WEB小説コンテスト「イチオシ!」

エントリーナンバー3 カップの底に見えたものベリーダンサー・カメリアの物語

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著者名:富澤 規子

 そこで観客としてキャバレットに来ていたエジプト芸能界の大御所達の関心も得ることまでができた。30~40年代にミュージカル映画の初期を牽引したダンサー女優の代表格であるタヒヤ・カリオカやサミア・ガマール、円熟期である50~60年代を支えたスヘイラ・ザキやフィフィ・アブドと言ったベテランダンサー女優の目にとまり、カメリアは賛辞を受けた。

 その賛辞は成功を引き寄せると同時に、エジプト人芸能者達の嫉妬をもまた大いに買うはめにもなった。

 嫉妬が引き起こした決定的なトラブルは彼女の楽団内で起きてしまった。

 前述のようにホテルやキャバレーをまわるダンサーは自前の楽団を運営しているもので、元来男性上位のアラブ社会で、女性が楽団の頭をつとめるのは並大抵のことではない。楽団運営のためにダンサーは強い女性でなくてはならないが、自力で差配できず男性の庇護を求めるダンサーのほうが多かった。お決まりのパターンとしてはダンサーは楽団内上位者である作曲家やデレクターと恋仲になるものなのだ。それがピラミッド通りで話題の新進気鋭の外国人ダンサーであれば、彼女を獲得する男性の自尊心はどれだけ満たされたことだろうか。芸能関係者にとっては、タヒヤ・カリオカがわざわざ客席から声をかけたダンサーであれば尚更のことだ。

 ところがカメリアが惚れ込んだのは一介のドラマーで、しかも年若いレバノン人だった。

 ドラムの即興演奏とダンサーの掛け合いはショーの最大の見せ場の一つだ。だからドラマーとダンサーは息がぴったりと合っていないといけないし、損得を抜きにした好意や共感がお互いの間に生まれやすい。だからと言って楽団の運営とは別の話でなくてはならないところが難しいところだ。

 カメリアは私にエジプト芸能界について話すたびに「お金と名声のあるところに恋が生まれるの。それは当たり前のこと」と語る。それはカメリア自身がそう言った恋ができなかったからこその揶揄ではないかと、私は思う。カメリアが愛するのはアラブ歌謡とそれを奏でだすミュージシャンなのだから。

 お人よしのレバノン人青年は楽団内のエジプト人芸能者の嫉妬から詐欺にはめられて、膨大な借金を負わされてしまった。警察まで自宅に押しかけてくる。

 エジプトはもうダメだ。

 二人で衣装と太鼓だけもって命からがらパリに逃げた。だからエジプトでの経験はたったの一年きり。名声が広がる途中での不運だった。それでも後から俯瞰してみれば、この時期にエジプトに見切りをつけた判断も彼女のラッキーの一つと言える。カメリアがエジプトを去った1981年は、サダト大統領が暗殺され、副大統領であったムバラクが大統領に繰り上がった年だ。10月6日の暗殺日より40日間、エジプト全土は喪に伏した。ラジオからは歌番組が消え、コーランの詠唱ばかりが流れた。そしてナイトクラブやキャバレー、ホテルのディナーショーは突然の営業自粛を余儀なくされ、ショービジネス界隈は経済的に大きな打撃と混乱を受けた。

 カメリアはこの40日の喪より先にエジプトを去っている。運がいいとしかいいようがない。