著者プロフィール                

       
長谷川 漣の何処吹く風 〜(その1)

長谷川漣

本来なら著者の写真を載せるべきですが、同居する両親が「写真は賞をとるなり何なりしてからにしなさい」と言うため今回は控えさせていただきます。
1976年生まれ。本とマンガをこよなく愛す。
大学卒業後、高校教師を5年間務めた後、会社員生活を経て現在は学童保育に勤務。その傍ら執筆活動にいそしむ。
自称「芸術にその身をささげた元社会科教師」。もしくは「北関東のトム・クルーズ」。

長谷川 漣の何処吹く風 〜(その1)

図書と見方と坊ちゃんと

 「アンデルセンの有名な童話に『裸の王様』がある。あれは一見、王様や大臣の、人目を気にするあまり騙されてしまう愚かさと、子供の他人に惑わされない無垢さをうたった話のようだが、そうではない。あの話の作者が本当に言いたかったのは、うまい口車で貰うもの貰ってさっさとトンズラした二人の仕立屋の賢明さである。世の中いろんな役回りの人間がいるが、できるなら僕もこの仕立屋のようなスマートな人間になりたい。」これは私が小学生の頃に書いた文章です。私自身、果たしてスマートな大人になれたのかどうか解りません。又それが小学生だった私の本心だったか否か、それはここでは明かしませんが、なかなか面白いことを言うなと我ながら思います。この文章を私が面白いと思うのは、普通見過ごしがちな仕立屋に対して小学生の私がユニークな《見方》をしているからです。このように一つの物事に対していろいろな《見方》ができるというのはとても大切なことだと思います。この《見方》がたくさん詰まっている場所が図書館です。私が学生時代お世話になった先生が常々「早起きして私の授業を聞きに来るくらいなら、その分好きな漫画でも本でも読んでなさい。そこからいろんな物の《見方》を学んだほうがよっぽど君らのためになる。」とおっしゃっていました。良言です。図書館にはたくさんの本や漫画があり、いろいろな《見方》が詰まっています。読者の皆さんも是非利用してみてください。(私もよく利用しています)今まで知らなかったいろんな《見方》が見つかるはずです。ちなみに最近の私は『坊ちゃん』の《見方?味方?》です。ピンときた方はどうぞにこりと笑ってやってください。ピンとこない方は図書館へ!彼のスマートでないところが私は結構気に入っているのです。どうです、なかなかスマートなオチでしょう?

人生最大の・・・

 私は昔、神奈川の私立女子校に世界史の教員として勤めていた。今はどうだか知らないが、当時その学校の男性教員の7~8割は生徒と結婚していた。こう聞くと教師の側がそう仕向けたかのように思われるかもしれないが、多くの場合、事実はその逆だ。一般企業に勤めて解ったのだが、我々社員は大人として適度な距離感をもってお互いに接している。それはそうだ。業務が円滑に進むように上下間、同僚間の適度な距離感が必要不可欠だ。それが、学校では違う。生徒は半分子供で自由である分、平気でその距離を縮めてくる。大人として自分の周りに張り巡らしている心理的障壁を軽々と蹴破ってくる。良くも悪くも。であるからにはそこで両者が心理的に近しい関係になるのは致し方ないことかもしれない。結果、男性教師の大方は生徒と結婚する。もっとも例外はあるだろうが・・・。さてこんな私にもそれなりの出会いはあった。ある日職員室で2~3年上の女性教師と仕事の話をしていたところ、ある生徒が戸口からはハセガワ先生、ハセガワ先生と手招きをする。ノコノコと出ていったところ、それまで話していた女性教師が「何の話してんの?」と咎めるように聞いてきた。するとその生徒は周り中に聞こえる声で「恋ばな~。」と答えた。女の争いに教師も生徒もない。「仁義ね~な。」と思ったのをよく覚えている。その生徒は「私のおならジャスミンの香りでしょ。」と平然と豪語する子で、いわゆる美人ではなかったが、愛嬌のある顔立ちと抜群のユーモアがあって、結局私の心はその子にもってかれてしまった。ビニール傘を渡して「これで何かボケてご覧。」とお題を出すと、すかさず「でかすぎる耳かき」と答えるような子だった。他の誰かにとってどうだったかは知らないが、少なくとも私にとっては1学年400人が3学年で1200人、その千人以上の中でもっともフィットする生徒だった。いろいろあって結果的に私が精神に失調をきたしたこともあり、結局その子とは物別れになった。今にして思えば私は「自分以上に好きな存在があるという事実」を受け止めたくなかったのだと思う。何度も機会はあったのに、プライドばかり大きくて、その実なんと小さな男だったことか。彼女が卒業してしばらくした頃、箱根ロマンスカーで偶然出会った。車内では他愛ない会話をして別れたのだが、その日の真夜中2時過ぎに彼女は電話をくれた。彼女がどんな思いで受話器を手にしたのか?「こんな時間にどうしたの?」などと問うた私は本当に馬鹿だった。新宿伊勢丹の中華料理店でバイトしている事だけ告げると彼女は電話を切った。その後その中華料理店に2度行ってみた。1度目彼女は非番だったし、2度目に会いに行ったのは、「彼氏が出来そうらしいよ」という噂を耳にしてからだった。従業員用の出入り口から出て来た彼女は他のバイト仲間たちと楽しそうに談笑していた。もう声をかけられなかった。結局それが彼女を見た最後になった。今でも彼女の事が頭から離れない。むしろこの文章を書くことで忘れようとしているのかもしれない。これまでの人生において大概の事は(その学校での職を辞したことも)仕方ないで笑って済ませられるが、彼女を失った事だけは悔やんでも悔やみきれない。人生最大の失敗だった。ただ、宇多田ヒカルさんの楽曲にもあるように、彼女を失って初めて愛ってこういうものかと解ったのも事実だ。なんでもそうだが無くしてみて初めてそのありがたみに気づくというのは古今東西一緒なのかもしれない。10年以上たって風の噂に聞いたところ彼女は無事?結婚して幸せに暮らしているとの事。私にとって彼女が特別だったように、彼女にとって私が特別であって欲しいと願っていたが、そんなに現実は甘くない。私がいなくなればなったで別の人に別の魅力を見出す。それが「相対化」という事だ。それが解るくらいには私は大人になった。さて、この文章にどう落ちをつけようかと考えながら書いてきたのだが、どうにもこうにも落ちがつかない。ただ以前「なんで、結婚しないの?」と聞いてきた現在小学6年の甥っ子にはいつか、そう、もう5年もしたらこの文章を読ませてやろうと思う。「本当に好きなもの必要なものが何かわかったらそいつは絶対に手放しちゃいけない。」と添えて。