるのである。ところが、ヒムカ(日向)の帰還に心弾けた若頭の一人が、感謝の声を発しクマ族の兵士に喜び抱き付いたのだ。それが合図だったかの様に、若衆達はあちらこちらでクマ族の兵士達に喜び抱き付き始めた。最初は戸惑っていたクマ族の兵士達も、ヒムカ(日向)の喜びに満ちた表情と、村人達の喜ぶ姿に警戒を緩め和み始めた。これで浜から戦さの匂いは消えた。

 ヒムカ(日向)は、お祖父様の傍らに座り、そっと指先をお祖父様の唇に押しあてた。そしてその指を自らの額に押しあてた。「主は何と言われておる」と、お祖母様がヒムカ(日向)に聞いた。するとヒムカ(日向)は「私とピミファは一対だ。だから末長く仲良くする様にと言われています」と答えた。「ヒムカ(日向)と、ピミファは対極にある。だから一対なのだ」と、お祖母様が答えた。すると「似た者どうしは、案外敵対するものですからね。そして、対極に在る者どうしは、意外と旨く行くものですよね」と、ハク(帛)お婆が、お祖母様に笑いかけた。「アハハハ・・・ハク(帛)らしい譬えだ。正にその通りだ。しかしハク(帛)よ。その事と、お前の人まとめの上手さとは、どう関係するのだ。滅多に無い機会じゃから是非皆に教えてはくれぬか」と、お祖母様が言い出した。ハク(帛)お婆は「大巫女様は、すでにご存じの話ですが、若い皆には、役にたつやも知れぬので、お話させていただきます」と話を始めた。私は、ハク(帛)お婆が皆を上手くまとめる様を目にしていただけに、固唾を飲んで聞き耳を立てた。「では、とても簡単に譬えますから後は自分で考えてください」と、ハク(帛)お婆が私を見て言った。私はドキッとしたが目をそらさず聞き入った。そしてハク(帛)お婆の話が始まった。「似た者どうしは、好きなものも嫌いなものも趣向が似ます。だから話が合います。そこで、まずは互いに気が合うと思い、仲良くなります。でも、欲も似ますから、欲しい物がひとつしか無いと時には、奪い合いも起こします。例えば、一方に好きな人が出来たら、もう一方は羨ましく思います。時には嫉妬するかも知れませんね。でも、対極にある者どうしは、自分の好みではないので、嫉妬し羨む事は有りません。きっと、素直に祝福してくれるでしょうね。さらに、対極にある者どうしは、自分が考え付かない事でも、相手は考え付きます。だから、対極にある者どうしは、相手の意見もしっかり聞こうとします。ところが、似た者どうしは、暗黙の了解が働き、安外と相手の意見を聞いていなかったりするものです。そして不幸にも仲互いをした時には『そんな事は言ってない。そんな事は聞いてない』と、ますます悪い方に向かいます。ところで、世の中には大勢の人がいます。ひとつの物事も人の数だけ見え方が違います。だから、物事の陰陽の区別を見極めるのは、単純では有りませんね。そこで、些細な物事の判断でも、皆に沢山の意見を出させます。もうこれ以上は考えられないと、意見が尽きるまで全てです。その沢山の意見を、ゆっくり描き回していくと、徐々に陰陽の渦が見えてきます。そして、その中心に、対極を合わせた道が生じます。その道が皆で歩む道です。はい、私の授業はここまで。難しかったですか?」と、ハク(帛)お婆が私を見ながら話を結んだ。私は思いきり大きな声で「はい、とっても良く分かりました」と、手を上げて言った。皆が私を振り返り、最初にカミツ(香美妻)が、吹き出して笑い始めた。それを合図に、皆も一斉に笑い始めた。しかし、私は、本当に良く分かったのだ。ハク(帛)お婆が、何であんなにも好き勝手に、族長達に意見を言わせていたのかと言う事が・・・それに、イタケル(巨健)伯父さんは、ハク(帛)お婆似なのだという事も・・・。でも、今の私の突拍子も無い振る舞いは、お祖父様も笑い転げながら見ている様な気がした。

 ヒムカ(日向)も、既に日巫女に成っているのではないだろうか。私は、ヒムカ(日向)の立ち振る舞いに、私とは違う力を感じた。でも、とても大きな力を感じる。暖かくて大きな力だ。それに私の様に悪い気だからと言って、焼き殺したりする乱暴な力の使い方はしないだろうと思った。ヒムカ(日向)は、まるでお月様の様にやさしく、冬の焚き火の様に温かい。私とヒムカ(日向)が対極なら、私は炎天下のお陽様の様に乱暴で、冬の山の水の様に冷たい女の子だろうと思う。でも自分に無いものを羨ましがり、求めてはいけない。対極だからこそ、私とヒムカ(日向)は引き合うのだ。お祖母様は、ヒムカ(日向)に、お祖父様の魂返しの儀式を命じた。ヒムカ(日向)の大きな力に、村の巫女達も気付き始めていた。だから、お祖母様のこの判断に巫女達は期待を高めた。もし、ヒムカ(日向)が日巫女なら私達の村は、二人の日巫女を産む事になる。そんな稀にも無い出来事を、メラ爺が居たら何と言って倭国中に広める事だろう。と、思っていたら日暮前、ひょっこりと、メラ爺がアカアシエビの燻製を下げて現れた。そして、私にほいと差し出し「姫様や。ひとつだけ食べたら、後は魂返しの儀式にお供えしてくれんかい」と言った。私は「やった。これ食べたかったんだ」と、喜び叫ぶ前に「何でメラ爺がここにいるの???・・ 」と、言う疑問が沸き上がってきた。するとメラ爺が「ヒムカ(日向)様。遅くなりました。少しばかりこの足めが老いぼれて来た様ですわい」と、ヒムカ(日向)に向かい謝った。ヒムカ(日向)は「ウサツ(宇沙都)より山を走り、三日で着くとは、メラ頭領にしか出来ない技ですよ。普通の人なら十日でも着ける事やら」と、メラ爺を労わった。私は思わずヒムカ(日向)に訪ねた。「ヒムカ(日向)と、メラ爺は知り合いだったの???・・ それと、ウサツ(宇沙都)って遠いの???・・ 」ヒムカ(日向)は、にっこり笑って「ウサツ(宇沙都)は、伊都国の東にあるのよ。そして、ここからだと伊都国と同じ位に遠いのよ。それと、メラ頭領と会ったのは、ピミファがメラ頭領に会った後よ。だからピミファの様子も良くメラ頭領に教えてもらっていたわ」と答えた。メラ爺が「ワシは本当の事しか話しとらんぞ」と、付け加えた。ところが、私は益々知りたい事が増えてきた。「メラ爺は、何で良く世の中の動きを知っているの???・・ そして何で、ヒムカ(日向)は、メラ頭領と呼ぶの???・・ この前会った時だって、メラ爺は独りだったし、今だって、独りでやって来たわ。仲間や、手下の人も見当たらないのに何で、頭領なの???・・ 」と、矢継ぎ早に、質問の矢をあびせた。「ワシが応えても良いかの。ヒムカ(日向)様」と、メラ爺が、ヒムカ(日向)に同意を求めた。「お願いします。メラ頭領がお話になる方が、間違いありませんから」と、ヒムカ(日向)が、微笑みながら答えた。「じゃあ一つ目の質問から応えようかのう。ワシ等は、倭の国中の山々を廻る山の民じゃ。あるいは、森の民と言っても良いじゃろう。生業は、人それぞれに色々ある。山師と呼ばれる岩堀名人や、木地師と呼ばれる器作りの名人。他にも、田の民に重宝がられる箕師や炭師。楽しい奴らには、傀儡師と言う人形使いもおる。ワシは、マタギと言う山の猟師じゃ。そして、ワシ等の様な旅に生きる民は、どこで、何が起きておるのか、いつも知っておかんと如何のよ。もし、戦さが起こりそうな国や、流行り病が起きとる村にでも行けば、難儀な事になるでなぁ。運が悪ければ、命さえ落しかねない。じゃから、皆で各地の情報を、事細かに交換しておくのさ。姫様や、一つ目はこれで良いかの」と、メラ爺が聞いてきた。だから、私は、メラ爺の答えに大きくうなずいた。そして「烽火も使うの」と、重ねて聞いた。「ホッホッホ・・・さすがに日巫女様じゃ。何でも良く知ってなさる。」と、メラ爺が笑った。「サヤマ(狭山)組頭に教えて貰ったの。サヤマ(狭山)組頭は、クマ族に教えて貰ったと言っていたわ。烽火を教えたのもメラ爺なの」と、私は更に重ねて聞いた。「烽火は、ワシ等の先祖から使ってきたが、いつ位昔から使ってきたかは、ワシも知らんのじゃよ。それよりワシは、サヤマ(狭山)が、烽火を利用していた事に驚いたわい。田の民は、案外ワシ等の言う事は、まともには聞いていない輩が多い。じゃから、田の民は、嘘つきの事を山師と呼んで嘲るのさ。サヤマ(狭山)は賢く、物事を広く見渡せる奴じゃ。あんな奴が、倭国の王になれば、ワシ等も随分生き易くなるのにのう」と、目を細めた。私は、また新しい質問をしたくなったがぐっと堪えた。メラ爺が頭領と、呼ばれる件をまだ聞いていないのだ。その様子を察したメラ爺が、二つ目の質問に応えた。「頭領と呼ばれても、アマ族や、田の民や、軍属の頭領とは、少し違っておる。ワシは、夏希様や、コトミ(琴海)様の様に、大勢の配下の命を預かりはしとらん。何しろワシ等は、一人ひとり勝手気ままに生きているでなぁ。ワシ等を、繋いでいるのは、情報と言う奴さ。先っきも話した様に、各地の様子を正しく知る事が、ワシ等の暮らしと命に関わるでなぁ。その情報と言う奴が、ワシの元に良く集まるのじゃ。だからワシは集まった情報を、必要な奴の元に届けてやるのさ。言わば情報の世話役じゃ。まぁどの情報を、どいつに伝えるか。あるいは、今日入ってきた情報から推測すると三日目にはどうなっているか等と、多少は、頭も使わないかん役目じゃから。頭領と呼ぶ人もおるのさ。姫様や、二つ目はこれで良いかの」と、メラ爺は話を結んだ。なるほど、情報とは、人々が安らかに暮らす為には欠かせないものなのか。私は、ハク(帛)お婆の教えに重なるものを感じた。すると突然「皆の衆よ。危ない情報を伝えるぞ。良く聞いて身構える様に、良いな」と、アチャ爺が言い出した。皆は何事かと身構えた。「ピミファは、この所忙しくて加太殿を、質問攻めにする時間が無かった。その上、加太殿とは、三日前に久しく会えぬ別れをして来た。じゃっで、ピミファの何故々病が、鎌首を持ち上げ始めているぞぉ~~~。何故???・・ 何故???・・ 何故???・・ と咬み付かれたくない奴は、早々に退散した方が無難じゃぞぉ~」と、叫んだ。すると、今度は、ナカツ(那加妻)が噴き出して笑いだした。そしてやっぱり皆も大笑いを始めた。上品になったヒムカ(日向)さえも、陽気に笑いだした。やっぱり今度も、お祖父様は腹を抱えて笑っているのかしら。

 天上の満月が、森の木々に囲まれ、祭場(まつりば)を照らしている。その中央に祭壇が置かれている。祭壇には真菰の筵が引かれ、筵の上には祭場の森の土が敷きつめてある。そしてもみ殻の燻炭と、貝殻の粉が撒かれている。その上にお祖父様の屍は、寝かされていた。更に屍の上に、祭場の森の土と、もみ殻燻炭と、貝殻の粉が撒かれて、真菰の筵で覆われた。それを巫女達が、丁寧に木綿(ゆう)で巻き上げていく。それから木綿で包まれたお祖父様の屍を囲み、巫女達が円陣を組んで座った。私はお祖母様の隣にタマキ(玉輝)叔母さんと控えている。白鉢巻に白大衣姿のヒムカ(日向)が、ゆっくりと円陣の中に進んだ。ヒムカ(日向)が、お祖父様の傍らに立つと、お祖母様が静かに神歌(かむうた)を唱え始めた。そうして、巫女達も、それに合わせて神歌を唱えだした。ヒムカ(日向)は、ゆっくり右へ、そして左へと旋回しながら舞い始める。巫女達も、ゆっくりと立ち上がり、土を踏み鳴らして舞い始める。旋回しては、ト~ンと地を蹴り、そして、トンと足裏を地に着ける。ヒムカ(日向)の舞が次第に激しい動きに変わっていく。巫女達の足踏み鳴らす音が地響きとなり森の木々をざわめかせる。大きく宙を舞ったヒムカ(日向)が、両足を開きお祖父様の屍の上に舞い降りて来た。そして、お祖父様の上に跨ると、大きく情態を弾かせた。すると、お祖父様の魂がゆっくりと立ち上がった。巫女達が一斉に地を踏み、更に大きな地響きで祭場の気を震わした。その気がお祖父様の魂を、この世から剥がした。お祖父様の魂は、赤子の様にヒムカ(日向)に抱かれ、神様の元に向かって天を昇り始めた。それを見定めお祖母様が「納棺」と、一言つぶやかれた。巫女達は、お祖父様の屍を、甕棺に納めた。そして、お祖母様と共に岩屋の中に進んだ。岩屋から巫女達が出てくると、お祖母様と、お祖父様の屍が入った甕棺だけを残し、ゆっくりと岩屋の大きな岩戸が閉まった。お祖母様は、この後、次の満月の夜まで、岩屋の中で、お祖父様の屍が入った甕棺を見守り過ごされる。私は精を使い果たし、気を失っているヒムカ(日向)の上に、そっと身を寄せ重ねた。やっぱりヒムカ(日向)は、ぽかぽかと暖かい。巫女達は、ヒムカ(日向)の力の大きさに皆満身の笑みを浮かべている。「さぁ私達も夕餉を取りましょう」と、タマキ(玉輝)叔母さんが、皆に声をかけた。それを合図に広場には、テル(照)お婆の手料理と、お祖父様の口に含ませた花酒の残りが、次々と運び込まれた。私達は、今宵ここで朝まで過ごす。祭場には、篝火が焚かれ、テル(照)お婆の祝いの盛りと、巫女達の笑顔が、夜の森を華やかせている。私は、ヒムカ(日向)の赤い唇に、ウーシャンフェンの粉を少し付けた。するとヒムカ(日向)が目を開いた。そして「何て良い香りなの」と、ほほ笑んだ。私は嬉しくなり、テル(照)お婆の秘伝をヒムカ(日向)に聞かせた。「やっぱりテル(照)お婆の料理は、海賊王さえ頭を垂れさせるのね」と、ヒムカ(日向)が、嬉しそうに笑った。皆が席に着くと、タマキ(玉輝)叔母さんが「さぁ、皆ご苦労でした。おかげで、父様も良い終わりを迎える事ができました。ありがとう。後は、夜明けまで皆でゆっくり語り合いましょう。それから、大巫女様が岩戸隠れをされているひと月の間は、ヒムカ(日向)に、大巫女様の代理をお願いしたいと思います。皆はどう思いますか?」と、巫女達に問いかけた。巫女達は笑顔で大きくうなずいた。ひとり若い巫女が恐る恐る「ピミファ様でなくても良いのですか?」と、聞いた。すると、タマキ(玉輝)叔母さんは「ピミファは、まだまだ未熟者ですから良いのです」と、きっぱり言った。私は、すかさず「私もそう思います」と、大きな声で答えた。そして、巫女達はいっせいに大笑いを始め、それが今宵の宴の、始まりの合図になった。

 次の日、ヒムカ(日向)が、ひと月の間、大巫女様の代理をすると聞いたクマ族の隊長が、タマキ(玉輝)叔母さんに抗議に来た。そんなに長くヒムカ(日向)を、村に留めておく訳にはいかないと言うのである。どうやらヒムカ(日向)は、クマ族の国で大事な地位にあるらしい。でも、タマキ(玉輝)叔母さんは引かなかった。「ヒムカ(日向)は、そもそも私達の娘です。大事な娘を取り上げたあなた方が、私に意見など出来ますか。それに、これは大巫女様の意志でも有ります。あなたは、大巫女様の御意思をも、認めないと言い放つのですか。」と、すごい剣幕で隊長に迫った。クマ族の隊長は、大きな男で屈強な戦士だった。だから、タマキ(玉輝)叔母さんの剣幕も、その厚い胸板で弾き返されている。騒ぎを聞きつけて、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)も様子を覗き見に来た。すると二人を見た隊長の瞳が、不思議な揺れ方をした。そして、隊長は明らかに動揺している。その隙に乗じてタマキ(玉輝)叔母さんが攻撃を再開した。すると、今度の勢いは、隊長を怯ませた。だが、クマ族の王は、渋々ヒムカ(日向)の里帰りを許したらしく、隊長としてもやっぱり引くに引け無い様だった。こんな時、イタケル(巨健)伯父さんがいたなら、状況は和らいだかも知れない。イタケル(巨健)伯父さんは、日ごろからタマキ(玉輝)叔母さんの剣幕をうまくかわす事に長けている。しかし、イタケル(巨健)伯父さんは、今頃ジンハン(辰韓)国にいてここにはいない。もう一人、もめごとの仲介に長けたハク(帛)お婆も、朝未きの海を、夏希義ぁ母様の船で、ヤマァタイ(八海森国)に向け帰って行った。カメ(亀)爺だけは、お祖父様の本葬儀まで一月留まるそうである。でも義父であるカメ(亀)爺は、タマキ(玉輝)叔母さんの性分を知り抜いている。だから素知らぬ振りを決め込んでいる。その為タマキ(玉輝)叔母さんと、隊長の睨み合いは、硬直状態のままである。そこへ思わぬ人が割って入った。メラ爺である。「まぁこんな時に戦さ支度でもあるまい。ふたりとも矛を収めて下さらんか。皆も困っておるでなぁ」と、言って仲裁に入りだした。しかし、何か良い手立てでもあるのだろうか。すると「こうしたらどうじゃろのう。ヒムカ(日向)様がお帰りになる時、ピミファ姫も一緒に参られる。さすれば、ホオリ(山幸)王も、大喜びされるのでは無いか。のう隊長殿よ。知ってい居る様に今、倭の国中が、日巫女様の御出でを待ち望んでいる。その日巫女様を、クド(狗奴)国にお迎えする事が出来たとなれば、大手柄ではないか」と、メラ爺は、意外な事を言い出した。この提案に、隊長の顔色がにわかに変わった。「おう、それは有り難い。我が国でも太陽が、二つ昇った位の驚きになるだろう。それは良い。それは良い」と、隊長は手放しで喜び始めた。しかし、タマキ(玉輝)叔母さんは、更に怒った。「娘ばかりか、姪までクマ族に差し出す等、どうして出来ましょう」と、ものすごい剣幕でメラ爺に迫った。でもメラ爺は、怯まず「差し出すのではない。日巫女様の巡幸じゃよ。どうせピミファ様は、伊都国王の元に帰られるじゃろう。ここに帰られる時は、西周りで来られ、伊都国に帰られる時は、東周りで帰られるだけの事じゃ」と、さも当然の様に言った。でも、タマキ(玉輝)叔母さんは膨れたままである。そこでメラ爺は「それに地獄の鬼より恐いアチャ様が付いて居るのに、ピミファ様に手出しなど出来る勇者が、どこに居る。のう皆様方や」と、周囲に同意を求めた。するとアチャ爺が「何を無礼な。ワシゃ仏の様な年寄りぞ」と言った。すると周囲から失笑が漏れた。「確かにアチャをひっぱたけるのはテル(照)位じゃ。ワシでもアチャをひっぱたくなど恐ろしくて出来んわい」と、オウ(横)爺が、やっと元気を取り戻したかの様におどけて言った。そして皆が大笑いし始めた。その雰囲気に、タマキ(玉輝)叔母さんも、渋々メラ爺の提案を飲むしか無くなった。どうやら阿多の海には、穏やかな風が吹き始めた様だ。そして、緩やかに南洋の戦さは治まって行く萌しが見え始めた。確かにメラ爺は、頭領の器を持ち合わせている様だ。 その時、クマト(熊人)と、ハイト(隼人)が息切らせながら入って来た。そして、「大変だ。大変だ。大勢の若衆達が、ここに押し寄せてくる」と、ハイト(隼人)が言った。「大巫女様の代理様に、ご相談事があると、大騒ぎをしながら、我先にと争っている。誰か止めに行かないと、大変な事になるぞぉ~」と、クマト(熊人)が叫んだ。確かに、ヒムカ(日向)は、ひと月の間大変な事に成りそうである。そして、ハイト(隼人)が「その騒ぎの中には、クマ族の若い兵士も交じっているぞ」と言った。すると、クマ族の隊長は頭を掻きながら「いやまったく面目ない」と、皆に謝った。そして、皆の大笑いが更に高まった。先ほどまでご機嫌斜めだったタマキ(玉輝)叔母さんまで、隊長の肩を叩きながら大笑いを始めた。

~ 洗骨の海辺 ~

あの日以来、ヒムカ(日向)は、大変忙しいひと月を過ごした。二度も台風が村を襲ったが、台風の日ですら、大巫女様代理への相談事は絶えなかった。それにしても、どれもこれも、どうでも良い様な相談事だった。「今度いつ鯨を捕る事が出来るだろうか」等と言うのは、まだ良い方だった。「喉に魚の骨が刺さったままの様で、もしかしたら自分の命は長くないのではないか」や「俺は何の生まれ代わりだろう」とか「どうも俺の親は本当の親では無いのでないか」等、私なら「あんたの豚鼻はオヤジ似で、たれ目はオカン似だから、無駄な心配するな」と、ひっぱたいてやるところだ。でもヒムカ(日向)はやさしく、一人ひとりの話に耳を傾けた。私は「ヒムカ(日向)の大事な時間を無駄な話に使うなぁ~」と叫びながら、棒を持ってきて後ろからゴ~ンとスイカ頭供をぶん殴りたくなって来た。が、グッと堪えた。「ピミファも日巫女様なのだから、もう少しお行儀を身に着けないといけません。どうもテルが育てた娘達は・・・」と、ハク(帛)お婆からたしなめられる気がしたのだ。そこで、私は気晴らしに、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)を伴って、あちらこちらを遊学して回る事にした。しっかり者のカミツ(香美妻)は、ヒムカ(日向)への相談の順番をちらつかせ、各地の若頭達に舟の手配を頼んだ。若頭達は、舟だけでは無く沢山のご馳走まで積んで舟を出してくれた。だから、昨日は、吹上浜の砂丘で美味しいものを食べて、後は、お昼寝三昧。今日は、笠沙岬で日光浴。そして、明日からは、フルクタマ(布留奇魂)村で、イルカに乗って遊ぼうと、毎日を、遊興三昧で過ごした。そして、ついには、クマ族の隊長までもが「火の山ヒラキキ(枚聞)の砂湯を楽しみに行きませんか」と、誘ってくれた。きっと、クマ族の若い馬鹿兵士供が、ヒムカ(日向)の手間を取らせているので、そのお詫びも込められているのだろう。しかし、ヒラキキ(枚聞)山は、噂でしか聞いた事が無いが、火を噴く美山である。それに、クマ族との国境の山なのである。だから、これまで私達は、容易に近づく事が出来なかった。この夢の様な話に、私達はもちろん飛びついた。村を出て南下すると、しばらくして砂丘の彼方に、にょっきりと綺麗な姿の山が霞んで見えた。隊長が「あれが、ヒラキキ(枚聞)山です」と、教えてくれた。私は、ずいぶん山深い所だろうなと思っていた。ところが、笠沙の岬を廻り込むと、何と、陸地と海の境に優美な山肌を見せていた。私は、こんな綺麗な山は生まれて初めて見た。思わず深いため息を吐くと、裾野に近づくまで、ず~っと見惚れていた。この山から東側がクマ族の国なのだ。砂の温泉は、クマ族の国側にあった。但し、線で引かれた様な国境が有る訳ではない。笠沙の岬から、ヒラキキ(枚聞)山の間に暮らす民は、アマ(海人)族とも、クマ族とも、友好な関係らしいのだ。だから隊長は「ここは、台風が来れば大荒れする海ですが、人の争いは無い静かな海です」と、説明してくれた。私は、その話を聞いてほっとした。だって、こんな綺麗な山と海の間で殺し合いをやるなど、あまりにも悲し過ぎる。私は、お祖母様の杖の痛みが、ようやくずっしりと響いてきた。ナカツ(那加妻)は、砂の温泉に狂喜の声を上げた。千歳川の河原で、さんざん砂遊びをして来たナカツ(那加妻)でも、こんなに温かくて気持ちの良い砂遊びは、生れて初めての経験だったのだ。私も、砂の布団が、こんなにも温かくて気持ちが良いのなら、毎日だって砂の布団で眠りたいと思った。クマ族の隊長が、時折カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)を不思議な眼差しで見ていた。それは愛おしさと、深い悲しみが込められている様な眼差しなのだ。私は、以前から気にかかっていたけど、何故なの???・・と、気安く聞ける間柄でもないし、それに、とりあえず、とても楽しかったので当面気にしない事にした。そして、その夜は、クマ族の漁師村で泊めて貰った。漁師村の人々は隊長と、とても気易く接していた。でも、心底から隊長を敬っている様子でも有る。この隊長は、もしかすると、クマ族ではとても偉い人かも知れない。

カミツ(香美妻)は、イルカと泳いだフルクタマ(布留奇魂)村がお気に入りになった。フルクタマ(布留奇魂)村への遊学には、もちろんハイト(隼人)も付いて来た。と、言うよりハイト(隼人)のお祖父さんの家に、私達の方が招待されたと言った方が正確である。それに、ハイト(隼人)の従兄の若頭は、カミツ(香美妻)好みの良い男だったのだ。あの日以来、カミツ(香美妻)のハイト(隼人)への接し方が変わって来ている。まるでハイト(隼人)のお姉ちゃんになった様な口振りなのだ。コシキジマ(古志岐島)へは、クマト(熊人)が付いて来た。ヒムカ(日向)への思いが、一番強かったコシキジマ(古志岐島)の若頭の接待は、贅を極めていた。だから、クマト(熊人)は「この島はオイが何としてん守っちゃる。」と意気込んでいた。クマト(熊人)が、何からこの島を守るのかは、誰にも分からない。しかし、私は、島の人達に、沫裸党の民と同じ匂いを嗅いだ。私は、同じ不幸を、コシキジマ(古志岐島)の民が味あわない事を祈った。もしかすると、クマト(熊人)も、その超人的な嗅覚で、戦さの臭いを嗅ぎ付けたのかも知れない。

 お祖父様の本葬の前日に、サラクマ(沙羅隈)親方と、ラビア姉様が訪ねて来てくれた。「ピミファ姫や、遅くなった事を許してくれ。今回は、ラビアと楽浪郡の郡治に寄り、その足で遼東半島の襄平城まで旅をしていたものでなぁ。帰りに、ヤマァタイ(八海森国)に寄り、ハク(帛)様に事の次第を聞いて、慌てて駆け付けたと言う訳だ」と、サラクマ(沙羅隈)親方が、大きな体を揺すりながら、額の汗を拭きつつ私に詫びた。すると、私の傍らにいたクマト(熊人)が、ラビア姉様の手を掴みながら「この前は、大変ご迷惑をおかけしました」と、詫びた。「おい小僧。お前が迷惑をかけたのは俺様だぞ。それに気易くラビアの手を握るな。小僧ラビアの手を放せ」と、脅かした。すると、クマト(熊人)は、ラビア姉様の後ろに隠れてサラクマ(沙羅隈)親方にアッカンベーをした。ラビア姉様は「若いながらスサッチより、クマト(熊人)の方が、とても礼儀正しいわね」と、私を見ながら笑った。私は「すみません。村一番のガキ大将なもので・・・」と、サラクマ(沙羅隈)親方に謝った。サラクマ(沙羅隈)親方は「確かにハイト(隼人)坊やユリ(儒理)王子に比べると、こいつは、悪童面だわい」と、大笑いした。私は、二人をタマキ(玉輝)叔母さんの所に案内しながら、ラビア姉様に、ヒムカ(日向)が戻って来た事を手短に話した。ラビア姉様は「だから、ピミファ姫は機嫌が良さそうなのね」と、肩に手をまわし笑いかけてくれた。

 私は、少しでも早くラビア姉様に、ヒムカ(日向)を紹介したくて、とても夕餉まで待てそうも無かった。きっと、今日も阿呆面さげた若衆達が、どうでも良い相談事でヒムカ(日向)を独占しているのだ。苛立った私は、本当に棒を持って来て、スイカ頭供をぶん殴ってやろうかと思い始めていた。その危険な様子を察したカミツ(香美妻)が「日巫女様、ハク(帛)女王が、後ろに立っておられますよ」と、私を脅かした。そんな事は無いと思いながら、後ろを振り返り、ほっと安堵のため息をついた。そして、仕方ない夕餉まで我慢しようと覚悟を決めた。夕餉には、大して用も無いのに、近隣の若頭達が、自慢の海の幸、山の幸を手にして集まってきた。舟を出して貰った恩もあるので、無碍に追い返す訳にもいかず、私は、渋々家に招き入れた。海の幸、山の幸は、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)が、テル(照)お婆を手伝いながら、早速調理し始めた。どうやらテル(照)お婆は、今回もサラクマ(沙羅隈)親方から、手土産代わりに新しい香辛料を貰った様だ。ヒムカ(日向)がスイカ頭供への対応を終えて戻ってくると、私は、待ちかねた様に早口で二人を紹介した。ヒムカ(日向)が「ピミファが大変親切にして頂き、有り難うございました」と、サラクマ(沙羅隈)親方と、ラビア姉様に、深々とお辞儀をした。サラクマ(沙羅隈)親方は、ヒムカ(日向)の美しさに、しばし呆然と見とれていた。「本当にお美しい方ですね。ピミファ姫が自慢したがるわけですねえ。お父様」と、ラビア姉様が、サラクマ(沙羅隈)親方の袖を引いた。サラクマ(沙羅隈)親方は、我に返ったかの様に「おおおお・・・」と頷いた。二人の美女のやり取りに、若頭達も「おおおお・・・」と、サラクマ(沙羅隈)親方に同調するかの様に頷いた。私は、このスイカ頭供を殴る棒が、どこかに無いかと目を泳がせた。その私の暴挙を止めるかの様に、カミツ(香美妻)が「は~い。料理が出来ましたよ」と、御膳を持って、私の目の前に置いた。そして「日巫女様。この料理には、人の心を穏やかにする香辛料が使われているそうですよ。たんとお召し上がり下さいませ」と言った。するとアチャ爺が飲みかけていた焼酎をブッと吹き出した。その音に、呆けていたスイカ頭供が正気を取り戻した様である。私は気を取り直して、コトミ(琴海)さんに貰ったチュヨン(鄭朱燕)姫の塗箸で、テル(照)お婆渾身の料理を、ラビア姉様と、ヒムカ(日向)に取り分けて渡した。するとヒムカ(日向)が塗箸を見て「何て綺麗なの」と、ため息をついた。その様子を見たラビア姉様が「ヒムカ(日向)様には、この箸を差し上げましょう」と、見事な装飾が彫られた銀の箸を手渡した。「うわぁ~これも見事な箸ですね」と、ヒムカ(日向)が感嘆の声を上げた。そして「良いのですか。こんな奢美な品を」と、ラビア姉様に問いかけた。「ヒムカ(日向)様のお美しさには、調度お似合いですよ。ピミファ姫はどう思う」と、ラビア姉様が、私を振りむいた。私は「ねえヒムカ(日向)。私達は三姉妹に成るのよ。だから遠慮は良くないよ」と言った。ヒムカ(日向)は、しばらく迷って「では、私のこの箸を、ラビア様も受け取って頂けますか」と、古くて長い竹の箸を差し出した。するとラビア姉様は、大層驚いて「こんな恐れ多い物を私に頂けるのですか」と、ため息をついた。私は、ラビア姉様の驚きの意味が分からなかった。するとタマキ(玉輝)叔母さんが「これは神事の箸ですね。それも、とても大きな力を秘めている。でも、これはヒムカ(日向)の力では有りませんね」と言った。「ええ、亡くなった私の実母が使っていた物だと、ホオリ(山幸)王から頂きました」と、ヒムカ(日向)が答えた。「そうだったのね。火の巫女様がお使いだった神事の箸だったのなら、良く分かります。ラビア、是非、ヒムカ(日向)の箸を貰ってあげて。この箸で掴んだ物なら毒でも薬に代わるわ」と、タマキ(玉輝)叔母さんが言った。その話に驚いて若頭達が「おおおお・・・」と、その箸を覗き込んだ。「でも叔母様。私には身に余る品では有りませんか」と、ラビア姉様が戸惑いながらタマキ(玉輝)叔母さんに聞いた。するとタマキ(玉輝)叔母さんは「ラビアは、今日からヒムカ(日向)の姉様に成るのでしょ。だったら私の娘よ。私の娘だったら素直に受け取りなさい」と、微笑みながら、ラビア姉様の手を取って言い聞かせた。ラビア姉様は、意を決したかの様にヒムカ(日向)を見つめ「では、有り難く箸の交換をさせていただきます」と、陽気に言った。すると今度は、ヒムカ(日向)が戸惑った様に「もう妹だから、ヒムカ(日向)様や、敬語で話しかける事は、止めていただけませんか。ラビア姉様」と言った。だから私も「そうだよ。水くさい言い方は、私が禁止するからね」と言った。「でも、呼び捨てにするのも気恥かしいから、ピミファ姫と同じ様に、ヒムカ(日向)姫と呼ばせて貰おうかな。良い、ヒムカ(日向)姫?」と、ラビア姉様が答えた。「はい、お姉様」と、ヒムカ(日向)と私が同時に返事をした。

 翌朝、巫女達は、祭場に集まり、岩戸が開くのを待った。朝日が昇るのと同時に、大きな岩戸がゆっくり開いた。巫女達は、お祖父様の屍が入った甕棺を海辺へと運んだ。お祖母様は、少しやつれた様子だったが、威厳は増していた。浜辺には、大勢の人が集まり、お祖父様の洗骨の儀式を、静かに見守っていた。そして、お祖父様の骨は、村の高台にある見守りの小屋に運ばれた。誰が飾ってくれたのだろうか。小屋の入口には、赤い花が沢山飾られていた。村の周辺では見かけた事がない、大きな華麗な花だ。陽気だったお祖父様には、似合いの死に花だ。きっと、お祖父様も喜んでいるに違いない。見守りの小屋には、村の先祖達の骨が、村を見守るように置かれている。お祖父様も、今日からその先祖達の見守りの仲間に加わった。オウ(横)爺が、お祖父様の白い頭蓋骨をなでながら「兄貴よ。ワシも程なくここに来るからなぁ。しばしの別れよ。」と、目を潤ませて、別れの言葉を発した。数人の老婆が、村に投げかけるかの様に、泣き声を響かせた。そして無事、お祖父様の本葬が終わった。少し気の早い鶴の群れが、北の空から飛んで来た。今年の冬は、訪れが早いのだろうか。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)が私の旅立ちの用意を始めた。

⇒ ⇒ ⇒ 『第3部 ~ クマ族の国へ ~』へ続く。