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卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 〜 卑弥呼 奇想伝(その3)

葦田川風

我が村には、昔から蛇が多い。輪中という地形なので湿地が多く蛇も棲みやすいのだろう。更に稲作地であり野鼠やイタチ、カエルと餌が豊富である。青大将は木登りが上手い。そのまま高木の枝から飛べばまさに青龍だろう。クチナワ(蝮)は強壮剤として売れる。恐い生き物は神様となるのが神話の世界である。一辺倒の正義は怪しい。清濁併せ飲む心構えでいないと「勝った。勝った」の大本営発表に騙される。そんな偏屈爺の紡ぐ今時神話の世界を楽しんでいただければ幸いである。

卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 〜 卑弥呼 奇想伝(その3)

《 第3部 ~ クマ族の国へ ~ 》

幕間劇(6)「愛の子」

 少し肌寒くなった境内に仙人さんと子供達の姿があった。「仙人さん今日はどげな話ば聞かせてくるっと(どんな話を聞かせてくれるの)」と、いつもの様に子供達が仙人さんに昔話をせがんでいる。そこへ、今日も泳ぎ疲れたジョーと、りゅう(竜)ちゃんがやってきた。すると仙人さんは「おおお・・・河童の大将供がお目見えじゃ。今日は堀で泳ぎよったんかいの?」と目を細めて言いうと一張羅のマントを二人に掛けてくれた。そして「河童が風邪引いたらシャレにならんけんねぇ」と笑った。「兄ちゃんは泳げる様になっけん。毎日、家の前の堀で泳ぎの練習たい」と、マリーが言った。すると「おう、来年の夏には、筑っ後川ば泳ぎ渡る位にしちゃるけん。まぁ見とかんね」と、りゅう(竜)コーチが胸を張って言った。「でも、冬の間に泳ぎ方ば忘れるとや無かろうか?」と、心配そうにジョーが呟いた。「ほっほっほっ、お前さんは案外心配性なんじゃのう。じゃぁ今日は心配性が沢山出てくる話をしようかのう」と、仙人さんは言いながら昔話を始め様とした。すると、この前の小さな女の子が「仙人さん、この前『川沿いの村には島が付く名が多か』っち教えてくれたやろ。だけん、あの後で兄ちゃんに頼んで、ひで(英)ちゃんの地図ば借りて貰うたとよ。そしたら、仙人さんの言わすごつ(仙人さんが言ったように)、島の付く村が、がばい(沢山)見つかったばってん。原の漢字の村も多かとに気付いたとよ。それに、兄ちゃんに聞いたらハラやのうて(無くて)、バルち読むっち言うとよ。原(バル)は何して多かと?」と聞いてきた。この小さな女の子は、まだ四~五歳位である。仙人さんは、目を丸くして「こん娘は、何ちゅう名ね。まるで神童ばい。その歳で良ぉ漢字が読めるねぇ」と、感心している。「名前は香那(カナ)ばい。ブキチ(武吉)の妹たい。オイ(俺)の地図ば見ながら、形だけで島と原ちゅう漢字ば覚えたとよ。オイ(俺)も香那(カナ)は、神童っち思うばい」と、ひで(英)ちゃんが説明してくれた。すると、鼻たれ小僧と、寝小便小僧も「オイ(俺)達も聞きたか」と言い始めた。「何の話ね」と、りゅう(竜)ちゃんが聞いてきた。すると、赤毛のマリーが「この前、どこかの馬鹿たれ悪ガキ供が、泥船の海賊船で溺れよった頃、香那(カナ)達は、仙人さんと勉強しよったとよ。偉かねぇ香那(カナ)は、お互い馬鹿兄ちゃんを見習わない様にせんといかんねぇ」と、香那(カナ)の頭をなでた。すると、ジョーが「オ、オ、オイ。その馬鹿兄ちゃんっやぁオイ(俺)の事やなかろうね」と、マリーに詰め寄った。「良かやん。良かやん。あの時にゃ、オイ(俺)も自分でオイ(俺)達は、何ちゅう馬鹿たれやろと思うたもん。なぁひで(英)ちゃん」と、りゅう(竜)ちゃんが、マリーに同意した。ひで(英)ちゃんも「オイ(俺)もそう思う。トゥミーたい」と、言い出した。「何がトゥミーね。ふたりともすっかりマリーに言いくるめられてしもうとるばい」と、ジョーは、不満を広げてみたが「良かけん。オイ(俺)も原(バル)の話ば聞きたか。そいに、ジョーと、マリーは昔『春日原(かすがばる)』ち言う所に住んどったち言よったやん。まぁ、仙人さんの話ば聞こうやんね」と、りゅう(竜)ちゃんが、ジョーをなだめた。そこで、仙人さんの話が始まる。「大水で村の周りが浸かり、島んごつなるけん何々島が多か。ちゅうのが、この前の話やったね。そんなら、神童香那(カナ)嬢の原(バル)は、何じゃろか?ちゅう話やの。そいは、小川が流れていて、人が住みやすく、そして、少し小高い所に在って、大水に流されん様な所にある村に、何々原が多かとよ。ハラじゃなくて、何でバルになるかは、ワシも良ぉ分からんばってん。昔、朝鮮では、原と言う漢字を、ボルっちぃ呼ぶ所もあったらしか」と、仙人さんが言うと「ひで(英)ちゃん。知っとお?」と、りゅう(竜)ちゃんが、ひで(英)ちゃんを振り返った。「いんにゃ(否)知らん。ばってん確か、原の爺ちゃんの事ば、たまに、父ちゃんが、ウォンさんち言いよる気がするばってんね。今度、父ちゃんに聞いてみよう」と、ひで(英)ちゃんは答えた。すると、マリーと一緒にいた女の子が「うちの爺ちゃんは、原の爺ちゃんの事ば、たまにユェンさんかユンさんち呼ぶ事があるばい」と、言い出した。この娘は、ミカ(美夏)ちゃんと呼ばれマリーの親友である。突然「おぉ~。目達原(めたばる)が有るやんね」と、大声を出してりゅう(竜)ちゃんが突っ立った。そして敬礼をしている。目達原の自衛隊基地を、思い浮かべているのだろう。「中原(なかばる)もあるよ」と、別の女の子が言った。そして、マリーが「嗚呼、綾部のぼた餅が食べたくなったぁ」と、溜息をついた。「みんな、小高い所ばい。それに、小川も近くば流れとる。なあ、春日原は、どげな所ね?」と、りゅう(竜)ちゃんが、ジョーとマリーを振り返った。すると、二人はうつむいてしまった。

 ジョーと、マリーの父親は、朝鮮戦争で戦死していた。当時三歳だったジョーは、板付飛行場から飛び立って行った父親の面影を、少し覚えている。マリーは、まだ母親のお腹の中にいたので、父親の面影が全くない。今、母親の百合は、中洲のキャバレーで歌いながら、独りで春日原に住んでいる。住まいは、洋風の平屋で、ジョーが生まれた時に、父親が買ったものだ。トイレは、洋式である。だから、ジョーも、マリーも、最初は、祖父ちゃんの家の、トイレに行くのが怖くてたまらなかった。ドボンと、落ちそうな気がするのだ。それに、冬は、冷たい風が、お尻から吹き上げてきて、震え上がった。更に紙は、新聞紙を、四角に切った物だった。最初に、その四角に切った新聞紙を、手で丸めて、クシャクシャにし、柔らかくして使うのだ。しかし、ごわごわの新聞紙に、マリーは、いつも泣き顔だった。そこで、祖母ちゃんが、旭日屋デパートで、落とし紙を買って来てくれた。柔らかい落とし紙になって、マリーは、少しトイレが嫌では無くなった。しかし、それでも、夜は、一人ではトイレに行けなかった。誰かが「暗い夜には、肥溜め(便槽)の中から、便所餓鬼が、手を伸ばしてきて、お尻を触る」と教えたらしい。ポットン便器(便槽の上に直接載っている和式トイレ、だから下は深くて暗い地獄)の中を、なるべく、覗きこまない様にするのだが、怖くて逆に見てしまう。だから、いつも祖母ちゃんを起こして、付いて来させた。そして、トイレに入っている間中、祖母ちゃんに、昔話をさせるのだ。さらに、少しでも怖さを紛らわせる為に、祖母ちゃんの昔話に合わせて、即興の歌を、口ずさみ続けているのだった。

 母親の百合は、時より二人に会いに来る。マリーが五歳になるまでは、母娘三人で春日原に住んでいた。しかし、赤毛のマリーは、いつも近所の子供達から、アイノ子と言われ苛められていた。ある日の事、百合が仕事から帰って来ると、スカートを泥だらけにしたマリーが、玄関でうなだれていた。「マリーどげんしたと。(どうしたの?)こげん(こんなに)泥だらけになって」と、百合が聞くと、マリーは、息せき切った様に泣き出した。そして、涙をいっぱい溜めた目で「皆んなが、アイノ子、アイノ子ち言うて苛めるとよ。何でうち(私)、アイノ子何ん?」と、百合に訴えた。百合は、ゆっくりとマリーを抱き寄せ「私は、あんた達のパパを、本当に愛しとったんよ。だけん、あんた達が生まれたとたい。分かる?」と、優しく問いかけた。マリーは、こっくりとうなずいた。「だけん、あんた達は、パパとママの愛の子よ。英語で言うたら、ラブチルドレンたい」「うち(私)と兄ちゃんは愛の子何ん?」「そうたい。ラブチルドレンたい。私の大事な愛の子たい。せっかくやけん。もうひとつ、マリーの秘密ば、教えてやろうか?」「うち(私)の秘密って何ん?」「マリーの名前は、何でマリーやて思う」「うーん分からん」「そりゃ、パパの名前が、ジョルジュ・マリ・ル・アーブルて言うけんよ」「ほんなら、うち(私)の名は、パパの名からつけたと」「そうよ。パパは、フランスの貴族の家に生まれたとよ。パリっ子よ。すごかろ」「パパはパリっ子何ん?何かカッコ良かね」マリーの涙は、いつの間にか乾いていた。「でも、パパはアメリカ軍やったとやろ。何でパリっ子がアメリカ軍何ん?」「やっぱり、マリーはパパに似て頭ん良かね。なかなか鋭い質問するやん」百合は、マリーを抱きかかえ部屋に入ると「その話は、マリーが夕食の手伝いをしてくれたら話そうかね」と言った。「良かよ。マリー何でん手伝うけん。パパの話ば聞かせて」と、先ほどの涙目が嘘の様に輝き始めた。

《百合が語る英雄ジョルジュ・マリ・ル・アーブル伝》

 あなた達のパパの正式な名前は、ジョルジュ・マリ・ル・アーブル。1927年12月24日に、フランスのパリで生まれたの。イエス様と同じ誕生日よ。すごかろう。アーブルと言うのはフランス語で港の事。だから、アーブル家は、海軍軍人が多かったんよ。あなた達のお祖父さんのジャンポールは、若い時に、アメリカに留学していたの。その時、アメリカ人の若い生物学者エマお祖母さんと知り合い結婚したそうよ。フランスに帰国して、パパが生まれたけど、パパが三歳の時、家族は、アメリカに移住し、お祖父さんのジャンポールは、アメリカ海軍の将校になったらしいの。パパには、イヴォンヌと、オデットという二人のお姉さんがおったとよ。ふたりとも優美で、はつらつとしたパリジンヌだったらしかよ。でも、パパは生まれつき病弱で、今のマリー位の頃は、満足に学校へも通う事ができなかったらしいわ。そこで、お祖父さんは、そんなパパの体を鍛える為に、日系アメリカ人の菊池さんから柔道を習わせたらしいの。その甲斐あって、パパは、ハイスクールに通う頃になると、海軍軍人を目指す様になったらしいのよ。ハイスクールに入ったばかりの年に、真珠湾攻撃があって、アメリカは、戦争に突入していたから、パパは、ハイスクールを卒業すると、すぐに海軍に志願したの。お祖父さんは、戦艦乗りやったけど、パパは、飛行機乗りに成りたかったとよ。柔道の先生だった菊池さんの祖国と戦うのは、少し躊躇いがあったそうやけど、愛国心の方が、もっと大きかったとよね。でも、やっぱり気になって、戦場に行く前に、収容所にいた菊池さんに会いに行ったらしいわ。菊池さんの故郷は、九州だった様で、「もし日本が戦争に負けて、君が日本の地を踏む事があったら、九州にも行ってくれ。あんな綺麗な国は無い。そう思えるよ」と言ったそうよ。パパは、太平洋戦線に送られサン・ジャシントという空母で、アベンジャーっていう飛行機に乗っていたらしいの。戦争が終わった後も、パパは日本に残り、菊池さんの故郷の、九州の基地に転属願いを出したらしいわ。そして、基地のクラブで歌っていた私と知り合ったとよ。その時、パパは中尉さんだった。若くてハンサムな将校さんだったから、店の女の子は、皆~んなパパにあこがれていたわ。ダンスを踊る時だって、パパには、貴族の優雅さが漂っていたけんねぇ。他の兵隊とは、何か身のこなしが違うとよ。パパと踊っていると、まるで自分がパリの社交界にいる様な、夢の様な気分に成ったとよ。そこでは、敗戦国の惨めさの欠けらも無かったわ。そして、ジョーが生まれたとよ。ジョーの名前の意味も分かったやろう。ジョーは、ジョルジュ・ジュニアなのよ。でも、あなたを身ごもった年、昭和二十五年に突然、朝鮮で戦争が始まったとよ。太平洋戦争の英雄だったパパは、さっそく戦場に呼ばれたわ。パパはその頃、大尉になっていて、飛行部隊の隊長だったの。スカイレイダーって呼ばれる優美で、強そうな爆撃機に乗っていたわ。朝鮮での戦争は、アメリカ軍も苦戦をしいられ、多くのアメリカ兵が死んだのよ。パパも、あなたが生まれた昭和二十六年の一月四日に帰らん人に成ったとよ。

 その朝、パパは、部下一機を連れ、哨戒飛行の任務についていたらしいの。その時に、北朝鮮空軍の戦闘機二機を発見し、追撃したらしいわ。その二機は、プロペラ機で歴戦の強者だったパパには、敵う相手ではなかっけど、突如、上空から数機のジェット戦闘機に襲い掛かられたの。部下の人は、からくも逃れたのだけど、部下をかばって、ジェット戦闘機の間に飛び込んだパパの機体は、見当たらなくなったらしい。そして、ついに基地(空母)にも帰還しなかったの。私に、その様子を告げに来たパパの部下は「ジョルジュ大尉は、あまりにも高く飛びすぎて、降りてこられなくなったんだ」と言ったわ。ママの話はこれでおしまい。マリーの美味しいカレーも出来たとに、ジョーは、どこで遊び呆けとるんやろかねぇ

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 と、百合は話を結んだ。部屋に差し込む夕日も、すっかり灯りを落としていた。暗がりのドアの向こうで、ジョーは、唇をかみしめ涙をこらえていた。ジョーの顔は、殴り合いをした傷で血まみれだった。それから程なく、百合は、田舎の両親の元に子供達だけを預けた。それから二人は、祖父ちゃんと、祖母ちゃんに育てられている。当初、村の子供達は、珍しいものを見る様に、遠くから二人を取り巻いて見ていた。この村には、まだ、アイノ子という差別的な言葉は、広がっていなかった。「あの子達、異人さんやろか」と、一人が呟いた。「いんにゃ(否)、伊院家の爺ちゃんの孫らしいかばい」「ほんなら、兄ちゃん達が言うとった、ガバイ(大層)カッコ良か進駐軍さんの子かいな」「そうやなかぁと(そうだろう。)伊院家の百合さんの子らしかけん。間違いなかろ」「どげんしたらあげん(あんな)綺麗か髪に成るとやろかね」「あの男の子は、パーマネントばしとらすとやろうか。外国の王子様んごたるね」と、いった具合である。皆、ジョーと、マリーに興味津々で、少しでも近づきたいのだが、声を掛ける勇気を持ち合わせていないのだ。

 しかし、ジョーと、マリーは、そんな視線に神経をとがらせ、ふたりだけの殻に閉じこもっていた。ある雨上がりの朝の事、小学校への通学路を急いでいたジョーは、泥濘に足を滑らせてしまった。まだ、村の道路は、どこも舗装などされていなかった時代である。そして、そのまま道路の脇を流れる用水路に落ちてしまった。水深は、一mほどしかないのだが、雨の後なので、流れが速く、ジョーは、あっぷあっぷと、溺れかかっていた。すると、頭上から「王子様が、みっどし(水通し=用水路)で溺れたら、カッコ悪かばい」と、声が飛んできた。声の主は、絵にかいた様な田舎の悪ガキである。しかし、ジョーは、怒り返すゆとりもなく溺れかかっていた。ジョーは、本当に泳げないのだ。海軍の末裔としては情けなかったが、都会育ちのジョーは、泳ぎを覚える場所などなかったのだから仕方がない。悪ガキは、どうやら、ジョーが、本当に泳げないと、気付いて慌てて、みっどし(水通し)に飛び込み、ジョーを抱え上げた。「お前ぁ、ほんなこつ(本当に)泳げんとか」ジョーは、元気なくコクリと、ふてくされながらうなずいた。「りゅう(竜)ちゃん。もう学校さぼって、みっどし(水通し)で遊びよっと」と、小学校に向かう女の子達が、からかい声を掛けてきた。「見ての通りたい。先生には、オイ(俺)達ゃ、遅れるち言とって」「了解、了解」と、元気の良い男の子が駆け抜けながら、学校に向かった。「ひで(英)ちゃん。やっぱ、風邪ひくといかんけん、念のために休むち言うといて」と、りゅう(竜)ちゃんが、ひで(英)ちゃんの背に、声を投げかけた。ひで(英)ちゃんは、振り向きもせず「アイアイサー」と、言いながら、学校に向かって消えた。登校時間が終わった通学路には、ずぶ濡れのジョーと、りゅう(竜)ちゃんだけが残された。「全然、泳げんと?」「うん」「しゃぁなかねぇ(仕方ないね)シャツば脱がんね」と、言いながら、りゅう(竜)ちゃんは、猿股(パンツ)一つになった。「オイ(俺)が泳ぎ方ば、教えちゃるけん。さっさと、シャツば脱いで、みっどし(水通し)に入らんね。浅かけん心配なか」と、手を差し出した。言われるままに、ジョーは、濡れたシャツを脱ぎ、半ズボンのまま、再びみっどし(水通し)に入った。「まず、まっすぐ立ってん」と、りゅう(竜)ちゃんは言いながら、ジョーを、流れの上流を背に立たせた。それから、ジョーの後頭部に手を当てると、「そんまま、ゆっくり後ろに倒れてん」と言った。ジョ―は、りゅう(竜)ちゃんが、支えてくれているので、言われるまま後ろに倒れた。水の流れが後頭部まで浸したが、不思議と、不安は無かった。りゅう(竜)ちゃんが、そばにいるからだろうか。「そんままじーっと、しとってん(じっとしていて)」と、りゅう(竜)ちゃんの言うがままになっていると、何だか、水に浮いている様な気がしてきた。「ほら、浮いとるばい」と、りゅう(竜)ちゃんが言う。確かに浮いている様だ。でも、それは、りゅう(竜)ちゃんの手が支えているからと、言おうとした矢先に「ほんなら手ば離すばい」と、言いながらりゅう(竜)ちゃんは、手を放した。一瞬「溺れる」と、不安が走ったが、りゅう(竜)ちゃんが「やっぱ、浮いとるやろ」と、覗き込んできた。りゅう(竜)ちゃんの顔は、青空に溶け込み、心が震える位頼りがいがあった。その日、二人は、皆が下校してくるまで、みっどし(水通し)で、泳ぎの練習をしていた。この日、ジョーは、背泳ぎが出来るようになった。この出来事を境に、ジョーとマリーの兄弟は、一気に村の子供達と打ち解けていった。

 数日が経ったある日、りゅう(竜)ちゃんが、真顔でジョーに聞いた。「ジョーの髪の毛は、本当に全部金で出来とると?」・・・ジョーが返事に窮していると、りゅう(竜)ちゃんは「うちのオート三輪が、何十台でん買える位高かとやろねぇ」と、溜息をついた。ジョーは、腹を抱えて笑い転げるより術はなかった。どうやら、りゅう(竜)ちゃんは、ジョーの金髪に、不思議な憧れの気持ちを抱いている様である。

北風と まだ見ぬ君に アイ・ラブ・ユウ

~ チリン(知林)島の奇跡 ~

 旅立ちの朝、空はどんよりと暗雲を漂わせていた。でも、私のはしゃいだ気持ちは、その暗雲を突き抜けていた。昨夜の御斎(おとき)の席で、ラビア姉様が、私達と一緒に、ヒムカ(日向)の国に行く事になったのだ。昨日まで、私は、三姉妹で旅が出来るなんて思いもしていなかった。その話を持ち出してくれたのは、サラクマ(沙羅隈)親方だった。私が、東周りで、イト(伊都)国に帰ると聞いた親方は、ラビア姉様も同行させて欲しいと、言い出した。ラビア姉様は、西周りの航路は、何度も経験済みらしいが、東周り航路は、未経験だった。だから、将来の商売の為にも、東周り航路と、クマ族の国を見ておくのは、またとない機会だと、サラクマ(沙羅隈)親方は言った。クマ族の国には、マハン(馬韓)人の町もあるらしく、サラクマ(沙羅隈)親方は、商売で、何度も行った事があるそうだ。そして、クド(狗奴)国のホオリ(山幸)王とも、面識があるそうだ。ホオリ(山幸)王は、ヒムカ(日向)の叔父さんらしい。そして、タケル(健)の実の父親だった。その為タケル(健)は将来、クマ族の王になるかもしれない。クマ族は、母ぁ様を殺した憎っくき奴らだ。だから“いつの日か、仇討(あだうち)をしなければならない”今までそう思って生きてきたのに、可愛いタケル(健)が、クマ族の王に成るなんて、とても信じられなかった。それに、ヒムカ(日向)だって、半分はクマ族なのだ。メラ爺や、キ(鬼)国の木綿葉川(ゆうばがわ)に暮らすクマ族だって、今の私には、とても母ぁ様の仇だとは思えなくなっていた。

 私のイト(伊都)国への帰路も、コトミ(琴海)さんの軍船を使う事になった。この航海から、コトミ(琴海)さんは、オマロ(表麻呂)を、軍船の正式な船長にした。そして、軍船とオマロ(表麻呂)船長は、当分の間、私の配下に成る事になった。軍船の水先案内人は、クマ族の隊長が乗船し行ってくれる事になった。天候が不安定なので、オマロ(表麻呂)船長は、出港を急がせた。私達の軍船だけなら、多少の波があっても大丈夫だが、クマ族の小さな軍舟は、白波が砕ける程の大波になると航行できない。だから、早くヒラキキ(枚聞)山を回り込んで、内海に入りたいのだ。村の浜は、私達を見送る人で賑わっていた。タマキ(玉輝)叔母さんも、今回は、娘の行方が分かっているので、ちょっとそこらまで旅行に出す気楽さでの見送りである。クマト(熊人)は、今回も見送り組なので脹れている。アタテル(阿多照)叔父さんも、オウ(横)爺の元気が回復しないので、今回は同行しない事になった。その代わりに、夏希義母ぁ様が、コウ(項)家軍属から、二十四人の屈強な若衆を私の護衛に付けてくれた。異母兄のナツハ(夏羽)は、自分が付いて来たそうだった。しかし私が頑と拒否した。だからナツハ(夏羽)も、ハイト(隼人)と、クマト(熊人)の手をつないで見送り組に並んでいる。アチャ爺と、テル(照)お婆は、お祖母様や、オウ(横)爺、コウ(項)家のハク(伯)爺、ジョ(徐)家のフク(福)爺達と、末期(まつご)の酒を飲み交わしている。今回の旅は早く帰れても一年後になろう。だから、もう会えない友も出る事であろう。しかし、皆暗い表情では無い。互いに、何処への旅立ちになろうとも、船出の祝い酒である。だからお祖母様は、アチャ爺と、テル(照)お婆の盃に、花酒を注いだ。アチャ爺は、一口飲むと「おお、何と旨い酒じゃ。ワシゃ生れてこの方、こんな旨い酒には、お目にかかった事がないぞ」と、感激の声を上げた。すると「何言ってるの。飲んだ事あるわよ。元服の時にね」と、テル(照)お婆が笑いながら言った。「なにぃ~じゃぁこりゃ、本物の末期の酒かい。まさか、気が確かなうちに、末期の花酒が飲めるとは、ワシしゃ果報者だわい。アハッハハハ・・・」と、陽気にアチャ爺は笑った。「アチャは良いのう。ワシも気が確かなうちに、花酒が飲みたいわい」と、コウ(項)家のハク(伯)爺が、羨ましそうに言った。「姉様や、ワシが兄貴の元に行く時にゃ。ほんの少しだけ早く、花酒を口に含ませてくれんかのう」と、オウ(横)爺が、羨ましいそうに、アチャ爺の盃を見ながら言った。そして、ジョ(徐)家のフク(福)爺が、小琴を弾きながら「枯れ野行く、白き頭の輩(ともがら)が、笑みを浮かべて、花酒を嗅ぐ」と歌った。

 出航前に私は、メラ爺に「ウサツ(宇沙都)まで軍船で送るよ」と誘った。しかし、メラ爺は「日巫女様の親切は嬉しいが、ワシゃ泳げんでなぁ。そんな板きれひとつ下は、海などと言う物騒な物には、乗りとう無いわい」と、断られた。確かに、メラ爺の足なら、この軍船より早く、クマ族の都に着くかも知れない。だから、メラ爺とは、クマ族の都で、おち合う事にした。ホオリ(山幸)王と、私は、初対面なので、メラ爺が、仲人を務めるのだ。メラ爺に聞いた話では、クマ族は、海の民と、山の民が共に暮らしているらしい。そしてメラ爺達は、私達が倭国にやってくる以前から、この豊かな森に住んでいたそうだ。その上に、クマ族には、大きく三つの種族があるそうだ。その中でも、メラ爺の山の民は、もっとも古い民だ。でも、大昔に倭国にやってきたメラ爺の先祖達も、そもそもは、海の民だった筈だ。ところが、何代にも渡って、森や山で暮らしている内に、海が苦手に成ってしまった様だ。倭国の森は、とても豊かな森である。森は水を蓄え、多くの木々を育てる。木々は、沢山の実をつけ、その実は、虫や動物、それに、大勢の人を養う事が出来る。だから、山の民が、農業を行う事は無い。農業は、人を豊かにもするが、不自由な社会ももたらす。メラ爺と山の民は、自由を尊ぶ民だ。それは、末盧国のヒラフ(比羅夫)統領や、コトミ(琴海)さん達と通じるものがある。社会は、人々を、豊かで幸せにしようと作られる。でも、ある時点から、人々を縛り付け不自由にしてしまう。そして人々は、社会からの疎外感を覚える様になる。人々が共に暮らすとは、難しい事だ。イト(伊都)国に戻ったら、真っ先にウス(臼)王を、質問攻めにしよう。ウス(臼)王なら、私のこの大いなる悩みにつきあってくれそうだ。

 ヒムカ(日向)の一族は、南洋の海の民の様だ。幾世代か前に、メラ爺の山の民と、ヒムカ(日向)の御先祖である海の民は出会った。そして、それは、平和的な出会いだった様だ。山の民と、海の民は、互いの収穫物を分け与え合いながら、共に、最初の倭国の民になっていった。それに、互いの独自性は尊重しながら暮らしたので、自由を尊ぶ山の民の暮らしも守られた。自由民である山の民の弱点は、外敵に無防備である事だった。しかし、そこは、海の民が組織する水軍が補った。幸いな事に、倭国は海に囲まれている。だから必然的に防衛線は、海岸だ。水軍の活躍の場なのである。そして、クマ族の隊長も、ヒムカ(日向)の海の一族である。隊長の名は、ホオミ(火尾蛇)と言った。ホオミ(火尾蛇)隊長の顔には、渦巻く蛇の入れ墨がある。ヒムカ(日向)より、もっと黒々と日焼けした顔に、蛇の入れ墨が、神秘的な輝きを描いている。額から渦を巻き始めたその蛇は、両の頬で、八つの鎌首をもたげている。そして、四本の足がある。私が祭り場で呼び出す龍に、どこか似ている。でも、どことなく違う気がする。それはきっと、私と、ヒムカ(日向)の違いの様な気がした。いずれにしても、ホオミ(火尾蛇)隊長が、ヒムカ(日向)の守り神である事は、確かな様だ。

 タケル(健)は、山の民と、海の民が交わって生まれた種族だと言う事である。但し、ヒムカ(日向)や、ホオミ(火尾蛇)隊長の御先祖の様な、南洋の海の民では無く、北からやって来た海の民の様だ。しかし、彼らは、海の民と言うより、根の国の民と言う方が正しい様だ。あるいは、鉄の民とも言えよう。もしかすると、遠い昔まで遡ると、スロ船長の御先祖と、繋がるのかも知れない。だから、タケル(健)の父様のホオリ(山幸)王は、天から降ってきた民だと言っているらしい。すでに、山の民と、海の民がいるのだから、残された発祥の地は、天か地下しかない。そして、海も天も共に、アマと発音するから天(アマ)降る民なのであろう。天降る民は、鉄の民なのだが、その鉄は、剣を作る鉄ではなく、農具を作る鉄らしい。だから、スロ船長達の様な、戦闘集団では無かった様だ。だとすれば、倭国には、地下から生まれた、戦闘的な闇の民は、いないのだろうか???・・・今度ウス(臼)王に会ったら、この事でも質問攻めにしなければいけない。

 ホオミ(火尾蛇)隊長の話では、クド(狗奴)国の都へ行くには、ヒラキキ(枚聞)山を越えても、内海には入らず、そのまま外海を航海し、次の大きな湾から上陸した方が、楽な道を歩めるらしい。しかし、今回は、天候が不安定なので、内海を北上し、突き当りのシラ(始羅)の港に、上陸するそうである。そして、山越えをするらしい。でも、高来之峰や、ソソギダケ(層々岐岳)に比べると、丘みたいなものらしい。だから、今度も私は、自分の足で歩くのだ。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)だけでなく、ヒムカ(日向)と、ラビア姉様、それに、テル(照)お婆と、アチャ爺までもが、コウ(項)家軍属の輿に乗り楽をするそうである。コウ(項)家軍属の輿は、六台用意されていた。それは、四人の男衆が担ぐ輿である。だから、揺られ心地も良さそうだった。夏希義母ぁ様の見積もりでは、女六人分の予定だった様だ。だから二十四人衆なのである。でも、私が自分の足で歩くと言い張るものだから、アチャ爺が得をする事になったのだ。私を乗せる予定だった四人の若衆は少しがっかりしている様であった。

 このまま、強行軍で航海し、北上すれば、今夜中には、シラ(始羅)の港に着けるそうである。でも、この強行軍は、ヒラキキ(枚聞)山の沖合までらしい。内海に入ってしまえば多少天候が崩れても、大丈夫なのである。既に、漕ぎ手達の疲労も、限界に達している様だ。内海は、キ(鬼)国から、シマァ(斯海)国へ渡った不知火海と、同じ様に穏やかなのである。急ぐ理由は、無くなった。そして、私は「姫様の海が大波で荒れていても、私らの海は、泳げる位の波さぁ」と言ったハル(波留)お婆の笑顔を思い出した。温泉国に暮らすハル(波留)お婆でも、ヒラキキ(枚聞)山の砂の温泉には、きっと驚くだろう。ヒラキキ(枚聞)山の沖から、内海に回り込むと、チリン(知林)島と言う小島があった。チリンとはクマ族の言葉で「汚れた波」と言う意味らしい。しかし島を囲む海は綺麗で濁流の様な波が押し寄せている様子はない。変な名?!とは思ったが可愛らしい名前ではある。ホオミ(火尾蛇)隊長は、このチリン(知林)島の沖合で、クマ族の半分の兵士を解散させた。彼らはこの内海に住むクマ族である。そして、そろそろ、稲刈りの季節なのだ。残りの半分の兵士は、外海に住むクマ族なので、稲刈りに帰りたくても、海が荒れていて帰れない。だから、いずれにしても、クド(狗奴)国の都まで一緒に行くより、方法が無いのである。ホオミ(火尾蛇)隊長が、ヒムカ(日向)の、ひと月の滞在を渋ったのも、実は、この事があったからかも知れない。クド(狗奴)国は、ヒラキキ(枚聞)山の他にも、火を噴く山が、二つもあるそうだ。だから、クド(狗奴)国の土地は、この三つの火を噴く山の灰で出来ている。その灰で出来た土地を、シラスと呼ぶそうだ。シラスは、すぐに水を吸ってしまうので、本当は、稲作りには向いていないらしい。でも、少しでも、稲を作れそうな土地を見つけては、長い年月を掛けて、水田を作って来たそうだ。クマ族の海の民は、琴之海の沫裸党の民と同じ様に稲の民なのだ。だから、稲は命と同じ位大事なものなのだ。そう、ホオミ(火尾蛇)隊長が教えてくれた。

 今夜は、チリン(知林)島の北西に、船を止めて、対岸で野営する事になった。だから、コウ(項)家軍属二十四人衆の最初の出番が巡ってきた。二十四人衆の役目は、輿担ぎだけではない。そもそも彼らは、コウ(項)家軍属の、各部隊から選りすぐられた者達である。コウ(項)家軍属には、各地の情報を集める部隊。資材調達を主な任務にする部隊。それらの荷物を輸送する部隊。土木、建築、兵器制作などの工作部隊。そして財務管理・計画作戦起案をする参謀部隊がある。参謀部隊は、各部隊の責任者が集まり構成されているので別名「番頭部隊」とも呼ばれている。高来之峰に登った時の小荷駄隊は、輸送部隊に属している。輸送部隊は、小荷駄隊・中荷駄隊・大荷駄隊の三つに分かれている。小荷駄隊は、陸上輸送部隊なので別名「陸援隊」とも呼ばれている。中荷駄隊は、舟での輸送部隊なので「海援隊」とも呼ばれている。そして、大荷駄隊は、海外を廻る輸送部隊だ。だから、スロ船長の海賊商船団との区別が難しい。あるいは、連携して働いているのかも知れない。二十四人衆の中には、もちろん、工作部隊の若衆もいるので、彼らが陣頭指揮を取って、仮の宮を建て出した。そして、瞬く間も無く、海を望む御殿が出来上がった。更に、海岸には、やはり砂の温泉が出来ていた。ヒムカ(日向)と、ラビア姉様は、砂の温泉は、未体験である。だから、体験者のカミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)が、喜々として入浴法を伝授している。二人に砂を被せているのは、二十四人衆である。テル(照)お婆の夕餉が整うまで、クマ族の兵士達や、二十四人衆も、代わる代わるに、砂の温泉を楽しんだ。私は、この前みたいに、夜空に星が瞬いていたら、もっと素敵だったのにと、曇天空を、恨みの目で見つめていた。でも、チリン(知林)島には、もっと驚く秘密があったのだ。しかし、この時はまだ、ホオミ(火尾蛇)隊長は、何も教えてくれなかった。

 その日の夕餉には、皆が驚いた。屈強なコウ(項)家軍属の若衆が、戸板に乗せた七つの砂の小山を並べたのだ。その黒々と光る砂の山は、今にも火を吹かんばかりに、湯気を上げていた。テル(照)お婆が、その砂を崩す様に言うと、中から真っ白な塩の山が出てきた。この料理は、テル(照)お婆が、ホオミ(火尾蛇)隊長の為に考え出したらしい。ホオミ(火尾蛇)隊長は、どことなくアキト(明人)叔父さんに似ていた。アキト(明人)叔父さんは、ハタ(秦)家と、ジョ(徐)家の血を引く男なので入れ墨は無い。でも、ホオミ(火尾蛇)隊長の顔から入れ墨を消し、随分と色白に塗り替えたら、アキト(明人)叔父さんに似ているのだ。私は、父様の顔は、ぼんやりとしか覚えていないのだけど、アキト(明人)叔父さんの顔は、しっかり覚えている。父様の膝に抱かれて、いつも見ていた顔が、アキト(明人)叔父さんだったからだろう。初めは、刈り込んだ髪に、入れ墨を入れた色黒のホオミ(火尾蛇)隊長が、アキト(明人)叔父さんに似ているとは、気付かなかった。でもある日、アチャ爺が、息子を見る様な眼差しを、ホオミ(火尾蛇)隊長に向けたので、私も気付いたのだ。もちろん、テル(照)お婆が気付かない筈はない。テル(照)お婆が、ホオミ(火尾蛇)隊長に、塩の山を割るように言った。ホオミ(火尾蛇)隊長は、手のひらでエイっと、一気に塩の山を割った。すると、中から大きな鯛が現れた。それを見て、皆が一斉に歓喜の声を上げた。私達の旅の一団は、クマ族の兵が半分帰郷しても、まだ百名ほどいる。でも、それだけの人数が、満足できるほど、その七匹の鯛は大きかった。そして、この大鯛は、周辺の村々から届けられた物だった。『二人の日巫女様への献上品』という名目らしいが、本当は、ホオミ(火尾蛇)隊長への感謝の品なのだ。里へ帰された半数のクマ族の兵士達と、働き手達を返して貰った村人が、総力で集めた海の幸なのである。大鯛の周りには、海老や、アワビなども、沢山蒸し焼きに成って並んでいた。もちろん、焼酎もたんと有った。そして、私は、今夜も、アチャ爺の踊りを見る羽目になってしまった。私の旅と、アチャ爺の踊りは、切っても切り離せないものに成りつつある。ナツハ(夏羽)との悪縁に加えて、私の二つ目の悪縁だ。

 夜も更けて、眠りに就こうとしていたら、カミツ(香美妻)の声が聞こえてきた。どうやら、クマ族の入れ墨について、ヒムカ(日向)に尋ねているらしい。ジョ(徐)家の一族は、入れ墨を入れないので、クマ族の入れ墨が珍しいのだ。イト(伊都)国へ行く山の中で出会ったクマ族の入れ墨にも、三姉妹は、興味津々の眼差しを投げかけていた。その上、あの山のクマ族の入れ墨より、ホオミ(火尾蛇)隊長の入れ墨は、繊細で大きい。他のクマ族の兵士達も、全身に見事な入れ墨を施している。私は、小さい時から、デン(田)家や、コウ(項)家の入れ墨姿を見ていた。だから、入れ墨を入れた人達に違和感を覚えない。けど、カミツ(香美妻)には、不思議なものに映るのだろう。それに、コウ(項)家でも、夏希義母ぁ様みたいに、入れ墨を入れない者も増えている。だから、ツクシノウミ(筑紫海)では、益々入れ墨は珍しいものになっている。ヒムカ(日向)は、カミツ(香美妻)に優しく答えている。「一番の理由は、海の魔物から身を守る為よ」「なるほど、お守を身に刻んでいるのですね」「次の理由は、海で死んだ人の顔が見分けられなくなった時、入れ墨の模様で誰だか分かる様にしているのよ」「なるほど、なるほど、海人は、ほとんど裸で海に出ますからねぇ。着ている物で見分けるのは出来ませんよね」「そして三つ目は、もし遺体が水底に沈み、村に帰れなくなった時には、入れ墨に刻んだ生き物に生まれ変わるのよ」「へぇ~じゃぁ一番好きな生き物を、入れ墨にしなくちゃいけませんよね。だって嫌いな生き物になんかに生まれ変わりたく無いですものねぇ。・・・でも、何故河童衆は、同じ水辺の民なのに入れ墨が無いのですか?」と、今度は、ラビア姉様に質問の矛先を向けている。ラビア姉様は「川の魔物と言えば、河童自身だし、もし、川で死んでも、ウナギや、鯉には生まれ変わらないからじゃないかしら」と答えた。なるほど面白い答えである。もし、カメ(亀)爺が死んで生まれ変わるとしても、あの河童頭は、他の生き物には見られない。カメ(亀)爺は、死んでもやっぱり、河童で蘇るに違いない。「じゃぁ、ホオミ(火尾蛇)隊長が死んだら、大蛇で蘇るんですか?」と、今度は、ナカツ(那加妻)が聞いている。「そうね。きっと海ヘビになって甦るでしょうね」と、ヒムカ(日向)が答えた。「わぁ気持ち悪い」と、カミツ(香美妻)が言った。すると「そんな事はない。ヘビは、神様の使いよ。素敵だわ」と、ナカツ(那加妻)が、むきになって反論した。「あら、ナカツ(那加妻)は、ホオミ(火尾蛇)隊長が好みなの。親子ほども年が離れているわよ」と、更にカミツ(香美妻)がからかった。でも、ナカツ(那加妻)は黙っている。カミツ(香美妻)が「ヒムカ(日向)様、ホオミ(火尾蛇)隊長には、添い人はいませんか?」と聞いた。「可愛い男の子がひとりいるわ。でも添い人は、その子を産むと、すぐに亡くなったらしいの」と、ヒムカ(日向)が答えた。「じゃぁ、男手ひとつで、その子を育てているんですか?」と、また、カミツ(香美妻)が聞いた。「いいえ、その男の子は、ウサツ(宇沙都)と言う町で暮らしているの。そこが母様の里なのよ。だから、ピミファや、タケル(健)と同じ境遇なのよ。それに、歳もタケル(健)やユリ(儒理)坊と同じなのよ」と、ヒムカ(日向)が答えた。私は、何故だか無性に、その男の子に会いたくなった。

 次の日の朝は、風も強くなって来た。だけど、ホオミ(火尾蛇)隊長は、高まる波も無視をして、私達を、チリン(知林)島が見渡せる浜辺に誘った。そして「さぁもうしばらくすると、海が割れるぞ」と、私達に無邪気な笑い顔を見せた。海が割れるって何の事???・・・と、私が首をかしげていると「さぁ、チリン(知林)島の方を良く見ておくのだぞ」と、ホオミ(火尾蛇)隊長は言った。すると、私達が立っている浜辺と、チリン(知林)島の間に、白い波が沸き立った。そして、土砂を含んだ激流の様に泥流の筋が引かれると、見る見るうちに、砂の道が姿を現した。「あっ!海が割れた」と、私があっけにとられていると「さぁ渡ろう」と、ホオミ(火尾蛇)隊長が、砂の道を歩きだした。なるほどチリン(汚れた波)の島である。ナカツ(那加妻)も「海が割れたぁ~」と、叫んで砂の道を駆けだした。それにつられる様に、皆も砂の道を渡ってチリン(知林)島を目指した。テル(照)お婆が「長生きはするもんだねぇ」と、アチャ爺に微笑みかけた。「おおぉ、ワシも干潟の海は、何度も渡ったが、こんな光景は初めてじゃ。アハハハハ愉快、愉快」と、アチャ爺もおどけた。海を割って出来た砂の道を歩きながら、私は、イト(伊都)国の菊月王妃様を思い出していた。ククウォル(朴菊月)姉様と行く約束だった、イナ(伊奴)国の海の中道も、同じ様に海が割れるのだろうか。海に抱かれた砂の道を、二十分ほど歩いて、私達はチリン(知林)島の海岸に着いた。この砂の道は、二時間ほど経つとまた海に沈むらしい。でもチリン(知林)島で、朝餉を楽しむには、充分に時間はあった。そして、今日の私達の朝餉は、テル(照)お婆のアク(灰汁)巻きだ。私が、ラビア姉様に、私とヒムカ(日向)の失敗作の話をすると、傍らで聞いていた、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)が、お腹を抱えて笑い転げた。もちろん、テル(照)お婆のアク(灰汁)巻きは、ホオミ(火尾蛇)隊長や、コウ(項)家軍属二十四人衆にも大評判になった。そして「さぁ、そろそろ船に帰って出航するぞ」と、言うホオミ(火尾蛇)隊長の号令で、私達は、また砂の道を歩いて港に戻った。私は、途中で、クマト(熊人)と、ハイト(隼人)の為に、綺麗な貝殻をふたつ拾った。そしてクマト(熊人)の悔しがる顔を思い浮かべながら、ほくそ笑んだ。

~ カゴンマ(火神島)の海 ~

 軍船に戻ると、ぽつぽつと雨粒が落ち始めた。軍船の船楼に居る私達は濡れる事はないが、クマ族の兵士達の小さな舟には船楼が無い。だから、そろそろ雨に濡れ始めている。でも、まだ寒くは無いので、荒波に揉まれるよりは、ずっと良いそうである。それに、ひとりに一本ずつ、テル(照)お婆のアク(灰汁)巻きが配られている。だから皆、意外と意気揚々としている様だ。その様子を見て、カミツ(香美妻)が、「日巫女様と、ヒムカ(日向)様のアク(灰汁)巻きだったら、皆、意気消沈で沈没でしょうね」と笑った。すると、ヒムカ(日向)までもが「私も、そう思う」と言った。私は悔し紛れに「ああ~早くタケル(健)に会いに行かなくちゃ」と、言いながら曇天の海の彼方を見やった。今でもきっと、タケル(健)なら、私と、ヒムカ(日向)の不味いアク(灰汁)巻きでも、クマト(熊人)や、ハイト(隼人)の様に、ペッペッとは、吐き出さずに食べてくれるだろう。ヒムカ(日向)の話では、当初ホオリ(山幸)王は、ヒムカ(日向)が、私達の村に戻る事を許してくれなかったらしい。でも、タケル(健)が、熱心にホオリ(山幸)王を説得したので、やっと許してくれたそうだ。その代わり「タケル(健)は同行しない事」と「ホオミ(火尾蛇)隊長が同行する事」の二つの条件を付けての許可だったそうである。

 雨に伴って、風も強くなってきた。そして、波も高くなってきた。でも、ホオミ(火尾蛇)隊長の判断通り、大波は襲ってこない。それに、オマロ(表麻呂)船長の巧みな操船も手伝って、不安に駆られる事も無く、軍船は順風満帆に進んだ。だから、返って、私達は退屈な時に襲われた。その様子を察して、ホオミ(火尾蛇)隊長が、紐を使った綾とりと言う遊びを教えてくれた。南洋の海の民は、大航海者である。島影も見えなくなった広大な海原を、何日も航海するのである。方角は、星空を見て決めるそうだ。文字がない時代、長老達は、その知恵を、縄を結んで若衆に伝授したそうだ。それが、紐を使った子供達の遊びになったらしい。子供達は、綾とりの形を使って、星空の形を覚えるのだと言う。天の川や、昴、波間のお月さんの様に、象徴的な形を成し学ぶのである。そして、それには遊び歌が伴っているそうだ。♪綾とり取られ糸とられ、私の心もふと取られ、お前の怪かし、糸取った♪ だから、有意義な退屈しのぎになるのである。それに、最初は独り遊びだったようだが、子供の遊びに成った頃から、対戦型の綾とりも生まれた様だ。交互に綾を採っていき、形を解かれたら負けになるのである。逆に、採った際に紐を絡めてしまっても、負けである。ホオミ(火尾蛇)隊長は、幼い頃からこの対戦が、とても強かったそうだ。私達は、最初に、独り綾とりの基本的な形を教えて貰った。だんだん上達し、皆が箒を形採れると、ホオミ(火尾蛇)隊長は、対戦綾とりを教えてくれた。初めは要領を得ず、チンプンカンプンで、どうして面白いのか理解できなかった。そんな私達を見かねて、ホオミ(火尾蛇)隊長が、ちょっとしたコツを伝授してくれた。すると、この遊びが意外にも頭脳戦だと分かり始めてきた。そうなると、私達は退屈な時間も忘れて熱中した。そして、勝敗が決まる度に、船楼の中は、笑いの渦に吞みこまれた。私と、カミツ(香美妻)は、負けてばかりいる。ラビア姉様と、ヒムカ(日向)は、互角の勝負だ。アチャ爺も、案外強い。やはり勝負事には何でも強いのだろうか。でもやっぱり、方術師の一族だけあってテル(照)お婆の方が強い。ところが驚いた事に、ナカツ(那加妻)は、更に強いのだ。ついに、ナカツ(那加妻)は、ホオミ(火尾蛇)隊長と対戦する事に成った。いつもおっとりとしたナカツ(那加妻)に、こんな才能があるとは思ってもいなかった。でも、やっぱりホオミ(火尾蛇)隊長には、何度挑んでも勝てなかった。ナカツ(那加妻)は、すっかりしょげてしまったが、ホオミ(火尾蛇)隊長は「こんな強い相手は、初めてだったぞ。ナカツ(那加妻)は、すごい綾とり巧者だ」と褒めてくれた。そしてナカツ(那加妻)は「私が勝つまでお相手してくれませんか」と、ホオミ(火尾蛇)隊長に迫った。ホオミ(火尾蛇)隊長は快く「こちらこそ御手柔らかにお願いします」と、ナカツ(那加妻)の両手を包みながら応えてくれた。

 そうしていると、船楼の扉が開き、オマロ(表麻呂)船長が入ってきた。そして「ホオミ(火尾蛇)様、煙を上げている山が見えてきました。あれがカゴンマ(火神島)ですか」と、先方を指差した。私達は船楼を出て、その山を眺めた。「ヒムカ(日向)様。ようやく戻って来ましたなぁ」と、ホオミ(火尾蛇)隊長が、ヒムカ(日向)を振り返った。ヒムカ(日向)は、手の甲で雨を遮りながら「今日のカゴンマ(火神島)は、おとなしく迎えてくれた様ですね」と、火の山を臨み見た。その途端ドドドドド・・・と、海中を伝い轟音が軍船を震わせた。すると「はい、カゴンマ(火神島)が、ヒムカ(日向)様のお帰りを喜んでおる様ですなぁ」と、ホオミ(火尾蛇)隊長が嬉しそうに言った。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)は、手を取り合って不安そうに怯えている。ラビア姉様は、緑色の瞳を輝かせて「すばらしいですね。私も、火を吹く山は、いくつも見たけれど、海から突き出る様に火を吹いている山は初めてです」と言った。そして、曇天空の下で、時より赤い火炎が空を染めた。私も、雨足が強まったのも忘れて、カゴンマ(火神島)に見とれていた。「さぁさぁ、雨が強くなって来たから、船楼に引き上げるよ」と、テル(照)お婆が皆を船楼に引き戻した。ホオミ(火尾蛇)隊長は、そのままオマロ(表麻呂)船長と上甲板に残り「カゴンマ(火神島)の右手を抜けられますか。無理なら広い左手の方を抜けてください」と指示を出している。「水深は大丈夫ですか?」と、オマロ(表麻呂)船長が聞き返した。「カゴンマ(火神島)は、海底から突き出す様にそびえていますから、右手の水深も充分です」と、ホオミ(火尾蛇)隊長は答えた。オマロ(表麻呂)船長は「面舵一杯」と、操舵手に命じた。どうやら、軍船はカゴンマ(火神島)の右手を抜けて、シラ(始羅)の港を目指す様だ。軍船が、カゴンマ(火神島)の脇を抜けようとした時に、グワーンと、ひときわ大きな噴煙が上がった。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)は、抱き合ってキャーっと、泣き声混じりの悲鳴を上げた。私が「ヒムカ(日向)はもう慣れっこなの」と、恐る恐る聞くと「私の都には、もうひとつ火を吹く山があるから、馴れちゃったの」と言う。クド(狗奴)国の都は、何と荒ましい所にあるのだろう。ヒムカ(日向)のその話を聞いて、ひぇ~と、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)が、更に脅え身を寄せ合った。

 軍船は、カゴンマ(火神島)の右手を航行したので、昼過ぎには、シラ(始羅)の港に着いた。もし、左手を航行していたら、かなり遠回りになったそうである。やはりオマロ(表麻呂)は、とても優れた船長である。シラ(始羅)の港からは、徒歩で山を越え、今夜にはクド(狗奴)国の都に入る予定になっている。でも雨足は強まり、辺りは、日暮と変わらない位に薄暗く成っていた。それに、シラ(始羅)の港からは、急峻なシラスの台地が壁の様にそそり立っていた。こんな壁を、どうやって登るのだろうか???・・・そんな困惑気味の私の顔を見て「大丈夫よ。すこし北に行ったところに川があるから、その川沿いに登れば大丈夫よ」と、ヒムカ(日向)が説明してくれた。しかし、この天気では、道も抜かるんで、歩けないのでは無いだろうか。特に、シラスは泥濘(ぬかるみ)そうである。すると、ヒムカ(日向)は、にっこりと微笑み「ホオミ(火尾蛇)叔父様。今夜の宿はどうなっていますか?」と、ホオミ(火尾蛇)隊長を振り返った。すると、「ヒムカ(日向)様。ご安心ください。今宵はシラ(始羅)の宿を押さえています」と、ホオミ(火尾蛇)隊長が答えた。やっぱり、ヒムカ(日向)は、どんな事態でもお見通しである。ようやく私達は、不安に膨らんでいた胸を撫で下ろし、早々に船宿に向かった。しかし、オマロ(表麻呂)船長は、そのまま軍船を内海の入口まで戻し、天候を見定めたうえで、クド(狗奴)国の東の港まで航行する予定になっている。ホオミ(火尾蛇)隊長が下船した後の水先案内は、残り半数のクマ族の軍舟が行う事になっている。だから、やはり大波では航海できない。でも、私達が東の港に行きつくのは、数日先の事なので慌てる事はないのだ。

 船宿について私は驚いた。なんと、宿泊客の中に、異人の一団がいたのだ。私は、クマ族を、辺境の民だと思い込んでいた。だから、クド(狗奴)国も後進国なのだと思っていた。ところが、イト(伊都)国の港と同じ様に、異人達の姿があるのだ。それも、キ(鬼)国の河童衆などでは無い。ラビア姉様も、見知らぬ顔ぶれなのである。早速、ラビア姉様が、異国の言葉で話しかけた。すると、やはり西域からやって来た商人の一団だった。良く見ると、商人団は、複数の人種で構成されていた。髪や、肌や、瞳の色が違う人々がいるのだ。そして、その中に、倭国の言葉が話せる母と子がいた。母親の方が、この商人団の通訳を兼ねているそうだ。ラビア姉様の話では、その親子は、ビダルバ国と云う所からやって来たらしい。ビダルバ国は、シャー(中華)では、天竺や、印度と呼ぶ地域にある様だ。ラビア姉様は、天竺へは行った事があると言っていた。けど、ビダルバ国は、天竺のもっと南にある様で、そこまでは行った事が無いらしい。サラクマ(沙羅隈)親方や、ラビア姉様のご先祖様は、天竺の北に広がる、大きな砂漠の国の人達だったそうである。そして、その砂漠の中を流れる川の麓が、ご先祖の土地だった様だ。でも、それは昔の話で、サラクマ(沙羅隈)親方の一族は、色んな土地を渡り歩いた様だ。放浪の民である。サラクマ(沙羅隈)親方が生まれたのは、そんな旅先のひとつで、カシュガル(莎車)と言う町だったらしい。でも、ラビア姉様は、そこで生まれた訳ではない。ラビア姉様が生まれたのは、ツクシノシマ(筑紫島)のツソ(対蘇)国だ。そこは、ラビア姉様の母ぁ様の国である。ツソ(対蘇)国は、キ(鬼)国の隣の国だ。でも、ラビア姉様の母ぁ様は、ラビア姉様を産むと直ぐに亡くなったらしい。だから、ラビア姉様は、生まれて間もなく、西域のヤルホト(交河城)と言う土地で育った。ヤルホト(交河城)には、サラクマ(沙羅隈)親方の母様が暮らしていたのだ。だから、ラビア姉様も私と同じ祖母ちゃん子である。祖母ちゃんの名は、フーシュエ(狐雪)と言い、ソグド(商胡)商人の娘だったそうだ。だから、ラビア姉様も、西域人の血が濃いのである。祖父は、すでに亡くなり、今は、伯父さんが、交易商人団を率いている様だ。ラビア姉様は、九歳に成ると、西域のヤルホト(交河城)から、サラクマ(沙羅隈)親方が暮らすキ(鬼)国に戻ってきたらしい。やっぱり、サラクマ(沙羅隈)親方の事が心配だったのだ。だから、九歳までは、ヤルホト(交河城)と言う西域の街で育ったのである。でも一族は、交易商人団なので、ヤルホト(交河城)に定住していた訳ではなく、ラビア姉様も各地を旅して回ったらしい。遥か西は、大奏(ローマ)と言う大国まで行ったらしい。しかし、天竺は、北のガンダーラと言う所までしか、行かなかった様だ。でも、天竺の南は暖かくて、とても暮らしやすい所だと、その時に聞いていたそうだ。親子は、そんな風土で育った人の様に、褐色の肌だった。母親は、福よかで美しく、穏やかな風貌をしていた。男の子は、とても聡明な顔立ちをしていた。歳は、私と同じ位に見える。でも背は、私より顔半分位高い。ほっそりとしていて手足が長い。深く窪んだ大きな眼はきらきらと輝いて、明るい性格を思わせる。黄色い衣は、ゆったりとしていて着心地が良さそうだ。大奏国(ローマ)人が着るチュニックと言う衣だと、ラビア姉様が教えてくれた。男の子が気恥かしそうに、ちらりと私を見た。私が微笑みながら軽く会釈をすると、男の子はうつむいてしまった。赤くなったのかは、褐色の肌色なので分からない。けど、どうやら恥ずかしがり屋の様である。私達は一階の奥の間に通され、異人の商人団は二階に上がっていった。

 私達が奥の間に入ると、亭主らしき男が座って待っていた。既に豪華な御膳が並べられている。私達が膳に付くと、あらためて亭主が深々と頭を垂れて「皇女様、無事御帰りになり有り難うございます。お疲れではございませんか?」と、ヒムカ(日向)に言った。ヒムカ(日向)は、亭主の元に行き手を取ると「アマミ(天海)親方。いつも無理を言ってすみません。おかげで今夜は、濡れ鼠に成らずに済みました」と、言いながら亭主を引き起こした。面を上げた亭主の顔には、浅黒い肌に鮫の文様の入れ墨があった。どうやら、ホオミ(火尾蛇)隊長と同じ様に、ヒムカ(日向)の一族の様である。そして、アマミ(天海)親方は、私に向きなおり、頭を下げ挨拶をすると「いつも、皇女様に聞かされておりました。しかし、日巫女様は、私が思い描いていたより、ず~っと、ず~っと可愛いお方ですな」と、笑いながら言った。そう言われたからと云う訳ではないが、私は、すっかりアマミ(天海)親方が好きになった。それは、不知火の亭主の様に、アマミ(天海)親方が気さくな亭主だったからだけでは無い。それ以上に、夏希義母ぁ様と同じ軍属の様な気風を感じたからだ。アマミ(天海)親方の威厳は、ただの船宿の亭主では無かった。その笑顔は、好々爺であったが、アチャ爺にも劣らない、胆っ玉の大きさを感じるのだ。そして、海人の匂いがする。私は無遠慮に「アマミ(天海)親方は、軍属なのですか」と聞いた。テル(照)お婆が慌てて「これ姫様や。何と無礼な」と言い「許してくだされ。どうも私が育てた娘達は礼儀が出来ていないもので」と、アマミ(天海)親方に謝った。アチャ爺と、カミツ(香美妻)が、ブッと吹き出した。ヒムカ(日向)が「素直な娘でしょう」と、アマミ(天海)親方に同意を求めた。アマミ(天海)親方は「ほんに皇女様の話のままだ」と、膝を叩きながら笑った。そして、「軍属では無いが、似たところは有りますなぁ。まず違うところは、ワシ等は戦さを好みませんので、軍属と言う仕事は不要ですわい。同じところは、皇女様が必要だと言われれば何でも用意をするところですなぁ。まぁアチャ様に近いとお考えくだされ」と、真顔になって言った。私は「アチャ爺は、アマミ(天海)親方の事を知っていたの」と、今度は、アチャ爺に聞いた。すると、アチャ爺は「今まで一度もお会いした事はないが、噂では随分以前から、アマミ(天海)殿の事は聞いておった。南洋の海人を束ねる総大将としての評判は、東海でも広く知れ渡っとるでなぁ」と言った。そして「いやぁ、お初にお目にかかります。ハタ(秦)家のアチャと申します」と、幾分照れながら、アマミ(天海)親方に挨拶した。アマミ(天海)親方も「いやこちらこそ、東海一の暴れん坊と言われたアチャ殿にお目にかかれて、長生きした甲斐が有りましたぞ」と、武人相褒め合っている。私は「アマミ(天海)親方は、西域まで航海をするのですか」と、重ねて聞いた。すると「アハハハ・・・この宿に西域人が泊まっているので驚かれましたな」と言った。そして、「ワシ等は、遠~い先祖の頃から、西域人との付き合いがあるんですわ。アチャ様や、ラビア様の河童衆が、北の絹の道を行き来していた様に、ワシ等は、南の絹の道を行き来して来たのですよ」と驚く話を聞かせてくれた。すると、ヒムカ(日向)が「アマミ(天海)親方。これを御覧になってください。ラビア姉様に頂いたんですよ」と、銀の箸を、アマミ(天海)親方に差し出した。すると、銀の箸を手に取りアマミ(天海)親方は大いに驚いた。そして「昔、ある異国の王様に、アショーカ王の宮殿で使われていたという、銀の箸を見せて貰った事が有ります。今、皇女様がお持ちのこの銀の箸は、紛れもなく、アショーカ王の宮殿の箸と同じ物ですなぁ」と感嘆のため息をついて言った。ヒムカ(日向)は、驚いてラビア姉様を振り返った。私も、アショーカ王と言う人が、どんな人かは知らなかったけれど、アマミ(天海)親方の口振りから、ラビア姉様の銀の箸が、この世に幾つも無い貴重な物だという事は分かった。ラビア姉様は、ヒムカ(日向)を見返すと「だからヒムカ(日向)姫にふさわしい箸なんですよ」と言った。そこで、私も意地になりアマミ(天海)親方に、私の塗箸を渡し「これはどうですか?」と聞いた。すると、アマミ(天海)親方は「おお、これは手の込んだ塗箸ですなぁ。螺鈿細工が巧みだわい。そうとうな腕の職人が作った物ですなぁ。ワシの漆塗りの箸も敵わん出来だわい」と懐より塗箸を取り出して見比べ始めた。私は二つの驚きと、二つの疑問が沸き上がってきた。ひとつは、箸で食事をする習慣がない倭人のアマミ(天海)親方が、何で自分の箸を持っているのだろうか???・・・と言う事だった。ふたつ目は、何でアマミ(天美)親方は、ラビア姉様の銀の箸ほど、私の塗箸には驚かないの???・・・と言う事だった。私のその怪訝な顔を見て、ヒムカ(日向)が一つ目の疑問に答えてくれた。「ピミファが首をかしげている様に、私達の一族も神事意外には、箸を使わないわ。アマミ(天海)親方の箸は、親方のお祖母様の形見の箸なの。アマミ(天海)親方のお祖母様も、大巫女様だったのよ」なるほど良く分かった。じゃぁと言おうとすると、今度はアマミ(天海)親方が「日巫女様の塗箸もすばらしいが、ラビア様の銀の箸と交換するには千本あっても足りませんなぁ」と言った。私は反撃する言葉も意欲も失った。でも、ラビア姉様が私の肩を抱いて「その銀の箸の価値は、付加価値と言うの。材料や、手間賃だけならピミファ姫の塗箸とさほど変わらないわ。でも、作られた時代や、使っていた人の存在で大きな価値が付いているの。だから、日巫女様が使っていた塗箸だと人々に知れ渡ると、やがて同じ位の高い付加価値が付くようになる筈よ」と言った。でも私が、アショーカ王と言う人ほど、りっぱな人になれるとは思えないから、あまり期待できない。それより、スロ(首露)船長や、チュヨン(鄭朱燕)さんや、コトミ(琴海)さんの温かい思いが詰まっている箸だから、私にとっては、アショーカ王の銀の箸以上の物なのだ。よ~しお腹いっぱい食べるぞぉと、私は食欲に目覚めた。そんな私を見て、アマミ(天海)親方が「皇女様より大物ですなぁ」と、ヒムカ(日向)を振り返り笑った。ヒムカ(日向)は「やっぱり私が言った通りでしょう」と言った。そしてホオミ(火尾蛇)隊長が大きな声で「私もそう思う」と言い笑い出した。アチャ爺は、頭を掻きながら「面目ない」と恐れ入っている。すると「三女は、どこの家でも、おっちょこちょいの、お転婆娘が多いのかしら。ねぇ」と妹思いのナカツ(那加妻)がしみじみ言った。そしてカミツ(香美妻)と、テル(照)お婆が「そうそう。ほんに困ったもんですと」と、ヒムカ(日向)に、目くばせしながら笑いだした。私は、父様の二番目の子である。ユナ(優奈)は、双子の妹だから、三番目の子はユナ(優奈)である。だから、おっちょこちょいのお転婆娘とは、ユナ(優奈)の事を言っているのだろう。ユナ(優奈)は、茶目っ気のある可愛い妹なのだ。でも???・・・ナカツ(那加妻)は、私が双子だとは知っているが、ユナ(優奈)には会った事が無い。だとすると、ナカツ(那加妻)は、勘違いしているのかも知れない。うむっ、と言う事は???・・・おっちょこちょいのお転婆娘とは・・・嗚呼、やっぱりシモツ(志茂妻)も連れて来るべきだった。

~ クド(狗奴)国の都 ~

 夜が明けると、昨日とは打って変わって青空が広がっていた。本当に秋の空は猫の目の様に変わるものだ。私達が朝餉を食べ終わろうとする頃、クマ族の斥候(せっこう)が帰ってきた。そして、ホオミ(火尾蛇)隊長に、「山越えの道は、無事に通れます」と、報告している。そこで、コウ(項)家軍属二十四人衆は、早速輿の準備を始めた。輿には天蓋も張られ快適そうである。そして、ソソギダケ(層々岐岳)を越え、イト(伊都)国に向かった時には、背負われて後ろ向きだったけど、今回は、四人の男衆が肩に担いでいる輿なので、前向きである。揺れ心地も、格段に良い筈である。しかし、私は、自分の足で歩くのだ。シラスの道が泥濘(ぬかるみ)でも、夏希義母ぁ様に頂いたサンダルがあるので心配はない。クマ族の兵士達は、殆ど軍舟で帰路についているので、お昼のお弁当や、私達の荷物は、アマミ(天海)親方の小荷駄隊が担ってくれる事になった。ヒムカ(日向)と、ラビア姉様、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)、そして、テル(照)お婆と、アチャ爺は、早速六台の輿に乗っている。私は、サンダルのベルトを結びなおすと、アマミ(天海)親方に手を振り意気揚々と出発した。ホオミ(火尾蛇)隊長が、先頭を歩いているので、私は、そのすぐ後ろに付いた。アマミ(天海)親方の小荷駄隊が、更にその後ろを付いてくる。でも、不思議な事に、ふたりだけ小荷物程度しか持っていない男衆がいる。それも、壮年の屈強な男衆なのにである。どうやら、この二人には、私が歩けなくなったら「カラエ(背負え)」と、アマミ(天海)親方が指示している様だ。だから、私は、決して根を上げる訳にはいかない。男衆には、最後まで楽をさせてやろうと意気込んだ。程無く、小さな川に沿って登りが始まった。しかし、峠は、ソソギダケ(層々岐岳)の四分の一ほどの高さしかない。そう高を括っていたら、抜かるんだ山道は滑りやすく、思った以上に体力を消耗した。おまけに、ホオミ(火尾蛇)隊長に負けまいと、隊長の歩幅で歩いたので、峠に着く前には座り込みそうだった。滑り止めの付いたこのサンダルを履いていなかったら、間違いなく根を上げていた事だろう。三重に皮を張ったこのサンダルの底には、深い溝が刻まれていた。どうやら、夏希義母ぁ様は、山道用に作らせていた様だ。そしてお昼前に、やっと峠に着いた。息も絶え絶えになりながら、山道を振りかえると、私は歓喜の声を上げた。そこには、青い海原に、ぽっかりと浮かんだカゴンマ(火神島)の雄姿があったのだ。そして、今日も時折轟音を上げながら、大きな白煙を吹き上げている。カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)も、輿から降りると、私の元に駆け寄って来た。私達は、何だかワクワクした気分になり三人で手を繋ぎ、小躍りをしながら歓喜の舞を楽しく舞った。そして、皆で、カゴンマ(火神島)を眺めながら、お昼を食べる事になった。お昼は、アマミ(天海)親方が持たせてくれたお弁当だ。お弁当には、海の幸がたんと詰められていた。そして、味付けは、甘くて精が戻ってきそうだった。私は、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)から半分分けてもらい、二人分も食べてしまった。その私の食べっぷりを、楽しそうに、ラビア姉様と、ヒムカ(日向)は見ていた。そして、ふたりとも「私達のも、半分あげようか」と言ってくれた。私は、一瞬食指が動いたが、三人前も食べたりしたら皆から大笑いされそうなので、グッと二人前で我慢した。それから、元気を取り戻した私達は、ふたたび、都に向けて歩きだした。都へは、下り坂なので、私の足取りも軽かった。そして、予定通り、夕暮れには都に着いた。都に到着して振り返ると、夕陽が山に沈んでいく。盆地になったクド(狗奴)国の都では、朝日も山から昇り、夕日も山に沈むのだ。私は、夕陽は海に沈むものだ。と、肌身に染み付いて育ったので、何だか奇妙な窮屈感を感じた。そして、何故だか淋しい情景に見えた。ホオリ(山幸)王の館は、ハイグスク(南城)と呼ばれていた。でも、この盆地の都にあるのは、ホオリ(山幸)王の館だけだった。ヒムカ(日向)が住む館は、更に山を越えて、東の海に出た、美々津と呼ばれる港町にあるらしい。そして、ヒムカ(日向)の館は、ナカングスク(中城)と呼ばれているそうだ。タケル(健)が住む館は、東の海を、更に北上したニシグスク(北城)と云う所らしい。更に、ナカングスク(中城)と、ニシグスク(北城)と同じ程の距離を北上すると、ホオミ(火尾蛇)隊長の息子が暮らす、ウサツ(宇沙都)があると言う事だった。ウサツ(宇沙都)は、トウマァ(投海)国の都である。だから、クド(狗奴)国は、とても広くて、大きな国の様だ。どうやら、国土の広さなら、ハク(帛)お婆が治めるヤマァタイ(八海森)国に匹敵する様である。しかし、戦さを好まない民が多い為にホオリ(山幸)王のハイグスク(南城)は、ヤマァタイ(八海森)国の都ほど、軍事的な造りでは無い。深い空壕や、高い木柵は見当たらないのだ。何より、館の正面には、広い庭が広がり、誰でも自由に出入り出来るのだ。先ほども、日が落ちる直前まで、大勢の子供達が遊んでいた。きっと、ホオリ(山幸)王は、子供達が戯れる声を聞きながら、政務をこなしているのだろう。そして、都の景色も随分と違っている。ヤマァタイ(八海森)国に広がる海の様な一面の水田は、ここには無い。その代わり、小さな川から、山肌に添って無数の棚田が昇り上がっている。更に、もうひとつ大きな違いがある。それは、都の北には、火を噴くソソギダケ(層々岐岳)があるのだ。その火の山は、クジフル嶺と呼ばれている。そんな荒々しい山に、ホオリ(山幸)王の御先祖様達は、天降ったそうだ。良く大火傷をしなかったものだ。と、私は、いらぬ心配をしてしまった。ホオリ(山幸)王は、そんな荒ましい系譜を持つ人だから、さぞかし荒ぶる神の様相をしているだろう。と、思っていた。しかし、目の前に現れたホオリ(山幸)王は、とても優しそうな人だった。それに、どことなく、イト(伊都)国のウス(臼)王に似た面立ちである。考えてみれば、タケル(健)の実のお父様なのだから不思議ではない。むしろ、女神様の様なタケル(健)に比べれば、充分に男らしい面構えである。しかし、荒ぶる神の恐ろしさが無いので、私は、少し拍子抜けしてしまった。それより、この都には、タケル(健)がいないのである。これには、私の元気もすべて消え去ってしまった。タケル(健)は、とても大事な事柄を抱えており、ニシグスク(北城)を離れられないそうである。まだ六歳だと言うのに、どうやら、もう王の代理を務めているらしいのだ。七つも年上なのに、未だに遊興三昧の私は、恥ずかしくなってしまった。そして、夜の宴会で、私は追い討ちをかけられてしまった。ホオリ(山幸)王の傍らには、ヒムカ(日向)が座っていたのだ。ホオリ(山幸)王の話では、ヒムカ(日向)は、すでにクド(狗奴)国の大巫女様なのだ。つまり、ホオリ(山幸)王と並び立つ女王である。タケル(健)や、ヒムカ(日向)に比べて、私はなんと幼いのだろう。その夜のご馳走が、どんなものだったかさえ、私は思い出せない位に、意気消沈して床に就いた。それにしても、メラ爺の姿が見えないけど、メラ爺はどうしたの???・・・ すっかり気落ちしていた私は、「メラ爺めっ。早く来い。メラ爺めっ。早く来い」と、呪いの呪文を唱える様に、ぶつぶつと呟き寝付いた。

 翌朝も青空が広がった。しかし、ヒムカ(日向)は、もうホオリ(山幸)王に捕まっている。ひと月の間に溜まっていた政務をこなしているのだ。ホオリ(山幸)王にとって、ヒムカ(日向)は、可愛い姪と云う存在以上の様である。ヒムカ(日向)は、二日の間、ハイグスク(南城)に留まり、ホオリ(山幸)王と、政務をこなすそうだ。だから、私達の出発も、三日後になった。オマロ(表麻呂)船長と軍船は、その頃にはもう、ヒムカ(日向)の館がある美々津の入江に停泊しているだろう。朝餉を済ますと、私達は、ホオミ(火尾蛇)隊長の案内で、クド(狗奴)国の都を見て回る事になった。ヒムカ(日向)が、政務でいないので、コウ(項)家軍属二十四人衆の六台の輿には、一つ空きが出来た。そこで、仕方がないので、私も輿に乗り都巡りをする事にした。ここで私が意地を張って「輿には乗らない」と言えば、二十四人衆の中の四人は、都巡りが出来なくなるのだ。それでは若い衆が可愛そうである。だから、私は渋々輿に揺られている。そして、想像通り、乗り心地はとても良い。あまりに良い揺れ心地なので、居眠りをしてしまいそうだ。今日は、関之尾の滝と言う所に行くそうだ。「ただの滝では無いぞぉ。倭国でも数か所しかない珍しい風景が広がっておる」と、ホオミ(火尾蛇)隊長が、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)に、これから行く滝の説明をしている。そして、やや自慢げな口調である。すると、カミツ(香美妻)が「私達は、倭国でも有数の大河で育ったんですよ。それに私達の千歳川は、倭国一の暴れ川と呼ばれている位ですから・・・滝なら、大小様々沢山見慣れていますよ」と、輿の上から、茶化し気味に声を投げかけた。すると、ホオミ(火尾蛇)隊長も「クド(狗奴)国には、倭国一を誇れる物が多々ある。中でも、こんな珍しい滝は、長い一生の内でも誰でも見られるものでは無い」と、年甲斐もなくやり返している。しかし、カミツ(香美妻)も負けてはいない。「倭国一なら、私のヤマァタイ(八海森国)が一番多いと思いますよ。だって、ヤマァタイ(八海森国)は、倭国一大きな国ですから」と、応戦し始めた。すると、ホオミ(火尾蛇)隊長が「じゃが、ヤマァタイ(八海森国)には、カゴンマ(火神島)の様な火を噴く山はあるまい」と言った。確かにヤマァタイ(八海森国)に火を噴く山は無い。一瞬返す言葉に詰まったカミツ(香美妻)だったが「ツクシノウミ(筑紫海)の縁には、高来之峰が火を噴いています」と、やり返した。ホオミ(火尾蛇)隊長は「高来之峰は、シマァ(斯海)国にあるではないか」と、さらりと駄目押しをした。ところがカミツ(香美妻)は「高来之峰は、高木の神の山です。私は、高木の神の子孫ですから、高来之峰は、私の山みたいなものです」と、強引な主張をした。からかい甲斐があると思ったのかホオミ(火尾蛇)隊長は「でも、いくら物持ちが良いカミツ(香美妻)姫のヤマァタイ(八海森国)でも、火を噴く山が、ふたつもはあるまい」と言った。カミツ(香美妻)は、う~んとしばらく唸っていたが「ソソギダケ(層々岐)も、ちょっと前まで火を噴いていたそうです」と意外な事を言い出した。ホオミ(火尾蛇)隊長が「ちょっと前とは、どれ位前で、ソソギダケ(層々岐岳)が火を噴いていたとは、誰が言っていたのかなぁ」と意地悪い目つきでカミツ(香美妻)を追い込んだ。しかし、カミツ(香美妻)に降参する気はない。「ちょっと前は、ちょっと前で、自然が営む悠久の時の中では、大した事では有りません。ホオミ(火尾蛇)隊長ともあろう剛勇の戦士が、そんな小さな事に気をもまれるとは、意外でした。誰が言ったかと言えば、ジョ(徐)家のフク(福)爺です。フク(福)爺ほど森羅万象に通じた人はいません。フク(福)爺が火を噴いたと言えば、どこの小山であろうとも火を噴くのです。フク(福)爺が、そこは海だったと言えば、たとえ、カゴンマ(火神島)でもちょっと前には、海の底に沈んでいたんです。タケル(健)様だって知っているし、私を嘘つきだと疑うのでしたら、タケル(健)様にも聞いてください」と、むちゃくちゃな論陣をひいて応戦した。これには、流石にホオミ(火尾蛇)隊長も閉口し「それなら、そう言う事にしておきましょう。カミツ(香美妻)姫のヤマァタイ(八海森国)が何でも倭国で一番です。これでお許しいただけますかな」と、頭を掻きながら、何故だか嬉しそうに言った。すると、テル(照)お婆が「ホオミ(火尾蛇)様、許してくだされや。ジョ(徐)家の女は、どうも気が強く生まれついておるのです」と、申し訳なさそうに詫びた。傍らでアチャ爺が、ぶっと吹き出した。ナカツ(那加妻)も笑いながら「でもホオミ(火尾蛇)様。ご安心ください。高木の神の娘達は、とても心やさしくて穏やかですから」と、ホオミ(火尾蛇)隊長に声をかけた。隊長は「高木の神の娘達が、心やさしくて穏やかだというのは、良く知っています。私の先立った妻も、高木の神の娘でしたから」と意外な事を教えてくれた。どうやら、高木の神は、倭国に古くからおられた神の様である。もしかすると、ナカツ(那加妻)は、ホオミ(火尾蛇)隊長の亡くなった愛妻に似ているのかも知れない。もしそうなら、あのホオミ(火尾蛇)隊長の、愛おしげで悲しみを秘めた眼差しの意味が理解できる。一方のカミツ(香美妻)は、勝った様な負けた様な釈然としない成行きに不満げな顔をしている。クマト(熊人)だけじゃ無く、カミツ(香美妻)にも『意地っ張りを治す薬』を飲ましてやろう。やっぱり、カミツ(香美妻)は、私に負けない位の、意地っ張りの様だ。そして、私はこの三姉妹が益々好きになってきた。

 北に向かって、川沿いを進んでいた私達一行は、やがて、川が分岐した所に着いた。滝へは、左に曲がり西に向けて川沿いを溯る様だ。このまま真っ直ぐ川を下れば、ヒムカ(日向)の館がある東の海に流れ下る。そして、河口には、赤江ノ津と言う河港が有る。その赤江ノ津には、オマロ(表麻呂)船長が、軍船を停泊させて待っている。それから、ヒムカ(日向)の館がある美々津の入江に向かう様だ。棚田では、すでに大勢の人が集まり稲刈りが始まっていた。まるまると太った赤子達は、竹籠に寝かされ、畦道に放り出されている。でも、秋の柔らかい日差しと、涼やかな風に吹かれて、気持ち良さそうだ。その傍らで、年少の女の子達は、綾とりをしながら子守りをしている。男の子達は皆、年少でも稲刈りを手伝っている。そんな情景に、心をぽかぽかと暖めながら眺めていると、その先の山の麓と棚田の間に、煙を上げている小屋が数軒ある。でも、炭焼き小屋ではなさそうだ。私は、ホオミ(火尾蛇)隊長に、何の小屋なのか聞いてみた。そして、私はとても驚いた。ホオミ(火尾蛇)隊長は、鉄を作っている小屋だと説明してくれたのだ。クド(狗奴)国では、鉄の生産をしているのか。先ほどのお国自慢で、何故ホオミ(火尾蛇)隊長は、製鉄所の話をしなかったんだろう。そうすれば、カミツ(香美妻)の完敗で有っただろうに。ヤマァタイ(八海森国)にはタタラ場は無い。倭国にもタタラ場はあるらしいのだが、その国々は、ヤマァタイ(八海森国)や、イト(伊都)国とは関係が良くないのだ。だから、鉄は、ほとんどスロ(首露)船長のピョンハン(弁韓)国から買っている。だから鉄は、とても貴重な輸入品なのだ。

 タタラの炉は、山の斜面を利用して作られていた。私は、近くでじっくり見てみたかったのだが、今日は、滝見物に向かっているので、寄り道をする時間は無いそうだ。それに、私以外は皆、製鉄所なんかに興味はなさそうだ。シモツ(志茂妻)がいれば、きっと私と一緒に「滝見物を止めて、製鉄所見学にしましょうよ」と、言い張ってくれたかも知れない。けれど残念だ。だから、今回は、ホオミ(火尾蛇)隊長の授業で満足するしかなかった。隊長の授業によると、炉は、炉口を風上に来る様に作っているそうだ。そして、反対側には、木炭と鉄の材料を、交互に重ね入れる。そうやって準備が整ったら、炉口から勢い良く火を投げ入れ続けるらしい。だから、基本的には、甕や壺を焼くのと同じである。しかし、鉄を取り出すには、焼物よりも更に高い温度が必要になる。そこで、鉄の材料に、木炭粉を加え、山風が強く吹く日を選ぶなど、色々工夫をしている様である。また、鉄の材料には色々な物が有って、スロ船長のピョンハン(弁韓)国で使っているのは、鉄鉱石と呼ばれる鉄分を沢山含んだ岩である。でも、この鉄鉱石は、ヤマァタイ(八海森国)だけではなく、クド(狗奴)国でも手に入らない。そして、私とサヤマ(狭山)組頭が千歳川で集めた黒い砂も、砂鉄と言う鉄の材料だった。でも、あの黒い砂をたくさん集めるのは、とても大変だと思った。その他にも、スズと言う、植物が作る鉄の材料もあるそうだ。鉄分を多く含んだ温泉があるところには鈴成りであるらしい。だから、スズは、クド(狗奴)国でも取れると、ホオミ(火尾蛇)隊長は言った。でも、クド(狗奴)国で、鉄の材料として一番多く使っているのは、阿蘇黄土と言う黄色い岩だという事である。この岩は、ツクシノシマ(筑紫島)の真ん中にある、阿蘇と言う所で採れるそうだ。そこは、タケル(健)が治めるニシグスク(北城)の近くにあるらしい。そして、どうやらタケル(健)がニシグスク(北城)から動けない原因も、その阿蘇黄土にある様だ。阿蘇には、カゴンマ(火神島)と、同じ位大きな火を噴く山が有り、さらに、その周りにも火を噴く山がいくつも有るらしい。何だかとても恐ろしい所の様である。そんな所で暮らしているクマ族は、きっと、鬼の様な肝を持った人々に違いない。でも、タケル(健)なら、うまく付き合って行けそうだ。クド(狗奴)国の鉄は、主に農具に利用されている様だ。スロ(首露)船長のピョンハン(弁韓)国の鉄の様に、武器には使われていない。それは、クド(狗奴)国の鉄の性質が、武器には向かない事と、山の民のとの間では、昔からあまり戦さがなかったのでそうなったらしい。更に、山の民にとって、弓矢や、槍は、狩りの道具なのだ。だから、獲物を仕留められれば良いのだ。猪や、熊が、刀を振りかざして向かってくる事は無いので、鉄剣である必要も無かったのだろう。ホオミ(火尾蛇)隊長の剣も、私の守り刀程の長さで、スロ(首露)船長の鉄剣や、アタテル(阿多照)叔父さんの黄金色に輝く青銅剣に比べると見劣りする剣である。やはり、戦闘の為の剣と言うより、狩猟や藪を漕ぐ時に使う刀の様である。私が、アタテル(阿多照)叔父さんの美剣の話を聞かせて、ホオミ(火尾蛇)隊長も、そんな美剣が欲しくないかと聞くと「ワシは美剣より丈夫な斧が欲しい」と言った。やっぱり、ホオミ(火尾蛇)隊長は、質実剛健な男の様である。

 お昼前には、関之尾の滝に着いた。緩やかな川の流れ沿いに歩いて来たので、思った以上に楽な道のりだった。そして、山が近づくと、轟音が聞こえてきた。滝はすぐ近くにある様だ。少し登りながら歩くと、目の前に雄大な滝が現れた。雨上がりなので水量も豊富である。滝幅は、数百歩程も有りそうだ。高さは、ジンハン(辰韓)船の帆柱以上に高く、近くで見上げると、滝が頭の上から降ってくる様で怖い位だ。なんて、すばらしい滝なのだろう。アチャ爺や、テル(照)お婆も、輿を下り感嘆のため息をついて見惚れている。「ここでお昼を頂くんですか」と、ナカツ(那加妻)も、輿を下りて明るい声を出した。「こんな良い景色の所でお昼を食べるなんて、私も随分久し振りだわ」と、ラビア姉様も嬉しそうに輿を下りて来た。しかし、意地っ張りのカミツ(香美妻)は「この程度の滝なら、私はいくつも見たわ」と、言わんばかりの顔をして輿から降り様としない。それを察したアチャ爺が「いや~ホオミ(火尾蛇)殿。絶景ですなぁ。こりゃぁ~昼酒が旨そうじゃわい」と、お昼の宴席を促す様に言った。すると「アチャ様にそう言っていただくと、ワシもほっと出来ますなぁ。しかし、アチャ様、驚くのは、まだこれからですぞ」と、ホオミ(火尾蛇)隊長は言い出し、そして、どんどんと、滝の上流に向かい登って行き始めた。チリン(知林)島の件もあるので、皆もホオミ(火尾蛇)隊長の後を追った。隊長がそう言うなら、きっと素晴らしい景色が有るに違いないと、皆は思ったのだ。カミツ(香美妻)も、チリン(知林)島の海の道は、お気に入りだったので、渋々輿を下りて山道を登って来た。そして、その滝の上に横たわる奇岩を見た途端に、目を輝かせ「何ですか。これはぁ~。神様の手によるものとしか思えませんねぇ~」と、大きく感激の声を上げた。滝の上の河原には、無数の穴が開いた大岩があったのだ。大小いくつもの奇妙な穴は、カミツ(香美妻)でなくても、神様が刻んだとしか思えなかった。突然、カミツ(香美妻)が、ホオミ(火尾蛇)隊長に深々と頭を下げて「ホオミ(火尾蛇)様、お許し下さい。私、こんな奇妙な景色は生れて初めて見ました」と、すなおに謝った。そして、ホオミ(火尾蛇)隊長の許しを確認する間もなく、何故々々攻撃に打って出た。「この穴は、何と呼ぶのですか?誰がどうやって掘ったんですか?いくつ位あるんですか?」と、矢継ぎ早に言うと、ホオミ(火尾蛇)隊長の袖を引いて答えを催促している。カミツ(香美妻)めっ!私のお株を奪ってしまったなっ!!仕方がないので「私も聞きたい!」と、大きく手を上げて言った。ホオミ(火尾蛇)隊長は、満面の笑みを浮かべて、「おう、有り難い。皆様に気に入ってもらえた様ですなぁ」と言い説明を始めた。「これは、水甕の様だからカメアナと呼んでいます。誰が作ったかと言えば、この川です」「川???ですかぁ~」と、私と、カミツ(香美妻)が、同時に疑問の声を上げた。ホオミ(火尾蛇)隊長は、右手で川の水をすくい上げ、左手で河原の小石をつまみ上げた。そして「詳しく言えば、川の流れと、この小石がカメアナを掘ったのですよ」と言った。「この川の水が~???」と、私が水をすくい上げると「この小石が~???…」と、カミツ(香美妻)が小石を拾い上げた。ホオミ(火尾蛇)隊長は「数は、誰が数えたかは知りませんが、大小数千個ほどある様ですなぁ」と、説明を続けた。「まず、川底の岩に、小さな亀裂が出来たとします。そして、そこに小石が流れ込みます。すると、小石は水流でグルグルと転がります。やがて、岩の亀裂は、小石に削られ、だんだん真丸く成ります。すると、その穴にまた、新しい小石が転がり込み、穴をどんどん広げます。そうやって数千年、数万年と時が経ち、このたくさんのカメアナが出来ました。時が経つにつれ、穴と穴は繋がり、幾筋もの小川が出来ました。だから、昔は川底だったこの岩も、今は干上がり、私達がこうして、穴を見ながら立っているわけです」と、ホオミ(火尾蛇)隊長のこの壮大な話に、しばらく、私と、カミツ(香美妻)は「ほぉ~」と、放心状態に陥ってしまった。そうして、悠久の時を吐き出すかのように、二人同時にブハッ~と大きなため息をついた。すると、ナカツ(那加妻)が、ホオミ(火尾蛇)隊長の手を取り、高々と振り上げながら「倭国一ですねぇ」と笑いながら言った。そして、皆も一斉に明るい笑い声を南の空に放った。

 今日は、陽が落ちるより前に、ホオリ(山幸)王の館に帰りついた。そして、館ではもう宴会の準備が整っていた。私の席は、今宵もホオリ(山幸)王の対座であった。私の右横には、アチャ爺と、テル(照)お婆の席があり、テル(照)お婆の横には、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)の席がある。左横には、ラビア姉様の席が有り、その横から、コウ(項)家軍属の三人の七人隊長の席があった。更に、その後には、二十四人衆全員の席が設けてある。どうやら、コウ(項)家二十四人衆は、私の近衛兵と言う扱いらしい。私自身には、その自覚が無かったが、大人達には、夏希義母ぁ様の親心が分かっていたのだ。コウ(項)家軍属には、ナツハ(夏羽)と互角に戦える、屈強な若衆が五人いた。五人の名は、歳の順に、項良、項荘、項佗、項襄、項冠と、言う。この五人は、夏希義母ぁ様が、我が子の様に可愛がって育ててきた。アチャ爺の話では、コウ(項)家の六人の若衆頭達は、皆一軍の将の器があるという。私も、ナツハ(夏羽)以外の五人は、そうだろうなと思える。そして、夏希義母ぁ様は、この中から、項荘、項佗、項冠の三人を七隊長として私に付けたのだ。つまり自分を支える六人息子の内の半分を、私に付けたのだ。だから、三人の七人隊長は、私の義兄でもある。ナツハ(夏羽)が、私の実の兄だと云うのには、未だに納得出来ないが、項荘、項佗、項冠の三人には、兄妹としての情感を感じ始めていた。ここまでの短い旅の道中でも、私の為なら、何事も惜しまないと言う情愛を感じるのだ。そして、これも私には、まったく自覚がなかったのだが、倭国内では、イト(伊都)国、イナ(伊奴)国、イミ(伊美)国の三国。それに、ヤマァタイ(八海森国)、末盧国、シマァ(斯海)国に、私の生まれ故郷のアタ(阿多)国を合わせた七国が、私の庇護に入ったと言われているそうだ。更にキ(鬼)国、クシ(躬臣)国、ヘリ(巴利)国、ウノ(烏奴)国は、私の庇護を受けるベく準備を進めているそうである。きっと、こんな大それた話は、メラ爺が流したに違いない。そして、コウ(項)家軍属や、河童衆まで含めると、何と私には、十数万の大軍が付いているらしい。私は、決して戦場(いくさば)の巫女にはならないつもりなのに、困った事態である。まったく、メラ爺めっ、どこにいるのよ。いつも私を大変な事態に導いておいて、自分はどこに雲隠れしているの。

 私達が帰りついたと、知らせを受けたヒムカ(日向)と、ホオリ(山幸)王も、政務を切り上げ会場に現れた。ホオリ(山幸)王は、席に着くや否や「ホホォ~っ、ホオミ(火尾蛇)大将の今日の接待は、随分功を成した様だな。今宵の日巫女様は、昨夜と打って変わって生き生きしておられる。良かった。良かった。日巫女様の元気が無いのは、ワシが嫌われたのかと心配しておったのよ。ホオミ(火尾蛇)大将よ、お手柄、お手柄だわい」と、嬉しそうに話しかけてこられた。私は「確かに、ホオミ(火尾蛇)隊長は、接待上手です。今日の関之尾の滝の奇景も、先日のチリン(知林)島の奇跡も、私は生まれて初めて見る、驚く物ばかりでした。それに、部下思いの立派な隊長だと思います。ところで、私は、当初ホオミ(火尾蛇)様を、クマ族の一兵隊長だと聞いていました。でも、ヒムカ(日向)は、ホオミ(火尾蛇)叔父様と呼んでいましたし、今また、ホオリ(山幸)王は、ホオミ(火尾蛇)大将と、呼ばれました。私も、ホオミ(火尾蛇)隊長の見識の深さを知るにつれ、ただの兵の隊長では無いなと思い始めていましたが、ホオミ(火尾蛇)様の正体は何者ですか」と、ホオリ(山幸)王に聞いた。すると、アチャ爺が慌てた様に「これこれ、ピミファや何と無礼な。挨拶も、ちゃんとしておらんと言うのに・・・いやいや、ホオリ(山幸)王よ。ゆるしてくだされ。何しろピミファは」と、アチャ爺が、ホオリ(山幸)王に謝りかけると、ホオリ(山幸)王が「何故々々娘なのでしょう。大丈夫。大丈夫。ヒムカ(日向)にちゃんと聞いていますよ。それに、とても意地っ張りだそうですなぁ。あはははは・・・」と、笑いだしながら言った。だから、私は何とか反論しようと思い「ヒムカ(日向)が、ホオリ(山幸)王に私の事をどう言ったか知りませんけど、ヒムカ(日向)が、言った事は、全部ムムムム・・・悔しいけど、きっと、本当の事です。だって、ヒムカ(日向)は、私以上に、私の事を知っていますから」と、膨れっ面をして言った。すると、ナカツ(那加妻)が「でも王様。それはヒムカ(日向)様に比べたら、日巫女様が意地っ張りの何故々々娘に思えるだけで・・・つまり御淑やかではない無いという事ですが、カミツ(香美妻)姉様と比べれば、大差は有りませんよ」と、妙な庇い立てをしてくれた。私はどう反応したものか迷っていたが、カミツ(香美妻)がすかさず声を上げた。そして「王様それは、誤解です。どうして、私が日巫女様と並び立つ事など出来ましょうか。日巫女様の意地っ張りが、高来之峰の高さなら、私の意地っ張りなど、そこのお庭の小山程度のもの。日巫女様の何故々々攻撃が、例えばカゴンマ(火神島)の火の勢いなら、私の何故々々攻撃など、今日見たタタラ場の炭火程度のものですわ。オホホホホ・・・」と、笑って誤魔化そうとしている。私は、益々どうやって反対の論陣を張ろうかと、悩みこんでしまった。すると、ホオミ(火尾蛇)隊長が「王様、カゴンマ(火神島)の火であろうと、タタラ場の炭火であろうと、生身の人間が触れれば大火傷をしますからなぁ。へたに触れぬ方が良いかと思いますぞ」と言った。すかさず、カミツ(香美妻)が「ホオミ(火尾蛇)様ったらもう」と、怒ったような泣きべそをかいている様な表情で、勢いよく立ちあがった。その裾を、テル(照)お婆が引いて「これこれ、カミツ(香美妻)や。王様の前で何と、はしたない声を上げるのです」と叱った。そして「王様お許しください。ジョ(徐)家の女は、どうも気が強く生まれついておりましてなぁ。ナカツ(那加妻)の様に、もう少し、高木の神の娘の血を引いておれば良かったのですが、カミツ(香美妻)は、姿形だけでなく性根まで、ジョ(徐)家の女でしてなぁ。これでは、婿の来ても無いかと、一族で心配しているのです」と詫びながら言った。しかしカミツ(香美妻)は「でも、テル(照)お祖母様も、ヨド(淀)叔母様にも、立派な婿殿が居られるでは有りませんか」と、まだまだ好戦的である。すると、ホオリ(山幸)王は、愉快そうに「テル様。お忘れですか。我が妻も、ジョ(徐)家の女であった事を」と、カミツ(香美妻)を、懐かしさをこめた眼で見た。テル(照)お婆は「そう言えば、カミツ(香美妻)は、チル(知流)に似てきましたなぁ」と、悲しみを蘇らせたかの様に呟いた。ホオリ(山幸)王は「いえいえ、カミツ(香美妻)姫は、チル(知流)に瓜二つですよ。もし、タケル(健)がここに居れば『ほらほら、これがお前の母様だ。』と、言ってやりたいほどですよ」と言った。ホオリ(山幸)王の右隣には、今日もヒムカ(日向)が座っていた。その隣に、ホオミ(火尾蛇)隊長が座っているのだけど、その間に空席が設けてあった。タケル(健)の席である。そう云えば、タケル(健)と、カミツ(香美妻)は似ている。母子では歳が近過ぎるけど、姉弟と言われれば皆そうだと思うだろう。何故、今まで気が付かなかったんだろう。「ホオミ(火尾蛇)大将は、気付かなかったのか?」と、ホオリ(山幸)王が、ホオミ(火尾蛇)隊長に言葉を投げかけた。「気付かぬはずは無いでしょう。初めて、カミツ(香美妻)様を目にした時には『チル(知流)様。生きておられたのか』と、思わず泣きそうでしたわい。チル(知流)様を、この腕の中で見送ったのは夢だったんだと、心底自分に言い聞かせようとしました。じゃが、未だにチル(知流)様の胸から溢れ出る血の温もりが、この手からは、消えませんからなぁ」と、ホオミ(火尾蛇)隊長は、言葉を詰まらせた。私には、あの以前から不思議に感じていた、ホオミ(火尾蛇)隊長の、愛おしげで悲しみを秘めた眼差しの意味が全て理解できた。

~ クド(狗奴)国の王子様 ~

 宴が始まる直前になって、アマミ(天海)親方と、メラ爺が、若い王妃と、生まれたばかりの王子様を伴って到着した。メラ爺めっ。やっと現れたな。私は、すぐにでもメラ爺と膝を突き合わせて、直談判したかった。しかし、この場では、それは叶わない。王妃は、ホオリ(山幸)王の右隣に座り、その間に、王子様の揺り篭が置かれた。その横に、アマミ(天海)親方と、メラ爺の席が設けてある。メラ爺と、膝を突き合わるには、随分と席が離れている。更に、ラビア姉様は、対座になった王子様の幼い顔を、立ちあがり、身を屈め覗き込んでいる。だから、メラ爺は、ラビア姉様の陰に隠れてしまった。ラビア姉様は「何て凛々しい王子様だろう。西域の果てまで旅しても、こんな可愛い男の子は、見たことがないわ」と、今にも頬ずりしそうである。王妃が「抱いていただけますか」と、王子様を抱きあげラビア姉様に手渡した。ラビア姉様は、一瞬戸惑い、ホオリ(山幸)王の方を見た。ホオリ(山幸)王は「ぜひお願いします。母親の次に抱かれたのがラビア様だとは、王子は生れ付いての果報者でしょう」と言った。「本当に、倭国中の男供が、嫉妬の悲鳴をあげそうですなぁ」と、メラ爺が相槌を打った。メラ爺がそう云えば、数日後には、倭国中を男供の嫉妬の悲鳴が覆う事になるだろう。ラビア姉様は、王子様を包み込む様に抱留めると、もう他の事はどうでも良い様である。それに、きっとこの王子様は、ナツハ(夏羽)や父様に負けない位の女好きになりそうである。何故なら、ラビア姉様と、ず~っと目を合わせて嬉しそうに笑っているのだ。ホオリ(山幸)王が「さて、日巫女様。これが王妃のトヨミ(豊海)と申します。ごらんの様に、やっと産後の肥立ちが出来ましたので、遅れましたが、今宵御目にかける事が出来ました。さぁ、トヨミ(豊海)よ、ご挨拶しなさい」と、トヨミ(豊海)王妃を促した。トヨミ(豊海)王妃は、ふくよかで明るい笑顔の持ち主だった。特に、笑窪が愛らしさを増していた。「イズモ(稜威母)のトヨミ(豊海)と申します。私も、日巫女様と同じアマ族ですのよ。だから、海に入ったら、ヒムカ(日向)や、日巫女様にも負けませんよ」と、勝ち気な笑顔を向けてくれた。ヒムカ(日向)が「本当よ。トヨミ(豊海)姉様は、ワニの娘だから、私達に勝ち目は無いわよ」と、助言を入れた。だから、私は「では、私と同じ龍人の血をお持ちなんですね」と言った。途端にトヨミ(豊海)王妃の顔が嬉しそうに輝いた。そして「でも少し違いますよ。日巫女様は、大蛇の一族ですが、私は鰐の一族です。ただ、私達ふたりとも、鱗は有りませんけどね」と言って笑った。私も笑いながら「ホオミ(火尾蛇)隊長の胸には、きっと鎧より丈夫な鱗が有りますよ」と、ホオミ(火尾蛇)隊長に目をやった。そして、ヒムカ(日向)が「ホオミ(火尾蛇)叔父様は、海蛇の様に水中を泳ぐのよ。イルカだって勝てないわ。でも、きっとトヨミ(豊海)姉様には勝てないわ」と補足した。すると、「ホオミ(火尾蛇)様ばかりか、ワシ等、ハイ(南)のウミンチュウ(海人)が総がかりでも勝てる奴はおりませんなぁ」と、アマミ(天海)親方も同調した。「いえいえ、アマミ(天海)様がお若ければ、私など足元にも及ばないでしょう。父から『若い頃のアマミ(天海)は倭国一のウミンチュウ(海人)だった』と、聞かされていますよ」と、トヨミ(豊海)王妃が言った。「じゃっど(そうだ)じゃっど。ワシもそう言う噂を聞いておった」と、アチャ爺も、トヨミ(豊海)王妃に同調した。そして、皆が一斉にアマミ(天海)親方を見た。アマミ(天海)親方は、仙人の様な長い髭を撫でながら、照れ笑いをした。そして「この老いぼれの事など、どうでも良いでは無いか。それより、ホオリ(山幸)王よ。早く王子の名を日巫女様にお願いせねば」と言った。えっ?!私に???・・・「おおぉ そうであった。そうであった。今宵の一大事を先に済ませねば、酒も喉を通るまいというものよ」と、ホオリ(山幸)王が私に向き合い、身支度を整え直した。そして、トヨミ(豊海)王妃と二人で、私に頭を下げると「日巫女様。ヒムカ(日向)や、私達のみならず、クド(狗奴)国の民全てが、日巫女様の御出でを、心から喜んでおります」と改まって言われた。そして「さらに、クド(狗奴)国のもう一つの新たな幸が、この様に目の前に居ります。これは、きっと神様のお導きに相違ありません。そこで、日巫女様に、この子の名付け親に成っていただけないかと願っております。そうすれば、我が国を、二つの幸が包んでくれる事でしょう。なにとぞ、よろしくお願いいたします」と二人は、更に深々と頭を下げられた。私は慌てて「王様、王妃様、なにとぞ頭をお上げください」と慌てて立ち上がった。ところが、ホオリ(山幸)王は「良かった。日巫女様が王子の名付け親に成って下さるぞ」と、トヨミ(豊海)王妃の手を取って、目を潤ませながら喜んでおられる。私は、次にどう云って良いか途方に暮れてしまった。「私なんかが、とてもとても」と気楽に断れる雰囲気では無いのだ。ラビア姉様は、王子様に頬ずりしながら「良かったでちゅね。もうすぐ、ピミファ姫が王子様の名前をお付けしますよ。ピミファ姫が決める名前ですから、王子様にふさわしい、神様が選んだお名前ですよ」と、既に決まった事の様に言っている。アチャ爺と、テル(照)お婆は、ニコニコして頷いており、カミツ(香美妻)と、ナカツ(那加妻)は「すごい。すごい」と興奮している。誰も「ちょっと待った」とは、言ってくれそうもない。私は、藁おもすがる気持ちで、ヒムカ(日向)を見た。ヒムカ(日向)は、微笑んで「大丈夫。私も手伝うから」と言ってくれた。そう言われたら、もう引き下がる道は無い。私は意を決して「未熟者の私を、名付け親に選んでいただき、有り難うございます。精一杯頑張って、神様から、良いお名前を頂いて来ます」と言った。私のその言葉に、ホオリ(山幸)王と、トヨミ(豊海)王妃は元より、ホオリ(山幸)王の館の中いたる所から歓声が揚がった。そして、「さぁさぁ。喜びの鳥が逃げぬ様、皆で楽しい宴会を始めようぞ」と、ホオリ(山幸)王が、宴会の開催を宣言された。それを聞いて、今までガチガチに緊張していたコウ(項)家二十四人衆が「オオ・・・ッ」と安堵の奇声を上げた。メラ爺が、嬉しそうに私を見つめている。だから、数日も経たないうちに、私が王子様の名付け親になった事が、倭国中に知れ渡り、「クド(狗奴)国も、また日巫女様の庇護を受けたぞぉ~」と、言う情報を流すに違いない。私の存在は、メラ爺に因って、どんどん私の実像から離れて行きそうである。やっぱり、近いうちに、メラ爺とは、膝を突き合わせて直談判しておかないといけない。そうしないと、私は、我が身を越えて、だんだん困った事になりそうだ。

 やがて、ほろ酔い加減になったアチャ爺が「そろそろ踊りを楽しもうぞ。まずは項荘、項佗、項冠の三人から行けっ」と、号令をかけた。「オス」と叫ぶと、コウ(項)家の三人は、勇壮な武闘の舞を始めた。一番手は、項冠が槍の演武を披露した。すると、途中からアチャ爺が身を乗り出してきて「まだまだ、未熟よのう」と、ふらつく足取りで槍を振り回し乱入した。既に一升程の酒を飲んでいるので、ふらふらと、危なかしい足取りである。そうして「酒は飲め飲め~」と、唄いながら、項冠と槍の手合わせを始めた。でも普通の試合ではない。時折、滑稽な仕草も交えるのだ。だから、何故だか見事な舞に成っているのである。項冠は「やはり東海一の暴れ者アチャ様には敵いません。参りました」と、腹を抱えて笑いだした。次は、項荘が剣の舞を披露した。すると今度は、酔ったホオミ(火尾蛇)隊長が、やはりふらつく足取りで、剣を振り回し乱入した。しかし、何故か、これも見事な剣さばきの舞なのである。項荘が、何度も舞い打ちかかるのだが、全て見事にかわされてしまう。ついに、項荘は「やはり、倭国で一二を争う剣士のホオミ(火尾蛇)様には、敵いません。参りました」と、剣を置いた。三人目の項佗は、徒手の舞を披露した。すると今度は、アマミ(天海)親方が、ふらつく足取りで項佗に挑んできた。くねくねと腰を振り、奇妙な動きである。手と腕も、ふにゃりふにゃりと宙を彷徨ってる様な仕草だ。だが、何故だか項佗は緊張している。そして、エイヤーと、思いきり突きを入れた項佗の方がすってんころりんと倒れてしまった。すかさず項佗は立ち上がり、老人への思いやりの欠片も無い位に、強い蹴りや、突きを繰り出すのだが、その度に、すってんころりんと転んでいる。何度か転んで、項佗は「やはり、拳聖と呼ばれたアマミ(天海)様には敵いません。参りました」と、息を切らせながらへたり込んだ。そして、いよいよ三人の酔狂老人の舞に宴会は飲みこまれ、皆は大いに笑い、飲み、そして食べた。やがて、やっと年寄りも踊り疲れ、再びコウ(項)家二十四人衆が、代わる代わるに芸を披露し始めた。そこで私は、宴会が一息ついた隙を見計らって、矢継ぎ早に三つの疑問を、ホオリ(山幸)王に投げかけた。「王様、先ほど私が聞いた、ホオミ(火尾蛇)隊長の正体を、教えていただけませんか。それと、メラ爺の正体もお明し下さい。メラ爺は、王様の臣下でも無い様に思えますが、何故、クド(狗奴)国の中で、勝手気ままに振舞えるのですか」ホオリ(山幸)王は、酔って赤くなった頬を、少し膨らませながら、プホーっと、大きなため息をついた。そして「ご質問はそれだけですか?」と、逆に聞き返してきた。私は「いえ、実は一番聞き辛い事が最後に有ります」と、素直に言った。ホオリ(山幸)王は「では、その最後の難題からお答えしましょう」と、私を見据えて言った。私は「分かりました。私も一番嫌な事から聞きます。では、私の村を襲い、母ぁ様を殺したのは、クマ族ですか」と、単刀直入に聞いた。ホオリ(山幸)王は、すかさず「それは違います。何故、私達が先の日巫女様を殺害などするでしょうか」と言った。「そうでしょうね。きっとそうだろうと、私も薄々思い始めていました。私の村では、村を襲い、母ぁ様を殺したのは、クマ族だと言われてきました。でも、メラ爺やホオミ(火尾蛇)隊長と話していると、とてもそんな乱暴な事をクマ族が行うとは、思えなくなってきました。それに、クド(狗奴)国が、ヒムカ(日向)や、タケル(健)の祖国だと分かってからは、間違いなく、母ぁ様の仇は、クマ族では無い。と、思っていました。そして今、ホオリ(山幸)王の御言葉を聞いて、それが確信に成りました。有り難うございました」と、私は、ホオリ(山幸)王に頭を下げた。「いやいや、こちらこそ、日巫女様の誤解が解けて幸せです。しかし、先の日巫女様を殺害した者が誰かは、お聞きにならなくて良いのですか」と、ホオリ(山幸)王が聞いて来られた。だから、私は「今は、クマ族が母ぁ様の仇ではないと分かっただけで良いのです。本当の母ぁ様の仇が誰かは、イト(伊都)国に戻り、ウス(臼)王にお尋ねします」と言った。私には、元凶は父様にあると確信し始めたのだ。「さすがに日巫女様です。ウス(臼)王も既に、日巫女様に、偽りの話は通じぬとお気付きでしょう。では、先の二つの質問への答えは、少し長くなりますが宜しいですか。それにヒムカ(日向)や。お前にもまだ話していなかった事があるから良く聞いておきなさい」と、ホオリ(山幸)王は、クマ族とクド(狗奴)国の物語を話し始めた。

《 ホオリ(山幸)王が語るクド(狗奴)国の悲話 》

 既に日巫女様は、メラ頭領から聞かれている様ですが、改めて倭国の成り立ちからお話しましょう。我が一族に、古くから伝わる言い伝えでは、古い時代に、人が住み着いた痕跡は、石の道具から読み解けるそうです。そして、島国の倭国に住み着いた最初の人々は、大陸から、南洋の海を渡ってきた人々の様でした。彼らは、淡水(あわみず)が手に入る河口沿いに暮らし、魚介や、小動物を獲って暮らしていた様です。その後、倭国を、寒冷な気候が襲ったそうです。北方の海は、厚い氷で覆われました。その為に、北では海が干上がっていきました。そして、北の大地は、大陸と陸続きになりました。鯨海も、北の端と南の端の海峡は、川程の狭さになりました。鯨海は、日巫女様が良くご存じのスロ(首露)王が暴れ回っている海ですね。もし、その頃にスロ(首露)王が生まれていれば、あんな大きな軍船は必要なかったでしょうね。竹の筏でも、充分渡れた筈ですからね。そんな様子に変わると、倭国にも、川程の海峡を渡り、大型の動物がやってきました。その頃の倭国には、大型の動物が暮らしやすい草原が広がっていたのです。その大型の動物を追って、今度は、北方から、狩猟の民が渡ってきました。やがて、二つの民は森の幸と、海の幸を分け合いひとつの民になっていきました。それがメラ頭領達のご先祖である山の民です。山の民には、半分海の民の血が流れていましたが、ここから先に、大航海をする土地は、もう有りません。ですから、長い年月の間に、航海の技術は失われて行きました。もちろん、川を渡る程度の技術は今でも持っています。と、言う事で、メラ頭領達は、大きな海を渡るのが苦手なのです。

 倭国が、寒冷な気候から、温暖な気候になると、海峡はまた広がっていきました。鯨海は、今の広さに戻ったのです。温暖になった倭国の草原は、大型動物が住みにくい森に変わりました。だから、メラ頭領達のご先祖は、大きな動物を獲る代わりに、小さな動物を獲る暮らしに変わっていきました。そして、道具も石の槍から、弓に代わっていきました。大きな動物は、陸上からは居なくなりましたが、海には、鯨と言う大きな動物が沢山泳ぐ様になりました。だから、あの海は、鯨海と呼ばれているのです。その鯨を追って、今度は、東海の海洋民がやってきました。それがトヨミ(豊海)のご先祖です。トヨミ(豊海)の遠いご先祖は、シャー(中華)の民だったそうです。日巫女様のご先祖が滅ぼしたシャー(夏王朝)と言う王国です。シャー(夏王朝)の亡民は、東海で海の民になったのです。それが、倭人の始まりです。少しややこしくなりますが、昔の倭国は、倭人の国では無かったのです。倭人の国は東海と、鯨海と言う大海原でした。ですから、その大海原の沿岸や、島に暮らしていたのです。つまり、シャー(中華)の沿岸や、マハン(馬韓)国や、ツクシノシマ(筑紫島)の沿岸が、住処だったのです。倭国の沿岸には、倭人が住み、倭国の森には、山の民が棲んでいたのです。

 ある頃、古いカゴンマ(火神島)が、大爆発を起こしました。そして、ツクシノシマ(筑紫島)の半分を、火山灰で覆いました。倭人の多くは、海に逃れましたが、森を失った山の民の多くは滅びたそうです。やがて、長い時を経て噴火は収まり、その後、ツクシノシマ(筑紫島)の南部にも、植物が芽吹き、森が戻ってきました。そして、生き物達も、再びツクシノシマ(筑紫島)に棲み着き始めました。そうやって、ツクシノシマ(筑紫島)が、静けさを取り戻すと、そこに再び、南洋の民がやってきました。その民が、ホオミ(火尾蛇)大将や、アマミ(天海)親方のご先祖です。そして、ホオミ(火尾蛇)大将が、今はその民の頭領です。

 時を同じくして、ツクシノシマ(筑紫島)には、シャー(中華)から稲の民が移住してきました。日巫女様や、ウス(臼)王のご先祖です。シャー(中華)の稲の民は、倭人と交わり、東海を、東と西から北上してきました。東から北上し始めた稲の民は、ホオミ(火尾蛇)大将の南洋の民とも交わりながら、ツクシノシマ(筑紫島)にやってきます。そして、ヒラキキ(枚聞)山が見えた所で、ふた手に分かれました。その一方が、日巫女様のご先祖です。そして、もう一方がヒムカ(日向)のご先祖です。もちろん。東海の西の沿岸を北上し、マハン(馬韓)国から、倭国に入った稲の民もいます。夏希様のご先祖の大半は、そうかも知れません。ここまでの話は、数万年の時を遡った話です。そしてざっくりと切り分けた話です。お解り頂けましたか。時を短く区切れば更に複雑に混じり合うのですが、ざっくりと倭国の民を種類分けすると、メラ頭領のご先祖の山の民、トヨミ(豊海)のご先祖の海の民、日巫女様のご先祖の稲の民、そしてホオミ(火尾蛇)大将のご先祖の南洋の民の四種になります。そして、この四種の民は、長い時を経て混じり合ってきました。つまり、倭の民とは、様々な地から集まった混血種なのです。だから、考え方や、暮らし方も様々です。神様だって、種族毎に違うでしょう。倭国には、八百万の神様がいらっしゃいます。しかし、ラビア姫のご先祖の国や、西域一帯では、神様は、お一人です。西域には、神様をお祀りする仕方の違いで、様々な宗派があります。しかし、元の神様は、お一人なのです。倭国では、他国を旅していても、その地で、神奈備(かむなび)や、神籬(ひもろぎ)や、磐座(いわくら)を、見つければ皆お参りします。しかし、神様は、土地神様なので違っています。それでも、倭国の人々にとっては、どこのどんな神様でも、神様は神様です。それは、お一人の神様しかお祀りしない人達から見ると、とても不思議な事なのです。そして、私達を、不思議な種族だと思うでしょう。でも、私は、そんな倭国の風習が好きです。敵に追われたり、あるいは、自然の変化で住処を変えなければいけなくなったりと、理由は様々ですが、いずれにしても、倭国の民は、各地から、流れ流れて、この地にたどりついたのです。そして、この先に流れていける所は、もう有りません。だから、流れ着いた者同士仲良くやるしかないのです。

 ここからは、我一族の話をしましょう。まずヒムカ(日向)の母の話からしましょう。ヒムカ(日向)の母は、名をチチカ(月華)姫と言いました。そして、ホオミ(火尾蛇)大将の姉様です。チチカ(月華)姫は、南洋民の火の巫女でした。火の巫女とは、火山を治める巫女です。チチカ(月華)姫は、クド(狗奴)国の三つの火の山を、静めていました。火の山の噴火口を降りて行くと、黄泉の国が有るそうです。だから、火の巫女は、黄泉の巫女でも有ります。更に、天に輝く太陽は火の塊です。だから、日読の巫女でも有ります。我が家の言い伝えでは、月は、太陽の光を映しているのだそうです。月と太陽は、異なる物ですが縁ある物でもあるのです。後でもお話しますが、我一族は、父の時代に、大いなる力を取り逃がしてしまいました。その為、チチカ(月華)姫には、大いなる期待が掛かっていたのです。だから、私の兄王の妃として迎えるのは、一族の悲願でもありました。兄王は、めでたくチチカ(月華)姫を妃に迎えヒムカ(日向)が誕生したのです。ですから、ヒムカ(日向)にとって私は、父方の、そしてホオミ(火尾蛇)大将は、母方の叔父なのです。私の一族は、昔からそうやって、山の民と、南洋の民と、そして、鯨海を渡ってきた鉄の民が混じり合って生じました。

 先祖からの物語では『我が一族は、空飛ぶ磐船で、この地に降り立った』と、語り継がれています。磐船とは、鉄で覆われた軍船です。そして、鉄の軍船に乗り最初にツクシノシマ(筑紫島)にやって来たのは、私の祖父様でした。そして、名をオシホ(忍穂)と言いました。オシホ(忍穂)祖父様は、軍船でやってきましたが、戦さは嫌いでした。鉄の軍船を作ったのも、戦さから無事に逃げ伸びる為だった様です。ですから、空飛ぶ磐船で降り立ったと云うのは、飛ぶ様な勢いで、戦場(いくさば)から逃げて来たからだろう。と、私は解釈しています。私は祖父様似だと言われます。だからきっと、祖父様も臆病者だったに違いありません。戦さを避けたかったオシホ(忍穂)祖父様は、ツクシノシマ(筑紫島)の大頭領だった高木の神に挨拶に行きました。そこで、高木の神から、娘のアキツ(秋津)姫を妻にもらいました。そして、ツクシノシマ(筑紫島)の東側にあるクシ(都支)国に住む事を許してもらいました。西側には、既に、シャー(中華)から逃げ延びてきたジョ(徐)家の一族が暮らしていたのです。やがて、オシホ(忍穂)祖父様と、アキツ(秋津)祖母様は、山の民と、南洋の民とも信頼関係を結ぶ事が出来ました。我が一族の鉄の技術が、山の民と、南洋の民の役に立ったのです。そして、我父の時代になると、南洋の民に招かれて、クド(狗奴)国の地で王と成ったのです。一方、西側では、アキツ(秋津)姫の姉様が、ジョ(徐)家に嫁ぎハク(帛)様が生まれていました。だから私の祖母様と、ハク(帛)女王とは、伯母と姪の関係なのです。

 父の名は、ホニギ(穂仁義)と言います。父ホニギ(穂仁義)は、成人するとクド(狗奴)国の王に成りました。人当たりが良く、また揉め事を治めるのがとても上手でした。高木の神の血には、ハク(帛)女王の様に、人まとめの才能が流れている様です。父ホニギ(穂仁義)が、クド(狗奴)国を治めるにあたっては、南洋の火の巫女を、妻に迎える必要がありました。そこで、南洋で行われていた歌垣に加えてもらいました。その歌垣に、我母のアタツ(阿多津)姫も加わっていました。父ホニギ(穂仁義)は、アタツ(阿多津)姫の美しさに目が眩む思いがしました。その上に、我母アタツ(阿多津)姫は、阿多王の娘でした。ですから、妻に迎えるには、申し分ありません。その年の歌垣で、各若衆達が一番に狙っていたのもアタツ(阿多津)姫です。ヒムカ(日向)を、各若衆達が狙っていたのと同じですね。でも、アタツ(阿多津)姫の美しさは、ヒムカ(日向)の美しさとは少し違います。アタツ(阿多津)姫の美しさを引き継いでいるのは、タケル(健)です。タケル(健)は、ジョ(徐)家のチル(知流)姫と、アタツ(阿多津)姫の両方の血を一身に受け継ぎました。だから、ご承知の様に女神様にも劣らないと皆から言われるのです。しかし、阿多王は、「アタツ(阿多津)には、巫女の力はない。姉のイワトノ(岩戸)姫は、大きな力を持った火の巫女だ。だから姉のイワトノ(岩戸)姫を妻に迎えれば、クド(狗奴)国は、大いに栄えよう」と、言いました。しかし、父は、愛らしいアタツ(阿多津)姫にしか目が行きませんでした。その為に、阿多王の申し出を断り、妹のアタツ(阿多津)姫を妻として、クド(狗奴)国に帰りました。先ほど、「父の時代に大いなる力を取り逃がしてしまった。」と申したのは、この事です。すでに皆様もお気付きでしょうが、イワトノ(岩戸)姫様が、日巫女様のお祖母様です。程なくイワトノ(岩戸)姫様は、大巫女様に成られました。ですから、クド(狗奴)国の民の中には、父ホニギ(穂仁義)の王としての力を軽んじる者達も出てきました。また、周辺国の若衆頭達も、競い合いもせず、アタツ(阿多津)姫を妻にした父ホニギ(穂仁義)王とは、友好関係を結びたがりませんでした。それらが遠因となって、我が一族の骨肉の争いは起こったのです。アタツ(阿多津)姫を妻と成し、程なく、私達三兄弟が次々に生まれました。長男は、ホスセリ(穂須世理)と言い、ヒムカ(日向)の父です。次男は、ホデリ(海幸)と言います。そして三男が私です。ホスセリ(穂須世理)兄は、天空海闊と言う言葉が、最も似合う男でした。だから、父から最も愛されていました。兄は、一族を導く器量に溢れていましたから当然です。ホデリ(海幸)兄は、愛嬌にあふれた男でした。だから誰からも愛されました。特に、母アタツ(阿多津)の可愛がり様は、周りも呆れる位でした。母は、何かあれば「ホデリ(海幸)よ、ホデリ(海幸)よ」と、ホデリ(海幸)兄を呼んでいました。ホスセリ(穂須世理)兄は、生まれ付いてのしっかり者でしたから、幼い時分から、母に甘える事も少なかったそうです。母が、次兄を溺愛したのは、長兄に母性を発揮できなかった反動かも知れませんね。しかし、次兄に母性を注ぎ込みすぎた母は、私へは、母性を注ぐ余力を残していませんでした。だから、私は祖母さん子でした。そして、私に、チル(知流)を妻合わせたのも、アキツ(秋津)祖母様です。そして、チル(知流)は、我母アタツ(阿多津)に負けない位に美しい人でした。ただ、母は、花が咲き始めた時の様な、無邪気な美しさでしたが、チル(知流)は、咲き乱れていた花が、はらはらと散る時の様な美しさでした。だから、無邪気な母と、思慮深い知的なチル(知流)とは、対照的な存在でした。しかし、何故だか母は、チル(知流)をとても気に入り可愛がっていました。私は、母からやさしい言葉をかけてもらった記憶が有りません。が、チル(知流)には、いつもやさしい言葉をかけていました。言葉だけではなく、贈り物も沢山届けてくれました。母は、綺麗な織物を沢山織っていました。あまりに綺麗なので、私が触ろうとすると、すごい剣幕で叱ったものです。その私には触らせようともしなかった織物も、チル(知流)には沢山与えました。この件は、今でも私の中で納得がいかない事柄なのですが、今となっては、母を問い質し様も有りません。

 アキツ(秋津)祖母様は、三男坊の私に、フク(福)様の跡を継がせ様と考えていた様です。私も、義父であるフク(福)様の方術に、とても興味がありました。ですから、喜んでジョ(徐)家に婿入りするつもりでした。チル(知流)には、テル(照)様が言われた様に、とても負けん気が強い所が有りました。しかし、頼りない三男坊の私には、それも救いでした。私は迷い事が生じると、まずチル(知流)に相談しました。すると、チル(知流)は、しばらく目を閉じて、何事かを呟くのです。方術の呪文だったのかも知れませんねぇ。そして、かっと、美しい二重の目を見開き、すぱっと決断するのです。ホスセリ(穂須世理)兄や、ホデリ(海幸)兄にもその噂が届き、二人は困りごとが生じると、私に「チル(知流)に『かっとすぱっと』をやって貰ってくれ」と、頼みに来たものですよ。そんな不思議な力が有りましたから、火の巫女でもあったチチカ(月華)義姉様にも可愛がられていました。チチカ(月華)義姉様は、大きな力を持った火の巫女でしたが、とてもやさしくて、良く人の話を聞いてくれる方でした。私達は、男ばかりの兄弟でしたから、姉様が出来た時は、ホデリ(海幸)兄とふたりで、飛びあがらんばかりに喜びました。ある時、ホデリ(海幸)兄が「もし、ホスセリ(穂須世理)兄と、チチカ(月華)義姉様が、仲互いしたら、どちらの味方になるか」と、聞いてきました。ですから、私は「俺が、チチカ(月華)義姉様の味方になるから、ホデリ(海幸)兄は、ホスセリ(穂須世理)兄の味方に成れ」と言いました。すると、ホデリ(海幸)兄は、いきり立ち「何を馬鹿な事を言う。チチカ(月華)義姉様の味方は、俺の方だ。お前は、ホスセリ(穂須世理)兄の味方に成れ」と言いました。だから、私は「馬鹿は、ホデリ(海幸)兄だ。長男の味方をしない次男がどこにいる。俺は、三男だから自由だが、ホデリ(海幸)兄は、長男の味方をする義務があるぞ」と言い返しました。それから二人でいつもの兄弟喧嘩です。ひとしきり言い争った後、ホデリ(海幸)兄が「これは、絶対ホスセリ(穂須世理)兄には内緒だぞ。いいか。二人の秘密だと誓えるか?」と言いました。「おう、だから何だよ。早く言え!」と、私が言うと、ホデリ(海幸)兄は、声を潜め「もし、ホスセリ(穂須世理)兄と、チチカ(月華)義姉様が仲互いしたら、俺達は、ふたりともチチカ(月華)義姉様の味方になる。で、どうだ」と言いました。私は「乗った」と返事をし二人の密約が成立しました。ホデリ(海幸)兄と、私は、本当に良く兄弟喧嘩をしました。でも、いつも二人で遊び回っていました。なにしろ、ホスセリ(穂須世理)兄と言うあまりにも立派な兄がいるので、私達は、どうやっても愚弟同志なのです。でも、ホスセリ(穂須世理)兄は、私達の愚弟の憧れの男でした。アマミ(天海)親方が、ホスセリ(穂須世理)兄の学問と武術の師匠でした。拳聖と呼ばれたアマミ(天海)親方を倒せるのは、ホスセリ(穂須世理)兄を置いて他にはいないだろうと皆は噂していました。剣さばきも素晴らしくホオミ(火尾蛇)大将とも互角に渡り合っていました。そして、海が大好きで、海人にも負けない位に巧みに舟を操りました。だから、南洋民はもちろん、皆ホスセリ(穂須世理)兄を慕っていました。学問にも熱心で、孔子と云う聖人について良く学んでいました。孔子と云う聖人は、今から七百年程昔にシャー(中華)にいた人です。ですから、ホスセリ(穂須世理)兄は、漢字の読み書きも出来ました。そんな兄を持ったら、誰が弟になろうと、皆愚弟と呼ばれてもおかしくありません。ですから、私と、ホデリ(海幸)兄は、いくら周りから、困った愚弟達だと言われても、意に介していませんでした。特に、私の悪童振りは際立っており、田畑は荒らすわ、舟は沖に流すわと、クド(狗奴)国の民の頭痛の種と成っていました。そして、その度に、父ホニギ(穂仁義)の雷が落ちました。しかし、私は、ふんぞり返って謝りません。ですから、父の雷は、どんどん大きくなります。私は、昔から人に謝るのが嫌いでした。だから、いつも私の分まで、ホデリ(海幸)兄が謝っていました。ホデリ(海幸)兄がひたすら謝っていると、母アタツ(阿多津)も一緒に謝ります。だから、父ホニギ(穂仁義)の怒りも、徐々に収まってきます。そして、父は私を無視して許すのです。そんな心労も重なってか、父ホニギ(穂仁義)は短命でした。父が亡くなった時、ホスセリ(穂須世理)兄は、すでに十五歳でしたから、王位は何事も無かったかの様に、ホスセリ(穂須世理)兄に引き継がれました。

 ある日、私と、ホデリ(海幸)兄は、美々津の浜に釣りに出かけました。ホデリ(海幸)兄は、釣りが上手なので大きな魚を、次から次へと釣り上げていきます。ところが、私には一匹も釣れません。これは場所が良くないのだと思い、ホデリ(海幸)兄に、場所を変わってもらいました。でも、やはり釣れません。嫌気がさしている私を見かねてホデリ(海幸)兄が「これなら良く釣れるぞ」と、自慢の竿を貸してくれました。それでもやはり釣れません。そして運が悪い事に、根掛かりを起こしてしまいました。ついに我慢の限界を超えた私は、ホデリ(海幸)兄自慢の竿を、海に放り込んで、さっさと帰えり始めました。それを見たホデリ(海幸)兄は、後から、すごい剣幕で追ってきて「謝れ」と言いました。しかし、私は人に謝るのが嫌いなのです。ですから、ぷいと横を向いて歩き去ろうとしました。すると、怒り心頭に発したホデリ(海幸)兄が、思いきり私の左頬を、平手打ちしてきました。そして「お前の顔など二度と見たくない」と、言うと浜に戻り海に入っていきました。私が投げ捨てた自慢の竿を探しに行ったのでしょう。

 翌日、噂を聞きつけたチル(知流)が、私の部屋に入ってきました。この時、チル(知流)は、既にタケル(健)を身篭っていました。だから館の奥、チチカ(月華)義姉様の住まいの一廓に、産屋を設けてもらっていたのです。春には、タケル(健)が産まれる予定でした。産屋には、男は立ち入る事が出来ません。ですから、用があれば妻の方から出向くのです。部屋に入ると早々に、私を押しつける様に椅子に座らせました。そして、すこし膨らんだお腹を突き出す様にして「いつまでお母様に甘えるおつもりですか」と、意外な事を言い出しました。そこで「私は、生まれて一度も母に甘えた事などない。何を言い出すのか」と言い返しました。すると、今度は「赤ん坊は、何であんなにも大きく喧しい声で泣くかご存じですか?」と言い出した。私は、チル(知流)の話を無視する訳にもいかないので「腹が減るか、おむつでも濡れたからだろう」と、投げやりに言いました。チル(知流)は「そうですね。きっとお腹がすいて機嫌が悪くなったり、おむつが濡れて気持ち悪かったりしたのでしょうね。そんな時は、大人だって不機嫌になりますからね。だから、きっと、大きな声で泣き叫びたいでしょうね」と、当たり前の事を、妙に感心した素振りで頷いています。更に「でも、人が、ネズミや、リスみたいに、小さな動物だったらどうでしょう。あんなに、大きな声で鳴いていたら、きっと、隼や、狼に見つかって食べられてしまいますよねぇ。人間の赤ちゃんって、馬鹿なのかしら?」と、おかしな事を言い出しました。仕方がないので私は「親が守っているから、安心して大声で泣けるのさ」と言いました。すると、チル(知流)は「そうですよね。赤ちゃんは、お父さんや、お母さんに甘えて泣いているんですよねぇ。特にお母さんには、たんと甘えないと、お乳が貰えませんからねぇ。そうだ。そうだ。赤ちゃんは、お母さんに甘えて泣いているんだ」と言います。どうやら、私を赤ん坊扱いし始めた様です。私は不快な思いをし始めましたが、チル(知流)と、喧嘩をしても、私に勝ち目は有りません。仕方が無いので、もうしばらく我慢してチル(知流)の言葉遊びに付き合う事にしました。そして今度は、「甘えるお母さんがいなくて育った赤ちゃんは、どうなるんでしょうね」と言います。私は「きっとしっかり者に育つよ」と言いました。「確かに、甘えられる人がいなければ、自分自身がしっかりしなきゃいけませんからねぇ。妙に意地っ張りで、負けん気が強い子に育つかも知れませんね」と、チル(知流)は、誰か心当たりが有りそうな口振りで言いました。更に「そして、良い子に成るには、周りの人を良く観察して、時より、にっこりと笑うと更に良い様ですよ」と付け加えました。どうやら、私の事では無い様です。私は、人に、にっこりと御愛想笑いなどしませんからね。更にチル(知流)は続けます。「でも、逆の方法を採る子もいる様ですよ。私は、そんな子を、悪い子、駄々っ子、いじめっ子と呼んでいました。悪い事をしては叱られて、叱られている間は、自分の事を見ていてくれると思っている困った子です。そして可哀想な事に、そんな子は、謝り方が分からない子が多いんですよね」と言いました。いよいよ私の事の様です。しかし、チル(知流)にそう言われれば、もし、母が私と一緒に父に謝ってくれたら、私も素直に父に謝る子に成っていたのかも知れません。私は徐々にそう思い当たり始めました。しかし、今さら身についてしまった性分を、簡単に直せる訳も有りません。もし、私が、ホデリ(海幸)兄に謝りに行っても、きっとチル(知流)に諭されて、渋々やって来た。としか思ってくれないでしょう。そう思っていると、チル(知流)が「甘えん坊の治し方を知っていますか?」と聞いてきました。私は「悪い子、駄々っ子、いじめっ子で、甘えん坊の奴には、処方薬などないだろうね」と投げやりに答えました。するとチル(知流)は、二重の目を輝かせて「いえいえ、それが有るんですよ。とっておきの方法で、絶対に効き目がある方法です」と言いました。だから、私は「チル(知流)のお得意の『かっとすぱっと』療法でも駄目だろうね」と益々投げやりに答えました。でもチル(知流)は、ますます大きな瞳をかっと見開き「とっても、簡単な方法なんです。ただ、人に優しくなれれば良いのです」と言うのです。人に優しく出来る位なら、私の性根は、こんなに曲がっていないでしょう。益々無理な話です。でも、そんな私の態度にはお構いなしに、チル(知流)は話を続けます。「昔、どこかの偉い人が、『人は独りで生まれて、独りで死んでいくものだ』と言いました。確かにそうですよね。どんなに愛し合っている者同士でも、互いの人生を変わって生きる事はできませんからね。だったら、人生とは独りで歩むものだと、覚悟を決めるしか有りません。そうして、生きる人は、他人にも優しく成れるそうです。ねえ、簡単でしょう。だから貴方も、お独りで、しばらく旅をしてきませんか」と何だか無茶苦茶な論法で、いきなり、私を独り旅に追い出そうとし始めました。私は、すっかりむくれてしまいましたが、チル(知流)は、意に介するどころか「あら、どうしました。眉間に皺が寄っていますよ。甘えん坊は、当たっちゃいましたか?」と楽しそうに笑って言います。賢いチル(知流)に、私の不機嫌な様子が見抜けぬ訳はないので、これは明らかに挑発しているのです。独り旅など嫌だと言えば、意気地無しだと思われるし、素直に自分探しの旅に出ようと言うのも白々しい。もちろん、ホデリ(海幸)兄に謝りに行く気も無い。さて、どうしたものかと思案にくれていると、チル(知流)は「じゃぁ、ゆっくりお独りで考えてみてください。私は全然急いでいませんから。嗚呼そうそう。ホデリ(海幸)兄様も『なぁチル(知流)よ。もうホオリ(山幸)の顔は、当分見たくないから、謝りに等よこさんで良いからな』と、おっしゃっていました。ですから、誰も貴方の返事を急いでいる人はいません。どうぞ、ゆっくりと思い悩みくださいね」と言うと、さっさと自分の部屋に帰っていきました。私は、部屋中の椅子や、ごみ箱を蹴飛ばしながら、どうしたものかと考えましたが、チル(知流)への反撃の言葉が見つかりません。そうやって、イライラと一夜を過ごすと、今度は、朝も早いのにアキツ(秋津)祖母様が訪ねて来ました。そして、私に使いを頼みたいと言うのです。実は先だって、オシホ(忍穂)祖父様の遺品を整理していたら、大事な反物が出て来たらしいのです。それは昔、アキツ(秋津)祖母様が、オシホ(忍穂)祖父様の為に織った絹の反物らしいのです。父ホニギ(穂仁義)が生きていれば、父の着物に仕立てる所だが、父はもうこの世にいない。兄の為に仕立てるには、地味過ぎて、若い兄にはまだ似合わない。そこで、オシホ(忍穂)祖父様の一族が暮らすイズモ(稜威母)に行き、私の大叔父に届けてほしいと言うのです。イズモ(稜威母)への旅は、数か月を要します。それに、早々に旅立ったとしても着いた頃には、もう晩秋です。冬の海や、山を越えて帰るのは、自殺行為ですから、帰りは、翌年の初夏になります。そんな長旅をしてまで届ける品物だとは思えないのですが・・・きっとチル(知流)の策略に違いありません。どうやら、母親でもないのにチル(知流)は、私を躾(しつけ)直そうと考えている様です。「虎は、我が子を千仞の谷に落とす」と言う、諺(ことわざ)が有るそうです。倭国に、虎はいませんから、見た事は有りません。しかし、南方人に聞いた話では、龍に勝るとも劣らない怖ろしい生き物だそうです。千仞の谷とは、カゴンマ(火神島)の高さより、もっと深い谷なのです。そんな所に、我が子を突き落とし鍛え上げようとするとは、虎とは本当に恐ろしい生き物なのでしょう。倭国に虎が住んでいなくて、倭の民は幸せです。しかし、私の傍には虎がいるのです。その虎嫁チル(知流)の策略なので、私は、アキツ(秋津)祖母様の使いを受けるしかあるまいと諦めました。但し、道案内に、メラ頭領が同行してくれると言う話でしたから少しは安心しました。

 更に翌日、私がイズモ(稜威母)に使いに行くと聞いて、ホスセリ(穂須世理)兄と、ホオミ(火尾蛇)大将が訪ねてくれました。虎嫁チル(知流)は、武術が大好きでホオミ(火尾蛇)大将が師匠でした。ホオミ(火尾蛇)大将の話では、チル(知流)の太刀筋はホスセリ(穂須世理)兄を凌ぐと言う事です。一人娘だったチル(知流)は、小さい頃から我ままでお転婆娘だった様です。年頃になった頃には、武術でチル(知流)に勝てる男の子は一人もいなかったそうです。男の子どころか、ヤマァタイ(八海森国)の軍団長達ですら、太刀打ちできない腕だったそうですから、相当なものです。私の妻になって一番嬉しかったのは、ホオミ(火尾蛇)大将に会えた事だそうです。自分より強い相手に出会えた事が一番嬉しいと言うのですから、チル(知流)の負けん気が、どれ位のものか想像できるでしょう。ホスセリ(穂須世理)兄も、不甲斐ない愚弟の私達よりも、自分と互角に戦えるチル(知流)の方を、明らかに可愛がり頼りにしていました。ですから、私とホデリ(海幸)兄は「薄情な兄めへの未練は無くなった。俺達は、チチカ(月華)義姉様派で結束を固めるぞ。」と、二人の密約を強め合いました。そして、「本当は、チチカ(月華)義姉様が、俺達の実の姉様だったのだ。だから、ホスセリ(穂須世理)兄は、姉婿に違いない。」とまで、思い込む様になりました。そう思えば、愚弟としての劣等感も、少し薄らぐ気もします。なにしろホスセリ(穂須世理)兄は、あらゆる面で優れていて、とても私達には、太刀打ちできませんでしたからね。でも、ホスセリ(穂須世理)兄が、私達愚弟の憧れの男である事もまた変わりない事でした。

 ホスセリ(穂須世理)兄は、私の目の前に一振りの剣を差し出し「これは、我一族の家宝だ。水凪の剣と呼ばれている。お前が、お祖母(ばぁ)様の使いでイズモ(稜威母)へ行くと聞いたので、私も頼み事に来たのだ。イズモ(稜威母)には、我らの地母神がおられる。その神奈備の磐座にこの剣を奉納して来て欲しいのだ」と言いました。そして、ホオミ(火尾蛇)大将も、私の目の前に一振りの剣を差し出し「その磐座は、黄泉への入口でもあります。ご承知のように、我が姉チチカ(月華)は、黄泉の巫女でも有ります。だから、我一族の家宝である、この火凪の剣も磐座に奉納願いたいのです。」と言いました。どうやら、私の旅は、とても大事な旅に成った様です。アキツ(秋津)祖母(ばぁ)様の使いは、私を修行の旅に追い立てる口実の様な物ですが、ホスセリ(穂須世理)兄と、ホオミ(火尾蛇)大将の使いは、一族の命運を担ったものです。これで、私はこの旅を断る事が出来なくなりました。まったく、虎嫁チル(知流)の躾の業は用意周到でした。

 旅立ちの朝、見送りの一団にホデリ(海幸)兄の姿が有りました。ホデリ(海幸)兄は、私が、海に放り投げた自慢の竿を持っていました。そして「これを持って行け。針はお前が探して付けろ。」と、私に手渡してくれました。するとメラ爺が「ほう、太公望の逸話の様ですなぁ」と言いました。後日、メラ爺から旅の夜話として聞いた処では、太公望とは、昔シャー(中華)にいた偉大な軍師だそうです。その太公望が、いつも川の辺で釣りをしていたそうですが、その竿の先には釣り針が付いていませんでした。村人がそれでは魚は釣れませんよと言うと、太公望は良いのだ。私が釣ろうとしているのは天下だ。と言ったそうです。それから程なく、太公望は偉大な王を釣りあげ天下を取ったそうです。余談ですが、その時に、天下を取られ国を追われたのが、日巫女様のご先祖達です。ホデリ(海幸)兄は「どうやら針は、大きなワニに食いちぎられた様だ」と言いました。針の無い竿は、まるで私自身の様だと思えてきました。そして、ホデリ(海幸)兄は、荒磯に潜り、竿だけは取って来てくれたのです。私は、目頭が熱くなってきました。すると、ホデリ(海幸)兄は「何だ。まだ謝らで良いぞ。さっさと行け。お前の顔は当分見たくないとチル(知流)に伝えておったろうが」と、言い私の出発を促しました。チル(知流)は、胸元より透明な石を取り出し、私に手渡しました。その石は、断面が楕円形に成った丸い石です。以前、私はチル(知流)が、この石を太陽にかざし火を起こしたのを見ていました。チル(知流)は「火さえ起こせれば、後は何とでも成る物です」と、私の背中を押しました。最後に私は、幼いヒムカ(日向)を抱きあげ「お前は優しい女になれよ」と、耳元でつぶやきました。そして不安だらけの私の旅が始まったのです。

 メラ頭領は、初日は、ずっと私の前を歩いていましたが、翌日からは、道順を教えるとどこかへ消えてしまいます。だから私は、行けども、行けども尽きせぬ山道を、ほぼ独りで歩いて旅を続けました。十日も経つと、どうしようもない位に、人恋しさが募ってきました。そこで、私は、人気の無い山道を降りて、海辺の道を歩き始めました。時より村人に出会うと、私は、嬉しくて嬉しくて、いつまでも話し込んで居たくなりました。しかし、私は、目的を持って旅をしているので、留まる訳には行きません。夜の海辺で星を見上げて寝ていると、淋しくて、ふと淋しくて、淋しくて、ただ淋しくて、尚淋しくてたまらなくなるほどでした。チル(知流)は「独りでも生きていけると覚悟をしなさい」と言いましたが、私には、とても出来そうに有りません。やはり人は、独りでは生きていけないのです。それでも、どうにかイズモ(稜威母)に辿り着き、無事水凪の剣と、火凪の剣を神奈備の磐座に奉納する事が出来ました。そして、オシホ(忍穂)祖父様の遠縁である、アズミ(安曇)様の元で、春まで、厄介をかける事に成りました。アズミ(安曇)様が、トヨミ(豊海)の父親です。アズミ(安曇)様は、思いの他、オシホ(忍穂)祖父様の形見を喜んでくださり、早速トヨミ(豊海)が、アズミ(安曇)様の着物に仕立て始めました。着物も仕立て上がり、梅の花も咲きほころんだ頃、私は、帰路への旅に就く事にしました。今頃は、もうタケル(健)も産まれている筈です。だから、今度の旅立ちは、心沸き立つ物でした。ところが、ツクシノシマ(筑紫島)へ渡ろうと、アナト(穴戸)海峡まで来たところで、メラ頭領の仲間が、恐るべき情報を届けに来たのです。それは、あのホデリ(海幸彦)兄が、反乱を起こし、ホスセリ(穂須世理)兄ばかりか、チチカ(月華)義姉様も、更にはチル(知流)までも殺したと言うのです。私は、俄かには信じる事が出来ませんでした。どう考えても、ホデリ(海幸彦)兄に、そんな事が出来る筈が有りません。私は、メラ頭領に会う為にトウマァ(投海)国まで足を進めました。そして、ウサツ(宇沙都)で傷つき生死の間を漂っているホオミ(火尾蛇)大将に再会したのです。一月ほど経ちホオミ(火尾蛇)大将は、やっと気を取り戻し、どうにか身体も起こせる様に成りました。そして、ホデリ(海幸彦)兄の反乱が、事実だと知らされたのです。私は、ホオミ(火尾蛇)大将の口から直に聞いた後でも、まだ信じられませんでした。そこで、私は、ホデリ(海幸彦)兄に直接会いに行こうとしました。しかし、それはメラ頭領と、ホオミ(火尾蛇)大将の二人にきつく止められました。二人の話では、この反乱は、ホデリ(海幸彦)兄の一存では無いと言うのです。この反乱の後ろには、大きな力が働いており、今、私がクド(狗奴)国に帰れば、私も殺されると言うのです。そしてそれは、反乱の主であるホデリ(海幸彦)兄にも、止められない事だと言うのです。確かに、ホデリ(海幸彦)兄が、自らの意思でホスセリ(穂須世理)兄や、チチカ(月華)義姉様と、チル(知流)を殺したとは思えません。私は、クド(狗奴)国に帰国するのを断念するしか有りませんでした。幸いな事に、ヒムカ(日向)はアマミ(天海)親方が、タケル(健)はホオミ(火尾蛇)大将が救い出し無事な様でした。

 この反乱の、真の原因は、倭国内の根深い対立構造に有りました。先にお話しした様に、倭国は、様々な種族が共に暮らす島でした。しかし、昔から、北の海洋民の一部には、『倭国を統一国家にしよう』と、いう動きが有りました。彼らは『倭国統一同盟』と言う組織を作り、それまで自由に暮らしていた山の民や、海洋民を統治し様と考えていたのです。今から百年ほど前に、イン(尹)家統領のイサミ(伊佐美)王が、ツクシノシマ(筑紫島)を統一しました。イト(伊都)国のウス(臼)王のご先祖様です。伊佐美王には、妹と弟が居りました。伊佐美王は、ツクシノシマ(筑紫島)を、妹の巫女イアタ(伊阿多)に任せ、自分は、鯨海を東に向かい、服わぬ国々を服従させていきました。ツクシノシマ(筑紫島)王の巫女イアタ(伊阿多)は、日巫女様のご先祖様です。そして、弟イホミ(伊穂美)には、ウサツ(宇沙都)から中ノ海を東に進ませ、チヌノウミ(茅渟海)を目指させました。そのイホミ(伊穂美)が私達の先祖です。伊佐美王は、優れた統治能力の持ち主でした。極力、武力制圧はせず、文物の交流を通して、先住の民を取り込んでいきました。そのため、倭国は、徐々に統一へと向かい、伊佐美王の晩年には、統一倭国が出来上がりました。そこで、伊佐美は、再びツクシノシマ(筑紫島)に戻り、北部にイド(委奴)国を築きました。そして、そこで亡くなりました。伊佐美王が無くなると、倭国は、再び三つに分裂しました。そして、更に分裂は続き、ついに百余国に分かれてしまいました。元の自由民に戻った山の民と、海洋民は喜びましたが、再び統一を目指す勢力も有りました。統一を目指そうとする勢力は、大半がシャー(中華)からの移民の末叡でした。彼らは、シャー(中華)の力を恐れていたのです。だから、シャー(中華)から身を守る為に富国強兵を目指したのです。その為には、統一が必要だと考えたのです。しかし、伊佐美王の跡を継いだ、イト(伊都)国のショウ(升)王も、やはり武力統一には消極的でした。「戦で得られる物は無い。恨みの連鎖が続くだけじゃ。」と言うのがショウ(升)王の持論でした。ところが、息子のリョウ(秤)王は武闘派でした。その上、統一には否定的でした。リョウ(秤)王は、クド(狗奴)国王になったばかりの若いホスセリ(穂須世理)兄を、巧みに説得し『倭国自由連合』の旗印にしました。『倭国自由連合』の黒幕は、リョウ(秤)王でしたが、イト(伊都)国は、仮にも『倭国統一同盟』の中核国です。だから、表だっては動けません。しかし、程無く、イト(伊都)国の大臣達からその秘密が漏れました。そこで、『倭国統一同盟』の族長達は、リョウ(秤)王の息子であるウス(臼)王を擁立し、リョウ(秤)王を打たせました。そして、『倭国統一同盟』の族長達は、『倭国自由連合』の旗印である、ホスセリ(穂須世理)兄も抹殺しようとしました。その為に、ホデリ(海幸彦)兄に、手を伸ばしたのです。むろん、ホデリ(海幸彦)兄に、反乱の意思は有りませんでした。しかし、我母アキツ(秋津)が、反乱に火を付けたのです。『倭国統一同盟』の族長達は、母が、秘かにホデリ(海幸彦)兄を、王にしたいと望んでいると気付いたのです。そして、もし反乱に成功しても、ホスセリ(穂須世理)兄を殺したりはしないと、約束したのです。母は、取り巻きの重臣達を集め、用意周到に春を待ちました。彼らは、まさに冬の鬼神です。ところが、その冬の鬼神達でさえ震え上がる策略を『倭国統一同盟』の族長達は準備していたのです。この冬、ジンハン(辰韓)国のイルソン(逸聖)王の容体が著しく悪化していました。実は、イルソン(逸聖)王は『倭国統一同盟』の支援者でした。そして、イルソン(逸聖)王は、日巫女様のお祖父様ですよね。ですが、王位継承者のアダラ(阿逹羅)様は、阿多国に隠棲されたままでした。もし、イルソン(逸聖)王が亡くなり、ネロ(朴奈老)大将を押し立て反乱を起こしたソク(昔)氏と、キム(金)氏が、王位を奪還すると『倭国統一同盟』は、ジンハン(辰韓)国の支援を失います。何故なら、ソク(昔)氏の開祖ソクタレ(昔脱解)王は、イズモ(稜威母)の近くでお生まれに成ったのです。だから、ソク(昔)氏と、キム(金)氏は、陰ながら『倭国自由連合』を支援していました。年が明けて間もなくイルソン(逸聖)王が亡くなると『倭国統一同盟』は、アダラ(阿逹羅)様を王位につけるべく、大勢の援軍を付けて、ジンハン(辰韓)国に送り返しました。そして、すぐさまクド(狗奴)国に軍勢を送りました。梅の花が散り始めた日に、我母アタツ(阿多津)は、反乱の火の手をあげ『倭国統一同盟』の多国籍軍を、クド(狗奴)国に導き入れたのです。そして、ホデリ(海幸彦)兄を、王に立てると宣言しました。この時まで、ホデリ(海幸彦)兄は、何も知らされていませんでした。それから、ホスセリ(穂須世理)兄の館は、あっという間に反乱軍に囲まれ、最初にホスセリ(穂須世理)兄が切られました。我母アタツ(阿多津)は、そこで初めて、自分が犯した過ちに気が付きました。『倭国統一同盟』の狙いは、ホスセリ(穂須世理)兄の命なのです。リョウ(秤)王と、ホスセリ(穂須世理)兄のふたつの命を絶ってこそ『倭国統一同盟』の安堵は得られるのです。反乱の知らせを聞いたホオミ(火尾蛇)大将は、集められるだけの兵を引き連れ救援に向かいました。しかし、ホスセリ(穂須世理)兄は、何本もの槍に体を突かれて、既に息絶えていました。反乱軍の大部分が『倭国統一同盟』の多国籍軍です。だから、我母アタツ(阿多津)と、族長達との約束など聞かされていません。反乱軍は、チチカ(月華)王妃の館にも容赦なく押し寄せました。チル(知流)は、産後の肥立ちもまだだと言うのに、チチカ(月華)義姉様を守り戦いました。しかし、チル(知流)の奮戦も虚しく、チチカ(月華)王妃も反乱軍の刃に倒れました。反乱軍は、剣や槍では、チル(知流)を倒せないと分かり、弓を射かけました。ホオミ(火尾蛇)大将が駆け付けた時、その矢の一本が、チル(知流)の胸を射抜きました。ホオミ(火尾蛇)大将は、大きく飛び上がり矢を射かける兵を打ち取りました。しかし、チル(知流)の命は、もう尽きかけていました。そしてチル(知流)は、タケル(健)をホオミ(火尾蛇)大将に託すと、安心した様に息絶えたそうです。ヒムカ(日向)は、この日、たまたまホスセリ(穂須世理)兄を訪ねていたアマミ(天海)親方が、機転を利かせて落ち延びさせていました。我母アタツ(阿多津)は、ホスセリ(穂須世理)兄ばかりか、可愛がっていたチチカ(月華)王妃と、チル(知流)まで殺され『倭国統一同盟』の族長達に強く抗議しました。が、無駄な事でした。母は、我が身を断とうとしたそうですが、かろうじてホデリ(海幸彦)兄が止めました。ホデリ(海幸彦)兄は、これ以上、クド(狗奴)国を『倭国統一同盟』の族長達の意のままにさせない為に、王位に就く事を決意した様です。何度も話しましたが、ホデリ(海幸彦)兄は、幼いころから愛嬌があり誰にでも好かれる男でした。その為、クド(狗奴)国の中は、徐々に落ち着きを取り戻してきました。反撃の狼煙を上げるホオミ(火尾蛇)大将も、大勢の反乱軍には抵抗しきれず、トウマァ(投海)国まで撤退していました。そして、重傷を負っていたのです。それから、逃げる途中でホオミ(火尾蛇)大将の妻ヒコメ(日弧女)も、反乱軍に打たれていました。反撃を試みる勢力がいなくなったクド(狗奴)国は、ホデリ(海幸)兄の人望と仁術で、一年もたたずして安定化しました。いよいよ、私に戻る国は無くなりました。私は、回復したホオミ(火尾蛇)大将と、再びイズモ(稜威母)のアズミ(安曇)様の元に落ち伸びるより策が有りませんでした。幼いヒムカ(日向)は、アマミ(天海)親方が、ハク(帛)女王の元に届けました。そして『倭国統一同盟』の目が届きにくいハタ(秦)家に匿われました。奇遇にも、タケル(健)も、チル(知流)の実家であるジョ(徐)家に匿われていました。ハタ(秦)家と、ジョ(徐)家の子供であれば、『倭国統一同盟』の族長達も、おいそれとは手が出せません。既に十歳に成っていたヒムカ(日向)は、タケル(健)に気付きました。しかし、タケル(健)に物心が付いても、ヒムカ(日向)は、真実を伝えませんでした。ですからタケル(健)は、私の元に戻るまで、出生の秘密を知りませんでした。ヒムカ(日向)は、きっとタケル(健)を悲しませたくなかったのでしょう。クド(狗奴)国が『倭国統一同盟』に傾いた事で、ツクシノシマ(筑紫島)のクマ族の国々も表面上は、『倭国統一同盟』に加わりました。しかし、綻びは、ホオミ(火尾蛇)大将の妻ヒコメ(日弧女)を殺害した所から始まっていました。ヒコメ(日弧女)は、高木の神の巫女です。ですから、ヒコメ(日弧女)の祖国トウマァ(投海)国は元より、高木の神を崇めていたクシ(都支)国や、イヤ(伊邪)国、それにコヤ(呼邑)国等、クマ族の北の国々が恨みを抱いていました。加えて、ヒコメ(日弧女)は、ハク女王の一族です。その為にヤマァタイ(八海森国)の族長達も、ホデリ(海幸彦)兄が治めるクド(狗奴)国には、冷ややかな態度を示しました。ホデリ(海幸彦)兄にしたら皮肉な事です。『倭国統一同盟』の策略に乗り反乱を起こしたと言うのに、その『倭国統一同盟』の主力国のひとつであるヤマァタイ(八海森国)の族長達から、冷やかに扱われていたのです。クド(狗奴)国反乱は、優れた軍師によって練られた策では有りません。だから各国の対応に一貫性が無いのです。『倭国統一同盟』の各国も「クド(狗奴)国のホスセリ(穂須世理)王は、鬼の様に強い男らしいぞ。」と言う噂に踊らされていたのです。更に「その鬼の王が、倭国を我が物にしようと企んでいるらしい。このままにしていたら我らは鬼に食われてしまうぞ。」と噂は広まりました。そこで「誰か鬼退治に行く者はいないか。」と盛り上がったのです。噂に火が着くとそれを消すのは至難の業です。だから、『倭国統一同盟』の多国籍軍は鬼退治に来たのです。そして、鬼を退治すると噂の火は消えました。そして、冷静に戻った各国の族長達は戦犯裁きに目を向けたのです。それが、ホデリ(海幸彦)兄の不幸です。

 傷が癒え、体力を回復したホオミ(火尾蛇)大将は、私より一足早くトウマァ(投海)国のウサツ(宇沙都)に戻りました。トウマァ(投海)国には、ヒコメ(日弧女)の忘れ形見に成ったヒコミミ(日子耳)がいました。ホオミ(火尾蛇)大将は、我が子のヒコミミ(日子耳)を鍛え上げながら、反攻の時を待ちました。ホオミ(火尾蛇)大将が、トウマァ(投海)国で健在だと知ると、南洋の勇者達が、ぞくぞくと、ホオミ(火尾蛇)大将の元に集まり始めました。そして、五年近くの時をかけ、反攻の力を付けたホオミ(火尾蛇)大将は、私をイズモ(稜威母)から、トウマァ(投海)国へ呼び戻しました。私達の反撃の態勢が整った事を知ったアズミ(安曇)様は、私に大勢のワニ族の戦士達を付けて送り出してくれました。だから私達の反攻軍は、強力な水軍を組織出来ました。ホオミ(火尾蛇)大将は、海人族に知れ渡った海戦の将でしたから、ワニ族の援軍も喜び勇んで、ホオミ(火尾蛇)大将の軍門に集いました。さらに、陸上でも、私を錦の御旗に立てて、クマ族の北の国々が反攻軍を組織しました。一方のホデリ(海幸彦)兄は、『倭国統一同盟』の援軍を得られずにいました。ヤマァタイ(八海森国)の族長達が動こうとしなかった事もありますが、一番大きな理由は、イト(伊都)国のウス(臼)王の存在です。ウス(臼)王は、当初『倭国統一同盟』の族長達に祭り上げられた傀儡の王でした。しかし、ウス(臼)王は、日巫女様もご承知の様にとても思慮深く賢い方です。ですから、五年近くの間に確固たる地位を築かれていました。ウス(臼)王は、祖父様のショウ(升)王と同じく「戦で得られる物は無い。恨みの連鎖が続くだけじゃ」と、言うお考えの持ち主でした。だから、「この度の戦は、クド(狗奴)国の内政である。したがって、他国は内政干渉をすべきではない」と、公言されました。それでも『倭国統一同盟』の族長の中には、密かにホデリ(海幸彦)兄に援軍を送った人もいました。しかし、大半の族長達は動きませんでした。私達は、殆ど何の抵抗も受けず、美々津浜に上陸しました。すると、美々津浜には、死に装束に身を包んだホデリ(海幸彦)兄と、母が待ち構えていました。そして、砂浜に跪くと「さぁ俺の首を打て」と、さばさばとした表情でホデリ(海幸彦)兄は言いました。母は、生気が無い哀れな様子でした。既に華やいだ母の面影は微塵も有りませんでした。私は、無性に悲しくなり「俺は兄貴の首を打ちに戻ったんじゃないぞ。俺は、兄貴に謝りに戻ってきたんだ」と言いました。ホデリ(海幸彦)兄は、驚いた様に「お前が俺に謝るのか?」と、嬉しさを込み上げた眼で私を見ました。だから私は、ホデリ(海幸彦)兄の前に座り手を付いて「兄貴の大事な竿を海に投げ入れてすまんかった。許してくれ」と、頭を下げました。ホデリ(海幸彦)兄は、にっこり微笑むと「分かった許そう」と言ってくれました。そして、「どうやらお前は、針も探し出した様だな」と言いました。それから、おもむろに深く頭を地に付けると「それより、チル(知流)の事はすまんかった。許してくれ」と言いました。私は堪らない気持ちになり「兄貴だけが謝るな。チル(知流)は、チチカ(月華)義姉様を守ろうとして死んだんだ。チチカ(月華)義姉様は、兄貴と俺が守ると約束したじゃないか。しかし、結局、俺達は、チチカ(月華)義姉様を守れなかった。二人ともやっぱり愚弟よ」と言いました。それから私は「どうだ、兄貴。兄貴は阿多の国を守ってくれんか。愚弟同志でホスセリ(穂須世理)兄と、チチカ(月華)義姉様を弔って生き様ではないか」と言いました。この申し出は、ホデリ(海幸彦)兄の名誉を大きく傷付ける物でも有りました。しかし、既に死を覚悟していたホデリ(海幸彦)兄は「分かった。俺の余生はお前の為に生き様ぞ。それがほんの少しばかりだが、チル(知流)への詫びじゃ」と言ってくれました。ホデリ(海幸彦)兄は、母の命を救いたかったのでしょう。もし、ホデリ(海幸彦)兄が死ねば、母は間違いなくホデリ(海幸彦)兄の後を追ったでしょう。そうして、ホデリ(海幸彦)兄は、母のアキツ(秋津)と共に、阿多国に堕ち伸びる事になりました。しかし、不運にもヒラキキ(枚聞)山の沖合で嵐に会い、母や家族もろとも溺れ死にました。生き残った者の話によれば、あれだけ泳ぎの達者だったホデリ(海幸彦)兄が、ひとかきも手足を動かさなかったそうです。

 生き伸びたホデリ(海幸彦)兄の一派は、阿多国に庇護されました。だから、おかしな事に阿多国は、敵味方の両方を匿っていたのです。もちろん、これは大巫女様であるイワトノ(岩戸)姫様の御配慮です。しかし、困った事に、ヒムカ(日向)と、タケル(健)を正面立っては連れ戻せなくなりました。ヒムカ(日向)と、タケル(健)の素性が、ホデリ(海幸彦)兄の一派に知れると、危害が及ぶかも知れません。そこで、イワトノ(岩戸)姫様にお願いし、阿多の森からこっそり、ヒムカ(日向)と、タケル(健)を奪い返しました。もちろん、これは、フク(福)様も、ハク(帛)女王もご存じです。現在、私と、イト(伊都)国のウス(臼)王とは、休戦協定を結んでいます。なにしろ、私と、ウス(臼)王は、身内殺しと言う悪党仲間ですからね。しかし、この状態を快く思っていない族長達も、大勢います。人は、悲しい生き物です。独りでは、淋し過ぎて生きていけないのに、大勢の人が集まると、一部の人を疎外しようとします。疎外された人達は、助け合って生きていこうとしますが、ある一定の人数を越えると、疎外された人達の間で、新しい疎外が起きます。なかなか大勢の人が共に生きていくのは、難しい事の様です。でも今は、私も、ウス(臼)王も、どうにかして、人々が共に生きていく事は出来ないかと、苦労しているところです。とても長い話になりましたが、私の知る話はここまでです。

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と、ホオリ(山幸)王は、話を結びました。すると、テル(照)お婆がポロンと悲しい響きで月琴を弾きました。その音色に合わせて、ラビア姉様が、すーっと立ち上がり舞い始めました。そして、アチャ爺が低い声で謡い始めました。

♪群青の、色を流して、夜が下る。夜を下って、赤い花が咲く。

 赤い花、咲き乱れては、黄泉に散る。黄泉に宿して、また朝を知る。

 母知らず、朝に泣く子よ、逸れ鳥。何故に鳴くのだ、悲も知らぬのに。

 春来り、恨み節なら、夜に鳴け。春の宵には、娘が詠う♪

ヒムカ(日向)は、ただただ遠くを見やり、私は涙がこぼれて止まりませんでした。そして早く、タケル(健)に会いたいと切に思いました。

『第4部 ~ 棚田の哲学少年 ~』へ続く