本棚のある
風景

中世の大学をめぐる書籍出版のお話

1350年頃のボローニャ大学の様子 ベルリン国立版画館所蔵
1350年頃のボローニャ大学の様子
ベルリン国立版画館所蔵

中世もたけなわの13世紀、書籍出版の機軸が修道院から大学へと移行します。都市国家の発展とともに識字率が上がり、それまでは修道院の独擅場であった書籍の出版も世俗の世界へと移動し始めたのです。そして、ヨーロッパの各大学周辺には書籍の出版に関連する組織が存在していました。

中世に興った大学と書籍

そもそも大学は1158年、ボローニャ大学が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の認可を受けた時から始まります。その後、パリ、オックスフォード、パドヴァ、ナポリ、ローマなど現代まで残る主要な大学は14世紀半ばまでに誕生しました。

これに伴って、大学で学ぶ学生たちのあいだで書籍の需要が高まります。その背景もあって、非常に専門的で高度な書籍の流通制度が誕生することになったのです。大学都市で展開したこの流通制度はどのように機能していたのでしょうか。

書籍流通システム「Pesia」

大学による書籍流通システムは「Pecia」という名で知られています。修道院で僧たちがわずかな宗教関連書を期限もなく書き写していたのとは違い、大学の書籍は大勢の生徒たちの手に迅速にいきわたらせる必要がありました。そのため、大学が音頭をとって整備したシステムといわれています。

このシステムから正式に出版された書籍は「Exemplaria」と呼ばれて大学の教授が認可したものだけが名乗ることを許されていました。

まず、大学で使用される書籍の大量出版が必要になると、大学から書籍出版の認可を受けた「Stationarii」と呼ばれる工房に、オリジナルの書籍が預けられます。工房が抱える写字生たちによって迅速に書き写されて書籍の複製が完成しますが、当然手書きですから書き間違いも発生します。たとえば1人の写字生がひとつの単語のつづりをまちがって覚えていた場合、完成後にその単語をすべて修正する必要が生じます。そうした校正の責任も、工房全体が負っていました。また写字生たちの中には大学の学生もいて、報酬を学費の足しにしていました。写字生たちの中には、女性の名も残っているのだとか。

1冊の本もいくつかの綴じにわけて納品

ウフィッツィ美術館の作品より。1ページに2列のテキストがスタンダードに(著者撮影)
ウフィッツィ美術館の作品より。
1ページに2列のテキストがスタンダードに(著者撮影)

大学の書籍の興味深いところは、こうして書き写された書籍が、作品丸ごと1冊に製本して納品されることがほとんどなかったという点です。1冊の本は何部かの綴じにわけられて学生たちのもとに届けられていたのです。なぜでしょうか。

それは、1冊の本を何部か章ごとにわけて写字生たちが同時に書き写していたという事情がひとつあります。この綴じ(Pecie)が、報酬を支払う時の単位にもなっていたためです。

この「Pecie」というスタイルは、その後の書籍のスタンダードにもなりました。すなわち、1ページに2列でテキストが並び、学生がメモなどを書けるようなスペースが確保されていたのです。

大学の出版事情によって、文字を書く仕事はプロの職業と化していきました。書籍の生産量は、修道院の内部で行われていたころとは比較できないほど増大しました。大学都市には彼らが組織するギルド(組合)も存在していたのです。現在まで残る古文書の中には、こうした文字のプロたちと依頼主が交わした契約書も残っています。

世俗の世界で普及する書籍

大学が盛んになった時代はヨーロッパの都市国家の中で中産階級が興隆してくる時期と重なります。新たに興隆した富裕層によって、書籍の宗教離れが加速していきます。大学で使用する学術書や文学のほかにも、公証人や裁判官、医師たちが必要とする専門書の出版が急増しました。さらに14世紀から15世紀になると、富裕な商人たちが財力にあかせて書籍をコレクションする時代に突入します。

修道院の一角から羽ばたいた書籍の出版は、他の文化と共にルネサンス時代に発展し、やがてグーテンベルクの印刷へと続いていきます。

書籍代捻出は借金で?

フィレンツェにあるラウレンツィアーナ図書館のかつての様子
フィレンツェにあるラウレンツィアーナ図書館のかつての様子

このように書籍出版がシステム化されたとはいえ、本の価格は決して安いものではありませんでした。1435年、パヴィア大学の教授の年収が10~50フィオリーニであった時代、30冊の蔵書があった医学部教授の書庫全体の価値は133.5フィオリーニもあったそうです。ミケランジェロが設計に携わったことでも有名なフィレンツェの図書館でも、盗難を防ぐために書籍は鎖につながれていたことがわかっています。

 

当然、当時のエリートであった大学生たちも書籍代の捻出は簡単ではありませんでした。

そこで登場したのが大学生相手の金貸しです。フィレンツェにはヨーロッパ各国の王侯貴族に融資をする銀行家があふれている中、大学生への融資で財を成したウブリアーキ(またはオブリアーキ)という貴族がいました。ダンテの『地獄篇』にも登場する同家は、当時のフィレンツェには大学がなかったため、他の大学都市に出向いて銀行業を行い、成功しました。このことからウブリアーキ家はパドヴァなどの大学都市に分家が生まれることになるのです。学生たちの書籍代も、こうした借金で賄われることは少なくありませんでした。修道院内で限られた人々だけがキリスト教関係の書物を写して読むという世界とは一線を画する、書籍の流通が生まれていたことがわかります。

キリスト教会の桎梏から逃れた実用的な書籍が誕生していく過程には、次世代を担う才能が集中した大学の存在が不可欠であったのです。

参照
  • Medioevo n.217 Febbraio 2015
  • Medioevo sul naso Chiara Frugoni著 Ecoomica Laterza刊
  • Monete e Civilta mediterranea Carlo M. Cipolla著 il Mulino刊
  • https://www.treccani.it/enciclopedia/pecia/
  • http://scrittoria.altervista.org/la-struttura-del-testo.html
  • http://acnm.xoom.it/acnm/mostisola/curios.html
  • https://marciana.venezia.sbn.it/immagini-possessori/432-ubriachi-bartolomeo
  • https://www.treccani.it/enciclopedia/obriachi_%28Enciclopedia-Dantesca%29/
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