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オトコなんてみんなばか 〜 Barren love 不毛な恋たち(その12)

藤村綾

風俗嬢歴20年の風俗ライター。風俗媒体に記事を寄稿。趣味は人間観察と眠ること。風俗ジャパン内・俺の旅web『ピンクの小部屋』連載中。

オトコなんてみんなばか 〜 Barren love 不毛な恋たち(その12)

  ばっかじゃないの。ああばかか。男は皆ばかものだ。

  そう自分にいい聞かせ子どもたちの食べ終えたお皿を無心に洗う。今日はパートを早めに切り上げてきた。いつも残業で帰宅が遅くなりそうなると自動的に夕食も手抜きか店屋物になる。午後6時を過ぎると総菜コーナーにあるあれやこれやに半額とか3割引、7割引のシールがパートのおばさんの蛇蝎のような目によって素早く貼られる。見ていて感心をするのはおばさんがシールを貼るそばから人がうじゃうじゃと甘ったるい匂いを放った飴にたかるアリのようにやってきてもみ合いをしながらカゴにポンポンと放り投げてゆくことだ。あんなふうにはなりたくない。いつもそう頭の中では傍観者でも体はつい衝動的に反応していてしまい疲れた体に鞭を打ち子どもたちのためにと必死で総菜を奪い合う。こんな時間からハンバーグや唐揚げなど作る気力も時間もない。この残された気力とせこさで総菜の奪い合いに参加している。お目当てのものを奪ったときの達成感ったらない。半額と貼られたシールを見るとなにかに取りつかれたような浮遊感に襲われるもその感覚は別に嫌なものではない。けれどこんな姿を夫には絶対に見られたくはない。まさか見切り品の争奪戦の中手を挙げて「やったわ! お父さん」などと叫んだら夫はきっと無視をするに違いない。俺には関係ないぞ。という他人のふりを。 

 夫は今夜もあの匂いをまとって帰ってくるはずだ。水曜日。あたしの唯一無二に嫌いな曜日。憂鬱な憂鬱すぎる水曜日。ミートスパゲティはきちん鶏のひき肉、炒め玉ねぎを炒めトマトのホール缶を使いコンソメと塩コショウで味を整えた。アボカドが好きなユウキのためにサラダはアボカドのシーザーサラダにしてマホとユウキと3人で今日会った出来事などをあれこれと喋りながら夕食を終えた。ねぇ、お父さんは? マホはいたずらにあたしに向かって至極残酷なことをきく。もちろん故意ではないことなどは分かっている。小学4年生という年齢は微妙で大人の事情を知っているような、知らないようなわけのわからないふうを装う。

「遅くなるって。さっき電話があったよ。なんで? マホお父さんに何か用があるの?」

 べつにぃなーいといいながらあたしの背中に抱きつく。ほらほら、とマホの手をほどき、お風呂はいってらっしゃい。と促す。ユウキも一緒に入ってくれるとお母さんはとても助かるな。マホはいっきに破顔をし、だってマホお姉ちゃんだもん、ねっお母さん、といやに張り切る。

「ユウキー!」マホがユウキを大声で呼び、ユウキーお風呂入るようー。おーい。とさらに大声で叫んだ。

 狭いながらも一軒家だ。夫が建てたマイホーム。けれどこの箱の中はうそがたくさん詰まっているただの箱だ。側から見ればそれなりに幸せな家族に見えるだろう。けれどそれは全く作り物で中身は生ゴミのように生臭さを漂わせているのだ。キャーキャーいいながら2人で浴室に入るところを見届けあたしはテーブルに腰掛けスマホにタップをする。SNSからの情報はリアルタイムでつねに更新されていく。

「どうしてこの人はあたしのものではないの? つらいな」

「しあわせな時間があるほどつらい」

「奥さんなんか死んじゃえばいいのに」

 おまえが死ねよ。つぶやいた声に自分でぞっとする。Twitterは本当にばか言語の羅列だ。けれどばかみたいなのについ見入ってしまう。いいね。のハートに23の数。わかるよ。その気持ち。うんそうだね。つらいよね。同意者が一斉に塊になってつぶやいているかのようだ。けれどきっとあたしが一番ばかで愚かだ。そう認め子どもたちが出るよー。という前に急いでアイコスに火をつけた。

「ねぇ、アケミの旦那さ、今日、カメリアスーパーの駐車場で見たんだけどさ」

 1カ月くらい前に高校からの悪友のナナコが突然思い出したかのように口にした。一緒にランチをしているときだった。でね、よくは見えなかかったんだけれどね。と前置きをして話を続けた。

 松野さんはトラックだったんだよね。その隣にさ、女が乗っていたの。あっ、でも見間違いかもしれないからね。と慌てながら付け足し、ナナコの顔が一瞬能面になった。あ、そんなこといわなきゃよかった。そんな顔だった。親友だしナナコの顔を見たら生理の日やセックスをした日だってわかるのだ。

「買い物でもしていたんでしょ? きっと。ああそういえばカメリアのパン屋の食パンを買ってきてねって頼んだんだよ」

 頼んでもなかった。頼むわけなどないってナナコも分かっていた。

「そっか。うん。あたしの見間違いだ。そっか」

 そうだよ。あたしとナナコは笑いながらお互いの子どもたちや共通の友達の話をして別れた。

 そのころからだと思う。夫が毎週水曜日に家庭にはない不穏な匂いをつけて帰ってくるようになったのは。香水ではない。なんだろう。たとえばタバコ臭くなったときに使う髪の毛用のミストのような感じだろうか。ふわっと匂うだけの取るに足らないような感じはその女の気配を全面に醸し出していてその控えめでせいそぶった匂いはあたしへの決闘状のような気がして鳥肌が立った。

 キャバクラやスナックあるいはフィリピンバブかもしれないと何度も自分にいいきかせてはやり過ごしてきた。仕事柄接待やらが多いし友だちも多いので余計にそう思いたかったのかもしれない。おかしい。疑問が確信に変わったのは毎週水曜日にあの不穏な匂いをまとって帰ってくることで決定的になった。

 浮気? 不倫? 本気? とても混乱をした。まさかあたしが浮気される夫を持つ「サレ妻」になるなんて……。

 おかあさんー。ねー。ユウキがお風呂からあがったのだろう。夫は今頃顔も見たこともない女とベッドの上にいるのだろうか。おかあさーんー。声がだんだんと大きくなる。いかなきゃ。あたしはけれど手のひらで顔を覆いながらどうしようとつぶやき一歩も動けないでいる。

 だだいま。夫の声がしておかえりとこたえる。23時半。シンデレラじゃあるまいし午前0時を越して帰ってきたことはない。

 「まだ起きたの?」

 「あ、うん。なんか眠れなくて」

 その問いに夫はなにもこたえないでいそいそといつも通りみたいな感じで浴室に向かった。仕事から帰ってきてまずお風呂に入る。その習慣は昔からでもし浮気をしてからその習慣に変わったならおかしいなあという疑問がさらに飛躍するけれどもともとなので夫的には自分の習慣にほっとしているかもしれない。浮気の痕跡を消すためにお風呂に真っ先に入る。ドラマなどではよくある話だ。シャワーの流れる音がしたのを確認し浴室に足を向ける。脱いだ作業着は作業着を入れるカゴに脱いである。なんだか今から万引でもする小学生かよと突っ込みを入れたくなるほど心臓がばくばくしていることに気がつく。あたしはカゴに入っている作業着をつまみ出しポケットのあたりに鼻をつけてクンクンと匂いをかいだ。無臭な夫だから余計にせいそな匂いが鼻梁をくすぐる。夫がワキガだったらこの匂いはふっしょくされていただろうか。と今それを思うかと自分の冷静さにおどろく。あっ、つい声が出てしまい急いで手で口をふさぐ。なんなの? 全く。この女は。あたしは体中が噴火寸前の山になったかのような怒りをおぼえた。夫の作業着の背中の下の方にブルーの小さなピアスが所在なさげに刺さっていたのだ。なんなの? いったい。あたしは小さなブルーのピアスをそっと取り手のひらに乗せ台所に戻る。

 ふっ。つい笑いがこみ上げる。どうゆうつもりなのだろう。夫が浮気を必死で隠していても相手が証拠を残しているなんて宣戦布告以外考えられないどころかあきれてしまう。こうやってあたしをあおって夫婦関係に亀裂を入れるつもりなのだろうか。確かに怒りや裏切られたかなしみはおおいにある。好きな女ができた。別れてほしいといわれる不安ももちろんある。しかしだ。婚姻の事実はなにがなんでも固いわけでありそう簡単に離婚には至らないし子どもだっている。それに。それにあたしは絶望的に夫を愛しているのだ。それでもと考える。見て見ぬ振りをするべきなのか。あのさ。シュウは浮気しているんでしょ? これなんだけれど。と鬼のような顔をしてブルーのピアスを見せた方がいいのだろうか。それとも今夜夫のベッドにおしかけて抱いてよと迫ってみるべきか。どうしたらいいのかさっぱりわからなかった。 

 夫と最後にセックスをしたのかいつだったのかちっとも思い出せない。思い出せないほど前なのだろうとゆうことはわかる。しないことになんの疑問も抱かなかった自分が悪いのだろうか。38歳の夫。まだ性欲だってもちろん現役なはずだ。

「あけみもビール飲む?」

 えっ、ああうん。とうなずきながら手のひらをぎゅっと握りしめる。いつお風呂からでたんだろう。びっくりした。なにおどろいているの。夫の声がとてもしらじらしく聞こえて目線を下げた。テーブルの木目が人間の目に見えてきてぎょっとなる。何人もの目にさらされているのに顔を上げられない。

「はい」

 コップに注がれたビールを受け取る。そのとき夫の指があたしの指に触れた。冷たいコップのまわりにはたくさんの水滴がついている。おつかれ。といってグラスとグラスをカチンと合わせる。

「うー。生き返るぅ」

 は? あたしは死にそうなんだけれど。のんきだね。たくっ。もう。

「はは、大げさだね。シュウは。現場はどうなの? 大変?」

 まあまあかな。シュウはビールを飲みながらご機嫌そうにこたえた。そっか。あたしもビールをちょっとだけなめた。手のひらにあるブルーのピアスが手のひらの中で暴れている。出して。出して。シュウはあたしのものだよ。あたしだけがシュウのパンツを脱がしているの。奥さんはね洗うだけだってシュウがいっていたわ。ははは……。

「うるさい」

 シュウがぎょっとした顔であたしの顔をのぞき込む。ああごめんね。なんでもないよ。顔を引きつらせながらいうあたしの顔は今いったいどんな顔をしているのだろう。もう涙すら出ない。喉のすぐそこまで出かかっている「浮気しているよね。楽しいの? あたしたち家族を裏切って。ねえ、なにを考えているの。あたしね、知っているのよ。なにもかも」それらの言葉を飲み込むのに冷たいピールは最適だなとつくづく感じた。手のひらの小さな存在が今この部屋のいやこのうそくさい家よりもいやいやこの世界の中で一番輝いているよう感じる。

Barren love 不毛な恋たち 【全12回】 公開日
(その1)あめのなかのたにん 2020年4月29日
(その2)とししたのおとこ 2020年5月29日
(その3)おかだくん 2020年6月19日
(その4)つよいおんな 2020年7月31日
(その5)舌下錠 2020年8月31日
(その6)サーモン 2020年9月30日
(その7)シャンプー 2020年10月30日
(その8)春の雨 2020年11月30日
(その9)依存症 2020年12月28日
(その10)ワニのマフラー 2021年1月29日
(その11)ヘルスとこい 2021年2月26日
(その12)オトコなんてみんなばか 2021年3月31日