出版において、古代と現代では共通点も多々ありました。
知名度が高く文筆家としてよく知られていたカエサルやキケロといったビッグネーム以外にも、出版を志した人は多かったようです。
古代ローマにおいても、その名を聞けば「書物」を想起させる高名な出版企業が存在していました。
世界史に詳しくない人でも知っているユリウス・カエサルやキケロは、数多くの著作を残しています。彼らの執筆は、ほとんどが口述で行われました。つまり、カエサルやキケロが話した言葉を、文字にする専門家が存在していたのです。
出版社の代表例が、キケロの文通相手のアッティクスです。自身も大変教養があったアッティクスは、紀元前50年ごろにキケロの作品の出版を請け負いました。
莫大な資産家であったアッティクスは、ローマのクィリナーレの丘に筆記者( librarii ) と校正者 ( anagnostae ) を数多く抱える「出版社」を所有していました。アッティクス自身が愛書家であったためか本へのこだわりが深く、彼の出版社で制作される書物は読みやすさに定評があったそうです。また、原本に忠実で、まちがいが少ないことでも知られていました。
現在の研究では、古代ローマの「出版社」で生産された書物の数は、2,3週間で数十部といわれています。もちろん、作品がどのくらいの長さであったかで生産できる部数も変わります。いずれにしても、本が希少で一部の富裕層のステイタスシンボルであったことがうかがえます。
その他にも、初代皇帝アウグストゥスの時代に詩人ホラティウスの出版を請け負っていたソシウス一門があげられます。共和政時代には執政官も輩出した名門貴族ソシウス家は、出版業界でも知られた存在でした。
また、風刺作家マルティアリス、修辞学者クィンティリアヌスの出版業者はトリフォーネ、『ローマ建国史』で有名なリヴィウスの著作出版を請け負ったのはドーロというギリシア人であったことがわかっています。
ところで、上記のマルティアリスやクィンティリアヌスは、自身の作品を公衆の前でよく朗読していました。これが宣伝活動の一端であったかは不明ですが、われこそは出版をと思っている人々も、この方式を踏襲していたのです。文筆業を志す人はまず奴隷たちに自作を写させて、友人知人に贈りました。気心が知れた人の意見を取り入れて「修正」することも多かったのだとか。
さらにこの作品を世に広めるために、インテリ階級を招待し、自ら朗読して宣伝活動を行っていました。概して駄作も多かったのか、博物学者のプリニウスは頻々と行われるこの朗読会に辟易したと伝えています。
いっぽう、文学や芸術を愛好したハドリアヌス帝は、こうした未知の文学者たちが自らの名を売るために朗読する小さな劇場を設立しています。ギリシア文化を溺愛したハドリアヌスらしく、この建物は「アテネウム(Athenaeum)」と呼ばれていました。アテネウムは現在のヴェネツィア宮殿近くにあり、数年前にローマ地下鉄C線の建設中に偶然発見されニュースになったのは記憶に新しいところです。
公衆の前にしての朗読は、マーケティング戦略だったのでしょうか。
そして、気になるのは出版にかかるコストです。
出版にどれほどお金がかかったのか具体的な数字はわかっていません。しかし、アッティクス級の資産家ならば、出版業者が請け負うのが一般的でした。巻数が多くなりコストが極端に上がる場合は、作家も一部負担していたようです。
その他に資産家が道楽で出版を支援することもありました。公衆を前にした朗読会は、こうした資産家をその気にさせるための運動でもあったのです。西暦1世紀の詩人スタティクスは、この方法で作品を出版しています。
ただし、作品が話題になって売れても作家が大金持ちになることはまれでした。著述業とは切っても切れない「著作権」という概念は、18世紀になってようやく生まれます。4世紀のローマに生きた文学者シュンマクスは、「Oratio publicata res libera est(出版により得られる利益は、著者以外の多くの人々に分散してしまった)」とお金がもうからない事情を嘆いています。
古代ローマ時代の識字率がどの程度であったのかは、諸説あり定かではありません。
上級階級であれば、幼少期から読み書きの学習が家庭でも行われていたようで、古代ローマ時代の偉人の食卓にはあふれる教養で会話を取り仕切る母の存在がつきものでした。
しかし、肝心の本と触れ合う経路は確立されていたのでしょうか。
実はローマにも現代と同様に図書館があったのです。
ローマに最初の公立図書館が登場したのは紀元前75年頃といわれています。五賢帝の1人トライアヌス帝の時代になると、「ラテン語」と「ギリシア語」のセクションに別れた広大な施設になっていきました。
4世紀のローマともなると、大小さまざまな30の図書館の存在が確認されています。古代ローマ人が愛した公共浴場にも、小規模の図書館が併設されていることが多かったようです。
ということは、ある程度の家庭に生まれた人には本を読む習慣があり、こうした風習の上に成り立っていた出版事業であったといえるでしょう。
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