第10部 ~ 日出ずる処の女王 ~
幕間劇(29)「強い女」
大衆の饐(す)えた香りを漂わせ、ガード沿いの飲み屋は今日も賑わっている。日頃は寡黙な紳士淑女も、バッコスの信徒となり、日常の籠を飛び越えて跋扈(ばっこ)する。「何が、神武この方、万世一系かぁ~」と管(くだ)を巻く男がいる。管とは糸繰り車の軸のことである。紡績工場では綿屑が霞立ち、糸を巻き取る機械が唸っている。だからもし女工たちがこの様を見れば、霞む煙草の煙と唸る酔っ払い共は、まさに管を巻いている騒音であろう。
美夏ちゃんは、ぼんやりとこの騒音に身を置いている。酔っ払いは続ける。「記紀を読み返せば、天皇の系統は何度も入れ替わっているではないか。応神天皇は、父だと言われている仲哀天皇が亡くなって十月十日を優に超えて生まれている。さらに、その急死したといわれる仲哀天皇は、生まれた年がおかしい。ヤマトタケルの次男だと言われているが、ヤマトタケルは景行天皇二年に生まれ、景行天皇四十三年に死んだといわれている。景行天皇二年は西暦では七十二年だ。そして、景行天皇四十三年は西暦百十三年だ。仲哀天皇は生まれた年が定かではないが、死んだのは二百年の二月六日だと言われている。ということは、百二十八歳で亡くなったことになる。そんな爺さんに子を孕ませることが出来るか? 誰がそんな出鱈目(でたらめ)を広めたんじゃ~、責任者出て来~い!!」と気炎を上げている。
そのアルコールの炎で饐える心を焼き尽くそうとしているのであろう。そうやって心を一新し、明日の活力に繋げるのだ。「よ~し、明日も頑張るぞぉ~、ナンクルナイサァ~」と。しかし、余程歴史好きなのであろう。もしかすると歴史の先生なのかもしれない。そうであったとしても、それは酔っ払いの戯言(たわごと)であることに変わりはない。
神話の世界の話なのである。そんなに杓子定規に噛みつく話ではない。しかし、日頃は生真面目な歴史の先生だからこそ、酔って爆発しているのであろう。さらに酔っ払い先生は続ける。「もし、死ぬ前がまだ六十歳だったとしたら、子種は潰えていなかったかもしれない。だが、そうであれば今度は、仲哀天皇がヤマトタケルの子ではなくなる。どちらにしても神功皇后の時代に、血統は途絶えるではないか。どういうこっちゃ~、責任者出て来~い!!」と爆発は止まらない。
四十路に入っているだろうこの酔っ払い先生は、恐妻家の可能性が高い。戦後、日本では恐妻家が一気に増えた。これは進駐軍の策謀かもしれない。男共は蛮勇に走り、戦争を起こしかねない。だから、軍国主義の復興を抑えるには、日本の男共を皆、恐妻家にしてしまうのが手っ取り早い方法かもしれない。もし勢いで「よ~し戦争じゃ」と言っても、妻が「何を寝ぼけたこと言っているの。そんな暇なこと言ってないで、さっさとお弁当持って仕事に行ってらっしゃい」と言えば、「はぁ~い」と戦場ではなく職場に向かうのである。その代わり、帰宅途中に場末の飲み屋で気炎を吐くことは大目に見てもらっている。いずれにしても戦後日本は平和である。既に言論統制は過去の出来事だ。だから持論をブチ上げるのに何の差し障りもない。
合いの手が入った。「それよりも、それから三百年ほど経った継体天皇はさらに酷いぞ。継体天皇の前の天皇は武烈天皇というのだが、この天皇には子がなかった。そこで越前から応神天皇五世の子孫と言われる継体天皇を連れてきたのだぞ。それも、それまで誰にも知られていない皇族だったらしいのだ。まだしも九州にいた応神天皇五世の子孫というのであれば『香椎神宮の神職でもしていたのかい』と信憑性が出てくるが、越前だぞ。越前だけに本当カニ?と言いたくはならないか。アッハハハハ……」と駄洒落混じりに大口を開けて話をする。
この相方も、歴史の先生なのだろうか。やけに詳しい。さらに無駄話に割り込む男がいる。「そもそも父系で万世一系を保とうという方が無理ばい。血統を重んじたいのなら確実なのは母系たいね。母から娘へなら血統を詐称することはできんめ。父親なんて本当に自分の血を引いた子か確かめようがなかろうもん。ばってん、母親は自分で子を産むわけだからなぁ。もし、どうしても父親が、確かに自分の血を引く子を欲しければ、実母か実娘と結婚するしかなかね。次に確かなのは姉か妹だね。異母妹でもよかよ。父の血を引いているからな。父系は繋がる訳さ。父系を重んじる古代の宗派では、近親婚が最も理想だとされているらしいぞ。まあ、我が家はそんな危惧はないがなあ。俺には姉も妹もいないし、あの魚臭い大女のおふくろなんか、抱く気にもならんばい。アハハハハッ」と、九州弁が混じるこの男は九州人に違いない。
九州人は酒が入ると喧しくなる。九州の飲み屋街は、どの街でも毎夜が祭りの喧騒である。隣の席の若者集団が、この話を掻い摘まんだ。酒の肴にはちょうど良い無駄話である。営業成績や出世に影響が出るような真剣な議論とは程遠い。そこが気楽で良いのである。
ハンサムな若衆が「俺には美人の姉と妹がいるが、恋人にはなれないなあ。妹は可愛いがやっぱり妹は妹だ。嫁にはできないなあ」と言った。美形な男であるから、妹もさぞ美人に相違なかろう。
若衆グループでも合いの手が入った。学者風の青年である。彼はハンサムに「でも世界中で人が滅び、お前と妹だけ生き残ったらどうする」と聞いた。「アダムとイブみたいにかぁ。うむ~ん、難しいなあ。人類を繋ぐ使命感は湧くが、実際に妹の顔を思い浮かべると、二人とも噴き出して笑ってしまいそうだ」と答えた。
別の青年が話に加わる。「僕は自信ないなあ。僕の妹は美人じゃないが、僕たちは二卵性双生児なんだ。だから以心伝心みたいなところがあるし、もし妹が他の男と結婚する時は、我が身を半分裂かれた気持ちがするだろうなあ」と考え込んだ。確かに分身であればそうかもしれない。
マザコンが話に加わる。「僕のママは十八歳で僕を産んだんだ。だからまだ若くて綺麗だよ。もしパパの存在が弱まれば、僕もオイディプス王になってしまうかもしれないなあ。でもパパはまだ熊のように強いから、僕にはパパを倒す自信はないな」と笑って言った。
学者風が女子に話を振る。「女子的にはどうなんだよ。お前は親父や兄弟と結婚できるか?」一人の純情そうな娘が答える。「私はパパ大好きだから良いよ」と。別の娘が「ええっ。それって不潔じゃない。うちの親父なんか考えただけで身の毛がよだつわ」と拒否反応を示す。しかし「父とは嫌だけど、お兄ちゃんとなら良いかなぁ」と言い出す娘も現れた。「ええっ、信じられない。近親相姦なんて人としてあるまじき行いよ」と生真面目そうな娘がいう。「でも、木梨軽皇子と衣通姫の悲恋は素敵だわ。『乱れれば乱れ………』」と、パパ大好き文学少女が話をメルヘンの世界に持っていく。美夏ちゃんは、そんな酒場の雑談をぼんやりと聞いていた。
美夏ちゃんは大学を卒業しても就職はせず、アルバイトをしながら劇団を続けた。そして、マリーから頼まれた曲『セント・クルメ』がヒットし、生活はどうにか安定した。その年の晩秋、家賃を払えずアパートを追い出された荒川達也が震えながら転がり込んできた。弟の夏人は大学を卒業した後、バックパッカーになり世界旅行に出た。しばらくして「ポルトガルのブルースだ」とメモを入れて、一枚のLPレコードを送ってきた。民ちゃんが黒潮の流れに身を任せると、追悼歌として『サウダーデ』という曲を書いた。マリーが歌い、この曲もヒットした。そのため徐々にソングライターとしての収入も増えていった。そして、美夏ちゃんは荒川達也の子を身籠った。「民ちゃんが私のお腹の中に宿ったみたい」と、美夏ちゃんはマリーに微笑んだ。そして双子の男の子と女の子を産んだ。仙人さんの昔話から「優奈」と「遊理」という名にした。
信夫はあの日以来、行方知れずとなった。兄弟のように仲が良かった荒川達也にとっても大きなショックだった。荒川達也は就職もうまくいかず、徐々にヒモ化していった。主婦という存在があるのだから「主夫」だと思えば良いのだが、この時代にはまだそんな寛容さはなかった。仕事ができる男が「男」である。だから、荒川達也は「俺は男の落ちこぼれである」と自暴自棄に陥っていった。主婦がいるなら主夫がいてもおかしくはない。「僕は子守が上手で、洗濯が好きで、料理の腕もコック並みで~す」と主夫業に胸を張れば、一家の大黒柱である美夏ちゃんも喜んだだろうが、荒川達也も昭和の男である。晩秋、一歳になった優奈と遊理を置いて、荒川達也は出ていった。「駄目な男ですまない。一人で出直してみる」と書き置きがあった。
ほどなく夏人が「ブラジルのブルースだ」とメモを入れて、一枚のLPを送ってきた。美夏ちゃんは優奈と遊理のためにボサノバ調の子守唄を書いた。そして、美夏ちゃん自身が歌った。その曲『真夏の子守歌』もヒットし、生活費には困らなかった。だが、主夫を失って掃除・洗濯・料理という主婦業には困った。見かねた劇団員が交代で応援に来てくれたが、心の隙間だけは埋めることができなかった。レコード会社との打ち合わせの帰り、美夏ちゃんは独り、この場末の飲み屋にふらりと立ち寄ったのである。店の看板には『跋扈巣(ばっこす)』とあった。中年の男二人が入ってきて、美夏ちゃんの隣の席に座った。仕事に疲れ果てたのだろう、席に着くなり二人とも深いため息をついた。それから「♪うちの女房にゃ髭がある~」と口ずさんだ。
美夏ちゃんが怪訝な顔で二人を見ると、「いやいや、うちの女房はやさしいですよ」と一人が苦笑して言った。もう一人が「新しく来た上司がね、女性でね。それも国立大出のバリバリでね。ああ、強い女は疲れるわ」とぼやいた。思わず美夏ちゃんは「強い女ですみません」と謝った。
二人は慌てて「いやいや、貴女のことではないですよ」と手を振った。しかし、それが奇妙な出会いとなり、相席の飲み友達になった。正直な二人は「大半の男は、自分に自信がないんですよ。だから威張って見せたい。空威張りだと自覚しているんですよ。でも奮起するために空威張りをするんです。賢い女房はね、そこんとこを分かっているから、一応駄目亭主を立ててくれるんですよ」と解説した。
もう一人が「そうそう、だから頭ごなしにガミガミとやられると、塩菜のようにシュンとね、萎えるんですよね」と付け加えた。美夏ちゃんは、荒川達也に対してガミガミと小言を言ったことはない。いつも自分を支えてくれる達也には感謝をしていた。しかし、この二人との飲み話を進める中で「どこかで私も強い女だったのかしら」と思うようになった。それから、鼻の下に口髭が生えていないか確かめてみた。念のため、顎にも手を伸ばし顎髭が生えていないか確かめてみた。そうしながら自分が可笑しくなり、クスッと笑って「髭がある女はお嫌いですか」と二人に聞いてみた。
一瞬、二人は目を丸くしたが、ほどなく笑い出し、一人が「実は私、大学の時に人類学を少し齧りましてね。それも文化人類学に興味を惹かれたんです。その時にね、アイヌやタイヤル族の女性の刺青がね、『髭』じゃないかと思えたんです。古代、毛には神秘的な力があると思われていたようなんです。ギリシャ神話のメドゥーサやサムソンの髪の毛のようにね」と真顔で言った。
そこで美夏ちゃんは「私の夫もアイヌです。あだ名はアラハバキ。強そうでしょう。でも意気地なしなんです」と言った。「あっ、そうですか。私と同類だ。アイヌの男も顔一面に髭など生やし強そうにしているけど、その実、案外、意気地なしが多いですよ。私もそうですけどね」と、人類学好きが笑って言った。
そして「私は飛騨真男(ひだまさお)と言います。今は区役所の企画課で働いています。彼は同僚で千代田明(ちよだあきら)と言います。こいつは熊襲(くまそ)です」と自己紹介した。美夏ちゃんが自己紹介すると「もしかすると『真夏の子守歌』の美夏さんですか。これはお会いできて光栄です。良いですね。私達もあのボサノバの軽やかさと憂いを帯びたメロディーに心を癒されていますよ」と喜んだ。
突然、美夏ちゃんが「真男さんの奥さんは、アワミ(沫美)さんですか?」と聞いた。飛騨真男は驚き、「どうして妻の名をご存じなんですか?」とビアグラスを落としそうに呆けた。さらに美夏ちゃんは「千代田明さんの奥さんの名は、ミナモモ(水桃)さんか、ソヨン(李蘇英)さんでしょう」と言った。千代田明の手からビアグラスが落ち、床で砕けた。それを気に留めることもなく、千代田明は「水桃です」と呟き、目を見開いて呆けた。「ど、どうしてそんなことが美夏さんには分かるんですか? 美夏さんは霊能力をお持ちなんですか? それとも……」飛騨真男が咳き込みながら聞いた。美夏ちゃんはいたずらっぽく笑うと「仙人さんに聞いていたの」と答えた。「仙人さん? あの霞を食べて生きているという仙人さんですか?」と、今度は千代田明が咳き込みながら聞いた。
美夏ちゃんは「そう、その仙人さん。田舎ではよく見かけるでしょう」と当たり前のように答えた。考え込んだ飛騨真男が「美夏さんは、やっぱり普通の人間じゃありませんね」と真顔で言った。美夏ちゃんは「でも、尻尾はありませんよ」と恍けて笑った。
千代田明が「郷里の神社の神様の名が甕依姫(ミカヨリヒメ)と言われるが、きっと美夏さんは甕依姫しゃんばい」と独り言のように呟いた。飛騨真男は「いや、白山神社の菊理姫命(ククリヒメノミコト)かもしれないぞ」と考え込んでいる。いずれにしても、場末の飲み屋の喧騒の中、この三人の周りだけ冷厳な静寂が漂った。
しかし、美夏ちゃんはぺろりと舌を出し、このいたずらを楽しんでいる。飛騨真男と千代田明には、次の公演の招待券を渡して別れた。別れ際、二人は美夏ちゃんの後ろ姿に手を合わせ、拝んでいた。きっと次の公演には、二人が大勢のバッコスの信徒を集めて来てくれることだろう。美夏ちゃんは浮き立つ足取りで、優奈と遊理が待つマンションに帰っていった。美夏ちゃんの背にボサノバが響いた。
♪熱い風が頬をなでる 私はお暑いのが嫌い
強い日差しが瞼を塞ぐ 私は眩いのが嫌い
蝉時雨が心を騒がす クーラーが唸り過ぎる
貴方は勝手に出て行けばいい 明るい世界が好きなのね
私を独りにして出て行けばいい 真夏の夜が好きなのね
ム~ン、ウォ~ク ム~ン、ウォ~ク
月夜が良いわ 静かで良いわ そろそろおやすみ私の優奈
ム~ン、ウォ~ク ム~ン、ウォ~ク
独りが良いわ 静かで良いわ そろそろおやすみ私の遊理
ム~ン、ウォ~ク ム~ン、ウォ~ク
ム~ン、ウォ~ク ム~ン、ウォ~ク
そして「ねぇ仙人さん。黒潮の月夜は暖かいの?」と美夏ちゃんは夜空を見上げた。
ひとり寝の 臥待月や 寒かりし
~ 火球落ちる ~
革命派ドン・ジョンイン(董仲穎)の死は、漢王朝の終焉を決定づけた。既に皇帝はその権威を失い、改革派から革命派に転ずる者も後を絶たない。ジョンイン(仲穎)は自ら帝位に就くことはなかったが、もはや玉座が皇帝のものでないことは明白であった。
天子がその威光を失えば、群雄が次に仰ぐのは、最も力ある高貴な者である。改革派の筆頭、ユエン・ベンチュ(袁本初)が、次代を担うと目されていた。後の世では袁紹と呼ばれる男である。だが、事はそう容易くはない。ベンチュ(本初)が覇道を盤石にするには、まず中原の要である冀州と幽州の制圧が急務であった。しかし、幽州には宿敵ゴンスン・ブォグゥイ(公孫伯珪)が立ちふさがり、さらにはヘイシャンダン(黒山党)が各地で荒れ狂っていた。
二年前、ユエン・ベンチュが反ドン・ジョンインの狼煙を上げると、ブォグゥイ(伯珪)も幽州で挙兵した。気位の高い三十二歳の若き野心家は、まず青洲のタイピンダオ(太平道)に狙いを定めた。二州を制すれば財力は倍増する。ユエン・ベンチュを凌駕するには幽州のみでは足りぬと踏んだのだ。そこで、チュクム(秋琴)との激しい戦火が切って落とされることとなった。
ブォグゥイは、ナンピー(南皮)のユエン・ベンチュに合流すると見せかけ、三万の兵を乗せた大輸送船団を出航させた。船団はリンユー(臨楡)の港からジンメン(津門)へ向かうと見せかけ、その一部が突如として南下を開始する。五千の精鋭騎馬隊を乗せた、奇襲部隊である。それはシェン・ウーハイ(玄武海)の海商人らをも欺く、鮮やかなまでの奇襲であった。
チュクムは、バイ・ヤン(白羊)率いるわずか五百騎とともに、レンチョン(任城)から転戦してこれに応戦した。しかし、三十万の青州兵は各地に分散しており、援軍は間に合わない。十倍以上の兵力を前に、チュクムは自ら囮(おとり)となって東岸へと逃れた。主力が集結するまでの時間を稼ぎ、ガオミー(高密)の防衛を整えさせるためである。だが、ゴンスン・ブォグゥイの追撃は苛烈を極め、ついにはヤン(羊)と数十騎にまで追い詰められた。
ヤンは「『窮鼠(きゅうそ)猫を噛む』です」と決死の敵中突破を提案した。そしてチュクムだけを単騎で東へ逃がそうとする。大将であるチュクムがその場にいなければ、敵に混乱と隙が生まれるという捨て身の策だ。上手くいく公算は低かったが、窮鼠に残された手は少ない。チュクムは、神剣「魂凪」をヤンに託した。ヤンは一瞬戸惑いながらも、「少しの間、お借りします」と受け取り、高密を目指して戦塵の中へと駆け出した。

チュクムが単騎で東へ馬を走らせていると、崖の上で手を振る少年がいた。ヨン・ピリュ(延沸流)だ。チュクムが崖下を駆け抜けた瞬間、背後で凄まじい轟音が響き、崖崩れが起きた。ピリュが岩を砕き落としたのだ。これで追手もしばらくは足止めされるだろう。
海岸へ出ると、湾内に老朽船が停泊していた。船上ではカタ(加太)が手招きし、浜ではピリュが小舟を止めて待っている。チュクムは馬を捨て、小舟に飛び乗った。舟を漕ぐピリュに、チュクムは尋ねた。「助かったわ。でも、どうして私に気づいたの?」ピリュは舟を漕ぎながら、「空の上から見ていたのさ」と不可解な返事をした。「空? 飛べるの?」とチュクムは訝しげに聞いた。「少しの間ならね。まだ上手くいかないけど」とピリュが指差した沖合には、海中に墜落した「人力飛行機」の残骸があった。竹と動物の膀胱、鉄線で作ったという奇妙な代物だ。加太の弟子だけあって、ピリュもまた浮世離れした男だった。
動かぬ老朽船の甲板に上がると、船員は一人もいない。「船乗りは?」とチュクムが聞くと「大丈夫だ。どうせこの船は動かせない。沖で波に揉まれりゃすぐに沈没よ」と加太は答えた。するとピリュが大きな袋を背負い、帆柱に登り始めた。それから大きな天灯を括り付け、火を焚き始める。加太は「さぁ乗れ!!」と、尻込みするチュクムを籠の中へ放り込んだ。
天灯はゆっくりと宙に浮いた。風は北東から吹いている。うまくいけば、高密かチンダオ(青島)のあたりで火を落とし、無事着陸できるだろう。そう思い籠の中で安堵し目を閉じていると、いつしか風向きが南東へと変わった。天灯はどんどんファンハイ(黄海)の東岸に向かって流されていく。
チュクムが「どこへ行くのよ!!」と加太に問うと、「さぁな~このまま飛べば馬韓か、 倭国か。まぁ風に聞いてくれ」と言う。するとピリュが「先生、もう少し上昇すれば、倭国の方に飛んで行けそうです」と言った。「そうか。じゃあ、そうしてくれ」加太はそう言うなり、またいびきをかき始めた。まったく気楽な風来坊たちである。チュクムにはどうすることもできず、ただ籠の中でおとなしくしているほかはなかった。
どれくらい経ったのだろうか。「おう、カヤサン(伽耶山)だなぁ。いつ見ても美しい。まるでおしとやかな貴婦人のような山だ。誰かさんとは大違いだな。フムフム」と加太の軽口で目を覚ますと、眼下には美しい山並みが広がっていた。加太は「良~し。もう一息だ。あの脊振(せふり)を超えたら、お前の伯母さんに逢えるぞ。俺はもうひと寝入りだ」と言ってまた寝てしまった。
脊振の山を越えると、豊かな平野が見えてきた。ピリュは少しずつ火を弱め、天灯を降下させる。すると南から突風が吹きつけ、火のついた油が籠に引火した。ピリュが「籠を切り離します。天灯の縄にしがみついてください」と炎上する籠を切り落とし、三人はそのままゆっくりと、湿った芦原へと落ちた。
それから大勢の人が「火の玉が落ちてきたぞ~!!」と騒ぎ立てながら集まってきた。加太が「おお~軟着陸、軟着陸」と言いながら起き上った。「どこが軟着陸なのよ。嗚呼~お尻が痛い~」と腰のまわりを擦りながらチュクムも立ち上がった。ピリュは、すでに起き上がり天灯の袋を回収している。
すると群衆の中から「カタ(加太)様!! 加太様ではありませんか~」と大男が駆け寄ってきた。加太は「おお~ リーしゃんじゃないか。久しいのう」と嬉しそうに声をかけた。大男はおろおろと泣き出し、「加太様遅かったぁ~ 加太様の帰りがもう一年早かったら~ 嗚呼~ 加太様遅かったぁ~」と泣き崩れた。不穏な言葉に加太の表情が引き締まる。「何かあったのか」と聞くと「日巫女様がぁ~ 日巫女様がぁ~ 嗚呼~加太様遅かったぁ~」と加太の両腕を掴み揺さぶりながら、なおも泣き続けた。加太はチュクムを振り返った。
そこへ兵士の一団が駆けて来た。リーしゃんは兵士の隊長を見ると「加太様がお帰りじゃ。丁重に館へおつれしろ」と指示した。兵士達は群衆を押し退け、三人にメタバル(米多原)への道を開けた。大陸の戦乱を逃れた先に待っていたのは、倭国の不穏な影であった。
~ 稜威母東征 ~
落ち椿が小川を赤く染めて流れていく。兵の一群は、その脇道を小高い丘陵に向かって歩いて行く。「チャーホァ(茶花)はどうしているかしら」とチュクムが独り言を呟くと「この藪椿はメタバルの館から流れてくるとです」と、リーしゃんが中華の言葉で話しかけてきた。チュクムは、南越訛りのあるその言葉に「ここは、ガオミー(高密)の気候に似ていますね」と答えた。それから「リーしゃんは、ヤンヂョウ(揚州)あたりの人ですか」と聞いた。
彼は「いや、もう少し南ですたい。ワシ(私)はジャオヂョウ(交州)の出です。それも南の島のジュヤー(朱崖)が生まれ故郷です。貴女は交州へは行かれたことがありますかな?」と南の空を仰ぎ答えた。チュクムが「いえ、交州へ行ったことはありません。でも友達はいます。コウ・ジャファ(孔嘉華)と言う逞しいお姉さんです」と答えると、「ほうほう、南の女は元気が良いからのう。そうそう、ウェイムォ(濊貊)の地にも逞しい朱崖の娘がおりますぞ。ジュシー(朱実)と言う名でしてな。娘と言いましたが、そろそろ三十路半ばになりますかなぁ」と懐かしげに北の空を見つめた。
城門が近づくと、大勢の民が出迎えに現れた。加太の姿を見つけるなり、「加太様お帰りなさい!」と歓声が上がる。だが、民衆の視線はすぐにその傍らの異質な存在に釘付けとなった。「うぁ~あの女の人の髪は赤かねぇ」「そりゃ、火球に乗って来らしたけんねぇ」「火星人やろか」「腰に剣ば差しとらすばい」「胸あての鎧も着けとらすけん。女戦士ばい」等と、群衆はチュクムの勇ましい姿に釘づけである。
騒めく群衆の中、美しい巫女姿の娘が進み出た。そして「加太様お帰りなさいませ。儒理王がお待ちです」と丁寧に挨拶をした。加太はその巫女をじっと見つめると「うむっ? お前さんは、もしかするとナラツ(菜螺津)かぁ?」と聞いた。「はい、ナラツです。でも一度もお会いしていないのに、なぜお分かりになったのですか?」と今度は菜螺津が尋ねた。 加太が「私が旅立った頃のお前の母カミツ(香美妻)に良く似ている。そしてラビアとキチョウ(希蝶)から、倭国の皆の様子は聞かされていたから、手に取るようにわかったのさ。しかし、希蝶が言っていた通りに親子瓜二つじゃなぁ」と答えると「希蝶姉様はお元気ですか?」と聞き返した。加太は「ナツハ(夏羽)の娘じゃ。容姿は華奢だが父親譲りで豪胆だから、心配はないさ。それよりピミファはどうしている」と尋ねた。菜螺津は声を落して「先ごろお隠れになりました」と答えた。加太は「やはり、そうか。だから、風がチュクムを呼んだのだなぁ」と独り言のように呟いた。
リーしゃんが「さぁ中へ。もうじきスサト(須佐人)様も到着されるはずじゃで、さぁさぁ」と急かせた。館の大広間には、主だった重臣が集まっていた。奥には伊都国王で倭国の総理でもある儒理王が坐している。その横には倭国女王の席だと思われる高座があり、その席を挟んだ右側も空席となっている。儒理王を正面にして右には、大将軍の秦鞍耳、大頭領の項権、海軍大将のヤマト(倭)、陸軍大将の熊人、政務頭領の智淀多、女房頭のテルハ(照波)という大臣たちが座している。左には、ヤマァタイ(八海森)国女王の香美妻を筆頭に、夏羽をはじめ各国族長たちが座している。その対面に、リーしゃんは三人の席を設けた。そしてチュクムに「一旦、ここでお待ちくだされ」と言った。ピリュ(沸流)は気まずそうに肩身を狭くしている。すると「須佐人様がお見えになりました!」と大きな声が響いた。
須佐人が殺気を帯びた足取りで現れた。一同が立ち上がり目礼を交わす中、須佐人はチュクムの手を掴むと前に進み出て、彼女を倭国女王の高座に座らせた。そして自らは儒理王の同列席に着いた。それから威厳に満ちた声で告げた。「神託の通りに新しい女王が降臨された。これにより稜威母東征の態勢はすべて整った。後は各人の奮闘を期待する」どうやらこれは、稜威母東征への軍議であったようである。そして、新たな時代の幕開けであった。
内宮のミイト(巫依覩)では、以前より「次の女王は尹家の戦場(いくさば)の巫女である」との神託が降りていた。チュクムは青州の王に等しい手腕と、大陸の激戦を潜り抜けた最強の武勇を併せ持つ。倭国の民は、この「戦う女王」の誕生に、神の加護を確信し安堵したのである。
軍議はチュクムが女王の席に着いたことで瞬時に終わった。後は加太の大好きな宴会である。しかし、アチャ爺もテルお婆ももういない。辛うじてりーしゃんの料理を味わえることが、加太に帰郷の喜びをもたらした。ピリュはやっぱり落ち着かない。倭国の言葉もよくわからず、緊張が解けない。一方、倭国側ではチュクムの周囲で起きていることが驚くほど詳細に調べられていた。それは、ピミファ女王の姪への思いの表れでもあった。儒理王も須佐人大首長も、漢王朝の政変から南越義勇軍の動きまでを把握している。
それは中華の偏西風が高句麗を揺さぶり、その栄枯盛衰が馬韓国や辰韓国に波乱を及ぼすからである。さらに南東海の大乱は、高波となって東海を伝い、倭国や弁韓国に異変をもたらす。海洋王国である倭国にとって、情勢把握は防衛の要であった。外に対しては閉鎖的だが、その情報収集力は漢王朝を凌いでいた。情報は主に交易商人によってもたらされる。大首長・須佐人自身が鯨海の大商人であり、その交友範囲は北海の彼方から南海の果てまで及ぶ。また、今はラビア族長が西域に向けて交易の旅を続けている。ゆえに倭国では、チュクムら三人は他国からの賓客ではなく、上陸した瞬間から女王とその側近として迎えたのである。
ヨン・ピリュ(延沸流)はこの急展開についていけず、戸惑いが顔に出て目は宙を泳いでいる。空を飛び回る男でも、人の世の急流には溺れそうであった。そこでヤマァタイ国女王の香美妻は、ピリュの侍女にカヤノ(鹿耶野)を付けた。
鹿耶野は、今は阿多国大族長となっている徒手の項増(こうぞう)を父に持つ。母タマコ(玉呼)はミタマ(三珠)族の巫女で、ミツマ(巫津摩)の巫女の司。姉タマミ(項霊魅)も巫女である。十四歳になった鹿耶野も、今はミイト(巫依覩)で巫女の見習いをしていた。父の項増は捨て子で無学な男だったが、夏希(なつき)族長に見い出され。項家軍属の一翼を担うほど優秀な男であった。その娘である鹿耶野もまた、すこぶる聡明な娘である。きっと目を宙に泳がせているピリュを鎮めてくれることだろう。
ピミファ女王亡き今、倭国の巫女を束ねているのは香美妻女王である。巫女としての力は妹の那加妻や、ヒムカ、南の大巫女ニヌファ(丹濡花)、北の大巫女ハハキ(蛇木)の方が勝るかもしれない。しかし、香美妻には先の女王ハク(帛)に劣らぬ「人を束ねる力」があった。ミイト(巫依覩)はヤマァタイ国の内宮であり、国事を扱う。民事を扱う外宮には、西に豊作と豊漁を占うミフジ(巫浮耳)、東に政治と軍事を占うミズマ(巫津摩)、そして北岸には生死と縁結びを占うミヤキ(巫谷鬼)がある。見習いの姫巫女たちは皆、このミイトで修行を積み、日巫女ピミファの慈しみの元で育ったのである。
鹿耶野は数カ国語を操る才女でもあった。交易商人の希蝶に可愛がられて育ったため、ピリュの通訳兼語学教師も務めることとなった。ピリュは美しい才女を前にさらに緊張を深めたが、根は陽気な風来坊であるため、徐々に倭国の言葉を覚え始めた。
加太とピリュは、長く倭国に留まるつもりはなかった。研究所があるチンダオ(青島)に戻る心積もりだが、東征に沸く倭国海軍に送迎の余裕はない。そこで、天灯を修理するか、新たに外洋船を得るか。いずれにせよ直ぐには戻れそうもない。まずは天灯の修理を試みた。空気袋の方は無事だったが、火炎器が落下により激しく破損していた。口之津の造船所の一角を借りて工房としたものの、気化器の調整がうまくいかない。大きな天灯を飛ばすには、油を気化させ強火力を引き出す必要があるが、この修理には青島の研究所の設備が不可欠であった。ゆえに修理を断念した。
口之津造船所の所長は、ピミファ女王の信頼が厚かったオマロ(表麻呂)である。彼は呉越で造船を学んだ博士で、加太とも旧知の仲であった。そこで加太は彼に外洋船の建造を依頼した。二人が乗れる程度の小さな双胴船を思い描いていた。舟も既存の平底舟を二艇使い製作の手間を省く算段だった。帆には天灯の空気袋を使える。
表麻呂博士の妻シモツ(志茂妻)は、徐家の女であり加太の弟子でもある。だからピリュにとっては姉弟子にあたる。彼女は倭国随一の錬金術師あるいは方術師として名高い。シューフー(徐福)の末裔であるから不思議な話ではない。したがって口之津造船所は倭国の科学技術研究院でもあり彼女には大勢の弟子もいる。鹿耶野は巫女の世界とは全く異なるこの世界にとても興味を惹かれ、そして早速、志茂妻の弟子に納まっている。
博士夫婦が双胴船の設計に取り掛かろうとした矢先に、鹿耶野が「アマノアメンボ(天之水馬)にしましょうよ」と言い出した。「アメンボ……?」と皆が首を傾げると鹿耶野は地面に絵を描いた。それは中型帆船の両側から四本の脚が伸びその足先に小舟の靴を履いているのである。その奇妙な絵に皆はますます首を傾げた。独り表麻呂博士だけがジっと見入っている。そして「これは面白い。三胴船か。これなら、横揺れに強く速度も出そうだ。それに居住区は中央の中型船だから、双胴船よりも船上での動線が良くなりそうだ」と呟いた。そして「よしやってみよう」と所長室に籠った。
翌朝、志茂妻が朝餉を所長室に運ぶと三胴船の採寸図が描かれていた。細長い中型の早船を中央に描き、そして右舷と左舷を跨いで四本の梁が伸びている。それはまるで天秤のようである。その両端は道板のようにやや幅広い木材が渡され、その下からは八本の柱が伸びている。さらにその下、両舷には川舟のように細長い舟状の物がついている。つまり三胴船である。
志茂妻がジっとその採寸図を覗き込んでいると、長椅子で寝ていた博士が起きだしてきた。そして「どう思う」と聞いてきた。志茂妻は「帆はどうなるんですか」と聞いた。採寸図の三胴船には、まだ帆が描かれていなかった。博士は「何が良いと思う」と逆に聞いた。「そうですね。ダウ船の三角帆が良いと思います」と彼女が答えると「私もそう考えていた。志茂妻も同じ考えだったとは心強い。では早速仕上げに入ろう」と博士は再び机に向かった。
志茂妻と表麻呂には子がいない。志茂妻も四十二歳になったので、この先、子を孕む可能性は低い。子宝に恵まれないと悲しむ人も多いが、志茂妻も表麻呂もあまり気に病んでいない。そして、子がいない分二人の時間は親密である。きっと子がなくて悲しく思えるのは、自分の生きた証が途絶えると感じるからかも知れない。
志茂妻と表麻呂の生きた証は、幾艘もの船と、数々の発明品として現前化している。そのため、一般的な悲しみには陥らないのかも知れない。そんな仲睦まじい二人を眺めながら、チュクムが「ムォジ ウォアイ(我が哀しみを知る者は莫(な)し)」と呟いた。それを耳にした加太は「しかたあるまい。それがお前の人生だ」と突き放すように言った。
春の陽気に包まれた口之津の港に異形の船が浮かんだ。鹿耶野が発案した三胴船「アマノアメンボ(天之水馬)」である。細長い中型船を中央に据え、左右に突き出した梁(はり)が二艘の小舟を支えるその姿は、まさに水面を駆けるアメンボそのものである。群衆ばかりではなく船大工達も手を休め見物に訪れている。志茂妻は、天灯の空気袋を再利用した強靭な帆を見上げ、「この三角帆が風を掴めば、向かい風さえも味方にできる」と弟子達に満足げに微笑んだ。
チュクム一行はその様子を岬の丘で野遊びを楽しみながら眺めている。青苧(あおそ)の鮮やかな若葉色が生き生きと潮風にそよぐ。だから、チュクムの「ムォジ ウォアイ(莫知我哀)」は冬の陰鬱に包まれた響きではない。春霞のように茫洋とした響きである。その様子を見てリーしゃんが「♪ウォシン シャンベイ(我心傷悲)」と詠った。チュクムは、“リーしゃんの心は何を嘆き悲しむのだろう”と思ったが、“それぞれが抱えた悲しみは、その人にしか分からない。それなのに、その悲しみを他者と分かち合おうとすれば悲しみはさらに深く沈む。そう心に念じてこの老人は故郷を捨て異国に生きてきたのだろう”と思いリーしゃんの姿を深く目に焼き付けた。
野遊びの敷物の上には伝説の料理人リーしゃんの御馳走が並んでいる。チュクムとピリュのために中華の料理が多い。敷物は青苧(カラムシ)から採った糸で作られている。そして野遊びが終われば造船所に戻され、船の帆に使われる。加太とピリュはもうじきチンダオ(青島)に戻るが、チュクムは再び戎衣に身を包み新たな戦場に向かう。だからこれは互いの送別会でもある。チュクムは、揚げ物をポンと口に放り込むとそして「しかたあるまい。莫知我哀。それが私の人生だ」と、にこやかにピリュの肩を抱いた。ピリュは訳が分からないままにチュクムに肩を抱かれ、春の落ち葉を踏み港町に降りて行く。
三胴船「アマノアメンボ(天之水馬)」は、加太が想定していた量産型の小舟を繋ぎ合せた二人乗りの双胴船よりもずいぶん大きな船になった。すべての部品が特注品なので費用も嵩んだが、乗りこなせる者がいない。そこで、表麻呂博士自ら船長となりチンダオ(青島)を目指すことになった。
波に強く船足も速いと見込まれるこの船は、壮大な実験船であると看做され造船関係者の注目を集めた。そのために次世代を担う若者からの船員志願が後を絶たなかった。発案者の鹿耶野と志茂妻も船員に加わった。錬金術師で方術師の彼女が加われば心強い。
加太とピリュは意外な展開に戸惑うばかりである。加太は不思議なことに金に困った様子を見せたことがない。だから膨らんだ巨額の建造費にも驚いたりはしていない。ところが大金を投じるという者が現れた。狗奴国の豪商ハイムル(吠武琉)である。
この三胴船は、加太とピリュを青島に送り届けた後アマミ(天海)一族の所有船になる。その話に異論を挟む者はいない。軍船には向かないし輸送船ならジャンクが良い。変てこな船の使い道は案外狭いものである。

天海一族は南洋の大商人団であり、ヒムカ(日向)女王の偉業を経済で支えている。拠点は、狗奴国の商都ツマ(都萬)だが、各地に船宿を構えてその活動範囲は、黒潮の海すべてに渡る。四十三歳の男盛りとなったハイムルは、「黒潮の豪商」としての威厳を纏っていた。今や鯨海の海賊王と呼ばれる須佐人大首長に匹敵する存在である。
黒潮の豪商は、女王の偉業を支えるために、南洋を駆け抜ける外洋船が欲しかったのである。口之津造船所で建造された船なので須佐人への了解は取り付けてある。だから、加太も表麻呂にも異論はない。多忙な豪商は自らの代理として、十八歳の嫡男リュウジュウ(龍紐)を乗船させた。
豪商自身も、十四歳から二十歳までの四年間を、ラビア姫のキャラバン隊で過ごした。中華から西域、天竺と交易の旅が今の彼を南洋交易の覇者に育てた。だから、龍紐も同じように旅の中で成長させるつもりである。
龍紐が仲間に加わったことを、ヨン・ピリュ(延沸流)は何より喜んだ。十五歳のピリュにとって、龍紐は頼れる兄のようだった。龍紐の母ポニサポはツングース族の出身であり、二人は同じ血を引く。背格好も容姿も瓜二つの二人が並ぶ姿は、誰の目にも実の兄弟としか映らなかった。
須佐人の長男ハラエド(胎穢土)は龍紐より二歳年上である。母は、龍紐の叔母であるニヌファである。だからハラエドと龍紐は従兄弟である。ハラエドは、父須佐人に従い稜威母東征に向かう。龍紐の狗奴国も、巫女女王を母と慕っていたウガヤ王が稜威母東征の檄文を各地に飛ばした。
狗奴国連合軍の指揮を握っているのは、ホオミ(火尾蛇)大将の長男ヒコミミ(日子耳)である。龍紐も東征の檄文に触発され、ハラエドと共に軍に加わるつもりであった。しかし、三十六歳となり熟年期を迎えた日子耳大将は、黒潮の族子をあえて戦場から遠ざけた。彼は勇猛な武人であるが、戦を好まぬ男である。戦は人々を熱狂させる怪しい影がある。彼はそれを危惧するのである。戦は因習を断ち切ってくれる側面を持っている。大嵐が自然界を更新させるのと同じ働きである。古い絆に縛られたくない若者は、その為に戦に青春を託すことに浮かれる。しかし、本当に生きていく上で大事な時は、その大嵐の後に訪れる。日子耳大将は、「戦さの熱狂は心を焼き尽くす。嵐の後の世界を築くのは折れた心ではなしえない。お前がそれを担う男になれ」と諭した。その言葉に従い、龍紐は剣を置き、未知の海へと舵を取る決意をしたのである。
筑紫之島は、稜威母東征に沸いている。倭国大乱を鎮めようと骨身を削ってきた巫女女王の死が、新たな倭国大乱の戦火の火種となったのである。それは人の世の皮肉である。戦さ人は、熱狂が覚めた後に自己嫌悪や憎悪に襲われる。敬虔な高木神族の長(おさ)である日子耳にはそのことを良く理解できている。だから、龍紐にその苦海を渡らせたくないという思いも働いていた。
人間界はその苦界の海の上を漂っているようなところがある。もしかすると、チュクムは、浄土を照らす灯りのように、苦界を照らす存在なのかもしれない。いずれにせよ、筑紫之島で熱狂している稜威母東征は誰の手でも止められないところに来ているのである。
鯨海に初冬の風が吹く。陽光の下では額に汗を滲ませ水路の石垣を積む男達がいる。荒れ野を開墾し田を広げようとしているのである。巫女女王を暗殺したのが稜威母の急進派とコシ(高志)の弓兵だと分かると筑紫之島の島から東征の大軍が放たれる事態となった。かつて倭国大乱の底流には、倭国統一同盟と、倭国自由連合の影があったが、来る大戦では、倭国自由連合の大半の国が、稜威母東征軍に加わっている。
稜威母の盟友であった狗奴国がその筆頭である。狗奴国王ウガヤ(卯伽耶)は、母を殺された者に等しい怒りようである。そのために倭国統一同盟の筆頭須佐人と、倭国自由連合の筆頭ウガヤが、稜威母東征軍の二本柱である。だから、稜威母と高志が戦火に焼き払われるのは避けられなかった。高志の筆頭阿彦は、無益な戦いだと知りつつ、ヘキ(蛇亀)と高志の民のために命を捨てる覚悟をした。そして、出来れば兄と慕う須佐人に切られたいと心に秘めた思いをもっていた。
稲作は、南方の農業である。しかし、稲の民でもあるワニ族(鰐)は、適地を見つけ細々と水田耕作を続けてきた。阿彦とサケミ(佐気蛇)の二人は、若い時にヤマァタイ国でそれを学んだ。農学博士ウネ(雨音)に習い、稲作の改良に取り組んだ。その努力が実を結び、稜威母での稲作はその規模を広げ始めていた。
サケミは狗奴国の水田を、オカミノイリウミ(龍蛇乃入海)の沿岸に広げていた。ここは冬の北風も防げる穏やかな内湖の周辺である。しかし、今や穏やかな内湖は戦さの熱に沸き立っている。その筆頭は、オクニ(尾六合)の弟で稜威母急進派を率いるイブシ(稲撫士)である。
稜威母の長で安曇磯良(あずみのしら)ウズ(烏頭)が亡くなると、後継者のサケミは、オクニとイブシによって龍蛇乃入海を追われた。したがって今の稜威母勢の筆頭はイブシである。サケミは、丹場に隠棲し荒れ野を開墾し田を広げていた。サケミを匿っているのは、義兄ツノガ(角鹿)のケンコク(堅固)である。
サケミは、石垣を積み終わり水路の完成を見届けると戦さ支度に身を包み、堅固の許を訪れた。そして「兄上、稜威母に帰ります」と別れを告げた。サケミも阿彦と同じように、無益な戦いだと思っていた。しかし、稜威母民を見捨てることは出来なかった。
堅固は「死ぬ覚悟なら、その命、暫し私に預けてくれないか」とサケミを制した。そして、付いて来てくれと別の部屋にサケミを導いた。兄堅固の言葉に従い後を付いていくと、奥まった部屋の暗がりにぼんやりと人影があった。
人影が「元気そうですね」と親しみを含ませた声をかけてきた。その声にサケミはあっと驚いた。その声の主はヤマァタイ国で世話をかけた懐かしい智淀多であった。智淀多はいつものように、にっこりと微笑むと「須佐人様がお待ちです」と言った。どうやら、サケミは、稜威母の嵐を目の前に苦渋の決断を迫まられるようである。
高志の空に白隼が孤高に舞っている。白隼は北方に生息する猛禽類である。高志の空を飛ぶ姿は珍しい。その姿を見上げ、阿彦は智淀多に最後の願いを託した。それは、滅びゆく者の静かなる遺言であった。「安曇磯良の志は、サケミに託すと伝えてくれ」と。
~ ヨサミ(依佐見)国のリキヤ(力爺) ~
夏の盛りだというのに、雨季のような長雨が続いている。川の流れは濁り、山間(やまあい)では土石流も発生しているようである。それを物語るように、トサプ(杜沙府)の入り江にも大量の流木が漂っている。せっかくウネ(雨音)の弟子ウラト(宇羅人)が開いた水田の稲穂も、ようやく水面にその穂先を浮かべている有様である。
依佐見族の宇羅人はヒムカの婿となり、イヨノシマ(伊依島)南岸で依佐見国の建国に尽力していた。だがその頃、馬韓国の同胞は辰韓国との前線に立たされていた。倭人嫌いのチョゴ(肖古)王による、倭人締め出し政策によるものである。その苦境を見過ごせなかった宇羅人は海を渡ったが、辰韓国との戦さで命を落とした。
それから十四年の歳月が流れた。稜威母東征が始まったこの夏、ヒムカは力爺を初代国王に据え、正式に依佐見国を建国した。宇羅人の功績は、こうして族名が国名に刻まれることによって報われることとなった。
力爺の父、イチミ(壱未)親方は、ヒムカの母チチカ(月華)姫の仕え人であった。ヒムカはその壱未を伊依島復興の先頭に立たせ、稲の民である依佐見族を狗奴国から呼び寄せた。その依佐見族の若き指導者が宇羅人であった。復興に欠かせないのは、安定的な食糧の確保である。そのために新田開発を推し進め、それを助力したのが彼であった。そして、その先頭に立った壱未親方は、依佐見国の先駆的な開拓者となった。
力爺の母ソイラ(粗衣螺)はヒムカの乳母であった。ゆえにヒムカにとって力爺は、実の弟も同然である。ヒムカは狗奴国を従兄弟のウガヤに、依佐見国を族弟の力爺に治めさせると、自らはさらに黒潮沿岸を東進した。
そこに暮らす先住民の多くは、黒潮の民である。したがって、これは「開拓」という名の侵略ではなく、先住民を主体とした「再開発事業」であった。そのため武力衝突とは無縁である。ヒムカの「静かな東征」は、着実に実を結びつつあった。それは、須佐人の「力による東征」とは対照的であった。
狗奴国の重鎮であった壱未親方とホオミ大将は、同い年の盟友である。共に還暦を迎えた今、ホオミ大将は日子耳に、壱未親方は力爺に代を譲り、現在は孫守りを楽しんでいる。ヒムカは後継者の一人である力爺に、狗奴国のロウラン(楼蘭)を娶らせた。楼蘭は、天海一族を率いるハイムル(吠武琉)と、シュマリ(狐)女将の姪ポニサポとの間に生まれた娘である。十六歳になった楼蘭には、どこかシュマリ女将の面影があり、かなりのしっかり者であった。

シュマリ女将は、ポニサポにはシャマン(呪術師)の業を伝えていたが、楼蘭には伝えていない。それは楼蘭が「南の大巫女様」に仕えていたからである。南の大巫女ニヌファ(丹濡花)は、父の妹にあたる。楼蘭は七歳の時から叔母について巫女の修行を積み、今では「火の巫女」の一人となっていた。
南の大巫女様は、ヒムカやピミファのような「日巫女」ではない。しかし、強大な力を秘めた「火の巫女」である。火は生命を生み出す根源であり、天空で輝く火は日光と月光としてこの世を照らす。日光は陽の力を、月光は陰の力を生む。その陰陽からこの世の営みが生じている。しかし、月そのものに火はない。月光は太陽が発する炎の灯影(ほかげ)であり、それゆえに熱気は生じない。
巫女女王ピミファは陽の巫女であり、「日読み」の巫女であった。そのため激しい気性を秘めている。対してヒムカは「月読み」の巫女である。あらゆる物事を焼き尽くすような荒々しさはない。したがって戦場の巫女には向かない。そして、多くの月読みの巫女が「黄泉(よみ)の巫女」を兼ねている。
ヒムカもまた然りである。黄泉はこの世の「根の国」であり、そこには地中の火がある。ヒムカの熱気は、大地の熱から生じる。したがって火の巫女とは、天の火ではなく大地の火を祀る巫女であり、それを「黄泉の巫女」と称するのである。
人間は、天空の火を直接掴むことはできない。天の火に対しては、日を仰ぎ、読み解くほか術がない。しかし大地の火は、いつしか人間の手に移った。とはいえ素手では掴めない。そこで黄泉の巫女は「火箸」を使う。箸は単なる食事の道具ではない。むしろ箸を使わずに食事をする者の方が多いほどだ。海人も食事に箸は使わない。揺れる舟の上では、手で掴む方が食べ物を落とす心配がないからだ。汁物にも匙(さじ)は使わず、茶碗からそのまま飲み込めば、揺れの中でも服を汚さずに済む。
丘の上でも、日常的に箸や匙は使われない。しかし、調理の際の菜箸や玉杓子、ヘラなどは用いる。そうせねば火傷をしてしまうからだ。同じように、火傷を防ぐために使う箸がある。それが火箸である。したがって、箸の元来の役目は「神聖なものに触れるための道具」、あるいは「直接神に触れないための道具」であった。ゆえに巫女の箸は神聖であり、人知の及ばぬ力を秘めている。火の巫女にとって、箸は欠かせぬ祭具なのである。
材質は、神饌(しんせん)を掴むだけなら竹で事足りる。水に浸しておけば、炭火を掴む一瞬程度なら耐えられる。しかし、長時間火を扱うには金属でなければ燃えてしまう。そのため、火の巫女の箸は銅製が多い。銅の箸には、もう一つ重要な役目がある。「占術」の道具としての側面だ。熱した銅の箸を獣の骨や亀甲に押し当てると、亀裂が走り「卜」の字に似た形が現れる。それが「卜占(ぼくせん)」である。
神秘的な事柄に無関心な須佐人ですら、大事な決断の折には妻ニヌファの卜占に従う。今回の稜威母東征の時期も、やはり卜占によって決定された。力爺の妹チバリ(智鍼)もまた火の巫女である。母ソイラがヒムカの乳母であった縁で、十二歳の時からヒムカに仕えてきた。ゆえにチバリもまた、黄泉の巫女である。
兄の力爺が初代依佐見国王となった時、七歳下のチバリは二十一歳になっていた。彼女はヒムカに代わり、ポルポロ(浦留保呂)で子供たちの母親代わりを務めている。ヒムカは夫であった伊波智と子供たちをチバリに託すと、自らは黒潮を遡り、ポッケモシリ(暖国)の江兎(えと)の岬あたりまで進出していた。

ポルポロはアユチノウミ(東風茅之海)の西岸に位置する。湾奥のルルム(流留無)から南下した、湾口の中ほどである。湾口の西岸は山国らしく平地が少ないが、東に延びる半島には長い砂浜が続いている。その穏やかな白砂青松に沿って、ヒムカは東進した。
倭国への徹底抗戦派であった父カシケが、牡鹿沼(おがぬま)の戦いで戦死した時、伊波智は二十歳だった。カシケは死を覚悟して戦いに臨んだが、息子を伴わなかった。後を継ぐのは伊波智しかいないと考えていたからだ。伊波智がまだ若かったため、一旦は母ヨナメノコ(米女孤)が族長を担ったが、牡鹿沼の戦いは伊波智の心に大きな変化をもたらした。倭人と争い続けることの限界を悟ったのである。
倭人は、大陸での激しい戦乱を生き抜いてきた種族である。争いを好まず暮らしてきた阿人が勝てる相手ではない。彼らは「戦場の民」なのだ。阿人が生き残る道は共存しかない。五年後、母ヨナメノコが病で亡くなると、族長を継いだ伊波智は東風茅之海の開発に乗り出した。阿人もかつては海人であったが、山や森で暮らすうちに海とは疎遠になっていた。翌年、牡鹿原(おがばる)の会談に参列した伊波智は、沿岸開発の必要性を確信した。その冬、二十六歳になった伊波智はヒムカの婿となり、共存の歩みを始めた。四人目の夫を迎えたヒムカは、三十九歳であった。
女が家長である種族では、若い男はまず年上の女の夫になるという。そこで一人前の男として成長すると、今度は若い女の夫となり、彼女を家長として育て支えるのだ。つまり、母系社会の男は成人まで母に、成人後は妻に育てられる。そして老いるまで、次の女王を育てる「働き蜂」としての暮らしを楽しむのだ。「男の意地や見栄」さえ捨てれば、それは案外、幸福な老後かもしれない。
三十を前にして、伊波智は父にも劣らぬ大族長としての威厳を備えるようになった。そして、新たな若い妻を娶った。ヒムカの侍女であったチバリである。ヒムカは伊波智と子供たちをチバリに託すと、再び「静かな東征」へと旅立った。
黄泉の巫女チバリが伊波智を夫に迎え、ヒムカの子供たち「ウララ(翁蘭々)、サチヒコ(沙乳彦)、ミズハ(瑞波)、シマヒコ(志摩彦)」の母親となって四年が経つ。年上の二人は実母がヒムカだと知っているが、幼い瑞波と志摩彦はチバリを実の母だと信じて疑わない。
ヒムカは実に多産であった。最初の夫アソ(吾蘇)との間には、ソツヒコ(蘇津彦)とミケヌ(巳魁奴)を儲けた。長男蘇津彦は二十五歳となり、対蘇(つそ)国の族長を務めている。対蘇国は筑紫之島の中心地であり、ヒムカが創り出す倭国世界の西の要である。次男の巳魁奴も二十三歳となり、母に代わって「木の国」の開発を進めている。
二人目の夫ウズヒコ(宇津彦)との間には、イツセ(伊襲狭)とサデヒコ(佐田彦)を儲けた。三男の伊襲狭は、二年前にサルシ(佐留志)祖父ちゃんが亡くなった後、サルタ(猿田)族長を継承した。十六歳になった彼に、ヒムカは次男の巳魁奴を通じ、「木の国の娘を妻にするように」と命じている。
ヒムカの子供たちの配偶者は、すべてヒムカが決める。子供たちに選択の余地はない。ヒムカ自身の婿選びは自由恋愛に見えるが、実際には彼女の好みではなく「神様の導き」に従ったものである。ゆえに、神様に代わって子供たちの縁談を決めることに何の問題もない。
偉大な大地母神であるヒムカに異を唱える子供はいない。巳魁奴の妻は、弟の須佐人が連れてきた丹場(たんば)の娘、アカテルメ(丹照瑪)である。丹場は、東に蛇沢(かがさわ)があり高志(こし)と、西には稲場(いなば)があり稜威母と共存している。中心地は角鹿(つのが)である。この三地域は厳密に分かれているわけではないが、稲場には蛇海(かがみ)の末裔、カガメ(蛇目)村長やハハキ(蛇木)の一族が多い。ハハキの母シトト(志止鳥)は蛇沢の女であり、ハハキ自身も蛇沢で育った。
蛇沢にはニハ(丹羽)の一族が多い。丹羽の妻オミナ(央美菜)は、蛇沢の族長の娘である。シトトとオミナは同族であった。丹羽の父は弁韓国のアミョン(阿明)であるが、母は丹場の族長の娘である。名をマカヨ(真香世)といいキムウンクル(山の民)の血を引いている。だから、丹羽には阿人と弁韓人の血が流れていた。
巳魁奴の妻アカテルメは徐家の娘だが、筑紫之島の徐家ではない。シューフー(徐福)の末裔には四つの支族がある。徐福の大航海ではまず筑紫之島に上陸した。そこに根を張ったのが三男シューシェン(徐仙)の系統である。現在のタケル(健)から仁武、ヤマト(倭)、智淀多へと繋がる。秦家の須佐人もまた、その末裔である。
徐福には四人の息子がおり、筑紫之島の徐家を率いたのは三男のシューシェン(徐仙)である。長男のフーヨン(福永)は、チュホ(州胡)から辰韓国へと向かった。次男のフーワン(福万)は、伊依島南岸から木の国、さらに東風茅之海へと向かった。そして、四男のフーショウ(福寿)は鯨海に渡り倭国北岸を北上した。
| 徐福の末裔・四つの徐(ジョ)家 | |||
| 名称 | 始祖 | 拠点 | 代表的な末裔 |
| 辰韓の徐家 | 長男:フーヨン(福永) | ソシマリ(蘇志摩利) | 秦家の須佐人 |
| ※辰韓の徐家そのものは衰退するが、須佐人の祖母帛(ハク)女王が徐家の女である。 | |||
| 黒潮の徐家 | 次男:フーワン(福万) | ミンタラ(珉多良) | 日紀隈・那智女 |
| 筑紫之島の徐家 | 三男:シューシェン(徐仙) | メタバル(米多原) | 仁武・智淀多 |
| 鯨海の徐家 | 四男:福寿 ⇒ 豊受 | ツヌガ(津沼娥) | アカテルメ |
| ※豊受の末裔は、後年「宇良」姓を名乗る。ウラは鬼とも呼ばれ、ウラシマ姓も生じる。 | |||
四男の福寿は丹場に至った頃から「豊受(とようけ)」と呼ばれるようになり、その子孫が鯨海の徐家となった。アカテルメ(丹照瑪)はその末裔である。現在の当主は宇良豊鍬(うらとよくわ)である。徐姓を「宇良」に改めたのは六代当主の豊浦である。この改姓を機に一族は宇良を名乗り、読みも和風に改めたのだ。
アカテルメは丹場宇良家の娘だが、生まれは辰韓国の蘇志摩利(そしまり)である。だから、須佐人とは縁が深い。辰韓国には、徐福の長男フーヨン(福永)の末裔が暮らしていた。しかし、辰韓の徐家は四百年の間にすっかり零落してしまい、貧しいシャマン一族となっていた。そして、アカテルメの母も渡り巫女であった。その貧しい娘に恋をして娶ったのが、アカテルメの父である丹場のウライキツ(宇良活津)である。だから、巳魁奴の妻アカテルメは、辰韓国で生まれてツヌガ(津沼娥)の海で育ち、木の国に嫁いだのである。
アカテルメには双子の兄がいる。上の兄はウラヒコネ(宇良日子根)といい、下の兄はウラクスビ(宇良楠日)という。宇良日子根は長男なので丹場に留まっているが、宇良楠日はアカテルメに付き添い、木の国にやってきた。そして、巳魁奴の役に立とうと大勢の山師を連れてきた。そのお陰で、巳魁奴の木の国開発は順調である。
ヒムカの子育ては放任主義だが、育児方針はとても厳しい。猿田族の長となった伊襲狭の弟、佐田彦は十五歳になった。彼はトウマァ(投馬)国から伊波智のもとに送られ、東風茅之海で泥にまみれて修行中である。伊波智は優しく接するが、チバリは厳しい。「母上(ヒムカ)と同じくらい厳しい母様(チバリ)だ」と感じつつも、佐田彦はそこに母の温もりを感じていた。
唯一の心残りは、親友・仁武(じんむ)との別れである。仁武は巫女女王の息子でありながら実母を知らずに育った。共に陽気なサルメ(佐留女)に育てられた二人は、淋しさを感じたこともなく、兄弟のような絆で結ばれていた。
| ヒムカ(日向)の子供 | 子の父親 | 所属 |
| 長男:ソツヒコ(蘇津彦) | アソ(吾蘇) | ツソ(対蘇)国 |
| 次男:ミケヌ(巳魁奴) | キグマ(紀球磨)国 | |
| 三男:イツセ(伊襲狭) | ウズヒコ(宇津彦) | トウマァ(投馬)国 |
| 四男:サデヒコ(佐田彦) | シマヅ(志摩津)国 | |
| 長女:ウララ(翁蘭々) | ウラト(宇羅人) | ヨナパル(汰原) |
| 五男:サチヒコ(沙乳彦) | シマズ(志摩津)国 | |
| 次女:ミズハ(瑞波) | イハチ(伊波智) | シマヅ(志摩津)国 |
| 六男:シマヒコ(志摩彦) | シマヅ(志摩津)国 | |
| 三女:ナチメ(那智女) | クマノクシビ(熊野奇火) | エミシ(愛弥詩)国 |
| 七男:ウケノ(上毛野) | キグマ(紀球磨)国 | |
| 四女:ハマナ(破魔菜) | ヨサチ(善地) | アチュイモシリ(海国) |
| 八男:ヒコサシ(彦佐志) | カケノ(下毛野) | ヨサミ(依佐見)国 |
佐田彦の無二の親友ジンム(仁武)に騒動が起きていた。狗奴国のウガヤ王が、仁武をイナヒ(稲飯)姫の婿に迎え、後継者にすると宣言したのだ。姫は王と安曇の娘タマミ(玉海)の間に生まれた。九歳で母を亡くした姫は十四歳になっていた。安曇磯良の孫なので、彼女には青い海のような華やかさがある。
ウガヤ王は妻を亡くした翌年、ホオミ(火尾蛇)大将の娘ミカヨリ(美火依)姫を後妻に迎えた。十七歳の若妻と九歳の娘は姉妹のようであった。二年の後、可愛い弟ができた。名をヒミヒコ(火美日子)という。稲飯姫は年の離れた弟を溺愛した。南洋民はこの王子が王位を継ぐと期待を寄せた。王は兄の子である仁武を後継者に立てると主張しているが、その意向はすんなりとは受け入れられそうにはない。
依佐見国の建国から二年後、新たな黒潮の巫女女王が誕生する。名はティーラ(輝偉羅)。力爺と楼蘭の娘である。志摩津国を建国したばかりのヒムカは、遠く東風茅之海にいたが、ティーラの誕生を霊的に察知し、黒真珠の首飾りを贈った。それは、ヒムカの跡を継ぐ者の証であった。そして、ティーラは、黒潮の海をあまねく照らし出す存在へと成長していくのである。
~ 稜威母のタケル(猛流) ~
ヒムカの波動が、怒りに震える須佐人を包んだ。己が分身ともいうべき巫女女王ピミファの暗殺は、須佐人から正気を奪った。須佐人は倭国全軍に檄を飛ばし、稜威母と高志を根絶やしにすると宣告した。その怒りの凄まじさに、稜威母と高志の民は打ち震えた。その恐怖は、千年に一度の大嵐を迎えるに等しかった。
各族長たちも対応に翻弄された。稜威母急進派が徹底抗戦を息巻く一方で、元凶であるオクニとヘキを処罰し、その首を差し出して須佐人に謝罪しようという、腰の引けた族長たちもいた。しかし、そんな方策は何の役にも立つまいと、安曇磯良の名を継ぐ阿彦は確信していた。
須佐人を兄と仰いでいた阿彦には、女王暗殺が須佐人自身の脇腹を突き通す以上の蛮行であると分かっていた。ゆえに、討たれる覚悟はできていた。倭国の主力軍に対峙して勝てる見込みは皆無だったが、阿彦は曲がりなりにも鯨海の海人族を束ねる安曇磯良である。急進派には同調できずとも、自分を長と仰ぐ仲間を見捨てることはできない。そして、少しでも多くの命を救いたいと願っていた。
阿彦は連日、ムナカタ(宗潟)一族の美名方族長と談義を重ねた。美名方は五十二歳。過激に走る稜威母急進派は、事態を収束させるための相談相手にはなり得ない。皮肉にも、ピミファを襲撃したのはヘキに預けていた美名方の弓兵団であった。
美名方は須佐人の岳父でもある。娘のイスズ(五十鈴)が須佐人の三番目の妻であり、孫のアマラム(雨裸夢)は須佐人の娘である。そんな間柄ゆえ、弓兵団を差し向けたのが美名方の本意でないことは須佐人も承知していた。しかし、自身の兵が須佐人の怒りに火をつけたという事実に、美名方は深く沈んでいた。
ヘキの激しい気性を知らぬ美名方ではない。「なぜあの時、阿彦に相談しておかなかったのか」と悔恨に暮れていた。対するヘキは、いささかも豪気を失わず、むしろその闘志は燃え盛るばかりであった。一方、老境を迎えたオクニは思い悩んでいた。稜威母を思う心は人一倍強いが、その思いの強さが逆に災いを招いたのではないかと、陰鬱な宵闇に包まれていた。その心痛は体に異変をきたし、陽気な彼女を知る人々を不安にさせた。
丹場の沖を、白隼が疾風のごとく飛翔した。極北の猛禽がこの空を飛ぶのは珍しい。ツングース族には白隼を操る鳥使いがいるというが、周囲に人影はない。天が遣わしたのだろうか。急降下した白隼は海面をかすめ、再び天空へと舞い上がった。獲物を捕らえたのか、それが小鳥か魚かは、地上からは分からなかった。
鯨海を見下ろす崖は初冬の柔らかい光に照らされていた。風は身を切るように冷たい。独り海を眺めるサケミは苦悩していた。先代の安曇磯良ウズ(烏頭)からは、稜威母の未来を託されていた。しかし、急進派とオクニに存在を拒まれ、稜威母を追われた身である。それでも「稜威母を頼む」と血を吐く思いで旅立ったウズの顔が脳裏を離れない。サケミは、オカミノイリウミ(龍蛇乃入海)に身を沈める覚悟を固め、戦装束を整えた。
急進派を率いるイブシも、サケミが共に戦うというなら拒みはしないだろう。三十路に入り、威厳を増したサケミが陣営に加われば士気は高まる。阿彦とサケミは盟友であり、彼が倭国に戦いを挑むことに不思議はなかった。オクニも渋々ながらそれを受け入れるはずだ。しかしサケミもまた、かつて兄事した須佐人の力を知るがゆえに、稜威母の滅亡を覚悟していた。
今の須佐人は、阿人世界とも結び、鯨海の王と呼ぶのに相応しい威厳を備えている。高志のヘキと稜威母のオクニは、その逆鱗を剥ぎ取ったのだ。戦火を恐れた多くの民が、阿人国に逃れた。ドキョン(東犬)こと阿人国王チュプカセタ(蛛怖禍犬)は、各族長に避難民の受け入れを指示し、須佐人にもその旨を伝えた。須佐人は、阿人国にまで踏み込んで落人刈りはしないと明言した。五十二歳となり風格を増したチュプカセタと、美名方の二人だけが、須佐人の怒りを鎮められる唯一の希望であった。その冬、阿彦から相談を受けた美名方は、チュプカセタと密かに談議を重ねた。
深碧の葉が雪に覆われ、赤い花がいっそう華やいで見える。門をくぐると、幼い加賀女(かがじょ)が飛びついてきた。ここは堅固(けんこく)の館である。九歳になる姪の加賀女は、伯父のサケミを慕って離れない。「これ、伯父様は大事なお話があるのです。終わるまで奥で待っていなさい」と母の恵姫(けいき)が引き離そうとしたが、加賀女は強くしがみつく。「良い、加賀女ともしばらく会えなくなるかもしれん。今日はずっと一緒にいよう」とサケミがその頭を撫でた。
堅固は一瞬困った表情を浮かべたが「まぁ良いか」と、そのままサケミを奥へと導いた。ポチャンと落花の水音がした。目をやると池の上にも赤い花が咲いている。縁側の長い廊下を奥に進むと、にっこりと微笑んだ智淀多が立っていた。そして、「須佐人様がお待ちです」とサケミを奥の部屋に導いた。
奥の間には、須佐人と美名方が控えていた。そして長い密談が始まった。深夜、加賀女はサケミの膝の上で眠ってしまった。恵姫がそっと引き取りに来て寝所に連れて行った。それでも談議は夜明けまで続いた。サケミは苦渋の決断を迫られ、唸るばかりであった。
美名方が懸命に鯨海の安寧策を説き、堅固は朝の冷気を部屋に入れた。須佐人がふーっと息を吐き、冷気を胸いっぱいに吸い込むと、「もう良い」と美名方を制した。そして「この強情さゆえに、サケミは信頼に値する男なのだ」と微笑んだ。サケミは「決断がつかず、申し訳ございません」と深々と頭を下げた。
美名方は嘆息した。「やはり、阿彦の言うとおり頑固者よのう」と呟き、それから「これは言うまいと思っていたが、実はこの策を考えたのは阿彦なのじゃ。もちろん阿彦は安曇磯良じゃから、寝返るわけにはいかん。自分は抵抗勢力の先頭に立ち我らと戦う覚悟だ。そして敗れた後は、稜威母と高志の民を新しい安曇磯良に託すつもりじゃ。つまり、本来の安曇磯良に率いてもらいたいと願っているのさね。どうか、もう暫く考えてみてくれんかね」と言いながら立ち上がった。
初春、稜威母西岸に倭国の大艦隊が姿を現した。同時に、角鹿から兵を挙げたカガミ(蛇海)系の堅固族長は、龍蛇乃入海に軍を進めた。ここに再び、八十神系と蛇海系による稜威母の内乱が幕を開けた。挟み撃ちとなった急進派は阿彦に援軍を求めた。阿彦は高志の海軍を向かわせたが、高志部族の中でも美名方率いる宗潟族は動かなかった。堅固は龍蛇乃入海に陣を構えると、「正当な安曇磯良はサケミである」と全域に宣言した。そして、サケミは討伐軍の総大将として、オクニとイブシの前に立った。
サケミにこの決断を促したのは、母のハハキであった。対する八十神系の急進派は、正統性を主張するためにテンユウ(天雄)を擁立した。サケミとオウ(於宇)の息子である天雄も、安曇磯良の後継者であることは疑いようもない。しかし天雄はまだ十一歳である。その少年を戦火の前面に立てるのは、あまりにも愚かしい行いである。だが、追い詰められた彼らに冷静な判断を望むのは無理な話であった。
この親子対立に各族長は激しく動揺した。しかし「サケミが毅然と立てば、多くの族長がそれに従うだろう」という黄泉の巫女ハハキの神託もあり、戦乱を最小限に抑えるため、サケミに迷う余地はなかった。サケミが「我こそが安曇磯良なり」と宣言したことで、急進派は「賊軍」の汚名を着ることとなった。八十神系の族長の多くがサケミに帰順し、イブシらは高志への逃亡を余儀なくされた。各地で小さな戦闘は繰り広げられたが、大きな戦にはならず、秋には稜威母全域が新たな安曇磯良サケミの統括下に入った。オクニと天雄もまた、イブシと共に高志へと落ちていった。
稜威母を制圧した須佐人は、そこを「稜威母国」として再編した。それは単なる地域の名称から、倭国の制度を備えた国家への転換であった。個人としては自由を愛する須佐人だが、公人としてはピミファの遺志を継ぎ、中央集権による富国強兵を推進した。常に中華を念頭に置いた外交戦略である。

対して、中華の脅威を肌で感じていない鯨海の民や阿人たちは、日々の生活と自由を重んじていた。ズドーンと突き抜ける青空のような自由である。彼らにとって、中央集権という窮屈な仕組みは受け入れがたい。皆でワイワイガヤガヤと主張し合うことこそが、彼らの営みであった。剛直なイブシでさえ、無理に他者を従わせることはしない。激しい怒鳴り合いや殴り合いがあっても、最後は「手打ち」の酒宴で「先ほどはすまなかった」と笑い合う。そのために酒は神からの贈り物「神酒(おみき)」と呼ばれたのである。
かつての中華にもあったこの緩やかな社会性は、国家が形成されると、神の声が「天命」へと変貌し、その天命により「皇帝」を生み出すことで失われていった。つまり、神は「名もなき、壮大なお方」という気宇の世界から、人間界に降り立ったのである。その分、国民には不自由が強いられる。何しろ壮大な世界から、狭い人間界にその存在範囲を狭められたのだから、それは致し方ない。
そして、ここ鯨海沿岸の民もまた、「名もなき、壮大な神」を唯一な存在とする社会から、神の代理人たる王の配下となるかどうかの選択を迫られているのだから、ヘキやイブシの憤慨も理解できなくはない。彼らの統治はいわば直接民主制である。しかし直接民主制がその良さを発揮できるのは、数千までの単位である。つまり部族国家に留まる必要がある。それを超える規模の国政には、中華のような絶対王制か、あるいは倭国が目指す「同盟による統一」が必要である。この世界を担う者は、己を抑え、不自由な立場に身を置かねばならない。だから、自由快活な者には、それは耐えがたい苦行である。
須佐人はサケミを「稜威母猛流(いずものたける)」と改名させ、初代王に据えた。サケミが「己を殺せる男」であると、須佐人は見抜いたのである。猛流が王となったことで、長年の反勢力であった稜威母勢は、伊都国、ヤマァタイ国、狗奴国と並び、倭国を支える一大勢力に収まったのである。そのため、稜威母猛流に名を改めたサケミは、伊都国の儒理王、狗奴国のウガヤ王と並び立つ倭国の重鎮となった。
そして、高志は倭国における唯一の反勢力となった。その総大将の阿彦はサケミの転身に安堵し、ヘキは苛立ちを増した。しかし、倭国の勢いは止まらない。豪将イブシは、この劣勢な事態に怯むことなく、ヘキと共に騎馬隊の育成を急いだ。オクニはその「稜威母国」の様子を聞き「お前の父様は強い男になったものだ」と天雄の頭を撫でた。そして「お前は、その父様に生き写しだから強く賢い男になるだろう。もう何年か経てば、お前が父様、猛流を御せる唯一の男になるだろう」と目を細めて愛おしい孫の姿を眺めた。
イブシと阿彦は、海戦では勝ち目はないと悟り、拠点を内陸部に移し、陸戦で抵抗する戦術にでた。軍馬は阿彦の父の時代からピタ(斐太)で育てている。斐太の馬は、平原で育った馬より山間の起伏に富んだ地形に強い。そのため、山岳での遊撃戦に力を発揮するはずである。そういう戦局が描ければ、倭国も不用意に高志攻めを行うことはできない。したがって数年は持ちこたえる。阿彦は改めて墨子の兵法を学び直している。
晩秋、須佐人は新たな倭国の女王チュクムを稜威母に招いた。そして、猛流を夫に迎え、高志を鎮圧後は猛流を倭国の大首長に据えると皆に伝えた。このことは、伊都国の儒理王、ヤマァタイ国の香美妻女王、狗奴国のウガヤ王、さらに中ノ海の王に等しい盟友・秦鞍耳とも事前に相談していた。
須佐人はまだ四十三歳である。だから、まだ隠居になる歳ではない。しかし、本来は自由な交易商人である。国政に携わっていたのはピミファを支えるためであった。だから、ピミファ亡き今、須佐人は元の交易商人に戻るつもりでいる。もちろん、これからも倭国経済を支えていくことに変わりはない。だが国政を司るのは王たちに委ね、須佐人は自由な鯨海の海賊王に戻る。須佐人が描く夢は、鯨海沿岸を生息地とする倭人や、ウェイムォ(濊貊)、そして阿人が共に栄える自由商業圏である。それは、「鯨海共栄圏」とでも呼ぶのが相応しいかも知れない。覇権国家である帝国ではないので、自らが皇帝に収まるという野望は須佐人にはない。
雪が舞い降る龍蛇乃入海を眺め、チュクムが「ムォジ ウォアイ(莫知我哀)」と呟いた。猛流がその横顔を見つめ「寒いのか」と問いかける。チュクムの剣の師は倭人のバイ・ヤン(白羊)であったため言葉は通じたが、自分の繊細な思いを伝えるにはまだ語学力が足りない。だから、床に氷柱で絵地図を描き、「黄巾起義」と文字を書いた。それから、各地に「激烈的戦」と書き入れた。そして、最後に冀州の地に「我的女兒(わたしのむすめ)」と書き、それから東海上に「別離」と書いた。
猛流にも中華の文字は読める。だから、何となくチュクムの半生が垣間見えた気がした。猛流は鯨海の上に、「我的男兒(わたしのむすこ)」と書き、それから「別離」と書いた。チュクムは猛流の目を見て微笑んだ。きっとその人の悲しみは誰にも分からない。それはひとりひとりが背負っていくしかない。でもその重荷を分かち合える術はきっとあるはずだ。猛流はそう思い、チュクムの肩を抱いた。春になれば再び戦が始まる。阿彦はこの冬をどんな思いで過ごしているのだろうと、猛流は高志からの冷風に思いを寄せた。
~ 黒潮の蒼き蛇行 ~
帆柱の上に海鳥が止まった。そして一声「ギ~ァ」と大きく鳴いた。それから続々と群れなし、「キュイ、キュイ」「ギリッ、ギリッ」と騒がしい。洋上で一瞬静止した一羽が、急降下して海面に飛び込んだ。浮上した鳥の嘴(くちばし)には小魚が突き刺さっていた。それを合図に、次々と急降下が始まった。激しい飛沫で海面は白く覆われる。海の幸の饗宴が治まると、鳥たちは白い羽を広げて岸辺に向け飛び去っていった。ピンと張った尾羽が美しい。
海鳥が飛び去ると、上甲板から蒼き海原を見つめていたヒキグマ(日紀隈)が「潮(うしお)が唸っている」と呟いた。ドングリのような肌艶に白髪交じりの髭面を撫で、天を見上げる。その眼は雲の流れを追い、風を読んでいるようである。五十路半ばの大男だが、不思議なことに老齢を刻む皺が見当たらない。太鼓腹と同じように、皺が寄る隙もないほど肌が張っている。それに、海の陽に焼かれた肌とは思えぬほど若々しい。それは、四十路を過ぎても少女のような瑞々しさを保つヒムカにも通じる不思議さであった。
ヒムカが、甲板から岸辺の森を眺めながら尋ねた。「潮が唸ると、どうなるの?」「天に異変が生じる」と、日紀隈が短く答える。「それは、天災の予兆?」と重ねて尋ねる。「天の意思は風によって伝えられる。それが大地と海原を動かし、黄泉の火を燃え立たせる。そしてこの世のあらゆる生き物に活気を促す。だが、その荒ぶる力は時として人に災いももたらす。しかし、ただそれだけの事じゃ」日紀隈は穏やかに笑みを浮かべてヒムカを振り返った。笑うと目尻に皺が寄り、案外と愛らしい顔になる。
「風が変わるの?」とヒムカが重ねて問う。「そうかも知れんな。これまで倭国の風土は、北風、西風、南風の影響が強かった。北風はオロチ(大蛇)族を呼び寄せ、西風は中華の亡国民を招いた。そして南風はヒムカ様の民を導いた。そうして倭国の民が形作られた。だが、これからは東風が運ぶ民の力が増してくるのかも知れん」日紀隈はヒムカの目をまっすぐに見つめて答えた。
「東風が運ぶ民とは、どんな人?」ヒムカは東風茅之海の入り江を見据えて聞いた。「さぁ、分からん。日出る海原の先から人々が現れるとも思えんからのう。分からん。分からん。その時が来るまでは、誰にも分からんでのう」日紀隈は、木の国の深い森へと目をやった。
ここは、木の国の南の端にあるミムロ(魅牟婁)沖の東である。朝早くミムロ御嶽を離れ、一行は東風茅之海の流留無を目指している。黒潮に生きる日紀隈は、徐家の男である。ただし、筑紫之島の徐家ではなく、ヒムカの次男巳魁奴の妻アカテルメと同じ別系統の徐家である。
鯨海の徐家フォンショウ(豊受)一族が、徐福の四男フーショウ(福寿)を始祖とするのに対し、日紀隈の徐家は次男フーワン(福万)の流れを汲む。これを「黒潮の徐家」と呼ぶ。その十五代当主が日紀隈である。黒潮の徐家一族の勢力圏は、木の国から東風茅之海、さらにはその東にあるエトゥ(江杜)の地にまで及ぶ。そこは、阿人が暮らすアチュイモシリ(海国)の地でもある。
原初のアチュイモシリは、北方から渡ってきた狩猟民のツングース族と、南洋海人のクジラ捕りが共存し、鯨海沿岸で暮らしていた。しかし、中華からの亡国民が押し寄せると、先住民の彼らはピタ(斐太)やヨナパル(汰原)の山中へと生活域を移した。その後、東へ、あるいは南へと居住域を広げ、阿人がチュプアチュイ(天海)と呼ぶ大海に臨む地までたどり着いた。阿人の言葉で「チュプ」とは太陽と月を表す。太陽だけを表す場合はペケレ(明るい)チュプで、月だけを表す場合はクンネ(黒い・暗い・夜)チュプである。共に東方より顔を出す。したがって、この東海はチュプアチュイと呼ばれるのである。
アチュイモシリは、中華の国家とは社会の仕組みが根本から異なる。支配者としての長は存在せず、権力者としての首長や部族長もいない。倭人が村長だと思っている者は、集団の世話役や諍いごとの調停者に過ぎない。彼らの多くは森の精霊を祀る司祭やシャマンの役割を担っており、その立場は「神酒を司る酋長」と呼ぶに相応しいものだった。
日紀隈の妻は、アチュイモシリの阿人である。名をマキリ(麻霧)という。マキリの父は、江杜の酋長である。名をアプカ(阿父鹿)という。ポロモシリ(大国)の大首長アサマ(阿佐麻)は、中華からの移民国家である倭国の圧力を考慮し、国家の仕組みを緩やかに導入することで一族の自立を守ろうとした。それまでの阿人の社会はいわば無政府状態であり、組織的な戦いへの免疫力がなかった。よって、倭人の国家と面したポロモシリには避けられない選択であった。しかし、マキリやアプカが暮らすチュプアチュイ沿岸には、まだ倭人の脅威が及んでいない。そこには今も、権力に縛られない自由な暮らしが息づいていた。
アプカは優れた狩猟民であり、優秀なシャマンでもあった。自然の営みは理屈では収まらない。だからこそ、風に従い、大地の色や匂いに五感を研ぎ澄まして流動的に生きる。彼らにとって、中華的な「国家」という概念は理解しがたいものだった。アプカが唯一、国家的な社会性を垣間見たのは、黒潮の徐家との関わりにおいてのみである。徐家は、人が生み出した「国家」と、自然崇拝に基づく「自然社会」の両方に精通していた。だから、阿人の社会を真に知る倭人は徐家のみである。
日紀隈の叔父は、アワ(粟)国水軍の頭領である。日紀隈も幼い頃からキイノウミ(木伊海)で鍛えられて育った。叔父の名は、木の国のコダマ(狐魂)という。黒潮の徐家十三代当主は、ククリ(菊理)という女当主であった。日紀隈の祖母ちゃんである。祖父ちゃんは南洋海人で、キムウンクル(山の民)の一族だったが、若くして漁の最中に亡くなった。ククリ祖母ちゃんは女手一つで二人の息子を育て上げ、兄のキダマ(紀魂)に十四代当主を継がせると、自らは孫の日紀隈を連れて、弟の狐魂の許へ身を寄せた。そのため、日紀隈は徐家の方術師であると同時に、黒潮の海人としても卓越した才を持つようになった。
彼は優れた水先案内人でもあった。ヒムカが伊依島の復興に乗り出し、黒潮漁船団を率いていた頃、日紀隈は四十一歳という円熟期にいた。叔父の狐魂の仲介でヒムカと出会った彼は、ヒムカ水軍の水先案内人に任じられた。。ヒムカは武力を行使しないため「海軍」とは呼ばないが、実質的に日紀隈は海軍大将のような地位にある。彼の存在がヒムカの東方開発を支え、阿人との共存を円滑に進める鍵となった。これは、須佐人の「荒ぶる東征」とは対極にある手法だった。
族弟の力爺を初代王として依佐見国を建国したヒムカは、その翌年、次男の巳魁奴を王に据え、木の国にキグマ(紀球磨)国を建国した。西岸の港町ミンタラ(珉多良)は、黒潮の徐家が開いた街である。ここを国都とし、南端のミムロ(魅牟婁)に御嶽を設けた。そしてまだ二十四歳の巳魁奴を支えるため、日紀隈が後見人となった。
「木の国」とは広大な地域を表す呼び名である。そのため、縄張りや国境のような明確な線引きはない。おおよその範囲は、西の木伊海と東の東風茅之海に挟まれた大きな半島である。鬱蒼とした森に覆われた半島なので木の国と呼ぶのである。したがって人間の王や統治者はいない。そこを治める王がいるとすれば、それは森の神様である。その神様の領域の中に、人間が住まう小さな国を造ったのである。だから、紀球磨国は木の国の海辺周辺をその国域としている。森の中にも人々は暮らしているが、そこは依然として無政府状態である。ヒムカは、あえてそこに分け入り人間の国を広げようとは思っていない。ヒムカの望みは、黒潮の民が安寧に暮らせる国造りである。そのために生活の基盤を安定させる拠点作りを進めているのである。

ヒムカの国造りは面積を広げるのではなく、点として広がっていく特徴がある。それは、ヒムカの一族が農耕民ではなく海洋民であることの反映である。倭国の中核国であるヤマァタイ国は、中華の国々と同じように農耕の国家である。したがって広大な国土を求める。しかし、海洋国家が必要とするのは、安心して寄港出来る港町である。そして、そこは食糧や水、旅に必要な物資が集積する町である。だから、紀球磨国は海洋都市国家とでも呼ぶべき所である。
先に開いた依佐見国は、農耕の国家である。だから、穀物などの食料はそこに頼っている。そのため、紀球磨国に求めているのは、船舶を作る木材や、山の幸、森の幸の補給基地であった。あるいは、東へ開発を進めるための中継基地の役割である。狗奴国から依佐見国、そして紀球磨。さらには東風茅之海から江杜へと、南洋海人の生活域を広げていくのである。
紀球磨国が建国された頃、江杜の地には日紀隈の長男、クマノクシビ(熊野奇火)が駐在していた。彼は黒潮の徐家十六代を継ぐ男である。母のマキリはアチュイモシリの阿人であり、祖父は江杜のアプカ酋長なので、彼にとってそこは異郷ではなかった。だが、母は彼が十六歳になった年に流行り病で亡くなってしまう。父の日紀隈は三十五歳の男盛りであり多忙を極めていた。そこで翌年、叔父で粟国水軍頭領の狐魂は、自分の次女シラハエ(白南風)を半ば強引に日紀隈の後妻とした。しかし、継母となったシラハエは奇火よりわずか一歳年上である。だから、少年だった奇火にとって、彼女は母というより「不意に現れた姉」のような存在で、母を亡くした淋しさは消えなかった。
シラハエは才覚ある徐家の女で、家政を見事に切り盛りし、黒潮の徐家はさらに栄えた。やがて異母妹のナチン(那秦)とナーシー(娜汐)が生まれる。ナチンは後に紀球磨国王の巳魁奴の妻となったので、今は紀球磨国の王妃である。巳魁奴の母はヒムカであるため、一族の血縁は非常に濃く、複雑に絡み合っていく。熊野奇火自身もまた、後にヒムカの五番目の夫となる運命にあった。
熊野奇火は、十九歳の時に最初の妻を娶る。その妻は、継母シラハエの妹アナジ(乾風)であった。大叔父の四女であり、血縁上は父の従妹、そして義理の叔母にあたる。だが、叔母とはいってもアナジは、その時十六歳の乙女であった。しかし、アナジは結婚から二年後、十八歳の若さで大嵐の犠牲となってしまう。その嵐はヤマァタイ国を襲い、ピミファ女王が復興のために立ち上がったあの大嵐である。子を授かる前に幼妻を亡くした奇火は、アナジの面影を追い続け、三十歳を過ぎるまで独り身を貫いた。
しかし、黒潮徐家の後継を望む日紀隈は、独り身に戻っていたヒムカの許へ、息子の奇火を五番目の夫として送り込んだ。この婚姻は東方開発に活気を与え、勢力圏は江兎の岬辺りまで広がった。奇火は水先案内人として江杜に駐在し、そこにはヒムカとの間に授かった四歳の娘ナチメ(那智女)と三歳の息子ウケノ(上毛野)がいた。ヒムカは上毛野を産むと、熊野奇火の許を離れ、さらなる東方開発に突き進んでいった。
男やもめになった息子に、日紀隈は亡きアナジの姉で三十四歳になるナライ(倣風)を送り込んだ。ナライは若くして嫁いでいたが、十数年経っても子を孕まないので実家に帰されていた。子宝には恵まれなかったが、十三代当主ククリの再来と謳われるほどの才女であり、彼女が上毛野の養育を担うこととなった。

紀球磨国の建国から三年後、ヒムカは熊野奇火を王として、江杜の地にエミシ(愛弥詩)国を建国した。その前々年には、東風茅之海周辺に志摩津国も誕生していた。その初代王は流留無の伊波智である。本貫の狗奴国から、依佐見国、紀球磨国、志摩津国、そして愛弥詩国。この五国が、ヒムカの「黒潮王国」となった。
ヒムカは、その生涯で七人の夫と、十二人の子供達を儲けることになる。ヒムカは太陽であり月である。七人の夫は風であり、十二人の子供達は大地と大海になるだろう。だから、黒潮の民が作る国々がチュプアチュイに抱かれているのは自然の摂理だ。阿人と交じり合った黒潮の民は、「チュプアチュイ一族」と呼ぶのが良いかもしれない。
愛弥詩国王女の那智女は七歳になった。その容姿はヒムカに生き写しで、褐色の肌は「南洋の黒真珠」と称えられる輝きを放っている。彼女は今、母と共に黒潮の海を北上していた。狗奴国のセーファウタキ(斎場御嶽)で大祓を行い、依佐見国のダバウタキ(駄場御嶽)、紀球磨国のミムロウタキ(魅牟婁御嶽)、志摩津国のイセウタキ(伊勢御嶽)と、各地で初夏の神事を行ってきた。そして今、愛弥詩国に戻る船上である。
船は、ヒムカが娘のために新造した「天乃磐船(あまのいわふね)」である。口之津や坊之津、そして建設中のイブリ(胆振)の津など、海流の交差点に位置する造船所の技術が結集された快速船である。かつての戦さ船とは異なり、軽く、速い。名付けに興味のないヒムカは、歴代の王の船をすべて「天乃磐船」と呼んでいたが、この船だけは人々から「那智女の黒船」と呼ばれていた。
東風茅之海に差し掛かった頃、突風が船を叩いた。上甲板にいた那智女は、傾いた甲板から海に投げ出されてしまう。そこへ忽然と現れた大魚が、彼女を飲み込んでしまった。暗い大魚の腹の中で、那智女は微かな灯りを見つけた。それは不思議な光を放つ「珠」であった。その光の中には、那智女より少し年上の少女が浮かんでいる。少女は良家の娘のようで、金銀財宝に囲まれていた。しかしその周囲では戦が絶えず、民は飢え、子供たちが泣きながら売られていく。少女は、周囲の財宝を次々と食べ物に変え、飢えた民に施していった。そのため財宝は消え、少女も飢えた民と同じくみすぼらしい姿になっていく。しかし、乞食のような姿になっても少女は笑みを絶やさず、その姿はいよいよ光輝いて見えた。
那智女はその珠を手に取り、飲み込んだ。すると、大魚が口を開き、彼女は蒼き海中へ躍り出た。海は光に満ち、泡立つ白波が磯へと打ち寄せる。那智女が辿り着いた磯は、黒き珠で覆い尽くされていた。横たわる彼女の前に、一頭の大きな熊が現れる。黒い毛並みに白い三日月模様がある。雌の月之輪熊であった。熊は那智女を優しく口に加えると、そのまま山道へと消えていった。
日紀隈が慌てて手勢を出し、小舟を出そうとする。しかし、ヒムカはそれを制した。「森の神が連れて行ったようね。三月の後には戻ってくるわ。それまで、ここ待ちましょう」日紀隈は動きを止め、「上陸の手配を変えよ。この黒き珠の浜に、仮の宮を建てる」と命を下した。
~ 乳房哀しき 稜威母の海 ~
険しい崖の上にカモシカの親子がいる。背にはうっすらと雪が積もっている。その急峻な崖の下では、急流が音を立てて人の往来を拒んでいた。また静かに雪が舞い始めた。今年の冬は訪れが早いようだ。もうすぐ峠も雪に閉ざされることだろう。
ここは、ピタ(斐太)からアズミ(安曇)に至る唯一の道である。しかし、それは獣道に等しい。そのため、雪のない夏でさえこの峠を越えようとする者は少ない。まして、道を覆う瓦礫が氷の刃となるこの時期に人影は絶えて久しい。
胸を押さえてオクニ(尾六合)は後ろを振り返った。しかし、そこにはかつての陽(ひ)のように輝く彼女の笑顔はない。息を切らし、峠を仰ぎ見ると、逞しくなった孫の天雄(てんゆう)の背があった。その背を追って、オクニはまた険しい道を歩み始めた。
愛娘の忘れ形見、天雄は十四歳になった。もう大人の仲間入りである。容姿は亡き母オウ(於宇)の面影が濃く優しいが、その気風は父のサケミに生き写しであった。今、サケミは稜威母猛流(いずものたける)と名を改め、鯨海の覇者の道を歩んでいる。そして親子は今や敵味方となり、相争う関係にあった。
「バァバ、大丈夫か。おぶってやろうか」と天雄が振り返り、オクニを気遣った。「大丈夫、大丈夫。何のこれしき。私はまだ四十路の気丈者だよ」とオクニは天雄に笑顔を向けた。どんなに難儀な事態でも、オクニの笑顔は人を元気にする。それが陽を司る火の巫女、オクニの特性であった。しかし、気丈を誇っても来年には五十路を迎える。この難所は、彼女の身体に大きな負担を強いていた。それでも皆を心配させまいと振る舞うのが、オクニの気性であった。
倭国軍の猛攻に押された稜威母急進派と阿彦の高志軍は、二手に分かれて退却戦を行っていた。高志軍の半数はヘキが率いてヌナカワ(渟名河)へ退き、残る半数は阿彦が率いてイブシ軍と共に斐太に退いた。その斐太で騎馬隊を強化し粘り強く倭国軍を退けていたが、一年を経て、倭国軍の先陣に女王チュクム自らが立った。チュクムは前年にカズラギヒメ(葛城媛)を産み、産後の肥立ちを終えたばかりであった。だが、そこは戦場の巫女である。数々の激戦を乗り越えてきた女王の登場に、阿彦とイブシの軍は一気に劣勢となった。
騎馬戦において、倭国でチュクムに勝る者はいない。さらにその騎馬隊を率いるのは、チュクムの剣の師であり守り刀でもあるバイ・ヤン(白羊)である。ヤン(羊)は前年、教母マー・チャーホァ(馬茶花)が率いる第一次亡命群とともに倭国に辿り着いていた。二人は夫婦となり、チュクムを支えている。さらに先頃、ジャン・リンシン(張林杏)が第二次亡命群を率いてヤマァタイ国に着いた。美しき女軍師リンシン(林杏)は、生き残ったチュクムの千人隊を伴っていた。歴戦の青洲黄巾軍が加わったことで、倭軍の戦力は一気に増強された。それでも阿彦とイブシは善戦したが、リンシン率いる軍勢には抗う術がなかった。晩秋、劣勢を挽回するために奇襲を仕掛けたが、稀代の軍師リンシンには通じず、逆に阿彦は生け捕りとなった。総大将が捕らえられると、連合軍は総崩れとなった。そして今、辛うじてイブシと少数の残党だけが、この峠を越えようとしている。
渟名河のヘキが率いる軍も、須佐人が率いる倭国海軍の猛攻に耐えきれず安曇へ退いていた。安曇は、阿人王チュプカセタと宗潟一族の美名方が、須佐人と不戦の盟約を結んだ地である。だから、この峠の先には安住の地が約束されている。そのため、残党たちは決死の覚悟で峠越えを試みていた。一行の中には家族も多い。牛馬も通れぬ難所ゆえ、足腰の弱い老人や幼子の中には、足を踏み外し谷底に落ちる者も出た。さらに雪が舞い始め、悴(かじか)む身体に危険度はさらに増す。その道行(みちゆき)は、まるで苦行を重ねる行者の旅のようであった。
隈笹が生い茂り、道幅は獣道のように狭くなった。やや平坦な地に出たところで、オクニは行列を止めさせた。幼子たちは疲労し、涙も枯れ果てている。隈笹は数年に一度、麦に似た「野麦」と呼ばれる実をつける。飢饉の際には飢えを凌ぐ糧となるが、今は実はなく、ただの笹の葉である。粉にすれば薬草にはなるが、衰弱した幼子の命を繋ぐには心許なかった。
この行列の案内役は、丹場の真純(ますみ)の手下である。真純の父は、斐太の族長ケマハ(毛馬伯)であった。ケマハは阿人族の中では穏健派であり、阿彦の父パク・ヨンオ(朴延烏)とは盟友関係にあった。そのため、真純の妹ピリカ(斐梨花)は阿彦の妻となっている。つまり真純は阿彦の義兄であった。ゆえに、表立って倭軍と敵対せずとも、密かに阿彦を支援していたのである。今の斐太の首長は弟の真弥(まさや)だが、兄の真男(まさお)はホニヒ(穂煮火)の娘アワミ(沫美)を妻とし、アイミ(藍実)で首長をしていた。藍実は、斐太から東風茅之海の畔、流留無に至る山間の地である。その道程はこの峠に比べれば随分と楽だが、流留無は須佐人の姉ヒムカの影響下、いわば敵地であった。オクニたちはヒムカの治世を知らない。しかし、荒ぶる鯨海の海賊王、須佐人の姉である。弟よりは穏やかな気性であっても、危険地帯であることに変わりはない。したがって、安住の地は安曇しかないと思われた。
だが、安曇まで辿り着けそうな者は半数にも満たない。そこでオクニは危険を承知で真男を頼り、藍実に向かう決断をした。イブシは「姉様を危険に晒す位なら、稜威母に引き返して討ち死にする」と猛反対したが、オクニは根気強く諭した。「お前は八十神系稜威母族の長だ。元気な民を率いて安曇に逃れ、ヘキと合流し機会を待つのだ。私は弱った民と藍実に下る。民の精気が回復すれば、流留無に下り、東風茅之海を回り込み、東から安曇に向かうから案ずるな」オクニには微かな希望があった。それは、かつてピミファ女王が、ヒムカを姉と慕って楽しそうに語ってくれた遠い日の思い出である。だから、ヒムカに慈悲を期待したのである。「バァバは私が守る」という天雄の言葉もあり、一行は峠の手前で二手に分かれた。
ワォ~と遠くで狼が吠えた。山道に長い影が伸び、日暮れが迫る。しかし歩みを止めるわけにはいかない。この寒さの中、野宿をすれば弱った者たちは耐えられないだろう。オクニが目を凝らすと、三頭の狼の親子がいた。オクニが「私等を守れ」と念じると、雌狼は短くウォンと鳴いて応えた。狼の気配を感じ、山の魔物は身を潜めている。
夜半、一行はようやく藍実の近くまで降りてきた。先方に篝火が揺れている。真純の手下の知らせを受けた真男が、道々に火を焚いて待っていたのだ。真男の館で肩の荷を下ろすと、オクニは雌狼に鶏を一羽与えた。狼の親子も空腹を満たしたようである。翌朝、藍実は白い霧に包まれていた。朝霧が晴れると、渓流沿いに平地が広がる穏やかな村の全容が見えた。しかしここは森の民の土地である。真男たち阿人は森の民なので山々が暮らしの糧を恵んでくれるが、稲の民である稜威母の人々が末永く暮らすには狭すぎた。そこでオクニは流留無まで下ることを決める。真男の手勢が護衛に就くことになり、道中の不安は消えた。
潮の香りが漂い、カモメの鳴き声が聞こえてきた。“嗚呼~ やっぱり海の風は心地がよい”オクニは久しぶりに安堵を覚えた。東風茅之海は冬でも穏やかで、早い春が訪れたかのような錯覚に襲われた。疲労の限界に達していた民も、故郷と同じ潮の匂いに包まれて精気が戻ってきた。しかし、真男が訪ねたイハチ(伊波智)は、流留無にはいなかった。黒潮の女王ヒムカは周辺を開拓し倭人の国を開いていた。名を志摩津国と言う。その倭人国の初代国王となったのが、まつろわぬ者カシケ(火斯気)の忘れ形見、伊波智である。志摩津国の国都は、東風茅之海の西岸の中程にあるポルポロ(浦留保呂)である。そのため頼る伊波智は、浦留保呂にいた。
流留無で束の間、精気を養った一行は、浦留保呂に向かった。初冬を迎えていたが東風茅之海の暖かさに触れ、皆から亡国民の哀れさは消えていった。浦留保呂に着くと真男は、同じ阿人の血を引く旧知の伊波智に仔細を話し、庇護を求めた。彼は倭人と阿人の戦いの中で苦労して育った男である。伊波智は快くオクニ一行を受け入れた。これで稜威母の亡国民は一時の安堵を得た。しかし、謁見を期待していた黒潮の巫女女王に出会うことは叶わなかった。ヒムカは、さらに東方のチュプアチュイの地で開拓を広げている。さらにこの年、ヒムカは七番目の夫との間に子を儲けていた。
ヒムカには七人の夫と十二人の子がいる。地浦留保呂では、ウララ(翁蘭々)、サチヒコ(沙乳彦)、ミズハ(瑞波)、シマヒコ(志摩彦)の四人が育っていた。翁蘭々と沙乳彦は十三歳と十二歳となり、父はイヨノシマ(伊依島)を開拓したウラト(宇羅人)である。宇羅人はクド(狗奴)国に住むマハン(馬韓)人だが、チョゴ(肖古)王に迫害される同胞を見かね馬韓国に渡った。そして馬韓国の戦場で散った。瑞波と志摩彦は九歳と八歳で、父は伊波智である。
ヒムカの侍女であったチバリ(智鍼)が、自身の二人の子イセヤ(伊勢夜)とイタラ(伊多良)を含め、六人の子を育てている。伊勢夜は六歳で、伊多良姫は三歳である。王妃チバリの生気に溢れた姿を、オクニは呆れつつも羨ましく思った。滞在中の世話は、このチバリが細やかに引き受けてくれた。王妃チバリ自身は亡国の辛酸をなめていないが、父イチミ(壱未)と母ソイラは、狗奴国の反乱の際に国を追われた経験を持つ。その苦労人・壱未は、このところ体調を崩し寝込んでいるが、妻ソイラは健在である。そのため、母ソイラの助言を受け、一行への心遣いは細やかで不自由を感じさせることはなかった。
朝日の照り返りが波頭を煌めかした。初冬の海だが、“稜威母の海とは随分肌合いが違うものだ”と天雄は心を和ませた。稜威母亡国民の安住の地は定まらないが、ひと冬をこの地で暮らすことになった。今日はそのお返しに、天雄は子守を買って出た。父のいない彼は、幼い頃から独り釣り糸を垂れているのが遊びであった。沫裸党の血をひく男である。天性の釣り人であることに不思議はない。十四歳の天雄は子供たちの中で最年長であり、皆は彼を兄のように慕った。天雄は十四歳とは思えないほど大きく逞しいが、気が優しい。だから、三歳の伊多良姫はまとわりついて離れようとしない。姉の伊勢夜姫はその様子が羨ましそうである。十二歳の沙乳彦は、釣りの心得を会得しようと真剣な表情である。瑞波は遠くから眩しそうに天雄を眺めている。
志摩彦の竿がしなった。「引け!!」天雄が短く叫んだ。八歳の志摩彦はわけがわからないまま竿を引いた。それから翁蘭々が駆け寄り、一緒に竿を引いた。「ゆっくり後ろに下がって」と天雄が静かに声をかける。姉弟はゆっくりと砂浜を後ずさる。すると白い小魚が浜に引き上げられてきた。「おう、白ギスだな。そいつぁ、とても美味しいぞ」と天雄が志摩彦に声をかける。白ギスの美しさに、志摩彦の顔に笑顔が弾けた。瑞波が負けん気の強い顔で波間を睨んだ。すると瑞波の竿にも白ギスの幸が宿った。今度は沙乳彦兄ちゃんが手伝っている。それから子供たちは、次々と白ギスを釣り上げた。まだ竿が使えない三歳の伊多良姫も、無邪気に流木の枝を振り回している。その見えない糸先には、きっと天を揺るがすほどの大物がかかっている気配がする。
やがて、遠くまで竿を投げていた天雄にも当たりが来た。天雄が釣り上げたのは一抱えもあるマガレイである。伊多良姫が「おう」と驚き叫んだ。そして、子供たちを見守るお供の衆も手を叩いてその漁獲を称えた。帰りは、夕焼けにも負けない子供たちの自慢げな笑顔が、初冬の東風茅之海に照り映えた。今夜は海の幸のご馳走である。
志摩津国の半数の民は南洋海人であり、残りの半数は先住民の阿人である。だから、彼らは稜威母亡国民に寛容であった。そのため、ここに留まりたいと願う者も現れた。旅は夢と悲哀の両方を併せ持つ。どう感じるかは、人それぞれの置かれた状況で違ってくる。望郷の念が癒えず流浪の旅だと思う者。追われた国を“捨てた国だ”と思い諦め、“新天地を目指す旅だ”と思う者。老いた者には前者が多く、若者は果敢に前を向いて進む後者の旅の道である。
オクニは迷っていた。予定の通りに安曇を目指すのか。それとも新天地を開き、新たな陽の巫女の国を建てるのか。安曇にはヘキとイブシの「倭国にまつろわぬ者」の一群が待っているが、決して勝てる戦ではない。稜威母の若人(わこうど)にそのような苦難を強いてよいものか。陽の巫女であるオクニは、恨みの念は悲しみしかもたらさないと知っていた。そして、若人には若人の新しい稜威母を産み出してやれぬものかと悩んでいるのである。
その悩みを理解してくれたのは、伊波智王であった。火斯気は、まつろわぬ者としての誇りに命を懸け討たれた。その父を誇りに思っているが、民を生かす道を常に考えてきた。だからオクニの思いは、我が心に等しく感じられた。そして伊波智は「新しい稜威母」を建てるようにオクニに助言し、その新天地も指し示してくれた。それは木の国の北、浦留保呂から西に山を越えたところにあるという。阿人はそこを「カパラ」と呼んでいるそうである。カパラとは「平ら」という意味である。どうやら盆地のようである。さらにその盆地は湖を湛えているらしい。そして、湖畔には山の民である阿人の集落も点在しているが、湖畔の湿地は未開拓だということであった。稲の民である稜威母の民にとっては。新天地となろうということであった。オクニは伊波智の助言に感謝し、それに従うことにした。

早春、オクニ一行はカパラ(華羽羅)盆地へと旅立った。いくつかの峠を越えての旅だが、斐太から安曇に越えようとした峠に比べれば、それほど険しいものではなかった。一つ一つの峠に名はなく、山の民はその街道そのものを「シウニンの道」と呼んでいる。盆地から西に延びる道ということらしい。春雨に打たれての旅だったが、難儀は強いられなかった。そして途中、山の村々で宿を借り、三日目には華羽羅盆地に辿り着いた。
オクニは最後の大きな峠を「シウニン(紫雨忍)峠」と呼ぶことにした。紫雨忍峠を下ると、広い平野の先には青い湖面を湛えた淡水の海が見えた。山の民はアオミと呼んでいるそうである。阿人の言い伝えでは、大昔はアハウミ(淡海)と同じくらいの大きさだったそうだが、今は半分の広さにまで小さくなったという。さらにはその西の端から渓谷が落ち、チヌノウミ(茅渟之海)へと至るそうである。
アオミ湖の畔に仮屋を建て終わると、稜威母の民は早々に稲田を作り始めた。山の民の助けも得て、秋には最初の実りに恵まれた。そして稲刈りが終わると、民は本格的に住居を作り始めた。柱にする木々は、稲と交換に山の民から切り出し運んでもらった。そうやって冬の訪れを前に、三百戸ほどの「小さな稜威母」が姿を現した。
うたた寝を重ねて、オクニは遅い目覚めを迎えた。庭の木々はもう秋映えに華やいでいる。ジョウビタキが、青い空を背にヒッヒッ、カッカッと冬の訪れを告げて鳴いた。枕が濡れている。きっと夢を見ていたのだろう。“嗚呼~稜威母の海が見たい”と老いた胸を郷愁が襲った。最近、時折胸の痛みが襲ってくる。そして乳房のしこりも増した。“そろそろ神様がお呼びだ”近頃オクニはそう感じるようになった。
彼女は小さな稜威母を天雄に託し、稜威母に帰ろうと考え始めていた。その考えを周囲に漏らすと、年寄りたちの中から「共に稜威母へ帰ろう」という者が現れた。オクニは密かにサケミに密使を送った。稜威母の猛流王となったサケミは「オウが母様の帰りを待っています」と便りをよこした。
オクニは、胸躍らせ旅支度の手配を始めた。まず、山の民に旅の守り人を相談した。山の民は「木の国の狐魂(こだま)」と呼ばれる長老を紹介してくれた。彼は阿人王チュプカセタとも旧知の仲であり、稜威母亡国民に対して親しみを持ってくれた。狐魂は、アワ(粟)水軍の頭領であるが、七十五歳の高齢なので、今は娘婿のセト(勢斗)が頭領を担っている。
セト頭領はオクニと同じく五十路を歩み始めたので、次代の頭領を養成中である。その頭領見習いは長女のスズメ(海雀)である。女頭領スズメは二十六歳だが、まだ独り身であり、補佐役は弟のアヤト(彪人)が務めている。アヤトは二十五歳で、この春に妻を娶った。だから姉のスズメもそろそろ婿探しを始めているが、勝気なスズメは「良妻賢母」などには興味がないので焦りはない。セトは、粟水軍頭領の実践訓練を兼ね、スズメ姉弟に稜威母行きを命じた。
群青の夜が静かに忍び寄る。波は穏やかに浜に打ち寄せる。月光が水平線から明かりの一路を作る。ここは、チヌノウミ(茅渟海)を臨む浜辺である。オクニは天雄の手を引き、砂浜に腰を下ろした。そして「私は稜威母に帰る」と告げた。天雄は驚き、「バァバ、死ぬのか」とオクニを見つめた。“稜威母に帰れば、父に捕らえられ死罪になるだろう”と天雄は危惧したのだ。
オクニは「半分外れで、半分当たりだ」と微笑んで天雄を見つめた。それから仔細を話し、“刑死にはならないが病状は芳しくなく、命が尽きるのも近い”と、愛しい孫の手を撫で語り聞かせた。天雄はうつむき、言葉を詰まらせた。オクニはさらに言葉を重ねた「お前は十五になった。春になれば十六だから、もう立派な一人前の男だ。だから独りでも生きていける。だが、お前は八十神系稜威母族の長じゃから、独りではない。お前は皆を導き守らねばいかん。それがお前の生きる役目だ。バァバは、稜威母の海を見て旅立ちたいのさ。だから、この小さな稜威母はお前に託す。バァバの最後の頼みだ。聞いてくれないか」オクニが天雄の手を握り締めると、天雄はうなだれたままコクリと頷いた。
オクニが華羽羅盆地から茅渟之海の浜辺まで降りてきたのは、この話をするためだけではない。天雄を粟水軍のセト頭領に引き合わせるのが目的であった。粟水軍の頭領は黒潮の徐家である。さらには紀球磨国の重鎮とも繋がりがある。彼らと誼(よしみ)を結ぶことは、華羽羅盆地に起こした小さな稜威母の安寧を担保する。オクニは天雄と稜威母の民の行く末を考え、黒潮の徐家との交誼を図ったのである。このオクニの布石は、後に倭国の姿を大きく変えていくことになる。しかし今は、オクニも天雄も、そして稜威母の民もまだそのことを知らない。
初春、スズメ率いる十艘の船団が稜威母へと旅立った。オクニの評判を知る中ノ海の海人は、一目見ようと行く先々に集まった。戦犯とはいえ、その美貌と名は倭国中に知れ渡っていた。
中ノ海の王に等しい倭国の大首長、秦鞍耳は、中ノ海四ヶ国にオクニ一行に最良の接遇を行うよう命じていた。秦鞍耳自身は、須佐人に代わり倭国の国政を担っている。そのため、オクニとの再会は叶わなかったが、彼女の接遇を最優先するよう命じ、陰ながらその道中を見守った。
春の憂鬱が稜威母の海に漂った。“サケミにどう謝ろう。オウはあの世で悲しんでいるだろうか”船団が鯨海に入ると、オクニの胸は不安で騒いだ。オカミノイリウミ(龍蛇乃入海)の西岸、飫宇(おう)の入海の浜では、ハハキが出迎えてくれた。オクニは彼女に預けられ、穏やかな時を過ごした。翌年の初冬、「姉様、私は幸せでした」と微笑み、オクニは静かに息を引き取った。オクニの波乱に飛んだ苦難の人生を知るハハキは、泣き笑いを浮かべ、彼女を神様の許へ帰した。
磯ゆかば 稜威母恋しや 波までも 童戯れ 乳房哀しき
稜威母のオクニは、最後まで可愛い女だった。
陽かげり 乳房哀しき 菊枕 稜威母良きかな アサン(阿蒜)が眠る
ハハキは、アサンの隣にオクニを眠らせた。
~ 熊の国の日巫女 ~
黒衣が揺れる。雨音は轟音を響かせ、鈴の音が鳴く。月は赤黒く、下弦のみが月光を放つ。波は群青の浜を洗い、悠久の時を刻む。巫女たちは裳裾(もすそ)を濡らし、豊穣を祈る。木の国の神々は集い、激しき胎動を祝福する。
ここは、阿人が暮らす地域「アチュイモシリ(海国)」の森である。この時代、倭国の西南部には倭人が、東北部には阿人が多く暮らしていた。倭人は中華の沿岸部から移り住み、阿人は北方の地から移り住んだ民である。また、倭国の南岸には南洋の海洋民が移り住み、大きくはこの三つの民が倭国に住まう民の祖であった。そして、数百年を経ると混じり合い、新たに倭国の民が生まれた。大雑把な括りだが、この三つの混血種族を「阿倭人」と呼ぼう。そして、この地アチュイモシリには、その阿倭人が多く暮らしていた。
北の「メアンモシリ(寒国)」は今でも阿人が多く、阿人王チュプカセタの拠点もその北方にある。チヌノウミ(茅渟之海)の東からは、阿人が「ポッケモシリ(暖国)」と呼ぶ温暖な地が広がり、アチュイモシリと合わせて倭国のほぼ中央部を占める。したがって混血種族である阿倭人の生活圏も、自ずとこの地となる。
ここエトゥ(江杜)は、その東側の果てである。江杜に暮らす阿倭人族の酋長は、アプカ(阿父鹿)という。その娘マキリ(麻霧)は、黒潮の徐家十五代当主のヒキグマ(日紀隈)を夫とした。二人の間に生まれた息子がクマノクシビ(熊野奇火)である。熊野奇火はヒムカの夫の一人となり、ナチメ(那智女)が誕生した。那智女は母ヒムカの生き写しといわれ、褐色の肌を持つことから「黒真珠」の愛称で呼ばれた。黒衣に包まれた黒真珠は、深淵から神秘的な光を放つ。それは新たな日巫女の胎動を神託しているかのようであった。
木の国は、熊の王国である。そこには、黒熊と黄熊、そして赤熊が棲んでいる。黒熊は胸の辺りに三日月状の白い毛があるため、。倭人は「月之輪熊」と呼ぶ。黄熊と赤熊は同じ種類であるが、毛色の濃さで呼び分けられる。倭人はその毛色から「緋熊」とも呼んだ。
いずれにしても、熊は森の王であり、神々の最上の眷属である。その熊の王国の沖合を「天乃磐船(あまのいわふね)」が航行していく。南洋海民の巫女女王親子の乗る大型帆船である。親子は黒潮の海を北上していた。クド(狗奴)国のセーファウタキ(斎場御嶽)から始まり、エミシ(愛弥詩)国のメラウタキ(布良御嶽)を目指す旅である。
五番目の黒潮国である愛弥詩国を建国したヒムカは、七歳になった那智女に初夏の大祓(おおはらえ)を執り行わせながら、黒潮五国を巡っている。四番目のイセウタキ(伊勢御嶽)での儀式を終え、今は志摩津国の国都ポルポロ(浦留保呂)を目指している。そしてルルム(流留無)を巡幸し、帰途に就く予定である。この旅は、那智女が次期の南洋海民の巫女女王であることを知らしめる旅でもあった。
倭国には、三人の大巫女がいる。しかし、大巫女すべてが巫女女王というわけではない。北の大巫女ハハキも、南の大巫女ニヌファも、女王という王権には関わりを持っていない。倭の大巫女だけが、倭国女王として巫女女王を担ってきた。それは、沫裸党のミルカシヒメ(美留橿姫)から始まる。漢王朝の末期、中華で情勢が不安定になると、倭人はその危機感から国の統一を図った。その要として頂いたのが美留橿姫であった。その地位は、孫娘のミソノ(美曽野)へ、さらに尹家の戦場の巫女ピミファ女王へと受け継がれた。しかし、ピミファ女王が暗殺された後は、倭の大巫女は不在である。新たな倭国女王となったチュクムは、まさに戦場の女王であり、民を慰撫する大巫女とはなり難い。民は、稜威母猛流(いずものたける)とチュクム女王との間に生まれた二歳の葛城媛(いずものたける)に期待を寄せている。
葛城媛は北の大巫女ハハキの孫娘でもあり、気性は父の猛流に似ていると噂されていた。中華の古代においては、民の総意を象徴する王を理想とし、それを王道と呼んだ。しかし、多種多様な民をまとめる大国は「王道楽土」とはなり難い。そこで始皇帝は法家を重んじ、国権による統治を行った。これを覇道と呼ぶ。漢王朝への対抗から起こった倭国の統一国家も、それを学んでいるがゆえに覇道である。その視点からすれば、戦場の巫女女王であるチュクムは、まさに適任であった。しかし、南洋海民の巫女女王ヒムカが思い描く国造りは違っていた。那智女に求める道は、民の総意を象徴する女王である。つまり王道を歩んでほしいと思っている。それを黒潮国の民が望むかは、声なき大いなる天の意志としての民意によって決まるのである。
初夏の風がアユチノウミ(東風茅之海)を春霞で包んだ。筑紫之島の春霞は中華からの砂塵で引き起こされるものが多いが、この地の春霞は黒潮の水蒸気がもたらす。ゆえに初夏に多く現れる。その霞んだ白藍(しらあい)の洋上に、突風が舞い起こった。大きく傾いた上甲板から、那智女が海に投げ出された。そこへ大魚が現れ、那智女を飲み込んでしまった。程なく海中から青き光が立ち上り、海面は泡立ち、大波となって浜に打ち寄せた。浜は黒石で満たされ、緑の光が輝いている。その浜に那智女が横たわると、不意に現れた雌の月之輪熊が彼女を口に銜(くわ)え、熊の王国へと運び去った。日紀隈が急ぎ救出に向かおうとしたが、ヒムカがそれを止めた。那智女は神に呼ばれたのである。それは木々の神々でり、あの緋熊は熊の王であろう。
熊の王が小川に沿って森の奥へと分け入る。そこは神々の庭、阿人が「カムイコタン」と呼ぶ聖域であった。仮死状態の那智女は微動だにしない。そこへ熊の長老達が集まり、七歳の幼子を「フムフム」と品定めし始めた。カムイコタンは奇岩が立ち並び、激流が流れ落ちる、中華の神仙世界のような場所である。熊の長老たちが去ると、次は梟(ふくろう)の長老、続いて鹿、兎の長老たちが降りてきた。最後に川から「カムイチェプ」が跳ね上がった。それは魚の神様である。そうして木の国の神々の品定めが終わると、熊の王は那智女に森の魂魄を吹き込み、彼女を蘇らせた。それから、大鷲の神カパッチリカムイが天高く舞い上がり、日巫女の降臨を告げると、天界の神々は「初潮と共に日巫女に目覚める」と裁断した。したがって那智女の魂は十二歳で羽化し、ウカノミタマ(宇迦之御魂)を宿すことになったのである。その神託は「カンナカムイ」の稲光と雷鳴によって、木の国中に轟き渡った。
息を吹き返した那智女の傍らでは、五色の若熊たちが子守をしていた。元気な雄の「黒熊」。穏やかな雌の「濃藍(こいあい)熊」。黄土色の毛と、赤茶色の毛の二頭はとても大きく力も強そうである。中でも緋熊は腕白者のようで鼻息も荒い。そして、共に雄熊である。白藍の毛をもつ雌熊は、春霞が作り出した蜃気楼のように実体が薄い。もしかするとこの白熊は幻影かも知れない。なぎ倒された草木や川辺で跳ねる水しぶきから、実体を持つのは黒熊、青熊、黄熊、赤熊の四頭だと思われた。彼らは熊の国の日巫女・那智女の眷属となるのであろう。
夏の強い日差しは木々の葉で和らぎ、熱風は激流の波しぶきが涼風へと変える。五色の若熊は五色のミケ(神饌)を運び、那智女の精気を奮い起こしていく。そして三つの月齢を経て、熊の王は日巫女の蛹を、黒珠の浜へと戻した。浜には日紀隈が仮屋を設け、待ち構えていた。ヒムカは既に狗奴国に戻り、政務に追われている。那智女は祖父の日紀隈に導かれ、志摩津国の浦留保呂から流留無へと巡幸し、父の待つ愛弥詩国へと帰還した。
アサギマダラ(浅葱斑)が群れをなし、天乃磐船に伴走するように洋上を舞う。その旅する蝶をぼんやり眺める大男がいた。日焼けした赤黒い顔に、癖毛の長い髪を風になびかせている。その髪もまた赤黒い。南洋海人の血が濃いのだろうか。父のクマト(熊人)と母のテルハ(照波)は黒髪である。妹のテルミ(項照美)も弟のツキグマ(月球磨)とホシグマ(星球磨)の髪の色も黒である。曾祖父のアチャ爺やハク(伯)爺も白髪になるまでは黒髪であった。しかし、曾祖母のウルルが赤毛の巻き毛であった。ウルルは南洋美人でハク爺の妻である。したがって、この肌の色と赤毛は隔世遺伝、いわば「先祖返り」である。だから、ヒグマ(日球磨)は、先祖返りである。それも深緋(こきあけ)の毛をした緋熊のごとき男であった。
熊人は、この赤子が生まれると、「緋熊のような赤子だ」と大喜びし、日球磨と名付けた。古老たちから『先祖返りは稀人(まれびと)だ』と聞かされると、世継ぎとして家に縛り付けず、早くから他家へ修行に出した。“きっとこいつは項家を次の世界に導く男だろう。そのためには大いなる旅路を歩める足腰を鍛えてやらねばならない”そんな親心である。熊人は、かつて自分だけがピミファ姉ぇ様と旅立ちできなかった悔しさを、息子には味わせたくなかった。だから、日球磨には自由な道を歩ませたかったのである。そして、修行に出した他家とは、親友ハイト(隼人)の田家であった。
隼人は、熊人と同じくピミファ女王の側近として倭国軍の重臣となった。そのため田家の当主は、老骨に鞭打ちつつも父のアタテル(阿多照)が頑張っていた。阿多照はヒムカに頼まれ、黒潮漁労団を率いている。そこで熊人は、日球磨が十二歳になると阿多照の黒潮漁労団に入れた。それから二年間、鯨捕りに明け暮れさせた。
ピミファ女王が暗殺され稜威母東征が起きると、鯨捕りから呼び寄せ、倭国陸軍に入れ稜威母に連れて行った。その時、日球磨は十五歳になっていた。大男で怪力なのでどの兵士よりも強かったが、熊人は息子を一平卒とした。“こいつは一介の武人では治まるまい。東征もまた修行。これが終われば、次の修行に出してやろう”との思いである。
そして今、二十四歳となった日球磨は、愛弥詩国の客分である。あるいは傭兵隊長という方が似つかわしい。稜威母東征が終わっても、熊人は日球磨を倭国陸軍に留めなかった。幾度も激戦を戦い抜き、武人の誉れも高かったが“こいつは自分で道を開く奴だ”と自分が果たせなかった夢を託しているのである。
そこで倭国の陸海軍から精鋭を募り傭兵部隊を作ると、その隊長に据えた。そしてヒムカの許へ預けた。ヒムカは熊人のやりように呆れながらも快く受け入れ、黒潮諸国の治安に当たらせた。母の気風を受け継いだ日球磨は、外交に長けていた。母の照波はリ(李)氏の娘である。その開祖リ・アルピョン(李閼平)の教えは『自然を人間の手で制するのではなく、自然の法則(道)を受け入れながら、自然の中で共生して暮らす道を歩め』であった。その家訓は新天地の開墾だけでなく、人と人の関係でも生かされた。だから、李氏の一族には王佐の才を謳われる者が多い。日球磨は武勇に優れているので、自信に満ちた覇気を見せれば、兵は喜んで付いてくるだろう。だが、彼は自我を抑え、真摯に自然の道を歩んだ。その姿に、兵ばかりではなく多くの民が敬意を払った。そのため、先住の民である阿人や阿倭人からの信頼も厚かった。そこでヒムカは、先年より那智女の護衛隊長を託している。
山々に春雷が轟いた。天乃磐船はアワキド(阿波岐門)に入った。春風が那智女の長い髪を北西になびかせた。船上では船乗りたちが駆け回り、バタバタと帆が降りてくる。さらに、浅藍(あさあい)の空から帆綱を伝い、快活な美少年が降ってきた。少年は日球磨に駆け寄り「ヒィ兄、迎えの艀(はしけ)が来るぞ」と伝えた。兄と呼んだが、この美少年は実の弟ではない。日球磨の実の弟は月球磨と星球磨である。そしてこの美少年の歳は二人の弟の間である。十六歳の美少年の名はデンオウ(田横)と言う。隼人の次男坊である。
田横の実の兄はアタウミ(阿多海)といい、日球磨と同じ歳であり二人は親友である。因みに田横には一つ年上の姉がおり、ナギメ(凪女)という。兄の阿多海は倭国海軍に入隊し、稜威母東征にも従軍した。熊人が次男の月球磨を跡取りとしたのとは違い、隼人は長男の阿多海を跡取りとした。共通しているのは、項一門の要としての宗家を娘の項照美とし、同じく田家の宗家を凪女とした点である。だから、田横は日球磨と同じように家門には縛られていない。
しかし、田横は阿多照祖父ちゃんの許で黒潮漁労団に入り汗を流してきた。それは十二歳の時だった。十五歳になった時に、阿多照祖父ちゃんは愛する孫をさらに鍛え上げるため、日球磨の傭兵団に入れた。その時に、兄の阿多海は風魔退治の剣「風凪の剣」を贈り、姉の凪女からは風呼びの玉「緑碧の風玉」を贈られた。だから、腰には「風凪の剣」を刺し、胸には「緑碧の風玉」を帯びている。
この風玉は嵐が近づくとその芯が光る。だから人々はそれを鬼火と呼んで敬った。どうやらその火はキ(鬼)国の不知火と同類のようである。阿多照祖父ちゃんの剣は黄金色に輝く銅剣であるが、阿多海が稜威母で造らせた「風凪の剣」は鉄剣である。不思議なことに、この鉄剣は海水を浴びても錆びることがない。人々は黄泉の力が宿っているからだというが、その真相は分からない。いずれにしても、この二つの宝は美少年田横に相応しい。
帆を下ろした天乃磐船は、十六丁の艪で進んでいく。田横はその一つを上手に漕いでいる。これも阿多照祖父ちゃんが仕込んだ技である。もう一つ、祖父ちゃんの直伝がある。それは陽気な舟歌である。春の穏やかなアワキミ(阿波岐海)に田横の美声が響き渡った。そうして国都クルリ(久留里)の港が間近に迫ってきた。
阿波岐海の風に乗り、山からひらひらと青い蝶が水辺に降りてきた。全体には黒い翅だが、中に青緑のきれいな条(すじ)がある。縹(はなだ)色にも見えるが、露草色のようでもある。どうやら光り加減で微妙に色が違って見えるようだ。人の心と同じで移ろう装いなのであろう。艶やかな蝶である。ククリ(菊理)が国都の丘から、ひらひらと駆けてくる。正確には二代目菊理である。この娘は黒潮の徐家を背負う運命にある。そして、那智女と同じまだ十二歳の少女である。
那智女と菊理の関係はやや複雑である。菊理の父は那智女の異父兄である。したがって二人は叔母と姪の関係である。しかし、母のナチン(那秦)は那智女の父の妹である。だから二人は従姉妹でもある。同じ年に生まれた奇遇も重なり、二人は深い絆で結ばれていた。
菊理はキグマ(紀球磨)国の王女なので、国都のミンタラ(珉多良)に住んでいるはずだが、今は愛弥詩国の国都・久留里で暮らしている。しかし、仲良しの那智女と遊ぶためだけではない。初代菊理は黒潮の徐家十三代当主であった。孫娘に菊理と命名したのは十五代当主の日紀隈祖父ちゃんである。つまり菊理は生まれた時から、黒潮の徐家を率いると定められたのである。そのために十六代当主の熊野奇火から方術士の技を学んでいる。
方術は巫女にも通じるものがあるが、巫女が神様から選ばれるのに対し、方術士は人間の学問で磨かれる。だからひたすら学ばなければいけない。そのため、勉強嫌いでは徐家の当主にはなれない。医学に始まり神仙学まで、学ぶべきことは目が回るほどにある。その努力の山は蓬莱山の高さに匹敵する。そこで学び疲れたのか、菊理はひらひらと山から舞い降りた。遠くで銅鑼が響いた。そして那智女の気配が漂ってきた。「うん」とうなずいた菊理は、跳ねるように港に向かって駈け出したのである。
狗奴国の夜に、少し湿り気を含んだ夜風が暖かく吹く。黒漆色の天頂を見上げると、北天に七つ星が輝いている。若い母親は幼子をやさしく包み込み、「ねぇヒミヒコ。あそこに柄杓のような形をした七つの星があるでしょう。見えるかしら?」と聞いた。「七つの星? 見えないなぁ」と男の子は首を傾げ、春の夜空を見上げた。「えっ?! あんなに明るい七つ星なのに……? ねぇ~見えないの。良く見てよ。ほらあそこよ」と若い母親は不安を含んだ声で尋ねた。母を困らせているのを察した十歳児は、「うむ~??? 柄杓の形をした八つの星なら見えるけど………」と申し訳なさそうな声で答えた。「えっ?! ヒミヒコには輔星(そえぼし)が見えていたの。すごい!! 目が良いのね」母親は弾む声で幼子を強く抱き寄せた。
母の名はミカヨリ(美火依)姫。黒潮の民の英雄ホオミ大将と、高木の神の巫女ナカツ(那加妻)の娘である。そしてここは商都ツマ(都萬)である。王はヒミヒコ(火美彦)の父ウガヤであるが、三十九歳の若さであるにも関わらず院政を敷いている。実質的な王権は、甥で娘婿のジンム(仁武)に担わせている。そのため国都ハイグスク(南城)で政務をこなしているのは仁武太子であり、それを補佐しているのは火美彦の姉である。だからウガヤ王は、ヒムカの留守を預かりナカングスク(中城)に居を構えているのである。美火依姫はセーファウタキ(斎場御嶽)の主である。姫は高木の神の巫女であるが、ホオミ大将の娘なので黒潮の火の巫女の血が流れている。だから黒潮の女王ヒムカの御嶽を守る適任者であった。
稜威母東征の年、ウガヤ王は、異母兄タケル(健)の息子をトウマァ(投馬)国より呼び戻し、十四歳になった娘の夫に迎えた。そして、狗奴国の後継者にすると宣言した。ホオリ(山幸)王の孫である仁武が狗奴国の王になることは何の問題もない。しかし、ウガヤ王には世継ぎの火美彦が生まれたばかりであった。そのために不穏な火種が残った。タケルを慕うニシグスク(北城)の民は仁武王の誕生に心弾ませたが、黒潮の民が多いナカングスク(中城)では不満が蓄積していた。さらに火美彦は成長するにつれ、ホオミ大将を彷彿とさせる器量を見せ始めた。だから、その黒熊のごとき強靭な存在に、南洋海人の多くが秘かな期待を寄せていた。
火美彦は、仁武兄ちゃんが大好きである。イナヒヒメ(稲飯姫)は異母弟より一回り年上なので、母親に近い愛情を弟に注いだ。だから火美彦は、稲飯姫に対して母に抱く気持ちと同じ思いを持っている。ゆえに、幼い頃より頻繁に王都ハイグスク(南城)に出向いた。その稲飯姫は十八歳の時に懐妊したが死産となり、子を孕まなくなった。だからその分も増して、火美彦を我が子のように慈しんだ。
ウガヤ王の父ホオリ(山幸)王には三人の妻がいた。徐家のチル(知流)姫はタケルを産み、安曇族のトヨミ(豊海)姫はウガヤを産んだ。そして襲族(そぞく)のアサラ(吾佐羅)姫は、イナサガ(稲狭賀)とミズヌマワケ(水沼別)の二男子を産んだ。つまり四人の異母兄弟である。
仁武の父も、ピミファと別れた後に高志のヘキ姫を妻とし、オキナメ(沖那女)とオキノナアガ(翁之拿阿蛇)という子をなした。そして仁武も、子を孕まぬ稲飯姫に代わり、世継ぎを産む新しい妻を迎えていた。それは高木の神の娘アヒラ(吾比良)姫である。父は、投馬国のヒコミミ(日子耳)である。火美彦と同じホオミ大将の孫である。
吾比良姫は仁武の長子タギシミミ(田垠美海)を産んだ。火美彦は十歳年下の弟ができたことを大喜びし、ますますハイグスク(南城)に出向く回数が増えた。後のことではあるが、タギシミミは乳離れが済むと王妃・稲飯姫の許で育つことになる。つまりウガヤ王は、狗奴国の王統に不満が生まれぬよう配慮を行ったのである。そして、火美彦にも不満はない。火美彦もまた、稀人の神の子なのである。
稜威母のオカミノイリウミ(龍蛇乃入海)から春の風が渡ってくる。うららかな野にはベニシジミ(紅小灰蝶)が楚々として舞っている。その傍らを少し頼りなげにヒメシロチョウ(姫白蝶)が飛んでいる。山から下りてきたのだろうか、この平地の野には珍しい蝶である。その白蝶を追いかけ、陽だまりの中を駆けてゆく幼子がいる。七歳のその娘は、チュクム女王と、今は稜威母猛流と称するサケミの娘・葛城媛である。つまり倭国の王女であるが、この娘は数奇な運命を背負い生きていくことになる。そして、この娘こそが那智女の五色の雲と呼ばれる、白熊の神の化身であった。
| 那智女の五色の雲(彩雲・瑞雲・吉兆) | |||||
| 五雲 | 青雲 | 黄雲 | 赤雲 | 白雲 | 黒雲 |
| 五熊 | 青熊 (月之輪熊) | 黄熊 (鬼熊) | 赤熊 (緋熊) | 白熊 (神の熊) | 黒熊 (月之輪熊) |
| 五家 | 黒潮の徐家 | 田家 | 項家 | 尹家 | 秦家 |
| 五国 | 紀球磨国 | 依佐見国 | 愛弥詩国 | 志摩津国 | 狗奴国 |
| 人物 | 菊理 | 田横 | 日球磨 | 葛城媛 | 火美彦 |
メラウタキ(布良御嶽)の森に、荘厳な翅を広げ黒い蝶が舞った。黒漆色の中に瑠璃色の光が鏤(ちりば)められ、後翅には赤い斑点がある。それはさながら黒潮の巫女の装いである。今年は暖流が、何かを告げているのだろうか? 例年になく初夏から暑い。「新しい風が吹き始めた」と那智女は額の汗を拭いながら、夏空を見上げた。
⇒ ⇒ ⇒ 『第2巻《自由の国》第11部 ~ 日没する処の魔王 ~』へ続く



