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第八話 「離婚、そして再婚」 〜 泥沼の底から光の射す大空へ(その8)

さくら

三重県出身、1976年生まれ。
子供の頃から本が好きで、小説、漫画、アニメなどあらゆるジャンルの作品を見ます。

第八話 「離婚、そして再婚」 〜 泥沼の底から光の射す大空へ(その8)

 私は家を出る決心をしました。空にも何かあっては大変だと思ったからです。

実家に行った所で意味はありません。

夫を止められる人物はいないし、母が気味の悪い男と私の弟がいるアパートには行く気にもなれなかった。

まずは近くの交番に相談してみようと考えた。

夫がパチンコに出て行ったので今がチャンスと義母に言うと私も行くと言うので一緒に行く事になった。

 義母は私が出て行ったら自分が何をされるか分からないから私も一緒に行くと言いました。

 私もそうした方がいいと思った。

 近くの交番に行くとおまわりさんに市役所に行く様にと言われ、市役所に行き、色々と事情を説明しました。

話をきいてもらっている間もずっと夫の事が気になっていた。

もう帰って来てないか考えるともう胸がドキドキしてどうにかなりそうだった。

 そのまま市役所の人達と一緒に家に帰り、とりあえずいる物だけ持って市役所の人達の車に乗り、一時的に安全な場所へ避難する事になりました。

机に「探さないで下さい」とメモを置いて家を出ました。

私はいつまでもドキドキしていました。

空は何が起こったのか分からない様子で市役所のお兄さんにアイスを買ってもらって嬉しそうに食べていました。

 とりあえず空のランドセルを持って、義母はなぜか冷蔵庫からジュースを持って、私は夫が帰ってこないかそればかり気になって、本当に大した物を持ち出す事ができませんでした。

 建物に着きました。

そこには何組かの親子がいました。

そこでしばらく他の人達との共同生活が始まりました。

これからどうするかを相談しました。

毎日3食出してもらって、服や布団も借してもらって、自分達の部屋と当番の所を掃除するのが毎日の仕事でした。

掃除や洗濯をしていないと、テレビを見るぐらいしかする事が無いのです。テレビも一つしかなくて皆で見るから自分の見たい番組は見れません。

たいてい皆でニュースを見ていました。

そして私と空の行く所が見つかりました。

そこには義母は一緒に行く事ができないといいました。

義母も行く所を見つけて向かえに来てもらい、私達よりも先に出て行きました。

 夫が何度か警察へ行っていたという事を聞きました。

夫に見つかったら連れ戻されるんじゃないかと心配になりました。

また怒ってなぐられると思いました。

でも、そんな事にならずに空は新しい学校へ行ける事になり、私も新しい場所での仕事探しが始まりました。

しっかり働いて自分で空をしっかり育てていくんだと私は決意をしました。

 思いのほか早く仕事は見つかりました。私は空と二人の新しい生活を楽しみました。二人で歩いて買い物に行ったり電車に乗って町まで出掛けたり、何だか自由になった気持ちで楽しく過ごしていました。

やはり空は体が弱く、よくかぜを引いたりお腹を悪くして学校を休む事がありました。

だけど私達のいる保護施設には昼間職員がいてくれたので職員の人が時々空の様子を見てくれました。

他のお母さん達も安心して働く事ができるので、そんなに仕事を休まなくて良かったのです。

とても助かりました。

妹とも連絡を取って母や弟の様子なども聞く事ができました。

時々差しし入れをくれたりして助かりました。

 ある日の夜、私は自転車に乗って歯医者さんへと行きました。

私は目が悪くて日常生活では近場の物は見えているので眼鏡はかけていませんが、夜は特に見えづらいので気を付けてはいたのですが、交差点で止まろうとした時に縁石ブロックに乗り上げてしまった様で、止まれずに交差点内の横断歩道のまん中ぐらいまでふっ飛んでしまいました。ちょうど信号が赤で、車が止まっている所へ飛び出しました。

車を運転していた人と目が合った様な感じがしました。

このまま倒れていては危ないので、素早く自転車を起こして交差点から出ました。

そのまま歯医者さんに行き治療をしてもらい帰りました。帰ってから色々と痛くなってきて大変でした。

次の日に自転車を見るとカゴとか曲がっていたし、後ろの反射板も割れていました。

ちょうど健康診断か何かで病院へ行く事になっていたので病院へ行くと、ひどい打撲だと言われました。

しばらくはとても痛かったし、アザが手や足にできていてなかなか消えませんでした。

あの時もし、信号が青だったら、私は車にはねられて死んでいたかも知れません。

そう考えると運が良かったのかも知れません。

 空はだんだんと力が強くなってくるからいつまでおすもうさんごっことかの相手をしてあげられるかなあと時々思ったりもするけど毎日ぎゅーと抱きしめてあげると空はとても嬉しそうにしていて、私も嬉しい、こんな時がずっと続けばいいなと思うのです。

 弁護士さんと何度もやり取りをして自己破産をしたり、夫との離婚もする事ができました。いよいよ空と二人で新しい生活が始まるんだとがんばって働きました。

 どこでどういう風になったのか忘れてしまったけど、元夫から私のケータイに連絡がありました。足がガンになって入院手術をする事になったから来てほしいと、私はその日仕事がありました。

働かなければ空と楽しく生活していけません。

私は仕事だから行けないとはっきり言いました。ひどいやつだと言われましたがその日は元夫の妹とかも来るだろうし、会いたくないというのもありました。

休みの日にお見舞いくらいは行くからという事で納得してもらいました。

 私は仕事の休みの日に空が学校へ行っている間に、ちょっと出掛けて来ますと職員に言って、こっそりと元夫の入院している病院へ行きました。

元夫はすっかりやせて細くなっていてちょっと別人の様に見えました。

家を出て以来始めて見る元夫は、ベッドの上で「さくらがいなくて寂しい」と言いました。

私は少しかわいそうだと思いました。

しばらくは退院しても通院しないといけないと言っていました。

また来てほしいと言われたので2回ほどお見舞いに行きました。

だんだん元気になっていく様子でした。

退院したという事を連絡してくると何度も電話してくる様になって少しめんどうだと思いました。

 私は仕事にも慣れ、空も学校で楽しくやっている様子でした。

施設では子供とお母さんが一緒に楽しめるイベント等をしてくれて、私も空とよく参加して楽しみました。二人で映画を見に行ったりお祭りに出かけたり、とても楽しい日々を過ごしていました。

一つだけがまんできない事がでてきました。

ゴキブリの大量発生です。

最初は良かったのですが、私達の隣の親子の部屋がどうもやばいらしくて、私がいくらゴキブリ退治をしても、次々にやってくるのです。

また部屋がじめじめしているのでカビが多くて押し入れに入れた物がカビだらけになってしまうほどです。

 私は気管支炎になってしまい、半年ほどものすごい咳に苦しむ事になります。

体の弱い空にはここでの生活は楽しくていいけど生活環境は最悪だと思いました。私自身が体を悪くしてしまって、空にまで影響が出てきたら大変だと思いました。

 私はとても悩みました。

何度も帰って来てほしいと言ってくる元夫の所へ戻るかどうするか。

空は嫌だと言いますが、このゴキブリだらけの部屋でやっていくのは大変でした。

冷蔵庫の中もゴキブリだらけ炊飯器の中にもすぐに入ってくるのでご飯も炊けずに毎日パンケーキを焼いたり、何か買ってきて食べるかしかできないのです。

はっきり言ってもううんざりしていました。

 元夫が空にゲームを買ってあげるから戻っておいでと言い聞かせて、私は職員の人達にうそを言って施設を出る事にしました。

 半年ほど施設で暮らしましたが、本当に職員の人達は皆親切で優しく大変お世話になりました。

 元夫はもう暴力はふるわないと約束をしました。それでもう一度再婚する事になりました。これも空の為だと、これから空が大人になるまでにはお金もたくさんいるだろうし、夫がいた方が何かといいと、それに体の弱い空にとってきれいな家で安心して住める方がいいに決まっていると考えたからです。

 しかし、私の考えは甘かった。

いくら暴力はふるわないと約束しても夫はやはり、すっかりいい人にはなっていなかった。毎日飲んで気に入らないとぶつぶつ言う。

最初は変わってくれたんだと思っていたけど、日がたつにつれもどっていくのが分かった。

 空には何で戻ったのかといつも言われて、「ゴメンネ」母ちゃんがまちがってた。

帰ってくるんじゃなかったね。

ゴキブリぐらいがまんしておくんだったねと空にあやまった。

 夫は私に暴力をふるう事は無くなったけど物にやつあたりするのは多かった。

カベを殴ったりドアを蹴破ったりした。

 何とか空の小学校卒業までやり過ごす事ができた。

6年生の運動会もちゃんと夫は参加して親としての役目もはたせました。

最後の運動会で、空の友達が夫の頭をパチパチたたいて遊んでいた時、私は冷やりとしました。

もし殴ったりしたらとんでもない事になると思い、すぐに止めに入れる様にと近くで身がまえていましたが、何も起こらずに済んで良かった。

近くで空が見ていたので、私は空がどんな気持ちで見ていたかと思うと心が痛みました。

 そしていよいよ空も中学生になりました。空はテニス部に入りました。

がんばってね、と私は空を応援します。

 私と空は夫がいない時に二人でおしゃれなカフェにランチに行ったりカラオケに行ったりしました。

夫は温泉くらいにしか行こうとしません。

生活もやはり苦しくて、あまりお金に余裕がありませんでした。

私もすぐに仕事を見つけて働いていましたが全然生活は楽にはなりませんでした。 

私には友達がいませんでした。

他のママ友達は出掛けたりしていましたが、私にはそんな余裕もお金も無かったので、会話に入れず、いつの間にか一人になっていました。

空は友達といつもどこかへと遊びに出掛けていました。

 私はふと家の窓から外を眺めると、私だけどうしてこんなに苦しいのだろうか?本当につまらない人生だなと思いました。

外を通る車を見て、他の人達は自分よりも幸せなのだろうか?

いつになったらこの苦しい生活から抜け出せるのだろうか?

そんな事を考えると涙が止まらなくなるのです。

そんな事が何度も何度もありました。