記憶についてですが、一般的なこととして、記憶にはまずいくつかの段階があります。まず対象を覚えることを記銘または符号化といい、その覚えた内容をあとで思い出せるようにとっておくことを記憶の貯蔵または保存といいます。そしてそれを取り出す、思い出すことを想起、または検索といいます。一般に貯蔵または保存されている状態では記憶は意識にのぼらず、意識するには想起(検索)されることが必要です。
記憶の分類
次に記憶の分類ですが、言葉で言い表せるような記憶を宣言的記憶(陳述記憶)、言葉で言い表せないような記憶を非宣言的記憶(非陳述記憶)といいます。また、想起されると意識にのぼる記憶を顕在記憶、想起されたとしても意識にのぼらない記憶を潜在記憶といいます。エピソード記憶、意味記憶は基本的に宣言的記憶、顕在記憶といえますが、意味記憶は時に潜在記憶といえる場合があると考えられています。潜在記憶には、他に手続き記憶、プライミングなどがあります。また記憶を、時間を基準として分類する方法として、二貯蔵庫モデルがあります。(15)これは、 短期貯蔵庫と長期貯蔵庫からできています。外界からの刺激による情報は、まず感覚受容器に入って一時的に保存され(感覚情報保存)、そこから注意された情報だけが取り込まれ、短期貯蔵庫に入ると考えられています。短期貯蔵庫にあるのが短期記憶です。短期記憶はリハーサル(復唱)によって維持されますが、このうちのあるものは、次の長期貯蔵庫に転送されます。短期記憶に注意が向けられ、それから連想されたり、それと関連している事項や上位概念などの情報が付け加わったりすることや(情報が付加されることを精緻化といいます)、また、精緻化に伴うリハーサルによって、長期記憶となるということです。長期記憶にはエピソード記憶、意味記憶などがあります。ちなみに記憶されている内容は、長期貯蔵庫では意識されておらず、想起されて短期貯蔵庫に入って意識されると考えられています(図6)。

また、さきほどの記銘についてですが、定義上いきなり長期記憶に記銘はできませんので、記銘は短期記憶に関しての用語となります。ただ、長期記憶から想起されて短期貯蔵庫に入った記憶内容は、思考などに伴い再び記銘されると考えられるわけですが、この場合もまず短期記憶として記銘されるということでよいかと思います。想起は短期記憶でも長期記憶でも使われます。短期記憶で使う場合は、ふつう記銘の段階で意識はされていますが、短期記憶の定義上いったん意識から消える場合も含みますので、いったん意識から消えてから、再び意識されれば、それが自動的にであっても、意図的にであっても、意味の上では短期記憶が想起されたということとなると考えています。他に、即時記憶、近時記憶、遠隔記憶という分類があります。この場合、記銘は即時記憶での用語となり、想起は近時記憶と遠隔記憶との両方で使われます。即時記憶は定義上、記銘されてから干渉が入らない間の状態をいいますので、干渉が入っていったん意識から消えれば、次に意識にのぼった時点、つまり想起された時点からは近時記憶ということとなります。即時記憶と、近時記憶の最初の部分が短期記憶、それ以降の近時記憶と遠隔記憶が長期記憶に対応しています。
感覚情報保存
まず感覚情報保存についてです。外界からの光や音などの刺激は、感覚受容器から取り込まれ、感覚皮質に到達したあと情報処理され、注意が向けられることによって短期記憶となるわけですが、いったんその情報が保存され、その間に注意の選択を受けて短期記憶となる場合もあります。この、いったん感覚情報が保存されることを感覚情報保存といいます。したがって感覚情報保存とは、感覚受容器から刺激が入り、記憶情報との照合を経たのち感覚として成立したあと、その情報が短時間保存されることと考えます。
まず、視覚における感覚情報保存(アイコニックメモリー、視覚持続)に関して、スパーリングの実験があります。これには全体報告法と部分報告法とがあります。全体報告法では、3文字×3行の文字列合計9文字の文字刺激を、最長500ミリ秒間提示し全体の文字を報告させると、9文字中、平均4・3文字が報告できたとのことです。次に部分報告法では、4文字×3行の文字列の計12文字を50ミリ秒間提示し、直後に音を聞かせ、その音の高さ(高音、中音、低音)によって、高音なら一番上の行の4文字を、中音なら真ん中の行の4文字を、低音なら一番下の行の4文字を報告させるというもので、文字刺激提示の直後に音を聞かせることによって、3行のうち1行の4文字を報告させると、平均で4文字中3文字を報告できるということがわかりました(図7)。

4文字中で平均3文字を報告できたということは、指定されていない他の行についても同程度に報告できた可能性があり、3行12文字分として換算すると、平均で9文字を報告できた可能性があり、全体を報告させる全体報告法よりもより多くの文字を報告させることができたこととなるとのことです。つまり、全体報告法よりも部分報告法のほうが成績がいいことがわかったのです。ところで、音は50ミリ秒間の文字刺激の提示が消えた直後に聞こえるもので、それが聞こえてからどの行の文字を報告するかが決まるので、音が聞こえた時点で、まだこれらの文字列が見えているということになるのです。見えていなければ、音の高さで注意を移動して、指定された行の文字を報告することはできないのです。このことによって、文字刺激提示後、それが消えてからもその文字が(しばらくは)見えているということがわかったというわけです。そして、文字刺激提示後に音を聞かせるまでの時間間隔を徐々に長くしていくと、だんだん部分報告法の有利さが減少し、1秒後には、全体報告法と同じ結果となってしまいましたが、300(400)ミリ秒後くらいまでは、報告される文字数としては全体報告法よりも(有意に)よいということもわかりました。つまり、50ミリ秒間の文字刺激提示後、それが消えてからも300(400)ミリ秒間くらいはその文字が見えているということとなります。このように見えた文字がしばらく視覚的に保存され、見え続けていることは、スパーリングによって視覚情報保存と名づけられましたが、のちにアイコニックメモリーといわれるようになりました。文字刺激による視覚提示が消えたあとは、通常は次に見えたものによって、もとの視覚情報は見えなくなる(逆行性マスキングに似ています)ほうがふつうなので、視覚刺激が消えてからも、視覚情報保存によって見え続けている状態とするには、工夫が必要だとは思います。例えば、はじめに提示する文字を電光で明るくして、文字が消えたあとの視界を暗くするなどです。
ここで、部分報告法において、音の高さによって、3行の文字列のうち1行を報告するというとき、もし全部が完全に見えているとすれば、1行中の4文字をすべて報告できる可能性もあるわけです。それは、瞬間に提示された文字を報告できる個数というのが、この場合の全体報告法では4・3個、他の知見でも一般に4個程度といわれるからです。ただ、部分報告法では4文字中3文字ということで、そのことだけ考えるとやや少なめの報告となっています。この結果から考えますと、文字刺激提示後に見えている文字の範囲は、視野全体でのものというより、中心視野と有効視野のごく一部においてのものではないかと思われるのです。つまり、視覚情報保存は、基本的に中心視野での機能であって、ほとんどの周辺視野では起きていないように思われるのです。また、視覚情報保存で見えているものは、仮に視線を動かしたとすると、視線と一緒に動くと考えられるので、見えている文字の中で視点を移すことはできないと考えられます。
その後の実験で、ドットなどの図を時間的にずらして2枚提示し(両方の図が合わさったように知覚されると意味のある図形となるもの)、最初の図が消えてからもそれが見え続けていると思われる時間(二つの絵を同時に知覚できる最長の時間間隔)を直接計測する方法で、120~130ミリ秒程度視覚が持続していることがわかりました(7)(17)(図8b)。

一般に中心視野では、網膜に刺激が与えられると、約145~170(200)ミリ秒程度で記憶情報との照合を経て視覚化される(見える)と考えられるわけですが、実際にはもっと早い段階(100~)145ミリ秒程度で見える、さらにはもっと早い段階ですでに見えているような印象もありますので、これらの過程が統合されて一つの感覚意識として見えているとなりますと、全体で170(~200)ミリ秒後くらいまで見え(続け)ているという計算になりそうですので、この視覚感覚の完成の過程だけで、時間的には視覚がやや持続しているといった感じとなります。でも、感覚情報保存(視覚持続)の時間というのが、記憶情報との照合のあとからのことをいうものと考えますと、この一連の過程で視覚感覚が完成したあとで、さらに120~130ミリ秒程度持続するということと考えられますので、かなり長い間、見え続けているということになるわけです。
このように、視覚感覚が記憶情報との照合を経て完成していく過程にかかる時間と、そのあとからと考えられる視覚情報保存(視覚持続)に伴う時間とは、本来は異なるものと考えたほうがいいように思うのですが、両者の厳密な区別は難しいように思われます。この理由には、記憶情報との照合の過程が、どの時点で起きているのかを厳密に認識することがたいへん難しいということと、実際には記憶情報との照合の前にすでに見えていると考えられることからです。
ここで、(近似的に)視覚刺激の提示時間プラス視覚的持続時間(視覚情報保存によると思われる視覚持続の時間が含まれる)=(イコール)一定という知見が報告されています。(18)これは、中心視野で、視覚の成立にはある一定の時間がかかるわけですが、もしも刺激提示時間が、その成立にかかる時間よりも短ければ、視覚の完成までの時間は、刺激提示時間に関係なく同じとなることを意味しているのではないかと思われます。例えば、視覚の成立に200ミリ秒かかるとすると、視覚刺激の提示時間が50ミリ秒であっても100ミリ秒であっても、視覚が完成する時間は変わらないので、そのあとに続く視覚持続の時間を加えても一定となるということです(図8a)。

短期記憶
記憶の二貯蔵庫モデルでは、この感覚情報保存という段階の次に、これらの感覚が注意などの選択を受け、短期貯蔵庫に入るということになります。ただ私達は、何かを意図的に見ようとする場合もあるでしょうし、目を開けていれば自然に目に入るという場合もあるでしょう。耳にはいつも音声が入る状態になっていますが、意図的に聞くという場合もあるでしょうし、自然と聞こえているという場合もあるでしょう。このような際に、注意の機能がどのように働くかはいろいろあると思いますが、どのような状況であっても、この見えたり聞こえたりという、視覚や聴覚での感覚は、ふつう意識にのぼるわけですが、経験的には意識にのぼったことは記憶されると考えていいように思います。これはまず短期記憶として記憶されます。
ここで、まず長期記憶の中のエピソード記憶について考えてみたいと思います。エピソードといっても、何か特殊なものではなく、見たり聞いたり、思ったり考えたり、感じたり、行動したりという日常の経験そのものの記憶ということです。さきほどの二貯蔵庫モデルで考えますと、長期記憶というのは、短期記憶に精緻化などの処理がなされ、長期記憶となる(時間的に長く貯蔵される)と解釈できますので、エピソード記憶のもととなっている記憶は、すでに短期記憶として、その原型がつくられていると考えられます。つまり、逆に考えればエピソード記憶と同じような内容のものが、短期記憶でつくられているように考えられるのです。長期記憶でいうエピソード記憶とは、そのときの感覚、思考、感情、行動に関してなど、経験される内容が含まれていますので、短期記憶の時点で、すでにその内容がつくられていたと考えられます。ふだん、見たり聞いたりという感覚が生じ、それに伴って思考がなされ感情が起き、それらが意識されるわけですが、その際、意識されたことがすべて短期記憶となっているように思われます。証明は難しいのですが、経験的に意識されたものは記憶されると考えていいように思います。逆に、意識されなかったことは、少なくとも顕在記憶としては記憶されていないように思います。また、意識したことが本当に短期記憶となっているかどうかは、ある時点から、数秒か数十秒前のことを思い出してみればわかります。少し前に何を意識としてもっていたのかを思い出してみて、思い出せれば記憶されていたとわかります。おそらくこの内容というのは、簡単に思い出せるはずです。このことから、直前のできごと、経験での意識内容がもととなって、短期記憶がつくられていると考えられそうです。今という瞬間のすぐ直前はすでに過去なわけですから、それが思い出せるということは、直前のできごとの内容の記憶が短期記憶としてつくられたと解釈できるように思います。短期記憶=(イコール)直前の意識内容ともいえると思います。
例えば電話番号などの無意味な数字の並びは、短期記憶にとどめるにはリハーサルが必要とは思われますが、このように何かを覚えようとすれば記憶されるわけです。でもとくに覚えようと意図しなくても、経験したことがその直後に思い出せるということは、覚えているということとなり、短期記憶がつくられているということになるわけです。つまり覚えようとしても、しなくても、通常は、意識された内容が短期記憶となっているということです。
ちなみに短期記憶の持続時間に関しては、6~7秒以内、30秒以内、1分以内など、いろいろといわれています。
ところでこの短期記憶はどのくらいの時間間隔でつくられているのでしょうか。ちなみに感覚では、視覚情報は、数十ミリ秒単位で網膜から感覚皮質に送られているとのことですので、そのことから考えますと一般に感覚というのは厳密には不連続ということなのかもしれません。ただ、感覚に対する時間分解能などのため、連続的に感じているということかもしれません。短期記憶というのが一つずつのシーンのような形で(感覚や思考など意識されたものがすべて含まれた形で)時間的に順番に次々とつくられているのか、または感覚は感覚で、思考は思考でというように、それぞれ独立した形で記憶されていくのかということは全くわかりませんが、もしある程度の時間的な幅をもった個々の短期記憶というものがあるとすれば、それらをつなげれば時間的に連続となると思われます。また、意識は連続的と考えられますので、意識されたことが記憶される短期記憶も、ある時点においては同様に連続的と考えると自然のように思います。またよく短期記憶における容量は、無意味記憶なら7±2個といわれますが、これは認識として同時に把握できる容量のことと考えます。ちなみにこの数は音韻的な記憶容量のことで、視覚的(空間的ともいえると思います)には4個程度といわれています。
短期記憶にある程度の持続があり、いわば連続的となることがなぜ重要かというと、ふだんはあまり気付かれないかもしれませんが、もしも直前の記憶というものがなかったとしたら、その都度その都度、次に何をすべきか、何を考えるべきかがわからなくなるでしょう。直前の記憶というものがあるからこそ、次の行動や思考ができるのです。わかる直前の過去が現在につながるのです。極端にいえば、もしも短期記憶がその都度すぐに消えてしまい、直前の記憶がない状態となると注意が他に向いて意識内容が変わるたび、短期記憶を想起できないので今自分が何をやっていたのか、また何を考えていたのか、わからなくなると思います。短期記憶がある程度持続していることで、行動も思考も続けていけるということです。
ここで例として、友人との会話を考えてみますと、「最近、社会的距離のため、麻雀をやるときも2メートル離れないといけないんだって」と言われたとき、過去に麻雀をやったときのことを想起したり、実際に2メートル離れて麻雀をやる情景をイメージしたりして、そんなに離れたら麻雀パイに手が届かないんじゃないの、という自分なりの考えが形成されて、それを相手に伝えたとします。このとき、さきほど相手が話した内容は、もちろん短期記憶に入っているでしょうが、相手の会話を覚えようという意図はとくに意識していないと思います。今、相手と会話しているという前提があるので、相手の発言に対して、次に自分が何を話すべきかということが常に模索されています。つまり、会話を続けるという遂行機能が働いているということです。その中で、相手の話の内容を理解し、それをもとに自分なりにイメージなどをすることで、自分なりの思考内容がつくられ、それを相手に話したということです。この際には、相手の会話内容が記憶されていて、自分の過去の記憶(長期記憶)を想起したりということで、記憶の機能が働いているわけですが、それは、会話を続けるという行為の遂行のために記憶の機能が使われたということとなります。
また、やはり友人との会話中に、急に相手がスマホで青いバッグの写真を見せてきて、その直後に、今度は茶色いバッグの写真を見せながら、「ねえ、さっきの青いバッグとどっちがいい?」と聞かれたとします。このときすぐに直前に見せられた青いバッグの写真を思い出して、今見せられている茶色いバッグと比較する必要があるわけです。この際には、もともと青いバッグを記憶しておこうという意図は全くなかったわけで、それはいったん意識から消えています。そのあとで、どっちがいい?と聞かれて、すぐにさきほど見せられた青いバッグを思い出すわけです。
これは短期記憶に入っていますから、ふつうはすぐに想起できるでしょう。そして今見ている茶色のバッグと比較して、どちらがいいか自分なりに考えるわけです。このとき、どちらがいいかと聞かれたので、とっさに直前に見た青いバッグを思い出したのであって、最初から覚えておこうとは思っていません。この場合は、会話中に、両方のバッグを比較して、友人に返答するという行為を遂行するために短期記憶が想起され、使われたということとなります。
どちらも短期記憶が使われていますが、もともとは記憶すること自体が目的ではなく、また記憶しようという意図もなく、何らかの行為を遂行するという遂行機能に記憶が使われた、といえると思います。
作動記憶
ここで、作動記憶(ワーキングメモリー)について説明しておきます。作動記憶とは意図的に何らかの記憶情報を保持しつつ、その記憶を使って情報処理をする機能のこと、または、何らかの情報処理をするために、意図的に、知覚された内容を記憶し保持したり、何かを長期記憶から想起してその内容を維持したりすることといえます。つまり、保持される記憶の内容は、その時点で感覚情報として知覚されたもの、これは短期記憶ですが、これと、長期記憶から想起された(活性化されたともいいます)もののどちらも該当するということです。作動記憶は、短期記憶に分類されるといわれています。さきほどの友人との会話などの例でも短期記憶が使われていました。それでは、作動記憶はふつうの短期記憶とどのようにちがうのでしょう。さきほどの会話の例では、はじめから覚えようという意図はありませんでした。覚えておこうとする意図がなければ、ふつう短期記憶はすぐに忘れてしまうことでしょう。すべての短期記憶がすぐに忘却されてしまうかどうかは、そのときの注意の仕方や状況などによってもいろいろでしょうけれども。ただ、いったん意識から消えたとしても、すぐに想起できれば短期記憶として情報処理に使えます。しかし作動記憶の場合は、ある特定の記憶情報を(感覚情報なら記銘して、または長期記憶なら想起して)、保持しておくという目的があり、それを使った情報処理がすむまでは、保持し続けなければならないというものです。本来は記憶すること自体が目的ではなく、情報を処理することが主目的ではありますが、それの遂行のため、はじめから何らかの記憶を保持し続けるということに(仮にその意図が意識されていないとしても)、ある程度の心的なエネルギー(労力、または処理資源ともいいます)を使う必要があるわけです。使われる記憶が、見たり聞いたりした感覚情報に伴う記憶であったとすれば、何もしなければすぐに忘れてしまうと思われるところを、情報処理がすむまで保持し続ける、要するに、情報処理までの記憶の保持と、その記憶を使った情報処理とを、両方やらなければならないということとなります。この際の記憶機能のことは作動記憶ということでいいと思います。場合によっては情報処理をしている間中、ずっと記憶を保持し続けなければいけないこともあるかと思います。例えば短期記憶としては、何もしなければ十数秒から何十秒かで忘れてしまうところを、その記憶の維持のためのリハーサルや注意を向けることなどによって、その時間をもっと引き延ばす、その情報処理がされている間中、ずっとその記憶の時間を延長させる(数分とか?)ということにもなるのかもしれません。場合によっては短期記憶が何回も想起されているうち、長期記憶のような状態となってしまっているような印象もあります。
例えば、電話をかける場合、電話をかけるという行為自体が目的ですが、そのために今見た電話番号をリハーサルなどで覚えながらボタンを押す、これはもちろん作動記憶です。文章などを読むとき、一般にある文の全体の意味が理解されると、それは記憶されやすく、短期記憶から長期記憶への移行もされやすいといえるでしょう。文の中で「夕方、花屋さんから赤いカバンをもって出てきた緑色の服を着た男性が」など、主語や名詞を修飾する部分は、ある程度、意図的に覚えておいて読み進める必要があると思いますが、これも作動記憶といえます。誰かが何かの作業をしているのを見て、「その作業は危ないからそこにある軍手を使ってください」と言おうとしたとき、その人が急に自分と反対のほうを向いてしまったためにすぐに伝えられず、いったんその言おうとしたことを覚えておいて、何十秒か(数分?)してからその人がこちらを向いたときにそのことを伝えれば、これも作動記憶といえるでしょう。ただ、例えば、テレビのドラマや映画などをふつうに見ていて、もちろん記憶しようという意図はとくになくても、ストーリーは追えているわけですが、この際も、前の展開が記憶されていることで次の展開が追えるということと思いますが、この場合、短期記憶が次々と長期記憶となっていって必要に応じて想起されているのか、またはストーリーを追うという目的での作動記憶なのかということですが、内容に注意が向けられたり、理解されたりすると、精緻化などにより短期記憶が長期記憶に移行し、それが必要に応じて自動的にまたは意図的に想起されることで、次の内容がわかるということとは思います。ただ長期記憶に移行しないとしてもこの場面を覚えていないと次はわからないという認識があれば作動記憶が使われたと表現されるということなのでしょうか。
ちなみに、長期記憶の内容を想起すること(長期記憶の活性化ともいわれます)は、二貯蔵庫モデルでは、長期貯蔵庫から短期貯蔵庫に移行すると表現されます。短期貯蔵庫に移行した内容は、もとは長期記憶からのもので、いかにも短期記憶と同じような状態となるように思われますが、すでに精緻化などの処理はされているので、もともとの長期記憶化される前の短期記憶とはちがうと考えられることと、この際に想起したということが(エピソードとして)つけ加わるので、さらにちがいが生じます。この想起した内容を保持しながら、それに対して評価したり比較したり分析したりという思考による操作を加えれば(情報処理)、これは作動記憶を使っているということになるでしょう。一般に何か思考するというとき、このように長期記憶から何かを思い出して保持しておいて、その内容に対してさらにいろいろと思考するということも多いように思いますが、これは作動記憶を使っていると考えられます。
ちなみに、作動記憶を使って情報処理をしたということ自体が、経験として短期記憶となるわけです。覚えようとしていなくても、意識されれば記憶されるということです。
長期記憶
次に長期記憶についてです。長期記憶とは、まず短期記憶が形成され、その中の一部が長期記憶となると考えられています。短期記憶が長期記憶となる条件として、その内容に注意が向けられ、精緻化(何らかの情報が付け加えられること)されたり、精緻化に伴ってリハーサルされたりということなどが挙げられています。
長期記憶の分類ですが、まずエピソード記憶と意味記憶とがあります。
エピソード記憶
エピソード記憶ですが、ふだんのできごと、経験の記憶です。見たり聞いたり行動したり、そのときの思考や感情なども記憶されます。このエピソード記憶は、短期記憶がもととなっていますので、もととなった短期記憶にエピソード記憶と同じような内容が含まれていたと考えられます。さきほど申しましたように、短期記憶はある程度連続的につくられているように思うのですが、エピソード記憶は録画映像のように連続したものではなく、一つ一つの意味的にまとまったシーンのような形で思い出されるように感じます。話し声などは、短期記憶では音韻(聞こえ)そのものですが、エピソード記憶となった場合、音韻として記憶される場合と、一つのまとまった意味内容として記憶される場合とがあるかと思います。
エピソード記憶には、時間と場所の情報が入っているといわれます。視覚情報の中に場所の情報は入っています。時間というのはいつも意識されているのかはわかりませんが、逆に考えればふだん時間というのは、意識はされていなくても、認識はされているということかもしれません。
ちなみに、長期記憶において記憶の変容というのが起きて、記憶内容が変わってしまうことがあるといわれています。エピソード記憶で、例えば登場する人物が入れ替わってしまうというようなことです。これは、記憶が想起される時点や、それに関する思考の最中に、内容が変化してしまい、それがそのまま記憶(記銘)されることなどで起きるのではないかと思われます。
意味記憶
次に意味記憶です。これは、教養や辞書的な意味合いということで、知識ともいえるものと思われます。ふつう、あるものの意味というのを認識する場合、はじめはエピソード記憶のようなことがもととなっているように思います。例えば桜とは何かという意味記憶が成立する過程で、辞書的には桜とは何科の植物で、枝に細長い茎があってその先に花が咲くのが特徴ですと説明されてもなかなか理解は難しく、実際に桜の木や、桜の花が咲いているところを見れば、百聞は一見に如かずといわれますが、これが桜なんだということが、すぐにはっきりとわかるわけです。これは、桜を見たというエピソードがもとになって桜というものがどのようなものか、自分にとっての解釈、理解ができるというわけです。意味記憶は、基本的には辞書的な意味に沿って理解されるべきものとは思いますが、個々人にとっての知識構造に合ったとらえかたで理解したほうがわかりやすいという側面はあると思います。もちろん、「日本の首都は東京です」というような、正解が一つに決まるものはそれだけで知識ということとなります。また、純粋に抽象的な内容(例えば〝経済〟とは、など)に関しては、体験だけではなくイメージ(思考の一種)などからも意味を考えていくこととなると思います。また、エピソード記憶の内容が何回も想起されることによって、場所や時間などの付帯的な情報が忘れられ、意味的なものだけが抽出されることで意味記憶がつくられていくとも考えられます。
意味記憶は一般には顕在記憶ですが、ふだん何らかの文脈の中で意味記憶が、顕在的に想起されずに使われている場合は、意味記憶が潜在記憶として(無意識に)使われていると考えられます。
意味記憶にはネットワーク理論があります。個々の名称やさまざまな概念が、(意味的に)ネットワークのように関連、リンクしているというものです。このネットワーク理論は、意味記憶を考える上でわかりやすいと思います(図9)。

- 7)視覚情報提示のための時空間統合知覚特性の研究 渡邊淳司 2005年(国立国会図書館HP)
- 15)記憶の心理学 太田信夫 放送大学教育振興会 2008年
- 17)運動差図形の視覚的持続 塩入諭 1993年
- 18)視覚マスキングと視覚記憶 菊地正 1996年(国立国会図書館HP)
| 「意識」と「認識の過程」 【全7回】 | 公開日 |
|---|---|
| (その1)意識のゆりかご─意識はどこで生まれるのか | 2025年10月31日 |
| (その2)視覚 | 2025年11月30日 |
| (その3)視覚 | 2025年12月26日 |
| (その4)聴覚 | 2026年1月30日 |
| (その5)聴覚 | 2026年2月27日 |
| (その6)第二のゆりかご──記憶は意識を促す | 2026年3月31日 |



