コラム

60年代最大のロック詩人―ジム・モリソン―**

歌手でありながら詩人というアーティストは多くいる中、60年代後半に活躍した「The Doors」のフロントマン、ジム・モリソンは偉大な詩人でした。

ジム・モリソンは幼少期に交通事故に遭った経験や、家庭内不和などの影響で文学にのめり込む暗い少年でした。
「時代の異端者たち―ビート・ジェネレーション」のコラムの中でも紹介した、、ボードレール、アルチュール・ランボー、ジャック・ケルアックなどのビートたちの作品や、ニーチェ、ルソー、サルトル、カフカなどの哲学にも深く傾倒していたそうです。
IQ149だったというジム・モリソンは高校に入る頃には教師をはるかに上回る知識を身に付け、みんなが知らないような詩や小説の一節を口にして人をはぐらかすのを得意としていたといいます。

 

 

The Doorsとは

 

ジム・モリソンがいたバンド、「The Doors」は1965年に誕生。
UCLAの映画学科を卒業したジム・モリソンはビルの屋上で頭の中に鳴り響く詩や歌を次々と書き留める生活をしていたなか、同じくUCLA映画学科で、フランシス・コッポラに次ぐ有望株として将来を嘱望されていたレイ・マンザレク出会い、才能を見出されバンドを結成。

グループはロサンゼルスのクラブでギグを繰り返すうちにスタイルを確立させて行き、その神秘的なサウンドと幻想的な詩、そして演劇の手法を取り入れたステージ演出で評判を呼び、やがてニューヨークのエレクトラと契約を結んでレコード・デビューを果たします。

The Doorsの代表曲、「Light My Fire」の大ヒットでグループは一躍トップ・グループに躍り出ることになり、同時にジム・モリソンはその端正な容姿とステージでの破天荒な振る舞いによってエルヴィス・プレスリー以来のアメリカ最大のロック・スターに祭り上げられていきます。
人気が出始めた当初は観客とうまくコミュニケーションを取り、シャーマンが祭儀をとり行うかのように会場全体をコントロールしていたドアーズでしたが、人気が出て巨大な会場に大人数を収容してのコンサートが多くなると、それにつれてジム・モリソンのステージ上での振る舞いは段々と過激さを増していきます。

 

 

ジム・モリソンの苦悩

 

元来詩人として認められたいと願っていたジム・モリソンは、ロック界の反逆児やセックス・シンボルといったイメージが一人歩きを始め肥大化するにつれて、そういった役割を演じることに嫌気がさしてくるようになり、彼はどんどん酒にのめり込むようになりました。酒を飲むことによって自分を肥大化させ、周囲の状況に対応して行くが、泥酔しては周りの状況を悪化させていくという悪循環を繰り返していました。

1971年にエレクトラとの契約を全うするとジムは、愛人パメラ・カーソンの待つパリへと旅立ちます。
周囲の煩わしさから逃れ、芸術の都パリで詩を作り、本を書き、映画を制作するという夢を実現させるためでした。
パリで生活を初めてすぐは、詩作に励んでいましたが、すでに自分自身をコントロールできなくなっていたジムは自堕落な生活に戻っていってしまいます。

1971年7月3日 ジム・モリソンは心不全により他界します。ともに生活をしていたパメラの願い出により死亡証明書にはこのように記されます。「詩人、ジェームズ・モリソン」

 

 

ジム・モリソンの作品

 

ジム・モリソンが生前自らの意志で世に送り出した詩集。

「視ること」「新しい創造物を探しもとめての廃墟、密林、都市の迷路の彷徨の記録」2冊の詩集の中に彼のロックスターとしてではなく、詩人としてのもう一つの素顔を見ることができます。

作品を生み出すには、良いインスピレーションを得ることが大切です。
ジム・モリソンの挑発的で、人の感情を扇動するような詩から、インスピレーションを受け、あなたらしい言葉で、何かを表現してみてはいかがでしょうか?

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