表現者の肖像 伊藤 清
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執筆に秘めた思い

近まで小説を書こうと思ったことはありませんでした。ただ、教師としては生徒たちに自分の思いや考えを率直な文章にして配布するようなことをしていました。その中で、組織の責任ある立場として全校に文章を発したことが二度あります。一度目は生活指導主任を任されたときでした。

 当時の都立高校は主任制度がまだ十分に定着しておらず、互選で選ばれたものを校長が任命するという方式がほとんどでした。私は人望がないせいか、誰からも主任に推薦されたことがなく、たまたま他になり手がいないという理由だけで、私に主任を任せざるを得なかったようです。主任は初めての経験であり最後の経験となりました。私は初めて主任を任されたことが嬉しくて、意気に感じて仕事に没頭しました。

 ほぼ男子ばかりの工業高校で800人規模の生徒数でしたが、ピアス・茶髪が全盛のころです。私は、毎週、生活指導だよりを発行することにしました。そこで訴えたのは、生徒たちの良い面もまずい面も、日々の様子をありのままに提示して、みんなで考えよう、という試みです。説教調の文章やありきたりの道徳論では子供たちの心に響きません。思うままに自分の本心をぶつけるのです。タイトルは「今日も元気だ!」にしました。初めの二回は大量の紙飛行機となって舞い上がりました。ところが、三回目以降、紙飛行機がピタッと止んだのです。理由は中身にありました。初めの2回は、どうせ生徒は難しいことを言っても分かるまい、という気があって、くだけたものにしていました。それが、どうせ紙飛行機になるなら自分の思うところを本気で書いてみようと思ったのです。そこから「今日も元気だ!」のファンがどんどん増えていきました。自分たちのことがありのままに書かれているからです。そのときに感じたのは、生徒は「思いを受け止める」ということです。文章に込められた思いに反応するように感じたのです。このときから自分が校長になって校長通信を出そうと決意しました。

 都立の校長になったとき、ここでは校名を出そうと思いますが、多摩地区にある都立日野高校で、ようやくそのチャンスがやってきました。タイトルは「Solar Green」にしました。日野高を、「日の当たる野原の学び舎」、と考えると「ソーラーグリーン」になる。それだけの理由です。

 日野高を退職すると、私はある私学に副校長として招かれました。いずれは校長になれるという思いで行ったのですが、結局は副校長のまま系列の高校を二校異動して退職せざるを得ませんでした。特に、一校目は歴史が100年以上もあったので、私は着任するとすぐにその学校を主人公にした歴史物語を書こうと考えました。史実を参考にしつつ、学校を超えてみんながワクワクするような元気の出る物語を作ろうと考えたのです。それが、校長になれないまま退職を余儀なくされたときに、私は手足をもぎ取られたような気分に陥りました。表現する場を失ってしまったのです。そこで頭に浮かんだのが小説です。組織の責任ある立場として表現する手段を失ったのなら、一作家として表現すればいいじゃないか、と考えました。そうして、頭と心に降ってわいたのがこの小説です。

 この小説は処女作ですが、自分が表現したい哲学のほとんどすべてを詰め込みました。いきおい難しい言い回しや内容になっていますが、実際の発言現場を失ったために、架空の場面設定を要することからSFという形式にしました。この小説の中に、自分が信じる哲学をSFストーリー仕立てにして埋め込んでいます。今、一億総中流と叫ばれた豊かな成長期の日本は遠くに霞んで見えるだけです。それさえも、遠ざかる銀河のように過去へと流れていくでしょう。しかし、人間が人間である以上、希望の灯は消してはいけませんし、消えることはないと考えています。

 ロウソクの炎のように、ゆらゆらと弱々しく燃えながらも決して消えることがない。それが希望の灯(ひ)であり、良心の灯火(ともしびひ)だと考えます。それを宿す「希望の種」を世界に広めたい。小さな自分の大きな野望です。

幻冬舎ルネッサンス

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