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購入申し込みの喜び

『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』の著者によるコラムです)

 5月初旬、『公立共済・友の会だより』が届いた。この小冊子には友の会会員の「自費出版ガイド」のページがある。そこに紹介されていた9冊の著書の中に、『奪われた若き命ー戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』もあった。自著ながら、チョコレート色の表紙とエメラルドグリーンの帯、その真ん中に木村久夫さんがいる表紙には、見るたび引きつけられる。今回もそうだった。

 ここで紹介されるのは、友の会会員が自費出版した書籍だけである。説明の中には「購入を希望される方は、著者宛に直接ご連絡ください。」と記載されている。

 数日してハガキと封書が一通ずつ、そして2日ほどたって3人の方からの封書が届いた。このことはわたしにとって大きな喜びであり、出版できたことの喜びをかみしめた。

 5人の方の中には、木村さんの生家がある吹田市の方もおられた。さらに高知大学がある高知市朝倉の方もおられたことに、わたしは感動した。高知の方は御両親の介護で徳島県吉野川市に居を移しておられ、『奪われた若き命』はこちらに送らせていただいた。

 吉野川はその文字が目に入っただけで胸がいっぱいになった。高知には高知大学図書館に木村さんの蔵書が「木村文庫」として保管されているため3回訪れている。1回目の1996年には飛行機で行ったが、2006年と2007年には岡山から特急・南風を利用した。このとき車窓から吉野川の絶景に魅了された。このようなことで、わたしは強く心を動かされたのであった。

 広島県の方はご自分の兵士としての戦争体験を記されて申し込んでくださった。お送りしてすぐのお手紙には感想が綴られ、体験記『戦友よ、許せ』が同封されていた。この方は戦友から、京都のお母さんに届けて欲しいと、軍服と軍刀を渡された。しかし夜間飛行の移動移動であることから「不必要な物は一切持つな」と指示されていたため、ためらいながら戦友にそのことを伝えた。返答は「すまんことを頼んだな。飛行機へ積んで持って征くよ」だった。この方は、「陸軍特別攻撃精華隊」の一員として出撃し還らぬ人となった。『戦友よ、許せ』にはこのことが書かれているのである。

 この方は木村久夫さんの戦犯刑死に対しては、「心情いかばかりであったかと存じます」と書いておられる。『奪われた若き命』から生まれたこのような出会いに感謝したい。

■著者紹介
『奪われた若き命 戦犯刑死した学徒兵、木村久夫の一生』(山口紀美子・著)
1941年、日本は大東亜戦争(太平洋戦争)に突入する。日本では多くの国民が徴兵され、戦場に向かうことになった。そんな時代に行われた学徒出陣で徴兵された若者たちの中に、木村久夫という一人の青年がいた。
終戦後、戦地であったカーニコバル島の島民殺害事件に関わった人物として、木村久夫さんはイギリスの戦犯裁判にかけられ、死刑を言い渡された。その時木村さんが書いた遺書は、学徒兵の遺書をまとめた『きけわだつみのこえ』に収録されたことでよく知られている。
その『きけわだつみのこえ』を読み、木村久夫という個人に心惹かれた著者は、木村久夫さんの妹、孝子さんと何年も文通を重ね、木村さんのことをさらに深く知っていった。その後、孝子さん夫妻と実際に何度も会い取材を重ねていく中で、著者は木村久夫さんが歩んできた人生の足跡を辿っていくことになる。

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