著者インタビュー

「教育」に引き裂かれた母と子の物語。

教師であり2児の母である優子に忍び寄る、二人の教師。
優子を虐待者に仕立て上げた、不倫夫。
助言はするが手は差し伸べてはくれない、児童相談所の職員。
ただ子どもと一緒に過ごすことだけを願う母・優子に、
正義という名の旗を掲げた心ない教育者たちの脅威が忍び寄る。
徐々に追い込まれていく優子は、果たして愛する子どもを守り切れるのか――。

―執筆されたきっかけを教えてください。

子育て、学校教育は、多くの人が経験しているので、各々が自分の体験を元に語りがちです。しかし、同じ日本と言えど、地域に根付いている常識が異なり、教育に望むことの地域差もあります。その前提を語ることなく、画一的に解決を図ろうとするから弊害が生まれるように感じます。書面にされていない仕事はしない。命じられていないことはしない。という時代です。そこでこの小説のように常軌を逸した行動に教員がどのような状況が想定されるでしょうか。まず、管理職は想定外の事案に対応しません。そして教育委員会は教員の不祥事を絶対に認めません。

この小説でも、すぐに学校が謝罪し、子どもに間違った情報を与えたことを説明すべきでした。またこの教員と子どもを離すことも必要です。この教員が常に監視している状況下で子どもは身動きがとれないからです。また、母親が教育委員会に申し立てなかった場合、この教員が中学生の夢未への性的な関心を抑えることができたか疑問が残ります。

―教室内はブラックボックスと言われますが……。

学校で起きた悲劇が報道されても、学校現場では世間のようには驚きません。
現場では今のままの学校運営ではいつか大きな事件に発展するだろうと予想されているので、被害生徒に同情しながらも公になってホッとしている面もあると思います。報道されない悲惨なケースも多々あるからです。
担任や顧問など、個々が対応すべき仕事とされている仕事に、一教諭が横槍をいれるようなことはできません。人間相手ということで相手の出方次第で大きな事件にならないこともあります。この小説での題材は、当事者が行方不明や自殺することで公になることがなかったケースでしょう。

―なぜ子供の連れ去りは起きるのでしょうか?

日本では、共同親権が認められていません。令和になってこの単独親権を違憲として訴訟が起きたことは大きな意義があると思います。
離婚をする場合、どちらの親が親権者になるかを決定しなければなりません。そして親権がなくなるということは、親であった事実さえなかったことになります。医療機関や教育で保護者の承諾が必要なサインを親権者以外がすることもできません。また、連れ去りには養育を放棄、もしくは不貞を働いていた親が養育費を請求するための金銭目的のケースであるものが少なからずあります。
この小説では、不倫した父親が養育費を支払いたくないために親権を請求するため連れ去り、そのあとで子どもが自分の意志で母親のもとに帰るように仕向ける筋書きが透けて見えています。いままで養育してこなかった人が連れ去ることで、新たに虐待が発生する懸念もあります。そして最も恐ろしいことがこういった指南をしているのが弁護士であるという事実です。連れ去りを依頼人に指示したのち、裁判所への証言などを子どもに練習させるなど、大人が数人がかりで子どもを洗脳していくのです。
連れ去りとは営利目的の誘拐となんら変わりがいなのです。

―虐待されている子どもの心理は?

一概には言えませんが、子どもにとってどんな親であっても親なのです。
むしろ愛情に恵まれているからこそ親の悪口も言えます。
以前、虐待が疑われる(ネグレクトの可能性があり、親はアルコール依存症の治療中)児童を数か月に渡って学校と児童相談所と連携しながら経過観察をたことがあります。とうとう児童相談所に送致すると決まり、親子と面談をしている最中、突然子どもが「おかあさんと離れたくない。自分が頑張るから」と泣き出したことがありました。虐待を解決する根幹にあるのは、親を追い詰めてしまう制度や社会にも原因がないか検証が必要だと思います。子どもをいたぶって愉しむ猟奇的な人間ばかりではないはずです。(サイコパスという単語が、医師でもない一般人に汎用され過ぎている風潮も問題だと思います)
子どもが、親に愛されていないと知ることは想像を絶する痛みを伴います。虐待を見つける世の中ではなく、子育ては大変だという前提のもと、画一化された親子関係を構築する努力をさせるより、親子が心のつながりや愛されて生まれたのだと感じられる人間的な時間を少しでも作る支援を考える方が良いと思うのです。(そのためには、すべてのひとが自分は頑張っているのに狡いとかいう損得勘定を抑えて)否定ばかりで認められることのない人生では、大人も息が詰まります。
倫理観の欠落した人間を育てるより、有為な人材を育成することが社会のためと思えないでしょうか。

―共同親権が望まれる理由を教えてください。

この小説では中学校を卒業しなければ母親に会えないと中学生の夢未は教員に思い込まされています。中学校二年生時に連れ去られ、一年程度で離婚が結審されるとしたら、夢未の中学校卒業時には親権者が決定され、離婚が成立しているでしょう。
裁判所では、過去の養育実績を顧みることはなく、結審直前の養育している親を親権者として指名し現状維持を優先します。そうなると夢未が数か月以内に自宅に戻らなかった場合、父親が親権者になり、離婚後は不倫相手が養母となるわけです。
家を出た一週間後、夢未は自分の意志で親権者である母親のもとに帰って来たにもかかわらず、教員によって連れ戻されるという最悪の事態になってしまいます。しかも、そのときに「いつでもこの家に帰ってきても良い」と教員が許可を与えたことが事態を悪化させてしまうでしょう。
もし高校生になった夢未が、母親のもとに帰ってきたらどうなるでしょう?
離婚して親権を奪われた母親の優子には社会的な権限がありません。母親には高校に通学させることも、希望する高校への再入学の手続きもできません。夢未は成人するまで教育を受ける権利を得ることさえ困難な状態になります。親権者の変更は裁判所でしか行えないにもかかわらず、こういった申し立てを積極的に受け付けません。(他の案件と同様数か月の時間をかけて受理するので進学のタイミングなど考慮されないままなし崩しに成人になってしまうというわけです)
また、急に子どもと引き離され、虐待者に仕立て上げられた親は精神を病み、同じ職場で働けなくなるなどの問題を抱えます。そのように考えると一年後に夢未が帰る家はなくなっている。もしくは帰っても高校に通えない、その後も学校に入学できないなどの弊害が懸念されるわけです。

―読者へメッセージをお願いします。

こういった誰にでも起きる可能性のある悲劇を多くの人に知ってもらい、一緒に解決方法を考えていただければ幸いです。


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