表現者の肖像 石橋直道
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社教主事 愛知

 生活を安定させる為、教員を目指すものの採用されることは難(むつか)しかった。社会科ということで候補として登載されたが、4月1日の採用はなかった。そこでやむなく郷里の教育委員会に社会教育主事補として採用され、晴れて公務員となり、やがて社会教育主事となった。教員への道を諦らめたわけではなく、公務員を退職し、愛知県の教育大学の専攻科に再入学し、各種の教員免許を取得した後、4県を受験したところ、幸運にも3県に合格し、そのうち合格即採用という方針をたてていた愛知県に採用された。

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