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第2波 出産(2020年5月~6月) | 前のめり主婦の大きなひとり言 ~2020年ドタバタ育児自省録

うまこ

愛知県出身 1987年生まれ。
2児の母

2020年コロナ禍の育児にひとすじの光を放ちたい。
作品作りを通して、このエッセイには、私がこれまでに出会ったいろいろな人からの言葉が散りばめられている!と、私自身、気づかされました。

嬉しい言葉、
時にはムッとしてしまう言葉、
受け入れがたいけれどなぜかずっと引っかかる言葉、
心の支えになる言葉、

ペンネーム「うまこ」もその1つ。
常にせかせか、時に一生懸命になりすぎて前のめり、
決めたゴールに向かってひたすら走る

ある時、上機嫌な友人に
「馬力があるよねー!いっそのこと名前、馬子にしちゃったら!?」と言われました。
その時は可愛げもないし、受け入れ難かったネーミング。しかし、作品を書き終えた頃には、自分でも認めざるを得ないほど、私は前のめり主婦「うまこ」だと腑に落ち、妙に愛おしく感じました。

誰かの一言には力がある。
言葉に泣かされ、言葉に救われた1年でした。
私も悲劇を喜劇に変えられるような前向きな言葉を発しながら、人や、世代、時代のつながりの中を軽やかに駆け抜けたいと思います。

このエッセイを読んで、うまこの前のめり加減を笑ってもらえたら幸いです。


■座右の銘
「よく遊びよく学べ」
うまくやろうと力まずに、何事も楽しく軽やかにやろう!遊びの中にひらめきあり!
「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」

第2波 出産(2020年5月~6月) | 前のめり主婦の大きなひとり言 ~2020年ドタバタ育児自省録

出産ドラマ     

ついにこの時が来た。

5月のとある深夜、私は腹痛に襲われていた。

この痛みに覚えがあるぞ。だんだん痛みの強度が増す。

人生二度目の陣痛。今回もよろしくお願いしますよ、

自分の体のことなのに、出産は全く何が起こるのかわからない。

眠っている夫を起こし、病院に電話。

娘をお願いするために、実家にも電話。

陣痛の合間にささっとシャワーを済ませる。

入院荷物の準備はできている。

娘を起こす。まだ眠りから覚めない娘。

陣痛の痛みが増す。実家の母はまだ到着しない。

夫は!?なぜか夫がシャワーを浴びている。

痛い、痛い、痛い、

そうこうしているうちに、実家の母が到着。

「ママといたい!」泣き叫ぶ娘。

今までありがとうね、3人家族楽しかったね、

次に会うときには4人になってるからね、お姉ちゃんよろしくね。

ママ、頑張るからね。

そんな娘への言葉が頭の中に浮かんだのだが、

あまりの痛さに、私は

「行って——!」と叫んでいた。自分でもびっくりする迫力の声で。

そして外に出たむすめがぽつりと一言。

「見て!月がきれいだよ!」

満月と金星がくっきり見える、凛とした深夜2時であった。

さて、娘が出発したところでほっと一安心。

さあここからが正念場。シャワー上がりの夫と共に病院へ。

到着した頃には、足ががくがく。歩くにも一苦労。

助産師さんに迎えられ、戦場となる分娩室へ向かう。

今回の出産は、コロナ禍のため、立ち合い出産はできない。

夫は廊下で待つことになった。出産は女の戦いなのだ。

わかっていたけどもう一度、一人で戦う覚悟を決めた。

ちなみに、出産後の入院の見舞いも全面禁止だ。

5年前、娘を出産したときは、分娩時間20時間と長丁場の中、

ほとんど夫はそばにいて、手を握って励ましてくれた。

山登りをするかのように一歩一歩、夫からのエールを受けて

頂に近づいていく、そんな出産だった。そんなパワーの源が今回はいない。

出産ドラマを味わえるのはお母さんの特権だ、頑張ろう!と気合を入れなおす。

そんな中、今回は早くも激痛が走る。

赤ちゃんが早く出せ早く出せとアピールしているのがわかる。

痛い、痛い!でも、私ならできる、できる!

「できる、できる、できる・・・」

痛みをこらえながら、私は何度もつぶやいていた。

この言葉は娘が最近、お風呂で潜るときにつぶやく言葉だ。

彼女は勇気を出して潜るとき、必ず「できる、できる、できる・・・・・・」と

心の準備をしてから挑む。

そんな姿が健気で、一生懸命で、見習いたいと思っていた。

まさか、そんな娘の言葉をこのお産の時に私が口にするなんて。思ってもみなかった。

今回のお産は、娘がそばにいてくれて、「ママならできるよ」とでも

言ってくれているような。急に頼もしい気持ちになった。

「できる、できる、できる・・・」

その時、助産師さんが衝撃の一言を言った。

「この子、頭が大きくてこのままだと出てこないわ。

ちょっと出ようとしている位置もずれているし。お母さん、四つん這いになるかね」

え!?四つん這いとは!?

陣痛と陣痛の合間に身を翻し、四つん這いになれというのだ。

まさに馬の子の出産か!?

羞恥心を感じる間もなく、今だ!というタイミングで私は身を翻した。

醜態とかそんなことを感じている場合ではない。

とにかく、とにかく無事に赤ちゃんを出してください。祈るような思いだった。

それから助産師さんのゴッドハンドによって、赤ちゃんの頭の位置は正常な場所へ。

ついに大きな波と共に陣痛がマックス。

ふと、産後指導士の資格を持つ友人の言葉を思い出した。

「出産は、お母さんだけが頑張るものじゃない。むしろお母さんは赤ちゃんの

サポートに徹するのみ。赤ちゃんは熟れた果実のように、自然に落ちてくる。

その時を待って、タイミングを合わせて息んであげてね。」

はやる気持ちを抑えながら、今かな?今かな?

助産師さんに助けられながら、本能に従って息む。細くゆっくり息を吐く。

予定日より1週間早く、2時間半というスピード出産の末、

無事、元気な男の子が生まれた。

出産は本当に神秘だ。一つとして同じ出産ドラマはない。

絶対立ち会い出産じゃないといやだと思っていた過去の私。

そばにいなくても、家族みんなの力を借りて無事出産ができた。やればできる。

あと少し病院に着くのが遅かったら、駐車場で出てたかもと助産師さん。

シャワーを浴びていたせいにされなくて良かったね、パパ。

学校では教えてくれない ~産前産後の心と体のはなし~

人生二度目の妊婦、出産体験。二度目だし、と高をくくっていた。

私の場合、臭いに敏感になったり眠気に襲われたりすることはあっても

比較的軽いつわり。辛いものが食べたい!食欲もある健康妊婦だ。

ただ、二児の母となると上の子との日々に妊婦という特別感を味わう暇もなく、

おなかの中に赤ちゃんを抱えながらも娘の馬になったりしていた。

そして妊娠7ヶ月、ドタバタ帰国、緊急事態宣言によりこども園が休みになるという

異例の事態に、私の思い描いていた平穏な妊婦生活はついに訪れることなく、

慌ただしくその日はやってきた。はじめまして、赤ちゃん。

出産にまつわる体の変化は本当に神秘だ。

自分にこんな力があったなんて。こんな体験をさせてくれてありがとう!

心から夫や子どもたちに感謝する。

しかし、こんなことも起きていた。

出産直後、スマホで連絡をとろうとするがメールが打てない。

どう頑張っても指が思い通りに動かない。恐怖を感じた。

とりあえず、つい今し方出産したのだ。きっと脳にも影響が起きているのだろう。

ひとまずメールを打つことは諦め、一眠りすることにしよう。

体の中では何が起きているのか、本当に不思議だ。

4人家族になって1ヶ月は里帰り。実家の人々にお世話になった。

5年ぶりの出産、新生児との生活。完全に見くびっていた。

胸に機械が取り付けられたかのように熱く、痛みが走る。冷やす。

解決策は赤ちゃんに吸ってもらうこと。しかしまだ赤ちゃんも上手に吸えない。

トライアンドエラーを繰り返す。

ええい、とりあえずミルクだ。ミルクという強い味方に赤ちゃんの食事は委ねることする。しかし胸の痛みはなかなか引かない。

悪戦苦闘の末、なんとか上手に飲めるようになってきた。

すると、私の動きは3時間のタイムリミット付きに。

赤ちゃんが声をあげて泣くだけで胸がきゅーっと痛くなる。

お母さんと赤ちゃんはそんなところでもつながっている。

その他にも、私を悩ませたのは、言いたいことが上手く説明できないということ。

「えーっと、あれ、あれ、あれだよ、あれ」言葉が出てこない。

家事育児に協力してくれようとしている夫に的確な指示が出せないことにいらだつ。

どうしちゃったのかな、私。思い通りに働かない自分の脳に不信感。

その後も、注意力散漫、えーっと何だっけ?思い出せない、何するんだっけ?

部屋の乱雑さがいつも以上に気になる・・・

これは産後のお母さんあるあるなのか?試しに調べてみよう。

あるあるだった!科学的なことはわからないけれど、

とりあえず産後の母の脳は萎縮するらしい。

赤ちゃんのお世話に集中するために。

そして時間をかけてだんだん脳は回復し、今まで以上にマルチタスクも

さくさくこなせる私に変身できるらしい。

この情報は私を救った。

一生このまま、いろんなことが思い出せない、説明が上手くできない自分なのかと

落ち込んでいた。産後8ヶ月になろうとしている今も、あんまり変わっていない気がするけど、きっと大丈夫。そのうち家事育児サクサクこなすミラクルお母さんになる日が来ると信じて疑わない私である。

それと、もう一つ。今年知った衝撃な事実。

それは、「女は皆1ヶ月に4度、人格が変わる」ということだ。

これに驚いた私は思わず夫に報告!その結果、

「うん、そうだろうなぁって思ってた」という返答。

そうらしい。私は1ヶ月に4度も人格が変わっているらしい。

これはホルモンの影響で、月経周期の影響で、

テンションが妙に高くなったり、びっくりするくらい落ち込んだり

ポジティブとネガティブを乗せたシーソーが激しく上下するのは、

私のせいではなく、私のホルモンのせいなのだ。

そっかぁ、私のせいじゃなくてホルモンのせいなのね。

この事実を知っただけで、安堵だった。

だからといって、ホルモンバランスに好き勝手私の感情を操られてなるものか。

私にはホルモンの周期を感じて、自らの感情を操る責任がある。

さらに恐ろしいことに、産後のホルモンには赤ちゃん以外はみんな敵という

スイッチもあるようで。授乳中に妙に娘の動きに嫌悪感を抱くのは、娘のせいじゃなくて

私の中の赤ちゃんを守ろうスイッチが働くからだった。

恐るべしホルモン。

息子はすくすく成長し、寝返りし這い始めたかと思ったら

気づいた頃にはつかまり立ち、お座り、つたい歩きをマスターした。

離乳食も喜んで食べてくれる、屈託のない無邪気な笑顔を振りまいている。

こんな天使のようなわが子との日々。

お母さんに体力がないとやりたいことすらできないし、ましてや家族の笑顔を引き出すなんてこともできません。

心の仕組みとコントロールの方法を知らないと、

ただただホルモンバランスの変化の餌食となり、マイナス感情の渦にのまれてしまう。

そんなのは嫌だ。

日々、幸福感を感じていたいし、

みんながそうであれば、家庭は、世界は、どんなに居心地がいいだろうか・・・

心身の健康を目指すのは孤独な戦い。

早寝早起き、健康な食事、運動習慣・・・

これらを積み重ねた結果、穏やかな心を手に入れることができるのならば、

私はこの修行のような日々に自ら励もうと思う。

自分の力ではどうすることもできないものの存在を知った。

ホルモンとどう付き合っていくか。いつ上がっていつ下がるのか。

上がっているときの過ごし方、下がっているときの過ごし方。

決めておけば慌てなくて済む。準備が大事なのだ。

脳はまだまだ回復していない、髪の毛の抜け量が半端ない。

それでも私はホルモンバランスという波に乗りながら

女性であり、お母さんである自分を楽しんでいこうと思う。

他人に、周りの情報に、必要以上に苛立つ自分を察知したら、オオゴトにせず、

誰のせいにもせず、一言こう言おう。

「あ、私のホルモン乱れてるな」ってね。

そしてそれはやがて過ぎ去る。私の中には4人の人格がいる。

じっと受け入れる、上がりだした私を大歓迎する、

でもそのうちまた下がる私のことも忘れない。

そうやって女は波乗りして生きていくんだなぁ。

お姉ちゃん

「眠れ~、眠れ~♪母の胸に~♪」

息子を抱いて子守歌を歌っていたら、娘がじっとこちらを見ている。

ん?うらやましいのかな?と思ったら、一言。

「命令しないで!」

思わず苦笑い。母にとってはドタバタ一日の終わり。

我が子を抱いて穏やかな気持ちで歌っている。

それでも、まだまだ遊びたい娘にとっては

子守歌もそんなふうに聞こえるのね。

娘に弟ができた。

妊娠がわかったとき、彼女は私に

「ママ、おめでとう」と言った。

大人のような対応に、思わず

「あ、ありがとうございます」と恐縮してしまう。

2020年1月の書き初め。

娘は「姐姐(ジェジェ)」と書いた。

中国語でお姉さんという意味だ。もうすぐ生まれてくる弟。私はお姉ちゃんになるんだ。

そんな娘が張り切る姿も、親からしたら少しさみしいやら頼もしいやら。

そしてその日はやってきた。

産後の入院生活はコロナ禍のため面会全面禁止。私と娘が5日も離れていたことはない。

心配しつつも私は病室に一人きり。生まれたばかりの赤ちゃんと二人きり。

こんな生活は二度と訪れないだろう。こんなにのんびりしていていいのだろうか・・・

いや、いいんだよ!今しかゆっくりできないんだから。

退院後待ち受けているハードな日々のためにしっかり今を味わいなさい!

自分の中の葛藤に折り合いを付ける。

心配したところでどうにかできることでもなく。

今の私にできることは、退院後頑張るためのパワーをためておくことだ。

出産を終えたばかりの体をいたわらなくてどうする!これは準備期間なのだ。

ひとまず休まねば。このゆったりとした時間を楽しまねば。

その頃、当の娘はパパとパパの実家に遊びに行ったり、私の父と動物園にいったり。

楽しく過ごしているようだった。

話し相手は助産師さんだけ。

胸がカッチカチで痛い!赤ちゃんはまだうまく乳首をくわえない。

赤ちゃんのうんちがでない!男の子のおしっこの洗礼で服はびしょびしょ。

産後初日から育児は不安の連続だ。5年ぶりの新生児。

そんなピリピリした母親の気持ちを助産師さんはやさしく受け止め、

笑いと共に和らげてくれた。

コロナ禍での病院勤務は大変だろうに。本当にありがたかった。

さて、退院の日がやってきた。

私は赤ちゃんとの合宿を終え、なんとなくチームワークが結べたような気がする。

大丈夫、うまくやれる。さぁ世界に一歩踏み出そう。

ずっと室内にいたので、日の光が本当にまぶしかった。

病院の入り口には、私の母と娘が立っていた。

久々に会う娘。あれ?こんなに大きかったっけ?そこにいるのは一回り大きくなった

ように感じる娘だった。

赤ちゃんが家にやってきた。

お姉ちゃんはというと、赤ちゃんをちらっとのぞきながらも、

それほど興味を示していない様子。

それどころか、それからしばらく、我が家にはもう一人赤ちゃんが現れた。

これがうわさに聞く赤ちゃん返りか!?

あかちゃんが哺乳瓶をくわえれば、私もほしいと言ってきかない。

しかたなく予備の哺乳瓶を与える。うれしそうにくわえて踊り狂う5歳児。

これでいいのかな・・・いつまで続くのかな・・・

母親の心配はつのる。

赤ちゃんを抱っこすれば、「弟だけずるい!」と言われ、

赤ちゃんに授乳すれば、「昔は私のだったのに!私も飲みたい・・・」と迫られる。

そうだよね、2人目育児は上の子へのケアが大事と聞くけれど、

こーゆーことなのね。先に2人目育児を経験した友達が言っていた言葉を思い出す。

「2人目育児、上の子への配慮って言うけど、一番大事なのは母のケアだから!」

育児書には書いてない、こんな言葉に救われる。

絶賛赤ちゃん返り中のお姉ちゃん。

今度は赤ちゃんにミルクをあげると言い出した。

お、いよいよお姉ちゃん心の芽生えか!?と見守る中、

彼女は赤ちゃんに哺乳瓶をくわえさせ、飲もうとするタイミングで引っこ抜く。

「ミルク飲みたいか?え?飲みたい?まだダメだー。」

私は目の前に悪魔を見たかのようだった。わが子は悪魔だったのか。

デビルと化した娘は、その後もダミ声で赤ちゃんに呼びかける。

勢いよく赤ちゃんに迫っていく。急に後ろから抱きついてぶんぶん振り回す。

危なっかしくて見ていられない。制止しようとするがふと、赤ちゃんに目をやると

嬉しそうな笑顔。お姉ちゃんのことが大好きなのだ。

子ども同士の何か通じるものがあるんだな、よほど危険なことがない限り、

2人の世界に口を出すのは止めておこう。

お姉ちゃん、お姉ちゃんの階段を一歩一歩上っている。

4密 ~見ざる、言わざる、聞かざる~

我が家は帰国後、1LDKのアパートの一室に住み始めた。

一年後、マイホームへの転居が決まっているため、

このアパートに住むのは一年間という期限付きだ。

自分で選んだ家とはいえ、

一家4人で1LDKは正直狭かった。

日中はほぼDK9.9畳で衣食寝を共にした。

娘のおもちゃに赤ちゃんのベッドやおむつ。

それがけっこうスペースを占めた。

人との距離、物との距離、

私はいろいろな物からの刺激に押しつぶされそうだった。

創作意欲爆発期の娘は、次から次へと何やら発明し、

9.9畳は段ボールや折り紙が散乱する発明ラボと化した。

また、ある時は忍者の修行の場となり、布団やソファへダイブ!

洗濯物や本の山は時々雪崩が起きる。

テレビの音、子どもの泣き声、すべての刺激が私を襲う。

セカセカスイッチが入っているときこそ要注意。

目に映るすべての物への嫌悪感。

机の上にはさみが置きっぱなし!

娘はまだ着替えていない!

息子がなにやらめぼしい物を見つけたらしい。

私はパニック寸前だ。そんなときは部屋を出よう。

その場から離れる。逃げるが勝ち。

冷静になって戻ってきたらそこは何でもない、いつもの9.9畳。

気になることが多すぎる。刺激が多すぎる、情報が多すぎる。

そんなときは「見ざる、言わざる、聞かざる」だ。

私は気づいたことがある。

ついつい小言を言ってしまうときは、無意識のうちにマイナス情報を集めて、

いざ、このタイミングだ!という狙いを付けて発散しているのではないだろうか。

だとしたら、よけいな情報は集めなくていい。

自分の心に暗雲立ちこめる気配を感じたら、

目をつぶる、耳を塞ぐ、小言はあえて言わない。

アンガーマネジメントでも怒りの感情は着火まで6秒と聞いたことがある。

刺激を自分の中に取り込まない、そんな意識で火山噴火を免れることができるなら、

喜んで目をつぶろう、口を塞ごう、耳を塞ごう。

私は、刺激に対する反応を変える実験、修行を行っているんだ。と思うことにした。

なかなか厳しい修行だけど、自分の感度を少し鈍らせるくらいが平穏な日々を送るには

必要なことのように感じた。

さてさて、このコンパクトな家のおかげで、

持ち物は最低限、家事にかける時間も最小限、

本当に必要な物だけを身の回りに置くことができた。

無条件に近い、家族の距離。

社会では3密を防ごうというのに、我が家は4密を避けられない。

この事態に私は鬱々としていた。

しかし、2020年を表す漢字は「密」、テレビで誰かが語っていた言葉が

またしても私を救った。

「密」には悪い意味ではなく、親しい、という意味がありますからね。

我が家特有の期間限定「密」時間を楽しもう。

子ども一人育てるには、村一つ必要だ

大学生の頃、長野県の青木村という村を訪れたことがある。

その村の当時の教育長さんが言った言葉が印象的で、子育てをしている今も度々思い出す。

「子ども一人育てるには、村一つ必要だ」

村一つの中には、おせっかいな近所のおばさん、がんこな雷親父、

無条件に褒めてくれる隣のおばあちゃん、ちょっと先を生きている先輩、

ちょっと後から生まれた弟分・・・様々な人間関係の中で子どもの人間力が鍛えられるだろう。

私も子どもにはいろいろな人との関わりの中で育っていってほしいと思う。

核家族化は家族カプセル。両親の価値観だけが子どもたちに注がれることに

私は時々怖さを感じる。

多様な価値観の社会に出て行く子どもたち。

しかし、目の前にいる子どもたちは多様な価値観を学ぶ体験を

果たして十分できているだろうか。

それから、親になった今、「子ども一人育てるには、村一つ必要だ」という

この言葉は、子どもを育てる親へのメッセージのようにも感じるようになった。

お母さんになって、「私が倒れたらダメだ」と常々思ってきた。

幸い、健康に過ごせてはいるものの、やっぱり体力の限界を感じるときはある。

私が病気になったら家庭がまわらない。コロナ禍では一層気負っていた。

「世のお母さん、みんながんばっているから」と自分に言い聞かせてきた。

誰に求められたわけでもなく、「自分ががんばらないと」に縛られていた。

両実家にお世話になりながら、なんとか過ごした2020年。

子育ては一人ではできないと痛感した。一家族だけでも限界がある。

やっぱり村が必要だ。

同じような境遇のお母さんとのつながりは、子育てを楽しむために必要だ。

そんなのなんとかなるよと、お互いの悩みを笑い飛ばしてくれるママ友。

楽しそうに子どもに接する他のお母さんを見て、自然とこちらも穏やかな時間を過ごす。

そういえば、5年前の私は、幼い娘を連れていろんなイベントに参加していたな、

図書館や子育て支援センター、ヨガといった親子で参加できるイベント・・・

そのような場で、無意識に他のお母さんから学ぶことは多かった。

コロナ禍で、そのような場に足を運ぶことも減った。

子どもと家に二人きり。思考はずっと子どもと自分に向かうだけ。

マイナスの渦にのまれていってしまう。つながりの乏しさに恐怖を感じた。

オンラインの普及はつながりのための命綱だ。今やオンラインで共鳴する方法は

いくらでもある。それでもやっぱり直接会うに勝るはずはない。

だからこそ、自分を客観視してご機嫌をとらなければならない。

お母さんがつらいときにつらいと声を上げやすい環境がつくれたら、

どんなに家庭は救われるかな・・・

私は意識して、自分の村を作っていこうと思う。

助けてほしい時に助けてもらえるようなネットワーク。

子どもにいい影響を与えてくれる様々な面白い大人、同世代の子どもたちと

どんどん関わらせたい。

そうやって自ら求めていかないと、今はつながりが持てない時代だ。

一方で、求めればすぐにでもつながれる時代でもある。

お母さん一人が頑張らなくていい。一人でなんとかしようではなくて、

いかに夫や周りと分業できるか、そのつながりを作る力も

今後お母さんには求められているような気がする。

やはり、「子ども一人育てるには、村一つ必要だ」

前のめり主婦の大きなひとり言 ~2020年ドタバタ育児自省録 【全6回】 公開日
はじめに 2021年8月31日
第1波 はじまりは北京から(2020年1月~4月) 2021年8月31日
第2波 出産(2020年5月~6月) 2021年9月30日
第3波 何気ない日々だけど (2020年7月~9月) 2021年10月29日
第4波 ヤマアラシのジレンマ (2020年10月~12月) 2021年11月30日