連想と想起
一般に、意味記憶のネットワークで関連(リンク)している内容は、相互に思い出しやすいといえるかと思います。よく、何かを思い出そうとするときに検索手がかりがあると思い出しやすいといわれます。検索手がかりとは、それからの連想によって、思い出そうとする対象を想起しやすくする内容のことです。思い出そうとする対象と、検索手がかりとの間には何らかの関連があるわけですが、このように関連性のあることは、連想によって想起されやすいといえます。ふだんの生活で、何かを見たり聞いたりしたときや、何かを考えたとき、それから連想される内容が思い出されることは、よくあるように思います。連想によってその関連事項が、非意図的に次々と想起されていく場合もあると思われます。この連想という過程は、私達の思考ということを考える際に、たいへん重要と思っています。連想によって想起する力というのは、非常に強いものと考えています。例えば覚えておかなければならない内容に関連する物品を、ドアノブにつり下げておくことなどで、想起を促そうとする方法もあるといわれています。ここでもし、必要な何かを忘れてしまい、それを思い出そうとする際に、記憶をたどってもなかなか思い出せず、その具体的な検索手がかりも見つけられないとした場合、その思い出そうとしている対象のイメージのようなものを何とかつくりだして、それによって思い出そうとすることもあると思いますが、これも、そのイメージからの連想によって思い出そうとしているということになるのでしょう。つまり、はっきりとした検索手がかりがあっても、なくても、結局は連想によって何らかの想起がなされているということはよくあるように思われます。
意味記憶によるネットワークで、関連した事項が連想されて想起されることは考えやすいと思います。ただ、エピソード記憶においても、その中に出てくるさまざまな人物や事柄がネットワークのように関連(リンク)して、相互に連想・想起されやすくなっていると考えると、これも理解しやすいように思います。次はエピソード記憶での関連の例です。
エピソード記憶と連想による想起
次は、自分の経験をもとにしたお話です。
Aさんは以前に、職場の仲間のBさんから、何回か昼休みに、Bさんが沖縄旅行に行ったときの話や、旅行のときの沖縄の景色の写真などを見せてもらったことがありました。しばらくたってからAさんは、友人のCさんと飲みに行きましたが、そのときに入った店が、沖縄料理などを提供する、沖縄の雰囲気が感じられる居酒屋でした。AさんはCさんと会話をしていて、そのときは気にはとめていませんでしたが、その店の中で、なぜか何となくBさんのことが頭に浮かんでいました。Aさんは、そのときのことをあとから考えてみて、以前にBさんから沖縄旅行のことを聞いたことがあったと思い出し、それで店の中でBさんのことが思い出されたのかな、と考えました。これは、Aさんがその店で沖縄の雰囲気を感じ、それによってエピソード記憶の中にある、沖縄と関連している内容(Bさんのこと)が想起されたというものですが、この際にAさんは、Bさんから沖縄旅行をした話を聞いていたということ(エピソード)自体は想起しておらず、そのことは忘れていました(あとから思い出したということです)。その店での沖縄の雰囲気という感覚の知覚から、直接Bさんのことが想起されたということです。エピソード記憶の中にはいくつかの内容、事項が含まれていると思いますが、何らかの感覚の知覚などに伴って、そのエピソード記憶の中の構成要素の一つ(この場合はBさん)が、その時点で想起されたということです。
また、次は以前に読んだ本での内容ですが、彼氏と喫茶店で話をしているとき、ある音楽が聞こえていました。その際、店の中で何となく気分的な不快感が生じていましたが、あまり気にはしていませんでした。店を出たあとで、そのときに聞こえていた音楽は、前の彼氏との不愉快な経験をしたときに聞いていた曲だったことを思い出した、というものです。これも、音楽を聞くことで、エピソード記憶の中のいくつかの事柄のうち、その曲と関連している感情が思い出されたものと考えられます。この場合も、その曲とそのとき感じられた不快感との関連性はすぐにはわからず、あとから考えてみてそのときのエピソードが思い出されたということです。これらのことから、エピソード記憶の中で、連想のもととなった内容(事柄)と、それから連想されて想起された内容(事柄)との、二つの事項の関連性に気付く前に、いきなり連想された内容が想起されるということもよくあるのではないかと思われます。
短期記憶からエピソード記憶などへの長期記憶化では、海馬での長期増強という機能が重要とのことです。短期記憶では、作動記憶の研究で、記憶の保持に前頭前野背外側部と視床とのネットワークが重要といわれています。また、長期記憶が想起された場合に、前頭前野内側部の活性化が認められたとの報告があります。
プライミング
次にプライミングについてお話ししましょう。これは、先行する刺激に対する認知処理が、後続の刺激に対する認知処理を促進するというものです。例えば、「音楽」という言葉を見ておくと、「鑑賞」という言葉のほうが、「検証」という言葉よりも想起されやすくなるというようなことです。これは、ある言葉または概念などを認知処理すると、それの関連語に、活性化のエネルギーが及んで(拡散するといいます)、活性化(想起)の閾値までの水準が上がり、活性化(想起)されやすくなることで説明されています(20)(図10)。つまり、ある言葉が認識されると、それに関連した言葉が、いわば想起準備状態となり(関連した言葉はいくつかあると思います)、想起されやすくなるということです。このように意味的に関連した内容が想起されやすくなる場合、意味プライミングといわれます。これは、最初に認識した言葉そのもの(直接のもの)ではないので、間接プライミングともいわれます。また、前もって「ケンサシツ」という言葉を見ておくと、「ケ□サ□ツ」という単語完成課題を解くことが容易となります。この場合は、はじめの言葉と同じものなので直接プライミングといわれます。直接プライミングの場合は、言葉の意味よりも、その言葉(文字)の形そのものの認識のほうが重要と考えられているとのことです。
プライミングは以前にその言葉を見たという経験を想起していない状態で認識が容易となるので、潜在的な記憶の機能と考えられています。またプライミングは「連想」という現象がもととなっているものと考えています。

手続き記憶
次に手続き記憶についてですが、これは、技能、スキルともいわれ、運動や認知的な技能などに対する内容を含んでいます。自動車の運転では、はじめは言語を使って、操作の仕方を考えながら手足を動かしていき、ある時点からは、手足の動かし方の記憶をいちいち思い出さなくても、ほとんど無意識に操作できるようになるというわけで、動かし方の記憶が潜在的な記憶、つまり手続き記憶となったといえます。またスポーツ等運動などでも、基本的な身体の動かし方などに関しては、はじめは言語を使って理解し習得していく過程があると考えられていますが、ある時点からは動き方をほとんど思い出そうとしなくても自然に動けるという状態となるわけで、これも、身体の動かし方が潜在記憶、つまり手続き記憶となったと考えられます。
認知的な技能としては、例えばクイズなどを解く際に、はじめは解法を考えながら解いていて、ある時点から、解き方をあまり意識しなくても自動的に解けるようになった場合、この時点で解き方は潜在的な記憶となり、認知的に手続き記憶となったといえると思います。
また、文法などの習得で、名詞句とは、動詞句とはなど、はじめは意味を考えながら覚えるわけですが、いったん習得され、無意識に文の組み立てなどができるようになれば、文法に対する記憶が潜在化したということで、手続き記憶となったといえるとのことです。
この節では、短期記憶の成り立ちに関する考え方と作動記憶とのちがい、また、思考過程において連想による想起が重要ということなども含めお話しいたしました。何かが意識され、それが長期記憶となると、いったん無意識的な状態となりますが、想起によってまた意識化されるわけです。また何かが頭に浮かんだ場合、何らかの連想による想起に伴って意識化されているということがあると思いますが、それが何からの連想かということや、それが連想された理由までは、意識にのぼっていないことはよくあるようにも思います。連想の過程のはじめは無意識的に起きていると考えています。
行動
行動に関してですが、リベットは、自由で自発的な行為における脳の活動と、その行為をしようとする意図の意識との関係を調べました(1)。脳の活動は、頭皮上の電極によって調べられるものです。行為としては、手首や手指を急激に屈曲させるというものでした。結果は、いつ行動を起こすか、いくらかでも予定していた場合は、その行為が起きる、平均800~1000ミリ秒前から、また、自然発生的に行動し、とくに行為を予定していない場合は、その行為が起きる平均550ミリ秒前から、運動準備電位(readiness potential:RP)といわれる、その行為に関する脳活動の電位が起動することがわかりました(行動を予定している場合には、速い時点でRPが生じますが、これは、行動の「予定」という、行動そのものとはちがう脳の活動を反映しているとのことです)。そして、行為を起こそうとする意図を意識する時間は、その行為が起きる平均200ミリ秒前ということもわかりました(意図を意識する時間は、電気刺激による皮膚感覚との比較から厳密に修正すると、行為が起きる平均150ミリ秒前とのことです)。このことから、自発的な行為が起きるには、脳は、遅くともまず(550ミリ秒前に)自発的なプロセスを起動(RP)し、このRPの始動から、(350~)400ミリ秒程度あとに(行為が起きる約150ミリ秒前に)、行為を促す意図に気付く(動こうという)意図が意識されるということがわかったわけです。つまり今動こうとする意志プロセス(これは無意識的なものと考えられます)は、行為の約550ミリ秒前にはじまることがわかったということです。
この結果から、動こうという意図を意識するよりもずっと前から、動かすための脳の電位が生じることがわかったのです。通常、まず動こうとする意図を意識することが先にあって、そのあとで動かすための活動の電位が脳に生じるというのがふつうに考えられる順番なわけですが、その順番が逆だったわけです。まだ動かすことを意図していないはずの段階で、すでに脳に動かすための準備電位が起動しているため、本人自身が自主的に動かそうとする自由意志というものは、はたして存在するのだろうかという議論にまで発展しています。このRPが生じてから350~400ミリ秒たってから、手首を動かす意図が意識されるというわけですが、もし仮に、自由意志としての動かそうとする意図に関した脳活動のほうが先に無意識の状態で生じていて、それが意識化されるまでに時間がかかったのではないかと考えたとしても、(その無意識の状態での)意図の意識化に350~400ミリ秒もかかるとは思えないわけですので、やはり動かそうとする意図の脳活動は、動かすための運動準備そのものの脳活動よりもあとから生じているということになるのです。つまり、脳ではまず、動かすための準備が先に生じていて、今まさに動きが始まるというその直前になってから、はじめて動かそうと思う、ということです。要するに、はじめは無意識の状態で、動かすための準備がすでに脳では開始されているということです。この測定では、手を動かすタイミングは、完全に被験者にまかせられていますので、自由で自発的な行為の実行ということで、まちがいはありません。動きが手首か手指の屈曲という条件と、ある時間内には動かさなければならないという条件があるのは確かですが、これらの条件設定が、動かそうとする意図を意識する前に、動かすための脳の活動を起動させる原因なのかもしれないと考えたとしても、自分の意志よりも先に、動かすための脳活動が生じているという事実は、どうしても理解に苦しむところではあります。また、自由意志に基づく自発的な行動が、はじめは無意識での脳活動から開始されるということになりますと、それ以外の、完全に自由意志に基づいているとはいえないような行動、例えば何らかの刺激に対する反応や、その場の状況で選択せざるをえないようなとっさの行動も、すべて無意識での脳活動からはじまっているのではないか、と考えるしかないようにも思われます。だとしますと、一般に行動や行為の実行というものは、(すべて)はじめは無意識的な過程から開始されるのではないかということとなるのです。
ここで、行為の意図を意識するよりも前に、脳はその行為の準備電位を起動しているということから、私達の自由意志というものをどのようにとらえたらいいのかという議論において、リベットは、次のように考えました。動かそうという意志よりも先に、脳が活動していることは確かなのですが、動かそうとする意志は、実際に行為が実行される平均200ミリ秒前(厳密に修正すると平均150ミリ秒前)には意識されているわけなので、このことから、この約200ミリ秒(厳密には約150ミリ秒)の間に、その行為を拒否することができるはずで、このように、直前で行為を拒否することもできるし、また、拒否せずに行為を促すこともできるというように、最終的な選択ができること、このことが自由意志に基づいた権利なのだという意味の主張をしています。
ちなみに事象関連電位の測定(4)では、運動準備電位(RP、ドイツ語でBP)は、随意的な運動を開始するおよそ0・5~2秒前から出現する緩徐な陰性電位成分で、BP前期成分とBP後期成分に大別され、BP前期成分は運動開始のおよそ1・5~2秒前から、BP後期成分は運動開始のおよそ0・5秒前から出現するとのことです。また、BP前期成分は補足運動野、BP後期成分は運動肢対側の一次運動野から生じるとのことです(図11)。

もし行動が起きる過程が、はじめは無意識からはじまるとすれば、大きな利点として、常に瞬時に動ける状態でいられるということが挙げられると思います。その理由は、逆にもしも行動や行為というものが、まず意識が先行してから、そのあとで脳の活動が起動するとなれば、行動や行為のうちのあるものは実行されるのにかなり遅くなってしまう可能性が考えられるということです。とにかく、とるべき行動や行為というのはたくさんあって、これらすべてをまず意識してから開始していくとなると、その意識をする分だけ遅れていくわけですから、事実上それは困難であることは容易に想像できそうです。また、行動というのは、例えば危険の回避など、実生活においての安全性の確保などにも密接にかかわっていると考えられますので、何かの理由で少しでも遅れるようなことは、基本的に許されないといえます。いつも迅速な行動が必要となるわけです。ところで実生活でいろいろな動作を次々と行う場合を考えてみますと、例えば新聞を読みながら食事をしていて、箸で食べ物を取り口に運ぶ、口を動かしながら新聞をめくり、気になる記事を目の近くにもってくる、このとき足を組んだりしている、その都度テレビのチャンネルを変える、メガネをかけなおす、周囲を見渡す、などの動作をしている際に、それら一つ一つが意味のある行為であっても、いちいちまず行動を意識してから手足を動かしているわけではないように思います。このようにいろいろな行動を無意識的に行っているということは、日常でもよく経験されることと思います。
また、さまざまなスポーツ、とくにスピードを争うような競技において、しっかりと動きを意識しながら身体を動かしていたのでは、対戦としては遅くなってしまい勝負にならないように思います。例として相撲のような格闘技の場合を考えてみます。相手のすばやい動きに対応しながら有利に進めるには、相手の動きをいちいち分析しながら、次にどう動こうかなどと考えていたら、おそらく負けてしまうでしょう。いわば考える前に、相手の動きにとっさに反応する形で行動していないと遅くなってしまうのです。無意識的に身体が動くことによって、相手よりも速く自分の得意な体勢にもっていくことが肝要というわけです。ちなみに、相撲のはじめの立ち合いのときに、事前に運動のプログラム(8)が準備されていて、いちいち動きを意識しなくても立ち合えるという状態となっているとのことです。このような事前の運動プログラミングは、日常のいろいろな場面でも行われているということです。
ここで、行為を拒否する選択についてですが、リベットによると、さきほどの場合、行為が実行される前の約200ミリ秒間(厳密には150ミリ秒間)という時間の中で、最後の50 ミリ秒間は筋肉を起動させるために使われ、この間は行為は拒否できない状態となり遂行されることとなるので、行為を拒否できる時間というのは、それを差し引いた、その前の約150ミリ秒間(厳密には約100ミリ秒間)ということになるとのことです。
ちなみに行為の拒否ということではないのですが、いったん動き出した行動を止めようとすることについて、次のようなことがいわれています。野球でピッチャーが投げるボールがキャッチャーに届くまで、球速が140キロメートル/時であれば、約450ミリ秒となります。バッターは、そのボールを打とうとして、バットを動かしはじめたとします。この際、そのボールが近づいてきたときに、何らかの理由で(例えばストライクではなさそうなので)打つのをやめようとした場合、いったん動かしはじめたバットのスイングを止めようとする(停止信号を出す)わけですが、筋活動開始から停止信号までの時間によって、それが100ミリ秒未満なら、主動筋を抑えるのではなく、拮抗筋の活動を増やして停止させようとする、100~199ミリ秒では主動筋の活動を抑えて、拮抗筋の活動を増やす、200~299ミリ秒では、拮抗筋の活動は変化させず主動筋の活動を抑える、300ミリ秒以上の場合は主動筋と拮抗筋ともに活動を抑制するというように、いったん動きだした運動を停止する方法には主動筋と拮抗筋のさまざまな組み合わせによる修正が行われているということです(8)。
さきほどの自由で自発的な行動が、はじめは無意識の状態から脳で起動されるということに関しては、とても不思議な印象を受けますが、リベットの実験での、運動開始の550ミリ秒程度前からの、運動準備電位(RP)は、事象関連電位の測定においての運動準備電位の後期成分に相当するもので、これは運動肢対側の一次運動野から生じるとのことです。この領域は、運動の直接的な発現に関係していると思われますので、この領域の活動が、必ずしも意識と関係なしに起きるということは、理解しやすいかと思います。その前段階の運動準備電位の前期成分は、補足運動野から生じているとのことで、この領域は運動の計画や修飾に関係していると考えられますので、この領域の活動が意識と関連していることは考えやすいといえます。ただ、自由で自発的な行為ではなく、とっさに予期していないような行動をとらなければならないような場合(例えば飛んできたボールをよけるなど、反射的にとらなければならないような行動)に、運動準備電位に相当する脳活動がどのくらい前から生じているのかは、まだよくわかっていないのだと思いますが、運動準備電位を設けるだけの時間的な余裕は、自発的な行為ほどにはないように思いますので、この場合にも、スポーツなどの場合と同様に、まず意識をもってから行動を起こすということではなく、反射的で無意識的な行動が先行するように思います。
前に申しましたが、私の経験で、車を運転中に対向車とぶつかりそうになったとき、はじめの150~200ミリ秒以内くらいの、まだよく対向車の色も形もはっきりとは認識できていない段階で、すでにハンドルを左に回してブレーキを踏んでいたわけですが、この際、対向車が見えた最初の瞬間と、ほとんど同時にこれらの行動をとっていたと考えられますので、やはり動かそうと思う前に、すでに身体が動いていたという感じでした。もちろんそうでなければぶつかっていたと考えられるのです。
この節では、行動の計画は意識をもってされますが、行動の実行自体は、動かそうとする意図よりも速く、無意識の脳活動が先行しているというリベットの知見などをお話ししました。行動、つまり個体の動きというのは、進化の過程で、意識という現象が出現する前の、いわば無意識的といえる状態だった時代から存在していたと考えられますので、そのことが、行動の実行ではまず意図の意識よりも、無意識の過程が先に起きることと関係しているのでしょうか。また、行動も、進化的に意識ということの出現や発達に関係しているのでしょうか。
無意識について
皮膚の体性感覚が、約500ミリ秒間の脳の活性化のあとに意識化されるという、自身が発見した知見から、リベットは脳での他の認知的な活動においても、意識が生じるためには、その前の段階での無意識の状態で、脳の活性化が約500ミリ秒間続くことが条件で、これによってその内容が意識化される、意識にのぼるという現象が起きているのではないかと推論しました。事象の起動に伴う無意識の状態での脳の活性化が、500ミリ秒間に達しなければ意識化はされず、活性化が500ミリ秒間に達したものだけが意識化されているのではないかということです。こう考えると、多くの無意識での事象のうちの一部が意識化されていく過程において、500ミリ秒間という時間は、フィルターのような役割をはたしているのではないかとも言っています。
このように脳の中では、無意識での活動がたくさんあって(連想もはじめは無意識の過程があると考えます)、その中の一部が意識化されているということなのかもしれません。ただ私達はふだん、はっきりとした意識をもって、いろいろな認知的活動や思考の方向性を決めているのは確かだと思いますので、本来はまず意識をもっての脳の活動が主体で、無意識的な内容はそれをサポートしていくものと考えるほうが自然のような気がします。いったん意識をもってある方向性が決まると、あとはすべてに意識を先導させなくても、ほとんど無意識的な状態でも一部の内容が進行し、そして必要に応じて途中の段階が意識によってモニターされ、最終的な到達点はもちろん意識にのぼるということがあるようにも思われます。認知過程の全体的な方向性は、意識によってコントロールされているというわけです。
ここで、脳での認知的な活動に関してですが、例えば数学の問題(すぐに解けないような難問)を解く場合、その問題の設定自体は十分に意識して把握する必要がありますが、いったん問題の意味するところがわかれば、あとの解法は何となく考えているうちに、あ、そうだ、と(突然)思いつく感じで、この解いていく過程、解法を見つける過程が、すべてが完全に意識されているというよりも、何となくの、いわば無意識的な思考機能というのがあって、自然に答えが導きだされる、急に解法が浮かんでくるような状況があるように思います。ちなみに数学の問題に限らず、何らかの問題を解決しようとする場合に、意識をもって解決策を考えていこうとすると、何か常識にとらわれる思考方法でしか考えられず、なかなか解決策が思い当たらないというときに、いったん意識するのをやめ、何となくというか、むしろ何か他のことを考えている最中に、急にその解決策に思い当たるという経験をすることがあるように思われます。おそらくこれは、その問題自体に関連したことではなく、全く他の事項での内容が、たまたまその問題の解決策として使えそうだという、ひらめきのような状態が(偶然に?)突然起きて、それが解決策として当てはまったということと思います。そのたまたま解決策として当てはまった事項の内容というのは、もともとは今回の問題の内容とは全く関係がないものだったため、解決策を考える上で、意識の中では最初からエントリーされていない、考えてもいなかったようなものだったと思われるのです。ですので、その解決すべき問題をずっと意識して考え続けている状態では、それに気付けないということになると思います。つまり無意識的に思考過程が進む場合に、常識という範疇にとらわれることなく、もともとその問題とは全く関係がなかったような事項の内容を考えている際に、その問題の内容と結びつけたり、組み合わせたりということから解決法がひらめいたり、新しい発想や考え方が生まれることがあるということと思います。
この、急に思いつく何らかの解決策については、まず解決すべき問題があって、意識をもってそれを認識するわけですが、その解決策を思いつかず、いったん意識からはずれる、無意識的な状態となるわけです。まず意識されて解決策の探索モードとなるわけですが、そのあとの過程は無意識的となります。その後、他の事項の内容の認知的な構造などを考えている際に、その認知的構造というのが、当初の解決すべき内容に当てはめればその解決策として使えるというひらめきは、おそらくプライミング効果またはそれに近いものなのではないかと考えています。つまり、前の事項の内容の認識が、あとからの事項(問題の解決策などを含めた)の認識を促進する、この場合は解決の方略となることがわかる、気付くということです(ここでは解決すべき問題のほうが先に存在していて、解決のヒントとなる事項のほうがあとから認識されるので、認識の順番としては逆ですが)。あとから認識した内容が、解決方略となる(利用できる)ことが潜在的に(無意識的に)認識され、そしてそのあとで急に意識化されたということと考えられますので、潜在的な認知機能と考えられます。
またさきほどのような問題解決(または意思決定など)の課題があっても、それに対して確固とした意図や方向性をもっていない(どうすべきかすぐわからない)ような場合でも、その課題を考えようとするモードは(無意識的な状態で)続いていて、他に考えが移行している間に、ある時点で課題がゴールに到達した(解決法を思いつく、自分で納得できる状態になる)とすると、その間の思考過程をはっきりとは意識化できない(ただ何となくそこに到達した)というような場合でも、何らかの無意識的な過程が関係していた可能性があると考えられます。
ちなみに、動作に関するリハビリテーションにおいて、リハビリを受けている方に、ある動作をするように指示しても(例えば何かをもってそれを次の位置へ移動させてくださいなど)、その動作をすることがどうしてもできないような場合に、その方をよく見守っていると、日常の動きの中で、その動作をふつうに行っていることがあるとのことです(このようなことは、リハビリではよくあるらしいのです)。これはある動作を、指示にしたがって、意識しながらやろうとしてもできない場合でも、ふだんは(ほとんど無意識的にと思われますが)、その動作を行えている場合があるということで、はっきりとした意識をもって行う場合と、(おそらくあまり意識をしていない状況で)何気なく行う場合とでは、脳の中で機能しているその動きに関した部分または回路が、多少なりとも異なっている可能性があるのではないかと考えられる例です。このことから、行動において、意識をもって行う場合と、無意識的に(と思われますが)行われる場合とには差異があり、意識下ではできなくても、無意識的にはできる(ことがある)ということかもしれません。この際、動きそのものは同じとすれば、一次運動野の働きは同じかもしれず、その前段階の補足運動野、運動前野などとの連携でのちがいなのかもしれませんが、どちらにしても運動準備は無意識に起動されるというリベットの知見から、無意識的には行動がなされていることは、自然のことのように感じられます。
さきほどもふれましたが、ふだんの行動や思考の意図的な方向性というのは、基本的に意識に基づいて、先導されてコントロールされるのは確かですが、これらがはじめは意識をもって開始され、その後無意識的な状態へと移行することもあるように思います。この場合これらが進む過程をモニターしていると思われる状況の例として、車の運転が挙げられます。はじめは意識をもって車を動かしますが、その後、運転自体は手続き記憶によってほとんど無意識的となり、同乗者との会話など運転以外のことを考え、信号が赤になると、急に運転が意識されブレーキを踏むわけです。この場合の運転と会話のように、二つのことを同時に行おうとする場合、注意資源の配分が少なくてすむほうが、無意識的な状態となるともいえるかと思います。このように行動や思考の最初の段階では、その内容をはっきりとした意識をもって認識していて、いったん行動しはじめたり、考えはじめたりすると、そこから先はそれほど意識しなくても行為や思考過程が進んでいく、そして必要に応じてまた意識されるということは、よくあるように思われます。
思考について
次に思考ということを考えてみます。以前に思考において連想が重要と考えられることをお話ししましたが、それは、ある思考内容から、自動的にそれに関連した内容が連想され、思考されていく過程というのはよく起こりうるように思われるからです。また、思考の内容にはたくさんの個人差があるわけですが、思考の方法といいますか、考え方、考える道筋のようなことは、思考の効率化という観点からは、ある種のパターンが形成される傾向があるように思われ、一般に最も効率的に考えていくやり方、思考形態というのが模索されているように思います。
例えばスキーマ、スクリプトという概念は、何かを思考していく際の、ある一定の規則性を表していて、そのパターン化に従うことで、思考の効率化につながると考えられます。一般にある法則性に基いて思考を重ねることで、手続き記憶によって無意識的な思考パターンがつくられることもあると思います。よって、その思考内容が、それほど意図的に考え出そうとしなくても、その状況ですぐに浮かんでくるようになります。これはその個人の中でその思考がよく繰り返され、その内容が繰り返し認識されている場合、何らかの状況において必要に応じて、とっさにその思考内容が浮かんでくる、瞬時に認識されるようになり、時間的な効率化にもつながると思います。このような思考形態の効率化は、おそらく一般によくあることと思っています。ふだん思考して慣れている内容が(これは一つではなくて、その個人によっていろいろあるのではないかと思いますが)、瞬間的に生起(または想起)されていくことで、次々とすばやい思考内容の生成(連鎖のような状態)が起きることがあるのではないかと思っています(何回も同じことを繰り返し考えることで、その状況でその内容を考えたというよりも、思い出したという表現のほうが合っている場合があるとも思われ、この場合は思考内容の想起といえるでしょう)。このような、あるまとまった思考内容が、一つ生起(または想起)されるのにかかる時間というのが、自分の経験では、だいたい40~60ミリ秒程度と考えられたことがあります。このまとまって意味をもった思考内容が、連続的に次々と生起(または想起)されていくことによって、(ある状況での)思考内容が成立していく(思考過程が進んでいく)ということとなるのではないかと考えています。
また自分の経験のことを申しますと、あるとき本来見てはいけない他人のスマホの画面にたまたま視線が合ってしまった際に(画面の数字を見たくなかったのですが)、とっさに「しまった、画面に視線が合ってしまった、目をそらしたほうがいいかな」「でもいちいち目をそらすのも面倒だし、今回はそらさなくてもいいか」「どうせ見ても大丈夫だろうからこのままで見てもいいかな」という三つの思考内容が、瞬時に次々と浮かんだのです。スマホの画面に視線が合ってから、それが(具体的には画面の数字が)視覚的に認識される(見える)までに、おそらく145~170ミリ秒くらいと思われましたが、その短時間に、これらの思考内容が三つ浮かんで、そのあとで画面の内容(数字)が見えたということなのですが、このことから考えて、このとき一つのまとまった思考内容が頭に浮かぶ時間というのが、だいたい40~60ミリ秒程度だったと考えているのです(ちなみに自分は、はじめにその画面に視線が合ってしまった際に、通常では考えられないくらい、気持ちはあせって、せっぱくしていました)。
前のリベットの推論のところで述べたように、意識という事象が生じるためには、まず無意識という過程が先にあって、その中である条件を満たしたものが意識化されるということと考えますと、もしもある一つのまとまった思考内容が生成されるのにかかる時間が、私が経験したように約40~60ミリ秒だったとした場合、これらの事象がまずはじめに無意識からはじまって意識化されているとすると、少し時間的に短いようにも思われるのです。無意識からはじまって意識化されるとすれば、40~60ミリ秒よりも、もう少し時間がかかりそうな印象です。リベットは、この無意識での事象の時間が、約500ミリ秒間続くことで意識化されるのではないかと推論しましたが、40~60ミリ秒程度で意識化が成立すると仮定すると、かなり短い時間で思考内容の意識が成立していることとなります。よく考えてみますと、私達はふだん何かを思考する際に、とくにあせったりあわてたりなど、非常にせっぱくしている状況でのときには、短時間にたくさんのことが頭に浮かんでくるように思います。500ミリ秒くらいに一つというような間隔ではなく、瞬時にもっと多くのことが浮かんでくるように思います。通常、何らかの連想からの想起も、500ミリ秒もかかっているとは思えません。これは、思考内容のうち、何を一つ(の単位)として数えるのかということにもよるでしょうが、さきほどの私が経験した瞬時に浮かんだ三つの内容は、やや視点がちがうもののように思われますので、それぞれ一個ずつと数えて、三つの思考内容と考えていいように思っています。だとしますと、思考内容の成立にはそれほど時間がかかっていないように思え、思考が意識される前に無意識の過程を経ていないように感じられるのです。でも一部の連想の過程は、無意識から開始されると考えますが、意識化は非常に速いということがありますので、思考が意識される前に、無意識の過程がごく短時間でもあることが、十分に考えられるのです。
進化の過程で、もともとは無意識的ともいえる認識状態だった時代から、意識という現象が生じたとも考えられるわけですが、これには無意識での過程を効率化し、精度を高めるなどの必要性から意識という現象が芽生え、発達してきたのではないかとも思われます。もしそうなら、思考の機能が、無意識での機能にとってかわったという部分もあるかもしれませんので、思考が、必ずしも無意識の過程からはじまるということではないとも考えられるようにも思います。しかし、やはり多くの場合は、思考は無意識の過程からはじまっていると考えます。もしも思考の開始が意図的なものだけで、無意識の状態から意識化へ移行する(自動的に思考が開始される)過程というのがなければ、意図的に続けていかないと思考はその都度止まってしまうように思われるからです。
無意識と考えられる他の事柄
無意識ということに戻りますが、ある言葉が認識された場合、それに関連した意味内容の言葉(関連語)が想起されやすくなる現象が、その関連語に活性化のエネルギーが拡散していくことで説明でき(意味プライミング効果)、これは潜在的(無意識的)な状態でということですが、この場合それに関連した言葉というのは、通常は複数個(いくつか)あるものと思われます。もちろんそのすべてが想起されるということではなく、活性化のエネルギーが及んでいるそれらの言葉のうちのいずれかが、何らかの条件に伴って想起されるということになると思います。つまり関連性のある言葉や事柄の中から、ふだん日常である特定の言葉や事柄が想起されるには、それが想起されるための何らかの必要性、文脈上の必然性などの条件があるはずと考えています。例えば自分がその内容に関連した状況におかれていたり、それに関連した内容について考えていたりなど、自分にとっての関連性が深いものが(まずはじめに)想起されるということと思います。そして想起されてみて、はじめてそれが想起されやすい状態であったことがわかるということと思います。また、活性化拡散は意味的な関連だけではなく、エピソード記憶的な関連でも起こりうると考えています。
また、言葉が(主に意味記憶として)認識される場合、認識にはいくつかの段階や水準のようなものがあることがいわれていて、これにはその言葉の音韻的なレベル、形のあるものなら形態的なレベル、そして意味的なレベルなどがあるわけですが、実際の日常の文脈の中で意識されているのはそのうちの一部ではないかと思われ、他の要素は無意識的となっていると考えられます。つまり言葉の(主に意味記憶における)認識を構成している個々の要素のうち、そのときの文脈上で必要な要素だけが意識化されていて、それ以外のものは無意識の状態のままとなっているということです。
また、短期記憶が長期記憶に移行する際に、その内容に注意が向けられたり、関連内容や上位概念が付け加わったり(精密化)、精緻化リハーサルがされたりするわけですが、この過程も、すべてが意識されているというわけではなく、無意識的に行われることもあるように思います。つまり短期記憶から長期記憶への移行自体が、無意識的な過程で起きる場合があると考えられます。例えば何らかの経験をしたあと、ある程度の時間が経過してから(何日もたってから)、それまで一度も思い出そうとしたことがなく、注意を向けたつもりもないその経験内容を、ある時点でふと思い出してみようとしたら思い出せた、またはあるとき、何気なくそのことが思い出されたということもあるかと思います。この場合、その思い出せた内容は長期記憶となっていたということになるわけですが、これは無意識的な過程を経て、短期記憶が長期記憶に移行していたということとなります。
この節では、意識と無意識との関係において、意識された状態から無意識の状態への移行という過程があること(手続き記憶もその一つです)、思考においての問題解決の場合などでは、常識にとらわれないという観点から、意識されている状態でよりも、無意識の状態での認識過程のほうが有利に働く可能性があること、またこの際プライミングのような機能が関係していると思われることなどや、また認知的な脳活動に関係した無意識の状態や過程などについてお話ししました。意識が中心的に機能しているのは確かですが、無意識での機能が意識内容の選択に影響したり、意識内容をサポートしたりすることで、認知的な活動が成立している場合もあると考えられます。思考については、経験などにより思考形態が効率化(パターン化)する際に、手続き記憶が関係していることがあると考えられること、またある状況である思考を繰り返すことによって、思考内容が考え出されるというよりも、それが想起される状態となるように思われることなどをお話ししました。
おわりに
「意識」に関連性のある内容に関して(認識という観点からも)、いくつかの知見をもとにお話をさせていただきました(感情に関しては難しいのでふれていません)。皮膚感覚が500ミリ秒間の脳の活性化のあとに生じること、行動の準備電位は無意識の状態から起動されることなどのリベットの知見は、とても印象深く感じられました。意識の機能と、無意識での自動的な機能との関係など、意識に関する領域の考え方は難しいと思います。この文章を通して少しでも意識または認識過程ということにご興味をおもちいただければありがたいと思っております。今後の研究の成果、発展に期待いたします。
最後に、日頃お世話になっております自治医科大学消化器肝臓内科の先生方(栃木県下野市)、文章作成の機会を与えてくださいました三岳荘小松崎病院理事長小松崎聡先生(茨城県筑西市)に心より感謝いたします。
- 1)マインド・タイム 脳と意識の時間 ベンジャミン・リベット著 下條信輔訳 岩波書店 2005年
- 4)誘発電位測定マニュアル2019 日本臨床神経生理学会編集 2019年 診断と治療社
- 8)脳百話 動きの仕組みを解き明かす 松村道一 小田伸午 石原昭彦編集 市村出版 2003年
- 20)記憶の心理学 豊田弘司 放送大学教育振興会 2008年
| 「意識」と「認識の過程」 【全7回】 | 公開日 |
|---|---|
| (その1)意識のゆりかご─意識はどこで生まれるのか | 2025年10月31日 |
| (その2)視覚 | 2025年11月30日 |
| (その3)視覚 | 2025年12月26日 |
| (その4)聴覚 | 2026年1月30日 |
| (その5)聴覚 | 2026年2月27日 |
| (その6)第二のゆりかご──記憶は意識を促す | 2026年3月31日 |
| (その7)第二のゆりかご──記憶は意識を促す | 2026年4月30日 |



