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おわりに | 前のめり主婦の大きなひとり言 ~2020年ドタバタ育児自省録

うまこ

愛知県出身 1987年生まれ。
2児の母

2020年コロナ禍の育児にひとすじの光を放ちたい。
作品作りを通して、このエッセイには、私がこれまでに出会ったいろいろな人からの言葉が散りばめられている!と、私自身、気づかされました。

嬉しい言葉、
時にはムッとしてしまう言葉、
受け入れがたいけれどなぜかずっと引っかかる言葉、
心の支えになる言葉、

ペンネーム「うまこ」もその1つ。
常にせかせか、時に一生懸命になりすぎて前のめり、
決めたゴールに向かってひたすら走る

ある時、上機嫌な友人に
「馬力があるよねー!いっそのこと名前、馬子にしちゃったら!?」と言われました。
その時は可愛げもないし、受け入れ難かったネーミング。しかし、作品を書き終えた頃には、自分でも認めざるを得ないほど、私は前のめり主婦「うまこ」だと腑に落ち、妙に愛おしく感じました。

誰かの一言には力がある。
言葉に泣かされ、言葉に救われた1年でした。
私も悲劇を喜劇に変えられるような前向きな言葉を発しながら、人や、世代、時代のつながりの中を軽やかに駆け抜けたいと思います。

このエッセイを読んで、うまこの前のめり加減を笑ってもらえたら幸いです。


■座右の銘
「よく遊びよく学べ」
うまくやろうと力まずに、何事も楽しく軽やかにやろう!遊びの中にひらめきあり!
「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」

おわりに | 前のめり主婦の大きなひとり言 ~2020年ドタバタ育児自省録

子育ては自分育て

子どもの幸福を願い、成長に寄り添いたい。

そんな私が、念願のお母さんになった。

しかし、家事と育児に疲れ果て、悪戦苦闘の日々…

前のめり主婦うまこは転ぶ寸前、気がついた。

育児を通して育てられているのは紛れもなく“私”だ。

先の見えぬ時代、

子どもの将来のためには何が必要か

お母さんはあふれる情報の中でてんてこ舞いだ。

自分の選択が果たして正しいのかもわからない。

今はそんな時代なのだ。

2020年を振り返って、私にはわかったことがある。

それは、子どもの幸せ、家族の幸せを願うならば、

「“今、ここ”、この瞬間をお母さんが上機嫌でいられるか」

にかかっているということだ。

お母さんの笑顔が家庭を幸せにする。

家庭を照らす太陽はやはりお母さんなのだ。

「家族」とは何かと問われれば、私は「鏡」だと答えたい。

家族によって私の喜怒哀楽は丸裸にされる。

私はどんな瞬間に喜び、どんな瞬間に怒るのか、

私の得意や苦手、思い込み、無意識のクセ…

そんな私を映し出し、気づかせてくれる鏡のような存在、

それが私にとっての「家族」だ。

映し出された自分を素直に受け止め、反省しながらも前向きに生きる。

私が私であることを楽しむ。

そんなところから始めてみよう。

ちょっと立ち止まって、

前のめりな私の姿勢を建て直し、視線を未来から“今、ここ”に移す。

そんなに毎日全力疾走しなくていい。

社会に点在するレースに参加しようとしなくていい。

自分の理想や人と比べなくていい。

軽やかに遊び心をもって、日々を送るのも悪くない。

私が楽しめなかったのは、私が作り上げた理想のお母さん像。

完璧なお母さん像に縛られていたのだ。

でもそれは、あくまで理想。現実は思ってたのと違うことばかり。

セカセカしながら、ガミガミしながら、髪の毛振り乱しながら、

服を汚されながら、ひっかき傷つくられながら、日々過ごす、

そんな自分を理想とは違う、ダサいと決めつけていたのは私自身。

そんな自分をかっこ悪い、楽しくないというイメージじゃなくて、

“ダサかっこいい”に書き換えて、

度重なる悲劇を喜劇と捉え、

自分で笑い飛ばすくらいのたくましくお母さんになりたい。

ありのままの自分で過ごせばいい。

ただ目の前のことに対して、やれるだけのことをやっていけばいい。 お母さん、家事、育児しているだけでもすごいんだから。

今年二度目の出産、“執筆”を終えて

大学時代、卒業論文を担当してくださった女性教授がこんなことを言っていた。

「論文を書くのは出産と同じ。

何か物を書くということは自分の体を使って生み出すことなのよ。

だから生み出した文章はわが子同然なの。」

2020年も、残すところあとわずかとなった12月初旬。

目まぐるしい変化の連続、瞬く間に過ぎ去ったこの日々を、一人ぼんやり振り返っていると、「家族に感謝の気持ちを伝えたい」、という思いがふつふつと湧き上がってきた。

この荒波を一緒に旅してくれた家族に。この気づきを忘れたくないと、強く思った。

どうしたら上っ面の「ありがとう」にとどまらず、また不平不満の告発にならない、

ありのままの感謝の気持ちを伝えることができるのだろうか。

私は、家族に感謝の気持ちを伝える手段について、あれこれ考えていた。

言葉で?手紙?それともパーッとみんなで旅行にでも行っちゃう? 

何の気なしに、ケータイの画面上に指を走らせていた、まさにその時、

この文字が目に飛び込んできた。

幻冬舎 「つながり」コンクール エッセイ部門 テーマ「家族」

直感的に「これしかない」と思った。何の巡り合わせか、神様の思し召しか、

「書きたい!書かなくては!」と強烈に感じた。

体の中を電撃が走る、とはよく言ったもので、それを体感できたことに喜びを感じた。

私の中の歯車が一気に回り始めた。

エッセイを書く、この母の突拍子もない決断をしたことで、

家族はさらにお母さんの機嫌に巻き込まれることとなった。

それでも、応援してくれてありがとう。支えてくれてありがとう。

こうして誕生した2020年我が家のエッセイ。

ここには2020年我が家の日々が詰め込まれている。

その時は悲劇以外の何物でもなかったあの瞬間瞬間が

こうして振り返ればかけがえのない喜劇となっているのだ。

執筆を終え、私はとてもすがすがしい気持ちでいる。

これまで、自分の中にため込んできた声にできなかった声を表現し、

再確認したことで、“うまこ”という自分自身を笑い飛ばしながらも

今まで以上に愛おしく感じることができた。

私は私のままで、私らしさを生かしながらお母さんという時代を楽しもう。

そして、家族の目には私はどんなお母さんとして映っているのだろうか。

家族にとって登場人物妻・母であるうまこ。

エッセイを書きながら、客観的に自分を見つめることで、

とんでもなく前のめりなことがわかった。

人生というレースを全力疾走するのではなく、

今、ここを軽やかに、目の前の人や時間や空間、自然と遊ぶ、

心のゆとりをもって生きていこうと思う。

「お母さんの笑顔が家庭を救う」

コロナ禍、困難な状況下で育児をしている世界各地のお母さんにエールを送りたい。

コロナ禍、帰国から現在まで私たち家族を見守り支えてくれた両実家の家族、

育児に笑いをもたらしてくれるママ友たち、困難な状況下でも自らの使命に向かって

前向きに発信している友人たち、安心して出産・子育てができるよう尽力して

くださっている医療や教育関係者の方々、私たちの衣食住を支えてくれている方々、

本当にありがとうございます。

最後に、自分と向き合い、表現する機会を与えてくださった、幻冬舎ルネッサンス新社様に

心から御礼申し上げます。

うまこの未来計画

執筆という経験をし、やはり次のステップへの好奇心がムクムクと湧いてきた。

うまこがゆっくり過ごすことはまだまだ難しい。

自分の心を穏やかに保ちながら、向上心、好奇心、そして家族と共に次なる

私の物語に踏み出そうと思う。

〈関心があること〉

ユニセフの報告によると、日本の子どもの幸福度が低下している。

これを受けて、私は次のような未来計画を打ち立てた。

子どもの幸せの第一歩は家庭だ。

私はまずはお母さんとして、自分の家庭を幸福にすることに尽力する。

それから、多くの家庭、親子の幸福に貢献したい。

具体的には、

□親から子へ読み継がれる、親子をつなぐ絵本を作る

□本好きな子どもを育てる

□自分で自分の機嫌をとれる人づくりのために、

 子どもが自分と向き合うことができるような教育プログラムをつくる

□異文化や人間関係において、違いを認め、受け入れ、明日の自分へ生かす

 そういった活動が楽しいと思える場を作る

□面白い大人と子どもが出会う場を作る

2021年、新しい年の幕開け
軽やかに遊び心を忘れず日々積み重ねよう
うまこ

前のめり主婦の大きなひとり言 ~2020年ドタバタ育児自省録 【全6回】 公開日
はじめに 2021年8月31日
第1波 はじまりは北京から(2020年1月~4月) 2021年8月31日
第2波 出産(2020年5月~6月) 2021年9月30日
第3波 何気ない日々だけど (2020年7月~9月) 2021年10月29日
第4波 ヤマアラシのジレンマ (2020年10月~12月) 2021年11月30日
おわりに 2021年12月28日