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第七回 光影 〜 無邪気な猿は太陽を創る(その7)

竜崎エル

出身地:山と田んぼの町

My favorite
小説:アルジャーノンに花束を
漫画:金色のガッシュ!!
映画:ローマの休日
音楽:Don’t stop me now

どうか駄文を読んでみて下さい。

第七回 光影 〜 無邪気な猿は太陽を創る(その7)

 神は死んだ。神ですら時の流れに逆らうことはできず、成長を続ける人の知恵によって、その存在を過去の遺物へと引き下げられていた。もう人々の心に信仰心はない。人間関係に追われ、勉学に追われ、仕事に追われ、金に追われ、それどころではなかった。今では、大昔に村近くの山に建てられた二つの神社に参る者など誰一人としていなかった。昔は、人が来なくても権力者のおかげで神社の生計が成り立っていた。彼らは民を支配するために神を利用していたのだ。その対価として、彼らは金と供物を神社に供えたが、権力と信仰の衰退により神社は孤立してしまった。今では人が来ない以上、収入源のお賽銭と祈願料が途絶えてしまい、神社は廃れる他なかった。さらに悲しいことに、人々の頭から神社の正式な名前は消え去っていた。東北側に建てられた神社は鳩が集まることから鳩神社と呼ばれ、南西側に建てられた神社は鴉が集まることから鴉神社と呼ばれ、人々の中で区別されていた。

「今日も鴉しかいません…」

「そうか。」

「そうかじゃないですよ!何か考えましょうよ、神主!」

「んー。」

現状を危惧している弟子にいくら圧をかけられようとも、しきたりを重んじてきた神主には大きな変化を起こす勇気のようなものはなかった。今日も誰一人鴉神社に足を運ぶ者はいなかった。

 一方その頃、鳩神社でも同じ問題に頭を悩まされていた。今日も変わらず境内では、宮司の跡取り息子が鳩に餌をやっている。すると、後ろからほのかに線香の匂いを漂わせながら宮司が近づいてきた。
「今日も鳩しかいませんか。」

「はい。」

「そうですか。」

宮司は切なそうに鳩が飛び立つのを見た後、話を続けた。

「私は引退します。」

「え!」

「私たちは時代の変化に付いて行けず、過去に取り残された。伝統と文化を守るために変化を嫌ったが、この選択は逆に伝統と文化を滅ぼすことになってしまいました。」
「まだ間に合いますよ!」

「その通りです。今なら間に合います。」

「なら、辞めなくても…」

「私のような古い人間では変えられません。駄目なんです。時代は常に新しい風を待ち望んでいるのだから。」

 一か月後、鴉神社では朝から仕事をすっぽかして弟子がどこかへ姿を消した。神主は終に一人になる時が来たと、この状況をすぐに受け入れた。いつもと変わらず丁寧に掃除をし、神に祈りを捧げた。怒りや悲しみや寂しさは微塵もない。

 日が沈み始めた頃、鴉の鳴き声と共に数百段ある階段に汗を垂らしながら弟子が戻って

きた。

「神主!大変です!」

慌ただしい弟子の声に神主はすぐに駆け付けた。

「何事か?」

「鳩神社に参拝の列ができておりました!」

「…」

神主は驚きのあまり言葉を失った。そんな神主の事など気にも留めず、弟子は自らが得た情報を伝えた。

 二日前、いつも通り弟子が階段の掃除をしていると一人の男が息を切らせながら階段を上ってきた。弟子は愛想よく挨拶をした。男は挨拶に応え、一段一段弟子へと近づき、弟子の二段下で足を止めた。

「ここの神社でもこれ買えますか?」

「…」

男が見せてきた紙切れがあまりに斬新で革新的過ぎて、弟子は雷に打たれた。弟子の脳みそは一瞬フリーズしたが、すぐに再起動し、慌てて答えた。

「買えません。」

「そうですか…」

弟子の言葉を聞いた男は、参拝もせず寂しそうに階段を下っていった。その後ろ姿を見つめながら弟子は黙考した。男の姿が見えなくなる頃には、あれが如何に素晴らしい発明かを理解した。

 翌日、弟子は二つの悩みに頭を抱えた。一つ目は神主に昨日の事を伝えるかどうか。二つ目はあの革新的なアイディアが問題を解決しているのかどうか。その日、弟子は全く仕事に集中することが出来なかった。寝る間際、弟子はようやく自分の好奇心が抑えられるものではないと素直に認めた。そして、神主に伝えるのはそれを確認してからの方が良いと判断した。

 弟子は日が出る前から鳩神社を目指した。朝霧の中、睫毛を濡らしながら山を下る。太陽が弧を描き昇る間、弟子は山の裾野を、大きな弧を描きながら走った。弟子の求めた答えは鳩神社の鳥居をくぐる前に出た。同じように枯れていたはずの鳩神社の姿はどこにもなく、輝くほど潤っていた。弟子は軽くもあり、重くもある足を前へ前へ進めた。鳥居から少し離れた森の中には新時代の風が流れていた。鳩神社始まって以来の最年少宮司が誕生し、その宮司が発案した御神籤と呼ばれるものが人々を魅了していた。

「邪道な!」

話を聞いた神主は一喝した。しかし、弟子は食い下がる。

「それは違います!邪道ではなく、変化です!」

いつもは冷静な神主も今日だけは心が乱れた。

「神に仕える者が胡散臭い商売など言語道断!なんと醜い!」

「彼らは決して金のためにやってなどいません。それに御神籤は胡散臭いものではありません。緻密に考えられたもので、人々に愛されるべくして愛されています。御神籤は賽銭箱に入れる小銭と同じ料金で買うことが出来ますが、本当のことを言えばもっと高値で売ることだって出来るはずです。それだけの価値がある。しかし、彼らはそうしなかった。なぜなら、彼らの目的は金儲けではなく、神の復活と信仰心の再構築だからです。実際、御神籤目当ての人がほとんどでしたが、彼らはもれなく参拝を正しくしていきました。」

弟子がいくら説明しても神主は自分の考えを曲げず、認めようとはしなかった。この神主の態度に終に弟子の良心が弾ける。何としてでも相手を捻じ伏せようと容赦なく神主を責め立てた。

「この神社は時の流れではなく、無謀なあなたに滅ぼされるのだ!あなたは神を見殺しにするんだ!」

「…」

神主は提灯のように顔を赤らめたまま何も言い返すことが出来なくなった。その顔を見た弟子は頭の血管が破裂するのではないかと思い、クールダウンした。二人の間の沈黙が徐々に神主のオーバーヒートした頭を冷やしていく。そして、一つの答えが導かれた。

 鴉神社でも御神籤を始めた。しかし、弟子の予想に反して鴉神社の御神籤が売れることはなかった。その原因は二番煎じの他にも神社の立地とイメージがあった。鴉神社は鳩神社に比べて山の上の方にあり、大量の鴉が巣食っていたことから不気味がられ気味悪がれていたのだ。変化を受け入れたにも関わらず、何も変わらなかった。

 あの日、神主は自ら弟子に立場を譲った。長年に亘り染み込んだ考えや価値観は簡単に取り払えるものではなかった。それまで神主は神が滅びることは仕方なし。むしろ共に滅ぶことが出来るのは喜ばしい宿命だと信じていた。しかし、鳩神社の回復で自分の考えや行動が否定されることになった以上、選ばざるを得なかった。神の復活か神殺しか。神への忠誠心がゆえに、神主は前者を選んだ。そうして、元神主は自分の最後の選択が正しかったのかを見定めた。結果は大不正解。元神主は自らを責めるようにして鴉神社から消えた。それ以降誰も元神主の姿を見たものはいなかった。

 弟子は鴉神社の神主となり、一人抗い続けた。成功への道のりがまったく見えない暗闇の中、孤独が神主を際へ際へと追い詰めた。限界まで負のエネルギーを溜め込んだ神主は終に境地に達する。今までの負のエネルギーが全て体外へ放出され、名案が閃いた。

 とある噂が鳩神社の宮司の耳に入る。危惧の念を抱いた宮司はすぐさま鴉神社へ足を運んだ。宮司は綺麗な白装束を乱すことなく、数百段の階段を上る。するとそこには、手入れの行き届いていない荒れ果てた鴉神社が目に入った。枯れ葉が散乱し、草木は生えっぱなしで、千木、鰹木にひびが入り、建物はボロボロになっていた。

「すいません!どなたかいらっしゃいますか?」

シーンとした空間に宮司の声が響き渡る。返事はなかった。しばらく待ってみてもまったく人の気配を感じない。噂は何かの間違いだったと思い、帰ろうとした時、

「パキパキ!ジャッジャ!」

拝殿後ろの森の中から足音が聞こえた。その後、目の前に黒装束の男が現れた。二人の目が合う。 「すいません、鴉神社のお方ですか?」

「はい。神主をしております。」

宮司は異様な雰囲気を醸し出す神主に驚いた。対して神主は、急に神道界の風雲児がいることに驚いた。お見合いのような空気が流れたが、宮司は愚直に話を聞くことにした。

「この神社はまだやってらっしゃるのでしょうか?」

「はい。あなたのおかげで。なんとか細々とやっていけるようになりました。」

「私のおかげ?」

「ええ。あなたが新時代を切り開いた。だからこそ、この鴉神社も新しく変わることが出来た!」

宮司は草臥れた姿の鴉神社と神主の言葉のギャップに違和感を覚えた。

「新しくとは?」

「私も同じように可視化できるようにしたのです!」

その言葉だけで、宮司は噂が事実だと察した。この神主は自分とは真逆の方に注目したのだと。

 数か月前、父親の思いを託された宮司はまず時の流れと共に人間がどのように変化したかについて考えた。

 大昔は完璧な個人主義の時代。そこから集団主義の時代へ移ろい、現在は集団内での個人主義時代だと結論付けた。集団を大切にしながらも自分に重きを置いている時代。つまり、今の人たちは全員共通の教えや心構えが欲しいのではなく、一人一人違った言葉が欲しいのだと思い至った。

 さらに、いつの時代の人々も未来に興味があり、思いを募らせる。未来への不安を取り除くことには価値がある。この二つと神とをうまく組み合わせ、可視化できるようにすれば、神社の現状を変えられると宮司は思った。

 そこで作られたのが御神籤である。人々の未来の状態を運勢と呼ばれるもので表現した。さらに、今まで受け継がれてきた教えや心構えを噛み砕き、簡潔なものへ変換した。そして最後に、どの御神籤に当たるかは運任せにした。

 すると、宮司の読み通り人々は御神籤に心惹かれた。神は目に見えぬ存在だからこそ、人々は同じ人間である宮司から言われる言葉よりも御神籤に書かれた言葉の方が神の言葉であると感じやすかった。また、自分の未来が運任せなのも神を強く感じさせた。

 人々の心の中に神が戻ったことで新たな相乗効果が生まれた。御神籤を引く前に神に祈ることで未来の幸せを人々は欲した。御神籤の運勢が良ければ神に祈り、幸せの継続を望んだ。御神籤の運勢が悪ければ神に祈り、自らの疚しさを正すことを誓った。おかげさまで御神籤を安くした分だけのお金は賽銭箱のお金で十分に賄えた。

 一方、神主は人間が自分の未来だけでなく、他人の未来にも興味があることに着目した。人は無意識的にも意識的にも自らの幸せを願い、他人の不幸を望む。人間が閉じ込めてきた怨みを可視化することには価値があると考えた。そして、他人の未来に干渉することが神の力でできるならば、神社の現状を変えられると神主は思った。

 そこで作ったのが呪いの藁人形である。

 ある夜、神主は村を訪問し、憎しみを宿した人間を探した。ほとんどの人間が聞く耳を持たなかったが、酔っぱらった一人の女が喰いついてきた。女は酒の力で思い人が友人に獲ら

れた事を忘れようとしていた。

「それは辛かったろう。思い人に裏切られ、友人にも裏切られ…」

「そーなのよ。」

「これをあなたに。お代は効果があれば鴉神社に持ってきてくれ!」

呪いの藁人形を見た女は少しだけ酔いが醒めた。

「なにこれ?」

「この藁人形に呪いたい相手を思い浮かべながら釘を打つと相手に不幸が訪れる!」

「は?そんなわけないでしょ?」

「信じるも信じないも、やるもやらないもあなたの自由。ただ、もしあなたが理不尽に傷つけられたのならば、藁人形を使えばいい。酔うよりも心が晴れる。あとは、神が正しい罰を与えて下さる。」

神主の言葉を信じたわけではないが、女は憂さ晴らしに藁人形に釘を打ち付けた。確かに少しだけ心が軽くなったような気分だった。

 一粒の種を蒔いた神主は鴉神社でその時が来るのを信じて待ち続けた。そして、予想よりも早くあの女と再会した。それからはぽつりぽつりと鴉神社を参拝し、藁人形を買っていく人々が増え始めた。藁人形は御神籤とは違い高値で売った。しかし、鴉神社を修築することはなかった。今の雰囲気の方が、人々を魅了すると神主は考えた。

「これからは如何にして神を使っていくかの時代ですよ!」

「あなたは素晴らしい発見をしたかもしれないが、やり方を間違えています!あなたは神を穢している!」

「私はそうは思いません!人々の傷ついた心を癒しているのです。あなたも知っているでしょ!御神籤や藁人形は気休めでしかありません!何の効果もない。しかし、そんなものに人間は救われるのです!」

「人を呪わば穴二つ。このままいくと、人間の心は取り返しのつかない方へ進んでいきます!そうなれば、争いが絶えない時代に突入しますよ!」

「そんなことはありません。呪いと言っても不平不満を溜め込まないようにするためのものですよ。それに、いつの時代も人間は争い続けています。」

「どうしても変わっていただけませんか?もし変わってもらえるならお金や人員不足はこちら側が全て解決してもいい。」

「私がやっと手に入れた信仰心をそんなもので手放すわけにはいきません!」

「そうですか…」

宮司は神主の説得を諦め、藁人形を一つ買い、引き返した。階段を一段一段下りるたびに鴉の鳴き声は増していき、下りきる頃には辺りが暗闇で包まれた。鳥居を出た後、宮司はそっと階段を振り返り、上を眺めた。そこには見えるはずのない神主がまだこちらを見送っているような視線を感じた。

 宮司と神主の最初で最後の出会いから一年後、鳩神社は安定した成長を続けていた。一方、鴉神社は神主が病で亡くなり、廃神社となった。呪いの藁人形は世界から消え去り、宮司の悩みは消滅した。しかし、人知れず鴉神社を訪れ、参拝する者たちがいることを宮司は知らない。そして、宮司の部屋に釘で打ち付けられた藁人形があることは誰も知らない。