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第3章:伍の話 〜 儂のWhat is anything! (その3)

田中ケルン

1986年に愛知県田原市で生まれる。6才でピアノを始める。10才でトランペットに出会い、13才で違う管楽器に転向。田原中学校卒、最終学歴は高校卒。
高校卒業後は東三河にある某吹奏楽団員として活動中。
そして、2児の母でもあり、33才で教祖になる。
※まだ宗教団体は作ってないです。教えだけです。

第3章:伍の話 〜 儂のWhat is anything! (その3)

儂は今現在、金欠だ。なぜなら新型コロナウイルスの影響で収入が激減したからである。人類の歴史という大きなサイクルからみれば、この未知のウイルスの流行というのは取るに足らない出来事かもしれぬが、我が家にとっては大ダメージである。しかし、このようなことがあっても幸せに暮らしている人もいる。実に羨ましいかぎりである。

人を羨ましいとか、お金が欲しいという欲にかられたらどうすればよいのか?

この質問に真っ向から立ち向かった宗教がある。それは、仏教である。今日は仏教をテーマに色々考えてみた。仏教の開祖、お釈迦様は母の右脇から生まれ、生まれてすぐに立ち、7歩歩み、「天上天下唯我独尊」と言われたそうだ。これはお釈迦様が只者ではないと思わせるエピソードの一つだ。

さらにお釈迦様はインド北部を治める王の息子だった。家は金持ち、性格も良い、奇跡も起こしたお釈迦様はその後、出家し、35歳で悟りを開き、人々に仏の教えを語り歩き、そして仏教は広まったそうだ。

儂はこの話から学んだ事は、教祖に必要なものは奇跡を起こす力、人を虜にする話術、努力し続ける根性だと学んだ。そして儂は根性が取り柄なので、ここで文章を書かせて頂いている。実にありがたいことだ。

お釈迦様の教えの素晴らしい所の一つにどう生きれば苦しくないかというものがある。例えば死の恐怖から逃れる為には、空(くう)の教えを理解すればよい。空とは、こだわりを捨てることである。つまり、生きるという執着を捨てれば死ぬのは怖くないという考えだ。つまり、煩悩(欲)を克服すればよいのだ。

世の中の悩みというを仏教の教えでは煩悩から始まっており、煩悩から開放され、悟りを開いたお釈迦様の教えは尊いのだ。仏教では人生は煩悩があって苦しいと考えられているが、ハッピーに生きるためのヒントがたくさんある宗教なのだ。

しかし、仏教も万能ではない。約2500年もの長い期間人々に伝え広められている間、おかしな教えになってしまった所もある。さらにお坊さんのOさんにインタビューしたところ、今、仏教でいう末法(まっぽう)の時代(お釈迦様の力が及ばない時代)だそうだ。それだからか分からないが儂のような変な教祖が現れてもおかしくはないのかもしれない。

しかし、儂は仏教からも、良い所を学んで、教えを作り上げた部分もある。

儂が仏教から学んだ所に煩悩がある。煩悩とは先に説明したが一言で言うと欲そのものだ。仏教では欲にたいして否定的だが、儂は欲はあっても良いと考えている。しかし儂の教えの欲は3種類ある。

1つ目は睡眠、食欲、性欲の生理的欲求、2つ目は物やサービスが欲しいという社会的欲求、3つ目は見えない力が欲しいという欲(例・魔法や変身、かめはめ波など)だ。生理的欲求はある程度満たさないと、人間が病気になってしまう。実際、お釈迦様だって空腹から悟りは開いていないので、生理的欲求はバランスが大切なのだ。2つ目の社会的欲求は自分で選んだつもりでも実は他人によって作られたものもある。例えば流行、テレビCM、ネット情報、それらのものを目にすることによって似合いもしない服や食べ物、わくわくしない趣味など手にしていないだろうか?


社会的欲求を満たすことは果てしないことなのだ。果てがない欲に勝つにはどうすればよいのか?仏教では空の考え方が有効だが、儂は違う考え方だ。どうしても欲しいのなら、手に入れてみるのじゃ。

そして自分がどう感じるのかじっくり考えてみるのだ。ちなみにOさんにも煩悩があったので、お坊さんだから立派に違いないと先入観を持つのでなく、職業・僧侶くらいの気持ちで接した方が相手にも失礼ではないのではなかろうか?

3つ目の欲、見えない力が欲しいという欲は実は皆、多かれ少なかれ持っていると儂は思う。心に手を当てて感じてみよ。おぬしの欲しい力は何じゃ?儂の欲しかった力は楽しかった頃に戻りたいだった。

しかしどんなに強く願っても過去に戻ることはできんかった。だが、儂は行動を起こすことにより、もう過去に縛られなくなった。その行動とは楽しかった頃の友人と連絡をとったことだ。会話をすることで過去の出来事を追体験できたのだ。

友人と連絡が取れないというそこのおぬし、何をためらっておるのじゃ?つまらんプライドで、人生を無駄にするほど、人生長くはないし、友人や自分が明日どうなるか分からん昨今、会いたい人に会いにいかんでどうするのだ。

過去に縛られているのなら、タイムマシンができるのを待つより、自力で過去に決着をつける勇気を持つべきだ。これが儂なりに考えた過去に戻る方法だ。1986年生まれの皆さんにお坊さんのOさんからメッセージを頂いたので、ここに記しておく。

人生無駄な事なんて何もないと思います。多くの経験をして、その時には受け容れられなかったことでも、いつか腑に落ちる時が来ます。それが早いか遅いかそれが分からないだけだと思います。皆、分からないのです。Oさんありがとうございます。

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アセンションはもう始まってます。皆さん心(ハート)を開いて5感を研ぎ澄まして下さい。私はどうやら嗅覚は普通でしたがあなたはどこが感じますか?