著者プロフィール                

       
〜 北海の大地にて女のロマンを追え(その5)

高津典昭

昭和32年1月7日、広島県三原市生まれ63歳。
昭和54年陸上自衛隊入隊。その後、職を転々として現在故郷の三原に帰り産業廃棄物の分別の仕事に従事。
平成13年2級土木施工管理技士取得。
平成15年2級舗装施工管理技士取得。
執筆活動は土木作業員の頃から。
本作は「伊東きよ子」のヒット曲「花とおじさん」が私の体験によく似ていると気づき、創作意欲が湧いた。

〜 北海の大地にて女のロマンを追え(その5)


ホテルでは、まず、被害者の妻、京子に連絡が入った。
「証拠写真、無駄になっちゃったわね。それにしても、あの人が勝手に死んでくれたから、逆に良かったわ」
離婚も、未亡人になるのも、高須から離れられることでは同じだ。
「それより、裁判もいらないし、慰謝料なんかより、あの人の保険金の方がおいしい。このツアーに来て大正確だわ。申し込んでくれた親に感謝しきゃ。」
とほくそえんだ。
ツアー客には、添乗員によって殺人事件の事が伝えられた。
本日は、最終日で自由行動になっているが、道警によって、ホテルの一室にツアー一同は集められ、拘束したので、どこへも出られなくなった。
田中さんと聖美ちゃんは、夜中に出て行った敦子が帰って来ないので、事件にまきこまれたかもしれない…と心配になっていた。
そのうち、警官から敦子について知らされ、がく然となった。
「重要参考人って容疑者と犯人とどう違うの?」
「そりゃ全然違うでしょ。敦っちゃんはたまたま通りがかったのよ」
「そうね。もうすぐ戻って来るでしょ」
ホテルの一室に拘束された一行だが、殺された高須と、妻の京子と、重要参考人の敦子の3人を除けば全員そろっていた。

「えー、あの人が?」
「きんきん声の人よ」
「私、あの2人がニセコのお花畑で楽しそうに歩いていたの見たよ」
「私は小樽で見た」
「それ、不倫でしょ」
「奥さんも来てるのによくそんなあからさまにできるね」
「私、ヒステリックな奥さんもあやしいと思う」
「男と女の三角関係の果ての殺人?」
「そう、愛のもつれね。殺人現場にりんごは落ちてなかったのかしら?」
「そういえば、忘れてたけど、ラフティングの落水といい、シャンデリアの落下といい、高須さんはずっと狙われてたんだ」
拘束され、自由行動に出られない不満と、事件のうわさで、この一室は騒然としている。なんだか、健さんだけが、影のあるふだんと違い、なぜかニヤニヤしている。
「田中さん、前から言おうと思っていたんだけど、田中さんに悪くて言いそびれてたの。健さんあやしいと思うの」聖美ちゃんは言った。
「私の健さんに何言うのよ、このアマー」
「私、田中さんのために言ってるの」
楽しかったツアーが、この事件を期に一気に修羅場と化した。
 そのうち、道警による事情聴取が行われ、ツアー客は、一人ずつ呼ばれて質問された。アリバイ供述だ。何も知らないツアー客にとって、アリバイもくそもえらい迷惑だ。
その頃、敦子は殺人現場での実況見分を終え、警察署で取調べを受けていた。「もういいかげんにしてください。私は、たまたま通りかかっただけだって言ってるでしょう」
敦子のきんきん声が署内に響いた。
敦子は、殺された高須の携帯電話の着信履歴で足がついたのだ。警察が、メールという形で通報を受けたのだ。
その中身は、
「私は敦子に殺される。テレビ塔の下。助けて」
であった。このイタズラメールのような内容だが、とりあえず緊急出動した。すると、男と女がテレビ塔の下でもみ合うような姿を目にしたので、サイレンを鳴らして近づいた。
そういう経過である。110番通報されたメールに敦子の名がある事や、ナイフを抜き取っていたのをもみ合って刺しているようにも見られたのは、いかにも敦子には不利である。
しかし、「やってないのは事実なんだし、警察だって、それぐらいの事、すぐわかるでしょう」
と高を括っていた敦子だったが、現実はそんな甘いものではない。警察は、まず犯人を暫定的に決めて、そこから捜査を始めるのだ。という事は、肉声ではないにしても、110番通報を受けて警察がかけつけた時、現場でナイフを握っていた敦子が犯人であると暫定的に決めつけ、そこから証拠物件を集めて自白させるのだ。ナイフで刺している現場をおさえたわけではないので現行犯逮捕はできないし、被害者は仏になって口がきけないので、緊急逮捕という形もとれない。まわりに目撃者がいなかったので、目撃者の証言もないのだが、アリバイのないことが明確な敦子である。不利もくそもなく、警察の犯人つくり上げ工作の圧倒的な権力によって敦子の無実はつぶされようとしていた。えん罪だ。
 法治国家ニッポン。世界に冠たる法治国家、その治安の良さは、並ぶ国はない。犯人検挙でも他の国の追随を許さない。ただ、それは、えん罪も含まれての数だ。しかし、数々の名誉と信頼を手にしてきた警察にとって、果たさなければならない使命なのだ。警察は、国民の信頼及び国の威信にかけても犯人の検挙率を落とすわけにはいかない。
 とはいえ、えん罪をかけられた側はたまったものではない。しかし、自分一人が罪をかぶれば事件は解決し、警察の信頼は維持される。それならば、えん罪をかけられた者は、国の平和を守るため犠牲になる事はやむを得ないことなのだろう。
極端に考えると、不慮の事故で死んだ。不治の病にかかって死んだ人に比べれば、実刑を受けても死刑にまではならない。生きてさえいれば、何かいい事もそのうちあるかもしれない。ラグビーの精神は、ワンフォアオール、オールフォアワン(一人は皆のために、皆は一人のために)だ。この犠牲的精神をえん罪にあてはめてみると違う事に気づく。えん罪者は国のために罪をかぶったが、国はえん罪に実刑という罰を与えるだけだ。そう考えると、いかに自分が国のためにした事(えん罪をかぶる事)でも、だれもその功績を認めないということだ。耐えられない。冗談じゃない。敦子は自分の無実のために、徹底して警察と戦う意志を決めた。
「絶対負けない!絶対汚名を晴らす!」
取調室の中で誓った。

取調室では何人もの捜査官が入れかわり立ちかわり質問し、調書を取る。さっき質問されて答えたことをまた別の人にも同様の事を質問される。なかなか前に進まない。何人もの人に同じ事を答えるのはいいかげん疲れてくるし、いらいらしてくる。
狭い密室で朝から晩まで、だんだん気力が衰えてくるが、
「いかん、いかん」
とこの頃は気丈な敦子は負けなかった。
なかなか口を割らない捜査官たちは業を煮やしていた。
「この女は黙秘権を行使しています」
その時、新進気鋭の若い捜査官が入って来た。
「私に任せてくれないか。ガイシャの内ポケットの携帯の着信履歴を見てわかった。この女とはメールのやりとりをしていたんだ」
「そんなことは、とっくにわかっている」
「いいから、私に任せてください」
自信満々の若い捜査官はパソコンを2台用意させた。
「息抜きにチャットでもしないか?」
と気さくに敦子に声をかけた。捜査官が『はじめまして』と打つと、それまでの仏頂面がうそのようににこりと笑った敦子は『こちらこそ』と返した。
『あなたが犯人でしょ』
『はい』
『逮捕します』
『まじ』
『ガチャ』と手錠をかける音。
『やられた(笑)』
腕ききの刑事達はその見事さに、「おおー」と驚き拍手を送った。
いとも簡単に自白させたからだ。
令状を書き、手錠をかけようとした瞬間、敦子は我に帰った。
「違います。私はのせられたんです。ちゃんと調べて下さい」
と怒鳴った。この時ばかりはノリの良さが裏目に出てしまった。
自白から一変、容疑を否認された警察は残念がった。
そこに京子が入ってきた。京子はよき妻を演出し、うそ泣きをしながら敦子に詰め寄った。
「刑事さん。この女ですぅ。この女が主人を殺したんです。ううう…。大切な主人が殺されて…私、どうやって生きていけばいいの…。殺してやるー」
敦子は、京子のさる芝居にあきれ、
「あんた、どのツラ下げて言ってんのよ。悪妻、バカ女!」
自分が犯人にされてはたまらない。
「あんた、主人が死んで本当はうれしかったんでしょ」
図星をつかれた京子は逆上して敦子につかみかかった。敦子も負けてはいない。そのかわいいお手手で京子に平手打ち
「きん、きん、きん!」
 たまらず、まわりの警官が
「奥さん、落ち着いて。奥さんのつらい立場はわかりますが取調べ中です。冷静になってください。」京子にとって、殺した犯人は誰でもよかった。個人的に敦子が嫌いなのだ。
引き離された京子は「このツアーの最中、私、何度も主人とこの女が密会しているところを目撃しました」
「それでは決め手に欠ける」
 取調べは続いた。
 チャット捜査法で一度は自白させたものの、すぐに手のひらを返し容疑を否認した敦子だ。とても手ごわい相手となった。

 その後、敦子は、別の部屋に連れて行かれた。その名も『高須典雄殺人事件捜査本部』の看板がかけられた部屋だ。この中には、ラフティング落水事件のニコセ署と、シャンデリア落下事件の小樽署からそれぞれの刑事が詰めている。敦子は、どんどん大きくなっている事の重大さを実感したが、それに屈しない精神は健在だ。すると突然、
「お前が殺った事は、わかってるんだ。いいかげんに白状しろ!」
気の短い若い刑事が机を叩いて怒鳴った。そして、机の脇にある白熱電球のスタンドを目に当てたり、スカートの奥を照らしてのぞいたりと、やりたい放題だ。敦子は、
「どんなにおどされても、恥ずかしめを受けても、私は無実なんだ。負けない」と改めて誓った。
 すると、古株の頭のはげた刑事が、
「おなかがすいただろう。親子丼でも食べながら話をしよう」とやさしく食事をすすめた。
昨夜のサッポロビール園のジンギスカン以来、何も食べていない敦子は、かなり腹が減っていたので食べた。どうもこの刑事はやさしく情に訴えかけて質問してくる。しかし、情もなに、殺っていないのだから関係ない。
 その後、取調べ室のテーブルにうそ発見機という怪しげな機械が置かれた。手のひらに、その機械本体から接続されたベルトをはめさせられ、刑事の質問に答えさせられる。なんでも、質問に答えた時の手の汗がうそか誠かを決定させるらしい。これはチャンスと敦子は、やっとこれで無実が証明されるとこの機械に全面的に期待した。
 質問が終わった。その結果はいつまでも知らされないまま、またも取調べが再開された。
「うそ発見機で、私の無実がわかったのに、いつまで取調べするのよ」
と言っても何の返答もない。当然である。この機械は、犯人作り上げの手段にすぎないのだ。結果なんて教える訳がない。形だけのものだ。そんな機械で人間の心などわかる訳がない。
 ホテルでは、モーニングコールを受けた従業員が、敦子のアリバイを否定する供述をした。同室の田中さん&聖美ちゃんは、なんとか敦子を助けたいが、自分達の知らない所で起こった事件なので、
「寝ていてわからなかった」
と言うしかなかった。
 旅行代理店にしても、ホテルにしても、ツアー客をいつまでも滞在させてはいられないので、道警としては重要参考人敦子を真犯人に作り上げる工作が整ったとして、ツアー客は全員白として拘束を解いた。部屋の周りにはりめぐらせたロープも除かれ、ツアー一行は安心とともに、最終日をつぶされた怒りで騒然となった。
「あんたらのせいで楽しい旅行が台無しになった」
と田中さんと聖美ちゃんに罵声を浴びせてバスに乗り込もうとしていた。
 バスは、全日空の予定の便に合わせるため、出発を急いでいた。田中さんと聖美ちゃんは、敦子にかけられた疑いを晴らすため札幌に残ると決めていたので乗らなかった。添乗員も納得し、バスは出発した。バスが動き始めた時、田中さんと、バスの中の健さんの目と目が合った。田中さんの哀しそうな目を見ると、いても立ってもいられない。
「止めてくれ!」
 健さんは添乗員に言った。バスから降りて、田中さんに向かって歩いて来た健さんは、
「あなたが残るなら僕も残ります」
 田中さんは惚れ直した。聖美ちゃんにしてみれば怪しい男だ。田中さんが心配だ。さらに、
「聖美ちゃんの力になったるんや」
と、3CNの3人も降りて来た。3CNには何のかかわり合いもない事件だが、聖美ちゃんの人望、人徳だ。
 この時、道警本部に設営された〝高須典雄殺人事件捜査本部〟では、被害届を出した、NACニセコアドベンチャーセンターと、小樽の北一硝子の経営者達も詰めかけ、合同捜査が始められていた。いずれの事件も、狙われたのは殺された高須だ。事件に関係性がある。

翌朝、3CNはさしあたって札幌に滞在する金が必要なので、大通り公園でストリートミュージシャンとなり、オリジナルのCDを売るのだ。
殺人事件のテレビ塔は、この大通り公園の東端にある。何か手がかりがつかめるかもしれない。
「お疲れさまー」
聖美ちゃんが、大通り公園名物のとうきびを持って差し入れに来た。客も少ないので一服する事にした。
「敦子さん、どうなんやろうか?」
「真犯人、まだわからへんねやろうか?」
「警察の捜査方法がまちがってるのよ」
「そや、そや。警察のあほんだらー。お前の母ちゃんでべそー」
「あんた、あほちゃうか?昔から説得力ないねん。せやから曲が売れへんねん」「高須さん殺しの犯人は、ツアー客の中にはいないと思うの。テレビ塔の周辺で、地元の人間と何かのトラブルがあって殺されたと思うのよ」
「この辺で遊んでる奴らなら、何か知っとるかもしれへんな。夜になったら探り入れてみたろ」
「あんたって、意外と頼りになるねんな」
「警察に通報した人だって怪しい。現場にいなかったのはおかしい」
「仕事で忙しかったんやろ」
この4人は、こうしてブレストし、名案を探したが、結局、何の進展もなく一日が過ぎていった。


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