WEB小説コンテスト「イチオシ!」

エントリーナンバー3 カップの底に見えたものベリーダンサー・カメリアの物語

p5

著者名:富澤 規子

 カメリアは70年代末にはロンドンの老舗ナイトクラブで踊るほどには出世していた。

 ロンドンは今も昔もエジプト系アラブ人が多い。ロンドンで最も有名なエジプト人と言えば、後に老舗百貨店ハロッズの経営者となるハンマド・アル=ファーイドだろう。アラブ系ナイトクラブでは彼のようなエジプト人実業家達の他にも湾岸諸国のオイルダラー達が上客であり、目の肥えた彼等を満足させるためにエジプト本国からは優れたミュージシャンやダンサーがやってくる。

 カメリアは彼らからベリーダンサーを名乗るなら本場エジプトで経験をつむべきとアドバイスを受け、80年に一念発起してカイロに向かう。

 ロンドンで名が知られていようとも、カイロに来ればカメリアは無名だ。そもそも何をすべきかわからず、とりあえずピラミッドに登るくらいの冒険はしてみた。

 ショーがなくても踊らずにはいられないカメリアは、ピラミッド通りにアパートを借り、ミュージシャンを雇って毎日自宅で踊った。地元のエジプト人から見れば奇妙な行動だが、アラブ歌謡の調べに身をゆだねる時こそがカメリアの心が解放される時だ。多くのエジプト人女性、アラブ人女性が、女性同士の場でアラブ歌謡や民謡に体を揺らし寛ぎ解放されるように。

 奇妙な日本人の噂は瞬く間に広がり、ホリディインホテルのディナーショーで踊らないかと急の依頼を受けた。カメリアが言う「ラッキーなこと」の一つだ。映画女優としても主演の多かったナグワ・フォワードの代打をホテル側が探していたのだ。このクラスのダンサーの代打となると、スケジュールの組み換えは容易ではなく、かと言って二番手三番手のダンサーを繰り上げるわけにもいかない。そこでホテル側が目をつけたのが珍しい日本人のカメリアだった。外国人ならエジプト人同士の角も立たないと思われたのだろう。

 大女優の代打でショーデビューを果たしたカメリアは、エジプトでもあっという間に売れっ子になった。

 カメリアはエジプト人ショーダンサーのように自前の楽団を作り、ピラミッド通りのキャバレットのショーに一晩のうちに何件も出演した。その頃のピラミッド通り周辺は住宅地、商業地しては開発以前で、通り沿いの耕作地の間にキャバレットやホテルやショーのテントがぽつぽつある程度の静かな地域だった。昼は農業地帯、夜は歓楽街と極端に表情を変えるのが当時のピラミッド通りだ。

 今もピラミッド通りに残る老舗キャバレット「エルライラ」を始めとした高級キャバレットに日本人が出演している。その上、既にカナダやギリシャ、ロンドンでショーの出演経験を積んでいるから技巧には目を見張るものがあると評判になった。まだ外国人ダンサーがエジプトでは珍しかった時代で、ピラミッド通りのショーダンサーにはカメリアのほかには欧米人ダンサーが一人いるかいないかの頃だ。