著者プロフィール                

       
第1回 はじめに――学校教育の限界と、母性への眼差しわが国の学校教育の地平線から――educational juris prudence 〜 学校教育の限界と母性への眼差し(その1)

北島 惠美子

昭和36年(1961年)生まれ。東京都出身。慶応義塾大学医学部附属厚生女子学院卒。正看護師籍第482310号。慶応義塾大学医学部付属病院勤務を経て、文教大学教育学部初等教育課程数学専修を卒業し、小学校教諭・中学校数学教諭の免許を取得。その後、浦和ルーテル学院初等部専任教諭、星美学園小学校専任教諭、東京都立小・中学校講師として勤務しながら、教育現場に看護ケアを活かす全人的『教育ケア』を開発。日本社会事業大学社会福祉士養成課程(通信教育部)も卒業している。

第1回 はじめに――学校教育の限界と、母性への眼差しわが国の学校教育の地平線から――educational juris prudence 〜 学校教育の限界と母性への眼差し(その1)

連載の趣旨

わが国の「学校教育の限界」が、不登校児の大量発生(40万人とも言われる)、教諭の大量退職、そして普通学校から特別支援学校への避難的移動という現象を引き起こしている。今こそ、明治5年の学制発布以来のわが国の学校教育の経緯を振り返り、その本質を明らかにすべき時である。


本連載が目指すのは、educational juris prudenceを問い直すことである。学校教育の歴史的経緯を紹介するとともに、学校ばかりに頼らずとも適切な教育ができることを示したい。不登校や学校と噛み合わなかった子どもたちへ、学校外でのプライベート教育をプライマリーケアも交えて実践してきた「ソフィア義塾」での経験から確証してきたものも紹介していく。


「登校しなくても、子どもは育つのか?」という不登校児の親たちの切実な問いに応えること。それが、本連載のもうひとつの大きな動機である。
目指すのは、福沢諭吉の言う「私徳に対し、私徳をもって応える」を実現できる家庭や学校であり、誰もが誰に対しても、教え育てる志向で関わり合い、互いに生かし合う社会の実現である。

私の人間観

私の人間観の根底には、人間はCreator(創造主)によって創造された存在であるという考えがある。明治5年、文部大臣・森有礼が発行した『修身論』では、Creatorを「万物の主催者」と記している。


人の言動のすべてには、経緯――すなわち「言い分」の物語がある。その奥にある「動機」の連続性を辿り、それを貫く不変の意思を摑むと、その人の本意が読み取れる。さらには、その人の存在の根本原理(principle)、すなわち存在の意義までもが見えてくるのである。


自分自身もまた創造された存在であるから、同様に、動機の連続性を通じて、自分がどのように創造されているのかを知ることができる。たとえば、持続的に強い関心を抱く「こと」に対し、その関心を持つ自分自身をいたわり、育てていく。自分に可能なことは最後まで仕上げる。そんな自分に最後まで関わること、それがself-love(自己愛)である。他者に対しても、同様に実行する。

他者との関わり

他者と私との関係(relation)もまた、常に創造(creation)されている。私と他者との対話の場に降りてくる「智」をキャッチすること、それが至福の幸せである。
私にとっての他者とは、思い通りにしたり所有したりする対象ではない。他者のニーズを摑み、それに応えるために自分自身を活かすobligation(務め)の場である。そのために必要な能力をあらかじめ身につけて臨み、自分の関与の適否も評価し、記録に残してフィードバックしている。アダム・スミスの表現を借りれば、voluntary service――Creatorへの献身的な奉仕の精神である。

私の教育観

すべての人は、生来持って生まれた才能を、自分自身や社会に対して活かすことで、生き生きと生きていくものである。私はその考えのもと、自分自身もほかの誰もが、そう在れるよう、適切なサポート――とりわけ専門的な技能(プロスキル)や励ましをもって、その成長を支えたいと願っている。


とくに私は、「智を摑む」ことこそが生きる幸せだと、幼少のころから痛感してきた。どんな子どもにも、そうした体験に出会わせてあげたい。その思いは、幼少の頃から生涯を通じて、まったく弱まることがない。病棟の子どもたちの多くに、まだその機会が届いていないことが、今なお気がかりである。

学校教育の限界と母性への眼差し 【全6回】 公開日
(その1)第1回 はじめに――学校教育の限界と、母性への眼差しわが国の学校教育の地平線から――educational juris prudence 2026年6月15日