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厚みのある水彩画|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 〜(その15)

由木 輪

1956年、東京都出身
ごく普通の家庭に生まれ育ち、大学を卒業後、東京に本社がある会社に就職しました。自分の意に添わず、幾つかの会社に転職することになりましたが、60歳になり会社員で定年を迎えました。定年しても年金がもらえるわけではなく、生活のために別の会社で働くことになりました。定年後の職場では、時間的にも精神的にも余裕が出来て、以前から書きたかった小説を書き始めました。みなさんに面白いと思っていただけるとうれしいです。

厚みのある水彩画|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 〜(その15)

 二年生の選択科目も書道、美術、音楽から、まだ受けていない科目を選ぶのだが、教室が狭いので、クラスの半数ずつが二科目に分かれて授業を受けることになっている。俺自身は一年生の時に書道を取っているので、美術か音楽から選ぶことになるのだが、俺の脳みその中には、音楽という言葉が見当たらないので美術にした。
 俺には書道の才能がなかったので、今度こそは美術で花を咲かせたかった。

 美術の最初の授業は、陶芸だった。美術室は、一番南の三年生の校舎の一番東側の一階部分にあって、廊下は美術室の手前で止まっているので、教室は校舎の全幅となっている。美術室には、教室の南側と北側に引き戸があって、ここから直接、外にも出られるようになっていた。
 美術室の南側の扉の外は、二メートルぐらい土の通路があって、その先に花壇があり、花壇の南は、体育館の東側の広場になっている。北側の扉の外は、美術室全体に三メートルぐらい軒があって、この軒下に、陶芸用の窯が置いてある。
数日後には、この窯でこの世に二つとないような俺の作品ができるのかと思ったら、ぞくぞくしてきた。
 陶芸は、まず粘土を切り分けて練るところから始まった。美術室の一角に二メートル×三メートルぐらいの作業台が二台あって、この上にビニールに包まれた粘土が置いてあった。粘土の大きさは一メートル角ぐらいで、厚さは七センチ程度ある。これを一〇センチ×二○センチぐらいに切り分けて、将来の陶芸作家たちに配り、芸術作品の創作が始まった。
 粘土は菊練りという練り方で練って、粘土の中の空気を抜きながら、ちょうど良い硬さに練り固めていくのだ。まず、先生が練り方の見本を見せてくれた。一〇センチ×二○センチ、厚さ七センチの粘土を、作業台に叩きつけて、角を取り、粘土の頭を左手で持って、右手の手の平で粘土を少しずつ回しながら練っていったのだが、その手さばきが見事だった。みるみると粘土が菊の花のような形になっていった。
 生徒たちからは「お~」という声が上がったので、先生は調子に乗り、「もう一度、見本を見せてやる」と言ったので、先生の近くにいた俺は、自分の粘土を先生に渡し、最初に先生が練った菊練りの粘土を自分の手元に引き寄せた。
そして、先生が二度目の菊練りを練り始めた時に、最初に先生が練った粘土を持って、隣の作業台へ移動して、菊練りの格好だけを真似していると、先生が隣の台で一人だけ動いている俺を見つけて、「緑川、お前は才能があるな」と言ってくれた。こうして俺の菊練りができ上がった。
 陶芸は、茶碗やお皿を作るのだが、美術室には電動のロクロが二台しか無く、後は手動のロクロが五台あった。ロクロを使えない人は、お皿を作るか、ロクロが空くのを待つしかなかった。
 俺は一番先に菊練りで練った粘土ができ上がったので、電動ロクロへ粘土を持って行って、ロクロの真ん中に粘土を据え付けて、茶碗の創作に入ろうと思ったのだが、先生に止められた。「まてまて、ロクロの使い方を教えてやる」と言って、先生が二回目に菊練りで練り上げた粘土を持って、俺の隣のロクロに粘土を据えた。
「ロクロを回す前にすべての道具を手の届く範囲に用意しなくては駄目だ」と言って、道具をそろえ始めた。まず、水の入ったバケツ、何本かのヘラ、なめし皮、ピアノ線、より糸などである。

 電動ロクロを回す前に、手をバケツの水で濡らしてから、粘土の形を整えていく。
据え付けられた粘土を、ロクロの中心に山のように仕上げてから、電動ロクロのスイッチを入れた。
手をバケツの水で濡らしながら、粘土を成形していく。最初はひとつの山だった粘土を、段々上の方だけを膨らまして、ひょうたんのような形にしていった。

「この上の玉のような粘土の大きさで、作れる器の大きさが決まるのだが、君たちは初心者なのであまり大きく作ると、形にならないからできるだけ小さくして始めるように」と先生が言って、回っている粘土の上部を両手で押さえながら、先端に親指を立てて押し始めた。ロクロの上で回っていた粘土は、先端から徐々に口を広げて器の形になっていく。あっという間に茶碗ができ上がった。「さすがは美術の先生だけあるな」とクラス全員が思った。
 濡らしたなめし皮で器の形になった粘土の表面を滑らかにし、ロクロの回転を止めた。ピアノ線で器の下の部分から粘土と切り離して、両手の親指と人差し指の四本で器を持って、粘土からすくい上げ、横の机の上に置いた。

「これですこし乾かして、高台の所を削って釉ゆう薬やくを塗って、さらに一週間ぐらい乾かしたら、釜で焼けるようになる」
「陶芸って結構、時間がかかる物なのだな」と思ったのは、俺一人ではないようだった。
 先生は、一つの作品を作り上げたので、電動ロクロに残っていた粘土を綺麗に外して作業台の所に持って行き、「誰か粘土が練り上がった者がいたら、電動ロクロを使ってもいいぞ」と言った。
 俺はすでに先生の創作していたロクロの隣の電動ロクロに、自分の粘土をセットしてあるので、電動ロクロを回せば作品ができ上がるのだ。他の生徒たちは、まだ粘土を練っていた。「勝った。やはり俺は天才だ」と思いながら、先生に言われたように、すべての道具を手元に用意してから、電動ロクロのスイッチを入れて創作を開始した。
 ところが、この電動ロクロと粘土が言うことを聞かなかった。粘土がロクロの真ん中で回っていてくれない。ふにゃふにゃと右に倒れたり、左に倒れたりで、真っ直ぐ立っていないので、親指を先端に立てるどころではなかった。
俺が電動ロクロと生きた粘土で格闘していると、他の生徒たちが、粘土を練り終わり、器の制作に取りかかりだした。
 電動ロクロは二台しかないので、他の生徒たちは、手動のロクロを使うか、作業台で皿などを作るかのどちらかになる。先生は、手動ロクロで作成するやり方と、作業台で皿などを作成するやり方を、俺以外の生徒たちに説明していた。
「まずは、手動ロクロで作成するやり方を説明する。粘土を少しとって、ロクロの真ん中に置き、手のひらで厚さが一センチ程度になるように伸ばす。これが器の底の部分になる。そして、残りの粘土を平らに伸ばして、ヘラを使って細長く切り、ロクロの粘土に円筒状になるように乗せる。粘土のつなぎ目は水で濡らして、はがれないようにして、底の部分の円筒からはみ出した粘土をヘラで切り、ロクロを手で回しながら、粘土の形を整えていく。円筒の上に、さらに粘土を積み上げてつないでいく。器の形ができあがったら、なめし皮を濡らして、器の表面を滑らかにする。隣の台に粘土を細長く伸ばして、台の上で輪を作る。輪の大きさは輪ゴムぐらいがちょうど良いと思う。これが器の高台部分となるので、ピアノ線を使ってロクロから器を切り離し、高台の上に載せて、密着させ、形を整えればでき上がりだ」あっという間に、作品がまた出来上がってしまった。
見事だった。ここまで数分しかかかっていない。
 先生は、手動ロクロで作成するやり方の説明が終わると、今度は作業台で皿などを作成するやり方を説明し始めた。
 俺の創作状況はどうなっているのかというと、電動ロクロで粘土と闘っているのだが、器を作るどころか、粘土が真っ直ぐに立つことがなかった。「電動ロクロなど邪道だ。やはりり陶芸は、手作りしないと意味がない」と強がっては見たものの、これ以上は、電動ロクロを使っていても器の形ができ上がることはないと思い仕方なく、自分の粘土を電動ロクロから外したのだが、手動ロクロもすでに空きがなくなっていたので、作業台に戻るしかなかった。
 作業台では、数人の生徒たちが粘土を手の平で叩いて、平らに伸ばしたり、作業台の上で、手の平を使って棒状にしたりしていた。
 俺も他の生徒たちと同じように、厚さが一センチぐらいになるように粘土を平らに伸ばした。皿を作る予定なのだが、ここで手を止めて考えた。
「どんな形にしようかな。そうだ魚の形にしよう」と思い、ヘラを使って伸ばした粘土を魚の形に切っていった。
 魚の口から切り始め、背中に背せ鰭びれを作り、最後に尻尾を作った。
長さは、二五センチぐらいで、背鰭からお腹までの幅は一五センチぐらいになった。全体としては、葉っぱのような形の皿になった。高台を作るために、粘土を棒状に伸ばして、やや楕円形になるように皿の中央部分に乗せて密着させた。
高台は高めに作った。

 なめし皮を濡らして、でき上がった皿の表面を滑らかにしたら、ピアノ線を使って、作業台から切り離して、上下を逆さまにした。

 皿になる表面を濡らしたなめし皮で滑らかにして、ヘラで目や鱗うろこ、胸むな鰭びれなどを描き入れ、さらになめし皮でもう一度、表面を滑らかにしたら、皿ができ上がった。周りの生徒たちは、丸い皿を作っていて、形が変わった皿を作ったのは俺一人だった。

「緑川、変わった形の皿を作ったな。何の魚がモデルなんだ」

「はい、アジの塩焼きです」釣りの趣味がない俺には、魚の種類なんてわからない。本当にアジの塩焼きをイメージしながら作ったのだ。
 でき上がった時に、器として料理を乗せるので、真ん中の部分を少し低くして、周りを持ち上げたのだが、魚の口の部分は、細くなっているので、垂れ下がってしまった。
このまま乾かしてしまうと、口の部分だけが垂れ下がった状態の皿になってしまうので、粘土の団子を作って口と作業台の間に挟み込み、一週間乾燥させることにした。
 次の授業の時には、乾いた作品たちに釉薬を塗ったり、絵付けをしたりして、さらに乾かしてから、窯で焼き、それぞれの作品ができ上がるのだが、結局、俺が陶芸の授業で作ったのは、この皿一枚だけだった。
 作品が焼き上がり、俺の魚の皿ができたのだが、自分でも、それほど素晴らしい作品とも思えなかった。「これは、小学校の夏休みの宿題みたいだな」と思っていると、先生は俺の作ったアジの塩焼きの皿には、興味を示さず、他の生徒の作品ばかりを評価していた。陶芸にも才能を見いだせない俺だった。
 陶芸の次は、絵画の授業だった。「今度こそは、俺のあふれる才能を見せつけてやる」と意気込んだ。
 絵画の一回目の授業は、先生が水彩画や油絵の本を見せて、技法などを説明してくれたのだが、名だたる画家たちの絵は、繊細で写実的であったり、抽象的だがとても力強かったりと、とても素人軍団に真似できるようなものではなかった。「今回、みんなには、水彩絵の具を使って風景画を描いてもらうが、とりあえず今日は、机の上の花瓶と果物のデッサンをしてください」と先生が言って、机の上に先生が創作したと思われる花瓶と、りんごを二個置いた。
 将来の画伯たちは、花瓶とりんごの置いてある机を取り囲んで、スケッチブックを開き、鉛筆でデッサンを描き始めた。同じ空間で、同じモチーフをみんなで描いているのだが、結構、個性が出るもので、花瓶とりんごだけを大きく描く人もいれば、下にある机も全部描いて、花瓶とりんごが小さくなっている人もいる。
 使っている鉛筆も様々で、芯が柔らかい2Bを使っている人や、芯の固いHBを使って描いている人もいる。
 俺は、机の上の部分と花瓶とりんごを描くことにした。机の板とりんごは柔らかいので、芯の柔らかい鉛筆で描き、花瓶は固いので、芯の固い鉛筆で描くことにした。
 俺のスケッチブックは、大きさがA3サイズで縦が約三〇センチ、横が四二センチで、学校の購買部に売っている物を使用している。ほとんどの生徒たちが、このスケッチブックを使用して描いている。
 先生は、授業終了五分前になって、みんなに声を掛けた。
「みんな描けたかな。デッサンは注視力です。描くものをじっと見て、そのモチーフの質感や、光や影を描ければ良いのですよ。次回の授業は、水彩画を描きましょう」と言ってこの日の授業は終わった。先生は、一人ひとりの描いたデッサンの批評はしなかった。
 俺は光と影など思いつきもしなかった。「そうか、光と影だったのか。そういえばさっき、絵画の本を見せながら、先生がそんなことを言っていたような気がするな」すっかり忘れていた。
 俺の描いた机と花瓶とりんごは、芯の柔らかい鉛筆で描いた部分と、芯の固い鉛筆で描いた部分との区別さえつかなかったので、先生に批評されなくてほっとしたのだが、スケッチブックからは切り離さずに取っておくことにした。
「何があるかわからないからな」しかしこの先、このデッサンが日の目を見ることはなかった。

 一週間の時が流れて、美術の授業で水彩画を描く時間がやって来た。

「今日は、みんなには水彩画を描いてもらう。天気も良いので、学校内でそれぞれが好きな場所を選んで、風景画を描くように」

 この時を待っていた俺だった。購買部で揃えた一二色の水彩絵の具と、大中小の筆三本、パレットと水を入れるカン、そしてスケッチブックを持って、みんなが「あっと驚くような絵画」を描くために、ふさわしい場所を探した。学校の南側の敷地の境界に、ポプラの木が、間隔を空けて三本並んでいる場所を見つけた。ポプラの木の後ろ側には、フェンスがあり、その向こうは雑木林になっている。そして、ポプラの木からグラウンドの方には、芝生と雑草が入り混じって生えていて、近くに他の樹木はない。
「風景画を描くには格好の場所だな」と思って、辺りを見渡すと、すでに三人の先客がいた。
先客たちとかぶらない場所を探していると、手前に桜の木がある場所を見つけ、桜の枝が少しだけ画面の右上に入る場所で描くことにした。
アングルを考えながら芝生の上に腰を下ろして、横に絵の具とパレットを置いて、水の入ったカンに三本の筆を入れて準備し、スケッチブックを膝の上で開いた。
「しまった。下書きをする鉛筆を忘れた。仕方がない、いきなり水彩絵の具を塗ってしまおう」

 鉛筆を使って下書きをしている周りの才能のない画家たちを横目に、俺はパレットに茶色の絵の具を絞り出した。茶色の絵の具を水で薄めながら、真ん中にあるポプラの幹を描き出したのだが、ポプラの木の後ろにあるフェンスと雑木林を先に書かないと、ダメな事に気づいて、書き直す事にした。

 雑木林は全体が薄暗く、色でいえばグレーだ。グレーの中に所々日が差し込んで、幹の茶色と葉っぱの深緑があり、太陽の光が反射したところは白っぽい色になっている。雑木林の上は青空で、多少雲が出ている。

 描き始めたポプラの幹は諦めて、スケッチブックを一枚めくり、後ろにある風景から順番に描くことにし、最初に空と雑木林を塗ることにした。
パレットに青と白と黒の絵の具を、離れた位置に絞り出して、黒の絵の具に白の絵の具を少し混ぜながら、水で薄めてグレーの雑木林を塗っていった。
その上に、青の絵の具を水で薄めて空を塗った。

「何となく全体が見えてきたぞ」

 何も見えてはいなかった。画用紙の真ん中付近から下の部分に、うすいグレーのラインが塗ってあり、その上にうすいブルーが塗ってあるだけだった。本当は、鉛筆で下書きをしてから色を塗っていかないと絵にはならないのだが、そんなことに気づく俺ではなかった。
「下書きなどなくても、絵は描ける」と思っていた。

 続いて、白の絵の具で、雲を描いてみたのだが、白だけでは良くわからないので、薄めた黒で縁取りをしてみたら、何となくもくもくした雲になった。
 そして、ポプラの幹を描こうと、雑木林のグレーの上に、茶色の絵の具で木の幹を描いてみたのだが、色が薄いと背景の色と混じってしまい、良く見えないので、すこし水を減らして、色を濃くし幹を描いた。幹の上の方に緑と黒を混ぜて、ダークグリーンにして葉っぱを乗せていった。所々に白い絵の具を塗って葉っぱに反射する光を表現した。雑木林の前に、緑と白の絵の具を混ぜて、フェンスの線を描き入れ、背景の空と雑木林とフェンスとポプラが一本だけ完成した。
 しかし、水を少なくした分だけ、絵に厚みができてしまった。本日はこれ以上重ね塗りをするのは難しかったので、スケッチブックを芝生の上に置き、天日で乾かすことにした。

 一回目の授業だけでは、他の生徒たちも画が完成しなかったので、次の授業で続きを描くことになった。
美術室に戻って、スケッチブックを開いたまま、自分の棚に置いた。
 一週間後に二回目の水彩画の時間がやって来た。棚からスケッチブックを取り出すと、絵は乾いているようだった。
さっそく、前回描いた場所に行き、続きを描くことにしたのだが、この日は、あいにく曇り空だった。頭の中で、晴れていた先週の風景を思い出しながら、描くことになった。

 前回は、背景とポプラ一本までしか描けなかったので、今回は、メインの三本のポプラすべてと、前の芝生、そして、右上のスペースに垂れ下がっている桜の枝と葉を描けば完成することになると思い、筆を取った。
 パレットに茶色と黒、白の絵の具を絞り出し、絵の具を混ぜながら水で薄めて、ポプラの幹の部分から塗り始めた。
一週間前に塗った下地の絵の具が乾いていたと思っていたら、幹の茶色にフェンスの緑が混じってしまった。

 水彩絵の具は、水で薄めないでそのまま画用紙に塗りつけると、表面は乾いても中までは乾かないので、筆でなぞると下の色が出てきてしまう。こんなことは常識なのだが、人間界の常識がわかる俺ではなかった。

 仕方がないので、にじんだところは絵の具を水で薄めずにそのまま上から塗ってしまったので、また絵に厚みができてしまった。ポプラの枝も葉っぱも、葉っぱにあたった光の白も、どんどん上に絵の具を塗り重ねていった。
 手前の芝生は、緑と白を混ぜて色を水で薄めて一気に塗り、細い筆を使って黒でつんつんと芝生らしく見えるようにして終わりにした。

 最後に右上の桜の枝と葉っぱを、絵の具を薄めずに上から塗ってでき上がったのだが、もはや水彩画とは言えなくなっていた。

 もちろん、水彩絵の具が乾くことはなく、スケッチブックを縦にすると、絵の具が垂れてくるので、横にしたままで芝生の上に置き、乾かそうとしたのだが、この日は曇りだったのであまり乾かなかった。
 美術室に戻る時間になったので、スケッチブックを横にしたまま運ぶしかなかった。

 美術室に戻ると、先生が作業台の上に、絵画をのせる三脚のイーゼルを離して三本立て、三枚ずつ作品をのせて批評することになった。
 俺の絵はまだ乾いていないので、窓際の棚の上に置いて少しでも乾かす努力をしたのだが、この日は、お日様が顔を出していないので、水彩絵の具が乾くことはなく、無駄な努力だった。
 三人の生徒が先生に呼ばれて、イーゼルにそれぞれが描いた作品をのせた。どの絵もさわやかに描いてあり、驚いた。
「みんな、画家になれるんじゃないかな。それに比べて俺の絵は、水彩画と呼べるようなものじゃない。みんなは何であんなに絵の具がうすく塗れるんだろう」絵の具がうすく塗れない俺の方がおかしかった。
 先生が一枚ずつ絵の評価をしたのだが、「素晴らしい」とか「うまく描けている」といった評価はなく、絵の構図や、色の使い方などを淡々と説明していっただけだった。
 この日は、この三作品の批評で時間が来たので、残りの絵は来週改めて批評することになった。それぞれの作品は、各自の棚にしまうことになった。「一週間あれば、俺の絵だって乾くだろう」と思った俺が甘かった。
 一週間が過ぎ、また美術の時間がやって来た。美術室に入り、自分の棚の所に行って、スケッチブックを取り出し、絵の具の乾き具合を確かめようと、指で触ってみた。指にはしっかりと絵の具が付いた。水彩絵の具は、もともとこういう使い方をするものではないので当たり前だったが、納得がいかなかった。「一週間も経っているのに乾かないのか」あくまでも水彩画が理解できていない俺だった。
 先生は生徒たちに、あいうえお順に三枚ずつイーゼルに描いた絵画をのせるように言った。俺は「緑川」なので最後のグループになったのだが、最後になっても絵が乾くことはなかった。

 イーゼルにのせられた絵画たちは、それぞれが水彩画を理解している絵ばかりで、俺が描いたような、重ね塗りの絵などなかった。俺が見ている分には、それぞれが素晴らしい絵画たちなのだが、先生の評価では、「素晴らしい」とか「うまく描けている」といった言葉は出てこなかった。淡々と技術的なことだけを説明していった。先生にしてみれば、自分の技術と比べれば、あまりにもレベルが低い絵ばかりなので、こういう評価になるのは当たり前なのかもしれない。
 水彩絵の具は、水で薄めて画用紙に塗ると、すぐに乾いて、上にまた塗り足せるのだが、色合いは濃くならず、淡くさわやかな絵になる。みんなは、その通りに描いているので、どの作品を見ても、淡い色使いの絵だった。

 生徒たちの絵の評価は順調に進んで、とうとう自分の番になってしまった。仕方なくスケッチブックをイーゼルにのせた。教室がざわめいた。「何じゃありゃ。水彩画じゃないじゃないか」「下手にも程があるな」といった声だった。
俺の意見もまったく同じだった。

 ところが先生の評価は違った。「これは面白い」という言葉から始まった。
「これは確かに水彩画と呼べるようなものではない。だけど発想が良い。芸術とは自由な発想が必要なんだ。自由な発想の下でしか素晴らしい芸術作品は生まれないんだよ」

 先生は水彩画の技術的なことなど忘れてしまい、俺の描いた「厚みのある水彩画」を気に入ったらしく、この後、五分間にわたって俺の絵画を熱く語っていた。その間俺は憂鬱でしかなかった。俺には絵の才能もなかった。

 水彩画の時間も終了し、スケッチブックを閉じたら、乾かない水彩絵の具が、一枚前のポプラの幹だけ描いた絵の後ろに張り付いてしまった。
もう一度、開いてみると、風景画ではなく、抽象画に変わっていた。仕方がないので、抽象画になってしまった二枚の画用紙をスケッチブックからはがして捨てることにしたのだが、捨てる場所を探さなくてはならなかった。
「このままゴミ箱に捨てるわけにもいかないし、どうしよう。そうか、校舎の隅に焼却炉があったな。あの中へ入れてしまおう」

 二枚の絵画を校庭の片隅にあるゴミ焼却炉に投げ入れて、証拠隠滅に成功した俺だった。そして、二度と絵画のことを考えることはなかった。

翼がないのにふわふわ浮いて 【全22回】 公開日
(その1)舞い降りた天使|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年8月7日
(その2)タラチネ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年10月2日
(その3)天使も筆の誤り|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年10月31日
(その4)ミトコンド~リア|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年11月29日
(その5)爆発だ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年12月26日
(その6)お昼の散策|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年1月31日
(その7)バスの中にぽつんと一人|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年2月28日
(その8)マドンナ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年3月27日
(その9)水上の天使|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年4月29日
(その10)旅に出る|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年5月29日
(その11)取り上げられた楽しみ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年6月30日
(その12)マラソン大会|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年7月31日
(その13)修学旅行|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年8月31日
(その14)まさかの運動部|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年9月30日
(その15)厚みのある水彩画|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年10月30日
(その16)真剣で斬られる|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年11月30日
(その17)逃がした人魚は美しかった|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年12月28日
(その18)燃え上がる学園祭|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2021年1月29日
(その19)組み立てられた椅子|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2021年2月26日
(その20)粉々に飛び散った砲丸|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2021年3月1日
(その21)打ち抜かれた額|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2021年4月30日
(その22)天使の復活|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2021年5月28日