著者インタビュー

誰もが個性を尊重され、幸福感の中で暮らせる社会の実現を目指して。

「男らしさの規範」は、戦後にあっても、半ば絶対性を有する規範として、男たちを呪縛してきた。男性は、厳しさに耐え、困難を克服し、守る役割を果たさなければならない。社会に救いを求めてはならない。配慮を求めてはならない。救いも、配慮も、女性のために存在したのである。そういう同調圧力が、男性同士の人間関係として存在し、女性もまた、その性別役割を、当然の如く男性に要求してきた。多様性という言葉がようやく拡散するようになった日本――。しかし社会は今も男性の多様性を照明することなく、ジェンダーバイアスと女性優遇の支配下で、男性の人権を侵犯する。その理不尽と対峙すべく立ち上がった著者による、10年間の活動と思想の記録。

―執筆されたきっかけを教えてください。

小学生の頃から「ジェンダーの呪縛・男らしさの規範」に、理不尽を感じながら生きてきました。それを書籍にするまでの意思はなかったのですが、10年ほど前、ある経験を契機として、男性の人権を軽んじる施策に抗議と改善要望の行動を起こすようになりました。
折しも、東日本大震災を巡る災害対応について、女性団体や内閣府の男女共同参画局が、著しく女性側に傾斜した配慮の施策を展開していた時期と重なり、私の行動範囲も必然的に広がることとなりました。併せて、消費の世界の、女性をターゲットとした優遇戦略や社会進出を巡るポジティブ・アクションの拡大、また、公共交通機関であれば、痴漢対策としての女性専用車両が、痴漢冤罪対策としての男性専用車両不存在のもとで全国に拡大した時期とも重なり、私は、国民生活の中に増幅する女性優遇を目の当たりにすることとなったのです。
一方、自殺を指標として人生の危機を顕在化させれば、1998~2011年の14年間、年間自殺者数は3万人を超え、この間の自殺死亡率は男性が女性の2.3~2.8倍に達していました。他の時期であっても、警察庁の自殺データが存する1978年以降、自殺は毎年例外なく男性に多く、私はその性差の背後に、「男らしさの規範」に起因する「男性支援の脆弱」を見ていました。
このような、社会的配慮の性差とその拡大は、私の認識や感受性からすれば、人権尊重の平等からの乖離であって、その不当性は、憲法ならば14条や13条(注1)、そして全国各自治体の男女共同参画条例であれば、表現に微差はあるにせよ、恐らくはその全てに記されているであろう「性別による差別的取扱いの禁止」に謳われていると私は解釈していました。しかし、この認識が通用しないことを、私は法務局への人権侵犯被害申告や、弁護士との接触の中で経験しました。前者であれば法務局の判断──結局それは法務省の呪縛下にありますが、申告に対する処理結果が人権侵犯事実不明確を越えることはなかったですし、後者の例であれば、某県弁護士会の会長経験者が私のある相談に対して言った「だからこのまえ言ったでしょう。そんなことはやめろ。それは女性のものなのだ」と。
(注1)14条 … 法の下の平等、13条 … 個人の尊重。

2002年、法務省は「人権教育、啓発に関する基本計画」の閣議決定を受けて、「主な人権課題」に性的マイノリティーの人権擁護を入れました。国がLGBTの味方になったのです。やがて「多様性」という言葉が社会の中に拡散。それは、私にとっても、一つの救済でありました。小学生の頃から女性美への参入に憧憬を抱いていた私は、LGBT擁護の社会的気運の中で、私好みの両性役割服装(注2)を、日常の中で顕在化させられるようになりました。しかし、国は、男性集団に存在する多様性には、GBTへの配慮を除けば、今も人権擁護の光を照射してはいない。男性は、恐らくは戦前戦中の男性教育によって増幅させられた「男らしさの規範」に、今も根深く呪縛され、法務省・法務局、そして多くの弁護士たちも、社会的・文化的性差別、あるいは性的偏見、つまりはジェンダーバイアスの支配下で、男性に、旧来の「男らしさの規範」を強要していると実感するのでした。
(注2)WHO(世界保健機関)ICD-11からの引用表現。

私は、そのバイアスがもたらす理不尽の経験的・具体的な提示として、2013年からブログを立ち上げるようになりましたが、活動のほとんどは、行く手を阻むジェンダーバイアスの厚い壁の存在の再確認のようなもので、袋小路に佇む自分を意識してきました。私と同じ「男性」という集団に属する人たちの中には、ジェンダー絡みの人権問題に取り組む人たちはいますが、理論家や実践家は、個別的には存在しても、女性団体に見られるような共感的連帯は、男性間には育ちにくい。ターゲットを特定の事象に絞った理念的特化の団体はいくつかありますが、その活動を除けば、集団の力の形式としてのムーブメントは女性団体のようには構築されていません。男性の人権に関わる要望を包括的に取り込み、生産的に生かすセンターは、男性集団には未だ存在しないのです。

このような思いの吐露はとりもなおさず私の非力さの証であると、そういう評価は可能でありますが、それを打破できない現実の中にあって、私のブログもやがて塵のように消えていくのかと。しかし、ならばそこに幾許かの存在の確からしさを賦与するために、加筆・編集を経て電子書籍として刊行し、願わくは今日の「多様性」を受容するはずの時代の流れに乗り、幾許かの願いの楔を、もしもそこに打ち込むことができるならと、それが、執筆の契機でありました。

特に若い世代を中心として、女性解放と、女性への手厚い配慮が進む時代にあって、女性たちは、美しく着飾りながら、幸福感の中で、自己肯定と共に街を歩く。それに比すれば男たちは、今もなお、旧来の画一化された「男らしさの規範」を背負い、不器用に生きているように見える。それは例えば、硬いスーツに身を包み、ネクタイを締めるしか術のない男たち。男性集団に存する多様性には、GBTへの配慮を除けば、今も光はあたることなく、「男らしさの規範」からの逸脱は、当事者を、人間関係、あるいは社会から、疎外させる契約ともなるのです。

基本的には、全ての人が、ジェンダーの呪縛から解放され、自分らしく生きる権利を持つはずだろう。存在は本質に先行します。私の書籍は、呪縛からの解放を阻むバイアスを、男性に所属させられた私の側から切り取って提示しました。しかし、本質は性を問わない。誰もが自分らしく、自己肯定と幸福感の中で生きられる社会の、到来を待ち望むのです。

―ご出版にあたり、幻冬舎グループを選んだ理由はどのような点でしょうか?

幻冬舎はかねてより自費出版では定評のある出版社であり、信頼できると考えました。

―執筆にあたってこだわった部分を教えてください。

2013年に立ち上げたブログの記事を基本として、私が歩いた道を、時系列に沿って提示したいと考えました。カテゴリ別の編集も考えたが、時系列を外すと歩いた道が見えない。関連して、限られた字数の中で自身の経験のどれを選択して提示するか迷うことが多かったです。しかし、このようなこだわりが作品として客観化された時、読者にとってどのような意味を持つのか定かではなかったのです。

―制作中に印象的だったことは何でしたか?

担当してくださった幻冬舎のスタッフからは、常に丁寧なアドバイスをいただきました。たいへん感謝しています。

―ご出版前後で環境やお気持ちに変化はありましたか?

書籍化によって、自身の活動に一つの形を与えたことにはなりましたが、ジェンダーバイアスを打破できない社会状況にあって、自己の存在に危さを感じる思いは、今も変わることがないです。インターネット上の様々な発言に接すれば、自身のスタンスは必ずしも孤立ではないと感じますが、ネット上の共感は匿名以上の関係には発展しにくいと思います。男性の人権に関わる要望を包括的に取り込み、生産的に生かすセンターの設立を待ち望む自分がいます。

―今後、執筆活動を進めるうえで、目標等あればお聞かせください。

難しい時代状況にあって、やや疲弊を感じています。しかし、活動から完全に退くことはできないと感じています。今は、月に1回程度のペースでブログ記事を更新しています。種々の要因から、この10年間のような活動は今後は難しいだろうが、今までとはやや異なる静的な位置から、状況を俯瞰しつつ、自分の思いを語るような文章は書き続けるかもしれません。

―出版を考えている方へメッセージをお願いします。

今回は、電子書籍として刊行しましたが、特に年齢の高い方は、購入や閲覧に戸惑うことが多いようです。初めは紙の書籍として刊行したほうが、読者は広がるかもしれません。


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